○柳田
参考人 どうも、この重要な段階に私をお招きくださいまして、感謝申し上げます。
私がここでしゃべることの
意味は何であろうかということを
考えたわけですが、次の三点ぐらいが私の発言の
意味ではなかろうかと
考えました。
一つは、私自身、二十五歳の息子を
脳死でみとりました経験を持ち、また、その
脳死の後で腎提供をいたしまして、そして提供を受けた
患者さんがその後どうなっているかということについても体験している、そんな立場でございます。
それから第二は、医学・
医療の分野について、この四半世紀ぐらい現場取材というものを続けてまいりました。これは先生方が視察とかあるいは見学なさる場合と違いまして、取材というのは生の姿、本音の姿ということを深く立ち入って見るわけでございまして、現場に長期間にわたって、例えば二年も三年も同じものを見続けるとか、あるいはその当事者のプライベートな問題にまで立ち入って話を聞いて、本当に心の中で何が起こっているかというようなことまで伺うというようなことでございまして、作家の取材というのはそういうものでございます。
それから第三番目には、
医療界に若干公的なかかわりを持ってまいりました。それは、厚生省の戦略策定機関である厚生科学
会議のメンバーを十年ほどやってまいりました。それから、インフォームド・コンセントの検討会の座長も務めました。それから、薬の安全性検討会のメンバーでもございました。また最近、薬害エイズ問題では、厚生省だけでは真相究明を任せられないというので、厚生大臣の委嘱でシンクタンク、NIRAに設けました黒田
委員会、いわゆる薬害再発防止等の研究会のアドバイザーも務めてまいりました。また、国立がんセンターの倫理
委員を八年ほど務めまして、さまざまな
症例について相当な時間をつぎ込んできた経験がございます。
以上のような三点から、私がこの
脳死・
臓器移植問題について発言する
意味があるのではないかと思って参りました。
それで、お話し申し上げたいのは、きょうは六点ほどございます。
一つは、低
体温療法という今注目の
治療法が何をもたらしているのかという問題、第二は、
脳死と
脳死状態の違いの大きな
意味がいよいよ重要になってきたという問題、それから三番目は、
脳死は人の死かという問題に関すること、四番目は、死に行く者、特に
脳死の人の尊厳について、五番目は、さまざまな医学のあり方に関する原則論や表向きの議論と臨床現場の実態のずれの問題についてでございます。それから六番目は、八〇年代の議論と九〇年代の議論の質的違いについてでございます。
以上、簡単に、順に述べていきたいと思います。
低
体温療法は、皆さん非常に御関心が強いようでございますけれども、その療法の中身について、午前中、林先生がお話しになっておられましたけれども、私、若干素人でもわかるようなと言うと僭越でございますけれども、もう少し補足的にお話し申し上げてみたいと思うのです。
従来、重度の
脳障害を受けた
患者、それは外傷であったり脳内出血であったりするわけですけれども、その
治療法というのは、二次的損傷、例えば
脳浮腫とか頭蓋内圧高進とかそういうものによって脳内の
神経細胞が次々に死滅していく、それを防ごうではないかというのが従来の
治療法であったわけです。そして、低
体温療法も、そうした二次的損傷をできるだけ防いで、可能な限り被害を少なくしてその
患者さんの蘇生を図るというふうに誤解されております。実はそうではないのです。
実は、一次的損傷を受けた脳
神経細胞そのものに
治療を加えるということなんですね。そこは非常に重要な問題です。といいますのは、私自身現場をずっと見ておりまして、交通事故やあるいは職場での産業災害事故で脳に大変な挫滅を受ける、あるいは鼻腔のところに脳みそが飛び出すような交通事故の傷害
患者が出てくる。従来の救命センターですと、これはもう助からないということで
治療しないわけです。
そういう
患者さんを、頭蓋をあけて手術をします。それは低
体温療法に入ることを前提に頭をあけます。そうすると脳がつぶれています。つぶれているのだけれども、そこに低
