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佐藤(剛)
委員 委員長また
小泉大臣、私は国を愛する
政治家の一人でございます。いろいろ若い
人たちに、国とか
民族とか、そういう問題についていろいろ私なりの教えをいたしておりますと、そこにぶつかる問題が戦後
処理の問題でございます。愛国心という、あるいは
日本民族の何たるかという問題についていきますと、戦後、
シベリア問題というのが、しっかりと解決できずに来ました問題にぶつかるわけでございます。そういう観点で私は
質問をさせていただきたいと思うわけでございます。
ちょうど、あのペルーの
日本国大使公邸の前で防弾チョッキを着まして指導をしていました
フジモリ大統領、あの姿を見ますと、私は、
フジモリ大統領の姿が
国家そのものであり、
国家とは何かということを考えさせられるわけであります。
したがいまして、
幾ら国を愛せとか、国のことを考えよといいましても、過去の清算ができていない国に本当の国を愛する心は生まれない、このような
立場に立ちまして、私は、
政治家になって以来、
シベリア問題に対応してきたわけでございます。
私は、国会において、過去二回にわたってこの問題を取り上げております。当時、
自由民主党が野党のときでございまして、
羽田内閣の時代に取り上げさせていただきました。
御
承知のように、
シベリア抑留の
本質というものは、一九四五年の八月十五日、
ポツダム宣言の
受諾後の問題でございまして、ちょうど
日本と
ロシアの間に、のどにタイの骨が挟まっているような、何ともいまいましい
一つの問題であります。私は、
日ロ関係というのがうまくいかないのは、もちろん四島問題ありますが、どうもこの
シベリア抑留問題が
一つの大きな、その背後にある怨念みたいな問題があるのじゃないかという気がしてならぬわけであります。
御
承知のように、
シベリア抑留問題というのは、戦後に、
ポツダム宣言受諾後に、約六十万人の
日本人が
シベリアの極地に強制連行されました。そして、約六万人の人が亡くなった。この六万人の
人たちは、暁の太陽が出るのを待って、そして、寒さに凍えながら死んでいく姿でありまして、ちょうど歌で「
異国の丘」という、
今日も暮れゆく
異国の丘に
友よつらかろ 切なかろ
我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る 春が来るこの作詞は、私の地元、
福島の
増田幸治さんがつくったものでございます。
この
シベリア抑留問題の
本質は
戦争中のものと違う、戦後のものだということでございます。そして、亡くなった
方々は、戦後の平時の中におきます、
殺人行為が公認されている
戦争中の犠牲とは根本的に異なっているわけでございまして、私は、こういう問題、人道問題を解決しなければ
日ロ関係というのは前進しない、かように考えているわけでございます。そしてまた、この問題を解決しないと領土問題というものも解決し得ないのじゃないか、かように考えているわけでございます。
したがって、
捕虜というのは
戦争中のものでございますから、
捕虜という言葉は私は使わない。
抑留という形でとらえるわけでございます。この
シベリア抑留を受けた
人たちが、国を
相手に訴訟を起こしておりました。そして今般、このお配りしました、これは
平成九年三月十三日の
最高裁判所の
判決でございます。
最高裁判所は、御
承知のように、
憲法違反であるかどうか、
違憲であるかどうか、あるいは重大なる事実誤認があるかどうか、これの場合に
最高裁が
判断を示すわけでございます。
本件の場合につきましては、これは
違憲であるということで
原告側が
上告をいたしたわけでございまして、このお手元の
判示、
判決の
概要にあるように、
本件上告は棄却されました。
これが棄却された
理由として言っておりますのは――
憲法それ自身に
違憲するということでこの
原告が訴えたわけです。あの
強制労働の中で、そして寒い中で働いた
労働賃金、この
労働賃金が
未払いになっておる、この
労働賃金を払ってくれという話であったわけであります。
この
裁判所の
判断は、この一ページの中ごろにございますが、簡潔にして申し上げますと、
