運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1997-04-09 第140回国会 衆議院 日米安全保障条約の実施に伴う土地使用等に関する特別委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成九年四月九日(水曜日)     午前十時開議 出席委員   委員長 野中 広務君    理事 甘利  明君 理事 杉浦 正健君    理事 鈴木 宗男君 理事 中谷  元君    理事 高木 義明君 理事 二見 伸明君    理事 村井  仁君 理事 前原 誠司君    理事 穀田 恵二君       石崎  岳君    稲葉 大和君       臼井日出男君    遠藤 利明君       小此木八郎君    大野 松茂君       嘉数 知賢君    河井 克行君       瓦   力君    栗原 裕康君       河野 太郎君    阪上 善秀君       桜田 義孝君    下地 幹郎君       砂田 圭佑君    滝   実君       玉沢徳一郎君    浜田 靖一君       林  幹雄君    目片  信君       山本 公一君   吉田左ヱ門君       青木 宏之君    東  祥三君       一川 保夫君    神田  厚君       佐藤 茂樹君    島   聡君       達増 拓也君    永井 英慈君       西田  猛君    西野  陽君       西村 眞悟君    平田 米男君       山中 燁子君    北村 哲男君       玄葉光一郎君    近藤 昭一君       山元  勉君    木島日出夫君       東中 光雄君    古堅 実吉君       上原 康助君    前島 秀行君       粟屋 敏信君    新井 将敬君  出席政府委員         防衛施設庁総務         部長      伊藤 康成君  委員外出席者         参  考  人         (杏林大学社会         科学部教授)  田久保忠衛君         参  考  人         (中央大学総合         政策学部客員教         授)      森本  敏君         参  考  人         (沖縄軍用地         等地主会連合会         副会長)    金城 重正君         参  考  人         (沖縄大学法経         学部教授)   新崎 盛暉君         参  考  人         (東京国際大学         国際関係学部教         授)      前田 哲男君         参  考  人         (財団法人沖縄         協会理事)   末次 一郎君         安全保障委員会         調査室長    平川 日月君     ───────────── 委員の異動 四月九日  辞任         補欠選任   小此木八郎君     目片  信君   栗原 裕康君     山本 公一君  吉田左ェ門君     阪上 善秀君   青木 宏之君     島   聡君   平田 米男君     山中 燁子君   東中 光雄君     木島日出夫君 同日  辞任         補欠選任   阪上 善秀君    吉田左ヱ門君   目片  信君     小此木八郎君   山本 公一君     栗原 裕康君   島   聡君     青木 宏之君   山中 燁子君     平田 米男君     ───────────── 四月九日  駐留軍用地特別措置法改定反対に関する請願  (穀田恵二紹介)(第二〇九六号)  米軍用地特別措置法改悪反対に関する請願(古  堅実吉紹介)(第二〇九七号) は本委員会に付託された。     ───────────── 本日の会議に付した案件  日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び  安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並び  に日本国における合衆国軍隊地位に関する協  定の実施に伴う土地等使用等に関する特別措  置法の一部を改正する法律案内閣提出第八一  号)      ────◇─────
  2. 野中広務

    野中委員長 これより会議を開きます。  内閣提出日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並び日本国における合衆国軍隊地位に関する協定実施に伴う土地等使用等に関する特別措置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本法律案審査のため、参考人方々から御意見を聴取いたします。  まず、午前中の参考人として、杏林大学社会科学部教授田久保忠衛君、中央大学総合政策学部客員教授森本敏君、以上お二人の方々に御出席をいただいております。  この際、参考人各位委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、殊のほか御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査参考にいたしたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げます。  田久保参考人森本参考人の順に、お一人二十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。  それでは、田久保参考人にお願いをいたします。
  3. 田久保忠衛

    田久保参考人 田久保でございます。  ただいま委員長から、忌憚のない意見をというお言葉でございましたので、遠慮なく忌憚のない意見を述べさせていただきたいと存じます。  沖縄問題についての私の所見でございますけれども、問題点を幾つか申し上げたいと思うのでございます。  まず、この問題は初動が非常にまずかった、村山内閣でございますけれども、非常にまずかった。一昨年の九月五日のあの事件でございますけれども、その一週間あるいは八日後に大田知事が上京されて、日米地位協定の問題をお取り上げになった。そのとき、外務省あるいは官邸でございますか、この対応は、日米地位協定は円滑に運営されている、問題ないのだ、沖縄は先走りし過ぎているというような御発言があった。国民に優しい政治としては大変厳しい言葉だったわけでございます。  その後、大田知事がお帰りになって、宜野湾で大変な、島ぐるみの大会がございました。この後、政府は何をしたかというと、今度は平グモのように謝った。これで、何でもできるようなことを次から次へとおっしゃったわけでございます。私は、見ていて、これはえらいことになるなというふうに思ったわけでございます。これは、今でも私は基本的な姿勢は続いていると思うのでございます。  途中で、宝珠山防衛施設庁長官が、今政府沖縄に対して感情で物を言うべきではない、今こそ理性で物を言うべきである、感情で物を言って、あたかも大きな基地が次から次へと返ってくるようなことを、これは大変なことになるということを言われた。ついうっかり、村山さんは頭が悪いと言ってしまったので首になったのだろうと思うのですけれども、私は、宝珠山さんが言っているのは、正しいことをおっしゃったな、私に言わせれば、むしろ宝珠山さんは村山首相を褒め過ぎではないかなというふうに思うのでございます。  実は、私も、上原先生が全軍労書記長または委員長をやっておられたころ、時事通信の那覇の支局長をやっておりまして、当時革新というよりも保守系方々と私は非常に親しくしていた。沖縄方々は、自分たちをウチナーンチュ、本土人たちヤマトンチュというふうに分けておられた。今沖縄重みがどうのこうのと言うのですが、そうではないだろう、むしろ歴史的な重みがあるのではないか。これは三回にわたる、沖縄語ユガワイというのですが、世がわり、これをヤマトンチュに強制された。  第一回が、一六〇九年、慶長の役の余波でございますけれども、薩摩藩琉球侵攻があった。これは大変過酷なものでございました。しかし、当時の常識でいえば、ヤマトンチュの側からすれば、これはある程度仕方がなかったということでございましょう。何しろ十七世紀の初頭のことでございます。  二番目は、廃藩置県でございますね。これは一八七一年から八年、一八七九年でございますね。これも大変強制的なものでございました。まあ、これもやマトンチュの方のアングルから言わせますと、明治政府国境の画定を急がなければいけなかった。これは、北は樺太、西は朝鮮半島、南は琉球、それから東の方は小笠原諸島でございます。これはきちっと国境を画定しておかないと、危ない時代であった。ただし、沖縄にとっては大変過酷な処置であったということでございます。これは第二のユガワイでございますね。  三回目は、第二次世界大戦激戦地になってしまったというお考えであります。私は、それプラス戦後の大変過酷な犠牲を強いたということがございますので、四つぐらいのユガワイだろうと思うのでございます。  ただ、冒頭申し上げましたように、初動の悪さが次から次へと問題を拡大させてしまったということでございましょう。地位協定改定がどうなったかというと、基地整理縮小、それから大田知事代理署名拒否の問題、それから沖縄の普天間の返還の問題ですね、移転先がどうなるかまだ不明である。それから海兵隊撤兵の問題、あるいは沖縄経済的繁栄をどう図るかというような問題、次から次へと広がってまいりまして、まだどれ一つとして解決のめどがついていない。今度の特措法の改正は、五月十四日に期限が切れるその後をどうするかという、あくまでもびほう策でありまして、とりあえずこれで切り抜けるということにすぎないのではないかと思うのでございます。  私は、結論から申しますとこういうことでございます。けじめをはっきりつけるべきだったのじゃないか。私が外務大臣なり官房長官であれば、大田知事に対して、あなた方には、三回、四回大変過酷な、歴史あるいは現状、こういうところでヤマトの側から大変な犠牲を強いている、申しわけない、地位協定改定、これはあなたの球を承って、預かってワシントンに投げてみましょう、これは当然やるべきだったと思う。その後で、沖縄が乗っている日本丸、この日本丸の命綱は日米安保条約である、この日米安保条約に傷をつけることは御勘弁願いたい、あなた方も日本丸一員です、ここのけじめをつけて、その範囲内でできるだけのことをやる、初めからそういう方針を打ち出していれば、今日のようなみっともない事態にはならなかったのではないかなというふうに思うのでございます。これが、冒頭に申し上げたかったきょうの発言のエッセンスでございます。  次に、沖縄の声に耳を傾ける、これをいろいろな方がおっしゃる。沖縄の声というのは一体何だろうか。大田さんなのだろうか。大田知事は、私も尊敬している方でございますけれども、今度アメリカに行かれて、一部報道によりますとヤンキーゴーホーム演説をなさるという。これは一体日米安保条約をどう考えておられるのか。ここにおられる先生方は、社民党を含めて日米安保条約の堅持にコミットされた方であります。ここでヤンキーゴーホームというのを無条件で、何らの前提条件なしでこういうことを叫ばれる、どういうことかなというふうに私は心外でございます。  大田さんの著作をほとんど私読んでみましたけれども、謝花昇、この人は明治民権運動先駆者でありまして、四十四歳のときに神戸に行くときに狂死する、頭が狂ってしまうという大変悲劇的な人物でございます。大田さんはこの謝花昇を大変詳細に研究しておられまして、これは本土に立ち向かった沖縄の英雄であるというふうに位置づけておられる。こういう考え方が根底にあると、これはなかなかこれからも解決は難しいんじゃないか。この大田さんが沖縄の声であろうか、これが私の疑問なんでございます。  それから、ついでながら申し上げますけれども、大田さんと非常に親しい、大田さんの助手みたいなことをやっておられた比屋根照夫先生、琉大の教授でございます。昨年の法律時報四月号に、代理署名思想史的背景という論文をお書きになった。ここで比屋根先生は、廃藩置県のときに清国に赴いた林世功、彼が清国に援軍を求めに行くわけでございます。ところが、清はこれに首を縦に振らない。これは日清戦争の前でございますから、とてもそういう状況じゃなかったんだろうと思うのでございます。そこで、林世功が自殺するのですね。ここで比屋根さんは、沖縄の気持ちというのはこういうことである、大和への同化への志向かあるいは自立への志向、同化されちゃうか自立するか、二つ一つであるという大変な論文をお書きになっておる。  私も、沖縄方々の心底深いところでこういうお考えがあるのかなというふうに思ったわけでございますが、これは大田知事のお考えとも一致するのではないか。こういうお考えをおやめいただく、そのために本土側も一生懸命努力するということでなければいけないんじゃないか、こういうことでございます。  それから二番目は、一坪地主、一坪反戦地主沖縄の声なのか。私がこういうことを申し上げますと、そんな証拠がどこにあるということでございますが、私、琉球新報沖縄タイムス、ずっと読んでおります、毎日読んでおります。そこで、こういう印象を強く持っているわけでございますが、特に、四月三日に特別措置法の一部改正案が閣議決定されて国会へ出された、その日の現地二紙の夕刊でございますよ。これは沖縄の反響、全部一坪地主あるいはその団体代表者発言ばかりであしらっている。あたかも沖縄の声は一坪地主に代表されているのか、こういうことでございます。  全体の地主三万人のうち、これは細かい数字を申し上げてもいいのですが、防衛施設庁あたりから詳しい正確な数字はお聞き取り願いたいのでございますが、約一割が反戦地主である。半分が本土に住んでいる、半分が沖縄に住んでいる。その中にどういう人物がいるか、これは大変なことでございますね。  御参考までに、これは先生方全部御存じだと思うのでございますけれども、本土沖縄その他、国立大学教授あり、それから市会議員県会議員国会議員もいらっしゃいます。それから、沖縄の県庁ですね、これは局長部長、課長、こういう方までいらっしゃる。それから、地方団体方々もずらっと並んでいらっしゃいます。国立琉球大学の教授が、助教授含めて十一名、こういうことでございます。それから、私立大学、これもたくさんいらっしゃるということでございます。  それから問題は、二つ新聞、これは私も新聞に三十年関係してきたわけでございまして、報道のあり方というのは大変強い関心を今でも持っております。特に私は、沖縄だけではなくて、ハンブルクの特派員をやりまして、それからワシントン支局長を四年やりまして、それから外信部長を六年半やっていたものですから、ハウツーリポート、どういう報道をするかというのは大変関心を持っているわけでございます。この二つ新聞は、はっきり言いますと普通の新聞ではないということでございます。これをきちっと批判すべき、言論の自由のあるところであればこれを批判しなければいけない。それが批判されないで、あの島で温存されている、大変なことだと思うのでございます。  そこで申し上げますけれども、琉球新報編集局長編集担当の取締役、一坪地主でございます。琉球新報論説委員琉球新報浦添支局長、一坪地主でございますね。沖縄タイムスの社長、タイムス相談役、それから相談役琉球放送監査役、こういう方々が一坪地主である。御先祖から自動的にいただいた土地でこうなっておるんだとか、信念からこうやっておるんだ、これは私は非難すべきではないと思うのでございますが、公正な報道に携わる者がけじめをつけないで、こういうことでいいだろうか。李下に冠を正さず、瓜田にくつを入れず、こういうことからいえば、この新聞が偏向しておると言われてもいたし方ない、弁解の余地がないのではないかというふうに私は思うのでございます。  民主主義社会でございますから言論の自由が許されている、これは沖縄でも言論の自由を許すべきではないかな。二つ新聞は、全くうり二つでございまして、題字を入れかえてもどっちがどっちだかわからない、一致団結して同じアングル報道をしているということでございます。これが一体沖縄の声か、こういうことを私は申し上げたかったということでございます。  それから次に、海兵隊撤兵論でございますが、こちらにいらっしゃる森本参考人と私は非常に親しい関係でございますが、森本さんの海兵隊撤兵論はいろいろな条件つきでございます。私、森本さんを非難するのではなくて、条件のない海兵隊撤兵論というのはいかがなものか。  日米安保条約、これは日本も努力するけれども、一国だけで自国を守れないのでアメリカに半ばお願いしている。主たる役割日米安保条約でございますね、米軍でございます。従たる役割日本、自衛隊である。これは、冷戦の前、後で若干変わりましたけれども、基本的な構造は、構図というのは変わっていないと思うのでございます。要は、こちらから守ってくれと言っているのに、例えば安全保障会社に、この部屋を守れ、それをピストル外してこいとかなんとかと要求できるのか。あるいは、軍事情勢全体がわからないで、軍は秘密が多うございます、これがわからないで、アンパイア面よろしく、あっちも、おまえのところは引き下がれ、こういうことは評論家面よろしく言うのはおかしいだろうというふうに私は思っております。  具体的に申しますと、第一点は、四月十七日に橋本クリントン会談で、十万の軍隊をこの周辺に置く、これは数字の約束でございますね。一年たたないうちに日本の方から、二万何千人かの沖縄駐留米軍は引き揚げろとか海兵隊は要らないとか、こういうことは国際上の条約の通念になじまない、非常な不信感を相手に与えるだろうというふうに私は思うのでございます。  それから、あとは、午後は重村智計君が来て北朝鮮の問題を言うのでしょうか、北朝鮮の問題は、私は大変複雑だと思うのでございます。これははっきり言うと、自滅するのか、南にちょっかいをかけるのか、あるいは軟着陸、今やっている四者会談が、アメリカの提案がスムーズに前進するのか、三つに一つである。だれもが第三のオプションを望むことは間違いないわけでございますが、あくまでも希望であって、希望と観測は全く違いますよということを申し上げたいのです。そういう状況で、北に誤ったシグナルを出すのではないか、出さないかどうか。  それから、きのう私はペリー前国防長官とお目にかかる機会があったのですが、去年の橋本クリントン会談、あのジョイント・セキュリティー・デクラレーション、安保共同宣言、この一カ月前に中国ミサイル実験を初めとする三波にわたる台湾に対する威嚇があった、こういうものを背景にあれができたということを忘れてはいかぬということをおっしゃっている。私は、アメリカは今中国に対して大変柔軟な路線をとろうとしているわけでございますが、これは握手の部分と、やはり構えているパンチの部分、両方あるんだということをわきまえないといけないと思うのでございます。  朝鮮半島はただいま何が起こるかわからない状況である、それから台湾海峡、これは未知の要素があるんだ、そういうところでいきなり沖縄から海兵隊撤兵、これをやるとどういうサインを与えるのか。  これは正確に申しますと、過去にこういう例があった。アチソン国務長官が、五〇年の一月二十日でございます、ワシントンのナショナルプレスクラブで演説をした。そのときに、アメリカ防衛ラインディフェンスライン、これは、アリューシャンから日本、それから琉球列島、それからフィリピンに至るまで弧を示して、朝鮮半島をこの範囲から除外したわけでございます。その六カ月後に北が南に対して攻撃を加えてきた。これは一体どういうことであるか。国際問題専門家の一致した見解は、悪い誤ったシグナルを北に与えたのではないか、こういうことでございますので、軽々しく海兵隊撤兵論というものを言うことは、口にすることは、私は不見識ではないかなというふうに思います。  時間が切迫してまいりましたので、結論を申し上げたいと思うのでございます。  これは、私が申し上げているように、あくまでも日米安保条約の枠内で沖縄にはできるだけのことをするという、この原則を確立しないととんでもない混乱を招来するのではないか。ましてや、今、海兵隊撤兵といったときに、どこと合唱しているか。合唱団北朝鮮じゃございませんか。そのほかに合唱している国がありますか。あるいは中国かもしらぬ。我々が置かれた立場というものをわきまえないで合唱団一員に進んでなることは、これは控えた方が利口ではないかなというふうに思うのでございます。  私は、申し上げたいのでございますけれども、要するに、かかる混乱が起こってくる根本の原因というのは、国と地方仕事、このけじめがついていないんじゃないか。例えば、新潟県の巻町の問題もそうでございます。国家が安全保障最終責任を担うのであって、巻町の町民が担うのじゃないわけですね。日米安保条約最終的責任は、沖縄の県民は、これは意見を言うことは自由でございます。それから、安保条約を直したいと思ったら、それは上原先生とか嘉数先生とか、いろいろな沖縄選出の代議士を通じてやるのが民主主義ルールじゃないか。最終的責任を持たない人に判断を仰ぐという、これはだめである。  ただし、地方自治とこれは全く別でございまして、今の沖縄の仕組みというのは、土地収用委員会裁決権を与えている。この判断いかんによっては日米安保条約がおかしくなる。私は、これはきちっと分けまして、最終的には特別立法で、国の仕事地方仕事地方仕事に対して国は一切口を出してはいけない、そのかわり国仕事に対して地方がこれを侵すことも許さない、一応ルールを確立する必要があるのではないか。私は、最終的にはこれが最も必要な措置である。  次善セカンドベストでございますかね、次善措置として今回の特別立法、大変結構なことであった。時期が少し遅過ぎた感がございますけれども、これは適当な措置であるというのが私が申し上げたかった点でございます。  以上でございます。(拍手)
  4. 野中広務

    野中委員長 ありがとうございました。  次に、森本参考人にお願いいたします。
  5. 森本敏

    森本参考人 委員長及び本委員会委員の皆様、本日、参考人としてこの席にお招きいただきまして、大変光栄です。  私は、御案内いただいているように、過去三十年防衛庁と外務省に勤務をし、主として安全保障仕事をしてきた者ですが、現在は一私人でございますので、やや今までの自分の経験というものと離れて、今日我が国が直面しているこの深刻な問題について所感を述べてみたいと思います。  今、特別措置法なるものが我が国政治においてここまで大きな問題になってきている最大のゆえんは、私は、以下申し上げる一点にあると考えています。  それは、冷戦後における同盟意義というものがよくわからなくなって、この冷戦後における同盟意義というものについて、政府がまだ国民に率直にかつわかりやすく説明し得ていないというところにあるのではないかと思います。昨年四月の日米共同宣言においても、なお冷戦後の日米同盟意義づけというものについては不明確である。これが、日米同盟がなくても何となく日本がやっていけるのではないかという錯覚を国民の一部の人が持つに至っており、そのことが今日この沖縄における米軍基地及び米軍基地安定的使用という問題について国民的コンセンサスが得られていない最大の理由ではないかと考えています。もしこの事態が非常に厳しい冷戦期に起きておればこのような問題にはならなかったのではないかということを考えるときに、日本国家全体の安全と日米安全保障体制のもとで特定の県民の方々が負っている負担あるいは犠牲というものをどのように調和させるかというところに、いわば政策上の基本的な方針というものが存在すると考えています。  さて、このような状況を前提にして、私は、以下二つのことを申し上げてみたいと思います。  第一は、今回御審議いただいている特別措置法改正案というものについての考え方です。  言うまでもなく、我が国がさきの大戦後旧日米安保条約を結んだ際、我が国は独自の自衛力を持っていませんでした。したがって、米国に我が国の国家の安全保障、国家の防衛を一方的に依存するという形になって、旧安保条約のもとで米軍にその施設区域を提供せざるを得ないという状況になり、そのことが、いわば昭和二十六年に制定された土地収用法を駐留軍用地に適用するという形で、昭和二十七年のいわゆる特別措置法が制定されたということであります。この当時の状態として、これはベストの選択であり、やむを得なかったと思います。  もちろん、この時期にこの特別措置法沖縄における駐留軍用地に適用されたということではありません。この時点では、まだ本土における基地がこの特別措置法の適用の対象であったということは明らかであります。昭和四十七年、沖縄本土復帰に伴って、当時防衛施設庁の方々が大変な努力をされて、沖縄における駐留軍用地をこの特別法に適用させるための手続について御努力になったわけですが、当時の状況はまさに、いろいろなところに明らかになっているように、戦争時における公図の焼失その他で境界や位置が不明確であるということから必要な準備が整わず、結局のところ公用地法という法律を適用することによって、昭和四十七年から十年間の準備期間を置いて、ようやく昭和五十七年になって沖縄における駐留軍用地が今日我々が知っているいわゆる特別措置法の適用になったということであります。  その間、旧安保条約から新安保条約改定になったわけでありますが、考えてみますと、現在の特別措置法というものは、いわば国家の安全保障の用に供する駐留軍用地、あえて言えば、さらには我が国の自衛隊の施設といった著しく公益の用に供する土地等米軍あるいは自衛隊に提供するに必要な法律の枠組みとして、この特別措置法を適用する際、昭和二十六年に決めた土地収用法をすべて適用するということにそもそも無理があったのではないかと考えます。  土地収用法というのは、法律の立て方からいえば、もちろん、特定の土地等を国及び公の用に供する際、国が使用もしくはおさめて用いるというためにつくった法律でありまして、これがある特定の県に、あるいはある特定の市町村にあるとはいえ、その軍用地あるいは防衛に関する施設は国全体の防衛の用に供しているわけです。したがって、ある特定の県の特性や県民の意見というものを反映させることはもちろん必要ではありますが、たまたまその基地がその場にあったというだけのことでありまして、いわば県の防衛の用に供しているということではありません。したがって、これらの土地あるいは建物等が、いわば国家全体の安全保障や防衛の用に供するという性格を持っているそのような土地を、土地収用法をすべて適用するという現在の特別措置法のあり方そのものに今申し上げたように無理があり、そのことが今日特別措置法改正をここまで深刻な問題にさせてきたのではないかと考えます。  後で振り返れば、私は、旧安保条約を新安保条約にかえたときに、駐留軍用地とそれからその後つくられた自衛隊の施設をこの土地収用法の適用から外して、別の法体系をつくって、県の収用委員会ではなく、政府が国家全体の見地から土地の使用権原を取得できるという方法をとることが最も望ましかったのではないかと思いますが、しかしながら、六〇年安保前後の日本の国内政治はそれを許すことが結局できずに、今日に至っているということなのではないかと思います。  今回、この特別措置法改正については、私は二つの問題があると考えています。  第一は、多くの方々の御指摘のように、いわば県の収用委員会の裁決に日本の国家の安全保障を依存するという形の法体系であるということはやや合理的でない面があり、しかも、県収用委員会の裁決が、多くの先生方が御指摘になっておられるように、極端に裁決期間が短いと、この特別措置法に基づく手続が短い期間に何度も繰り返されるということになり、このことは、基地の長期的な安定的使用あるいは安定的供給という原則にはなかなか合致しない面がある。これはむしろ、特別措置法改正に問題があるというのではなく、根っこの現在の特別措置法そのものの構造に問題があると言ってもいいのではないかと思います。  さらに言えば、現在の特別措置法に基づく手続には、御案内のように、裁決申請書の作成あるいはその署名、押印及び裁決申請書の公告縦覧等の手続において、土地の所有者がその手続を拒否した場合、そして市町村長がなおこれを拒否した場合、最後に県知事が権限を振るうことができるようになっているわけですが、県知事が公の目的という観点からこのような署名、押印あるいは公告縦覧を拒否するということは、この法律をつくった時点では恐らく考えに入れていなかったのではないかと思います。したがって、現在の特別措置法そのものにはそのための救済措置が必ずしも十分にとられていないということも、今日我々が改正案をつくる際、もともと根っこの特別措置法が持っておる根本的な原因となっているのではないかと思います。  いずれにせよ、私が申し上げたい点は、特別措置法のあるべき姿とは、政府が国家の安全保障という見地から基地施設の使用権原を取得できるようにする必要があり、そのためには、米軍のいわゆる軍用地のみならず、自衛隊の施設を含むあらゆる防衛施設の使用権原に関して、土地収用法に基づく収用委員会ではなく、国家の立場に立って処理できるようにするということを含め、現在の特別措置法の問題を根本的に見直して、これを是正するための措置を速やかにとるという必要がありましょう。  しかしながら、この措置は、相当に時間がかかり、また困難な政治的手順を踏むという必要があることから、当面、使用権原が切れる当該十三の基地施設については、引き続きこれらの基地施設の使用権原を延長することが日米安保条約の空白をつくらないという観点から不可欠であり、したがって、私が今申し上げたような措置がとられるまでの間、これらの基地施設の暫定使用を認定するよう特別措置法改正する現在の改正法案を通過させるということは、日米同盟という観点からも、そして我が国基地米軍のために安定的に使用させるという観点からも不可欠な措置であると私は考えます。  以上が特別措置法についての私の考え方です。  本来はこれで私の御説明を終わろうと思っていたのですが、今、田久保先生より、私が累次今まで展開している海兵隊撤退論についての非常に厳しい御批判の御意見もありましたので、このことについて、いささか弁解がましいのですが、私の考え方を一言だけ述べてみたいと思います。  現在の日本を取り巻く安全保障状況というものを考えてみれば、この厳しい北東アジア情勢の状況及び今後の推移にかんがみ、現時点で在日米軍のプレゼンスについて変更、修正を考えるべきではないことについては、全く私も同意です。  この点については、この数カ月の間、アメリカ側に非常に深刻な不信感を持たれるような状況になったことは、むしろ、この特別措置法改正の審議とは別に、日本にとっての最も深刻な問題であると考えます。その意味において、来る日米首脳会談において、我が総理より、今若干傷ついた日米関係を健全なものに修復していただくような努力をしていただくということは、日本にとって非常に重要なことであろうと思います。  しかしながら、この特別措置法というものを通過させることによって米軍基地を安定的に使用させるということと、それから海兵隊を含む在日米軍の兵力構成をどう考えるかということとは本来別の次元の問題でありまして、私は、むしろ、現在日米の両国政府で努力している日米防衛協力のガイドラインの見直しという作業を通じて日米同盟を強化する、このガイドラインというものと、それから特別措置法に基づく基地の安定的な供給という問題とをリンクするということが本来あるべき姿であろうと思います。  しかしながら、安全保障とは、そのときに置かれた安全保障上の環境に応じて最善の政策を立案するということが安全保障の基本でありまして、したがって、現在のように沖縄米軍基地の大半が集中するという事態を長期的に解決していく道を模索するということは、これは必要であろうと思います。  そのためには、北東アジアの情勢の変化に応じてこの在日米軍の兵力構成について柔軟に対応すべく日米で率直に協議を行うということはぜひとも必要であると思います。一部の方々に、現在行っているガイドラインの見直しの作業がすべて終わらないとこのような兵力構成について日米協議をするべきでないとの意見がありますが、私は、ガイドラインの作業というのはあくまで、我が国に駐留する米軍とそれから本土その他の地域から来援する米軍とが行う作戦と日本がどのような防衛協力を進めるかということを具体的にかつ現実の問題として協議するというのがガイドライン見直しの作業であるとすれば、このガイドライン見直しの作業とそれから兵力構成の協議を同時並行で進められると考えております。  他方、先ほどから申し上げましたように、沖縄を含む我が国に駐留する海兵隊は、半島有事の際極めて重要な役割を果たすということは明々白々でありまして、したがって、朝鮮半島事態解決されるまでの間、海兵隊の駐留はぜひとも維持する必要があると思いますが、それ以降については、南北統一後の北東アジア情勢というものがどのようになるのか、いかなるプロセスを経て、いかなる性格の統一国ができるのか、そのときの北東アジア情勢がどのようなことになり、在韓米軍や在日米軍がどういう性格を持つのかということを念頭に置きつつ、日米で協議するということが必要であると考えます。ただし、沖縄方々の負担を軽減するということであれば、現在、沖縄において海兵隊が行っている訓練の一部をどこかの地域に持っていくということは、日米で真剣に検討する必要があるとも考えています。  そういった、いわゆる海兵隊というものの存在が今我が国が直面する国家の安全保障にとって不可欠であるということは、それはそれとして、未来永久に海兵隊が要るなどという考え方に立って我が国安全保障考えるべきでないと考えます。あくまで安全保障とは、そのとき置かれた環境というものに応じて最良の政策を選択していくということでありまして、したがって、状況の推移というものを見ながら在日米軍の兵力構成を常に考えていくということが、これから我が国に問われている非常に重要な課題であると考えます。  いずれにせよ、私の結論は、在沖縄米軍基地安定的使用を維持して、日米安保体制の信頼性を確保し、今やや傷ついている日米同盟関係を修復して、沖縄の問題を解決しつつ我が国安全保障を確保する。これをいかに進めていくかという観点から、今回御審議いただいている特別措置法を速やかに改正の手続を踏み、安定的に基地を使用するために最善の努力をする、これが我が国が今日置かれている一番重要な政策課題ではないかと考えます。  以上で私の説明を終わります。ありがとうございました。(拍手)
  6. 野中広務

