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野田参考人 ただいま御
紹介にあずかりました
野田でございます。
最初にお断りしておかなければいかぬのですが、私は
経済の専門家でございません。
税制に関しても
金融に関しても全くの素人でございます。ただ、こういう席に私をお招きいただいたということは、二十一
世紀にかけての
我が国の
金融経済システムというふうな問題も、単に
経済学的な狭い視野からでなくて、もっと大きな歴史的転換の文脈の中でとらえる必要があるという思いが
委員の方の中にも多少はあったかと思います。
そこで、少し大ぶろしきを広げますし、また、その
程度のことはすべて前提にしてこの
委員会の議論はなされているというふうに言われればそれまででございますが、今我々がどういう歴史の大きな転換期に生きているのか、特に、我々がもう当然のごとくみなしている近代の主権国民国家というものがどういうふうに変わろうとしているのか、そういうことの中で
金融・
経済の
システムも
考えていただくというふうに話を運びたいと思います。
私、少し大げさな言い方ですけれども、今、
日本は近代史に入って第三番目の大きな転換期に差しかかっていると思いますね。
一つは、言うまでもなく黒船が来てから明治維新に至るまでの十五
年間の転換でございますし、第二の転換は、満州事変あたりから始まって第二次大戦の敗北に至るやはり十五
年間ぐらいの大きな転換があったのですが、それに続く第三の転換期に我々は今差しかかっていると思います。しかも、前二者に比べて、我々が今直面している転換期への対応ははるかに難しいと思わざるを得ない。その
一つは、国民国家という枠組みそのものが揺らぎっっあるということが
一つの理由でございます。
明治維新のときは
日本は三百の藩に分かれておりましたけれども、ヨーロッパ諸国、例えばドイツとかイタリアという、同じころにネーションステート、国民国家に生まれ変わった国に比べますと、もともと国としてのまとまりが比較的よかった。そのことがネーションステートに生まれ変わることを容易にしたわけですし、それから第二次大戦が終わったときは、敗戦というショックはありましたけれども、もともとネーションステートという枠組みの中で
日本の再出発ができたわけですから、これも戦前の枠組みをほぼそのまま受け継ぐことができたわけですね。
ところが、今我々が直面しているのは、そういった近代史のネーションステートそのものの枠組みが揺らいでいることに対してどう対応すべきかということを迫られているわけですね。これには、今
田中さんもおっしゃったように、模範とかモデルがないということも非常に対応を難しくしております。明治維新のとき、我々の先輩
たちは
海外へ出かけていって学ぶべきモデルをそこに見出し得たわけでありますが、今日、国民国家の基礎が揺らいでいる状況にどう対応するかというモデルというふうなものがあるわけではないわけでして、この二点からかんがみましても、私は、今の第三の転換期というのは我々にとって非常に難しい状況だと思います。
今私は何度もネーションステートといいますか、国民国家の枠組みが揺らいでいるということを申しましたが、なぜ国民国家の枠組みが揺らぎ始めているのかということは、多くの人が指摘しているいわゆる
グローバル化という状況、特にコンピューター、情報
技術の発達に結びついて
グローバル化が
進展して、特に領土というものの持つ意義が相対的に後退している、減少しているということが大きいと思います。
近代の主権国家は、税金を集める徴税権を初めとして、防衛の問題にしろ、その他もろもろの主権の行使というのは、明確に国境によって限定された領土というものを前提にしてそういった主権というものが行使されてきたわけですね。ところが、今日のように、多国籍
企業が常識となり、国際
金融市場も昼夜二十四時間、文字どおりグローバルな
規模で大量の資金が動いているというふうな状況になってきますと、そういう領土を前提として主権を行使するということが大変難しくなってきております。
我々振り返ってみますと、
日本人は、まず明治維新から第二次大戦ぐらいまではナショナリズムの教育というものを強く受けてきて、第二次大戦後はナショナリズムの教育というのは行われなくなりましたけれども、戦前のナショナリズムによって養われた我々のネーションステートとしての
存在というものを前提として高度
経済成長というものを遂げることができ、そこから上がる
利益をもって福祉政策を充実するという、いわゆるケインズ的福祉国家というものを実現してきたわけですね。ところが、今私が申し上げたような
グローバル化の
進展によって、そういった国の単位で
経済を運営して福祉政策、社会政策を充実させていくというケインズ的な福祉国家というものが今や終わりつつあるというふうに
考えざるを得ないのですね。
そういうことを、これはフランスのミシェル・アルベールという、
日本でも翻訳が出ている「資本主義対資本主義」という書物を書いた人物でありますけれども、この人などはもう少し別の
立場から、米英型の資本主義とライン型の資本主義の対立というふうにとらえております。今
グローバル化が
進展しておりますが、これは単に
経済の自然な趨勢だけによるのではなくて、そこに、米英で一九八〇年代、レーガン、サッチャー以後強まってきた
