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1997-04-18 第140回国会 衆議院 厚生委員会 第18号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成九年四月十八日(金曜日)     午前十時二分開議 出席委員   委員長 町村 信孝君    理事 佐藤 剛男君 理事 住  博司君    理事 津島 雄二君 理事 長勢 甚遠君    理事 岡田 克也君 理事 山本 孝史君    理事 五島 正規君 理事 児玉 健次君       安倍 晋三君    伊吹 文明君       江渡 聡徳君    大村 秀章君       奥山 茂彦君    嘉数 知賢君       栗原 博久君    桜井 郁三君       鈴木 俊一君    田村 憲久君       中野 正志君    根本  匠君       能勢 和子君    桧田  仁君       松本  純君    山下 徳夫君       青山 二三君    井上 喜一君       大口 善徳君    鴨下 一郎君       坂口  力君    福島  豊君       桝屋 敬悟君    矢上 雅義君       吉田 幸弘君    米津 等史君       石毛 鍈子君    枝野 幸男君       肥田美代子君    瀬古由起子君       中川 智子君    土屋 品子君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 小泉純一郎君  出席政府委員         厚生政務次官  鈴木 俊一君         厚生大臣官房長 近藤純五郎君         厚生省健康政策         局長      谷  修一君         厚生省保健医療         局長      小林 秀資君         厚生省薬務局長 丸山 晴男君         厚生省社会・援         護局長     亀田 克彦君         厚生省老人保健         福祉局長    羽毛田信吾君         厚生省保険局長 高木 俊明君  委員外出席者         議     員 中山 太郎君         議     員 能勢 和子君         議     員 福島  豊君         議     員 矢上 雅義君         議     員 五島 正規君         議     員 金田 誠一君         議     員 山本 孝史君         議     員 枝野 幸男君         議     員 北村 哲男君         議     員 秋葉 忠利君         衆議院法制局第         五部長     福田 孝雄君         法務省民事局参         事官      揖斐  潔君         法務省刑事局刑         事法制課長   渡邉 一弘君         文部省高等教育         局医学教育課長 寺脇  研君         厚生委員会調査         室長      市川  喬君     ――――――――――――― 委員の異動 四月十八日  辞任         補欠選任   江渡 聡徳君     中野 正志君   山下 徳夫君     栗原 博久君   家西  悟君     肥田美代子君 同日  辞任         補欠選任   栗原 博久君     山下 徳夫君   中野 正志君     江渡 聡徳君   肥田美代子君     家西  悟君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  臓器移植に関する法律案中山太郎君外十三  名提出、第百三十九回国会衆法第一二号)  臓器移植に関する法律案金田誠一君外五名  提出衆法第一七号)  健康保険法等の一部を改正する法律案内閣提  出第三六号)      ――――◇―――――
  2. 町村信孝

    町村委員長 これより会議を開きます。  第百三十九回国会中山太郎君外十三名提出臓器移植に関する法律案及び金田誠一君外五名提出臓器移植に関する法律案の両案を一括して議題といたします。  本日は、小泉厚生大臣出席を求めております。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。佐藤剛男君。
  3. 佐藤剛男

    佐藤(剛)委員 ありがとうございます。また、本日は、小泉厚生大臣に御質問機会を得まして幸いでございます。  最初に、私の感想を申し上げさせていただきますと、現在の委員会、本会議手続というのは、採決という委員会決議前提にしまして本会議に行くという、党議拘束前提にしました形であるなというのを、修正を出すような場合においても、それぞれの党の、自民党なら自民党執行部、あるいはほかの党においても同じような形になっているようでございまして、非常にやりにくい形になっている経験をしました。  私は、十五日に、金田案に対しまして動議提出いたしました。もちろん、衆議院法制局の審査を経たものでありまして、短時間の間に提出することができましたことを、この機会法制局敬意と謝意を表しておきたいと思います。  そういう前提の中で、もし政府案だったら楽だったのじゃないかなという感じを、つくづく感ずるわけでございます。  それで、十五日、私が当委員会金田案について修正提出しました提案内容は、皆様に配ってある動議でございますが、心臓は、臓器の中において他の臓器とは違う、鼓動する状況で移す生体間移植というのができない、生きている体間の臓器が生きないからどうするという話から出ているわけでございます。  そこで、法律では、「心臓その他の」という例示ということで、定める臓器を除くとしておりますが、私は、当面、心臓というものを政令に書く形で考えているわけでございます。その心臓について、第七条というのが、金田案には心臓摘出の条項になっているわけでありますが、その適用部分を除く。心臓の販売とかなんとかの罰則は全部かける、これはとんでもないことですから。ですが、そういう形で適用除外をする形態をとっておりまして、摘出する部分については厚生大臣が告示で定めます、定めるに当たっては国会承認を得ます。  その場合というのは、どういう条件が定まったとき国会承認を出すかというと、ゴーという信号であります、心臓についての移植ゴーという。これは、十分なる、総合なる移植形態ができている、外科医だけじゃなくて内科医もいる、看護婦スタッフもいる、あるいは法律家宗教家もいるような総合的スタッフ。  現状においては私はないと解しております。今、心臓移植をやりましたら、ほかの移植が全部とまってしまう。そして、免疫拒絶反応を起こす。一日千秋思いで待っている人たちが逆に、あした死んでしまうかもしれない。そういうふうなことを考えた上で、その間は、できるだけ早い機会ゴー信号ができるように、国もあらゆる、民間も財団などをつくったりして、心臓移植円滑財団みたいなものをつくってレシピエントに対する資金を援助したり、そういうふうな形をやって、国も中心的にやる。  別に新しい建物を建てる必要はない。ナショナルセンターでどこかの、例えば東京女子医大というのをやって、そこに看板を掲げる。それは東京支所大阪支所があってもいい。私は、せいぜい決勝戦に臨む、優勝戦に臨むぐらいじゃないとだめだと思っていますが、準決勝はだめ、準々決勝はましてやだめという形で法案を出したわけでございます。  その背景は、仮の話で申しわけないのですが、当委員会採決を経ずに本会議提出する可能性なしとしないわけであります。今、理事会でどうするかを考えているわけでありますが、その場合に、私にとっては極めて深い懸念があるからであります。例えば、両案とも否決される場合であります。あり得るのであります。棄権などによってあり得ます。この場合には、将来への臓器移植の道が全く閉ざされると考えるからであります。一日千秋思いで待っているレシピェント、患者さんたちそれからその家族、その嘆きを考えるとき、また、提供者ドナー善意、これにこたえられない。また、国内臓器移植が真っ暗やみになるわけでありますから、海外に移植のために出かけていって、それだけ余計に金がかかっていくという、ほかの国から見れば日本医療小国になるわけであります。そういうことを懸念いたします。  そしてまた、さらに大きな懸念は、中山案がなかったら、出なかったならば、プロフェッショナルクリークの中でガイドラインをつくって、そしてこれが死であるという形でできたものが、刑法上何も問題ない形ができた。告発されても違法性の問題というのは阻却される可能性が十分あると私は思いますが、今度は、二つの法律が出て、私も修正を出します。今、当委員会動議として出しました。そうしました場合には、日本法律には死の定義規定がありませんから、中山案が出るまでは死の判定は医者に任せられたわけでありますが、この両案が出されて、今日まで延べ七十九人の人が質問しているわけであります。こういう実態で、当委員会採決なしに本会議に行ったら、殺人罪の告発を受けた場合に司法官憲はそれにたえられないのじゃないか、取り調べをするのじゃないか。私は、違法性が阻却されないとする立場をとるわけであります。  したがいまして、我々、最高の立法機関としての義務は、どうにかこの二案が歩み寄って法律という形を出さざるを得ぬ、まとまるということが義務であると思いますし、そういう意味で、その歩み寄りの案を出したわけであります。しかし、いろいろ党内の手続の問題というのはあるのであります。判こを押すとかなんとかという問題はあります。そういうことで間に合わないので、十五日、私は出しました。  私自身は、ここで前から申し上げていますが、私は金田案にくみするものでありますが、本当は両方に出したかった、同じベースで。ところが、できないのであります、今の院の手続の中においては。これは直してもらわなきゃいけませんが。  それで私は、金田案に、出してください、修正してください、修正すれば私は撤回しますと。そうしましたら、金田案方々は集まって、中山案にも同じ規定を入れてください、同じ土台にしませんと、金田案の方が移植について非常に消極的だというニュアンスになってしまうと。これはよくわかるのです。それで私は、中山案に、中山先生に、そのようにしていただけないかと言ったわけであります。  そうしましたら、中山先生は、検討するという話をされたわけであります。そして昨日、私のところに、中山先生おっしゃられましたのは、これはどうなるかわかりませんが、十分その趣旨を理解して、いろいろ、大臣から答弁の機会もあるだろうし、あるいは院としての、衆議院としての決議という道もあるだろうし、そういう努力をしてみると。そういうことを、私はありがたく中山先生からお話をお聞きいたしたわけであります。  そういう努力というものを前提に今後進めるわけでありますが、このような状況にあるということは、大臣、やはり政府提案でないと、しかも党議拘束が外れておる、いわんや修正手続もやりにくいし、かく自民党の中において修正する手続、それは新進党においても同じです。民主党においてもそうです。社民においてもそうです。間違えたらお許しいただきたいと思いますが、みんなそうだと思うのです。みんな判こが要るのです。そういう面でまことに、非常につらい経験をいたしたわけであります。  委員長、この面につきましては、議運等におきまして、私の発言としてテークノートを、そして、その御連絡をお願いいたしたいと思っているわけであります。  大臣、このような状況にある中で、大臣は、この法律というものがどのように、大臣として、厚生大臣としまして臓器移植に関してどのような考え方をお持ちで、どういうふうな形で進められるのがいいのか、その御決断、御判断をできればお願い申し上げたいと思っております。
  4. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 長年この問題にかかわってきた方々法案提出され、審議を重ねて、ここまで多くの国民の関心を集め、いよいよそれぞれの議員も賛否の判断をしなきゃならない状況まで議論を進めてきた御苦労に対しましては、心から敬意を表したいと思います。  私は専門家ではありませんから、死とは何かという定義専門家に任せるにしても、今の臓器移植医学の進歩、昔では考えられなかったことでございますけれども、現実に心臓移植肝臓移植が行われておる、そして今の状況において、自分臓器移植して結構だ、また、受けたいという方がおられる中で、私は、そのような状況を政治が整えるということは大事なことであると思っております。  そういう判断から、私は、このような臓器移植ができるだけ国民理解を得られる形で整えられるよう、法律が制定されるよう厚生大臣として努力していきたい、そう考えております。
  5. 佐藤剛男

    佐藤(剛)委員 ありがとうございました。  厚生大臣が、この議員立法のいずれかが、あるいは調整されるものが、それが立法を実現するということを望まれたということは、私は非常に重要なる御発言であるということをテークノートさせていただきます。  それでは次に、大臣にお伺いいたします。  私も、そういう臓器移植の道のために、まあ、かんぬきをかけた法律でございますが、いろいろ自民党内の手続もあるので、金田案にかけたわけであります。  しかし、その中で、もし本会議で、これは仮定の話ですが、本会議において全部が否決された場合に、仮の話で恐縮ですが、政府としましては、いろいろなものをもって、党議拘束があることを前提にした国会の仕組みをも前提にして改めて出す――否決された場合です。今申されたように、大臣は、どうしても必要、重要だと思われるということをおっしゃる。その場合に、政府としましては提出する意向がありますか。
  6. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 私ども、今回、先生方に、この臓器移植に関する法案で、議員立法で非常にお骨折りいただいていまして、心から感謝をいたしておる次第でありますし、また、その法案が必ずや成立するものと今も確信をいたしておるところであります。  そういう意味で、この法案ができなかったらどうかということについては、今の段階ではまだ考えておりませんので、それはそのときにまた考えさせていただきたいと思います。
  7. 佐藤剛男

    佐藤(剛)委員 もうそれ以上は聞きません。  時間でございますので、これをもちまして終わりにさせていただきます。
  8. 町村信孝

  9. 住博司

    住委員 きょうは、厚生大臣にもおいでをいただいて、政府質疑をさせていただきます。  先日も、心臓移植を待って、我が国では心臓移植ができないからといって、非常に多くの善意の気持ちを受けながらアメリカに渡られて、しかし、残念ながら、適合するドナーが見つからないまま命を失った少女のお話が出ておりました。  そのことを私どもはやはり重く受けとめなきゃいけない。日本という国が、正直申し上げると、臓器移植について、特に心臓移植外国では相当な技術を持っている人たちが我が日本人の中にたくさんいらっしゃる、しかし我が国ではできない。そういったことの現状というものを私どもはどう受けとめるか、一人一人が考えなければならないのではないかというふうに思います。  私は、本当ならば、法律をつくらなくても、医学界の独自の判断で、そして患者さんからの信頼を得られて、心臓移植を行うということに合意ができていくのが本来の筋であろうというふうに思います。  しかし、過去の経過からすれば、残念ながら、それは我が国ではとても望めそうもない。そういう中で、この法律案議論が始まったというふうに承知をしておりますし、そして脳死臨調につきましても、院の決議において政府でおつくりになった。その答申を受けて、政府法案をつくるか、あるいは議員立法でやるかという議論はありました。結果的に議員立法という形で中山先生中心に御議論をなさったという形になりました。  そういう過去の経過というものを受けとめながら、よく、審議は拙速であるみたいな話がありますが、それじゃ何年間議論すれば拙速でないのかということも同時に考えておかなければならない、私はそんなふうに思います。  まず最初に、国民の命を預かる厚生省として、外国に行かなければ心臓移植肝臓移植、まあ生体肝はあるのですけれども心臓移植治療が受けられないという現状についてどういうふうに考えておられるのか、その点をお聞きしたいと思います。
  10. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 この臓器移植という医療は大変重いものでございます。そういう意味で、外国でもこの臓器移植を受けられる方がいらっしゃるわけでございますが、今、世界の現状は、どこの国でも臓器が足りない。ということは、なかなか脳死という段階臓器をいただける機会が少ないということでございまして、そういう外国へ行ってまで日本人の方が治療を受ける、そして外国人の方のチャンスをなくしてしまうということについては、私は大変問題があるだろうと思っております。できるだけ日本国内臓器善意提供され、そして、待っている人に移植がされることを期待しておる次第であります。
  11. 住博司

    住委員 そのことで、我々はよく議論をしていかなければいかぬと思います。  ここでちょっと紹介しておきますけれども、実を言いますと、デンマークという国がありまして、デンマークでは一九八〇年代には脳死が認められていなかったため、デンマーク国民はドイツやイギリスやスウェーデンに出かけていって移植手術を受けていた。ところが、これらの受け入れ国から、デンマーク臓器をもらうだけで提供しないという批判が強まって、一九八〇年代後半には、各国の病院からデンマーク患者は受け入れない旨の通知を受けるに至った。こういう過去があるわけですね。それで、デンマークという国は、このような国際的な批判を避けるべきであるという主張が脳死容認論の論拠の一つとなって、一九九〇年五月に法制定に至ったということがあるわけです。  私どもも同じことなのじゃないか。よく外国に行って日本人心臓を買っているのじゃないか、こういうようなことを言われるようなことだけは私たちは避けなければいかぬというふうに思っております。  そこで、具体的な話を聞かせていただきたいと思います。特に、省令に定める問題がいろいろとあります。  まず、脳死判定についてです。  これまで議論になったのは、確実に脳死判定がされるのかどうなのかというところが非常にあいまいに思っておられる人たちがいる。私どもは、この議論を通じて、ポイント・オブ・ノーリターンというのが非常に厳格にされて、そして、脳死判定というのはかなりやれるというふうに、確実なものだというふうに思っておりますけれども、この脳死基準というものは「省令で定める」、こういうふうにこの法律案にはなっていますけれども厚生省見解を幾つか聞きたいと思います。  いわゆる竹内基準昭和六十年に報告されているわけですけれども、現在の医学水準から照らして、この竹内基準というのは妥当であるというふうにお考えかどうか、まずその点をお聞きしたいと思います。
  12. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 竹内基準についてでございますが、昭和六十年に、厚生省研究班により脳死判定基準、いわゆる竹内基準が作成され、平成二年に、同研究班研究班員により医学的知見に基づく再評価が行われたところでございます。  また、脳死臨調答申平成四年の一月に出されたものでございますが、この中では、「専門委員からの報告や国内外の専門家見解等総合的に判断した結果、この竹内基準は現在の医学水準からみる限り妥当なものであろう」としている結論が出されているわけでございます。厚生省で発足させました臓器提供手続に関する専門家によるワーキング・グループにおきましても、竹内基準は現時点での医学的水準から見て妥当であるとの結論が出されているところでございます。  もとより、医学的・科学的見地からの妥当性の検証は今後とも必要と考えておりますが、これまでの状況から見て、現在でも竹内基準が現在の医学的知見に照らし合わせても妥当であると考えておるところでございます。
  13. 住博司

    住委員 そこで、ほかにも、例えば補助検査というのがありますね。脳血流の停止の状態であるとか、あるいは聴性脳幹誘発反応の消失であるとかそういったことを、実を言うと補助検査というものがある、それを厳密にやっていくことが必要なんだというような御意見参考人の方の中にもおありになった。そのことを考えますと、このことについて省令でどうお書きになるのか、書こうとされているのか、ないしは、そうではないというふうにお考えになっているのか、その点をお聞きしたいと思います。
  14. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 脳死判定に関してのいわゆる補助検査の取り扱いに関してでございますが、特に聴性脳幹反応につきましては、簡便かつ侵襲性がなく、広く普及していることから、医療現場において実施されることが望ましいと考えております。  脳死判定基準につきましては、厚生省令規定すべきとされているわけでございますが、この省令においては、現在のところ、いわゆる検査項目のうち必須項目とされるものを中心として規定することを予定いたしておりまして、脳死判定を行う上で必ずしも必要でない補助検査について省令規定することは考えておりません。いずれにしても、今後の国会の御審議を踏まえて検討を詰めていきたいと考えております。  補助検査は、その客観性記録性の保証という点からいきますと有意義でありますが、他方、これらの補助検査では必須検査以上の情報を得られないということや、侵襲性が認められたり、信頼性に問題があるなどの理由から、竹内基準におきましては必須検査としては取り上げられていない。ですから、必須検査ではないけれども補助検査としてこれはいいことだというふうに解釈をして、今、省令の方では必須検査について規定をしようと考えておるということでございます。
  15. 住博司

    住委員 ただ、国会の論議でその補助検査必須検査とすべきではないかという議論があったことだけは、よく記憶にとどめておいていただきたいというふうに思います。  それから、先ほど佐藤先生もおっしゃっている中で、いろいろと議論がある。これは、移植の体制というものを考えていったときに、私はやはり、この前も私、自分自身質問をしたときに、一カ所に集中するというのはなかなか難しいかもしれないけれども、これからの将来のことを考えたときに、例えば各医療機関、今は移植関係学会でいうと、心臓施設肝臓施設というふうに考えていますけれどもドナーの数の少なさを考えると、そんなにできるのだろうかというふうに思うのですよ。ですから、そういうことを考えれば、それぞれの意思で自由、個別的にやるということになれば、むしろ実績が上がらないし、逆に国民理解が得られなくなる可能性だって強いのではないか、こういうふうに私は思うのです。ですから、当面の間においては移植施設は限定すべきだと考えておりますけれども、この点について、これは厚生省、非常に関係する話ですから、大臣考えをお聞きしたいと思います。
  16. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 施設を限定すべきだという御意見、もっともだと思います。  厚生省としては、臓器提供が必ずしも多く期待できない当初の段階においては、実施施設を限定された施設に集約していくことは、移植医療技術の向上や国民安心感を高める観点からも適切なことと考えており、このことを合同委員会に伝え、限られた施設において移植が実施されるように働きかけていきたいと思います。
  17. 住博司

    住委員 そこのところはよくきちんと御指導をいただきたいというふうに思うのです。法案が成立することを前提にして私は話しているわけだけれども、しかし、そういうことが大事なんだろうというふうに思います。  それから、少し時間が詰まってまいりましたけれども、もう一つは、本人の意思というものを、生前の意思というものを大事にするのだということで、ドナーカードの問題がいろいろと議論されております。  一体、生前の意思、あるいは金田案ですとまだ生きている間の御意思になるわけですけれども、その意思をどんな方法で確認をするのだろうか、そのドナーカードというものはどういう形でおつくりになろうとしているのか、このことも実を言うと厚生省がお考えにならなければいけない。厚生省としてはどんなドナーカードを用意しようとしているのか、そして、どういうふうに普及させようとしているのか、その点をお聞きしたいと思います。
  18. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 ドナーカードにつきましては、腎臓について、従来は腎臓バンクに登録することにより配布される、いわゆる登録制度によって行われてまいりました。  このような登録制度に関し、平成五年五月の厚生省臓器移植ネットワークのあり方等に関する検討会の中間報告では、ドナーカード普及の観点から、登録制度から自由配布制への移行に努めるとの方向が示されておるところでございます。  腎臓に関しましては、平成七年四月の厚生省日本臓器移植ネットワーク準備委員会の報告においても自由配布制のドナーカードの導入が提言されており、これを受けて、社団法人日本腎臓移植ネットワークでは、平成八年度に全国統一のデザインによる自由配布制の「意思表示カード」を作成、腎臓提供者の確保のため、都道府県の腎臓バンクや腎臓移植の普及啓発のためのイベント等、さまざまな機会を通じて配布に努めておるところでございます。  今後とも、関係者の御協力を得ながらドナーカードの普及啓発等に努めてまいりたい、このように思っております。
  19. 住博司

    住委員 今の答えでは、とにかく今度の心臓移植で想定されていて、私ども御説明を受けたときには、例えば交通事故だとか墜落事故だとか、突発性の事故があるわけですよね。しかも、緊急性があって、時間が物すごく詰まっているわけですよね。そういうときに、今のようなお話で確認ができるのですか。だから、どういう方法で、本人が身につけておられるような状況の中でのドナーカードをどうつくっていこうとするのか。むしろその方が大切だと思うのですよ。それくらいのことを真剣に考えないと。今のような腎移植のことですらなかなかドナーカードの普及というのはできない。そういう状況をよくお考えになって、この心臓移植について国民の意識を高める、ないしは、臓器移植について、あるいは心臓移植について、ほかの臓器でもそうでしょうけれども、そういった意識で、自分の命が失われようとするときに、もし必要ならば他人の命を助けられる、こういう意識を普及するときには、今みたいなドナーカードで本当にいいのかということだけは御指摘をしておきたいと思います。  過日、ある報道機関は、運転免許証だとか健康保険証だというようなお話が出たやに聞いております。それについてはきょうお答えを聞けないわけだけれども、しかし、それだって本当にそれでいいのか。  それからもう一つは、何十年も前にドナー登録をしたから、それで本当に続くのですか。例えばヨーロッパの議論を聞いていますと、遺言状でやるところもありますよ。そのときには何年かに一度それは確認をしてくださいとかいう方法もあるわけですね。要するに、そういったことについての級密な論議を重ねていただいて、そこのところもちゃんと織り込んで理解をいただけるような方法でお決めをいただきたいということをお願いしておきたいと思います。  以上です。
  20. 町村信孝

    町村委員長 答弁はいいですか。
  21. 住博司

    住委員 答弁していただきましょう。
  22. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 今、腎臓の場合でやっている事例を申し上げましたが、今回の法案が本人意思の確認というところを非常に重要に、重きを置いて法案提出をされております。そういうことを含めまして、厚生省としては、もっと真剣に、もっと拡大する方向で何らかの方法を検討してまいりたい、このように思っております。
  23. 住博司

    住委員 終わります。
  24. 町村信孝

  25. 山本孝史

    山本(孝)委員 山本でございます。  まず、法務省に質問をさせていただきます。何点か疑問の点が残っておりますので。  一点目は、脳死状態の患者から臓器を摘出した場合に第三者が告発をするのだ、だから法律が要るのですというのがこれまでの提案者の、中山案の提案者のお話でございましたけれども、仮に中山案が成立した場合に、この第三者告発というのはなくなるのでしょうか。
  26. 渡邉一弘

    ○渡邉説明員 お答えいたします。  御質問が仮定の問題でございますので、答弁は差し控えさせていただきたいと思いますけれども、検察当局におきましては、告発を受理した場合には、所要の捜査を遂げて、法と証拠に基づいて適正に処理するものと思っております。
  27. 山本孝史

    山本(孝)委員 法律ができたからといってすべて門前払いじゃなくて、しっかりとした捜査をやるというものはやっていただきたいというふうに思いますが、その点はしっかりやっていただけるのですね。御確認をしたいと思います。
  28. 渡邉一弘

    ○渡邉説明員 繰り返しの答弁になると思いますけれども、告発は、検察庁におきまして、何人も犯罪があると思料するときは告発することができるということになっておりまして、検察当局としてはこれまでも、一般論として、どのような事件でも、告発を受理した場合には所要の捜査を遂げて、法と証拠に基づいて適正に処理してきたものと思っております。
  29. 山本孝史

    山本(孝)委員 もう一点、法務省にお伺いします。  例えば交通事故があったとして、その事故の結果として、脳死を経て亡くなったその被害者の家族から加害者側に損害賠償が提起されたとする、加害者側が脳死判定以降の治療費に対しては我々は支払う必要はないというふうに申し立てをした場合に、これはそのとおりというふうに理解をしてよろしいのでしょうか。
  30. 揖斐潔

    ○揖斐説明員 お答え申し上げます。  一般的に、民法七百九条に基づきまして加害者が賠償しなければならないと言われておりますのは、加害行為と相当因果関係にある損害と言われているところでございます。すなわち、加害行為によって通常生ずるであろうと認められる損害ということになるわけでございます。  したがいまして、今議員御指摘の治療費ということになりますと、それが加害行為と相当因果関係が通常あると考えられると思われますので、加害者にはその損害を賠償する責任があると考えられると思います。
  31. 山本孝史

    山本(孝)委員 質問の趣旨をもう一遍よく聞いていただいて。  中山案が通ったとしますと、脳死判定をもって死となるわけですね。死亡した以降の治療費という形で請求をされた場合に、それを加害者側は支払わなければいけないのかどうか。
  32. 揖斐潔

    ○揖斐説明員 お答え申し上げます。  少し繰り返しになるかと思いますけれども、基本的には、加害行為と損害との間の因果関係と申しましょうか、通常、一定の加害行為があった場合に、その当該損害が通常生ずると考えられる損害については支払う必要があるということになります。  したがいまして、いつ脳死という事態があったかどうかということは、必ずしもこの場合、重要な要素にならないものと考えられます。
  33. 山本孝史