    野中委員長 ありがとうございました。  以上で参考人意見の開陳は終わりました。     ─────────────
  7. 野中広務

    野中委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。  全委員各位におかれましては、質疑時間の厳守をお願いをしておきます。  大野松茂君。
  8. 大野松茂

    ○大野(松)委員 自由民主党の大野松茂でございます。両先生には、大変お忙しい中をまことにありがとうございます。  実は、私の選挙区は米空軍の横田基地に接しております上に、私は、航空自衛隊入間基地の所在いたします狭山市の市長として、国政の最も根幹にかかわる防衛、基地の存在について地域住民の理解と協力をいただいて、基地の安定使用、そして住民との相互信頼に精力を注いでまいった立場でもございます。そしてまた、基地所在市町村で組織しております全国基地協議会、また防衛施設周辺整備全国協議会の副会長としてもかかわってまいりましたので、このたびの特措法の改正につきましては、沖縄県民の皆さんのお気持ちを考えあわせまして、特別の感慨を持ちまして、この委員会の審議に臨んでいるところでもございます。  さきに、本土移設の第一号として、KC130の岩国基地受け入れに岩国の市長さんが理解を示されました。私は、早速、貴船岩国市長さんに手紙で感謝を申し上げたところでもございます。  限られた時間の中でございますので、早速、そのような立場の中から、田久保先生にお伺いをいたします。  一つ目に、このたびの特別の措置を講じなければ駐留軍用地の使用権原が切れることになるわけでございます。そうなりますと、日米安保体制にさまざまな影響が出るものだ、このようにも思うわけでございますが、先生の御所見を賜りたいと思います。  そして二つ目に、今、契約を阻んでいる約三千人の地主がおいででございますが、この地主の意向があたかも沖縄地主の大半を占めるかのような認識の方が生まれていることも事実でございます。報道にも問題があろうかと私は思うわけでございますが、いわゆる一坪共有地主でございます。その実態を正確に知ること、そしてまた冷静で現実的な判断が必要なのではないか、私はこう思うわけでございます。  田久保先生に、まずこの二点をお尋ねさせていただきます。
  9. 田久保忠衛

    田久保参考人 まず、五月十四日の期限が切れたらどうなるかということでございますが、二つ目の御質問にも関係がございます。  まず、米国の、同盟国の一方の大きな不信感を招くであろう。これは日米安保条約上の義務を果たさない。それから、アメリカからすれば、沖縄の問題は日本の国内問題ではないか、国内問題がトラブって日米安保条約の義務を果たさないのかという不信感を生むであろう、これが第一点でございます。  それから第二点は、一坪反戦地主と言われる人たちでございますけれども、先ほど私は申し上げなかったのですが、これは例の新左翼でございますね、中核派、革マル派あるいは第四インターとかなんとか、私にはこれはよくわかりませんが、かつて、凶器準備集合罪、公務執行妨害罪、住居侵入罪、威力業務妨害罪、こういうものに問われた人たちがかなりまじっている。  今、中核派は「前進」という機関紙を出しております。それから、革マル派は「解放」という機関紙を出しております。これまでの方針というのは、この両新左翼は比較的おとなしい対応をとってきた。しかし、五・一四闘争、五・一五闘争というものを組んでおりまして、これは特に「解放」でございますか、土地収用委員会をぶっつぶせ、いよいよ我々の本格的な闘争は五月十五日以降に始まるのだ、こういうことを言っておるわけでございますね。  嘉手納と普天間、両方にはハンカチ地主、一坪地主が集中的に存在している。これでもしもこの連中が、この間、知花さんが自分の楚辺の土地に入ったように、この連中が、三千人とは申しませんが、三百人でも四百人でも基地内に入った場合には何が起こるかということでございます。私は、基地の性格からいって、アメリカは発砲すると思うのでございますね。その場合、日米安保条約というのは一挙に崩壊する、こういうことも視野に入れて考えなければいけないのではないか。  したがいまして、先生の第二点の御質問に対しては、私は重要な問題だというふうに受けとめております。
  10. 大野松茂

    ○大野(松)委員 この一坪共有地主の問題、このことは、決して人数は減らないという背景にもあるようでございます。そういう形でありますと、今後とも、いろいろな場面に今回と同じようなおそれが生じやしないかと思うのですけれども、その点いかがでしょうか。
  11. 田久保忠衛

    田久保参考人 これは私、防衛施設庁その他の関係省庁から詳しい数字はとっておりませんが、去年の四月一日現在の数字を私は持っているのですが、これに比べますとふえております。  これは人為的に、例えば返還の直後でございますが、一坪地主が三千人いたのがぐっと減ってきて、百人単位になったのですね。百五十人ぐらいでございますかね。ここで危機感を持ちました革新系の弁護士あるいは沖縄の知識人が、いろいろなことを考えまして、あの一定の反戦地主の何百坪かのところに集中的に登録を始めた。  私は、これは余り社会党の方々を挑発すると後でしかられちゃうと思うのですけれども、六六年のあの成田闘争でございますね。あのときに、六五年に閣議決定があって、成田の空港建設に着手する。この後、猛烈なあの反対があった。六六年の社会党の大会で、これに反対を決議する。すぐ佐々木更三委員長があそこに乗り込みます。現場で大演説をぶって、そこでお考えになったのが一坪地主という考え方でございますね。すぐ、成田知巳さん、大出俊さん、山口鶴男さん、実川清之さん、小川三男さん、上野建一さん、こういう方々が一坪地主におなりになった。  したがいまして、私、社会党のおやりになったことは大変罪が深いというふうに思うのですね、これはお怒りになっても結構でございますけれども。これが何をもたらしているのか。二十八年間にわたるあの成田闘争というのは、これは日本の歴史の中でも例を見ない大闘争でございましょう。このために日本の国家としてどれだけの損害を生じたかでございますね。  このことを考えると、私は、今の御質問で、戦略、戦術いかんによっては一坪地主、ハンカチ地主はどんどんふえていくのではないかな、これはむしろ五月十四日あるいは十五日以降の問題で、慎重にこれは見守る必要があるのではないかなというふうに思っております。
  12. 大野松茂

    ○大野(松)委員 引き続きまして、森本先生にお伺いをさせていただきます。  一点目に、現行の駐留軍用地特措法は、一般の公共用地の例に倣いまして土地収用法の諸手続を適用したものでございます。今回のこの法の中で、具体的にどのような点に問題があるとお考えになりますでしょうか。先ほどもお述べいただいたところでございますが、さらにお願いしたいと思います。また、将来改善策ということが考えられますものかどうか、これが一点目でございます。  二点目に、私は、先ほども先生からお答えいただいたところでもございますが、特措法の問題と沖縄米軍基地の整理、統合、縮小という問題は別個の形で論議する必要がある、こう思っております。朝鮮半島の情勢が不安定な中で、在沖縄海兵隊の縮小を求めることは現時点ではいかがか、このようにも思うわけでございますが、以上二点につきましてお聞かせをいただきたいと思います。
  13. 森本敏

    森本参考人 御質問の第一点目については冒頭にやや御説明申し上げたと思いますが、現在の特別措置法改正案に問題があるというより、むしろ現在の特別措置法そのものの持っている固有の問題であるという観点で二点を説明申し上げた次第です。  一つ目は、現在の手続によれば、いわば県の収用委員会の裁決で現在の駐留軍用地の契約の期間あるいは条件等を決めるということであり、それは、その県に所在する軍用地であるので、その県の特有の性格というものを十分に反映して県の収用委員会で御審議いただくということは必要なのかもしれませんが、しかし、その裁決をもって国家全体の安全保障を依存させてしまう、決定してしまうという形の現在の法律のあり方はいかがなものかということを申し上げた次第です。  しかも、その際、裁決の期間が極端に短い、例えば一年あるいは二年といった裁決が出た場合、その都度、すなわち毎年半年から一年にわたるこの膨大かつ複雑な手続を踏むことになり、それによって基地を長期的にかつ安定的に提供するということがかなわなくなる、そのことが現在の特別措置法そのものが持っておる問題なのではないかという点です。  もう一つの点は、先ほど申し上げましたように、現在の手続そのものが非常に煩雑でございますが、その手続の中で、裁決申請書の作成や裁決申請書の公告縦覧等の手続において、県知事においてこの手続が拒否された場合のいわば迂回路といいますか、救済措置というのが必ずしも明確でなく、極めて煩雑な手続によって裁判所にまで持ち込まれるということになっている現在の特別措置法の手続そのものに欠陥があるのではないかと申し上げた次第です。  このような問題は私が単に考えるだけであり、現在の特別措置法にはそれ以外に、細部にわたって検討をした場合、やはりいろいろな問題があると考えられます。これらを改善するためには、やはり国が、いわゆる駐留軍用地あるいは自衛隊の施設等防衛の用に供する施設の使用に関して、国家全体の立場から処理できるようにするという観点で新しい法律の枠組みを検討することは必要なのではないか、これが先ほど申し上げた私の趣旨でございます。  第二の御質問の点につきましては、そもそも特別措置法改正あるいは特別措置法というものは、先生先ほど田久保先生への御質問の中で、この契約が切れた場合どういうことになるのかとのお尋ねがございましたが、現在の安保条約の枠組みというものは、我が国施設が他国から武力攻撃を受けた場合、この条約の加盟国はそれぞれの憲法及び法律上の手続に従って行動すると安保条約の五条に明記してありますが、このことの意味は、この条約の加盟国たる米国は、米国の憲法並びにその法律上の手続に従って個別的自衛権及び集団的自衛権を行使して日本を防衛する、他方我が国は、憲法及び法律上の手続に従って個別的自衛権のみを行使して我が国の防衛を全うする。このことは、この安保条約の五条によって、米国のみが日本の防衛を一方的にといいますか、片務的に守るという、いわば防衛義務の片務性というものを持っているわけです。そのことは、安保条約という同盟国同士の条約の仕組みからいえば、やや不公平な面がある。この不公平さというものを安保条約第六条によって、我が国を含む極東の平和と安全のために米国、合衆国が我が国施設区域を使用することができるという、いわば相互補完してこの条約ができ上がっているわけです。  この安保条約第六条の義務を、田久保先生が御指摘になったように、今回の特別措置法改正できずに空白状態ができてしまって、いわばある種の不法使用という状態になった場合、この補完すべき第六条の義務を我が国が果たすことができないということになるわけですから、そのことは安保条約の五条にはね返ってきて、我が国が他国から武力攻撃を受けた場合、米国の防衛義務というものにもはね返る、極めて深刻な事態になるということだろうと思います。  このような条約上の義務というものに基づいて我が国施設区域を安定的に供給させるということと、つまり六条の義務ということと、それから米国が米国の国益を守るためにアジア・太平洋にどのような米軍のプレゼンスを置くかということは、これは一にかかって米国の専管事項でありまして、米国がどのようなことを政策上考えるかということは米国の政府がみずから判断できる問題であって、このことと我が国条約上の義務として基地を安定的に提供すべきだということとは、そもそも次元の違う話なのではないかという趣旨を申し上げた次第です。  以上でございます。
  14. 大野松茂

    ○大野(松)委員 ありがとうございました。時間が参りましたので、質問を終わります。
  15. 野中広務

    野中委員長 これにて大野君の質疑は終了いたしました。  次に、山中燁子君
  16. 山中あき子

    山中(燁)委員 新進党の山中燁子でございます。どうぞよろしくお願いいたします。  田久保森本参考人からの明快な御意見を拝聴いたしまして、大変ありがとうございました。  ただいまのお説を伺っておりまして、お二人とも共通して、日米安全保障条約というのは日本の外交、防衛上の基軸であるという一致した認識をお持ちだというふうに伺いました。そして、総合的視座に立って見たときに、田久保教授が一九九六年五月の「世界週報」で、「米側の不信感が解けたとき真の日米同盟が実現する」そういうふうなことをおっしゃっておりますが、その表現をおかりいたしますと、米国の信頼の回復と同時に沖縄の信頼の回復、この両方は国の責任であるというふうにお聞きいたしました。すなわち、沖縄の問題は外交、安全保障の問題であると同時に生活、文化、人権の問題であるという認識、これは私も共通でございます。  そこで、まず第一点の質問を田久保参考人にお願いしたいのですが、特措法改正で米国の信頼は一応回復できるというふうにお考えでしょうか。
  17. 田久保忠衛

    田久保参考人 これは、米国ははらはらして今東京と那覇のやりとりを注目してきたところでございますから、ひとまず愁眉を開いたという印象ではないかなというふうに推測いたします。
  18. 山中あき子

    山中(燁)委員 関連して後ほどまた質問させていただきますが、そうしますと、もう一方の沖縄の信頼の回復について、沖縄の心をよく御存じの田久保参考人にお伺いいたします。  先ほど一番最初におっしゃいました点と共通しておりますけれども、ちょっと個人的なことを申し上げますと、私、九五年の北京の女性会議に大学人として出席しておりましたときに、中国における日本への感情の中で、私よりちょっと上の残留の孤児の人たちがどんな思いで日本人として過ごしてきたかということに心をとられておりましたけれども、帰国してすぐ沖縄の暴行事件を知りまして、日本の国土の上で、十二歳の少女の人権を日本という国はどういうふうに考えているのかということを深く感じました。  そんなこともございまして、二月の十六、十七日に沖縄の新進党調査団に加えていただきまして、一日早く行きまして、女性の方たちと懇談させていただきました。そのときに、この少女の事件というのは決して単発的なものではなくて、ずっとそういうことが続いている中で、例えば、八八年以降も軍法会議にかかっている婦女暴行事件というのは月に二度ある、しかし本人は申告していないということもありますし、八五年に現行犯逮捕されたものは、その裁判の結果が本人の方には知らされていないというようなこともありました。  そういった、女性が毎日の生活の中で非常に不安を抱いている、しかも三沢の事件それから横須賀の事件というのが続いておりますので、先ほどおっしゃった初動の、地位協定の見直しということがおくれてしまいましたけれども、SACOの最終報告の運用の妙で何とかしよう、そういうことで今後よろしいのでしょうか、どういう御判断をお持ちでしょうか。
  19. 田久保忠衛

    田久保参考人 私は、SACOの報告書にありますように運用面でというのは、何というか、スモールビギニングと申しますか、まず手始めに。ただ、大田知事が最初御不満を抱かれたのは、疑わしいといってすぐ身柄を拘束できない、米軍にすれば米軍で、命令一下死地に赴くのに、疑わしいという理由で作戦の心臓部に当たる者が何人か逮捕されたということではこれは仕事にならないということで、いろいろ意見が一致しないところでございます。  ただ、我々、あくまでも沖縄のような事件を二度と起こさないということで押していってしかるべきだと私は思うのでございます。返す返すも残念なのは、あの事件の直後に、クリントン大統領、クリストファー国務長官、ペリー国防長官それからモンデール駐日大使が大変深甚な遺憾の意を表明された、このときこそ、外交交渉としてはこの問題を一気に片づけるべきであったのではないかなというふうに思います。  過去のことは申してもせんないことでございますので、あくまでも大きな目標として、この地位協定日本に有利に変えていくということは、私は筋として当然のことだというふうに考えております。
  20. 山中あき子

    山中(燁)委員 女性としては大変心強いお答えをいただきました。  ボン協定も、四九年、五九年、七一年、八一年、そして最終九三年には、施設区域内の作業というのはドイツの法に基づくというふうなところまで持ってきております。決して裁判権の問題だけではなくて、イコールパートナーとしての日本というものを考えますと、地位協定全般にわ一たってもうそろそろ見直す時期ではないかというふうに私も考えております。  さて、沖縄の県民所得というのが全国で最下位ですが、思いやり予算によって一人一千万以上という最も豊かな米軍が存在しているというこの現実の中で、世界に類のない濃密な軍事基地を抱えている沖縄が、整理縮小といいましても、これは現実には相当時間のかかることで、しばらくといいますか、これから協定によっては、ある意味でずっと基地が存在する。そういう意味では、この特殊な事情に対して国として何かできるのではないか。  例えば、私がヨーロッパで聞きましたイタリアのアルトアディジェというところは、これはオーストリアとの国境地帯ですが、つまり国境地帯というのは常にフロントである。そのフロントに対して、負荷をかけているのだから国としてということで、そこでは法人税、所得税を免除し、この二税に相当する分を地方税としてそこで使える。例えば、こういうことですと、沖縄の平成七年の予算から見ますと一千五百八十六億七千七百万円という金額に上ります。  ですから、その辺の、各省庁にわたってとか、今までもいろいろ努力をしてきた、五兆円かけたということではなくて、国として負荷をかけているところに何かできないか、そういう考え方があるのでございますが、それについてはどういうふうにお考えでいらっしゃいますか。
  21. 田久保忠衛

    田久保参考人 余計なことを申し上げるかもしれませんが、この問題はかなり日本に特殊な問題ではないか。  例えば、ハワイには太平洋艦隊が集結しております。ハワイの人たちは、これは不公平な負担である、けしからぬと言っているかどうか。それから、私もアメリカに勤務したことがございますけれども、ノーフォークは大西洋艦隊の基地でございますね。ノーフォークの人たちは、艦隊の基地があることをむしろ誇りにしている。これは、日本ではちょっと違うということは私は十分承知しております。  ただ、沖縄というのは戦略上の要衝でございまして、あれは北だけを見ているのではなくて、バシー海峡、フィリピン、ああいうところまで見ている。ザ・キーストーン・オブ・ザ・パシフィック、これは言い得て妙だと思うのでございますけれども、そういう戦略の要衝にあるんだ、これは我々が認めなければいかぬだろうと思うのでございます。  ただし、県民感情、これは私も沖縄におりましたからよくわかるわけでございますが、これは十分に考慮しなければいけない。さればといって、まんじゅうではありませんから、全国民がひとしくというと、一つのまんじゅうを四十七等分して一県ずつ、一つずつ分担するんだ、こういうことになってしまう。これは、国際情勢あるいは安全保障、防衛、アメリカの世界戦略というところから見ると、少し幼稚な意見になってしまうのではないか。そういうことがあって、SACO、これがいろいろ検討したわけでございます。  沖縄に対しまして、私は、これはどこかで全部総合的に見れないかなと思っておるのでございますが、今度普天間の基地が移転する、それは県知事がオーケーしてくれたと思って、八十八項目にわたる振興策を出しているわけでございますね。それから、あそこは自主財源が二〇%でございますから、復帰後、本土全体としてどのくらいあそこに見ているかということも沖縄方々考えていただかなければいけないのではないか。幾らでも財政資金を出すということは、かえって沖縄人たちに失礼ではないか。これは、変な言葉になりますけれども、ブロイラーをつくるので、地鶏にならないのではないか。むしろ沖縄方々の建設的な、自主独立の精神を尊重して、ここで我々ができるだけのことをやるというふうなところに持っていかないといけないのではないかなというふうに考えているわけでございます。  現に、沖縄がおつくりになった国際都市化構想というものでございますけれども、琉銀の調査部長をおやりになった牧野さんという方が、沖縄タイムスに二十数回連載でこれを解説あるいは批判をしている。これは、一言で言えば、やはりひとり立ちしてみずからの発想でどんどん前へ進むというようなことでないといけないということでございますので、先生がおっしゃるように、我々ができるだけのことは全部やるべきだと思いますけれども、それには今までのやり方には少し工夫があるのではないかなというふうに私は考えております。
  22. 山中あき子

    山中(燁)委員 五十億の調整費の使い方、今までかけた五兆円、そういったことがそれほど沖縄の方たちにとって感謝できるというか評価できることでなかったとすれば、やはりここで抜本的に、国として何かできるかというように視点を移してこのことを考えるべきだというふうに私は思います。  さて、先日の橋本首相と小沢党首との合意の中で、沖縄県民の負担を全国民が担うということが合意されておりますけれども、これはどういう形で実現していけるというふうにお思いでいらっしゃいますか。田久保参考人にお願いいたします。
  23. 田久保忠衛

    田久保参考人 今ちょっと、質問しちゃいけないのかもしれませんが、橋本何会談でございますか。
  24. 山中あき子

    山中(燁)委員 もう一度申し上げます。  橋本総理大臣と小沢党首との合意についてなんですけれども、その二項目めに、沖縄県民の負担を全国民が担うというような観点で合意しております。意見の中には、そんなことを言ったってできないのではないかという不信感があるわけでございますので、これはどういう形で実現ができるというふうにお思いか、御意見を伺いたいと思います。
  25. 田久保忠衛

    田久保参考人 私は、先ほど申し上げましたように、四十七で割って各県がひとしくこれを負担するということが国民ひとしく負担を負うという意味ではないと思うのでございますね。それぞれの地方の特殊事情を考慮して、沖縄だけに負担を負わせる、これは戦略上の配慮が第一点ございますけれども、その中のできるだけのことというふうに私は解釈したいのでございます。ですから、先生がお考えになっていることと私が考えていることは余り相違はないだろうというふうに信じております。
  26. 山中あき子

    山中(燁)委員 それでは次の質問に移らせていただきますが、昨日の池田外務大臣の答弁の中にも予防外交という言葉が使われておりました。けさ、私もペリー前国防長官とお会いしましたときに、十万人の兵力は当分維持する、しかしその一方で、やはり軍事的なコンフリクトを避けて平和を構築していくことに努力をするというふうなことをおっしゃっておりました。つまり、日米安保条約を前提としながら一方で国際的な地域の安全保障という、そのことに関して、世界的な趨勢もあるわけですけれども、日本としてはこういう部分でどういうふうなイニシアチブをとっていけるか、その辺についてお二方の御意見を伺いたいと思います。今後の展開の問題でございます。
  27. 森本敏

    森本参考人 米国は、昨年、一九九六年ごろから冷戦後の国防政策について少しパターンを変えてまいりまして、先生今御指摘のように、本来、国家の防衛というのは、抑止、そして抑止に失敗した場合、対応という、この二つの段階で国家の防衛、国家の安全保障を担保してきたわけですが、そのもう一つ前段階として予防防衛、英語で言うとプリベンティブディフェンスという考え方をアメリカが取り入れたわけです。これは米国のみならず、現在、国際社会の中で、防衛の面では予防防衛、外交面では予防外交という非常に大きな安全保障上の一つの手段になっています。  この意味するところは、そもそも抑止というものを働かせるとは、現実に脅威がある、あるいは脅威が来るかもしれないという可能性が非常に高い場合に、抑止ということがあるわけです。例えば、我が国にとって言えば、我が国の周辺地域から来るいろいろな脅威あるいはリスク、危険等を念頭に置いて国家の安全保障考える場合、抑止という対応をとるわけですが、予防防衛あるいは予防外交というのは、我が国と距離的にもっと離れた地域における地域全体の安定をいかにして確保していくか、そのために各国がどのような協力ができるかというコンセプト、概念であります。  アメリカは、冷戦後に、米国の海外におけるプレゼンスをこのような予防防衛という手段のために第一段階として使って、具体的に言うと、同盟国との共同演習、あるいは友好国との安全保障協力、あるいは対話の推進、信頼醸成措置の促進といった、いろいろな抑止の前段階の努力を行う、このことによって地域の安定を図る、このような考え方に立っています。  我が国も、この予防外交というのを外交上の重要な柱の一つとしておりまして、具体的に言いますれば、アジア・太平洋における平和と安定を確保するため、個々の信頼醸成措置に伴ういろいろなイニシアチブをとり、防衛庁や外務省が、周辺諸国との安全保障対話、あるいは軍艦その他の相互交流、あるいは軍人等の交流、あるいは個々の信頼醸成措置のための外交努力、例えば防衛白書を出すとか、あるいは国連の通常兵器移転登録制度に積極的に加わっていくとか、あるいは海上の安全保障、あるいはPKO等の協力に乗り出すといった、個々の努力を通じて地域の安定を維持し、そのことによって国家の防衛の努力、すなわち、防衛力というものをできるだけ少なくして国家の安全保障を維持するというのが冷戦後の安全保障一つの傾向でありまして、そのことについて政府が累次努力しているところだろうと思います。  私は、政府の人間ではありませんけれども、間接的にいろいろな作業に加わって、この分野では日本はアジア・太平洋の中で突出して努力をしている国だというふうに考えております。  以上でございます。
  28. 田久保忠衛

    田久保参考人 森本参考人が言われたことに尽きると思うのでございますが、私も若干所見を申し上げますと、冷戦の前と後ではかなり日本の防衛政策も違ってしかるべきではないかというふうに考えておるわけでございます。冷戦の最中は米ソを中心といたしました核の抑止力、これが物を言った。その核のもとで日本が何ができるか、核を持っていない、非核三原則を持った日本が何をできるかということで考えればよかった。ところが、米ソの関係ががらっと変わってまいりますと、通常兵力による防衛というのが前面に出てきた。よって、橋本クリントン会談、あの安保共同宣言というのは、そういう趣旨で旧ソ連の脅威をアジア・太平洋の平和と安定というふうに差しかえたと思うのでございます。これは、かなり地域がふえているけれども、原則として通常兵力による防衛である。  よって、私は、予防外交、予防防衛というのは、前よりも数段重要な要素になってきたのではないか。日本がこれから努力すべき点は、従来もそうでございますが、引き続き努力すべき、あるいは一層努力すべき点は、予防外交、予防防衛である。ただし、プロパーの防衛を忘れてしまっては困る。これは二者択一ではなくて同時亜行にやるべきものではないかなというふうに考えております。
  29. 山中あき子

    山中(燁)委員 先ほど田久保参考人に、この特措法の改正アメリカの信頼の回復の第一段階ということをお伺いいたしましたが、その上でさらにどういうことをすべきかということで、お考えがありましたらお願いいたします。
  30. 田久保忠衛

    田久保参考人 私は、基地アメリカに置かしてやっているんだ、よってこれにクレームをつけるんだということではなくて、やはり共同防衛だという確固たる信念を持たないと、これはアメリカの半従属国みたいに見られる、こういう時期がどんどん続いていくのではないかなと思うのでございますね。  したがって、私は、根本は、集団自衛権の行使に踏み切るべきではないか。これが危ない、危ないと言うのですけれども、危ないのではなくて、これをどうするかというのは、ここにおられる先生方の政策判断の問題ではないか。シビリアンコントロールの民主主義の国でございますから、私は、小沢さんの普通の国というよりも、普通の民主主義を我々は心がけるべきではないか。普通の民主主義国は、個別的自衛権も集団的自衛権も持っておるんだ。民主主義国ですから、先生方のようにしっかりした政治家がいらっしゃるのですから、これは変な危険なんかありっこないじゃございませんか。  私は、そういう意味で、普通の民主主義国が持っているような集団自衛権の行使に踏み切る。ただ、確固たる民主主義政治家に対する信頼さえあれば、アメリカは一層日本を信頼するんじゃないか、日米同盟はさらに確固たるものになるのではないかとかたく信じております。
  31. 山中あき子

    山中(燁)委員 お二人の参考人に感謝を申し上げます。  これからの日本の外交、安全保障は、やはりアカウンタビリティー、そしてポリシー、ストラテジーが明確であって、しかも柔軟に、複眼的に動きを見ながら対応していくということが大事で、改めて今、日本がこれからの外交をどういうふうに打ち立てていくかということが問われていると思いますが、沖縄の問題は特措法の改正で一件落着てはなくて、本当に今私たちが、国際的にもあるいは国内的にも毅然としたポリシーを持ちながら、しかも温かい思考のできる国として信頼される日本というのをどう築いていくかという大きな宿題をいただいているのではないかというふうに私は思います。  本日は、どうもありがとうございました。
  32. 野中広務

    野中委員長 これにて山中君の質疑は終了いたしました。  この際、質疑者並びに参考人にお願いをいたします。  それぞれ時間が制約されておりますので、双方、簡潔にお願いをいたしたいと存じます。  次に、前原誠司君。
  33. 前原誠司

