○新崎
参考人 新崎
盛暉です。
まず、皆さんのところに
新聞の社説を二枚お配りしてあります。これは
沖縄の
二つの
新聞、
沖縄タイムスと
琉球新報の特措法
改正の閣議決定の翌朝の
新聞です。なぜこの
新聞を皆さんにお配りしてあるかと言えば、これは
沖縄の社会的雰囲気を直接知っていただきたいということからです。お読みいただけばいいわけですが、冒頭の
部分だけちょっと読ませていただきたいと思います。
まず、
琉球新報、「苦痛強いる特措法
改正」というものはこのように
書き出されています。
常軌を逸した
措置だ。理不尽と言わざるを得
ない。
基地と強制的に「共生」させられている
県民にとって、あまりに酷だ。そればかりでは
ない。法
改正は、
日本の法体系そのものを正面
から否定することになりかねない。あとはお読みいただければいいのですが、二番目に
沖縄タイムス、こちらは「がまんできぬ特措法
改正」ということで、まず冒頭、
新たな
土地収奪法ともいえる米
軍用地特別措
置法
改正案がついに
国会に提出された。
沖縄の
苦難の歴史が再び繰り返されることを示すもの
で、我慢のできぬ
措置と言わねばならない。
同時に、特措法
改正案は、窮すればいつでも
権力者の思うまま操作できる形を整えた点で、
民主主義の根幹に触れる問題であり、全
国民に
とっても重くのしかかるテーマである。
と書かれています。
この
沖縄の
新聞の論調に対して、特に
本土サイドの一部の評論家などは、何といいますか、こういう論調は非常に偏っているという批判をする
人たちがいます。しかし、もし
沖縄の
新聞がそういう偏った論調であれば、これは商業紙ですから、当然だれにも読まれなくなるはずです。
二つの
新聞が、今
沖縄の読者を分け合っているという
状況です。ということは、少なくとも
沖縄の社会的雰囲気はこういうものである。したがって、県議会が特措法に反対し、そして知事も反対し、
基地が所在する市町村長の九割が反対している。こういう
背景があってこういう社説が出てきているわけです。
もし、よく言われているように、一握りの座布団
地主、ハンカチ
地主の
土地をとる、ただそれだけの問題であったならば、なぜ
沖縄社会がこのような反発をするのか。そのことは説明がつかないだろうと思います。その
背景には、戦後の
沖縄の歴史が米
軍用地強制使用の屈辱の歴史であり、今回の特措法
改正が、そこに新たな一ページを加えるものであるということから来ているものだと言わなければいけません。
米
軍用地の問題については、今金城
参考人からもありましたけれども、実は、彼が指摘する前に、
日本軍の
土地収用という問題があります。この
日本軍による
土地収用に対して、契約
地主の中から、この問題を指摘して、今の段階で契約を拒否したいという
人たちが三十六人も出てきているという事実もあります。
それに続くのが、
沖縄戦が終わって、住民が収容所に入れられている間に囲い込まれた広大な軍事
基地です。例えば、今話題の普天間飛行場、ここは宜野湾村の中心部でした。村役場、
二つの
国民学校、五つの部落が、人がいない間に囲い込まれたわけです。そしてさらに、その
基地を拡張するために、銃剣とブルドーザーによる
土地取り上げがありました。
そして、復帰に際しては、
日本政府が、
沖縄のみに適用される公用地法というものによってこれを正当化しました。そしてその後、地籍明確化法という全く別の法律の附則によって、公用地法を五年延長しました。そして、三回繰り返した特措法による強制使用。そして、今回の
改正という問題が引き続いてきているわけです。そこに例えば、この
琉球新報、
沖縄タイムスの社説に見られるような
島ぐるみのいわば反発があると言っていいでしょう。
次に、この特措法及びその
背景にある差別性というものについて指摘しておきたいと思います。
特措法は、全国的に適用される法律だと言われています。確かに、一九五二年の五月に、
安保条約の成立とともに制定されました。その段階では、
沖縄は
日本ではなくなったわけですから、
日本にのみ適用される法でした。
それから、しかし現在まで、
日本と
沖縄でどのような、
基地の上で、
軍用地の上で変化があったのかといいますと、米
軍用地特措法が成立してから、いわゆる六〇年の安保
改定、現在の
安保条約に
改定されるまでの間に、
日本本土の
基地は四分の一に減少しました。それからさらに、
沖縄返還を間に挟む数年間で三分の一に減少しました。四分の一掛ける三分の一、都合十二分の一に減少しました。
沖縄の
基地はどうだったでしょうか。米
軍用地特措法が成立したころから六〇年
安保条約の成立のころ、つまり、
本土の
基地が四分の一になる段階で
沖縄の
基地は約二倍になりました。その二倍になった