体温療法を加えて、そして一カ月、二カ月たちますと、その人の意識が戻り、知的活動が戻り、運動
機能が戻る。そうすると、低
体温療法の初期のころですね、林先生自体が驚いたのです、一体あのつぶれていた脳は何だったんだ、あれはどこへ行ってしまったんだ。そして、CTスキャンで見ますと、その後遺症ともいうべき半溝が残っています。
にもかかわらず、例えば私がテレビで
紹介しましたあの練馬の樋沼ふじ子さんという四十七歳で交通事故でトラックにはねられた方、本当に脳挫傷はひどいものでした。脳の正中線はゆがみ、生命中枢である
脳幹部も傷んでおりました。ところが、それが生き返ったときに、何の運動
障害もなし、
機能障害もなく、半身不随もなく、言語
障害もなく、そして日常の生活は事故前と何の変わりもなく、家事をし、農作業をし、そして家族で笑って
日常生活をしており、今は自転車で買い物にも行く、そういう
状態でございます。一人ではございません。
そういう蘇生の
可能性は一体どうだったのかというと、従来のように二次的損傷を単に防いだというだけではあり得ないことが起こっているわけです。脳の
神経細胞の強靱な面というものを見せつけられるわけです。
そして、この脳低
体温療法のもう
一つ重要な点は、決して脳だけを
治療しているのではなく、全身
治療だということです。といいますのは、脳の器質としての
細胞を保全するためには、当然栄養を補給しなければいけない。酸素とか代謝物質を補給しなければいけない。そのためには血流が必要です。その血流確保のためには、心
機能、肺
機能、そして循環系のいろいろな保全をしなければいけない。
また、体を冷やしますと、体に対する侵襲が大きくなって、感染症にかかりやすくなる。実際、低
体温療法を始めた当初は、もう軒並み肺炎を起こして、しかも肺の
機能が弱っていますから、たんが肺の中にいっぱい詰まって、それをどうやって吐き出させるか、大変苦労しておりました。
ところが、そういうものに対してさまざまな
治療法を開発して、その感染症防止も、当初のころは八〇%ぐらい肺炎になったのが、この三年の間に、感染症になるのが一〇%ぐらいに減りました。それは、従来
考えられていなかったようなさまざまな薬物を使う、例えば成長ホルモンを使うとか、いろいろな意外なことをやっております。あるいはドーパミンを刺激するような薬を使うとか、そして全身を保全しながら脳の
神経細胞の弱ったところを
回復していく。
それは午前中、林先生が、損傷を受けた脳でもすりつぶしたわけじゃないという表現を使いました。すりつぶすというのは、本当にぐちゃっとつぶしてしまった、そういう
状態じゃない。衝撃を受けて、そこで挫傷
状態になったということですね。
そういうことの低
体温療法の結果、ことしの初めまでですと、七十五人の方が低
体温療法を実施しまして五十六例が蘇生しております。残念ながら蘇生しなかった方もおられるわけですが、ただ、蘇生した
方々の多くが、従来の脳
治療に比べて
回復の度合いに驚くべき顕著な、いい方向でのものがある。
例えば、非常に重度な、従来だったら
蘇生限界点を超えたような
患者であったら、救ったってどうせ
植物状態だ、あんなのやったってお金使うだけだというふうに言われがちですけれども、
植物状態に入った人はほんの数えるほどしかいません。またもう
一つ、
植物状態に一時的になった
患者さえも五人
回復しているという驚くべき事実がございます。
このことは結局、さまざまな新しい知見として、今後エイズなんかの自己免疫不全なんかにも応用できる問題を含んでいるのではないかと思われるようなことさえわかりつつあります。
そして、注目すべきことは、この三年半ほどの
経過、つまり九三年からこの
治療法を始めたわけでございますけれども、その間に、
神経細胞の活性化の方法とか、
植物状態からの
回復とか、感染症予防と
治療の方法とか、いずれもアメリカから注目されて、論文を
提出せよとか、NIHに来てレクチャーせよとかというのが相次いでおりますけれども、こうしたこの三年間の進歩の
