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参考人(
鈴木良男君)
鈴木でございます。本日は
意見陳述の機会を与えていただきましてありがとうございます。
まず、当面する緊急に措置すべき
特別措置に関する
法律案について申し上げます。
これは臨時、異例の措置として今年度の借入分
債務を
一般会計に移すとともに、既往の無
利子貸付金五・三兆円の
償還据置期間を一年間さらに猶予するという措置であり、いずれも緊急の止血措置として行われるのは妥当なことと考えて賛成であります。
問題は、実質ベースで見ますと、
JR発足の
昭和六十二年当時に二十二・七兆円、うち
国民の
負担は十三・八兆円と見積もられていましたが、数々の失敗の中で
平成九年度首で二十八・一兆円、うち
国民負担は二十兆円を超すと見込まれている
清算事業団の
債務の
処理であることは言うまでもありません。
一口に
国鉄長期債務と言いますけれども、これは
二つに分けて考えないといけないと思います。
旧
国鉄時代に
昭和三十九年から累積され、二十三年後の六十二年にはついに三十七・一兆円にまでなった
長期債務は、
JR発足の
昭和六十二年四月時点で
二つに明確に分離されました。第一は新生
JR三社が
負担するとされた十四・五兆円
部分で、いま
一つは
清算事業団に帰属された二十二・七兆円の
部分であります。この
二つの
部分はその後運命を全く異にしました。
前者は、
負担した
JR三社の努力により、その後新幹線保有機構からの買い取りの際に一・一兆の上乗せ評価がえをさせられましたが、発足時の売り上げの四・五倍という明らかに過重な
負担にもかかわらず、着々と利息及び元金の支払いがされており、旧
国鉄時代のような
返済不能とみなされる
債務ではなく、通常の
長期債務となっております。
後者の方は、八・二兆円に及ぶ土地や株式の売却にもかかわらず、数々の
政府の失敗の中で、
平成九年度首で
国民負担は二十兆円余と、当初より六兆円もふえる見込みとなっております。
失敗の第一は、当初の
処理フレームが
処理案となっていなかったという点です。いつの日にか
処理ができるだろうという安易な考えを紙の上に書いただけで、
金利に対してはほおかぶりをし、知らぬ顔の十年を徒過した
責任は重いと言わざるを得ません。
失敗の第二は、何の役にも立たなかった
清算事業団という特殊法人です。
事業団の最大の役割というのは
国民負担の
軽減だったはずです。国の地価
政策に引きずられたバブル時の売却の中止は、特殊法人全体が持つ自主性の尊重と言いながら、何
一つそれが認められず、国の
政策どおりの運営を強いられるという特殊法人の欠陥をそのまま露呈いたしました。しかし、この問題についてはだれも
清算事業団の
責任とは思わないでしょう。そういう特殊法人制度自体が問題だということを私は言いたいのであります。
失敗の三は、財投制度が隠れ借金を可能にしました。あるから余るから使う財投、使うから生き残る特殊法人という弊害がここにもあらわれております。
以上、
三つの失敗は旧
国鉄が歩いた失敗の軌跡そのものと言えます。
国鉄破綻の最大の
原因であった
長期債務に対する
利払いという生きた教訓を目の前にしながら、同じ間違いを犯したのであります。本当に解決する気持ちが、
政治を含め
政策当局に今日まであったとは思えません。あったのはすべてこれは先送りの魂胆と無
責任さだけでしょう。
JRが民間の成功の典型例なら、
事業団は
政府の失敗の典型と言えましょう。
現在、
清算事業団の
債務の
処理についてのアイデアは出そろっていると言えます。ほぼ一致しているのは、そのほとんどを何らかの形で
国民の
負担とせざるを得ないという点でしょう。これは、臨調答申のときから予定されていたことで、今さら
議論する問題ではありません。
問題は、
国民の
負担を仰ぐとしても、
一般会計に移しかえをして赤字国債等で措置するのか、臨時、特別の租税措置によるのかという点と、それらをするにしても、その前に
歳入歳出面で何らかの努力をしないと
国民の
理解を得られないだろうという点でしょう。
そのような案として、歳入面では、
JR利用者を含め広く
交通全体系の各
部分の
利用者による
負担、つまり料金値上げ、
交通全体系の各
部分が現に得ている
財源の一部拠出による
負担、あるいは無
利子国債の発行、特殊法人の民営化による