一つのイデオロギーというものがそれを促進する役割を果たしているというふうにアルベール
たちは
考えるわけですね。
一口で言いますと、そういった米英型の資本主義というのは、資本主義の
企業活動においては資本に対するリターンというものをあくまで基準にしていくべきであって、社会に対する
利益の還元というふうなことは
市場の合理的なルールを乱すものであるから考慮すべきではないということを言うわけですね。そういった
市場のルールに任すことによって、人々の生活も全体として豊かになるというのがこのイデオロギーの説くところなんです。
それに対して、ライン型資本主義という、ラインというのはドイツのライン川のラインなんですね。西ドイツで特にこの資本主義というものが最もうまく花咲いたという
意味でライン型資本主義という言葉が使われるのですが、これは前
世紀のビスマルク以来、資本主義というものは、常に
企業の
利益の社会的な還元というものを伴った資本主義でなくてはいけないという伝統にのっとった資本主義なんですね。これが今ヨーロッパ大陸で米英型の資本主義が上陸してきて脅かされている。最近のフランスの左翼の勝利というふうなものも、ある種のこういった米英型の資本主義に対するライン型資本主義の一時的な反撃というふうに見ることができるわけですが、そういうふうな見地からも今我々を取り巻いている状況をとらえることができます。
しかし、二十一
世紀にかけて、長期的に見れば国家の
経済的な役割が後退していくこと、そして国家を超えたグローバルな
市場原理にできるだけ多くのものを任せざるを得ないというこの趨勢は、私はとどめようがないと思います。ただ、今申しましたように、一方で我々、
日本もそうなんですけれども、ライン型資本主義というものを経験した後でありますから、そういった
グローバル化の傾向に対しては、最近のフランスの左翼の勝利よりももっと激しい政治的なリアクションが起こり得るということも考慮の中に入れておく必要があるわけであります。
いずれにしましても、今我々が直面している状況というのは、数千万、あるいは
日本で言えば一億ぐらいですけれども、そういった
規模の人々が文化的、言語的に同質な国家を形成しているという、そういう
経済的な
メリットというものが失われつつあるという状況だと見ることができます。
ここで私が強調したいのは、これからの
金融とか
経済の
システムを
考えるときに、単に
経済の枠組みの中で
考えていただくのじゃなくて、こういった状況というものは人々のアイデンティティーの危機といいますか、わかりやすく言えば、自分はだれか、我々はだれかという問いを人々に突きつける状況を生み出しているわけです。
今まで戦前の
日本人は、もちろん我々は、おまえはだれかと言われれば、我々は
日本人であると。戦後の
日本人も、高度
経済成長というものを遂げてさまざまの社会政策、福祉政策の恩恵を受けるようになってからは、そういったものとしての
日本に帰属意識を持って我々は
日本人だと答えることができたわけですね。しかし、今のような
グローバル化の状況というのが進んでくる中で、おまえはだれかと問われたときに、果たしていつまで我々は
日本人だというふうなアイデンティティーで人々が安心できるかというと、甚だそれが疑問になってきているというのが今の状況であります。
逆に言えば、ネーションステートにかわる何かブイといいますか、つかんでいたい帰属対象というものを求める、そういう心理が強まってくると思います。そこに、最近いろいろな人が指摘しているネーションステートよりももう
一つ上といいますか、もっと大きな枠組みとしての文明であるとか帝国であるとか、そういったものが人々の帰属対象として
意味を持ち始めているということがありますし、他方では、これは
日本の沖縄問題にも
関連すると思いますけれども、ネーションステートよりももう
一つ下の、より小さな帰属対象として地域とかエスニシティー、今日ではエスニーという言葉が普及し始めておりますけれども、エスニーといったものに人々の帰属の対象が移るという傾向が生じているわけであります。
その中でも特に、ハンテントンというハーバード大学の政治学教授の「文明の衝突と
世界秩序の再編成」という昨年出ました書物は注目すべきものを含んでいるわけであります。これは皆さん、かつて彼が一九九三年に「フォーリン・アフェアーズ」に書きました論文で御承知かと思いますけれども、これからの
世界というのは文明を単位として秩序が形成され、かつ西欧文明と中国、イスラム文明の間に文明的な衝突が起こるという説をとっているのです。その中には、書物になった方を見ますると、二〇一〇年の
一つのシナリオ、これはプロバビリティーは低いけれどもポシビリティーとしてはある、蓋然性は少ないけれども
可能性としてはあるという断り書きのもとに立てているシナリオなんでありますけれども、アメリカをコアステートといいますか、文明はそれぞれ中核になる国を持っているわけでして、西欧文明のコアになる国というのはアメリカである、他方、中国文明のコアになるのは言うまでもなく漢民族の中国である、アメリカと中国をそれぞれコアステートとする文明間の戦争が起こるということを言っております。
その場合には、
日本は中国側につくであろうというふうなことも言っているわけですね。これは少し大胆に過ぎるシナリオでありますけれども、確かにそういった文明間の対立というのが我々の周辺で形成されつつあって、それに対する
