○
三沢委員 文部省の方もいろいろとお
考えになっていることは承知しておりますが、まだ
用途が
学校の
施設の
延長としかとらえていないような気が少しいたします。確かに
教室は
学校の
施設である以上当然だと思いますが、
余裕教室を
地域の
高齢者の活動の場あるいは憩いの場として
活用できないかと要望が来ております。
福祉の方も随分力を入れておられまして、
老人のために
余裕教室を使うということは大分
努力されています。京都府のある小
学校では二年前より
余裕教室の一部を
高齢者の
デイサービスセンターに
活用していますが、開設当初は校内で出会うお年寄りに戸惑った
児童も、今では昼休みや
放課後にこの
施設に出向き、お年寄りとの交歓を楽しんでいるという
子供たちがいるそうです。そしてまた、ある東京の小
学校では
高齢者が週に一度
教室に集まって
児童と同じ
学校給食を楽しむ触れ合い給食を
実施し、元気な
子供たちに会えるのはとても楽しいと
高齢者に喜ばれております。
余裕教室をこのように
高齢者施設として
活用することにより、
高齢者は独立した自分から抜け出し、
児童、
子供たちはお年寄りを大切にする気持ちが生まれ、
教育効果も大きいと思われます。
やはり私の
地域でも今はドーナツ現象でありまして、若い夫婦が、息子さんたちが郊外へ行かれて、残っているのは年寄りばかりだ。年寄りが集まるところは病院か健康センター、そこらに集まっている。もうちょっと健全な場所に集まれないか。お年寄りはやはりお話ししたりお菓子を食べたりしながら、それでいて毎日の元気を保てるのではないか。今は
核家族になりまして、
子供たちも
老人を見る目が汚いとか違った人種というような見方で、今の
子供は間違った見方をしております。そういう意味でも、こういうところで
子供たちと
老人の触れ合いというのはすばらしいことではないか。
昔私もおじいちゃん、おばあちゃんがいまして、いろいろなルールやマナーというのはやはり長年生きた経験の豊かな年寄りが
子供に対して教えていました。今の子はかわいそうですけれ
ども、お年寄りが面倒を見ない、まして一人で何もかもしなければいけないというような時代です。
地域のお年寄りが本当に気楽に
学校に行けて、
子供たちと接触して楽しく食事をして、そして健康である。
子供たちもお年寄りからすばらしい経験を聞きながら成長していく。この協調性というようなものが
子供たちに今欠けているようですが、そういう感動のある、リーダーシップをとれる
子供たちがこういう面から育っていくのではないか、そういうふうに思っております。
年寄りにいたしましても、バスを乗り継いだり車を乗り継いだりして行くよりは、やはり散歩がてら近所の
学校に行ったりすることによって健康も保てるのではないか。
私の
地域でもそうですけれ
ども、いろいろな日本の
地域も、今都会でしたら平家ではありませんので、お年寄りが隣同士仲よくお話ができません。隣組ではありません。鉄筋の市営住宅や県営住宅はもう十階、二十階の団地が建っています。その十階なんかにいますと、鉄の扉に囲まれましたらほとんど表に行くような気持ちにはならないと思います。
そういう意味でも、やはり
学校というのは
皆さんがどこでも知っている場所なものですから、そこに毎日通う、これだけでもお年寄りは随分元気になるのではないか。今は医療が問題になっていますが、予防医療にすることといいますか、予防医療のためにも、やはりお年寄りが元気で長生きできるというのは、こういうところから
努力していけば医療費の負担も少なくなっていくのではないか。
元気なお年寄りをつくらなければいけない。そして
子供たちも元気な
子供たちをつくらなければいけない。特に、
子供たちも今は運動もしませんし、食べるものも偏った食べ物です。冷凍食品のようなものばかり食べまして、体力も落ちています。今の
子供たちが三十、四十になったときに、果たして本当に健康で長生をできるのかどうか。その辺のことも踏まえまして、この
余裕教室の
活用というのはやはりお年寄りと
子供たちの接点といいますか、家族の基本となる一番のこれからの光を当てる部分ではないか、そういうふうに思っております。
今後、
文部省といたしましては、
余裕教室の高齢化
施設への
活用はどのようにお
考えになっているのか、御所見を
お願いいたします。