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1997-05-28 第140回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成九年五月二十八日(水曜日)     午前九時三十四分開議  出席委員   委員長 中馬 弘毅君    理事 荒井 広幸君 理事 熊代 昭彦君    理事 住  博司君 理事 柳本 卓治君    理事 遠藤 和良君 理事 武山百合子君    理事 前原 誠司君 理事 木島日出夫君       飯島 忠義君    江渡 聡徳君       大村 秀章君    桜井 郁三君       田中 昭一君    戸井田 徹君       松本  純君    富田 茂之君       西川 知雄君    西野  陽君       西村 眞悟君    鳩山 邦夫君       山花 貞夫君    秋葉 忠利君       堀込 征雄君  出席政府委員         自治省行政局選         挙部長     牧之内隆久君  委員外出席者         自治大臣官房審         議官      的石 淳一君         自治省行政局選         挙部選挙課長  大竹 邦実君         自治省行政局選         挙部管理課長  山本信一郎君         自治省行政局選         挙部政治資金課         長       岩尾  隆君         参  考  人         (慶應義塾大学         大学院政策・メ         ディア研究科教         授)(政治改革         推進協議会政治         改革検証委員         長)      曽根 泰教君         参  考  人         (東京工業大学         大学院社会理工         学研究科教授) 田中善一郎君         参  考  人         (獨協大学法学         部教授)    右崎 正博君         参  考  人         (立教大学法学         部教授)    北岡 伸一君         参  考  人         (新潟国際情報         大学教授)   石川 真澄君         参  考  人         (日本労働組合         総連合会総合政         治局長)    野澤 雄三君         特別委員会第二         調査室長    田中 宗孝君     ───────────── 本日の会議に付した案件  公職選挙法改正に関する件(衆議院議員選挙  制度あり方)      ────◇─────
  2. 中馬弘毅

    中馬委員長 これより会議を開きます。  公職選挙法改正に関する件について調査を進めます。  昨年十月二十日、小選挙比例代表並立制による初めての総選挙が行われました。当委員会におきましても、昨年十二月十二日に、さきの総選挙の経験を踏まえ、衆議院議員選挙制度あり方につきまして、小選挙比例代表並立制評価について、重複立候補について、選挙運動あり方について、以上の三項目について自由討議を行ったところであります。  本日はさらに、去る二月十九日及び三月五日に引き続き、参考人方々の御出席をいただき、御意見をお聞きすることにいたしました。  ただいま御出席いただいております参考人は、慶應義塾大学大学院政策メディア研究科教授政治改革推進協議会政治改革検証委員長曽根泰教君、東京工業大学大学院社会理工学研究科教授田中善一郎君、濁協大学法学部教授右崎正博君、以上三名の方々であります。また、午後からは、立教大学法学部教授北岡伸一君、新潟国際情報大学教授石川真澄君、日本労働組合連合会総合政治局長野澤雄三君の出席を予定しております。  この際、参考人方々一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。衆議院議員選挙制度あり方につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  次に、議事の順序でありますが、曽根参考人田中参考人右崎参考人順序で、お一人十分程度に取りまとめて御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず、曽根参考人にお願いいたします。
  3. 曽根泰教