株式売却益、そして
JR自体による
負担等々が言われます。歳出面での案としては、
整備新幹線の新規
建設の凍結等が言われます。
この
関係で最大の争点になるのは、
JR自体による
負担の是非の問題だと思います。
昭和六十二年の
債務配分は適切だったのか、従来線は簿価で引き継いだのではないのか、種をまいたのは
JRの先輩たちではないのか。これらを考えると、なるほど
JRと
清算事業団とは一線を画したといっても、
国民の
負担を仰ぐ以上、何らかの協力があってしかるべきではないかというのが論拠となるようです。
私のこの問題に対する考えは、
JRに
負担を求めてはならないということです。
臨調以来これまでの
行政改革の歴史の中で、
国鉄改革は最大の成果だったと言われます。それはこれまで親方日の丸に安住してきた旧
国鉄の職員を含め、
組織全体に自己
責任原則を徹底的に植え込むことができたからです。それが
昭和六十二年の
債務配分であって、ここで決まったルールに従って、後は自助努力をせよというそういう仕切りであったはずです。
今、
政府は中央省庁の再編を行革会議で検討しております。その中の重要テーマには執行
部門のエージェンシー化や民営化が挙げられております。中央省庁の仕事の中には、民間と同じ仕事をしている
部分がいかにも多くあり過ぎます。郵政三事業においてしかり、印刷においてしかりです。結論的には、私は、こういう仕事はすべて例外なく民営化の方向を目指すべきと考えます。また、それが世界の趨勢でもあります。
今後、陸続として出現が期待される官業の民営化を考えるときには、株主に対する
責任を持つという民間会社の基本にのっとって、定められたルールによってその民間会社が運営されるという大
原則はいかなることがあっても曲げてはならないと考えます。
JRを含めて、広く
交通の
利用者からの
負担を求めよう、または総合
交通体系の中から
財源を求めようというのも、まず旧
国鉄に近いところがらという発想でしょう。
日本の運輸
関係は長年の
規制により弱体化しており、料金の
国際比較をすると著しく高いものとなっております。これが日本の
産業の空洞化を促進する
原因の
一つとなっております。ことし三月の
規制緩和推進計画では、このような
規制分野に競争を導入することにより、その活性化、それに伴う料金の低廉化を目指しております。そのときに家が隣だからといって
負担を求めるのは、弱いこの分野をより弱くするだけで賛成できません。無
利子国債発行は唐突であります。また意図の不純ささえ感じます。
財源措置を
政府が考えるのは、
国民の
負担を受けるに当たって、何らかの努力らしい足跡を残さないと
政府の
責任が問われることを心配してのものでしょう。
昭和六十二年以来、
清算事業団の
債務に対しては、まだ時間があるからそのうちにと思って、何の手も打たずに、あたら土地、
JR株式などの売却益を
金利の支払いにも足りないものとしてきたのは
政府の
責任です。問われるべきは
政府ですから、その
政府の
責任逃れに近隣の人が巻き添えにされるいわれはないと言わざるを得ません。
それではどう措置するのかという問いに対しては、広く
国民の
負担を求めるしかないと回答いたします。現実論としては、一たん
一般会計の赤字勘定に繰り入れるしかないということはもう自明のことです。
財源の担保がなく、
一般会計の赤字勘定に繰り入れるのでは
財政節度がないという言い分に対しては、
清算事業団に属する
返済不能分の
長期債務は、既に隠れ借金として十年以上前から公然の別勘定の事実上の赤字国債として、他の隠れ借金、総計四十五兆円とともにもう隠れもないものでした。この意味で隠れでも何でもありません。
国民は二百四十兆円が国債残高のすべてだなどとは思っておりません。こういう赤字国債のほかに別勘定を持って、時によって
財政の破綻状況に対して違った説明を可能にすること自体が
財政の節度を曲げてきたのです。
政府は今
財政再建に懸命のようです。遅過ぎたとは言え、やらないと日本が沈没するから当然のことです。さきの
財政構造
改革五
原則では、二〇〇三年までに国、地方を合わせた
財政赤字の額をGDPの三%以内にするとしました。また、
国民負担率を
財政赤字を含んで五〇%以下にするとしました。この
財政赤字には、
清算事業団債務二十兆円を含めた隠れ借金にかかわるものは今のままの形では含まれないことになりましょう。
