○葉山
委員 御
指摘のように、
地方交付税の単位費用とか測定単位とか、あるいは補正係数の見直しが毎年行われまして、もはや
地方交付税の
基準財政需要額の
算定というものは普通の常識人の理解をはるかに超える技術体系へと複雑化しているのであります。もちろん微分積分というよりは算術平均的なやり方だと思いますけれ
ども、それにしても、専門化し、複雑化し、技術化している。この配分技術が精緻なものになればなるほど、特定の費用と結びつく形での
地方交付税の特定
財源化が進行して、
地方の
財政的な自立を阻害していると私は思うのであります。こういうことで、この勧告に基づいて、その辺での
算定方法の簡素化とかあるいは
制度の簡明化について一層前向きの形で取り組んでいただきたい、こういうふうに思います。
ところで、補助金というのはひもつきだから
一般財源化が必要だ、こういう論議がよく行われる。それの典型が
交付税だ、こういうふうに言われますけれ
ども、やはり問題は、
交付税と同時に、新しい六月の勧告がこれから出されるわけでありますけれ
ども、これはやはりそこでの新しい税目を、
地方自治体に権限を移譲していくということを
財源的に保障していかなきゃいかぬというふうに思うのであります。
そこで、私は、フランスの例をちょっと申し上げたいと思うのであります。さっき合併の
お話も出ましたけれ
ども、三百が適当とか千が適当とか、いろんな論議はございます。日本の場合、明治の二十年代の
市町村合併、これは七万ぐらい
市町村があったんでしょうけれ
ども、それを一挙にあのときに一万五千ぐらいにがあっと合併させたんですね。普通教育でやはり学校を建てにゃ、一緒にしなきゃ建たなかったということで、相当強引に町村合併、明治二十一年にやったと思うんですよ。二度目がやはり昭和二十九年から三十年の町村合併促進法、戦後も自治法の発効当時が一万ぐらいの数だったと思いますが、それが一挙に今の三千台ぐらい、三分の一に、これは相当強引な方法で合併促進を、
地方によってはかなり血の雨も降ったようなところも随分あるわけでありまして、やはりああいう強引なやり方で進めるのはよくないなと私は子供心に思ったのであります。
とにかくそういうときに、フランスの自治体を回って、それぞれの市長と会っていろいろ話をしますと、やはりフランスというのは意外と大きい町なんていうのは余りないですね。大きいというとパリとリヨンとマルセイユぐらいですよ。あとは、小さな教会があったり小さな広場があって何軒かあるような、そういうコミューンがずっと散らばって物すごい数ある。それは強引に日本のようにそれを全部統合をするというようなことはない。しかも、割と古い国で、これも機関委任事務の話で、約百三十年ぐらいの中央集権の歴史が日本ではあるわけでありますけれ
ども、フランスなんかはもう大体ナポレオン法典という二百年ぐらい前の法律がずっといまだに連綿として生きているというようなことがある。しかし、そういう中で、戦後の中で、特に最近二十年の中で、思い切ってこれは
分権をすべきだということで、地中海沿岸、特にフランスの南部の方なんというのはかなり思い切った
分権を実行したんですね。私は、これからやはり
分権の中の特に
財源の問題については、よくひとつその点はフランスの例に倣って、
財源の
分権ということも十分
考えていただきたいと思うわけであります。
そういう
意味で、この中央集権的な、地中海沿岸、特にフランスにおけるあの辺の自治体の人たちがどういうことを
感じていたかというと、全国的な中央統制と誘導システムが不必要となってきた、むしろ弊害のみが中央統制の中で大きくなった、しかも高齢化社会への移行とか国際化への移行という中で、行
財政の非効率と非合理をもたらすからどうしてもこれは
分権をやろうじゃないか、こういうことで、最近二十年に次々に実行に移して現在に至っているというわけでありますけれ
ども、特に問題なのは
財源の問題であります。
これは時間がございませんので簡単に触れますが、第一に、やはり
地方団体へ
地方税の
税率を決定する権限を持たせるというようなことでございますね。それから二番目に、補助金の統合化と一般化ということをやった。それから三番目に、
地方債の起債
制度の撤廃、完全自由化。さっき許可の話も出ましたけれ
ども、この起債の許可の完全自由化ということをやる、こういう権限移譲をやった。それから四番目に、権限移譲から
財源移譲に相当思い切ったことをフランスの場合は実行しているということであります。
そういう点で、先ほどの
交付税のみがこれは
