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石破委員 同盟を維持するというのは、えらいことだろうと思っております。脅威が消えた中で同盟を維持するというのは、それなりに大変な努力を要することだろう。
その昔、日英同盟というものが一九〇二年に締結になった。日英同盟のおかげで日本はロシアに勝利をした。ロシアというものに対する脅威は、英国も感じていたであろうし、日本も感じていた。一種の共通の脅威みたいなものがあったであろう。そして日露戦争に勝利をするわけです。ところが、その後第一次世界大戦が起こりまして、英国の側からは、陸軍というものを派遣してくれ、こういうような要請があった。しかし、戦禍に巻き込まれちゃたまらぬということで、陸軍を送ることはせずに地中海に駆逐艦を何隻か送った。私は歴史の教科書で覚えているのですが、そのころ成金なんというものがありまして、そこで大変もうけた
人たちがお札に火をつけて靴を探しているなんて、そんな挿絵が教科書の中にありました、適切であったかどうかはわかりませんが。そういうようなことをやってしまったものですから、イギリスは余りおもしろくなかったのでしょう。日本という国は非常に利己的な国だというような話を、大英帝
国会議でそういうような話が出たというふうに記録には残っております。そして、日英同盟というものを破棄をされるに至り、四カ国条約というものに推移をしていくわけです。
私は、どうも日本という国がそういうような、アングロサクソン国家というのでしょうか、そういうものとの同盟を維持をしていくということは、大変難しいことでもあるし、同時に大変大切なことでもあるし、努力をしていかねばならぬことだというふうに思っておる一人でございます。
ノドンが飛んでくるとは言いませんが、朝鮮半島有事というのはいろいろなシミュレーションがあるのだろうと思うのです。その場合に海兵隊が要るか要らないかという
議論は、きょうは時間がないからいたしません。
しかしながら、何が起こるかといいますと、というよりも日本がどのような対応をするかといえば、例えば、以前も
議論がありましたが、送金を停止するのかどうかということも
議論をしなきゃいかぬでしょう。海上封鎖に参加するかしないかということも
議論しなきゃいけない。在日米軍に支援をするかどうか。韓国に在留している一万人の邦人をどう救出するか。そして、在韓米軍の家族三万人、これの救出に手をかすかかさないか。難民にどう対応するか。亡命してくる人がいるでしょう、どのように対応するか。破壊工作員が侵入してきたらどのように対応するか。そしてまた、北鮮に日本人もいるわけで、その人が人質としてとられたらどのように対応するか。考えてみただけで山ほど対応しなきゃいかぬことがある。それら一つ一つに、いざとなったらどうするかということではなくて、適切な、法的な措置、それを考えておくのが
政治の責任ではないのかなというふうに思っておるのです。
そのときはそのときさと言う人がいます。今、平時にこの
国会で法律なんか
議論すると、かえってぐしゃぐしゃになってろくなことはない、いざとなったときにさっと法律を出せばいいと言う人もいますが、それはちょっとおかしいのじゃないかと思うのです。何か起こったときに、さっきの下甑村じゃないけれども、まず
判断をしなければいけないのは現場の自衛官である、護衛艦の艦長であり、F15のパイロットかもしれない。法制局はいろいろなことをおっしゃいますが、その現場に行って、法制
局長官がいいの悪いのということがおっしやれるはずはないのであります。
昔、湾岸戦争の時にPKOの
議論をいたしました。危ないところには行かせない、危なくなったら帰ってくる、平たく言えばこんな話でした。じゃ、危なくなったということをだれが、いつ
判断するのということをめぐって
議論になったこともありました。私は、いざというときに法律を出せばそれでいいとか、いざとなったらば日本人はきちんと柔軟に対応する、そういうことであってはいけないというふうに思っておるところでございます。
この間は、外務
大臣に、いわゆるガイドラインの見直しについてお尋ねをいたしました。そこには個別的自衛権と集団的自衛権というものがあって、そこのグレーゾーンを埋めるという作業、きのう外務
大臣が本
会議でも御
答弁になりましたように、憲法で認められていない集団的自衛権は使えないんだ、そして、それはアメリカも望んでおることであるというふうにおっしゃいました。そのことを前提といたしまして、個別的自衛権と集団的自衛権の間のグレーゾーンを埋めていくという作業をしておられるのですかというふうに前回お尋ねしたら、御
答弁は、必ずしもそうではないというような
お話でございました。
これはちょっと抜き書きですが、ガイドラインにつきましては従来の作業は必ずしも十分には進んでおりませんでした、そういう意味ではグレーゾーンと言っていいのか、形容の仕方はいろいろありましょうが、全体的な整備はなされていなかった、これは否定することができない、現在その作業を進めておるところである。こういうお答えであって、要するにグレーゾーンなるものはあるのかないのか。これは、個別的自衛権の定義をきちんとし、集団的自衛権の定義をきちんとしたならば、それは出てくるはずなのです、もしあるとするならば。その作業というものをされますか、されませんかというお答えには残念ながらなっていない。
その後に、ACSAをなぜ平時に限るかというお尋ねをいたしました。私は、変な表現ですが、消防車を訓練のときには使うが火事になったら使わない、そんな
お話がどこにありますかというような失礼な問いかけをしたような気もいたしております。それに対しまして、
大臣の御
答弁は、いわゆる有事には適用しないと言っていいかと思うが、この日本とアメリカの間のACSAは若干特色のあるユニークなものかもしれないと。私は、若干特色があるどころか、極めてユニークなものではないのかなというふうに思えて仕方がないのです。
その後の
答弁、続けますと、ガイドラインの見直しに関しては、検討を経た上で、一体どういうことが必要か、またいろいろ考え、場合によってはまたそれを
国会に御相談をすることもある、こういうような
お話でございました。
私は、集団的自衛権を認める認めないということについて、アメリカがそれを望むとか望まないというのは関係のない話だと思うのですね、本質論からすれば。もし仮にアメリカが見直してちょうだいと言えば見直すのかといえば、そんなことはもちろんないわけで、それは日本国は日本国としてアメリカとの協議の中で考えていかねばならない。これは揚げ足取りみたいな話ですから、結構です。
だけれども、物事というのは何が大事なのかなというふうに思いますと、要は、本当に有事の際に、日米同盟というものを維持しながら、アジア太平洋の安全を日本とアメリカが共同して守っていくためには何をしたらいいのかということが出発点でなければいけない。今まで解釈されている個別的自衛権と集団的自衛権の間にグレーゾーンというのはあるのでしょうか、ないのでしょうか。そして、PKO法のときに、いわゆる一体性論というのが随分とこの場でもなされました、平和協力に関する
委員会で。つまり、武力行使と一体になるようなものはだめだ。時間的に、空間的に、地理的に、態様をどうするか、いろいろな分類がありました。とにかく武力行使と一体になるようなものはだめだが、武力行使と一体にならないものならいいという
お話、いわゆる一体性論がこのガイドラインの見直しの下敷きになっているのじゃないかというふうに私は思いますが、いかがですか。