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参考人(
小林襄治君) 青山学院大学の
小林です。
こういう場での発言の
機会を与えてくださいましたことにまず最初に感謝申し上げたいと思います。
私は、どちらかといいますと海外の
証券市場の研究、特にイギリスの
証券市場の研究をこの十何年間かやってきております。
ビッグバンということでイギリスが八〇年代に大
改革を行った、そういうようなことに関連した論文が目にとまって、きょう呼ばれたということです。どちらかというと、海外などの慣行から見て
日本の視点がどうであるのかというような点から、若干の御
意見を述べさせていただきたいと思っております。
一つ、イギリスで八〇年代にいろんな
改革が行われて、それが総称的に
ビッグバンと呼ばれるようになったわけですけれども、それをどう評価するということはともかく、イギリスに即して言えば、いわば
銀行法が七九年、いわば
証券取引法に当たる
金融サービス法が一九八六年ということで、それ以前にはほとんどもう自主
規制というかいわゆるギルド的な
規制しかなかった。それが新しい
規制の枠をつくり始めてきたということです。そこの経験から学ぶとすれば、
規制というのは年がら年じゅう中身が変わってきている、絶えず
改革されているというふうに言ってよろしいかと思います。
ということは、今回
我が国において
金融監督庁がつくられていく、今まで
検査とか
監督とか行われていたわけですけれども、それも基本的には業者とか
市場とかそういうものを育成していく、そういう
意味での産業政策的な
観点、それに有効な範囲内で使うというようなことだったのではないかと思うわけです。それが今回は、これからやはり一定の
ルールさえ守れば自由に何でもやってよい、
競争を促進していく、そういう中で効率性を追求していく、そういう
方向に変わっていった、そういうことの
表現の
一つのあらわれじゃないか。そういう
意味で大いに歓迎したいと思っているわけです。
ただ、そうであっても、
業務の展開というものは常に
金融革新の激しい中で変わっていく。そういう中で常にフレキシブルに
ルール等を見直していく、あるいは
法律も必要に応じて絶えず変えていく、そういうことが必要になってくるのではないかということがまず
一つ今後の
課題としてあるのではないかと思います。また、イギリスの経験もそういうことだったと思います。
それから二点目に、今度の
監督庁、ある
意味では
銀行と
証券、これに多分
保険も入るんだろうと思いますけれども、同一の機関でそういうものをすべて
監督する、これは恐らく世界的に見ても最も最先端と言ってもいいほどの新しい動きじゃないかと思います。そういう
意味では、
銀行とか
証券、あるいは
保険とは区別しにくい
商品、あるいは
金融業務がふえてくる中で、これも
方向性としては歓迎したいとは思っております。
ただ、そこの中でやはり厄介なのは、
企画立案と
検査監督、そういうものを
分離していくということなんですけれども、これもよく考えると、どこからどこまでが
企画立案でどこからどこまでが
検査監督なのか、常にこの両者はフィードバックしなきゃならないという関係にありますので、その点が必ずしもまだ明確には定義されていない。
やはりこれからもっとそういう点を明確にしていくべきじゃないのか。あるいはまた、極論すれば、
ルールを決めるのは国会の仕事であって
大蔵省の仕事ではないという見解も、極論ですけれども成立し得る面があるということではないかと思います。
そこら辺が大枠のところなんです。そうしますと、今回できょうとしている
検査監督の問題、これはもう既に他の
参考人の方々が指摘したことですけれども、現在の五百名程度の
大蔵省の
検査官で
検査する、これは
アメリカやイギリスの例を見ても事実上不可能ではないか。イギリスの例でいえば、いわゆるSIBと言われる
証券投資
委員会、
アメリカのSEC的な機関ですけれども、そこが二百名、それから自主
規制機関の最大手のSFAで三百名、それだけで五百人です。それはもう
証券業務だけです。それ以外に
銀行関係の
監督が入るわけです。SECは二千とかそのぐらいということです。
それから、やはり
コストの問題というものを本当に真剣に考えなきゃいけない。
検査官の数も必要でしょうし、やはり相当に