日本の対応というのは大変微妙で難しいということを我々知っておく必要があるわけです。
間もなく香港が中国に返還されますが、これを契機として、例えば香港、台湾、あるいは福建とか沖縄とか、そういったものを含めた国境を超えた
経済圏というふうなもの、国会でも官房長官が蓬莱
経済圏という言葉を使ったそうでありますけれども、そういったものが形成される
可能性もあるわけですね。そうなってくると、私が先ほど来申し上げているネーションステートという枠組みというのがますます怪しくなってくるということにもなるわけであります。
いずれにしましても、私が言いたいのは、今や我々が国民国家というものを
考えるときに常識としてきた、国家が
経済活動に
介入して社会政策、福祉政策を充実させていくという、そういう
意味での、ソーシャルステートといいますか、社会国家としての国民国家あるいは
経済、福祉に
介入し干渉する干渉国家としての国民国家というものは衰退しつつあると見ざるを得ないのです、
グローバル化の傾向の中で。
それにかわって、今後の国民国家というのはどういうふうなものになっていくだろうか。かつてビスマルクが社会政策を導入する以前に、ラサールという有名なドイツの十九
世紀の社会主義者がおりまして、これが少し皮肉を込めて、今の国家は夜警国家だ、夜回りの国家だということを言ったんですね。社会国家、干渉国家としての
性格が国民国家から薄れますと、ある
意味ではそういうラサールが皮肉った時代の国家に戻りまして、夜警国家的な
性格というものが出てくるかと思います。これは広い
意味での夜警国家でありまして、人々の安全を夜回りをして保障する、そういう国家という
意味なんですけれども、
経済面では、
経済そのものに積極的に
介入していくのではなくて、
市場における公正な
競争というものが行われるためのルールづくりというようなことにこれからの国家の役割は限られていくかと思います。
ただ、私が先ほど来申し上げた、今や国民国家は衰退して、文明とか帝国とかエスニーとか地域とかいうものがどこでも
意味を持ち出している。例えば
イギリスの場合ですと、最近、ブレアの労働党が勝ちましたけれども、その
一つの重要な主張は、スコットランドとウエールズというもともとケルト人である地域に別個の議会の開設を地域の投票を経た上で認めるかどうかということが選挙における重要な項目の
一つだったわけですが、そういうことを見ても、一方でそういったエスニー、地域の
意味が増大しているわけです。
しかし、
日本の場合は一
世紀余り、ヨーロッパでいっても二
世紀、三
世紀と続いてきた国民国家、ネーションステートというものがアイデンティティー帰属の対象として全く
意味を失っていくわけではない。ただ、ではネーションステートのアイデンティティーを持続させるために、かつてのナショナリズムの教育に復帰すれば足りるかといえば、そうではないのであって、むしろ私が申し上げた他のレベルでのいろいろな帰属対象、宗教とかあるいはエスニーとか、そういったものによって補完された形でしかネーションステートは帰属対象としては生き延び得ないのではないか。つまり、これからの我々の一人一人のアイデンティティーカードというのには、
日本人というアイデンティティーのほかに、どういう宗教に属しているか、あるいはどういう地域共同体に属しているかという別のアイデンティティーの組み合わせがなければ、我々一人一人の帰属の安定感は得られないというふうな、そういう時代に向かっているのではないかと思います。
経済社会の面で見ましても、国家の
介入度が低くなってくれば、それを補う、言いかえれば
競争によって生ずるさまざまのひずみを是正する役割というのは、国家以外のさまざまな組織体、共同体によって担われる必要があるわけです。レーガンが八〇年代に登場したときに彼が掲げたことは、マーケットとコミュニティーである。つまり、
市場の原理に任せると同時に、コミュニティー、宗教であるとか、小さくは家族であるとか、地方共同体であるとか、そういったものの意義を一方で彼は強調しながら登場してきて、その傾向というのは今も続いているわけですね。
そういう
意味では、私はこの
委員会で
金融経済の
システムというものを
考えていただく場合に、確かに、さまざまの
規制を
緩和して国家の
経済的な役割を後退させ、
介入度を減らすということは重要ですけれども、それを補完するコミュニティーの役割というものを
日本ではどこに求めていくのか。つまり、そういった点で、我々は、
アングロサクソン諸国に比べると、明治以後、国家というレベルにすべての問題を余りにも集中せしめたために、それ以外の、国家が衰退したときにそれを支えるコミュニティーの役割というものを十分認識してこなかったという気がしております。
ですから、
経済の問題も、そういった人々のアイデンティティーなりコミュニティーの役割というものと相互の
関係で
考えていただくという必要があります。これは一朝一夕にできることではないのですけれども、我々が明治以後、余りにも東京中心にすべてを
考え、国家というレベルに問題の解決をゆだね過ぎた、そういうことに対する新たな対応をどこに求めていくか、そういう問題なんです。そういうこととの
関連でお
考え願いたいと思います。
どうもちょっと緊張して余りうまくしゃべれなかったですが。(拍手)