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1997-03-04 第140回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成九年三月四日(火曜日)     午前十時開議 出席分科員    主 査 臼井日出男君       深谷 隆司君    村上誠一郎君       池坊 保子君    笹木 竜三君       田中 慶秋君    冨沢 篤紘君       平田 米男君    岩國 哲人君    兼務 相沢 英之君 兼務 上田  勇君    兼務 高木 義明君 兼務 辻  一彦君    兼務 古堅 実吉君 兼務 山原健二郎君    兼務 上原 康助君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (内閣官房長官)梶山 静六君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 久間 章生君         国 務 大 臣         (科学技術庁長         官)      近岡理一郎君         国 務 大 臣         (沖縄開発庁長         官)      稲垣 実男君  出席政府委員         内閣参事官         兼内閣総理大臣         官房会計課長  吉井 一弥君         内閣官房内閣安         全保障室長         兼内閣総理大臣         官房安全保障室         長       三井 康有君         内閣総理大臣官         房審議官         兼内閣審議官  安藤 昌弘君         内閣総理大臣官         房管理室長   榊   誠君         防衛庁防衛局長 秋山 昌廣君         防衛施設庁長官 諸冨 増夫君         防衛施設庁施設         部長      首藤 新悟君         防衛施設庁建設         部長      竹永 三英君         防衛施設庁労務         部長      早矢仕哲夫君         科学技術庁長官         官房審議官   興  直孝君         科学技術庁原子         力局長     加藤 康宏君         科学技術庁原子         力安全局長   池田  要君         沖縄開発庁総務         局長      嘉手川 勇君         沖縄開発庁振興         局長      牧  隆壽君  分科員外出席者         国立国会図書館         長       緒方信一郎君         総務庁恩給局審         議課長     須江 雅彦君         科学技術庁長官         官房会計課長  白川 哲久君         環境庁自然保護         局企画調整課長 斉藤 照夫君         環境庁水質保全         局水質規制課長 畑野  浩君         沖縄開発庁総務         局会計課長   正田 隆基君         法務省入国管理         局入国在留課長 坂中 英徳君         外務大臣官房審         議官      東郷 和彦君         外務省総合外交         政策局安全保障         政策課長    高田 稔久君         大蔵省主計局主         計官      松川 忠晴君         大蔵省主計局主         計官      谷口 博文君         大蔵省主計局主         計官      飯原 一樹君         厚生省社会・援         護局援護企画課         長       紺矢 寛朗君         運輸省運輸政策         局地域計画課長 梅田 春実君         海上保安庁警備         救難部海上防災         課長      坂場 正保君         自治省財政局交         付税課長    荒木 慶司君         参  考  人         (動力炉核燃         料開発事業団理         事長)     近藤 俊幸君         参  考  人         (動力炉核燃         料開発事業団理         事)      中野 啓昌君         内閣委員会調査         室長      新倉 紀一君         安全保障委員会         調査室長    平川 日月君         科学技術委員会         調査室長    吉村 晴光君         予算委員会調査         室長      大坪 道信君     ————————————— 分科員の異動 三月四日  辞任         補欠選任   田中 慶秋君     冨沢 篤紘君   平田 米男君     笹木 竜三君   岩國 哲人君     前田 武志君 同日  辞任         補欠選任   笹木 竜三君     西  博義君   冨沢 篤紘君     東  祥三君   前田 武志君     岩國 哲人君 同日  辞任         補欠選任   東  祥三君     池坊 保子君   西  博義君     白保 台一君   岩國 哲人君     吉田 公一君 同日  辞任         補欠選任   池坊 保子君     中川 正春君   白保 台一君     平田 米男君   吉田 公一君     岩國 哲人君 同日  辞任         補欠選任   中川 正春君     田中 慶秋君 同日  第二分科員上原康助君、第三分科員相沢英之君  、第四分科員高木義明君、古堅実吉君、山原健  二郎君、第五分科員辻一彦君及び第八分科員上  田勇君が本分科兼務となった。     ————————————— 本日の会議に付した案件  平成九年度一般会計予算  平成九年度特別会計予算  平成九年度政府関係機関予算  〔内閣及び総理府所管総理本府、防衛庁、科  学技術庁沖縄開発庁)〕      ————◇—————
  2. 臼井日出男

    臼井主査 これより予算委員会第一分科会を開会いたします。  平成九年度一般会計予算平成九年度特別会計予算及び平成九年度政府関係機関予算総理府所管について審査を進めます。  防衛庁について質疑の申し出がありますので、順次これを許します。冨沢篤紘君。
  3. 冨沢篤紘

    冨沢分科員 神奈川十三区から出てまいりました新進党の冨沢篤紘でございます。日米安保体制下のいろいろな問題点について御質問をいたしますので、誠意ある御答弁をお願い申し上げます。  日米安保体制日本安全保障のかなめであった。五十年間、日本が戦場にならなかった。あるいは、アメリカの軍備の傘の下で、軽武装で、経済発展、経済繁栄いちずに国力を使うことができた。そのために世界一豊かな国になった一一億二千万人日本国民全体が、この安保体制の、言ってみれば光の恩恵を享受して今日に至っておる。これは、どなたでもお認めになっていることでございます。  しかし、光には影があるわけでございまして、一億二千万人が安保体制の光を十分に享受している一方で、米軍基地を抱えている自治体周辺住民は、基地があるそのこと、あるいは米軍基地から出る基地公害で、五十年間悩み続けてきた。これもまた事実でございまして、私は、日米安保体制の光と影という言葉で表現しておるところであります。  光の恩恵を受けている国民は、この点をよく理解してもらわなければいけない。その理解の上に立って、政治政治家は、安保体制の影で悩んでいる自治体あるいは住民にもっともっと光を当てていく、こういう施策政策が基本的に必要であると私は認識しておりますが、防衛庁長官、いかがでございますか。
  4. 久間章生

    久間国務大臣 委員指摘のとおり、確かに日米安保体制のおかげで日本は非常に経済発展を遂げることができましたし、それにもプラスすることがあったわけでございますが、その反面、基地のある市町村あるいはまたその周辺方々には、また口に出して言えない、いろいろな苦労もあったのではないかと思います。私どもは、やはりそういうことを改めて検証しながら、そういうような、もし光が当たらないとすれば、そういうところにできるだけ光が当たるようにしていかなければならない、そういう務めがあろうかと思います。  ただ、こう言ってはなんでございますけれども、戦後安保体制の中で、少なくとも、そういうことが少なくて済むようにということで、防衛庁としても施設庁としてもできる限りの努力をしてきたわけでございまして、その辺のことについても、ぜひ御理解を賜りたいと思う次第でございます。
  5. 冨沢篤紘

    冨沢分科員 久間防衛庁長官は、選挙区はどちらでしょうか。不勉強で申しわけありません。
  6. 久間章生

    久間国務大臣 私は、長崎二区です。長崎県の出身でございまして、うちの方にも、佐世保に米軍基地がございます。
  7. 冨沢篤紘

    冨沢分科員 私は神奈川県の生まれでありまして、四十七都道府県のうち神奈川県は極めて小さい県、この小さい県の中に米軍施設がいまだ十七カ所、大きいのは厚木とか横須賀座間キャンプ、こういうのがメジロ押しに並んでおるわけなのですが、この基地の面積が二千百四十一ヘクタール、この基地に働く日本人従業員の数は八千八百九十四人で、これは日本一でございます。  平成九年度の予算を見ますと、全国の米軍家族住宅建設戸数は四百八十四戸、こういう数字が出ておるのですが、この建設戸数のうちの半分以上が神奈川県に集中しております。御承知のように、在日米軍が全部で四万三千人いるうちの二万人が神奈川県に住んでいる、半分近くが神奈川県に住んでいる。この上また、平成九年度の予算の半分以上の米軍予算神奈川県に張りついている。なぜ、神奈川県に米軍住宅がこう集中するのか。この点、防衛庁のお考えをお示しください。
  8. 諸冨増夫

    ○諸冨政府委員 お答えいたします。  なぜ神奈川県に集中しているかという御質問だったと思いますが、旧陸海軍施設が比較的神奈川県に多かったというようなこと、例えば横須賀帝国海軍の重要な基地でございましたし、厚木等も旧海軍基地があったというようなことで、そういう歴史的な経緯が一つあったのではないかと思われます。  その後、いろいろ私ども整理統合を図りながら来ておりますが、関東地区という重要な地域に対する日米安保条約目的達成というようなことで、従来からもそういう整理統合した後でございますが、重要な基地がいまだ点在するということではないかと思われます。
  9. 冨沢篤紘

    冨沢分科員 申し上げたように、一億二千万国民全体で防衛を担っていくのが理想的な姿。私ども県民の率直な感情としては、艦船の集約なんかは外務省の問題ですからここでは申し上げませんけれども米軍家族住宅が小さな県にどんどん集中してくる。池子で大きな問題になったわけなのですが、本年度も半分以上が神奈川県に集中する。こういう政策を変更してもらえませんか。この点、いかがでございますか。
  10. 久間章生

    久間国務大臣 ちょうどこの間からの予算委員会でも、沖縄になぜ集中しているのかという御質問が多々あったわけでございます。  これまでの経緯もございますが、それと同時に、どこにどう米軍基地があって、どういう運用をするかというのは、第一義的にはやはり米軍の判断によるわけでございまして、我々防衛庁あるいは施設庁としては、それが日米間で必要だということになりましたら、その基地の提供について、安保条約上義務づけられているその仕事防衛施設庁が担当しているということでございまして、今この軍をどこに持っていくべきだ、どうこうすべきだということを、一義的に施設庁が決めるわけにはまいらないわけでございます。  ただ、そういう中で、整理統合、縮小は、これは沖縄に限らずほかの地区でもできる限りやっていかなければならないということで、これまでも機会あるごとに、そういうような地元の御要望等も入れながら、努力はしてきたつもりでございますが、まだ先生の御指摘ほどのことになっていないかもしれません。
  11. 冨沢篤紘

    冨沢分科員 この点はまた後で触れますが、話を進めまして、周辺対策についてお尋ねをいたします。  横須賀のインディペンデンスに載っている艦載機厚木基地に来て、ここでNLP訓練をやっておる。もう一本の滑走路をということで、硫黄島に新設滑走路をつくった。そして、NLP訓練一定量硫黄島で行われて、そのものの全体量が減った。この御努力は多とするところでございます。  相変わらず厚木から飛行機、ジェット機が飛ぶ、これは残っておるわけでございまして、その騒音軽減ということで、九年度予算でも七百二十八億円の住宅防音工事がなされている。伺いましたらば、そのうちの三百二十四億円が厚木基地周辺に予定をされている、こういうお考えを示していただいた。御努力はいただいているのですけれども、例えば現場で、同一自治会の中で、道路一本でできるところとできないところが分かれている。これは不公平なんですよ。しかも、この予算はちっとも今までふえていない。  ジェット機を横から見るところと、ジェット機が真上を通って、腹から見るところの、この騒音の差というものはえらいものでございまして、これは住んでいる者でないとわからないのですけれども、この住宅防音工事をちびちびふやすのじゃなくて、もっと一気にふやしたらどうか。ふやしていただきたい、これはもう県民の切なる願いであります。  公共工事をふやすなと言うのですけれども、こういう公共工事は、まさにふやさなくちゃいけないものだ。米軍住宅は、久間さんのお話ですと、アメリカ軍の言いなりにどんどんふやしていく。周辺日本人住宅防音工事は、ちっとも金額がふえないのですよ。そして、道路一本で、こっちはできる、こっちはできないなんて、わざわざ地域の争いの種を残していく。この辺、どうお考えですか。
  12. 首藤新悟

    首藤政府委員 厚木飛行場周辺におきます住宅防音工事でございますが、これは、かねがね防衛施設庁周辺対策事業重点施策といたしまして、ここ数年来、この住宅防音工事予算全体の四割以上の予算を充当しまして、その促進を図ってきたところでございます。先生御存じのように、いわゆる新規工事につきましては平成四年度までに当初からの希望世帯が完了いたしまして、現在はいわゆる追加工事促進に最大限の努力を払っているというところでございまして、今先生もおっしゃいましたが、九年度におきましても、住宅防音工事予算全体の四割以上に相当いたします約三百二十四億円をこの厚木に充当することとしておるわけでございます。  もちろん、追加工事進捗がどのぐらいかということにつきましては、この新規工事完了住宅居室数でございますとか、あるいは住宅所有者等希望状況などを詳細に把握する必要とかいう技術的な問題がございますので、現在でそれらについて確たることを申し上げることは困難でございますが、六割強の進捗になっておるということでございます。  このように、この厚木飛行場周辺につきましては、ここ数今来予算全体の四割以上を充当して促進努力してきたところでございまして、今後とも、この厚木飛行場周辺地域における航空機騒音による障害実態を踏まえまして、適正な予算配分に努めてまいりたいと考えてございますので、どうぞ御理解を賜りたいと存じます。
  13. 冨沢篤紘

    冨沢分科員 住宅防音工事は、我々はホンと言っているのですが、WECPNLという数字ですか、七十五ホンの中をやられている、こういうことなんですが、この予算でも、相変わらず地元不満は大きいわけでございます。  もう一つ、厚木基地のある綾瀬市で、ジェット機が飛ぶことによってテレビの映像が悪くなる、そのためにテレビ共同受信施設組合というのをつくって、二十四の組合がこの運営に当たって、電波障害をカバーしている。毎年この組合防衛施設庁陳情に伺っているようですけれども、この運営費国庫補助にしてくれ、組合施設の設置は国費でやっているようでございますけれども組合運営費も何とか国費お願いをしたいのだ、こういう陳情が出ているようですが、毎年伺っても、いつも門前払いで、話にも取り合ってもらえない、こういう不満を二十四組合組合長さん全員がおっしゃっておるのですが、この辺は御配慮をいただけないものでしょうか。
  14. 首藤新悟

    首藤政府委員 今先生がおっしゃられましたように、私ども障害防止事業の一環といたしまして、基地周辺テレビ映りの悪いというようなところに関しまして受信料を負担申し上げるということをやっておるのは別として、今おっしゃられましたのは、その組合運営費を負担できないかという御趣旨かと存じます。  毎年の陳情とおっしゃられましたけれども、私自身、ちょっと恐縮でございますが、具体的なそういう要請をまだ聞いたことがございませんので、今後、それを聞いてみましてから、我々の許される法令その他の中でできるかどうかを検討いたしてみたいというふうに存じます。
  15. 冨沢篤紘

    冨沢分科員 門前払いですから、恐らく偉い人のところまで話が行かないのでございましょう。冒頭申し上げましたように、五十年間安保体制の影の部分苦労している地域でございますので、ぜひひとつそこいらへ政治の温かい光を当てていただく、このことが必要なんですよ。安保体制をしっかり運用運営していくためにも必要なので、先ほど申し上げました防音工事適用範囲を基本的に広くしていただくこと、あるいはこういうテレビ受信運営費、実際に現場では困っているのですから、ぜひひとつこの点の御配慮をいただきますように要望を申し上げておきます。  委員長、ちょっと地図をごらんになっていただきたいのです。
  16. 臼井日出男

    臼井主査 はい、結構です。
  17. 冨沢篤紘

    冨沢分科員 周辺道路対策お願いを申し上げるわけですが、これは、真ん中白抜き部分厚木基地でございまして、厚木基地大和市と綾瀬市にまたがって所在をしている。両市の真ん真ん中なんですよ。真ん真ん中に大きなあぐらをかいている。綾瀬大和というのは、大変人の交流の多いところです。多いところのその真ん中あぐらをかいている。これは、東西三キロ、南北三キロ、そして二・四キロの滑走路真ん中南北に通っている、こういう位置関係になります。しかもこれは、神奈川県の真ん中住宅密集地、企業や事業者が大変多い、こういう場所でございます。しかも、こっちの綾瀬市というのは、鉄道が一本も入っていない、住民事業主も全部自動車交通に頼らざるを得ない、こういう県下でも珍しい自治体であります。  これを頭に入れておいていただいて、質問をするわけでございますけれども、百五十万坪の厚木基地がこういう住宅密集地の中にあぐらをかいている。住民はここを迂回して生活をしなければならない。そのために、基地周辺道路慢性渋滞、朝七時、八時、夜五時、六時などというのは、三キロから四キロ通り抜けるのに四十分も五十分もかかる。これが実態なんですよ。選挙運動をやっていても、大事な時間になかなか隣の市へ行けないのが実態なんです。わずか三キロや四キロを通るのに四十分も五十分もかかる。これは、戦後五十年間、周辺道路対策を何にもしていない、こう言われても仕方がないじゃありませんか。この点、どう認識をされておりますか。
  18. 首藤新悟

    首藤政府委員 一般的に、今まさに先生地図でお示しいただきましたが、基地、特に飛行場のようなものがあるために、周辺住民方々生活あるいは経済活動などに障害がよく出ているということは、私ども承知しております。  そのために、従来からいわゆる環境整備法に基づきまして、先ほどの住宅防音工事、いわゆる防音障害軽減というようなものとは別に、基地が存在することに伴うその地区の御迷惑に何らかの代替的措置をとるという観点から、例えば、その地区にいろいろなほかの形で、公民館をお建てして運営していただくとか、あるいは、可能な場合、つけかえ道路その他で、できるだけそういう負担を軽減申し上げるというようなことをいたしておるわけでございますが、厚木に関しても、従来もそういったことをいろいろ配慮してきておるわけでございますが、今後とも可能な限りの範囲努力は続けてまいりたいというふうに存ずるわけでございます。
  19. 冨沢篤紘

    冨沢分科員 道路拡幅とかつけかえ道路とかおっしゃっていますけれども、こんな小手先の対応で、モータリゼーション、どなたも一軒で一台、二台持つこの時代に、しかも綾瀬市の方は鉄道交通がないんですよ。道路に頼らざるを得ない、自動車に頼らざるを得ない、そういう状況に置かれている。それにつけかえや拡幅ぐらいの措置で、もうパンクしてしまっているんですよ。とても対応できない。  そういう状況を踏まえまして、私は昨年の秋、それまで大和市議神奈川県議を経験しておったんですけれども、ここらの問題に何とか手をつけなければいかぬじゃないか、こんな認識もありまして、選挙でこの問題を大きく訴えました。  五十年間ずっと我々は、慢性交通渋滞に我慢をしてきた。苦労をかけさせられてきた。これだけ周辺住民に迷惑をかけている米軍施設慢性渋滞もそうです。空から落ちてくるNLP騒音もそうだ。国は、交通渋滞の解消の抜本策として、南北三キロ、東西三キロ、ここ通れないわけですから、ここのところの真ん中東西南北に貫通する地下横断トンネルをつくりましょうよ、こういう訴えをして、選挙当選をしてきたわけなんです。  三キロや四キロのトンネル道路なんというのは、今技術的に言えば、東京湾の下まで横断道が通ってしまうんですから、こんなものは簡単にできる仕事なんで、こういう抜本策を講じない限り、周辺慢性道路渋滞は解消しないわけであります。私は、これを大きく訴えながら、皆さんの共感をいただいて、現職の自民党の候補者を破って当選をしてきた。こういう基本的な道路への取り組みができないんですか。この点、お考えをお聞かせいただきたい。
  20. 久間章生

    久間国務大臣 私も今初めて委員の御意見を聞かせていただきましたが、今までもそういうことについての陳情等もまだあってないようでございますけれども、確かにこれまでは、飛行場等地下道路をつくるというようなことは発想がなかったんじゃないかと思いますけれども、羽田の沖合につきましても、ああいうふうに地下トンネルができております。  そしてまた、治安上も昔とは大分変わってきて、こういう委員会で今みたいな議論がされたとしても、もう昔だったら、問題外だというような不安な状況だったかもしれませんけれども、今日では、議論として堂々とやれるような雰囲気になってきたことは、日本安全保障政策上も大変いいことだというふうに思っております。  しかしながら、それをやるとした場合には、実際、事業主体はどこがやるのか。どういう事業でやるのか。それに対して、米軍等がどういう形でそれに対応できるのか。いろんな点から考えなければならないと思いますので、これから先、そういう事業主体米軍考え方、そういういろんな角度から検討していかなければならない問題がまだたくさんあるのじゃないかと思いますけれども、御提案としては、確かに、これから先聞いて、いろいろと考える余地がある問題じゃないかなというふうに理解いたしております。
  21. 冨沢篤紘

    冨沢分科員 安保体制をここで改めて見直して、防衛範囲まで含めて新しい日米時代を築こうではないか、こういう合意が昨年、日米首脳でできたところです。そうしますと、三年や五年、これは確実に、朝鮮半島の情勢もありましょうけれども、この体制は、日米間のこの関係は大事にしていかなければいけない関係。それを担っているこういう基地がある。そして、これに苦労している周辺自治体あるいは住民がいるわけでございまして、冒頭、そこに光を当てろ、こういうお話を申し上げました。  確かに、基地の下にトンネル道をつくるなんというのは、今まで世界にない話だ。しかし、これだけ技術が進んでいるんだし、しかも、それ以上に、周辺苦労をしているんですよ。わずか三キロか四キロに毎朝四十分、五十分かかって通勤している住民がいる。その混雑を苦労しながら、すぐ隣にある綾瀬工業団地の事業主は、ガソリン代を余計に使いながら、経営改善に努力して、税金を払っている。  そういう基地周辺住民苦労考えれば、このくらいの地元サービスは当然国が、国がむしろ率先垂範して提案をして、実行していく、これが安保体制を陰で支えている方々に報いる当然の仕事である、これが政治であると私は確信をしておりますが、この点、いかがでございますか。
  22. 諸冨増夫

    ○諸冨政府委員 先生の御意見、私どもよく、痛いほどわかっておるつもりでございます。  防衛関係費が非常に抑制されている中で、この基地周辺対策経費につきましては、平成九年度予算要求におきましても二・九%増ということで、全体が非常に圧縮された中で、最重点施策の一つとして、私ども、この基地周辺対策事業というのは行わせていただいているところでございますが、いかんせん、全国にいっぱい抱えております米軍基地、自衛隊基地周辺障害防止等に伴いますいろんな諸施策がいろんな形で出てまいります。その中で、私ども、特に厚木周辺についても、極めて重要な基地であるということで、最大限の努力をさせていただいております。  予算範囲の中で私どもこういう努力をしておるということはぜひ御理解いただきたいと思いますが、今後とも、そういう先生の御意見も踏まえまして、何とか、障害の緩和なり防止について最大限の努力をさせていただいておるということで、御理解を賜りたいというふうに考えております。
  23. 冨沢篤紘

    冨沢分科員 時間が参りましたので終わりますが、質問の趣旨は御理解をいただけたと思いますけれども、どうぞひとつ周辺住宅防音工事適用範囲を拡大いただきたい。テレビの共同受信アンテナ施設運営費、何度も伺っておりますので、ぜひ御配慮をいただきたい。  そして、今までの基地対策をただ延長しているだけでなく、周辺住民が一体何を求めているのか、どこに苦労があるのか、そこを思いやった政治の執行を心からお願い申し上げまして、時間でございますので、質問を終了いたします。  ありがとうございました。
  24. 臼井日出男

    臼井主査 これにて冨沢篤紘君の質疑は終了いたしました。  次に、上田勇君。
  25. 上田勇

    ○上田(勇)分科員 新進党の上田勇でございます。  きょうは、冨沢議員に続きまして、同じ地元神奈川県でございまして、神奈川県内の米軍基地の問題について何点か質問させていただきたいと思います。  在日米軍の国内の駐留というのは、これは日米安保体制の中核部分でございまして、したがって、我が国としても、在日米軍の駐留を円滑にするための施設の提供や、地位協定、特別協定などに基づきます駐留経費の一部負担など、そういった協力を行うことは理解できるものであります。しかし 一方で、これらの米軍施設地域の発展に支障を生じさせている場合などは、両国でやはり協力してベストな解決策を見出していく、これもまた当然のことじゃないかというふうに思います。  また、我が国が提供している施設が最大限に有効に利用されること、また、我が国が負担している駐留経費、二千七百億円にも上る経費でございますが、これが有効かつ効率的に使われているということを検証していくということも、これまた日米双方にとりましても、メリットになるものじゃないかというふうに考えるわけであります。  そういう前提の上に立ちまして、きょうは、地元の横浜市内の米軍施設に関しまして、何点かにわたりまして質問させていただきたいというふうに思います。  横浜市内には米軍施設が九カ所、約五百万平米のものがあります。二カ所の通信所のほか燃料タンクや倉庫、工場、埠頭などといった施設であります。きょうは、時間の制約もございますし、また、安全保障上というのでしょうか、軍事的な専門知識を伴わない部分もありますので、こういった通信所などではなくて、附帯施設部分、これはごく常識的な議論の中で議論できる部分ではないかと思いますので、そこに絞りましてちょっと議論をさせていただきたいというふうに思います。  まず一つは、横浜市内にあります港湾施設でありますノースドックのことについてお伺いしたいと思いますが、昨年の十二月八日の米軍の機関紙スターズ・アンド・ストライプスで、グアム島の米海軍補給センターがノースドックに移設されること、これが報道されたわけでありますけれども、政府の方ではこの事実につきましていつごろ御承知になっていたのか、お伺いしたいと思います。
  26. 首藤新悟

    首藤政府委員 ただいま手元にペーパーを持ってございませんが、今先生おっしゃられました報道がございまして、その後国会でも一度ほかの先生から御質問いただきましたが、その数日後の、いずれにしろ年末の時期であったというふうに記憶いたしております。
  27. 上田勇