一般財源化ではないわけでありまして、そういう
意味で、かなり思い切った抜本的な
財政改革というものをしてほしい、こういうふうに思うので、これはひとつそれについての
考え方を御披露願いたいというふうに思うのでありますけれ
ども、私は、そういう
意味で、フランスのやった実験ということは非常に参考になるのではないか、こういうふうに思っておるわけであります。
これは私の
意見にわたった
事柄でありますけれ
ども、思い切った
財源を自治体にそれぞれやるということがどうしても必要だという点から、私の市長の経験の中から、こういうことは簡単にできるなということをたった
一つだけきょうは申し上げて御見解を、特に、自治省ももちろんでありますが、大蔵省がどう
考えるかということで申し上げますと、相続税ですよ。相続税が今
国税ですね。日本の相続税
制度というのは、三代になるとみんななくなっちゃう、土地も何もなくなっちゃうとよく言われております。そういうふうに言われますけれ
ども、これが大体
国税の
部分に入っております。これを、相続税というものを
市町村税に移管したらどうか。これもやり方の
一つだ。
大体、バブルの一番地価の高いころですね、大体四、五年前ですか、これで相続税の総額が二兆九千億、約三兆円弱ですね。去年、おととしあたりは二兆六千億ぐらいが相続税の、
国税の中の総額がそのくらいです。私は藤沢の市長をしておりましたけれ
ども、藤沢でいきますと、一年間に、去年ぐらいで百六十億ぐらいですよ。だから、藤沢の下水の管渠を埋めるぐらいの費用ですね、百六十三億。このくらいが藤沢での相続税で徴収がある。それだけでも大変な違いがあります。
それだけじゃないですよ。最近は地価が安くなっているから、大きなお屋敷があるわけですよ、別荘とか、そういうのが次々に物納になるんですね。私は去年市長をやめたのですけれ
ども、結局それは一たん大蔵省へ物納して、そして競売に付すのです。だけれ
ども、落ちないです。それだから、結局また市が買いまして、半分ぐらい買って、半分ぐらい借りる形にして、松の木や何か、緑の残っている非常にいいところですから、それを市の公園にして、これが最後の
仕事になったわけですが、そういうことをやらせていただけたけれ
ども、非常に面倒ですね。だから、これがもし
市町村の
財源だったらどうなるか。
よくアメリカの市長なんかに会いますと、向こうのメイヤーは必ず、これはガバナーでもそうですけれ
ども、
財源とそれの課税権の問題と、いろいろ必ずそれを話題にします。自分の州とか自分の市でもって課税するんですね。日本は大体方々で徴税してくれるところが多いわけですけれ
ども、特に
国税に頼っていますが、
市町村でもみんな持っている。
例えば相続税でいきますと、これは市の職員が固定資産を扱っていますから、そうすると、死亡届が出ますね、それで
住民票を受け付ける、火葬場で骨にしてくれ、こういう届けも出しますよ、するとすぐわかるんだよ。それで、ぱっと戸籍の方から今度固定資産税係とか市民税係に行けば、ぱぱっとすぐ計算ができちゃう、それですぐできる。ところが、今のように
国税にはっと行ってそれで物納にする。しかも、それを売りますと、これは結局競売で売るのですから、せっかくのいいところが、結局売りやすいということだけになってしまいますから、不動産屋に落ちますと。そうすると、すごくいいところがみんな大体百坪から五十坪くらいに細切れに、それではら売りをするのです。今まではすばらしい環境の、鵠沼とか片瀬のそういう別荘地はどんどん細切れになってしまう。私は、市長をして非常に悲しい思いをしていまして、公有地をふやすことはいいことですから、できるだけ環境を守っていこう、また市民もそれを
感じていますから、それを買ってくれと言うけれ
ども、そう簡単に市長としては買えないです。だから、相続税をこっちに任せてくれればどれだけ美しい町ができるか、こう思うのですよね。
だから、やはりああいうことはそれほどの額ではないですよ、私は百六十億とさっき申し上げたけれ
ども。相続税は思い切ってそれぞれの
市町村に分けてしまう。それぞれの自治体に任せる。若干、
地域によって相続税が高い人がお住まいのところと小さいところがある、そういうのはまた
地方交付税とかいろいろ調整は幾らで
もとれるわけですからね。だから、そういうような
財源の問題として、相続税は
市町村の方に分けるのが適当ではないかということで、この辺もよく御検討いただいて
考えていただきたい、こういうふうに思っておりますが、その辺についての御見解を伺いたい、こういうふうに思うところでございます。