○
達増委員 新進党の
達増拓也でございます。
特措法改正案に関します私の質問の導入といたしまして、セキュリタリアンという雑誌の紹介から始めさせていただきたいと
思います。
セキュリタリアンという雑誌、これは防衛庁が編集
協力をしている防衛庁の広報誌なわけでありますけれ
ども、この最新号、四月号で、ちょうど五周年ということで大きい特集を組んでおります。セキュリタリアンというのは、セキュリティー、
安全保障を担う者たちという
意味と解しておりますけれ
ども、私も衆議院
安全保障委員会に所属させていただいておりまして、同じセキュリタリアンの仲間として、この雑誌を読むことをいつも楽しみにしている次第でございます。
このセキュリタリアンという雑誌、霞が関、いろんな省庁が広報誌を出している中で群を抜いておもしろいと
思います。それはなぜかといいますと、広報誌というもの、このセキュリタリアン、防衛庁と自衛隊についてのものでありますが、ともすれば、防衛庁そして自衛隊というものが
国民から遊離した、離れた存在になってしまいがち、あるいはそうしたイメージでとらえられる危険性があるということで、つくり手の側がかなり
思い切って、防衛庁、自衛隊というものを開いて
国民の側に迫ってくる、そういう本音がたくさん出てくる雑誌として非常におもしろく読めるものとなっております。
このセキュリタリアン、毎月、「見る者よ。きみの胸のうちを語れ」というタイトルで、有識者等に依頼して自衛隊のルポを書いてもらっております。最近、これはことしの二月号でありますけれ
ども、佐藤健志君という作家、評論家の肩書を持っている人でありますけれ
ども、対馬の陸上自衛隊警備隊のルポを書いております。
この佐藤健志君というのはことし三十歳になります、私よりさらに二歳年下の、私と同じ世代に属する評論家なんでありますけれ
ども、彼が対馬の警備隊のルポをする中で、山地機動訓練という、対馬の山の中を十五キロ-二十キロの背嚢を背負って、敵に見つからないよう歩きにくい経路を歩き回る、そういう訓練に参加してあっさり脱落してしまうわけでありますけれ
ども、その中でこういうことを書いております。
初め、この佐藤健志君はその警備隊の最前線の自衛官に、「朝鮮半島情勢や日韓
関係の変化が、島の防衛・警備に影響を与えることはないか」と尋ねて、そんなことはないよというような返事が返ってきてけげんに思うわけでありますが、山地機動訓練を経験し、次のように述べております。「この薄暗い山林の中では、朝鮮半島情勢も日韓
関係もありはしない。目の前に広がっている、いわば「等身大の
現実」に打ち勝って、与えられた任務を遂行することがすべてなのだ。」その後、「戦争、とりわけ陸上戦は、最終的には等身大の人間同士のぶつかりあいなのだから。」と。
もちろんこの佐藤健志君は、その後担当の一佐から、朝鮮半島情勢や日韓
関係の変化が与える影響ということについて、そういう上級幹部からしかるべき説明を受けるわけでありますけれ
ども、そうした等身大の視点ということで現場の自衛官の活動についてルポしている。私は、この等身大という
言葉が、実りある
安全保障論議をする
一つのキーワードになるのではないかと考えております。
私の学生時代、
沖縄出身の非常に親しい友人がおりまして、これは一九八七年、今からちょうど十年前なんですけれ
ども、「写真集
基地沖縄」というものが出まして、こういうすごいものが出たぞ、読め読めということで、私はその友人から「写真集
基地沖縄」をもらって読ませていただきました。そして、今でもこうして持っているわけであります。
一九八七年というのは六・二一嘉手納
基地包囲大
行動がとられた年でありまして、
沖縄基地問題というものが非常に盛り上がったといいますか、議論を呼んでいた年であります。それはもう十年も前の話ではあるのですけれ
ども、この「写真集
基地沖縄」を改めて読み返しますと、当時の
基地問題、それは
米軍兵士による犯罪等も含めまして、いまだに問題がほとんど変わっていない。十年前の写真集なんでありますけれ
ども、あたかも今の
沖縄を眺めるように読むことができるわけであります。
ちなみに、その私の
沖縄出身の友人でありますが、この「写真集