    山本(孝)委員 ちゃんと質問に答えてください。  脳死判定以降のものを治療費というふうにして請求をしてきたら、それは治療費とは認められないということになりますかということです。当然でしょう。
  34. 揖斐潔

    ○揖斐説明員 治療費となるかどうかということは、損害賠償が請求することができるかどうかという問題とはまた別途に恐らく考えられることとは思いますが、損害賠償としては、因果関係の中で判断されるということになろうかと思われます。(山本(孝)委員「繰り返しだ、答弁になっていない」と呼ぶ)
  35. 町村信孝

    町村委員長 法務省、正確に答えてください。
  36. 揖斐潔

    ○揖斐説明員 通常、先ほど申し上げましたように、不法行為に基づいて損害賠償を請求することができるかどうかという観点から申し上げますと、それがどういう形のものであろうと、因果関係の範囲内で認められるということになろうかと思います。
  37. 山本孝史

    山本(孝)委員 そこは理解しました。だから、そこは治療費というふうにして請求されたら、それは治療費と認められるのかと聞いているのです。
  38. 揖斐潔

    ○揖斐説明員 通常、損害賠償が認められるかどうかといった場合に、その項目といたしまして、要するに、それが治療費という名目になるのかどうかということは必ずしも重要な事項ではないと考えられるところでございまして、その場合に、治療費として認められるのか、あるいはそうではなくて、また別途の、積極的に財産的損害があった、こういう形の財産的損害があったという形で認められるのかということは、あるいはあり得る、選択肢としてはあると思われますけれども、因果関係があれば因果関係の範囲内で損害賠償は認められるということになろうかと思います。
  39. 山本孝史

    山本(孝)委員 だから、それは、どういう形で損害賠償を請求するかは損害賠償を請求する側の判断であって、損害賠償は損害賠償をしなければならない因果関係があるのだから損害賠償されるべきだろうとおっしゃっている部分はよくわかる。そこを治療費だというふうにして請求をされたときに、それを支払う義務があるのかということです。これだけはっきり聞いているのに何で答えられないのですか、しっかり答えてください。
  40. 揖斐潔

    ○揖斐説明員 お答え申し上げます。  基本的に、当該損害が財産的損害と考えられるところでございますけれども、その財産的損害の項目と申しましょうか、財産的損害が治療費であるかどうかということは、損害賠償を請求する際に余り重要ではないところでございまして、基本的に因果関係の範囲として認められれば認められることになることになると思われます。
  41. 山本孝史

    山本(孝)委員 もうほとんど最後の質問機会なので、そういうちゃらんぽらんな答えをしないで、しっかりとした答えをしていただきたいというふうに思います。  要は、答えられないというか、死体に対しての治療を行った、だからそれを治療費で請求するなんというのは、そんなもの認められるわけないじゃないですか。認められるわけないとはっきり言えばいいものを、一生懸命そこをそういうふうに言い抜けようとするから話がおかしくなる。そうでしょう、私はそう思いますけれども。もしあるのであれば、後で……。  あとは厚生省に御質問をしたいと思います。  この法律ができたら脳死判定義務づける方向にいくのじゃないか、脳死判定しなければいけなくなるのじゃないかという声があるわけですけれども脳死判定を拒否する権利というのは患者にありますか。
  42. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 まず、脳死による人の死の判定は、三徴候による死の判定同様、医療現場において、医師が、医療行為として、個々の患者について、治療方針の決定など医療上の必要があると判断した場合に、死という客観的事実を確認するために行われるものであります。  したがいまして、患者本人が拒否している場合には脳死判定ができないとすることは、患者脳死心臓死かの選択を認めることになり、臨調答申にもあるように、「本来客観的事実であるべき「人の死」の概念には馴染みにくく、法律関係を複雑かつ不安定にするものであり、社会規範としての死の概念としては不適当」であると基本的に考えておるわけであります。  ただ、脳死判定については、患者、家族の理解を得つつ行われることが望ましく、厚生省臓器提供手続に関するワーキング・グループによる脳死体からの臓器摘出の承諾等に係る手続についての指針骨子案においても、実際の脳死判定に当たっては、脳死判定を終えるまでに、家族に対して、脳死についての理解が得られるよう必要な説明を行うこととしているところでございます。
  43. 山本孝史

    山本(孝)委員 長々した答弁しないで、ちゃんと答えてくださいよ。だから、そのときに患者理解をしなければ、脳死判定はしなくていいのですか。
  44. 町村信孝

    町村委員長 簡潔にひとつ。
  45. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 今申し上げましたように、例えば現実に救急医療の現場で臓器移植が今行われていない現在……(山本(孝)委員臓器移植と関係ない話です」と呼ぶ)いや、関係ない現在でも、救急医療の場で脳死判定が行われております。  それはなぜかと申しますと、救急医療先生方は、自分のところへ来られた患者さんのために、どうやって命を助けるか必死の思いでやっていかれる、そして、ずっと経過を見ていくと、ある段階で、これはどうもいろいろな症状から見ていくともう脳死に近いのじゃないか、そういうずっと臨床過程を追っていく段階で、あるところで、これは、これ以上続けたのでは、もし死んでいるならば、死んでいる人にまでまだ注射を打ち続けるとかという、そういうその亡くなられた方に対する尊厳を守るために、かえってそこでは治療を中断するというのがやはり医療行為として判断があり得るわけでありまして、そういう意味で、救急医療の現場では、患者さんに、脳死を拒否するとかではなくて、医療行為の一環として、死の判定というのは脳死も三徴候の死も同じように行われているものでありますということを申し上げたわけです。
  46. 山本孝史

    山本(孝)委員 医療現場でどういうふうになっているかということは理解しています。私は医者がどうこうしようと言っているわけではありません。  だから、ワーキング・グループの臓器摘出の手順の中においても、患者理解を求めて脳死判定をし、臓器提供をしていただくのだというふうに書いてあるわけだから、そのときに、患者理解をしなければ脳死判定もしないというふうに理解をしていいのですかと。だから、イエスかノーかなんですよ。
  47. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 医療現場の中で患者さんに自分脳死判定について拒否する権限があるかどうかということについては、そういう権限はつけないと考えております。
  48. 山本孝史

    山本(孝)委員 なぜ政府提出法案でなかったのか、簡潔にお答えをいただきたいと思います。
  49. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 これは、長年議論されている段階で、政府部内におきましても賛否両論あり、人の死という、定義するのには社会的通念、いろいろ問題がある、相当時間がかかるなということで、議員の見識によって議員みずからこの問題に結論を出そうじゃないかということで議員提案なされたものであると私は理解しております。
  50. 山本孝史

    山本(孝)委員 脳死臨調の後、閣議決定があって、政府脳死臓器移植問題に取り組むという閣議決定をしているのですね。それで各省庁と協議を始めた、そのうちに中山先生たちの動きもずんずん出てきたと。言ってみれば、そこで渡りに船ということでこっちの話に乗ったという感じもしないでもないのですが。  でも、政府が結局提出をしなかったのは、生命というものにかかわる法律というものを国が出すべきではないのじゃないかというふうな判断があったのじゃないかと思うのですけれども、そこはどうなんですか。
  51. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 脳死臨調答申を受けましてから政府内で議論をしているわけですけれども、今先生がおっしゃったように、政府として死の判断基準のことでだめになったとかいうことではなくて、なかなか各省庁が全然まとまりにいかなかったということと、それから、一月にレポートが出まして、普通ですと大体三月が法律提出時期でございます。それを過ぎても政府内が全然まとまらないということで、今先生がおっしゃられたように、議員先生方が、今までの腎臓とか角膜の法案議員立法でやってこられたということもありまして、それで先生方が見るに見かねて議員立法法案をしてあげようということで動いて、政府側としては、それにお任せしたというのか、便乗したという言い方はいけないかもしれませんが、それは議員立法で先生が行われている、ありがとうございましたという形になっているわけであります。
  52. 山本孝史

    山本(孝)委員 小林さん、もう一つ、今の御答弁の中で、各省庁まとまらなかったのだと。異論がいろいろあったのだというところを三分ぐらいでしゃべってください。
  53. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 政府部内のことについては、発言は控えさせていただきます。
  54. 山本孝史

    山本(孝)委員 議員立法でされた今の角腎法、そこには国の責務というのがうたわれていなかったのです。今回、この法律ができますと、第三条で「国及び地方公共団体の責務」というのがうたわれている。あるいは附則の第二条で「政府は、ドナーカードの普及及び臓器移植ネットワークの整備のための方策に関し検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずる」という形になっています。  先ほど大臣の御答弁の中で、移植のできる環境を政治が整えていくことは大事なんだ、そのために努力していきたいというふうにおっしゃった。その努力の内容ですけれども、今後、明らかに臓器が不足する状況というのはもう目に見えておるわけですね、諸外国を見ていても。そうすると、臓器提供数をふやしていかなければならない、言葉をかえれば獲得していかなければいけない。という意味で、今後、政府として、単にドナーカードを配るのだという話じゃなくて、どういう形で臓器提供者をふやしていくのか、具体的にどうするのか、さっきのドナーカードの質問なんてほとんど答えになっていないので、どうしていくのかということ、政府臓器移植の推進にどのぐらい深く関与するのかというところをお答えいただきたいと思います。
  55. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 今回の法案が成立いたしますと、どちらにいたしましてもドナーカードというのが大変重要になってまいります。そういう意味では、ドナーカードの普及が最大の仕事だと私はまず存じております。  具体的にどうするかということは、まだ厚生省としても決定しているわけではございませんが、これまでの審議の過程並びにこの議場以外のところの議員先生方の御発言をお伺いしますと、自動車の運転免許証それから健康保険証、そういうものも使えるような、利用するような考え方を検討したらどうかということは御意見としていただいておりまして、今、一生懸命検討しているところであります。
  56. 山本孝史

    山本(孝)委員 私がこの質問で申し上げているのは、角膜と腎臓の移植に関する法律の中では国の責務というのはうたわなかった、すなわち、国は一歩引いたところにいるのです、医療行為の中ですから提供者の御意思を十分に尊重する中でやっていただくのがいいのですということでやってこられた。腎移植のネットワークもそういう形で、民間の団体にゆだねられたというところでやってこられた。という部分から、今度一歩進んで、「国及び地方公共団体の責務」というふうにうたっているわけですし、ドナーカードの普及とネットワークの整備ということもはっきりと書いている。ということは、国が予算をつけて、例えばドナーカードを何千万枚とつくっていろいろなところに配っていくというようなことも国の仕事の中だというふうに御理解をしておられるのですか。
  57. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 現在でも、腎臓の移植に関しまして、ネットワークの整備だとかドナーカードの整備とかということについては国も予算を組んでやっておりますし、法律に書いてなくても一生懸命やってきていましたし、今回は法律にも明定されているところでございますので、法案が成立すればより一層頑張ってまいりたいと思っています。
  58. 山本孝史

    山本(孝)委員 そこで、一つお願いなんですけれども、ある意味では、一つ医療行為というものに国が法律でもって積極的に関与をしていく、すなわち、そういう形になりますと、何回も申し上げているように、臓器移植というのは是である、これはやっていかなければいけないことなんだ、ということは、裏返しにいけば、臓器提供しなければいけないのだという形を法律で、法律でつくるということは、上から社会に向かっておろしていくといいますか、普及していくのだという形に私はなると思うのです、受けとめようによっては。  世の中には、脳死を人の死と認める人もあれば、認めない人もいる。臓器提供した方がいいと思っている人もいれば、人の臓器をもらって生きていく必要はないというふうに思っておられる方たちもある。そういういろいろな気持ちがある中で、一つ法律をつくるということの重みといいますか影響力というのは、私はすごいと思うのですね。それを十分理解した上で今回法律をおつくりになろうとしているのですねということを大臣にお伺いをしておきたいと思います。
  59. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 私は、この法案ができたからといって、臓器提供すべきだという考えはありません。それは、本人が、臓器提供したいという方が、臓器を受けたい人があるとき、その素直な感情を法的にも整えていこうじゃないかということであって、この法律ができたから臓器提供しようなんという考えは全くありません。
  60. 山本孝史

    山本(孝)委員 ありがとうございました。  今も御答弁の中で、提供者本人の、みずからの意思提供するということを重要視していくのだと。せんだって中山先生も、私の質問で、本人の意思は最優先する、すなわち、家族のそんたくではないのだ、他人が決めることではない、本人の意思で決まるのだということをおっしゃって、今も小林局長、そこでうなずいておられますし、大臣もそういう御答弁でしたので、そこのところをひとつ担保させていただきたいというふうに思います。  今、研究開発のための臓器の利用といいますか、あるいは治療のための組織の利用ということが随分進んできているわけですね。今は臓器の問題をやっていますけれども。それで、研究開発用に臓器を利用する必要も私はあると思うのですけれども、それであるならば、もっと国民に説明と理解と協力を求めていかなければいけない。医者が患者にインフォームド・コンセントするというだけじゃなくて、社会に対してもインフォームド・コンセントをして、やはり組織も、こういう研究用の臓器も必要なんですよということをもっと言っていくべきだというふうに思うのですね。  その点で一つ気になっていますのは、今回の移植医療に使われる摘出された臓器が、医薬品でもありませんし、医療器具でもありません。研究材料という位置づけももちろんありません。ということになって、法には何もかからないのですね。今回の法律で売買だけは禁止されるけれども、それ以外のものは何もかからない。  そういうことになると、移植に用いられる臓器の一種安全衛生面の管理といいましょうか、品質保証といいましょうか、というようなものがやはり要るのじゃないかという意味で、そこのところをどうされるのかということと、例えば質のよくないといいますか、ぎりぎりのところの臓器移植された場合に、あるいはそういうものは移植しちゃいかぬのだというような何らかの規制的なものはこの法律の中でかかっていくのか、あるいは、今後どうしていったらいいのか。二つの質問を一緒にして申しわけありませんけれども、お願いします。
  61. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 今先生は、移植される臓器の品質の保持というのですか、品質が大丈夫かという観点からの御質問だと思っています。もし間違っていましたら、また再度質問いただきたいと思いますが。  臓器移植するには、今実際には、腎臓移植でいきますと、まず、臓器をいただく前に、家族の同意のもとにドナーの血液の検査をやります。それで、HIVだとか肝炎ウイルスとかいうものをチェックしていきます。  次に、レシピェントの方を選択する際には、臓器提供者が必要な検査を受けており、かつ、ドナーの適応条件に合致していることをコーディネーターが確認してからレシピェントの検索に入ることにしております。  それから三つ目に、腎臓を摘出する際には、摘出された腎臓について、外見上及び形態上、異常がないことを確認してから臓器が搬送されて、移植をされております。  腎臓の場合は、そういうふうにチェックを三重にやっております。これが心臓とか肝臓とかその他の臓器になりましても、当然、こういうチェックは働くものと考えておりますが、ただ、法律にはこの規定は書いてありません。
  62. 山本孝史

    山本(孝)委員 せっかく提供された臓器なのでということでかなり無理な形で移植に進むというところが諸外国を見ていてもありますし、日本のこれまでの腎臓移植の中でもあったと思うのですね。確かに、お医者さんの倫理といいましょうか、あるいは移植学会なりいろいろなところでお決めになっているガイドラインなりレベルをちゃんと超えていなければいけないのだという形なんでしょうけれども、その辺は患者側からするとチェックのしようがないのですね。ここも医者の倫理に任されている。おっしゃっている形はあることはわかっているのですけれども、その辺を担保されるものも何か欲しいというような気もするのですね。せっかく移植されて、違う病気にかかってしまった、あるいは、移植されたのに再摘出しなければいけなくなったという状況は、移植医療としては不幸な結果だなというふうに思いますので。  もう一点、組織なんですけれども局長、関西なんかでは、組織バンクといいましょうか、組織ネットワークというのがかなり発達してきておりまして、その一環で、この間、関西医科大あるいは国循の問題が起こったわけですけれども、組織は、ある意味では臓器以上に必要としている方が多いのかもしれないというふうにも思います。その中で、この間の輸入硬膜の問題も起きているわけですね。  そういう意味で、組織は、我々案は検討しようという項目を入れてあるのですけれども、やはり何らかの規制が必要なんじゃないかというふうに思うのですけれども、その点はいかがなんでしょう。
  63. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 臓器ではなくて組織の話でございますが、組織につきましては、組織移植や医薬品の研究などの目的で研究者等が提供を受ける場合があることは御指摘のとおりでございます。これらの提供を受けるに当たっては、本人ないし遺族に対する説明とその承諾を得た上で行われているものと考えております。  したがいまして、現時点では、組織移植に対する特別な規制が必要だとは判断をいたしておりませんが、何らかの規制を行うことが必要かどうかという点については、組織移植現状把握等に関する研究班をつくりましたので、その研究班の成果を踏まえて、今後の検討課題の一つとしてまいりたいと思っております。
  64. 山本孝史

    山本(孝)委員 ぜひしっかりとした検討をしていただいて、繰り返すまでもありませんけれども、皮膚までとられてというような話もあります。やけどの治療にやはり必要なんでしょう。関節を求めておられる患者さんもおられるのもわかりますので、そういう必要があるということを、臓器であれ組織であれ、提供する側からすればある意味では同じ感覚ですから、そこのところはきちっとした整備をしていっていただきたいというふうに思います。  脳死臨調の最終答申は、医療不信の解消ということを第三章でわざわざ一章立てて書いているわけですね。そういう意味合いで、第三章「脳死臓器移植問題と医療に対する信頼の確保」と、この脳死臓器移植をめぐる不安と不信が解消されない限りはだめだというふうに、脳死臨調もわざわざ一章立てて書いたわけですね。内容的には、インフォームド・コンセントをしっかりやるべきだということを書いている。  だから、脳死臨調以降、臓器移植法案ができなかったじゃないかというふうに御批判される向きもあるけれども、私は、脳死臨調以降、インフォームド・コンセントすらしっかりと医療界が前に進めてこなかったという点も多いに批判されるべきだと思うのです。そこのところがないとできませんよというのは、これは前から何回も申し上げている。  この間、厚生大臣の御答弁の中で、患者の権利法を制定すべきじゃないかという御意見があったときに、私は必要性を認めませんというふうなニュアンスでお答えをされましたけれども、その点、今度の、総合研究開発機構が厚生省の課題提起を受けてまとめました「薬害等再発防止システムに関する研究(中間報告)」、八つの提言が出ましたけれども、一番目が、患者中心医療を政策の根幹にしよう、患者の権利法を制定し、インフォームド・コンセント規定を設けるとともに、カルテを患者に帰属させるべきであるということを、厚生省が研究を委託された外部の研究機関でありますけれども、NIRAの提言の一番上に来ますので、ぜひここのところは検討していただきたいというふうに思います。  それで、もう貝谷室長とかも何回もお話をさせていただいているのでよく御理解いただいていると思いますけれども、コーディネーターの人選にぜひともに十分な御配慮をいただきたい。今まで問題が起きてきたのは、みんなコーディネーターの強引なやり口というのが問題になっているわけで、移植医がコーディネーターになるというふうに移植学会のガイドラインではお決めになっているけれども厚生省のワーキンググループの検討結果では、移植医でない、医者でない方がいい、あるいは移植団体の大久保会長も医師でない方がいいというふうにもおっしゃっているわけで、ここのところのコーディネーターの十分な資質の確保というものをお願いしたいと思っています。やっていただけるというふうな御答弁だと思いますので、結構です。  最後に、この間、参考人質疑のときに、心臓移植を受けられた木内さんが来られて、死んでいることにしてほしい、生きている人から心臓をもらうわけにはいかないというふうにおっしゃって、大変重い言葉だなと思いつつ、私は、ちょっとやはり心にひっかかるものがあったのですね。  それは、法律で死んだことにすれば、これで移植にかかわるすべての問題が解決するわけではないわけですね。というのは、提供者側にも、柳田さんがおっしゃったように、命を縮めたという思いがあるわけです。提供者側にとっても、自分の子供の臓器提供した、それがどなたかのために役立っている、どこかで子供は生きているという思いは、一面ではうれしい思いだけれども、一面では残酷なことでもあると私は思うのです。  だから、移植医療というのは大変に重いもので、我々が、この日本社会がそれにたえていかなければいけないとするならば、安易な感情論に走るべきではないというふうに思います。そこをぜひ、今度の投票に臨まれる五百人の皆さん一人一人が本当はその言葉を考えてほしいというふうに思っているのです。  自分の家族が脳死判定をされたときに、それが受け入れられるのか、あるいは自分の家族の臓器提供できるのかというところは最後まで問い詰めていかないと、この問題に対してのイエス、ノーは出ないのじゃないかというふうに思っていますので、私は、一生懸命に真摯にこの問題を取り組んできたつもりですけれども、やはり心配する点はいっぱいありますので、ぜひ今後ともにしっかりとした行政をやっていただきたいということをお願いして、質問を終わります。  ありがとうございました。
  65. 町村信孝

