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1997-03-13 第140回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第3号 公式Web版

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  1. 会議録情報

    平成九年三月十三日(木曜日)     午前十時開議  出席委員   委員長 松本  龍君    理事田野瀬良太郎君 理事 西田  司君    理事 根本  匠君 理事 蓮実  進君    理事 坂本 剛二君 理事 玄葉光一郎君    理事 中島 武敏君       佐藤  勉君    下村 博文君       滝   実君    棚橋 泰文君       西川 公也君    村田敬次郎君       茂木 敏充君    渡辺 喜美君       池坊 保子君    旭道山和泰君       武山百合子君    中川 正春君       山中 燁子君    近藤 昭一君       前島 秀行君  出席政府委員         国土庁大都市圏         整備局長         兼国会等移転審         議会事務局次長 五十嵐健之君  委員外出席者         参  考  人         (東京大学地震         研究所教授)  溝上  恵君         国会等移転に         関する特別委員         会調査室長   白兼 保彦君     ───────────── 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  国会等移転に関する件      ────◇─────
  2. 松本委員長(松本龍)

    松本委員長 これより会議を開きます。  国会等移転に関する件について調査を進めます。  この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  本件調査のため、本日、参考人として東京大学地震研究所教授溝上恵さんの出席を求め、意見を聴取したいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 松本委員長(松本龍)

    松本委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決まりました。     ─────────────
  4. 松本委員長(松本龍)

