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阿曽田清君
平成会の
阿曽田清でございます。
私は、熊本県、しかも天草の入り口におりまして、三角港という港が生まれ育ったところでございます。天草周辺にかけまして、内
航海運業者の
方々、出稼ぎとして大変頑張っていただいて、古い歴史を持っているところでございます。私が県議会
時代に内航議員連盟をつくっておりました折には、四、五百隻ぐらいあったかなというふうに思っておりますが、ついせんだって聞きましたところがもう三百を割ったというようなことでございました。確かに近くの
方々の中で、陸上がりをしておる方で既に他の
事業に転回されておったり、あるいはもう悠々自適の生活をされている方もいらっしゃいます。
ついせんだって私、一カ月ほど前に松島の方からお手紙をいただいたんです。済みませんが、これにすべて凝集されているなと思いますからちょっと読ませていただきたいと思います。
弊社は、明治初期頃から帆船にて天草地区から長崎方面へ砂、砂利、又は、大牟田方面へ石灰石等の
輸送に従事し、その後、祖父、父、子供へと三代に受け継がれ、その間、帆船、機帆船、鋼船と数多く乗り継がれ、今日まで紆余曲折の中なんとか家業を継承することができました。
我々の町はこれといった産業はなく、学校卒業と同時に船に乗船しました。海運業の宿命とはいえ、若い時には妻、子供達も乗船させておりました。
今日まで、海運業も
時代の節目節目の
苦労はありましたが、船に対する誇りとロマンがありました。
内航海運も昭和四十一年に
船腹調整事業が開始され、以来、日本
内航海運組合総連合会の指導の
もと、
需給調整
バランスをコントロールし、船主の無体財産権が今日まで確保され、安定した
経営基盤の確立と
輸送秩序が保たれてきました。
又、その無体財産権は船主の設備
資金調達上、もっとも大きな
担保権となっております。
ここにきて、急激な国の政策転換による
規制緩和が風潮化され、オペレーターは
荷主の物流合理化から一方的に用船料の値下げが行われ、
担保権となっている無体財産権が大幅に値下がりし、現在は
銀行の
担保割れになっている状況です。
この様なことから、船主
経営はかなり圧迫されており、
銀行の返済が当初の約定通り支払いができず、ここにきて
銀行から運転
資金及び検査費用等の借入れが全く出来ない状況になっております。
規制緩和は
時代の趨勢である事は十分
理解はしておりますが、
船腹調整は
法律によって
需給調整は行われていない。従って、
運賃も自由化され、
参入も自由に出来る業種なのに、何故、
規制緩和の対象業種とされるのか全く
理解が出来ません。
船腹調整にかわる代替
措置を講じないと、船主の信用不安は一挙に高まり、社会問題に発展することを大変憂慮致しております。
国が救済
措置を明確にして頂ければ、金融
機関も安心してご融資頂けるものと考えられます。今の状況では海運業を止めるにも、借入金が埋まらず、金融
機関だけではなく、大勢の
関係者に多大なご迷惑を及ぼすことになります。
若い後継者が将来希望を持てる職業として是非とも御尽力賜りたく、切にお願い申し上げます。
というお手紙をいただきまして、私もこのように急遽
質問させていただくようなことにさせていただいたわけでございます。
そこで、我が熊本県におきましても、五百近くあった海運業者が今三百を割って二百五、六十というようなところに来た。これは全国的にもそのように半分ぐらい減ってきた。このことは、
船腹調整事業によってうまく転換できた
方々あるいはリタイアしている
方々ができた。今回これが実施されることになれば、いわば国の認可の
もとで
船腹調整事業が行われてきておって、みずからの
努力で公的
資金もなくやりくりをしてこられた、それが一気に、いろいろ議論はあったと思いますけれ
ども、五年間の猶予というふうに思ってそれまでの準備万端整える余裕すら与えず、一挙に八カ月後には前倒しで三年から五年のうちにというふうになってしまったことに対し戸惑いの色を隠せないというのが実態であります。
したがいまして、
規制緩和だから早いことはいいことだなんということでお進みではなかろうとは思いますけれ
ども、急いでやらなければならないならならないだけに慎重に、私は、
中小零細業者である内
航海運業者の
方々が納得するような対策をやはり講じた上で臨むべきことだと思います。前倒しに、三年から五年のうちに
解消していくというような
方向に転換された理由をまずお聞かせいただき、それだけ急いでしなければならないものなのかどうか、私自身も納得できませんので、その点数えていただきたいと思います。