○蝋山公述人
大阪大学大学院国際公共政策研究科の蝋山と申します。小学校のときに
国会を見学して以来初めて建物の中へ入るものですから少々上がっておりますけれども、金融
改革について私の
意見を申させていただきます。こうした機会を与えられたことを大変ありがたく存じます。
御承知のように、昨年十一月十一日、
橋本総理大臣は、三塚大蔵大臣、松浦法務大臣を同時に招かれまして、金融システムの抜本的
改革を指示されました。この指示は文書になっておりまして、余り長いものではありません。恐らく多くの方々がごらんになったのではないかというふうに思いますが、ほんの三ページでしかないものであります。しかし、非常にはっきりと金融
改革の方向性を文書の形をとったということ、また、
改革完了の時期を二〇〇一年までに東京市場を再生させると明示されていること、また
改革の原則を自由、公正、国際性の三点に絞り込んでいること、そして、何よりも行政の最高責任者である首相が、
総理大臣が金融について直接に
改革の大枠を示した、こういった点で私は極めて画期的であるというふうに評価しております。
私は現在、証券取引審議会総合部会の座長といたしまして、総合的な証券市場
改革案の作成に携わっております。また、それ以前にも、証券取引審議会の
委員として、また金融制度調査会の部会の
委員として、幾つかの金融
改革、例えば一九九三年金融制度
改革法のための審議に加わってきました。さらにまた、金融に関心を持ち
研究する者といたしまして、これまでの
日本のみならず諸外国の金融
改革について、私なりの観察、分析を行ってきました。
こうした経験を通して思うことは、まず、これまでの金融
改革には二つの型、二つのタイプがあるということであります。その第一は、金融のあるべき姿を追求するという意図で
改革を断行する、いわば理念追求型の
改革であります。第二は、金融システムのパフォーマンスが低下いたしまして、このままではどうしようもないという危機意識が広まり
改革が行われる危機回避型の
改革であります。これまでの大量
国債発行以降の一連の
日本の金融自由化は、どちらかといえば理念追求型のものがあったように思われます。そうした性格であったように思われます。そして、そうであるがために、ゆっくりと着実に
改革を小出しにしていくということが可能でありました。だが、現在はさま変わりでありまして、今回の
改革、いわゆる
日本版ビッグバンはどうしても成功させなければならない、
日本の金融は危機に瀕しているというふうに私は考えます。
日本の金融が危機的な状況にあると申しますと、たちどころに思うのは、今財部公述人も御指摘になった、銀行等に累積する不良資産問題であります。これは、過去のツケを払うという
意味で、後ろ向きの問題であります。だが、後ろ向きの問題を後ろ向きの問題として解決することは非常に難しいと思います。私の考えでは、この解決のためには、いつの時点でか思い切った公的資金の導入が必要になるであろうと思います。だが、公的資金をただ過去のツケの解消に使うということは、
国民が許さないでしょう。私も賛成ではありません。辛うじてそれが許されるとするならば、それが、公的資金がこれからの新しい、より望ましい金融システムの建設のために使われるという前向きの条件を満たしていなければならないというふうに思います。そういう
意味で、私は、金融
改革の断行は不良資産問題解決の必要条件であるというふうに思います。
それだけではありません。今の
日本の金融は、このチャンスを逃してしまいますと、幾つか致命的な結末がほぼ確実に予想されるような状況にあるというふうに思います。このままではどうなるのか、大変不安に思われるわけです。
第一に、今井公述人が御指摘になったように、これからの新しい産業への期待というのは非常に大切な問題であります。この新しい世紀の
日本を担う新しい産業が、このままでは金融面の制約から育ちにくくなってしまうおそれが多分にあります。第二に、今や一千二百兆円になろうとする巨額の個人金融資産の運用効率が低下いたしまして、後世、何のためにあれだけ苦労してお金をためたのか、悔いを残す結果に終わってしまうおそれがあります。さらに、
日本の貯蓄は全地球的な観点から効率的に使われ、世界に貢献しなければならないと思いますが、それが期待に反する結果となってしまいます。第四に、銀行を含めての金融サービス業が沈滞いたしまして、これからの有望な産業あるいは経済社会の基礎産業、これが成長する機会をみすみす閉ざすことになってしまいます。私は、こうした事態を将来避けるために、現在の時点でいわゆる
