○椎名素夫君
ペルーに関連して、
ゲリラの問題をお聞きいたします。
実は、ロンドンのエコノミストの四月二十六日から五月二日号に、
ペルーにおける勝利という巻頭の社説みたいなところに載っている文章があるんですが、それをちょっと紹介させていただきます。大変粗っぽい私の翻訳でありますので
意味が通らないところがあるかもしれませんが、お許しを願います。
暴力は割に合う、このことを世界の地下運動は過去五十年間に繰り返して証明してきた。みずからを
解放軍団と呼ぼうと、あるいは彼らの敵が彼らを
テロリストと呼ぼうと、彼らの手法はしばしば有効であった。
ゲリラは、
政府が彼らの暴力に対して暴力をもってあるいは彼ら以上の暴力でこたえることに不平を唱えるわけにはいかない。四カ月にわたる
人質事件を終結した今回の軍隊の突然の
襲撃についてさまざまな批判が既に耳にされるが、今その上に挙げたことがこれらの批判に対するショートアンサーである、こう書いてあるんです。ショートという
意味は当面の答えということでしょうか。
続いて、フジモリ大統領は即座に暴力に訴えなかった。十二月に
日本大使公邸に侵入して暴力を行使したのはトゥパク・アマルであって、しかも彼らが暴力を行使したのはこれが初めてではない。その後、彼らのビヘービア、振る舞いというのは比較的よい方だった、こう書いてあるんです。例えば、もう一つの
ゲリラの何とかというのだったらもっとひどいことをやっただろうというのに比べればはるかによかったということは言えると。
しかしながら、
政府がこの
ゲリラの仲間を釈放するという要求に屈服するというような期待はおよそ不可能なことであった。また、そのようなことはあってはならない。
ペルーは外国に占領されている国でもなく、大統領あるいは軍あるいは裁判所の落ち度をいかに云々しようとも、最近再選された大統領を持っている国である。それでも
政府はまず話し合う用意を持って事に臨んだ。
政府は話し、そして話し、そして話したと書いてあるんです。トークト・アンド・トークト・アンド・トークト。そして最後には
ゲリラがキューバへの安全な出国をすることを容認するという案まで示した。この安全な出国を阻止したのは
政府ではなく
ゲリラであった。
そして、最後の最後になって初めてフジモリ氏は突入を命じたのであって、その結果、
ゲリラは降伏する用意のあったと言われる幾人かを含めてすべて殺された。世界がよりよい場所であればこういうことは起こらなかったであろう。しかし、実際の結果はこのとおりである。
現実の世界ではこういう全員が殺されたというようなことに対して涙を流すのは偽善である。
ゲリラたちは剣に訴え、剣によって滅亡したのである、こう書いてあるんです。
ここらあたりが大体常識なんだろうと思うんですね、
ゲリラについての。さっきショートアンサーと言いましたが、ロンガーアンサーというのがその後に続いてなかなかつり合いがいいんです。これはこれとして、しかし南米の
ペルーに限らず、大変な貧富の差が拡大しているようなことに対して、
ペルーを含めて各国はまだ答えを見出していない。それに対する問題というのは、ロンガーアンサー、より長期的な事態に対する答えはまだ見つかっていないということが後に出てくるんですが、こういうことが起こった以上、今御紹介したようなことがその答えであるというのは恐らく国際的な常識だと私は思うんですが、大臣はどうお考えになりますか。