    ○前原委員 民主党の前原でございます。  両参考人先生方、本当にきょうはお忙しい中お越しをいただきまして、貴重な御意見、ありがとうございます。  私どもも、日米安保の重要性というものは十分認識をしているわけでございますし、それが日米間の基軸であり、また日本安全保障の根幹をなしている、こういう認識は持っているところであります。  ただ、このごろ特に思いますのは、やはり七五%の米軍施設区域が集中をしている沖縄県の理解、協力なくしては逆に日米安保そのものが成り立ち得ないのではないかという心配、危惧をしているところでございまして、そういう意味でも、日米安保を堅持するのであれば、逆に沖縄の負担をいかに軽減をしていくか、先生方言葉をかりれば、ある程度全体的に日本で負担を分かち合う部分というものがこれから必要になってくるのではないかという認識を持っております。  そういう意味では、先ほど森本先生の方からお話がございましたけれども、日米安保というものをさらに深めていくためには、ガイドラインの見直しの中で、日本が果たすべき役割というものをきっちり決めていくということで日米安保というものを逆に強化をしていく、また日本役割というものをきっちり明確にしていく。その中で、逆に米軍基地を減らせるということが出てくるのであれば、沖縄の負担というものを軽減をしていくといった方向性がこれから必要になってくるのではないかと思っておりますし、そういう方向性で我々も努力をしていきたいと思っております。  さて、両先生に御質問をさせていただきたいと思いますけれども、我々、基本的に、このごろ疑問に思っておりますのは、朝鮮半島の危険、あるいは朝鮮半島が終わっても、これから中国という国の危険、こういうものがよく言われているわけであります。そういう意味で、例えば海兵隊しかり、ほかの米軍の兵力しかり、日本に駐留をすることは今後引き続き重要である、こういうような言い方がなされているわけであります。そこで、両先生にお伺いしたいのは、北朝鮮中国の軍事的な能力をどのように分析をされているかといったことをお伺いをしたいわけであります。  私どもも、防衛庁やあるいはいろいろなところから資料を取り寄せまして、一応の戦力分析というものはやらせていただいております。確かに北朝鮮に関しましては、兵力数に関しては百十二万八千人ということで、韓国の約倍ということでございます。特に陸軍、陸上部隊というものがそのうちの百万人を占めているわけでありまして、相当程度、その点は陸続きになっている韓国を意識しての布陣になっている。戦車にしても、三千四百両ですか、ございます。それに対して、韓国は二千五十両ということで、数的には北朝鮮の方が多い。しかし、内容を調べてみますと、第二次大戦に使われていた第一世代というものもかなりあって、全体としては、数はあるけれども、能力に随分欠けるのではないかといったことが言われているところであります。  また、航空戦闘能力にいたしましても、作戦機は、北朝鮮が五百九十、そして韓国が四百九十、在韓米軍を入れまして、在韓米軍が九十ということで、大体数的には拮抗しているわけでございますけれども、この主要機種にいたしましても、大部分が旧世代というものに所属をしているということが言われておりまして、極論を言えば、北朝鮮と韓国、在韓米軍の能力を足し算した場合のものを比較すれば、もはや朝鮮半島の帰趨というものは決しているのではないかというような見方がなされているわけでございます。もちろん、どういう戦われ方をするかといったところにもかかわってくるわけでございますけれども。  両先生に、北朝鮮あるいは中国の戦力をどういうふうに見ておられるか、その点についてお話を伺いたいと思います。
  34. 森本敏

    森本参考人 先生御質問の点ですが、まず北朝鮮については、先生の御指摘のように、量的には、韓国に対し北朝鮮の持っている兵器の量は相当に優位を維持していると考えますが、北朝鮮の作戦上の欠点は、第一に、兵器の体系が必ずしも新しくなく、かつ複雑多様にわたっており、総合的な兵器の運用能力に欠けるという点。それから第二は、継戦能力という点で落ちる。つまり、作戦を長期にわたって遂行する能力に欠ける。特に戦闘機や戦車のエネルギー、その他弾薬等、その多くを中国に依存しているという状況でもありますので、長期の作戦を遂行する能力に欠けるということだと思います。  他方において、北朝鮮の有利な点は、量的な優位性に加えて、不正規戦を行う特殊部隊、極めて精鋭な八万人から成る特殊部隊や、あるいは生物化学兵器といった、ソウルのような大人口を抱える都市に対する突発的な攻撃能力というものを有しているという点があると思います。  しかしながら、能力というものだけで様相を判断するのは非常に難しい点があると思います。一般に言われることは、北の南に対する本格的な南進は北の体制の崩壊を意味し、いわば軍事的な自殺行為であるが、一方において、国境を越えずにソウルのような大都市に脅威を与え、ソウルをいわば人質にとって外交交渉に乗り出すということができる利点を持っていることに加え、昨年九月に行われた潜水艦の侵入事件等に見られる、いわば不正規戦、ゲリラ戦を行うことによって韓国の社会を深刻な混乱に陥れるということができる利点を北朝鮮が持っていると思われますので、そのような事態に対応する抑止力というものを我々が持っていなければならないということが北に対する対応だろうと思います。  中国については、短期的に我が国に立脚して言えば、深刻な脅威がすぐにあるということではありませんが、近年の中国の海空軍の近代化傾向がこのまま続けば、今世紀末か来世紀の初めに、南シナ海あるいは東シナ海を中心とする周辺諸国の海上輸送路や我が国の固有の領土に、一定の深刻な軍事的な脅威、威嚇というものを及ぼすことができる能力を中国が持つに至るということは、我が国安全保障上極めて深刻な事態であるというふうに考えられます。  以上でございます。
  35. 田久保忠衛

    田久保参考人 私が申し上げたいことは今森本参考人がおっしゃったとおりでございますけれども、若干私の見方を補足させていただきたいと思います。  私は、北朝鮮中国、これはすべて能力と意思で見るべきではないか。能力では、これはGNPの二五%でございます。北朝鮮のGNPがどのぐらいか正確にわかりませんけれども、二〇%、二五%という軍事費の能力は、分に不相応な大きい数字ではないか。それから、ハードの面から申しますと、これは非常に古いものである。  問題は、神御一任、金正日さんの意思が那辺にあるかということはだれも推測もつかないということでございます。要するに、国がコーナーに追い詰められると、デスペレートになって何をするかわからない、ここのところが私は一番の脅威ではないかな。したがいまして、私は、今日本で最も差し迫って注意しなければいけないのは、北朝鮮がやけのやんぱちで南にちょっかいをかける、こういうコースではないかなと思います。長期的に見れば、これで南北朝鮮の統一の一つのきっかけになるということは、これはもう間違いない、こう思います。  それから、中国でございますけれども、これはアメリカのペンタゴンなんかの言うところでは、ハードの面では十年、二十年劣っている。ただし、何せ我々の人口の十倍の国が隣にある。そこの一顰一笑にやはり我々は神経を使わざるを得ないような地政学的な位置に置かれているということだと思うのでございます。  中国は、意思でこの軍事力、ポンコツとはいえ三百万、日本の自衛隊の十倍以上の軍事力を使うかどうか、これは使うとは到底思えないわけでございますけれども、軍事力というのは、すべて翻訳されて外交に出てくるということを考えなければいけないのではないか。  それから、中国はこれから、問題はこれからでございますけれども、どういう方向をとるのか。二十一世紀にかけて経済大国、二〇二〇年には、世銀の予想ですと、今のままの状態が続けば、アメリカのGNPを抜くであろう、一・四倍になるだろう。経済大国、もう既に政治大国である、これに軍事力が追いついていくと、将来は日本にとって大変な脅威になり得るというふうに思います。  翻って日本の軍事力でございますけれども、これは意思の方は全くないというふうに考えていいと思うのでございます。ゼロでございますね。それが当然だと思うのでございますが、実は私、もっと別の面でこれは考えておりまして、ハードとソフトの面である。自衛隊出身の方々が、日本の自衛隊は大変優秀であると、これはハードの面でございます。ソフトの面はどうかというと、国内ではこれは軍事力ではない、外国では軍事力である。総理官邸に一人の制服もいない。自衛隊は、いまだに白い目で見られているというコンプレックスを持っておられる。大変残念なことである。有事法制も何にもない。こういうことで日本の自衛隊が機能できるかどうかというと、私は大変疑問に思っておる。よって、この日米安保条約は、当分の間極めて重要なものになるだろうというふうに私はお答えしたいと思います。
  36. 前原誠司

    ○前原委員 もう時間ですので、簡単に一言ずつお答えいただければ結構ですけれども、私は、現状においても、沖縄海兵隊の一部は撤退可能だと思っています。アメリカの西海岸と東海岸にある海兵隊の部隊というのは、沖縄の倍ぐらいの規模でありますけれども、いわゆるツー・メジャー・リージョナル・コンフリクトに対処するということで、地中海やあるいはインド洋なんかに前方展開をしているわけですね。要は、ベースはアメリカにあって、前方展開をして、そしてそれが交代要員で何かがあれば駆けつけるような体制をとっているという形になっているわけです。言ってみれば、前方展開で基地を持っているのは沖縄だけなんですね。  ですから、そういう形にしていけば、費用はだれが負担をするかという問題は残ると思いますけれども、私は、海兵隊の問題というのは、技術的には事前集積という形で前方展開をするという形にすれば、沖縄に必ずしも置いておく必要はないのじゃないかと思いますが、時間もありませんので簡単で結構ですので、お答えいただけますか。
  37. 田久保忠衛

    田久保参考人 私、先ほど申し上げましたように、海兵隊の兵力はここに維持できるかどうかというのは、ひたすら軍事環境にかかっておると思うのでございます。私は、今のところは、これは引き揚げる余地はないという、ペリー前国防長官、彼は少し弾力的なのですが、コーエン国防長官の言明を信ずる以外ないのではないか。機密に属するところが余りにも多過ぎるということでございます。
  38. 森本敏

    森本参考人 私は、先生の御質問については、冒頭の御説明で述べましたように、現在の極東の情勢を考えれば、朝鮮半島有事に現在沖縄に駐留する海兵隊が持っておる役割は、日本安全保障にとっても米国の作戦にとっても不可欠であり、これを維持するために、日米が、双方が相当な努力をこれから続ける必要があると考えていますが、他方において、いわばある種の混乱を通じて朝鮮半島が統一された後の北東アジア情勢というのは、構造的に大きな変化が起こり、そのときの統一国の性格や在韓米軍のありようによっては、統一された朝鮮半島沖縄海兵隊をすぐに投入しなければならないような事態とは考えられず、したがってその時点で海兵隊の撤退を含め在日米軍の規模については日米間で十分に協議する余地があると考えているものです。  以上でございます。
  39. 前原誠司

    ○前原委員 どうもありがとうございました。終わります。
  40. 野中広務

    野中委員長 これにて前原君の質疑は終了いたしました。  次に、穀田恵二君。
  41. 穀田恵二

    穀田委員 私は、日本共産党の穀田恵二です。お二人の参考人、本当に御苦労さまです。  私どもは、御存じのように、今回の法案については反対の立場を明らかにしています。それで、まず田久保参考人二つだけ、時間も私は全部合わせて十分なものですから、四分程度でお答えいただきたいと思います。  私は、今回の内容は、総理大臣が使用認定し裁決申請すれば、いかなることがあろうとも強制使用できるようにするものであって、本来、土地収用委員会は、そういう無制限な国による財産権の侵害から国民の財産を守るためにできたものだと思っています。ですから、二十九条、三十一条の関連でどうお考えかということが一点。  それと二つ目に、沖縄の事情にお詳しい先生でございますから、昨日、この議会の場でも沖縄選出の議員から、この米軍基地のもともとの発端は、私有財産を没収することを得ずとしたハーグ陸戦法規に違反して強奪したことから起きているということがそれぞれ話され、その後、銃剣とブルドーザーで拡大してきたということが行われました。こういう歴史にかんがみて、どうお考えかということが二つ目です。この二つをお聞きしたいのです。  それから、森本参考人に、ついせんだっての琉球新報が行った世論調査では、海兵隊の削減問題で、「賛成」が六六・七%、「賛成だが時期尚早」というのが二七・〇%、結局、何らかの形で海兵隊の兵力削減を望む声は九三・七%に達しています。先生は、「世界週報」の中で、後方支援の強化で海兵隊撤退は可能だという論文を発表されています。それの関係で、二つお聞きしたいと思います。  一つは、「海兵隊が常時沖縄に駐留しなければならない軍事的必要性はないと思われる。」との指摘の論拠をもう少し詳しく。二つ目に、日本政府は口を開けば沖縄海兵隊日本防衛の任務があると言います。しかし、先生がおっしゃるように「海兵隊の基本任務は、最も重要な拠点に急襲上陸して本格的な上陸作戦のための橋頭塗を築くことにある。」というのが本当だろうと私は考えています。ですから、海兵隊は、政府が言うように日本の防衛の任務を持っているのか、そして、日本への攻撃が始まった中でどんな役割を担えるということになるのか、お考えを述べていただきたいと思います。  以上です。
  42. 田久保忠衛

    田久保参考人 銃剣とブルドーザーの歴史にかんがみて、今回の特措法の一部改正案には御反対なさるという御意見のようでございますが、その銃剣とブルドーザーのところは、これは過去のことで、現時点のことで申しますと、九〇%以上の地主が二〇一二年までの契約にもう署名なさった、あとの三千人程度の、それも一坪地主方々が普天間と嘉手納のごく狭いところに集中的にこういうことをやっておられるというのは、私はこれはどうかなというふうに思うのでございます。  例えば、箱根に鉄道を敷く、それを、かごかきが失職するのでと言うのですけれども、悪質なかごかきの場合は、良質なかごかきは十分この面倒を見た上で鉄道を敷設しなければいけないんですけれども、悪質なところはこれはどうもというふうに私は考えております。譲歩にも、我慢にも限度があるんじゃないかなというふうに思います。  それから、銃剣で占領された土地であるということになりますと、これは全部撤去すると一番いいんですね。これが一番いいと思うんです。ただ、その場合に日本の防衛をどうするか。共産党がおっしゃるように、自衛軍の創設で、自力でこれを防衛するということになると……(穀田委員「そうは言っていないんですけれども」と呼ぶ)そうですが、これはおっしゃっていなければいいんですけれども、その後の措置も、責任ある政党としてお考えいただきたいなというふうに考えております。
  43. 森本敏

    森本参考人 御質問の趣旨ですが、まず私は、極東有事の事態に、現在我が国に駐留する米軍が、それが海兵隊であれ何であれ、日本安全保障にとっても、米国の国益を守るという点においても、政治的に軍事的に不可欠な存在であるということについては、繰り返し申し上げてきたとおりです。  しかしながら、同時に、この地域の事態が、例えば半島が統一され統一国ができた後に、北東アジアの構造的な変化が起き、統一国が米国と同盟を結んだとしても、在韓米軍が撤退しなければならないような事態になったときに、なお日本海兵隊がいなければならない軍事的な必然性はどこにあるのだろうかということは繰り返し申し上げている点です。  これは、趣旨は、そのときには恐らく統一国に沖縄海兵隊を投入するというふうな軍事的な必然性はないわけでありますし、それから、現在海兵隊の事前集積はグアムに置かれていますので、したがって、沖縄に後方支援の能力を維持すれば、本土及びその他の地域から海兵隊日本基地をトランジットして他の地域に展開していく基礎的な後方機能を日本に維持すれば、それで十分機能を果たせるのではないかとの趣旨を申し上げているわけです。  それから、このことに関連いたしまして、もう一つの問題であります海兵隊の、海兵隊といいますか在日米軍の将来というものにつきましては、情勢の変化というものが起きたときに日米間で十分に協議をするべき問題なのではないかということの趣旨を申し上げたつもりです。  以上でございます。
  44. 穀田恵二

    穀田委員 先ほど自衛軍という話がありまして、一言だけ言っておきますと、私ども、中立・非同盟という立場を明らかにしておりますので、それは誤解のないようにしていただきたいと思います。  あわせて、先ほど申しましたのは、ですから、うちは憲法を守るという精神を非常に遵守しておりまして、そういう立場からすべて今のところ立論を立てているということを承知していただきたいと思います。  したがいまして、先ほど一番最初にお話ししましたように、今回の法案は少なくとも二十九条で出されている財産権の侵害になるということだとか、それから三十一条の規定を初めとして、憲法と今回の法案との関係についていかがお考えかということを最初にお聞きしたわけです。ですから、そういう立場を明らかにしているということも踏まえながら、あと残り二分ほどですが、よろしくお願いします。
  45. 田久保忠衛

    田久保参考人 自衛軍の創設、古い共産党の政策で、新しい衣がえした共産党ということを私は今初めて認識いたしまして、非礼はおわびしたいと思います。  それから、財産権の問題でございますけれども、憲法九十八条に条約遵守の義務というのがあるということでございまして、私はこちらの方を重視するということをお答えしておきたいと思います。
  46. 穀田恵二

    穀田委員 先ほどもお話ありましたけれども、私は最後に一言だけ言っておきたいと思うのですけれども、公開審理の中で、例えば地主方々がこうおっしゃっておられます。自分土地に入ろうとしたら、地下には複雑な通信回路が埋めてあるからベニヤの上を歩けとか、重いと障害が起きるから二人以上乗ってはいけないなどと言っておいて、数日後には自分たちが、人が乗ると一トンを超える重い芝刈り機を走り回らせる。結局三十人が立ち入り、カチャーシー、沖縄の踊りを踊っても何でもない。  こういったことがありましたけれども、そういう事実もよく見ていただいて、多くの方々が、やはり土地を返していただく、期限が切れたら返していただくという、当然の法理に基づくことを行っていただきたいという希望もあわせて持っていることについてお知らせをして、時間が来ましたので、終わります。
  47. 野中広務

    野中委員長 これにて穀田君の質疑は終了いたしました。  次に、上原康助君。
  48. 上原康助

    上原委員 両参考人、きょうは御苦労さまです。  お二人の公述で共通している点は、安保の重要性、日米同盟を大切にしながら、その枠組みの中で沖縄基地問題とか産業振興というものをどう調整、調和してやっていくかということのように承りました。これは、お二人のキャリアからしてそうかと思うのです。  しかし、反論するとかそういうあれじゃありませんが、歴代の政府がそういう政策というか、安保運用でやってこられたわけですが、それができなかったゆえに今日の沖縄問題というのが依然としてあるということをどうお考えかということ、これが一点。  それと、もう一つ共通しておりましたのは、今度の特措法の改正びほう策であって、国の安全保障とか基本政策にかかわることは国が責任を持ってできる特別立法が必要じゃないかということ。  これは、そういう御意見なり主張があるということはよく理解をしておりますが、もし、より強権的な立法化を進めようとすると、沖縄県民はもとより、これはいろいろ田久保先生の御指摘にありますけれども、沖縄県民の共通した感情というか認識としては、やはりもうこれ以上国家権力によって犠牲にされたり、より地方分権が制約されるような国の法律というものは断じて御免こうむりたい、今度だって差別立法だと強く言っているわけですね。  あえて県民感情とか県民の気持ちということを大事にしなければならないというお二人のお話にしては、なかなか受けとめがたい、理解しにくい特別立法論だと私は受けとめたんですが、この点について、共通しておりましたので、御見解を補強していただきたいと存じます。
  49. 田久保忠衛

    田久保参考人 第一に、私のキャリアから安保を重視するのだろうというふうな御質問でございますけれども、私は在野の一評論家でございまして、官職についたことは一回もございません。  ただ、私、お言葉を返すようでございますけれども、上原先生責任ある立場におられたときに、社会党は安保堅持という御方針を打ち出された。上原先生は、安保維持ぐらいだったらなというふうに当時はお考えだったのじゃないか、安保堅持までどうして踏み出したのかなというふうにお考えだったのじゃないかなと思うのでございますが、私は、その堅持、村山さんが堅持と言われたその立場がやはり正しいなというふうに考えているわけでございます。ただし、今まで安保があったけれどもできなかった、沖縄の県民に十分なことができなかった、これは私、はっきり言って、本土政府の怠慢だと思います。  それから、これは本土側で無神経なことばかりやっているのですね。沖縄復帰になったときに、日本の一流企業があそこに行って、琉球商工会議所があるにもかかわらず、日本人商工会議所の回状を出した。当時の琉球商工会議所の専務から私のところに連絡があって、泣いていました。私は、憤激してこれは怒ったことがあるのでございますけれども、こういう無神経なことが次から次へと重なっている。今回は実にいい機会になったから、本土側もこれは反省する必要があるのではないかなというふうに私は思っているわけでございます。  それから、先ほどの、特措法の一部改正案びほう策ではないか、これは特別法が必要ではないかと私申し上げたのですけれども、これは強権的にやってはいけないというふうに私は思います。  それから、沖縄の方にも、国家権力対沖縄という対比の仕方、これは我々も努力すべきだけれども、敵対ではなくて、同じ国家権力の恩恵も沖縄の県民は受けているのだというふうに、やはり運命共同体という考え方を少しとっていただいた方がお互いのためになるのではないかなというふうに思うのでございます。
  50. 森本敏

    森本参考人 長い間沖縄のために御努力されておられる上原先住の非常に重い御質問でありまして、御質問の趣旨そのものについては非常に深刻な問題だと受けとめております。  国と国というものの関係は、まさに国力の相対関係によって動いていくというのが現実の国際政治のありようでありまして、私も外務省安全保障課で日米安保の仕事をしている間につくづく感じたのですが、日米間のいろいろな取り決めの文章は文章として、その実態は、国と国の力によって実態が動いてきて、したがって、例えば日米地位協定に基づく米兵による事件でも、例えば思い出すと、ジラード事件のように、一方的にアメリカの兵隊が日本の女性を銃で撃ち殺すといった事件でも、刑事裁判にならずにアメリカ人が逃げていくという事態が日米の長い歴史の中であったわけです。  私が安保課にいるときに、あるとき沖縄で米兵による自動車事故があって、その自動車事故について米国の方が、地位協定に基づいてこれは公務である、どういう理由かというと、琉球大学に夜間通学しているので米国の公の任務であるという通告をしてきたのを、我が国は敢然とこれをけって、日本の裁判所に引き出して裁判をした例があります。  このようなことというのは、まさに日米両国の国家の地位というものの相関関係によって実際の協定の運用というのが動いているわけですが、残念ながら、九五年九月に起きた事件の持っておる意味合いというのを、恐らく日本政府は真剣にかつ深刻には受けとめていなかったのではないか。つまり、その意味で、沖縄方々が歴史の中で長く負ってきた負担というものについての深い思いというものがやはり一つ足らなかったのではないかということを私はつくづく思うわけです。それが一点目についての私の非常に強い印象です。     〔委員長退席、鈴木(宗)委員長代理着席〕  二点目は、現在の特措法改正について、沖縄方々の一部に御反対があるということは承知していますが、思えば、政府が特措法をどのようにしてこれから手当てをしていったらよいかということを昨年来考えたオプションの中で、今回の特借法改正というのはいわば一番県民に対して意を払った改正案なのではないかと思います。したがって、そのことについてはもう少し沖縄方々に御理解があってしかるべきだと思います。先生がおっしゃるような強権的な立法化をだれも考えていないと思いますが、しかし、新規立法というものよりははるかに現在の特措法改正は、収用委員会の審理が続く間はやむを得ざる手段として暫定使用をして、そして裁決がおりたらその意に従うということなのですから、私は、県の収用委員会というものを一番尊重した、最低限の法改正であったのではないかと思います。  しかし、今後これを立法化するという手続にもしなれば、その場合は、県の収用委員会を全く無視して、県の収用委員会をなくしてしまって法的な措置をとるというのではなく、県の収用委員会は収用委員会として、その委員会意見をどのように国として用いるかということに配慮しつつ、議会の手続に従って、民主主義ルールの中で新しい法的枠組みを沖縄県民とともになって考えるということは僕はあり得るのだろうと思います。そのようなことがまた政府の最も大きな責任として今日問われているのではないかと思います。それが私の印象でございます。
  51. 上原康助

    上原委員 いや、田久保先生、私は何も安保を全面否定して今の法律なり日米関係安全保障を見ているわけではないのです。社民党の中では一番たたかれている方でありまして、そういうことも考えて、私も、沖縄の県民感情あるいは問題というのは、政府と敵対関係とか、あるいはずっと対立を持続すれば解決するというふうには受けとめておりません。そこは相互の理解と協調が必要であると思いますので、その点だけ申し上げて、時間ですから質問を終わりたいと思います。
  52. 鈴木宗男

    ○鈴木(宗)委員長代理 これにて上原君の質疑は終了いたしました。  次に、粟屋敏信君。
  53. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 田久保先生、森本先生、貴重な御意見を大変ありがとうございました。  両先生に共通をしているお考えとして、現時点で在日米軍プレゼンスについて変更、修正を考えるべきではないということであろうかと思うわけでございます。ただ、北東アジア情勢、今後どういうふうに変化するかもわかりませんし、国際情勢は日々に動くものであろうと思うわけであります。  昨年四月の日米安全保障共同宣言におきましても、「国際的な安全保障情勢において起こりうる変化に対応して、」「日本における米軍の兵力構成を含む軍事態勢について引き続き緊密に協議する。」ということが言われているわけでございまして、今後、国際情勢の変化を見つつ、両国において米軍の兵力構成等について協議を常時していかなければならないと考えております。日米安全保障協議委員会、SCCの場においてこれが常時議題となることを私は期待をいたしておるわけでございますが、その辺のことについて両先生の御意見をまず伺いたいと思います。  二点目は、森本先生、日米防衛協力のガイドラインの見直しの問題にお触れになりました。また、田久保先生からは、集団自衛権の解釈の問題についてお触れになりました。  私は、このガイドラインの見直しは日米のきちんとした合意のもとに行われる、これが日米安全保障条約の維持、堅持にとりまして極めて重要であると思います。これを間違えますと、日米安全保障条約の根幹が崩れるのではないかということを心配をいたしておるわけでございます。その際に、やはり集団自衛権の解釈問題というものが非常に大きなウエートを持つと思いますが、その辺を含めまして御意見を拝聴をいたしたいと思います。  以上の二点について、両先生から御意見を伺いたい。     〔鈴木(宗)委員長代理退席、委員長着席〕
  54. 田久保忠衛

    田久保参考人 沖縄における海兵隊が未来永劫あそこにいるということは、私はあり得ないだろうと思います。ただし、事情によっては増強されることもあり得るだろう。これは、粟屋先生おっしゃったような北東アジア情勢の軍事環境いかんにかかっているのではないかというふうに思います。  ただ、少々気になりますのは、コーエン現国防長官がペリー前国防長官とはちょっとニュアンスが変わった意見を述べられた。ハワイから訪日される同行の機中で、朝鮮半島統一後もプレゼンスがあるんだというようなことを述べられている。これはどういう理由があるかなと思うのでございますが、結局、粟屋先生が言われた、日米間で日本の周辺の軍事情勢を常時検討して、どれだけの兵力でいいのかどうかということを検討し続けるべきだなというふうに考えております。  それからもう一つ、我々が見逃しているのは、正面、北のクマと朝鮮半島中国を見ているのでございますけれども、アメリカに大きな変化、内向きの変化が起きつつある、これがどういうふうになるのか、これも私は要注意ではないかなというふうに思います。かなりこの周辺の緊張があっても、時と場合によってはアメリカはぱっと引き揚げることもあり得るのだ。これはフィリピンのクラーク、クラークは物理的に使用不能になったんですが、スービック湾、あれは、政府がオーケーしながら議会が反対した、そのときぱっと引き揚げた、ああいうことも考えられるということを私は申し上げたいと思うのでございます。  それから、集団自衛権に関しましては、これは私は、政府の今までの解釈、論理的にも、使用が許されない権利というのはこの世の中にあるのだろうかということを考えますと、あの政府解釈というのはおかしい。したがって、ここのところをすっきり、普通のだれでもわかるように変えておくというのは、日米関係を盤石なものにする一つの大きな要素ではないかなというふうに考えております。
  55. 森本敏

    森本参考人 田久保先生が御説明になりましたとおりでありまして、大きくつけ加える点はないと思いますが、私は、先ほど申し述べましたように、この数カ月の間、特措法の改正という我が国の国内政治上の事情から、かなり日本側の対応によって日米関係を傷つけてしまったということに深い懸念を持っているわけです。  したがって、共同宣言にありますように、兵力構成について随時協議することは必要なのですが、しかし、まず日米間の信頼感を回復するということが何よりも先決で、それができていない前にこの問題を取り上げることは日米関係をますます悪くするということで、まず特措法を改正し、ガイドラインというものを順調に進めるという作業をしつつ、アメリカ側に、今の日本の政権はやはり日米同盟というものについて本当に真剣に考えているということを身をもって示して、その後にこの兵力構成その他の問題を取り上げることが必要なのではないかというふうに思います。すなわち、順序というものが重要なのではないかと思います。  ガイドラインについては、田久保先生が繰り返し強調されたところでありまして、私がつけ加えることはございませんけれども、何といっても重要なのは、これから極東有事というものを念頭に置いた場合、今までできなかったことをどのようにしてこれからやれるのかということが重要で、できないことをできないと言ってしまったのでは身もふたもないと思います。  すなわち、ガイドラインをなぜ見直ししなければならないのかということを考えたときに、極東の有事という事態日本がまさに一歩踏み込んで、これから日本の領域の内外において極東の平和と安全のためにできることを米国とどのように模索していくかということがこの見直し作業の内容でありまして、そのためには、集団的自衛権という問題をどうしても政治的に解決しておくことが不可欠であるというふうに考えております。  ありがとうございました。
  56. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 どうもありがとうございました。これで質問を終わらせていただきます。
  57. 野中広務