    町村委員長 鴨下一郎君。
  66. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 私は、今回議論が重ねられております臓器移植に関する法律案について、中山案そして金田案とは異なる第三の立場から、つまり、法制化なしの臓器移植の進展という視点から質問をさせていただきたいと思います。  重ねて申し上げますが、私は、重篤な疾病に苦しむ患者さんにとって、臓器移植という治療法は、現在の医学技術においては、すがるべき大変重要な治療方法だとも考えております。さらに、脳死については、医学的に脳死は人の死であるということについては間違いのない事実だということも認識しております。しかし、これを法制化して脳死を決めてしまう、このことについては反対でございます。  そういう意味で、法律の性格上、今これから、議論されております法律の本来の趣旨、そして臓器移植の適切な運用をしていく、それから、社会的なコンセンサスを得ていくというようなことについては、私は、ここで法律が成立してしまうということについては、非常に危惧を抱いておりますし、大きな矛盾があると思いますので、そういう観点から質問をさせていただきます。  まず一つは、法案成立の後に、一番必要とされている人たちが結果的には移植を受けられないというような皮肉な結果になりはしないか、こういう点でございます。質問は、レシピェントの選択基準、優先順位の高い疾患は一体どういうものなのか、そして、その疾患の年齢構成についてはどういうふうなことになっているのか、伺いたいと思います。
  67. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 心臓移植の場合、まずどういう患者さんが一番待っていらっしゃるかということですが、選択基準ですが、心臓の場合ですと、拡張型心筋症、これは何人おるかということはわかりませんけれども、平均年齢は大体四十歳程度の方が待っていらっしゃるということです。それから虚血性心筋症、この場合は大体七十ないし八十歳代の方が心臓移植を待っていらっしゃる。その次に、先天性の心疾患、これは小児期、それも割に早い時期だということでございます。  次に、肝臓の場合ですと、肝臓移植を待っていらっしゃる方は、先天性胆道閉鎖症、これは乳幼児期の患者さんが多いわけであります。その次に原発性胆汁性肝硬変、これは中年の女性の方であります。それから劇症肝炎、これはもうどんな年齢でも起きるということでございます。その他、先天性の肝疾患は小児期でございます。  なお、海外に渡航して移植された患者さんの方々の平均年齢をとってみますと、心臓の場合は二十三・六歳、肝臓の場合は九歳ということでございました。
  68. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 まず、その辺のことなんですが、局長は今、心筋症の場合は四十歳ぐらい、虚血性心疾患の場合は七十歳というふうにおっしゃったけれども、そういうような方々に本当に臓器移植を適応するのですか。  私は、この質問の趣旨は、小さいお子さん方、例えば六歳以下の方々、特に肝臓の場合で言えば胆道閉鎖症、それから心筋症でも若い時期に移植が必要な、こういう方が今回の臓器移植法案が成立することによって救われるべき方々なんだろうというふうに思っているのですよ。  そうしますと、残念ながら、竹内基準は六歳以下は脳死判定しません。それから、この法案では、本人の意思を最優先するというふうに法案に書かれておりますが、それによりますと、例えば、思春期以前のいわば子供の人たちが果たして本当に本人の意思ドナーとして登録をするのかどうか。  こういうようなことでいいますと、本来助けられるべき方々が、この法案の網がかぶさることによって助けられない状況が出てくるのではないか、このことを心配しているわけですけれども、いかがでしょうか。
  69. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 今回の法案では、六歳未満の方は脳死判定はしないということになっております。したがいまして、六歳未満の方々の必要な臓器というのが心臓の場合ですと、六歳以下の子供さんだと、結局、心臓のスペースがありますので、大人の心臓を植えるというわけにはいきません。そういう意味では、先生がおっしゃられたように、日本の中では、子供さんの心臓移植ということは今までどおりできないということであります。  次に、肝臓につきましては、大人の方の肝臓を子供に植えることは、分割してスペースを合わせて植えることができますので、肝臓移植は可能になろうと思います。  次に、もう一つ問題なのは、本人意思というところがありまして、何歳のところで本人意思が確認できるかという問題等がありまして、今先生はどこで年齢を切るかということでありますけれども、そのことは今後詰めていかなくてはならぬところだと思いますけれども、そこについても、心臓の場合には、提供者側の方の問題からいって、六歳以下だけではなくてもう少し上の年齢も、心臓移植については難しい状況があろうかと今の段階では思っております。  しかし、現在、外国では子供の心臓移植が行われているということは、今回の竹内基準では六歳未満はしないということですけれども、今後につきましては、それはまた、先生方医学の進歩だとか実際の経験だとかその他事情等々を勘案して、再度検討していくということが必要かと思っております。
  70. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 政府が提案した法律ではないものですから、その趣旨について私がここで政府側にあれこれ言う話ではないのですけれども、結果的には、そういうような、本当に求めている方々がこの法案成立によって救われないというような現状があるのです。  それからもう一つは、中山案の提案者の方々がよくおっしゃっていますけれども、これで海外の移植の数が本当に減るのですか、これから日本人が外へ出ていって海外で移植するというような事例が減るのですかということなんですよ。それはなぜかといいますと、今局長がおっしゃっていたように、本当に必要な人たちがこの法案では救われないわけだから、そうすると、結果的には海外へ行かなきゃいけない、こういうようなことになるわけで、その辺についての認識はいかがでしょうか。
  71. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 今、できない事例の話を申し上げましたので、何か印象としてはなかなか改善がされないように御理解をされてしまったかもしれませんが、少し補足させていただきますと、さっきも言いましたように、肝臓の場合には、小児の場合であっても大人の方の肝臓を植えることができるということですから、肝臓移植については何も外国に行く必要はなくなって、だんだん国内でいける、臓器が出ればそれは対応できるようになるのではないか、残念ながら、小児の心臓のところ、小さい子供については難しいということだけを申し上げたわけであります。  それから、虚血性心疾患、さっき言ったように年齢層としては七十ないし八十歳代ですけれども、この移植の選択基準等では、六十歳までの人にやろう、こういうことですから、虚血性心筋症というのは何も七十、八十だけの患者さんではなくて、六十代の人もいますし、五十代の人も四十代の人もいらっしゃるわけですから、その方々は海外に行かずに治療が受けられるということになろうかと思っています。
  72. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 そのお言葉ですが、例えば肝移植については、今でも生体肝移植で大人の方の一部を子供の患者さんに移植する、こういうようなことができているわけですから、あえて脳死法律で決めてそういう人たちからとらなくても日本の中で十分にやり得るわけです、現実にやっているわけですから。ですから、そういうようなことで、海外へ行って患者さんが治療を受けざるを得ない、こういう状況がこの法案で減りますよということにはならないわけですから、その辺のことだけは指摘しておきたいと思います。  それからもう一つ、これはある意味で客観的冷静な議論をしなければいけないということなんだろうと思うので、あえて申し上げるのですけれども厚生省の方へ諸外国臓器移植現状ということで私は問い合わせたのですが、その中に移植年間費用試算というのが書いてありまして、腎臓に関しては、今、登録の患者さん、いわゆるレシピエントとしての患者さんが約一万五千人いらっしゃる、そして、移植をやりますと、手術をした一年目は四百六十万かかります。二年次以降は百七十万になります。ところが、その下の参考資料に、人工透析に要する費用として、外来で五百五十万円かかります。それから、入院ですと九百二十万円かかります。  結果的には、ある種人工臓器であります透析と、脳死体もしくは死体から腎臓をいただくという臓器移植、こういうようなことのコスト面で考えますと、随分に違ってくるのだろうなというふうにこの資料では推察されるわけですけれども、その辺のところの医療経済学的な意味で、厚生省はどういうふうに臓器移植というものをとらえていらっしゃいますか。
  73. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 まず、厚生省臓器移植を進めたいと思っております、また、そうやって脳死臨調でもいろいろ御議論いただいたわけでありますけれども、それは、医療経済の面だけを考えてやっているわけではないということを御理解いただきたい。まずは患者さんを治してあげる、それからQOLをよくしてあげるということが主体であるということを御理解いただきたいと思います。  医療費につきましては、厚生省の資料の中に、各論として、一人の個人のケースとしてどうなりますかというのを数字を出して、移植を受けた方が国家の医療経済の方でもこれは大変有益でありますということを、皆さん御関心がありますので、そういう面でそういう資料をつけておるということでございまして、トータルで何人かということは、ちょっと今、計算をしたものは持ち合わせておりません。
  74. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 いや、私は、例えば腎臓移植を受けた方が、透析をやっているときと比べてはるかに生活の質、いわゆるQOLが向上するということはもう重々存じておるわけでありますけれども、ただ、今回の臓器移植の一番の原点、そして、ここに提案者がいらっしゃいますけれども、提案者の皆さんのいわゆる法案提出したモチベーションと政府のお考えは多少違うのかなというふうに私は考えているものですから、この辺をもう一度確認をさせていただきますが、例えば、腎移植を徹底的に推進していくと、人工透析との関係でいいますと、どのくらい、経費削減になると言ったら申しわけないですけれども、そういうような意味ではどの程度の試算をなさっているかというのを教えていただきたいと思います。
  75. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 腎臓移植でどの程度の経費が国家全体として節約できるかということのおただしでございますけれども、残念ながら、今、計算したものは持ち合わせておりません。
  76. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 ぜひ、そういう意味で、損得勘定ではなくて、本来の、患者さんのQOLを上げる、こういうような目的だけで今回の臓器移植というようなことについてはお考えいただきたい、このことを強く申し上げておきたいと思います。  それからもう一つ、今いろいろな議論がありますけれども、その中で、賛否両論といいますか、もしくは法案を反対している人間は少数かもわかりませんけれども、私たちはやはり、臓器移植を待っていらっしゃる方に道を開くというような目的が一番重要なんだろうと思います。  そういうことでいいますと、果たして、法案をつくって脳死を厳格に決めてやることが本当にベストな道なのかというようなことについて、いろいろと私は、脳死法律に決めることの社会的弊害、そして、先ほど申し上げたように、本当に待っている適応例の方々はここから、この法案をつくることによって漏れてしまう、こういう現状からいって、果たして、今回、脳死を認定し臓器移植を進めていくというような、こういう法案が成立することが本当に社会的に、そして患者さんのためになるのかどうか、このことを考えております。  そして、一つは、心臓死と脳死との関係性について、私は医者をやっておりまして、死亡診断書も数多く書いてまいりました。最後に御臨終ですというふうに申し上げて、そして時刻を確認して、その時刻をカルテに記入して死亡診断書を書くわけですけれども、そのときに脳死で書くのか、心臓死で書くのかというようなことでいえば、臓器移植を目的とした場合だけは脳死なのかもわかりませんけれども、ほかの場合は全部心臓死になるわけですね。あるいは、脳死として判定して、そして心臓が動いている時点でも脳死の時点で死亡診断書を書くケースもあるかもわかりません。そのところの関係性については、厚生省としての考えはどういうふうに考えていらっしゃいますか。
  77. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 まず御理解いただきたいことは、臓器移植のために脳死判定を行うわけではなくて、医療の一環として脳死判定というのは臨床の場で行われる。それで、臨床の場で脳死判定が行われた場合には、ちょうど二回目になりますね、脳死判定の二回目のところでもって、それが死亡時刻として書かれるということになる、このように思っています。  ただ、脳死というのは、全体の死亡の一%程度の方に脳死という状態があらわれるだけでありまして、九九%の方は脳死という状態があらわれるわけではありません。そういうことからいきますと、九九%の方はもともと脳死という時間を書くのではなくて、従来の三徴候による死亡の時間を書いていただく。一%の方は、ずっと患者さんを診ていく段階で、これはどこかで患者さんの尊厳を守るために脳死判定が行われる。そのときには、脳死の時間を死亡診断書に書くということになると思っております。
  78. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 先ほどの答弁でもおっしゃいましたけれども脳死を厳然たる医学的な事実としての死だというふうに局長はおっしゃっているわけで、それだったら、法律で決める必要はないじゃないですか。死亡診断書に書く時間は、私も脳死は厳然たる事実だと思っています、ですからその時間をちゅうちょなく書けるというふうに自分では思いますけれども、それだったら、法律脳死は人の死だというふうなことを書かなくたって、事実として存在しているわけですから、それでよろしいのじゃないでしょうか。
  79. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 脳死臨調答申にも脳死を人の死とするということで、政府もそれを尊重するということになっておりまして、私も脳死は人の死と個人的には思っていることもありましてそう申し上げたのですけれども、すべての国民の方が、全部の方が脳死を人の死として御判断いただいているところまではまだ至っていないと私は存じております。そういう意味では、こういう法律を書いて国民にわかりやすくしてあげるということは大変大切なことではないかと思っております。
  80. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 そこがまさしくおかしいところでして、その社会的なコンセンサス、もしくは、死についての考え方が、三徴候死の場合もある、それから、三徴候死後に体が冷たくなっていって、本当に体が固まってきて、死斑が出てきて、ああ、本当に身内が亡くなったのだということで認識する死だってあるわけですから、そういう意味で、医学的に厳然たる脳死というものは存在しますよ、だけれども、それを国民の皆さんがわかっていないから法律で押しつけるという、このことではだめだというふうに申し上げているのですよ。
  81. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 脳死を押しつけるということを申し上げているわけではなくて、厳然として脳死というものがあり、そしてそれが実際に救急の現場で行われて、それは患者さんの尊厳のもとに行われているのであって、そのこと自体は国民の方に御理解をいただきたい、こう申し上げているわけであります。
  82. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 要するに、脳死は人の死としてあるのですよ。ただ、それを容認できない社会の雰囲気もまだあります。そうすると、そういう中で脳死の方から臓器を取り出すというようなことについては、これはさまざまな、第三者の告発もあり得る。ですから今、脳死法律で決めようというふうにしているのじゃないのですか。そのことに私は問題があると言っているのです。  医学の中で厳然たる死としては存在します。私もそれは認めます。ですけれども、それをまだわかっていない人たちの中に、法律として脳死は人の死ですよというふうに押しつけますと――きのうの夜、私はある脳外科の先生とある議論をしました。その人は腎臓のコーディネーターをやっている方なんですよ。  その中で、脳死はあります、ただ、それを法律で決めるというようなことによって、例えば、脳死になっている、脳波も平たん、竹内基準によってももう明らかに脳死だ、ところが家族が、レスピレーターを外さないでください、まだうちのお父さんは生きていますというふうに言っているのに、医療現場の医者が、これはもう法律で決まったのだから、国会で決まったのだから脳死なんだというふうに言われたときに、これは現場で大変なことが起こる。そういうようなことを危惧していました。私もそのとおりだと思います。  ですから、法律で決めるというのはあくまでも臓器移植のための便法であって、ほかの方法で、もっと社会的な弊害が起こらない、そういうようなやり方で脳死を認め、なおかつ臓器移植を進める方法がないのか、このことを私はずっと考えていたのですけれども、そういうことについてはいかがでしょうか。
  83. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 脳死臨調答申におきましても、その関連のことについて述べられておりまして、  脳死判定された場合、脳死を「人の死」と認めることを臨時する人に対してまで、医師は一律に人工呼吸器のスイッチを切らねばならないとすることは、余りにもこうした人々の感情や医療現場の実情から掛け離れる可能性考えられる。 とされているところでございます。  したがいまして、脳死臨調答申の趣旨を踏まえた適正な対応が行われれば、中山案の制定により医療現場が混乱するようなことはないと考えております。
  84. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 これは見解の相違なんですけれども、私も四年ぐらい前までは現場の医者をやっておりまして、立法にかかわっていなかったものですから、国で法律で決められたということの現場に対するパンチ力というのは圧倒的なものがあるのですよ。  ですから、例えば、医者の判断でこの人は蘇生限界点を超えたか超えないかというような非常に悩む部分があります。それから、いたずらに尊厳を損なってまでも治療を続けていくことに対しての非常な逡巡もあります。そのときに、それはその個別具体的なケースとして、この人が一体どうなのかということを総合的に判断しての決断ですから、それをいきなり法律でなっていたら、そういうようなことについての現場での思考が停止してしまうのですよ。  ですから、私は、ここにいらっしゃる提案者の皆さんにも申し上げたいけれども脳死を押しつけるというようなこと、これは断じてやるべきでないというふうに考えております。いかがでしょうか。これは大臣に答弁をお願いします。
  85. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 この問題は、そういう死に対する気持ちが国民さまざまであり、法律を制定しないとできないということで持ち上がってきた案じゃないでしょうか。法律で押しつけるのではなくて、脳死はどんな治療を行っても絶対生き返らない、本人の臓器提供したいという意思がある、患者もその意思を受けたいという意思がある、そういう状態において移植を可能にしようということで皆さんが御努力して議員提案されたのじゃないでしょうか。今の御議論を承りますと、ないという状況だったら、私はもっと混乱が起こると思います。
  86. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 いや、そのないというのは法律がないということですね。ただ、例えばドイツだとかイギリスあたりは、いわゆる専門家集団であるメディカルプロクェッションの中での、いわばソフト・ロー的な社会的な規範の中で運用が行われていくわけですよ。ですから、私は、脳死は決めるべきでないと。ただ、臓器移植に関するさまざまな問題、社会的に起こってくる例えば臓器の売買だとか、それからフェアに行われる、この辺についての規制はきちんとするべきだと思うのですよ。ただ、そうじゃなくて、脳死そのものに関しては決めるべきでない。  そして、もし第三者告発を受ける、それから、違法性阻却事由が十分にうまくいかないというようなことで、例えば移植たち移植そのものを逡巡するようでしたら、国会は果たして何ができるのかというのを法律以外の部分でもどうすべきか、この辺のことを考えるべきだと思うのです。  参考人質疑の中でも、ある参考人が、そういう意味で、例えば国会決議のようなもので臓器移植を進展させる、こういうようなことを全会派の一致した意見として決議して、そして脳死そのものは法律規定するべきでない、そういうふうにおっしゃっている人もいましたけれども、私も全く同感なんです。  そういう形で、臓器移植を進めるためのいわばバックアップは政治がするべきなんですけれども脳死という極めて微妙な、しかも専門性の必要な部分について、私はいろいろな議員方々にこの問題についていろいろと伺ってみまして、植物状態と脳死を明確に区別できていらっしゃらない先生方もたくさんいるわけですよ。こういうような集団で脳死を決めていいのですか。  このことを申し上げて、そして厚生大臣、もう一度伺いますけれども、例えば法律じゃない形で臓器移植、さっき冒頭に申し上げましたけれども、例えば六歳未満の子供は今の法律ができてもうまくいかないのですよ。それから、本人の意思が十分に明確にできないような方々からの臓器提供というのも非常に困難なんです。ですから、むしろそれを高度な治療的な判断、それは第三者も入れてです。そういうような中での工夫というのが本当は実際的な話なんですよ。  ですから、私は、政治はそういうようなことを監視して規制して、それから、バックアップはすることはあっても主導してはいけない、こういうふうに考えておりますが、例えば国会決議もしくは委員会決議臓器移植を進展させることについては我々も賛同していますよ、こういうような形の考えというものについて、大臣の御見解をいただきたいと思います。
  87. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 一つの御意見だと思いますが、私は、国会意思を明らかにするというのが法制定だと思います。そして、今御指摘の点が乗り越えられなかったからこそ移植ができなかった。そういう御苦労をして案を出されたわけでありまして、私は、国会意思をあらわすのだったらば法律制定が最も国民にわかりやすい形だと思っております。
  88. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 残念ですが、私は、法律のいわば弊害、そして副作用を考えますと、そういうような形でなく、もっとほかの方法があるのではなかろうか、こういうようなことを考えておりますし、ある意味脳死は決めずに臓器移植はきちんと進めるというようなことは全国民の総意として国会決議というような形で提案をします、こういうようなことで移植を進める方々に対するバックアップ、こういう形がいいのでないかということを最後に申し上げて、質問を終わらせていただきます。
  89. 町村信孝

    町村委員長 この際、暫時休憩いたします。     午前十一時三十五分休憩      ――――◇―――――     午後一時三十分開議
  90. 町村信孝

    町村委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。福島豊君。
  91. 福島豊

    福島委員 三十分間、御質問をさせていただきます。  昨日、トリオ・ジャパン、これは国際移植者組織の日本支部でございますが、トリオ・ジャパンの副会長の野村さんという方に国会までおいでをいただきまして、私ども、話を聞く機会を得ました。質問する冒頭に、野村さんのお話をさせていただきたいと思っております。  この方は、現在、青山学院大学で講師をしておられますが、アメリカで働いておられますときに、肝硬変で倒れたわけでございます。末期の肝硬変でございまして、移植をしなければ助からない。腹水がたまって、呼吸ができなくなって、そして、初めて自分が肝硬変であるということに気づいた。そのとき、四十歳を超えたところでございまして、みずからの命があと幾ばくもないということを知ったときに大変なショックを受けた。幸いなことに、野村さんは、アメリカの医科大学におきまして肝臓移植を受けることができました。移植を受けた直後というのはさまざまな意味で大変だったわけでございますが、その野村さんがこんな不思議な体験を語っております。  七時間半の手術の後、ICU、集中治療室で目覚めたとき、不思議な体験をした。頭の斜め上で何かが回っている。生きているね、生かされているね、一緒にね、だれもいないのに言葉がくるくる回って聞こえてくる。脳と肝臓が会話していると思った。  まさに二つの生命が出会うことによって新たな生命が生まれる、それが移植医療なのではないかなというふうに思っております。  そして、この野村さんは、肝臓移植をいたしまして、それが成功して命を取りとめました後に、子供さん、初めての子供さんができます。女のお子さんでございますが、そのお子さんができましたときに、またこんなことを感じられたそうでございます。  我が子の産声を聞き、エネルギーあふれる姿を見たとき、この子には親が三人いると感じた。移植は、人間として、命を支え合い、ともに生きる善意のシステムなのだとわかったのです。  この子の親は、野村さんと奥様と二人だけではない、肝臓提供してくださった方がおられてこの子供ができたのだ。まさに移植医療というのは、そういう意味では、善意によって支えられる医療であり、人間が、みずからの臓器提供するという、最高の善意によって支えられる愛のシステムであるというふうに私は思っております。  しかし、日本におきましては、多くの移植を必要とする患者さんがおられるにもかかわらず、移植を受けることができずに亡くなっていく方、海外に行って移植を受けられればそれはまた幸せかもしれませんが、海外に行っても移植を受けることなく亡くなられる方、そういう方がまだまだたくさんおられます。そうした患者さんは一日一日を不安な思いで過ごしているわけでございまして、私ども立法府にある者といたしましては、日本において移植医療が何としても一日も早く実現するように、努力をしていく必要があるというふうに思っております。  今国会におきましては、四年ぶりに、この臓器移植法案というものがいよいよ採決というところにまで参ったわけでございます。中山先生を初めとしまして、多くの方の努力があったわけでございまして、この機会を逃さずに、移植医療を定着させるための移植法案というものを成立させてほしい、そのように私は心より念願いたしております。  私がこの臓器移植の話をいろいろな方といたしますと、常にそこに出てきますのは、医者に対する不信感でございます。医者は何をするのかわからない。今回のこの臓器移植に関しましても、医者は勝手に脳死判定をして、臓器を泥棒のようにとっていってしまうのではないかと。ある意味では、私は、それは大変大きな誤解だというふうに思っております。  日本におきましては、臓器移植の歴史が、一九六八年の和田移植、そこからスタートをした。大変不幸なスタートであったと思います。そのことが、移植医療に対して決定的なネガティブなイメージというものを国民に与えてしまった。そういう意味では、医療関係者、医者自身も反省をしなければならないと思っております。  しかし、時は三十年前とは大きく変わるわけでございまして、医療のあり方というものも、インフォームド・コンセントというようなことを含めまして、大きく変わりつつあるのではないかというふうに思っております。しかし、まだまだ、医療国民から本当に信頼をされ、そして、この移植医療というものが国民から信頼されるためには努力をしていく必要があるというふうに思っております。  大臣にお尋ねをいたしますが、この医療に対する不信感というものを払拭して、国民医療に対する信頼感を回復するためには、厚生省としてもしっかりと取り組んでいただきたいと思うわけでございますが、今後、どのような決意で取り組まれるか、御所見をお聞きいたしたいと思います。
  92. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 この移植法案に限らず、医療に対する不信感を取り除くということと、医療に対する信頼を確保していくということは、これからも大変重要なことだと思っております。  特に、今回の移植につきましては、臓器提供していただく方、御家族、そして受けたいという方の体なり気持ちに対する説明等、医療を取り巻く不信感を除去するために、そういう信頼性が確保されるような措置をきちんと確保していくことが重要だと思っています。  そして、この御審議されている法律案においても、いろいろな規定が設けられておりますが、まず、移植に関する記録の作成・保存義務等についてきちんと確認をしているということ、こういう、両者にとって、医者が功名心に焦ってむちゃなことをしないような体制を、今後とも、この国会で御議論いただいているような皆さん方の意見を踏まえて、厚生省としてもきちんと確保していきたい、そういうふうに思っております。
  93. 福島豊

    福島委員 厚生省としてもきちっと取り組んでいただけるという御決意をお聞かせいただきました。  そうしましたら、具体的なことをお聞きしたいわけでございます。  先日、日本移植学会が行動指針というものを発表いたしました。臓器移植法が制定されました後に、この行動指針に基づいて移植が行われていくというふうに私は確信をいたしておりますけれども、初期の移植、これが適切に行われる必要がある。一例、二例、三例と、一つ一つ丁寧にきちっと、そしてまた国民理解を得られるような形で行われていくことが必要であるというふうに思っております。  物事は何事も初めが大切である、そういう意味では、この一例一例の移植について、厚生省も、きちっとフォローしていくというか、監視をすると言いますと言葉が悪いかもしれませんけれども、適切に行われているということをやはり確認していかなければいかぬというふうに思うわけでございますが、この点についてはどういう体制でこのフォローアップをしていくのかということにつきまして、厚生省のお考えをお聞きしたいと思います。
  94. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 これから法案が成立して実施に移った場合に、今先生おっしゃったように、一つ一つのケースというものをきちっと評価していくということは大変大切である、私どもそのように思っております。  臓器移植ネットワークについての検討を行った臓器移植ネットワークのあり方等に関する検討会の中間報告によりますと、移植医療の適切な実施のためには、ネットワーク内に、内科医、救急医、移植医、脳神経外科医、神経内科医、コーディネーター、法律家を含む有識者から構成された評価委員会を設置し、臓器提供を行ったすべての移植症例について評価を行うとともに、その評価結果については定期的に公表するということにいたしております。  また、評価委員会において問題とされた事例につきましては、さらに医療関係者や有識者から成る審査委員会に送付いたしまして、そこで審査をし、審査結果を公表することといたしておる次第でございます。  現在、死体腎移植のあっせんを行っている日本腎臓移植ネットワークにおいても、このような委員会が既に設置をされ、機能していると聞いておりまして、今後、多臓器移植ネットワークの設立の場合においても同様の体制を整備する必要があると考えております。
  95. 福島豊

    福島委員 ぜひともしっかりとした委員会運営をお願いいたしたいというふうに思っております。  委員会が適切にその評価というものを公表していかれるということを今局長がおっしゃられましたけれども、評価委員会での検討、審議、そういうものを公表していくというお話がございました。これも非常に大切なことだと思っております。  もちろん、患者さんのプライバシー、またドナーのプライバシーということがございますから、そのプライバシーを守るということを一面しっかり考えなければいかぬと思いますけれども、もう一面では、適切な公表体制といいますか、情報提供ということが要るのだと思いますが、そこの点につきましてもう少し詳しくお話しいただけませんでしょうか。
  96. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 移植国民理解いただくためには公表というのは大変大切ですが、もう一つ大切なことは、今先生がおっしゃられましたプライバシーの保護ということでございます。ですから、公表に際してはプライバシーの保護ということは十二分に気をつけて、そして、必要な情報を公開していくということに考えております。
  97. 福島豊

    福島委員 そしてまた、初期の移植に関しまして、これは保険適用ということにはすぐにはならないはずでございますけれども、費用的な面、数千万かかる費用というものをどういうふうに支援していくのかということも非常に大切なことではないかと思っておりますが、この点につきましてはどのようにお考えでしょうか。
  98. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 脳死体からの心臓肝臓等の移植につきましては、現在、我が国で実施されていないことから、医療保険の対象には当然なっておりません。  しかしながら、現在、臓器移植につきましては、角膜及び腎臓の移植が保険適用となっておりますし、また、生体肝移植については高度先進医療の適応として移植医療の一部が医療保険から給付されているところであります。  心臓肝臓等の臓器移植が行われることとなった場合には、その状況を見つつ、できるだけ速やかに、中央社会保険医療協議会、中医協において医療保険の適用についての検討を行ってまいりたい、このように考えております。
  99. 福島豊

    福島委員 検討の結論が出るまでの間のことでございまして、一例目、二例目、三例目、検討が出るまでの間どうするのか。ある意味では日本移植医療を成立させるための極めて大切なステップだということを考えるのであれば、私はやはり、公的なバックアップ、言ってみれば研究費という枠の中に入るかもしれませんけれども、そういうことが必要なのではないかなというふうに思っているわけでございますが、もう少しいかがでございましょうか。
  100. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 移植医療に係る経費というのを患者さん負担にしますと、先ほどありましたように、移植医療を公平に実施するということにも支障が来るわけでございまして、私どもは、患者さん負担というのが、皆さん公平ということが崩れないような形での援助をしていかなくちゃいけないと思っておりまして、最初の一例、二例というところは研究費で対応するとか何らかの措置を講じなくちゃいけない、このように思っております。
  101. 福島豊

    福島委員 ありがとうございます。  そしてまた、先日、移植学会についての報道で、在日米軍病院からの臓器提供についての対応をどうするのかということについて触れられておりました。この指針の中にもその点については触れられております。  私、在日米軍病院から臓器提供の申し入れが日常的なものとしてあり得るのだなということを存じ上げなかったものですから、大変勉強不足でございまして、現在、この申し出につきましてはどのような状況になっているのか、また、その申し出に対して現在はどのような対応が実際にはなされているのかという点につきましてお聞かせをいただきたいと思います。
  102. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 在日米軍病院からの申し出の件数が実際どの程度あったかというのは、私どもも承知をいたしておりません。  ただ、移植学会が四月十二日に発表いたしました日本移植学会臓器移植ネットワーク行動指針によりますと、法案審議中の現状では、在日米軍で発生した脳死体からの臓器提供は受けないという方針を出されております。こういう方針を出されるということにかんがみますれば、ある程度の量はもう提供の申し込みがあったというふうに判断ができると思っております。  また、過去に在日米軍病院から、脳死体からの心臓肝臓の情報提供が関連病院に連絡されたことがあったのだそうでございますが、結局、脳死体からの臓器提供は受けずに、心臓停止後の腎臓並びに角膜の提供を受けたことがある、こういうことでございます。  しかしながら、日米地位協定によりますと、在日米軍病院内において、日本人医師が臓器摘出を行うことについては日本法律が適用されますが、アメリカの医師が臓器摘出を行う場合は日本法律の適用外であると聞いております。  したがって、在日米軍病院でアメリカの医師が摘出した臓器を受け取って日本人医師がそれを移植したとしても、それは海外からの臓器を空輸したものと同じことになると考えておりまして、現行法に照らし合わせても問題がないと考えております。
  103. 福島豊

