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溝上参考人 溝上でございます。どうぞよろしく
お願いいたします。
日本は
世界有数の
地震大国と言われております。世界全体の一〇%を超える
地震エネルギーが
日本の狭い周辺で解放されておりますけれども、私たちが
地震のことについて語るときに、その
原因となります問題に触れるときに、三つに区分けして考えることが大体共通になっております。
まず第一には、グローバルな
スケールで考えるということです。その次には、リージョナルといいましょうか、
日本列島周辺の問題について考える。それからその次は、
ローカル。
ローカルと申しますのは、
南関東とかあるいは神戸の付近とかあるいは
東海とか、そういう
スケールの話になります。
第一にグローバルな問題ということについてでございますけれども、
地震のそもそもの
原因は
地球の内部に潜んでおりまして、
地球は誕生以来だんだん冷えてきているわけでございますけれども、
地球の内部には非常に大きな規模の対流があります。そして
地球の
中心部から熱い物質がわき出てきて、そしてやがてまた対流を起こしながら沈み込んでいく、そういう大きな
メカニズムがございます。その上に大陸が乗っており、
日本列島が乗っているということになります。その結果、
地球の表面はじっとしていることができない、常に移動しているわけでして、
地球の表面は大体十数個の大きな巨大な
岩盤、
プレートというもので覆われております。その
プレートと
プレートの境界というのはしたがって非常に不安定な
状態になっておりまして、
プレートとお隣の
プレートがこすれ合ったり、あるいは
プレートが他の
プレートの下に潜り込んだり、あるいは
プレートと
プレートが衝突したりして、そこで大きなひずみがどんどん蓄積されていくわけです。
日本列島の場合にはどうなっているかと申しますと、四つの
プレートがひしめき合っております。
一つは海側の
プレート、すなわち
太平洋側にある
プレートですが、
太平洋プレートという巨大な
プレートが
日本の
太平洋側の沖合にずっと続いておりまして、それはアメリカ大陸、メキシコの方にまで及ぶ巨大な
岩盤でございます。これが
日本列島の方に向かって毎年九センチメートルぐらいの
スピードで押し寄せてきております。
同時に、もう
一つ太平洋側に
プレートがありまして、これは
フィリピン海プレートという
プレートでございますが、これは
伊豆半島の西部、そして遠州灘、九州、琉球の方にまでずっと続いておりますけれども、この
プレートは
太平洋プレートよりはかなり小さいのですけれども、やはり毎年三センチぐらいの
スピードで
日本列島に押し寄せてきて
日本列島の下に沈み込んでいる、こういう図式になっております。
さらに、
日本海側の方にもこういった
プレートの境界がございます。こういう
プレートが沈み込んでいくときに、
日本列島を乗せた陸側の
岩盤を一緒に下に引きずり込みますので、だんだん地殻の変形が進んでいって、やがてそれが限界に来ますとぽんとはね返るという、そういう図式の
地震、これが
日本の代表的な
地震、つまり
海溝型とか、あるいはその規模からいいまして
マグニチュード八クラスの
巨大地震と呼ばれるものでございます。
これらの
地震は、
プレートが直接押し込んできて発生するという
仕組みのために、
プレートの運動を直接反映いたしまして蓄える
エネルギーも非常に大きいのですけれども、
繰り返し周期も百年ないし二百年、百五十年といったような
繰り返し周期を持っておりまして、その
規則性から、例えば
東海地震のような場合にはある程度の予測を立てていこうということも十分考え得る
地震ということが言えます。
一方、今度は
内陸の方を見てみますと、たくさんの
活断層が
日本列島には刻み込まれておりまして、その
活断層、あるいは
活断層として認識はできませんが地下に潜伏している、潜在している
断層、そういうものも含みましてそこにだんだんひずみがたまっていく。このひずみがたまっていくもともとの
原因は、やはり
海溝型巨大地震の
原因と同じように
日本列島に押し寄せてくる海の