    野中委員長 これにて粟屋君の質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に一言お礼を申し上げます。  参考人各位には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、厚くお礼を申し上げます。  以上で午前中の参考人に対する質疑は終了いたしました。  午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時五分休憩      ────◇─────     午後一時開議
  58. 野中広務

    野中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  内閣提出日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並び日本国における合衆国軍隊地位に関する協定実施に伴う土地等使用等に関する特別措置法の一部を改正する法律案について審査を続行いたします。  午後の参考人として、沖縄軍用地地主会連合会副会長金城重正君、沖縄大学法経学部教授新崎盛暉君、東京国際大学国際関係学部教授前田哲男君、財団法人沖縄協会理事末次一郎君、以上四名の方々に御出席をいただいております。  この際、参考人各位委員会を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用の中、本委員会に御出席を賜りまして、心から厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせをいただき、審査の上に参考にいたしていきたいと存じますので、よろしくお願いを申し上げ、ごあいさつといたします。  次に、議事の順序について申し上げます。  金城参考人、新崎参考人、前田参考人、末次参考人の順に、お一人二十分程度御意見をお述べいただきたいと存じます。その後、各委員質疑に対しましてお答えをいただきたいと存ずるわけでございます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきをいただきたいと存じます。  多くの参考人質疑者でございますので、質疑者並びに参考人におかれましては、わずかな時間でございますが、時間厳守をぜひお願いをいたしておきたいと存じます。  それでは、最初に金城参考人にお願いいたします。
  59. 金城重正

    ○金城参考人 御紹介をいただきました財団法人沖縄軍用地地主会連合会副会長の金城でございます。このような公聴会が開催されまして、感謝をいたします。  先生方沖縄軍用地の経緯については御存じだと思いますが、まず、沖縄における米軍基地問題の概要について御説明をいたしたいと思います。  一番目に、米軍用地の経緯でございます。  第二次大戦の終戦は、昭和二十年八月十五日でありますが、国内でも唯一地上戦があったのは沖縄だけであります。米軍は、直ちに住民を収容所またはある一部に隔離し、沖縄全域をその直接支配下に置いたのであります。その間、基地として必要な土地を確保した上、飛行場の拡張を初め、住宅、港湾、倉庫施設、演習場施設基地の構築を進めていったのであります。  つまり、沖縄における米軍基地は、関係地主の好むと好まざるとにかかわらず、米軍の強制的な接収によるものであります。昭和二十五年、二十六年の朝鮮戦争で基地強化が必要になり、再接収が行われました。その第一号が私のところでありました。  では、本土復帰後の軍用地はどのようになってきたのか、振り返りますと、沖縄本土復帰によって、従来の米軍基地は、日米安保条約並びに地位協定に基づいて継続使用されることになりました。すなわち、復帰後、米軍の用に供することについて日米間の合意がなされた土地地位協定に基づく「施設及び区域」となり、また、沖縄県における防衛と災害救助活動などの必要限度の土地は自衛隊の施設となったのであります。そのため政府は、軍用地関係地主との賃貸借契約の必要性に遭遇をいたしたのであります。  ところが、関係地主は三万五千人に及ぶことから、復帰当日、昭和四十七年五月の十五日までにすべての契約事務を完了することが不可能な状態にありました。そこで、政府は、復帰後も引き続き国が公用地に使用することを必要とする土地については、五年を超えない範囲で権原を取得するまでの期間使用することができる旨定めた公用地暫定使用法を制定し、契約締結を進める一方、契約に応じない地主についても使用できる措置を講じたのであります。その後、五カ年間の延長がありました。  さらに、昭和五十七年以降、駐留軍用地特措法に基づく土地使用手続が開始され、昭和六十二年、平成四年と計三回、期限切れに伴う公開審理による土地使用手続が行われました。今回は四回目であるわけでございます。  では、沖縄における米軍用地にかかわる地主は現在どうなっているか、これを申し上げますと、まず一点目に、日米安保条約を認めて駐留軍の用に供することを前提として国と賃貸借契約をいたしております用地主は、御案内のことだと思いますが、この賃貸借契約を結んでおるのが二万九千五百四十四名であります。面積にいたしまして一万五千六百五十七ヘクタールであります。  二番目に、この賃貸借契約は、期間は一応一年とされておりますが、国において継続使用を必要とする場合は毎年更新することができるようになっております。ただし、民法六百四条の規定に基づき、その更新は二十年を超えることができません。したがって、平成四年五月に私どもは再契約を締結いたしたのであります。  三番目に、本契約期間中、駐留軍が使用しなくなった場合は、国は賃貸人である地主に対し、解約の申し入れをすることができます。この場合において、本契約は申し入れ後三十日を経過したとき終了するのであります。  以上が沖縄米軍駐留軍用地の概要でありますが、今回の特措法の一部改正について所見を述べますと、その駐留軍用地の使用期限が問題であります。すなわち、契約地主土地は平成二十四年五月まで、西暦二〇一二年まで、未契約地主土地は平成九年五月十四日、来月の五月十四日に期限切れになります。そこで、契約を拒否しておりますから、未契約地主土地は平成九年五月十五日以降には使用できないことになります。  では、どれぐらいの方々が契約に反対しておるか、それを申し上げますと、まず面積でありますが、契約地主は二万九千五百四十四名、面積にして一万五千六百五十七ヘクタール、これは九九・八%です。特措法手続対象、すなわち未契約地主でございますが、これは三千八十一名でございます。面積にいたしまして、三十五・四ヘクタール、〇・二%でございます。在来の地主は何名おるかと申し上げますと、百十三名であります。これは全所有者に占める割合は〇・三%でありますが、いつの間にか共有地になり、二千九百六十八名になっております。  合わせて先ほど申し上げました三千八十一名でございますが、この二千九百六十八名の内訳は、本土方々が、沖縄県以外の他府県の方々が千四百五十一名、沖縄在住が千五百十七名であります。これは全所有者の九・一%になっておるのであります。それが特に嘉手納飛行場、普天間飛行場に集中をいたしております。私どもは、それが何の理由で何の目的かわかりませんが、特に本土方々が、他府県の方々が千四百五十一名もいるということは、沖縄の者にとっては甚だ理解に苦しむのであります。  この嘉手納飛行場、普天間飛行場、二千九百六十八名の方々がおりますが、じゃどれだけの土地でどれだけの方々が共有しておるか、これを具体的に申し上げますと、嘉手納飛行場は筆数が三筆であります。面積が六百五十一坪、これを二千二百七十九名で共有しておるわけです。そうすると、一人当たりどれぐらいの坪数になるかといいますと、〇・三坪であります。じゃ普天間の飛行場はどれだけの筆数であるかと申し上げますと、一筆であります。面積はたった二十坪です。この二十坪をどれだけの方々が共有しておるかと申し上げますと、六百八十九名であります。坪数に直しますと、一人当たり〇・〇三坪であります。  これらの土地は滑走路の周辺であります。五月十四日、期限が切れます。この方々は契約に応じていただけない。そうなると、政府安全保障条約第六条による国際間の義務を果たすことができなくなるのは当然であります。国民が認めている安全保障条約が空洞化するおそれは大であります。五月十四日に切れるわけでありますから、時間的余裕はありません。もう秒読みの段階に入ったのではないかと思います。  したがって、私は、今度の措置法の一部改正は、安全保障条約日本が負う基地提供義務を果たすため、また国家の安全保障の重要性を考えたとき、やむを得ない措置だと考え、特措法の一部改正に賛成をいたすものでございます。  最後に、県民の一人として、四点ばかり御要望を申し上げておきたいと思います。  一つは、国策のために協力することはやぶさかではありませんが、戦中戦後にわたり国策のために耐えに耐え忍んできた沖縄県の実情を踏んまえまして、今後、政府は思い切った施策の展開をしていただきたいなと思います。  二番目に、戦後この方、一億二千万の国民が平和と豊かさをむさぶることができたのは、今日まで安全保障条約に基づく基地の七五%を沖縄が支えてきたということを国民が十分に理解できるようにやっていただきたい。  三点目に、SACOによって返還される土地については、制度的、財政的な面を政府として十分考慮していただきたいと思います。また、返還する場合には、地主意見を十分聞いていただくようにやっていただきたい。今までの提供用地返還後の状況は、区画整理事業にしましても農地改良事業にいたしましても、地主が利用できるまで平均十四年と三カ月がかかっております。それは皆さん方のお手元に資料を配付してあると思います。  三点目と関連いたしますが、四番目に、俗に言う軍転特措法についてであります。提供用地返還後、地料相当額を三年間は支給することになっておりますが、その三年間の支給期間を改正、延長してもらいたいということであります。三年の支給期間は短過ぎます。返還後地権者が利用できるまで、先ほどは平均十四年かかったと言いましたが、その中でどんなに早くても七年かかっておるのであります。  以上、要望を四点申し上げ、特措法一部改正に賛成をいたし、陳述を終わりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
  60. 野中広務

    野中委員長 ありがとうございました。  次に、新崎参考人にお願いいたします。
  61. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 新崎盛暉です。  まず、皆さんのところに新聞の社説を二枚お配りしてあります。これは沖縄二つ新聞沖縄タイムス琉球新報の特措法改正の閣議決定の翌朝の新聞です。なぜこの新聞を皆さんにお配りしてあるかと言えば、これは沖縄の社会的雰囲気を直接知っていただきたいということからです。お読みいただけばいいわけですが、冒頭の部分だけちょっと読ませていただきたいと思います。  まず、琉球新報、「苦痛強いる特措法改正」というものはこのように書き出されています。   常軌を逸した措置だ。理不尽と言わざるを得  ない。基地と強制的に「共生」させられている  県民にとって、あまりに酷だ。そればかりでは  ない。法改正は、日本の法体系そのものを正面  から否定することになりかねない。あとはお読みいただければいいのですが、二番目に沖縄タイムス、こちらは「がまんできぬ特措法改正」ということで、まず冒頭、   新たな土地収奪法ともいえる米軍用地特別措  置法改正案がついに国会に提出された。沖縄の  苦難の歴史が再び繰り返されることを示すもの  で、我慢のできぬ措置と言わねばならない。   同時に、特措法改正案は、窮すればいつでも  権力者の思うまま操作できる形を整えた点で、  民主主義の根幹に触れる問題であり、全国民に  とっても重くのしかかるテーマである。 と書かれています。  この沖縄新聞の論調に対して、特に本土サイドの一部の評論家などは、何といいますか、こういう論調は非常に偏っているという批判をする人たちがいます。しかし、もし沖縄新聞がそういう偏った論調であれば、これは商業紙ですから、当然だれにも読まれなくなるはずです。二つ新聞が、今沖縄の読者を分け合っているという状況です。ということは、少なくとも沖縄の社会的雰囲気はこういうものである。したがって、県議会が特措法に反対し、そして知事も反対し、基地が所在する市町村長の九割が反対している。こういう背景があってこういう社説が出てきているわけです。  もし、よく言われているように、一握りの座布団地主、ハンカチ地主土地をとる、ただそれだけの問題であったならば、なぜ沖縄社会がこのような反発をするのか。そのことは説明がつかないだろうと思います。その背景には、戦後の沖縄の歴史が米軍用地強制使用の屈辱の歴史であり、今回の特措法改正が、そこに新たな一ページを加えるものであるということから来ているものだと言わなければいけません。  米軍用地の問題については、今金城参考人からもありましたけれども、実は、彼が指摘する前に、日本軍の土地収用という問題があります。この日本軍による土地収用に対して、契約地主の中から、この問題を指摘して、今の段階で契約を拒否したいという人たちが三十六人も出てきているという事実もあります。  それに続くのが、沖縄戦が終わって、住民が収容所に入れられている間に囲い込まれた広大な軍事基地です。例えば、今話題の普天間飛行場、ここは宜野湾村の中心部でした。村役場、二つ国民学校、五つの部落が、人がいない間に囲い込まれたわけです。そしてさらに、その基地を拡張するために、銃剣とブルドーザーによる土地取り上げがありました。  そして、復帰に際しては、日本政府が、沖縄のみに適用される公用地法というものによってこれを正当化しました。そしてその後、地籍明確化法という全く別の法律の附則によって、公用地法を五年延長しました。そして、三回繰り返した特措法による強制使用。そして、今回の改正という問題が引き続いてきているわけです。そこに例えば、この琉球新報沖縄タイムスの社説に見られるような島ぐるみのいわば反発があると言っていいでしょう。  次に、この特措法及びその背景にある差別性というものについて指摘しておきたいと思います。  特措法は、全国的に適用される法律だと言われています。確かに、一九五二年の五月に、安保条約の成立とともに制定されました。その段階では、沖縄日本ではなくなったわけですから、日本にのみ適用される法でした。  それから、しかし現在まで、日本沖縄でどのような、基地の上で、軍用地の上で変化があったのかといいますと、米軍用地特措法が成立してから、いわゆる六〇年の安保改定、現在の安保条約改定されるまでの間に、日本本土基地は四分の一に減少しました。それからさらに、沖縄返還を間に挟む数年間で三分の一に減少しました。四分の一掛ける三分の一、都合十二分の一に減少しました。  沖縄基地はどうだったでしょうか。米軍用地特措法が成立したころから六〇年安保条約の成立のころ、つまり、本土基地が四分の一になる段階で沖縄基地は約二倍になりました。その二倍になった基地というのは、なぜ二倍になったのかといえば、日本本土にいた海兵隊沖縄に移駐した結果です。  そういう背景のもとに、既に六〇年安保が成立した直後から、日本では米軍用地特措法による基地拡張の必要は全くなくなりました。沖縄では今後も引き続いて起こっていくでしょう。ここに、事実上沖縄のみに適用される法として性格を変えた特措法というものが存在するわけです。  それから、この特措法の適用によって、例えば立川基地の拡張問題がありましたが、立川基地の拡張問題は結局、十年間すったもんだしたあげく、米軍によって計画が断念されました。つまり、米軍が軍事上どうしても必要だという滑走路の拡張が、計画が十年かかって中止されるわけですけれども、このときには、別に軍事的な影響があるから、安保に影響があるから特措法を改正しようなどという話はさらさらありませんでした。  もう一つの例を挙げれば、成田空港の問題があります。  成田空港に関して、政府は事業認定を取り消して話し合い路線に入るということを今言っています。力と力の激突で死者まで出て、そして収用委員会も成立しないというような状況の中で、ボタンのかけ違いを正すための話し合いというのが始まるということです。  しかし、沖縄では、戦後一貫して、米軍の支配下においても、自分たちの主張を貫くのはすべて非暴力の抵抗でした。言論による抵抗でした。そして、その言論による主張の場として、今公開審理というものが行われています。しかし、沖縄でのこの言論をつぶすために法改正があります。これこそまさに、特措法及びその背景にある差別性、沖縄側の反発のゆえんであります。  それから、特措法改定に至る過程、そこにおける問題点というものを次に指摘しておきたいと思います。  なぜ今期限切れが必至になったのか。これまで三回、特措法による米軍用地強制使用が行われてきています。地主の数もほぼ同様です。しかし、なぜこのようにうまくいかない状況が来たのかといえば、それは、知事にまでそっぽを向かれたからです。日本政府の政策が、知事にまでそっぽを向かれたからです。  それはなぜかというと、例えば七一年、国会はこのように決議をしています。政府は速やかに沖縄米軍基地の将来の整理縮小を保障する措置をとるべきという決議を七一年の十一月にしています。しかし、抜本的な措置は何らとられないまま二十五年続きました。そのことこそが、知事の代理署名拒否とか公告縦覧代行拒否を生み出す一番大きな原因であったわけです。  いずれにせよ、この問題は政府と知事の問題であって、収用委員会責任で期限切れが近づいてきたわけでもなければ、土地所有者の責任でもありません。この責任問題をすりかえるというのは非常におかしい。  次に、現行法の枠内で対処の仕方がなかったのかというと、言うまでもなく、現行法の中で緊急使用の申し立てという手段がありました。しかし、政府はそれを行いませんでした。今になって間に合わないと言いますけれども、間に合わないということは去年からわかっていたわけですから、さっさと緊急使用の申し立てをすべきだったわけです。そして、緊急使用の必要性を立証する努力をすべきだったわけです。しかし、政府は一切そういう努力をしないで、もし公開審理でも行われて混乱でも起これば、一挙に法改正ができるというひそかな期待で、今まで時間をむだに過ごしてきたわけです。  それからもう一つ、じゃ、期限切れで何が起こるのかという問題です。期限が切れたら過激派が突入するんではないか、あるいは滑走路に小屋が建てられたら基地の機能が麻痺する、こういうデマが法改正の論拠として行われています。  しかし、皆さん御承知のように、日本の法体系の中で、自力救済というのが当事者によって認められているでしょうか。つまり、期限が切れたからといって、そこに小屋を建てたり勝手に入ったりすることができるでしょうか。もしそういうことができるのであれば、もはや、楚辺通信所、いわゆる象のおりにはビルが建っているでしょう。  そういう何かの要求をするためには法的手続が、仮処分の申請とか明け渡し訴訟とか、そういう法的な手続が必要だということは御承知のとおりです。にもかかわらず、期限が切れたらまるで何か大混乱でも起こるかのような、ある意味では一種のデマが振りまかれている。  嘉手納の滑走路には確かに契約拒否地主土地があります。しかしその滑走路は、例えば嘉手納カーニバルと称して米軍基地を開放するようなときには、三日間にわたって駐車場になっているような土地です。いたずらにデマによる危機感をあおって特措法の改正を推進しようとする、こういうことでいいのでしょうか。  次に、特措法改正案の特徴、それ自体について指摘させていただきたいと思います。  特措法改正案の特徴というのは、さまざま多岐にわたっていますけれども、一言で言ってしまえば、準司法的中立機関を排除し、暫定使用を名目とする永続使用法である、こう言っていいだろうと思います。  この法律の建前は、収用委員会の審理期間中は継続使用できるようにするというふうに言われてきました。しかし実際は収用委員会の審理期間中のみならず、収用委員会が裁決を下して後も、それに不服であれば那覇防衛施設局長は建設大臣に審査請求をし、その期間中、何年でも無制限に土地が使えるという法律です。  ちなみに、御存じの方もいらっしゃるかしれませんが、五年前の収用委員会の裁決を不服として、反戦地主百数十人が建設大臣に審査請求をしています。その審査請求の結論は、五年間の強制使用の期限が切れようとする現在に至るまでまだ出ていません。五年や六年かかるのは当然だそうです。  そうだとすれば、その期間中ずっと継続使用ができる、これがこの法の性格です。しかも、土地所有者が審査請求をした場合には、収用委員会の裁決の効力は中断しません。つまり、何年間使えると言ったら使え続けるわけです。  ところが、この法律によれば、改正案によれば、国が審査請求をしたら収用委員会の裁決が凍結される、棚上げされてしまうわけです。どのような裁決を下そうが継続的に使用ができるということになる、何年間もです。  そしてもう一つは、従来は、土地の使用権原を得るためには、補償金を支払って後に使用権原を手に入れる、こういうのが収用法の法体系の建前とされてきていました。しかし、今回は補償金を支払うのではなくて、自分たちで勝手に算定した額を供託しておけば強制使用を無期限に続けられる、そして土地所有者が請求すればその一部または全部を支払うというのが法の趣旨だそうです。  これは、私有財産制を侵してはならないという日本国憲法二十九条、そしてその例外規定として、公共の福祉に必要とされる場合に、適正な補償のもとに収用または使用、強制使用することができるという二十九条の例外規定、それを受けてできた土地収用法、土地収用法の法体系の一部であると言われる現在の米軍用地特措法と一体いかなる関係があるのでしょうか。そういう法体系それ自体を全部ひっくり返してしまうような性格を持っている。露骨な言葉を使えば、毒を食らわば皿まで式の法律だと言わざるを得ないと私は思っています。特措法になぜ多くの人たちが反対するのか、当事者以外の圧倒的な世論が反対しているのかというのはそういうところにあります。  そしてその背後に、従来から日本政府がとってきている沖縄対策というのは、こういう過重な基地負担を押しつけておく、そしてそのいわば毒を、金を積むことによって中和する、そういう政策がとられてきました。今回も、それの上積みだという形でしか処理はされようとしてきません。なぜ、憲法とか、そういう法の原理あるいは法の支配というものが問題となる特措法の改正と抱き合わせで新しい振興策というものが論じられなければならないのでしょうか。振興策は振興策であり、特措法の改正はまさに日本の法体系の問題として、あるいは沖縄差別の問題として議論されなければならないものであると私は考えています。  そういうことを、ぜひこの際きちんとお考えいただきたいというのが私の意見陳述の趣旨です。  もし特措法に賛成されるのであれば、二度と沖縄の痛みを分かち合うとか、沖縄の心にこたえるなどということを口にしないでいただきたい。余りにもその言葉は白々し過ぎます。もちろん、私は沖縄ということを一生懸命強調しましたけれども、沖縄の中にもこういう政策によって利益を得る層というのはいるわけですから、沖縄島ぐるみで全部が反対しているということではありません。  しかし、この両紙に代表されるように、あるいは知事の発言に代表されるように、あるいは県議会の決議に示されるように、基地所在市町村長の九割が反対しているという事実に証明されるように、多くの人たちは、やはりこれは間違いなく沖縄に対する差別であると認識しています。そして沖縄を踏みにじれば踏みにじるほど、実は、安保によって守るはずの日本社会それ自体、日本政治それ自体の荒廃を推し進めつつあるのではないだろうか、法の支配というのは一体どこに行ったのだろうか、私たちはそういうことを痛切に感じざるを得ません。  なお、限られた時間でしたので、資料として、私が新聞に書いた資料なども皆さんのところにお配りしてあります。後ででもお読みいただければと思います。  なお、私の、限られた時間の中ですので、非常に強い言葉を使うとか、そういうところがあればおわびしますし、もし必要であれば質疑にお答えする形でさまざま補足させていただきたいと思います。(拍手)
  62. 野中広務

    野中委員長 ありがとうございました。  次に前田参考人にお願いいたします。
  63. 前田哲男

    ○前田参考人 前田哲男でございます。  委員長から、率直な意見を、忌憚のない意見をというお言葉がありましたので、私は、いわゆる駐留軍用地収用特別措置法改正案に反対する立場から意見を述べさせていただきます。  思い起こしていただきたいのですが、この四月二十八日は、一九五二年、サンフランシスコにおいて対日平和条約及び日米安保条約が結ばれて四十五年目に当たります。対日平和条約によって沖縄本土から切り離され、施政権の外に置かれました。また、安保条約の適用の外にも置かれました。  そうした本土から切り離された沖縄に、今、ほかならぬその安保条約の名において土地の継続使用を求める法律が改正されようとしている。これは大きな逆説、歴史の逆説と言わなければならないだろうと思います。かつてみずからを拒絶した講和条約安保条約によって今そこに組み込まれている県民にとって、このことはやはり大きな怒りであり、悲しみであろうと思います。新崎参考人が先ほど引用されました沖縄両紙の社説も、そういう問題意識、歴史認識を踏まえているのであろうというふうに思います。  政府は、安保条約がある以上、基地の提供は当然の責務であり、日本側の義務であるのだということをよく申します。しかし、安保条約同盟関係と軍事基地がそのままストレートに結びつくものであるか。つまり、同盟関係を結んだということが基地提供の義務につながるのかというと、必ずしもそうではないということをぜひ御認識いただきたいと思います。  今世紀初頭、日本はイギリスと同盟を結びロシアと戦いましたが、その日英同盟下、日本にイギリスの基地があったでしょうか。一九四〇年代は、日独伊三国同盟によって日本は世界を敵に回しました。しかし、ドイツの軍事基地も、イタリアの軍事基地もございませんでした。両同盟関係はともに、そのような基地提供というような条項を含んでおりませんでした。  アメリカは今、世界各国と数多い同盟関係、コミットメントの約束をいたしておりますが、それがすべて基地提供の義務を負っているかといいますと、そうではなくて、むしろ基地提供義務を負っているコミットメントは例外的であるという事実によってもそれは裏づけることができようかと思います。  アジア・太平洋において、アメリカは今七つの条約及びコミットメントを明文化しております。日米安保のほか、米韓、米比、米タイ、米豪、そしてベラウ共和国及びマーシャル諸島共和国との間の条約であり、明文化されたコミットメントであります。しかし、このうち基地の提供義務を伴うものは、米韓そして日米のみであります。かつて米比は相互防衛条約のほかに基地貸与協定という別の協定を持っておりましたが、一九九二年、フィリピン上院の決議によって廃止され、米軍基地は目下存在しておりません。  イギリスにもドイツにも、冷戦時代、多くの米軍基地があったのは事実であります。しかし、ドイツではほぼ半減に近い状況米軍基地の縮小が続いておりますし、イギリス最大米軍基地でありましたグリーナムコモン空軍基地は、先月二十六日、地元に返還されました。  グリーナムコモン空軍基地は、一九四一年と申しますから第二次世界大戦のさなか、ドイツを爆撃するためにアメリカの陸軍航空隊がここに進出して以来維持されてきた、日本で申せば横田ないし厚木に相当するような大空軍基地であったわけです。一九八〇年代には、ここに核を搭載した、中距離核運搬手段である巡航ミサイルが搬入され、激しい反対運動の輪になったことで知られております。「グリーナムコモンの女たち」という地元女性を中心とする反対運動の活動の場でもありました。しかし、このグリーナムコモンは今地元に返還されビジネスセンターになる、そういうふうに方向づけられている。  こうしたことから見ても、同盟イコール基地提供義務というふうに結びつける、そしてそれを当然視するというのは必ずしも正確ではない。もちろん同盟の中に基地を提供するという形はあり得ますが、無前提的に当然のこととしてそれがあるのだと受け取るのは、いささか早計ではないかというふうに考えます。  沖縄基地は、もしこの特措法が改正されますと、二十一世紀にかけて基地の固定化が憂慮されます。そうなりますと、ことし七月、中国に返還される香港が二世紀にわたる植民地のくびきから脱しようとするその同じ年、沖縄基地は二世紀にわたる基地のくびきに据えられるということにもなりかねません。これも大いなる歴史の退行であり、逆行であるという見方ができるだろうと思います。  反対の理由に関して、法的な側面からは今新崎参考人が詳細に説明されましたし、さまざまな方がメディアを通じて指摘しておりますので、ここで私が詳しく述べるまでもないと思います。ただ、この法律が実体的に沖縄にのみ適用される法律であるということを考えますと、法のもとの平等、法の支配の普遍性、公平性に背くものであると言わなければなりません。  法案が上程されたその日に、日弁連の会長の緊急声明がこのように述べています。この改正案は極めて違憲性の高い改正案と評価せざるを得ない、改正案は、沖縄県民に対する新たな人権侵害を招くだけでなく、違憲な状態をつくり出し、民主主義に反し、法に対する国民の信頼を著しく損なうというふうに述べています。法的な問題点はこの日弁連会長声明に尽きている、そういうふうに考えます。まさにこれは民主主義という制度の根幹にかかわる問題である、そう受け取らなければならないと私は考えます。  第二に、このようにアメリカの意を迎えるという措置改正案であるかのように見えながら、しかし、この改正案が実際に成立、施行された後の状態を考えてみますと、沖縄県民の、県知事以下、県議会、各市町村長、そして県民投票にあらわれた民意から判断する限り、沖縄米軍基地はまさに県民の敵意の中に存在せざるを得ないということになります。地域社会の理解と合意が得られない、敵意の中に浮かぶ基地、敵意という言葉は少し強いかもしれません、しかし、冷たい視線の中に存続しなければならない軍事基地がどのような円滑な運用が可能であるか、そのことをよくお考えいただきたいと思います。  地元住民、地域社会の合意と理解、協力なしに、沖縄と言わず、あらゆる米軍基地はその地域社会にとって異物であり続けるでしょう。そのことをこの法律は改めて沖縄県民に押しつけるものである、そういう観点からぜひ御審議をお願いし、そのような異物性を取り去る努力をぜひしていただきたい。  そうでなければ、一昨年九月のような事件が起こるたびに、それは常に潜在的な、起こり得る可能性を秘めた、またいつ起こっても不思議でない状況の中に沖縄があるわけですから、単なる推測、予測ではなしに、考えておかなければならない。そうした事態が起こったときに、これは日米関係のより深刻な危機に発展する、そういうことも考えておかなければならない。まさに国家の危機管理という観点から、起こり得べき事態、この法律が招くかもしれない事態、マイナスの事態もきちっと計算し、予測し、それを除去する手だてを考えていただきたいと思います。  私は、法案そのものに反対する基本的な立場ではありますが、ここ数日の新聞報道に照らしますとき、衆議院の八割ないし九割の議員が賛成するという流れができつつあるようです。であるとしますならば、この法律の持っている異物性をなるべく取り去っていく。そのことによって沖縄県民の合意と協力が得られるというふうには思いませんが、摩擦を最小限に小さくする、そのための努力を法案審議の過程で見つけていただきたい、そういうふうに思います。  その手だての一つとして、私は、やはり沖縄基地の削減について何らかの意思を国会が表明する、立法府の責任において明らかにすることが求められているというふうに考えます。この問題を、安保か沖縄か、国益か県益かという二者択一、二項対立の中でとらえるのではなしに、それは多分冷戦時代のイデオロギーの残滓であろうと思います二項対立と二者択一ではなしに、敵か味方かではなしに、情勢軸、時間軸をその中に組み込むことによって、時間の経過とともに、情勢の変転とともに変わり得る、変え得るような仕組みを法律の中に反映させるような努力をしていただきたいと思います。  沖縄海兵隊は、伝えられるところでは、朝鮮半島に対する抑止力、有事の備えというふうに言われております。多分そうなんでしょう。しかし一方、朝鮮半島における情勢は、危機対処の前に危機を回避する危機管理の方向で動いています。食糧援助であり、そしてKEDOによるエネルギーの援助がほぼ軌道に乗りっっあると見受けられます。KEDOが実際に動き出しますと、北朝鮮国内に二基の原子力発電所が建設される。そのために何千人もの韓国人の技術者、労働者、アメリカ人の技術者が常駐することになる。二〇〇二年まで続く。それらの中で、朝鮮半島の有事、危機対処というオプションのみを想定することは非常に非現実的になってくるだろうと思います。  つまり、危機回避が可能な大きな枠組みの中に今動きつつある。それを追求しているのがほかならぬアメリカであるわけです。その危機回避の策のために軍事力のシグナルを送っておく、だからアメリカは今撤退を云々することはできない、そういう組み立てになっているわけで、だとすれば、朝鮮半島の情勢の変転に従った形での基地の削減のプログラムを申し出る、このことは日米同盟を傷つけるものでもなく、また朝鮮半島に対する関心を放棄するものでもない。安全保障の枠組みの中で可能だろうと思います。そして、それは沖縄の県民に一つの展望を与えることにもなるだろうと思います。そうしたことをぜひ御検討いただきたいと思います。  また、沖縄県が策定した国際都市形成構想、それに必要なアクションプログラムと呼ばれる地域開発の長期計画の中で、二〇一五年というタイムスケジュールを挙げて、基地のない沖縄を目指すという希望が述べられています。これをぜひ承認する、採択するというようなことをしていただきたい。これは沖縄の開発振興であるよりは、むしろ沖縄に対する中央政府の戦後処理としての責務であると思います。二〇一五年までに基地がなくなるかどうかということは、情勢によって大きく左右されるでしょう。しかし、現在朝鮮半島の情勢を見る限り、それに反する動きに東アジア情勢が向かいつつあるとは言えません。  そうしたことを考えますとき、沖縄のアクションプログラム、そこに記された二〇一五年までに基地の廃絶を目指すという枠組みの中で、この特措法の柔軟的運用、つまり時限立法にするという選択肢、さらに、PKO協力法がそうでありましたように、一定期間後の見直し条項を附則としてつける。PKO協力法は、この法律が施行される三年後において、法律の実施状況に照らし、見直しを行うこととするというふうに定めました。こうした見直し条項をつける、また、ある規定を凍結するというやり方もPKO協力法では行われましたし、そのような法的手続がとられました。  そういう意味で、私は基本的にはこの法律の改正に反対する立場ではありますが、しかし、このような大きな状況が形成されつつあるときに、オール・オア・ナッシングということがどれほど有効か、考え込まざるを得ません。  そこで、悪い面を少しでも少なくするための措置を期待したい、そのための御審議をお願いしたいというふうに考えます。これからの審議の中でそのような意見が反映されますならば、よりよい選択にはならないにしても、より悪い選択を少しでも軽くするということになるであろうというふうに考えます。  以上で私の意見の陳述を終わります。ありがとうございました。(拍手)
  64. 野中広務