    福島委員 今の局長お話にもございましたが、心臓死を待って、心臓提供をする意思があったにもかかわらずそれがなされなかった。これは、レシピエントの側にとっても大変な不幸であったと思いますし、ドナーの側にとりましても、みずからの思いが遂げることができなかったということにおいては大変な不幸であったのではないか、そのように思っております。  そういう意味でも、大切な善意というものを生かすための枠組みをまたしっかりとつくらなければいかぬ、そのように感じるところでございます。  次に、医療のあり方につきまして、先ほども国民信頼感を回復しなければならないということで大臣の決意をお聞きしましたが、倫理委員会についてお尋ねをしたいと思います。  医学倫理委員会、全国の大学の医学部でありますとか医科大学等には倫理委員会というのが設置されているわけでございます。医療の不透明性ということを指摘する方からは、この倫理委員会がうまく動いていないのではないか、ただ研究者また医学者が決めたことを追認するというような形にしかなっておらず、実際に現場で医の倫理というものがきちっと守られているのかどうかということに対して適切な介入をしていないのじゃないか、そういう意見もあるわけでございます。  一つ一つの組織の中、例えば大学の医学部でありますとか、病院の中にあります倫理委員会ですとか、あくまでも内部的な委員会であるというような観点から考えまして、この倫理委員会を全体として統括するような中央の連絡協議会、倫理委員会の連絡協議会のようなものをつくってはどうかというような提言が一部の識者からはなされております。そこにおいて倫理委員会のあり方についてモデルというものをしっかりと示していく、そしてまたその質というものを担保していく、そういうことが、移植医療が現実に行われるようになった暁には必要ではないか、そのような御指摘があるわけでございますが、厚生省のお考え方をお聞きしたいと思います。
  104. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 全国の大学医学部、医科大学には倫理委員会が設置されまして、脳死及び臓器移植の問題、遺伝子治療など先端医療研究などについて、生命倫理の面での審査、審議が行われているものと承知をいたしております。ただ、これは、今先生がおっしゃられましたように、大学独自の判断で設置されているわけでございまして、特に法律規定があってこういうものが行われているわけではございません。  また、各大学ごとに設置されております倫理委員会におきましては、判断に苦慮する案件につきまして、情報交換や検討を行うことが必要であるとの認識から、平成元年に大学医学倫理委員会連絡懇談会が設置されまして、これまで、臓器移植問題やインフォームド・コンセントのあり方、終末期をめぐる諸問題について論議がなされてきていると聞いておりまして、こうした倫理問題を検討する場は大変重要であると考えておるところでございます。  ただ、今先生御指摘のように、なかなかそこの中身のことがわからないとかいう声もあわせて私どもも聞かせていただいております。この大学の倫理委員会が、国民にわかりやすい医療提供するという面で一層の改善ができるもの、していっていただきたいものと期待をしているところでございます。
  105. 福島豊

    福島委員 倫理委員会というのは大学に設置されているものであると。必ずしも大学だけではなくて、特定機能病院と言っていいような非常に高度な医療技術を持っておられますところにもそれはあるわけでございまして、文部省と厚生省の縦割りというのは確かにあるのかもしらぬのですけれども、ただ、ある意味では、医療がどう行われるのかということは、やはり厚生省がきちっと主管すべきことだというふうに私は思うのです。  医の倫理というのは、まさに医療がどう行われるのかということの価値的な部分での核心をなすものであるというふうに私は思っているわけでございまして、法的な規制もない、自主的なものだと。この連絡懇談会というのも、あくまで情報交換をして勉強するための組織であって、あなたのところの倫理委員会の働きはどうなっているのですかとか、この問題については倫理委員会がどう関与したのですか、そういうことは言わないわけですね。ただしかし、外から言われないとわからないこともあるわけでございまして、そういう意味では、スーパーバイズするようなきちっとした中央の倫理委員会をぜひとも何らかの形で設置していただきたいというふうに私は思っておりまして、これはお願いを申し上げる次第でございます。  次に、日本移植学会臓器移植ネットワーク行動指針についての対応ということをお聞きしたいと思います。  先日、移植学会の方からこの行動指針を送ってきていただきまして、私もずっと拝見をさせていただきました。この臓器移植ネットにつきまして、移植学会は、内部に臓器移植審査委員会というものを置いて、学会移植ネットが適切に運営されているということについて監視を行うというふうになっているわけでございます。ただ、内部的に置かれて自律的に監視をするということも非常に重要でございますけれども移植医療を大所高所から指導する立場の厚生省としましては、この移植ネット総体を、きちっと監督するというと行き過ぎのような気もしますし、チェックするということが必要なのではないかなというふうに私は思うわけでございますが、この点についてはどのようにお考えでしょうか。
  106. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 日本移植学会が独自につくられました臓器移植ネットワークにつきましては、旧法案が廃案となった直後の平成八年九月二十八日に開催されました日本移植学会の緊急理事会で決定をされた、法案の存在いかんにかかわらず、学会の責任において、三ないし六カ月の準備期間を置き、脳死者からの臓器移植を実施するとの方針に沿って、関係学会など各方面の意見を聞きながら具体化されたものと理解をいたしております。  この臓器移植ネットワーク構想及び臓器移植審査委員会につきましては、法律の整備がされていない段階で暫定的に移植を実施するために考えられたものでございまして、法案成立後の臓器移植実施体制には直接的には結びつかないものと考えておりますが、内容的に参考になる点があれば、法案成立後の移植実施体制のあり方の議論の過程で検討の対象となるものと考えております。  ただ、厚生省の方は、先ほどの質問にも関連しますが、遺伝子治療だとか今度の臓器移植の事例だとか、そういうものについては、一応、臓器移植の場合は臓器移植ネットワークの中に評価委員会、審査委員会を置いて、そして評価をする、審査をするということをやっていくわけですし、遺伝子治療は遺伝子治療で、厚生省の中に会議を置いてやっているわけでございまして、先ほどの、大学の場合は大学すべてのことについての倫理委員会ですけれども厚生省の方は、重要な医療行為についてはその審査をする、そして情報公開をするということは今までもやってきたし、今後も必要があるものについてはやっていくことになるものだと思っております。
  107. 福島豊

    福島委員 これは、法律ができない場合のお話であると。  ただ、その運用の仕方というのは、極めて現実的なことがずっと述べられているわけでございまして、十分それを踏まえて運営されるべきであろうというふうに私も思っております。その内部的な審査委員会と別にといいますか、離れた形で評価するというようなことも今後の移植医療を適切に行っていくという上では必要ではないか、そのように申し上げておきたいと思います。時間も残り少なくなってまいりましたので、もう一点、厚生省には、先日から佐藤先生が、一つの特定の施設に限って移植をまず実施すべきであると。  これは、どこで脳死の方が発生したか、どこから臓器を運ぶのかという時間的なものというのが当然あるわけでございまして、そういう意味では全国で幾つかの施設というのが現実的な対応かというふうに私は思っているのですが、具体的に、どこで発生するとどこで移植を受けることになるのか、また、レシピェントの選択に地域というのはどのように関係してくるのかということ、搬送ということがありますから、そのあたりについての概略と、それからもう一つは搬送手段、新幹線で運ぶのか、自衛隊に手伝っていただくのか、いろいろなことが考えられると思いますけれども、そのあたりも具体的に詰めておかぬといかぬ話でございまして、この点につきましての厚生省のお考えをお聞きしたいと思います。
  108. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 臓器移植のうち心臓移植の場合ですと、摘出をしてから移植をされるまでに大体四時間しか余裕がありません。肝臓の場合には十二時間ございますので、心臓の話でお話をさせていただこうと思っています。  心臓の場合には、四時間以内にレシピェントの方に移植をする必要があります。もちろん、移植するからには、腎臓の場合と違って、従来ある心臓を取り出してそこに新しい心臓を入れる、移植する心臓を入れるということで、それで四時間という制限があります。したがいまして、本当は医療施設はある程度広がっていた方がいいということになるわけであります。  もう一方、今度の臓器移植ということは、大変重要な重い治療であります。倫理的にも技術的にも大変重いものであります。そういう意味では失敗は許されないものであります。そういたしますと、医者の技術というものをできるだけ集積して、そして外科も内科も免疫学も、それからコーディネーター、いろいろな方、関係者皆さんに集まっていただいて、ある意味では国家的なチームとしてそれに対応していくことが重要であろうと思っております。  そういう意味では、国家的にするためには一カ所というのが一番わかりやすいのですが、実際には、今度、臓器の移送だとか患者さんのためを思うと、一カ所ということも無理でしょうと、こういうようなことが総論として大変問題になるところです。  日本移植学会の合同委員会というのがありまして、そこでは、今、技術的な問題として詰めていかれて、心臓については八施設肝臓については十施設が行える技術がある、こういうふうにおっしゃっていますが、その合同委員会のレポートの最後のところに、しかし当面、最初の数の少ないときに行われるところについては本当にもっと絞り込んできちっとした医療を行うべきである、こういうような御意見が出ているところでございまして、厚生省としても、この前、修正意見を出していただきまして、それは参考人で山口先生がおっしゃられたことに大きく呼応されておるものと私は思っておりますけれども、やはりある程度数を絞り込んで、そして失敗のない、そして国民が安心をして次の医療を受けられるというふうにしていくことが大切だと思って、この法案が成立した暁には、私どもは私どもとして、国会議員の先生方の御意見を受けて、合同委員会と十分相談をして、先ほどの合同委員会では絞り込みをしたいとおっしゃっています、私どももそう思っていますので、それに向けて努力をしようと思っております。
  109. 福島豊

    福島委員 ぜひともよろしくお願いいたします。  最後に、法務省の方においでいただいておりますので、検視についてお聞きをしたいと思います。  今回の法案の成立によって、場合によっては脳死体の検視が必要となるわけでございます。また、検視が終了しなければ臓器の摘出もできません。したがって、適切な対応というものをしていただく必要があると思いますが、何分にも初めてのことでございますので、現場でさまざまな問題が生じることがなしとしないのではないか、そのようにも思っておりまして、法務省としましては、この臓器移植法案が成立した場合、新たな対応を迫られる検視についてどのように対応していかれるつもりであるのか、御見解をお聞きしたいと思います。
  110. 渡邉一弘

    ○渡邉説明員 お答えいたします。  お尋ねのような検視等犯罪捜査に関する手続につきましては、その実施の方法等に関しまして、今後、関係諸機関と十分協議した上で、犯罪捜査に関する手続に支障が生じることなく、臓器移植が円滑に実施できるように適切に対処していくものと思っております。
  111. 福島豊

    福島委員 ぜひしっかりとよろしくお願いいたします。  以上で質問を終わります。ありがとうございました。
  112. 町村信孝

  113. 枝野幸男

    枝野委員 それではまず、法務省の民事局、来ていただいておりますか。――法務省の民事局に確認的なお話をさせていただきたいと思っています。図でもつくってくればわかりやすかったのですが、若干、頭の中をクリアにしてお聞きをいただきたいと思います。  典型的な例を申し上げます。お父さんがいて、お母さんがいて、息子がいて、おじいちゃんがいる。家族はそれだけだ。親族はそれだけだ。お父さんと息子が相次いで亡くなったという場合の相続関係についてお尋ねをしたいと思います。  お父さんが亡くなって、その次に息子が亡くなった場合、相続は、お父さんが亡くなったときに、その財産はお母さんと息子に半分ずつ行く、次いで息子が亡くなったときは、その遺産は全部、お母さんのところに行く。したがって、お父さんの持っていたお金は、お父さん、息子の順番で死んだら全部お母さんに行く。これでよろしいですね。
  114. 揖斐潔

    ○揖斐説明員 お答え申し上げます。  そのとおりでございます。
  115. 枝野幸男

    枝野委員 次に、息子が先に死んだときはどうなるか。息子が先に死んだときにお父さんの持っていた財産はどうなるか。息子が死んだ、次いでお父さんが死んだとき、息子がいませんから、子供がいない場合ですから、亡くなったお父さんの財産は妻とおじいちゃんのところに行く。妻に三分の二、おじいちゃんに三分の一、こういうことになる。これでよろしいですね。
  116. 揖斐潔

    ○揖斐説明員 お答え申し上げます。  今議員御指摘の実例によりますと、議員御指摘のとおりになると思われます。
  117. 枝野幸男

    枝野委員 そこで、中山先生などの御提出法案脳死を人の死というふうに定義をして、心臓死による死亡の時期と、脳死による死亡の時期と、従来の考え方からすれば二つ考えられるようなことになってくる。しかも、脳死の場合は、脳死判定をしたかしないかというのがどうやら基準になりそうな話であります。  そうすると、例えばお父さんと息子が相次いで亡くなったときに、お父さんが脳死状態を経て死んだとして、ちゃんと早い段階脳死判定をしていたらお父さんが先に死んだことになる。ところが、脳死判定をしないでほっておいたために息子が先に死んだことになる。これによって相続人が変わってくる。特におじいちゃんが相続人になれるかどうか変わってきますね。相続の関係上、こんなことがあっていいのですか。
  118. 揖斐潔

    ○揖斐説明員 今の委員の御質問でございますが、そもそも民事上何をもって人の死とするかということは、医学的知見を基礎としつつ、社会通念によって定まると言われているところでございます。その場合に、一般論として申し上げますと、従来はいわゆる心臓死を人の死としてとらえるということが社会通念だと言われてきたと考えられるわけでございますけれども、法定の手続に従った脳死判定をもって死と判定するということが社会的に受け入れられるということになれば、民事上の分野においてもこれに応じて同様に解釈されるということになると考えられます。  今委員御指摘の御質問、そのような場合、そのようなことになっていいのかどうかという御質問に対して、私どもとして直接お答えをすることは差し控えさせていただきたいと思っておるところでございます。
  119. 枝野幸男

    枝野委員 今のお話を素直に伺うと、中山先生提出法案が仮に通ったとしても、民事上の死亡の時期は別に勝手に判断しますよということになるのですが、実は私はそれでいいのだろうと思うのですが、同じようなことは刑事上も出てくるのだろうと思うのです。そういう理解でいいでしょうか。
  120. 揖斐潔

    ○揖斐説明員 刑事上どうなるかということは、私どもとして直接お答えできかねるところでございます。
  121. 枝野幸男

    枝野委員 法務省刑事局は来ていませんか。――おいでになっていない。  今まさに少なくとも民事の方の話について否定をされなかったように、要するに脳死を人の死とする法律が仮にできたとしても、死亡の時期を決めるのは、例えば民事に関して言えば、最終的には裁判所なんですよね。ずっと一貫して、死亡を決めるのは医師だ、医師が専門的知見に基づいて死亡の時期を決めるのだ、死亡したかどうかを判断するのだということが中山先生を初めとする案の提出者の皆さんの主張であって、それを法律で認めるのかどうかという話だというような論調をしてこられていますが、今の法務省のお話のように、例えば相続関係についての死亡の時期を決めるのは、最終的には裁判所なんですよ。医者ではないのです。医者は裁判所が決める上での参考になる有力な情報を提供する者であるのは確かでしょうけれども、相続に関して死亡の時期を医者が決めるのではないのですよね。法務省、それでよろしいですね。
  122. 揖斐潔

    ○揖斐説明員 お答え申し上げます。  個々具体的にいつ相続が起きたのかという紛争が起きた場合に、具体的な事案におきまして、いつ相続が起きたかということが争いになって、具体的な状況下でそれを判断するということは、最終的には裁判所で決められることになるというように思われます。
  123. 枝野幸男

    枝野委員 若干わかっていらっしゃる方はわかっておっしゃっているのでしょうが、わかっていらっしゃらない方は誤解して、医者が、このとき、死んだと言ったら、それがすべてなんだというような認識があったりするようですので、そこは誤解を解けたのかなと思っています。  それから、午前中の質疑の中で、厚生省の方が、本人が嫌だと言っても、本人というのはこの場合は本人の元気なときの意思であり、その家族の意思なんでしょうが、脳死判定をしないでくれという意思があっても、その拒否する権利はないのだという趣旨のことをお話しになりました。  それと、中山案の附則の十一条とを見比べてみて、それから先ほどの話などを伺っていますと、附則の十一条で、脳死状態の判定がなされた後の処置についても「当分の間、」は保険が適用されるのですよということが書いてあるから安心だというふうな意識を若干持っていたのですが、どうも今のお話から考えると、本人や家族が嫌だと言っても、医者が脳死判定しますと言って脳死判定をされた、脳死判定をされたら死体になるのだ、死体になった場合に、そこに対しての処置というものは、もちろん死体になってから例えば人工呼吸器をとめるというまでの間には時間があるでしょうから、その間の継続される部分というのはあるかもしれないですが、基本的にはとめてしまうのではないですか。いや、温かいのだから心臓がとまるまで人工呼吸器をずっと続けてくれと家族が言ったときでも、とめてしまうのではないですか。
  124. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 この十一条に書いてあることは、脳死判定がされてもその後も引き続き医療というのを、例えば家族が、まだ御遺体が温かい、ついては呼吸器を外さないでいただきたいという御要望があれば、人工呼吸器を続けられても、そのことは医療保険で対応させていただきます、こういうことを言っているものと解釈をさせていただきます。
  125. 枝野幸男

    枝野委員 それは、ある意味では、今度、保険の方から考えたら理屈が通らないのじゃないですか。少なくとも中山案の立場に立っていたら、もう死体なんです。物なんですよ。物に対して意味のない治療行為を行う、それは、現場で家族がどうしてもやってほしいと言うから自費でやるならわかりますよ。保険財政が苦しい中で、お金が足りないといって保険料を上げようと言っている中で、家族の感情だけですよね。中山案の立場に立てば、そんなところに保険から金を出すという話というのは論理矛盾になりませんか。論理矛盾になって、しかも、こういう保険財政が厳しい中でこういったことをやっていると、少なくとも、この「当分の間、」というのは本当に当分の間で、短い期間で打ち切られるというふうにむしろ思う方が自然じゃないでしょうか。
  126. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 常識で考えて、脳死はどんな治療を行っても生き返らない。脳死心臓死か、現場の家族は私は知らないと思いますね。医者が判断する。脳死だけれども心臓死まで治療してくださいと、私は家族が言うとは思いませんね。そして、この脳死の今の場合は、臓器提供したいという方と受けたいという方と、そういう第三者の判定のときに生きてくるわけであって、本人が臓器提供意思もない、全く医者も臓器移植することを考えないという場合、そういう問題が起こってくるのかなと私は思いますね。  論理的な遊びはいいですけれども、私は、それは常識で考えている。脳死だといってもう絶対に生き返らないのですから、どんな治療をやったって。本来だったら、普通だったらその治療をする必要はない、私はそう思いますけれども、いかがでしょうか。
  127. 枝野幸男

    枝野委員 午前中以来の話で、脳死判定臓器移植前提としなくてもなさるということを局長おっしゃっています。そうなんだろうと思います。なぜなら、逆に言うと、今まで、脳死体からの臓器移植はできないにもかかわらず脳死体というものが存在しているということは、臓器移植前提としないで脳死判定を既にしているわけですものね。これからもするのでしょう。そして、基本的には患者の側には拒否する権利はない、医師の医療行為等の中で脳死判定はするわけですよ。したがって、臓器移植をするかどうかにかかわらず、脳死判定をされる患者さんは出てくるわけですね。これは、臓器移植するかどうかと全然別問題です、そこのところは。  そこのところで、ここからは多分大臣見解が違うのだと思います。確かに、医学的にはもう生き返らないのだ、もう治療を続けることに意味はないのだということは、私も医学的には死であるという立場に立っていますから、そこまではそのとおりですが、しかし、それでも現状では、例えば柳田邦男さんが参考人としておいでになったときの、みずからは息子さんの臓器提供を認めたような立場であっても、後から考えてみるといろいろと悩むことがあると。  むしろ、世論調査などいろいろなものを考えてみると、過半数とは言いませんが、国民の中のかなりの部分が、脳死体で、心臓が動いていて、体が温かいという状態に対しては死んだとは認められないというのが、まだ現状での国民の中のかなりの部分を占めているというのは私は事実だろうと。  そこに対して、現場のお医者さんが、いや、そうはいっても、もう生き返らないのだから治療をやめましようということを説得して、そこはまさに医師対患者家族の一対一の話の中で、家族の側が納得して人工呼吸器をとめるならいいのです。しかし、法律みたいなもので上からばさっと――そういう人間が何割かはわかりません、世論調査のデータというのはいろいろとできますから。それだけれども、半分までいかないかもしれないけれども、決して百人に一人とか十人に一人とかではない、もうちょっとのレベルの数がいらっしゃる。その人たち意思を無視して人工呼吸器をとめるわけにはいかないじゃない。  とめるわけにいかないということになったときに、だからといって、そこにその治療状況というのを、もし中山案の立場に立つと、一見そこには保険からお金が出ますよというふうな書かれ方をしていますが、しかし、死体だと片方で言い切ってしまったら論理矛盾になるのじゃないか。保険財政の苦しい中で、死体だと言い切っておきながら、そこに保険を入れるというのは論理矛盾になるのじゃないか、こういう話をさせていただいている。
  128. 矢上雅義

    矢上議員 枝野委員に対するお答えですが、仮に論理上の問題としますと、私どもからしますと、金田案、いわゆる対案におきまして、法的に生きているとされる人から心臓摘出による死を迎えさせることの方が論理矛盾ではないかと思います。  仮に論理上の問題を除くとしても、脳死判定という客観的事実がなされた患者さんに対して、家族の情として、きちんとした処置を今後とも続けてほしいという要望があれば、当然、それは行われるものでありますし、私たち法案においてそれを排除するものでもございません。そういうことは一行も書いてございません。
  129. 枝野幸男

    枝野委員 要するに、抽象論として言えば、おっしゃるとおりでしょう。今までの経験から考えてくれば、現場のお医者さんが、家族から、心臓は動いているのだからそのまま人工呼吸を続けてくださいと言われたら、それを続けるという、人間関係というか医療機関の現場だけを見ればそのとおりでしょう。  だけれども、よく考えてください。我々が医療保険の保険料を払っているのは、家族の感情のために払っているのじゃなくて、健康と命のために払っているのです。死んだという認定をしたところに税金や保険料を払い込む、流し込むという理屈は、そう長い間はもたないです。今は糊塗的に、ごまかしのような形にして「当分の間、」というのは通るかもしれない。しかし、これは長くはもたない話です。  それから、論理矛盾の話をそちらがされましたけれども、しかし、どうして人の動いている心臓を取り出したら論理矛盾になるのかというのは、実は、みんな感情論以外に言っていないですよ。感情論はおっしゃっています。しかし、地球の重さよりも人の命は重いというふうなことは、一般的な感情論としては正しいかもしれないけれども、それはあくまでも感情論で、法律論でもなければ、この国の社会通念でもありません。  なぜならば、私は反対ですけれども、この国には死刑という制度もある。人の命を奪うことだって公権力でできるのですよ。正当防衛の場合だって人の命を奪えるのですよ。人の命は地球より重いというのは、まさに感情論としてはそのとおりだし、一般論としてはそのとおりかもしれないけれども、絶対不可侵なものではない。そこのところを誤解されて、感情論だけで物事を進めてしまって、感情論としてはよくわかります、物事の整合性がとれなくなるということが出てくるのが我々は恐ろしい。  必要なのは臓器移植を前に進めることであって、そんな余計なところに影響を与えるようなことをする必要はないのだということを申し上げて、時間になったようですので、終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  130. 町村信孝

    町村委員長 児玉健次君。
  131. 児玉健次

    ○児玉委員 日本共産党の児玉健次です。  脳死臓器移植の問題は、医学上、法律上の問題であると同時に、国民的合意を不可欠とする人道的、社会的な問題です。この問題で多くの国民がどんな疑問と不安を抱いているか、そのことに対して慎重な深い検討を行うことが国民的合意を形成する上で確かな道だと私は信じております。そういった立場から厚生省に、厚生省はこの問題に重要な責任を負っていらっしゃるところですから、きょうは、初めての御質問をしたいと思います。  答弁者の方々、おいでになっておりますが、きょうは厚生省質問を絞ります。ぜひ簡潔に答えていただきたいのです。朝から聞いておりまして、簡潔に答えていただきたい。それから、いまだに検討されておらないところがあれば、それは、この後、十分な時間を私たちは確保しなければいけないので、検討していないと答えていただければ結構です。  最初は、脳死判定基準についてです。  この問題で、ここ一両年、私たちは、幾つかの新しい問題にぶつかりつつあります。八日に私たち委員会が行った参考人からの意見聴取で、日本大学の林成之教授が、  脳死はこれまで、細胞レベルまで含んでいない概念でとらえられてきた歴史がありますが、脳の低体温療法の治療成績とか、その前進の結果を見ますと、やはり医学の進歩とともに脳死も細胞レベルの点まで含めて考える時代に入ってきたんだというふうに思うわけです。 とお述べになりました。  この指摘について厚生省はどのように受けとめているでしょう。
  132. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 今先生、脳の全細胞が壊死に陥った状態、つまり器質死をとるべきではないか、こういうことのお話だったと思いますが、これについては、脳死臨調においても議論がされまして、そして、結果として次のようにまとめられておるところであります。  国際的にも脳の機能死をもって脳死とすることが広く認められていること、二番目に、心停止後も脳の一部、例えば視床下部の細胞が相当期間生き続ける場合のあることから考えて、脳の細胞が全く死ななければ人の死と言えないとする考え方は、心停止によって死の判定がなされた場合においてもとり得ないこと、三つ目に、実際問題としても、脳死の状態下で病理学的検査を通じて脳細胞の状態をつぶさに観察することは許されず、したがって、すべての脳細胞の死を臨床的に診断することは不可能であること、といったことから、脳の機能死をもって脳死とする立場が採用されたところでございます。
  133. 児玉健次

    ○児玉委員 器質死とするかどうかというふうに林先生は単純化しておっしゃっておらないと私は理解しております。  あの参考人の御意見の中で、この問題を広くバランスを見事に保って調べていらっしゃる柳田邦男さんが、今局長がおっしゃった脳死臨調について、八〇年代の知見に基づくものだ、そういうふうに述べてもおられますね。  そして、林先生のお話の中で、例えば脳波のフラットの問題についても、鼻腔内の脳波の変化についてはいまだ十分それをつかむ状況には至っていない、こうも述べていらっしゃいます。  大臣、私がこの問題を強調するのは、今提起されている二つの法案の中では、この脳死基準の問題は厚生省令によるというふうに大きくなっておりますから、この点での厚生省の学問に対する謙虚さが問われているのですよ。その意味でお尋ねしておるので、お答えいただきたい。
  134. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 竹内基準というのは昭和六十年に厚生省研究班によってつくられたことは先生御承知のとおりだと思います。その後も、平成四年一月の脳死臨調においても、そして平成六年一月の見直しにおいても、この竹内基準についての見直しを行っております。そして、いずれも妥当である、こういう御返事をいただいておるところでございます。  今先生、鼻腔脳波の話をされました。これについては、我々、今でも脳死判定というのは非常に重要なことですから絶えず勉強しておるわけですけれども、これについては、学者の中でまだそれが評価をされていない、それが脳死との関係について正しい認識に皆さんが至っていないという現状であるということを申し上げたいと思います。
  135. 児玉健次

