○今泉昭君 平成会の今泉でございます。
私は、これまで幾人かの参考人の皆さん方がいろいろ話をされたことを受けまして、私なりに最近の
アジアの
経済的な大変な
発展の中で、
日本のプレゼンスのあり方というものが大きく変わりつつあるという
認識を持ちながら、
日本の
経済の面におけるところの
アジアとの関与をどのように考えていかなきゃならないかという点を
中心にいたしまして、限られた時間でございますので、その点を
中心にした話をさせていただきたいというふうに思っております。
過去何人かの
先生方のお話にもございましたように、まさに今
アジアは大変な
経済的な躍進を遂げていることは事実でございます。しかしながら、この十年間の流れを見てみますと、いわばプラザ合意を
中心とした円高の
時代と、
我が国のバブル
経済崩壊後の
アジアの姿と
日本の国をかぶせてみますと、大きな違いが出てきているんじゃないんだろうかという
考え方を持っております。
これはもう当然皆さん方もそう思っていらっしゃると思うんですが、プラザ合意前後の
世界の
経済の極というのは、
アメリカ、ヨーロッパ、そして
日本という形で
世界的にとらえられて、
世界の
経済を動かしていくのはその三極だろうというふうな
見方であったわけでございますけれども、今
世界で見られているのは、
日本ということではなくして、
日本が所属している
アジアという形に名前が変わってきているわけであります。
当時は
アメリカを
中心としてジャパンバッシングが盛んに行われていたわけでございますが、いつの間にか
日本パッシングになったかと思えば、今度は
日本ナッシングという形になるような、大変に
日本のプレゼンスが薄い
状況になってきているというこの
現実を、我々は
アジアの中でどのように考えていかなきゃならないのかというところに思いをいたしてみたいと思うわけであります。
現在の
アジアを見てみますと、当初は
日本が大変な
経済発展を遂げまして、
アジア各国がルックイースト
政策に見られるように、
日本に見習って
日本を勉強してというような形で、悪い表現でいえば
日本をまねしようという形の
経済発展、こういうものがなされてきたんじゃないかと思うんですが、よく見てみますと、
日本の
経済発展の姿というものと現在急激な勢いで繁栄を遂げている東
アジア諸国の
発展というのは根本的に違った局面があるのではないだろうか、こういうふうに思っております。
と申しますのは、
日本の場合は、それはヨーロッパ
諸国、特にアングロサクソンを
中心とした先進
諸国ほどではないにしても、長い年月をかけまして現在の
経済繁栄の基礎ベースを築き上げてきたことは事実じゃないかと思うんです。例えば、教育の均質的な水準の高さであるとか、あるいはまた
一つの
民族としての同一性が大変多かったとか、そういう中から国としての同一の価値観をある程度共有できるという環境の中で、我々はどちらかといえば欧米
諸国を目指して、かの国に何とか追いつけ追い越せ、越そうではないかという国民的な
一つの目標を持ちながら
我が国の再建に尽くしてきたという一面があったんじゃないかと思うんです。
したがいまして、その間にはもちろん
世界全体でいうならば工業化というものが
中心になりました
世界の流れでございまして、今のような産業分類で分けられないような情報化を
中心とした新しい産業が興るという
時代ではなかったわけでありまして、いかにして強大な工業国をつくり上げるかということが命題でありましたから、その工業化の基礎ベースをいかに固めていくかという準備が
日本の場合は相当なされてきたというように私自身は実は考えているわけであります。
したがいまして、その
世界的な工業化の中で、
日本の場合は物づくりの
基盤というものがある程度しっかりできていた国ではなかっただろうか。
そういう中で、
我が国の目はどちらかというと
アジアに向いているよりも
西欧化というものをある程度頭に入れながら進んできたというのが戦後の
我が国の
経済の
発展ではなかったかと思います。
もちろん、明治維新以降、岡倉天心が言ったように、
アジアは
一つなどと言って
アジアの中に足を入れなきゃならないという動きも一時期はあったことは事実でございますが、明治維新後の
我が国の全体の目というのは脱亜、そして
西欧に足を入れるという流れの中にあったというふうに私自身は
認識しているわけであります。
ところが、どうでしょうか、今の
アジア諸国の流れを見てみますと、
日本と違いまして大変価値観の持ち方も多様化しております。一般的に、
アジアは
一つじゃない、
アジアをはかるのには
一つの価値観ではかれない、
アジア方式というものがあると言われているとおりに、
アジアというところはその全体の構図をつかむこと自身も大変難しいわけでございますけれども、多様化をしている
一つの大きな文化圏でもあろうと思うわけであります。
そういう中で、どちらかといえば植民地
時代に虐げられ、略奪をされ、そういう中から教育もままならない、大工業化
時代の中でそれの
基盤となる物づくりの
基盤というものがほとんどできていなかった、そういう国々が大変多かったのではないだろうかというふうに思います。
そういう中で、脱工業化というものが急激に進展をして、工業化を飛び越えて新しいいわゆる情報化産業というものが興ってきた中で、実はこの
アジア各国の流れというものは過去のいろんな工業化
時代でのしがらみ、あるいは規制、それから法則というものに縛られることなく、これに飛びついていけるような実は環境があったのではないだろうかというふうに私は思っているわけでございます。
