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公述人(池澤康郎君) 池澤でございます。
本日、
公述人として
意見を述べる機会を与えてくださったことに心から感謝申し上げます。というのは、
日本の
国民医療費のうち約六割五分を担当する
病院医療を代表する者が、中央
社会保険医療協議会を初めとする重要な
医療問題の
審議会等の多くに参加しておらず、
病院医療に関してさまざまな問題を
病院団体の代表者として述べる機会がなかったからであります。
本日は、
健康保険法等の一部
改正に関する件でありますので、これはしきりに
議論されている
医療保険制度の抜本
改革の第一歩たり得るかどうかについて思うことを申し述べます。
まず、急増しつつある
高齢者人口と
医療技術及び看護
技術の発展、
高度化によって、
我が国の
医療費、また特に
老人医療費がふえるのは当然であり、そうでなければならないという前提を確認しなければなりません。
最近マスコミなどで、
医療費が不必要に増大しているといったぐいの
意見を間々見聞きしますが、不見識も甚だしい。そもそも、一人の人命は地球より重いなどと総理大臣が公言する国で、
医療費がかかり過ぎるなどの
意見が何ゆえに憶面もなく言えるのか。
医師性悪説でもとらない限り、余分な薬を与え、余計な治療をしているという話にはなりません。こういつたことになりますと私は、新約聖書の中の、「人を測る量りにて己も測られん」という言葉を思い出します。
日本で言えば、卑俗なことわざとしてはげすの勘ぐりというのがございますが、そのようなものだというふうに思います。
とにかく、
医療費は今後もふえるし、それは当然であるということを大前提として、特に
老人医療の
コストはより急速にふえるが、これも当然であるという考え方を基盤として、その上で現在生じている問題の具体的解決を探ることであります。今回の
健康保険法の一部
改正が抜本
改革の第一歩となるかどうかは、この前提に依拠するかどうかで弁別できるでしょう。
医療の現場、特に
病院医療の現場にいる者の
立場から、私は老人
保健法においても一部
負担はやむを得ないことであり、それは定率であるべきだと考えます。その考えのもとに、今回の
健康保険法の一部を
改正する
法律案について、厚生
委員会の方から送られてきました資料に沿って、順を追って、
意見を述べたいと思います。
一般的な問題としては、初めに述べられました糸氏
公述人及び
河北公述人の御
意見に私も賛成でございます。その上で、具体的な問題に絞って
意見を述べます。
第一に、外来の薬にかかる一部
負担についてはゼロ円、四百円といったたぐいの
負担の仕方、また頓服、外用薬についても一種類につき幾らというような
負担の仕方というのをやめて、このように薬代を別には取らずに、今までのと同様に全体の
医療費の中に含めて被
保険者本人、その家族、また老人
保健法適用者についての定率の一部
負担の中に含めること。例えば、一般サラリーマンの場合には二割
負担の中に含めるということであります。
その理由でありますが、第一は、
薬剤の
価格はかつて昭和十年代ごろ、第二次
世界大戦の始まる前ごろまででございますけれ
ども、そのころは何の薬でも一週間五十銭というのが八、九
年間続いたことがございます。昔は薬の種類が非常に少なくて、
価格差も非常に少ない。しかも、健康
保険が行き渡っていないといったころの話でございます。しかし、今や平成九年四月の薬価収載の薬は一万一千九百七十四剤ありますけれ
ども、そのうち内服薬としては六千七百九十六剤あります。その六千七百九十六剤の薬の内服薬の薬価の高低には著しい差がございます。
例えば、抗がん剤の副作用を抑えるための内服薬ゾフラン、一日一ないし二錠内服するわけでございますが、これは一錠二千百七十九円二十銭ということであります。これに対して心臓の薬ジゴキシン、これは〇・二五ミリグラム錠でありまして一日二分の一ないし一錠でございますが、これは一錠九円九十銭。健胃散であるKM散というのがありまして、これは一日三から三・九グラム内服でございますが、これは一グラム六円五十銭ということでございます。
すべての内服薬の薬価は、このように大きな幅の中に分布しております。したがって、各人がもらう薬の
価格にはこのように大きな差が生まれます。
それを無視して、その
薬剤の種類数にだけ着目して、ただであるとか四百円とかその他の差をつけるということでは、各人のもらう薬の
価格の
負担率に著しい差が出ます。これは
負担の平等感を欠きます。加えて、一回当たりの投与日数を全く考慮しないから、
薬剤の
