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金田(誠)議員 ただいま議題となりました
臓器の
移植に関する
法律案につきまして、
提出者を代表して、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
まず、
臓器移植と法制定の
関係についてでございますが、諸外国の
移植医療においては、法制定が先行したいわゆる先進国ではデンマークがあるものの、他は医学界の
自己責任により実績が重ねられ、
国民的信頼の上に
法律が整備されてきました。中でも、イギリスやドイツ、アメリカの一部の州などは、我が国と同様、今もって脳死を人の死とする
法律は制定されていません。また、我が国においても、例えば脳死臨調最終答申には「
臓器移植は、
法律がなければ実施できない性質のものではない」と明記されています。つまり、先進的
医療行為一般が
法律の制定により初めて可能となるものではないのと同様に、脳死状態からの
臓器移植も
法律制定を必須要件とするものではありません。
しかし、にもかかわらず、なぜ我が国の脳死状態からの
移植医療については、医学界の自己決定ではなく
法律の制定が期待されているのか。私は、その理由の
一つは、三十年前の和田
移植に始まった
日本の
移植医療の不幸な歴史にあり、いま
一つは、カルテの
本人開示さえなされていない
日本の
医療の特殊性にあると
考えます。本来であれば、
移植学会を
中心とする
専門家の
方々は、法制定による解決を求める前に、
自己責任においてこうした本質的な問題に正面から取り組んでいただきたかったと思います。
しかし、事ここに至っては、私たちは立法府に寄せられた期待にこたえなければなりません。その場合、
議論しなければならないことは次の二点です。
第一に、脳死状態を医学的な
意味にとどまらず、法的、社会的にも人の死と認め、脳死状態にある人を
法律で一律に死体と規定してすべての人権を失わせていいのかということであり、第二に、脳死を人の死としなければ、いかなる厳しい条件のもとでも脳死状態からの
臓器摘出は一切容認できないのかという点でございます。
これについて、本
法律案は、第一の点については、脳死状態を死体と規定しない立場をとります。
一九九二年、
平成四年一月の脳死臨調の最終答申においても、多数
意見は脳死を人の死とすることに賛意を示したものの、それに反対する
意見が付記されました。
私たち提案者は、現在の
日本の社会においては、脳死を人の死とすることに社会的合意はないと
考えています。医学的な知識に基づいて人の生と死を見る医学的な
観点と、心臓が鼓動し血管に血が流れている患者をベッドの横で見守り看病を続ける
家族たちの目とが違うのは当然のことです。
このような社会的合意がないまま、脳死を人の死とすることを前提とした
法律をつくることは、脳死
判定後の治療に関する
医療側と患者の
家族の意識の溝を深めるとともに、
医療資源や
医療実験
対象としての利用など、さまざまな人権侵害の危険を生じさせます。また、人の死が
権利義務の取得と喪失の要件となっている法令は、相続開始を初めとして無数に存在するために、その法規と整合性をつけないまま脳死を人の死とした場合には、さまざまな法的、社会的な混乱を生じさせるおそれがあります。
したがって、私たちは、心臓死を人の死として法的にも社会的にも対処してきた我が国において、新たに脳死を人の死と
法律で定めることには強く反対するものでございます。
次に、第二の点については、本
法律案は、医師が
移植のために脳死状態の人の身体から
臓器を摘出してよいかという医師の視点からでなく、脳死状態になった自己の身体から
臓器を
提供してよいか、その
臓器提供により死期を早めることになってもその
権利行使は許容されるかというドナー、
提供者
本人の自己決定権の視点からとらえます。そして、そのような
権利の行使、つまり
提供行為には医師の摘出行為が不可欠であり、その
権利行使に関与する医師の行為を許容してよいかという形で医師の摘出行為の是非が問われることになると
考えます。
今日、生体からの
臓器移植については、健常な身体からの肝臓の一部についての
移植は、ドナーの
