○立木洋君 今お話がありましたように、国内で実験したのは美浜と敦賀です、そのニカ所でやっています。実験したのは六体だけです、あなたが今おっしゃった。六体というのは私がつけ加えたんです。
しかし問題は、この問題というのは、非常に実験を重ねて重ねて、あの「
もんじゅ」の高速増殖炉の問題については常陽で何回実験しましたか。1御承知ない。四百四十体ですよ。四百四十体実験したって「
もんじゅ」であんな大
事故が起こったじゃないですか。たったニカ所で六体しか実験しないで安全性が確保されたなんという
文書をあなた書けますか。それを安全局長が言うというのは私は
本当に遺憾てしょうがないです。
この問題については、例えば外国でも一千五百体実験されているという報告も私は知っております。しかし、外国で実験されている実験の内容が必ずしも
日本でそのまま適用できるというふうにはならないですよ。
先ほ
ども問題にされましたが、御承知のように「
もんじゅ」の
温度計の問題、これは
アメリカの機械学会での基準に基づいてやったけれ
ども、
アメリカの機械学会での基準は途中で段差のある形状の「
もんじゅ」の
温度計には適用できない
温度計だった、その
温度計を使用した。ところが、一九九一年に、
アメリカの機械学会は改めて原子力プラントの機械の構造の規格として「
もんじゅ」の
温度計の破損につながった
振動の回避に新しい条件を提案していたんです。それを担当者のメーカーも知らない、動燃も知らない。そして使っちゃった。九一年にそれが明らかになっているのに、それをまた監督しなければならない
科技庁についても原子力安全
委員会についても審査の対象にもしていなかった。
外国でどんないい経験があったって、私は全世界でこういう原子炉の問題についてはまだ完全に完成した状態ではないというふうに
考えています。仮にいい経験があったとしても、それがすべて
日本で実用化されて問題にならない、安全が保障されるという
実態にはならないんです。私は、もう時間がないからずっと言ってしまいますけれ
ども、
池田さん、聞いておいてくださいね。
それで、
専門家の
指摘もいろいろあります。特段技術的な問題はないという
文書も私は読みました。ところが、違う
専門家の次のような
指摘があるんです。原子炉の性質がウランだけを燃やす場合と比べて微妙に違ってくることがある。MOX燃料はウランなどの燃料と比べて中性子に対する反応が異なるため、燃料の配置が均一にできないし、中性子濃度の低いところに置かれた制御棒の効き目が弱くなったりする。そのため、制御棒は緊急時に原子炉を停止させる役目を果たすが、それが役立たずになりかねない。こういうふうな問題についても明確な回答が出された
文書を私はまだ見ていないんです。こういうふうな反論があるんですよ、安全性の問題については。MOXでやろうとウランだけでやろうと同じだと、特段変化がありませんというような答弁では私は安全性が保障されたとは思わない。
だから、この問題についても、今原子力
委員会で新円卓
会議が開催される。これまで十一回やってきました、円卓
会議を。問題は何もこのプルサーマルの問題だけではございません、いわゆる再処理使用の問題等も含めて全般的な問題になるわけです。こういう問題で国民的な合意をよく聞いた上で
結論を出すとか、あるいは閣議なら閣議で検討するとかというふうな
方法をしないでなぜこんなに急いだのかという問題についても私は問題があるということを言いたいわけです。
アメリカのマサチューセッツ工科大学の
研究報告によりますと、プルトニウム利用は国際的な懸念を高め、商業利用の正否に左右されるので
計画の信頼性に乏しい、このような形で
日本の態度を批判している。有名なあの工科大学の
研究文書であります。こういうことも私は念頭に入れていただきたいと思うんです。
ですから、現在の問題は、
核燃料リサイクルはプルサーマルだけでなく、使用済み
核燃料の再処理から高レベル放射能廃棄物処理問題まで幾多の問題があるわけです。技術未確立のまま、果たしてこのまま進めていいんだろうかという懸念をどうしても私はぬぐい去ることができません。
プルサーマル
事業計画の見通しの矛盾がはっきりし、「もんじゆ」
事故で
核燃料リサイクル路線の将来が不透明になった今こそ、使用済み
核燃料の再処理の中止をも含めて、
核燃料リサイクル路線を見直すべきではないかということ、そして白紙に戻すということ等も含めて全般的な検討を私はすべきではないだろうかと思う。
燃料の問題についての重要性ということは、最初に
長官がおっしゃいましたから、そのことを私は否定するものではありません。しかし、それはそれとしてまた
考えるとしても、こういう安全性の問題が依然として問題になっているときに、重要な問題をこんなに強引に推し進めるという
やり方は、少なくとも議会制民主主義の中ではやるべきではないということを最後に申し述べたいわけですが、
長官の御答弁を最後にお願いしたいと思います。