○小池
委員 新進党の
小池百合子でございます。
再び大蔵
委員会へ出張質問をさせていただいているわけでございますが、きょうは、
中東・北アフリカ
開発銀行の設置に関するということで外務省にも御足労をおかけいたしております。
マニラのアジア開銀、そしてアビジャンのアフリカ開銀、それぞれ
地域開発銀行が
地域のニーズに
対応してそれなりの
役割を果たしているということは認めるところでございます。今回のこの
中東・北アフリカ
開発銀行というのも一種の都銀に対する地銀という位置づけもできるかと思います。その意味で、
中東・北アフリカという、世界の中でも特に冷戦後
経済開発、社会的な安定を最も求めている
地域が、これまで
開発銀行を欠いていた、ベイカントであったということの方にむしろ素直な疑問を抱く方も多いことと思います。また、そのネーミングから、いいアイデアじゃないかというふうに率直に受けとめられる議員の方も多数おられるのではないかというふうに私は思います。
しかし、私は、むしろこれまでになぜこの
中東開発銀行ができなかったのか、そこにいろいろな
理由が隠されていると思いますし、また、今後起こるであろう問題点を現時点において
指摘し、そしてそれを回避するということが、およそ四百七十億円近い
日本の資金を使うということから、納税者への責任ということも含めて、はっきりさせておく必要があろうと思いますので、幾つか御質問させていただきたいと思っております。
私ことになるので恐縮でございますけれ
ども、私自身この
地域とのかかわりは二十年を超えるわけで、余り計算はしてほしくないのですけれ
ども、七三年の第四次
中東戦争、これはまさにカイロにおりました。その後、マスコミの方に場を移しまして、マドリッド
会議を取材したり、湾岸戦争そのものに入っておりましたし、
地域全体を自分の足で歩いてきたということでございます。
ある意味でのその特殊な
地域において私が学びましたのは、冷戦下におきましては米ソのつばぜり合いがございましたし、また、アルジェの戦いに代表されますように植民地下におけるさまざまな問題を抱え、さらにさかのぼりますと、ユダヤとパレスチナの何千年にもわたる戦いが続いてきたということで、古代、近代、現代を通じまして国際政治の渦がうごめいているという
地域でございます。また、この辺が
日本人が一番疎いところではございますけれ
ども、宗教の問題、それからこれまでの長い長い歴史の問題、さらには軍事の問題、そして天然資源、すべてが複雑に絡み合った
地域であって、こう言うと恐縮ですけれ
ども、
我が国のことを考えますと、ずっと平和の中にどっぷりとつかってきた
日本ではなかなか想像もつかないさまざまな問題がこの
地域に現存しているということでございます。
また一方で、冷戦後におきましても、まだまだ
各国が国益をかけたすさまじい戦いをしているということで、一筋縄ではいかないのではないかということがまず基本認識でございます。最近は、パレスチナの和平の方も進んでおりますし、行ったり来たりでございますけれ
どもヘブロンの合意にもようやく到達し、これからさらにその和平が確立していくことを願っている者の一人でございます。
また、
中東・
北アフリカ地域におきまして、北アフリカというとなかなかぴんとこないところではございましょうけれ
ども、例えばアルジェリアにおいては、
日本では一万人の交通事故死を問題にするところでございますけれ
ども、本当に毎日がテロの連続でございまして、やはりそのためにも、経済的なバックを伴う民生の安定、そしてその延長線にある
地域の和平を確立したい、このことについては私はだれよりも強い願いを持っているところでございます。
また一方で、列強の国益を求めてのすさまじい戦いの中にあって、
日本にとって戦後金りつき合いがなかったというか、大体
日本が何か大騒ぎするときは、オイルショックであり、また湾岸戦争でありと、実は
日本の有事といいますか、戦後の有事というのはすべてこの
地域が震源地であったということでございますが、物理的にも心理的にも宗教的にも遠い
日本だからこそ、私は、なし得ることがまだまだたくさんある、ただ、それに我々自身が気づいていないのではないかというような思いがしているところでございます。
そこで、まず大蔵大臣、
中東地域というのは
日本にとっても大変重要な
地域だと思います。改めて伺っておきたいと思いますのが、閣僚の一人としてお答えいただきたいのですが、橋本政権の
中東政策というものについて改めて伺いたい。そして、その中においてこの
中東開銀をどういうふうに位置づけておられるのか、大蔵大臣に伺いたいと思います。
〔
委員長退席、坂井
委員長代理着席〕