    野中委員長 ありがとうございました。  次に、末次参考人にお願いいたします。
  65. 末次一郎

    ○末次参考人 沖縄協会の理事、末次であります。  沖縄協会の理事を務めておりますけれども、私が沖縄とかかわりを持ったのは、昭和二十六年、対日平和条約が結ばれるときでございました。当時、世を挙げて、全面か単独かといううつろな空論が騒いでおりましたが、私どもは、示された米英草案の中身に着目をして、その内容の修正を求めて、率いておりました青年運動を挙げて挑戦をいたしました。  沖縄は、第三条でアメリカの施政権下に置かれるということが定義されて、また、今私が取り組んでおる北方領土問題が発生したのは、第二条(c)項で当該地域の権利、権限を放棄することを余儀なくされたからでございます。私自身も九日間断食をして頑張りましたが、ごく一部に修正が加えられただけで、ほぼ原案どおり通りました。  それから、我々の次の取り組みに入るわけでありますが、二十年代の後半から、屋良先生が必死になって進められた戦災校舎復旧資金の募金活動に協力をしたり、屋良先生と御一緒に、当時沖縄に小中高校が五百五十二校ございましたが、このすべての学校に、日本を忘れないようにというので大国旗を贈ってみたり、さらに青年の交流、少年の交流、婦人の交流など、本土沖縄をつなぐ紐帯を強めていく努力をいたしました。  三十年代の後半からは、ようやく機が熟したというので積極的な返還運動に取り組みまして、今は亡き大浜先生と御一緒に、ワシントンに毎年、時には数回足を運んで、最後には、政府間の交渉もさることながら、それぞれの政府の政策形成に影響力を持つ専門家グループが会同をして、本音を分け合ってみようというので、昭和四十四年の春、日米京都会議という返還史上に名を残した会議を開きました。ここで案出したポリシーが、核抜き・本土並み、七二年というものでありまして、それまで国会で白紙と答えておられた佐藤さんが、これを機にこのポリシーを取り上げられ、またアメリカ側もその作業をして、復帰に至ったわけであります。  したがって、復帰に当たっては基地の整理縮小をすべしというので、専門家グループと一緒に沖縄を訪問して、米側の協力を得ながら整理縮小の具体的な構想をまとめて、両国政府に提案をいたしました。当時、一七、八%の削減が行われた一つの土台になったわけであります。  復帰後は、断続的な関係を持ちながらも、私にとってもう一つの最後の戦後処理である北方領土問題の奔命に取り組んできたところでありますが、一昨年来の沖縄問題の新たなうねりに、従来のゆかりもあって、さまざまなお手伝いをさせていただいておるわけです。  少し前置きが長くなりましたが、そういう立場で私のこのたびの法改正についての見解を申し上げたいと思います。  金城副会長から既にお話がありましたことと重複しますからなるべく簡略に申し上げますが、私は、まことに残念ですけれども、やむなき措置として特措法の改正はこれを支持しなければならないと考えるものであります。  第一は、五月十四日に期限が切れますと、新崎教授は心配するなと言われましたが、私はそれほど楽観論者ではございませんので、どのような事態が起こるか予測がつかない。このままでいけば当然不法使用ということになるわけでありまして、法治国家として適切を欠く、これが第一の理由であります。  それから第二は、もしそこに混乱を生じ、不測の事態などが起こってくるということになりますと、日米安保条約には基地提供の義務を負う日本でありますから、安保条約に瑕疵をつくることになり、あるいは日米関係に少なからざるマイナス要因をつくることにもなりかねない。さらに、国際的に信頼を失うことにもなる。  三月半ばにモスコーで日米ロの会議をいたしまして、これには三分の一ぐらいはそれぞれの国の国防関係者も参加しておりまして、直接関係がないように考えておりましたところ、沖縄基地問題がロシア側からもアメリカ側からも提起されまして、それだけ国際的な関心が高まっておるということを体感しながら、私から現状等を説明をしたものでございました。そういう意味で、国際的な信頼を失いかねないのであって、しかるべき対応をすべきである。  三つ目は、金城さんからつぶさに御説明がありましたように、契約切れを待っておられる約三千人のいわゆる地主さんがおられるわけでありますけれども、実際の在来地主はわずか百十三名であって、あとはいわば応援団である、そのうち半数近くは本土在住者である、こういう事実を無視できないと思うのであります。このパーセンテージその他は金城さんが挙げられたとおりでありますから繰り返しませんけれども、わずか〇・二%の土地に三千名の方々が、いわば今五月十四日を前にして腕を撫しておられるという状態であります。  四つ目は、のみならず、百十三名のこの契約を拒んでおられる在来地主の所有される土地は、十三の施設区域の広範な領域に分散配置といいましょうか、分散して存在して、点在しております。その中から、金城さんは基地周辺と言われましたけれども、具体的に挙げられた普天間空港の二十坪というのは、滑走路の進入口のところにある、極めて枢要な場所にある二十坪であります。一筆二十坪のところに六百二十名以上、したがって私の計算では一人当たりで三十センチ四万前後ということになります。  もう一つの嘉手納空港の場合は、A滑走路の中央部に三筆、ここに、約六百五十坪のところに二千三百人が相乗りしておられるわけでありまして、ここは一人頭九十五センチ四万ぐらいになります。  このことで明らかなように、いわゆる反戦地主と言われる方々は漫然と反戦しておられるのではなくて、広範な基地の中の戦略的に見て極めて枢要な地点を選択して、ここに計画的に相乗りをしておられるということでありますから、新崎教授が言われるように手放しで楽観するわけにはいかない。  私はそういう意味で、暫定性しか持たない今の法律改正では完璧なものではもちろんございませんけれども、かといって、一部で言われているように強引に国家権力で特別立法をするということは私は許されないと思うので、この暫定法で時を稼ぎながらお互いに良識を出し合ってこの一致点を見出す努力をすべきであると思うのであります。  そういう意味で、私は法改正に賛成でありますが、この機会に幾つか考えてみたいことがあるのです。  第一は、ある沖縄の識者が先般屋良先生の御葬儀に参列した際に静かに語りかけてこられた言葉に心打たれるものがございました。それは、先ほどから出ておる沖縄県の県民感情とのかかわりであります。新崎教授は、新聞の社説が書いていることが県民の心をつかまないなら売れないだろうと言われましたけれども、その方が言われるのは、県民には感情もあるが理性もある、その理性が今マスコミと政治論議のために押しつぶされて、感情だけが大きくひとり歩きをしておる、これは甚だ危険だという意味のことを申されました。私もかねがね考えておるところでございまして、確かにこのことは大切なことだと思います。  今前田先生から、アクションプログラム、二〇一五年基地をゼロにしろというものを承認しろというお話がございましたけれども、これは現実を踏まえて段階をきちんと積み上げた計画では決してないのでありまして、県民の願望を図式化したものであります。私はそれでも、これは、この種のものが今までは全くございませんでした、何となく返してくれという声だけで、初めて、実現性はともかくとして、こういう形の計画案がつくられたということは評価すべきだと思うのです。  ただ、しかし、現在例えば軍労務者が八千人おられて、そこから相当な稼ぎをしておられます。ざっと私の計算では五百億ぐらいになりましょうか。基地が縮小されると、それに伴って軍雇用労務者は職を失われることになるわけであります。それに対していかなる対応をするかというような配慮は今のところまだ何ら固まっておりません。  また、金城参考人も触れられましたように、仮に縮小が進むといたしますと、現在七百億ぐらいの地代を得ておられる地主さん方の中には、次第にその地代を得ることのできない人々が出てくるわけでありまして、これに対する対応をどうするのかということを、たとえ頭の中で考えた図式といえども現実を踏まえた肉づけをしなければ、これは単なる絵にかいたものでしかないわけであります。  また、その返された跡地をどう使うのかということも計画が必要でありまして、先ほど金城参考人が言われましたように、平均でも十四年、早くても七年かかっておる。かねがね私は前知事時代からも申し上げておったのですけれども、やはりここを返してくれたらこう使うんだという具体的な計画案を持って迫っていく。もちろん戦略上できることとできないこととございますけれども、漫然と返せではなくて、そういう詰め方をすべきだということを願ってまいりましたが、これらの問題をだんだんに詰めていかないと、アクションプログラムというものは命があるものにはならないのであります。  それからもう一つ国際都市形成構想。これはまた、今までにこういう夢が描かれたことがございませんから、それ自体は評価すべきだと思います。ただ、これは、東京のシンクタンクにフレームをつくらせて、そこに思い思いの希望を散らばせたと言っても言い過ぎでない段階であります、現在は。これをだんだん軌道に乗せていくためには、現在模索されているものをより現実的なものに詰めていく必要がありますが、もっと現実的に見ますと、長年代替地が定着しないために放置されておる那覇軍港の開放をすることと、それから、今度の場合でいえば普天間空港を移転させるという、この大きな二つのテーマをクリアしなくては、国際都市形成構想も前に進むことができないと思うのであります。  県民の中には、今申し上げたアクションプログラムについて具体的に知恵を絞って努力している人々もおられます。また、国際都市形成構想についても、具体的に、理性的にどうすべきかということを真剣に考えておる人々もいます。したがいまして、私は、感情論だけで騒ぎ立てるのではなくて、県民の静かに持っておる理性を引き出しながら、より現実的にその模索を積み上げて将来方向を考えなければならないと思うのであります。これが第一です。  第二は、案じておりましたのと変わってきて、新聞報道によりますと、法改正はどうやら見えてきたという感じで、私自身、内心安堵しておりますが、ただ、これによって我が政府の対応の仕方が、これが通ったら冷たくなるのではないかという危惧が沖縄には非常に強いので、そういうことがあってはならない。  もちろん、基地の整理縮小努力も必要であります。また、沖縄の未来に対する支援もまた必要であります。ただ、基地の整理縮小といいましても、昨年二月にサンタモニカで橋本総理がクリントン大統領と会ったときに、私が聞き及んでいるところでは、防衛当局も外務当局も普天間を持ち出すことについてはかなりブレーキをかけた、それを総理は政治家としての判断に立って持ち出した、アメリカ側は受けて立った。  さらに、その詰めが行われて、四月十二日の夜、異例の形ですが、橋本総理とモンデール大使がSACOの中間報告をいたしましたときには、大田知事も、大変総理の努力を多として感謝の意を表すると同時に、行政としての責任を果たしたいと、十七日の総理と大田知事の会談は、大田知事の方から求めて行われたものでございました。それほど普天間というのは無理だろうというのが一般的認識でしたし、私もそう思っておりました。  やっと、一年近くかけて、昨年十二月にSACOの合意が最終的にできて、五年ないし七年でやっていこう、こうなったわけですが、それがまだ緒にもつかない、そのときに次の縮小といったって、それは世の中で通る話ではないのでありまして、少なくとも五年を四年に縮めるとか、そこまでいかないでもめどがはっきりついてきたとか、そういう指標を示しながら新たな整理縮小に取り組んでいく、これが世の中の常識であろうと思うのであります。  それからもう一つ沖縄の将来に対して支援が行われております。一昨年九月に事件が起こったときに、やはり県民感情としては、戦後五十年という節目でございましたから、うっせきする感情がありました。そこへあの事件が起こった。一挙に県民感情が爆発した。その県民感情をさらに激高させたのが、当時の村山さんと河野外相の態度でありました。勢い沖縄県民の感情は反政府的な動きになりました。さらにそれを増幅させたのが、革新知事、大田さんの動向でもございました。そして、沖縄のうねりが大きくなりました。  年が明けて、橋本総理が首相に就任するや、大まじめに正面から受けとめました。そして、極端な言い方をしますと、各省庁に何でもやれることを、知恵を絞れという指示をしましたら、八十八が出ました。我々が見ても、一夜漬けもあります、何というか、員数合わせもあります。それだけに、調整をすると、三十四に絞るということになりました。  また、前年度補正で五十億調整費を入れました。県は勝手に使えるかなと思っておりましたが、そうはいかないというので、先日、二十九億の細目が出ました。これも、見ておりますと、かなりむだが多い。  しかし、そこまでやろうという意気は買うといたしますも、やはりとことん考えてほしいのは、沖縄に今はくすぶっている、沖縄の持っておる自立力、沖縄の潜在的な活力、それを引き出していくという配慮なしに何でも面倒を見てやろうというやり方は決していいことではない、その辺はこれからの動きの中で心して取り組んでいかなければならないことだと考えております。  沖縄には、そういう静かな理性があります。また、そういう能力を持っている人々があります。しかし、県行政は、こういう人々の力を十分吸い上げているとは思いにくいところもございます。先般、屋良先生の葬儀の後、大田知事に強くその旨を要請いたしましたが、今のところ余り響きがよくないという危惧を感じておるところでありまして、これからはそういう点で、見せかけではなく、一体となってこの困難を乗り切っていくという努力を、政府にも、そしてまた、皆様、各党の議員の皆様方にもお願いを申し上げて、私の意見を終わります。  ありがとうございました。(拍手)
  66. 野中広務

    野中委員長 ありがとうございました。  以上で参考人意見の開陳は終わりました。     ─────────────
  67. 野中広務

    野中委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。下地幹郎君。
  68. 下地幹郎

    ○下地委員 参考人質疑をさせていただきたいと思っております。  本日は、お忙しい中、四人の参考人に来ていただきまして、大変感謝を申し上げております。立場が違う、そしてお考えが違うことをこの立法府の中でしっかりとお訴えいただいて、いろいろな形で御意見をいただくことは、私どもにとっても非常に大事なことでもありますし、国民にとっても大事なことだと思っております。  そして、私がきょう一つだけ残念なことがあります。それは、この意見陳述の場所にぜひ大田知事に来ていただきたかった、そして、大田知事に来ていただいて自分の気持ちをしっかりと訴えていただきたかった。私の考えは、この法案に対して反対なら反対、どういう理由で反対なのか、堂々と訴えて、そのお気持ちを全国の国民に知っていただく、そのことも、私は県民の一人として、大事なことではなかったかというふうに思っております。  そして、沖縄新聞を見ましても、大田知事の参加しないということに関して、各政党からも不満の声が出ております。これは、私はやはり大田知事に対する期待の裏腹だと思っております。そういう意味でも、言論の府、当委員会役割をもう少し大きく御理解をいただければというふうに思っているわけでございます。  そしてもう一つ、私は、この特別委員会を聞かせていただきましてずっと感じさせていただきましたのが、沖縄のこの問題、これから私ども日本にとって、外交問題や安保の問題にとって本当に大事な問題だなということを、私も沖縄県民の一人でありますけれども、今、改めてまた大きく感じさせていただいております。  そしてもう一つ、お願いをしたいと申しますか、私の意見でありますけれども、よくこの場所で、総理もそうでありますけれども、答弁をなされて、この復帰して二十五年という歳月、そして、この復帰して二十五年という、その沖縄に対する政策そのものを、否定をするわけではありませんけれども、なかなかうまくいかなかったと断定をなされる方々がいらっしゃる。私は、果たしてそうなのかなということをつくづく感じさせていただくのであります。  この二十五年間、沖縄の振興策、私は大きな役割を果たしてきたことだけは間違いないと思います。四兆九千億、ことしの予算を含めますと五兆円のお金を沖縄に投下をしました。その投下の中で、ダムの問題にしても、道路の問題にしても、そして沖縄の所得の問題にいたしましても、いろいろと本土並み化はしてまいりました。まだまだ最低限のレベルではありますけれども、どんどんどんどん追いついてきたことだけは確かなんです。しかし、今、沖縄が復興の歴史から新しい自立の歴史に変わろうとしたときに、沖縄の今の政策ではだめなんですということだけは確かだと思うのです。しかし、今までやってきたそのものを否定することで果たして沖縄問題が始まるのかというと、そうはいかないということだけは私は感じるのであります。  そして、私は、選挙のときもそうでありますけれども、失業率の話をよくします。生活を守るという観点が政治の大きな役割だ、そういうようなことをずっと言わせていただきましたけれども、今、沖縄の失業率は、もう六・三%近くいっているわけですね。しかし、沖縄の失業率そのものを見ても、昭和五十二年には六・八%ありました。そして、西銘県知事、前知事の時代に入りました。それから平成二年になったら三・九%まで失業率は落ちてきたのであります。そして平成二年から今度の平成九年になると、また六%まで上がってきた。  私は、日本の政策そのものが全部失敗で、だから今の沖縄がこうなったということは正しい断定ではないと思うのです。私は、もう一回、沖縄をかわいいと言うならば、沖縄のかわいいその人たちにもしっかりしろと、そういうふうな愛情のある言葉からスタートしなければ、ただ単に沖縄をかばうような表現だけで沖縄がよくなるということは間違いだというふうなことは、私はここにいらっしゃる先生方にもぜひ御理解をいただいて、お願いをしたい。  そして、沖縄の百二十八万人の県民のうちのもう七三・四%が五十歳以下になってまいりました。もう戦後生まれの人間が多くなってきたのです。そのことも含めながら、いろいろな感性や感覚の違いの中で二十一世紀の沖縄を模索をしていかなければいけないということを、まず冒頭にお話しをさせていただきたいというふうに思っております。  そして、質問をさせていただきたいのですけれども、私は、この沖縄の戦争、いろいろな苦しみを生んだと思います。とにかく平和をつくっていかなければいけない、そして基地の整理縮小をしていかなければいけないというのは、この特措法に賛成する、賛成しないにかかわらず、だれもの原点だと私は思っております。これは、政治の中のイデオロギーにおいても、そのことはだれ一人として変わることはないというふうに私は思うのであります。  その戦争の中で一番苦しい思いは、レベルをつけるわけではありませんけれども、お亡くなりになられた方、そしてその遺族の皆さん、これがやはり深い悲しみだったと思います。その次にと申しましたらあれですけれども、自分の財産、自分土地をとられたその軍用地地主の皆さん、それもまた大きな痛手をこうむったことだけは間違いないと思うのです。  そして、今度この法案をつくるに当たって、軍用地地主の皆さんの代表であります金城副会長に、ちょっとお聞きをさせていただきたいと思います。  先ほど金城副会長からるる数字の御説明はありましたけれども、私の方は省かせていただきますけれども、今、金城副会長のところに、二万九千五百四十人の、九〇・五%の方々がいらっしゃって、契約をなされております。二十五年前から契約をなされておるわけでございますけれども、その契約をなされるときのお気持ち、そしてどういう理由で契約をなされているのか、もう一回お話しをいただければと思っております。よろしくお願いいたします。
  69. 金城重正

    ○金城参考人 今、下地先生から、国と賃貸契約をやっております地主が九九・八%、こういうお話がございましたが、確かにそうでございます。  しかし、どういう気持ちで契約を結んだのか、こういう御質問でございますが、これは改めて申し上げる必要もないと思いますが、私どもは、日本の国の平和と安全、その基本は日米安全保障条約にある、そういう意味から、国に対して協力すべきところは大いに協力をしていかなければならぬ、そういう気持ちで契約をいたしておるのでございます。
  70. 下地幹郎

    ○下地委員 平和をつくるためには日米安保条約がその大きな役割がある、その日米安保条約をやるために私どもの役割があるのだというふうなお気持ちであるというふうに解釈をさせていただきたいと思います。私も同感でございます。ぜひそのお気持ちをしっかりとお持ちをいただきたい。そして、日米安保条約ありきではなく、平和をつくるという観点で、ぜひ国に対しての御協力をお願いをしたいと思うのであります。  そして、もう一つであります。先ほど、だれの声が沖縄の声なのかというふうな声がありました。いろいろな御意見があります。私は、そのいろいろな御意見の中で、今、副会長が数字をるるお述べになりましたけれども、その過半数以上の方々、九〇%を超える方々が賛成だと言われている、そして、先ほど副会長からお話がありましたように、日米安保、平和、日米安保があって平和があって、それをしっかりと守っていかなければ安全はできないというお話でありましたけれども、その一部の方々の声が大きな声となってマスコミの中で取り上げられていることだけは間違いないと思うのであります。  私は、当事者であります軍用地地主の皆さん、これは一坪反戦地主地主でありますから全部を込めまして、一坪反戦地主も込めまして一つ地主の皆さん、その少数の皆さんの声が大きく取り上げられている、そういうふうな現状に対して、この九〇%を超える契約地主の皆さんはいろいろな会合でどういうお考えなのか、そして軍用地連合会としてこういうふうな皆さんに対してどういうふうなお考えを持っているのか、そのこともぜひお考えをお聞かせをいただきたいというふうに思っております。
  71. 金城重正

    ○金城参考人 今、下地先生から、沖縄、現地においては大多数の地主意見というものが聞こえてこない、現地の新聞には、少数の地主方々が大きく出て、皆さんの声はどうして出ないんだ、こういう質問がございました。  これは、残念ながら、私たちの声を載せていただけない。例えばの話でありますが、これはどこということを私は申し上げません、あるテレビでございますが、三月の三十一日、四月の一日、二日、私どもは東京に参りました。そして、帰りまして、そのテレビの方々から、どういうことで東京に行ったのか、あるいは、今度の特措法の改正についてどんな考え方を持っているんだと、実は、私の目の前で、私どもの会長が会見をいたしました。  ほかの方々意見は、こう出てくるのです。私どもの会長は何を申し上げたかといいますと、私の目の前でですから、今回の特措法の一部改正はやむを得ません、政府がやるということであるならば、また国会の方で承認されるということであるならばやむを得ない、こういう会見をいたしました。しかし、テレビのスイッチをひねってみたら、そういうものは全く出てこないのであります。私ども非常に残念に思いますし、できますことならば、そういうことはフェアに扱っていただければいいかな、こういうように思っております。  今後も、私どももできるだけマスコミの表に出るように努力はするつもりでございますけれども、残念ながら私たちの声が反映されていない、あるいは沖縄の声がどこにあるかということが十分に伝わっていない。先ほど来次先生からのお話もございました。そのことについては、非常に残念に思っているところでございます。  以上です。
  72. 下地幹郎

    ○下地委員 今、副会長からお話をお聞きをいたしました。私は、いろいろな声を平等に扱える、そういうようなことも非常に大事なことだと思っております。  今度は、三人の先生方にちょっとお伺いをしたいのですけれども、私はこの法案、沖縄の県民の一人といたしまして、つくらないで済むならばそれでいいというのが私の一年前からの考えでありました。私は、この特措法、別にそんな大きな欠陥があるとは思っておりません、法自体に。だからそのまま、新しい一部の改正をしなくて済むならば、その方向でぜひ進めていただきたいというふうなことをずっと思っておりました。  そして、少しばかり見ていただきまして、平成七年の九月の二十九日、署名捺印を大田知事が拒否いたしました。私は、大田知事のその判断は、大田知事のお考えで進められればいい、これをどうこう言うものでもない、そしてそのときの沖縄状況、そのことを考えたら、それはしようがないのかなと思うような感じであります。  そして二カ月間、どうしても大田知事に署名をしていただきたい、そういうような交渉がありましたけれども、村山政権でそれはだめになりました。これにがかった日にちが二カ月間であります。そしてその後、代行の申請をして、そして大田知事が代行の表明をするまでに六カ月の期間がかかります。そして、裁決手続の開始決定から公開審理まで四カ月の時間を要するのです。もうそれだけでも十二カ月の歳月が過ぎる。  先ほど新崎先生がおっしゃったように、私どもの感触としても、十一月か十二月のころから、これは大丈夫かなと心配をしたのです。平成四年の公開審理でも百八十日かかっております。その前の公開審理でも三百六十二日かかっております。本当にそのままの状態で、二月から始まって大丈夫かなというのはだれしもが思ったことだと思うのです。  私は、この特措法の一部改定という法をつくらなければいけなかったというのは、時間との闘いの中で負けてしまった、だから法の改正をしなければいけない、そういうふうなことになってしまったのではないかというふうに思うのです。そして、平成四年のときには五百人であります。今度は三千人であります。収用委員会のスタッフは、平成四年のときにも六人、今、三千人の皆さんに対応しなければいけないのも六人、そういうふうな体制でやって時間との闘いに勝てるわけがない、そういうふうに私は認識をさせていただいているのです。  だから、この特措法は、政治の中でこれが生まれてきたものじゃなくて、時間の中でどうしようもないような、つくらざるを得ないような状況になったというふうな認識を私は持たせていただいているのですけれども、私のその考えに対して、ぜひ末次先生から一言御答弁をお願いをしたいというふうに思っております。
  73. 末次一郎

    ○末次参考人 先ほども申し上げましたように、私が行って若い連中といっぱい会いますと、みんないろいろな意見を持っておるのですよ。これをもっと吸い上げていただきたいと思うのですね。  それから、先ほどちょっと申し上げましたが、この間、三日の日に大田知事にお目にかかりました。そのときに、前日の葬儀のときに、私は屋良先生の遺影を二時間半じっと見詰めながらつくづく思ったことは、今の状況以上の修羅場が御在任中にたびたびございました、毒ガスの移送問題であるとかB52の墜落事故とか。そういうときに、時々私ども御相談を受けたり、東京とのパイプが詰まると、こうせい、ああせいという御指示を受けたりして、始終そばでお見受けする機会が多うございましたが、私が非常に印象的なのは、革新の支持を受けて主席になり知事になったけれども、なった以上は県民の最高責任者である、そういうお立場で県民全体をにらみながら、事が混乱してくると、どこへおさめるべきかということを四六時中、あのみけんの縦じわに象徴されるように、考えておられました。非常に私は感服をしながら、教えられたのでありますけれども、大田知事にその旨を率直に申しました。  これまで大田知事を見ておりますと、内心の動きはわかりませんけれども表から見ておりますと、やはりそういう意味ではまだその境地には達しておられない。だから私は、これまではいい、これからが正念場だ、最高責任者として腹を決めるべきだと迫りました。彼は苦笑いをしながら、沖縄問題はやればやるほど難しい、こう言っておりまして、私は、またしかし期待を託したいと思うのです。やはり最高責任者としては腹をくくるべきときが来るわけであります。  加えて、先ほども申し上げましたように、県民の中には、事態を非常に重く見て真剣に考えておられる、私が言う県民理性に立って苦悩しておられる人々がいっぱいおられます。そういう人の力を引き出すように、下地さんなんかも御努力願いたいし、県がつくる計画の中にそういう知恵が凝集されるように努力をしていただくのでないと、このままでいくと前途が非常に案じられてならないのでありまして、その点は私どもの方からとりわけお願いをしたいと思うところです。
  74. 下地幹郎