    松本委員長 この際、参考人に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。何とぞ忌憚のない御意見を賜りますようにお願いを申し上げます。  なお、議事の順序ですが、まず溝上参考人から三十分程度意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。  御発言着席のままでお願いいたします。  どうぞ、それでは溝上参考人お願いいたします。
  5. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 溝上でございます。どうぞよろしくお願いいたします。  日本世界有数地震大国と言われております。世界全体の一〇%を超える地震エネルギー日本の狭い周辺で解放されておりますけれども、私たちが地震のことについて語るときに、その原因となります問題に触れるときに、三つに区分けして考えることが大体共通になっております。  まず第一には、グローバルなスケールで考えるということです。その次には、リージョナルといいましょうか、日本列島周辺の問題について考える。それからその次は、ローカルローカルと申しますのは、南関東とかあるいは神戸の付近とかあるいは東海とか、そういうスケールの話になります。  第一にグローバルな問題ということについてでございますけれども、地震のそもそもの原因地球の内部に潜んでおりまして、地球は誕生以来だんだん冷えてきているわけでございますけれども、地球の内部には非常に大きな規模の対流があります。そして地球中心部から熱い物質がわき出てきて、そしてやがてまた対流を起こしながら沈み込んでいく、そういう大きなメカニズムがございます。その上に大陸が乗っており、日本列島が乗っているということになります。その結果、地球の表面はじっとしていることができない、常に移動しているわけでして、地球の表面は大体十数個の大きな巨大な岩盤プレートというもので覆われております。そのプレートプレートの境界というのはしたがって非常に不安定な状態になっておりまして、プレートとお隣のプレートがこすれ合ったり、あるいはプレートが他のプレートの下に潜り込んだり、あるいはプレートプレートが衝突したりして、そこで大きなひずみがどんどん蓄積されていくわけです。  日本列島の場合にはどうなっているかと申しますと、四つのプレートがひしめき合っております。一つは海側のプレート、すなわち太平洋側にあるプレートですが、太平洋プレートという巨大なプレート日本太平洋側の沖合にずっと続いておりまして、それはアメリカ大陸、メキシコの方にまで及ぶ巨大な岩盤でございます。これが日本列島の方に向かって毎年九センチメートルぐらいのスピードで押し寄せてきております。  同時に、もう一つ太平洋側プレートがありまして、これはフィリピン海プレートというプレートでございますが、これは伊豆半島の西部、そして遠州灘、九州、琉球の方にまでずっと続いておりますけれども、このプレート太平洋プレートよりはかなり小さいのですけれども、やはり毎年三センチぐらいのスピード日本列島に押し寄せてきて日本列島の下に沈み込んでいる、こういう図式になっております。  さらに、日本海側の方にもこういったプレートの境界がございます。こういうプレートが沈み込んでいくときに、日本列島を乗せた陸側の岩盤を一緒に下に引きずり込みますので、だんだん地殻の変形が進んでいって、やがてそれが限界に来ますとぽんとはね返るという、そういう図式の地震、これが日本の代表的な地震、つまり海溝型とか、あるいはその規模からいいましてマグニチュード八クラスの巨大地震と呼ばれるものでございます。  これらの地震は、プレートが直接押し込んできて発生するという仕組みのために、プレートの運動を直接反映いたしまして蓄えるエネルギーも非常に大きいのですけれども、繰り返し周期も百年ないし二百年、百五十年といったような繰り返し周期を持っておりまして、その規則性から、例えば東海地震のような場合にはある程度の予測を立てていこうということも十分考え得る地震ということが言えます。  一方、今度は内陸の方を見てみますと、たくさんの活断層日本列島には刻み込まれておりまして、その活断層、あるいは活断層として認識はできませんが地下に潜伏している、潜在している断層、そういうものも含みましてそこにだんだんひずみがたまっていく。このひずみがたまっていくもともとの原因は、やはり海溝型巨大地震原因と同じように日本列島に押し寄せてくる海のプレートの力によるものですけれども、何分にも内陸なものですから、まず第一に海溝型の巨大地震のためのひずみをどんどん蓄えていく、その波及効果として内陸にひずみを蓄えていきますために、そのひずみを蓄えるための時間あるいはひずみを蓄える割合が非常にゆっくりとしておりまして、一つ地震が起きてまた次の内陸地震が起きるまでの時間の間隔というのは数千年とか、場合によっては一万年とか、あるいはもっと長い場合があります。  そのために、同じ地震と申しましても、海溝型の地震は百年とか二百年とか比較的、人間の一生のスケールと比べても何とか私たちその間隔と比較できるのですけれども、内陸活断層あるいは地下に潜伏している断層に起きるそのサイクルというのは、数千年とか一万年ということになりますので、これをどう評価していくか、どう予測していくかということは大変難しいことになってまいります。このように、日本列島というのは、地震国といいましても、その地震の性質をいろいろ考えていきますとさまざまな地震があるということがわかってまいります。  今回、三月三日から起きた伊豆東方沖群発地震でございますが、これもやはり群発地震という、地震という名前はついておりますけれども、そもそものこの原因マグマが主役でございます。伊東の沖合、恐らくは十数キロのところにたまっているマグマが何らかの原因によって海底に出口を求めて上がってくる、上昇してくるわけでございますが、そのときに周りの岩盤をめりめりと割るわけです。この岩盤を割るときのピシピシといった割れる音が無数の群発地震となって観測されるということになります。  そしてさらに、このマグマがだんだん上がってまいりますと、時として伊豆の沖合の海底の中に隠れている潜伏断層、これは活断層によく似た性質のもので、ひずみを蓄えている断層が横たわっていて、そこにマグマが上がってくることによって誘発されて地震が起きます。今回の場合も、四日にマグニチュード五・七という地震が起きましたが、これは群発地震の中に紛れ込んで発生をいたしましたけれども、よくよく見ますと、これは横ずれ断層がずれ動いて起きた地震ということになります。  そしてさらに、一九八九年に実際に起きたことですけれども、マグマがいよいよ浅いところに達しまして、そして海底に顔を出しかけますと、海底の海水と接触いたしましてマグマ水蒸気爆発、つまり非常に高温のマグマと海水が触れることによって水蒸気爆発を起こす。これは噴火と言えますが、噴火が起きるわけです。  伊豆の場合には、群発地震、中規模の地震、そして噴火、この三点セットというものが一九八九年に実際に起きましたが、多くの場合は群発地震で終わる。日本列島の中にも火山の筋がずっと北海道から東北をよぎり、そして富士山、箱根、伊豆、それから伊豆諸島につながっておりますが、その地域では伊豆と似たような非常に浅い場所で発生する群発地震が起きる場所があちこちに見られます。この群発地震というのは、先ほどから申しております海溝型の巨大地震とか内陸地震とはまた性質の異なる地震でございます。  ところが、では群発地震というものがそれだけ単独で起きるかというふうに考えてみますと、伊豆の場合も比較的大ぶり地震が起きて伊東市を大きく揺するということがありますように、例えば日光とか鬼首とか、群発地震が起きている地域のすぐわきでは比較的規模の大きい地震が発生するという傾向があります。それはまだよく研究はされておりませんが、群発地震内陸型の地震というものは何らかの関係があるというふうに見るべきだろうと思われます。  このように、地震といいましても、我々人間の病気と同じように、さまざまの種類のもの、大きさのものがございますので、私ども、なかなか知識が完全に、地震のいろいろなことについて調査がついているというふうにはまだとても言えない状態でございます。  さて、地震の最近の傾向について申し上げますと、東海地震とかあるいは首都圏南関東直下地震とか、近い将来襲ってくるであろうさまざまな地震についての議論、調査がなされております。  東海地震につきましては、皆さん御存じのように、一九四四年の東南海地震のときに本来は東海地域地震震源域になるべきであったのですが、何らかの理由で割れ残りまして、その一つ前の安政の東海地震以来ひずみを蓄えに蓄え続けてきて、今や臨界状態に達しているということが地震学者の共通の認識でございます。そういう状態にありますので、東海地域というのは特別の二十四時間監視の体制がとられております。  一方、南関東について申し上げますと、一九二三年に関東地震がありました。その一つ前は一七〇三年に元禄の関東地震というのがありました。つまり、関東地震というのは、東海地震と同じように、これはフィリピン海プレートでございますが、海のプレート日本列島の方にどんどん沈んでいく、そのときに日本列島を乗せた陸地を下の方に巻き込むように押し込んでいく、そしてそれが限界に達するとはね返るわけですが、関東地震東海地震もほぼ同じような原因で起きる巨大地震でございます。  元禄の関東地震は一七〇三年に起きたわけですが、関東地震が一九二三年、大体二百年に一度ずつ起きる。ところが、関東地震というのは元禄に比べますと若干小ぶりだったと言われます。次の関東地震がいっ来るかということでありますけれども、大正の関東地震小ぶりであったということは、元禄と関東の二つの巨大地震の間が二百年でございますが、あるいは二百年もしないうちに次の関東地震が来るかもしれません。しかし、それにしても恐らく百五十年とかそのくらいの間を持って発生してくるでしょうから、今我々は関東地震の発生から七十年ちょっと超えたところでございます。道のり三分の一へ来ているということでありますが、ひずみも実際にいろいろ測定をしてみますと、次の関東地震を起こすまでのエネルギーのほぼ三分の一が地下に蓄えられているということが見当がついております。  