基地沖縄」のほかに「WANDER」という、地元の若い人たちが出している、
沖縄の社会問題についても配慮しながら若い人たちの本音を闘わせる雑誌をまた私にくれたのです。これを見ますと、
沖縄の結婚式の話題などが取り上げられておりまして、
沖縄の披露宴では余興に物すごい力が入っていて、同級生や友人などの余興に物すごい力を入れる、そして披露宴が
最後にはカチャーシーの踊りでクライマックスを迎えていく、そういう話が載っております。
私がその
沖縄出身の友人を通じて感じたのは、やはり等身大の
沖縄ということであります。
沖縄は地獄でもなければ天国でもない。もちろん、
沖縄はいつ地獄に変わるかもしれないような、そういう危険な問題も秘めているし、また
沖縄というものは天国になるかもしれない、そういう可能性も秘めているわけであります。
私たちの世代で今
沖縄といえば、そして特にここ二年間の
沖縄というテーマで何か
思いつくことをと連想ゲーム的に考えてみますと、
沖縄基地問題のこともさることながら、安室奈美恵さんという歌手が
日本のミュージックシーンを席巻したこと、さらにはスピードというさらに若い小中学生の世代の歌手が出てきていること、そういうことを
思いつくわけであります。
ここ二年間、
沖縄の
基地問題が非常にせっぱ詰まって深刻化していき、につちもさっちもいかなくなっていくことと並行して、
沖縄出身の歌手やアーチストが
日本のそういう音楽界を席巻していく。こうした
状況が、全く
関係なくしかし、同時進行的に我々の目の前に立ちあらわれている。
我々の世代は、そういう
沖縄というものを等身大でとらえながら、私の友人も今
沖縄の
基地問題にこだわって国際
政治研究の道を歩みましたし、また佐藤健志君も
日本の民主主義のあり方について盛んに議論を展開しているわけでありますけれ
ども、そういう等身大の議論というものが今ならできるのではないか、そしてイデオロギーの問題等が一段落してポスト冷戦に新しい世界秩序を築いていかなければならない今日、そうした等身大の
安全保障論議が本当に必要とされるのではないかというふうに考えます。
そこで、
日米安全保障体制であります。いわゆる
安保といいますと、かつて多くの学生や市民を
行動に駆り立て、例えば樺美智子さんのように、いわば
安保闘争の中で戦死された方もいらっしゃいます。
ここで、先ほど紹介した佐藤健志君にまた登場していただきますが、彼は「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」という、これは先輩
議員が耳にするとまゆをひそのそうなタイトルなんでありますが、ちなみに、この「ヤマト」というのは片仮名で書かれておりまして、第二次大戦の戦艦
大和のことではなく、漫画ではやった宇宙戦艦ヤマトのことであります。彼は、我々の世代がなれ親しんだ映画や
テレビ番組を題材に、そうしたものが出てくる背景となる戦後民主主義というものを深く分析しておりまして、
安全保障の問題、軍事の問題について少しでも口にすれば、平和に反対するのか、軍国主義者だというようなレッテルを張られ、まともな
安全保障論議ができなかった、そういうこわばった戦後民主主義について次のように結論づけております。
「戦後
日本において
現実に民主主義体制が存続してきたのは、戦後民主主義があったためではなく、むしろ戦後民主主義があったにもかかわらず何とか民主主義体制が存続してきたのである。」私たちの世代は、こういう問題意識を持ってこれからの
安全保障、そして
日本の民主主義というものを考えていきたいと考えているわけであります。
そこで、私の質問の最初ですけれ
ども、そもそもこの
日米安全保障体制が一体どういう意義を有しているのか、その
安保の原点に関する質問からさせていただきたいと
思います。
防衛白書によりますと、「
日米安全保障体制の意義」として三つ挙げられております。
一つ「
我が国の安全の
確保」、二つ「
我が国周辺地域の平和と安定の
確保」、そして三つ目として「より安定した
安全保障環境の構築」。
日米安保体制の意義というものはこの三つであるということ、こういうことでいいのかどうか、まず
総理に質問させていただきたいと
思います。