    ○上田(勇)分科員 今申し上げましたこの米軍の機関紙によると、このノースドックの施設で二十六人の日本人労働者が追加雇用されるということでありますし、また、外務省の方からいただいた資料の中でも、十七人の追加雇用と伺っているのです。もちろん、これはどちらが正しいかも含めましてお伺いしたいのですが、これらの人件費、追加雇用されます日本人労働者の人件費というのは、平成九年度予算の中の在日米軍の駐留経費の中に計上されているのでしょうか、どうでしょうか。
  28. 早矢仕哲夫

    ○早矢仕政府委員 今お尋ねのありましたグアムの米海軍補給センターの横浜ノースドックへの移転によって日本人従業員の数がどのぐらいふえるかということにつきましては、私どもが承知しておりますのは、十七人が雇用される予定であるということでございます。  それから、その経費負担はどうなるかという御質問でございましたけれども、我が国としましては、在日米軍従業員の安定雇用を維持し、在日米軍の効果的な活動を確保するため、特別協定に基づき、在日米軍従業員の給与に係る経費を予算範囲内で負担しております。したがって、横浜ノースドックにおいてふえるとされております従業員につきましても、特別協定に基づきまして、給与に係る経費は予算範囲内で負担することとなります。  しかし、現行特別協定上は、予算に計上した額を超えて従業員の給与に係る経費が必要となった場合には、その超える分は米側がみずから負担する仕組みとなっております。
  29. 上田勇

    ○上田(勇)分科員 今の御説明ではちょっとよくわからない部分があるのですが、このノースドックでは三百余名の日本人従業員が現在雇用されておりまして、十七人が追加になる。ということは、今の御説明でいくと、平成九年度の予算の中にはそれが想定されてないというふうに理解してよろしいのですか。
  30. 早矢仕哲夫

    ○早矢仕政府委員 先ほど御説明申し上げましたように、予算上では、私どもとしては、過去の実績に基づきまして従業員数を決めて概算要求を出しております。平成九年度予算お話がございましたが、九年度で私どもが計上しておりますのは、約二万二千六百人の従業員方々の経費を計上しております。  しかし、現在の在日米軍従業員の数はこれを千人以上超えておりますので、その予算の枠組みから申しますと、現在のような状況の中で、アメリカ側が従業員の数をふやした場合の経費は、これは大まかに申しますと米側の負担ということになると思います。
  31. 上田勇

    ○上田(勇)分科員 では次に、この米軍の機関紙のやはり同じ記事の中で、横浜駐留の米軍幹部の話といたしまして、この補給センターの任務自体には危険物の輸送も含まれているのではないかというようなことを示唆した上で、日本は危険な貨物の輸入を禁止しており、ディェゴ・ガルシア島、これが横浜、日本を中継して物資を輸送する先でありますが、このディェゴ・ガルシア島に直接空輸するなど別の輸送法を考えなければならない、こういうふうに述べているわけであります。  また、米軍の十二月十九日付のプレスリリースの資料でも、兵器の取り扱いは行わないというような発表を行っているわけであります。  これらにあるように、もともとこの補給センターの補給機能の任務のいかんにかかわらず、ノースドックでは兵器あるいは危険物資の取り扱いは行わないというふうに確認されているのでしょうか。
  32. 諸冨増夫

    ○諸冨政府委員 これは、本年の一月十五日の米海軍横須賀補給センターのいわゆる対外プレスリリースによりますと、「ノース・ドックにおける本任務には兵器を積み込むこと及び兵器をおろすことは含まれない」という旨が記載してございます。
  33. 上田勇

    ○上田(勇)分科員 そうすると、この補給センターの任務自体には、ディェゴ・ガルシア島への、兵器というのでしょうか、この新聞記事では危険物資と書いてありますけれども、この輸送も含まれているというわけでありますが、日本では、その中継点としては行わないということであると思います。  そこで、米軍は今後も、そういう意味では日本政府の了解なしに、また日本政府としては地元自治体の了解なしに、これを変更して危険物の取り扱いを行うことはないというふうに理解して差し支えないでしょうか。
  34. 諸冨増夫

    ○諸冨政府委員 米軍の任務というのは日米合同委員会で決められておるわけでございまして、施設の使用目的の範囲内でそういうものが決められておるということでございます。  私先ほど申し上げましたように、一応、米海軍の対外プレスではそういうことを申し上げておるということで、任務そのものについて、米軍がどういう任務を付与されているのか、そこら辺は私ども政府としては、米軍運用にかかわるということについては、本来関知していないといいますか、そういう前提が一つございます。  しかしながら、今おっしゃいましたように、いろいろな形で、例えば核兵器の持ち込みはやらないとか、日米間のいろいろな取り決めもございますし、取り決めといいますか、日本政府のそういう方針に基づいて、米側がそういうことを尊重してやらないというようなこともございます。  このノースドックの運用というのは、そういう意味では、私ども、いわゆるドックとしてといいますか、艦船のいわゆる入港なり積み込みのために必要な施設・区域として提供しているわけでございますので、その範囲内で、私ども、今先生おっしゃいますようなことについて確認しておるわけではございません。そういうことを御理解いただきたいということでございます。
  35. 上田勇

    ○上田(勇)分科員 ノースドックの位置というのは、既成市街地、極めて密集した地域のど真ん中にあります。こうしたところで危険なものを取り扱うか扱わないかを確認しないというのは、どうも私は理解できませんが、長官、いかがでしょうか。
  36. 久間章生

    久間国務大臣 基本的に御理解いただきたいと思うのですけれども防衛施設庁としては、防衛庁でもそうですけれども、いわゆる在日米軍基地の提供、また、提供した施設で何か事故が起きたとき、いろいろな住人との諸問題、これについては対応することになっておりますけれども米軍運用の中身につきましては、これはやはり外務省が第一義的に在日米軍あるいはアメリカ当局といろいろ打ち合わせをすることになっております。防衛庁の方においてその運用の中身をつまびらかにするということは、先生の御指摘でございますけれども、できませんので、あしからず御了承願いたいと思います。  ただ、従来どおりのことに加えて、今回の向こうから来る分については、積みおろし等は兵器、武器についてはしないということを記者会見で発表しておりますので、ああ、そういうことかなというふうに理解しておるということでございまして、これについても、取り決め等を行うとすれば、外務省が米国とやることでございますので、その辺はひとつ御理解を賜りたいと思います。
  37. 上田勇

    ○上田(勇)分科員 ノースドックの位置というのは非常に密集した市街地の中にございます。周辺住宅も込み入っているところでありますし、また、そのノースドックからおりた荷物というのは一番交通量の多い国道を通るわけであります。その意味では、この米軍の出している新聞の中にそういうニュアンスも感じ取れる部分もあることでございますので、今後とも市民の安全のために、その点は、外務省また防衛庁の方でもぜひ確認をお願いしたいというふうに思います。  とりわけ今沖縄や、また県内の横須賀でもありました劣化ウラン弾の問題等もありますし、正直言いまして、やはり国民は、また県民は、こうした政府の対応に大変不信を持っているというのが実態であります。その意味で、国民の安全を守るのは政府に課せられた最も重要な役割であると思いますので、この点、ぜひよろしくお願いしたいというふうに思うわけであります。  次に、もう一つ市内に、米軍のミルクプラントという施設があります。この問題につきましては、昨年の五月の決算委員会でも質問させていただいたのですが、このミルクプラントというのは名前のとおりでありまして、国内に駐留しております米軍が消費します牛乳とかアイスクリームなどの乳製品を製造する施設であります。しかもこの施設は、平成九年度から三カ年で、総額二十六億円、全額日本側の負担で、ただいま申し上げましたノースドックに移設する予定ということであります。  もともとこのミルクプラントがあった地域というのは、これはもう既成市街地のど真ん中のところでありまして、地元住民からはその立地についてもう長年にわたって疑問が言われていたところであります。そういう意味で、そこから移動するということについて、私は全く異論がないし、まさに余りにも遅過ぎたと言うしかないのであります。  ただ、今回これを二十六億円をかけて移設して、本当にそういう価値があるのかどうかということは甚だ疑問でございます。  もちろん、戦後間もない時期に、国内で乳製品に余り国民がなじんでいなかったという時期には、それは大量消費の国であります。アメリカがその専用の施設を必要としたというのは当然のことでありますが、現在、見てみますと、国内の産業の育成もかなり図られたと思いますし、品質も向上したと思います。しかも、かなりの量がアメリカからも輸入されているというときに、この多額の移設費をかけてまでこの施設の機能を存続させることが本当に必要なのかどうか、その辺の御意見を伺いたいと思います。
  38. 久間章生

    久間国務大臣 私も正直言いまして、そういう気持ちも起きまして、そういうことについてどうなのだろうというような話も内部でしたわけでございます。  しかしながら、先生御承知のとおり、この返還を決めますときには、やはり日米合同委員会で合意をしなければならないわけでございまして、平成六年にこの問題につきまして日米合同委員会で了解ができましたときには、移設をするという条件つきでこれは返還が決まったわけでございます。  恐らく、そのときの関係者は議論をしながら、やはりこれは嗜好の問題で、どうしても必要だというふうになったのじゃないかというふうに考えられますけれども、そういう形の中でこれは決定されて、その条件つきで返還ということになっておりますので、やはりこの決められました条件をきっちり守りながら、返還も実施していくというのが私どもの今与えられた立場でございますので、その辺、御理解賜りたいと思います。
  39. 上田勇

    ○上田(勇)分科員 これまでのいろいろな折衝の経過の中で大変御苦労があったことだというのは理解いたします。  特に、あそこのミルクプラントのあったところというのは、もう長年にわたって、地元からは早く何とかしてほしいという声が非常に強かったところであります。いわゆるJR線と京浜急行の線路の間にあるような密集した地域でありまして、そこにずっと長い工場の塀があって、そこでは犯罪なども発生したという事例もあります。そういう意味で、そういう声を体して大変御苦労いただいた交渉の結果じゃないかと思うのです。  ただ、これは当然国費をつぎ込むわけでありますから、そういったさまざまな事情があるにしても、やはりこれは費用対効果についても当然のことながら検討されたのじゃないかというふうに思います。  例えば国内の製造業者を利用して、これはかなり全国的に見れば余力があるのじゃないかと思いますし、委託するだとか米国からの輸入で対応するとか、その他の選択肢についても、それぞれ費用を比較検討されて、その上で米側と協議をされたというようなことはあるのでしょうか。その辺、いかがでしょうか。
  40. 諸冨増夫

    ○諸冨政府委員 ミルクプラントの移設につきましては、先生御承知のように、神奈川県及び横浜市からの強い御要望があって、周辺住民方々からも強い御要望があって、ようやく実現にこぎつけたという経緯がございます。  それからもう一つ、この米軍のミルクプラントの横浜におきます任務というのは、本土に駐留しておりますすべての米軍人及び家族に対しましてこのミルクを供給する任務がこざいます。本土から原材料を輸入して、米国の味といいますかそういうものに見合った、米軍の家族に嗜好が合った形で精製、加工が行われて、全国の米軍基地に送り込まれるというような任務だと聞いております。  私どもとしては、在日米軍の任務達成上、こういうミルクプラントというものは必要不可欠なものであるということで、現在移設に踏み切って整理統合を図っておるという状況でございますので、何とぞ御理解をいただきたいと思います。
  41. 上田勇

    ○上田(勇)分科員 多分、前回の決算委員会のときもそうでありましたけれども、この議論については施設庁さんの方も幾ばくかの疑問を持ちながら対応されている部分があるんじゃないかと思うのです。これは、やはり普通に考えれば、今のこの御時世に乳製品をつくるための工場を、わざわざ専用の工場が必要だということはなかなか理解しがたい部分が多いと思います。  ただ、これは地元の情勢、また日米の交渉のことだとか、いろいろなことがあるので、だからこれを九年度予算で計上すべきでないとか、そういうことは今ここで申し上げるつもりはございませんけれども、これは国民の税金を使うわけでありますから、この使い道は、やはり効果的、効率的でむだがないというような予算の計上に今後とも最大限の努力をしていただかなければならない、また、そうでなければ国民理解も得られないというふうに思いますが、その辺、長官いかがでしょうか。
  42. 久間章生

    久間国務大臣 冒頭に言いましたように、いろいろな御意見があろうかと思います。しかし、平成六年の日米合同委員会で、移設を条件として決定をして、そして返してもらう方は、早くとにかく返してもらいたいということで、神奈川県、横浜市、それぞれが希望されたことでございます。  我々も、そのときに決定がされている以上は決定どおりに行政としてはやらざるを得ないということで、今こういうことでやっているわけでございますので、その辺もひとつ、行政の仕組み等についても御理解賜りたいと思います。
  43. 上田勇

    ○上田(勇)分科員 それで、このミルクプラントがノースドックの方に移設されます。先ほど、グアムから補給センターの機能がノースドックの方に移設される、このように、ここに来てノースドックの、港湾施設なんですが、そこの機能が拡充されているわけであります。  ノースドックというのは、もう既に皆さんも御承知のとおり、横浜市の全くど真ん中にありまして、地図で見ていただくと、新しく開発されているみなとみらい21の地区からわずか数百メートルのところでございます。東海道線にも面していれば、幹線国道にもすぐのところであります。当然これは、県や市の京浜工業地帯を含みます整備計画の中でも極めて重要な位置にあるわけですね。  こういうところで、その一方でこのノースドックの機能が拡充されているというのは、このノースドックの返還は当面望めないのじゃないかというふうに考えるのです。将来、当分の間、この施設はどうしても、わざわざ機能を拡充したわけですから、使うということになると、その立地条件として不適切なんじゃないかというふうに考えるのですが、ノースドックの施設の見通し、あるいはその立地条件としてのお考え、その辺、意見があれば伺いたいというふうに思います。
  44. 首藤新悟

    首藤政府委員 立地条件的には、横浜駅その他中心部から非常に近いところにある、よい場所に占められているということで、その地域から見ると余り歓迎すべきでないという面もあるかと存じますが、逆に、米軍からいたしますと、非常に有効な利用が可能であるという面で、立地条件的には恵まれているというふうに考えておられるのではないかと存ずるわけでございます。  この横浜ノースドックの返還についてお尋ねがございましたが、これは今先生御自身もおっしゃられたように、米軍にとって重要な港湾施設でございまして、現在米軍がこの岸壁をあるいは倉庫施設、さらに輸送業務管理施設などとして使用しておりまして、返還は極めて困難な状況にあるのではないかと申さざるを得ないということでございます。  先ほど来ございましたが、現在この施設におきまして、ミルクプラント、さらには冷蔵倉庫といったものを移設先として集約、整備する計画を進めておるというようなことから総合判断いたしましても、返還はなかなか難しいのではないかというふうに申さざるを得ないということを御理解いただきたいと思います。
  45. 上田勇

    ○上田(勇)分科員 これは都市計画上、非常に重要な位置にある。しかし、どうなんでしょうか、米軍の立場からしてそんなにいい立地条件だとは私は到底思わないんですね。どこの基地にもアクセスは悪いですし、すぐ道路に出れば、年がら年じゅう混雑している第一京浜国道であります。こういうところが立地条件として適している部分だとは必ずしも思いませんが、そこは意見の分かれるところなのかもしれません。  ただ、この横浜市内に、冒頭申し上げました九カ所の施設がありまして、これらの附帯施設、今申し上げました二つの施設ども含めましてちょっと見てみますと、その多くは極めて密集した地域に、しかもばらばらに配置されております。当時はそうでなかった部分もあるかと思いますが、多くは現在は横浜の中心街に位置しております。  しかも、今申し上げましたように、主要な米軍基地からはどれもそんなに近接しているという利便性もないし、しかもアクセスも混雑している、必ずしも良好とは言えないところじゃないかというふうに思います。また、多くの施設は設置されてから四十年、五十年というような歳月が経過しているものもありまして、補修の必要性も出てきている施設が多いというふうに思います。  こうしたことを考えますと、これらの附帯的な施設米軍施設は、米軍の利便をも向上させ、また同時に地域の開発、地域の発展の障害を取り除くという観点からも、施設の統廃合や移設も含めまして、より合理的な配置となるような見直しが今必要になった時期なんじゃないかというふうに考えるわけであります。  これはもちろん米軍の事情もあるでしょう。しかし、これはまた、じゃ代替施設を探せといってもそれはすぐに見つかるものじゃない。それは施設庁の方で大変な御苦労をされるというのは十分承知の上でありますけれども、これが非常に密集した市街地にこのようにばらばらに散在しているという状況というのは、都市の発展上も障害になっている。  また、当然のことながら、在日米軍の駐留経費につきましては、国民予算もかなり入っていることでありますので、それは当然国民の利益のために政府としても行動していただかなければいけないことでありますので、こうした観点から、今後ぜひ日米合同委員会等の場でも、こうした方向を含めた議論を行っていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  46. 久間章生

    久間国務大臣 委員がおっしゃる意味はよくわかります。しかしながら、御承知のとおり、統廃合する場合に、それを返還して有効に活用する、そういう点ではいいわけですけれども、統廃合するときに、統合して先に今度はまたつくらなければならないわけでございまして、その経費が、非常に予算が制約ぎみに推移している今日、そういう点もまたなかなか難しいわけでございます。  返還する場合には、それは返還するけれども、全く新しい予算をつくっていろいろな建物をつくったり、土地を購入したり、そういうことをやらなければならない。土地はともかくとしましても建物をつくらなければならない。そういう点で、非常に窮屈な状況にあることもひとつ御理解しておっていただきたいと思います。
  47. 上田勇

    ○上田(勇)分科員 もう時間もありませんのでこれで終わりますが、すぐに結論の出る話じゃないことは十分承知しております。しかし、これも地域の発展、とりわけ大都市地域の発展のためには、もう長年の重大な課題でありますので、ぜひとも日米合同委員会等の場で、日本側からもこうした問題意識について積極的な提言を行っていただき、両国間で真摯な協議をしていただきまして、少しずつでも結果を生んでいただきたい。このことを最後に要望いたしまして、質問を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  48. 臼井日出男

    臼井主査 これにて上田勇君の質疑は終了いたしました。  次に、高木義明君。     〔主査退席、村上主査代理着席〕
  49. 高木義明

    高木分科員 新進党の高木義明でございます。  私は、今我が国の平和と安全のかなめとしての我が国における米軍基地の問題、とりわけ佐世保の問題についてお伺いをしたいと思います。  私は、日米安保体制の維持は我が国の平和と安全にとって重要な柱である、このように確信をいたしております。したがって、これを今後とも友好的に維持して我が国を初めアジア太平洋地域の平和を確立していく、このことが今最も肝要ではないかと思っております。  しかし一方で、長官も大変御多忙と思っておりますが、沖縄米軍基地の問題については今国政の大きな重要課題として、五月の期限切れに向けて今後とも国会で大変な議論があると私は認識をいたしております。同時に、朝鮮半島情勢も極めて不安定でありまして、予断を許さない状況にあります。こういうものを十分に視野に入れながら、沖縄を初めとした米軍基地を抱える我が国のそれぞれの地域において、基地といかにして共存を図りお互いの国の平和と安全を確保していくか、これが今新しい局面を迎えている時期であろう、私はそのように認識をいたしております。  そこで、具体的に佐世保の問題に入りますが、長官も御承知のとおり、昨年の十月三日、米海軍による佐世保重工業の第三ドック使用問題は、日本政府の費用負担ということで代替浮きドックによって強襲揚陸艦のベローウッドを修理することに、日米両国政府の間で決着をいたしました。  この問題は、日米地位協定に基づく返還使用協定、今現実に佐世保重工業が所有をしている第三ドック、これは企業にとりましても生産の大きな基盤でございまして、いざ米軍が艦船を修理するということになりますと、今日の使用協定の中で優先使用ということになっております関係から、民間企業としては、有事の場合は別にしまして、平時の場合こういったことについて何らかの改善の余地があるのではないか、こういう一つの問題点が浮き彫りにされたことでございました。  決着に至るまでの経過について、この際、改めてお伺いをしておきたいと思います。
  50. 首藤新悟

    首藤政府委員 本件につきましては、平成七年十二月、米海軍が、佐世保に配備されております強襲揚陸艦ベローウッドを平成八年の秋以降修理する計画で、日米間の返還使用協定に従いまして佐世保重工業の第三ドックを使用する意向を示して、そして平成八年一月に入りまして、いわゆるSSKと米軍が修理の契約交渉を続けてきたところでございますが、八月に至りまして、SSKが会社経営の理由からそのドックの使用を拒否したというものでございます。  このようなことから、日米間におきまして対応策を協議いたしました結果、第三ドックを使用できない場合は日本政府が代替施設を提供するという第三ドック返還時の日米合同委員会合意及び返還使用協定に従いまして、代替施設として今先生おっしゃいました浮きドックを提供することといたしまして、平成八年十一月七日、合同委員会においてその旨承認されまして、翌十一月八日、浮きドックの所有者でございます石川島播磨重工業と借り上げ契約を終了いたしまして、同年の十二月三日からベローウッドの修理に要する期間、これは約三カ月でございますが、提供するということとしたものでございます。
  51. 高木義明

    高木分科員 日本国、米国そして佐世保重工業の三者間で、日米地位協定第二条四項(b)、一時使用規定でございますが、これに基づいて第三ドックの返還使用協定が昭和四十三年八月十三日に結ばれておるわけでありますが、国と米国、佐世保重工業、この三者の関係についてどのように理解をしていいのか、その点について説明をいただきたい。
  52. 首藤新悟

    首藤政府委員 この第三ドックにつきましては、昭和三十年代の末に、SSKから造船能力の拡充のために返還要望がございまして、昭和四十三年四月、日米合同委員会におきまして、一つには地位協定二条四項(b)の適用ある一時使用施設として提供する、それから、第三ドックが使用できない場合、同等の他のドックを代替として使用できるとの条件などで返還が了承されまして、同年八月、返還されたものでございます。なお、第三ドックは、返還に先立ちまして、同年の二月、SSKに対し払い下げられております。  今御質問のこの返還使用協定は、昭和四十三年八月、日米合同委員会での「細目は現地段階で取り決める」という合意に基づきまして、その細目を、日本政府代表、これは具体的には佐世保防衛施設事務所長でございますが、それと在日合衆国軍隊代表、これは米海軍佐世保基地司令官でございますが、それと第三ドックの所有者であるSSK社長との三者で取り決めたものでございます。  それで、返還使用協定の内容は、返還の条件である地位協定二条四項(b)の適用ある一時使用施設として提供の後、米側が第三ドックを使用する際の手続、それと設備等の使用範囲等を取り決めたものでございまして、SSKはこの第三ドックの所有者としての立場で協定に参加したものであると承知いたしております。
  53. 高木義明

    高木分科員 返還使用協定には佐世保重工業が「主たる使用者」となっておるのですが、実はこの協定を結ぶ前に、国の北九州財務局と佐世保重工業の間で売買契約が結ばれております。これは昭和四十三年三月二十三日のことでございますが、そのときに第三ドックの所有者は国から佐世保重工業に移ったわけであります。  そういうことを考えますと、我が国の中でいわゆる一民間企業の施設日米地位協定に基づく米軍使用施設になっている例が他にあるのかないのか、この点についていかがでしょう。
  54. 首藤新悟

    首藤政府委員 返還使用協定に基づきまして、地位協定二条四項(b)として民間企業の施設を提供している施設・区域は、佐世保ドライドック地区の一部として提供しておりますこのSSKの第三ドックのみでございます。
  55. 高木義明

    高木分科員 地位協定と返還使用協定は、日米安保条約に基づく日本国政府と米国政府との関係を規定しておるわけでありまして、今回の佐世保重工業の第三ドックの使用問題は、結果として日米安全保障に係る国家間のコストを一民間企業に求めるということになっておるのでございます。この点についての大臣の認識、どのようにお感じでしょうか。
  56. 久間章生

    久間国務大臣 確かに委員指摘のように、民間のドックを強制的にといいますか、優先的に使用できるという協定というのは、ちょっと異質なものだというふうな感じはいたします。  ただ、これは御承知のとおり、一たん米軍が使用しておりましたのをとにかく返還してもらいたい、そういう希望の中で返還が実現した。ところが、ではいざというときにどう使うんだというような米軍運用上の問題、その辺をぎりぎり詰めた結果が四十三年のあのような協定になったんじゃないかな、そういう気がするわけです。  だから、そのときには関係者がみんなこれでいいということで納得したのだろうと思いますけれども、今振り返ってみますと、全国でも非常に例が少ない。個人の土地の場合は、今沖縄でもそうですけれども、いろいろ問題がありますが、こういう企業の施設を使うことについては全国でも例がないということでございます。これは、四十三年からかなりの日数が経過しております。このままでいいのかどうか、やはりもう一回レビューしてみる必要はあるんじゃないかな、そういう感じはいたします。  しかしながら、あのときに関係者が一応合意してこういうことでとやったものですから、この間のもめましたときも、その協定の中にある代替ドックとしてのいわゆる浮きドックを持ってきて提供したという形で解決をしたわけでございます。こういう方法で前例ができましたので、それも一つの方法としてこれから先また機能するんじゃないかと思います。  いずれにしましても、かなりの年数がたっておる現在時点で、あのときの協定がそのままこれから先も引き続いていった方がいいのかどうか、これはやはりお互いが冷静にレビューしてみる時期に来ているんじゃないかなという気がいたします。
  57. 高木義明

    高木分科員 ところで、きょうは外務省にも来ていただいておりますが、このベローウッド、米海軍横須賀に専用ドックを持っておるのです。ベローウッドが横須賀ではなくて佐世保で修理を行わなければならない理由について、どのように認識をされておりますか。
  58. 高田稔久