プレートの力によるものですけれども、何分にも
内陸なものですから、まず第一に
海溝型の
巨大地震のためのひずみをどんどん蓄えていく、その
波及効果として
内陸にひずみを蓄えていきますために、そのひずみを蓄えるための時間あるいはひずみを蓄える割合が非常にゆっくりとしておりまして、
一つの
地震が起きてまた次の
内陸地震が起きるまでの時間の間隔というのは数千年とか、場合によっては一万年とか、あるいはもっと長い場合があります。
そのために、同じ
地震と申しましても、
海溝型の
地震は百年とか二百年とか比較的、人間の一生の
スケールと比べても何とか私たちその間隔と比較できるのですけれども、
内陸の
活断層あるいは地下に潜伏している
断層に起きるそのサイクルというのは、数千年とか一万年ということになりますので、これをどう評価していくか、どう予測していくかということは大変難しいことになってまいります。このように、
日本列島というのは、
地震国といいましても、その
地震の性質をいろいろ考えていきますとさまざまな
地震があるということがわかってまいります。
今回、三月三日から起きた
伊豆東方沖の
群発地震でございますが、これもやはり
群発地震という、
地震という名前はついておりますけれども、そもそものこの
原因は
マグマが主役でございます。伊東の沖合、恐らくは十数キロのところにたまっている
マグマが何らかの
原因によって海底に出口を求めて上がってくる、上昇してくるわけでございますが、そのときに周りの
岩盤をめりめりと割るわけです。この
岩盤を割るときのピシピシといった割れる音が無数の
群発地震となって観測されるということになります。
そしてさらに、この
マグマがだんだん上がってまいりますと、時として
伊豆の沖合の海底の中に隠れている
潜伏断層、これは
活断層によく似た性質のもので、ひずみを蓄えている
断層が横たわっていて、そこに
マグマが上がってくることによって誘発されて
地震が起きます。今回の場合も、四日に
マグニチュード五・七という
地震が起きましたが、これは
群発地震の中に紛れ込んで発生をいたしましたけれども、よくよく見ますと、これは
横ずれ断層がずれ動いて起きた
地震ということになります。
そしてさらに、一九八九年に実際に起きたことですけれども、
マグマがいよいよ浅いところに達しまして、そして海底に顔を出しかけますと、海底の海水と接触いたしまして
マグマが
水蒸気爆発、つまり非常に高温の
マグマと海水が触れることによって
水蒸気爆発を起こす。これは噴火と言えますが、噴火が起きるわけです。
伊豆の場合には、
群発地震、中規模の
地震、そして噴火、この三点セットというものが一九八九年に実際に起きましたが、多くの場合は
群発地震で終わる。
日本列島の中にも火山の筋がずっと
北海道から東北をよぎり、そして富士山、箱根、
伊豆、それから
伊豆諸島につながっておりますが、その
地域では
伊豆と似たような非常に浅い場所で発生する
群発地震が起きる場所があちこちに見られます。この
群発地震というのは、先ほどから申しております
海溝型の
巨大地震とか
内陸の
地震とはまた性質の異なる
地震でございます。
ところが、では
群発地震というものがそれだけ単独で起きるかというふうに考えてみますと、
伊豆の場合も比較的
大ぶりの
地震が起きて伊東市を大きく揺するということがありますように、例えば日光とか鬼首とか、
群発地震が起きている
地域のすぐわきでは比較的規模の大きい
地震が発生するという傾向があります。それはまだよく研究はされておりませんが、
群発地震と
内陸型の
地震というものは何らかの関係があるというふうに見るべきだろうと思われます。
このように、
地震といいましても、我々人間の病気と同じように、さまざまの種類のもの、大きさのものがございますので、私ども、なかなか知識が完全に、
地震のいろいろなことについて
調査がついているというふうにはまだとても言えない
状態でございます。
さて、
地震の最近の傾向について申し上げますと、
東海地震とかあるいは
首都圏南関東直下地震とか、近い将来襲ってくるであろうさまざまな
地震についての議論、
調査がなされております。