そういう
意味で、特に今
アジア地域で進展している動きというのは、
日本がかつての工業化の中でつくり上げてきた規制に縛られて大変苦しんでいるものを経験することなく、飛びついてそれに成功している国々が大変多いという
状況にあるんじゃないかと思うんです。そういう
意味では、物づくりの
基盤というものをなくして、一挙に飛び越えて、新しい
時代のソフトを
中心としたいろいろな
経済発展に結びついた
経済開発をしている、そういうふうに見られると私は判断をしているわけでございます。
そこで、そういう
アジアを見てみますと、
日本が果たして
アジアの、表現は悪いんですけれども、盟主というか、
リーダー格として
アジア経済の中で一時期
リーダーシップをとったように、今後とも
リーダーシップをとっていけるような立場にあるかというと、私は大変疑問を感じざるを得ないわけでございます。ますますこれから
中国も
発展するでしょうし、ASEAN
諸国もどんどん
発展をするでしょう。そういう中にあって、
我が国のいろんな条件を見てみますと、大変厳しい条件が多い。新しい情報化産業主体の
経済発展の中において、
我が国の場合は資源もなければいろんな
意味での制約も多い、コスト構造も高い。
それから人口の割合からいいましても、
中国やインドネシアあるいはその
周辺にあるインドから比べてみても決して巨大だとは言えない人口構成を持っている。ますますこれから人口は減っていくという
状況の中にあって、
日本人が思っていたように
アジアの
経済をリードしていける立場というものをとり得るかどうかというふうに考えてみますと、今までと同じような
考え方で臨んでいたならばこれは大きな失敗を、しっぺ返しを食うのではないだろうかという危機感を実は持っております。
特に、これから我々が考えていかなきゃならないのは三つほどあるのではないかと思います。
時間がないので先を急ぎますが、
一つは、
御存じのように
アジアの国はいわゆる華僑の大変多い国であります。華僑と言ったらいいんでしょうか華人と言ったらいいんでしょうか、
御存じのように
中国の血を受け継いだ方々が海外に出ている数は約五千七百万人と言われている。その中の八五%は
アジアに住んでいる。一部は依然として
中国の国籍を持ちながらいる人もいますけれども、その中の九〇%以上はそれぞれの国に定着してその国の国民になっているけれども、依然として華人という意識を捨て切っていないわけであります。
現に、この五千七百万人の華人の発揮している
東南アジア諸国におけるところの
経済力というのは、はかり知れないものがあるわけでございます。例えば
一つの例を申し上げますと、タイでは華人と言われるのは約三%でありますが、その国の
経済の約六〇%というのはこれらの方々が握っている。あるいはインドネシアでは四%の華人と言われている人たちが七〇%のそういう
経済的な
リーダーシップをとってしまっている。そしてフィリピンにおいても同じようにわずか三%にすぎない華人のグループが七割の
経済を占めているような
状況でございます。
そういう方々が、いわゆる国の障壁を乗り越えていろんな形で連絡をし合って
一つの新しい
経済的な勢力をつくり上げようとしている中で、一体
我が国がどのような形でこれに入っていけるか。
今までのようなやり方では大変難しいわけであります。
しかも、そういう華人の人たちが握っているところは工業という面ではなくして、情報、サービス、金融、そういう面を
中心として大変な
経済力を握っている。いわば新しい産業分野におけるところの
経済力を持っているわけでございまして、そういうところとのつき合いを
我が国がどのように今後やっていくか、これは大変重要な問題ではないかと思うわけであります。
特に、第二点目として考えなきゃならないのは、この情報化
時代のインターネットの効果でございます。過日、尖閣列島問題が浮上したときに、
世界各国の華人にこのインターネットを通じて反日運動が広がった。このインターネットの力というものは、今後いわゆる
民族の流れをくんでいる方々が、どのように
経済活動に関与していくかということを過小評価してはならないだろうと思うわけであります。
それから、第三点としまして考えておかなきゃならないのは、
先ほどから
安全保障の問題で盛んに問題になっております
アメリカのプレゼンスという問題であります。
御存じのように、APECを通じましてこの
アジア地域に
アメリカの資産、
アメリカの
経済というのは大変大きな関与をしているわけでございます。
先ほども話がございましたように、自国の国益という立場に立って
アメリカは常に行動するわけでございます。この
アジア地域において
アメリカの
経済的権益が、武力ではなくして
経済競争の中でいろいろな形で損なわれるようなことになった場合に、かつて
日米間に生じたような
経済摩擦というものが
アメリカを通じてまた再現をしていくということも当然我々は覚悟しておかなきゃならないわけであります。
こういう問題を
我が国が乗り越えていくためには、国としての新しい
時代におけるところの
経済政策、戦略というんでしょうか、こういうものをしっかりとっくり直しておく必要があるのではないだろうかというふうに考えているところでございます。
ちょっと長くなって申しわけございませんでした。時間に制限があるので言いたいことを十分言い尽くせませんでしたけれども、私の
考え方の一端を述べさせていただきました。