    曽根参考人 慶應大学曽根でございます。  私のきょうの立場は、政治改革推進協議会提言をいたしております、通称民間臨調と呼ばれている団体でありますが、ここの案をもとにお話を申し上げますが、私個人意見にかかわる部分もございます。そういう意味で、なるべく簡潔に、短い時間の中で、どういう提言をしたのかということをお話ししたいと思います。  全体の評価にかかわります前提といたしまして、一つは、この制度というのは政治的妥協産物であるというふうに理解しております。純粋に学問的な、制度をどう設計するかという学会での議論あるいは大学研究室での議論というよりも、現実の政治の場で採用された案というのは妥協産物であります。それゆえ一貫性あるいは制度のゆがみというのは当然のことながらあると考えております。第二の前提といたしましては、この制度が導入されまして、現在まだ過渡期である。過渡期であるがゆえに確定的に評価を下しにくい部分もございます。  こういうことを前提として考えますと、今回の小選挙比例代表というのはいかなるものであったか。手短に申しますと、ある人は絶妙のバランスであるという評価をした、逆に言えばめり張りのきいた結果ではない、と。そういう点を申し上げますと、中選挙区の結果にかなり近い結果が小選挙比例代表並立制で出てきたように思います。  これは、制度中立性ということでいえば激変を緩和するという当初の目的は達せられたわけですが、それ以外にも幾つかの大きなポイントというのはあると思います。  例えば、マクロ的に見れば政党及び政策の果たす役割が大きくなった。あるいは、政権党野党という関係が小選挙区の前提であるわけですけれども、ただし政権党野党との関係がそのまま選挙レベルミクロレベルで貫徹されたのかというところはかなり疑問である、ミクロ、マクロでいろいろと異なる評価になると思います。あるいは個人後援会中心ミクロレベル選挙運動というものが政党中心を念頭に置いた小選挙比例代表並立制で実行されたのかどうか、これは大変難しい点でございます。  つまり、過去の強固な制度がそのまま存続したと理解する方が正しいように思います。しかしながら、政治資金規正法及び連座制の適用により、お金制限においては今までよりも少ない支出で選挙が実行されたということも、確かであるだろうと思います。  そこで、民間臨調提言した幾つかの選挙制度にかかわる部分の内容の、結論だけをかいつまんで申し上げます。  当然、重複立候補及び惜敗率の問題に触れざるを得ないわけですが、この小選挙比例代表並立制というのは二つ選挙を一回で行っているわけです。そして、それをつなぐものとしての惜敗率という概念があるわけですが、これに関しましては、私、平成五年の政治改革特別委員会で申し上げた主張は今でも変わっておりません。  それは、小選挙区で落選したけれども、高位の得票をとったのであるから比例区では当選資格があるとしたのでは、比例区の地位が一段低いものになってしまうと、そのとき申し上げました。あるいは、小選挙区で落選させた有権者意思をどうやって尊重するのか、それを無視してしまうのではないか。ただしということで、小選挙代表としてはふさわしくないけれども、比例代表として認めるという有権者意思表示が何らかの形であるならば、それは可能であるのではないか、ただし、それを具体的に実行するような制度を設計するのは難しいと、そのときに申し上げたわけです。  この問題というのは、実は重複立候補の問題だけに限定されているようですけれども、理念的に申し上げれば、仮に小選挙区で自民党が勝利した、比例で新進党が勝利したとすると、有権者意思は二通りなわけです。ただし、制度の総体的な判断からいけば、最終的に有権者意思が何であったのかは議席数で数えるしかないというのがこの制度だろうと思うのです。  ある意味で、二系列選挙を同時に行って、そしてそれを足し合わせたところに有権者意思を求めるということでしかないわけですので、そういう意味でいいますと、整合的な議論を組み立てるのはなかなか難しいだろうというふうに思います。  ただし、具体的なところで我々が申し上げたいことは、この制度自体、一種の実験であるわけですが、実験の結果、すぐやめてしまえ、あるいは制度的に抜本的な改革改正をしなければならないというほど結果が悲惨なものではなかった、というよりも、評価すべき点も多々あるというふうに理解しております。  ただ、その中で最も批判が多かった点は、いわゆる重複立候補惜敗率にかかわる問題であります。  この点に関しましては、惜敗率ということ、つまり小選挙区の選挙結果をもって比例代表の当落に連動させるとう方法は、二系列選挙をしているという当初の原則に反する。確かに小選挙区では惜しかった、それは間違いなくても、これは相対的な比率であるわけですから、絶対得票において必ずしも高い票じゃなくても、激戦区であるとかあるいは候補者が多い選挙区であるとか、運とかその場の偶然性にかなり左右される傾向があるわけです。そこを解決するためには、惜敗率、同一順位比例掲載をやめるというのが我々の一つ提言であります。  重複立候補に関しては、これは当面存続させるという提言でございます。  そのほかに幾つかの有力な点、お手元の資料を全部お読みいただけばよろしいのですが、これはとても十分以内にまとめるわけにはまいりませんので、ポイントだけ申し上げます。  いわば定数削減行革絡み議論されることがありますけれども、そのときに、比例削減することが望ましいというような言い方がなされることが多いわけです。ただし、比例を導入したというのはそれなりの意味があったわけですし、それの結果の評価、総括ができているわけではありませんので、将来的に総定数削減ということはあるかもしれませんが、我々は、現行五百議席というのはそのまま存続させて、そしてその中での比率を変えるというのは、これはあるかもしれない。あるかもしれないけれども、現行三百、二百ということを頭に置いて、そしてむしろ行うべきことは定数是正の方であるというふうに考えます。  これは、各県一議席を割り振るという方法をとる限り、定数是正ということで言えば、人口比一対二の中でおさめることは大変難しい、そういう意味でいうと、各県一議席配分という方式を改める必要があるだろうという提言をいたしております。  それからもう一つは、当選人決定基準に関することであります。  従来、法定得票数有効投票の六分の一ということが言われてきたわけですが、これは中選挙区時代の基準であります。小選挙区になれば、当然ながら当選基準の条件は厳しくなってしかるべきなんですが、それはそのまま存続してしまったということがあります。  ですから、これも改正あるいは検討事項として、仮に有権者の六分の一という基準にして、それに達しない場合には再選挙をする。具体的には、再選挙をしなければならない選挙区は今回の選挙でも随分あったわけですけれども。そういう基準も、これは投票率とのかかわりで、国民も再選挙せざるを得ないんだったら選挙に行くというようなことも出てくるかもしれません。こういうことで、この基準を変えることも提言しています。  そして一つ選挙運動及び政治資金にかかわる重要な問題なんですが、前回の政治改革特別委員会のときにも申し上げましたように、従来は寄附を中心とする政治資金ということがあった。それに対して政党交付金という制度が導入される、これも並立制ですねと、そのとき申し上げたわけです。政治資金に関する並立制がそこで採用される、二系列制度が導入されることになったわけです。  具体的には、連座制及び政治資金規正法強化のためにお金制限はかなりできたというふうに考えておりますけれども、ここで非常にあいまいな部分というのは、個人後援会が先ほど申し上げましたように存続し、個人後援会部分政党部分とのオーバーラップがかなりある。そのために政治資金の流れが、政党という名前になった途端にわからなくなってしまうし、あるいは青天井になってしまうところがあるものですから、この点の区別、あるいはこの点を、もう少し政党組織論的にも整理する必要があるのではないかというふうに考えております。  まだいろいろ申し上げたいことはありますが、時間ですので、以上で私の提言をおしまいにさせていただきます。(拍手)
  4. 中馬弘毅