提供意思に基づき認められています。これは、本来は刑法で禁止する傷害罪に該当する行為ですが、身体の損害を受ける
提供者の同意、言いかえれば身体の機能の保全という保護法益の主体による法益の放棄により違法性がないものと
考えられています。
法律の根拠としては、刑法第三十五条の、法令または正当な業務による行為はこれを罰しないとの規定に基づき、「正当な業務による行為」として犯罪にならないとされています。
これと同じように、脳死状態という状態が、蘇生限界点を超えて確実に死の過程に入ったものと厳格な手続により
判定でき、
移植医療という目的のために、
臓器を摘出されることで死期を早めても
臓器を
提供したいという人にその
権利行使を認めることは、憲法上禁止されていることではないと
考えます。
私たちは、脳死を人の死とした上で
臓器移植を認める
法律よりも、人の死についてはいろいろな
考え方が存在することに配慮し、従来の死の概念を変更することなく、厳しい条件のもとに脳死状態からの
臓器移植に道を開くことこそが、
国民的合意を得るものであると確信いたします。
以下、この
法律案の主な内容につきまして御説明申し上げます。
第一に、この
法律は、
移植術に使用されるために
提供する
本人の意思に基づいて行われることを目的の中に定めております。
第二に、脳死を人の死とせず、脳死状態にある人も、死体ではなく、人権の享有主体であることを前提にしておりますので、いわゆる中山案、
法律名が長いもので、このように便宜的に呼ぶことをお許しをいただきたいと思うのですが、いわゆる中山案のような「死体(脳死体を含む。)」との表現は使わず、
法律の規定としても、「死体」と「脳死状態にある者の身体」と明確に区別しています。また、
臓器提供について拒否する
権利を持つ近親者を、死体の場合には「遺族」という用語を使い、脳死状態にある者の身体の場合には「
家族」という用語を使っています。
また、脳死
判定後の身体は、死体ではなく、生きている者として健康
保険法など
医療給付関係各法の
適用を受けることは従来と変わりませんから、いわゆる中山案の附則第十一条のような、「脳死体への処置」を「当分の間、」各法に基づく「
医療の
給付としてされたものとみなす。」との規定は不要であるため、置いていません。
第三に、脳死状態にある者の身体からの
臓器摘出の要件として、
提供者
本人の
提供意思が書面で表示されている場合に限り、脳死状態の身体からの
臓器移植を容認し、さらに
提供者の
家族が
臓器摘出を拒まないとき、または
家族がないときを要件としています。
つまり、
本人の
提供に関する意思が書面で表示されていない場合に、
家族の承諾のみで摘出することは許されません。これに対し、いわゆる中山案では、
家族の承諾のみで摘出された場合の罰則
適用は事実上困難であると
考えます。
第四に、従来の三徴候死により
判定された死体、いわゆる心臓死からの
臓器移植の要件については、
提供者
本人の
提供意思が書面で表示されている場合で、遺族が拒まないとき、または遺族がないときとしています。しかし、角膜及び腎臓の
移植については、従来の角膜及び腎臓
移植に関する
法律と同様に、附則で、
提供に関する
本人の意思が表示されていない場合に、遺族の承諾による
移植も認められるものとしています。
第五に、脳死状態の身体からの
臓器摘出が、犯罪捜査手続や刑事訴訟法第二百二十九条一項の検視など犯罪や死因の解明を妨げることのないように、医師の捜査機関に対する通知を義務づけるとともに、
臓器摘出に関する捜査機関の異議権を認める規定を設けています。
第六に、
臓器摘出に関する記録の作成、保存について定め、
関係者による閲覧に加え、謄写を認めています。
第七に、血管、皮膚その他の組織の
移植について検討を加え、その結果に基づいて必要な
措置が講ぜられるものとしています。
このほか、必要な罰則規定等を定めるとともに、との
法律の制定に伴い、現行の角膜及び腎臓の
移植に関する
法律は廃止することといたしております。
なお、この
法律の
施行期日は、公布の日から起算して三月を経過した日としております。
以上が、この
法律案の提案理由及びその内容の概要であります。
何とぞ、慎重かつ十分な御審議の上、速やかに御可決くださいますようお願い申し上げます。
どうもありがとうございました。