東海地震につきましては、
皆さん御存じのように、一九四四年の
東南海地震のときに本来は
東海地域が
地震の
震源域になるべきであったのですが、何らかの理由で割れ残りまして、その
一つ前の安政の
東海地震以来ひずみを蓄えに蓄え続けてきて、今や
臨界状態に達しているということが
地震学者の共通の認識でございます。そういう
状態にありますので、
東海地域というのは特別の二十四時間監視の体制がとられております。
一方、
南関東について申し上げますと、一九二三年に
関東地震がありました。その
一つ前は一七〇三年に元禄の
関東地震というのがありました。つまり、
関東地震というのは、
東海地震と同じように、これは
フィリピン海プレートでございますが、海の
プレートが
日本列島の方にどんどん沈んでいく、そのときに
日本列島を乗せた陸地を下の方に巻き込むように押し込んでいく、そしてそれが限界に達するとはね返るわけですが、
関東地震も
東海地震もほぼ同じような
原因で起きる
巨大地震でございます。
元禄の
関東地震は一七〇三年に起きたわけですが、
関東地震が一九二三年、大体二百年に一度ずつ起きる。ところが、
関東地震というのは元禄に比べますと若干
小ぶりだったと言われます。次の
関東地震がいっ来るかということでありますけれども、大正の
関東地震が
小ぶりであったということは、元禄と
関東の二つの
巨大地震の間が二百年でございますが、あるいは二百年もしないうちに次の
関東地震が来るかもしれません。しかし、それにしても恐らく百五十年とかそのくらいの間を持って発生してくるでしょうから、今我々は
関東地震の発生から七十年ちょっと超えたところでございます。道のり三分の一へ来ているということでありますが、ひずみも実際にいろいろ測定をしてみますと、次の
関東地震を起こすまでの
エネルギーのほぼ三分の一が地下に蓄えられているということが見当がついております。
そういたしますと、まだ三分の一だから安心だろうというふうに思いがちでございますが、決してそうではありません。既に
国土庁中央防災会議が平成四年に
南関東直下地震の「ある程度の
切迫性」という表現で大綱によって示しておりますように、七十年たって
南関東直下の随所にひずみが少しずつたまってまいりますと、
関東地震ほど大きな
地震ではありませんけれども、それよりも一回り小さい、一回り小さいといいましても、
関東地震は
マグニチュード八クラスの
地震ですから、神戸くらいになるわけですね。
マグニチュード七クラスの
地震ということになります。
マグニチュードが
一つ違いますと
エネルギーが三十倍違いますので、神戸のような
地震を十数個から二十個あるいは場合によっては三十個ぐらい束ねたものが
関東地震でありますから、その一回り小さい
地震、といいましても相当大きな
地震ですけれども、そういうものが
南関東直下の不特定の場所で次々と発生してくる
可能性が生まれてくるわけです。
これは何も推測のものではありませんで、実際に元禄の
地震、そして大正の
関東地震のときにも、
関東地震が発生してくる相当前から
南関東はだんだん
地震活動は活発になってきて、そしてやがて親玉の
地震、
関東地震が発生する、こういう時系列的な流れがございます。
一九二三年の
関東地震が発生して、直後は
関東地域一円は
関東地震の余震が発生いたしますために相当騒がしかったのですが、一九三〇年代の後半になりますと相当
余震活動もおさまって、
南関東一帯は非常に静かになりました。そして、一九四〇年、五〇年、六〇年と、
南関東は本当に
地震のない、
地震を忘れてしまうかのような
状態が続いておりました。
ところが、一九七〇年代に入りますと、これは
南関東とは言えませんが、
南関東の西のへり、
伊豆で
伊豆半島沖地震というのが一九七四年に始まりまして、それがどんどん
活動が北に上がってきまして、現在見られるような
伊豆東方沖の
地震につながっていったわけでございます。
このように、
伊豆の
活動が一九七〇年代、七四年から非常に
活発化の傾向を示し始めている、そういう流れの中で、一九八〇年に
関東では
千葉県
中部地震というものが発生いたしました。一九八〇年の