政府が今やることは、こそくなやりくりではなく、トータルの
財政の
現状直視とその解決です。隠れ借金を
一般会計に繰り入れるのは、それがどうしょうもないものであり、かつ
政府の
責任に属するものなら、むしろ日本の
財政の健全化を促進するためにも行うべきことです。そして、隠れ借金を含んだ
財政赤字に対して、目標とした三%以内、五〇%以下の
原則を適用して
財政構造
改革のハードルを高めるべきです。
一般会計に
清算事業団の
返済不能分を繰り入れるに当たっては、本質的には赤字国債発行という
手段に頼らざるを得ないでしょう。
昭和三十九年から六十二年までの旧
国鉄の破綻のうみを六十年先の将来世代に
負担してもらうのは大変なことです。それなればこそ、
政府は本当の現実を直視しつつ、
国民の納得を受ける歳出の
削減を徹底的にやることがまずもって求められます。現在、
行政改革のかけ声は大きくなっております。だが、本当にやるのかについては
国民はまだ疑惑の目で眺めております。徹底した歳出
削減は
政治と
政府に課せられた最優先の責務です。
さらに、歳入面が大切です。まず
政府の
資産の売却を大胆に行うべきです。そのために、土地等の
資産売却も重要ですが、なかんずく
政府事業を、現在中央省庁で行っているものを含めて民営化することによって稼ぎ出すことだと思います。それはまた、先ほど言いましたが、
政府部門の減量・効率化にも役立つことですし、現在の中央省庁の見直しの真の目的にも奉仕するものであります。
以上のとおりでありますから、私の
国鉄長期債務に対する
意見は、やりくりを考える必要はない、本来
政府の
責任に属するが、別勘定にしているものは自分の勘定に移せ、そして、その勘定を含んだものとしてトータルの赤字の重みを厳粛に受けとめた上で
対策を考えよというに尽きます。
政府が、この前提は忠実に守る、だがそれだけではどうしても
財政再建はできない、遅延は国債に対する
利払いを生むだけにそれは急ぐというならば、そのことを
国民にはっきり真剣に説明して、
国民の納得を受けるべきです。その手順を踏んだものとしてならば、究極の
手段として次の
方法をとることも許されましょう。
それは、臨調初心に戻って解決すべき問題は解決する、諸悪の根源であった先送りはしないということです。臨調がやむを得ないと判断した抜本的な解決は、最終的には臨時、一時の
国民による
税負担を求めることでした。当時で十五兆円、
国民一人当たり十五万円、私のように五人家族では七十五万円、大変な金額だが仕方がないというに尽きました。今ですと二十兆円、一人当たり二十万円。家族が減って我が家では四十万円ですが、
私は
JR再生の生みの親の一人ですから払います。だが、ワイフは嫌だと言っております。
このように、この案は、増税に対してはいかなる意味でも拒絶反応を示す
国民からは到底受け入れられないという声が出るのは当然です。しかし、その案の実行の過程で、
政治と
関係者が
国民と真剣な対話を進めることによってのみ本当の
財政再建が可能になると悟るべきです。
臨時、一時の特別課税は、広く薄い課税ベースによる
国鉄再建特別税という形をとるでしょう。一例として
国鉄再建特別消費税が考えられます。三%なら毎年七・五兆円で二・六年で解決します。二%なら毎年五兆円で四年かかるでしょう。
国鉄の再生はそれができ上がりつつある今日、かつてのように不可能ではないのかという危機意識は
国民の中にも日々に薄れていきます。臨調以来最大の
行政改革の成果と言われてきた課題でもそういうことです。風化するのはもう時間の問題でしょう。
現実性は極めて低いけれども、
政府が
国民の納得を受ける歳出の
削減、歳入の増加を行い、
国民との体当たりの話し合いでこの臨時、一時の
手段をとるというなら、そのときに限り、
交通に近いところで特別
負担をしてもらうというのも合理性を回復すると考えます。
JRによる
負担も、各方面から現実の
負担を受けた以上、株主代表訴訟の問題があるとしても、むしろ
JRから自発的に一部の協力を申し出て、今述べた抜本解決の呼び水にするのは好ましいと言えます。繰り返しますが、このような
負担を求めることは好ましいことではありません。しかし、
国民の現在の現実の租
税負担という協力によって積年の問題を早く抜本的に解決するという場合に限っての私の見解であることを御
理解願いたいと思います。
以上でございます。