補償の要否及び在り方は、財政、経済、
社会政策等の
国政全般にわたった
総合的政策判断を待って初めて決し得るものであって、
立法府の
裁量的判断にゆだねられたものと解することが相当である。
つまり、
立法政策の問題である、かように言っているわけでございます。
それから、二枚目のところにも書いてございます。これは
原告側が、南洋の方、
イギリス領あるいは
豪州等のところで
労働に従事した
人たちが戦後おりますが、そういう
人たちには
日本政府は払っているわけでございます。当時におきまして、
ポツダム宣言後の独立前のような
状況の中でもありましたが、そういう中で払っておりますが、この
憲法十四条の法のもとの平等というところで訴えた
判示は、これもやはりこういうふうに言っているわけであります。
被
上告人が、
主権回復後において、
シベリア抑留者に対し
労働賃金を支払うためには、
総合的政策判断の上に立った
立法措置を講ずることを必要とするのであって、
憲法十四条一項に基づき、その
抑留期間中の
労働賃金の支払を請求することはできないものといわざるを得ない。
つまり、
最高裁が言っていることは、この
未払い賃金を払うかどうかというものには法律的な
根拠が必要である。つまり、
立法機関、行政を含めての問題だと思いますが、
三権分立のもとにおいて
司法権の
最高裁判所が
判示したものは、こういうものについての
根拠法がない、
根拠法があればこれは別問題である、この
根拠法をつくるかどうかはこれは
立法政策の問題である、かような形の
判示であるわけでございます。
その
意味におきまして、私が御
質問申し上げようと思っておりますのは、
最高裁の
判決についてこのような
趣旨があるわけでございますので、この
担当省といたしましては
厚生省、私はかように考えるわけでありますが、
関係の
外務省あるいは
総理府からも呼んでおりますけれども、かような
最高裁の
判決を受けてどのような形でこの問題に取り組むか、こういうことについての
見解を求めるわけでございます。これが私の本
質問の
趣旨でございます。
その前に
大臣、三枚目をめくっていただきたいのですが、これは一九九三年九月三日、
平成五年でありますが、
平成五年に当時の
大内厚生大臣に出しました、
ピホーヤという――これは
ロシアのこの
抑留名簿を持っていた、ちょうど図書館みたいなところでございますが、そこにこの
公文書があったのです。これは民間の力で見つかったのであります。そして、
死亡者の
名簿まで出てきたわけであります。そのときに出した非常に重要なる
文書でございまして、これが一九九三年九月三日、
平成五年であります。この
平成五年の九月三日というのは、実は、先ほどの
最高裁の事実審になっております
東京高裁、これの
判決が
平成五年の三月五日でございまして、約半年後にこの
ピホーヤ文書というのが出てきたわけでありまして、
東京高等裁判所はこの事実を存じていない
状況にあったわけであります。
それでは、いっこの
労働証明書というのが発行せられたのか。この三ページのところの別添一のところに書いてありますが、一九九二年三月二十六日、これは、
ロシア連邦が
政府決定をいたしまして、
労働証明書を出すということを
決定した重要な
時点なんであります。これは
平成四年三月二十六日ということになります。
つまり、どういう
時点かといいますと、
スターリン体制の
時点の中においては、この問題は、
シベリアに
日本人の六十万人を強制連行したということは
ロシアにとっては国禁であります。国の禁ずるものであります。そして、かような問題というものに対して、
スターリン体制のもとにおいては
労働証明書を出すなんということはとんでもない話であったわけであります。この
ロシアというのが、
スターリン体制が崩れて、そしてゴルバチョフが出てきて、そこから始まるわけでございまして、この
意味においてのこの
大内啓伍大臣あての
照会状というものもくっつけております。
つまり、
ロシアが
ロシア政府として
平成四年三月二十六日に
決定した、この
政府決定をしておりながら、
ピホーヤの
文書というのは、それから約一年半近くたって、
平成五年の九月三日でございますから、ここに、