    ○下地委員 新崎参考人、私が先ほど申し上げました、法改正をする最大の理由が時間というものとの闘いに負けたということになるのではないかという質問なんですけれども、それに関して参考人のお考えを。
  75. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 お答えしたいと思います。  時間に負けたと言いますが、つまり、現行法の中で問題が処理できなかったかどうかということです。  私は先ほども申し上げましたけれども、既に先ほど下地委員御自身が御指摘になりましたけれども、前回あるいは前々回どれぐらい時間がかかったかという先例もあります。これは別に二千人でも三千人でも、それで大した違いが出てくることはあり得ないと思いますけれども、ただ、これぐらいの時間が公開審理にかかるという事実は間違いないわけです。そのことは、既に昨年の九月、大田知事が代行を応諾したとかそういう段階でもう明瞭にわかっていることなんですね。  であれば、私は、なぜ現行法の枠内で緊急使用のような申し立てができなかったのかといえば、恐らく政府側は、例えば楚辺通信所、その前に期限が切れた象のおりに関して緊急使用の申し立てをしたときに、収用委員会が却下をした、だからもしかしたら却下をされるかもしれない、こういうことがあったのかもしれません。しかし、私は、これは非常におかしいと思っています。つまり、収用委員会は恣意的に却下をしたわけではないわけですね。その判断の根拠があったわけです。  判断の根拠は何かといえば、一つは、緊急使用の要件を欠いているということだったと思います。それからもう一つは、緊急使用の必要性を立証する努力を政府自体がやらなかったということだと思います。  例えば、緊急使用というのは、使用できないと非常に困る、だから緊急に六カ月間は使用させてくれ、そのためには公開審理なんかを抜いて収用委員会が緊急の判断をしてくれという、下地委員に申し上げるのは釈迦に説法かもしれませんけれども、そういう手続だと思います。ところが、必ずしも違法とは言えないということで、政府の側は使用権原が失われたという事実そのものをなかなか読めようとしなかった、そのことが、いわは緊急使用の要件に非常に大きな影響を与えたと思います。  それからもう一つは、ここの土地がなぜ緊急に使用する必要があるかということに対して、収用委員会を説得する努力を何もなさっていませんでした。  例えば、収用委員会が現地調査をやったときに、ここには地下に重要な軍事的な通信網とかあるので、ベニヤ板を敷いて、体重も申告させて、一枚の上に二人以上は乗ってもらっては困るというようなことを言って現地調査もやってもらったわけですね。ところが、その後、人が乗ると一トン以上もする草刈り機がそこを縦横に走り回っていた、そういう現場写真などが写された結果、結局は裁判の仮処分申請で立ち入りを認めざるを得ないというような問題が出てきたわけですね。つまり、そういう緊急使用の必要性を立証する努力をしないで、当然認めるだろうということが却下された原因だったと思います。  したがって、私は収用委員会に対して偏見を持つべきではなく、現行法は収用委員会に一定の権限を認めているわけですから、将来的な問題は別にして、その手続の中できちんと緊急使用を申し立てて、そして緊急性の立証に努力を尽くすべきであった。そして、もしそれができない場合に初めて次の手段というのが考えられるべきであっただろう。それを抜かしているところに、抜かしたままわざわざ今の時点まで来たところに問題があると私は思っています。  こういう重要な問題を審議するのであれば、もっと時間をかけて、公聴会等を現地でも行って、そして今表に出ているのはどういう意見で、後ろの方に理性的な意見があって表には感情的な意見だ云々というのがありましたけれども、本当にそうなのかを公聴会等でも確認された上で御判断になるべきであった。そういう意味では、時間は十分にあったのではないかというふうに私は理解しております。
  76. 下地幹郎

    ○下地委員 公聴会、百八十日の中で八回ございました。そのうちの三回から四回が混乱でございました。今回の収用委員会は、一回から三回まで本当に粛々と公聴会が進められた。そういうふうな公聴会を重んじる総理の姿勢がそこにあったのだと私は思うのです。  そういうふうなものでいろいろな違いは出てまいりましたけれども、私は、今までの収用委員会の公聴会と違うところが、その時間的な闘いの中で、ある意味の違いを生んでしまったのではないかなというふうに思っておるわけでございます。  最後にもう一つ金城副会長にお聞きをしたいのですけれども、今沖縄県が国際都市構想というふうなものをつくっております。いろいろな軍用地の中にいろいろな絵をかいているわけでございますけれども、地権者は地主でございます。市町村や県ではないんですね。その土地を持っているのは地主でございまして、この地主の皆さんとの合意形成とか、そして地主の皆さんに対する説明だとか、そういうものはどれだけ進められているのか。そして地主の皆さんは、国際都市構想に関してどういうふうなお考えなのか。そのことを最後にお聞きをしたいというふうに思っておりますけれども、お願いを申し上げます。
  77. 金城重正

    ○金城参考人 お答えをいたします。  今沖縄大田県政の中で、基地を二〇一五年までに全部返していただく、その上に国際都市構想をつくるんだというものが出ております。先ほど来次先生からお話がありましたように、私は、希望としてそういうことをやるのも結構なことだとは思いますが、理解はいたしますが、さて、現実的にそれができるのか。私は、政治というものは一歩一歩前進していかなければならないと思うのであります。  そこで、この国際都市構想をつくるためには、二万九千名余りの地権者の土地がかかわってくるわけであります。先ほど、それを認めたらどうかという御意見がありました。じゃ、その地権者の私どもに県の方から、こういう町づくりをしたい、こういう国際交流拠点にしたい、だからひとう皆さん方もいかがなものか、こういうのが当然あってしかるべきであります。私たちにはそういう打診とか問い合わせ、一言も今までありません。  憲法二十九条で言うならば、財産権というのは尊重しなければならぬのは当たり前なんです。あるいはその三項の中に、公共のためには国はその土地を利用する権利がある、こういうこともうたわれております。ですから、一方で憲法を尊重しなさいしなさいと言いながら、さて、国際都市構想ということについてどうなんだということになりますと、本当に、我々軍用地連合会に一言の打診も今までないというのが事実でございます。  それでよろしゅうございますか。
  78. 下地幹郎

    ○下地委員 今副会長からお話がありましたように、今からやはり手続というものをしっかりと踏みながら御理解を得て、頑張っていかなければいけないと思います。  沖縄問題、大きくなってまいりますけれども、これからぜひ皆さんの御理解をいただきながら、ただの同情ではなく、いろいろな形で沖縄の県民が自立ができるように、特徴が出せるように、皆さんの御協力をぜひお願いを申し上げたい。そのことを最後に申し上げまして、私の質問を終わります。ありがとうございました。
  79. 野中広務

    野中委員長 これにて下地君の質疑は終了いたしました。  次に、西村眞悟君。
  80. 西村眞悟

    ○西村(眞)委員 新進党の西村でございます。きょうは、貴重な御意見ありがとうございます。  私の第一番目の質問は、四名の皆様に、沖縄県民の心といいますか、末次先生には理性というふうにおっしゃっておられました。それが那辺にありゃということの確認をさせていただきたい。  現大田知事は、九〇年に選挙で通られるときの公約は、「反安保、米軍基地即時全面返還」をスローガンに掲げられた。しかし、その全面返還後の沖縄をどうするのかというビジョンを語られた形跡はありません。当選されてから五十日間体調を崩されて、初めての仕事が、国の機関委任事務である軍用用地に係る代理署名であったわけです。反戦地主等反基地運動をしている方々は、大田知事に公約違反だと詰め寄った。そのときに大田知事発言されたことは、契約地主とあなた方とどっちが多いんだ、多数を尊重するのが民主主義だ、このように発言されたわけです。それで、御承知のとおり、今回署名を拒否されたわけです。  この大田知事二つの相矛盾する行為を眺めておりますと、大田知事が民意をそのまま尊重する、我が公約を尊重するというならば、なぜ初当選五十日後に代理署名されたのかの理由がわからなくなる。「基地即時無条件全面返還」「首切り反対 解雇反対」というスローガンにあるように、どこに大田知事沖縄県民の理性と感じておられ る部分があるのか、私もわからなくなるわけです。  新崎参考人沖縄二つ新聞社の社説をもつて、これが沖縄の民意であるというふうに申された。九九%この新聞沖縄では読んでいるから沖縄の民意なんだと言われた。しかし、角度を変えて、今金城参考人が言われたように、私どもの声があらわれないんだというサイドから見れば、これは九九%のシェアを持つ二つ新聞によって、それも反戦地主になっている幹部のもとにある新聞社が発行する新聞によって沖縄の心がマインドコントロールされておるんだ、そして言論が封殺されておるんだということになるわけです。  したがって、私の問題意識をおわかりいただいたと思います。大田知事が本当に民意に従ってそのものを誠実に実行している方だと私は思わないのです。石垣空港の用地の問題でも、あの方は非常に強権的である。したがって、沖縄の心が那辺にあるかわからないので、四名の先生方に私率直に、具体的に申し上げますと、沖縄の心は、新崎参考人がおっしゃったような二つ沖縄タイムス琉球新報、そして二千九百六十八名の反戦地主の声が沖縄の声なのか、それとも、もう一つ違うものが沖縄の声なのか、おのおの存ずるところをお教えいただけませんでしょうか。     〔委員長退席、中谷委員長代理着席〕
  81. 金城重正

    ○金城参考人 今、西村先生から、沖縄の声はどうなっているんだ、こういう御質問がありましたが、確かに御指摘のような部分は往々にしてあるのではないだろうか。私も先ほど下地先生にお答えいたした具体例もあるわけでございます。しかし、その大田県政がどちらを向いて県政を行っておるのかどうかにつきましては、私たちも甚だ理解する面が多うございます。そういう面で非常に今危惧しておる一人でございまして、我々は、沖縄の県政がもっと国と協力をすべきところは協力しながらまた県益も考えていく、そういうようなことになれば幸いだがな、ただ、今のように何でも反対というような形ではオール・オア・ナッシングになるのではないか、こういうように理解をいたしております。  以上でございます。
  82. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 お答えします。  私は、新聞を出して、これがほぼ沖縄の世論を代弁しているだろうと言いましたけれども、これですべてを語り尽くしているなどと言った覚えはありません。つまり、日本でもそうですし、国会でもそうでしょうし、沖縄社会でも意見はさまざまにあります。それは、私が述べていることと金城参考人が述べていることの間に大きな違いがあるということでもおわかりいただけるわけです。それは両方とも真実の意見です。沖縄が、沖縄の心だという抽象的な言葉で一様に言えるものではありません。  それから、大田知事について言えば、大田知事が強権的なリーダーシップを発揮できる人間かどうかといえば、必ずしもそうではなくて、非常に民意を見ながらあちらに行ったりこちらに行ったりしている方ではないかと、私はそのように理解をしています。(発言する者あり)政治家であるかどうかは私はよくわかりませんが、今意見を求められたので、私の感想を申し述べているわけです。  それから、例えば新聞の幹部に一坪反戦地主がいるから県民の世論がマインドコントロールされているのではないかとおっしゃいました。これは大きな間違いだろうと私は思っています。同じ新聞社の中にも、例えばそういう幹部もいるでしょう、しかし同時に、官房長官の諮問機関の委員になる社長もいるわけです。そういう立場の違いというのがそれぞれあって、その立場の違いの中で、どのようにして客観的な報道ができるのかと努力するのがジャーナリズムの務めじゃないでしょうか。私は、たまたまそこに例えば一坪反戦地主がいたから、そのことによって琉球新報なり沖縄タイムスの論調が全部塗りつぶされてマインドコントロールされているなどとは思いません。  それから、一坪反戦地主というのは、沖縄社会では極めて大きな広がりを持っています。国会議員の中でも、参議院議員お二人とも一坪反戦地主です。確かに新聞社の中にもいます。大学の教員にもいます。ありとあらゆるところにいます。  もともと一坪反戦地主というのは、反戦地主があって初めて一坪反戦地主があるのです。先ほど来次参考人は、何か滑走路の真ん中の戦略的な地を選んで一坪が持っているというようなこともおっしゃいましたけれども、そんなことは起こり得るわけはありません。なぜならば、反戦地主土地を提供することによって、反戦地主が私たちを助けてくれというときに初めて、一坪反戦地主がその支援者として反戦地主の期待にこたえて一定の役割を果たし得る、そういう関係です。  それで、その反戦地主運動というのはいつごろ起こったかというと一九八一年ですけれども、当時、反戦地主になられた方はどういう方かというと、例えば、ひめゆり学徒隊の引率教員の仲宗根改善さんであるとか、当時の現職の那覇市長であった平良良松さんであるとか、そういう方々です。この人たちに共通なのは、沖縄戦の体験です。それで、反戦地主に対する根底的な共鳴というのは、この人たちと共通なものがあるから一坪反戦地主運動というのがあるわけです。  もともと一坪反戦地主運動というのは、沖縄現地の人間が始めたものです。それで、半分近くは本土だといいますけれども、その中にも多くの沖縄出身者がいます。  もちろん、つけ加えておかなければいけないのは、こうやって政治的な問題がクローズアップされてくると、それを政治的に利用しようという形でここに参入してくるような、にわか一坪反戦地主などというのもいることはいるでしょう。しかし、それが反戦地主や一坪反戦地主意見を代弁するものではさらさらないということも御理解いただきたいと思います。  それでよろしいでしょうか。
  83. 前田哲男

    ○前田参考人 沖縄の心とは何かというお尋ねでありますが、沖縄の心という抽象的なものを具体的に説明するのは非常に難しいのですが……。
  84. 西村眞悟

    ○西村(眞)委員 二千九百六十八名の一坪反戦地主の方の声が沖縄を代弁するのか、それとも、そうではないのだ、大田知事が初めに代理署名したときに、契約地主とどちらが多いんだ、いずれなんだという具体的なことでお聞きします。抽象的なことではないのです。
  85. 前田哲男

    ○前田参考人 その根底に沖縄の心ということを置かれましたので、沖縄の心について私も考えるのですが、私最初に沖縄に参りましたのは一九七一年、復帰前でありますので、これまで数え切れないほど沖縄を訪ねております。そうした中で痛感しますのは、沖縄県民の中に形成されている二つの意識、大きな意識であろうと思います。二つとも景色、光景で示すことができると思います。  一つは、昨年完成しました、南部の平和の礎というモニュメントであります。そこでは、沖縄戦で戦没あるいは巻き込まれて死んだ連合国、沖縄県民、日本軍将兵を問わず、あらゆる国籍の人たちの名前が記されております。のみならず、そこに例えば日曜日、祭日、お彼岸に参りますと、実に多くの人たちが集まってきて、名簿の前で、あたかもそれがお墓であるようにお参りをしている。まさしく沖縄の心、沖縄人たちの間に形成された共通の感情がここにあるなという気がいたします。  いま一つは、もっと生々しい景色、光景でありますが、一昨年の十月二十一日、県民集会が行われました。ここには八万人の人が那覇では集まりました、沖縄本島では集まったと言われていますが、離島を含めて、実に多くの人たちが集まった、自然発生的に集まった。当時の新聞をごらんになればすぐわかりますが、上から指導されたものではなくて、軍用地地主、それは反戦地主だけじゃなくて協力している地主人たちも加わりました、PTAも加わりました。そういう人たちの中で県民集会が開かれる、これも沖縄の心であろうと思います。  そういうふうに、二千九百人が沖縄の心なのかそうではないのかという、先ほど申しました二項対立的な、二者択一的なところで沖縄の心を見つける、あるいは沖縄の心はそうではないというような問題の立て方に、私はいささか違和感を感じるというふうにお答えいたします。
  86. 西村眞悟

    ○西村(眞)委員 違和感を感じられると言うから申し上げると、知事の責務は代理署名するか否か、それを県民から選ばれた知事がやらねばならない。そのときに、あの方は二回の決断をした。初めは、契約地主の方が多いからだ、民主主義は多数に従うんだと代理署名した。今回はしない。いずれが知事がすべきかということを私は知りたいからお聞きしたわけです。抽象的なことではありません。知事が拒否したから今この問題が起こっているわけです。
  87. 末次一郎

    ○末次参考人 一つにくくってとらえることは難しいと思いますが、西村先生が話題にされたことに絡めて私の考えを申し上げます。  新聞の論調でありますけれども、これはきのうきように始まったことではなくて、戦後史の長い間、この二つ新聞に振り回されておるというので、私の言う沖縄の英知というか理性というか、それを代表する人々が今までに何回となく第三の新聞を試みてまいりました。残念なことに、経営的に全く成り立たないために、ある時期出したけれども続かない、企画の段階で勝負にならないということで押しつぶされて、私から見ると、両者が競合しながら偏りを強めているというふうに見られる場合が多うございます。  ただ、その場合にも、県民全体にあるのは一種の被害感情といいますか、戦争の犠牲がここへ集約されてきたんだという思いはあるので、論調の中に、そういう部分に引かれて、全面的にそっぽを向くということではもちろんありません。  ただ、先ほど幹部の話が出ましたが、私もよく機会を得て幹部と話して、今の新聞のあり方を論議いたしますと、かつて若いときになかなか元気のよかった人が、だんだん偉くなってくると和やかになってきまして、第一線やデスクなどの動きを抑えようとするのですが、新聞の特性でなかなかそれができずに、我々にむしろ幹部がぼやくという場合がございまして、その辺が非常に難しいところであろうと思うのです。  それから、大田知事について言いますと、先ほども申し上げたように、私は、これからの修羅場で彼が新面目を発揮してくれるようにとなお深い期待をかけておりますが、先ほどお話しの第一回のときは、私はやはり彼の本音だったと思います。ところが一昨年、彼が姿勢を変えた経過の中には、第一回の署名を応諾したときに、名前は申し上げませんが、日本政府を代表してその衝に当たった人がさまざまな約束をしたわけですね。それでまた、約束をして、それを具現する意図がなかったとは思いません、各省庁の連絡協議会などもつくりました。ところが、そこから先ほとんど動かずに、期待感が裏切られたという経過がございました。しかも、今回の場合はああいう事件の直後でありまして、そこで彼は拒否したわけですね。  しかし、最高裁の判決が出た前後の動きとか、それから、先ほども申し上げました、四月十七日に総理と会って、普天間を含めてSACOの中間報告が出たことに敬意を表しながら、彼はタスクフォース、作業委員会に吉元副知事を送り込むことを約束をした。かなり現実的に一方でにらみながら、よくいえば県民の立場に立ってある種の駆け引きをする。それがしかし支持勢力の突き上げなどによって時々ゆがんでくる。したがって、良識が彼をなるべく包んでやるようにして、偏らないようにしてもらいたいものだなと思っているんです。・  それから、反戦地主の問題が出ましたけれども、琉球新報の幹部の一人にいます。聞いてみました。そうしたら、十五年前に革新のリーダーのところへ取材に行ったら、一万円出せと言われたそうです、そうしたら話してやると。それで何げなく彼は一万円出して、いつの間にか反戦地主になっていた。例を挙げると切りがございませんが、新崎先生のような積極的なお立場の方もおられます、それから誘われたから入ったという人もいます、義理で入ったという人もいます。したがいまして、私は、反戦地主の皆さんを総体として評価しません。したがって、間違ったと思っている人はさっさとおりればいいんです。おりられないような仕組みなんかもございますが。  昨年の反戦地主会の予算案を見ますと、件数で四百六十七件、九十一万円の収入でありますから、本来ならその三千人近くから一万円ずつ入らなきゃならぬのでしょうけれども。やはり積極的な方々が数をそろえて引っ張っておられるというふうに私は理解しておりますから、これが県民を代表するものなどとは毛頭考えません。  一般論として心はと問われると困りますが、個別的に、お言葉に出た部分で私の感じているところを申しました。
  88. 西村眞悟

    ○西村(眞)委員 時間がもう終わっていますから、あと二、三用意していたんですが、ありがとうございました。
  89. 中谷元

    ○中谷委員長代理 これにて西村君の質疑は終了いたしました。  次に、一川保夫君。
  90. 一川保夫

    ○一川委員 新進党の一川保夫でございます。  私、昨年の選挙で初めて国会に登場してきた人間でございまして、出身も北陸の石川県ということで、沖縄とは直接関係ない人間ではございますけれども、今日の日本安全保障にかかわる問題、その中で、今沖縄の県民の方々を中心に、直接関係ある方々が大変御苦労されているということを肌身に感じているわけでございます。先ほど四人の参考人方々から、それぞれのこれまでのいろいろな経験、現在の立場を踏まえての御意見があったわけでございますけれども、今も西村先生の方からの御質問の中で、私自身も、今回のこの特措法の改正をめぐる問題について沖縄県民の方々がどのような考えでいらっしゃるのかというところが正直言って十分つかみ切れない、そういう点がございます。  衆議院議員として出てこられている沖縄県選出あるいは沖縄県御出身の先生方の御意見は、この国会の場では、政党を超えて、皆さんそういう先生方の御意見に熱心に耳を傾け、何とかこの重要な課題を国民の総意として乗り切っていきたいという雰囲気が、この国会の中にも相当見られるというふうに私は率直に感じております。  そういう中で、私の方から、今日、沖縄をめぐる今回のこの問題がなぜこういうふうになったのかというところをもうちょっと教えていただきたいわけです。  私の個人的な気持ちとしましては、日本安全保障の大きな政策の中で、特にこの沖縄の置かれているいろいろな立場、そういったことについて、政治家あるいは政府日本国民全体も含めてのことなのかもしれませんけれども、本当に本音の議論を余りしてこなかったのではないか。日本国民全体に対してもっとわかりやすい、そういう議論というのは余りなかったような気がいたします。  そういう中で、先ほど金城参考人の方から、かつての非常に苦しい体験を踏まえてのいろいろなお話がございました。日本の国内でも唯一地上戦が県民を巻き込んで展開された、そういう大変な歴史があるわけでございまして、そういうところは、今現在、沖縄県以外の各都道府県の国民方々がどこまでしっかりと理解されているかという点が確かにあろうかと思いますし、今沖縄県に米軍基地の七五%相当があるという現実がございます。そういう中で、本当に日本国民全体が、沖縄県民のそういう苦しみといいますか、そういう立場に置かれているということを十二分に理解しているかどうかということを考えた場合に、私はどうもまだ今日まで十分な理解がされていなかったのではないか。それに対して、理解させる政府側の努力も足りなかったというふうに私は思います。  また政治そのものも、最近非常に、政党の再編的なものも含めて、各政党が、政策が選挙を経ないで変わるケースがございます。そういうことについて、国民自身、また恐らく沖縄県民の方々も含めて、大事な安全保障の問題なり外交の問題について、政策が基本的なところで変わるケースが間々見られるということに対する、政治そのものに対する不信ということもあるのではないかなという感じもいたします。  そういうことをいろいろ自分なりに考えておりますけれども、四人の参考人方々に、沖縄県民が、今現在、日本政府あるいは日本国民全体、あるいは政治そのものに対して何か不信があるとすればどのあたりにあるのか、何か常日ごろ考えておられるところを二、三絞って、簡潔にお話をしていただければありがたいと思っているのですけれども。
  91. 末次一郎

    ○末次参考人 これもなかなか難しゅうございますけれども、今も委員のお言葉にありましたように、また先ほど金城さんがお触れになりましたように、米軍が上陸したときには、四月一日に中城湾に上陸したわけですが、一カ月で落とすという計画でございましたのが、二カ月二十三日かかったわけですね。その結果、私は当時陸軍少尉で、西部軍に勤めておりまして、本土上陸作戦、要撃作戦に携わっておりましたが、本土上陸ができなかったのは、沖縄で頑張ってくださったからでありますね。そういうことを本当によくわかっている本土国民がどれくらいあるだろうかというのは、特に当時の苦い、厳しい経験をされた人々の思ってこられたヤマトンチュへのある種の不満であろうと思うのですね。  それから、今日に至ってみますと、安保条約を否定する人というのは、量的には決して多くありません。それから、基地の必要性を認めておる人々ももちろんであります。けれども、日本安全保障のために基地が必要であるとすれば、なぜ本土がもっと受け持たないのかというのが、良識を持つ人々の、まあ不満といえば一番大きな不満でありましょう。  ただし、それは基本的には沖縄基地が、先ほど金城先生が述べられたように、陸上の戦争が唯一あったところで、戦時、占領時代がずっと続いて自由勝手に基地がつくれた状態からスタートしましたために、今のような条件の中で沖縄にぽつんと基地が集中したわけではなくて、異常な状況の中でいつの間にか大きくなってしまった。その状態を本土と均てんする形で減らすというのは実は決して容易ではないし、アメリカの戦略構想からいっても、そういうアンバランスが結果的になってきた。  そういう不満があるわけですけれども、せめて、例えば実弾射撃を本土へ移そうという場合に、今のところ北海道は、鈴木議員の御努力などで見当がつき始めておりますが、ほかのところはまだはっきりいたしません。そうすると、テレビでたまたまこの委員会あるいは予算委員会における論議などを見ておりますと、勇ましい議論が出るわけですけれども、うちに引き取ろうということを言ってくださる方はなかなか出てこないわけですね。  嘉数議員がおられますが、嘉数議員が議長のころ、某県の県議会が、沖縄県民に感謝する決議というのをまとめようとしたのです、あわや。つぶしました、これは。というのは、沖縄の県民の皆さん、基地をたくさん負担して御苦労さん、よろしく頼むという決議でありますから、そんなことをしたら県民感情をさらに逆なですることになるわけでして、小さくても、これを我が県で引き取るからという内容が含まれているならばといって、つぶした経過がございます。  やはりこの辺が、不満があるとすれば一番大きな不満だろうと思うのでありまして、特に、話題になっている地域の選出議員の皆様方には、たとえ規模は小さくても、痛みを分かち合うという意味の前向きの努力をしていただくということも、県民の心にこたえることではないだろうかと思います。  それから、先ほどちょっと申し上げましたが、一昨年、例の少女暴行事件以後の動きで、あの事件が起こった直後、クリントンもモンデールも、日本政府日本国民、さらに沖縄の皆さんに心を込めた陳謝を繰り返しました。そのときに村山さんは、全然、ぽけっとしておったのです。河野外相は、がたがたするなと言わんばかりのことを言ったのですね。これはやはり激高させました。静かな人たちまでをも激高させました。  今度、橋本内閣になって、何でも受けていくよ、こうなると、私の見る感じでは、日本政府にがあっと言っておったのが、今度は、うまくいくとという期待感に変わってきております。今や、期待というのは、だんだんだんだん広がっていくわけですね。これが、先ほどちょっと予算のむだに触れましたけれども、このままでいくと揺り戻しが出てくることになって、格好のいいことを言ったけれども、実際にはなかなか物にならないのじゃないかという形の不満に集約されてくるおそれがある。その意味で、一部に、この法律改正が終わったら東京は冷めるんじゃないだろうかという危惧がございますから、そういうことがないように、ひとつたがを締めて取り組んでいただきたいと思います。  以上です。
  92. 中谷元

