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栗本委員 自由民主党の
栗本慎一郎であります。
私は、元来
大学教授だったのでありますが、今日もそうでありますけれども、
国民の負託を受けまして議会に来て以来、
講義ができなくて、大変、本来の
職務の方もうちょっと頑張りたいと思っているところがありましたけれども、
経済問題に関しまして、この
委員会、今
特別減税の
継続をめぐって
審議しているわけでございますが、予
算委員会及び本
委員会におきまして、
経済情勢及び
特別減税の
効果について、
質問というより長々と
講義を聞かされまして、私の方もちょっと腕を撫しているところがございまして、本日、若干の時間をいただきまして、今日の
経済においては
特別減税が直ちに
経済の
上昇、簡単に言えば
消費の
上昇等に、それ以外もございますが、つながるものではない、人々は
貯蓄性向は持っているけれども
消費を渋っているという別の
条件があるんだというようなことについて御
質問をしたいと思っているところであります。
私の
大学におきます専門は
経済人類学、
経済とついておりますが、最後は
人類学でございます。
経済学の方にも提案がございまして、有斐閣の
経済学辞典等には
経済人類学の項を私が執筆をしているという形になります。非常に長くなりますので、本当に簡単にポイントだけ申しますと、過去のといいますか、私にとっては過去の
経済原論は、
経済原論がもしも成立すれば、すべての国に対して、若干の
修正はあるけれども、それは通用するだろうということが
一つ中心になっております。それから
マルクス経済学を
中心といたしまして、
生産をめぐる
条件あるいは
生産構造が主である、それが
一つあります。それにやや
修正を加えた格好でございますが、
近代経済学の方では
需要が問題になってくる。
需要というのは、しかし、かなり物的な要因によって切られる、決定されるというふうに、この二つが主として
中心になっておりますが、いずれもそれについて否定といいますか、反論を加えているわけであります。
第一の点におきましては、
一つの
経済学が正しければすべての国に当たるといえば、これがある国を、例えば
先進国を軸にして、その
段階にまだ
日本は至っていないとかいうふうなことが行われるし、その点で、今日でもそういう
議論が行われておりますけれども、
経済企画庁が出しました
経済白書を読みますと、
転換期と今うたっていますが、例えば、
転換期というのは、
不良資産の処理をしなければならないという形になっている。諸
外国との比較が主としてあります。それから
雇用形態の
変化、これもそうです。それから
金融仲介システム、
日本型の
雇用システムの
変化等がある。これにつきましても、
転換点といっても、何か基本的な課題を書いているだけであって、基本的な
転換点に立っているというふうに認識しているとはとても思えない。
それは、長くなりますからそこでとどめますが、要するに、
一つの
経済原論がすべての国に当たるのであれば、例えば、イギリスにおいては、十九世紀中に既に
農業就業人口は五%ぐらいになっています。これに比較いたしますと、戦後になるまで
日本は
農業就業者人口が二〇%等の、全国の四分の一、五分の一を超える水準であって、これはおかしいという話になります。おくれているという話にもなってまいります。ですから、一九六〇年代ぐらいまでは、
日本の
資本主義はまだまだちゃんとした
資本主義じゃないんだというようなことが
国際経済学の中でもいろいろ語られているというような
状況であった。
しかし、そうではないんだ。これは
国民経済というようにとるのは非常に難しいですが、仮に使いますと、
国民経済ごとに
消費の型が違ってくる、重点の置き方が違ってくる、キーポイントが変わるんだ、それから
生産が
中心ではなく、むしろ
消費が主軸である、
経済の型はむしろ
消費の型であるということを言ってまいりました。それを、
生物学等を援用して、敷衍いたしまして書きましたのが「パンツをはいたサル」というものであったのです。
この中には、多くの
経済学者が
理解し得ない─
需要を
理解するときに物的な
欲求から参りますけれども、ところが、人間の体の必要な
栄養状態とかカロリーだとか、そういったものも
文化の型によって違う。非常にわかりやすい例を出せば、氷の上に寝ていても凍傷にならないという民族が
現実に存在した。イナゴのペーストだけで、別に栄養失調にならない人も存在した。
文化の型は生理的なものにまで
影響をするんだ、これは
文化人類学の知見であります。それを含めてそうしたことを述べて、たまたまそれが有名になりまして、
大学から外の
世界につながった
部分があったわけでありますが、その
人たちが、それを全部含めまして、大体一九八〇年代前半に大きく、
世界各国の
国民経済はそれぞれ違う型で動いているけれども、しかし、インターナショナルな
部分というのは当然今日では存在すると。変わってきたと。
どう変わってきたか。
言い方が違います。
学者も商売をやっておりますから、トフラーさんは第三の波と言いますし、ドラッカーさんは新しい
現実と言います。私は新たな大
転換と言ったのですが、売れ方がこれは一番少ない。これは仕方がございません。いろいろな
言い方をしている。マーシャル・マクルーハンも、既にグローバルビレッジというのはできているんだ、こう言っている。いろいろなことを言っている。ダニエル・ベルは、脱
産業化社会だと言っている。
だけれども、中身を見ると同じであります。すべて、
情報中心とは言いませんけれども、
情報によって動くと。
情報が最も
経済的価値の
中心になる
社会になったし、さらに、過去の、その前の
段階の
消費需要はもう頭を打ったと。わかりやすく言えば、
冷蔵庫も車ももう壊れなくてずっと使える。いいものがある。だから、一台必要だったけれども、それにさらに二台、三台買わせるための
広告が打たれなければならないというふうになってきた。ちょうど、その時に応じて、だから
広告は、質を言わずに、不思議大好きとか、何だそれはと。これは、どこの