千葉県
中部地震のときには、報道の内容を見てみますと、
関東にもこんな
地震が起きるのかというような驚きの感じを含めた報道がされておりました。この
千葉県
中部地震というのは、
マグニチュード六の
地震でございますからそう大きい
地震ではありませんけれども、若干の
被害を出しました。その次、一九八三年になりますと、山梨県東部で死者二名を含む
マグニチュード六の
地震が発生いたしました。
このように、山梨県東部とか
千葉県中部あるいは
千葉県
東方沖、房総ですね、そして茨城県あるいは茨城県・
千葉県県境といったところでぼつぼつと若干の
被害を伴う
マグニチュード六クラスの
地震が見えるようになってまいりました。これの始まりが一九八〇年でございます。
この
一つ一つの
地震をよくよく見てみますと、実は突然
マグニチュード六の
地震が顔を出したのではなくて、例えば山梨県東部の場合には、
関東地震のときにその前後に非常に大きな
地震が集中して発生いたしました。
関東地震の前にも、それから
関東地震の直後には
関東地震の余震が発生いたしまして、その中にはM六、M七の
地震が入っておりますが、
関東地震が発生して非常に静かになったわけです。
ところが、一九六〇年ぐらいからぼつぼつと目立った
地震が起き始めて、まだそのときは
小ぶりだったのですが、そして
マグニチュード五クラスになって、やがて六の
被害地震が発生したということで、非常に
地震の規模が時間とともに大きくなっていって一九八三年の
被害地震に及んだという流れがございます。
最近の
活動を大体見回してみますと、このように、
関東地震の
震源域ではまだ非常に静かなんですが、その
外周りの
地域では既に
直下地震の兆しを思わせるような
地震がぽつぽつとあらわれてきているということが申し上げられるかと思います。そういう意味で、
南関東というのは、
国土庁の
中央防災会議の大綱に述べられておりますように、だんだん
大ぶりの
地震が
外周りから発生してきつつあるということは、私どもは実際の観測の事実として
十分心にとめておかなければならない事実かと思います。
それと同時に、
地殻変動の方でございますが、
建設省国土地理院が全国の
地殻変動調査を行っておりますが、その中で、
関東地域を見てみますと、やはり先ほど申し上げましたような、地殻ひずみが
関東地震のとき解放したものの量の三分の一は回復している。それから、最近のGPSという
宇宙技術を使いました
地殻変動の測定によりましても、
時々刻々関東の
直下にはひずみが蓄積されているということが手にとるように見えるわけでございます。
そういう意味で、
南関東というのは、既に
直下地震に向けてのある
ステージ、つまり
静穏期を終えて
活動期に入りつつある状況にあるということが言えるのではないかと思っております。
さて、今度は、
伊豆半島を挟みまして西の
東海地域は、今申し上げましたように、既にいつ大
地震が起きてもおかしくない
状態ということでありますが、さらに西の
東南海の方に行きますと、一九四四年に
東南海地震が起き、一年置いて一九四六年に
潮岬沖を震源とします
巨大地震、
南海地震が発生したわけですが、
東南海地震というのが次にまた襲ってくるわけです。それはいつごろかということは今はっきりは申し上げられないわけですけれども、恐らく今から四十年ぐらいいたしますと、
東南海地震が発生してくるという
可能性が非常に高まってくると考えられております。
そういうことを考えていきますと、
南関東直下、それから
東海、
東南海、そしてさらに西側の
南海地震というものは、これは避けられない、非常に規則的に
繰り返してくる
巨大地震でありまして、これが発生いたしますと、
沿岸部は大きな
津波に襲われる、それから
内陸、
沿岸部には大きな
地震の震動によりましてさまざまな
被害が生じるということが十分考えられるわけでございます。
さらに、東北の方へ目を移しますと、
三陸沖では
津波地震という特別な
地震が発生いたします。これは、
日本列島に押し寄せてくる
太平洋プレートが
日本列島の陸を巻き込むというスタイルの
地震ではございませんで、