    ○中谷委員長代理 参考人に申し上げます。  質問時間制限の関係で、あとお一人三分程度でお願いいたします。
  93. 前田哲男

    ○前田参考人 不信、不満の根源は、やはり先ほどの沖縄の心と同様に、歴史的に形成されたものと現実の中から生み出されたもの、両方あるのではないかと考えています。  ・琉球処分という言葉があらわしているとおり、近代日本の中に位置づけられた琉球沖縄は過酷な目に遭わされてきた。戦後をとってみましても、沖縄戦の後、サンフランシスコ条約による分離、米軍の直接統治という、本土とは違う環境の中に投げ込まれて、いわば安保体制の人身御供のような役割を押しつけられてきたという意識はあるだろうと思いますし、また、それは客観的な事実であるだろうというふうに思います。そういったことから起こってくる不信、不満は当然あるわけです。  もう一つは、現実的なものであります。よく言われるように、〇・六%の県土に七五%の米軍専用基地があるという不平等、不公平。これは単なる不平等、不公平を超えて、ある種の、中央、地方格差ではなしに、国内における南北問題のような構造をつくっているのではないか、軍事的な植民地の役割を押しつけられているのではないかという意識を沖縄県民に与えている。そういうところからくる本土不信、中央不信があるんだと思います。  それを無視した形での施策は有効でないというふうに、認識の根底にこのことを据えるべきだというふうに私は考えております。
  94. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 歴史的に形成されてきたものであって一朝一夕のものではありませんから、一言でお答えするのは非常に難しいと思いますけれども、やはり近現代の問題でいえば、何といっても沖縄戦が大きいと言えるだろうと思います。つまり、沖縄戦によって本土決戦を回避した、そういう思いはずっとあると思います。  それから、基地の問題にしても、偶然集中してきたわけではないということです。先ほど私が申し上げましたけれども、本土基地は、安保が成立してから現在まで十二分の一に、専用施設ですけれども減少しております。沖縄は、例えば安保が成立し、新安保条約になる間、本土基地が四分の一になるときに二倍になっている、そういう現状があります。  そして、御承知かと思いますが、今話題になっている海兵隊というのは、一九五七年六月の岸首相とアイゼンハワー大統領との会談の際に、一切の地上戦闘部隊は日本から撤退するということになって、日本にいたのが撤退して、日本でない沖縄に行ったわけです。そして、その海兵隊がまだ沖縄にはいます。ということは、日本から一切の地上戦闘部隊を撤退させると言いながら、じゃあ沖縄日本ではないのか、日本政府アメリカは植民地と思っているのか、こういう受けとめ方というのは当然出てくると思います。  それから、例えば復帰の際に那覇空港を、今自衛隊と共用ですけれども、明け渡すために、そこにいたP3C、アメリカの対潜哨戒機が撤退するというときに、これは去年の夏報道されたことですけれども、当時サンクレメンテの、五月十五日に沖縄を返還するという佐藤・ニクソン会談のときに、これを三沢や岩国へ持っていきたいというアメリカの意向があったようですが、当時の福田赳夫外相が、日本本土では困る、沖縄で何とかという発言があって、嘉手納に持っていかれたという報道がなされています。こういうことが、例えば保守的な町長である嘉手納町長などに非常に大きな衝撃になっているという事態もあります。  あるいは、首相が知事を訴えた職務執行命令訴訟の準備書面の中で、国側は、一方では痛みを分かち合うと言いながら、実は沖縄基地を置くのが安上がりだという財政的観点というのを強調しています。つまり、沖縄に多少迷惑料その他の形で金を出しても、本土に移転するよりははるかに安上がりだという論拠を準備書面の中で堂々と述べています。  こういう問題の積み重ねが現在まで来ている、決して一朝一夕の問題ではないんだということです。具体的な積み重ねがこういう問題を生んでいるのであって、これは単に県民感情の問題ではありません。日本の社会の構造の問題だと思います。あるいは、安保というものの構造の問題が生み出した本土沖縄との認識のギャップだと思います。  以上です。
  95. 金城重正

    ○金城参考人 今、一川先生から、何で沖縄の中でこの問題についてがたがたしておるんだ、意見がなかなか合わないのじゃないかというような御質問でございましたが、今までいろいろお話も申し上げましたが、私は外交については政府として、どういう県政になろうとも、やはり国の政治がどう変わろうとも、一貫したものを持っていないと困るのではないかな、こういうように思います。  なぜそう申し上げるかといいますと、復帰当時、革新の県政が生まれました。そのときには、米軍の中に働いておる労働者の皆さん方も基地反対、反対、職場は持っておって反対、反対。そして、西銘県政になりまして落ちついてきました。そして、国と協力すべきは協力する、県のためにやってもらうことは国はやってもらう、そういう形でやってきて平穏に来たわけでありますが、今度また大田県政に変わったわけであります。支える団体と申し上げますか、それが変わってきた。そこで、今日においては沖縄の中でもそういう声が出ておる。県民投票の中でも五三%でしたか、問いかけの問題はありましたけれども、五三%の方々がやはり基地は要らない、こういうのが出ている。しかし、あの投票も、実は三カ所、首長選挙があった、その首長選挙がなければ五〇%は割っておったというのが私たちの見方である。そこで、私は、日米安保条約を堅持するために、やはり国会の中でも県政の中でも常にぐらぐらであっては、今後の日本はどこに行くか、こういう不安を抱く一人でございます。  そこで、私はこの国会の中でも、いわゆる安保条約というのがいかに日本の平和と安全のために寄与しておるか、これをうんと議論をして、国民に知らせていただきたいなと思います。実は、私の家内でさえも、安保というのはどういう意味なんだ、あんぽんなんという言葉がありますけれども、安保というのはどういうものかわからないのですよ。そういうことで、安全保障条約がなくなったときに一体全体日本はどうしなければならぬか、自分の国を守るために、国民を守るために、そういうことをやはり十分に国民に知らせていただくようにやりませんと、常に外交問題について、国防についていろいろがたがたする問題が出てくるのではないかなと危惧する一人でございます。  以上でございます。
  96. 一川保夫

    ○一川委員 もう私の持ち時間が参りました。本当に短時間に皆さん方からいろいろな御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございました。  我々も、今までのお話のように、しっかりと政策に一貫性を持たせながら、政治が信頼されるようなそういう環境づくりのために、今回のこの特措法の改正の審議を通じて国民の期待にこたえてまいりたい、そのように考えております。  どうもありがとうございました。
  97. 中谷元

    ○中谷委員長代理 これにて一川君の質疑は終了いたしました。  次に、北村哲男君。
  98. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 私は、民主党の北村でございます。  民主党は、昨日まではさまざまな意見があったのですけれども、昨日、両院総会におきまして、特措法の改正については賛成をしていく。ただし、これはいろいろと問題のある法律であるし、また意見も必ずしも完全でないので、時限立法でいったらどうだろうかという問題、そういうふうな考えを持っております。  そこで、本日はおいでいただきまして大変お疲れさまですが、何点か御意見を聞きたいと思っております。  まず最初に、金城さんでいらっしゃいますか、お話の中で、返還された土地地主がみずからお使いになるまで十四年ぐらいかかった、早くても七年ぐらいかかっている、したがって、たとえ返還されても、その間の補償といいますか手だてを十分に考えるようにというお話がありました。これは、どういうことで十四年もかかり、最低でも七年ぐらいかかっておったのか、その点についての御説明をいただきたいと思います。
  99. 金城重正

    ○金城参考人 お答えをいたします。  この問題につきましては、先ほども平均して十四年三カ月、早くても七年かかりますという御説明を私はいたしました。実は、復帰して二十五年、復帰のときに返還されまして、いまだにその土地が利用できないところがございます。私は沖縄県民であると同時に那覇市民の一人ですが、三十万余りの人口を擁しておる那覇市の中におきましても、復帰して二十五年、まだその利用ができない。沖縄においでいただいたことだと思いますが、那覇空港というのがございます、その南側、これがいまだに利用できない。  なぜそうなんだろうと考えましたときに、まず個人有地がたくさんあるということです。個人有地の方々のコンセンサスを求めるのに非常に長い時間がかかる。今度は、コンセンサスを求めましても、これを市の方に協力してもらっていろいろ仕事をやっていただく、例えば地区指定をやっていただくとか。そのためにも現行の制度は非常にいろいろなステップがありまして、いわゆる市民と一番近い市役所でさえも、こうしなければならぬ、ああしなければならぬ、こういう許可が要るというようなことで、もう一カ年、二カ年もかかるわけであります。  さらに、これを県の方に上げていくわけです。県の方に上げていっても、またこういう問題が不足である、こういう規定があるからこういうようなことに合わせていかなければならぬ、あるいは県庁の中の横の連絡、こういうことで非常に制度的に長い時間がかかる。今度、県はどうするかといいますと、区画整理事業につきましては建設省に、土地改良事業については農林省に上げていくわけです。そうこうしてやることに、それなりの時間がかかる。  したがいまして、私は最初に申し上げましたように、今の制度で、SACOの分、約五千ヘクタールが返ってまいりますと、これは当然できなくなる。特に普天間基地になりますと、これは膨大な敷地でございますから、コンクリートもどれだけあるかわからないのです。基盤整備のために二千億から二千五百億かかるということも言われておりますけれども、そういうものをやはり三年なら三年、五年だったら五年でちゃんとできるような制度面を十分に考えていただきたい。  もう一点は財政面でございます。例えば沖縄の各市町村、県にしても、やはり政府の財政支出を頼っておるわけでございますから、貧乏な沖縄県とか市町村では当然それに対応することができない、そういう理由等々ございまして、なかなか進んでいかないというのが実情でございます。  以上。
  100. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 どうもありがとうございました。私どもは、今後の問題について心してかかっていきたいと思っております。  それでは次に、新崎先生にお伺いします。  いろいろなお話を、法律上の問題とかいろいろお伺いしました。沖縄地方だけに運用される法律ですからというお話がありました。これは、先生のお考えだと、憲法九十五条の地方自治、一地方だけに適用される法律であるから住民投票にかけるべきであるというお考えにお立ちになるのでしょうか。まず、その点についてお伺いしたいと思います。
  101. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 憲法との関係でいえば、いろいろな問題があると思います。先ほど言ったのは、九条、二十九条、三十一条、九十五条、これらと抵触する問題ではないかというふうに申し上げました。  三十一条は、適正手続の問題です。この特措法それ自体は、先ほども申し上げましたけれども、日本全国に適用される法律として成立をしました。しかし、今改正の段階でターゲットになっているのは沖縄だけです。当然、九十五条の精神、趣旨というものは踏まえられるべきではないでしょうかと私は考えています。それでよろしいでしょうか。
  102. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 ただいまのことですけれども、もう少し突っ込んで。  ということは、九十五条に関係をするだろうと思いますけれども、今まで、この数日間ここでいろいろとやりとりをしておりましたけれども、この法律、特措法あるいは特措法の一部改正は、確かに現在では沖縄だけしか適用がないけれども、しかし法律そのものは、できたときは本土の方にも適用があったし、法律そのものは一般法である。ですから、この九十五条にはなじまないのではないだろうかというふうな意見が、意見というか、むしろそういうふうに言われておりますが、その点については先生はどのようにお考えでしょうか。
  103. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 これは憲法九十五条の地方自治の趣旨からいえば、明確に実質的にはそういう意味を持つと思いますが、ただ、一般法としての性格を持っておりますので、そこを詰めてどういうふうに議論すべきかはまだ詰めた議論が必要なところだと私も思っています、この九十五条に関してだけ言いますと。  ただ、内容的な問題で言いますと、現実の期限切れというのが起こっているのは沖縄だけですし、その期限切れの問題を処理するための暫定使用法として制定されようとしているということがありますし、それから、このことによって権限が具体的に奪われるのは沖縄県収用委員会ですし、そういう具体性をどう踏まえて議論をすべきかという問題だろうと思います。
  104. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 続けてお尋ねしますけれども、今特措法改正をしなくても、今までの法律で対処することができたはずである、特に緊急使用の申し立てをするということについて、楚辺通信所についてはむしろ政府のサボりの結果負けたのであって、意を尽くし、あるいは当事者主義の一方の当事者の努力をすればあるいは負けなかったかそのまま使えたはずではないかというふうなお考えでありました。  ただし、この緊急使用は六カ月しか期限がございませんですよね。六カ月たってその期限が切れた場合、私は不法占拠状態だと思うんですけれども、そういう状態が起こりますけれども、その場合はどのようにお考えなんでしょうか。そのときどうするのか、先生のお立場で。
  105. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 もし緊急使用が認められるとすれば、十一月段階までいわば緊急使用ということになりますから、その間に当然公開審理等が進み、一定の裁決が出されるという可能性は非常に大きくなっていたと思います。  従来、先ほど下地委員のときの御質問にもありましたけれども、半年とか一年近い期間がかかっていますけれども、今回の公開審理のペースは従来の二倍ぐらいのスピードで進んでいます。例えば一月に二回公開審理をやったというのはないはずですし、非常勤の収用委員が対応するという意味では、いわばぎりぎりの処理をやろうとしていたと思います。それに、聞くところによると、収用委員会の事務局は、十一月までに裁決が出るか出ないかといういろいろなチャートをつくりながら検討していたとも聞いています。  そういう意味でいえば、十一月までに間に合った可能性もあるし、十一月に間に合わなかったからといって、先ほども申し上げましたけれども、直ちに何らかの混乱が起こるということはあり得ないわけです。つまり、日本の法の中で、基地に突っ込んで何とかとか、そういうことが法的にできるわけはない。先ほども申し上げましたけれども、楚辺通信所がその具体的な例です。  そうであれば、むしろ、今やっときちんと議論ができる場がつくられてきたわけです。日本政府は、これまで二十五年間、契約を拒否している人たちに対して、例えば日米安保条約の必要性とか、沖縄基地が集中することの必要性とか、それから、具体的にあなたのこの土地がどうして必要なのかとかいうことについて積極的な説得活動をしてきたことは一度もありません。まさに今そういう場が公開審理というところで開かれようとしているのですから、これを大切にするというのは民主主義の原則であると私は考えています。  これは東京都の収用委員会の前の委員であった糟谷さんなどが、朝日新聞の二月二十七日の投稿でも言っておりますけれども、合法性の擬態をとるよりは真実の不法性をさらけ出しながらきちんとした議論をすることが必要ではないかと主張しておられますけれども、私もそのような立場に立っています。
  106. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 もう一点だけお伺いしたいと思います。  政府は、今の楚辺通信所の事態を、当初は必ずしも違法ではないというふうな言い方をしていましたね。それを、たしか収用委員会では、逆手にとるというのはおかしいんですけれども、むしろそのことを理由にして、現在の使用状態は直ちに違法ではないというふうに政府は言っているから緊急性というか緊急取得の必要性はないんだというふうに言われているんですけれども、先生はその今の状態を──必ずしも違法ではないというふうな言い方が、今この法律をつくるときに、こんな状態は絶対につくっちゃならないんだというふうに政府考え方は非常に変えてきています、とんでもない状態だと。だから、アメリカに対して言いわけが立たない、そういう言い方も、必ずしもそうじゃないんですけれども、日本としてはとても耐えられない状態だと言っておられるんですけれども、必ずしも違法でないという状態というふうにお考えですか、あるいは明確な不法占拠状態、あるいは違法な状態なんだというふうにお考えですか。
  107. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 これは既に私が去年の三月の段階で書いた文章の中でも言っていますけれども、政府は、やはりこれは違法であるということをはっきり認めて、そういう不法占拠状態が起こるから困るんだ、そういう意味で緊急使用をすべきだという主張を書いています。  そういうふうにすべきであったし、そうすることによって収用委員会の緊急使用も得られる可能性が大きくなっただろう。それだけじゃなくて、もう一つは、緊急性の立証にも、先ほども言いましたけれども、でたらめなところがありましたけれども、そういういわば誠実な努力があればそれは可能であったのではないかと思っています。
  108. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 今の先生のお考え、私も同感なんですけれども。  もう一点、日米安保条約に基づいて基地アメリカに提供する義務があるんですけれども、その法理、その基地を提供するために土地収用法をそのまま使っているということ自体に妙な矛盾がないだろうかというふうなことを若干感じるんですけれども、先生自体はそのことについてどういうふうに考えておられるか。  例えば普通の土地収用であれば、起業者が公共のために使おうとして、それをまず事業認定して、そして収用委員会にかけて裁決をもらうという順序ですね。だめであれば建設大臣に審査請求をして、裁決だろう。それは割合と両当事者の公平な形になっているんですけれども、本件は、基地に関しては防衛施設局長が総理大臣に使用認定を求めて、それを今度はまた県の収用委員会に戻して、そしてその収用委員会がもしノーと言ったら、今度は建設大臣にまた審査請求をするという形で、同じ行政の中で、一番最初トップの人が決めたことを下におろして、またさらに、収用委員会がだめだと言われたときには、この内閣の一員である建設大臣に審査請求をするという、これはすごい自己矛盾のような気がするんですよ、法律自体が。  基地というのは、やっぱり国が他国との関係において貸す意味が生じるわけですよね。その生じる関係を、国と国、ですから、総理大臣が決めるというふうに、国のトップが決めるような組織になっているんですけれども、それと今の土地収用の関係に矛盾がないかどうか、先生はその辺はどのようにお考えでしょうか。
  109. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 これはもともと矛盾があると思います。これは、憲法の問題と安保の問題をどう考えるかということだろうと思います。  つまり、日本国憲法が制定されて土地収用法が制定されましたから、土地収用法適用の事業の中に軍事目的というのが外されていたわけですね。しかし、安保条約が結ばれることによって基地を提供する義務が生じたということで、土地収用法を準用する形で米軍用地特措法というのが制定されました。しかし、原則的にはあくまで憲法の二十九条に基づく土地収用ですから、土地収用法を準用するという形で収用法の法体系の中に米軍用地特措法を位置づけざるを得なかったのだろうと思います。そういう意味では、確かに矛盾を持っています。  今、そういう法体系そのものを、私から言わせればいわば破壊してしまうような方向で改正がなされようとしている。つまり、先ほども言いましたけれども、収用委員会の裁決そのものが意味がなくなるわけですね。  いわば、土地の収用に関しては準司法的な中立機関の判断が必要だということで選ばれたのが、地方自治の建前にのっとって各都道府県に設置されている収用委員会だったわけです。今度は、収用委員会がいかなる裁決を下しても、ある意味では意味がないという法律になってきています。そうですね。ですから、そこに非常に現在の収用法の体系そのものを破壊してしまう要素が生じてきていると言わざるを得ないと思います。  つまり、審査請求をします。審査請求というのは、本来であれば収用委員会の裁決の内容を、効力を中断する力は持っていなかったはずです。ですから、先ほど申し上げましたけれども、土地所有者が五年前の裁決を不服として審査請求を建設大臣にしましたけれども、そのことによって収用委員会の裁決の効力は全く中断されていません。強制使用がずっとなされています。  しかし、今回は、収用委員会がいかなる判断を下しても、例えば仮に却下という判断を下しても、これは無効になるというか棚上げされてしまうという意味では、裁決そのものが意味がなくなる。したがって、公開審理そのものも意味がなくなるということになるわけです。そういう意味で、憲法上も、収用法の法体系という意味からも、それから、全く土地所有者に対する救済手段がないという、権利侵害という観点からも非常に大きな法的問題、法の支配という観点からいっても大きな問題をはらんでいるというふうに言わざるを得ないと思います。
  110. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 どうもありがとうございました。  前田先生にお伺いしたいのですけれども、法の空白状態が起こったということは、日本アメリカとの条約上の関係でどういうことになるんでしょうか。確かに、空白状態です。そのままほっておけばいい、ほっておいても大したことは起こらないじゃないか、現実に起こっていないじゃないかという意見一つあります。しかしその反面、いや、これは日本アメリカとの関係条約の遵守義務に反して国際的に非常にゆゆしき問題であり、かつ日米の信頼関係を著しく侵害するんだという考えもあります。  先生は本件に関して、ほっておけばいい、もし空白状態が起こった場合、起こっても大したことは起こらないから条約上も大した問題は起こらないのだとおっしゃるのか、あるいは別の手だてをやはり考えるのが国際上の義務とお考えなのか、そのあたりを先生はどういうふうにお考えでしょうか。
  111. 前田哲男

    ○前田参考人 最大のポイントは、空白状態が生ずることによって何が起こるだろうかということではないでしょうか。  その結果、混乱状態が起こる、基地の運用に重大な支障を来すということになれば、それはアメリカにとってゆゆしい事態であろうと思います。しかし、そうではないということになれば、基地の運用そのものに影響がないならば、法的な瑕疵はともかく、アメリカ基地の使用に関しては滞りなく続くとなれば、アメリカの方から、それは国内問題だということで、事改まったクレームがつかないということも考えられるかなというふうに思います。  楚辺通信所がその一つの例であるわけですが、今回と楚辺の問題とどういうふうに違うかといえば、やはり数の多さだろうと思います。恐らく、アメリカのメディアが楚辺の場合とは全く違った反応を示すだろうと思います。適正手続の原則及び地域住民の意向を無視した形での基地の運用という観点から報道をする、取材をするということになれば、これまた違ったアメリカ世論が喚起される。これは軍事的な運用とはまた違いますが、アメリカの世論に新たな一石を投ずるというようなことはあり得ると思います。
  112. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 私は、今先生が大して混乱が起こらなければいいのではないかとおっしゃいますが、やはり条約上の遵守義務は、国内法を整備し、そしてそれを誠実に履行することが条約上の義務だと思いますので、ちょっと考えを異にするのです。それは私の意見で、先生とは違うかもしれませんが、やはり何らかの手だては、この状態、その前に私ども民主党も緊急使用の申し立てをするようにという申し入れを政府にしたこともあります。ですから、手だてを尽くすことは必要なんですけれども、尽くしてもこういう状態が、土地収用法という問題と基地提供義務という特措法との法律のそごといいますか、そういう矛盾の中からこういう関係が生じたわけですから、これは国民にとって、あるいは政府、私どもにとっても、何らかの手だてが必要だと私としては思います。  それはそれとしまして、前田先生はかつてナホトカの方にみずから視察に行かれて、あの原子力潜水艦の墓場なんかのレポートを出されて、当時ソ連だったと思いますけれども、その軍事的な危機が既になくなったということを日本の世論に広められたという御経験の先生でございます。  先ほど北朝鮮との間での緊張緩和の手だてが進んでいるというお話がありました。一方、今の安保条約維持の必要性の中に、ああいう食糧危機に陥っている北朝鮮、そして今の金正日の体制、これはとても不安で一体何をするかわからないますます危険な状態が起こっているのだということが非常によく言われているのですけれども、片や、午前中にも私どもの前原議員が、軍事的バランスからいったら話にならないような状態で、幾ら起こったにしても、ほとんど危機はないのではないかというか、それに近いようなことを御質問されておりました。  先生自身は、今の北朝鮮の情勢は、先ほど御説明された部分は、確かにアメリカとの関係はあるのですけれども、もうちょっと現実に、私どもも一人間として、もしあそこにいたら、何をするかわからない人たちがすぐそばにいる、ゲリラの攻撃もあるかもしらぬ、あるいはすぐそばにあるソウルにミサイルをぶち込む、これはだれでもできます、どこの国でもできると思うのですけれども、そういうふうな形で非常に不安が強いんだということに対してはどのようにお考えでしょうか。
  113. 前田哲男

    ○前田参考人 確かに北朝鮮の持っている軍事的能力、それ以上に政策の閉鎖性、政治体制から判断して、最悪の事態がないと断言することはできないと思います。  ただ、私、昨年八月に北朝鮮に参りまして、労働党のシンクタンクの人たち及び政府外務省系のシンクタンクの人たちと話す機会がありましたが、そこで得た感触及びピョンヤンの市内の市民の動きを含めて、日本で言われているような一触即発あるいは暴発というような印象は全く受けませんでした。アメリカとの間に核疑惑の交渉を通じつつ、また休戦委員会にかわる米朝二国のパイプラインを設定しつつ、朝鮮半島の危機管理を行っていくというのが政府及び党の要人の情勢認識だったというふうに理解しております。アメリカの情勢認識も基本的にその線に沿っていると思います。  危機管理というプロセスの中でよく言われますのは、第一に、危機を回避する、コントロールすることの重大さ。第二に、危機に対処する、ダメージコントロール、今度は損害を拡大しないことの重要性。そして第三段階に、紛争が終わった段階で、再発を防止するシステムをいかに構築するか。危機管理はこの三つの側面から成るわけです。  ですから、危機対処、万一事が起こったときにそれをいかに拡大させないか、波及させないかということも大事でありますが、それ以上に危機の回避が大事で、アメリカが行っている努力もまさに今そこにあるだろう。そして、それはアメリカの情勢認識、朝鮮半島では事は起こらない、起こさなくて済むという情勢認識が根底にあるのだというふうに思います。
  114. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 どうもありがとうございました。  末次先生に一点お伺いしたいのですが、今、法改正はもう見えてきたというお話を最後にされました。しかし、この法改正をしてしまうと、沖縄の、今燃えているというかいろいろ起こっている問題が忘れ去られて、政府の対応が冷たくなるのではないかというお話がありました。  確かに、そういう見方は大いにあると思います。ですから、法改正なんかしないで、むしろ、法の空白状態をつくっても大きな問題は起こらないはずだから、その方が緊張感ができて、沖縄のさまざまな振興策あるいは海兵隊の撤退問題その他についての解決策が早くできるのではないかという考え方もあると思いますけれども、そういう考え方についてはどのようにお考えでしょうか。
  115. 末次一郎

    ○末次参考人 私は、今のでなく先ほど御質問の中に、法改正を一切しない場合はどうなるかということで、参考人の御意見は分かれておりますけれども、私は、しかく簡単ではない、何事も起こらないというふうには考えません。既に革マルとおぼしきものの出没もなくはないわけでありまして、この指導者の方々が、例えば昨年三月の楚辺のときのように、戦略を緩やかにして過激派を近づけないような配慮をされました。今度はそうはいかない、こう思っておりまして、その意味では法改正は絶対に必要である。  私が申し上げた、ここで一段落したら日本政府が冷めるんじゃないかという危惧を沖縄人たちが持っている、したがって、そうでないようにしてほしいということを申し上げたわけです。その場合に、ただ、例えば予算をつぎ込めばいいというものではなくて、あくまでも沖縄の自立力、活性力、これを引き出すという視野でないと、これまでの経過はそういう視野がいささか見落とされている嫌いがあるという意味のことを申し上げました。
  116. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 どうもありがとうございました。終わります。
  117. 中谷元

    ○中谷委員長代理 これにて北村君の質疑は終了いたしました。  次に、穀田恵二君。
  118. 穀田恵二

    穀田委員 私は日本共産党の穀田恵二です。  四人の参考人の皆様、本当にありがとうございます。貴重な御意見をいただきまして感謝申し上げます。  私は、まず最初に新崎参考人にお伺いします。  午前の質疑でも私質問させていただいたのですが、琉球新報が行った世論調査では、海兵隊削減問題で、「賛成」が六六・七%、「賛成だが時期尚早」二七・〇、「反対」は四・〇、「分からない」は二・三。以上のように、何らかの形で海兵隊の兵力削減を望む声は九三・七%に達します。  先ほど、沖縄の御意見という問題、いろいろ取り上げられまして議論がありましたけれども、私どもは、せめて、安保に対する認識はいろいろあろうけれども、海兵隊を撤去してほしい、ないしは削減をしてほしいという議論が当然かと思っています。その点での御意見をまず最初にお伺いしたいと思います。
  119. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 特措法の問題と海兵隊撤退の問題というのは直接は関係ないと思いますし、取引材料でもないと思いますが、海兵隊の問題については、先ほど私がちょっと触れましたけれども、実は日本本土にいた海兵隊沖縄に行ったという歴史的事実があり、やはり海兵隊が、それにさまざまな犯罪、事故の発生率も最も高いというようなこと等々から考えて、沖縄でまず第一に手をつけてほしいものは何かといったら海兵隊の撤退ということになるでしょうし、それは、アメリカの戦略上も余り必要はないものがいるというふうに我々は認識しておりますし、海兵隊内部の機関紙等ですら、沖縄のような狭いところでは十分な訓練もできないというような議論があるわけですから、当然、ある意味では戦後の沖縄差別の象徴とも言うべき、しかも、基地の占める割合、兵員の占める割合からいっても、最大海兵隊が撤退するということは、非常に望ましいことであるというふうに思います。
  120. 穀田恵二

    穀田委員 二つ目に、先ほど、今までの現行法の中でというお話がございまして、そこで、参考人のお話ですと、政府基地利用の緊急性や必要性の立証の努力が欠けていた旨のお話がございました。また、場面は違いますが、今ちょうど収用委員会の公開審理が行われていますが、その中で、これらの問題に関する特徴的な状況はいかがでしょうか。これらは我々はすべての段階で見ることがなかなかできませんし、とりわけ、今問題になっている必要性の問題や緊急性の問題の論陣などの特徴的な点をぜひついでにお話しいただければと思うのです。
  121. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 従来の公開審理と現在の公開審理の違いというのは、収用委員会が特に準司法的行政委員会として実質審理を行うという態度を鮮明にし、そのことによって起業者の裁決申請の理由の陳述を含めて議論が整然と進行しつつあるということが従来にない特徴点だと思います。  ほかに何かあればまた追加しますけれども。
  122. 穀田恵二

    穀田委員 それと、先ほどの陳述の際にも若干お話がありましたが、地元紙にも報道されていますけれども、嘉手納の基地については、契約地主の三十六名が今度は契約を拒否することになったということが報道されていましたが、これらの問題についての内容について、御存じであればお教えいただきたいと思います。
  123. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 これらの方々は本来の契約地主立場に立っておられた方ですから、むしろ金城参考人の方がよく御存じかと思いますけれども、先ほど私が冒頭に、沖縄軍用地の強制使用の歴史というのは戦時中の日本軍の強制収用から始まっていると申し上げました。今の嘉手納基地というのは、日本軍の中飛行場というものを四十倍に拡大したものです。そして、その日本軍が飛行場をつくるときに、その土地を、土地の所有者、ほとんどが農民だったと思いますが、から合法的に買収をしたのか、それとも戦時中のどさくさの中で一時的に強制使用したのかという点について、土地所有者と国側との間に争いがありました。  国は正当に買収したものであると主張し、土地所有者は一方的な強制使用であるというふうに主張しました。で、裁判になりましたけれども、両方ともそれを立証すべき書類はありませんでした。つまり、戦争状態の中で、例えば契約書とか土地の代金の領収書とか、そういうものがなかったために、一時期は裁判所が国とその地主たちとの和解を勧告したりしましたけれども、国側が和解を拒否して、最終的にはどういうことになったかといいますと、ほかの離島等では買収されたという書類等が残っているので、嘉手納もそうではないかという推測に基づいて土地所有者側が敗訴しました。  私は土地所有者の側の主張が正しいと思っていますが、そういうことに対して、今回のこういう動きの中で、契約をこれまでした人たちが、こういう国の不誠実な態度に耐えられない、今後は契約を拒否してこの自分たち土地を取り戻すべく、というのは、とられた土地は国有地という名目になっていますけれども、沖縄の場合にはいろいろな歴史的な経緯、前近代的な地割り制とかいろいろな歴史的な経緯がありまして、沖縄土地所有の場合には飛び地をあちらこちらに持っている人たちがおります。ですから、そこの土地以外に持っている軍用地に関して契約を拒否して、そして国に正当な自分たちの主張を認めさせようという動きが今新たに出てきている、非常に大きくクローズアップされているということです。     〔中谷委員長代理退席、委員長着席〕
  124. 穀田恵二