    ○児玉委員 竹内基準については、それが今、世界に存在している脳死判定基準の中で最も信頼性の高いものとしての評価は、林教授は率直になさっておりますね。局長も聞いていらっしゃった。その上で、今後に起こるべき前進や変化、それに対して学会の新たな知見を誠実に追いかけていく形でこの問題を充実させなければいけない、私はそう思います。  そのことについて、多分皆さんもそうだとお考えだと思うのだけれども、お考えを聞きましょう。
  136. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 脳死判定基準につきましては、今お答えいたしましたように、平成六年のときの学者の先生方のレポートでも、今、世界的にも評価されるすばらしい基準だと言って評価をされているところでございます。  ただ、今先生がおっしゃられましたように、医学というのはまだ進歩する、どこで進歩がとまるなんという限界はだれも言明できないものであります。したがいまして、厚生省としても絶えず研究を重ねて、新しい脳死判定ができればまたそれについての判断、そのときの判断をしていこうと思っておりますが、今は現在得られる脳死判定基準としては世界でも最高のものではないか、このように私は思っております。
  137. 児玉健次

    ○児玉委員 脳死判定の厳密性、脳死判定基準がどれほど最高の医学的知見に基づいているか、このことが一つ非常に鋭く問われます。その点で、私は厚生省努力を求めたいと思うのです。  と同時に、脳死判定の厳密性、公正性がやはり提起されております。この間の委員会審議の中でも、救急救命のためにあらゆる可能性を追求する努力臓器提供に望ましいドナーの状態とその維持の関連、ある委員はこれをぶつかり合いともおっしゃった。そして私もこの議論には積極的に参加をして、移植学会のマニュアルの案の段階で一部触れてあった表現について具体的に指摘しました。これは、参考人意見聴取の中で野本氏は、無用の言葉であった、そう言ってそこのところを削除された点も私は注目しております。  この救急救命のためにあらゆる可能性を追求する努力臓器提供に望ましいドナーの状態とその維持のための努力、ここのところをどのようにきちっとしていくか、この点で厚生省がもし何らかの指針をお持ちであればそれを示していただきたいと思います。
  138. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 今の先生の御質問意味、少し取り違えているかもしれませんけれども、要は、救急医療脳死判定の関係で、救急医療先生方患者さんの命を救うために最後の最後までこの患者さんを治すという方向へ努力をされる。その努力がされる一方で、臓器移植を期待する移植医の人たちが、早く脳死判定をしてくれ、こういうことを期待する。そこにはぶつかり合いが生じてしまって、本当に救急医療が最後まで行えるのかということを御心配されているのだと思います。  先ほど申しましたように、救急医療をやっている先生方は、今先生おっしゃったように、最後の最後まで努力をされます。しかし、先ほども言いましたように、救急医療の現場では実際に脳死判定がすべて行われているわけではないけれども、多く行われております。それはしなくてはならぬという法律規定があるわけではないわけです。実際には行われております。それは、先ほども何遍も申しましたが、患者さんに礼意を持って尽くす、患者さんの尊厳を大事にするということから、一方で、もうここまで来たら限界というのは、救急医としてみずから自分たち判断されるわけでありまして、そこには後の移植医療が待っているから臓器を早くとらせろということで救急医療の現場に入ってくることはないのであります。あくまでも救急医療が最後まで頑張られて、そして、もうここで脳死ですと言われたときに初めて移植医療のグループが動くということだと解釈しております。
  139. 児玉健次

    ○児玉委員 厚生省に私は率直に申したいのですが、野本教授は、この救急救命の現場で最後の可能性まで追求してぎりぎり頑張ると。救急救命の場にいらっしゃるドクターみんなのお気持ちだと思うのです。そして、我々も多少調べましたから、そのスタッフと移植云々のドクターのスタッフは別ですね。そのことをお互い承知の上で、野本教授は何と言いました。このぶつかり合いで一度でもルールを破ったら我々の移植の仕事はそれで終わりになりますと。そのくらい厳しい問題ですよ。その点について、厚生行政に当たる厚生省として、絶対あってはならないことが起きないための指針を持つ必要があると思うのですが、どうですか。
  140. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 救急医療先生方に、患者さんのために最後まで尽くしてくださいということは私どもで指導ができますけれども、最後の最後は、その医師の持っている御自身の、救急医の倫理観だと思います。それで、実質的には、私は、救急医療先生方が最後まで頑張られると思います。そこは、最後は医師の専門性、それから医師の持っているその人格、そういうものに期待をしていくということでございますが、厚生省としては、もちろん最後まで救急医療患者の命を救うために努力をしていただくよう指導してまいりたいと思います。
  141. 児玉健次

    ○児玉委員 この問題は課題として残るということを指摘しておきたいと思います。  そして、それとも深く関連するわけですが、最近の脳低体温療法、治療の前進によって蘇生限界が変わることを実証している。その蘇生限界というのが、脳死判定された人の蘇生を意味しないということは、もう私たちのこの議論の中でコンセンサスができています。今の科学の水準ではという限定つきですがね。そのことを申しておきますので、余計な御心配はなくていいのです。治療の前進によって蘇生限界が変わることをこの療法は実証しています。  そして林教授は、この御著作の中で、最後のところで、こうも言っておられるのです。日大板橋のような「重装備の管理システムが無くても、患者をある程度選択していけば、脳温管理の経験を積み重ねながら、その技術を高めて治療効果を出すことができると考えられる。」  この脳低体温療法について、これを普及させ、前進させてほしいというのが、このことに興味を持つ多くの国民の願いですね。この願いに厚生省はどのようにこたえようとなさっているか。そのとき林教授はわざわざ、重装備の管理システムでなくてもいいのだということまで述べていらっしゃいます。いかがでしょう。
  142. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 救急医療の現場において、今、脳低温療法というのが林先生の御努力で大分普及してきたことは事実ですし、それによって先生方も大分勉強をされて、この治療法が普及していくものと私は思います。  救急のすべての先生方は、やはり自分の診た患者さんはどうしても治したいということで、いろいろな治療を試み、また、これ以上のまた別の治療も出てくるかもしれない、そういうことを目指して一生懸命頑張られるものと思っております。  医療の中身について、行政府が何をしなさいとかと言うことは、私は、少しそれは行政府では越権ではないか。そうではなくて、患者さんのために尽くせる環境について、厚生省の方も可能な限りの援助をしていくということができることではないのかな、こんなふうに思っております。
  143. 児玉健次

    ○児玉委員 この点は、厚生省に、何らかの医学界議論の行司の役割をしてくれと言っているのじゃないのですよ。そうでなくて、例えば、皆さんが高度先進医療を採用していく過程で、その新たな治療法が、どれだけ普及し、どれだけ安全で、患者にとってプラスであるか、そういう判断から皆さんはそれを採用されて普及なさるのですよ。今までもそういう努力をされてきている。この脳低温療法についても、そのまま従来の治療でいけば脳死状態に至ったであろうと思われる人たちが、今は蘇生し社会復帰しているわけですから、そのことについて、厚生省として、学界でその価値が評価されているものについて、厚生行政として努力をなさるのは当然だと思うのですが、どうですか。
  144. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 先生は今、脳低温療法の評価の話を厚生省にせよとおっしゃっているのではないでしょうか。脳低温療法自体は、厚生省の場合、評価というのは、それが診療報酬の治療の体系として入るかどうかということがよく使われる評価という言葉だろうと思いますけれども、まだ現在、脳低温療法というのは診療報酬の適用の範囲の治療には入っておりません。その所管は、実は中医協の方に所管がありまして、私の局でもございませんので、そこについては明言を避けさせていただきます。
  145. 児玉健次

    ○児玉委員 この点について、大臣、どうでしょう。本当に劇的な変化というか、治療法の前進によって蘇生限界が変わるということが今明らかになってきているわけですから、そして国民の注目もそこに集まっているので、そういったものについて厚生省全体としてバックアップしていくということが必要だと思うのですが、いかがでしょうか。
  146. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 それは、医学の進歩によって、今は治らない病気でも治る可能性は私は否定しません、今までも随分そういうことが起こってきたわけですから。しかし、現在考えられる限り、脳死は決して蘇生しないというのは、世界の医学水準においても、日本の水準においても定着しております。それは、脳低体温療法によっても脳死状態から蘇生させるのは無理だということは専門家の一致した見方であります。という時点においては、脳死状態は死であるという定義にそれほど不自然な感じは私自身は持っていないわけであります。
  147. 児玉健次

    ○児玉委員 この問題もやはり残しておきましょう。  小泉大臣、どなたも含めて、この療法によって脳死判定された方が蘇生するということは、現在の所与の条件のもとでは、ないということを、みんなその点は認めている。私も認めている。ただ、脳死に至るであろう人たちが、それこそあの分水嶺の向こうに落ちるべき人が手前のところで、脳死判断される手前のところで社会復帰するという点では世界的に注目されているわけですから、そこのところを厚生省は着目してほしいと私は思うのです。どうでしょう。
  148. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 それは一つの画期的な医学技術として、今後、私も大いに期待したいと思っております。それはまさに医学の進歩につながるわけですから、そういう点については、脳死のこの移植とは切り離して対処すべき問題ではないかなと思います。
  149. 児玉健次

    ○児玉委員 次の問題に入ります。  臓器移植についてですが、もしこれが行われればという仮定の問題として私は申しますけれども国民の間にあるこのことについての不安、危惧は、移植の公平性、公正性が全面的に確保されるかどうかの問題です。社会的、経済的な条件の違いによって差別が生まれはしないかという不安がやはりあります。移植に要する医療費の負担の問題も含めて、厚生省はこの重要な問題についてどのように対処なさるおつもりか、お答えいただきます。
  150. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 臓器を公平公正に国民の皆様に提供していくということは大変大切だというのは、先生のおっしゃられるとおりでございます。現在行われている腎臓移植におきまして、実際に公平公正に分けて、皆様に御理解をいただいていると思っております。  ですから、今度の場合、この法律ができ得ましたときには、心臓肝臓についてもこういう全国共通のネットワークというものを整備して、そして、そこによって公平公正に臓器提供者を決めていくということに向かうものと思っております。
  151. 児玉健次

    ○児玉委員 当然、そのことはもう徹底して行わなければならないと考えます。  そして、そのとき、先ほど私が伺った移植に要する医療費の点、確かに医学的な組織のマッチングの面ではかなり一定の手順に従って仮に進められるとしても、しかし、その移植の手術に要する経費をその人が負担しなきゃいけないということになったら、その瞬間に、恐らく何百万というそういう経費について負担し得る部分と、し得ない部分が出てきますね。この点、どうです。
  152. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 今先生おっしゃいましたように、臓器移植には相当の経費がかかりまして、それを個人負担ということになりますと、途端に公平公正という線が崩れるのではないか、私もそのように思っております。  したがいまして、私は、患者さんにはある程度の負担はやむを得ない、その程度はしていただきたいと思いますけれども、その移植に係る経費については、多くは保険で払えるとか、または当面、まだ保険適用にいく前については、先ほども答弁させていただきましたけれども、研究費等で患者負担のかからないようにしておくことが大変大切だと思っております。
  153. 児玉健次

    ○児玉委員 この点もさらに突っ込んだ論議をしたいと思いますね。  それから、ドナー意思の確認をどのようにするのかという問題です。  委員会審議の中でも、子供さんや知的障害などを持つ方々の場合、中山案の提案者からは、第三者による審査機関に触れたお話がありましたが、この点で厚生省はどんな考えを今持っていらっしゃいますか。
  154. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 少し長い答弁になりますけれども、お聞きいただきたいと存じます。  臓器提供意思は基本的に尊重されるべきものであり、その前提として、臓器提供及び臓器移植に対する正しい知識と理解前提となるものと考えております。小児や知的障害者の方についても、これを理解し、臓器提供に関する意思表示の効果を理解した上で主体的に判断する能力、意思能力を備えていれば有効に意思表示を行うことができるものと考えています。  したがって、小児や知的障害者の方の意思表示については、その意思表示を一律に無効とすることは適当とは言えませんが、意思の確認等その取り扱いについては十分慎重に行われるべきものと考えております。  このことについては、平成六年一月に厚生省が示した、脳死体からの場合の臓器摘出の承諾等に係る手続についての指針骨子案においても、「本人の意思表示・意思伝達が著しく困難な場合や判断能力に障害を有していた場合等においては、特に確認を十分に行う。」こととしているところであります。  お尋ねの、意思表示の取り扱いが困難な事例について、第三者機関を設置し判定を行わせるとの御意見は傾聴に値するものと考えておりますが、このような御提案も含め、小児等の意思表示の取り扱いについては、今後の課題として十分検討してまいりたいと思っております。
  155. 児玉健次

    ○児玉委員 今後の課題であることが明らかにされました。  大臣にお伺いしたいのですが、今私たちが真剣に議論している問題は、人工臓器という分野で大きく前進をしていけば、そのほとんどが議論しなくていい問題ですね。白内障の眼内レンズの問題だとか不整脈のペースメーカー、私は、日本の科学と経済の力というのは相当なものだと思っているわけですが、この人工臓器の研究と開発にもっと力を傾注して当然だと思うのです。この点でいかがでしょうか。
  156. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 私もその意見に賛成です。
  157. 丸山晴男

    ○丸山政府委員 人工臓器の開発状況について一言申し上げたいと思います。  人工臓器の普及と研究開発は、臓器移植とも密接な関連をとって進展をしてまいっております。  例えば、人工心臓の中で、欧米では、最近は体内埋め込み式の補助人工心臓が開発されておりますが、これは、主として臨床の場で、心臓移植を待つまでのブリッジユース、つなぎ使用として使われております。完全に心臓の機能を代替する埋め込み型の完全人工心臓につきましては、現在のところ、一年ないし二年の動物実験での生存例がございまして、長期に人間に使えるような状態になるにはまだ多くの課題が残っております。  人工肝臓、人工膵臓につきましては、むしろバイオあるいはハイブリッド型という生体細胞の体外培養とか免疫反応のコントロールといったような、移植同様のドナーの問題などを抱えておりますけれども、これも他の臓器に比べまして比較的研究の歴史が浅いということでございます。  今後とも、人工臓器の研究開発には全力を尽くしてまいりたいと考えております。
  158. 児玉健次

    ○児玉委員 きょう初めて厚生省に、皆さんが今どんなことを検討なさっているのかということをお聞きいたしました。率直に言って、かなりの重要な問題については、現在、検討過程にある、そういうふうに私は受け取ったと言わざるを得ません。  脳死臓器移植に関する国会論議は開始されたばかりです。この間の質疑で、重要な問題が存在していることが本当に明らかになりました。そして、国民の皆さんの中のこの脳死臓器移植に関する関心が私たちのこの論議の中で集中し始めていることも私は感じます。  そうであるだけに、先日、参考人から非常に示唆に富んだ御意見をお聞きして、その御意見にこたえるためにも、私たちがこの審議を引き続き慎重に、真剣に行っていくことが国民に対する私たちの責務だと考えておりますので、そのことを同僚議員の皆さんに心から訴えて、私の質疑を終わりたいと思います。  ありがとうございました。
  159. 町村信孝

    町村委員長 中川智子さん。
  160. 中川智子

    ○中川(智)委員 社会民主党・市民連合の中川智子です。  我が党の党首は憲法学者でございまして、きょうは、最初に憲法に触れた質問を少しさせていただきたいと思います。  実は、国学院大学の憲法学者の新倉教授がこの間の国会審議を見ておりまして非常に心配されて、お手紙をいただきました。その手紙の中で、このように書かれています。よく聞いてください。  いま脳死論議で問題になっている「死体(脳死体を含む。)」というきわめて便宜的な言い方は、実は、憲法が予定している万人に対する人権保障の範囲に関わる重大な問題を含むことが、この間の論議では見落としてなされているのではないか、 非常に危惧しますということを書かれています。長い手紙なので、時間がないので全部は言えませんが。  まず、憲法十一条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」とございます。この趣旨に立ちますと、「死体(脳死体を含む。)」と規定することによって、憲法上、基本的人権の享有主体である「何人」の範囲が狭められ、これまで基本的人権の享有主体であった者が基本的人権の享有主体でなくなるというところの論議がございます。  このようなことは、まさに憲法の内容について実質的に改正を行って初めてこのたびの中山案が出されてしかるべきだと思いますが、法律の立案に携わった法制局にきょうおいでいただいておりますので、「死体(脳死体を含む。)」とすることによって憲法上の「何人」の範囲がどうなるのか、御説明をお願いいたします。
  161. 福田孝雄

    ○福田法制局参事 お答えいたします。  先生が言われるように、憲法には、「国民の権利及び義務」という章には「何人も」というような規定がございますけれども、この規定は、当然、生きている方ということになるわけでございます。したがいまして、死亡された方はこの対象にはならないというわけでございます。  中山先生提出の案の中には、「死体(脳死体を含む。)」という規定がございますが、これは脳死臨調答申にもございますが、「脳死をもって「人の死」とすることについては概ね社会的に受容され合意されているといってよい」という社会的合意を前提といたしまして、脳死体が死体に含まれていることを確認的に規定しているものでございまして、この規定によりまして死体を創設的に拡張したというものではございません。  そういう意味から、特段、憲法の内容に変更を加えるということにはならないと考えております。
  162. 中川智子

    ○中川(智)委員 それでは、そこのところで、脳死体、死体となりましたら、もう基本的人権の享有主体でなくなるというところまで踏み込んだ国民的合意かどうかというところでの法制局の御見解を伺いたいのですが、そして中山先生、お二人にお願いします。
  163. 福田孝雄

    ○福田法制局参事 お答えいたします。  先ほども申し上げましたように、脳死臨調答申におきましても、「脳死をもって「人の死」とすることについては概ね社会的に受容され合意されている」という前提がございますので、特段、問題にはならないというふうに考えております。
  164. 中山太郎

    中山(太)議員 衆議院法制局の答弁と同様の趣旨でございます。
  165. 中川智子

    ○中川(智)委員 このように、今まで憲法で保障されていた基本的な人権を持っているというふうに私たち国民はすべて受け取っていました。ところが、今回の法改正で中山案が通過いたしますと、一切そこのところをばっさりと、脳死だというところで、私たちの基本的な、憲法上保障されているところの権利がばっさりと切られてしまう。ここに対して、私は絶対、憲法改正がまずあって、そしてこの法律案を論議しないと、ですから、衆参両方の三分の二以上の賛成があって、そして国民投票をしてからこの議論というのを進めるのが本筋ではないかと思いますが、そこのところがどうしても納得できない。  国民的合意がまさにそこの部分に触れられて得られているものかどうか、そこのところをもう一度伺いたいのですが、両方の提案者にお伺いしたいと思います。
  166. 枝野幸男

    枝野議員 中川先生が今御指摘になったような趣旨というのは、憲法論としてどういうふうにとらえられるかというのは議論があろうかと思います。  ただ、今おっしゃっておられたとおり、まさに基本的人権の及ぶ範囲というものを実質的に動かす効果が及ぶという実質面を考えたときには、憲法改正に匹敵をするような慎重な取り扱いが我々に課せられているのではないかというような思いを持たせていただいています。
  167. 中山太郎

    中山(太)議員 私は、先生御指摘のように、憲法改正をするための三分の二以上の発議及び国民投票の結果によらなければこの問題を扱えないという種類の問題ではないと考えております。
  168. 中川智子

    ○中川(智)委員 私は、国民の立場に立ちますと、そこの時点で全く物として扱われるということに対しての合意は絶対にできていないということを強く言いまして、これ以上憲法に関しては、そこのところは本当に時間がないなということを思います。ここの議論をしていって初めて人の死を法律で決めていくという大事なことがなされていくのではないかと思います。  次に、私も自分の体をこの間いろいろ一つ一つなでてみまして、この体がもしも脳死だと言われたときに、私の愛する家族がもう解剖をしてもいいという、解剖のところをちょっと考えていたのです。  そして、死体解剖保存法というのがありまして、私、こんな難しいのを勉強したのは、ここへ来て本当に頭がよくなったなと思うのですけれども、第七条の「遺族の承諾」、「死体の解剖をしようとする者は、その遺族の承諾を受けなければならない。但し、左の各号の」といろいろあるのですが、脳死状態も、脳死だと言われた時点で解剖を家族が承知したら、まだ心臓も動いている、血も通っているところで解剖というのはできるのでしょうか。厚生省、お願いします。
  169. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 厚生省の中の話ですが、所管局長が違いますので、私、急の御質問で、担当局長ではございませんので、申しわけございません、御返答できかねます。
  170. 中川智子

    ○中川(智)委員 知っている範囲でもだめですか。私は、生体実験のような気がするのです。まさに生体実験のような形で、やはり物として扱われるということに対して――それじゃ、きょういらっしゃらないのだったらば、きっちりと文書でいただきたいのですが、いかがでしょうか、厚生省
  171. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 今の御質問は文書でお答えいたします。
  172. 中川智子

    ○中川(智)委員 文書でいただいて非常に疑問だったら、またどこかで場所を設定していただけますか、委員長
  173. 町村信孝

    町村委員長 理事会で協議をいたします。
  174. 中川智子

    ○中川(智)委員 それじゃ、理事会でよろしくお願いいたします。  もう最後の最後で、いろいろなことを伺いたい、でも時間がない、そして二十二日は手を挙げて決めていくという……(発言する者あり)ええ、決まってないですけれども、二十二日というのは決まっているじゃないですか。  先ほどの話の中で、いわゆる臓器配分ネットワークのあり方について伺いたいのですが、違反事例が起きたときの審査委員会の構成メンバーをお伺いしたいのです。細かくなくてもいいですから、お医者様が何人とか、そのような形でちょっと教えてください。
  175. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 今のはネットワークの中の審査委員会の話でございますね。(中川(智)委員「そうです」と呼ぶ)  この多臓器という全体の臓器移植のネットワークというのもまだできていませんし、これからできるわけでありますけれども臓器移植審査委員会規約というのが、移植関係学会合同委員会がつくったものがございます。その中では審査委員会というもののメンバーが書いてありますが、ここには、移植関係学会合同委員会に参加する関係学会の代表する者以外の有識者として、そのほかに、基礎医学、看護、コーディネーター、法律、文化、マスメディア、厚生行政等各一名の委員で集まってやります、こう書いてあります。
  176. 中川智子

    ○中川(智)委員 私も今知っているのに聞いて申しわけなかったのですけれども、とてもお医者さんが多いなと思います。もっと法律家や、人権問題をやっている憲法学者だとか、患者ですとか社会学者、そのような方を入れていかねば公平性が保たれないと思いますが、御所見をお願いいたします。
  177. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 この審査委員会というものの会の目的を考えまして、今先生が、その他の方についてもう少し考え直してほしいということですが、そこについては再度考えてみたいと思います。
  178. 中川智子

    ○中川(智)委員 ぜひともお願いいたします。  それと、ちょっとネットワークについて伺いますけれども、今、腎臓の方があって、今度は多臓器を別個につくられるということを伺っているのですが、どうしてそれは一つのものとして、機関として前に進んでいくことはできないのでしょうか。どうして分けられるのでしょうか。
  179. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 私ども、多臓器ネットワークと腎臓ネットワークと分けるという答弁は記憶にないのであります。  我々の考えでいますことは、腎臓ネットワークというのが現在あります。それを基盤として、それを多臓器にしていこうと今のところは考えておるところでございます。  ただ、まだ具体的に法案が通っていませんので、通った段階で、私どもとしては、腎臓と二つつくるということを考えているわけではない、できれば腎臓ネットワークを基盤としてそれを活用した新しい多臓器のネットワークをつくりたい、このように思っております。
  180. 中川智子

    ○中川(智)委員 基盤としてネットワークをつくるということは、将来的に一つにする、そのようなお考えですか。
  181. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 一つにしたいと考えております。
  182. 中川智子

    ○中川(智)委員 私の知り合いで腎臓移をした女性がいるのですが、移植をするまではとてもよくしてくれた、移植のために頑張りましようといって、もうこんなにすばらしいお医者様がいるのか、生きてきてよかったというぐらい感動して移植をしていただいたのですが、移植した後、調子が悪くなっても、今度はとても冷たくなって、この世の中にこんな冷たいお医者さんがいるのだろうかという、人格変貌を遂げたような、移植するまでは優しくて、した後は非常に冷たいという、このような苦情が最近多いらしいのです。  その方たちが、私たちは実験に使われたようで、その後、どこにこの苦情を、この苦しさを、悩みを持っていったらいいかわからないとおっしゃっておりますが、厚生省は、移植手術を受けた後の人たちの調査をきっちりして、移植が何人ということじゃなくて、その人たちのその後の生活に対してきっちり責任を持つ、ケアをする機関があるのかどうか、そこをお伺いしたいです。
  183. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 移植医療の実施に当たりましては、移植部門の担当者だけではなくて、内科だとか麻酔、免疫の担当医のほか、看護、リハビリ等を含めたチーム医療が不可欠である、このように考えております。  特に、直接移植術を行う外科医と、その手術前の治療を担当し、また手術後においても免疫抑制剤の投与を初めとする診療を行う内科医との連携は非常に重要であると考えておりまして、従来から、関係者に対して円滑な連携を指導しているところでございます。  また、移植を受けた患者に対する精神的ケアにつきましては、御指摘のとおり、特に移植を受けた臓器と生涯つき合っていく患者方にとっては重要な問題と考えておりまして、そのあり方については、今後、移植を受けた方の御意見も聞いて十分考えていこうと考えております。
  184. 中川智子

    ○中川(智)委員 時間が過ぎましたので終わりますが、本当に大切な大切な法案を私たち審議していると思います。政治家として、きっちりと責任のある、しっかりと考えた、そのような態度で臨みたい、皆様に最後にそのことを訴えて、終わります。  ありがとうございました。      ――――◇―――――
  185. 町村信孝

    町村委員長 次に、内閣提出、健康保険法等の  一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。栗原博久君。
  186. 栗原博久

