○今泉昭君 私は、
法案の中身をずって見せていただいて、
問題意識として、今、
総理が言われましたようなことは持っていらっしゃったのかもしれませんけれ
ども、実際に出てきたこの
金融監督庁そのものの実態を見てみますと、どうもそういうふうな総合的な
意味で
設置をされたというふうに理解のできない点が大変あるわけでございます。
と申しますのは、御存じのように、
大蔵省がこれまで数多くの実は失敗を重ねてきているわけであります。例えば、もともと
財政政策というものと
金融政策というのは大変多くの
関係のある政策ではございますけれ
ども、基本的に大きな違いがある政策ではないかと思うんであります。
財政政策というのは、どちらかといえば国家権力に基づいた
一つの国の意思というものを明確に打ち出せるものでございますけれ
ども、
金融政策というのは、どちらかといえば市場というものを大変焦点に置いて運用、執行していかなきゃならない政策であろうというふうに考えております。
そういう
意味で考えてみますと、これまで
大蔵省がとってきた
金融政策というのは、常に
財政政策の後追いをしていた、あるいはただ単なる補助的な、補完的な
意味で使われてきたという点が大変強いというふうな印象を私は持っているわけであります。それが実は
我が国の今日のいろいろな振り返ってみますと失敗の大きな原因にもなってきているんじゃないかと思うんです。
具体的に申し上げますと、戦後に
我が国は大きなインフレを経験してまいりました。例えば、一九七三年から七四年に起こりましたいわゆる狂乱物価、調整インフレ政策というのも、これは指導したのは時の
大蔵であっただろうと私は思うわけであります。
当時、いわゆる一ドル三百八円という円高の流れの中で、
我が国は黒字減らし、そして内需拡大ということを
一つの命題にしながら、公定歩合を当時の水準としては最低の四%台に引き下げていったと。そういうことによっていわゆる調整インフレを起こし、物価狂乱が起こったわけでございまして、その当時は二五%という大変我々としては経験のしたことのないような、平時において経験したことのないような大インフレを経験いたしました。これもどちらかといえば
金融政策面での大きな失敗であったことはこれは間違いのないことなんであります。
あわせまして、第二回目として起こったのは、一九八七年から八九年、これがいわゆるバブル経済、この時代
大蔵省が言っていたのは、これはいわゆる資産価格の上昇であってストック経済下の一局面だという位置づけにおいて、いわゆる資産インフレをみずから演出していったということがあったと思うんであります。
いずれもこれを考えてみますと、
財政政策というものの失敗から何とか赤字国債を短期に解決しようという一面もあったんでしょう。
財政政策の補完的な
意味合いで使った
金融政策の大きな失敗がここにあったと私は思うわけでありまして、そういう
意味では
大蔵省の
責任は大変大きなものがあったと思うわけであります。
最近、
大蔵省の
責任論がよく言われるのは、例えばバブル経済のときのいわゆる住専にあれだけの金を裏でもって回していたということとか、あるいは住専の処理策として税金を使わなければならなくなったようなやり方に対する
大蔵の
責任が前面に出てきておりますし、その後の
金融不祥事などの
責任ということが前面に出がちでございますけれ
ども、もっともっと大きな
我が国の
金融政策の失敗というのは、これはもうそれこそ計算することができないような大きな失敗であったんじゃないかと思うんです。
具体的に申し上げますと、例えば、
我が国は欧米諸国に比べましていわゆる四割ぐらい円の購買力が低いということがよく言われます。考えてみますと、こういうものは
大蔵の実は
金融政策の失敗によって生じてきているわけでありまして、
国民全体から考えてみますと、その
金融政策の失敗によって実は第二税金というものをとられているようなものですね。確かに
我が国の場合は所得税、法人税含めまして五十数兆円程度の税金を国に納めていますが、何とこの価格政策の失敗によりまして百二十兆円ぐらいの第二税金というのを
国民は取られているわけです。
これはどういうことかといいますと、御存じのように、
我が国のGNPは約五百兆でございますが、この五百兆の中で占める
国民の消費支出は約六割、三百兆円であります。その三百兆というものは、もしもっと
金融政策が、あるいは価格政策というのが成功していれば、四割ももっと消費支出の負担が少なくて済んだはずであります。三百兆の四割といったなら百二十兆円であります。我々は知らず知らずのうちに、税金という名目でなくて百二十兆の負担を
国民全体に課しているわけです、高いものを買わなきゃならない。規制ががんじがらめにされていて、外国で買えばもっと安いものを、高いものを買わされるというような、そういう
金融政策の大きな失敗というものを、実はこれまでの歴代の
大蔵の指導でもって負担を課せられているわけであります。
いずれの場合にも、実はこの
大蔵の
責任というものは、先ほど
松谷委員の質問の中にもありましたけれ
ども、例えば
金融監督の行き届かなかったことに対してどういう
責任をとったのかということに対しての、小さな
一つの局面におきましても
責任というものはいつもとられたためしがないわけであります。
そういう
意味で、私は、この
金融政策全般の
あり方という面をとらえて、
大蔵省のある
意味では再編という点を中心として、この
金融監督庁というものを改めて考え直すという
視点が大変重要だったんじゃないだろうかと思うんですが、後ほど述べますけれ
ども、いわゆる
企画立案部門と監督
部門を明確に分けてしまった点を考えてみましても、そういう点の
視点がどうも弱過ぎるような気がするわけでございまして、この点について
総理はどういうふうに感じられますか、お聞きしたいと
思います。