電機メーカーの
冷蔵庫を買っても大同小異、扉が右から開くか左から開くかはありますけれども、そういう形になってきた。
そして、次の
段階。この次の
段階についていろいろな
意見があります。私は、ボーダーレスの中にボーダーが生まれる、そういう
社会になってきているんだとか、いろいろなことを言っております。もちろん、私のが一番正しいと思いますけれども、ほかの方のニュアンスは随分違います。けれども、
商品の
消費に関しては一致している。新たな
需要は、特別な次の
段階の
商品でないと喚起されない。目先を変えて売れることはできるけれども、これはたまごつちもそうだろうと思いますが、そういう
状況に来ているんだ。
だから、このことが言っていることは何かというと、金があるから
消費する、ないから
消費しないというのは、以前から必ずしも一〇〇%の真実ではなかったが、ある程度当たっていた。しかし、今この
段階におきましては、そういうことは直接的にむしろ当たらないんだ。非常にわかりやすい言葉で言えば、むしろコンシューマーズ
マインド、
マインドが響くんだということを、大体どの
学者も、いろいろな看板の書き方はありますけれども、言ってきた。
それで、
特別減税等の関係でいうと、ここで、後で
経済企画庁の
意見をちょっと聞きたいと思うのですけれども、過去、例えば八八年十二月には、八九年四月に
消費税が導入されるということで
先行減税が行われた。だから、八九年度においては、
先行減税の
効果は、もちろん
消費税のアップがありますから相殺されたとか、いろいろな
議論がありますけれども、ある程度の
プラスが出なければならないということになるはずだけれども、八九年では
貯蓄は
横ばいであるし、
消費も
横ばいである。いささか
消費がふえて
貯蓄がやや下がっておりますけれども、基本的に
両方横ばいである。その翌年に
貯蓄が下がり、
消費が上がるという形をとった。だから、
減税の
効果というのをどうとるか。私は、
減税自身の
効果はなかったというふうに考えているわけであります。
同じく、今度は九四年一月一日にやはり
特別減税五・五兆円というのがあったのです。これが九四年度のデータにどのように響いているか。直接響いているとは言いませんが、しばしば、そういうものは直接響くというような
講義を随分いろいろこの
国会で聞いたものですから、
欲求不満になって申し上げるのですけれども、
貯蓄がふえて
消費が下がった、これは可
処分所得に占める
最終消費支出の割合でありますが、全体としてもそういうことが言えるだろうと思います。
貯蓄に回っている。だから、先行き不安なときには、特に今のように時代が偏向し、さらにバブルがはじけたけれどもどうなるかわからないというようなときには、お金が来ると、むしろ
貯蓄に回るという結果になる。それは当たり前のことだというふうに思うのです。
だから、ましてや、今
議論になっております
減税が、いや非常に
日本は調子が悪いんだ、株も外人は売っちゃっているんだ、もうだめだ、
政府が悪い、
政府についての
批判がたくさんある、だからせめて
減税はしてやろう、こういう出し方では、また
貯蓄に回ってしまうだろうと見るのが
世界の
学者の見るところだろうと思います。ところが、エコノミストという方は、割に単純に、この数字がこっちに来たらこうなるとなりますから、そこが問題なんですけれども、せめてそれをしておかなければならないという話になる。私は、せめてじゃないんです。
それで、だから、こういった場合に、
マインドが非常に大きな
影響を与えるのですよ。こうした
日本経済の問題は、与党がどこで野党がどこだからというようなことではないのですね。国全体の問題なんです。今、ここは、
マインドが
経済をつぶす
可能性──ついこの間、私は自分の友人の
評論家の
講演を聞いてひっくり返ったのですけれども、
評論家というのは常に
悲観論を出さないとなかなか
講演の依頼が来ないのですね。だから嫌で私は
国会議員になったのですけれども、ことしじゅうに間違いなく株価は一万四千円を割る、それも
橋本内閣が、特に
橋本総理が明確な、いろいろやっているのだけれども、
行政改革の案が出ればそれを機に下がる、こう言う。どういう
根拠があるのかと言ったら、
いや別に
根拠はないんだけれどもとはっきり言っていましたけれども、そういったことの方が売れる。そういったことを、今、
国会にいわば持ち込んできているような
議論があるように思える。
そこで、その
マインドに関しては、特に、ことしの元旦の
日本経済新聞等々で物すごい
悲観論が
ばばばんと出まして、そしてまた、それに前後いたしまして、
外国人投資家が
日本の株を非常に売っているんだ、今後もどんどん売っていくだろう、これまで
外国人は買ってきた、これからはもう売りに転じた、
世界の
証券市場で
日本だけが
マイナスに、これは事実なんだと言っている。
それは、
日本だけが
マイナスにいっていれば
世界全体は
プラスに転じているんだから遅かれ早かれ
日本も上がるだろうというふうに論ずるか、あるいは、全
世界は
プラスなのに
日本だけ
マイナスなんだから
日本だけ死ぬんだ、こういうふうに言うかは随分大きな違いでありますし、そこは一体どういう基準で出されるかわかりませんが、要するに、
政権批判等々の形でこういう
経済を論ずるべきじゃない、また
減税の問題もそこから出るべきじゃないということであります。
ちょっとここでこれ以上やりますと、ずっと最後まで
講義やっちゃうといけません。
質問を私が受けるという格好になっても困ります。これは別個にやることにいたしまして、大蔵省にお聞きしたいのですけれども、一度
議論になりましたけれども、大臣でも結構でございます、あるいは数字のことですから
局長で結構でございますけれども、
日本が一体売られているのか。特に問題になった一月前半で
日本売り、橋本売り、ということは三塚大蔵大臣も売られているのでしょうけれども、そういったことが実際あったのかどうか。事実はどうなのか、あるいは
世界の冷静な評価はどうなのかということについて、ちょっとお聞きしたいと思います。