意味することは、医学の進歩というものが、ちょうど
脳死臨調が答申を出した九二年一月の時点よりはるかに速いテンポで、また予想しなかったテンポで進んでいるということを示すものとして受けとめますと、この問題は非常に大きな
意味を持つのではないかと思うのです。
そこで、二番目の、
脳死と
脳死状態の違いの大きな
意味を今もう一度
考えなければいけないといいますのは、
脳死というものは、原理的に言えばそれは脳の
神経細胞の
器質死を
意味しなければいけないはずですけれども、それは、午前中の先生方のお話でも出ましたように、今日の電気生理学的な方法では確かめようがない。そして、そこでやむを得ず
細胞膜表面の電位、つまり活動状況というものが停止した
状態を脳波とか聴性
脳幹反応とかそういったものでとりまして、それでこの
神経細胞は死んだに等しい、あるいはそれに近い
状態になっているということで
脳死状態というふうに
判定するわけですね。
脳死と
脳死状態の違いというのはそこなんですね。
そして、
脳死の
定義として日本では全
脳死をとろうということにしておりますけれども、この三、四年の間に明らかになったことは、低
体温療法の中で
患者さんの中で一時的に
脳死状態の
判定基準をほぼ満たす人、つまり脳の
細胞膜表面の電位が全部休んでしまった、停止してしまった、だからこのまま従来だったらもう
脳死だというような
患者さんが、実際、その後いろいろな反応が戻ってきまして、反応が戻っただけじゃなくて、その
患者さんが実際に生きた人間として生還し、そして
日常生活に戻っているというこの現実です。つまり、
脳死状態というものに対して、今後医学の進歩があるとどういう蘇生の
可能性があるかわからない。
午前中、林先生は、医学者ですから非常に控え目に、その辺についてはえんきょくな表現しかしませんでしたけれども、今のこの研究のテンポを見ますと、これから、単に低
体温療法ということだけではなくて、さまざまな薬物療法その他、今予想できないような形での進歩というものを
考えなければならないのではないかなということを
考えるわけです。
また、それでは、
竹内基準が満たされたときに生還する
可能性が出てくるのかというと、これは今までのところの調査データではないわけですから、当面の問題としてはそれはいいのでしょうけれども、将来的に果たしてそうなのかどうかについてはまだ未確定なものがございます。
したがって、これは法律という形で
脳死というものが認定できず、
脳死状態という、いわばみなし
脳死ですね、よく世の中にみなし法人とかいろいろな使い方がありますけれども、みなし
脳死という
状態をもって人の死とする、そういう永続的な法で規定すること自体に対する懸念を私は抱くわけでございます。
そしてまた、低
体温療法を見ていまして、私が非常に大きくジレンマを感じ、またお医者さんたちが感じているのは、
脳死判定の中における無呼吸テストの問題なんです。
これは、午前中、林先生がまたお話しになりました。十分間呼吸をとめるわけです。事前に酸素をたくさん与えておいて、その後、酸素補給がないからだんだんCO2濃度が高まってきて、そしてそれに刺激されて、もし自発呼吸の能力があるならば何か反応があるだろうというので調べるわけですけれども、ところが、今のような脳の膜表面だけの停止
状態とか、いろいろな蘇生の
可能性が将来的に見るとあるかもしれない。それを、無呼吸テストというもので酸素をとめるということは、確かに百人中九十九人あるいは千人中九百九十九人はその時点では脳が実際にはもう戻らない
状態になっているのかもしれないけれども、千分の一か万分の一かに蘇生の
可能性が将来にはあるかもしれない人、最終的にその人を殺す作業につながるということが原理的には言える。
それが救命医の今一番ジレンマになっているところで、そのあたりは今、日大の倫理
委員会で三年計画で、果たしてこの無呼吸テストというものはどういうあり方にすべきかというのが進行しております。まだ始まって一年目ですので答えは出ていないようですけれども、いろいろと新しいデータが出ているのは仄聞しております。