    栗原(博)委員 連日、臓器移植法並びに介護保険法また健康保険法などの重大な案件で御努力、御尽力されております小泉厚生大臣を初めとする関係各位に、まず深甚なる敬意を表したいと思います。  今、我が国は、まさしく財政の危機であると言われております。この年度末には国債が二百五十四兆円で、地方債などを含めますと約四百七十兆円に及ぶ債務残高を持つわけでありまして、先進国の中で最低の水準であるというふうに伺っております。  このように、巨額の双子の赤字と申しますか、二〇二五年の財政収支の対GDP比はマイナス一四・七%、経常収支の対GDP比はマイナス一四・三%という重圧を抱えながら、まさしく我が国日本丸がどこに沈没するかというような、そういう危機的な状況を迎えていることは私どもは周知の事実であります。  そういう中で、橋本総理は、財政構造改革五原則ということで、行政、財政、金融を含め、すべてに対して強い決意で、二〇〇五年には財政赤字対GDP比を三%、あるいはまた赤字国債の発行をゼロにするという決意を示されて、一切の聖域なしということをおっしゃっているようであります。  来年度の予算においては、政策経費であります一般歳出を本年度マイナスとするような話も伺っておる中で、特に社会保障費は一兆円近い自然増が年々見込まれておるわけでありますが、こういう中におきまして、本法案、課題であります健康保険法に絡みまして、質疑をひとつさせていただきたいと思います。  要するに、高齢化はどんどん増してまいりますから、国民負担率を何としても五〇%までに抑えようという中で皆さんも大変御努力をされていると思うのであります。  ちなみに、資料をちょうだいしましたので見てみますが、我が国国民医療費を見ますると、例えば昭和三十六年に五千百三十億円の国民医療費が五十年には六兆四千七百七十九億円、その十年後には十六兆百五十九億円、現在は二十七兆一千六百億円というふうになっているわけであります。これをこう見まして、国民医療費の国民所得に占める比率を見ますと、昭和五十三年ごろから徐々にふえている。ところが、国民所得を見ますると、増加率は年々低くなっている。要するに、国民医療費の対国民所得は、現在は、平成七年の見込みですが、七・二%である。それでは、我が国国民所得の増加率は幾らかというと一・八%である。この資料を見ましても、国民医療費と国民所得の対比の中で大変厳しいものがあると思うのであります。  ちなみに、バブルの時代が終わりまして、今、国民所得の伸びが一%程度である。ところが、六十五歳以上の国民が七%から一四%になるのに、我が国はわずか四十五、六年である、スウェーデンはたしか百二十何年で、フランスが八十何年とか伺っておりますが、急テンポに老人がふえていく。今、六十五歳以上が一千八百万人有余おるやに伺っております。あるいはまた、それじゃ子供たちはどうか、少子化社会ということで出生率が一・四二ですか。こういう中でいかに財政再建の中における健康保険問題をとらえねばならぬかという課題であると思います。  昨年の十二月六日に、医療保険審議会が国民健康保険制度の改革ということで建議書を小泉大臣提出されておりますが、国民皆保険を支える、特に国民健康保険等が大変な状況にあるということを訴えながら建議を出しているわけであります。  先般、私ども自民党も、あるいはまた与党の皆さんも、この件について、将来の我が国医療制度改革をせねばならぬということで、四月七日に、医療制度改革の基本方針で、本格的な高齢化社会の到来に備えまして二十一世紀にふさわしい医療保険制度をつくるということを、そしてまた、皆保険で安心で適切な医療提供していくということを第一条件といたしまして、医療における情報公開の推進とか透明性の確保を図りながら、医療資源にむだがないか、効率的かどうかの観点から、国民の立場に立った医療提供体制と医療保険制度の両面にわたる抜本的な改革をするというようなことを提言しておるわけであります。  その中で特に議論のありましたことは診療報酬体系でございますが、今までの出来高払いを踏み越えて、定額・包括払いが有効に機能する医療領域においてそれを積極的に活用するというような話の合意もあるわけであります。  こういう点におきまして私は大臣にお聞きしたいのでございますが、こういう財政の厳しい中におきまして、そしてまた、健康保険は国民全員が関係するわけでありますけれども大臣医療制度改革に対する御所信をまずお伺いしたいと思います。
  187. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 ただいま御指摘のように、我が国財政は非常に深刻な状況にあります。そういう中で、社会保障制度、わけても今回御審議をいただいております医療保険制度の改革案につきまして、国民は非常に関心を持っておりますし、この医療水準を何とか維持、高めていきたいという気持ちを持っていると思います。そして、だれでもよりよいサービスを要求する、給付を要求する。しかし、その給付を支えている方のことも考えないと、今お話しのように、ますます高齢者が増加している中で、どちらかといえば支える側の若い世代がこれ以上の負担にたえ切れるかどうかという問題が出てきております。いわゆる給付と負担の均衡を図るという問題であります。  わけても、これから国民経済の発展を図る意味においても、経済成長なくして福祉の充実はできません。余りにも負担が多いと、国民も企業もこれは働く意欲をなくしていくということから、政府としては、将来の国民負担率を五〇%を超えない程度におさめて、その中で新しい時代に対応できるようなそれぞれの制度の改革を行っていこう。その中の一つが社会保障制度の改革であり、中でも今御審議いただいている医療保険の改革につきましては、予算委員会においても、本厚生委員会においても多くの方々が御議論をいただき、このままではいかぬという認識においてはほぼ一致していると思います。  そういう中で、今回、段階的な案として、この医療保険財政というものを安定的に運営していくために出した案につきましても、御批判が多いのは重々承知でありますけれども、私は、今回の法案を成立させていただき、そして、できるだけ早い機会に今の医療制度のあり方について根本的に見直さなければならない。  今お話しの診療報酬制度もその一つであります。出来高払い制度という、これは一面においては大変長所を持っております。どんな方に対しても必要な治療は全部する、必要な検査は全部する、必要な薬は全部投与する、こういう費用については保険で負担しますよということで、長所はたくさんあるのです。  ところが、この長所が、長年使われていきますと、どれが必要で、どれが不必要かというのがなかなかわからなくなってきた。ある場合においては、不必要な、過剰な薬を投じているのではないか、過剰な検査がなされているのではないのか、過剰な治療がなされているのではないか、それをほかの方が負担するというのはある面においてはむだではないのかという観点がありまして、これから、出来高払い制度だけでなくて、包括・定額払いという、一つのまとめた額の中で必要な治療医療行為をなすという形を組み合わせたらどうかという意見が出ておりますので、私は、今後の改革の一つの方向としてこれは大変傾聴すべき御意見であり、その方向で、今の診療報酬体系のままでは済まぬ、出来高払い制度と包括・定額払い制度のよさが発揮できるような組み合わせをぜひとも今後考え、それをできるだけ早い機会国民の皆様に提示したい。  あわせて、今お話はまだ出ておりませんけれども、薬価の基準も決め方が不透明ではないか、あるいは薬の医療行為の中に占める割合が多過ぎるのではないかという御批判、御指摘もあります。薬価基準の根本的な見直しにも踏み込まなければならない。  そして、医療提供体制の問題、老人保健制度、このままでいいのか、そうではない。三時間待って三分の診療しかできない、だれでもかれでも大病院に集中する傾向、このままでいいのか、そうではないだろう。  ということもありますから、医療提供制度あるいは診療報酬の見直し、薬価基準の見直し等を含めまして、総合的な、抜本的な改革を早い機会にしなくてはならない、その案を厚生省としても責任を持ってまとめて国民批判に供さねばならないと思っております。     〔委員長退席、住委員長代理着席〕
  188. 栗原博久

    栗原(博)委員 大変深いお考えをお聞きしまして、敬服いたします。  私は、今、この健康保険制度につきまして、地元の医師の方々あるいはまた健康保険組合の方々からしょっちゅう御連絡をいただいておるのでありますが、おのおのの方々がおっしゃるのももっともなお話でございます。  特に医師の方々お話を承りましても、今は金利が大変安いわけであります。医師をおやめになって生活されている方、要するに、利子で生活されている方がたくさんおられる。この中で、かつて医者を開業しておったころ、高額な医療器械を買って、体を壊してもうやめてしまって、まだまだその弁済もあるというようなことで悩んでいる方もおられます。私は、日本医師会の皆さんのお考えもわかります。ですから、やはりむだな経費を削減する。例えば、医療器械等は大変に高額である、あるいはまた薬の製造メーカー等につきましても、約一〇%近い、高い利益率を出しているようであります。こういった点を踏まえながら、安心して医療にいそしめるという体制、あるいはまた安心、安堵しながら医療にかかれるという体制、そういうものをぜひひとつ小泉大臣から御賢察を賜りたいと思います。  特に大臣におかれましては、私は、財政問題について、先般、二月二十八日ですか、本院の本会議場で、大変示唆に満ちた、そしてまた果敢なる発言を賜りまして、まさしく私は、あの本会議場の議場を見まして、当選してまいりまして約三年七、八カ月でございますが、あれほど活気に満ちた議場を見たことはないということで、当選してよかったなと思ったわけであります。  要するに、財政のことについては、大臣かねがね、郵政の三事業の民営化について御発言でございます。私はそれについては申しませんが、ただ、この財源の出口と中間組織と入り口を一体化しなければ財政問題は解決しないという大臣のそのお考えは、まさしく私はそのように感じるわけであります。  私も、今、大臣がこの郵政の三事業について、多くの方々の御批判もあえて受けながらその御発言を繰り返していることについては敬意を表しておるわけでありますが、私は、特に医療との関係でちょっとお伺いしたいのであります。  大臣が、民営化になった場合、要するに民間活力の導入を図るのだ、そして、例えば郵政の現行の郵便貯金などの業務でございますが、これは全く、民間の金融機関に当然義務づけられております税、法人税あるいはまたもろもろの事業税あるいは固定資産税等、こういうものはなくて仕事をやっているのだということで、これを民営化すれば多大な税収が入る、あるいは、これを民営化した場合、株式を発行したら十兆円ほど入るとか、あるいはまた、今、国家公務員の定数削減の問題もありますから、それで二十万人の削減にもなるというようなことの御提言をされておるので、大変示唆に富んだ発言と思っております。  私は、問題は、医療費の中で、特に国立病院の問題をちょっと関連してお話をお聞きしたいと思うのです。  今、国立病院の削減、統廃合がされておりまして、私の選挙区でも、この前、村松の国立病院が統廃合いたしまして、村松と西新潟と寺泊が統合しまして、私もこれについては地域医療において大変異議があるということで幾度も反対を申し上げたのでありますが、厚生省の強い決意と、あるいはまたそのアフターケアの問題で承知したということになりました。  ところが、実際、統合してみますと、この村松の病院は、当時、百床のうち三十五床しか入院者がいなかったのでありますが、先ごろ私、病院からファクスをもらいましたら、今、八十二人埋まっている。平成七年に引き受けをして、町が、一町が引き受けして、地元の南部郷病院に委託をしておるわけであります。病院も大変活気がありまして、地域でも喜んでいる。  私は、この医療費につきましても、民と官の問題があると思います。あるいは、私は、官の、国立病院、県立病院等があるわけですが、官の病院をこれもまた積極的に民に移行することも、この医療の制度改革の大きな柱として掲げることも必要でなかろうかと思っておるのであります。  例えば民の場合ですと、税金については、国税、所得税は、個人病院でありますと一〇から五〇%、医療法人でありますと三七・五%、日赤とか済生会、厚生連は、公立ではありませんが、こういう病院については非課税であると言っております。地価税はもう全部が非課税であります。ただ、相続税につきましては、当然、個人病院はかかる。あるいは医療法人についても、持ち分については税がかかるわけであります。  地方税につきましても、住民税は、個人も医療法人も課税されている。日赤とか済生会、厚生連は非課税でありますが、公立病院はこれはかかるわけはありません。そして事業税も、社会保険診療報酬は非課税でありますが、自由診療分については、個人は五%、医療法人については、三百五十万円までは六%、三百五十万円を超える場合は八%、日赤、済生会、厚生連は非課税。不動産取得税、固定資産税は、個人も医療法人もかかるわけであります。  こういうふうに、まさしく大臣が郵政の民営化の問題を取り上げてございますが、この医療についても、こういう公にやっている病院でもこのように民間との差があるわけです。  そして、大臣にお聞きしたいのですが、さらなる御決意、大臣の信念をひとつ改めてお聞きしたいと思いまして、御質問申し上げます。
  189. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 民営化できるところはすべて民営化していかないと、なかなか行政というのは効率的に機能していかないと思うのであります。私は、医療機関においても例外ではないと。  昔だったらば、官がやる、これは公共的である、民間は公共的な分野はできないのだ、大事な仕事は官がやるのだ、役所がやるのだ、国がやるのだ、公共団体がやるのだということでありますけれども医療なんというのはまさに公共的な仕事であります。それを民間人、民間病院が公的病院と同じような医療行為をして、多くの国民から喜ばれている。ところが、現実には、官尊民卑といいますか、地域の住民にとっては、国立病院の方が安心できるというような気持ちも中にはございます。  今、限られた医療資源を効率的に使っていくためにも、私は、国立系の病院・療養所も、できるだけ統合なり廃止して、民間で引き受けてくれるところがあったらどんどん民間に任せていくべきだと。そして、国立病院・療養所というのは、高度先進医療とか難病とか、なかなか民間ではできない、しかし、どうしても国民医療考えると必要だというところに絞って、限られた貴重なお金をそういう方面に重点的に投資していくということを考えると、私は、今の国立病院・療養所を統廃合して、さらには、民間に引き受けてくれる人があれば、引き受けやすいような環境を整備していく、そして、医療水準を高めていくということが大事だし、同時に、財政的にも、負担を軽減して、活力のある社会を構築して、民間でも公共的な仕事に十分入っていけるのだと。  役人だから公共的である、民間人だと公共的でない、もうそんな時代じゃありません。民間人でも公共的な仕事にどんどん入っていけるのだという環境を整えていくことが経済の発展につながっていくと私は考えます。
  190. 栗原博久

    栗原(博)委員 まさしく民間病院の方々も、大変苦しい経営をされている方もおられます。地域医療計画に沿わない形でそういう方もあると思うのですが、本当に努力をされておりますから。官の病院が大変優遇されている。その患者のとり合いというわけじゃありませんが、官の施設の整ったところに対抗するためには無理しても高度な医療器械を入れねばならぬ。そういうジレンマもあると思うのでありまして、官と民の役目というものをきちっとして、そして、民のできるものは官を民に移管するという姿勢をぜひひとつおとり願いたいと思います。  今回の保険法の改正でございますが、多くの先生方議論されましたので、余り議論の時間がないのであれでございますけれども、今回の改正に際しまして、一番の重点的なポイントをひとつお聞かせいただきたいと思うのです。
  191. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 我が国医療保険制度そのものが、これからの高齢化社会を前にして、言うなれば一種の制度疲労といいますか、時代に沿わなくなってきているということがあると思います。そういった中で、現行制度、この長期間にわたる経済の不況というようなものを反映いたしまして、大変な赤字構造になっておる。しかし、これはあくまでも構造的なものであるというふうに私ども考えております。  そういった意味では、これからの高齢化社会に向けて、現在の医療保険制度の枠組みそのものを抜本的に変革しなければいけない、これがやはり大前提であるというふうに考えております。  ただ、この抜本的改革を進める上においても、現下の医療保険制度の窮迫した財政状況、これを何とか安定的な運営に持っていって、そして抜本的な改革に着手していく、こういうことではないかというふうに思います。  そういった意味では、今回お願いしております医療保険改革の内容としましては、この窮迫した財政の立て直しを図る、安定的な運営の確保を図る、これが中心的な課題でございます。同時に、これに続いて制度の抜本的な改革というものを早急にやっていく、これを前提にしてお願いしているわけでございます。
  192. 栗原博久

    栗原(博)委員 今のお話はわかりましたが、それじゃ、今回、皆さんの方で改正案を提示されておりますが、この改正案にのっとった場合、健康保険制度、政府管掌とかあるわけですけれども、どのような形になるかということをちょっとおわかりになったら。
  193. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 今回の改正、これは政府原案ということで申し上げさせていただきたいと思います。  大きくは、政管健保、各種健康保険組合、国民健康保険があるわけでありますけれども、今回お願いしております一部負担の引き上げあるいは保険料率の引き上げ等、政府原案でいきますと、平成九年度、政管健保につきましては約五億円程度の黒字になるというふうに見込んでおります。これが、平成十年度になりますと、若干、赤字が発生いたしまして、五十億円程度の赤字が見込まれる。それから平成十一年度になりますと、二千億を超える赤字が発生してしまうということでございます。そういった意味からしますと、やはり抜本的な改革というものを早急にやらなければいけない、こういうふうな状況にございます。  健保組合それから国民健康保険、これについても、そういった意味では必ずしもゆとりがあるわけではございませんから改革が要るのでありますが、ちなみに健保組合の場合ですと、これはあくまでも各健康保険組合それぞれ状況が違いますのでトータルとしてお聞き及びいただきたいのでありますが、この際、一つの仮定といたしまして、保険料率につきましては、政管健保の引き上げに見合った改定率で健保組合も引き上げが行われた場合ということで考えております。その場合に、健保組合は平成九年度が二千百四十億の黒字が見込まれます。それから国民健康保険につきましても、これも同じように、政管健保の保険料率の改定率に準じた保険料の引き上げをお願いしたという場合を仮定いたしますと、平成九年度で百八十億円の黒字、こんなふうな財政試算をしております。
  194. 栗原博久

    栗原(博)委員 次に、我が国医療費というものを外国との比較の中で議論してみたいと思うのであります。  OECDの医療費の表をちょうだいしてみますると、日本は一人当たりの医療費が二十七万三千何がしで、アメリカより約十万低いというふうに伺っております。医療費のGDPに占める割合も、アメリカは一位でありますが、日本は十八位であるということでありますし、日本国民医療費の対国民所得を見ましても、一九九三年の資料を見ますと、日本が六・五で、フランスが一一・九、イギリスが七・三、アメリカが一三・二ということであるわけであります。  また、病院の入院の日にちを見ますと、日本は徐々には下がっていますが、平均在院日数が一般病床で平成四年は三十六・二日である。最近は三十三・七日になりましたが、統計資料が平成四年しかございませんから見ますと、ドイツで十五・八日、フランスで十一・七日、英国では十二・三日、アメリカでは八・八日である。  あるいはまた病名で比較しますと、肺がんの場合は、日本は平均四十七・三日入っておりますが、米国では三・七日、英国では八・五日である。白内障では、日本は十三・九日であるけれども、米国では一・二日である。正常分娩でありましても、日本は約一週間でありますが、アメリカは一・七日である。関節炎においては、日本は七十五・九日入院するけれども、米国では七・九日である。  こういう数字を拝見しますと、どうも日本医療のシステムが、日本医療システムすべてを私はただしておりませんが、各国との比較を見まするとどうかなと思うのです。  例えば人口千人当たりの病床数を見ますと、我が国は徐々に高まっている。一九六五年には十一であったのが現在は約十五・五でございます。一九九二年が一番新しいのでその数字を見ますと、イギリスとアメリカは年度とともに下がっているのでありますが、日本だけ上がっている。一九九二年におきましては、日本が十五・七、そしてイギリスが五・四、アメリカは四・四である。イギリスにおいては、一九六五年には九・九であったのが五・四になった。アメリカでは、八・四が四・四、約半分になっているわけです。ドイツ、フランスはずっと大体一定であるわけでありますが、私は、日本医療費を考えた場合、これが何か参考になるのではなかろうかと思うのであります。  医療保険システムを見ますと、これはアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本しか載っていませんが、制度の上からいって、アメリカは社会保険方式で、ドイツ、フランス、日本も社会保険方式であります。アメリカの場合はメディケアパートAとB、二つに分かれてちょっと項目が違うようでありますが。  皆さんは資料をお持ちであるから、時間がございませんから深くは話しませんが、これから我が国医療制度を改革していく場合、持っていく場合、OECDのどの国を大体標準にして、皆お考えになっているかいないかわかりませんが、日本医療制度と外国医療制度を比較しながら日本をどのような国に類似するような制度に持っていくか、そういうお考えがもしあったら御発言ください。なかったら答える必要はございません。
  195. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 具体的に外国のうまくいっているところについては、大いにそれを見習っていく必要があり、取り入れていく必要があるというふうに、一般論としてはそういうことになるわけでありますが、その前に、我が国医療保険制度なりというものは、恐らく欧米諸国と比較しても比較的うまくいっている方の国であるということがまず一つあろうかと思います。  ただ、皆保険が昭和三十六年にできて、それから三十年以上たっている、そういった中で、産業構造なり就業構造なり、あるいは高齢化の状況なりが大きく変わってきている、そういった時代の変革に現行の制度というものは追いついていけるかということが課題になるわけでありまして、そういった意味では、我が国のそういった時代の変化、それから、特にこれからますます我が国の場合は諸外国に比べて高齢化というものが急速に進んでいくわけでありまして、そういうものをにらんで、その中で、冒頭先生からもお話がございましたように、国民の負担という面も考えていかないといけないわけでありますから、この社会保障制度というものも、国民に過重な負担にならないように効率的な制度として運営されるようにしていかなければならない。こういうふうな視点でこの改革が必要であるというふうに考えておるわけであります。  そういった意味では、具体的にどこの国を目標にしてそこに到達するということではないと思います。むしろ、我が国にふさわしい、我が国の事情に合った制度というものを創設していく、こういうことではないかというふうに思いますし、その際も、革命的に変わるというよりも、むしろ、これまでの沿革あるいはこれまでの状況というものを十分踏まえた上で改善をしていく、そういうことであろうというふうに考えております。
  196. 栗原博久

    栗原(博)委員 今回の改正案は、前、五十九年でしたかに比べれば小幅だったと思うのですが、しかし、その中で定額制というものが出てまいりましたから、議員の中で大きな議論を醸していると思います。  私は、きょう厚生委員会発言ということを実はきのう言われたもので余り準備していなかったのですが、地元の医師の皆さんからファクスがたくさん寄せられてまいったものですから、それをちょっと参考までに御紹介しながら次の質問に入らせていただきます。  特に十五円の件でございますが、「一般患者に対しても一種類十五円の負担は現場の混乱と医療不信を招きかねません。」要するに、それによって請求が難しくなるものですから、医事係を一人増員せねばならないくらいであるというふうなことを申しておる。事務が大変繁雑になるということでございましょう。  また、例えば二百五円以下の薬剤は一種類としてカウントするわけですが、その中には複数の剤型が入ることもあり、患者によっては種類が少ないのになぜこんなに多く払わせられるのかという疑念を抱くので、こういう点をというふうな指摘もございました。  あるいは、私のところに、夜中の一時ごろファクスされたので私はちょっとむっとしたのですが、しかし、読めば、切実なることだと。これは病院の医師からでございますが、新津医療センター病院の精神科の医師からでございますが、  今回の健保法の改正案が実施されることになりますと、大幅な患者負担増により、受診抑制が起こることが懸念されます。  例えば、私の診ている脳梗塞でリハビリに通院中の患者の場合(老人保険)、診察料が四回上限で、五〇〇円×四回=二〇〇〇円、薬剤費が、九種類、十四日分を月に二回、一五円×九種類×一四日分×二回=三七八〇円、計五千七百八十円で、現在と比べると五・七倍もの負担となります。  年金で生活しているような方が果たしてこのような負担に耐えられるのか。  高齢者だけの世帯で、あるいは若手が勤めに行っていて一人で来れないので、タクシーで通院せざるを得ない方もたくさんいます。 片道二、三千円もかかって通院してくる人もいまして、改正によってこの方が病院に来れなくなるというようなことをこの医者は言っておるのです。そして、「日本の薬価や医療器械が欧米に比べ非常に高いことが指摘されています。これらの価格の適正化をぜひ図ることで患者負担を極力抑える」ように、我々も努力するけれども、国にもしてほしいということを、これは病院の勤務医でありますが、その方が申しております。  あるいはまた歯科医師会の方からも、県歯科医師会の神成粛一さんからも類似したファクスが流れてきておるわけです。  この点を踏まえまして、本法案の成立をぜひひとつ御検討いただきたいということをまずお願いしたいと思います。  それでは、次の質問に入らせていただきます。  お医者さんに対して患者の方がよく言うことは、自分の病状の治療の内容を十二分に説明をしていただけないという患者の不満もございます。要するに、インフォームド・コンセントということだと思うのです。あるいはまた、長い時間待たせるということでありますが、一番大きいことは、患者と医師との心の交流、そういう心の支えが、まさしく病気は気の病もあると思うのでありますが、それはやはり医師の技術でもあると思う。会話そのものも一つ技術かもわかりません。こういうことで、これからの医師の報酬につきまして、こういう点もぜひ御賢察いただきたいと思うのです。  例えば先ほど薬価の問題、高木さんからも、時間がないということで余り触れなかったようでありますが、薬剤比率は年々減ってはおりますが、しかし、薬剤費というものは、昭和五十七年に四兆七千億が平成七年では七兆六千億である。薬剤比率が、昭和五十七年三四・一%が今二八・〇%であっても、さらに高い薬にシフトしているということであろうかと思うのであります。  この中で、私は、こういう薬に対する指導もやはりしていただかなければならぬ。そのかわり、医師の技術料でしょうか、今資料をちょうだいしますと、医療サービス全体を一〇〇としますと、医療サービス従事者が四九・一%、医薬品が一九・一%を占めているというふうに資料が出ておりますが、こういう中で、医師の技術料というものを大いに再評価していただきたいということをまず御希望申し上げたいと思います。  次に、今回の改正によりまして、先ほど私が紹介しました医師からのファクスもありましたけれども、弱者とか低所得者の方に対してどのような御配慮をされているか。  要するに、先ほども臓器移植の問題がございました。腎臓等、今一万八千人ぐらいの何か希望者がいるけれども、実際、一年間に八十五件ぐらいしかないように聞いておりますが、一回やると六、七十万かかるというようなことも聞いておる。  今、高額療養費制度というものがあって、六万三千六百円以上は患者に負担をかけないということであるわけです。国は、皆さんの方は一生懸命にこういう高額医療についていろいろ措置をされておるようであります。国では、難病とか障害者に対して負担をされている。ところが、地方自治体によっては、風邪を引いても金のかからないようなところがある。例えば、今のような腎臓の移植とか、あるいはいろいろなことでも、ある県においては全額かかる、ところが、東京都に参りますと全くかからない。  同じ国民でありながら、今私どもはまさしく国家全体の医療制度を議論しているのですが、いざ患者の負担の段階に参りますと、その地方自治体によって、居住するところによって国民医療費の負担というものは違うわけでありまして、こういうことも踏まえながら、今回の改正でどのような措置をされているかということをお聞きしたいと思います。
  197. 羽毛田信吾