    ○高田説明員 ベローウッドは、アメリカの海外家族居住計画に基づきまして、乗組員の家族を佐世保及びその周辺に居住させている艦船でございます。米海軍におきましては、乗組員と家族との分離が一定期間以上認められないという規則がございますことから、仮にベローウッドの修理を他の場所で行う場合、同艦の運用計画に大きな影響を与えることとなるということで、佐世保において政府としては浮きドックを提供した次第でございます。
  59. 高木義明

    高木分科員 我が国ではこのクラスは初めてと言われるほどの米海軍の強襲揚陸艦ベローウッド、これは平成四年九月三十日に佐世保に配備されております。その後、ガーディアン、パトリオットという二隻の掃海艦も配備をされておるのです。いわゆる冷戦後の米国戦略の一環で、アジア太平洋、それからやはりペルシャ湾、こういった地域紛争に備えた態勢を整備し、即戦力として強化をしていこうと言われております。こういったことで、私はこのベローウッドの佐世保での修理ということにつながっておるのではないかと。もちろん家族のことも重要な要因だと思っておりますが、こういう事情ではないかな、こういう認識をいたしております。  そこで、フィリピンのスービック基地が廃止をされまして、いわゆる西太平洋の守り、大型艦船の修理部門は横須賀だけになってきたわけです。そこで、アメリカとしては、何とかこれに代替するそういう施設を拡充したい。したがって、昨年の十月に、佐世保基地ではベトナム戦争以来二十年ぶりに工作所が設けられております。また、四十七人の日本人技術者が採用されております。また一方で、原子力潜水艦などが接岸する、大臣もよく御存じでございますが、米海軍赤崎岸壁に六万六千ボルトの高圧送電線を引く工事が進められております。このように、佐世保における米海軍施設設備は着々と増強をされておる、こういうことを思わざるを得ない。  したがって、一体この佐世保を米軍はどのように位置づけておられるのか。そして、そういう基地の整備拡充、まさに強化が進められておる状況についてどのように認識をされておるのか。これも外務省ですかね、お願いをしたいと思います。
  60. 高田稔久

    ○高田説明員 フィリピンのスービック米海軍基地につきましては、フィリピン側が、基地の十年存続ということを定める米比友好協力安全保障条約、この批准を拒否したことによりまして、一九九二年末までに米軍は同基地から撤退をしたものと承知しております。ただ、スービック基地は、もともと補給及び修理機能を中心とした、主として米海軍艦船に対する後方支援基地として機能してきたものでございまして、同基地を拠点として活動する艦船の配備はなされていなかったものと承知しております。  したがいまして、米海軍のスービックからの撤退によって、同基地が有しておりました補給、修理等の機能が失われて、これが我が国における米軍艦船の寄港あるいは補修施設の使用状況に何らかの影響を及ぼした可能性、これはあると思いますけれども米軍のスービックからの撤退の結果、日本の港への新たな米軍艦船の配備が行われたという事実はないと承知しております。  それから、佐世保の位置づけということでございますけれども、まだアジア太平洋においていろいろ不安定要因が存在するという中で、種々の機能を備えました佐世保の諸施設が、西太平洋におきますアメリカ第七艦隊のプレゼンスを支える上で寄与しておるというふうに認識をしております。
  61. 高木義明

    高木分科員 そのような位置づけ、そしてアジア太平洋の戦略的なねらい、そういうことから、佐世保の位置づけというのも私はかなり重くなっていくのではないかなと思っております。  しかし、一方で、地元地域におきましては、これは沖縄のみならず、冷戦が終焉をしていわゆる平和戦略も大きな見直しを迫られておるときに、当然のこととして、米軍基地の返還あるいは移転、こういうものも出てくるわけであります。  佐世保市におきましても、これまでも市長初め関係の団体から、できれば返還をしてほしい、あるいは移転をしてほしい、例えば前畑弾薬庫については移転をしてもらえないか、あるいは、先ほど申し上げましたように、赤崎岸壁は返還をしてもらえないか、またその他の、ここには佐世保港の米軍基地あるいは自衛隊基地等々の図面がありますけれども整理統合といいますか、これを含めて、そういう地元からの切実な要望があっておる。これについて、どのように対応し日米交渉を進めていこうとしておられるのか、ひとつその見通しについてお伺いしておきたい。
  62. 久間章生

    久間国務大臣 私も就任以来初めて佐世保の方に行ってまいりました。地元の皆さん方からの要望等も聞かせてもらいました。それと同時に、また自衛隊の基地としても大変大事なところでございますし、今お話がございましたように、米軍基地としてもまた機能しておりますし、これから先も必要なところでございます。やはりこれらの関係者のいろんな調整をしながら、今後どういうふうにやっていけばいいのか、これは我々も含めてみんなが真剣に考えなければならない問題じゃないかと思っております。  ただ、幸いなことには、従来は返還一本でありました地元の皆さん方も、現在の状況の中で、返還だけでは先へ進まないというような、そういう御理解もしていただいて、移設を伴う返還といいますか、そういう形で総合調整しながら、また返還してもらうところは返還してもらうというふうに皆さん方の御意見等も変わってきておりますので、そういう中で活路を見出したい、そういうふうに思っておるところでございます。
  63. 高木義明

    高木分科員 その点につきましては、ぜひきちっとした検討をされながら善処を賜りたいと思っております。  先ほどはベローウッドのことについて申し上げましたが、実は、昨年の十二月十八日から四十日間、米海軍は、いわゆるクリスマス休暇で入港艦船がふえてくる、したがって佐世保港の立神第四岸壁、第五岸壁を明け渡すように通告をしてきました。もちろんその岸壁は佐世保重工業の建造船の艤装も同時にしておるところでございますが、この岸壁はいわれるところの提供施設でございまして、佐世保重工業が米海軍の許可を得て艤装工事用に使っております。  これまで同社の一時使用がほぼ継続して許可されてきたのは事実でございますが、このように米海軍がぜひそこをあけてほしいということになりますと、佐世保重工業では今三百人から四百人の希望退職を募る事態に追い込まれる、その艤装の仕事ができなくなったと。あるいは関連下請企業についても、約五百人ぐらいの雇用不安を招く、こういった一つの試算も出ておるわけであります。  米海軍の佐世保基地のウエートが高まれば、こういった同種の問題が、岸壁の使用の問題あるいはドックの使用の問題、今後ともトラブルといいますか、私は日米関係にトラブルがあってはいかぬと思っておるのです。良好な関係を保って、やはり日米安保体制の中で我が国の平和と安全を守っていく。そういう意味では、今後とも共存共栄の中でそれぞれの信頼関係を保つということが大事なんですが、万が一そういうことがきっかけになってトラブルが起こったら、これについては大変な問題だと私は憂慮しております。  今後、そういうことについてどのように対応されていかれるのか、御所見をいただきたい。
  64. 首藤新悟

    首藤政府委員 この立神岸壁は、今先生おっしゃいましたように、地位協定二条一項(a)に基づきます米軍の専用施設・区域でございますが、SSKの要請によって、地位協定二条四項(a)の適用ある一時使用施設としてSSKに共同使用させている、こういう位置づけのものでございます。  昨年末、今おっしゃられましたような問題がございましたけれども、最終的には、佐世保事務所それからSSK、それと現地米軍との間で調整を重ねました結果、米軍理解を示しまして、SSKの修理船の接岸位置をずらすということを条件に、平成八年十二月十七日に承認されたというものでございまして、これにつきましては、米軍は、当庁の要請を受けまして、岸壁のやりくりをしてくれまして承認を与えたというふうに承知しております。  したがいまして、米軍にとってもこの岸壁は重要なものと承知しておりますが、今後とも、関係者でその都度、密接に協議連絡をとり合いながら、いろいろ解決してまいりたいというふうに存ずるわけでございます。
  65. 高木義明

    高木分科員 確かに、お話がありましたように、ベローウッドのときもあるいはこの立神岸壁のときも、防衛庁として本当に御努力をされておられた姿に私は敬意を表するわけでございますし、むしろ本当に感謝もしておるわけであります。  しかし、私が今回まで取り上げてきた問題、きょうは三十分しか時間がございませんけれども日米地位協定に基づく返還使用協定、このあり方について、当時の世情と今日ではかなりの環境の変化もあります。  佐世保重工業、いわゆる民間企業の施設を米国海軍が優先的に使用する事実というのは、今後ともあり得るわけでございます。もちろん有事のとき、国際紛争状態になったときは別でありますが、そうではないときに、その使用協定がそのまま温存をされ、民間企業の経営計画に大きな支障を与える、これは問題あることではないかと私は思っております。  例えばこの佐世保の第三ドックについては、同社の修理売り上げの七割をここで稼ぎ出しておるいわゆるメーンドックなんです。ベローウッドが当初五カ月という要請でございましたが、もしそういう事態にでもなったとしたならば、修繕工事に与える損害は約九十億、それから、経営・生産計画等からはじき出されると、いわゆる新造船や信用もなくなってくるし、全体でやはり三百六十億円ぐらいの損失になっていくのではないか。年商が平成六年度で五百七十億でございますから、このクラスの企業として損害額を考えますと、はかり知れないものがある。したがって、こういう事態はひとつ抜本的に腰を入れて見直しを図るべきではないか。  佐世保重工関係者も、有事においては全面的に協力すると言っておるんです。しかし、そうではないときに、七日前に通告さえすれば無料でこのドック、施設が優先使用できる、こういう一方的な使用協定はやはり早急に見直していかなければ、日米間の真の信頼関係あるいは地域での基地との共存、これが図られなくなるおそれもある。そうあってはならぬ。  そういう観点から、どうぞひとつ、民間施設を使用する使用協定の見直しについて、防衛庁長官長崎県の地元のことを非常にお詳しく承知されておられますので、この際、ひとつ外務省とも十分連携をとっていただいて、この使用協定の見直しについて善処をしていただきたい。  この点について、最後に決意をお伺いいたしまして、私のお尋ねを終わります。
  66. 久間章生

    久間国務大臣 先ほども御答弁申し上げましたように、返還協定を結びましてからかなりの年数がたっておりますし、また、そのときの状況等も大分変わってきているような感じがしないでもございません。したがいまして、これから先も、SSKあるいはまた米軍、そういった間の調整等を図りながら、できるだけ現時点に合った形になるように努力してまいりたいと思っております。
  67. 村上誠一郎

    ○村上主査代理 これにて高木義明君の質疑は終了いたしました。  次に、古堅実吉君。
  68. 古堅実吉

    古堅分科員 日本共産党の古堅です。  私は、二月十八日の予算委員会で、SACO報告の内容は、実質的には沖縄米軍基地を強化するとともに二十一世紀までも固定化するもので、問題解決の方向ではないとして厳しく批判し、その立場から海上施設の建設にも断固反対の態度を表明いたしました。本日は、その立場を踏まえて、最初に、SACOの内容に立ち入って二、三質問させていただきます。  普天間基地の代替飛行場の建設の必要性について、普天間基地は有事の際に本国から空輸されるヘリ三百機の受け入れが可能な施設である、この機能を維持することが前提ということがこれまで言われてまいりました。SACO最終報告で、緊急事態対処計画の柔軟性として戦略空輸が内容の一つになっております。この戦略空輸というものは何ですか。
  69. 秋山昌廣

    ○秋山(昌)政府委員 ただいま御指摘になった点は、SACO最終報告の「準拠すべき方針」というところに出ている文言でございますけれども、「海上施設滑走路が短いため同施設では対応できない運用上の能力及び緊急事態対処計画の柔軟性は、他の施設によって十分に支援されなければならない。」というところの一例として戦略空輸というものが出ているわけでございます。  この戦略空輸につきまして、一般的に我々の概念では、戦略目的達成のための計画的な空輸、そういう意味でございます。
  70. 古堅実吉

    古堅分科員 参議院の国際問題調査会が、二月十七日から十九日にかけて、沖縄米軍基地の視察を行いました。日本共産党の上田耕一郎議員が、有事に空輸されるヘリ三百機の受け入れについて質問をした際に、FIG、普天間実施委員会のメンバーである海兵隊のキング大佐は、三百機を受け入れる装備能力が必要だ、海上施設滑走路が短いので戦略空輸は嘉手納基地になると述べています。  戦略空輸とは、有事の際にヘリを何百機も嘉手納基地に空輸する、そういう内容ではありませんか。
  71. 秋山昌廣

    ○秋山(昌)政府委員 戦略空輸の中に、例えば、緊急時等に際しましてC5といったような大型の輸送機、こういった大型の輸送機を利用いたしまして空輸するというものが含まれると解しております。
  72. 古堅実吉

    古堅分科員 SACO報告では、海上施設滑走路が短い、運用上の能力及び緊急事態対処計画の柔軟性は、他の施設によって十分支援されなければならないとしています。先ほども読み上げたとおりです。  防衛施設庁の説明でも、嘉手納基地には追加的施設を整備するとしています。改めて確認させていただきたいのですが、嘉手納基地を含め、県内のどこの施設に、どのような施設を建設しようとしているのか。
  73. 秋山昌廣

    ○秋山(昌)政府委員 まず、SACOの最終報告、これは「SCCの決定」というところに書いてある点が一つあるわけでございますけれども、「現在の普天間飛行場における航空機、整備及び後方支援に係る活動であって、海上施設又は岩国飛行場に移転されないものを支援するための施設については、嘉手納飛行場において追加的に整備を行う。」ということが書いてあるわけでございます。したがいまして、嘉手納空港というものが一つ大きな要素としてあるわけでございます。  と同時に、今御指摘になりました、「海上施設では対応できない運用上の能力及び緊急事態対処計画の柔軟性は、他の施設によって十分に支援されなければならない。」とあるわけでございまして、これは当然嘉手納も含むわけでございますけれども、この支援されなければならない中身につきまして、これからよくFIGの場で検討してまいりたいと考えているところでございます。
  74. 古堅実吉

    古堅分科員 その問題について、日米間でまだ話にはなってないということですか。
  75. 秋山昌廣

    ○秋山(昌)政府委員 現在FIGでは、もちろんいろいろな調査をした上でなければなりませんけれども、ことしの十二月までに詳細な実施計画をつくることにしております。その実施計画の中身は、もちろん、普天間の代替施設たる海上施設の候補ですとか場所ですとか、いろいろあるわけでございますけれども、そのうちの重要な部分として、普天間から海上施設に移すべく、その運用所要といいますか、そういったものも具体的に詰めなければならない。  それに伴いまして、今普天間にございますいろいろな施設について、どれだけその海上施設に移せるか、移せないものについて、果たして既存の施設でどれだけ対応できるか、あるいは追加的整備が必要かどうか、その辺の細かい積み上げをしなければならないわけでございますけれども、それはこれからやるところでございます。
  76. 古堅実吉

    古堅分科員 今御説明があったことも関連して、念を押してお聞きしますが、現在の普天間基地には、建物として、司令部、格納庫、管制塔、整備修理施設、倉庫を初め兵舎や消防署、診療所、体育館、クラブ、教会などがあります。工作物として、滑走路や燃料タンク、アンテナ、プールなどがあります。  現在ある普天間基地施設のどれとどれが海上施設につくられるのか、現在の普天間基地にはない施設を新たに建設することはないか、御説明ください。
  77. 秋山昌廣

    ○秋山(昌)政府委員 我々の考えでおります、これはまあ日米議論したわけでございますけれども滑走路が短くなることによって移せなくなる機能あるいは運用上の所要については、これは普天間に関連のものも移すことはできない、これは明らかなところでございますけれども、それ以外のものにつきましては、極力海上施設に移したいということで考えております。考えておりますけれども、現時点で、どこまでのものをどれだけ海上施設に移せるかという具体的なことは、まだ確定しておりません。
  78. 古堅実吉

    古堅分科員 海上施設にどうしても移せないというふうに考えているのは、どういうことですか。
  79. 秋山昌廣

    ○秋山(昌)政府委員 普天間飛行場を返還する場合に、同飛行場の重要な軍事的な機能及び能力を維持するという前提でございますので、ちょっと繰り返しになって恐縮でございますけれども滑走路が短くなる海上施設においては対応できない運用上の能力、先ほどちょっとお挙げになりました戦略空輸というものもさようでございます、そういったものにつきまして、これは海上施設に移せませんものですから、その関連施設で必要なものにつきましては海上施設以外で対応するか、追加的整備をしなければならないということでございます。  その具体的な中身について、今検討中でございますので、今普天間にあるこの施設はその海上施設に移し、これは移せない、そのうちどうするのか、整備するのか、あるいは既存のもので対応するのか、その辺につきましてこれから詰めるわけでございまして、現在、具体的にまだ計画はできておりません。
  80. 古堅実吉

    古堅分科員 これから詰めるということでありますけれども、あえて、次の質問もさせていただきます。  さきの参議院の視察で、米軍の四軍調整官のヘイズ准将は、海上施設について、台風が来た場合、安全の問題が生じる、ヘリコプターにとって塩分が大きな問題で、その防止に莫大な金がかかるなどと述べておるようであります。  現在普天間基地にはない施設も、台風や塩害対策として、海上施設にはあるいは予定されるのじゃないかというふうなことも考えられます。どのような施設が検討されると思われますか。
  81. 秋山昌廣

    ○秋山(昌)政府委員 普天間の代替施設として海上施設ということを考えたわけでございまして、かつその海上施設については、今幾つかの候補を、技術的可能性のあるものとして既に公にしているわけでございますけれども、それぞれの海上施設にとって、その海上施設が普天間の代替施設として機能し得るための技術的な、必要な、何といいましょうか、従来普天間にない施設、あるいは装置といいましょうか、そういったものが当然出てくるとは思いますけれども、それは米軍の所要という観点から出てくるわけではございませんで、海上施設という、そういう施設からくる技術的な点で新しいものが出てくる、これは当然あろうかと思います。
  82. 古堅実吉

    古堅分科員 SACO報告では「運用、経費又は生活条件の観点から海上施設に設置することが不可能な施設があれば、現存の米軍施設及び区域内に設置する。」としています。さきのキング大佐は、兵員の宿舎はどこに建設するかという質問に答えて、隊員の生活考えると、海上施設は台風など安全面で不適、隊舎は内陸部に置く、できるだけ海上施設に近いところと述べています。近いところといえば、キャンプ・シュワブかキャンプ・ハンセンになるだろうというふうに思います。  日米合同委員会のもとに沖縄住宅統合特別作業班なるものが設置されておりますが、そこではどのような検討がされているのか。
  83. 秋山昌廣

    ○秋山(昌)政府委員 SACOの最終報告に、その運用ですとか、あるいは経費ですとか、あるいは生活条件、そういったような観点から海上施設に設置することが不可能というものがあれば、これは既存の米軍施設または区域内に設置するということになっておりまして、今委員指摘になったような問題も一つの候補だとは思いますけれども、この辺につきましてもこれから十分詰めてまいりたいと考えております。
  84. 古堅実吉

    古堅分科員 できるだけ答えないようにしようという態度をとっていますから、質問に何一つ答えが出てくるようなことにはなりません。もっと質問にそれなりに、国会における論議にふさわしく、まじめに答えるべきです。  次は、PCB汚染問題について伺います。  沖縄米軍基地からまたまたPCB汚染が検出されました。キャンプ瑞慶覧の排水管内の沈殿物から、環境基準値〇・〇〇〇五ppm未満といわれるものの約七万倍に当たる三四・二ppmが検出された事件です。  この事件について、二月二十日、キャンプ瑞慶覧基地司令官が北谷町役場に来て、検出されたPCBは微量であり、人体への影響はないと報告し、また二月二十一日の基地内での説明会では、瑞慶覧基地環境保全課担当将校のジョン・E・ガーリー少佐が、一番ここで知ってもらいたいのは、出てきた数値が非常に微量で、そして安全ということですと強調しています。この説明会には沖縄県、北谷町、防衛施設局からもそれぞれ複数の職員が参加しています。  そこで伺いますが、今回のPCB汚染は、米軍が強調しているように、本当に人体への影響はない、安全ということですという問題なのか、政府の認識を伺いたい。
  85. 首藤新悟

    首藤政府委員 この件につきましては、私ども承知しているのでは二月六日、サンプルからの調査の結果、昨年の十一月八日に油が流出しましたこの排水管のみから三四・二ppmのPCBを検出した。ただ、これは、米国検査法の、いわゆる固体検出法と呼ばれる検査法による検出値で、国内では溶水検出法というものを採用しておられるようでございますが、この三四・二ppmというのが出た。  これが、今先生おっしゃられた七万倍とかいうことの意味ではないかと存じますが、米側は再度当該排水管とその周辺三カ所からサンプリングをした。そういたしますと、二月二十日に至りまして、この二月六日のサンプルの調査結果として、排水管内の汚泥から〇・二ppmのPCBを検出したということで、米海兵隊は、北谷町及び外務省に、本件の経緯とPCBの流出について報告したということを指しておられるのではないかと存じます。
  86. 古堅実吉

    古堅分科員 あなたは私の質問を聞かれたのですか。聞かれての答弁というのでは、人をばかにしておりますよ。  私が伺いたいのは、今回のPCB汚染は、米軍が強調しているように、本当に人体への影響がない、安全ということですという問題なのか、政府の認識を聞きたいということです。もう一度答えてください。
  87. 首藤新悟

    首藤政府委員 このPCBとその周辺への環境という面からの安全の問題の観点からお答えをさせていただきたいと存じますが、米側の調査によりますと、排水管周辺の土壌を調査した結果、この二月二十六日に撤去いたしましたところのいわゆる排水管に堆積した汚泥のみからPCBが検出されて、基地の外には汚染は及んでいないということでありまして、また沖縄県におかれても、この汚泥除去の際、独自に施設内外の二十数カ所の土壌採取を行われて、現在調査中というふうに聞いております。  汚染の原因等については、現在米軍沖縄県によりまして調査が継続しているというふうに承知しておりまして、今後明らかにされるものと考えております。
  88. 古堅実吉

    古堅分科員 あなたはアメリカの代理者でもあるまい。なぜ日本国民の立場から、安全なのかそうでないのかということについて、まともに答えようとしていないのですか。アメリカの説明を聞いておるのじゃないのですよ。アメリカの説明を私は申し上げた。それに答えろと質問しておるのです。  同じ排水管の沈殿物で、今も説明がありましたけれども、一月九日に採取したものからは三四・二ppmのPCBが検出され、二月六日に採取したものからは〇・二ppmのPCBしか検出されていないという違いがあります。その数値の違いは何ですか。
  89. 首藤新悟

    首藤政府委員 率直に申しまして、私自身も、その同じ汚泥の中のある場所からサンプルをとったら三四・二、同じ汚泥の、もちろん全く同じところのサンプルじゃなくて、同じ汚泥の中でも少し別の場所から後日サンプリング調査したんだと思いますが、そうしたら〇・二ppmであったということの理由というのは、私、専門でないのでわからないわけでございますが、現実にはそのような結果が出たということを聞いておるということでございます。
  90. 古堅実吉

    古堅分科員 長官、長官の立場でその問題についてどういう判断をされるか、お答えをいただきたいと思うのですが、同じ排水管の沈殿物です。最初の採取では三四・二ppm、二度目の採取では〇・二ppmでした。これは、同じ排水管の沈殿物であっても、均等にPCBを混合して汚染させたというふうな人為的なものじゃないですから、均一のものではなかろうというふうに思います。そういうことが起きておかしくはなかろうと思いますね。  なれば、三四・二ppm以上のものもあり得るし、〇・二ppm以下のところもあり得るということだと思うのですが、いかがですか。
  91. 久間章生

    久間国務大臣 そもそもPCBがあっちゃいけないところで出てきたわけでございますから、これはまず論外なわけですけれども、これがどういう形で残っておったのか。特に排水管の中に付着しておったものを採取して、今言ったように、一番高いもので三四・二、高いかどうかわかりません、今委員がおっしゃるように、もっとほかの地区で、もっとあるかもしれない。  しかし、私が聞いている話では、その排水管の中のものは全部総ざらいして除去したというふうな話も聞いておりますので、多分一番高かったものが三四・二だったのじゃないかと思うのですけれども、そういうようなものがなぜそこに付着しておったのか、どれぐらい前からあったのか、これがむしろ問題だと思うのです。  だから、その三四・二というのも、水溶液としてやった場合と、固形化した場合といろいろあるんだと思いますけれども、いずれにしましても、今までの蓄積されたものが排水管の中に残っておった。幸いと言えばなんですけれども、そこからあふれて基地外に出たものについてはそれほどのものがなかった、そういうふうな理解をしておったわけでございますけれども、いずれにしましても、PCBが、基地内とはいえそんなに出てきたということは、なぜそこに残っておったのか、これについてやはりこれから先も調査していかなければならないことじゃないかと思っております。
  92. 古堅実吉

    古堅分科員 長官、お言葉を返すようですが、あなたは一番高いのが三四・二ppmだったんじゃないかというふうにおっしゃった。一番濃度の高いところをちゃんと調べて、そこのものを検出にかけたなどとかいうふうなものとは違いますよ。そうでしょう。最初にとったところのものが三四・二ppmとたまたま出た。二度目にとったのが〇・二ppmだということなわけです、この排水管のは。  ですから、濃度がもっと高いところも理論的にあり得るのではないか。〇・二ppmよりも濃度がもっと低いところもあり得るのではないか。汚染した範囲では三四・二ppmが最高だと言い切ることができるようなものじゃないでしょう。もっと高いところも、調べた結果として出ていないのだが、あり得るという問題じゃないですか。
  93. 久間章生