三番目、
脳死は人の死かという問題でございます。
私は、死は
プロセスと納得の問題であると
考えております。
脳死という
状態は、それが
脳死そのものあるいは
脳死状態であれ、科学的事実であることは確かです。しかし、人の死、つまり人間全体の死というものは人間が判断し、選択する問題でありまして、それは
意味づけの問題でもあるわけですね。どこで人が死んだかとするわけです。
これは、
竹内先生も著書において、
脳死とは個体の死の前段階の
一つであり、やがて個体死がやってくるという表現で書いておられます。これはだれも異存ないところでしょうし、平野先生も、死は
プロセスであるというふうにおっしゃっていて、ただ、どこかで
ポイントを決めましようということで、法律家のお一人として平野先生は今の科学技術時代において
脳死を人の死としましょうということなんでしょうね。
ところが、現実にいろいろと
移植外科の先生方の現場の話を聞いていますと、
脳死は人の死というのは科学的事実だということをおっしゃっているわけです。そして、それを認めたがらない看護婦さんをしかり飛ばすのですね。おまえら、
医療者としてなってない、科学に忠実になれというわけです。
確かに
脳死という現象は科学的事実であっても、それが人の死かどうかはこれは人間の選択と決定の問題でありますから、科学ではないわけです。それを科学だ科学だと言うのは、科学主義であります。科学主義というのはある
意味でイデオロギーであります。そして、そういう科学主義の押しつけは暴力になりかねないということ、これは我々、歴史的に、日本精神主義とか、神風が吹けば日本は勝てるのだとか、いろいろとそういう精神主義なりイデオロギーの怖さというのは知ってるわけです。もう少しそのあたりをマイルドに
考えなければいけませんし、ただ科学だと言うだけでは、五木寛之さんのようにつめの先まで人格の一部だとおっしゃる方を説得するにはちょっと説得力がないというふうに思うわけです。
また、
心臓死は単に数十年前に決めたことじゃないか、それを変更してもいいじゃないかということを言うわけですけれども、実はそれは解釈の違いでございまして、
心臓死を
中心とする三徴候というものは歴史的に人間が自然に納得してきたものを医学が数十年前にきちっとそれを認識し、死亡診断をする上の手段として定着させたということの
経過でございまして、これは古来の死の追認という形であったわけです。
以上のような
経過を
考えますと、私は、
脳死を一律に死とするのは死の青田刈りと呼ぶべきことではないかなというふうに思うわけです。そして、そこに起こる諸問題についてもう少し
考えてみたいと思います。
四番目に、そこで、死に行く者、特に
脳死の人の尊厳の問題を
考えなければいけないと思うのです。
患者には固有の権利があるわけです。それは医の倫理に非常に密接にかかわることでございます。
患者の権利法というものは一部の市民グループや法律家などがかねて主張しておったわけでございますけれども、薬害エイズ問題で、先ほどの黒田
委員会が今月四日に厚生大臣に中間報告を出しました。その中で、あのような薬害エイズ、あるいは繰り返されてきた薬害事件の根源を見るとその構造的な中には
患者不在の
医療システム、
医療の構造があるということで、
患者中心の
医療への転換のために
患者権利法を制定すべきであるということを提言しておられました。
こういう時代の流れの中で
脳死問題及び
臓器移植問題を
考えたときに、
脳死の人、
脳死の
状態に置かれた人、そしてそこから
臓器をとることについて、本当だったらそれが真っ先に議論され、それを重視して議論すべきだったことが、ずっとそういうことなしに、そして
移植を受けると救われる人の話、そして技術的な向上ということばかりが議論されてきて、
脳死臨調においても、
脳死の人の権利の問題とかあるいはそれを取り巻く家族の問題とかというのはほとんど本質的な面では議論されなかったに等しかったわけでございます。