    ○羽毛田政府委員 幾点かにわたりますお尋ねでございますが、先ほどお医者さんからのお手紙を紹介をしながらの低所得者等に対する配慮というお話は、高齢者の方々のことでございましたので、高齢者における患者負担、今回お願いをしていますことにつきまして御答弁をさせていただきたいと思います。  今回の高齢者の一部負担の引き上げでございますけれども、御案内のとおり、現下の極めて厳しい医療保険財政の状況を踏まえまして、一方で、若い世代の方々につきましても一割から二割に、負担をお願いするということで引き上げをお願いするわけでありますけれども、高齢者の方々につきましても、世代間の負担の公平という見地を踏まえまして、また、その経済状況といったようなものの変化というものも踏まえまして、応分の御負担をいただこうという趣旨からお願いするものでございます。  今回の引き上げを行いました後におきましても、平均的にいきますと、若年の世代の方々医療費に対しまする負担割合、いわゆる実効負担率と申しておりますが、これが二二%程度に対しまして高齢者の場合には八・八%ということで、全体として見ますと半分以下の水準ということでございますので、そういう意味における今回の高齢者にとります一部負担の引き上げにつきましては、決して気安くお願いをするようなものではないと思いますけれども、現在の医療保険財政を何とか維持していくという観点に立てば、御理解をいただけるのではないかと思います。  しかし、今お挙げいただきましたように、低所得者の方々をどうするかというような問題もございます。特に入院の場合にはどうしても絶対額が大きくなるという問題がございますので、入院の一部負担金につきましては、今回の改正案で、低所得者の方々につきましては、一日についての負担額を、一般の負担額の半分ということで五百円ということにする措置を講じたわけでございます。  また、外来につきましても、一回五百円の負担をお願いするわけでありますけれども、これを一医療機関一月につき四回を限度ということで、さらにその上に行かないような配慮をいたしておるところでございます。  なお、薬剤一部負担金につきましては、これは若年世代と同様の負担をお願いいたすわけでありますけれども、全体といたしまして、低所得者の方々についても、過大な御負担をお願いするということにはならないのではないかということで、御理解を求めたいというふうに考えておるところでございます。
  198. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 地方自治体が、医療保険の一部負担につきまして、それぞれ地方自治体の負担のもとに一部負担を軽減したり免除するというような事業を行っております。これは、それぞれの地方自治体がそれぞれの方針のもとにやっていらっしゃるわけでありますけれども、国全体の立場で考えますと、国民健康保険を見た場合に、各市町村に対しまして給付費の半分を国庫で負担しておる、こういうふうな形になっておるわけでありますので、そういった意味で、いわゆる地方の単独事業と言っておりますけれども、こういう地方の単独事業を行った場合に、それに伴って一部負担が軽減されるということによって医療費そのものが増嵩するということはございます。  そういったものを考慮した上で、やはり国庫負担というものも公平に負担いたしませんといけませんので、これまでも、地方単独事業の状況というものを考慮し、それによる医療費の波及的な増嵩というものを考慮して、その分については公平になるように国庫負担を行う際には調整をさせていただいている、こんなやり方をとっております。
  199. 栗原博久

    栗原(博)委員 そういう点はやはり地方交付税等の中でいろいろ操作してもらわぬと、田舎の我々の方は、人間は東京にとられまして、何でもかんでもとられて、最後は医療費までも田舎は高いというようなことで、これは愚痴を言うわけじゃございませんが、こういう大改革をするわけですから、国民ひとしく納得できるような医療制度の改革をひとつお願いしたいということで、今この地方の負担についても触れさせていただいたわけであります。  きょう、今ごろですか、医師の国家試験の発表が厚生省でされていると思うのでありますが、私はやはり、医療というものは高度な医療技術国民提供する義務が、また国家にあると思います。そういう中で、最近の医師の数を見ますと、医師がふえているからまた医療費もふえるというような、そういう構図もあるかもしれません、まだ私も推測でございますが。  昭和五十年にお医者さんが十三万二千人おったのが平成六年では二十三万人でございますから、歯医者さんが四万三千人というのが今は八万一千人というふうに、世界各国では、人口十万人に対して二百人が大体危険ラインだと言っているわけでありますが、そういう中で、我が国は人口十万人当たり百八十人、ドイツでは三百三人、フランスでは二百七十人ですね。  こういうことであるわけですが、こういう中で、かつて日本でも、医療のもとというお医者さんの数を、これから余るということで、皆さんの推計を見ましても、今、平成十二年にはまだ一万五千人ぐらい足りないけれども平成二十二年ですと三万人余る、平成三十二年では五万人余るというような数字をお出しになっているわけであります。  ということで、この医師の数を適正化するためには、養成課程での入り口の調整、要するに医学部の定員の削減、あるいは養成課程を出るときの、卒業生の、国家試験の改革等によってその数を調整するとか、あるいはまた医師の定年制、これは私はしてはならぬと思うのですが、そういうことで調整をしようという考えもあるようであります。  その中で、私は、お聞きしたいことは、確かに、昭和五十九年でしたかに医師需給に関する検討委員会で、平成七年までに一〇%削減する、歯医者については二〇%削減するというような案を出しているわけでありますが、そういう点はその後どのようになっているかということをお聞きしたい。  そしてまた、文部省に対しましては、公立大学と国立大学と、歯学部への学生の削減計画はどのように進んでいるかということをひとつお聞きしたいと思います。  あわせまして、私は、今、弁護士も規制緩和で外国から入ってくるようになっておるのですが、今後外国の医師が日本に入る可能性はないと思うのだけれども、もし規制緩和等いろいろなことで外国から要求された場合、それに対しての理論的な対応というものも必要と思うのですが、こういう点もあわせてお聞きしたいと思うのです。
  200. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 医師数の問題について、一つは、昭和五十九年五月に設置された将来の医師需給に関する検討委員会というものが、平成七年を目途として医師の新規参入を最低限一〇%削減する必要があるという意見をまとめまして、最終的には、これは昭和六十一年六月に公表されております。その結果に基づきまして、また、細かいことは、具体的なことは文部省の方からも御答弁があると思いますが、同時期に、歯科医師について二〇%という目標が示されました。  この入学定員の削減ということにつきまして、大学関係者も、昭和六十二年に合意した、医学部の入学定員の一〇%削減ということで努力をいたしたわけでございますが、現在のところ、全体といたしましては、七・八%という形になっております。これは平成九年時点でございます。それから、歯科医師につきましては、一九%、一九・何%かで、その当時の目標はほぼ達成をいたしております。  なお、外国人医師の問題につきましては、これは、各国とも共通でございますけれども、いわゆる先進国では共通でございますが、一定の教育の内容、そういうものを勘案いたしまして、我が国の場合でいいますと、医師国家試験に合格するということを原則といたしておりますので、少なくとも現時点のこのような考え方をもとにする限り、外国からの医師というものを今我が国が受け入れる状況にはないというふうに考えております。
  201. 寺脇研

    ○寺脇説明員 今、厚生省の方から御答弁ございましたように、医学部、歯学部の入学定員の削減については、これ努めておるところでございますけれども医学部につきましては、国立では予定の一〇%を達成し、一〇・五%の削減をいたしておるところでございますが、御指摘にもございましたように、公立においては〇・八%、私立におきましては五・一%というような状況の結果がトータルで七・八%という数字になっておるわけでございます。  歯学につきましては、国公私ともにほぼ二〇%を達成いたしまして、国立が二〇・九%、公立が二〇・八%、私立が一九・二%ということで、ほぼ達成を見ておるところでございます。
  202. 栗原博久

    栗原(博)委員 今、民間の開業医の方々がいろいろ言うのですが、地区によっては医者が不足しています。ところが、地域によっては、公立と私立の大学があるところ、特に歯学部はそうですが、ありますと、どっと卒業するとそこに残るのですね。例えば新潟がそうでありますが、新潟には、新潟大学の歯学部と日本歯科大の歯学部がある。そうすると、卒業すると地元に残るものですから、開業医が大変多くなるということもあるようですから、ぜひ今後、こういう地域バランスも考えて入学定員をひとつお決めいただければということをお願いしておきます。  最後に、大臣医療は今後、介護もどんどんお金がかかります。新ゴールドプランとかいろいろ幾らいいプランをつくっても、国民が連帯してお年寄りを支えるという気持ちがなければ、幾ら財政手当てしても私はかなわぬと思うのです。  実は今、田中眞紀子議員中心といたしまして、小学校及び中学校の教諭並びに養護教諭の普通免許状授与に係る教育職員免許法の特例等に関する法律案というものを、議員立法を準備しておりまして、これは、十日間ぐらい、学校の先生になろうとする人は義務として社会福祉施設等に、例えば特別養護老人ホームとかそういうところの施設に行って、本当に介護は大変なんだ、社会が連帯してお年寄りを支えてやらねばならない、そういうことを体得しない者については教員免許状をやらないという法律であるわけです。これについては多くの先生方が与野党を問わず賛同しておるわけでありますが、これについては、社会福祉施設等が約九千施設あるやに伺っておるのです。  私は、ぜひ子供たちに、やはり社会が連帯して支えるという、恐らく眞紀子議員は、お父様の田中角栄先生がずっと病床で倒れられておりましたから、その介護の体験の中でこの法律を発案し、多くの賛同を得ておると思うのです。  私は、ここで今一番大事なことは、財政措置も必要でありますが、それと同時に、国民に心の支え、心の義務というものを、特にこの介護の、お年寄りを支えるという、何でもかんでも施設へ入れてそれで終わりでなくて、毎日の生活の中でそういう環境をつくる、あるいはまた国民としての使命感を持たせるということで、この立法はすばらしいものだと思っているのでありまして、ぜひひとつ厚生省の所管の、あるいはまた財政の大なたを振るっていただく大臣から、この法律に対する御見解がございましたらひとつお聞きしまして、私の質問を閉じたいと思います。
  203. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 田中眞紀子議員から、私もじかにその趣旨、お話を伺ったことがあります。大変熱心に取り組んでおられて、今、自民党の社会部会、文教部会、両方の部会で協議が進められているということも伺っています。  教員になる若い人たちは、最近、核家族化していまして、家に祖父祖母がいない方も多い。そういう若い方が、一定の期間、福祉施設、介護施設等で実習体験といいますか研修を踏んで教員免許を取るというのは、今後の高齢者に対する配慮等、また、若い人と高齢者のお互いの支え合いで福祉国家を建設していくという意味合いからも、私は、有意義な提案であり、厚生省としてもその支援体制に何かできることがあればお手伝いをしていきたいと思っております。
  204. 栗原博久

    栗原(博)委員 ありがとうございました。私の質問をこれで閉ざしていただきます。
  205. 住博司

    住委員長代理 岡田克也君。
  206. 岡田克也

    ○岡田委員 新進党の岡田克也です。  きょうは、薬の問題を中心にお伺いしたいと思いますが、始める前に、委員長、今の会議は定足数を満たしておりますか。
  207. 住博司

    住委員長代理 ちょうど二十人おります、私も含めて。
  208. 岡田克也

    ○岡田委員 定足数というのは委員長を入れるのですか。
  209. 住博司

    住委員長代理 委員長も入っています。
  210. 岡田克也

    ○岡田委員 この健康保険法等の一部を改正する法律案審議、極めて重要だと私は思うのですが、今ざっと見渡しまして、定足数ぎりぎりの二十名。自民党さんは十八名のうちの七名、委員長を入れると八名ですか、九名ですか、半分ですね。我が党が十二名中八名ですか。どうなっているのでしょうか。  私は、理事会においても、極めて出席が悪いということを自民党理事には申し上げたところでありますが、こういうことで本当に審議がちゃんとできるのかという気がいたします。定足数は満たしているということですから、満たしている範囲において、私、質問を続けますが、ぜひそこは、町村委員長おられませんけれども、きちんと対応していただかないと、私どもとしては、この委員会で本気になって審議をしようという気があるのかどうか、疑問に思わざるを得ないということを申し上げておきたいと思います。  さて、きょうは薬の問題を中心にいろいろお伺いしたいと思っております。そのほかにも、老人医療とか診療報酬とか医療供給体制とか、さまざまな課題がございますので、その中できょうは薬に限って御質問させていただく。順次それぞれの課題についてきちんとした議論をさせていただき、厚生省のお考えというものを確かめていきたい、その第一歩だというふうに考えているわけでございます。  さて、薬価の問題でありますけれども日本の薬は非常に高い、薬価差がある、こういうことでありまして、いろいろな制度改革を厚生省の方も当然お考えだと思いますが、少し頭の整理をまずしてみたいというふうに考えております。  薬価差の発生を避けるためにどうしたらいいか。一番簡単なのは、薬価基準を廃止する、こういうことであります。薬価基準を廃止したときに、それじゃどういう形でその薬の価格が決まり、あるいは償還していくのかということについて、幾つかの考え方があると思いますが、まず、医療機関が現実に購入した価格を医療機関に対して償還する、購入価格払い制とでもいいましょうか、そういう考え方が一つあるのだろうと思います。それからもう一つは、医療機関でなくて、卸業者にその実際の仕入れ価格に一定のマージン率を乗せた価格で償還するようなことも考えられるだろうと思いますが、こういう考え方については厚生省としてどのように評価しておられるでしょうか。
  211. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 薬価差の問題に着目して、今先生、二つの方式を御指摘でございましたけれども、まず最初の、購入価格をもって医療機関に対して償還すると申しますか、それを払うという、これを仮に購入価格払い、こういうふうに申し上げるとすれば、このやり方の場合は、医療機関ができるだけ安く薬を購入しようというインセンティブがどの程度働くかという問題があると思います。要するに、購入価格をそのまま償還してくれるわけですから、また逆に、安く買ったからといって、それで、少なくとも医療機関にとってのメリットというのが非常に薄くなりますから、その辺の問題がやはり一つ問題ではないか。ということは、裏返して申し上げれば、薬の価格というものが高どまりしてしまうのではないか、そういうおそれがこのシステムだとあり得るということだと思います。  それから、もう一つの方式としまして、卸業者の仕入れ価格に一定のマージンを乗せてそれを償還する、このやり方でありますけれども、これは、卸業者あるいは製薬企業、これが言うなれば償還価格を決めるような格好になるわけでありまして、そういった意味では流通の問題に今度はなってまいります。そういった中で、そもそも流通価格というものが引き下がるようなインセンティブが働くだろうかということになりますと、一定マージンを乗せた格好で全額償還してもらうということになりますから、そういった意味ではやはり価格がなかなか下がらない、高どまりするというようなことになるのではないかというふうに思います。  もちろんこれは、そういった方式は全く成り立たないと申し上げているわけではありませんで、当然、そういった弊害というものを是正するような措置を別途講ずることが可能であるならば、そういう方式ももちろん制度として成り立つわけでありますが、今お話のございました形について申し上げるとすれば、そういった懸念があるのではないか、このように考えております。
  212. 岡田克也

    ○岡田委員 よく似た仕組みになるのかもしれませんが、患者が一たん医療機関に支払う、それを償還するという考え方についてはいかがでしょうか。
  213. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 患者の償還払い方式ということで、これはフランスがこういった形を医療保険の中でとっているわけであります。これはもちろん薬価差というのはないわけですし、それから、患者が一たんは薬代を支払って、そしてそれを保険から償還してもらう、こういう形ですから、薬に対するコスト意識といいますか、そういった面も患者さんの方で持っていただけるような格好になるわけであります。ですから、そういった意味では、これはもう現にフランスでも行われておりますから、制度論としては成り立たないというわけではないと思います。  ただ、我が国の場合にこの制度を、これは国民的な合意ということになるわけでありますが、これを採用するとした場合に、これまで我が国の場合、現物給付というのが定着しておりますから、そういった中でこういう償還払い方式というものについての理解がどの程度得られるか。  それからまた、実務的に考えますと、手続として一種の代理受領みたいな、患者さんは手続をとればいずれは保険の方から払ってもらえるわけですから、それを例えば医療機関が代行する、そういった代理受領みたいな形をいたしますと、実質的には現在の現物給付のような形になりますから、そういった意味で、その辺のところが、メリットがその分だけ減殺されるということがあると思います。  そういったような問題ではないかというふうに考えておりますが、その辺のところをどう評価するかということではないかと思います。
  214. 岡田克也

    ○岡田委員 私は、最初の、医療機関に対して償還する、あるいは流通業者に対して償還するというのは基本的にだめだと思うのですね。価格メカニズムというのは全く働かないわけでありますから、多分、案にならないだろう。  患者が一たん医療機関に払うというのは、その払う額にもよるのだろうと思います。例えば定率制と組み合わせれば患者さんは痛みを感じるわけであります。全額ということになりますと、患者さんも何でもいいということになるのだろうと思うのですね。だから価格メカニズムが働かない。定率制をあわせ導入すれば、ある程度価格メカニズムは働くとは思いますが、しかし、医療機関で診てもらって、この薬が必要ですよと言われたときに、患者がその医療機関に対して、いや、もっと安い薬があるはずだとか、そういうことは現実にはなかなか言えない。そういうことを考えると、この制度もなかなか現実にはうまく働かないのかな、こういう気がするわけでございます。  それからもう一つ、公的な団体が薬を一括購入して、そして、医療機関に無償で配る、医療機関はその薬を使うという考え方についてはどういうふうに評価しておられるでしょうか。
  215. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 これはかつて、薬価差というものをどう是正していくかというような検討の中で、いわゆる一種の公社方式みたいなことを検討したことがございます。  ただ、今日、それじゃそれがどうかということになりますと、むしろ、そういうことよりも、もう薬価基準制度そのものを抜本的に直す時期に来ているということでありますから、この公的団体なりが一括購入する、そして、それを医療機関に配付して、それを医療機関が使うというやり方というのは、これは必ずしも、システムとして妥当かどうかということになると、かえって煩雑になるのじゃないかという気がいたします。  それからもう一つは、現在は医療機関が必要な自分のところで使う薬を直接購入する、そういうような格好に対しまして、まあ注文をとればいいじゃないかということにもなるかもしれませんけれども、公的団体がある程度まとめて買って、それを配付するということになりますから、そういった中でのロスといいますか、むだというものも出てくるおそれがある。  そういうことを考えますと、効率性の問題とかそういう点等を考えると、比較の問題として、薬価基準制度というものをこういう格好でやるよりも、むしろマーケットメカニズムを働かせるようなシステムの方がすぐれているのではないかな、そのように感じております。
  216. 岡田克也

    ○岡田委員 ここで言う公的機関というのは一体何だということにも恐らくよるのだろうと思うのですね。例えば、健保組合などが交渉して一括購入して、そして、その組合員の方に対してはこの薬しかだめですよと医療機関に対して指示をする、こういうことであれば、健保組合はみずからの財政を考えて値引き交渉を薬品会社とするということはあるいはあり得るのかなという気もいたしますが、制度はかなり複雑になる、患者さんが自由に医療機関を選べなくなる可能性も出てくるわけで、現実にはこれもなかなか難しいかな、こういう気が私もいたします。  したがって、ほかの制度ということになるわけでありますが、それじゃ参照価格制度、これもなかなか、言葉が先行している嫌いがありますけれども、私の理解では、保険償還する価格の上限を成分別または薬効別に決めて、この上限を超える分については全額患者負担とする、こういうふうに理解しておりますが、この参照価格制度についてどういうメリットとデメリットがあるのか、簡単にお答えをいただきたいと思うのです。
  217. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 まさに参照価格制という言葉で一義的なものがあるわけではありませんけれども、今先生が御指摘のような形を仮にとるというふうにした場合でありますけれども、公定価格というものを決めるのではなくて、市場のマーケットメカニズムを通じて薬の価格形成というものを行うという意味ではやはりこれが一番すぐれているのだろうというふうに思います。  そういった際に、償還基準額をどう設定するか、その辺の設定の仕方というものが一つ重要なポイントになるだろうというふうに思いますし、それからまた、償還基準額というものは一たん決めたらもう未来永劫それでいくというものではありませんから、当然、薬の取引の実勢に合わせて常時見直していく必要がある、そういった意味での適切な見直しというものがなされないとこれも欠陥を生じることになると思いますが、そういったものを適切にやっていくということであるならば、やはりマーケットプライスということが形成されるという意味では一番透明なシステムではないかというふうに思っております。
  218. 岡田克也

    ○岡田委員 その際も、前提として成分別あるいは薬効群別に分けるといっても、それが本当にできるのか、どこまでを一つの塊にするのかという技術的な問題が一つあると思うのですね。それから、全くの新規の開発薬がある場合にはその扱いをどうするのか、その値段をどうするのかという問題が当然出てくるわけであります。  このあたりについて、厚生省、仮に参照価格制度を導入するとした場合に、どう考えておられるのか。それから、今局長おっしゃったように、参照価格の決め方について、もし今、参照価格を導入するとすれば、どういう考え方で価格の水準を決めるのか、その辺について何かお考えがあれば聞かせていただきたいと思います。     〔住委員長代理退席、委員長着席〕
  219. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 現在、ドイツがまさにこの参照価格制度を導入し、そして薬効群別に分類しているわけであります。ドイツの場合は、三つのグループに分類してやっておりますけれども、こういったような形で薬効分類を行っていくというのは一つ参考になるだろうというふうに思います。  それで、ドイツも、参照価格と申しましても、今、全銘柄について参照価格が設定されているわけではありませんので、そういった意味では、まだある意味では開発途上のようなところがあるだろうと思います。  それから、ドイツの場合は、特許期間中のものについては参照価格を外しておりまして、そういった意味では自由価格といいますか、それで償還している、こういうようなやり方をとっておるわけであります。この参照価格制を初めて導入したドイツの例というのは一番参考になるというふうに思っておりますが、我が国で仮にこういったものを考えるとした場合に、その辺のところが一つの参考例になるだろう。  ただ、具体的にそれじゃ参照価格をどう決めるのか。これはまさに私どもとしては、今の段階では、従来の公定価格というものを廃止する、要するに薬価基準というものは公定価格制ということであり、それに伴う弊害というのは大きい、むしろマーケットというものを信頼し、そういった中で透明のもとに価格形成を図られるべきだ、そういうふうなことで、それを基本に考えておりますが、それから先の具体的な技術的な問題について、は、なお今後さらに詳細に詰めなければいけないというふうに思っております。  ただ、私どもの現在の薬価基準制度も、最初に新薬の値段を決めるときには公定価格でありますが、その後はマーケットの中で決まっていく価格を参考にしながら決めていっておりますので、そういった意味では、全く白地に償還価格を決めるというのとはちょっと違いますから、現行のそういった薬価基準の価格、そういったものも参考にし、そしてまたドイツにおける状況というものを参考にしながら、そこら辺の具体的な技術論というものを解決していくのかな、そんなふうに考えております。
  220. 岡田克也

    ○岡田委員 参照価格制と定率負担というものの組み合わせというのは、私は論理的には考え得ると思うのですが、この点についてはいかがでしょうか。
  221. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 参照価格制という、先ほど御指摘のあったような形で一定の償還基準を決めて、そしてその償還基準額を超える分については、薬について自己負担にしていただくというふうな考え方をとった場合に、しかもそのときに、基準額というもののレベルをどの程度に設定するかということとも密接に絡むと思います。その基準額というものを、ある程度、薬の価格が引き下がるような、そういったインセンティブが働くような水準に設定する、そういった点では、余り高い水準じゃない、むしろ若干一部負担が伴うような水準に設定するということになってまいりますと、さらにまた薬だけ定率で取るというような形というものがいいのかどうかという問題はあります。  ただ、この定率負担といった場合に、医療費全体に対して定率の負担をお願いした上で参照価格、こういうのはあり得ると思いますが、薬だけに着目して定率と参照価格との組み合わせというのは、これはなかなか案としては厳しいかなという気がいたします。
  222. 岡田克也

    ○岡田委員 ここは薬だけにするのか、それとも全体で定率ということにするのかというのは、どちらも考え得ると思うのですが、もしそういう定率制というものを組み合わせなければ、恐らく薬の値段はみんな参照価格に張りついちゃうだろうと思いますね、それより安いものも。そういう意味では、定率制というものは参照価格を導入するにしても欠かせないのじゃないか、そういうふうに私は思います。  今までの議論で、薬価基準を廃止するということになれば、いろいろな考え方があるけれども、参照価格制が非常に有力である、そういうふうに私は考えますし、局長の御答弁もそういう線に沿っての御答弁だったというふうに理解をいたしました。  それじゃ、翻って現在の価格設定ルールについて若干お聞きをしたいと思うわけですけれども、まず、先ほどドイツの参照価格制を例に挙げられたときに、新規開発薬は参照価格設定はないのだ、青天井だ、こういうお話がありました。特許がある限りは青天井だと。私は、それは非常に合理的な考え方ではないか、こういうふうに思うわけでございます。  もちろん、弊害もあるでしょう。しかし、特許というものをどう考えるのかという問題ですね。特許だけじゃなくて、最近は著作権も含めて知的所有権というものと工業財との関係なんですけれども、知的所有権というのは、開発者の開発意欲を確保するために、一定の期間、排他的な権利を与える、独占を許すわけですね。その一定期間が終わったら、それは公共財としてみんなに自由に使ってもらう、これが知的所有権の基本的な考え方であります。  そういう考え方に立ったときに、現在の薬価の決め方の中で、特許の切れてしまった先発薬ですね、後発医薬品というのが出てまいります。特許は切れていますから、当然コピーしますね。そういうものは他の財であれば、工業製品であれば当然できることなんですね。特許が切れたらみんなまねしていいということになっているわけです。  ところが、この薬の世界はそうなっていないように思います。つまり、先発医薬品の価格に対して後発医薬品というのは〇・八掛けだ。しかも、この前まで〇・九だったのを〇・八にわざわざして差をつけた。ここはどういう考え方に基づいているのでしょうか。
  223. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 先発品と後発品との関係でありますが、現在の取り扱いは、平成八年の七月から現在の〇・八掛けになっておりまして、平成六年七月から八年六月までは〇・九掛けだったわけであります。これは、中医協の中での御議論の結果、こういうような取り扱いになったわけでありますが、後発医薬品につきまして、先発医薬品と比べて、有効性とかあるいは安全性とか、そういったものに関しては同等なものであるということで、薬事法上承認されておるわけであります。  にもかかわらず、それならば同じ値段でいいじゃないかということになろうかと思いますが、流通の実態、これをずっと見ていきますと、処方するお医者様等のいわゆるブランド志向といいますか、そういった面が一つ指摘されたりいたします。それからまた、開発した企業の医療機関等に対する情報の提供の差異と申しますか、そういったようなものの違いというようなことがあるということで、流通の実態を見ますと、後発医薬品の方が先発医薬品に比べますと低い価格で現実に最初から売り出されている。  最初から二割ぐらい低い価格で売られているということになると、やはりこういった流通の実態を考慮すべきだろう。それと同等の価格で提供し、最初から二割ぐらい安く売られているということになりますと、初めから二割の薬価差みたいなものを含ませた形になりますから、やはりこれは適当ではないだろうということで、この流通の実態を考慮して、後発医薬品については先発医薬品の〇・八掛け、こういうふうに決められたわけでございます。
  224. 岡田克也