    久間国務大臣 だから、先ほどの答弁の中でちょっと訂正させていただきましたけれども、どういうサンプルのとり方をどういうような範囲でやったか、そういうあれがありますので、それが最高と言ったのは、それは私の間違いと思いまして、とにかく三四・二という数字と、〇・二というところがあったということを言ったわけでございます。
  94. 古堅実吉

    古堅分科員 先ほど、何か周囲にはその汚染はないかのような米軍の説明をそのまま言っておられましたが、そうじゃないと思うんですね。PCB沈殿物が検出された排水管は、民間地域の排水溝に直結をされています。その排水溝は普天間川に通じています。この普天間川はもちろん海に流れてまいります。民間地域でくまなく調査して、PCBの検出はできなかったなどというふうなことにはなっていません。ですから、民間地域でまだ発見されていないPCB汚染もあり得ると考えられるのではないかというふうに考えますが、長官、いかがですか。
  95. 久間章生

    久間国務大臣 そこの排水管の中にずっと沈殿した場合と、排水管からほかの多量の水と一緒に流れていって拡散した場合とで、同じ一定の面積をとった場合にはやはり拡散された方が非常に薄いと思うんですよ、それは。だから、むしろ排水管の中に沈殿しておったところの方が高いのではないかというような感じは持っているわけでございまして、外に流れたボリューム全体としては、それは委員のおっしゃるようなことかもしれませんけれども、それからずっと流れていって川に流れて、あるいはどんどん流れていった場合は拡散されるおそれがあるわけですから、拡散されてしまいますと、サンプルをとってみても、恐らくデータとしては少ないんじゃなかろうか。限られた地区で沈殿しておった方が多いのではないかなという感じは持ちます。
  96. 古堅実吉

    古堅分科員 そんな説明を聞こうと思って今質問しておるんじゃないんですよ。まだ調査がなされている段階です。おっしゃるように、そこから流れていったかもしらぬが、十分薄められて、検査の結果はそれほど大きな数字は出なかったということになるかもしれません。そのときにも、そこには流れませんでしたなどという形で断定的に言えるものでもないのですよ。  ということは、逆に、流れていったところで、まだ調査は出ていないのだが、汚染されている可能性はあるんじゃないか。さっき長官は、そのことを否定できないような御説明でしょう。そういうことを認めますか。いやいや、長官でいいです、一言でいいですよ。
  97. 首藤新悟

    首藤政府委員 まず私の方から事務的に。先ほど申し上げたことに一部あるわけでございますが、いずれにいたしましても、この汚泥は除去されておりますが、そのされた際に、独自に県の方でも施設内外の二十数カ所でいわゆるサンプリングを行われて、現在調査中というふうに伺っておりますので、いずれまだそういう結果が出るであろう、結果で、どういうものであるかが明らかになるであろうというふうに考えております。
  98. 古堅実吉

    古堅分科員 基地の提供者は政府ですよね、長官。あなた方が直接の担当者だ。そこで、基地と何のかかわりもない住民地域でそんな汚染が出ているかもしれないということで、県が心配して、採取して、今調査をやりおるのです。三月の半ばごろにその結果は出るだろう、きのう電話を入れてきました、そう答えています。調査の必要は認めるんですね。  もう一つ、県民の生命と安全を守る立場から、調査を含め必要な対処は、基地提供者としての政府としてもやらなくちゃいけない問題だということについての認識はおありですね。
  99. 久間章生

    久間国務大臣 基地内からPCBがとにかく外に流れて、それが多量に残っておって、大変問題だということになれば、基地提供者としては、それは大変責任を感じるわけです。ただ、今そういう調査をやっているわけでございますし、私は、予測するわけじゃございませんけれども、これがかなり前からずっと付着しておったそういうPCBじゃないかということもあるので、一番冒頭にも言いましたのは、なぜこのような排水管の中に残っているか、やはりこれはその原因を究明しなければならないんじゃないかというふうに思っておるということを言ったわけでございまして、そういうことを、基地提供者が全然おれは知らぬことだということを言うつもりは毛頭ないわけでございます。
  100. 古堅実吉

    古堅分科員 調査をする、必要な対処をする、その責務は当然です。  一九九五年十一月に返還された恩納通信所で、PCBや水銀など十一の有害物質が検出されるという重大問題が発生しています。三年前に、沖縄米軍基地でPCBが検出されて問題になった際、このときは変圧器が原因とされておりました。  一九九三年十一月十日の外務委員会で、私の質問に答えて、PCB使用の変圧器を沖縄では、キャンプ瑞慶覧に八基、キャンプ・コートニーに七基、キャンプ・マクトリアスに四基、キャンプ・ハンセンに三基、牧港補給地区に三基、普天間基地に二基あると述べ、米軍所有のPCB変圧器は約二千五百基を全部撤去、米本国に搬送している途中であるとしておりました。  それでPCB汚染の心配はもうなくなるというのが当時の政府の態度ではなかったですか。日本でもアメリカでも、製造も使用も禁止されているPCBが、なぜ今ごろ、このような形で米軍基地から繰り返し出てくるのか。重大問題と思いませんか、長官。また、基地提供者である政府として、責任をどう考えておられるのか。そういうことも含めて。
  101. 久間章生

    久間国務大臣 だから、先ほどから申しておりますように、繰り返し出ているのか。いつぐらいから、どういう形でやったのがその排水管の中に付着しておったのか。恐らくかなり前から使わないことにしているわけですから、それがその以前の問題なのか。あるいはどういう形で排水管の中に残っておったのか。それをやはり究明しなければならないのではないかというのは、そういうことで言っているわけでございます。
  102. 古堅実吉

    古堅分科員 九三年には、変圧器の撤去に伴いPCB汚染の危険がもうなくなるというふうに国民に思い込ませるような説明でした。それにもかかわらず、この変圧器によるものですというふうには米軍自体も政府自体も説明できないような事態が、いろいろなところで繰り返し起きているわけです。恩納村でも、また北谷町でも。変圧器、前に使われておったものですというふうなことを説明できないでしょう。米軍もそう言っていませんよ。  かかる許せない事態が繰り返されている問題に対して、基地提供者たる日本政府の責任というのはまことに重大だ。沖縄県民からすれば、今、安全にかかわる問題です。隠されて、どうなっているかもわからぬ、そういうふうなところでこのような重大な事態が何度も何度も起きてくるわけなのです。  二月二十四日の北谷町議会決議の中でこの問題をめぐって要求項目がありますけれども、そういう中でも言われているように、やはりこういう問題をしょっちゅう起こしている海兵隊、諸悪の根源とも言うべきその海兵隊を撤退させていくという基本的な方向以外に、命と安全を守れない、県民の被害もなくならないということが一層はっきりしたと思うのです。  県民の願いがそこにあるということを厳しく指摘して、質問を終わります。
  103. 村上誠一郎

    ○村上主査代理 これにて古堅実吉君の質疑は終了いたしました。  以上をもちまして防衛庁についての質疑は終了いたしました。  午後一時に本分科会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時三分休憩      ————◇—————     午後一時開議
  104. 臼井日出男

    臼井主査 休憩前に引き続き会議を開きます。  内閣について質疑の申し出がありますので、これを許します。笹木竜三君。
  105. 笹木竜三

    笹木分科員 新進党の笹木竜三です。  質問を始めさせていただきます。官房長官がちょっとおくれられるということなので、最初、それ以外の質問から始めさせていただきます。  きょうはほとんど、ロシアのタンカー・ナホトカからの重油流出事故にかかわる問題で、危機管理というか災害対策、それについてお尋ねしたいと思います。  まず、一九九〇年にOPRC条約が結ばれて、一九九五年に閣議決定、これを受けて油汚染事故に対する備えとして充実されたのは、対象海域を広げたこと、あるいは通信面での充実をしたこと、主に大体これぐらいだと聞いているわけですけれども、特にハード面での整備、機材、オイルフェンスとか、回収船はもちろんですけれども、そういった整備はほとんど行われなかったというふうに聞いておりますけれども、それで間違いないでしょうか。
  106. 坂場正保

    ○坂場説明員 海上保安庁におきましては、OPRC条約及び国家的緊急時計画を受けまして、油汚染事故等への対応強化の一環としまして、ただいま先生指摘の、情報通信機能の充実強化を図ったところでございますが、このほか、平成八年二月には油処理剤の空中散布装置の増強を行うとともに、八年度には高粘度油対応型の油処理剤を開発したところでございます。  ただ、今回の事故の重大性にかんがみまして、現在の防除資機材を含む油防除体制にどのような問題点があったかということを検証しまして、今後、今回の事故のような、外洋における大規模かつ広域的な油汚染事故にも対応可能な防除体制のあり方ということにつきまして、あらゆる角度から検討を加えまして、適切に対処してまいりたいというふうに考えております。
  107. 笹木竜三

    笹木分科員 先般、運輸委員会でいろいろ確認させていただいたときには、今の空中散布剤のお話などはありませんでした。わずかな動きとしてあったということなんでしょうけれども、どうしてハード面での整備等がほんのわずかしか行われていなかったのか。結局、立派なマニュアルはあったわけですけれども予算の面なんでしょうか、どうなんでしょうか。
  108. 坂場正保

    ○坂場説明員 あくまでも、今回の事故のような大規模かつ広域的な事故というのは想定していなかったということでございまして、こういった事故に対応するような資機材の整備というものがおくれていたということは反省すべき点であると考えております。
  109. 笹木竜三

    笹木分科員 次に、平成六年ごろには、こういった油汚染事故での経験、ノウハウにすぐれているアメリカとの交流がいろいろなされております。  平成六年の六月には、ハワイでの米国の沿岸警備隊主催の油防除演習に担当官が派遣されている。同じ年の十一月には、東京で第三回日米油防除専門家会議が行われている。平成七年の五月には、先ほどの沿岸警備隊の長官と海上保安庁長官との会合、これも油防除に関する会合ということで長官同士が会談されているわけですけれども、こういったことが平成六年、七年といろいろ行われております。  この結果、どんなことを学んだのか、それをどういうふうに整理されているのか、どういうふうにマニュアル等に生かしているのかについてお伺いしたいと思います。
  110. 坂場正保

    ○坂場説明員 海上保安庁におきましては、先生指摘のように、平成六年六月に、米国のハワイにおきまして行われました米国の沿岸警備隊主催の油防除演習に海上保安庁の担当官を派遣したところでございます。  この演習におきましては、関係者が油流出の緊急時に臨機応変に対応できるようにするために、シナリオを前もって設定しておくことなく、その場で与えられた事故想定に対しまして、それぞれ与えられた責務を果たすという内容でございました。我が国では、こういったような訓練をそれまでとっていなかったところでございます。  海上保安庁では、この訓練の派遣の後、去年でございますが、平成八年七月に、白島石油備蓄基地におきまして、官民合同で今言いましたような演習を実施するなど、この成果を国内に反映させるよう努めているところでございます。  なお、現場におきまして、通常の官民合同の油防除訓練につきましては、平成八年度でいえば、百回以上を実施しているところでございます。これは、通常の形の訓練でございます。  また、平成六年十一月には、東京におきまして第三回の日米油防除専門家会合を開催したところでございますが、この会合を通じまして、日米の油防除に関する諸制度に関する情報交換を行ったところでございます。  その中で、米国版機動防除隊ともいうべきナショナル・ストライク・フォース、これはナショナル・ストライク・チームが三つある組織でございますが、この油汚染事故に対処するための専門家集団に関する情報を参考にしまして、海上保安庁としても、平成七年四月に我が国の機動防除隊を組織したところでございます。
  111. 笹木竜三

    笹木分科員 最初に、臨機応変に対応ができるようにシナリオを前もってつくっておくのではなくと、そういうお話がありましたけれども、それで、もう一回繰り返しになるのですけれども、具体的にはどういう体制を組まれたのか。演習を何回もやったということですか。
  112. 坂場正保

    ○坂場説明員 先ほど申し上げましたハワイにおける油防除演習を反映したものとしては、平成八年七月に行いました白島石油備蓄基地における、そういったような、シナリオを前もって設けることなく実施した演習でございます。  今後、これをこの一回にとどまらずに、回数をふやしていこうということを検討しているところでございます。
  113. 笹木竜三

    笹木分科員 油汚染事故のときに、外国に対してハード、ソフト面の協力、援助を受ける場合、例えば、今言ったアメリカ以外でも、中国、韓国、ロシア、いろんな国と交流をされているわけですけれども、今回の場合、シンガポールと韓国ですか、油回収装置二セット、韓国、ポンプ二機、こういったものぐらいしか協力を受けていなかったわけです。  いろいろ協力を受けるに当たってのマニュアル等は今ないということですけれども、これはつくっていかれる予定があるのかについてお伺いしたいと思います。
  114. 梅田春実

    ○梅田説明員 お答えいたします。  政府の中では、現在、再発防止のワーキンググループを設けて、今回の事故を教訓にして今後の再発防止体制のあり方を検討しているところでございます。先生指摘のような問題点につきましても踏まえながら、検討していきたいと思っております。
  115. 笹木竜三

    笹木分科員 現段階では、そういった体制をさらに整備して、マニュアルをつくっていくかどうか、それも別に決まってない、そういうことなんですね。
  116. 梅田春実

    ○梅田説明員 お答えいたします。  再発防止のための手段あるいは方策につきましては、いろいろあると思います。先生指摘のようなマニュアルにつきましても、現時点では、作成するしないということは申し上げることができませんが、あらゆる角度から検討を加えてまいりますので、そういう検討の中でさらに議論を深めてまいりたいというふうに考えております。
  117. 笹木竜三

    笹木分科員 今回の場合、さっきお話ししたように、結果的には韓国とシンガポールからポンプ二機と油回収装置二セット、ロシアからは後で油回収船の協力もありましたけれども、相手国以外からはポンプ二機と油回収装置二セットだけの協力をいただいているわけです。アメリカとかカナダ、イギリス、フランスその他、韓国、中国等近隣諸国、いろいろ外交ルートを通じて協力について問い合わせをしたと聞いておりますけれども、これは何日の段階で協力の要請をされたんでしょうか。
  118. 臼井日出男

    臼井主査 どなたが答えてくれますか——外務省ですか、運輸省ですか——運輸省。
  119. 梅田春実

    ○梅田説明員 お答えいたします。  先生の今御指摘の国際的な協力につきましては、私ども運輸省の方といたしましては、国際的に要請をしたというようなことはございません。
  120. 笹木竜三

    笹木分科員 では、外務省の方からされたんでしょうか。
  121. 臼井日出男

    臼井主査 外務省、きょうは来ておりません。
  122. 笹木竜三

    笹木分科員 いろいろ資料なんかを要請しまして、運輸省経由でもこういう資料をいただいているわけですけれども、それをいつやったかという事実もはっきり把握されてないということでした。  要するに、お話ししたいのは、油汚染事故に対する条約ができてから、いろいろ各国との会合も開いておられる、専門家会議も開いておられる、そしていろんな交流も行っておられる。しかし、こういう機材等は足りなくなることが非常に多いわけですけれども、具体的にその機材等を借りるための担当の課ですとか、マニュアルがほとんど決まってない。それで非常に遅かったし、結果的に、協力を受けることも十分にはなかったんじゃないか、そういうことをお話ししたいわけです。  マニュアルもまだ決まってない、つくるかどうかも決まってないということですけれども、その体制をなるべく早くしっかりと整えていただきたい、そう思います。  それと、今の外国との協力ということでもう一つ質問したいわけですけれども、バイオスティミュレーションという方法です。  三国町でもう船首部の油がほぼ抜き取りが終わった、その一週間後に三国町の隣の町で、芦原町でまた油の漂着がありました。これは恐らく流れてきたんじゃなくて、海底に沈んでいた油が浮かんできて海岸に漂着したんだろうと言われているわけです。海の底ですとかあるいは海岸でも、まだ除去できないような油がたくさんあります。  これをきれいにしていくためにバイオスティミュレーションという方法があります。海にいる、海岸にいるバクテリアに栄養を与えることで、その浄化機能を高めていく方法、これについては御存じでしょうか。
  123. 畑野浩

    ○畑野説明員 お答え申し上げます。  今先生から御指摘のありました、微生物を利用した環境修復、バイオレメディエーションの技術につきましては、いろいろ技術的な紹介はありますが、現場状況によりまして、またそこでの有効性というものが異なる、また使用の方法によりましては、微生物を活性化させるわけでございますので、その栄養剤といいますのが海水の富栄養化の原因になる可能性、あるいは、場合によりましては微生物を散布するという方法もございますけれども、これによります海洋生態系に与える影響の可能性についても、いろいろな面からの考慮を払わなくちゃいけないというのが環境庁の考え方でございます。  このために、環境庁といたしましては、ただいま御指摘のありましたバイオレメディエーション技術の有効性と環境影響につきまして、専門家の意見も聞きながら、まず海外におけるいろいろな実施事例等につきまして調査等に取り組んでいるところでございます。
  124. 笹木竜三

    笹木分科員 大体いつごろまでにこの方法が有効かどうか結論を出されるおつもりなんでしょうか。
  125. 畑野浩

    ○畑野説明員 お答え申し上げます。  先ほど申し上げました海外の事例等の調査につきましては、本年度末を目途に作業を行っているところでございます。これらの事例調査の結果をもとにいたしまして、さらに必要な調査、検討というものが出てくるかもしれませんけれども、バイオレメディエーション技術に関する環境庁の考え方を整理する所存でございます。  これらの調査、検討の結果が今回の事故の油処理対策にも何らかの形で反映できますように、適宜、例えば事例調査の結果等必要な情報の提供を行うなど、できる限り早期に結果を取りまとめられるよう努めてまいりたい、かように考えております。
  126. 笹木竜三

    笹木分科員 アメリカのアラスカで事故が起きた後、この方法が最初に行われたと聞いております。調べていきますと、事故の一カ月後には早速もう実験にかかった。現場での、海岸のある区域を限って早速実験にかかった。それで、三カ月ぐらいたってかなり効果があるということで、これはEPA、アメリカの環境保護局が中心になってこの方法を採用した。  その後、メキシコ湾の事故でもこの方法を採用したと聞いております。ヨーロッパでももう幾つも採用例があります。日本でも、余りにも政府の対応が遅いので、例えば兵庫県ですとか福井県内の漁協が中心となって、アメリカから専門家を招きまして、既にこの方法を現場で、海岸ですとか海で実施をしております。  しかし、自治体の町長とかは、国の監督官庁がはっきりしない、安全基準や許認可などの法律も未整備だ、自分の責任でゴーを出すこともなかなかできない、そんなふうに言っているわけですけれども、担当官庁は環境庁ということで考えていいのですか。  それで、今言った年度末には、この方法が有効かどうかしっかりと結論を出す、そう考えていいのですね。
  127. 畑野浩

    ○畑野説明員 お答え申し上げます。  環境庁の基本的な立場といいますのは、今回の油汚染に関する環境影響の調査あるいはいろいろな形での防除対策、今御指摘のございました積極的な回復の措置というものを含めまして、環境影響の観点からどのような影響が起こり得るかというあたりを調査するのが私どもの役所の責務だというふうに認識をいたしております。  それで、油のバイオレメディエーションの件で、先生から外国のいろいろな事例の御指摘がございましたけれども、私どもといたしましては、平成元年にアメリカのアラスカでエクソン・バルディス号という船が沈みまして、これの知見を収集をいたしております。具体的に油防除にタッチをいたしましたアメリカの国務省のNOAAという機関がございますけれども、ここの専門家ともいろいろ意見交換をして、バイオレメディエーションの技術を含めて情報の収集に努めているところでございます。
  128. 笹木竜三

    笹木分科員 実際に実施した、この環境保護局ですとかアメリカの政府機関があるわけです。さっきもお話ししましたように、海底にたまっている油が浮かんできてまた漂着するということも起こっているわけですから、これは時がたてばたつほどさらに固まってしまうということもあります。海岸でもそうだと思います。ぜひ早く、ノウハウと経験を持っているアメリカの政府機関と共同で、現場の実験をしていただきたいと思います。  今、長官が来られるまでいろいろ具体的な実務にかかわる質問をしていたわけですけれども、ロシアのタンカー事故についてであります。  一九九〇年に条約が結ばれてから、ハード面での整備が非常に少ししか行われていなかった。オイルフェンスですとかいろいろな機材ですとか、回収船はもちろんですけれども、ほとんど充実が行われていなかった。どうしてかと聞いたら、こういった大規模な事故はなかなか想定していなかったのだというお答えがありました。  あるいは、もう平成六年ぐらいからいろいろな、アメリカも含めまして、対岸の中国、韓国とも、あるいはASEANの諸国ともこういった事故が起こったときの協力体制のための会合を開いている。しかし、今回の場合、いろいろ御質問させてもらってもはっきりした答えが出てこないくらいに、具体的に何日に協力を要請したか、もっと言えば担当の課も外務省と運輸省の間ではっきりしなかった、これは先週ですけれども、マニュアル等はもちろんできておりません、こういう縦割りの問題もございます。  今、お話を伺っていたのは、海岸ですとかあるいは海そのものでさらに浄化をしていくために、バイオスティミュラス、バクテリアを使ったこの方法について、要は、担当官庁がはっきりしない。どこがゴーを出すのか、あるいはだめだと言うのか、どうも責任の所在がはっきりしません。こういった問題がたくさんあるわけです。  今回のロシアのタンカー、この流出事故の経験から、私も五日、六日の段階で何度も電話しましたら、海流に沿って流れていくから船首が沿岸に漂着することはまずないという答えでした。六日の段階で、もうそういう答えでした。十日を過ぎて、今度は沈んでいる船、ここから油が浮かんでくる可能性はないのか、これもまずない、九九%ない、そういうお答えでした。  こういったことも含めまして、去年の、ちょうど一年ぐらい前にも危機管理、官邸の機能強化のことについて質問させていただいたわけですけれども、今どういうふうにお感じになっておられるか、ちょっと御感想を聞かせていただきたいと思います。
  129. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 前半、退席をしていたことをお許しをいただきたいと思います。  前半の質問を残念ながらお聞きをすることができなかったわけでありますが、このナホトカ号の事故、確かに海上保安庁を中心として、いわゆるハードの面というか、でき得る範囲内で全力を尽くしたことは間違いがございません。しかし、現実に、公海上であるとか荒天時、そういうものに対応する有効な対応策を実は持っていなかったという致命的な欠陥がございます。  そういうものをあれこれ考えますと、確かに、これからどういうセクトでどういうことをなし得るのか、多種多様な災害ないしは危機がこれからあろうかと思いますが、そういうものに常時備えるために、私たち官邸は全力を尽くさなければなりませんし、今安保室を中心にしてこの対策を行っておりますが、残念ながら専門的な知識や対応能力を持っておりません。  ですから、早急にこの問題の整備を図らなければならないということで鳩首協議はいたしておりますものの、例えば荒天時、日本海で老朽船が航行してこれに対応できるのかどうなのか、そういうものを考えますと、条約とか関係国との協定をひっくるめ、あるいは荒天時にそういうものの回収が可能であるか。それから、今申されていたように、海流の調査、その漂流予測、それから海底の油、確かに流出から何から見当違いをしていたということは間違いがございません。  こういうものを見ますと、まず初動体制の中で情報の収集、分析、それに科学的知見を加えたものでどう対応するか、これをやらなければならない。本来、私が一義的な責任者ではございますが、私には残念ながらそれだけの知見がありません。  私は、これからは専門的な方がこういうものにつくような準備を今内閣として考えようではないか、なおかつ早急にやらなければこの問題に対する対応能力を、完全に対応能力ができるかどうかわかりませんが、初動の体制すらとれないのではないかという懸念をいたしております。  大変申しわけないことで、国民の生命や財産を守ることが何よりも大切な内閣の任務であるその根本的な問題に、これから全力を挙げてやってまいりたい、このように考えます。
  130. 笹木竜三

    笹木分科員 去年、震災の反省もあって、官房長官が中心になって、きょうも質問の中で感じるような縦割りを超えて、官邸がリーダーシップをとるということで危機管理体制をしかれて、情報集約センター等も設立されていったわけですけれども、つくっていく前は、例えばアメリカのFEMAの例なんかがよく議論されたりしました。つくってからは、そういった外国の危機管理を担当している方々との交流があるのか。  それと、今週になっていろいろ記事が出ております、アメリカの方から日本の危機管理に対して合同で研究会を持ちたいと。これは朝鮮半島での有事をにらむという面もあるみたいですけれども、それだけにかかわらず、核関連事故、難民問題、自然災害などのそういった過去の事例をもとに研究を行いたいと申し出があった。これは新聞報道で読んでいるだけですけれども、そういうことが実際にあったのか。あったとしたらこれからどのように対応されていくおつもりなのか、お伺いしたいと思います。
  131. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 私も残念ながら、そのアメリカ側からの、有事に対応する方式の共同研究についての提案は、具体的に承知をいたしておりません。ただ、私は、この問題は恐らく朝鮮半島有事を想定をして、いわば軍事的な面や軍事以外の後方支援の問題等についての危機管理の問題ではないのかなという予測というか想像をいたします。  しかし、そうではなくて、やはり本来この有事というのには、軍事的な面もあれば、災害的な面もあれば、自然的なものあるいは人為的なもの、その中にもいろいろあろうかと思いますが、万般について考え抜かねばならない問題であります。  特に、アメリカから言われていると思う例えば朝鮮半島有事の際どうするかということは、私も昨年あるセミナーで話をしましたが、大変これはセンセーショナルに、有事を考えるとは何だ、無事を考えるのが政治家の務めではないかということを言われた。無事を祈る気持ちは私は人一倍強いつもりでありますし、かつての戦争末期の体験者でもございますから平和を希求する気持ちは人一倍強いのですが、さりとて祈っていればいいということではございませんから、有事にはどう対応できるか。  それは、まず日本の自衛。このことは、自衛とは何なのかというその自衛の範囲内で、有事の法制がこの冷静で平和な時期になされておかなければならない。それを拡大したものが、いや、拡大というか同時並行的に移したものが、自然災害であり、いろいろな人為的な災害にどう対応していくか、この問題を詰めていくことが一番国の基本でなければならないというふうに考えております。  非力でありますが、懸命な努力を払って、毎日毎日新しい災害が起きつつありますが、これに対応できるような準備と対応策をこれから研究開発をしてまいりたい、このように考えます。
  132. 笹木竜三