コストがかかる問題じゃないか。その場合、SECは罰金でかなりそれを賄っているとか、それからイギリスの場合ですといわゆる取引の一件ごとにレビーをかけられてそれをみんなが負担するというような
仕組みをつくっているとか、この点はやはりまた違った、
日本でも預金
保険に対してみんなが預金
保険料を払っているわけです。そうしますと、こういうことをやるためにはこのぐらいの
コストがかかるということをもっとはっきりと提示して、それの負担の方法も考えるべきではないのか。こういう
課題がやはり残っているのではないかと思います。
それから、
監督庁を独立させるわけですけれども、伝え聞くところでは地方段階で財務局を利用するという話を聞いておりますけれども、それはちょっと一貫しないんじゃないか。やはり
監督庁が地方段階でも独自のシステムをつくるべきじゃないかというふうに思っております。
それから、この点も既に指摘されていることですが、スタッフは国家公務員になる、これは当然だろうと思います。ですけれども、海外のこういう
監督機関等を見ても、弁護士とか会計士とかそういう専門家というものが非常に活躍しているということが
一つ。それから、例えばSECですと、これは有名な話ですけれども、初代の
委員長になるのがケネディという、ケネディ大統領のお父さんですけれども、これは二〇年代にさんざん投機で稼いだと言われている人でもあるわけです。特に
証券取引は最近デリバティブとかいろいろ複雑化してきている。そうすると、そういうものに対応できる経験者、実務家をやはり積極的に抱え込んでいくということがいま
一つの重要な要素になってくるんじゃないのか。その点では、今まで
検査というものをやってきたけれども、この間の不祥事というのが示すものは、それほど
検査が徹底できなかった、そういう原因がちょっとどこにあるのかいま
一つ私にもわかりませんけれども、そういうことを反省して、それから専門家あるいは実務家、そういう者を起用しつつやはり今後の
体制というものを考えていくべきではないのかと思います。
その過程で、もう
一つ言わせていただきますと、やはり
検査あるいは
監督の目的というものをどこに置くのか。従来、
法律違反を摘発する、不正行為を摘発するという話がありました。私に言わせれば、それは警察がやるべき仕事じゃないかと。それで、やはりこういう
検査をするのは
銀行であり
証券会社であり、公正な
市場をつくっている、あるいは預金の
保護が図られるそういう健全な業者である、そういうことが納得できるようなスタイル、そのための要するに
監督ということになるのじゃないかなと思っております。そういう
意味で、
検査の目的とかあるいは何をやっているのか、そういうものを非常に国民にとってわかりやすく説明できるというか、そういうふうな活動というものも私は期待したいと思います。
それと、ちょっとずれるかもしれませんけれども、例えばイギリスなんかの例ですと、SIBとかSFAとかそういうところに実務家の代表が入っているということは申しましたけれども、最近の一種のいわゆる社外取締役的な感じでもないですけれども、むしろ国民が、
預金者代表であれ投資者代表であれあるいは借り手代表であれ、そういうような者が
監督庁に参加できる、あるいは恒常的に参加できるというようなことも考えられて、やはりこういうものがあることによって我々の預金が守られ、あるいは
市場が公平にできている、何かそういうことも考えていただけたらよいのじゃないかなと思います。
それと絡んで、やはり今度の
監督庁というもの、これは本当に
権限が十分なのかなと。例えば危ない
金融機関、財務比率等から見て危ないとかいうふうに思ったとき
大蔵大臣あるいは総理大臣と
協議する、重大な場合はそうなるでしょうけれども、そうでなくて、これから
自由化されていけば、一定の基準ができたら、自己資本比率がどこまで行ったら、危なければ直ちに営業を停止するとか、場合によればもう少し
権限というものを持たせる、
監督機関として
権限を持たないというのは不十分じゃないか。あるいは、その罰則規定というものも、これは
監督庁の問題でないのかもしれないんですけれども、やはり罰則規定というのはほとんどないわけですけれども、そういうことも今後考えて、入れていっていいのでないのかというふうなことを感じております。
以上でございます。どうも御清聴ありがとうございました。