○倉田栄喜君 総理は、昨年十一月、二〇〇一年までに東京市場をニューヨーク、ロンドンと並ぶ国際金融市場に復権することを目標とした「二〇〇一年東京市場の再生に向けて」との構想を打ち出しておられます。この構想が、ただいま
議題になりました
金融監督庁設置法案にどのようにあらわれでいるのか、あるいはいないのか、
新進党を代表して、総理並びに関係大臣に質問いたします。
本
法案の質問に先立ち、先ほど総理より御
報告がありました、
ペルーの
人質であった
方々が救出されたことに、御
本人、御
家族の
方々にお喜びを申し上げますとともに、不幸にして
犠牲になられた方に心から弔意を申し上げます。
さて、総理は、東京市場の国際的地位の低下は何が原因と認識しておられるのか、まずお尋ねしたい。
特に、
我が国金融市場の空洞化をどう認識され、どう対応されるのか。
一つは、国際的空洞化です。国際的大競争時代の中で、現状の対処療法のみで抜本的な改革を怠った場合、東京金融市場のさらなる陥没と衰退が目に見えてきます。
二つは、国内的空洞化です。改革の過程で生じる金融システムの不安定と金融インフラの弱体化、市場ルールの未
整備をどう
考えますか。
これらの点について、総理の御見解をお尋ねいたします。
次に、行政改革の視点からお尋ねしたい。
総理は、昨年九月、
日本記者クラブで、みずから示された行革プランを「霞が関改革」と呼ばれております。「霞が関改革」という言葉を使われるのであれば、現行行政の中心に位置するとされる大蔵省改革を避けて通れないと
考えます。
金融監督庁の設置は、大蔵省改革の当面の完成なのか、あるいは当面のスタートなのか、行政改革
会議において
議論してもらいたいとのお答えではなく、総理御自身の御見解をお聞きしたいと思います。
大蔵省改革が問題になったのは、
一つには、
我が国行政における護送船団方式業者行政が、大蔵省と金融機関がもたれ合う不透明な裁量行政を蔓延させたこと、二つには、金融機関は一行たりともつぶさないという保護行政の結果が、非効率性の温存と国際競争力の低下、国際性の欠如を招いたこと等が指摘されています。大蔵大臣はこの点をどのように認識されているのか、お尋ねしたい。
さらに言えば、経済を行政がコントロールできると
考えていた大蔵省の過信などの
批判があります。この点、大蔵大臣はどうお
考えですか。
これらの視点から、本
法案は大蔵省改革にどのような
効果をもたらすと
考えているのか、護送船団方式、裁量的業者行政はこの
法案によって転換されるのかどうか、大蔵大臣の御見解をお尋ねいたします。
総理が言われるフリー、フェア、グローバルの改革三原則からすれば、財政と金融の分離、金融行政の一元化がなくてはならないのではないかと
考えます。本
法案はこのような
考え方に基づくものであるのかどうか、総理のお
考えをお聞きしたいと思います。
大蔵省が財政、金融双方を所管してきたこれまでの行政が、財政優先で行われ、金融政策がゆがめられたのではないですか。バブル経済、証券市場の空洞化は、財政優先の結果そのものではないかとの指摘であります。
我が国の金融制度や金融市場が国際競争力を持つためには、郵便貯金、簡易保険、さらに住専問題で論議された農協系統金融機関なども一元的な検査監督の体制下に置き、透明で公正な監督を実施すべきであるとの指摘があります。そこで、金融行政の一元化という視点から、郵政大臣と農水大臣にもその御見解をお聞きしておきたい。
集めるだけでは通用しない時代に、郵政省管轄の金融機関や農協系統金融機関は、今後どのように対応しようとされているのか。また、金融行政の一元化という問題にどのような基本姿勢をお持ちなのか、お聞きいたします。
そして、総理、一千二百兆とも言われる
我が国の貯蓄総額が、国家にも
国民にも有利で実のある果実を生む運用ができるのか、喫緊の課題であります。同時に、庶民が、生活設計の一部として、老後の蓄えとして、汗にまみれて積み上げた預貯金、この貯蓄に対する現在の金利の低さ、この超低金利政策に対する
国民の怨嗟の声は、今後ますますちまたに満ちることになるでしょう。総理は、
国民のこのような声をどうお聞きになりますか。
次に、
金融監督庁と大蔵省の関係についてお聞きいたします。
総理、
金融監督庁は、大蔵省との関係において独立しているのでしょうか。その独立性はどのように担保されているのですか。
独立性に対する疑問の第一は、当初、与党三党協議で検討された公正取引
委員会型の独立した機関となっていない点であります。せっかくつくる機関であるとすれば、公正取引
委員会型の独立した機関とすべきではないでしょうか。
疑問の第二は、信用秩序の維持という名のもとに、大蔵大臣との定期協議、破綻処理に当たっての事前協議を認めています。これでは、肝心の頭脳部分で、大蔵省主導の従来の手法を実質、温存することになります。住専の不良債権処理や銀行の巨額損失不正
事件などの密室業者行政に見られた不透明な行政を認める結果になってしまうのではないでしょうか。
疑問の第三は、地方の金融機関の検査監督について、
金融監督庁の委任を受けて大蔵省地方財務局等が代行することになっています。これらを
考え合わせると、
金融監督庁は、独自の頭脳はなくしかも手足さえない張り子のだるまと言わざるを得ませんが、総理はどうお
考えになりますか。
また、
政府系金融機関に対する検査監督機能が、
金融監督庁に移管されず、大蔵省所管となっています。これはどうしてでしょうか。さらに、監督に関する省令は、総理府、大蔵省の共同省令で
規定することになっていますが、これでよいのですか。結局、今回の
法案は、組織を一部分離しただけで、やることは従来と同じという結果になりませんか。
以上の点だけから見ても、今回の
金融監督庁の設置は、金融行政の透明化を図ることよりも、大蔵省に権限を温存した見かけだけの大蔵改革であるばかりか、見方によれば、大蔵省の権限を拡大する大蔵省の焼け太り改革なのではありませんか。
総理、これらの
批判にこたえる
一つとして、
金融監督庁と大蔵省の人事交流を絶つノーリターンルールを採用するお
考えはありませんか。
総理、
最後に、この
金融監督庁設置法案に見られる改革の手法と
効果について、総理の御見解を問います。
「和をもってとうとし」とする
我が国の文化は、責任の所在においても、最終責任者の不明確な
連帯責任です。改革の手法も、できるだけ痛みを和らげる漸進主義的手法、対処療法であり、ソフトランディング的手法であります。本
法案にも見られるような既得権益の微調整と対処療法で、
我が国金融市場とシステムの空洞化を
解決し、ニューヨーク、ロンドンと並ぶ東京市場の再生が本当にできるとお
考えでしょうか。中途半端、あいまい、先送りの
批判がそのまま当てはまるのではないでしょうか。
総理は、最終責任者として、改革の手法を明確にした上で、
国民に対し自己責任原則と改革の痛みを説得することが必要です。そして、市場の透明性、公正性、開放性等、総理が言われる金融システム改革の具体的なスケジュールを、二〇〇一年までに間に合うのかどうかも含めて、
国民に目に見える形で示すべきであります。
最後にこの点をお聞きして、私の質問を終わります。(
拍手)
〔
内閣総理大臣橋本龍太郎君
登壇〕