    笹木分科員 官房の方でも結構なんですけれども、こういったアメリカからの申し出というのは特に聞いておられないのでしょうか。
  133. 三井康有

    ○三井政府委員 お答え申し上げます。  アメリカからの申し出と申しますのは、私ども内閣官房の事務方としても承知いたしておりません。
  134. 笹木竜三

    笹木分科員 先ほど専門家を置くというふうに官房長官が言われました。国土庁の方でも、災害対策ということで、自然災害だけじゃなくて事故災害についても、これから防災計画を基本計画に入れていくというふうに聞いておりますけれども、この事故災害に対する専門家、こういったものも含めて今検討されているのかどうか、お答えいただきたいと思います。
  135. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 技術的な者、それは各省庁に縦割りで入っていてよろしいと私は思うのです。ただ、私は、総体的な判断能力を持つ専門的な人間というのは、ある意味で、それを専門のパートにして絶えず研究開発をする者、これは必ずしも技術者だとか専門的な知識ということよりも、諸外国の例や今起きているそういうものを専門的に分析できる常置的な機関、人間を置くということをまず第一義で考え、それ以降に専門的な知識と能力を持つ人間を置かなければならないということは当たり前のことでありますが、それを束ねてどこがやるか。  その専門的な人間、専任的な人間を置かなければ、私の責任だと言われましても、私自身の任にあらざることを自分で痛感いたしますので、どうかそういう人間が見つかって、なおかつ内閣で強力な指揮ができるような体制をつくり上げたい、このように考えます。
  136. 笹木竜三

    笹木分科員 もう時間なのですけれども、最後に一つだけ。  補償問題で各自治体あるいは団体が非常に不安を持っているわけです。基金の上限が二百二十五億円、これより多分上回ると言われている。仮に足りなかった場合には一もう単純に各団体も自治体も、例えば六〇%ずつ配っていくという形になると言われている。これに非常に不安を持っているわけですけれども、補償とかその交渉について、調整をもっとしっかりと果たしていく、窓口一本化を行っていくつもりは相変わらずないのかどうか、そのことだけ最後にお答えいただきたいと思います。
  137. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 既に相談体制は確立いたしております。それから、今でも窓口はちゃんと設定されておりますが、一本化ができるかどうかということになりますと、それぞれの、例えば漁業団体は、今までにもそういう知見があるから私のところは私でいたしますよ、しかしお互いに連絡調整はいたしましょうということがなされておりますので、これからも地方公共団体が一本になってやる。それから、観光団体と言っていいのかどうか、民宿やホテルやその他の人たちのあれをどういうふうに、これはまだ集約されておりません。それから国は、自衛隊とか海上保安庁だとかはそれぞれがやれる体制がありますからそうなっております。一元化は大切でありますが、いずれにしても民事の問題であります。  しかし、今ここで截然と申し上げるわけにはまいりませんが、足らざるところをどうするかということになりますと、画一全部ということに必ずしも当たらない。民間を優先することは当たり前でありますし、官庁といえども税金によって賄われているものでありますから、必ずしもその返事をすることが適当ではない。  私は、自衛隊は初めからただだと言っているから、冗談じゃない、自衛隊といえどもこれが上限に達しなかったときにどうするのだ、当然請求権があるものを初めから放棄してはいけないということで、請求する方向で今検討させておりますが、それぞれがどの分野でやるかということになれば、私は、公共体は民間にまさるものではない、民間を最優先する。  その後の配分をどうするか、足りなかったときどうするかというのは、民事の問題もありますからはっきり申し上げることはいかがかとは思いますが、それ相応の覚悟をしてやらなければならない、このように考えております。
  138. 笹木竜三

    笹木分科員 質問を終わります。
  139. 臼井日出男

    臼井主査 これにて笹木竜三君の質疑は終了いたしました。  以上をもちまして内閣についての質疑は終了いたしました。     —————————————
  140. 臼井日出男

    臼井主査 次に、総理本府について質疑の申し出がありますので、順次これを許します。池坊保子君。
  141. 池坊保子

    池坊分科員 新進党の池坊保子でございます。  数多くの文化を温存し、長い歴史を有しております京都の活性化だけでなく、我が国のすぐれた文化を世界に紹介し、国際親善と国際理解を深めていくための和風京都迎賓館について伺いたいと思います。  平成九年度、三億五千九百万が計上され、引き続き基本計画が進められておりますけれども、今後の計画並びに完成予定について簡単に伺いたいと思います。
  142. 安藤昌弘

    ○安藤政府委員 お答え申し上げます。  現在の状況及び今後のスケジュールでございますが、先生御承知のとおり、この建設につきまして、平成六年に「迎賓施設の建設について」という閣議了解が行われ、これを踏まえて進めておるわけでございます。平成八年度は、建設省におきまして設計者を選定し、現在、基本設計に着手しているところでございます。  また、今後のスケジュールといたしましては、基本設計、実施設計に必要な期間として三年程度、建設工事に必要な期間としてやはり三年程度を見込んでおるところでございます。  ただし、建設工事に入る前に埋蔵文化財調査を実施する必要がございまして、調査の進捗状況によりましては全体のスケジュール調整の必要があるもの、このように考えているところでございます。
  143. 池坊保子

    池坊分科員 続いて、建設に係る費用は総額で幾らぐらいと試算されていらっしゃるのでしょうか。それと、その財源はどこから出そうと思っていらっしゃるのか、それをちょっと伺いたいと思います。
  144. 安藤昌弘

    ○安藤政府委員 お答え申し上げます。  建設費の概要でございますけれども、この建設費につきましては、現在、基本設計、実施設計をやっておるところでございまして、これによりまして所要経費を積み上げていく必要がございますので、大変恐縮でございますが、現段階では確定的なことは申し上げられないところでございます。  それから、費用についてはどうかということでございますけれども、基本的には、国の施設ということで国として所要の建設費を措置することにしておるところでございます。
  145. 池坊保子

    池坊分科員 どうせつくられるならば、ちゃちなものではなくて、奈良の正倉院とか桂離宮のような、数百年たっても後世に残っていき、そして世界に誇れるような、ザ・ジャパンと言われるような、日本を象徴するようなものを、官房長官、ぜひつくっていただきたいと思います。  そのために、今、国の施設と言っていただきましたので、国の財源をぜひ確保していただきたいと思います。東京都は東京都の財源で東京国際交流財団というのをおつくりになりました。これは、新宿の新都庁舎よりも八十億円も高い千六百五十億円と伺っております、それは東京都の財源ですけれども。京都は財源がございませんけれども、ホテルの業界で調べましただけでも、一年間に宿泊する外国人が大体三十万人おります。ですから、日本の京都というよりも世界の人たちがたくさん来る京都、京都が舞台になると思いますので、ぜひそういう観点から御考慮いただきたいと思うのです。  私は、やはり京都という地域社会のためだけでなくて、我が国が誇れる伝統や文化を持っているということは、これからの国際社会の中で大変に重要なことではないかと思います。そういうものを持たなければ、エコノミックアニマルというだけで敬意を払ってもらえる時代ではもうないと思います。エコノミックアニマルという日本人のイメージを払拭するためにも、この迎賓館をおつくりいただくことは二十一世紀の国益の源になるのではないかと思いますけれども、官房長官の御意見を伺いたいと思います。
  146. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 私たちも子供の時代から、京都とか奈良というのは大変あこがれの地域でございます。私は関東の茨城でございますから、京都やその周辺に、長い日本の歴史とか伝統とか文化、これが集積されてあるということは、国民にとっても大変あこがれのものでございます。  ですから、今お話がありましたように、この歴史とか文化というものを象徴とした国際的な広がりを持つ京都でございますから、それにふさわしい迎賓館ができることが望ましい。また、そういうものは、ちゃちなものではないという表現がいいかどうかわかりませんが、やはり世界に誇れるような、日本の伝統、文化、和風建築の粋を集めたもので、なおかつ後世に残るもの、しかも国際的に評価されるもの、こういうものをつくることは何よりも大切だという思いが私はいたしますので、こういうものに対する財源措置というのは長い歴史を考え措置さるべきもの、このように私は考えます。
  147. 池坊保子

    池坊分科員 京都は官房長官も大好きだと言っていただいて、今のお言葉は大変力強く受けとめました。きっとすばらしいものをつくるという約束をしていただいたというふうにとらせていただきます。  先ほど建設置要がまだわかっていないということでございましたので、維持管理はどこが担当するかというような試案もないのでございましょうか。例えば、国が直轄するのか、府と市が共同でやるのか、あるいは第三セクターでするのか、あるいは近畿運営協議会などをつくってそこでやるのか、ちょっとそういう試案がおありになるかどうか、伺いたいと思います。
  148. 安藤昌弘

    ○安藤政府委員 お答え申し上げます。  管理運営についてでございますけれども、ただいまも御質問ございましたように、迎賓施設そのものは海外からの賓客の接遇を行う国の施設として建設されるものでございますので、賓客の安全確保、機密保持を重視することは当然のことでございますけれども、この支障のない範囲におきまして、効率的な管理運営及び関西圏の活性化、国際化に資する使用への対応も十分考えていきたい、このように考えております。  いずれにいたしましても、その具体的な管理運営のあり方につきましては、今後、施設計画の進捗状況等を踏まえまして関係者の間で検討を進めてまいりたい、かように考えておりますので、よろしくお願い申し上げます。
  149. 池坊保子

    池坊分科員 せっかくでございますので、ちょっと私の提言をさせていただきたいと思います。  私、赤坂離宮の前の小学校に六年通っておりました。それで、子供心に大変きれいな建物だなと思いましたことと、開かれたことが一度もございませんのを見て、もったいないな、衛士だけが立っていて、というのが鮮明に心に残っております。ちなみに、離宮の五年間の利用回数を調べましたところ、平成三年度は十二回、四年度は十七回、五年度は十五回、そして六年度、七年度、八年度は七回でございます。従業員が四十六人いらして、建物の管理費だけで一億でございます。  それを考えますと、私は、今度つくられます和風迎賓館は、警備の問題等があるとは思いますけれども、ぜひとも国民の財産の視点に立って一般公開をしていただきたい、それをお願いしたいと思うのです。御所は春と秋に年二回公開をしております。そして、五日から十日間の一般公開でございますが、その間に一日に約三万から三万五千人の方が来ていられるのです。  ですから、警備の関係からもいろいろあるとは思いますけれども、御参考までに申し上げますと、英国において日本の迎賓館に当たります機能を果たすバッキンガムは、ウインザー城の火災費用捻出のために八月から一カ月公開をいたしております。そして、四年間に一千五百万人以上の人が来て、二十二億六百六十万の収益を得ております。英国でこれだけの収益は、日本だったらもっと大きくなるのではないかと思っております。またドイツは、テータスベルクという建物で、通常はホテルとして使っておりまして、国賓が来たときだけ建物をブロックして使っておりますし、フランスにございますエリゼ宮殿は、御存じのようにシラク大統領の執務室になっております。  ですから、このような外国のいろいろな例も参考になさって、一般の人たち、国民と密着したものにしたら、より有効的ですばらしいものになっていくのではないかと思います。  それともう一点、外国の方がいらっしゃいますと、東京にいらしても、日本の顔が見えない、何か日本は小さいニューヨーク、リトルニューヨークでしょうか、そういう印象を持ってお帰りになります。  それで、私が先ほど申し上げましたことと関連いたしますけれども日本はすばらしい工芸技術を持っている、芸術文化を持っている。国賓の方などは、生け花をごらんになった後、御自分がなさったりするのに大変興味をお示しになります。ですから、生活の場でじかに日本の文化に触れられる、そういうものもあわせてつくっていただきたいと思うのです。例えば機織りの機械があって実演を見られるとか、それからお能が見られる、あるいは意匠を凝らした大きな掘りごたつの大会議場がある、そういうようなものを私は描いておりますけれども、官房長官はいかがお思いでございますか。
  150. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 私、池坊さんのような文化的な素養も、それから年代的な違いもございまして、そこまでに思いをいたすことはできなくております。しかし、美しいものは美しいし、それから、なるたけ伝えたいものは残して伝えていかなければならないという思いは強うございます。  しかし、どちらかというと、私たちの日本というのは、内向的な民族というか内向的な文化というか、そういうものに深い思いを抱いております。ですから、例えばあなたが研究をされているいろいろな芸術、そういうものも、日本はわびとかさびとか、そしてどちらかというと表にきらびやかでない手法をとりがちであります。私は、そのことを大変いいことだと思っております。  しかし、今の世相というか、国際社会に生きる意味では、もうちょっと開放的で大胆な手法も必要だということもわかりますが、私は、これから人類が生きていくためには、もうちょっと内向的というかつつましさというか、自然の最小限度のものを受けて我々が生きているという、そういう生活態度、人生観ないしは社会観を持たなければいずれの日か行き詰まってしまう、そういう思いがいたします。何千年と伝えてきた日本のそういう内なる文化を私たちは大切にすることによって、むしろ世界のためになる。大変保守的な考え方かもしれませんが、私はそういう一生を送ってまいりましたし、これからも送りたい、このように考えます。
  151. 池坊保子

    池坊分科員 官房長官の大変文化的な素養あるお話を伺って、大変頼もしく思いました。  伝統というのは、古いのではなくて、時代とともに変化し、変革を遂げてきたから今日まであるので、わび、さびだけでなく、大胆な手法もまたあわせ持っているのではないかと存じます。  次に、京都御所というのは京都の中心地でございまして、その御所を中心にして、北に行くことを上がる、南に行くことを下がると申しますほど、中心的な市民公園の場も呈しております。それで、グラウンドの代替地というのをお考えになっていらっしゃるのか、その確保はどうなっているかをちょっと伺いたいと思います。
  152. 斉藤照夫

    ○斉藤説明員 御説明申し上げます。  先生指摘のように、国民公園の京都御苑の中に迎賓施設がグラウンドの上に建設されるということに伴いまして、当グラウンドは閉鎖されるということになるわけでございますが、国民公園としての機能低下を招かないように、他の既存の運動広場、これを拡充整備するという方向で代替機能を確保していきたいな、こう考えておりまして、現在検討しているところでございます。
  153. 池坊保子

    池坊分科員 ぜひ地元との協議の場をたくさん持っていただきたいと思います。そして京都市民は、情報を公開してほしい、何が今一体どうなっているのかわからないということを大変不安に思っておりますので、これからもぜひいろいろな情報、建設の予定の順序とかいろいろなことを情報公開していただきたいと思います。  続いて、官房長官ちょっといらっしゃらなくなったので、オリンピックもお願いしようかと思いましたが、それではちょっと後にいたします。  東京一極集中から地方分権への移行ということで、関西圏にとりまして大変期待されております国立国会図書館関西館の建設促進について伺いたいと思います。  八年十一月に基本計画に着手されましたけれども、東京の国立図書館との連携並びに今後の建設予定、それから特徴、どういう特徴をもっておつくりになるのか、それをちょっと伺いたいと思います。
  154. 緒方信一郎

    ○緒方国立国会図書館長 ただいまお話のございました国立国会図書館の関西館、仮称でございますけれども、につきましては、平成七年度に初めて国の事業化の予算が計上されまして、ただいま基本設計に着手をいたしております。これは、国際コンペを実施いたしまして、日本の方が当選をされました。昨年その当選作が決まりまして、直ちに基本設計に着手いたしております。ことしの十二月ぐらいから実施設計に入りまして、平成十年度末には工事に着手をしたい、いわゆるくわ入れをしたいという目途で進めております。完成をいたしますのは二〇〇二年、すなわち平成十四年ということで、現在計画を鋭意進めておるところでございます。  何のためにつくるかということでございますけれども、一つは、東京館の図書がこれから毎年大変ふえてくるということで、図書の収蔵スペースというものが足りなくなってくる、これを確保する必要があるということが一つでございます。  しかしながら、もう一つさらに大きな意味といたしましては、これからの高度情報社会というものに適応いたしました新しい図書館サービスを展開する拠点として建設をしたいということで進めておるわけでございまして、関西館が開館いたしました暁には東京本館と一体として一つの図書館のごとくに運営をするということで、関西館といたしましては、先ほど申し上げました適正な規模の書庫を持ちまして図書館資料を保存するということがまず第一でございますけれども、同時に、新しいサービスといたしまして、いわゆるドキュメントサプライというように申しておりますけれども、文献及び文献情報に関する提供というようなことを行く行くは通信回線を利用して行っていくというようなことを目指しておるわけでございます。  それから、近畿地方がアジアの窓口であるというようなことにも着目いたしまして、アジア関係の情報の国際流通の拠点にもしていきたい、あるいは内外の図書館協力の拠点にしていきたい、このような新しい二十一世紀型の図書館というようなものを目指しまして建設をしておるというところでございます。  場所は関西文化学術研究都市の精華・西木津地区ということで、行政区域としましては京都府の精華町に位置するということに相なるわけでございます。
  155. 池坊保子

    池坊分科員 私、国会図書館の手法をちょっと変えて、発想を変えていただきたいと思うのです。  もちろんこの国立国会図書館関西館はいいのですけれども、それとは別に、アカデミックな、研究者を主体とした専門的な大きな器がある図書館とともに、これからコンビニ的な図書館をたくさんいろいろなところにつくっていただきたい。つまり、図書館というのは、割と時間に制約のございますサラリーマンが余り利用できない。それから、足の不自由なお年寄りなんかはそこまで行くことができない、探すのも大変だ。今、コンビニエンスストアというのは中高年に大変に利用が多いです。手軽でいつでもどこでもという感じです。私は、図書館もこうなっていただきたいと思うのです。  ですから、大きな器の図書館もあるけれども、小さな図書館がいろいろなところにできて、あるいは通勤の延長線上にある、そういう姿も好ましいのではないかと思っております。あるいは自宅でインターネットを使って同時に本が読める電子図書館、こういうようなものも考えていただきたいと思います。  先ほど官房長官がいらっしゃいませんでしたのでお願いいたしませんでしたけれども、二〇〇八年に大阪でオリンピックを開催することを希望しております。この機会に日本のイメージを高めるために、官房長官、ぜひ大阪にオリンピックを誘致し、そして立派な迎賓館をつくっていただきたいと思います。一極集中から地方分権の理念にふさわしいのではないかと思いますので、関西圏のこともお忘れにならないでいただきたいと思います。よろしいでしょうか、ちょっと伺いたいと思います。そのような希望が関西には多うございますけれども、官房長官はどのような御意見をお持ちでございますか。
  156. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 勉強させていただきます。
  157. 池坊保子

    池坊分科員 勉強してくださるのは、きっと関西に誘致しようと思っていらっしゃることだと都合よく解釈させていただきます。  夢のある建設的な議題から現実に戻り、二月二十五日に第三回ナホトカ号流出油災害対策閣僚会議が行われました。官房長官より記者会見がございましたことを踏まえて、御見解を伺いたいと思います。  先ほど笹木先生からもいろいろなお話が出ておりましたけれども、私が一番伺いたいのは、事故を起こした当事者のロシア政府との交渉はどうなっているのか、補償はどうなっているのか。国民といたしますと、ロシア政府の補償あるいは対応が余り見えてまいりません。それについて伺いたいと思います。
  158. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 実は私も、ロシア政府のかかわり方が少ないんではないかというか、ほとんどないに等しいんではないかということで、大変憤慨をした一人でもあります。しかし、よくこの問題を掘り下げてまいりますと、あくまでも船主と被害者のいわば民事問題に到達をいたしてしまいます。  例えばの話でありますが、私たちの日本の船がナホトカの沖で座礁し、油が出たときに、恐らく日本だったらば、もっと日本の船が責任者という思いも込めて油の回収に行ったであろう、それから国民的な義援金も募ってお見舞いもしたであろう、あるいは日本国政府の名において何らかのことをするであろう、こういうことを私たちはつい考えがちであります。国情が違い、あるいは国の財政事情が違う、あるいは地方と中央のあり方が違う、それぞれの理由はあるのかもしれませんが、今政府は懸命にロシア政府に向かって、対応の仕方、そういうものを外務省を通じて行っていることも現実でありますが、私たちの常識からいうと若干違うという点もございます。  しかし、それは、あと外務省の担当の方から今までの経緯については御説明を申し上げますけれども、あくまでもこの対応は民事的なもので対応せざるを得ないという現実も、ぜひ御理解をいただかなければなりません。そして、日本の政府がこの問題の被害に対してどう対応できるか。これがむしろ一義的な措置になってしまうのではないのかなという気すら私はいたすわけであります。残余は、政府委員から説明させます。
  159. 池坊保子

    池坊分科員 時間がございませんので結構でございますが、民事でしか対応できないということに何か私どもはちょっと不服が出るのでございます。日本国政府としてはやはりきちんとロシア政府に交渉をして、国民にそれを知らせてほしい、でないと国民は安心できないという気がいたします。  それから、IOPC基金の補償金の上限は二百二十五億で、六〇%の百三十五億が暫定補償として出るということでございます。そうすると、百七十八億かかったということでございますので、その差額は四十三億になりますけれども、それは今後IOPC基金と交渉をなさるのでしょうか。それも伺いたいと思います。
  160. 梅田春実

    ○梅田説明員 先生指摘のとおり、基金の上限は二百二十五億でございます。現在のところの被害見積もりは約百七十八億でございます。先生指摘の百三十という数字は、基金は全額の上限は決まっておりますけれども、一遍に払うのではなくて、仮払いという形で示談額の六〇%を払ってまいります。したがいまして、徐々に払ってまいりまして、被害額が超えるか超えないかというようなことにはなりますけれども、今のような状況であれば、基金側の見方としては二百二十五億の中におさまるのではないかというふうに私ども聞いております。
  161. 池坊保子

    池坊分科員 先ほど官房長官が、内閣は安全と財産を守るのだと言ってくださいましたが、私は、大変日本は危機管理体制ができていないのではないかと思います。阪神・淡路大震災のときにもそれが言われていたにもかかわらず、縦割りの行政が迅速な処理をおくらせたのではないかと思っております。  第八管区海上保安本部がございます舞鶴市議会が、大型油回収船の配備など抜本的な対策を求める意見書を国に送りました。七年前に丹後半島では同じような流出事故があり、市議会と京都府知事が強く要望したにもかかわらず、これは無視されたという前歴がございます。それからまた、二十六年前のリベリア船籍のタンカー・ジュリアナの原油流出事故も同じように起こっております。  そして、そのときに、アメリカでは波の高さが十メートルでも有効なオイルフェンスがあるとか、フランスでは一時間に二千トンも吸い上げる油回収船があるなどと指摘され、今と同じような行政の対策の手ぬるさが批判されてまいりました。そして、それに対して国は、オイルフェンスで囲い閉じ込め回収するという原則に戻ってきちんと対応するというようなことを翌年にちゃんと表明しておきながら、長官の名前で出されておりながら、今また同じことを行っております。  ペルー事件で頭がいっぱいだという総理のお言葉がございました。そういう報道もなされて、国民といたしましては、これからいろいろな問題が起きたときに日本は一体どうなっていくのか。朝鮮半島問題だとか、あるいはこのごろちょっと地震も起きております。また地震が起きるかもしれない、あるいは難民がたくさんやってくる、そういうような事態に対して、危機管理体制の強化ということが叫ばれながら、起きるといつもその場しのぎの対策ということになってしまいますけれども、これをおできになるのは官房長官だけだと思いますけれども、どのように指導あるいは計画を持っていらっしゃるのかを伺いたいと思います。
  162. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 危機対応は、全国民あるいは全官庁、全内閣を挙げての仕事でございます。私一人の力などでできるものではございませんが、政府はこの問題を第一義的な任務と考えて全力を尽くしております。  国民の皆さん方にも私はぜひお知りを願いたいのは、万全ではないけれども最善を尽くしている、若干のでごへごがあるとしても、大概の問題は処理できる能力を日本は持っているということだけは信じていただいて、それぞれが全力を注ぐ。  そしてもう一つ、小さい災害というか、災害というのは住民に身近な問題でありますから、一義的には地方自治体、市町村、都道府県、そして、できないものは集合体を組み、あるいは国にそういう要請の段取りを考えることが一番大切であります。  ともすると、何かあれば国がやるものだという考え方は、これはむしろ地方自治を無視するやり方になってしまいます。身近な問題は我々に任せろと言いながら、実は災害も身近な問題なのであります。その問題の最初の対応は、実は地方自治体が発信をしてもらわないとなかなか対応が難しいという点があります。しかし、大規模なものはまさに国の責任においてなさなければならない、このように考えます。
  163. 池坊保子

    池坊分科員 地方自治体と国との連携というのは大変大切だと存じます。ただ、地方自治体は、今度の重油流出問題に関しましても、それぞれ一生懸命尽力をしたと思います。地方自治体の協力なくして、この流出の排除はできなかったと私は思っております。  それからまた、国に要請がございましたときには、縦割りでどうするかこうするかというのではなくて、横の連携をとって速やかに、例えば自衛隊を派遣するとか、これはまさしく国の問題だと思いますので、やはり国が災害を大きく防ぐ原動力を持っていらっしゃると思いますので、その辺は重ねてお願いして、質問を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  164. 臼井日出男