そういたしますと、まだ三分の一だから安心だろうというふうに思いがちでございますが、決してそうではありません。既に国土庁中央防災会議が平成四年に南関東直下地震の「ある程度の切迫性」という表現で大綱によって示しておりますように、七十年たって南関東直下の随所にひずみが少しずつたまってまいりますと、関東地震ほど大きな地震ではありませんけれども、それよりも一回り小さい、一回り小さいといいましても、関東地震マグニチュード八クラスの地震ですから、神戸くらいになるわけですね。マグニチュード七クラスの地震ということになります。  マグニチュード一つ違いますとエネルギーが三十倍違いますので、神戸のような地震を十数個から二十個あるいは場合によっては三十個ぐらい束ねたものが関東地震でありますから、その一回り小さい地震、といいましても相当大きな地震ですけれども、そういうものが南関東直下の不特定の場所で次々と発生してくる可能性が生まれてくるわけです。  これは何も推測のものではありませんで、実際に元禄の地震、そして大正の関東地震のときにも、関東地震が発生してくる相当前から南関東はだんだん地震活動は活発になってきて、そしてやがて親玉の地震関東地震が発生する、こういう時系列的な流れがございます。  一九二三年の関東地震が発生して、直後は関東地域一円は関東地震の余震が発生いたしますために相当騒がしかったのですが、一九三〇年代の後半になりますと相当余震活動もおさまって、南関東一帯は非常に静かになりました。そして、一九四〇年、五〇年、六〇年と、南関東は本当に地震のない、地震を忘れてしまうかのような状態が続いておりました。  ところが、一九七〇年代に入りますと、これは南関東とは言えませんが、南関東の西のへり、伊豆伊豆半島沖地震というのが一九七四年に始まりまして、それがどんどん活動が北に上がってきまして、現在見られるような伊豆東方沖地震につながっていったわけでございます。  このように、伊豆活動が一九七〇年代、七四年から非常に活発化の傾向を示し始めている、そういう流れの中で、一九八〇年に関東では千葉中部地震というものが発生いたしました。一九八〇年の千葉中部地震のときには、報道の内容を見てみますと、関東にもこんな地震が起きるのかというような驚きの感じを含めた報道がされておりました。この千葉中部地震というのは、マグニチュード六の地震でございますからそう大きい地震ではありませんけれども、若干の被害を出しました。その次、一九八三年になりますと、山梨県東部で死者二名を含むマグニチュード六の地震が発生いたしました。  このように、山梨県東部とか千葉県中部あるいは千葉東方沖、房総ですね、そして茨城県あるいは茨城県・千葉県県境といったところでぼつぼつと若干の被害を伴うマグニチュード六クラスの地震が見えるようになってまいりました。これの始まりが一九八〇年でございます。  この一つ一つ地震をよくよく見てみますと、実は突然マグニチュード六の地震が顔を出したのではなくて、例えば山梨県東部の場合には、関東地震のときにその前後に非常に大きな地震が集中して発生いたしました。関東地震の前にも、それから関東地震の直後には関東地震の余震が発生いたしまして、その中にはM六、M七の地震が入っておりますが、関東地震が発生して非常に静かになったわけです。  ところが、一九六〇年ぐらいからぼつぼつと目立った地震が起き始めて、まだそのときは小ぶりだったのですが、そしてマグニチュード五クラスになって、やがて六の被害地震が発生したということで、非常に地震の規模が時間とともに大きくなっていって一九八三年の被害地震に及んだという流れがございます。  最近の活動を大体見回してみますと、このように、関東地震震源域ではまだ非常に静かなんですが、その外周り地域では既に直下地震の兆しを思わせるような地震がぽつぽつとあらわれてきているということが申し上げられるかと思います。そういう意味で、南関東というのは、国土庁中央防災会議の大綱に述べられておりますように、だんだん大ぶり地震外周りから発生してきつつあるということは、私どもは実際の観測の事実として十分心にとめておかなければならない事実かと思います。  それと同時に、地殻変動の方でございますが、建設省国土地理院が全国の地殻変動調査を行っておりますが、その中で、関東地域を見てみますと、やはり先ほど申し上げましたような、地殻ひずみが関東地震のとき解放したものの量の三分の一は回復している。それから、最近のGPSという宇宙技術を使いました地殻変動の測定によりましても、時々刻々関東直下にはひずみが蓄積されているということが手にとるように見えるわけでございます。  そういう意味で、南関東というのは、既に直下地震に向けてのあるステージ、つまり静穏期を終えて活動期に入りつつある状況にあるということが言えるのではないかと思っております。  さて、今度は、伊豆半島を挟みまして西の東海地域は、今申し上げましたように、既にいつ大地震が起きてもおかしくない状態ということでありますが、さらに西の東南海の方に行きますと、一九四四年に東南海地震が起き、一年置いて一九四六年に潮岬沖を震源とします巨大地震南海地震が発生したわけですが、東南海地震というのが次にまた襲ってくるわけです。それはいつごろかということは今はっきりは申し上げられないわけですけれども、恐らく今から四十年ぐらいいたしますと、東南海地震が発生してくるという可能性が非常に高まってくると考えられております。  そういうことを考えていきますと、南関東直下、それから東海東南海、そしてさらに西側の南海地震というものは、これは避けられない、非常に規則的に繰り返してくる巨大地震でありまして、これが発生いたしますと、沿岸部は大きな津波に襲われる、それから内陸沿岸部には大きな地震の震動によりましてさまざまな被害が生じるということが十分考えられるわけでございます。  さらに、東北の方へ目を移しますと、三陸沖では津波地震という特別な地震が発生いたします。これは、日本列島に押し寄せてくる太平洋プレート日本列島の陸を巻き込むというスタイルの地震ではございませんで、太平洋プレートそのものが引っ張られてぽきっと折れるという表現が適当かと思いますが、太平洋プレートが折れてずるっと先端の部分が沈み込んで、引っ張られてずれていく、そのときに非常に大きな海底の沈降が発生いたしまして、その結果、ぐっと上下に地盤が動きますから海水が移動して大津波が発生いたします。  この型の地震というのは、地震の震動は陸上ではほとんど感じない、若干小さな地震が沖合で起きたなというぐらいなんですが、そのかわり大津波が襲ってくるという恐ろしい地震でございます。このような津波地震というものをも含めて、東北の三陸沖から一帯は十分注意しなければならないということになります。  太平洋沿岸は、おおむね、そういうものをずっと見てみますと、北海道東方沖、そして浦河沖十勝沖三陸沖、そして宮城県沖、福島県沖というふうに、それぞれ大きな地震の巣がずっと日本列島に沿いまして、これは日本海溝に沿ってですが、ずっと並んでおります。伊豆半島を越えまして西の方には、東海東南海南海という巨大地震の巣が並んでいる。そういう意味で、日本列島太平洋側には巨大地震の巣が並んでいるという図式になっております。  一方、日本海側の方を見ますと、最近起きたことですが、奥尻島で大津波が襲いました。マグニチュード八には至りませんが、それに近い地震が発生いたしました。一九六四年には新潟地震というのがありましたが、その後、一九八三年になって日本海中部地震、そして奥尻島を大津波が襲った北海道南西沖地震、そして一九四〇年代には積丹半島沖地震というので、日本海側にも大きな地震が発生するメカニズムが潜んでおります。  内陸には、既に申し上げましたような活断層にひずみがたまって、非常に長い繰り返し周期でございますけれども、内陸マグニチュード七ぐらいの地震、例外的に一つだけマグニチュード八の地震がございますけれども、内陸でも地震が発生する。  そして、火山地帯に沿っては、群発地震というものが、さらにそれとはまた別の性質の地震が発生する、こういった状況でございます。  こう見ていきますと、日本列島というのはどこをとりましても地震だらけというふうに考えられるわけでありまして、実際に、例えば原子力発電所を設置するときの立地を考えますと、まずどこに設置してもマグニチュード六・八ないし七ぐらいの地震は起きるものという前提で考える、しかもその周辺で歴史上最大どのくらいの地震があったかということも勘案するという、非常に慎重なといいましょうか、非常に最悪の事態を考えて立地を考えていくという立場をとっておりますが、それは日本列島というものの成り立ちを十分考えた非常に妥当な対応であろうと私は考えております。  南関東地震ということに、今度は首都圏にもう一度戻らせていただきますが、関東地震というものを軸に地震活動が推移してまいりますけれども、今、関東地震から七十年たって、また活動期に入ってくるという事態に入りつつあるわけですが、日本列島地震というのは、空間的にどこにどういう地震が起きるというだけではなくて、今度は、静穏期活動期という時間軸で見たときの推移が、消長がございます。  そのために、例えば新しい都市、首都の移転という問題を考えますと、どのくらいの時間の範囲を考えてその新しくつくる都市を考えていくかということによりまして、かなり問題が変わってまいります。  つまり、非常に大きな地震が起きたすぐ直後を考えますと、その先相当長い期間静かな時期が必ず来るでしょうけれども、かなりせっぱ詰まった、つまりひずみが満期に近づいている場合には、今は静かなようだけれども、その次のステージには近いうちに大きな地震が襲ってくるという、そういう繰り返しがございますので、地震の問題は、空間的な問題だけではなくて、そういう大きな地震がどのくらいの繰り返し期間で襲ってくるかということと組み合わせて考えていく必要があるのではないかと思います。  以上、日本列島地震環境ということ、日本列島仕組みと、それから日本列島で発生する地震の種類ということについて私の考えをお話し申し上げました。  どうもありがとうございました。(拍手)
  6. 松本委員長(松本龍)

