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青木委員 新進党の
青木宏之であります。
きょうは、環境という問題についていろいろとお尋ねをしてまいりたいと思っておりますけれども、私ども人間が生活をすることすべてにかかわることでありますので、大変多岐にわたります。しかし、特に、これからの政治、
行政、あるいは、国内のみならず国際的にもこの環境というテーマは我々人間そして人類にとって最重要のテーマではないか、こんなふうに考えておるわけでありまして、そこで本日は、いろいろと細かいこともたくさんありますけれども、基本的に人間と自然とのかかわりに関する根本的なことに関して、絞ってお尋ねをしてまいりたいと思います。
最近ですけれども、最近というか前からですけれども、私は名古屋市内で生まれて名古屋市内で育ったわけですけれども、私の子供時代は、ちょうど戦後でございますので、いろいろな焼け野原の跡で遊んだものであります。そんな思い出がいつも何かの拍子に脳裏に浮かんでくるわけであります。それはほとんどが楽しい、ふくよかな、何となしに心が和む、そんな思い出が非常に多いわけであります。
例えば、春になって菜の花が一斉に咲き乱れますと、モンシロチョウが、これはもう固まりのようになっていわゆる群舞をする光景、あるいは、秋にはアカトンボがこれまた群れをなして飛び交う、夏にはセミ、バッタ等々、そんなことが何とはなしに浮かんできて、ああ、いいときに子供の時代を過ごしたなというふうに思うわけであります。
また、長じて、私はゴルフが好きなものですから、県
会議員を愛知県でやっておりましたが、キャリアはかなり長いわけですけれども、かつて私が始めたころ、もう二十数年前になりますけれども、ゴルフ場へ行きますと、やはりそこにはチョウチョウが見られ、トンボが見られ、そして、地べたへ腰をおろしますと、もうすぐ周りにアリが行き交うのが見られた。
〔
委員長退席、
高橋委員長代理着席〕
ところが、例の農薬問題がやかましくなっておったころでありますけれども、小十年前ですか、あのころ本当にいつも感じたのですが、かつて見られたチョウチョウやトンボ、そしてアリすらゴルフ場から姿をほとんど消してしまった。大変寂しい思いをいたしておりまして、県会のときもこの農薬問題等々についていろいろと
指摘をしてきたものでありますけれども、昨今、ようやくそれらは若干でありますけれども改善をされてきたかな、こんなふうに思っております。そんな思い出、あるいは、ここにおられる
皆さん方もそうでしょうけれども、川でジャブジャブとつかって魚をつかみ取るとか、そんな楽しい思い出が頭に浮かんでくるわけであります。
それからもう一つ、天候のことでありますけれども、
日本は、春夏秋冬、四季に恵まれた、非常にめり張りのきいたといいますか、変化の多い気候風土、そういったものゆえに、昔から歌に詠まれたり絵にかかれたりして、非常に情緒豊かな
日本文化というものが培われてきた。私は、一番象徴的にこの気候の変化で前から思っておりますのは、夏の夕立てす。これは、夏、かあっと照って、ところが、四時か五時かぐらいになりますともう決まってざあっといわゆるスコール的な夕立があって、そしてもう小一時間でさっと上がって、そうすると涼風がすうっと夕方吹いて、いわゆる縁台将棋ですか、あんなようなものをやったり、ああいう、絵にかかれているような、あれがもう毎日毎日決まってたしかあった。
ところが、いつからか夕立というものがとんと見られなくなってしまった。雨が夕方になっても降らない。何となく昔のそういう懐かしい思いに浸っておるわけですけれども、やはりそこに、今申し上げたいろいろな自然の変化、気候の変化というものが、時代の進展とともに、あるいは人間社会の進展とともに変化をしていくんだという程度のことであれば、これは残念がるだけのことであります。
これからずっとお尋ねをしていきたいと思いますが、やはりこれは、どうも取り戻すことのできない、結局
地球そのもののメカニズム、それを人間がついつい破壊をしてしまった。そういうことで、これはある一定の、これはわかりませんけれども、ある一定の時点を、チャンスを逃しますと、いわゆる不可逆、戻らない、取り返すことができない、そういったことであるといういろいろな
指摘が、特に科学者あるいは宗教者、政治家でもそうですけれども、あちらこちらで唱えられ始めているわけであります。
それで、いささかちょっと前置きが長くなりましたけれども、私は、そういう
意味で、人間と自然とのかかわり、そういったことにずっといろいろな方面から考えてきたものでありますが、現在のところ、私の考えるところは、人間といえどもこれは自然の単なる一部の存在である。極論すれば、道端の石ころでもあるいは水や空気でも、存在としては自然という中では人間と同じ、同等の存在だという
考え方に至っておるわけであります。
したがって、過去の人間の、人類の来た道をいろいろ反省しながら見ておりますと、何かこう、人間は考える能力がある、頭脳がある。考える能力があるから、ついつい自然を制御する、支配する、またできる。現実に、人間は一部いろいろなところで制御したり支配したりしてきたわけでありまして、だから、いつしか、おごりといいますか、何でもかんでも人間は人間のために自然を
利用して、何でもできるんだというような思いについついなってきてしまっておったのではないか。
そんなところから、後ほど申します
地球的規模の環境問題のいわゆる危機性の
指摘というものは、その辺に、今申し上げた人間のおごり、そういったものに対するこれは警告だ、最後のチャンスを与えられている、こんなふうに思うわけでありまして、そこで、いつでも本当はそうなんでしょうけれども、特にこれからの政治あるいは
行政、国内、国際かかわりなく、これを展開していく、なしていく、その中心、背骨、大黒柱、それにやはり環境というものをどっかと据えてかからなければならないのではないか、こういうふうに思うわけであります。
したがって、ぜひ政治の大先輩であられます、そしてまた
行政の長であられます各
大臣から、私が今申し上げてきた自然と人間とのかかわりということについて、あるいは私の今申し上げたことが、いや実は違うよ、こういう考えもあるよということなのか、あるいは、細かい部分まで
議論すればこれは相当な時間を要することかと思いますけれども、ぜひその辺をこの際お聞かせいただいて、それが現在の橋本内閣のこれからの政治、
行政の背骨、そういったものがそこからうかがい知ることができるのではなかろうか、こんな気持ちでお尋ねをさせていただきます。
かといって、非常に限られた時間でありますから、大変恐縮ですけれども、大体私が申し上げたとおりのことか、あるいはもっと違う考えがある、持っているということか、もし違う考えがあるということであれば、これは相当御意見をおっしゃっていただく時間も必要であろうし、
議論する時間も必要であろうと思いますから、それはまた後日に譲らせていただきますので、ぜひひとつそのあたりのお考えを一言ずつお聞かせをいただけたらと思います。