基地というのは、なぜ二倍になったのかといえば、
日本本土にいた
海兵隊が
沖縄に移駐した結果です。
そういう
背景のもとに、既に六〇年安保が成立した直後から、
日本では米
軍用地特措法による
基地拡張の必要は全くなくなりました。
沖縄では今後も引き続いて起こっていくでしょう。ここに、事実上
沖縄のみに適用される法として性格を変えた特措法というものが存在するわけです。
それから、この特措法の適用によって、例えば立川
基地の拡張問題がありましたが、立川
基地の拡張問題は結局、十年間すったもんだしたあげく、
米軍によって計画が断念されました。つまり、
米軍が軍事上どうしても必要だという滑走路の拡張が、計画が十年かかって中止されるわけですけれども、このときには、別に軍事的な影響があるから、安保に影響があるから特措法を
改正しようなどという話はさらさらありませんでした。
もう
一つの例を挙げれば、成田空港の問題があります。
成田空港に関して、
政府は事業認定を取り消して話し合い路線に入るということを今言っています。力と力の激突で死者まで出て、そして収用
委員会も成立しないというような
状況の中で、ボタンのかけ違いを正すための話し合いというのが始まるということです。
しかし、
沖縄では、戦後一貫して、
米軍の支配下においても、
自分たちの主張を貫くのはすべて非暴力の抵抗でした。
言論による抵抗でした。そして、その
言論による主張の場として、今公開審理というものが行われています。しかし、
沖縄でのこの
言論をつぶすために法
改正があります。これこそまさに、特措法及びその
背景にある差別性、
沖縄側の反発のゆえんであります。
それから、特措法
改定に至る過程、そこにおける
問題点というものを次に指摘しておきたいと思います。
なぜ今期限切れが必至になったのか。これまで三回、特措法による米
軍用地強制使用が行われてきています。
地主の数もほぼ同様です。しかし、なぜこのようにうまくいかない
状況が来たのかといえば、それは、知事にまでそっぽを向かれたからです。
日本政府の政策が、知事にまでそっぽを向かれたからです。
それはなぜかというと、例えば七一年、
国会はこのように決議をしています。
政府は速やかに
沖縄米軍基地の将来の整理縮小を保障する
措置をとるべきという決議を七一年の十一月にしています。しかし、抜本的な
措置は何らとられないまま二十五年続きました。そのことこそが、知事の
代理署名拒否とか公告縦覧代行拒否を生み出す一番大きな原因であったわけです。
いずれにせよ、この問題は
政府と知事の問題であって、収用
委員会の
責任で期限切れが近づいてきたわけでもなければ、
土地所有者の
責任でもありません。この
責任問題をすりかえるというのは非常におかしい。
次に、現行法の枠内で対処の仕方がなかったのかというと、言うまでもなく、現行法の中で緊急使用の申し立てという手段がありました。しかし、
政府はそれを行いませんでした。今になって間に合わないと言いますけれども、間に合わないということは去年からわかっていたわけですから、さっさと緊急使用の申し立てをすべきだったわけです。そして、緊急使用の必要性を立証する努力をすべきだったわけです。しかし、
政府は一切そういう努力をしないで、もし公開審理でも行われて
混乱でも起これば、一挙に法
改正ができるというひそかな期待で、今まで時間をむだに過ごしてきたわけです。
それからもう
一つ、じゃ、期限切れで何が起こるのかという問題です。期限が切れたら過激派が突入するんではないか、あるいは滑走路に小屋が建てられたら
基地の機能が麻痺する、こういうデマが法
改正の論拠として行われています。
しかし、皆さん御承知のように、
日本の法体系の中で、自力救済というのが当事者によって認められているでしょうか。つまり、期限が切れたからといって、そこに小屋を建てたり勝手に入ったりすることができるでしょうか。もしそういうことができるのであれば、もはや、楚辺通信所、いわゆる象のおりにはビルが建っているでしょう。
そういう何かの要求をするためには法的手続が、仮処分の申請とか明け渡し訴訟とか、そういう法的な手続が必要だということは御承知のとおりです。にもかかわらず、期限が切れたらまるで何か大
混乱でも起こるかのような、ある意味では一種のデマが振りまかれている。
嘉手納の滑走路には確かに契約拒否
地主の
土地があります。しかしその滑走路は、例えば嘉手納カーニバルと称して
米軍が
基地を開放するようなときには、三日間にわたって駐車場になっているような
土地です。いたずらにデマによる危機感をあおって特措法の
改正を推進しようとする、こういうことでいいのでしょうか。
次に、特措法
改正案の特徴、それ自体について指摘させていただきたいと思います。
