○山本(孝)
委員 新進党の山本孝史でございます。
冒頭、昨日になりますが、私も
提案者の一人となりまして
臓器の
移植に関する
法律案、全く今の法案と同じ
名前でございますけれども、
法律案を
提出をさせていただきました。いわゆる
対案の形でございます。この法案の
提出並びに審議につきましては、
町村委員長初め各党の
理事さんに格別の御配慮を賜っておりますことを心からまずもって御礼を申し上げます。ありがとうございます。
きょうは、先回に引き続いてでございますが、関西医科大学の
臓器組織の無断摘出事件についてもう一度お伺いをさせていただきたいと思っています。
大変大きな新聞に、特に関西でございますので大きく出ておりますけれども、事件の概要を申し上げますと、九三年の十一月に、関西医科大学で
心臓停止後の
腎臓の提供がありました。同時に、
国立循環器病センターと奈良県立医科大学の合同血管チームが大動脈と大静脈の血管を摘出して、国循でその臨床応用のための研究を目的として冷凍保存をしているということが判明をいたしました。遺族は血管の摘出まで承諾をしていないというふうに主張して今争いになっております。
この件について、私、
質問主意書を
提出させていただきまして、この二十八日に回答を得たところでございます。
血管チームは、毎日新聞のインタビューに対しまして、
移植の際の血管の損傷、狭さくなど異常事態に備えるのが目的で、関西医科大学の要請で摘出をした、家族にはある程度話していると思ったというふうに語っております。
しかし、いただきました答弁書の中では、摘出された血管は
腎臓の周囲の血管であったが、その摘出を、
腎臓を摘出した医師とは別の医師が行ったものであること、
腎臓を摘出した医師と血管を摘出した医師との間で指示、照会等のかかわりが認められないので、当該血管が当該
腎臓移植に使用されるために摘出されたものと考えることは困難であるとして、
腎臓の摘出とは別個に血管が摘出されたということを認めて、国循の血管チームの
移植にかかわっての摘出だったとの主張を否定する見解になっております。すなわち、血管チームはうそをついていたということになりました。
あわせて答弁書では、血管チームは血管の摘出に当たって、
臓器・組織提供承諾書に基づいての確認をしていないということも認めておりまして、大変ずさんな手続でこの血管を摘出していたということがわかりました。
今回の事件は、
臓器移植を再開させようとしている
日本の
移植医療界の体質を図らずも明らかにしているのではないかというふうに思っています。
議員の皆さんには、こういう事実があるのだということを見据えた上で、
臓器移植法への姿勢をぜひ決めていただきたいというふうに思うわけです。
以下、繰り返しになりますけれども整理して問題点をもう一度述べさせていただきますと、
腎臓摘出の承諾を求めた医師がその家族に血管も摘出してよいかどうかを聞いていない、そういう大変ずさんな承諾の手続でございました。根底にあるのは、インフォームド・コンセントの重要性の認識が極めて希薄であるということです。なぜしっかりとした告知をしないのか。薬害エイズ事件でも、医師が感染を告知しない中で妻や恋人への感染を広めていったということは記憶に新しいところであります。
二つ目の問題として、血管の摘出に当たった医師が同意書をみずから確認せずに摘出をしているという、慎重さに欠ける点です。
三つ目の問題は、答弁書でも明らかになりましたように、摘出された
臓器は研究用でした。研究用に摘出をされております。研究に
脳死体や摘出
臓器が使われる。先般も、
アメリカから
脳死者の
肝臓が薬品の研究用に輸入されて国内の六大学に配分されていたことが判明をしました。こうした研究が必要ならば、その必要性を社会や家族に説明をして理解を求めていくべきだと
思います。そういうことをしないで、正しいことをしているからと独走していく、この医師の独善的な体質が私は問題だと思っています。
また、
臓器だけでなく、組織の摘出、使用に関する規制もやはり必要なんじゃないでしょうか。
四つ目の問題として、今回の事件について、
移植学会や大学の内部から反省の声が全く聞こえてきません。
日本社会は、倫理に対して意識が極めて希薄だというふうに
思います。倫理が厳しい
外国と違って、政治はリンリ、リンリとスズムシが鳴くようでという名文句もありましたけれども、経営責任であってもそうですし、医師の世界でも倫理に対する意識が極めて希薄だと
思います。
医の倫理を担保するのは医道審議会、倫理
委員会というふうに、先回の御
質問でも御答弁がありました。御指摘申し上げたように、医道審議会は全く機能しておりません。オウムにかかわった医師の処遇問題でもこのことは明らかです。
なぜ学内の倫理
委員会で問題にならないのか。
中山先生は倫理
委員会をつくるからというふうにおっしゃいましたけれども、なぜ今回の事件でも学会内から自己批評と自己反省の声が上がらないんでしょうか。
ここに一冊の本があります。「いつ死なせるか」という本ですけれども、これはテキサス州のヒューストンにありますハーマン
病院というところの倫理
委員会の活動ぶりを
紹介した本です。末期の延命治療の可否について常に
議論がされています。学内の倫理
委員会は、メンバーを同じ
病院の医師で固めることが
日本の場合は多いですけれども、このハーマン
病院の倫理
委員会の議長は
看護婦さんです。医師のほかにあらゆる部門からの職員が参加をします。弁護士がおられたり、事務職員がおられたり、ケースワーカーがおられたり、あるいはセラピストがおられたりします。外部から
医療体験を持つ
患者家族まで加わります。当事者の家族も出席をします。
日本ではどうでしょうか。治験でも、学内の治験審査
委員会が機能していないことは行政監察局の勧告にもあるとおりであります。
申し上げておりますのは、何回も同じことを申し上げて恐縮でございますけれども、極めて閉鎖的な
医療の世界、安部英の例にも見られますように、専門医の年長者の権威は絶対です。
移植はチーム
医療というふうにおっしゃいますけれども、その医局のトップにいる人に逆らう人が本当にいるのでしょうか。
私は
臓器移植を
一つの
医療として認めてはおりますけれども、倫理に対して余りにもルーズな
日本社会で、
患者に対してインフォームを行わない独善的な医師たちに
臓器移植を行う道を開く
法律をつくっているんだということを、私たちは十分に認識しておくべきだというふうに
思います。
この
法律の問題点の
一つは、
臓器提供についての本人の意思と家族の同意についての問題です。
厚生省にまずお尋ねをしますけれども、毎日新聞のインタビューに、先ほどの関西医科大の事件でございますけれども、
厚生省の国立
病院部は、「
臓器提供に当たっては家族によく説明して、同意を得て行うべきで、同意なしては好ましくない。」というふうに答えています。すなわち、家族の同意がなかったことを問題にしています。
では、逆に言えば、同意があれば摘出してよいのか。なぜよいのでしょうか。
厚生省の見解をお伺いします。