○田中(眞)議員 私が教員になるような資質を持っているかどうかということはまだわかりませんので、この政治家という職を経験させていただいた後に、第三のステップとして教壇に立つことが社会に少しは貢献するようになるのかもしれませんが、今は自分ではよくわかっておりません。
ただ、
子供たち三人おりますけれども、
学校、私好きなものですから運動会とか行事とかしょっちゅう、
授業参観もばっちり行くのですけれども、幼稚園から
大学までとにかくいろいろな
先生がおられます。そして、私学、国立、いろいろな
学校を経験しておりますけれども、そういう中で、やはり
先生方自体が
文部省のカリキュラムで、指導要領とかでしっかりもう管理されてしまっている。そうでないところもあると思いますけれども。
先生方は、年代によってまた受けとめ方も違うと思うのですが、やはり国がその
教育の方針を決めていくということはいいことなのですが、歴史
教育その他につきましても、もう少し弾力的に教師に任せていいのではないかと私は思うことがあります。
先生方がそういうことと、それからあとはミーティングが多いのですね、どこの
学校も、どの
小学校であっても高校であっても。そのことで
先生が現場で管理されつつ
生徒のことを見るといってもこれは大変厳しいことでして、結局は健常者であるとか勉強のできる子とか、いわゆる強い立場にあるといいますか、そういう人たちに照準を合わせた
授業しかできないというところに、
先生方の悩みもおありになるというふうに私はずっと見てきております。これはもう公立ても私学でも幼稚園でも高校でもみんなそう思って見てきております。
ですから、
先生自体が本当にゆとりを持てないと、管理
教育で、スケジュールをこなすのに、
会議をこなすのに、教え込むのに目いっぱいなのですね。
先生方は、私、欲求不満の塊だというふうに思っております、日本の
学校の
先生は。もっとフレキシブルに、信頼してもらえるような立場にしてほしいと思っている
先生が絶対に多いに違いないというふうに私は感じております。
ですから、そういう
意味からいっても、私は、今たまたま文教
委員会でこのことが提案されておりますから、
教育的見地の
お尋ねもありましたし、そういうふうな形で言っていますが、そうではなくて、冒頭に申しましたように、社会連帯、連帯意識がないのですね。教師と、父兄も
子供もかなり不信感がお互いにあるじゃないですか。あの
先生についたら勉強できなくなった、あの
先生意地が悪いとか。あの子は親がこうだとか、教師側も言っているわけですよ。そんな中で連帯意識なんか生まれるわけありませんから、やはり先ほどからずっと
質問の中にあるのですが、どうしてそういう障害者とか福祉
施設に行くのかというところの答えが、そこにあるのです。
一人一人の違い、障害があっても年をとってもすばらしい人がいるということ、一人一人を大切にする。自分も、しかし人も大事にしながら、この人生をお互いにいいエネルギーを出してともに生きていくんだという落ち着いた
認識をつくるためには、やはりこれは絶対に間違いなく福祉
施設が、まずプライオリティーを持って教師になる方に行っていただきたいところだ。ほかのデパートやら何かいろいろあるでしょうけれども、工場見学もいいですが、まずここなのです。人間だからいろいろな種類の人間がいることを知ること。いるからすばらしいのです。社会によって自分が生かしてもらっているのだということを教師自身が知ること。教師ばかりに期待をしてもかわいそうです。父兄も
子供も、もう少し下がって全体を見回すということが大切だと思います。
ですから、私は、福祉の現場に行っていろいろ混乱が起こるのじゃないかというような
質問もこの後続くだろうというふうに思いますし、今までの討議の中でも、そんな、素人が、学生が来たら大変じゃないか、困るのじゃないかという議論はずっと一年半で、あります。
ところが、現場で聞きますと、そればかりじゃないです。若い
大学生が、気持ちよくジーパンにTシャツで、何かできますかという形で来てくれたら、お年寄りも本当にうれしい。孫に会うようにうれしい。ふだん寂しい思いをしている方が多いのです。それから、障害者のところも、
先生方が一人でもって三つの車いすを押したり配膳とかお手洗いのお世話で遣われている。運動会、文化祭等いろいろな行事があるのですね。そういうときに、だれかが、若い学生さんが、そういう身なりで何が僕ができますかと、ホワット・キャン・アイ・ドゥーということなのですよね。何かやってもらうのじゃなくて、自分が何ができるかという若者が来てくれれば、職場の方たちも、ただ一週間とか二週間とか教員免許を取るためじゃなくて、人間的にお互いにつながりができてくる。それが社会的連帯ではないかというふうに思っております。
御
質問の趣旨とはそごを生じたかもしれませんけれども、自由に話させていただきました。