日本版ビッグバンはどうしても成功させなければならないというふうに考えております。
これを成功させるには、まずは
改革案の作成の段階で、
日本の金融システム全体が今後どうあるべきか、全体像を可能な限り具体的にはっきりさせるということが必要であります。その上で、その望ましい姿を実現する手順を、時期をも含めて明示すること。この二点が私は不可欠であるというふうに思います。こうした
改革案を完成させるには、やや時間がかかると思います。しかし、私は急がば回れと言いたいわけであります。少なくともことしの六月まではぜひ待ってほしい。全体像なしでともかくできることからという拙速型の
改革というのは、これまでしばしば生じたように、既得権益の間の利害調整に終始することとなり、結局は
改革の歩みをおくらせてしまうのではないかというふうに考えます。ゆっくりと着実に、スロー・アンド・ステディーという言葉は大変聞こえがいいわけですが、そうした悠長な対応は許されません。
それでは、この画期的な
日本版ビッグバン構想というものは、どのようなプロセスで具体策に結びつくのか。三塚大蔵大臣は、
総理の指示を受けた後、証券取引審議会、金融制度調査会、外国為替等審議会、保険審議会に本問題の結論を出してもらうよう要請すると述べられまして、事実、昨年の十一月十五日、これら四審議会及び企業会計審議会の代表者を招集し、
総理からの指示を改めて伝達されました。こうした
改革案作成の手続は、従来の手法と変わりありません。私は、当事者だから言うのではありませんが、これはこれでよいのではないかというふうに考えます。審議会方式での案づくりには、結局はお役人任せで信頼に欠けるという
意見があることは重々承知しております。改善の余地が大いにあることは否定いたしません。改善すべき点は直ちに改善すべきであるというふうに思います。だが、大枠としてこの審議会方式以外、より望ましい具体的な
改革案作成のプロセスはないのではないかというふうに現在の時点では考えております。
実は、私にとりましては、
橋本総理大臣のビッグバン構想の指示は決して唐突なものではありませんでした。証券市場、証券業、証券行政の諸問題を審議する公的な機関は証券取引審議会でありまして、私はその会長代理も兼ねておりますけれども、この証券取引審議会は、
橋本総理大臣の指示が明らかになる以前の昨年六月から、二十一世紀に目を向けて、中長期的な観点から証券市場の整備を行うことが喫緊の課題であるという認識のもと総合部会を設けまして、聖域を設けず、タブーにとらわれず、二十一世紀にふさわしい証券市場を確立するため、証券行政における
基本的な問題について審議をせよということで審議を始めていました。このようにして設立されました証取審総合部会の座長として、私は
橋本首相の指示で大いに勇気づけられまして、恐らく他の総合部会のメンバーも同じではないかというふうに思います。
そして、私の部会は、都合九回の審議の後、昨年の十一月二十九日、「総合部会・論点整理」を公表いたしました。お手元に配付されている文書がそれであります。これは、それまでの審議で提起された論点を整理した文書という体裁をとってはいますが、総合部会への問いかけ、すなわち、二十一世紀にふさわしい証券市場とは何かという問いかけに対する私どもの中間報告と考えてよい文書であります。この「論点整理」は、「二十一世紀初頭には、概ね全ての
改革を完了することを目標とすべきである。」あるいは幾つかの理念を明らかにしている、
改革の原則を明らかにしているということなど、
橋本総理大臣の
日本版ビッグバン構想に相呼応したものとなっております。
なお、この「論点整理」は、全文がインターネットを通じて公表されました。また、ごらんになればおわかりのように、表紙にはファクシミリや新たに設けましたEメールでのアドレスを記載いたしまして、コメントを歓迎する文を挿入いたしました。さらに、総合部会の審議と並行して、証券局は多数の方々を個別に訪問いたしまして、証券市場に関する
意見を徴して審議に反映させる、いわゆる五百人行脚という試みを行いました。このように、証券取引審議会総合部会は、審議会のいわゆる閉鎖性を可能な限りなくす努力を払い、審議を進めているということを付言したく思います。
もちろん、証券市場は金融システムの一部でありまして、すべてではありません。しかし、明示されてはいませんが、首相のビッグバン構想の基礎には、証券市場がこれからの
日本の金融システムの中心になるべきだという認識、判断があるように私は思います。フリー、フェア、グローバルという