    中馬委員長 ありがとうございました。  次に、田中参考人にお願いいたします。
  5. 田中善一郎

    田中参考人 東京工業大学田中でございます。一言、私の考えを述べさせていただきたいと思います。必ずしも曽根参考人とは一致しておりませんので、その辺の議論は後で出ると思います。  まず私は、今回の小選挙比例代表並立制、俗にそう言われているわけですが、この制度に対しては、かなり問題があるのではないかと成立の前から申し上げておりました。  その当時、参議院委員会参考人として呼んでいただきましたときにも、その旨の発言をさせていただいておるわけですが、新しい制度を見まして、やはりその危惧といいますか、すべてとは言いませんが、そういうものもかなりの程度出てきたのではないかということで、今回もその方向で御意見を述べさせていただきたいと思います。  まず、今回の制度は、先ほど曽根参考人が言われたように妥協産物でございまして、比例部分と小選挙部分を組み合わせた制度でございます。今回見ますと、やはりそれぞれの悪い面が出てきたのではないかというふうに私は考えております。  小選挙区でございますが、言うまでもなく、これは前から言われておるわけでありますが、小選挙区は大変民意がゆがめられるという点がありまして、少数の得票率で過半数の議席率を得るというようなことが起こるのが普通であります。そういうことで、必ずしも民意が反映しないという面がある。つまり、逆に言いますと、死票が非常に多いという問題点があるわけであります。  それだけではなくて、既に言われていることでございますが、一度小選挙区で当選しますと、その代議士先生方の地盤はその選挙区のいわば独占的代表ということになりますので、大変強固なものになってしまって、代議士先生方に言うのはなんですが、その方を倒して新しい方が出ていくというのがなかなか難しい状態になっていくということになります。  また、そういうことを有権者が知りますと、現在のいわゆる首長選挙なんかによく見られるように、二十何%とか三〇%とか、投票率が低くなるということが起こることになるわけであります。皆さん御存じのように、現在投票率の低下というのが、先進国のみならず日本でも大変言われているわけでありますが、この制度でこのままいきますと、ますますその傾向に拍車がかかるのではないかということを私は憂慮しております。  それから比例代表の方でございますが、ここにつきましては、二点やはり問題点があると思います。現在のように、まず先進国一般に、政党自体が解体といいますか、その力が大変弱くなっている状況があるということ、それから、現在の日本に着目しまして、政党離合集散が非常に激しいということが、過渡期ということもありましょうけれども、あります。  それから、同じ政党の中でも、例えば特定名前を言ってはあれでしょうけれども、某政党野党第一党の場合には、かつての、大きな宗教団体中心とした部分、それから元自民党中心とした部分労働組合中心とした部分というのがあるわけであります。そのほかにもありますけれども、そういうのが集まってできているわけであります。  そうすると、有権者にとりましては、その政党投票するということは一体どういう意味があるんだろうか。例えば、私はある政党部分には投票したいけれども、同じ政党の中のほかの政党の人には絶対に投票したくない、そういうようなときに、無理強いに比例代表ということで政党投票させるということは、有権者民意をねじ曲げることになるのではないかというような点を心配しているわけであります。これが第一点です。  それから第二点は、現在の拘束名簿式のやり方でありますけれども、御存じのように、私は一応政治学というものを、しかも日本政治を勉強している者でありますが、正直言いまして、名簿の上に登載されている方の名前というのは、先生方の前で申しわけないのですが、どういう方なのか、なかなか印象に残らない。ましてや一般有権者には、どういう方が載っているのかというのはわからないんですね。そういう人に対して投票するというのはこれまた問題があるのではないかと思うわけであります。  しかも、かつて、これは参議院ケースでございますが、特定政党オレンジ共済組合との関係ということで、必ずしも名簿登載者が民主的に選ばれていないのではないかということを疑わせるようなケースも存在しているわけであります。  それからまた、これは各政党共通の面もありますが、特定の巨大な圧力団体代表者あるいは労働組合あるいは特定宗教団体に近い方が名簿に載るというようなことがありますと、これもやはり必ずしも、国民意思を反映して多様な候補者を出していただくというふうにはうまくいかないのではないかと思うわけであります。  さて、第三点ですが、並立制の問題です。  二つを合わせたという点ですが、これは妥協産物でありますから問題点が山積していることは当然でありますが、参議院はともかくとしまして、衆議院というのはやはり内閣総理大臣を選び、そして内閣を組織するという権力の中枢でありますので、そこの代表は基本的には同じ選挙制度基盤から生まれるべきであると私は思っているわけです。  それなのに、一方では比例代表、一方では小選挙区という形で違った性格の代表の方が衆議院を構成するというのは、やはりその中におのずから、先ほど曽根先生もちらっと言われましたが、議員の間にランクといいますか順位といいますか、そういうものができてしまうのはよくないのではないかというふうに思うわけであります。  では、どういう制度が望ましいのかといいますと、私自身は、先生方には過去の制度と思われていますが、中選挙制度がやはりいろいろな意味で一番いいのではないかと思っているわけであります。  国会議員の方は、もう既に新しい制度で当選されてきたわけでありますから、中選挙区制なんというのは過去の話だというふうに思っていらっしゃる方もいますが、そうではなくて、例えば選挙直後に朝日新聞が世論調査をやっていますが、そのときに、現行制度を続けることに対して賛成というのは一九%、反対が六〇%ありまして、以前の中選挙区制に戻すべきであると答えられているのが全体の三二%であるということで、中選挙区制というのは、業界といいますか政治業界の方には必ずしも受けが悪いのですが、国民の間では結構根強い支持があると思うわけであります。  