    臼井主査 これにて池坊保子君の質疑は終了いたしました。  次に、相沢英之君。
  165. 相沢英之

    相沢分科員 私は、ソ連抑留の経験者の一人として、また団体のお世話を長年にわたって申し上げている者の一人として、抑留問題について二、三御質問もし、また御意見も承りたい、このように思うのでございます。  昭和二十年八月九日に、ソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、満州、北鮮、樺太、千島に侵入し、そしてまた八月十五日、終戦後にも、ポツダム宣言に違反して、当然日本に送還すべき多くの軍人軍属、一部在留邦人を、シベリア奥深く運んで強制労働に服せしめた結果、約六十万人という抑留者の一割も死亡するという大変悲惨なことが起こったわけであります。  戦争において一割の戦死者が出るというのは大変な激戦地でございます。戦後、しかも抑留中にそういう事実が起こったということは、あの極寒の地に、また酷悪な待遇のもとに、いかに多くの者が抑留されたかということを示しているのではないかと思います。栄養失調、TBあるいは発疹チフス等で倒れた者がその大部分であります。  そこで、我々は抑留者に対する補償を求めて運動を起こして、今日に至っているわけでございます。国内的には既に、銀杯、書状また一人十万円の慰労金を支給するという措置で、いわゆる慰藉事業というものは終わった形になっておりますけれども、なお幾つかの問題が残っているのであります。  順番が不同でありますけれども、その一つは、千島、樺太に抑留された者が何ら慰藉事業の対象になっていない、ぜひこれを加えてもらいたい。千島、樺太には、いわゆるソ連と同じ収容所ではありませんでしたけれども、同じような境遇のもとで、作業大隊等において働かされた人たちが一万五千人もいるわけであります。それを慰藉事業の対象にしてもらいたいということ。  それからもう一つ、恩給加算の問題であります。戦時中に、戦地の区分によりまして、あるいは戦務の区分によりまして、一月の勤務に対して一カ月ないし三カ月の追加があったことは御案内のとおりでありますが、ソ連抑留者に対しては一月に対して一月というのにとどまっておりまして、南方あるいは中国等における抑留者と全く同じ処遇になっているわけであります。先ほど申し上げましたように、極めて悪条件のもとにおける抑留でありますから、当然一月ではなくて二月ないし三月の加算にしてもらいたいという要望を掲げて今日に至っているわけであります。  この二点につきまして我々も今まで要求を続けてまいりましたが、いずれも現状においては考えられないという返事をいただいておりますが、改めて、この二点について政府の御意見を承りたいと思います。
  166. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 具体的なことは政府委員からお答えをさせますが、私も、昭和二十年の八月は、旧満州のノモンハン近くの飛行場で飛行訓練を行って、幸いに暮れに帰ることができた人間であります。そして、私の仲間は、ソ連に抑留された者もございます。  過日、私のうちに知り合いの者が銀杯と勲記を持って参りまして、大変涙を流して、私の生きてきたことのあかしがここに初めてできた、孫子の代に伝えられると言って、涙を流して喜んでいる。  私自身も若いつもりをしているのですが、そういう体験をした者が、もうほとんど亡くなりつつあります。私は、どんなことがあっても、こういう人たちの労苦を金銭で買うのではなくて、あかしを残してあげたい。この思いは、私は、相沢委員とまさるとも劣らない思いがいたします。これからも、私も全力を尽くしてまいりたいと思います。
  167. 安藤昌弘

    ○安藤政府委員 お答え申し上げます。  先ほど先生の御質問にございました抑留者の方々に対する件でございますけれども先生の御質問にもございましたように、戦後強制抑留者に対します慰労品の事業を現在行っておるわけでございますけれども、この点につきましては、旧ソ連及びモンゴル人民共和国の地域に強制抑留された方々を対象に行ってきておるところでございます。これは、戦争が終了したにもかかわらず、異郷の地に連れていかれ、厳寒かつ食糧不足等の大変厳しい状況のもとで、強制的に労働させられたという特別な事情を考慮したものでございます。  先生指摘のございました千島、南樺太についてでございますけれども、強制的にソ連軍の使役に従事させられたという事実は承知しておるわけでございますが、これらの地域につきましては、戦前はもともと日本の領土であり、日本人も多数居住し、抑留後の状況も旧ソ連等の地域とは異なるために、これらの地域に抑留された方に、いわゆるシベリア抑留者の方と同様の措置をとることは困難であるということを御理解賜りたいということでございます。  なお、先生お話にございました、千島、南樺太での作業大隊に編入されて、当地において数年にわたり強制労働に服したような方々につきましては、先生も御承知のとおりだと思いますけれども、基金法の戦後強制抑留者には該当しないものの、基金の恩給欠格者慰藉事業の外地等勤務、加算三年以上あるいは実役一年以上に該当する方につきましては、先生御案内のとおり、内閣総理大臣の書状、銀杯の対象にしているところでございます。よろしくどうぞお願い申し上げます。  恩給につきましては、別途お答えをいたします。
  168. 須江雅彦

    ○須江説明員 お答え申し上げます。  恩給の抑留加算の制度は、戦後の抑留という事態を踏まえまして、種々検討の上、昭和四十年に設けられたものでございます。先生御案内のとおり、この戦後の抑留期間は公務員としての勤務期間そのものではなかったわけでございますが、それにしましても、その勤務の延長とも見られる特殊な期間でございまして、先生指摘のとおり、その間、悪条件のもとで非常に御苦労をされたという事情がございますので、特例的な措置として、この抑留の期間を加算年の対象にしたという次第でございます。  その加算率につきましては、類似の辺陬・不健康地加算の加算率が一月につき最高三分の二月であったということなどを考慮の上、抑留期間の一月につき一月の加算率としたものでございまして、いわばかなり高い配慮がなされた結果であると承知しておりまして、恩給制度上できる限りの措置である、このように考えている次第でございます。したがいまして、今日の時点でこの見直しを行うことは極めて困難であるというふうに考えているところでございます。
  169. 相沢英之

    相沢分科員 今事務当局の答弁は、それはもう前からそういうことをお聞きしているにすぎないのでありまして、それでは我々は満足できないからということでこの運動を続けているわけでありまして、またこれにつきましては、具体的には議員立法等のことを考えていかなければならないというふうに思っております。  そしてもう一つ、ソ連に対する補償要求の問題でございます。  これは、一九五六年、昭和三十一年のいわゆる日ソ共同宣言の第六項に「ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、千九百四十五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。」こういういわば請求権の放棄の条項があるので、日本国としては、ソビエト社会主義共和国、今のロシア政府に対しても、その補償要求をすることは無理だという解釈だと聞いております。  ただ、抑留者個々がその相手国、ロシアに対して請求をする権利は存しているというのが、外務省の正式解釈であるというふうに聞いておりますが、この点について答弁をお願いいたします。
  170. 東郷和彦

    ○東郷説明員 お答え申し上げます。  まさに先生指摘のように、国といたしましては、この日ソ共同宣言六項第二段落によりまして、すべての請求権を放棄している次第でございますが、このことは、個人としての請求が行われることを妨げるという趣旨ではございません。
  171. 相沢英之

    相沢分科員 そのようなことで、我々としては、旧ソ連邦、今のロシア共和国を相手にしてその請求をするということになりますが、ただ、個々の問題で個々の抑留者が請求をしても、なかなか、実際問題として、その交渉がうまくいくわけはございませんし、この共同宣言は共同宣言として、いずれ平和条約が結ばれるということも当然あるわけでありますから、私どもはそのことも考慮に入れて、やはり個々の請求権が現実の問題として実現するような努力外務省当局においてもぜひお願いしたい、このように考えているのでございます。この点について、重ねて御意見を承りたいと思います。
  172. 東郷和彦

    ○東郷説明員 お答え申し上げます。  繰り返しになって恐縮でございますが、日ソ共同宣言六項第二段落は「日ソ両国は、千九百四十五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。」というふうに規定しているわけでございます。  一般的に申し上げれば、国家は、自国民が外国の国際法違反行為によって損害をこうむった場合、本国が、被害者である自国民について生じた損害に関し救済が与えられるよう相手国に要求することができる、いわゆる外交保護権を有しておるわけでございますが、我が国は、今申し上げました共同宣言六項第二段落の「国民の請求権を、相互に、放棄する。」という部分によりまして、この外交保護権が放棄されているということでございます。
  173. 相沢英之

    相沢分科員 いや、それはわかっているのですよ。それはわかっているのですが、私が申し上げた前提があるのでして、要するに、これはあくまでも日ソ共同宣言なのでして、平和条約が締結されているわけではない。共同宣言どおりの平和条約になるかどうかということはこれからの問題だから、その点については、これはぜひひとつその際にはお考えおき願いたい、こういうことで申し上げているのです。答弁は要りませんが、ひとつ重ねてそのことを申し上げておきます。  それからもう一つは、この六万人に及ぶ死者の問題でございます。  約千カ所余りの収容所でそれぞれ亡くなった方が、多いところはもう何百人にも及ぶわけでありますが、その墓ができているところもあるしできていないところもある。私はエラブカというところにおったわけでありますが、これは墓地ができておりまして、おととし私もお参りをしてまいりました。しかし、当時は、一人が亡くなったらその墓地をつくるというような状態ではなくて、恐らくはかの収容所もそうであったと思いますが、冬は凍って穴が掘れませんから、夏の間に掘っていた穴にそれを裸にしてほうり込んでしまう、こういうようなところが多かったわけであります。  その後、戦後しばらく墓参も許されませんでしたが、許されるようになってから、墓地があちこちにできている。その当時つくったのではない、後でつくったものも私は多いのではないかと思いますが、いずれにしましてもそういう状態であり、かつまた墓参が許される範囲も限られているわけであります。  そこで、平成三年度以来遺骨収集が行われておりまして、平成八年度までに五千三百六十三柱の遺骨が収集されているわけでありますが、これは全体の一割にも満たない数であります。既に六年を経過しているわけでありますから、このような状態でいけば、数十年たっても、なかなか全部の遺骨を収集するというわけにはまいらない。  しかも、墓地が既にわからなくなっているところが多いわけでありまして、わずかに、その収容所にかつておった人たちが現地に行って、その記憶をたどって発見することも多いわけであります。そこで、その墓地が掘り返されて、そしてロシア人の墓地になっているところもあるようでありますし、また戦後五十年たっておりますから、既にその上に木も生えて、現在わからなくなっている、あるいは土まんじゅうのようなものが消失をしているというような状態でありまして、遺骨を収集するといっても、なかなか実際問題としてできないところが多いわけであります。  しかも、既に墓地ができておるところについて、では、その墓地におさめられておりますところの遺骨を掘り出して、持って帰るかという問題もあるわけであります。私は、遺骨収集を極力やって、最後の一体まで持って帰るというのが厚生省としてのお考えのようにも聞いておりますが、実際問題として、それは不可能なことですね。そこで、収集して持って帰れるものについては、そのような努力を今後もさらに飛躍的に拡大していただきたい。  と申しますのは、抑留されていた一番若い人も既に七十になんなんとしているわけでありますから、もう十年も十五年もすれば、とても現地に行ってその墓地を訪ねることもできなくなるだろうと思うのです。そこで、これは関係の省にひとつ御検討願いたいのでありますけれども、遺骨収集はひとつ規模を拡大して、できるだけ短期間にやっていただきたいということが一つ。  しかし、それでも、恐らくとても全部の遺骨を持ってまいるわけにまいらぬと思います。そしてまた、既に墓地として整備されているところもあります。そういうところは遺骨を掘り出して持ってくるというのもいかがかと思いますから、そういうようなところ、あるいはまた遺骨が収集できないようなところには、慰霊碑などを建てて、そこに慰霊巡拝をするというようなことを考えていかなければならないと思っておるのであります。  そしてもう一つは、墓地の維持管理であります。  墓地の維持管理については、捕虜収容所に収容されていた者に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定というものが、既に一九九一年四月十八日に東京で結ばれているわけでございますが、この第一条の第四項に「日本人死亡者の埋葬地が適切な状態に保たれるよう努めること。」と書いてありまして、その墓地の維持管理はロシア側が担当することになっているわけであります。  御案内のように、ロシア人の戦死者あるいは病死者で、日本国内、金沢、松山、滋賀、長崎等に墓地がございますが、その維持管理は、それぞれ日本側が、地元の市町村あるいはボランティア等によって行っているわけであります。したがいまして、ロシア領内における日本人死亡者の埋葬地も、当然これはロシア側が維持管理をするというふうに我々は了解をしておるのであります。  ところが、私がおりましたエラブカの埋葬地について申し上げますと、これは既に参議院の板垣議員ほかの方々が何回も墓参員で参っておりますし、私も一昨年参ったのですが、そのエラブカ市と我々のその団体との間で、エラブカ市が責任を持って墓地を維持管理するという取り決めができておったのでありますけれども、市長さんがかわったりなんかすると、そんな約束はないというようなことを言い出す。  そしてまたドイツが、同じように亡くなった人が大勢ありまして、日本人墓地の隣にドイツ人の将兵の墓地があります。その墓地の維持管理について、ドイツが、ドイツのV・D・Kという団体でありますが、そのV・D・Kが、エラブカのラフィア社という維持管理をしているところがありますが、それとの間に協定を結んで、そして維持管理費をV・D・Kが出しているわけであります。  そこで、エラブカ市としましては、ドイツの方がそういうことをやってくれているのだから、日本側も維持費を出してくれたらいいじゃないかということで、なかなか話が進まない。我々は、エラブカ市との約束があるから、それはそちらの方で維持管理をしてもらうことになっているということで押し問答になっていますが、らちが明きませんので、抑留者に呼びかけて、何がしかの金を集めてラフィア社に送って、墓地の清掃等をしてもらうということにしているわけであります。これは一つの例で申し上げたのですけれども、私は、ほかも同じような状況があると思います。  したがいまして、先ほど申し上げましたように、すべての遺骨をこちら側に持って帰ってくるというようなことが事実上不可能であり、また、埋葬地に慰霊碑を建てて、そこで一応遺骨収集ということにはしないでするということも方法でありますから、いずれにしましても、墓地を維持管理するところの経費について、何らかの形でこれは日本側が考える必要があるのではないかというふうにも思っているわけなのであります。  そこで、私の質問は、また要望は、このソ連抑留者の中で亡くなった方に対して、今後政府としてどういう方針で当たるかということについて、ひとつ一度基本的に、関係省庁で集まって、対策を考えてもらいたいということでございます。この点についての政府側の御意見を承りたいと思います。
  174. 紺矢寛朗

    紺矢説明員 お答え申し上げます。  厚生省といたしましては、ソ連抑留中死亡者の遺骨収集につきまして、当面全力を尽くして実施させていただきたいというふうに考えておりまして、ただいま御審議いただいております九年度予算におきましても三億九千万円と、八年度に比較いたしまして九千万円増の予算の計上をお願いいたしておるところでございます。私どもといたしましては、この実効性を期するため、そして関係者の皆様方の御要望にこたえ、限られた期間に、地元ロシア関係機関の協力を得ながら、可能な限りの遺骨収集を実施させていただきたいというふうに考えているところでございます。     〔主査退席、村上主査代理着席〕  次に、先生からも御指摘のございました、埋葬地の維持管理ということについてでございますが、先生お話ございましたように、現在の二国間協定におきましては、ソ連邦におきまして適切な状態に保持するというふうになっておるわけでございまして、私どもといたしましては、遺骨収集及び墓参に当たりまして、中央政府及び地方各関係政府に対しまして、この規定に基づきまして、埋葬地が破壊されたりほかに転用されることのないよう、引き続き要請していきたいというふうに考えております。  さらに、今後の遺骨収集を含めた慰霊事業の進め方につきましては、先生の御指摘を初め、今後、遺骨収集の実施状況関係の皆様方の御意向などを踏まえながら、さらに検討させていただきたい、このように考えている次第でございます。
  175. 相沢英之

    相沢分科員 いずれまたこの点は関係各省庁とお話し合いをさせていただきたいと思います。  もう一点、数分ございますので、承りたいと思います。  あれは藤波官房長官のころでございましたが、戦後処理問題懇談会というものが開かれまして、ソ連抑留者、恩給欠格者並びに在外の引揚者についての三つの問題を処理するための懇談会が開かれました。  この懇談会は、個々の慰藉事業にかえて、戦後処理の事実を後世に長く記録にとどめる、あるいは記念するという事業を行う、具体的には慰霊碑の建立あるいは記念館の建設あるいは歴史の編さんというようなことになりますが、そのことをお願いし続けて今日に至っており、殊に慰霊碑の建立、記念館の建設については、平成九年度予算についても一千万円を計上していただいているのであります。  ただ、既に先ほど申し上げましたように、戦後五十数年を経過して、その対象としている我々ももう余命幾ばくもなくなってまいりましたから、せっかくその記念館なり慰霊碑の建立を政府としてなすってくださっても、それが早くできなければ意味がない。  そういう意味で、ひとつぜひこの調査を実のあるものにして、そして慰霊碑の建立あるいは記念館の建設を進めていただきたいというふうに思うのでありますが、この点について、官房長官の御答弁をお願いいたしたいと思います。
  176. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 相沢委員お話を聞いておりまして、確かに私自身も、往時ぼうぼうという言葉がありますが、かすかな記憶のかなたに消え去ろうとしているこの問題を、何とか私たちの生存中に具体的な検証なりそういうものが行えるようなことを、どうぞひとつ委員も筆頭に、私も一翼に加わって努力をしたいという気持ちでいっぱいであります。
  177. 相沢英之

    相沢分科員 ひとつよろしくお願いします。  時間になりましたので、終わらせていただきます。ありがとうございました。
  178. 村上誠一郎

    ○村上主査代理 これにて相沢英之君の質疑は終了いたしました。  次に、山原健二郎君。
  179. 山原健二郎

    ○山原分科員 梶山官房長官にお尋ねするのですが、今までも何遍か取り上げられてきた問題でございます。元従軍看護婦の慰労給付金の問題でございます。  実は、ここに本年の一月十日発行の「元従軍看護婦の会宮城支部だより」というのがありまして、その中に、会の本部役員で仙台市にお住まいの方ですが、その方の手記が紹介されています。ちょっと読み上げてみますと、   私たち元日赤従軍看護婦は、軍人同様赤紙一枚で召集、戦地に赴きました。   戦前の赤紙召集とは国家最高機関の絶対的命令でした。私たちは、赤紙召集を受けたときから、死を覚悟で国家のために働くことが何よりの名誉と思っておりました。   このように日赤看護婦教育は軍人に準ずるものでした。   終戦後、軍人とともに捕虜となり、過酷で言語に絶する生活でした。九死に一生を得たのもつかの間、その後強制拘留の身となって、戦後十数年にも及んだ会員もおります。   会員の三分の一は結婚する機会もなく、帰国後思うように就職できず開業医で働き、現在支給されているのは国民年金と慰労給付金のみの方もいます。これで生活ができるでしょうか。   現在、政府は私たちに慰労給付金を支給しておりますが、軍人恩給の三分の一から四分の一です。   青春時代の十数年、軍人と全く同じように国家のためと働いておりました私たちに対して、政府が納得できる処遇をしていただくまで、世論に訴えながら運動を続ける決意です。 こういうふうに述べておりますね。  これはもう幾つも紹介することができるのですが、時間の関係でできませんけれども、もう一人の例を申し上げます。  同じく仙台市の方ですが、年齢は八十歳の方です。この方は戦前、昭和十五年と十八年に二回召集されておりまして、南京、北京と転戦し、上海で捕虜になり、昭和二十二年、日本に帰ってこられました。その後、復員兵の救護に召集された後、開業医で働き、定年後は嘱託で七十歳過ぎまで働いております。  現在、給付金で月額一万一千二百円、厚生年金十二万五千円、家賃九万円で生活しています。電気、ガス、水道も必要ですし、弟さんが隣に住んでいるが、別会計です。結婚していないので、扶養される家族もいない。差し引き月三万円の生活が続いております。聞いてみますと、寒いのにこたつも暖房器具もないそうです。昔、中国でも寒い中で寝たこともある、我慢し、耐えられます、こういうふうに言っておるわけですね。  私は、これで憲法二十五条の保障する健康で文化的な生活を営むことができるであろうかという疑問を持つわけですが、青春を戦争にささげた人たち、平均七十八歳とも言われる日赤、陸海軍の元従軍看護婦の置かれた厳しい現実に対しまして、官房長官よく御承知と思いますけれども、どういうお感じを持たれますか、最初にお聞きしておきたいのです。
  180. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 旧日赤救護看護婦の方や旧陸海軍の従軍看護婦の方は、軍の命令とはいえ、兵役義務のない身で戦地において戦傷病者の看護に当たられました。私も、同年代を生き抜いてきた一人として、この方々の献身的な御努力に心から敬意を表する次第であります。  このような事情を考慮し、これらの方々の長年の御労苦に報いるために、昭和五十三年の八月、六党合意により、加算年を含め十二年以上の方々に慰労給付金を支給することになったと聞いております。この慰労給付金については、今委員指摘のように、確かに恩給との額に二・七倍から四・一倍程度の差があります。政府としましては、この慰労給付金の実質価値の維持を図るため、これまで四回にわたり額の改定を行ってきました。今後とも、慰労給付金の実質価値の維持に努めてまいる所存であります。  経緯はいろいろありましょうけれども、いわゆる慰労給付金としての性格、こういうものを定めておりますので、実質の価値を下げないようにするために、あるいは若干でも伸ばすために、これからも努力をしなければならないという気持ちがいたします。
  181. 山原健二郎

    ○山原分科員 ぜひ、これはよほど腹を決めてやっていただかないと実現しませんから。  例えば慰労給付金が出ているわけですけれども、これは、恩給制度はもとより官吏または旧軍人を対象としたものであって、このような身分を有していなかった者をその対象とすることは困難であるとする政府に対しまして、旧従軍看護婦の皆さん、いわゆる元日赤従軍看護婦さんらの今までの粘り強い運動が実ったわけですね。一遍は実ったわけです。  御承知のように、六党代表者会議が持たれまして、このとき私も当時の総務長官と話をしまして、六党による、六党とは自由民主党、日本社会党、公明党、民社党、そして日本共産党、そして新自由クラブの六党であったわけですが、これが協議をしまして三つの点で合意したわけです。  その三つの点というのは、もう御承知だと思いますけれども、あえてきょうは申し上げておきますが、一つは、「対象者は、陸海軍の命により、日本赤十字社が召集を行い、戦地、事変地において戦時衛生に勤務した看護婦とする。」二番、「恩給制度を準用し、戦地加算を考慮して、兵に準ずる処遇とする。」三番、「その措置については、特例として日本赤十字社において行わしめることとし、その財源はすべて国庫より支出する。」というものですね。  随分苦労した結果これができたわけですが、この主要な部分は「兵に準ずる」ということです。これが当時何遍も何遍も各党の議員によって主張されまして、「兵に準ずる処遇」をするということがこの中の趣旨なんですね。  だから、そういうふうな点から見てみますと、結局やっと計上されたのが五十六年ですが、昭和五十六年度予算に出てくるわけでございますけれども、格差がまた出ているのですね。まだまだ元従軍看護婦の方々から私どものところへ絶えず要請が来るのですが、それは当然のことでございまして、「兵に準ずる」という形になっていないのです。  だから、これをやってもらいたい。これは国会の決議でも一緒ですからね、これは当然の要求だと思うわけですが、ところがそういうふうになっておらない。  この間も日本母親大会がありまして二万人の母親が集まっておりましたが、その中でもこの問題が報告されました。中には、従軍看護婦さんに恩給が出ていないとか、あるいは「兵に準ずる処遇」がなされていないなどということを今の人はもう知らないわけですね。初めて聞くという驚きと同時に、こんなことでは戦後は終わっていないということで、ますます運動が大きくなっているのが今の状態でございます。  だから、私は、政府としてはもっとリアルにつかんでいただきたいと思うのです。いろいろ経過を申し上げますと長くなりますから、申し上げることは差し控えますけれども、いろいろな資料が出ておりますので、ぜひ見ていただきたいと思います。  例えば軍人に準ずる処遇ということ、これはもう一番大事なところでありますが、結局そういうふうになっていないということなんですね。昭和十七年の九月に陸軍大臣の東条英機の名前で日赤社長への救護員派遣命令というのが出ています。それを見ますと、看護婦を陸海軍の規律を守り命令に服する義務というのを負わせて従軍させておったわけですね。  「日赤従軍看護婦—戦場に捧げた青春」という本が出ておりますけれども、それを見ましても、例えば私の県の高知では、家を出る朝、村長さんが来て、「おめでとうございます。女の身で戦地に行かれるのは名誉なことです。お国のために働いてください。」と励ましを受けたわけですね。全く兵と同じように戦場へ行くわけです。しかも、戦場へ行きますと、これは兵よりもより困難な仕事に従事するのが実態です。  私は、この前、代議士をしておりました中川利三郎君の短歌を予算委員会で紹介したことがありますけれども、「つぎつぎと我にぶつかる屍あり髪の長きは看護婦ならむ」というのです。バシー海峡で船が沈没して、そして体に流れついてくる、ぶつかる死体があるのですね。その死体の中  で髪の長いのは看護婦さんであるという歌ですが、まさにこういう形でたくさんの人が命を失っていったわけでございますから、こういうことを考えますと、従軍看護婦に対して処遇を与えることは当然なことであるわけでございます。  もう一回お聞きしますけれども、官房長官、本当に官房長官としてこれに対して誠実に対処してもらいたいと思いますが、もう一回お答えを願います。
  182. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 その六者協議というか六党協議の具体的な中身について、私も詳しくはその当時のことを存じ上げておりませんけれども、いわゆる慰労給付金というのは看護婦の方々の長年の御労苦に報いるために支給をされるもの、それから恩給とは所得の保障を図ることを目的とするもので、それぞれ性格的には、若干の違いというか、本質的な違いというのがあるわけであります。  そういうことから、私は、先ほど申しましたように、実質上の物価指数やその他の上昇率を勘案した改善を今日まで図ってきておるわけでありますが、今委員指摘の「兵に準ずる」ということになれば、本来ならば恩給という中に入れればよかったわけでありますが、その辺の六党の協議がどういうふうに調ったのかどうか、私もこれから勉強をしたいと思います。情緒的には私は、本当に御苦労をなさった方々にお報いをすることは当然だという気が一つはいたします。  前の相沢委員にもお答えをしましたけれども、往時ぼうぼう、既に過去のものを忘れ去って、知らない人が多くなっている時代でもあります。しかし、その御苦労を察しながら我々は思いをいたし、そしてまた冷静にその当時の状況考えながら、あるいは「兵に準ずる」ということは、兵とは違うんだというその立場も、法律解釈からいえばあるのかもしれません。  そういう問題を踏まえて、実質的な御慰労の気持ちをあらわすことをこれからも十分に考えて対処してまいりたい、このように考えます。
  183. 山原健二郎