太平洋プレートそのものが引っ張られてぽきっと折れるという表現が適当かと思いますが、
太平洋プレートが折れてずるっと先端の部分が沈み込んで、引っ張られてずれていく、そのときに非常に大きな海底の沈降が発生いたしまして、その結果、ぐっと上下に地盤が動きますから海水が移動して大
津波が発生いたします。
この型の
地震というのは、
地震の震動は陸上ではほとんど感じない、若干小さな
地震が沖合で起きたなというぐらいなんですが、そのかわり大
津波が襲ってくるという恐ろしい
地震でございます。このような
津波地震というものをも含めて、東北の
三陸沖から一帯は十分注意しなければならないということになります。
太平洋沿岸は、おおむね、そういうものをずっと見てみますと、
北海道東方沖、そして
浦河沖、
十勝沖、
三陸沖、そして宮城県沖、福島県沖というふうに、それぞれ大きな
地震の巣がずっと
日本列島に沿いまして、これは
日本海溝に沿ってですが、ずっと並んでおります。
伊豆半島を越えまして西の方には、
東海、
東南海、
南海という
巨大地震の巣が並んでいる。そういう意味で、
日本列島の
太平洋側には
巨大地震の巣が並んでいるという図式になっております。
一方、
日本海側の方を見ますと、最近起きたことですが、奥尻島で大
津波が襲いました。
マグニチュード八には至りませんが、それに近い
地震が発生いたしました。一九六四年には
新潟地震というのがありましたが、その後、一九八三年になって
日本海中部地震、そして奥尻島を大
津波が襲った
北海道南西沖地震、そして一九四〇年代には
積丹半島沖地震というので、
日本海側にも大きな
地震が発生する
メカニズムが潜んでおります。
内陸には、既に申し上げましたような
活断層にひずみがたまって、非常に長い
繰り返し周期でございますけれども、
内陸で
マグニチュード七ぐらいの
地震、例外的に
一つだけ
マグニチュード八の
地震がございますけれども、
内陸でも
地震が発生する。
そして、
火山地帯に沿っては、
群発地震というものが、さらにそれとはまた別の性質の
地震が発生する、こういった状況でございます。
こう見ていきますと、
日本列島というのはどこをとりましても
地震だらけというふうに考えられるわけでありまして、実際に、例えば
原子力発電所を設置するときの立地を考えますと、まずどこに設置しても
マグニチュード六・八ないし七ぐらいの
地震は起きるものという前提で考える、しかもその周辺で歴史上最大どのくらいの
地震があったかということも勘案するという、非常に慎重なといいましょうか、非常に最悪の事態を考えて立地を考えていくという立場をとっておりますが、それは
日本列島というものの成り立ちを十分考えた非常に妥当な対応であろうと私は考えております。
南関東の
地震ということに、今度は
首都圏にもう一度戻らせていただきますが、
関東地震というものを軸に
地震活動が推移してまいりますけれども、今、
関東地震から七十年たって、また
活動期に入ってくるという事態に入りつつあるわけですが、
日本列島の
地震というのは、空間的にどこにどういう
地震が起きるというだけではなくて、今度は、
静穏期と
活動期という時間軸で見たときの推移が、消長がございます。
そのために、例えば新しい都市、首都の
移転という問題を考えますと、どのくらいの時間の範囲を考えてその新しくつくる都市を考えていくかということによりまして、かなり問題が変わってまいります。
つまり、非常に大きな
地震が起きたすぐ直後を考えますと、その
先相当長い期間静かな時期が必ず来るでしょうけれども、かなりせっぱ詰まった、つまりひずみが満期に近づいている場合には、今は静かなようだけれども、その次の
ステージには近いうちに大きな
地震が襲ってくるという、そういう
繰り返しがございますので、
地震の問題は、空間的な問題だけではなくて、そういう大きな
地震がどのくらいの
繰り返し期間で襲ってくるかということと組み合わせて考えていく必要があるのではないかと思います。
以上、
日本列島の
地震環境ということ、
日本列島の
仕組みと、それから
日本列島で発生する
地震の種類ということについて私の考えをお話し申し上げました。
どうもありがとうございました。(拍手)