特措法
改正案の特徴というのは、さまざま多岐にわたっていますけれども、一言で言ってしまえば、準司法的中立機関を排除し、暫定使用を名目とする永続使用法である、こう言っていいだろうと思います。
この法律の建前は、収用
委員会の審理期間中は継続使用できるようにするというふうに言われてきました。しかし実際は収用
委員会の審理期間中のみならず、収用
委員会が裁決を下して後も、それに不服であれば那覇防衛
施設局長は建設大臣に
審査請求をし、その期間中、何年でも無制限に
土地が使えるという法律です。
ちなみに、御存じの方もいらっしゃるかしれませんが、五年前の収用
委員会の裁決を不服として、
反戦地主百数十人が建設大臣に
審査請求をしています。その
審査請求の
結論は、五年間の強制使用の期限が切れようとする現在に至るまでまだ出ていません。五年や六年かかるのは当然だそうです。
そうだとすれば、その期間中ずっと継続使用ができる、これがこの法の性格です。しかも、
土地所有者が
審査請求をした場合には、収用
委員会の裁決の効力は中断しません。つまり、何年間使えると言ったら使え続けるわけです。
ところが、この法律によれば、
改正案によれば、国が
審査請求をしたら収用
委員会の裁決が凍結される、棚上げされてしまうわけです。どのような裁決を下そうが継続的に使用ができるということになる、何年間もです。
そしてもう
一つは、従来は、
土地の使用権原を得るためには、補償金を支払って後に使用権原を手に入れる、こういうのが収用法の法体系の建前とされてきていました。しかし、今回は補償金を支払うのではなくて、
自分たちで勝手に算定した額を供託しておけば強制使用を無期限に続けられる、そして
土地所有者が請求すればその一部または全部を支払うというのが法の趣旨だそうです。
これは、私有財産制を侵してはならないという
日本国憲法二十九条、そしてその例外規定として、公共の福祉に必要とされる場合に、適正な補償のもとに収用または使用、強制使用することができるという二十九条の例外規定、それを受けてできた
土地収用法、
土地収用法の法体系の一部であると言われる現在の米
軍用地特措法と
一体いかなる
関係があるのでしょうか。そういう法体系それ自体を全部ひっくり返してしまうような性格を持っている。露骨な
言葉を使えば、毒を食らわば皿まで式の法律だと言わざるを得ないと私は思っています。特措法になぜ多くの
人たちが反対するのか、当事者以外の圧倒的な世論が反対しているのかというのはそういうところにあります。
そしてその背後に、従来から
日本政府がとってきている
沖縄対策というのは、こういう過重な
基地負担を押しつけておく、そしてそのいわば毒を、金を積むことによって中和する、そういう政策がとられてきました。今回も、それの上積みだという形でしか処理はされようとしてきません。なぜ、憲法とか、そういう法の原理あるいは法の支配というものが問題となる特措法の
改正と抱き合わせで新しい振興策というものが論じられなければならないのでしょうか。振興策は振興策であり、特措法の
改正はまさに
日本の法体系の問題として、あるいは
沖縄差別の問題として議論されなければならないものであると私は
考えています。
そういうことを、ぜひこの際きちんとお
考えいただきたいというのが私の
意見陳述の趣旨です。
もし特措法に賛成されるのであれば、二度と
沖縄の痛みを分かち合うとか、
沖縄の心にこたえるなどということを口にしないでいただきたい。余りにもその
言葉は白々し過ぎます。もちろん、私は
沖縄ということを一生懸命強調しましたけれども、
沖縄の中にもこういう政策によって利益を得る層というのはいるわけですから、
沖縄が
島ぐるみで全部が反対しているということではありません。
しかし、この両紙に代表されるように、あるいは知事の
発言に代表されるように、あるいは県議会の決議に示されるように、
基地所在市町村長の九割が反対しているという事実に証明されるように、多くの
人たちは、やはりこれは間違いなく
沖縄に対する差別であると認識しています。そして
沖縄を踏みにじれば踏みにじるほど、実は、安保によって守るはずの
日本社会それ自体、
日本の
政治それ自体の荒廃を推し進めつつあるのではないだろうか、法の支配というのは
一体どこに行ったのだろうか、私たちはそういうことを痛切に感じざるを得ません。
なお、限られた時間でしたので、資料として、私が
新聞に書いた資料なども皆さんのところにお配りしてあります。後ででもお読みいただければと思います。
なお、私の、限られた時間の中ですので、非常に強い
言葉を使うとか、そういうところがあればおわびしますし、もし必要であれば
質疑にお答えする形でさまざま補足させていただきたいと思います。(拍手)