    松本委員長 ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。     ─────────────
  7. 松本委員長(松本龍)

    松本委員長 これより参考人に対する質疑を行います。  この際、委員各位に一言申し上げます。  質疑につきましては、理事会の協議により、一回の発言時間は三分程度となっておりますので、委員各位の御協力をお願いをいたします。また、御発言は、挙手の上、委員長の許可を得た後にお願いをいたします。発言は、着席のままで結構です。
  8. 根本委員(根本匠)

    根本委員 自由民主党の根本匠です。  ただいま大変貴重な御意見をお伺いしまして、ありがとうございました。  ここは首都移転特別委員会ということですから、地震の問題はそれぞれの、今の東京の現状、これからどうなるのかという今の首都状況と、それから移転候補地が十カ所程度あるわけですが、その移転候補地が、空間的に見て、そして、特に先生最後に御指摘になった時間軸という観点を取り入れた場合に、それぞれの候補地がどのような状況にあるのか。来年に候補地を選定するということでスケジュールが進んでいますから、この点が首都移転候補地を選ぶ九つの条件のうちの重要なポイントだと思うんですね。その点で、今の移転候補地の空間的な、時間軸を入れた、要は地震に対する脆弱性の程度、逆に言えば安全性の程度、それがどういう関係になるのかということを一つお聞きしたい。  それから、地震の予知問題観測システムが近年急速に進んできてというお話がありましたけれども、地震の予知あるいは観測システム、例えば、阪神大震災のときに非常に活断層が有名になりまして、ただ、あれは全国に活断層いろいろ走っているんだけれども、それを全部調査するにはあと十年ぐらいかかる、資金的なこともあって。ということも言われておりますが、そういう観測あるいは地震の予知という研究開発の進展状況、つまり、急速に進んでいるというお話がありましたけれども、その辺の予知を含めた地震の観測システム、これのこれからの状況がどうなるのか。この二点についてお伺いしたいと思います。
  9. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 第一点目につきましては、今の段階で、どの地域地震のサイクルから見てどの程度安全でどの程度危険性をはらんでいるかということをかなり確実なというか確度の高い話として申し上げるほどの知識を我々は持ち合わせておりません。  ただ、それぞれの地域の一般的特性と申しましょうか、先ほど申し上げましたプレートの沈み込みとの関係で、過去にどういう地震が起きて、少なくともここ一世紀ぐらいの間の蓄積された知識から、どういう種類地震が起きるであろうかということはある程度申し上げられると思います。  地域を特定してどうこうというのはなかなか難しいんでございますけれども、例えば北関東全般を見てみます。北関東は、栃木県とかそういう地域はございますが、私どもも栃木県にはしょっちゅう観測に行っております。栃木県の付近には、宇都宮の北、今市、日光とありますが、日光は、昭和、北関東で名立たる群発地域でありまして、その地域で小さな地震を観測いたしますと、マグマからの反射波が非常に明瞭に観測できます。ただし、そのマグマはすぐ噴火につながるというようなものではございませんが、やはり火山前線という火山地域であります。  そのそばには今市地震という地震がある。これはマグニチュード七には達しませんが、そういう地震発生いたします。すぐその北には田島地震、会津田島でございますが、田島地震というやはり今市地震と同じような地震が一九四〇年代に起こっております。  これは大体栃木県北西部からずっと東北を北に上がっていく火山の並びの地帯ではいずれも共通性質でありまして、非常に大きな被害を及ぼすものではございませんけれども、特徴として挙げられるのはそういうものです。  それから茨城県の方に行きますと、茨城県では、茨城県南部、南西部の地震というのはしばしば起きます。これは茨城県沖から沈み込んでくる太平洋プレートと、それから相模湾から沈み込んでくるフィリピン海プレートが、深さ七十キロぐらいですが、そのくらいのところで二つの海のプレートが接触し合っております。そのために非常に頻繁に地震が起きまして、その揺れば東京でもしばしば感じられますが、深さが非常に深い。そのために、過去に大きな被害を生んだことはございません。  ただ、たびたび揺れますので、しかも揺れば決してそう小さいものではありませんので、被害には及ばないけれども、かなり、震度四とかあるいは震度五ぐらいのことになる場合にちょっと不安になるということはあります。そういう特徴を持っております。  今度は茨城県の沿岸部になりますと、茨城県沖地震というのが起きます。しかし、ここでは一番大きい地震が起きても、過去にはマグニチュード七でございまして、三陸沖のような大津波が襲ってくるというような地震がそこで起きるわけではございません。  そういう意味で、茨城沖と栃木県のあたりは、若干状況は違いますけれども、非常に大きな被害というような地震を起こすものが潜んでいるかどうかということは、今までの地震の観測等から見ると比較的今安全な地域ではなかろうかというふうに思います。  それから西の方に参りますと、これは東海から浜名湖、そしてさらに愛知県知多半島、この沿岸部というのは、先ほど申し上げましたように、すぐ沖合巨大地震発生いたしますから、繰り返し周期は百五十年とか二百年ぐらいのものでありますけれども、非常に津波が襲ってくる。それから当然大きな揺れも来るということです。さらに、内陸に入りますとたくさんの活断層がございます。  そういう意味で、地域地域によって地震性質、起こり方がかなり違うということが申し上げられるかと思います。  それから二番目の地震の観測でございますが、地震の観測にはおおむね二つございます。一つ地震性質そのものをよく研究して、そして予測に結びつけていくというものと、それから、地震発生した後に初動体制を立ち上げるためのリアルタイム地震学と申しましょうか、震度計を置いて、それをすぐ行政の防災担当のところに集中して、どこでどれだけ揺れたかというものをつかんですぐ出動する、そういう計測震度計のネットワークというものが今構築されつつあります。  この二つはかなりその目的が違いまして、予知、予測をねらう観測の方は、たとえ非常に小さな地震であっても、つい先年の十月五日には静岡県の川根という直下でごくごく小さい地震が起きましたが、それでもその性質が非常に心配な性質のものであれば十分それを追及していかなきゃいけない。しかも二十四時間もうずっと連続で観測する。人間の体の病気でいいますと、たとえ一ミリぐらいの微小がんであっても、それが悪性のものであれば十分注意、分析して、大きな地震につながるものかどうかということを研究していかなければいけない、そういうものが東海地震の予知のための観測でございます。  一方、大地震が起きた直後にどこがどれだけ揺れるということを調べるのはまた別の問題でありまして、震度計を置いて、そして大きな地震が起きたとき、そのときにどの地点でどのくらいの被害が起きているかということを判別する観測がございます。  これは各自治体等が今大いに進めているところでありますが、ここに一つ問題がありますのは、非常に進んだ技術が取り入れられてはおりますけれども、こういった観測というのは、いつも大きい地震が起きるわけではございませんので、最初つくった段階では非常に機械も新しく、つくった人はそこに張りつくわけですが、時間がたつにつれ、一年二年たっても大きな地震が起きないうちに人員配置とかあるいは更新の問題が出てきて、恐らく、何年かするうちに、だんだんその機械を使うことも、十分習熟した者もいなくなって、そしてそのときに大地震がやってくるというようなことがあるのではないか、それが一つ懸念されるところであります。  地震の観測技術が進んでも、それを動かすのは人間でございますので、その人間がどのくらいそれに十分張りついて、十分機能を発揮するようにそれをオペレートしていくかという問題が、とりわけ後者の、大地震が起きた後の初動を立ち上げるというところでは今問題になっております。
  10. 玄葉委員(玄葉光一郎)

