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生方委員 財政再建というとどうしても出を絞るということに重点が置かれがちで、国民の側からすると、出が絞られるというのはなかなか暗いことであって、つらいことであるというような感じがいたしますので、やはり同時に入りをふやすということをやっていかないと、世の中明るくならないんではないかというふうに思っております。
アメリカも、財政再建法をやると同時に、当然入りをふやすための
経済構造改革というものに一九八〇年代の中ごろから懸命に取り組んできた、その成果が九〇年代に入っての歳入の増加につながって、財政赤字がピーク時の三分の一にまで減るという劇的な変化につながったというふうに私は解釈をしております。
アメリカの財政再建ということに関していいますと、
日本の場合はどうしても
アメリカのリストラということにばかり目が行ってしまいまして、あれだけ大胆にレイオフをやれば
日本の
経済もすぐにも立ち直るんではないかというような
意見もございますが、それだけではなくて、
アメリカ政府は今や、
日本がかつて
日本株式会社と言われたように、政府と企業、
経済界が一体となって
経済発展にばく進したように、
アメリカがむしろこの手法を学んでいるというような感じを強く持っております。
具体的に申しますと、一九八五年に米の国防総省がCALSというものを導入いたしました。一番最初は、これは御
承知のとおり紙をなくそうということで取り組んだんですけれども、これが最終的には今
日本で、まあ今じゃないんですが、二、三年前にCALSが非常にブームになりました。もう八年、十年ぐらいたってからブームになるぐらい、前に
アメリカはCALSに取り組んでいるわけです。
で、このCALS、最初は紙をなくそうという運動だったにもかかわらず、これが部品や何かを共通化していこうという動きにつながって、いわゆる
アメリカの産業の復活に
一つの力をかしたデファクトスタンダードというようなものを
アメリカが支配することにつながっていったわけです。
同時に、今度は一九八七年には
アメリカがマルコム・ボルドリッジ賞というのを導入いたしました。これは
日本のデミング賞をまねしたものではないかというふうに
日本ではとられておったんですけれども、ところが、デミング賞の品質管理ということはもちろん重要な
考え方でございますが、
アメリカがマルコム・ボルドリッジ賞を取り入れたときに、
日本のデミング賞と非常に違った観点で、いわゆるCS、カスタマーサティスファクションという、顧客を重視するという
考え方を取り入れた。これが
アメリカの企業を、ただ単に品質管理というだけではなくて、顧客を重視するというように大きく変えていったことにつながっていった。
また、一九九〇年代に入りまして、今度はスーパーハイウエー構想というようなものが出されました。これも当時提出されたときは、
日本のNTTのISDNをまねただけではないかというようなことを言われたのですが、やはりここにも
アメリカの場合は思想がございまして、御
承知のとおり、これはゴア副大統領が提唱をしたのですが、ゴア副大統領のお父さんが、これは郵便事業を何とか
アメリカじゅうに拡大させなければいけないという
考え方のもとに、州と州の間を結ぶ道路をつくっていった。つまり、これが
アメリカのハイウエーにつながって、このハイウエーを
アメリカじゆうに広く普及さぜたことが
アメリカの工業社会を支えたというふうに言われております。したがって、ゴア副大統領はそのお父さんの
考えを受けた中で、今度は情報のスーパーハイウエーというものをつくることによって情報社会を支えていこうではないかというような
考えを持っていた。
このように、財政再建と同時に、
アメリカの場合は
経済構造改革というものを非常に行っていった。これが
アメリカ経済を非常に強くしていったのではないかというふうに私は
考えております。
一九九〇年代の中ごろに入りまして、今度
アメリカは、いわゆる組織
改革とか経営
改革に今取り組んでいる最中でございます。これは、例えばチーム制を導入することによって、これまでの非常に階層が多かった組織というものをいわゆるホリゾンタルな組織、水平的な組織に変えていこうというような
改革も行っております。また、いわゆるアウトソーシングというのですか、外部資源を活用するというような形で、今までの、会社の中にはあらゆるものがそろっているというような組織論というものを変えて、大胆に今経営方法も変えていこうというようなことを行っております。
こうしたことを見てみますと、
アメリカ経済がどういうふうに変わっていっているのかという一番のポイントは、私は、情報化というようなことに対してどう対応していこうかというようなことが一番大きかったのではないか。つまり、今の
経済、企業をいわゆる昔の、今までの私たちの工業型というものから情報型に変えた、これが
アメリカ経済が九〇年代に入って復活した大きな原因であるというふうに私は
考えております。
日本の
景気のことなんですけれども、よく私は
考えるのですが、今の
日本の
景気というのは、高い山からボールを落とせば当然谷に向かって下がっていって、それから谷からまた山へ向かって上がっていく。だけれども、上がった玉はまたいずれ下がらなければいけない。これがいつになるかわからないというのが今の
日本の
景気の
状況ではないか。これに対して、
アメリカはそのボールの中にいわゆる情報化というエンジンを持った。したがって、
景気を自在にコントロールできるように今変わりつつあるのではないかというように解釈をしております。
総理も、
日本の
経済構造を
改革しなければいけないというようなことは常々おっしゃっておりますが、その視点というか
根本に、
日本はやはり工業型というものにちょっと頼り過ぎているのではないか。したがって、私は、
アメリカが行った、
経済復活を果たしたように、情報化というものを
根本に据えた
経済構造改革というものをお進めになっていただけると、より方向が明らかになるのではないかというふうに
考えるのですが、このことについて
総理の御所見をお伺いしたいと思います。