    ○岡田委員 〇・八掛けじゃなくて、後発医薬品というのは〇・六掛けぐらいの値段で現実には売られているのだという説もありますけれども、いずれにしても、そういう流通の実態というものが議論として成り立つのは価格メカニズムが働く自由市場での話でありまして、薬の世界というのはそうじゃないですね。安ければ需要がふえるという関係にはないわけですね。医療機関にとっては、安くても高くても同じなんですから、むしろ高い方が薬価差が入っていい、こういうことですから、そういう流通の実態にある中で、現実に後発品が安いから薬価も差をつけていいのだということには私はならないというふうに思うのですね。  お医者さんからしたら、自分は痛まないわけですから、むしろ高ければ高いほどいいという面もあるのですから、それは、名の通った方がいいということになると思うのですね。本当の自由な市場で全く同じ機能のものがあって、多少それは一方は有名メーカーで他方はそうじゃないかもしれないけれども、しかし、機能が全く同じだったら、まあブランドがある、ないによって数%の差は出るかもしれませんが、基本的には価格は一つになるはずなんですよ。それを、厚生省が違う価格をつけているというところに私は非常に矛盾を感じるのですが、ここのところをもう一度いかがでしょうか。
  225. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 問題は、最初の値決めというものを公定価格でまさに決めているというところにこういうような矛盾が起こるのだと思います。まさに御指摘のとおり、全くの自由市場での価格形成ということ、そういった中でのあれであれば、こういうことは起こらないのだろうと思います。  ところが、現行の薬価基準制度の場合は、まず最初の出発点の価格は公定価格で決めますから、そのときに、流通の実態、これは今から始まるわけではありませんから過去の状況というものを眺めてみた場合に、後発品の方が一定の割合で初めから安く売られているということであるならば、やはりそこのところは勘案して価格を決めるというのも一つの合理的な考え方ではないかなというふうに思っております。
  226. 岡田克也

    ○岡田委員 私の常識からいえば、余り合理的とは思えないのですね。非常に薬の世界の特有な現象がこういうふうに出ているように思います。  このことによって、これは一つの計算ですけれども、例えば先発医薬品の価格を後発医薬品の価格まで落とす、特許が切れれば後はコピーは自由なんですから、先発医薬品の価格を後発医薬品の価格に合わせて水準を低下させるということによって、一体どのぐらいの医療財政上の効果があるのか、何か計算されたことはありますでしょうか。
  227. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 私どもとしてはやはりルールというものが必要ですから、強制的にというわけにいきませんが、そういう意味では机上の計算ということになるわけであります。  一定の条件を置いて仮に計算してみるということでやってみますと、いわゆる後発医薬品のある先発医薬品、これの割合がまずどのぐらいあるかということで、これは薬価ベースで見てみたわけですが、平成八年の九月の薬価調査に基づきまして計算してみますと、約二割程度というふうになっております。そうしますと、保険給付の薬剤費の総額、これがおおむね八兆円と言われておりますが、七・六兆円程度であろうというふうに計算いたしますと、これが全部その後発医薬品に振りかわるような格好になりますから、これの二割が幾らかというと、一・五兆円ということになります。この一・五兆円というものをどの程度まで下げるかということじゃないかと思います。  これを、例えば後発医薬品の最低価格まで引き下げるというふうにしたといたしますと、この辺がかなり腰だめになりますが、三割程度の引き下げになるというような考え方もありますので、仮に三割程度引き下げるということになりますと、一・五兆円の三割でありますから四千五百億、こんなふうな計算、単純にこういう前提で計算するとそんなことかなというふうに思います。
  228. 岡田克也

    ○岡田委員 前提の置き方でかなり計算の結果は違ってくるのだと思いますけれども、後発品が出ている先発品の金額というのは約二兆円強ある、そして、後発品の価格というのは先発品の六割だ、だから、それだけでもう八千億ぐらいのお金が浮いてくるのだ、こういう計算も他方ではあります。  いずれにしても、今の後発品に対してかなり厳しい価格のつけ方、低くしているわけですね。そのことによって、今、日本では後発品のシェアが大体六、七%ぐらいですか、ドイツではそれが四〇%だ。やはりここは何か考えるべきだと私は思いますが、大臣、いかがでしょう。
  229. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 今までの薬価の決め方によりますと、先発品の努力は後発品に比べて評価しなければならない点があったと思いますね。新薬を開発するには、実験をするにしても、研究投資にしても大変なものだと思います。そういうことから、そういう労力に比べれば、後発医薬品はかなりそういう手間を省いて新しい薬を出すことができるという点で差をつけていたのでしょうが、今御指摘のように、いろいろ批判が出ております。高い方に引きずられていくのではないか、低い方に合わせたらいいのではないかという話も当然出てきておりますので、私は、このままの薬価算定方式はもう無理が来ているのだなと。今後の薬価基準を見直すという中で、今の御指摘、御批判にたえ得るような薬価基準の見直しをしていく中で解決していくべきだなと考えております。
  230. 岡田克也

    ○岡田委員 私も、その先発医薬品、特に新規性の非常に高いものについて、開発費がたくさんかかる、そのことについてどうでもいいと言っているわけではありません。これは後でまたちょっとやりたいと思いますが、そこのところをきちんと見ていないという部分があるかもしれない。わかりません。しかし、そういう部分があるのかもしれません。  しかし、いずれにしても、それは普通の工業製品の世界では、薬以外の部分では、特許が切れるまでの話でありまして、特許が切れたら自由にやっていいよ、コピーしてもいいし、したがって値段も基本的には一つに収れんしていくよというのが普通の工業製品、財の世界の常識でありますから、そういった常識が通る世界にぜひしていただきたい、そういうふうに思います。そして、そのことによって、国民の払う税金や保険料がかなり緩和されるということは事実でありますので、ぜひ御検討いただきたいと思います。  さて、今の薬の価格の決め方でありますけれども一つは、類似薬効比較方式というのが今ございますね。この類似薬効比較方式について、これは私、全部情報公開できるのじゃないかというふうに考えます。  つまり、これは類似の薬と比較して、一日当たり幾らということを逆算して、そして値段をつけていくということであれば、どの類似薬と比較してどういう計算式でこの価格になったのかというのは、これは機械的に決まる話であります。それは全部それぞれの薬ごとに公開できるのじゃないか。公開することで、そこにおかしなことがあればチェックができるわけですから、おかしなことも起こらない。こういうふうに思うのですが、この類似薬効比較方式による薬価算定について、すべて情報公開をするというお考えはありませんでしょうか。
  231. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 新薬の値段の決め方は二つのルールでやっているわけでありまして、一つがまさに類似薬効比較方式というやり方、こういった類似薬効がない場合には原価計算という形で決めているということでございます。  この基本的なルールについては、これは中医協の中で建議が行われ、そして、それが決められておるわけでありますが、個々の薬について、それでは具体的に公表してはどうかということだと思います。まさに、この類似薬効比較方式によって算定した場合、算定に用いた比較対照薬がどれであるのか、それからまた、その場合に加算が行われたということであれば、そういった加算の種類というものがどういうものであったのか、そういった内容についてやはり明確にすべきであるという御指摘であると思います。  そこは、私もそのとおりだというふうに思いますし、今後、この薬価基準の、類似薬効比較方式で算定をするという内容についてはやはり公表をしていくという方向で検討していきたいと思っております。
  232. 岡田克也

    ○岡田委員 類似薬効比較方式については、個々の薬ごとに情報公開していただける、こういうふうに受けとめました。  それで、この類似薬効比較方式の対象というか、ゾロ新と言われるものがありますね。ゾロ新については基本的には制限していこう、こういうお考えだと思いますが、この類似薬効比較方式で値段を決めている薬というのは、例えば最近の実例でいってどのぐらいの数があるのでしょうか。
  233. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 最近の四年間で申し上げたいと思いますが、全体でいきますと、成分数で百九十二の新薬を薬価基準に掲載しております。品目で三百七十品目ございます。この四年間の中で、類似薬効比較方式で決めたものが、成分数では百七十一成分、約八九%でございます。それから、品目数で申し上げますと、三百四十八品目、約九四%、こういう状況でございます。
  234. 岡田克也

    ○岡田委員 そうすると、残りは原価計算方式ということになるわけですね。
  235. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 失礼しました。残りは原価計算方式でございます。
  236. 岡田克也

    ○岡田委員 その原価計算方式でありますが、これも一応公式ができている、こういうことであります。  例えば、労務費や販売費や営業利益や流通経費については、既存の統計を使ってその平均値をとったりして計算する。ここの労務費や販売費や営業利益や流通経費については、業界平均の数字を使っているとすれば、会社によって、あるいは薬の種類によってほとんど差は出てこないということに論理的になると思うのですが、いかがでしょうか。
  237. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 原価計算方式の場合でありますが、これは内容としては、製造にかかる材料費、労務費、販売費、それから一般管理費、営業利益、流通経費、主なところはそういったもので構成されておるわけであります。  この中で、材料費を除く各費目の構成割合、これにつきましては、いろいろな、例えば労務費であれば労働省の毎勤統計、製造経費とか一般管理販売費とか営業利益、こういったものについては、開銀が発行しております産業別財務データハンドブックというものがございますし、流通経費という面では、厚生省の業務局が調べております医薬品産業実態調査というものがございます。こういった各種の統計資料に基づいて、その数値を参考にしまして、そして価格設定を行っている。比較的客観的な設定といいますか、ある程度画一的な設定というふうになっていく費用であります。  材料費につきましては、これは、メーカーの提出資料、その中身を精査しまして、そして、合理的な費用かどうかという点についてチェックをさせていただいて算定をしている。  これらを足し合わせて原価計算を行っている、こんなふうなやり方をさせていただいております。
  238. 岡田克也

    ○岡田委員 その際、研究開発費というものは一体どこで見ているのでしょうか。
  239. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 研究開発費につきましては、これは、いわゆる技術研究費という形で、販売費及び一般管理費、その中に含まれているということでございます。
  240. 岡田克也

    ○岡田委員 先ほどの説明ですと、販売費や一般管理費というのは、既存の統計で業界の平均値をとったりして計算しておられると。そうすると、研究開発費というものもそういう業界の平均値で計算しているわけですか。
  241. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 この研究開発費は販売費及び一般管理費に含まれておるわけでありますが、この販売費及び一般管理費につきましては、開銀の、有価証券報告書に基づきまして産業別財務データハンドブックというのが出ていますが、これの比率を使用させていただいております。
  242. 岡田克也

    ○岡田委員 どうもよくわからないのですが、そうすると、ほとんどの薬の値段はみんな一緒になってしまうのじゃないですか、客観的な資料でやっているとすれば。でも、現実に、薬の額は全部違いますよね。そこの矛盾はどうして出てくるのでしょうか。
  243. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 先ほど申し上げましたように、まず、材料費はそれぞれ別になりますが、それから、それぞれの先ほど申し上げたような各費目、これについては、先ほど申し上げたような各種統計資料に基づく数値を参考にしているということでやっております。  ただ、これは全く同じということではなくて、それぞれ開発に当たっての労務費にしましても販売費にしましても、労務費なんかにしてそうでありますが、それぞれの人員構成等々によっても若干違う面がありますから、だから、必ずしも全部同じということにはならないと思いますが。
  244. 岡田克也

    ○岡田委員 どうもよく理解できないのですが。  例えば、非常に膨大な研究開発費を投下して、そして立派な薬ができた、それから、そう大した研究開発費を投下しなくても、ここで言う原価計算方式の対象になるような新規性のある薬ができたという場合に、当然、薬の値段は変わりますよね。現実にも違っているはずなんです。  ところが、今の御説明では、そんな違いが出るはずがない。材料費ぐらいのところは、これは会社ごとに違いますよと言われても、材料費の考え方にそんなに大きな差が出るはずがないのですから。だから、研究開発費というのは一体どこで見ているのかというのが私にはわかりません。  もし見ていないとすれば、それは新しい研究開発はできないわけですね。私は、それはもう完全な制度的な欠陥だと思います。もし見ているとすれば、局長、いろいろ御説明いただきましたけれども、そして、客観的な数字でやっていると言いながら、あちこちで不透明なやり方でそういうものを織り込んでいる、そしてその中で、私は、研究開発費に名をかりた、不透明ですから、客観的な基準じゃありませんから、いろいろなおかしな話も出てくるのだろう、あるメーカーだけが優遇されて高い薬の値段をいつもつけてもらっているとか、そういう話も出てくる余地があるのじゃないか、こういうふうに思いますが、この点について、大臣、いかがでしょうか。
  245. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 いかに税金を使って、公費を使っているからといっても、細か過ぎると私は思いますよ。細か過ぎる、決めるのが。この公定の矛盾が出てきている部分です。だからこそ、この公定価格制度にもう限界が来ているのであって、これでは企業の自主性が発揮できないなと。  統制経済、市場経済、どちらがいいかという優劣の問題にもかかってくると思いますけれども、私は、まさに市場経済の中で、医療は統制経済がゆえに規制も多い、そして、細々とした指導もしなきゃいかぬ、またそれを逃れようとしていろいろな方法を考える、ここにもう矛盾が来ている、統制経済でありますけれども、できるだけ市場原理を導入するといいますか、市場実勢にゆだねた方法をとらないと、今指摘されたような矛盾点はなかなか解決できないのではないかな、そう感じました。
  246. 岡田克也

    ○岡田委員 そういう意味で、市場メカニズムを働かせていくためには、私は、完全な医薬分業というものが前提になるだろう、こういうふうに思います。特に外来の場合には、完全な医薬分業にし、かつ患者に定率の負担を求める。これは、定額であっては患者の痛みというのは同じですから、定率にしてこそ初めて、その患者が、薬の高い、安いということについて痛みを感じるわけですね。そしてなおかつ、医師が薬の指定をするときには、個々の薬品の名前で指定するのではなくて、銘柄で指定するのではなくて、薬効で指定する。この三つの条件が重なって、完全医薬分業と定率負担とそして薬効の指定、この三つが重なったときに初めて、価格メカニズムというのが外来の場合働いてくるのじゃないか。  患者さんは薬屋さんに行って、そして、みずからは何割か自分で負担をする、つまり懐が痛むという前提のもとで、同じ薬効の薬が幾つか並んでおれば、その中で、例えばこの薬はブランド品だけれども高い、こちらは安い、どっちを選ぶかは患者さんがみずから選ぶ、そういう仕組みであって初めて価格メカニズムが働くと思うのですが、この点について何か異論はありますでしょうか。
  247. 丸山晴男

    ○丸山政府委員 医薬分業につきましては、現在、最近急速に進展をしておるわけでございますが、御承知のとおり、全国平均で二〇%程度ということでございまして、完全分業されている欧米に比べてはその差が大きいということでございます。  その際に、今お話しの処方せん、薬効についての指摘をするだけでよろしいのじゃないかというお話でございますが、それは医師の処方権との関係がございまして、これまで大変難しい問題であるとされてきたところでございます。
  248. 岡田克也

    ○岡田委員 私は、難しい難しいという御答弁を聞きたくて質問しているのではございません。医薬分業については、きょうは時間がありませんからまた改めて次回でもさせていただきますが、外来の場合はそういうことだろうと私は思います。  それでは、入院患者の場合どうか。入院患者の場合は、さっきも言いましたが、患者さんが自由に薬を自分で選ぶということがなかなかできないですね。お医者さんにあてがわれたものを飲むしかない。この薬ちょっと高いからほかに同じ効能で安いものがあるはずだとか、それはよほどの専門家でないと言えないわけであります。  そうだとすると、薬の値段という観点からのみ言えば、入院患者の場合には診療報酬を包括・定額払いにしていく、その中で、お医者さん自身が一定の額の中で同じ効能なら安いものを選ぼうというインセンティブがあって、そこに価格メカニズムが働く、こういうことじゃないかというふうに私は思っております。だから、外来の場合と入院の場合でちょっと分けて考えていくべきだ、こういうふうに思うわけであります。  そういう基本的な考え方、大体、欧米の各国もそういう考え方ではないのかと私は思うのですが、この点について何かコメントがありましたらお願いしたいと思います。
  249. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 欧米各国それぞれ、そこらは完全に一致しているわけではありませんが、入院患者の扱いについては基本的には先生がおっしゃったような方向ではないかと思いますし、私もやはり、そういうのが基本的な方向じゃないかというふうに思っております。
  250. 岡田克也

    ○岡田委員 もちろん、今のは薬の世界についてだけ見た話でありまして、入院患者さんの場合の定額払いというのはほかのデメリットもありますから一律に薬価の問題だけでは判断できないと思いますけれども、基本的にはそういうことではないかというふうに考えております。  それで、医薬分業の話でありますけれども、先ほど局長、私が質問する前に大体お答えいただいたと思うのですが、いずれにしても医薬分業というのが大前提になるとすると、これをどれだけしっかりやっていくかという問題だと思います。  例えば国公立病院あるいは厚生省直接御所管の国立病院について、今、医薬分業はどの程度の実態にあって、そしてなぜ一〇〇%に近い数字ができないのか、その点についてお伺いしたいと思います。
  251. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 国立病院では、院外処方せんの発行の推進の事業として、平成元年以来努力をしてまいりました。平成元年当時は、国立病院は、療養所はちょっと除きまして、病院でいきますと七・一%でありましたが、平成七年では二九・五%の数字まで上がってきて、全国平均以上の数字になりました。  それで、どうやって推進しているかといいますと、モデル病院を決めまして、それは外来が平均五百名以上あるところを選んでやりまして、一番いいところは、平成元年〇・八%であったところが平成七年度では九二・四%まで進んだ病院もあります。  なかなかうまくいかないところもあります。それは一つは病院の問題があると思うので、私も細かいところまでわかりませんけれども、すごく進むところというと地域との連携というのがありまして、実はその病院だけが努力して済む問題ではない。地域に受け皿の薬局がないといけない。本来は、分業分業と言ってやってきたわけでございますけれども、面分業と言われて、病院で出した院外処方せんが各地域へ散っていく、患者さんの自宅の近くでそれがもらえるという仕組みが本当はいいわけです。門前薬局になったのでは、本来、面分業のよさが出てこない。そういうためにはやはり地域の受け皿というものがあるということでございまして、私どもとしては、その受け皿をいろいろ考えながら一生懸命推進していかなくちゃいけないと思っています。  そういう意味では、国立病院が、完全分業というところまではいきませんけれども、全国の医療機関の先駆者となるべく分業は進めたい、このように思っています。
  252. 岡田克也

    ○岡田委員 地域に受け皿がないということですが、地域にも、よほどのへんぴなところでない限り薬屋さん、薬局はあるわけでありまして、今おっしゃった受け皿がないというのは具体的にどういうことでしょうか。
  253. 小林秀資

    小林(秀)政府委員 院外処方せんで、面分業で出しますと、患者さんが自宅の近くの薬局に行かれる、そうすると、そこに品ぞろえがしていないといけないとか、それから土曜、日曜やっていないとか夜間もあいていないとか、ヨーロッパなんかは夜間あいているわけですね。いつでもあいているということが大事なことなんです。そういうような、やはり薬局は薬局としてのいわゆるやるべきことがある。  それからもう一つは、薬剤師さんも今までは分業ということになれていらっしゃらないから、そこまでの教育というのですか、患者に対してきちんと薬の説明をする、そういうことに対する教育もまだ完全に全国うまくいっているというわけではございませんので、それは地域の事情を考えてやっていかなくちゃいけない。  しかし、いずれにしても、これを推進していくということは大事なことでございますから、それについては大いに頑張っていこうと思っています。
  254. 岡田克也

    ○岡田委員 先ほど言いましたように、薬の値段の問題を考えたときに、医薬分業というのが大前提になる話であります。しかも、これはゆっくりやっていたのではいつまでたっても、この薬の問題で、市場メカニズムという話になってこないわけですから、大車輪で厚生省として進めていかなければいけない問題だと思うのですね。その割には随分のんびりした話だな、本当にやる気があるのかと、お聞きしていて、率直に申し上げてそういう気がいたします。  少なくとも国立病院は厚生省御所管ですから、そこについては、早期に一〇〇%に立ち上げていくという具体的計画をつくって、二年計画ぐらいでやっていかないと、これはいつまでたっても薬のところで改革ができないということになるのじゃないのでしょうか。私が自分経験で言っても、要するに、国立病院じゃないのですが、公立病院、市立病院、県立病院、そういうところがまずきちっと医薬分業をやれば受け皿はできるのですよ。ある程度のお客さんが確保できるということになれば、薬屋さんの方も共同で薬を備蓄したり、そういうことに対してお金をかけるのですね。ところが、それがないと、いつまでたってもそれはできないですよ。  そういう意味で、医薬分業を進めるための起爆剤として国公立病院をまずきちんと医薬分業する、そうすればほかの病院はそれについてくると思うのですね。その点について御決意のほど、大臣、いかがでしょうか。
  255. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 私が平成元年に大臣に就任したときも、この医薬分業、大事だと言ってやってきたわけですが、今二割ちょっと超えたぐらいですか、これは今後とも医薬分業を推進していくのは大事ですから、せめて国立病院は率先垂範して医薬分業を推進していく体制をとっていくべきだと私も思います。
  256. 岡田克也

    ○岡田委員 厚生省というか、この医療分野での改革を二〇〇〇年までにやるのだということであれば、ゆっくりしている暇は全くないということになると思います。私は、厚生省の中でも、何か局によって、大分この医薬分業に対する取り組み方というか感覚にずれがあるように、そういう気がしますけれども、ぜひ、そんなことを言っていないで、省を挙げてこの医薬分業に対して取り組んでいただきたい、こういうふうに思います。そして、その前提として、まず国立病院について完全にやっていただきたい、こういうふうに御要望申し上げておきたいと思います。  さて、時間も非常になくなってまいりましたが、今回の薬の負担の問題について最後にお聞きしたいと思います。  何回も局長の方から、一種類一日十五円という負担は多剤使用の制限にはなるけれども、価格抑制のインセンティブとしてはなかなか機能しないという趣旨の御答弁があったと思いますが、この点、もう一度確認したいと思います。
  257. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 今度の改正案でお願いしております薬の一種類一日十五円という一部負担の形でありますが、これは、多剤使用というものについてはコスト意識という面を持っていただける、また、それに対する歯どめには役に立つのではないかというふうに思っております。  もう一方、薬のシェアが非常に高いといった中に、いわゆる高い新薬の方にシフトするという問題がございます。こちらの方は、今回のやり方をとったからといってストレートに寄与するというふうなことはなかなか難しいのではないか、そんなふうに考えております。
  258. 岡田克也

    ○岡田委員 そこで、一日一種類十五円というのを五十円にしてしまえばどうかと。これは医師会もそういうふうな意見があるというふうに聞いておりますし、中身は違いますが、民主党さんもそういう御意見があります。  いずれにしても、五十円ということにした場合に、例えば二百五円以上のものは五十円だ、こういうことにした場合に、それは、価格を抑える効果というのは私はないとは言いませんが、例えば二百五円を超えてしまえば幾らでもいいや、みんな五十円だ、こういうことになるのじゃないか。あるいは、二百五円以下のものをただにするというのであれば、それはただだからむだなものでも出していいのだ、こういうことになる危険性をはらんでいると私は思いますが、この点についていかがでしょうか。
  259. 高木俊明

    ○高木(俊)政府委員 今度の薬の一部負担の仕組みでありますけれども、あらゆる効果を期待して、この方式ならばそれらの効果を全部吸収できるというやり方があれば一番いいわけでありますが、それぞれ一長一短があるわけであります。  それで、今回お願いしている一種類一日十五円というやり方、これは、特に医師会の先生方はそういう声が強いのでありますけれども、実務的に非常に煩雑だ、これはちょっと幾ら何でも何とか改善できないかという声もございます。そういったような視点も込めてまた別の案というものを考え出されているという面があるわけでありまして、そこら辺、どういう切り口からこれを考えるか。  しかし、いずれにしても、薬に対する御負担をお願いするということによって、薬に対するコスト意識というものを、あるいは受益と負担の公平というものを喚起したいという、そういう点についてはそれぞれ同じようなあれがあると思いますが、そこら辺は、どういうふうな視点でどの程度の効果というものを考慮に入れてやるかということによって、やはりその方法というのはいろいろあり得るのじゃないか。一概に、これはだめで、これはいいというものではないような気がいたします。
  260. 岡田克也

    ○岡田委員 十二月の医療保険審議会で示された考え方の中で、今回、一番違っているのはこの薬のところだと思うのですね。定率だ、しかも一割じゃなかったのですね。それを一日一種類十五円ということに変えて、それが手続が煩雑だということでまた違う案になるかもしれない。手続が煩雑なら定率にすればいいのですよ。私はもちろん、この薬の負担について、構造改革とのセットでなければこういう負担はおかしいという考え方を持っておりますけれども、しかし、いずれにしても、今回のような考え方で、今のお考え、一種類一日十五円なら七千七百億円の負担増だ、これだけ巨額のものを何かわけのわからないことで国民に負担させるというのは納得ができないのです。  私、これはもう基本的な国家観になるかもしれませんけれども、国家と個人の関係というのは、いろいろな負担を国家が個人に求めるのは、それは合理的であれば、理由があればいいと思いますよ。しかし、今回の一日一種類十五円とか五十円とかいうのは根拠がないのですね。大臣は、平均百五十円だからその一割だとおっしゃったけれども、国家が国民に対して何らかの負担を課すのであれば、例えば自己負担で一割を負担してもらうとか、そういう根拠がはっきりしていれば許されると私は思いますけれども、こんなわけのわからない丸めた数字で、おまえら負担しろというのは、お上が、封建時代に悪代官が、それこそ一般の農民に対して押しつけたのと同じじゃないか、非常に合理性がないのじゃないか、イギリス的な意味でのリベラルという考え方からいっても私はこれはとても納得できないと思いますが、大臣、この点についてどういうふうに考えておられるでしょうか。
  261. 小泉純一郎

    小泉国務大臣 その議論、私は否定いたしません。手続が煩雑だというのだったら定率がよかったのですよ。お医者さんも、それはだめだと言うわけでしょう。いかにまとめるのが困難か。根拠も、そうすると月千二十円もどういう根拠なのかというと難しいですね。かなり合理的説明が難しいのが今の医療制度なんですよ。  ですから、これは段階的に――市場経済の中で統制経済だからすっきりいかないのはわかります。その難しさはあるけれども、この法案を通してから、私は、少なくとも合理的、論理的な改革はないかという方向で改革案をまとめてみたいなと思っております。
  262. 岡田克也

    ○岡田委員 最後は開き直られてしまったような気がするのですが、私はやはり、そこは基本的な方向を示して、こういうことでやるからということで納得を求めていくということでないと、余りに非合理的なものを、しかも、先の展望がなくて押しつけられるというところに今回の最大の問題があると思います。  恐らく、概算要求を控えて、厚生省の方も八月いっぱいにはいろいろな抜本的な改革案を打ち出さなければいけないということになると思うのですね。そういうことだとすれば、次の案が出てくるのはそんなに先の話じゃない。とすれば、それを今我々に示していただきたい、その上でこの負担の問題について議論させていただきたい、そういうふうにお願い申し上げて、私の質問を終わります。
  263. 町村信孝

    町村委員長 次回は、来る二十二日火曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時七分散会