    ○玄葉委員 どうしても同じような質問になってしまうのですけれども、国会移転委員会ですから、今の根本委員と同じような質問になってしまうと思います。  玄葉と申しますが、時間軸と空間軸で考えなければならない、グローバルとリージョナルとローカルという話がありましたが、ローカルな質問になってしまいますね。  今お話がいろいろありましたけれども、それでも起こりそうなところと起こりにくいところというのはどうしても存在するんだろうなというふうに思うのです。これは先ほど申されたように、空間軸と時間軸と総合して、これはまだしっかりとした蓄積されたデータはありませんというお話でありましたけれども、これはっくつていただかないと、なかなか審議が有意義なものにならないというところが国会移転審議会の中で出てくるんじゃないかというふうに思うのですね。  今さっとお聞きしても、結局、地震は大まかに言うとプレート型と活断層型があって、例えば空間軸だけで考えたら、要はプレート型の地震が起こりにくいいわゆる内陸部、それで、内陸部の中で活断層がないところというふうに素人目からまず単純に考えられるわけですね。  それにプラス時間軸を考えていったら、なかなか起こりにくいところというのは見出されてくるのかなと思ってみたりするわけですけれども、これはぜひ、これから国会移転審議会が恐らく現地調査なんかを十カ所、十五カ所、何カ所になるかわかりませんが、していくと思いますが、やはりそれぞれについてデータをきちっと整理をしていただいて、御説明をぜひいただきたいなというふうに思うのです。  ぜひ、先ほどのつけ足しになっても構いませんが、そんな観点でさらに補足いただければありがたいというふうに思います。
  11. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 今おっしゃったことは私非常によくわかります。これは立地の問題でございますから、サイエンスの問題として議論していることとは違う側面がどうしても出てくると思います。そのときに私どもが考えなければいけないのは、海溝型の地震、それから活断層、これはもう目に見えておりますから、それを十分調査して、それをどう評価するか。  もう一つ残こるのは、先ほども触れたかと思いますが、実は活断層と同じ性質を持ったものが存在するんだけれども、地下に隠れていて見えていないという場合があるんですね。それが実際に地震を起こした例がたくさんあるんです。そういうものが調査が進む間に、つまり、今盛んに国もいろいろ断層調査をしておりますが、活断層調査するときの手法がだんだん進みますから、そうすると、目に見えている活断層だけではなくて、地下に潜んでいる潜伏断層が見つかる場合がこれから出てくると思います。  例えば東京湾北部で見つかったとか、大阪平野の中にこんな断層があったとか、今後急速にそういう調査が進んでいく中で、我々今の時点で知らないものが見つかるということは十分考えられますので、それをどう考えていくかということが一つありますね。  ですから、まず実際に目に見えているものからきちんと評価して、その危険度をなるべく定量的に扱いつつ、そして今の段階では見えないけれども数年先を考えた場合には何かわかってくる、それをどう判断して、そして相互に比べまして、そして決断するという、その最後の決断がどうしても必要になりますが、そういうことを進めていけば絞り込みはできるわけであります。  絞り込んだ結果、例えば複数になった場合どうするかということ、性質が違う地震、でも、どちらが安全かと言われても困る、ただこれとこれは性質の違う地震であって、横並びで比べることは非常に難しいということもあろうかと思います。やはりそのときもまたある種の腹をくくるというか決断が必要で、これはサイエンスの問題というよりはやはり行政の問題になろうかと思いますが、そこへ持っていくまでのいろいろな評価というものはできるだけサイエンティフィックにやっていく。  そしてそこから先は、恐らく、横並びになってしまうこととか、あるいは将来もうちょっと時間を待って調査すればわかるかもしれないということがあるかもしれません。その場合には、やはり科学の領域ではなく行政の御判断で……
  12. 玄葉委員(玄葉光一郎)

    ○玄葉委員 ぜひ、その定量的なサイエンティフィックなデータを、もちろんそういう心構えで先生いらっしゃると思いますが、そろえていただきたいと思うんです、今でき得る範囲の中でですね。
  13. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 当然その評価は、現在の非常に未熟な地震学の中で行うわけですから、その幅がある。  私の希望といたしましては、新しくできる都市というものが従来型の都市と違って、地震に対して非常に強いものであると、それだけのアローアンスがふえますから一その部分が危険度とよくバランスできて選択肢がふえるという方向に向かうと非常にいいのではないかと思います。それは私の希望といいましょうか、願望でございます。
  14. 蓮実委員(蓮実進)

    ○蓮実委員 ちょっとお伺いいたします。  首都移転の大きな要素の一つはやはり災害だけに、本日は、非常に貴重なお話をお伺いできまして、大変ありがとうございました。  先ほどの根本理事からの関連でございますが、全国で今、約十カ所前後候補地が出ております。例えば那須とか福島はどうなのか。その危険のランクづけで、例えば、ランクづけでABCとかそういうことをつけて、そして分類ができるのかどうか、そんなことをお伺いをしたいと思うのですが。
  15. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 ABCということは、この安全度が一、二、三というか、それは手順から申し上げますと、先ほどの話に返りますけれども、できるだけサイエンティフィックにこれから調査を行いまして、そして国民だれから見ても、これは今の段階の知識ではやむを得ないだろうという一つの評価をして、そしてその後、これがABCだというそういう結論へ持っていくことは不可能ではなかろうと思いますが、今、私ここで、那須がAだとか、阿武隈山地がCだとかということは、私の知識では、そういうような目で地震をまだ十分見ておりませんので、これからいろいろ調査をした結果、こうだということは、あるいは申し上げられるかもしれません。
  16. 池坊委員(池坊保子)