脳死の人といえども、それは自己決定権あるいはリビングウイルというものが尊重されなければいけないわけです。ここで誤解されてはいけないのは、日本の社会はまだそんな主体性とかリビングウイルなんというのは定着してないから、そんなことを言ったら
臓器が集まらぬというのは、これは本末転倒の議論でございまして、そういう自己決定権を普及するための運動こそ今しなければいけない。そういうことをしないで、他者のために死の時間や形を強制され、早めるということがよいのかどうかという問題を議論しなければいけないと思います。
こういう中で、医の倫理ということが午前中においても非常に重視されて議論されましたけれども、これは形だけで言うのではなくて、本当に実態として日本で医の倫理というものがどんな形で議論されているのかというと、ないに等しいです。
この十年ぐらいの間に確かに
大学や大きな病院では倫理
委員会というのが設けられました。しかし、そこで倫理
委員会として設けられたのは、特に
大学などでは、ほとんど医学部の
教授が八割方
委員を占めておりまして、
提出された案件、臨床試験の案件についてほとんど黙認していくというふうな形のものでございます。しかも、その議題は、
臓器移植とか遺伝子
治療とかそういったものに限られております。
しかし、アメリカにおける病院倫理
委員会の働きというものは物すごいです。その中には市民代表、
患者代表も入っておりますし、
委員長は医者でなく看護婦が務めるとか、本当の
意味での市民のための倫理、
患者のための倫理という視点から議論され、特に
治療停止の問題ということが大きな議題になります。重い
障害を持っていて、もういろいろな輸血、輸液をするのにもステントさえもつけるところがないほど血管がぼろぼろになってきた、さあどうしようかというときに、その
治療停止の問題を半年間にわたって倫理
委員会が議論し、一人の青年の命について議論し尽くして、そして結論を出していくという、こういう医の倫理というもののあり方、そういうものは日本ではまだまだ定着しておりません。そういう中で、形式的な医の倫理ということだけが空回りしている時点だと思います。
そしてもう
一つ、この死に行く者の尊厳について
考えるときに重要なのが人称による死の質的違いについてであります。
死及び命については、一人称、二人称、三人称、それぞれ違った
意味を持っております。一人称の死という場合には、当然それは本人の死の美学なり自己決定権というものが重要な
意味を持ちます。
また、二人称の死の場合には、死に行く愛する人に対するみとりの問題、ターミナルケアの問題、これは何もがんだけではございませんで、
救急医療の現場においても、やはりそこには一種のターミナルケアがなければいけないわけです。そして同時に、二人称の立場に立ったときに、みずからのグリーフワーク、心の傷をどういやすかという問題が非常に重要です。
余りこういう表には出てこないのですけれども、特に突然死、事故死とか阪神大震災のような形の災害死とか、あるいは新生児集中
治療室における重度
障害児の死亡とか、そういう場合に、残されたお母さん、連れ合い、そういう人が、もうそれから何年も仕事ができなくなってしまうほど喪失感に襲われる、あるいは心に傷を残す、あるいはうつ病になる、アル中になる、物すごくその率は高いのです。そういうものはふだん議論されなくて、
脳死というのは、多くの場合、突然死という形で起こることが多いです。事故死あるいは脳卒中、さまざまです。そういうときに、このグリーフワークの持つ
意味というのは非常に大きいのですけれども、これについての議論は
脳死臨調では全く行われませんでした。
この二人称の死という問題については、私は身をもって経験したので強調したいと思うのでございますけれども、私も最近、知り合いがある
大学で精神科の医者をやっていまして、そこである青年がみずから命を絶とうとして
脳死状態に陥ったときに、精神科で家族ぐるみで最後の日々を送って、そして非常にいいケアをしたために、残された母親が心がせめていやされていったという話を聞きました。
そういうことなくして機械的に、ただそこにある
臓器を使いたいから、
