○鈴木(淑)
委員 総裁のお立場では、やはり昔の総裁が失敗したよと言うわけにはいかないので、どうしても今のようなお答えになるんだろうと思います。
それから武藤さんが言われるように、二回の失敗についていろいろな解釈があり得るということは、そのとおりですね。ただ、私自身は
日本銀行の内部におっていろいろ経験もし、それからエコノミストとしてほかの方の書いたものを分析したり数字をいじったりした上での結論として、今本にも書き、国民の皆さんに言っておりますのは、過剰
流動性のとき、あれは、御承知だと思いますが昭和四十七年に
田中内閣ができたですね。四十七年に物すごく大きな補正予算を組みました。それから四十八
年度は福祉元年予算と称して、これもたがの外れたようなすさまじい予算を組んだんですね。そういう列島改造
計画に乗って物すごい勢いで財政を膨らましている
田中内閣のもとで、実はもう四十七年の終わりごろから卸売物価が上がり始めたんです。
本来なら、本来ならというか私は
日本銀行の内部におりまして、これはえらいことになってきた。その前の、円切り上げが四十六年にありまして、切り上げのためのデフレが来るかと思ってびくびくしたんですが、それどころじゃないぞ、この財政
政策で
内需をあおられたらインフレが心配だねということで
日本銀行の内部ではもう四十七年の終わりにその議論をして、四十八年の初めにはしようがないから準備率をちょっといじって上げたりしているんですが、
公定歩合の引き上げがとうとう四十八年の四月になるんですね。ところが、もうその間インフレ率はぐんぐん上がってくるし、名目成長率も物すごく上がってくるわけでございます。
このときなぜあんなに
公定歩合の引き上げがおくれたんだろうかということについては、やはり現行法のもとで、総裁に対する罷免権も内閣が持っておりますし、
政策の指示権も持っておる、そういうものがある。まあちらつかされてと言うとちょっと語弊があるかもしれませんが、私はちらつかされたんだと思っております。そういうもとでは、あのときはこういう
金融政策のおくれ、これが例の過剰
流動性の発生と大インフレ、あげくの果てに、不幸にしてさらに第一次石油ショックが来たものですから狂乱物価という
状況になってしまったわけであります。
それから二度目の失敗は八〇年代後半、ついこの間の
バブルの発生とその崩壊に伴う現在に至るまでの
金融システム不安、これに伴う
経済の
長期停滞であります。あのときも、八〇年代後半、特に四十六年、七年に、
金融政策だけに
内需拡大、それによる過度の
円高防止という役割がかかった、この結果だということは、実は非常に控え目な表現ですが、ここに「
資産価格変動のメカニズムとその
経済効果」という分厚い
報告書があります。
これは、
大蔵省の財政
金融研究所において
資産価格変動のメカニズムとその
経済効果に関する研究会というのが持たれまして、座長は館龍一郎東大名誉教授でございます。あとは、野村総研
理事長の私と日経センター
理事長の香西さんを除くと全部大学教授で全部で八人、館さんを入れて九人になるんですね。これはあくまでこの九人の専門家の意見です。
大蔵省の意見ではありません。しかし、
大蔵省の財政
金融研究所で、その研究所長さんの私的諮問機関みたいな格好でやっていますから、当然
大蔵省の
影響が明らかにありましたが、それでも僕はこのとき御立派だったなと思うのは、このときの次官は尾崎次官です。尾崎次官が、これはもう自由に学者たちに議論させろ、歴史の証言として残せということをおっしゃったものですから、各省からえらい圧力がかかったのですが、控え目ながらこういうことを書いております。
八五年末から八七年前半にかけての期間は、明らかに
金融政策にウエートがかかってしまったよと。これは、財政改革が強力に推進されていた、それ自体は財政
体質改善のためにやむを得なかったんだけれ
ども、しかし、そういう
要請がポリシーミックスを決める上で
金融政策に非常なウエートをかけてしまったという我々専門家の評価がございます。
私は、ですから二度目の失敗も、今出ている
日本銀行法案のもとでは起こり得ない、やはり
政策に対する指示権と総裁に対する罷免権が内閣あるいは
大蔵大臣にあることから生まれたと思っております。実は、私はこのときはもう既に