    ○池坊委員 私、東京から京都に結婚いたしますときに、京都は地震がないから大丈夫だよと言われて結婚いたしましたけれども、昨年ですか、神戸地震が起きましたね。事ほどさように、一般的には近畿圏は地震がないと言われておりましたにもかかわらずあったということは、これからもっともっと研究すればそういうデータも出てくるとは思いますけれども、やはり思いもかけないところで地震というのは起こり得るのではないかと思うのです。  昔は、確かに、都市を選びますときには、天災のないところというふうに選んでまいりました。ですから、そういう意味で京都も選ばれてきたのですけれども、これだけ科学技術が発達いたしましたら、国会を移転いたしますときには、建物の構造を、十分に地震に耐えられるものをつくりますので、地震が起こるかどうかの予測に立って、起こらないだろうというところをわざわざ選ぶ必要はないのじゃないか。  むしろ、地震研究の方にお願いしたいことは、先ほどいろいろな種類地震があるとおっしゃいましたけれども、そのいろいろな種類地震に耐え得る建物とか都市整備はどうしたらいいかということの方が大切なのでないかと私は思うのですね。  仮に地震が起こらないというところを選びましても起こり得るかもしれないし、起こると言われているところを選んでも起こらないかもしれない、そういう未知数を多分にこれからも含んでいると思いますときに、大切なことは、地震に耐え得る都市計画なのではないか。  そういう点も連携をとって、建設省でしょうか、どこになるのかわかりませんけれども、住民の住まい、あるいは建物などにも配慮をしていただきたい、そういう意味での研究をしていただきたいと思いますのが一点と、もし今のように東京に直下型の地震が来るとしたら、私たちは、一体ここに住んでいる人間はどうなるのだろうか。国会移転をして国会は大丈夫だったけれども、ここにある企業並びに住んでいる人間は全滅あるいは半滅してしまうのか。とするならば、国会移転と同時に、東京の地震に対する整備というのもあわせてしなければならない、それは大きな課題だなというふうに思っております。
  17. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 第一点、京都のお話が出ましたが、京都は断層でできた盆地でございます。比叡山と琵琶湖の間には活断層が走っております。ですから、安全なところではございませんで、あれはまさに断層の上に立っている感じでございます。今、しばらくのところ静かなようですが、かつて京都は地震に痛めつけられたところであります。  それから、西日本は、一九四四年、四六年の巨大地震が起きる前には鳥取地震が起きまして、その後、東南海地震が起き、三河、南海地震、それから福井地震等々、実は半世紀さかのぼりますと、西日本も大きな地震を受けて一万人弱の人が亡くなったということが、ごく五十年前にあったわけです。  二点目の、防災に強い都市づくりということでありますが、実際、今の技術をもってすれば、私は素人でございますが、幾らでも強いものはできるわけです。ところが、経費との関係がありまして、絶対壊れない高速道路をつくって、国民がほとんど飢え死にするというようなことではいけないので、やはり、どのくらいの経費をかけて、しかも人が死なないぐらいに抑え込むかということがポイントだろうというふうに思います。  ただ、やはり地震国ですから、都市をつくるときに、どのくらい強い都市がつくれるかということは、我々日本民族のかなり長期的な展望でもって臨むべき課題だろうと思います。ただ、常につきまとうのは経費との問題でございまして、技術力をもって、経費を全然考えないでつくれば、相当強いものができるかと思います。  あと、実際に、国会を含めて移転されるその土地が、若干地震活動が高いといたします。そうしますと、やはり伊豆の場合も、ごらんになってわかりますように、揺れます。揺れると、どうしても人間というのは落ちつかなくなる。国の重要なことを審議する機関が揺れる、しょっちゅう揺れる場所の上にあるというのが、刺激になればよろしいのですが、どうかということ。  それから、同時に、実際に国家公務員の方が家族と一緒にそこに住まわれるわけで、そのときに、地面がしょっちゅう揺れる、あるいは群発地震が起きるとか、横を見たら火山が煙を噴いているのは景色はいいかもしれませんが、そういうことも、やはり、心理的な問題も含めて、なるべくなら安定した、よく調べてみてもそういう地震が余り来ないはずだというところが選べると本当によろしいのではないかと思います。
  18. 中島(武)委員(中島武敏)

    ○中島(武)委員 私、共産党の中島武敏でございます。  私は、首都機能移転に反対の立場なのですけれども、二つ伺いたいと思っているのですが、最初に伺いたいのは、今、首都移転誘致に名乗りを上げているところは十幾つかある、だけれども、そういうことにかかわりなしに、この日本列島全体を眺めて、先生、これは比較的な話です、比較的安全だなと位置づけていくというような感じで地方なり県なりの名前を挙げるとすると、どこになるのでしょうか。
  19. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 相対的な問題になりますけれども、東京に今首都がある、現在の東京と比べてより危険なところに移るというのは、やはりこれはよろしくない。現在の東京というのはどの程度危険かということの評価をした上で、そして、それに比べてどうかということになりますね。  東京の場合には、先ほどから直下地震のことを申し上げましたが、この地震というのは、よく誤解されるのですけれども、関東地震が再来するのではないか、起きたら東京が全滅するというふうに受けとめますが、決してそうではありません。  国土庁大綱にもありますように、直下地震というのは、ある意味での局地地震でございます。いろいろな詳しい調査は今東京都がやっておりまして、この夏に、恐らく被害想定の取りまとめが発表されると思います。その内容をちらちら見ますと、やはり、直下地震というのは、周りから救援できるという範囲のそういう地震なのですね。  ただ、東京の非常に密集した地域では、なかなか、被害を直接受けた場合には、大変な状況があります。それで、東京としては、恐らく、私などもそういうものをいろいろ見聞きするには、被害が起きたときに、どこか新しい首都があったとすると、東京で被害を受けた人がそこへ送られていって、そこにあいた病院があって、そこで十分治療を受けられるような、そういう感じになりますと、共存できる。そういうところは、やはりなるべく安全なところがいい。  そうしますと、先ほどから何度も出ておりますのをあえて申し上げますが、例えば栃木県は、そういう意味では非常に強烈な地震が来るという可能性の低いところですね。ただ、群発地震が起きたり、今市地震ぐらいのは来ます。  それから、阿武隈は確かに非常に頑丈な大地でございまして、太平洋側はいろいろ震動を受けるでしょうけれども、阿武隈の大地というのは比較的安定した地盤でございます。  それから茨城県南部、南西部も、確かに揺れますけれども、人命の損傷を受けるようなものではない。そういう感じで、いずれも、比較的日本列島の中では地震被害を受けにくい場所だ。  東京と比べますと、東京は地震が来ます。来ますけれども、先ほど申しましたように、関東地震の再来というのは、我々が生きている間には来ないわけですね。ですから、もし考えられるならば、東京で直下地震が起きて、関東地震ほどではないけれども、いろいろ傷を受けたりした人がいた場合に、大概の病院はもう満杯ですから、そういうところであいた医療施設があって、お互いに助け合えるような、そういう関係がもし生まれてくると、これは全く私の感じでございますけれども、非常にいい計画に発展し得るのではないかというふうに考えております。
  20. 中島(武)委員(中島武敏)

    ○中島(武)委員 ちょっとリージョナルに申し上げるところをおっしゃっていただけたら……。東京及びそれから──大変いいお話を伺ったと思っておりますが、もっと広げて日本列島……。
  21. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 日本列島全体からいいますと、北海道は、太平洋沿岸あるいは積丹半島の方、それからちょっとオホーツク海寄りというところは問題でございますが、札幌周辺とか、ああいうところは地震が今のところは非常に少ない。内陸部ですね。
  22. 坂本(剛)委員(坂本剛二)