    ○山原分科員 今お話の中に、軍人恩給にすればよかったという話も出ました。実際そうなんですよね。何でこういう形にしたのかというと、当時の六党の話し合いが、なかなか隘路がありまして、しかも、長い間の運動の結果これが出てきたものですから、その中で完全なものにすることができなかった。その悔しさというのは私たちにもあります。ありますけれども、そういう形でできてきたものがいわゆる今度の制度になっているわけです。  今はどうなっているかといいますと、随分格差が出てまいりまして、平成九年度予算案ではこの格差は四・〇八倍、軍人恩給の方が四倍なんですよ。余りにも格差が大きい。あるいは、慰労給付金の支給が始まった昭和五十四年、十七年前ですか、そのときは格差は一・二倍でしたけれども、それが今だんだん広がるといいますか、四倍になっているわけですね。  平成六年の私の、これでは制度発足の説明と矛盾するのではないかという質問に対しまして、当時は、実質的な価値ができるだけ維持されるようにという答弁があったわけでして、これは、実質的な価値が維持されるという言葉ではわかりません。私はどうもわからないものですからいろいろ調べてみましたけれども、これを今究明するつもりはありませんが、とにかく四倍の差が出てきておる。  これでは、苦労された皆さんは本当に、今もう平均年齢が七十七歳ですから、きょうも傍聴にお見えになっていますからね。本当に、私が今七十七歳ですから、私より皆さん上なんですよ。上の人もおるし下の人もおりますけれども、ほとんどその年齢です。戦争というものを体験した、もう一番の苦労をした人たち、そういう人たちが今こういう状態に置かれているわけでして、これを何とかしなければ、私も議員をやめるわけにいかぬとまで考えているわけですけれども、本当にお考えをいただきたいと思います。  それからもう一つは、アメリカのことを調べてみたのです。アメリカではどうなっているかといいますと、アメリカではやはりちゃんとした処遇をしていますね。いわゆる軍人恩給制度というものができておりまして、それが適用されておりますから、これは非常によい状態ですね。  それだけに、やはり当時は日本の女性に対するべつ視とかいろいろなものがあってこういうことになったのではないかと思いますけれども、戦後を迎えた今日では、これはどうにも改善をしなければならぬと思うわけでございます。  この前熊谷さんが官房長官でしたか、やっておられましたときにも、ちゃんとそういうお答えをしているんですね、処遇をしなければならぬと。兵に準ずる立場で処遇をしなければならぬということが言われているわけでございまして、そういう意味でも、ぜひこれは実現をしてもらいたいというふうに考えるわけでございます。  それからもう一つは、十二年に足らない人の問題ですが、これは、戦地加算年数を含む十二年未満の者は全く除外されておりますね。だから、兵の場合は恩給欠格者においては既に実施されていると聞いておりますが、十二年未満の全員に対してもぜひ相応の措置がなされるようお願いしますというのが今のもう一つの要請なんですね。  十二年未満の方は全く措置されておりません。元陸海軍従軍看護婦の会の方からも、兵の恩給欠格者については書状及び記念品が贈呈されているとのことでありますので、元陸海軍従軍看護婦の慰労給付金未受給者に対しても、同様の措置がなされるようお願いいたしますと、これがもう一つの要望になっておるわけでございます。  これはできるんじゃないですか。これは金額が要るわけでもありませんし、これはやるとすれば可能だろうと思いますが、この点はどうですか。
  184. 榊誠

    ○榊政府委員 お答えいたします。  先生今御質問の加算年を含めまして十二年未満の方に対する処遇の問題でございますが、これについては大変従来から要望があったということもございまして、与党の戦後五十年問題プロジェクトの中においてもいろいろ御議論をいただいたということで承知しております。  しかし、その結果、与党の戦後五十年プロジェクトにおきましては、やはり慰労給付金の額の改定につきましては、実質価値の維持ということから消費者物価指数に準じたものをやるのが適当という判断を出されたわけでございますが、十二年未満の者につきましては、いろいろ他の関係の問題があるということで、結果的には処遇について見送られたということで承知してございます。  この問題につきましては、いろいろ問題があるというふうに私どもとしても認識しているところでございます。
  185. 山原健二郎

    ○山原分科員 議論したんですか、ちょっとわからなかったけれども。何か差し上げることになったんですか。
  186. 榊誠

    ○榊政府委員 いえ、十二年未満の方の何らかの処遇につきましては、同じような軍属の立場の方の問題への波及等もありまして、結果的には見送られたということで聞いておるところでございます。
  187. 山原健二郎

    ○山原分科員 これはなぜ見送られたんですか。見送るとか見送らぬとか、勝手なことを勝手に決められて困るんですね。どうですか。
  188. 榊誠

    ○榊政府委員 お答えいたします。  看護婦の方々の位置づけでございますが、恩給法の中では位置づけがございませんで、戦傷病者戦没者遺族等援護法の中で軍属という形で位置づけられているわけでございます。その軍属の中で、看護婦さん方と同じような状況の方も多数おられたということもございまして、結果的に十二年未満の方に、看護婦さんに限って何らかの処遇をするということになりますと、その人たちの関係もございまして、いろいろ難しい問題があるなということで、結果的に見送られたというふうに承知しておるところでございます。
  189. 山原健二郎

    ○山原分科員 どうも納得いかぬですね、いろいろ文句をつけて見送るとか勝手に決めるというのは。そんなものじゃないでしょう、長い間の苦労に対して本当に報いるという立場をとるのは。  いわゆる六党合意ですね。六党合意というのは「兵に準ずる」と、もう確固たる信念で書いてあるんですよ。この場所です、この場所。予算の第一委員室で決定されたんです。あの、どなたですか、何とか佐近四郎という方が長官でして、そこで決めたんですよ。それをいろいろな文句をつけて、次から次へ要望が聞かれないというような、こんなばかなことはないですよ。  それから、官房長官、もう一つお伺いしますが、昨年の十一月二十六日の参議院の決算委員会で、「慰労給付金が政府の特別の措置であるということを考えますと、看護婦につきましては特別な予算措置でやってもいいんじゃないか」との質問に対しまして、梶山官房長官は、「御趣旨のほどはよく理解ができます。十分に検討させていただきたいと思います。」と述べておられます。これについて、どういうふうな検討をされて、どのような結果が出たのですか。お伺いしておきます。
  190. 榊誠

    ○榊政府委員 お答えいたします。  私どもは、その後、これまでの看護婦の関係のいろいろな経緯あるいは事情、それから、今申し上げました与党の中での戦後五十年問題プロジェクトでの論議の状況、これまでのいろいろな状況につきまして、大臣に御説明いたしたところでございます。  ただ、いずれにいたしましても、先生お話のありましたように、戦後処理問題というのが、いろいろな経緯あるいは積み重ねの中ででき上がっている枠組みというものがあるわけでございまして、その枠組みにつきまして何らかの変更を加えるということになりますと、いろいろ波及する問題がございまして、非常に慎重にこの問題を取り扱わなければならないのではないかというふうに私ども考えておるところでございます。
  191. 山原健二郎

    ○山原分科員 これは官房長官自身がお答えになっておりますから、これについてのお答えを最後にいただきたいと思います。  もう年齢は高齢者ですよね。ほとんど高い御年齢ですから、そういつまでも生命があるというような方でもないのです。まさに戦時中に、あれほど激しい戦争の中にたたき込まれて、戦争に連れていかれて、そして有無を言わせずやらされていた。そしてああいう生涯をしておられるわけですね。だから、これに対して処遇するというのは、もう一刻を争うことなのですね。だから、そういう意味では、本当に今考えなければならぬわけです。  私も、これで質問をやめるつもりはありません。もうきょうはこれでおきますけれども、本当にこの問題は、私は何回でもこれを取り上げて皆さんに質問をしたいと思いますが、官房長官もこの点ではぜひお考えいただいて、これに対する少なくとも前向きの御返事をいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  192. 梶山静六

    ○梶山国務大臣 今委員指摘の、参議院の決算委員会で清水委員からの質問のメモを、今改めて読み直しておりました。慰労給付金は特別な措置で基金で措置するのは難しいという回答を得ている、それならばこれらの看護婦の方々に対して何らか別な措置を講ずるべきではないかという趣旨の質問があったわけであります。  別な措置とは全くどういうものであるか。今ここで委員が言われたように、紙っぺら一枚でもという表現がございましたけれども、一片の書状でもいい、そういう意味であろうかと理解をするわけでありますが、私は当時深く勉強しておりませんで、どういう方法があるかということは実は勉強していなかった。今いみじくも、たとえ書状一片でも、そこに参加をしたというあかしを欲しいというならば、これは当然検討に値することであろう、こういうことで、これからも早急に検討を深めてまいりたい、このように思います。
  193. 山原健二郎

    ○山原分科員 最後になりますが、本当に年齢も年齢ですし、ぜひこれは検討していただきたいと思います。  それからまた、今の情勢をはっきりと勉強していただいて、そしてその結論を出していただきますように心からお願いしまして、私の質問を終わります。ありがとうございました。
  194. 村上誠一郎

    ○村上主査代理 これにて山原健二郎君の質疑は終了いたしました。  以上をもちまして総理本府についての質疑は終了いたしました。
  195. 村上誠一郎

    ○村上主査代理 次に、科学技術庁について質疑の申し出がありますので、これを許します。辻一彦君。
  196. 辻一彦

    ○辻(一)分科員 私は、「もんじゅ」の最終報告書が出されましたので、これについて二、三質問をしたいと思います。  まず、長官、大変無理して出ていただいて恐縮です。体を大事にしてください。  「もんじゅ」の最終報告書が二月二十日に出されて、一応私も説明を受けましたが、確かに技術的な面で温度計等々についてはかなりな解明がされたという点はわかるわけであります。随分といろいろなことが明らかになっておりますが、一番接触をしてはならないナトリウムとコンクリートが、これが間を隔てたライナー、鉄板を通して接触している問題が、なお一つまだ解明されていない感じがします。  その前に、動燃並びに科学技術庁が、フランス等の二十年から先行しておったあの技術を、いろいろな事故を十分教訓として学んで対応しておったかどうか。そういうことの足りなさと、その責任は何ら明らかにされていない、欠落しているように感じますので、このことについて出直しをするならば、やはりこういう問題を全部洗い直して出発するということが大切である、私はこのように思って二、三点をただしたいと思います。  まず第一に、動燃は、スーパーフェニックスの温度計さや管について、一九八六年十二月十日のフランス原子力学会において論文を入手したが、小さなトラブルで注目をせず調査しなかったということです。ところが、スーパーフェニックスの二次系温度計の四十五本のうち、振動の少なかった八本を除いて三十七本を短縮改良して、一九八五年の八月から九月、四十五本の温度計のうち三十七本をかえるということは非常に大きな改造ですが、これをやっているのですね。しかも、流動性の試験によって対策が妥当であったということが確認をされたと言われているのですね。そして、スーパーフェニックスではこの短尺効果、いわゆる温度計を短くした効果が確認をされているのです。  そこで、話は前後しますが、その問題が起きて温度計が交換されたのは一九八五年の八月から九月でしたから十一年前なんですね、あの「もんじゅ」の事故の起きる十一年前。そして、調査団を去年の一月にフランスに送って、こういうことであったということを報告しておるのです。今後の「もんじゅ」の再発防止等の参考になるものであろう、これから検討しなければいかぬと言っておるのですが、これは去年の一月にそんなことを言っておったのでは遅いのであって、十一年前に温度計を四十五本のうち三十七本も短尺化しているこの大きな改造に対して、どう調査をしてどういうふうに確認をしておったのか、これはひとつ動燃の方からお尋ねしたい。
  197. 中野啓昌

    ○中野参考人 先生のお尋ねの件、技術的な問題でございますので、私の方から御説明させていただきます。  フランスのスーパーフェニックス炉でのナトリウム漏えい事例は、これまでの情報によりますと、全体で二十六件ございまして、そのうち、温度計にかかわるものにつきましては三件ばかりございます。大半が、実は二十一件が溶接部からのものでございます。  そこで、先生お尋ねの、一九八五年にフランスのスーパーフェニックスで発生いたしました温度計のトラブルにつきましては、これは、振動に起因する溶接部からのナトリウム漏えいというふうに発表されておりまして、私どももその情報につきましては入手いたしておりました。  なお、「もんじゅ」の設計におきましては、こうした振動を回避するという観点から、流れに直角な振動、振動防止、これに関する評価を十分に行っておりましたために、八六年にそのような情報を得ましたけれども、十分な検討が行われているものという前提でまいったわけでございます。  なお、結果的には、「もんじゅ」の事故原因となりました流れ方向の渦につきましては、当時の設計者に広く知られておりませず、我々の設計審査の留意点として注意を喚起するに至らなかったことは、先生指摘のとおりでございます。
  198. 辻一彦

    ○辻(一)分科員 四十五本もあるスーパーフェニックスの二次系の温度計を三十七本もかえて、しかも、それは長いとだめだというので短くしておるのですよ。それで、今度はこの「もんじゅ」で一番問題になったのは、細長くして二段にしたために起こった、こういうように解釈されているのですね。そうすると、フランスのこのときの、十一年前の体験をもう少し組み入れたらああいう問題が起こらずに済んだのではないか。十一年間、一体何をやっておったのかということですね。それについてはどうなのですか。
  199. 中野啓昌

    ○中野参考人 先生、今、短尺にしているという事実があったではないか、そういうことを十分にきちっと対応したのかという御指摘、御質問かと存じます。  先ほど御説明いたしましたように、短尺にしたといった情報は得ておりまして、それは振動に対する対策というふうに聞いておりました。そこで、私どもの当時の知見といたしましては、流れに直角の方向、いわゆるカルマン渦に対する対応策をきちっとやっておけば、我々の長さ、寸法のものでも十分に耐え得る、このように判断をしたわけでございます。先ほど申し上げましたように、そういう意味では、その際に、流れの方向に対する渦に対しても十分な検討をしておけば、どういう形、あのような短い形にするとかいろいろな改善策はあったろうかと思いますが、確かにその点、十分な留意点がなかったということは、先生指摘のとおりでございます。
  200. 辻一彦

    ○辻(一)分科員 そして、資料としては承知しておったと皆動燃の方は報告書に書いていますね。いますが、実際確認したのは十一年後。これだけの変化があるのなら、もうちょっと早く本格的に調べて対応すれば、もっと違った、仮に事故が起きても違った形になっていただろう。まあ一つ指摘しておきます。  第二に、この二次系のナトリウム漏れ火災に対する設備対応と緊急時運転操作の手順書の改正についてですが、一九八七年三月にスーパーフェニックスにナトリウム漏れがあって、ナトリウム漏れの早期検出、ナトリウム火災対策の設備増強工事を一年半にわたってフランスはやっているのですね。手順書も改正されている。  それは、例えば、動燃自体が去年の三月十一日に出したこの現地を見てきた報告書によれば、この中に、ナトリウム漏えいの早期検出、検出システムの信頼性向上及びナトリウム漏えいに対する建物、設備の健全性確保の観点からの改善のために、一九九二年から一九九四年にかけての約十八カ月間に設備増強工事が行われた。設備増強工事の実施については一九九二年の原子力施設安全局の報告によって内容を把握していたが、実際の設備対応状況について確認したのはこの一九九六年一月であったということですね。  端的に言って、ここに指摘されているような問題を全部やっておったらあのようなナトリウム漏れの火災は起こらずに済んだかもわからないのですね。十八カ月にわたって工事をやっているのを四年半も見過ごして、資料ではわかっていましたと言うけれども、なぜそういうことを確認できなかったのか。それは一体どこに原因があるのか。  例えば、この中で、原理の異なる三種類のナトリウム漏えいの検出器を採用した。それから、ナトリウム漏えいの検出器の上にテレビカメラを入れている。現場ののぞき窓による発煙の監視、確認が行われている。  これは、この間、なぜこういうことがなかったのかということは全部指摘された問題ですよ。明かり窓をつけてのぞけるようにしておけば、何も中へ入らぬでも、入れる、入れないと言わぬでも見られるわけです。テレビカメラが中に一台入っておれば様子がわかるのです。あるいは、漏えいを早期に三カ所にわたって確認をする、いろいろな違ったもので確認をする、こういうものがきちっと対応されておれば随分変わったはずなのだけれども、一体こんな事実を知っていたのか知らなかったのか、知ってもなぜ対応しようとしなかったのか、そこらはどうなのでしょうか。
  201. 中野啓昌

    ○中野参考人 お答え申し上げます。  フランスでの具体的な事故があったことを教訓として、きちんとその情報を入れ、そしてそれにどう対応したのかというところかと存じます。  四点ばかり具体的な例を挙げて手短に申し上げたいと思いますが、フランスでの漏えいの例につきましては、先ほど申し上げましたように、二十六件あったわけでございます。そのうち二十一件が溶接部から漏れているということでございまして、当時、私ども情報を得て、特に溶接部の健全性、それから構造材料の選定に重点を置いてやってきたわけでございます。  また二番目といたしまして、スーパーフェニックスでは、九二年から原子炉建物内の二次系配管室を中心といたしまして、ナトリウム漏えい対策強化のための改善が実施されております。これらの改造内容につきましては「もんじゅ」ではどうかという点でございますが、この点について分析いたしております。  これは、原子炉冷却系の構造の違いがございまして、原子炉の建物内では、二次系配管も一次系配管と同様に窒素雰囲気にするなど、スーパーフェニックスで採用された対策に相当する対応が既にそのころとられておりました。ということで、特にこの際設計変更することはなく対処でき得るというふうに判断したわけでございます。  三点目に移りますが、改造に際しまして、スーパーフェニックスではテレビカメラがナトリウム漏えい監視用に設けられた、先生今御指摘の例の中の一つでございますが、実は「もんじゅ」の方では、空気雰囲気中にある二次配管系というのは中央制御室と非常に近いところにございます。したがいまして、いつでも中央制御室の運転員が速やかに現場に駆けつけることができるということからテレビカメラを設置しないことといたしましたけれども、今回の事故を踏まえまして、速やかに確実に確認を行うためテレビカメラの設置が有効であるということで、今後採用したいと考えております。  最後になりますが、温度計の振動につきましては、先ほど申し上げましたように、カルマン渦ということだけに集中したために今回のことが起きてしまったということでございます。この点、深く反省し、改良していきたいと考えておるところでございます。
  202. 辻一彦

    ○辻(一)分科員 発言の端をとるようで恐縮ですけれども、中央制御室であのときに対応できなかったでしょう。往復して時間がかかって、そしてドアのところへ入ろうとしたけれども入れなかった。間に合わなかった。そんなものは、窓を一つつくっておけば、そこへ行ってちょっとのぞけば見える、あるいはテレビカメラ等があれば見られるわけですよ。そういうことの対応はほとんどできていなかった。  それから、一九九二年六月十六日に、原子力施設安全局、フランスの規制当局は、この間私もフランスへ行っていろいろ話を聞いてきましたが、スーパーフェニックスの安全性審査報告書というのを出しておるのですね。これは動燃の倉庫に、ちゃんと資料室にあるわけですね。それから、続いて一九九三年の九月には公聴会を開いてその報告書を、これと同様分厚いものを、これは要約ですが、出しているのですね。  そういうものを見ると、中に書いてあることは、これは動燃の報告書にありますが、「二次ナトリウム漏えいに対する運転手順は、漏えいに関する警報発報後ナトリウム漏えいであるかどうか及び漏えい位置の確認をするための手順と漏えいが確認された場合の運転操作と制限期間以内に漏えいかどうかの確認ができない場合の措置手順が定められている。運転員によるプラント操作は、一部特殊なケースを除いて緊急の場合であっても運転担当の上司(運転担当課長)の了解を取る必要なく、マニュアル通りに進められるとのことであった。また、漏えいが確認された後の緊急ドレン操作は制御室からのボタン操作ひとつでできるようになっている。」  これらの問題は、この間、全部欠陥として指摘されたところですよ。明らかに手順書があいまいであって、手順書を読んでどうしていいかわからぬ、そういう迷いを生じさせた。その手順書をきちっと改定した。何年も前に彼らはやっている。それからナトリウムの抜き取りにしても、ボタンを一つ押せば全部自動的にできるようにやっている。こういうナトリウム火災に対応するような条件は、随分と具体的に点検をして、工事をやり、対応しておるのですね。  さっき言った一九九三年九月の公聴会では、今私が申し上げた九二年の六月十六日のフランスの原子力施設安全局の報告書は、「もはや現状を反映したものではなくなった。」として、ナトリウム火災に対する「新しい安全規定を分析する。」と報告しているのです。九二年のこの対応でももう現実には対応できなくなっているといって、改善の必要ありと公聴会で報告している。  そして、九四年の一月十八日のスーパーフェニックスの安全問題の報告書、これは全部動燃の方から出してもらったのですから皆さんの方に、倉庫にちゃんとあるわけですが、分厚い報告書がありますが、そこにこう書いてある。  附属書六の中で「発電所管理者はナトリウム火災抑止のために原子炉設計時に講じられた措置を再検討した。」この結果「発電所管理者が提出した書類を原子力施設安全局が分析した後、首相は一九九二年六月に、施設の運転再開にナトリウム火災対策工事を行なうという条件を課した。」とある。そして、既に「ナトリウム回路の監視は、より高性能の漏洩検知システムを設置することで改善された。」、「運転員の反応時間を短縮するために、ナトリウム漏れを検知した場合の手順が改善された。」というふうに一九九四年一月十八日のスーパーフェニックスの安全問題の報告書に公開されている。  動燃や科学技術庁は、一カ月後にもう全部こういう資料は入手しておるのです。もしこれらに指摘された問題に早目に対応しておれば、私はあのような事故に至らずに済んだ可能性があると思うのですが、なぜこの今幾つか挙げたことについての対応ができなかったのか、これはいかがですか。     〔村上主査代理退席、主査着席〕
  203. 中野啓昌

    ○中野参考人 お答えいたします。  先生指摘の書類といいますのは、スーパーフェニックスの認可更新に関する調査委員会報告書、一九九三年九月のものかと存じます。  この時点で、私ども先生が先ほどおっしゃいましたように、検知器等につきましては、配管そのものにくっつける検知器、それから室内にナトリウムが漏れた際の検知器等々つけたわけでございます。ただ、設備としての改良はその際かなり万全にしたつもりでおったのですが、先生が先ほど最初に御指摘なさいましたように、その後の対応の仕方のマニュアルに関して必ずしも十分ではなかったというようなところに起因したのではないかと考えておるところでございます。
  204. 辻一彦

    ○辻(一)分科員 繰り返しますが、今、フランスが公聴会を二回もやって、各界の意見を聞いて、その結果を全部公にして、その資料を動燃や科学技術庁が手に持っていながら、なぜこれらの対応ができなかったのか。これは、私は非常に問題があるところでないかと思うのですね。少なくとも、ナトリウム火災の対策は、三年半の間、向こうの公の資料が公開されて入手されながら、対応をされていなかった。マニュアルにしてもしかり。幾つか挙げましたからそれは言いませんが。なぜこういうようにしてこの間放任をされたか解明をする必要がある、私はこう思いますね。  常陽にナトリウム漏れがなかったということで技術過信があったのか、あるいは日本の場合は全然心配ないという自信があったのか、怠慢なのか。資料を倉庫に入れて何らの対応もしない。もしもこれが適切な処置がなされておったとしたら、六千億に及ぶ、「もんじゅ」に六千億の税金をつぎ込んだわけですが、甚大な損害を与えずに済んだかもわからないですね。そういう問題についての反省と厳しい処置、対応というものが動燃にはないと私は思うのですが、それはどう思いますか。これは理事長に伺いたい。
  205. 近藤俊幸