改革の三原則を最もはっきりと具体化できる金融システムは、現実がそうでないということが極めて残念であるわけでありますけれども、証券市場であるからであります。さらに、具体的な検討例といたしまして首相が示されました九件は、すべて証券市場に直接間接に関連するものであります。これからの証券市場は、
日本の金融の中心的な存在としてよい市場に生まれ変わらなければならない、これが私見では
日本版ビッグバンのかなめだというふうに考えております。
「論点整理」は、このお配りした資料でありますけれども、よい市場建設のために具体的に検討すべき項目として二十二の項目を列挙いたしました。さらに、それぞれの項目について本文から中項目を抜き出しまして、整理いたしますと全体で三十三の項目となります。これらを子細に見てみますと、
日本の証券市場の
改革のためには、ただ証券行政だけではなくて、商法を初めとする法制度、会計制度、租
税制度、さらには民間部門のやる気に至るまで、広範な見直しが必要なことが理解できます。
中でも、租
税制度の問題は早急に解決していただきたいと私は考えます。何も証券
関係に関する減税を要望しているわけではありません。より大切なことは、これからの金融システムの中枢として機能するさまざまな証券市場に対しまして、あるいは金融市場に対しまして、
税制は中立的であってほしいというふうに思うわけであります。
税制の市場に対する中立化ということをぜひお考えいただきたい。
商法から会計制度に至るまでの広範な見直しの結論は別の機会に譲りたいと思います。恐らく、私ども証取審総合部会の報告書はことしの六月には公表され、
改革、見直しの具体的な内容、すなわち全体像とそれに至る
改革の過程が明らかになると思います。また、それを受けて、具体的な
改革、すなわち
改革案の法制化が実施の運びとなることを私は期待しております。
証取審以外にも御承知のように金融
改革の論議は進んでおるわけでありまして、昨年の十二月十六日に公表されました外国為替等審議会のリポート、いわゆる為銀主義の撤廃を盛り込んだリポートでありますが、これは今
国会に外国為替管理法の
改正案として上程されているというふうに伺っておりますけれども、これは極めて注目すべき
改革の歩みであります。これが実現しますと、例えば
日本の自動車
会社が
アメリカで銀行を買えるようになります。あるいは、銀座の街角で海外の旅行から帰ったOLがドルを売るということも違法ではなくなります。
この自由化措置は、私は、じんわりとボディーブローのようにこれからの
日本の金融市場、金融サービス業全体に圧力を加える、影響を加えるに違いないというふうに思います。しかし、これは
日本の金融にとって必ずしもマイナスであるわけではないと思います。海外からの資金や金融サービスの導入が、
日本側の対応いかんでは活発となる
可能性も残されております。ビッグバンの本家は
イギリスでありますが、一九八六年十月にビッグバンが行われましたが、それに先立ち、一九七九年に外国為替管理の完全自由化が
イギリスでは実現しているわけであります。こういう例を考えますと、私は、このタイミングでビッグバンの先駆けとして外国為替管理法の
改正が行われるということは、大変結構なことではないかと評価しております。
日本の金融の中枢に位置します銀行業、これまでの中枢でありました銀行業はどう変わろうとしているのでしょうか。
銀行制度を扱う審議会は金融制度調査会でありまして、そのもとには金融機能活性化
委員会と命名された
委員会があります。まだ証取審や外為審ほどはっきりとした
改革の方向性を示していないように私は感じております。
関係者がもしかしたら不良資産問題の処理で手いっぱいで、将来のビジョンを語る余裕がないのかもしれません。それでも、十二月二十六日にそれまでの
議論をまとめた文書を発表し、その存在を世に問いました。その中で最も注目されておりますのは持ち株
会社導入の問題でありますが、この点についての私見は
最後に申させていただきたく思います。
今や、あらゆる金融サービス業が大きく変わらなければならない、あらゆる金融資本市場が変わらなければならない、こういう状況にあります。ここで変化の大波をとらえ、新しい方向にいち早くかじを向けた者こそ、これからの海図なき航海を乗り切れる。もっとも、今打ち寄せている波は非常に多種多様でありまして、どれが本当の大波かわかりにくいという面があろうかと思いますが、しかし、
橋本首相のビッグバン構想は、この暗中模索の状態に一筋の光を与えたというふうに私は思います。金融界はこの