    ○坂本(剛)委員 坂本でございます。  皆さん今まで出てきた意見と重複することもあるかと思いますが、本当に、さっきもお話出ましたように、阪神、宝塚などというのは一番安心だなんて言われていましたけれども、それがもろくも崩れたわけです。  今一番私が心配しているのは、この国会移転から離れて、津波の問題ですね。これに全然無防備なんですね、国民が。危機管理という点からすれば、行政も全く無防備に等しいと思うのですね。ちょっとした津波で、従前、昭和三十年、四十年代につぐつた防波堤は、構造上の欠陥いっぱいありますから、壊滅してしまいます。ですから、全然無防備なんですね。だから、三陸に大津波などというお話もありましたけれども、こんなの発表したら大騒ぎになるんじゃないでしょうかね。  とにかく、日本列島の沿岸で生活している人たちに対して、津波の危険性、それから危険度の強いところというのはやはり公表をして、政治、行政も含めて、危機管理体制を早く組むべきなんじゃないのかなと思うのですけれども、先ほど先生、未熟な地震学ではなどというお言葉があって、がっくりしてしまったのですが、これは言っても無理かなと思ったのですが、具体的に話が出てきたから今お聞きするわけなんです。  国会移転という面でも、今中島先生から、全く安全なところはどこなんだというお話がありました。これも当てにならないなとは思いつつも、北海道だって福岡だって本当に安全だというなら、日本人の危機管理からすれば、そちらへ移すのが私は当然じゃないかと思っているのですよ、二百キロ、三百キロ圏内なんて言っていないで、本当に安全だとわかるならば。  危険地区も予測のできないような、地下に潜っている見えない活断層などという話もありますので、それが発見されたころ、また新たな見えないものがあるなんて出てきはしないかなと思って心配するわけです。したがって、日本列島というのは、これは火山地震はつきものなんですから、これに対してどう我々備えていくかということも踏まえながら、安心なところもあるはずなんだろうな、こう思うのですね。  今、比較的ということでしか我々は議論できないわけですよね、国会移転。そういう場所をぽんと打ち出していただくと、かえってそちらに集中が起こってきて、今の三大都市圏が、集中が、都市の集積が分散されるのではないか、こんな気もします。北海道は全く安全だとか、あるいは福岡は全く大丈夫だと言ったら、五十年、百年後には、だっとこの列島が散っていくのじゃないか、そういうようなことも一方では考えてみてもいいんじゃないか。  したがって、阪神・淡路の後に、あれはどこで出したデータでしょうか、新聞に全国の活断層の分布図がありましたね。あれは信じていいのかどうか。海の津波の件と、あれを信じていいかどうか、これもぜひお伺いをしたい。
  23. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 先ほど、地震学は非常に頼りないと申し上げましたけれども、それはちょっと控え目に言ったのでありまして、非常に精密なことが言える部分もあります。  津波につきまして申し上げますが、気象庁がこの一、二年相当にハイテクを導入いたしまして、津波発生したらすぐ、二、三分以内に情報を出して、刻々津波は押し寄せてきますから、その押し寄せてくる水位を含めて情報を出していく。スーパーコンピューターを使いまして、津波の波形、波の形そのものを描いて、それをデータベースに入れておいて、それで三陸沖地震津波が起きたら、その波がどう伝わってくるかということを、昔はただ波の高さだけだったのですけれども、時々刻々の波の形そのものを再現して、そしてその地震状況や風向なんかによってそれを若干修正しなければいけないわけですが、そういう形で正確な津波の予報を出すというシステムを導入いたしました。  これは、情報としてそこの住民に伝えるテクノロジーとしては非常に高いもので、最近私の友人が、やはりギリシャとかイタリーでも地中海の地震が起きますから、その気象庁のテクノロジーを何とか自分たちにも分けてもらえないかと言うようなぐらい非常に高い技術を開発して、それを実際に実用化しております。  ただ、津波の予報を出す一番重要なことは、今の段階で気象庁は陸地に津波地震計を置いているわけです。本当は津波が起きるその場所津波計を置いて、海底ケーブルで持ってきて、そして気象庁なら気象庁で監視していますと、津波が起きた瞬間に、海水がぐっと盛り上がりますから、その分だけ海底の圧力が変わります。ですから、津波が起きた瞬間に、津波発生した、どのくらいの大きさの津波かというのが即刻わかるわけです。その技術は実はあるわけです。  それがわかれば、あと、津波相当スピードで、新幹線よりも速いスピードで襲ってきますけれども、三陸沖の場合には相当時間がかかるわけですね、何百キロ先ですから。その間に十分各漁民とか漁村では用意ができるわけなんです。  そういう津波計のネットワークというのをつくったらということは、専門家に非常に声は高いのですが、なかなかそこまで行かない。なぜかといいますと、海底ケーブルという、かなり経費がかかりますから、それで今のところは気象庁が陸上に地震計を置いて、陸上でつかまえたものでもって、どのくらいの津波かということを間接的に推測して、そして津波の予測を立てて「ひまわり」を使って全国に情報を伝える、そういう手続をとっております。ですから、近い将来もし予算的な措置が講ぜられるならば、津波計を本当の震源地に置けば、津波被害というものは相当に防げるというふうに考えます。  あと、安全度、絶対安全ということがございますが、もし仮に、ある場所、ここは安全だと思ったところに活断層がないといたしましょう。ところが、すぐお隣に、数十キロ離れたところには間違いなく活断層がある。  そうすると、その地震発生いたしますと、その揺れば地震波となって伝わってまいります。ですから、日本のような幅の狭い国、縦には長いでしょうが、ずっと日本列島に沿って断層があり、プレートが沈み込んでいるところでは、お隣さんの地震は自分の地震なんですね。揺れを感じますと、揺れからは避けることができません。ですから、例えば神戸活断層がずれ動いて、神戸の方は集中的にやられましたけれども、隣の地域にも大きな揺れが伝わって、周辺部は相当被害を受けるわけです。  もう一つは、一つ活断層が動いたことによって一お隣にもたくさん活断層があるわけです。神戸周りには無数と言っていいぐらい活断層がありまして、その神戸活断層が動いたことによって、そこのたがが外れたようになりますから、すぐ隣の断層に集中的にひずみがたまり始めるというようなこともありますので、隣の問題ではない、日本の場合には。そして、絶対に安全な場所というのはちょっと選びにくい。あくまで相対的に物を考えていかなければならない。  これは、日本列島の特性がそういうふうになっておりますので、今おっしゃったように、絶対に安全なところがあるとよろしいのですが、なかなかそれは難しいのではないか。相対的に安全なところをなるべく一生懸命探すということがせいぜいではなかろうかと思います。
  24. 渡辺(喜)委員(渡辺喜美)

    ○渡辺(喜)委員 いつもすっとんきょうな発言で申しわけありませんが、日本という国が地震の巣の上にあることは有史以前からそうなのだろうと思います。  そこで、これは先生の御学問とはかなり違ってきてしまうかもしれませんが、天変地異、とりわけ地震が一番大きなものだと思いますが、この天変地異が続発すると時代が変わっていくのかなという気がしておるのでありますけれども、そういうたぐいの御研究などをされておられる方はいるのでしょうか。
  25. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 特にいないと思いますが、地震学者は、知らず知らずのうちに一ずっとやはり昔からの地震を見ていきますから、そういった天変地異が国の状況を変えた、あるいはたまたま変えることになってしまったという例はよく知っております。  それで、随分古い話は私は知りません、私の知っている範囲で申し上げますと、一八五四年の安政の東海地震ですが、そのときにはちょうど日本が開国前夜でありました。ロシアの軍艦が、ディアナ号というのが下田に来ておりまして、そのときに大津波を伴った安政の東海地震が起きまして、そのロシアの軍艦はひっくり返って帰れなくなったわけですね。そのことによって幕府が倒れた、ある意味では、経済的ないろいろな状況もありまして。そういう非常に大きな時期に、国の変わり目、体制の変わるときに日本の代表的な巨大地震が起きた、しかも、ロシアの軍艦がそのとき津波によって難破したという、そういうような事件がございました。これが一つですね。  それからもう一つ、一九四四年、それから四五年、四六年と立て続きました東南海地震、三河地震、そして南海地震というのは、ちょうど日本の終戦ですね、一九四五年を挟んでその次の東南海地震が起きました。ちょうど百年とか百五十年というその間は、国の体制が大きく変わる。  ですから、一番最近でいきますと、幕府が倒れたとき前後に、開国前夜に巨大地震が起きた、全く同じ性質地震が同じ場所で起きたときが、終戦の前の年とその後の年、こういったこれらの例はよく引き合いに出されるのですけれども、最近そうだということです。  もっとさきに上りますといろいろあるのでございましょうけれども、国の体制というものがそう具体的に見えた時代でもないでしょうけれども、十九世紀からもう二度もそういうことが、たまたま、偶然と言っていいでしょうけれども、起きました。  そういうことについて研究したという人は私、まだ聞いておりません。
  26. 渡辺(喜)委員(渡辺喜美)