なぜ中選挙区制がいいのかといいますと、これは曽根先生も御研究なさっているわけですが、中選挙区制というのは準比例代表という面がありまして、余りにも比例代表的でもないし、一方では、かなり権力の統合的な側面があるという面でいい選挙であるということ。それから、先ほど言いましたように現在の政党がなかなか形をなしていない、あるいは将来的にもだんだんなくなっていくかもしれない状況におきまして、中選挙区制というのは、政党のほかに人の側面も、だれが我々の仕事をやってくれるのかということで、人の側面についても考慮を入れて投票できるということで、大変いい制度であると私は思っています。  それからもう一つは、これは比較的小政党にも議席が配分されるというメリットがある、これは準比例のところに関係するわけですが。多分小選挙区制だろうが中選挙区制だろうが、基本的には、選挙区の先生方の大部分はいわゆる地元の利益を主張されて当選される方が多数を占めるのではないかと思うわけでありますが、そうした中で、こんなことを言っては申しわけないかもしれませんが、かつての社会党の方とか共産党のように、理念で立っていらっしゃるような政党、そういう人にも投票できる、そして当選できるような機会を中選挙区制は与えるという面があるのではないかと思うわけであります。  それから、第二番目の問題点であります重複立候補制であります。  今申し上げましたように、現行制度は中選挙区制に返すべきだと私は思っているわけでありますが、仮に現行制度を大きく改めないとするならば、この重複立候補制というのはかなり現行制度の弱点を補完している面があるのではないかというふうに思っているわけであります。  一つは、先ほど言いましたように、現在の、小選挙区制の場合には、それで当選された先生方代議士諸兄は大変強い力を持つようになり、なかなか新人が出にくい状況になっていくわけであります。そうした中で、重複立候補の結果、結局その選挙区では敗北し落選して比例区で出た場合、その候補者はその選挙区のいわば副代表としての役割を持ち得るわけであります。  そうしますと、やはり地元とのつながりがあるわけでありますので、次の選挙で、やはり地元との関係で現職の小選挙代表と、ある程度対抗し合う力を持ち得るのではないかというふうに私は思うわけであります。選挙がその意味では活性化し、投票率も高くなるのではないかと私は思っているわけであります。  ただ、ここは曽根参考人と私の意見が多分違うところだろうと思いますが、比例代表制度候補に関しましては、全員同一順位で、できれば全員選挙区に出すというような形に改めるべきだと思うわけです。  それはなぜかといいますと、先ほどお話ししましたけれども、比例代表区というのはなかなか候補者がわからないわけでありますね。そういう方がやはりまずは選挙区に出ることによって、有権者名前と、どういう意見を持っているのかを知ってもらうのは、その意味でも大変重要であるということ。それから、先ほど言いましたけれども、政党における候補者民主的選出が必ずしも十分にはなされていないかに見える状況がある中で、基本的に当選者有権者判断にゆだねるべきである。  以上のような趣旨から、全員重複立候補で同一順位にすべきであるというふうに思っているわけであります。  それから、現行制度御存じのように二倍以上の格差があるわけですね、票の重みの格差があるわけであります。そういう状況を見た場合に、当確基準惜敗率ではなくて、むしろ票の数の多寡によって、絶対数において多い人からとっていくというふうに改めるべきではないかと思っているわけであります。  選挙運動に関しましては、今回、秘書や組織的運動管理者などの連座制強化大変効果を上げているかに思えるわけでありまして、これも、できればやり得ということがないように、罰則を強化していくような方向で今後とも進めていっていただきたいと思うわけであります。  あと、選挙運動期間の問題でありますが、十二日間というのはやはり短過ぎるのではないかと思うわけです。選挙というのはお祭りでもあるわけですから、今は日曜日に投票がありますから、やはり最低限日曜日から次の日曜日まで、それぐらいまではやらないと何となく盛り上がらないのではないかというふうに私は思っています。  それから、特に今回問題になりましたインターネットの問題を一言申し上げさせていただきます。  インターネットに関しまして、候補者の情報などを流すことに関しましては、諸政党は、違反になるのではないかということで選挙期間中は消したりするというのが見られたようでございますが、インターネットの情報は、逆にメールを送る方は論外でありますが、少なくともホームページに関しましては、そこをのぞいてどういう人がいるのかということを知るのはむしろ積極的な、意識的な有権者でありますので、そういう人には積極的に情報を流す方向でいくべきではないかと思うわけです。  ですから、どういう候補者がいてどういう意見を持っているのかというようなことは、やはり選挙期間中でもインターネットのホームページに載せることを許可する、あるいはむしろ奨励するようにすべきではないかというふうに思うわけであります。  済みません、ちょっと時間になりますが、その他で、これはかねてから思っていることでありますが、政治資金報告書、それから国会議員の資産公開等が現在実施されているわけでありますが、ある程度不十分な点もありますけれども、それ自体は大変望ましい状態だと思っているわけであります。  問題は、それを一般有権者が見ることが大変難しい状況になっているということであります。そのためにも、まず閲覧が自由にできる、しかも、自由にというところが大事ですが、自由にコピーができる状況をぜひ実現していただきたいということであります。そうなれば学者も商売がうまくできるようになるということもあるのですけれども。それとは別に、やはり一般有権者に情報をどんどん公開していくというのが民主主義の正しいあり方だと思うわけであります。  将来的には、フロッピーでそうした報告書は提出するように、そして電子化することによって、パソコンを通じて、ネットワークを通じて自由に有権者が入手できるような形にぜひ改めていただきたいというふうに思うわけであります。  時間が足りませんが、残りのことに関しましては、御議論の中でお話しさせていただきたいと思います。  以上です。(拍手)
  6. 中馬弘毅

