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竹村泰子君 朝から議論が続いておりますけれ
ども、もう幾度も出てきたわけですが、すべての
子供はすべての国家において、また日本国憲法のもとに主権者であり、そして不可侵の人格を持つということが前提で議論がされなければならないというふうに思います、もう言うまでもないことですけれ
ども。
子供は肉体的にも、そして精神的にも未成熟であるという特殊性がありますから、人格も形成途上でありますから、本来人間として当然享受しなければならない人権とか人格とかが侵害されやすく、あるいはまた貧困や傷病などに最も侵されやすい。歴史的にも、あらゆる圧迫と紛争や貧困、飢餓の中で、
子供は病魔などの中で常にさらされ、最も残酷な侵害を受けてきたというふうに思います。もう厚生
大臣、よく御存じのとおりであります。
そこで、今回のこの
児童福祉法の
改正で、私もいろいろといろんなものを読んだり聞いたりいたしましたけれ
ども、特に
子供の保護
育成に十分な
家庭的
環境が破壊されたとき、これまでは国家的な保護が与えられると、そういう構造があったというふうに思います。
子供の歴史というのは、今も戦争の中で実際に戦っている
子供たちがあり、飢餓の中で死んでいく
子供たちがあり、受難の歴史と言ってもいいと思いますけれ
ども、こういった庇護するべきかわいそうな対象といいますか、救貧思想といいますか、そういうことではもうないのではないかと。単に施しを受ける
立場ではなく、これは女性とか高齢者とか皆同じだと思いますけれ
ども、弱くて庇護されるべき
立場だから国家の余力でいわゆる福祉を受ける
子供、そういう劣等的な
立場に置かれる、換言すれば差別を助長してきたかもしれない、大変残念ながらそういう
立場にあったいわゆる受動的な
立場の
子供たちというか、そういうことではもうないのではないかと。
私
どもは、この
児童福祉法が、先日代表質問でも申し上げましたけれ
ども、五十年ぶりの抜本的な
改革ということで非常に期待をしたわけでありますけれ
ども、残念ながら、余り大した
改革ではないと言ってしまえばちょっと
言葉が過ぎるかもしれませんが、もっと大胆な
改革をしてもよかったのではないかというふうに思っております。従来の
児童福祉が救貧思想がもとであったということから来ている
子供の、何というか、いつも受ける
立場のものではなく、
子供の福祉を受益する権利の主体として、
子供もまた国家の主権者であり、基本的な人権の主体であるという、そういうことからやはりもっと大胆な
改革をしてほしかったという思いです。
先ほ
ども意見表明権のところで
局長が
責任ある
意見を訴えられるのは十五歳以上であるというふうなお答えをしておられましたが、私はこれはすごく間違っているというふうに思います。一年生の
子供であろうと四歳の
子供であろうと、きちんと自分の
意見を言えるときもある。そして、それが
子供の
責任として重大な
意見表明をする場合もある。だから、こういうふうに厚生省が考えている限り
子供の
意見表明権なんというものはお役所として問題にならないわけなんですよね。
意見表明権なんて
子供に勝手なことを言わせたらどうなるかわからないというふうな考え方になってしまう、どうしてもなってしまうのではないかと。
すべての
子供にひとしく人間の尊厳を確保し
ようとして国連で五九年に
子供の権利宣言があり、そして八九年に採択された子
どもの権利条約でありました。このことを考えますと、やっぱり今度の理念とか目的とかのところにはどうしても
子供の最善の利益とか
子供の
意見表明権とか、そういったことはきちんと入れてほしかった。これはこれからも、まだ過去ではなくて、入れてほしいと、私は強くそう思います。新しい
児童福祉法の理念は子
どもの権利条約と一緒でなきゃいけないと思うんですね。そういったことで、今回の
改正は、政府から出されました案は非常に不十分であり、そして不満足なものであるということを
一つ申し上げておきます。
全面的に改められるべき新しい
児童福祉の理念、国際的な共通の認識であり共通の
目標である子
どもの権利条約と一致したものでなければならない、私は強くそう考えますが、
大臣、
大臣の本当に御自分のお
言葉で、これらのことについてどうお思いになるか、お答えをいただきたいと思います。