自己負担の比率はさらに差がついてまいります。このような弊害は定率
負担によってしが解消できません。
また、我々はかつて平成元年に
消費税の問題で
病院側としては非常に苦い思いをいたしました。それは、十分に情報を開示されないまま、
医療は課税しない、そのかわり
保険制度の上に〇・七六%上乗せすればすべて解決するというようなことだったわけであります。事実は全く違いました。
今度は、
患者に対してその薬の値段というようなものについて一切知らせずに、そのかわりにこのような形で
薬剤費を取るということは、
情報開示を目指す
社会の方向に反するものではないかというふうに思うわけでございます。
第二に、最近の
薬剤は効果の高いものが少なくありません。したがって、軽々しく減らすことはできずに、
患者の必要に応じて投与されております。
患者自身の判断で減らすわけにはいかず、また、
医師が
患者の経済的
負担を第一に考えて
薬剤数を減らすということは好ましいことではございません。こういった方向は、
国民の健康を守る政策を推進する者のとるべきことではないというふうに思うわけでございます。
第三に、
我が国の
医療費の中で
薬剤費の比率が高いのは、
技術料が相対的に低く抑えられて薬価が高いことに主要な原因があるわけであります。
平成八年度の医薬品業種上位五十社の所得額表にその結果が示されています。すなわち、武田薬品の千百六十億三千万円を筆頭にして、上位五十社の所得は一兆十四億円を超えております。従業員一人当たりの所得でも他の企業と比べて群を抜いております。すなわち、通産省産業政策局が平成七年度の
我が国の資本金十億円以上の上場企業千六百四十社について分析したところによれば、従業員一人当たりの経常利益は、全産業部門で二百二十九万七千円、製造業では二百二十九万二千円、ところがこれに対して、医薬品製造業ではその約三倍の六百五十四万七千円です。
こういつたことを抑える方策の
一つは、品質のすぐれた
後発医薬品を低廉な
価格で
提供できるよう誘導する政策を強力に進めることでしょう。
自分がかかる疾病によって
負担額がこうも違うかと自覚を促す定率
負担も有意義でありましょう。しかし、薬価全体を大幅に引き下げて、例えば上位五十社の所得
総額を半分にできれば五千億円が浮くわけであります。
細かな問題のようにも見えますが、
医療情報担当者、MRと言われているものが諸外国に比べて十倍以上多い
日本において、それを半分に減らせば三千億円ぐらいは浮くだろう。そのほかの冗費も節約すれば、一兆円ぐらいは簡単に減らすことができるというふうに思います。
薬剤費以外の
診療材料費についても、輸入したものはその生産国での
価格より平均して三倍近く高く、これが
医療費を高くしている一因でもありますが、ここでは問題の指摘にとどめます。
第二に、政府管掌健康
保険の
保険料率を千分の八十五とすることには賛成であります。ただし、これには以下の条件をつけます。
その
一つは、近い将来に多くの健保組合の
保険料率を統一し、他方、
医療費の一部
負担還元金や家族療養付加金の払い戻し基準をできるだけ
引き上げて、将来
保険者団体を統一するための素地をつくることであります。
既に、毎日新聞等で報道されているので詳しくは述べませんが、厚生省は、一カ月の
保険本人への払い戻しあるいは家族への払い戻し、その基準一カ月三千円を直して二万円にするようにという指導をしておりますが、実に約千八百の健保組合のうち七割が払い戻しを行っており、これはその四割、すなわち全体の二八%ぐらいが払い戻しの基準を三千円としているからであります。組合健保の収支決算が赤字であるといっても、この異常な払い戻しをなくしたらどうなるかということが示されなくてはにわかに信じるわけにはまいりません。
第三に、老人
保健法にかかわる
入院一部
負担金の額を一日千円、千百円、千二百円とどんどん年度別に上げていくということにつきましては、額としてはうなずける点もありますけれ
ども、先ほど申しましたように老人の
自己負担額は、
入院、外来を薬を通じて定率として全体をまとめて一割とする。ただし、現行の六万三千六百円よりもはるかに低い額を
自己負担の最高限度額とするということであります。このようにしてやれば、老人に対する
自己負担の額の過重さというのは大きく減ると思うわけであります。
将来、人口のうち三人に一人は
高齢者になるということが予想される場合、
高齢者もまた応分の
負担が必要であります。無料として出発した老人
保健法は誤った予測に基づいておったというふうに言わなければなりません。これを定額で少しずつなし崩しにするのではなくて、定率
負担として大胆に修正する方向を出すべきであると思います。
以上でございます。