    中馬委員長 ありがとうございました。  次に、右崎参考人にお願いいたします。
  7. 右崎正博

    右崎参考人 濁協大学右崎といいます。よろしくお願い申し上げます。  本日は、こういう席で私見を述べさせていただく機会を与えていただきまして、大変光栄に存じます。  私は憲法を専攻していまして、また、政治改革四法案が国会で大詰めを迎えていたときに、参議院政治改革に関する特別委員会で中央の公聴会が開かれましたその席に、公述人の一人として参加させていただいて意見を述べさせていただきましたので、そのことを振り返りながら、改めて御意見を申し上げたいと思います。  私の基本的な立場は、小選挙比例代表並立制という制度には大きな疑問を持っていまして、批判的な観点から意見を述べさせていただくことになります。  国民主権の原理を採用する日本国憲法のもとで、国会は国権の最高機関であり唯一の立法機関であると同時に、国民代表機関でもあります。したがって、国民代表を選任する政治制度としての選挙制度の基本は、何よりも有権者である国民意思を国政に正確に反映させる点にあると思います。民主主義が普遍化するとともに国民の価値観が多様化し、さまざまな利害が錯綜するに至った現代の国家においては、特にそのことが強く要請されると思います。そのため、世界各国の選挙制度の趨勢は、明らかにそのような要請に適合的な比例代表制の採用へと向かっているわけです。  これに対して、小選挙区制にはさまざまな弊害が伴うことがこれまでも指摘されてきましたが、小選挙比例代表並立制による初めての総選挙の結果、民意の集約や政権の選択を掲げた小選挙区制が、民意の正確な反映という点でいかに不十分な制度であるかが現実に実証されたと思います。  二点にわたって述べてみたいと思いますが、第一に、これはお二人の参考人の御意見の中にもありましたが、投票に示された有権者意思と極端にかけ離れた議席配分の問題があります。得票率三八・六%の自民党議席配分率では五六・三%、同じく二八%の新進党が三二%であるのに対して、得票率一〇・六%の民主党が議席配分率では五・七%、得票率一二・六%の共産党がわずかに〇・七%にとどまっています。  大政党にはこのように極端な過剰代表をもたらし、逆に第三党以下の小政党に過少代表を押しつけるのが小選挙区制の常態であります。得票率議席配分のこれだけのゆがみというものは、民主主義という言葉で説明できる範囲を超えているのではないかと思います。  第二は、議席に結びつかない、いわゆる死票の著しい増大の問題です。さきの小選挙選挙での死票の総計は三千万票を超えています。実に有効投票の五五%に上っている。これは、中選挙区制による最後の総選挙の二四・七%の二倍以上になっています。政党別に見ますと、自民党得票二千百八十四万票に対して六百八十万票、三一%でありますが、新進党は千五百八十一万票に対し八百十四万票、五一%。共産党の場合は七百十万票に対し七百万票、実に九九%が議席に結びつかない票になっています。民主党の場合も六百万票に対し四百六十八万票、七八%に達しています。また、死票率が七〇%を超えた選挙区が、静岡一区の七八・五%を筆頭に十選挙区に上っています。つまり、これだけの数の投票が死票となる選挙制度のもとでは、当然のことながら多様な少数意見代表されにくくなります。これは小選挙区制の欠陥以外の何物でもないと思います。  これらの点を見ただけでも、小選挙区制は民主主義的な制度としては明らかに重大な問題を抱えているのではないかと思います。さきの総選挙後の各種の世論調査結果によりましても、これまでよりも有権者意思を反映しているかという質問に対して、そうは思わないという回答がそう思うという回答を大きく上回っていて、小選挙区制に対する不満が圧倒的でありました。このまま小選挙区制を続けるということは国民政治不信を一層増幅することになるのではないかと危惧します。  小選挙区制には、そのほかにも、小政党や少数意見の排除によって新しい政治勢力の進出が阻まれ、政治的変化を抑制する傾向があるなど、数々の問題点が指摘されています。小選挙区制が政党本位の政治の実現に資するというのは、実際には既成の大政党本位の政治を擁護するものになっていないかという疑問がつきまといます。  以上のような問題点は、単純小選挙区制をとるイギリスの国会議員選挙やアメリカの連邦議会下院選挙についても同様に指摘されています。先日行われましたイギリスの下院選挙においても、まさに同様の結果が示されていると思います。そのため、イギリスにおいてもアメリカにおいても、小選挙区制は不公平な選挙であるとの批判が大変強まっていまして、比例代表制の導入を求める声が大きくなっています。  日本におきましても、多様な国民意思を無理やり二極に統合するという選挙制度よりも、多様な国民意見が共存することを志向する選挙制度を選ぶべきではないかと思います。そのためには、並立制の枠内であるとすれば、差し当たり比例代表議席の配分を多くすることが望ましいと思いますし、将来的には何らかの比例代表選挙へと移行すべきではないかというふうに考えています。  第二点目の重複立候補評価の問題ですが、問題は、重複立候補そのものについてよりも、同一順位名簿を認め、惜敗率当選者を決定するその仕組みに問題があると思います。こういう制度をとることによって、比例代表選挙の中に小選挙区制の要素が持ち込まれ、比例代表のメリットが大きく減殺される結果を生み出していると思います。同一順位を認めず、政党が責任を持って名簿順位を決定し、その決定については各政党有権者に対して責任を持つべきであると考えています。  最後に、選挙運動あり方について一言だけつけ加えさせていただきますが、現行の公職選挙法におけるさまざまな選挙運動の自由の制限には、問題があると考えています。  最も大きな問題は、本来、選挙の主人公であるべき国民有権者がみずから主体的に行うことができるような選挙運動の余地を全く認めていないという点です。  政見放送などは候補者が政見を訴えるのには大変有効な方法であると思いますが、これは余りにも一方通行的であって、有権者の側から候補者意見や要望を伝えることはできません。もっと有権者の側から生の意見や要望等を伝えることができるような選挙運動あり方に改めていくべきではないかと思います。戸別訪問の解禁や国民が行うことができるような文書活動の余地などを早期に実現していただきたいと思います。  インターネットの話が先ほどございましたが、インターネットを通して候補者有権者の側から意見を送るというような余地もこれからは大いにあってしかるべきではないかと考えています。  以上です。どうもありがとうございました。(拍手)
  8. 中馬弘毅

    中馬委員長 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
  9. 中馬弘毅

    中馬委員長 参考人に対する質疑は、理事会の協議に基づき、まず、各党を代表する委員が順次質疑を行い、その後、各委員が自由に質疑を行うことといたします。  これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。  なお、着席のままで結構です。  桜井郁三君。
  10. 桜井郁三

    ○桜井(郁)委員 自由民主党の桜井郁三でございます。  今回は、参考人先生方には、大変お忙しい中をお越しいただきまして、ありがとうございました。今、貴重な御意見をいただきました。大変恐縮しているところでございます。  私も、自由民主党の代表というよりは、桜井個人がこれから参考人の皆様方に考え方を御質問していくというような形で御理解いただいたらありがたいかなというふうに思っているわけであります。  今、参考人の御意見を伺いまして、右崎先生からいろいろ御説明いただいた中では、私は今回初めて小選挙区で出てきた者でございますので、中選挙区というのは戦ったことがございません。ですから、よくわかりませんが、今回、中選挙区から小選挙区になった大きなものは、責任を持って政党政策を遂行していく、二大政党になって責任を明らかにしていくということから今回の小選挙区になったのではないだろうかというふうに思っております。  今のお話でいきますと、確かに小選挙区でいきますと、小政党についてはマイナスの要素がいっぱいある。しかし、マイナスの要素があっても二大政党方向に行くのだということではないだろうかと思うのです。その点、今後小さい政党にも有利にということになりますと、小政党がいっぱいになってくる、そういうような方向はいいのかどうか、その辺をお伺いできればありがたいかなというふうに思っております。  それから、曽根先生田中先生にお伺いするわけでありますが、今のお話の中で、ほとんど三人とも今回の小選挙区には問題があるのだというようなことでございますが、今回の小選挙区は妥協産物であるというようなお話でございますけれども、その辺で、今までの中選挙区より今回の小選挙区がよかったようなことがありましたら教えていただければありがたいかなというふうに思っているところでございます。  また、今のお話の中で、悪い点もたくさんございまして、重複立候補の問題があるわけでございますけれども、その辺をどうお考えなのか、もう一度お答えいただければありがたいかなと思っているわけであります。  それからもう一つ投票率が低い点で、それぞれお話があったわけでございます。前にマスコミの先生方にこちらに参考人として来ていただいた中では、政治そのものがおもしろくない、ですからもっと政治をおもしろくしていったらどうか、このようなお話があったわけでありますが、その辺のところをお答えいただければありがたいかな、こういうふうに思っております。  それからもう一つ、今、国会の方でも議論になっておる定数削減のことでございますが、定数削減はこれからどういう方向でいったらいいのか。あるいは、定数削減をしなくても中身を変えればというような先ほどの御発言もあったわけでありますが、今、行政改革の中で地方の各議会は定数削減するように努力しているわけであります。国会の中でも、みずからを少なくしていくというような議論もあるわけでございますが、その辺をどう考えていったらいいのかお伺いをしたい。  以上でございます。最初に右崎先生からお話しいただいて、あとは順番にということで。
  11. 右崎正博