理事でございますから、かなり詳細に動きを知っておりますが、そんなことはまだしゃべっちゃいけないと思って、具体的なことは書いたりしゃべったりしておりませんが、これは明らかに圧力があったと私は感じているのであります。
ですから、
大蔵大臣あるいは
日銀総裁は過去の失敗を認めるわけにはいかないかと思いますが、しかし、歴史の証言という意味では、明らかに現行
日銀法のもとでは、そういう
金融政策の
独立性が脅かされたがゆえに国民に大迷惑をかけるような大インフレーションや
バブルの発生、崩壊が起きている。全部がそうだとは言いませんが、
金融政策の
独立性喪失からきた
金融政策の失敗が大きな
原因になっているということはやはり認識しておかなければいけない。そうでないと、今出ている
法案の意義を十分に評価できないというふうに私は思います。
さて、しかしながら、今出ている
法案は、そういう現行法の最も問題のあるところが全部直っているという意味では私は評価をするものでありまして、例えば
金融政策の
目的が、とんでもないナチスばりの、国家総力のどうのこうのという話ではなくて、物価の安定と信用秩序の維持ということになっておりますし、それから
大蔵大臣の指示権はなくなって議決延期請求権になっている、それから内閣は
金融政策の理由で
政策委員を総裁を含めて罷免できない、それから
政策委員会そのものが利益代表のような現行の制度から識見を有する者ということに変わって、恐らく非常に活力のある
政策委員会に変わるのではないかと思いますから、この四点は非常に評価するものであります。
御記憶にあるかと思いますけれ
ども、実際は、この指示権をちらつかせた一番最近の例は橋本総理なんですね。八九年十二月に、当時の橋本
大蔵大臣が、
公定歩合引き上げを白紙撤回させると言ったわけですね。これはもう明らかな指示権であります。実際に、しようがなくて
日本銀行は一度、そのときの総務
局長が白紙撤回すると記者会見でしゃべった。これは指示権をこういう形で使ったということだと思います。それから首切る方の話は、例の有名な話は金丸さんですね。言うこと聞かない
日銀総裁なんか首切っちゃえということを大っぴらに言った。
ですから、今言った四点の
改正というのは、抽象論で、ああ、よかったねなんという話じゃない。現実に
金融政策の
独立性が脅かされた事例がついこの間にもあったということですから、その意味では、大変結構だというふうに思っているわけであります。
しかし、ここに出ている
日本銀行法案でも、私はまだちょっと
金融政策の
独立性が脅かされる懸念ありと思うような、
大蔵大臣の
監督権が残っているんですよね。定款は、
大蔵大臣の認可が要りますね。支店をつくるのも認可が要る。それから年に二回の
日本銀行の国会に対する
報告も、直接国会に
報告に来ればいいものを
大蔵大臣経由になっているのですね。これはやはり
日本銀行が認可法人であり、それが
大蔵大臣の
監督下の認可法人だから、法律の構成上どうしてもこうなってくるのだろうというふうに思います。
しかし、私
ども新進党は、もう少し
日本銀行の
独立性を強めるために、そしてさらには中央省庁の整理統合を含む大きな
行政改革という流れの中で考えますときに、いま一歩踏み込んで
日本銀行の
独立性を確保するような組織があり得るというふうに考えております。それは、昨日も、橋本総理それから三塚
大蔵大臣も御出席をいただきました
行政改革の特別
委員会で私申しましたが、
日本銀行の
政策委員会を国家
行政組織法上の三条機関にしてしまうという案でございます。
そういたしますと、これは
政策委員会というものは
大蔵省と対等の立場になりまして、一々
大蔵省の認可を受けない、
大蔵省の
監督下には入らない対等の立場で、内閣で総理大臣の下に入るということになります。これは
日本銀行全体を三条機関にしてしまえなんと言っているのじゃないんですね。
政策委員会だけを三条機関にする。そして、この三条機関としての
政策委員会の
監督下に執行部隊としての
日本銀行を認可法人として入れる。ですから、
日本銀行の執行に対して、
政策的な見地からああやれ、こうやれということを指示していくのは、三条機関としての
政策委員会であるという形であります。これですと、
日本銀行の
独立性がいま一段、組織面からも強められる、少なくとも
大蔵大臣の
監督は必要がなくなってくるということになります。
この考え方について、三塚蔵相並びに
松下総裁
のお考えを伺いたいと思います。