    ○近藤参考人 近藤でございます。  先生指摘のように、情報はできるだけ早く入手をするように努力してまいっておりました。それをできるだけ「もんじゅ」に反映するという努力はしておりましたけれども、結果から見ますと、先生の御指摘のとおり、非常に不十分でございました。それは深く反省しております。  現在、「もんじゅ」においては、安全総点検を進めておりますけれども、この中で海外のFBRにおいて起きたいろいろな経験、それを総点検の中でチェックしてまいります。そういうことで、総点検の中で十分やっていきたい、さらに「もんじゅ」の安全、信頼性の向上を期していきたいと思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
  206. 辻一彦

    ○辻(一)分科員 今の理事長さんは当時は直接関係が、間接的にはもちろん関係がありましたが、直接の責任者ではないのでその責任を問うのはどうかなという感じもしますが、これは動燃という組織として責任を感じてもらわなければならないと思います。  そこで、科学技術庁に伺うのですが、このような資料が動燃にもあり、フランスが刊行されて大体一カ月後には着いている。科学技術庁にもある。監督官庁として科学技術庁はこのような欠陥があったことに対して何をやっていたのか、一体その責任はどうなのか、これは科学技術庁に伺いたい。
  207. 池田要

    ○池田政府委員 お答え申し上げます。  先生指摘のように、フランスにおけるナトリウムの漏えい事故、こういった問題につきましても、科学技術庁といたしましてもできる限りの情報収集に努めてきたところでございます。特に御指摘のございましたスーパーフェニックスにおきます、九二年から九四年にかけましてナトリウム火災対策のために大幅な改造を実施してきたこと、この点につきましても、フランスの規制当局の報告書を直ちに入手しまして、その内容の分析検討を行ってきたところでございます。  ただ、しかしながら、当時は、「もんじゅ」はスーパーフェニックスに比べまして仕組みの違いがあることなどから、「もんじゅ」におきましては、このようなフランスの事態を見ましても、十分に対処できると判断したものと考えられます。  科学技術庁といたしましては、現実に事故が「もんじゅ」におきまして発生したわけでございますから、この結果、ナトリウムの漏えいの現場を早期に確認することの重要性、こういったことも明確になりました。そのような改善を必要とすることが明らかになった次第でございますから、改善の方針といたしまして、既に、昨年の五月に報告書をまとめました折に、配管室内へのテレビカメラの設置などを示したところでございます。  「もんじゅ」の安全対策につきましては、現在実施してございます安全性総点検におきまして具体的な内容を検討することとしておりまして、スーパーフェニックスで講じられましたナトリウム火災対策を初めとする海外の教訓も十分に反映させてまいりたいと考えております。
  208. 辻一彦

    ○辻(一)分科員 事故が起こってから後、海外を学んでやるのは当然のことだけれども、起こらないようにやることがあったはずですよ。科学技術庁は動燃の監督機関なのだから、これだけの資料をちゃんと、これはコピーというか一部だけれども、相当分厚い公聴会の資料が日本語に皆訳されてある、我々が読んでわかるように。  今私が幾つか挙げたのは、監督官庁は全部一遍点検すべきだった。こういうものだ、心配ないかと。これは安全委員会も一体何をやっていたかということになりますが、点検すべきなのだ。そういうことをやらなかった。やったら何もなかったかとは言えないのですが、やっておけば、事故にしてもうんと状況が変わったかもわからないですね。そういうことの問題を棚上げにして、放任しておった責任を明確にせずに最終報告書を出したってだめだと私は思うのですね。  これは、事務次官の減給や担当局長を減給することで、そんなもので済まぬですよ。これだけのことが出たのですから、これらについて当時の状況を全部点検して、だれにこの問題を検討しなかった責任があるのか、そういうことを明確にして、それに対する処分まできちっとやらなければ、これはもう最終報告書にはならないし、科学技術庁の責任のとり方としてもとても問題にならぬと私は思うのですが、これは長官、いかがですか。
  209. 近岡理一郎

    ○近岡国務大臣 先生の御意見、御指摘を拝聴させていただきました。  「もんじゅ」事故の原因究明につきましては、これまでも徹底的に行ってきたところでございますが、その結果、二月二十日に原因究明に対する最終報告を取りまとめたところでございます。「もんじゅ」の安全性の再確認を引き続き行うこととしておりますし、特に、ナトリウムの燃焼実験で起きたような反応が「もんじゅ」において起こり得るかどうかについては、安全評価を実施して確認していく方針でございます。  また、具体的な改善策につきましては、ただいまも先生からお話ありましたフランス等諸外国における教訓等も十分に反映しながら、安全性総点検で検討し、安全確保にさらに一層万全を期してまいりたい、このように思います。
  210. 辻一彦

    ○辻(一)分科員 それは大変結構ですが、私の質問のお答えではないわけですね。過去十年間にわたってなぜこういう点検、検討がなされなかったのか、そういうことを一遍調べ直して、そして報告書に、だれがどういう責任があったのかなかったのか明確にすべきだと思いますが、いかがですか。
  211. 池田要

    ○池田政府委員 お答え申し上げます。  先般、二月二十日に科学技術庁で報告書として提出させていただきましたのは、昨年五月の段階で、今般の「もんじゅ」のナトリウム漏れの事故の原因究明につきまして、残っておりました課題につきましての答えを出したわけでございます。なぜ温度計が一本壊れたのかといった点でございますとか、ナトリウムと床ライナーとの反応ですとか、こういったことにつきましての技術的な解明が終わりましたために報告書としてまとめさせていただきました。  私ども学技術庁では、これが「もんじゅ」につきましての最終的な報告書とは考えてございません。まだ今後も、研究開発段階のこういった原子炉に対します安全審査のあり方でございますとか、こういったことにつきましては今原子力安全委員会におきましても検討中でございますし、こういった点等も踏まえた最終的な報告書ということはあろうかと思います。  また、先ほど大臣からも言及がございましたけれども、今般ナトリウムの燃焼実験で起こりましたような化学反応といったものが果たして「もんじゅ」で起こり得るかどうか、こういったことにつきましても、安全評価ということで、これは安全委員会におきましても改めて検討するということを既に言われておりますし、行政庁としましても、これにつきましては今後検討してまいりたいと思っております。  こういったことを踏まえまして、また改めて「もんじゅ」につきましての報告をさせていただくことがあろうかと存じております。
  212. 辻一彦

    ○辻(一)分科員 科学技術庁が持ってきた二月の説明書には「この報告をもって終了いたしますが、」と書いてあるが、終了しないのですね。そして、今の問題を明確にできますね。もう一遍確認します。
  213. 池田要

    ○池田政府委員 お答え申し上げます。  先ほど申し上げましたとおり、これは「もんじゅ」の原因究明についての最終的な報告書でございまして、先ほど先生がおっしゃったような安全審査のあり方とかいったことにつきましては、また改めて報告の機会があろうかと存じております。
  214. 辻一彦

    ○辻(一)分科員 その報告のときに、私が今ここで指摘した問題について明確にされることを心から期待します。  それから、原子力安全委員会もこの問題を十年間どう扱ったか、国会として報告を求めなくてはならないと思いますので、これはひとつ大臣の方からよく伝えておいていただきたいと思います。  終わります。
  215. 臼井日出男

    臼井主査 これにて辻一彦君の質疑は終了いたしました。  以上をもちまして科学技術庁についての質疑は終了いたしました。     —————————————
  216. 臼井日出男

    臼井主査 次に、沖縄開発庁について質疑の申し出がありますので、これを許します。上原康助君。
  217. 上原康助

    上原分科員 沖縄開発庁には沖特委員会等でもお尋ねする機会はあるわけですが、社民党は小さくなって、国会での質問の時間も少なくなるし、あらゆる機会を活用しないと、一カ所だけで沖縄の抱えている多くの課題をお尋ねしたり、また若干所見も含めて提言というか提案をすることがなかなかできませんので、きょうこの機会を持つことにしました。ある意味では沖縄開発庁の激励も兼ねてですから、ひとつしっかりやっていただきたいと思います。  そこで、まず、沖縄開発庁の役割は御承知のとおりですが、沖縄政策協議会における沖縄開発庁の役割というのは余り表に出ていないような感じもいたします。政策協議会プロジェクトチームで集約をしてあるいわゆる三十四のプロジェクト、これは各省庁にまたがって、北海道開発庁以外は全部関連するようですが、ほとんど沖縄開発庁がまとめ役になっているわけですね。その意味では、県民の期待も大きいと思うし、同時に、沖縄開発庁の存在感というか、政府全体の中でやるべきことは極めて多いし、また責任も重い。  そういう立場で、ここに沖縄開発庁がまとめ役となっておる課題について、もうおわかりだと思いますから一々は申し上げませんが、どのように今検討して、沖縄県とも協議をするか、また内閣全体として、各省庁と連携をしてやっておられると思うのですが、そのあらましについて御答弁をお願いいたしたいと存じます。
  218. 稲垣実男

    ○稲垣国務大臣 上原委員におかれましては、沖縄の問題につきましてはとりわけ御熱心に、また非常に重要な問題を抱えているということで、大変なセットをしていただいて、感謝しておる次第でございます。  私どもは、沖縄の問題は、その解決に内閣を挙げて取り組まなければならない重大な課題であるというように認識をしております。その認識の上に立ちまして、議員が言われますように、沖縄の振興策諸点につきましては、何回も申し上げておりますが、去る九月十日の沖縄問題についての内閣総理大臣談話におきましても、政府として、沖縄県が地域経済として立派に自立をしていかなきゃなりません。  そしてまた、よく言われますとおりに、学校を卒業したての若い人たちが、県内になかなか就職先がない、県外に職を求めていかなきゃならぬということは大変忍びがたいことでありますので、できるだけ県内で雇用が確保されるような、そういう施策の展開をしていかなきゃならぬ。  同時に、沖縄県民生活の向上に資してまいりたいと思っておりますが、本土の諸県に比べましても、まだ七割、八割ぐらいの所得水準しかないと言われておるわけでございます。これの向上にも私どもは全力投球をしなきゃなりません。いずれにしましても、我が国の経済社会の発展にこれから十二分に寄与する地域に整備されるように全力を傾注することにしておるわけでございます。  そのために、委員指摘のとおり、官房長官を中心といたしまして、関係の各大臣と沖縄県知事とで構成いたしております沖縄政策協議会が設置されておりまして、沖縄に関連する基本施策に関してただいま協議をしておるところでございます。  沖縄開発庁といたしましては、この内閣総理大臣談話に基づきまして、何にしましても、社会資本の整備ということを考えていかなきゃならぬ。  私も前に二回ほど参りましたが、私は、行くまでの間に、鉄道があるかなと思っておりましたが、なかなかなくて、モノレールの起工式にもお邪魔させていただきましたが、そのように、本土から行こうという交通手段が飛行機であり、あるいは高速船でなければならぬということを考えてみると、空港や港湾等の社会資本の整備を真剣に行い、また、やはり日本から、本土内の観光もございますけれども、南にあこがれる国民の期待にこたえて、観光関連施設の整備を積極的に進めてまいらなきゃなりません。  とりわけ、国際都市形成を沖縄県として大変要望しておられるようでありますので、その基本的な問題といたしましては、自由貿易地域の拡充等による産業や貿易の振興について、一層検討を進めてまいらなきゃならぬと思う次第でございます。  そこで、沖縄開発庁といたしましては、引き続き第三次沖縄振興開発計画に基づく諸事業の推進に努めていきますとともに、内閣官房と協力をして、今御指摘のございましたとおり、沖縄政策協議会に設置されました十のすべてのプロジェクトチームに積極的に加わっておるわけでございまして、時には取りまとめ役として、時にはリード役として進んでいかなきゃならぬと思いますが、何にしましても、八十八の案件を三十四に絞りましても、これをまとめていくにはなかなか大変な作業でございますが、沖縄県の皆さんたちの御協力を得て、あるいはまた密接な連携をとりながら、また関係省庁の御協力を得ながら、沖縄の振興開発に全力を傾注してまいりたい、そのことが大きな役割の一つである、こういうふうに考えておる次第でございます。
  219. 上原康助

    上原分科員 総論部分は、今、長官おっしゃるとおりだと思います。  そこで、限られた時間ですので、それでは具体的にお尋ねしますが、この五十億円の調整費の配分は、この間留学生の問題が一部決定を見ましたね、全体の仕分けはどういうふうになりますか、ちょっと簡単に見通しを言ってください。
  220. 嘉手川勇

    嘉手川政府委員 お答えを申し上げます。  ただいま先生指摘の五十億円につきまして、全体を取りまとめてその配分調整をいたします役目は内閣内政審議室の沖縄担当室でございますが、私ども先生先ほど御指摘いただきましたように、三十四のプロジェクトのうち十一のプロジェクトにつきまして取りまとめ官庁の役目を担っておるところでございます。この所要の調査費等につきまして、現在内閣内政審議室の方にその調査費の配分を要求中でございまして、現在待機中、折衝中でございます。
  221. 上原康助

    上原分科員 これはそうでしょうが、やはり少しピッチを上げないといかないような感じがしますので、御努力を願いたいと存じます。  そこで、その中で、今、大臣も少しお触れになりましたが、私は少し懸念をしていることがあるのです。やはり自由貿易地域制度の拡充、地域の拡大ということは、ここにも触れてあるし、せんだっても沖特で法案も審議をし、あした予算がもし終了すると、これは沖特でまた議決すると思いますが、大臣、この程度のことでは、これは県民の期待に添いかねますよ。  私は、この自由貿易港、自由貿易地域の指定というのは、沖縄問題の一番の核心になる課題だと見ているのです。もちろん、これはそう簡単にはいきません。私自身もそういう認識であります。県の、あるいは地元の経済団体等の意向も踏まえなければいけませんがね。少なくともここで官房長官が蓬莱経済圏構想というものを打ち出して、政治判断でやると言った以上は、こういうようなことではなくして、もう少しきちっとやっていただかなければいかないということが一つ。  もう一点、私は昨日も建設省関係分科会で亀井建設大臣にもお尋ねしましたが、社会資本のインフラ整備というのは、沖縄にとってはこれからもやらなければいかないのですよ。この間、沖特でも申し上げた、南部にしても、中部にしても、北部にしても、宮古、八重山しかりなんです。  このことも十分配慮しなければいけませんが、少なくとも国際都市形成構想を二十一世紀に向けてやるというなら、今長官がお述べになったように、鉄軌道問題をどうするか。幸い、これについては沖縄開発庁もようやく食指を示しつつある。だから、持論ですが、私は、できたら、那覇空港から南は平和祈念公園まで、そして中部を経由して北部の海洋博記念公園までは、モノレールをそのまま延ばすとは言えませんが、それに見合うような鉄軌道というのはどうしても必要なんです、これは、基地問題の解決を含めて。  この二つについては、沖縄開発庁も、今、三次振計の後半の検討をなさっており、ポストをどうするかを含めて、ぜひ十分念頭に入れて検討していただきたい課題だということを、改めて要望を含めて申し上げておきたいわけですが、これは、大臣の御見解をお聞かせいただきたいと存じます。
  222. 稲垣実男

    ○稲垣国務大臣 今、議員がかねがね強い要望をしておられます自由貿易地域につきましてのもろもろの問題につきまして、例えば税制上、関税を中心とした特別措置の導入等々、これも、沖縄県やあるいはまた県の経済団体等から強く要望が出されておりまして、地域指定の拡充強化の要望がなされておることは十分承知しております。  それから、これらの問題につきましては、今後沖縄県とともに検討を行うことになっておりまして、沖縄政策協議会におきましても、国際貿易あるいは物流基地の形成プロジェクトチームにおいても検討を行っていきたい。自由貿易地域の拡充強化について幅広くさらに検討を進めていくことになっておるのでありますので、これについては私どもも十分に対応していきたいと思うわけです。  それと同時に、沖縄の産業振興あるいは貿易振興のための沖縄に展開する貿易地域のあり方、そのために必要な機能等についての調査を行わなければなりませんので、これについては、委員御承知のとおり、四千二百万円の予算を計上しておるところでございます。  今回出させていただいております法の措置等につきましては沖縄振興開発特別措置法の一部改正をもって提出しておるわけでございますが、さらに委員から先回蓬莱経済圏構想につきましてお話があり、官房長官も少し踏み込んだような発言をしておるようでございますので、十二分に相談させていただきたいと思っておる次第でございます。  そういった点でさらに検討を進めていきますことをお答え申し上げまして、私の考えを述べさせていただきました。
  223. 牧隆壽

    ○牧政府委員 鉄軌道の延長について御質問いただきました。  沖縄都市モノレール事業は、私がここで申し上げる必要もないほどだと思いますけれども、御存じのとおり、沖縄県民の長年の悲願でございまして、地元関係者、これまで行政に携わった方々、御質問上原先生も大臣として御努力いただいたことでございますが、本当に数多くの方々の御努力によりまして、平成八年度政府予算にモノレール本体インフラ部の工事費が盛り込まれました。平成十五年の開業を目途に工事に着手したところでございます。  沖縄都市モノレールは、中南部圏の中で特に那覇市内の交通渋滞が著しいものがございまして、それを改善するため、那覇空港から首里までの十三キロの区間で計画されたものでございます。これが完成することによりまして、那覇の首都機能といいますか、中枢機能がかなり改善されるんじゃないかと期待しております。  都市モノレール等の鉄軌道交通機関は、一般的に申しますと、経営が成り立つのであれば、できる限り幅広い方々の利用に供することが望ましいわけでございます。ただ、現在の時点で申しますと、貴重な御提言がございました諸地域につきまして、延伸させようとする地域の沿線の人口がどうなんだろうか、あるいは将来的にも需要増が期待できる開発計画が具体化されているんだろうか、収支を確保するに十分な利用者が期待できる状況にあるのだろうかというような、検討すべき課題が数々ございます。  このため、当面は現計画区間の整備促進に努めることといたしまして、御提言のありました延伸計画については、将来における事業環境の改善状況等を踏まえて検討してまいるべきことではなかろうかというふうに私ども考えております。
  224. 上原康助

    上原分科員 今の段階ではそういうお答えしかできないかと思うのですが、すぐ投資効果とかあるいは独立採算制とか収支云々、もちろんそれは何をするにも必要なことであるのだが、沖縄の課題というのは、そういう観点からだけ見てはできないのだよ。そこをどうするかということをひとつ考えていただかないといかないということ。これはまあ遅かれ早かれ、国際都市形成をやるというなら、そのぐらいの抜本的なダイナミックなことをやらないでは解決しないと思いますので、十分御留意をいただきたいということを要望しておきます。  次に、時間も限られますので、那覇市の新都心開発事業がスタートしてかなりの期間がたっているわけですが、いろいろハンディもあるようで、これの整備事業進捗、またこれからの計画は従来どおり進んでいくのかどうかというのを簡潔にお答え願いたいということと、そして、第二合同庁舎をそこに立地させたらという強い関係者の期待もあるようでありますが、この点についてどうお考えかということ。  そして、自治省おいでですか。これは簡単にきょう触れておきますけれども、私は地方交付税のあり方で、那覇市の特別交付税が非常に少ないという感じがしてならないわけですね、全国平均と比較しても、県内の九つの市と比較しても。こういうことは既にもう御検討もされているやに聞いておりますが、やはりいろいろ、学校敷地の購入であるとか、未買収道路の補償問題とか、財政が大変窮屈になりつつある、県都である那覇市が。そういう面で、もっと自治省としても開発庁としても、今申し上げた三つのことについては御協力を願いたいと思いますが、お答えを願いたいと存じます。
  225. 稲垣実男

    ○稲垣国務大臣 時間も迫っているようでございますので、なるべく簡潔にお答えをいたしたいと思いますので、御了承願いたいと思います。  この那覇新都心開発整備事業は、全面返還されました牧港米軍住宅跡地等を利用して、今後の沖縄の発展を支える新しい産業の振興と都市圏中心部の再編を図る拠点を創出しようとする事業であることは、御承知のとおりであります。那覇新都心地区は、沖縄県が取りまとめた国際都市形成構想においても、新都市開発拠点として位置づけられておりますことは承知しております。  そのための開発整備を期待しているところでありますが、このために、事業予定地域に商業センター、いわゆる商業業務あるいは交通等、これは先刻言いましたように、モノレールもこの近くに二つぐらい駅ができるということでありまして、そういった中枢機能、博物館、美術館等の文化機能、さらに高水準の住宅地も相当戸数が予定されておりますし、また、総合事務局等については後ほど政府委員がお答えをいたしますが、そういったような総合的な機能を持つ魅力的な新都心を開発する計画となっております。  いずれにしましても、土地区整理事業が実施されておりますし、換地計画とか、あるいは地権者、関係機関との調整を進めて、基盤整備や宅地造成を行っておるのでありまして、平成九年度は、八年度末に予定されている仮換地の指定、あるいは平成十年度開校予定の那覇国際高校等の、これは仮称でありますが、建設計画を踏まえて、引き続き、道路築造等の基盤整備や宅地造成を推進していく予定であります。  開発庁といたしましては、そういったこと等を図りながら、那覇新都心の開発が基地跡地利用の先導的ケースであることをかんがみまして、これから、今普天間基地等とかいろいろ言われておりますが、こういった跡地利用のモデルにもなるのではないかと思いますので、先導的なケースであることをかんがみまして、事業の早期完了と諸機能の速やかな集積の実現に向けて、今後とも積極的に必要な支援を行ってまいりたいと存じておる次第です。
  226. 嘉手川勇

    嘉手川政府委員 第二合庁問題につきまして御答弁を申し上げます。  先生御案内のとおりかと存じますが、沖縄総合事務局、昭和四十七年の復帰以来、九階建ての借家住まいをいたしておりまして、かなり老朽化もいたしております。また、那覇に所在いたします国の出先官庁についても、大体似たり寄ったりのところでございまして、私ども、合同庁舎の必要性というものを強く認識いたしておりまして、平成七年度におきまして、那覇市天久新都心地域内に二万三千平米の土地を取得してございます。この土地に第二合同庁舎を建てる予定でございまして、現在沖縄開発庁といたしましても、関係省庁と調整を行いながら、その早期建設に向けて最大限の努力をしているところでございます。
  227. 荒木慶司

    ○荒木説明員 特別交付税の算定に当たりましては、各市町村の特別の財政需要や財政状況などを勘案しまして、財政運営に支障が生ずることのないように対処をしているところでございますが、お話のございました那覇市について申し上げますと、同市は県内で最も財政力が高いというような事情も勘案しまして、昨年度は特別交付税を四億七千七百万円余り交付したところでございます。  ただいま議員御指摘のとおり、那覇市におきましては、基地対策など各種の財政需要が多いこともまた事実でありますので、ただいま鋭意作業中の平成八年度の特別交付税三月分におきまして、それらの財政需要などを十分勘案し、適切に対処してまいりたいと考えております。
  228. 上原康助

    上原分科員 これはぜひ御検討をいただきたいと思います。事情についてはもうよくおわかりのとおりだと思いますから、また機会を見て、いろいろ御相談もさせていただきたいと思います。  最後に、八重山の課題でちょっと触れておきたいのですが、最近台湾との交流が非常に盛んになりまして、大型クルージング船、いわゆるスーパースター・カプリコン号ですか、これが三月の中旬から、間もなくですね、十月にかけて石垣港に何回か入港する。いわゆる走るホテルというようなことで、五百名くらいの観光客が石垣市に、八重山に入るようですね。  そこで、これだけの人数になりますと、いわゆる入国審査、CIQの体制がちょっと気になるということで、税関は大蔵、それから法務、検疫は農水ですか、こういう面で、もう少し人員の補強なりあるいは新たな配置なり、いわゆる台湾との人的交流を深めながら、八重山の、石垣の活性化、観光、産業振興を図るという意味で非常に期待が持たれているようでありますので、そういう陣容の体制についてぜひ積極的に、これは沖縄開発庁が窓口といいますか、他省庁と協議をして、石垣市や沖縄側の期待にこたえてもらいたい、私はこう思います。  それぞれ来ていらっしゃるかと思いますので、簡潔にひとつお答えをいただきたいと存じます。
  229. 坂中英徳

    ○坂中説明員 お答え申し上げます。  船主及び船舶代理店から本省及び地元福岡入国管理局那覇支局に対しまして、迅速な上陸手続の要請がなされておりますが、石垣港出張所に配置されています職員は三名でございます。大型客船の多数の乗員と乗客に対しまして上陸手続を行う十分な体制でないというふうに私ども考えておりまして、現在、海外で船に乗り込みまして上陸審査を行うということなどを含めまして、迅速な上陸手続ができるよう検討しているところでございます。
  230. 上原康助

    上原分科員 時間ですから、稲垣長官、今私が申し上げたことで、法務省だけでなくして、大蔵とか厚生、農水関係とのこともありますので、ひとつ大臣の方で御努力いただきたいと思いますが、よろしゅうございますか。
  231. 稲垣実男

    ○稲垣国務大臣 今御指摘にありましたとおり、港湾、空港は運輸省とか、あるいは外交上の問題は外務省、あるいは入国の問題は法務省というようなことでございますので、沖縄開発庁といたしましては、できるだけその間の調整をとりながら、スムーズにいくように、近隣諸国との交流を図ることによって八重山地域の振興開発に寄与することは大変いいことと考えておりますので、当庁として、さらなる交流の発展を期待しておる次第でございます。
  232. 上原康助

    上原分科員 ありがとうございました。
  233. 臼井日出男

    臼井主査 これにて上原康助君の質疑は終了いたしました。  以上をもちまして沖縄開発庁についての質疑は終了いたしました。  これにて本分科会の審査はすべて終了いたしました。  この際、一言ごあいさつ申し上げます。  分科員各位の御協力を賜りまして、本分科会の議事を無事に終了することができました。ここに厚く御礼を申し上げます。  これにて散会いたします。     午後四時八分散会