    右崎参考人 議会政治における政党あり方の問題というふうに受けとめました。  今日の政治の仕組みは議会制民主主義という形をとっていますから、その中で政党が果たす役割は非常に大きなものがあると思います。政党がなければ、非常に多様な国民意思を国家意思に統合していくことは恐らくできなくなってしまうのであろうと思います。ただ、国民の多様な意思政党を媒介にして国家意思に統合していく過程で、たくさんの少数意見を切り捨ててしまうような選挙制度あり方が問題になるのではないかというふうに考えています。  例えば、中選挙区制であれば、相対的には少数の国民の支持しかない政党でも、比較的当選の余地は出てきます。比例代表制であれば、もっと縮図的に国民意思が議会に代表されることになると思います。国会は、そういう意味国民代表機関でありますから、国民の多様な意思をできる限り正確に反映する、そういう選挙制度を求めるべきではないかと思います。  もう一つ投票率低下の問題ですが、小選挙区制の仕組みのもとですと、最初の選挙は別にしても、二回三回と重ねますと、それぞれの選挙区にどうしても有力な政治家が出てくるわけですね。有力な政治家が出てくること自体は、決して悪いことではありません、むしろ歓迎すべきことだと思います。しかし、一たん一人の有力な政治家が出てきますと、選挙をする前から勝敗が決まってしまうところが実はあるわけですね、選挙が成り立たない。政治がおもしろくないのではなくて、実際のところは選挙がおもしろくないのではないか。もう少し国民の関心を呼ぶようなおもしろい選挙の仕組みをつくることができれば、政治に対する国民の関心はおのずから高まってくると思います。  それから、定数削減のことが問題になっているということですが、総数にして五百という衆院の定数は、それ自体多過ぎるとか少な過ぎるというふうに考える必要はないと思います。イギリスの下院は御存じのとおり六百五十九の議席がありますし、アメリカは下院の議席が四百三十五あります。それぞれの国の事情に応じて議席数を確定しているわけですから、五百というトータルの数が多過ぎる少な過ぎるという評価はしていません。  ただ、五百の内訳の中で、小選挙区三百、比例代表二百という配分が妥当であるかと問われますと、先ほどからも言いましたように、もう少し多様な国民意思が国会に代表されるように、比例代表部分をもう少し拡大することをぜひお考えいただきたいと思います。
  12. 曽根泰教

    曽根参考人 選挙制度を考える前提といたしまして、今、右崎先生が民意の反映ということを条件にお挙げになりました。これだけで選挙制度が成り立つものかどうかということです。選挙制度というのは、言ってみれば、非常に単純化すれば、得票議席に換算するシステムです。そのときに民意がいかに反映するかというのは条件です。ただし、それだけではなくて、政府をつくるという役割がございます。  もう一つ重要な点は、代表制と責任の問題です。中選挙区時代、私は随分中選挙区の研究をいたしまして、外国からは中選挙区研究者というふうに多分見られていると思いますが、一番難しい点は何かといいますと、中選挙区の場合に代表制と責任がどうなるのか。  これは比例の場合もそりなのですけれども、特に中選挙区の場合には、一たび選ばれれば国民代表だということでそれは解決するのですけれども、ただし、五人が連帯責任を持ってその選挙区に責任を持つのかというと、そうではありません。そういう意味で、責任と代表制の関係が中選挙区の場合に大変難しいというのが一つございます。  それからもう一つ、中選挙区というのは制度自体ではかなり中立なのですが、現実の政治プロセスの中で幾つかの均衡点に到達する可能性があるのですが、その中で、自民党の長期一党優位制という均衡点に行ってしまいました。この均衡点を覆すことは、中選挙区を続ける限りほとんど不可能に近い形で均衡してしまいました。ですから、中選挙区という制度自体をそのまま見た限りは、これが一党優位制になるというような理論的な結論にはならないのですが、現実の政治プロセスでは、そこに収れんしてしまいました。それが長期に固定化してしまったということがございます。  では、小選挙比例代表並立制だといかなる均衡点なのか。これはわかりません。わかりませんというよりも、選挙制度というのは、ある程度政党政治システムを想定しております。ですから、選挙をやる前から、私自身、この制度ですと二・五党制になるだろうという予測をしておりました。二・五というその内訳は、第一党、第二党合計して四百議席、第三党、四党その他含めて百議席というような形に多分なるだろう。これは選挙結果、現実の政治プロセスの結果ではなくて、制度が想定しているある程度の予測値ができるわけです。その予測値から推定すると多分そうなるだろう。現実の結果もそれに近いのですが。  そうしますと、先ほど政府をつくるということを言いましたけれども、政府をつくる形態において、例えば第一党が過半数をとって単独政権が成り立つのか、あるいは一党、二党が均衡してしまって、第三極、第三党のキャスチングボートによって左右される制度なのか、あるいはかつての自民党一党優位時代と同じように、二つの勢力の拮抗ではなくて、一党優位制に再び復帰してしまうのか。三つの要素が、三つの均衡点が多分予測されるのですが、その中でどこに落ち着くのかというのは、一回の選挙だけではわかりません。  それと、現実の政治プロセスの結果、つまり政党離合集散、あるいは新しい政党が出る、そういうような要素によって左右されるわけですから、選挙制度だけで結論を申し上げるわけにはいかない。ただし、数字の上では約二・五に、五というのは、百議席政党一つという意味ではありませんで、第三党、第四党ということがあって想定されると思います。  それから、定数削減のことに関しましては、これは行政改革による経済効果ということを考えればそれほど意味がありません。むしろシンボル的な意味だろうと思います。シンボル的な意味ではなくて実質的な意味を申し上げれば、地方議会の方がむしろ重要でして、つまり議会費、総務費というようなことは、地方が合併することによる効果、例えば三千三百が三百になる、二百五十七になる、我々は別のところで計算しましたけれども、二百五十七というような数字になればこれは議会費、総務費というのは非常に削減できます。ですから、行政改革とダイレクトに議会の定数の問題を考える必要はないのだろうというふうに思います。  それから投票率一言だけ申し上げますと、投票率が低い、これは長期に低落している傾向です。ですから、政治がおもしろい、おもしろくないという要素もありますが、長期的には低落しております。それを高くする方法は具体的にあるのか。これは、一つは理念的な部分、例えば政治そのものを、あるいは政党政治自体を活発にすることによる解決というのもありますが、もう一つはテクニカルな部分で、技術的にあしたからもできるというような方法があります。  民間政治臨調としては、投票時間を延長する、これが一番手っ取り早い方法ですが、八時まで延長したらどうか。そうすると即日開票できないかもしれないので、記号式電子投票にして記録が残る形にするというようなことを考えております。それから、投票権を十八歳に引き下げる、あるいは在外邦人の国政選挙への投票を認めるというようなこともあわせて考えるべきだというふうに思います。  投票率に関しては、例えばコンビニで投票できるとかいう技術的な部分と、それから理念的な部分と二通りありますので、いずれにしても二つの要素、つまり地域と年齢というのが、投票率に関しましてかなりきいております。特に若い層、二十代から三十代前半までの投票率が極めて低いです。  これを向上させる方法というのは、実は昨日も東京都で投票率向上委員会というものの座長を私やっておりまして、そこでマーケティングの専門家だとか新聞記者の方などといろいろ話をしたのですが、実は決定的な方法はない。それで、今まで世論調査によって調べている方法が主なんですが、世論調査にも限界があります。  それは、選挙が終わりますと、明るい選挙推進協会が、あなたは投票に行きましたか、行きませんかと必ず聞きます。一週間後ぐらいに聞くのですが、それと実際の投票率は約一九%開く。つまり、国民がうそをついているとは言いませんけれども、行ったつもりになっている人とか、あるいはそういう世論調査ですと、行ったというふうに答えたい、あるいは調査自体が、行かない人は不在者にしてすくっていないとか拾っていないということがあるかもしれない。ですから、世論調査のデータ自身から投票率をどうするかということも一つですが、国民の本音というのは実はいまだわかっていないというふうに思います。  以上でございます。
  13. 田中善一郎