意味することを、過去の経緯にとらわれず、三ページの文書を、眼光紙背に徹してあの文書を読むべきだというふうに私は思います。
しかし、必ずしも現状はそうではないように思われてなりません。一例を挙げてみたいと思います。
あの文書では、九つの項目が「具体的検討項目の例」として指摘されておりますが、その最初は、「新しい活力の導入」とされております。そして、括弧内に説明的に「銀行・証券・保険分野への参入促進」というものが例示されております。多くの人々はこれを、一九九三年金融制度
改革法によって実現いたしました業態別子
会社が今なお不完全であって、その業務分野に制約が多いということから、この「銀行・証券・保険分野への参入促進」というのを相互参入の一層の促進を指摘したものと理解しがちであります。過去の経緯にとらわれるとこういうふうに読むのも仕方がないことかもしれません。
しかし、それではビッグバン構想の具体例の冒頭に置く
意味が乏しい。「相互」の文字がないこと、何よりも「分野への参入促進」とあることを考えますと、この具体例は、銀行、証券、保険といった金融サービス業への他産業からの新規参入をうたったものと
解釈すべきだというふうに思います。そうであってこそビッグバンとしての
意味がある。いわゆる金融村に新しい活力が注ぎ込まれることになるわけでありまして、これまでの金融サービス業は個室の固まりでありました。その弊害をなくすには、個室の壁を打ち破りまして相互に行き交うということだけでは不十分で、大部屋へも門戸を開放して、資源の流入というものがなければならないというふうに思います。この当たり前の競争促進
政策というものを矮小化された相互参入策として理解してはならないというふうに私は思います。
最後に、持ち株
会社制度の導入についての
議論を考えてみたいというふうに思います。
これまでの持ち株
会社の金融の側からの
議論は、どちらかといえば総論の段階にとどまっていたというふうに思います。だが、これからは各論を詰めるべきであります。その場合、金融システム活性化の観点から、これからの持ち株
会社、特に金融持ち株
会社はいかにあるべきか、具体的な内容を検討し、次いで、そのあるべき姿を実現させるには現行の独占禁止法その他
関係法規をどのように
改正すべきかを明らかにし、その上で、望ましい持ち株
会社制度のもとでの移行をいかに円滑に実現するか、これを明確にする、こういった
議論の仕方が必要であろうというふうに思います。こういう
議論は、金融
改革一般について必ず適用されなければならない
議論の仕方だろうと思います。
持ち株
会社制度を活用いたしまして金融活性化をしようというときに、銀行持ち株
会社とそれ以外の保険、証券、その他の持ち株
会社とを区別する必要があるのではないだろうか。例えば、損保
会社が持ち株
会社となりまして、その傘下に損保を初めさまざまな金融サービス業を、銀行以外のものを子
会社として有するケースと、銀行が持ち株
会社となりまして、銀行を初めさまざまな金融サービス業を子
会社として持つ場合とを、法的に同じものとして律するということはいいのでしょうか。私は、それはちょっと疑問だというふうに思います。銀行は特別の存在でありますからそれなりに律しなければなりませんが、しかし、そうだからといって、他のケースも同じように金融
会社という概念でくくってしまって同じ金融持ち株
会社に関する規制、
法律のもとに服させるというのは、私はまずいというふうに思います。そういう点では、二番目の問題でありますが、独禁法にあります金融
会社という概念を再考すべきだろうというふうに思います。
そして、三番目の問題としては、私は、銀行が持ち株
会社をつくり、現在の銀行をそのまま子
会社とする移行には問題があるというふうに思います。それでは銀行子
会社に現在の銀行が持つ株式が残ることとなってしまいまして、持ち合いその他の
日本的慣行が継続されることになります。子
会社のレベルでの他業との
関係で非常に面倒くさい問題が生じてしまう。証券市場などこれからの金融システムの心臓部が健全に機能するためには、やはりこの点を何とかしなくてはいけない。現在の銀行が持つ株式は、持ち株
会社が導入された場合には親
会社の方に移行されることが望ましいのではないか、そのような移行を私は提案したいというふうに思います。
日本の金融は、このままではますます閉塞状態に追いやられてしまいますが、何とか
日本版ビッグバンを成功させ、これからの生き生きとした、市場機能を中心とした金融システムというものを我々は後世に残さなければならないというふうに考えております。
御清聴ありがとうございました。(拍手)