日本に届いているわけでございます。
それから、さらに四枚目に、私が当時、
予算委員会において
質問をいたしましたときのもので、私のところに、本日来ております
ロシア課長の前の前の
課長だろうと思いますけれども、原田さんから、これはちゃんと
外交文書として来たのだろうという話をしたわけでありますが、それについて、この
口上書について
外交文書であるということをはっきりと、「一九九四年十月十八日
付口上書の写しの提出が要請された件につきましては、本
口上書が
外交文書であり、」云々言っておりますが、これを認めている。つまり、この
文書は
外務省も
公文書として認めているわけでございます。
したがいまして、どういうことになるかといいますと、御
承知のように、
日本政府におきまして、いわゆる
シベリア抑留問題あるいは軍恩欠格問題、こういう問題につきまして、
一つの
懇談会を
官房長官のもとに置きまして、そして、戦後
処理問題懇談会というのが置かれました。それで、その答申を出しましたのが一九八四年でございます。一九八四年でございますから、ちょうど
ロシア政府が
決定する八年前でございました。それに基づきましてこの戦後の
平和祈念事業等ができ上がっていたわけでございまして、当時のこの戦後
処理問題懇談会が出しましたときというのは
スターリン体制でございます。そういう中においてのものでありまして、また、
労働証明書というのを
ロシアの方は絶対出さない、当然のことでありますが、こういう
状況の中で行われたわけでございます。
かような異常な背景について、お配りの資料で
概要を御理解賜れると思いまして、確認の
意味で私はお配りさせていただいたわけであります。
そこで、御
質問を申し上げるわけでございます。
かような
状況の中で、
平成九年三月十三日、
最高裁判所が、
本件は
立法政策の問題である、法律が具体的な形でない限り、
憲法からすぐに、
憲法二十九条からとかあるいは
憲法十四条からとか、この
未払い賃金支払いの問題は出てこない。私もそれはよく十分理解するところでありますし、これはまことに当を得たものだと思いますし、
三権分立の中においてはそういうことだろうと思います。
そこで、
大臣、この
最高裁の
判決について、これをどのように――戦後のいろいろな歴史を調べてみますと、こういう
南方への
支払いについては、これは
厚生省が、
社会・
援護局がやっておりました。そういう
意味において、これは私は
厚生大臣の所管であると思いますので、
厚生委員会としまして、私は本問題を取り上げさせていただいたわけであります。もちろん、その後、
総理府において
特別年金の
対策室というのもありますし、それから、
ロシア課、
外務省としてもあるわけでありますし、私は、
外務省がこういうような問題について
日本と
ロシアの二
国間協議、例えば
次官会議の
協議とかなんとかにこういう問題について真剣に取り組むべきである。
特に、
ピホーヤの三ページにあります問題で、彼は重要なことを言っていたのですね。
ロシアと
日本の友好と
相互理解の発展を求め、私
たちは
東南アジア戦線から帰還した
日本の元
捕虜に対してすでに執られた本
問題解決の
方法にならい
日本政府が
措置を執られることを期待します。つまり、
日本政府はあの
イギリスとか
豪州と同じように、
日本で払ってください、こう
シグナルを送ってきた。それに対して、本来なら
日本の
政府というのは、
外務省というのがあるのだから、これについて真剣に、
日本と
ロシアの間の議題と取り上げて、
アジェンダに取り上げて私は議論すべきだと思う。
これについて、
ロシア課長に後ほど、
大臣の御
答弁をいただいてから、一体、
外務省は
本件の問題についてどのようにその後やってきたのか。私は、こういう問題をきちんとやらないと、四島問題なんというのは絶対に、金輪際解決できないと思う。私は、
シグナルを送ってきたら
シグナルにちゃんと答えてやるのが
外交の仕事だと思っておるので、それについて
見解を問わせていただきます。
それでは、まず
大臣から、
本件の
最高裁の
判決につきまして、こういう
立法上の
欠缺があるということを
指摘しているわけでありますが、それについての御
見解をお伺いいたしたいと思います。