    ○渡辺(喜)委員 たまたまなんですか、因果関係が何かあるのでしょうか。
  27. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 日本の政治の体制のことは……。
  28. 中島(武)委員(中島武敏)

    ○中島(武)委員 もう一つ、ほかでもないのですけれども、私は、二月七日付で日本地震学会理事会が政府の地震調査研究推進本部あてに出した要望書、これを拝見して非常に驚いたのです。といいますのは、地震の観測網をしっかりつくって、それを解析をしたり、また広報したりということは非常に大事な問題だと思うのですけれども、その問題をめぐって外注化のおそれだとかいろいろ指摘されておりまして、それから、これに必要な人員というのも随分確保を要望しておられる。  そこで、これだけ今議論が沸騰したり、あるいは観測強化地域東海と東京と二つ設けたりしてやっているのですけれども、先生がおいでになるのだったら、この問題についてはかの御意見がなかったらですけれども、率直な意見を聞かせてもらいたいな、そういうことを思いました。
  29. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 これは非常に深刻な問題でございまして、地震学会の私どもの世代も含めて、私よりもずっと若い世代も含めて、今後の日本地震学を考える上で非常に重要な問題です。  日本地震の非常に詳しい観測が始まったのは一九六〇年代からなんですが、そのときには、各大学がそれぞれ機械を開発いたしまして全国に地震観測網を展開して、それはそのときの一番若い世代の研究者が、自分でネットをつくり、そして自分でデータを読み、そしてこれまで非常に正確なデータを積み上げてきたわけです。そういういきさつはずっとあったのですが、それまでは、ですから、文部省が中心、大学中心で積み上げてきたのですね。  その流れ神戸地震でもって大きくさま変わりしようとしております。大学に任せていた観測網を一元化という名のもとに集約して、どこかでまとめてやる。  ところが、正確なデータというのは、本当に研究者が自分のフィールドを愛して読めばこそ正確なデータが出てくるわけですね。そういうものをまた別のものに切りかえていく、一元化のもとに。そして、それを一カ所に何か集めて外注に出すというようなことになったときに、なろうとしているわけですが、果たしてそのデータというものは、これまで研究者が本当にすべてのエネルギーを注いでやってきた、そういうレベルのものであり得るのだろうかということが非常に心配です。今後研究を進めていくためには、やはり高いレベルの観測精度というものを維持していきたい。これを落とすことによって、何か一見、見かけ上能率を上げる、そういうことは今後の研究の成果にとって大きなマイナスであろうという危機感を持った人は大変多いわけです。  もっと具体的にはいろいろありますけれども、どういうところがどう外注しようとしている、あるいは、どこの省庁がどういうようなことをしようとしているのかとか、いろいろありますけれども、それは省略いたしまして、基本的に言いますとそのことに尽きるわけです。もし精度が十分どのような方法であろうと維持できるならばそれでよろしいのですが、その保証がないと私は思います。
  30. 中島(武)委員(中島武敏)

    ○中島(武)委員 ありがとうございました。
  31. 松本委員長(松本龍)

    松本委員長 ほかにございませんか。  それでは、私の方からちょっと最後に質問をしたいと思うのですが、お話をお伺いしまして象徴的でしたのは、やはり、日本列島の成り立ちから、先ほど原発などはマグニチュードの六から八に備えるだけのものが必要だというふうに言われましたが、まさに私はそうだろうと思います。  そういう意味で、先ほどの池坊さんの話に絡むのですけれども、耐震性をしっかりして、経費はかさむけれどもタイトな建物を建てるのが一番だというふうな話ですけれども、日本は災害国でありますので、防災の面から、どこに立地をしてもこれだけ必要なものが要るんだ、空間が要るんだ、あるいは緑が要るんだということがあると思いますけれども、耐震性の高い建物のほかに、最低必要なものということでいえばどういう事柄がありましょうか。
  32. 溝上参考人(溝上恵)

    溝上参考人 私は地震以外のことは全くの素人でございますが、やはりそこに多くの方が住まわれるわけでございますから、何といいましょうか、筑波の学園都市をちょっと想像するのですけれども、非常に限られた職種の人が、限られた世代といいましょうか、そういう人たちがっくるコミュニティーというものが人間的に必ずしも住みやすいところではない。ですから、もし新しいところができても、国家公務員と議員と最高裁の判事だけが住んでいて、あと若干のそれ以外にサポートする人が住んでいるというイメージはちょっと私にはわかないのです。  筑波学園都市では自殺が続きましたね。あれは、今でも決してあそこは住みよいところと言っている研究者はいないわけです、もちろん筑波おろしがございますが。やはり町というのは、私の感じでは、いろいろな人が一緒にごちゃごちゃ住んでいて、人間的な温かみというものを伴う都市、ヨーロッパの都市もそうですよね、古い都市は。そういうところがあればこそ、我々はあこがれてあそこへ行って、何となくリラックスするというところがありますが、つくられた都市の冷たさというものが、果たして、国会がそこに移転して国の非常に重要なことを審議なさるわけですが、冷たい人工的な都市で、官僚、国家公務員がいて、それ以外は実質的には何もないところというのは、余り都市という気はしない。ですから、何か二十一世紀に向けて、人間らしい姿をその中に加味していただく。  それと、東京との関係も、やはり東京はいろいろな問題を抱えておりますけれども、東京がさらに伸びていくために新しい都市がそれをサポートしていくというような感じになれば、東京とのいろいろな関係も非常にうまくいくのじゃないか。今、私が見たところ、必ずしもうまくいっていないのじゃないかという気がいたしますが、いかがでしょうか。  そういう感じです。
  33. 松本委員長(松本龍)

    松本委員長 ありがとうございます。  以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人に一言お礼を申し上げます。  溝上参考人におかれましては、貴重な御意見をいただきまして、まことにありがとうございました。委員一同を代表いたしましてお礼を申し上げます。  次回は、公報をもってお知らせをすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午前十一時二十一分散会