    田中参考人 まず、小選挙区になると二大政党になるということがいわゆる政治改革のところで言われたわけですが、その三年前にも私申し上げたのですが、小選挙区になるとむしろ一党優位の体制になっていくのではないか、特定の巨大政党ができ上がって、それが長い間政権にある、こういうようなシステムになっていくのではないかということをお話ししたことがあります。  先ほど曽根先生からお話ありましたけれども、制度と実際の政党制がどうなるのかという関係は、必ずしも一義的なものではなくて、いろいろなファクターが入ってくるわけでありますが、曽根先生は均衡点のような言い方をされましたが、大体その方に向かうのではないかというのは、ある程度予想されるわけです。小選挙区をやっているのはアメリカとイギリスが主な国です。いわゆるアングロサクソンですけれども、そこを見ると、基本的には一党優位が多くなっております。アメリカなどはここ三十何年間一党優位をやっております。  そういうことで、もし小選挙区に変えるなら、一党優位制になっていくのではないかということです。まして我が国は中選挙区制で自民党が三十八年間一党優位をやっていたわけですから、小選挙区制になれば、これがもっと激しいシステムになっていくのではないかということであります。今回の制度も、小選挙部分をさらにふやしていきますと、ますますそうした傾向が予想されるのではないかと私は思っているわけであります。  桜井先生は小選挙区から出ていらっしゃるのですから、小選挙区制もよかった点があるのではないかということでありますが、右崎先生からもお話がありましたが、いい点が逆にデメリットになるだろうと思うのです。やはり一国一城というので選挙区を代表して、安定して、だから力もあって、自信を持って国政に対処していけるという面もあるわけですが、先ほども申し上げましたけれども、そういう有力な先生だけになってしまいますと選挙自体がつまらなくなってしまうということで、選挙の活性化には逆にマイナスになって、投票率は下がっていくだろうと思います。  それに関係しまして投票率で思うのですが、政治がおもしろくないというのがマスコミの先生方のお話のようですけれども、考えてみますと、昨年の選挙というのが一番おもしろかったはずなんですね。新しい選挙制度になって、これからだれが政権党になるのかということで本来なら一番おもしろくなるべきところが、あけてみたら五九%と、初めて六割を割るということでありますので、私自身の感覚からいいますと、政治ももちろん関係するとは思いますけれども、大きく分けて政治がおもしろいかおもしろくないかというよりも、別のファクターがあるのではないか。  一つは、曽根先生も御指摘がありました長期的なファクターがあります。これは低下傾向でありますが、もう一つは、やはり制度の問題も考えておかなければいけないだろうと思うわけであります。小選挙区制を実施しているヨーロッパと比べてみますと、イギリスとアメリカへ行きますと、投票率が低いところで有名なわけですね。  こういうことを考えますと、私その辺の詳しいことは研究しておりませんけれども、小選挙区型の制度と低投票率とはある程度相関があるのではないかという考えを持っておりますので、そういう趣旨で私、先ほどの意見もお話しさせていただいたわけであります。それは、一つはやはり無風選挙区が多くなってくるという大きなファクターがあると思います。  それから定数削減ですが、アメリカのある有名な学者が全世界の議会の定数を計算して、ある数式にのっとってやるとうまく合うというのですね。私も、日本の人口とかその他ファクターをそれで計算しますと、大体五百ぐらいになるんですね。ですから、日本衆議院の五百というのは、決して多過ぎもしないし少な過ぎもしないという、適正とは言いませんけれども、何が適正かというのもよくわからないことなんですが、それほど異例ではないというふうに思います。  私自身は、定数はなるたけ多い方がいいと思っているわけで、これをふやしてもいいのではないかと思っているわけです。ただ、諸先生方御存じのように、日本国会議員の諸先生方にはすごいお金がかかっているわけですね。もちろん歳費がありますけれども、そのほかに立法考査費とかその他いろいろな費用がありまして、それを合わせますと、先進国ではむしろ相当上位の方に入っているのではないかと思うわけであります。そうなりますと、もしそういう形で定数をふやすとするならば、コストの方もそれなりに下げることを考えていただいた方がいいのではないかというふうに考えているわけであります。  最後に、曽根先生のことで、中選挙区制の大体の、何となく落ちつく先が一党優位であったというようなお話があったかに伺ったわけですけれども、御存じのように、中選挙区制でも最後の段階では小沢さんたちのグループとかあるいは武村さんたちのグループが出まして、結局自民党は過半数を割ってしまったということもあります。それから過去の制度、戦前にも中選挙区制みたいなものがあったわけですし、そのときには必ずしも一党優位になっていないわけでありますので、必ずしも中選挙区制の均衡点が一党優位になるとは私は思っておりません。  以上です。
  14. 桜井郁三