脳死は人の死だということで摘出の方へ早く移っていくということがいいのかどうかという問題。しかし、それはもちろん摘出できませんというのじゃなくて、その間のさまざまな対応というのはこれから
考えて、現実に実践的に
考えるべきだと思います。
こうした二人称の死というものを
考えるのは、これは実は現代
医療の歴史的な
意味を持っていると思います。本来、人間は家族や家の中で家族に囲まれて死ぬ。それが、
医療というものが発達してきて、そこに開業医の、かかりつけの医者が来て支えてくれる。そしてやがて、この半世紀ほどの間に病院
中心の
医療が発展して、いつの間にか死というものが家の中でなく病院に行ってしまい、そして死のみとりということが
医療機器の中で起こるようになってきて、その中においては
治療優先のために家族は排除される。最後は、がんの末期などで心蘇生をするときにもう家族は廊下に追い出される。そして冷たくなってからだめでしたと言われる。
本当に静かなみとりというものがないために、そのために大変な心の傷を残す。特にお子さんなんかの場合には、死とかがんというのはこんなに怖いものかという、この心的トラウマの残す影響というのは物すごく大きいですね。そういう子が、やがて
自分が世の中に出て母親になり、
自分の子が何か病気になったときに突如うつ病になったり神経症になったりするという、そういう事態が時々見られます。
それゆえに、この
医療のあり方というのは、現代
医療の中でもう一度二人称まで含めた、それを輪の中に入れた、本当の人間味豊かな
医療の
回復ということが大きな課題になっていると思うのです。それが終末期
医療、特にがんの終末期
医療とかホスピスケアにおいては今懸命に試みられているわけでございますけれども、そういったことが救急現場でも重要だと思います。
ある救急現場で悩んでいた中堅の救命医が、これからは集中
治療室においてもクオリティー・オブ・デスということを
考えなきゃいけない。死に行く者、そしてそれをみとる家族に対してどういうふうに
医療が支援するか。そこには、やはりよりよい最期のみとり、そして
移植するならば、
移植したことがその人の残された人にとって本当にあすの人生を輝かしいものにするのかどうかということですね。
私自身も、本当に
脳死状態に入っていって何日目かに、息子の生前の意思、それは骨髄バンクのドナーになっておりましたので、その意思を何とか生かしてやりたいということで腎
移植を決意しました。そして、その死後できるだけ早い時期がいいだろうということで提供いたしましたら、二つとも、非常に若い青年の腎臓でしたから、中年の男の方と女の方に
移植されて、そして片方の男の方は、それまで非常に病気で苦労されていたので性格までゆがんでおられたようです。そして、周りから嫌がられるような人だったのが、
移植を受けて、そしてもう透析の必要もなくなったときに人格が変わって、本当に周りから、人が丸くなった、優しくなった、いい人になったねといって喜ばれた。これは本当にすばらしいことです。
だから、私は、
移植医療ということについて、それはできるならば進めていくことに賛成したいと思います。しかし、それと同時に、やはり残される者に対する温かい
医療、死者の尊厳、そして家族の尊厳ということを忘れてはいけない。
実際、私自身も、死後腎
移植とはいえ、
心停止が来る十分前から冷却剤の注入が始まりました。まだ心臓の鼓動は弱いながらありました。しかし、冷却剤を注入すると十分で心臓はとまりました。そのときの本当に胸が締めつけられるような思い、殺したのじゃないかという思い、これはいまだに消えません。それを乗り越えて
移植というのは成立するのです。まして、それが
脳死状態で心臓がまだ元気に鼓動を打っているときに保存剤を入れる、冷却剤を入れる、そのときの家族の心境、これは物すごく大事だと思います。
若干まだ言い残したところがございますけれども、余り時間を一人で占領しては恐縮ですので、この辺でとりあえずはやめておきまして、六番以降の問題については、もしお許しいただければまた後ほど発言させていただければと思います。