○前川忠夫君 外交、特に安全保障を含めた外交の問題というのは非常に微妙な問題が含まれていますから、こういうやりとりの中で、きれいに答えが出て、はい納得しましたというような性格のものではないことは私も十分
承知をしています。
ただ、
沖縄の人たちを含めまして、
政府自身の姿勢というものを今注目しているわけです。
今、
外務大臣からお話がありましたように、特に
アジア諸国における緊張というものが
米軍基地の存在を規定づけていると言ったら言い過ぎかもしれませんが、そういう性格を持っているだけにアジアにおける日本の役割というのをもう少し重要視していただきたい、これは私の方から要望を重ねて申し上げておきたいと思います。
そこで、
稲垣沖縄開発庁長官にお伺いをしたいと思いますが、もう時間もありませんので二点ほどまとめてお伺いをいたします。
一つは、
沖縄県がアクションプログラムということで、二〇一五年ですか、最終的には
基地をなくしたい、こういう
構想を打ち出されています。
と同時に、
国際都市形成構想というものを発表されて、
沖縄の二十一世紀のあり方についてグランドデザインを明らかにされています。私は、この
沖縄県の思いと
政府の思い、特に
開発を担当しておられる
開発庁の考え方にギャップがなければいいがなという心配を
一つはしています。
端的に申し上げますが、
沖縄県は、
方針、考え方、
構想の中では、
基地はできればゼロにしたい、なくしたい、こういう
構想を
一つの背景にもちろん持っています。しかし、これは勘ぐりでなければいいんですが、
政府自身がさまざまに打つ手だての中に、
基地は何とか認めてくれ、そのかわりこちらの方はこうしますよというものがないかどうか。もしそうだとしますと、先ほど言った見返り云々といったぐいの話になりかねませんので、この点はどうなのかというのが
一つであります。
それからもう
一つは、先ほど照屋議員も
指摘をしておりましたが、戦後もう五十二年たつわけですが、
昭和四十七年までの最初の二十七年間というのは実は大変な
ハンディなんですね、
沖縄の皆さんにとっては。実は、
昭和三十年代から四十年代、日本というのは大変な高度成長を遂げたわけです。そのときには
沖縄はアメリカの
占領下に置かれてきたわけです。もちろん、私は高度成長もさまざまな問題があることは
承知をしています。
また、地理的な
条件を含めて全くほかの都道府県と同じようになったかどうかももちろん議論があるところかもしれません。しかし、日本が戦後の荒廃から立ち直って
発展をしていくこの時期に、あの
沖縄という地だけが
占領下に置かれたという
ハンディはやはり国の政策だったと私は思うんです。
そういう意味で、これからの
振興策というのは、やはり先ほど
尾辻先生からも幾つが御
指摘がありましたけれ
ども、例えば一〇〇%同じになっても完全に心の中の痛みというのは消えないんです、はっきり申し上げて。
私も機会がありまして何度か
沖縄へ行ってまいりました。最初の印象を申し上げますと、
空港からタクシーに乗ります、まず安いなというのが実感なんです。安いというのをどういうふうに見るか。例えば東南アジアへ出かけていって何か乗り物に乗ったとします。確かに安いですよ。つまり、おくれているという印象の方が強いんです、私の場合には。これは変な言い方かもしれません。だから、賃金も安くてもいいんだ、あるいは労働
条件も低くていいんだ、まあ仕事がないからしようがないじゃないか。この発想では
沖縄の人たちはたまらぬと思うんです。ましてや、今若い人たちの失業率が非常に高いという現実があります。
私は、
沖縄になぜ
産業が根づかないのかなと。
私も機械金属
産業の出身なものですから、いろんな経営者の皆さん方とお話をするときに、前川さん、やっぱり地理的な
ハンディは否定できませんねというお話をされます。これがもし
昭和三十年代、四十年代にこの議論ができたならば、まだまだ日本が伸び盛りで、例えばの話ですけれ
ども、オートバイ
産業をあそこに誘致してオートバイをアジアの
諸国に輸出するとかそういうことは可能だったでしょう、今はそういう時代じゃなくなりましたからねと、こういうお話なんです。
ですから、雇用を確保するためにも、
沖縄の
振興という問題については、
振興計画のほぼ半ばまで来ているわけですが、雇用問題や何かはまだ一向に実は
解決していなんです。ぜひ、こういう問題の
解決のために取り組んでいただきたい。
後の方は要望になるかもしれませんが、
長官の決意をお伺いして、私の
質問を終わりたいと思います。