    穀田委員 じゃ、次に、前田参考人にお聞きします。  かつて前田参考人は「自衛隊をどうするか」などの著作で、東西関係の変化の中でまたとない軍縮の好機と、当時ですから今も続いているのでしょうけれども、そういうふうに記されていました。  その中で、見てみますと、私非常に感動したのは、当時、「新戦車として登場した九〇式戦車など、総量五〇トンにも達し、運ぶにも車台と砲塔二つに分けて専用トレーラーに積み、また配備地に「組み立て工場」が必要というグロテスクな兵器になってしまった」こういう記述がありまして、私は非常に感心した思い出がございます。  そこで、そういうことを含めた専門家としての参考人にお聞きしたいことがあります。  一つは、先ほども議論になったのですが、大体、口を開けば、政府基地提供というのが安保条約の義務と、こう来ます。ただ、日米地位協定を見ますと、新規提供の場合、第二条一項で、「合衆国は、」「使用を許される。」とあるわけですね。さらに、既に提供に合意しているものについても、地位協定第二条二項で「いずれか一方の要請があるときは、前記の取極を再検討しなければならず、」と明記しているわけですね。ですから、基地返還について合衆国は「たえず検討することに同意する。」と規定しているわけです。だから、アメリカ基地を提供する義務があるという主張は、私は、条約論的にいくと余り確かなものじゃないんじゃないか、間違いと言っても差し支えないんじゃないか、そういう議論の立て方があると思うのですが、いかがでしょうか。
  125. 前田哲男

    ○前田参考人 安保条約の六条に基地の許与ということで、陸海空軍の基地の使用が許されると書いてありますので、確かに日本条約上の義務を負っていることに間違いないと思います。  ただ、少しへ理屈をこねますと、陸軍、海軍、空軍とは書いてありますが、海兵隊とは書いてありません。海兵隊は、確かにアメリカの行政組織法上海軍に属するというふうになっていますが、軍隊の運用上は独自の兵種、独立した兵種で、しばしば米四軍と称されるゆえんであります。その海兵隊が主力部隊となって駐屯している沖縄に果たして安保第六条が適用されるのかというのは、あるいは少なくとも交渉のテーブルにのせてアメリカの反応を聞いてみることは必要なのではないかと思います。  安保六条にはそういうふうに書いてありますが、引用されましたように、地位協定二条には「許される。」というふうに書いてありますし、また国内法遵守の義務と同時に、返還に向けて「たえず検討することに同意する。」とも書かれています。したがって、このことの意味は、その基地が必要であるかということをいつも検討しなければならず、必要でないということになれば返還が要求されるということだろうと思います。  ただ、この地位協定二条が発動されたことは一度もございませんで、沖縄を含めて日本本土、池子の弾薬庫は弾薬庫としての機能はとつくの昔に終わったんだけれども、したがって遊休地になりました。そのことを、返還を要求する政府のアクションはありませんでした。今日では上瀬谷通信所がやはり通信所としての機能を完全に喪失して、アンテナを撤去いたしましたが、しかし、ここでも二条は適用されていない。こうした尺度で沖縄基地を点検してみる必要もあると思います。
  126. 穀田恵二

    穀田委員 今お話ありましたように、私は、そういケ角度から点検をして物申すというのがある意味じゃ必要な時期に来ているんじゃないかと思うんですね。それは対等、平等な関係に立てば、すぐ議論の立て方を、どうしようもならない義務なんだというのじゃなくて、そういう事態が生じた場合についてはそういう条約上の理解から出せるんだということを私は確認しておきたいと思っています。  もう一つは、これも海兵隊問題なのですが、私は、在沖縄海兵隊というのは日本防衛を任務としない部隊だと思っています。これについてどういうふうにお考えかということをお聞きしたいと思います。特に、仮に日本が侵略を受けたとして、殴り込み部隊である海兵隊はどんな役割を果たせるのか、軍事的に吟味するとどうなるか、この辺も含めてぜひお答え、お教えいただきたいと思います。前田さんに。
  127. 前田哲男

    ○前田参考人 沖縄に駐留している海兵隊の任務が何であるのかに関しては、アメリカ政府の発表した文書の中で既に明らかになっていることだと思います。  一番古くさかのぼりますと、カーター政権の時代に緊急展開軍という新しい軍種が編成されて、中東において地域紛争が発生した場合のアメリカの緊急展開のプロセス、プログラムをつくったわけですが、その中に沖縄の第三海兵遠征軍の位置づけがなされています。当時、今もそうですが、中東ですから、極東と言われる安保第六条の範囲の外であるわけで、その当時から、海兵隊は、日本及び極東ではなしに、中東をその任務にしているということがアメリカのはっきりした文書の中で記されている。  その後、冷戦が終わって、二つの地域紛争に同時に加わり勝利するという新しいドクトリンのもとで、アメリカの軍種、四つの軍が改編されていく、中でも海兵隊の任務はやはり世界的な地域紛争に対処するということになっておりますので、当然ながら、沖縄海兵隊日本防衛を一義的な任務とするということにはならないだろうと思います。  ただ、沖縄海兵隊の能力を調べてみますと、余り大きな重火器を持っていないということがあります。朝鮮戦争を抑止する、朝鮮で有事が起こった場合最初に投入されるというふうに言われていますが、沖縄海兵隊の装備で見る限り、余り有効な働きができるようにはとても見えない。戦車を持っておりませんし、またキャンプ・ハンセンの要員はほとんど新兵といいますか、海兵隊に入隊して間もない、余り練度のない層であるというようなこともあって、実際の戦力から見ますと、日本防衛及び言われているところの朝鮮半島有事にどのように対処するのかかなり疑問です。  また、最近の例で申しますと、北朝鮮の高官の亡命事件が起こったときに、アメリカ海兵隊は、本来ですと警戒状態を非常に高めなければならない、建前どおり、額面どおりでありますとそうなるはずですが、海兵隊の主力はオーストラリアに行って、タンデムスラストというオーストラリアとの共同訓練に参加しておりました。横須賀の空母インディペンデンスは、はるかに離れたグアム島に停泊しておりました。さらに、佐世保で海兵隊の強襲揚陸部隊を積んで朝鮮に向かうはずのベローウッドという強襲揚陸艦は、浮きドックに入って修理しておりました。  本来ですと、アメリカ海兵隊が目に物見せてくれるという、その抑止のメッセージを送らなければならないときに、その一番大事な要員と兵器は違う方向を向いていた。これも非常に示唆的であり、象徴的ではないかというふうに思います。
  128. 穀田恵二

    穀田委員 今の最後の点も含めて、私は非常に重要な動向だと思いますし、メッセージだと、私も同様の意見です。  最後に、金城参考人にお伺いしたいと思うのですが、時間の関係もありまして。  私は、午前中にも申したのですが、もともと沖縄米軍基地というのは、一番金城参考人が御存じだと思うのですが、当然のことですけれども、やはりアメリカが囲い込んだ、そして私有財産を没収することを得ずとしたハーグ陸戦法規に違反をして行った、その上に銃剣とブルドーザーと言われる形で拡大をされてきた、こういう歴史をまさに体現されておられるし、そういうことだと思うんですね。  したがいまして、民有地の強奪という、世界にも類例のない、この無法な行為というものがもともとの発端だ、これをやはり何とかしなくちゃならぬという点について、その矛盾が噴き出しているように感じているんです。その辺についての御感想なり御意見を最後にお伺いしたいと思います。
  129. 金城重正

    ○金城参考人 最初に、沖縄軍用地の経緯につきましてお話し申し上げました。そして、朝鮮戦争のときに再接収があった、こういうことも申し上げました。そこの第一号が私のところだったのです。米軍の装甲車あるいは武装部隊、それが前面に出て、我々地域の者は、棒があるのは棒を持ちなさい、くわがあるならくわを持ちなさい、みんな立ち上がれ、大人も子供も青年も、そういうことでやったのであります。しかし、多勢に無力ですからどうすることもできなかった。しかし、残念ながら、その歴史を詳しく申し上げますと少し時間がかかりますが、それは省きたいと思います。  ある政党の大将が、やはりアジテートした。棒があるのは棒を持て、くわがあるのはくわを持て、私が先頭になるから、戦うから、米軍だろうとも、敵が百万であろうとも頑張れ。そうか。それで我々はついていった。一番にいなくなったのはその大将だったのだ。私はその歴史を十分わかっております。  さらに、先ほども申し上げましたように、沖縄戦は八月の二十五日に終わりました。私はそのときに中学二年生でありました。そして学徒隊として参加いたしました。参加し訓練を受けたのは通信兵でした。しかし、十四歳、十五歳の年でありますから、使い物になりません、通信兵には。毎日、ごう掘りをしておりました。  その戦争中に私がけがを受けたのが、私の後ろ、今でも傷跡があります。それからこの左側、左側は破片であります。首の後ろ側は米軍の自動小銃であります。もう少し首を上げておったら貫通しておる。そういう戦争の歴史、あるいは米軍土地を接収した歴史を私は十分知っておるつもりであります、おっしゃいますように。  がしかし、民有地について、今御質問がありましたが、先ほどももうお話し終わったと思います。最初は、もっと返しなさい、民有地は。そういうことでありましたが、やはり安全保障条約、これは日本の国のためにも沖縄のためにも大事である、そういうことで、みんな契約をしましょう。さらに、政府のいろいろな説得も功を奏して現在に至っておるわけでございます。  以上でございます。よろしゅうございますか。
  130. 野中広務

    野中委員長 穀田君、時間がありませんので。
  131. 穀田恵二

    穀田委員 一言だけ言います。  私どもは、そういう意味でいいますと、沖縄の返還を初めとして、私どもの副委員長になりました瀬長亀次郎を先頭に戦い抜いたことだけ報告して、私の質問を終わります。
  132. 野中広務

    野中委員長 これにて穀田君の質疑は終了いたしました。  次に、前島秀行君。
  133. 前島秀行

    ○前島委員 最初に、金城参考人と新崎参考人にお聞きしますが、私は、基地を安定的に使用するためには、やはり地元、住民の合意ということが非常に大切だと思っています。さまざま言われましたように、この土地収用の沖縄における歴史の経過並びに一連の日本政府の戦中戦後の対応、こういうところを見ると、やはり一方的に差別的に、沖縄の皆さんの意思といいましょうか、を無視してといいましょうか、聞くチャンスがなくして今日まで引きずってきた。  こういう意味で、私は、今度の特措法というのは、沖縄県民がいろいろなさまざまな形でもって意思を伝える手段としての収用法、収用委員会のあり方等々を結果的には取ってしまうということではないだろうかな、こういうふうに思っています。だから、住民の合意、県民の意思を大切にするということとは逆行するものであるだろうというふうに私は今度の特措法の問題を位置づけているわけです。  そういう面で、お二人に聞きたいのは、私が一番心配するこういうことを強行すると、さらに不契約地主、契約拒否をする地主がふえていくのではないだろうかな、こういうふうに心配をしますし、現に一部、嘉手納の中にその動きがあるということを聞いています。  そういう面で、地元であるし、契約地主反戦地主の方の御両人に、その辺の今後の動き、展望、見通しみたいなものをちょっと簡単で結構ですが、お聞かせ願いたいと思います。
  134. 金城重正

    ○金城参考人 お答えをいたしたいと思います。  基地を維持するために、やはり地元の意見の合意といいますか、これが大切だとおっしゃっておりました。確かにそのとおりだと思います。したがって、私たちが所管しておるところの財団法人軍用地地主会連合会にいたしましては、先ほども申し上げましたように、二万九千名余りの方々が一貫して一つになって土地を提供をやっておるわけであります。その反対はたった〇・二%でございまして、やはり土地を提供しておる私たちは合意の形成ができておる、こういうように理解をいたしております。  それから、先生が、今の調子だったら契約地主の方からもっと反対が出てくるんじゃないかというお話がありましたが、そういうことも場合によってはあり得るかもしれませんが、今度報道されております嘉手納の三十数名の問題につきましては、先ほど新崎先生からもお話ありましたが、これは戦前にさかのぼるんです。私のところにもございます、那覇空港にも。  国は飛行場をつくるために国債を発行した。これは強制の収用じゃなかった。あのときの日本軍隊というのは強いですから、しかし、その中でもやはり強制的な収用ではなかった。国債を発行したんだ、昭和十九年。嘉手納の方も、あれは戦前は屋良飛行場、中飛行場、こう言ったところで、今は嘉手納飛行場になっているんです。しかし、そこでも、あの嘉手納飛行場を拡張するために国は国債を発行してあげたんだということです。地主方々はとらなかったというわけだ。  そこで、もう時代は変わりまして、今大体二世の時代になっているんです。あの戦争中の方々はもう亡くなっている方々もたくさんおります。それで、やはり二世、三世の時代になっています。いや、うちのおじいちゃんはそう言わなかったとか、いろいろあります。  そこで、これは裁判になったわけですよ。そうしましたら、一回は和解しようとしたけれども、国が聞かなかった。それで最高裁に上がって国が勝ったんです。そういう問題があって、我々は何も受け取っていないのに国のものだとは何事かということで、この裁判を起こした方々が、次は契約はしません。しかし、この方々は別にやはり土地を提供いたしております、その部分については契約をやらないというようなことであります。  したがいまして、結論から申し上げますと、沖縄にはまだ戦後が残っておるんです。それを私は国会議員先生方もしかと考えていただいて、たくさんあります。一日も早く沖縄の戦後が終わるように頑張っていただきたいな、こういうように思っております。  以上でございます。
  135. 新崎盛暉

    ○新崎参考人 今後、契約拒否地主がふえていくであろうか、どうであろうかということですか。  それははっきりはわかりません。わかりませんけれども、現実に例えばさまざま矛盾を抱えていますから、今嘉手納でも三十六人、契約地主から契約拒否地主へという人たちがいたわけですし、五年前に公開審理で強制使用をされた人たちというのは、すべて復帰の段階では一度契約を結んだ人たちです。その人たちが契約を拒否しているわけです。  それで、一坪反戦地主ばかり非常にクローズアップされますが、問題はもともとの反戦地主、この人たちがどういう思いで契約を拒否しているかという問題だろうと思います。  復帰の段階には、これは防衛施設局の資料にもありますけれども、二四%の土地が未契約地主土地でした。それを、きちんとした話し合いとか合意のもとにいわば契約がされていったというふうに私どもは思っておりません。一番、契約拒否地主、いわゆる反戦地主が総崩れになっていった段階というのは七〇年代です。  このときにはどういうことがなされてそういうことになったかというと、一種の嫌がらせ返還が行われました。一部分反戦地主土地を含む土地政府が返還をします。返還をしても個々の地主の手に戻らないということがありました。  なぜそういうことが起こったかというと、沖縄は戦場になりましたので、地籍、つまり土地の位置境界、面積等をはっきりする登記簿とか公図とかいうのがすべて焼失しました。そして、そのために、普通の民間の土地についてはその復元作業が戦後すぐになされましたけれども、軍用地については立ち入りができませんからそういうことがなされませんでした。  そうすると、軍用地料は申告された面積については支払われますけれども、その土地がどのような形をし、どこに位置するかということは不明確だったわけです。ですから、日本政府は、復帰の前に当然こういうことははっきりさせるべきでした。しかし、それをやりませんでした。やらないで、返したけれども、この土地はだれのものかわからない、個々の土地には戻らない、そして軍用地料は入らなくなる。そういうところから契約地主と契約拒否地主の主たる対立というのが生じて、そして多くの地主が契約に移っていったわけです。  そういう経緯があって現在がある、そういうことをぜひ御理解いただきたいと思います。
  136. 前島秀行

    ○前島委員 前田参考人に伺います。  沖縄問題、とりわけ基地問題というのは非常に難しい問題であるなということは私たちも理解しているのでありますけれども、やはり沖縄の皆さんが一番心配するのは、基地が今後どうなるんだろうか、固定化するんじゃないだろうかということが最大の私は疑念だと思いますね。  今度の一連の中の起こりというのは、やっぱりあの九五年の二月に出された国防総省の東アジア戦略、十万、四万七千を二十一世紀も駐留するぞということだったんだと私は思いますね。このことに対して、やはり基地は固定化するのかということから今回の大きなうねりが起こって、そして大田さんも、これでは困るなということでもって、やってはいけないと思いつつも伝家の宝刀として拒否をした、こういうことだろうと私は思っています。そこに事件が起こって火がついた、こういうことだと思いますね。  こういう状況の流れの中で、じゃ沖縄問題を、一つ一つ基地問題を処理していくにはどうしたらいいんだろうかというところが最大の問題だろう。そうすると、私は、政府並びに沖縄県という行政、政治、我々政治家を含めて、政治が長期の展望を沖縄県民に示すということだろうな、こういうふうに思っています。そういう面で、やはり基地のことを言うならば、沖縄基地は将来こうします、こういうふうに努力しますというところをどれだけ説得力を持って沖縄の皆さんに提示できるのかということだろうと私は思っています。そういうことがあるならば、現実の問題も一つ一つ処理できるんじゃないのかな、こういうふうに思っています。  そういう意味からくると、要するに基地の固定化はしない、具体的には安保条約等々あるけれども、アジアの情勢の変化、極東の変化、それから冷戦の崩壊という状況の中で、基地を返せる、縮小できる条件はできてきているんじゃないかと私は思っています。そこを示すべき条件はあるんじゃないかな、こういうふうに私は思っているんですが、前田先生のその辺のところの御意見を伺わせていただきたい。
  137. 前田哲男

    ○前田参考人 冒頭の意見陳述でも申しましたが、二項対立といいますか二者択一、安保と沖縄をどちらかという形でとるのではなしに、そこに時間軸と情勢軸を介在させるという手法をぜひとっていただきたいというふうに強く思っています。  確かに、アメリカの東アジア戦略構想における在日米軍の位置づけ及び太平洋十万人体制の位置づけは確固たるように思えます。その限りにおいては、日本に対して強い態度で出てくると思います。  ただ、翻って考えてみますと、あの東アジア戦略構想という文書は、三回目なんですね。第一回東アジア戦略構想は一九九〇年に出されました。第二回が九二年、第三回が九五年なんですね。第一次の東アジア戦略構想で何と書いてあったかといいますと、三段階のアジア・太平洋からの軍事力の撤収、削減が書かれておりました。第二段階、これは九三年から九五年を想定しておりましたが、においては沖縄海兵隊の五千人ないし六千人を含む削減が書かれていた。そういう東アジア戦略構想もあったわけなんですね。  これは北朝鮮の核疑惑が噴出したことによって凍結され、そして第三次のナイ・リポートが作成されたことによってキャンセルされたというふうになっておりますが、しかし、このことからも明らかなように、決して固定的な、絶対的なものとしてあの東アジア戦略構想を受け取る必要はないということです。情勢が変われば第四次が出てきても不思議はない、むしろ情勢を変えることによって第四次東アジア戦略構想を出させるような努力をしていくことが可能であるというふうに考えます。それが日米安保共同宣言の中における兵力構成についての協議ということでもあると思うのですね。  したがって、長期的、固定的、そして二十一世紀までのというふうに決めた中でこの法案を審議し、沖縄基地を確保するということではなしに、限定的、抑制的、暫定的ということを重視しながら修正していっていただきたいというふうに 思うわけです。  沖縄県の対応にしても、大田さんの最初の当選のときには、即時、全面、無条件という態度でありましたが、アクションプログラムに見られるとおり、二〇一五年まで。二〇一五年までいい。容認するとは言っていませんが、しかし、政治的に翻訳すれば、明らかに二〇一五年までの基地の容認と受け取れるところまで変わってきている。このことを重視し、このことの意味をもう少し積極的に活用して、情勢軸と時間軸をその中に埋め込んでいくプロセスをつけることができるのではないかというふうに考えておるわけです。
  138. 前島秀行

    ○前島委員 末次参考人にお伺いいたします。  私も、復帰前から沖縄県人会の皆さんと、あるいは末次さん御存じの古堅宗憲氏あたりと沖縄連で一緒にやっていましたものですから、末次さんが一生懸命で沖縄本土を結ぶ努力をされていたことについてよく存じ上げていますので、非常に敬意を表したいと思います。  そこで、私は伺いたいのは、やはり沖縄県民の皆さんは、我々を含めて、私を含めて、本土に対する不信というのが根底にあるなというふうに、私自身もそれなりの接触の中で感じています。先ほど参考人が言われましたように、大田さんが前回はサインしたけれども今回サインしなかった要因の中に、当時約束されたことが必ずしも政府責任を持ってやってくれなかったという思いがあるということを私は聞いています。しかるべき人にそういう意を伝えたことも私はあるわけであります。  そういう意味で、私は、本土に対する沖縄側の不信、政治を含めて、我々を含めて、どうするのかということが我々に求められている責任ではないだろうかな、それなくして基地の安定使用でどうのこうのと言ったって絶対にだめだろうな。そういう面で、今度の法改正も私は非常に残念だった。できるものを、なぜあの緊急使用をして、ちゃんと時間をかけて議論をして、意見を聞いて処理しなかったのかという思いが強いわけであります。  そこで、お聞きしたいのは、そういう本土に対する沖縄の皆さんの不信をどうやって政治が解消していくのかということが、末次さん、長い間そこの辺のところを見てこられてどういうふうに感じられているのか。私は、特に経済的振興ということが非常に大切だろうと思うし、そして、この経済振興というのは、基地の縮小と表裏一体関係でなければできるものじゃないのだよ、別々に離すことは無理なのだということは、沖縄人たちにはやはり必要なコメント、メッセージではないだろうかなというふうに思っていますので、本土政治不信を取り除くためにどういう努力を我々がしなくてはいかぬのか、その辺についての御見解をお聞きしたいと思います。
  139. 末次一郎

    ○末次参考人 政治に対する不信、その前にもっと一般的な意味で本土に対する不信というのがございます。  私がこれまでやってきたことは、むしろ本土に対する一般的な不信を、紐帯をつなぐことによってなくそうという努力をしてきたわけでして、それはそれなりの成果を部分的ではありますけれども上げてきたと思うのですね。  政治について言えば、やはりできないことはできない、できることは誠意を尽くしてやるということを一貫して貫くことが大事ではないかと思うのですね。  先ほどお話にも出ました第一回の代理署名のときには、御当人はそんなつもりはなかったと思うのです。本気で考えていたと思うのですが、実際は何の動きもせずに知事の不信を買ってしまったわけでありまして、そういう意味で、まず心を開いて沖縄の実態に深い理解を示す。そして対応は、御指摘のように基地問題と将来の沖縄のあり方というのは関連が深いわけでありますけれども、今は形の上では、橋本総理になってから県と国とが協議会を開き、その下にタスクフォースを置いてというように仕組みではきちっとできました。ただ、さっき申し上げたように、八十八集まったものを見ると、一夜漬けで間に合わせたというようなものが多いのでありまして、もっとまじめに考えて、しかもできないものはできない、親身になって考える、これが大事だろうと思うのですね。  繰り返しましたように、少し物漬けにして甘やかすというか、逆に言うと沖縄の自立力を引き出す。したがって、そういうことを言うときにはきちっと言う。そういうよそ行きでない気持ちに本土政治がなってくれれば、おのずから不信が解けていくのではないかと思います。
  140. 前島秀行

    ○前島委員 終わります。
  141. 野中広務

    野中委員長 これにて前島君の質疑は終了いたしました。  次に、粟屋敏信君。
  142. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 諸先生にはそれぞれのお立場から貴重な御意見をお述べいただきまして大変ありがとうございます。  この法案の賛否については、それぞれが日米安全保障条約をどう考えるか、また日本の平和と安全を守るためにどうすべきか、そういうことを判断しながら決断をすべきことであろうと思いますけれども、私はこの法案の成否にかかわらず、戦中戦後、沖縄県民の方々が受けられた痛みに思いをいたして、そうして基地の縮小とかあるいは沖縄の振興開発、これに努力をしていかなければならないと思っておるところでございます。  基地の縮小については、昨年四月の日米安全保障共同宣言におきましても、兵力構成その他軍事態勢について日米両国は緊密に協議をすると書いておりますので、それを具体化していく必要があると思っておるところでございます。ただ、沖縄の振興開発、これは先ほど来次先生がおっしゃいましたけれども、今政府沖縄の政策協議会をつくりまして一生懸命論議をされておるわけでございますけれども、先ほど沖縄県の方々の心配として、特措法が通ってしまえばさびてしまうのではないか、そういう危惧の声があるというお話がございましたが、私は絶対そういうことがあってはならない、こう思っておるところであります。  また、末次先生から、沖縄県民の感情と理性があるけれども、沖縄県民の理性を引き出して、むしろ沖縄県民の発意によって沖縄県の自立の構想を進めるべきだというお話がございました。私も全くそのとおりだと思っておるわけであります。  そこで、沖縄県の規制緩和等、産業振興の要望書が出ておるわけであります。国際観光都市構想もそれに盛られておるわけでございますが、これは先ほどもお話がございましたけれども、やはり普天間の返還等、SACOを完全に実施するということが前提であると思っておりますので、政府もSACOの最終報告を実現するよう努力していただきたいと思っております。  沖縄県の要望の中で、いわゆる自由貿易地域の強化拡充ということが出ておるわけであります。現在、那覇の自由貿易地域というのは必ずしも成功したとは思えないようでございますけれども、法人税の減税とか特別関税とか、そういう税制上の措置を、それこそ我が国法制の枠を離れて新たな発想でやっていくことも必要であろうと思っております。  また、梶山官房長官は蓬莱経済圏構想ということをおっしゃって、台湾とか中国の福建省を含む経済圏の設定等についても触れられておるようでございますけれども、やはり沖縄の自立を果たすためのいろいろな知恵がこれから求められるのだと思うわけでございます。  この点につきまして、末次先生の御構想がございますれば、お伺いをさせていただきたいと思います。
  143. 末次一郎

    ○末次参考人 格別具体的な構想というものが私にあるわけではございません。全体としては、今模索状態が続いておるわけで、きっかけをつくったのが県が打ち上げた国際都市形成構想、これは東京のシンクタンクの皆さんが知恵を出して枠組みをつくっていろいろなことを持ち込んだわけでありますが、それに対してはやはり経済界の実務家の中から問題指摘も出て、それらをめぐって今議論が行われているところですね。  私は、妙案があるとは思わないのですけれども、多くの議論の中に、現実を踏まえた着実な議論よりも、今の段階は夢をいっぱい展開する、広げるというものが多いように思うのですね。御指摘のフリーゾーンにしても、これまでのフリーゾーンというのは、あれはフリーゾーンとは言えないわけでして、保税倉庫とでもいうべきもので、しかも、最初無理に勧誘されて入った人たちが次々に脱落していくという格好になってしまいました。  ただ、例えば香港のように安い労務者がどんどん大陸から流れてくるというような状況とか、韓国のひところの馬山の自由貿易地域のように、労務者の賃金が非常に安かった時代とか、そういうものと比較しますと、今や韓国もそのメリットがだんだん失われてきているわけでありまして、沖縄の労働賃金の水準などからいって、規制を緩和すればたちまちうまみがあるというほど単純だとは思わないのですね。  私は、知事にお願いしたいのは、県の職員の方々もそれぞれ努力しておられるでしょうが、しかし、やはり、これらを議論していくには十分な経験とかノウハウとかを持っていないわけです。  それで、経済界は経済界でいろいろ絵をかいておられますけれども、どちらかというと、県でいろいろ打ち上げることと、いわゆる沖縄県の社会のそれぞれのリーダーたちとのハーモニーが必ずしも合ってないんですね。この辺は、知事にひとつ少し大きな視野に立ってもらって、もう少し虚心に、遠いところの学者の知恵もかりなければなりませんが、そういう作業に入っていく時期である、それをひたすらお願いをしておりまして、民間の中にもそういう見識を持った人がおるわけですから、そういう意味の総力をまとめる、そういう時期ではないかと思っております。
  144. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 ありがとうございました。  沖縄の振興開発、沖縄県民の心を心としてこれから進めていかなければなりませんが、私ども一生懸命勉強し、努力をさせていただきたいと思いますが、また先生の御教示をよろしくお願いを申し上げます。大変ありがとうございました。
  145. 野中広務

    野中委員長 これにて粟屋君の質疑は終了いたしました。  以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。  各位におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  次回は、明十日午前十時より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時五十一分散会