    ○桜井(郁)委員 ありがとうございました。  持ち時間が参りましたので、これで終わらせていただきます。
  15. 中馬弘毅

    中馬委員長 次に、西川知雄君。
  16. 西川知雄

    ○西川(知)委員 新進党の西川知雄でございます。  きょうは特に慶應大学曽根先生に対して二つ御質問をいたしたいというふうに思います。田中先生、右崎先生も、その点についてもし御意見がございましたら述べていただきたいと思います。  ポイントの第一は、今、政党本位、政策本位の国をつくっていこう、国会をつくっていこうということで小選挙制度が導入されたわけですが、実際の現象的にはそのようになっていないということが一つの大きな問題点ではないかと私は思っております。すなわち、選挙での公約と当選後の国会での活動、これが非常に食い違っている場合があるということです。  過去二回こういう会が催されまして、私はこの点をしつこく聞いておるわけですが、いまだかつてどなたも明確な回答をしていただいたことはないので、回答をお願い申し上げたいと思います。  具体的には、例えば、昨年の総選挙で当選した自民党議員が七十七名、社民党六名、民主党三十名いらっしゃるわけですが、その方たちが、無条件で消費税五%アップに反対する、こういうふうに選挙中には国民の皆さんに広く訴え、選挙公約でもこれを掲載された方もいらっしゃる。それにもかかわらず、十一月に新進党が提出した消費税据え置き法案の審議では、例外は二人だけで、大多数がこの新進党の据え置き法案に反対してしまったという事実がございます。  これは、いろいろな各党の事情があり、党議拘束等々があったということだとは思いますが、選挙個人で行う、しかしながら、選挙民はそういう選挙公約をした人がいいか悪いかの判断投票し、その後の国会議員に期待された活動とは全く別の行動をするということは、国民に対する非常に欺瞞的な裏切り行為ではないかと国民の多数は考えるのではないかというふうに私は思います。  この間も申し上げたのですが、選挙公報で大学中退というところを大学卒というふうに間違って書いてしまった、本人はそう説明するわけですが、その場合でも当選無効というふうに判断されかねないということですが、今のような消費税の例であったようなことが果たして本当に許されていいのかということ。そして、これが本当に政策本位、政党本位の政治、そしてそれに向けての小選挙制度ということの結果であるのか、この点について、先生の御見解、そして、どういうふうにしたらこれを解消することができるのかという点をまずお尋ねしたいと思います。  次に、今回の選挙でやはりこれに関して重要なのは、政策論争というものをやらないといけないのに、本当にその政策論争というものがなされているのかということについてお伺いをしたいと思います。  私は、先生等が中心になってやられた民間政治臨調のこのすべての内容を既に入手しまして、全部吟味いたしましたが、その中で、十七ページに「政策論争の場の自由化」というのが書いてございます。その中では、「小選挙候補者同士による政策討論の機会を積極的に設ける等、有権者選挙における選択を実りあるものとするための努力をさらに行なう必要がある。」というふうに提言をされております。  私も、その趣旨にのっとり、国会でも委員会で積極的に発言をするという方針をとっておりまして、私ごとですが、きょうまでもう十二回質疑に立ちました。しかしながら、果たしてこういうことが選挙区で行われているかというと、私は非常に疑問視せざるを得ません。  私は、国会議員の二世でもございませんし、市会、県会を経たわけでもありません。また、有名人でもございません。したがって、私が小選挙区制から出るというときは、非常にハードルが高かった。このハードルを乗り越えるためには、やはりその小選挙区で出ている人たちが政策論争して、この人であれば入れていいのだ、信頼できるというふうな体制をつくらないといけないと思います。  小選挙区制の一つのいいところは、お互いの候補者の顔が見えやすくなる。今までの中選挙区制ですと、八人の候補者の中で四人ぐらいが受かったのだけれども、今度は一人を選ばないといけないとなると、候補者の顔がより見えやすくなる。しかし、今の投票行動は、その見えやすくなった顔に対して、その人が有名であるとか、名前が通っているから、そういうことで投票する傾向が大いにあります。そういう点から、私は、政策論争というものを公開の場でもっとやるべきであるというふうに思いますが、その点についての先生の御見解をお願い申し上げます。  先ほども申し上げましたように、私は、時間の関係曽根先生にのみ質問をするというふうに申し上げましたが、自由討論の時間も若干削っていただけるようであると思いますので、他の二人の先生からも御意見をいただければ幸いだと思います。
  17. 曽根泰教

    曽根参考人 この選挙制度改革、小選挙区、比例代表、いずれも政党中心になるという改革であります。そこの改革政治の現場あるいは選挙の現場でどうだったのかという御質問だろうと思います。  前に、私、公聴会で申し上げたときに、日本の中選挙区自体は基本的には自分党だと、自分党で自分の主張をして、国会の中では党の主張になる、非常に単純化して例えて申し上げれば、アメリカ型の個人選挙の上にイギリス型の党議拘束のかかる議会が乗っている、これが日本制度であるという説明の仕方をしました。これが選挙制度が変わることによってどこまで変わったのか、かなり重要な点です。  党議拘束がかからない議会というのは臓器移植法案を除いては余りありませんので、改革方向性としては、個人選挙議員個人判断というアメリカ型に変えるのは、議院内閣制でもあるので非常に難しいだろうというふうに思います。そうすると、結局のところ、イギリス型の、党の選挙、そして党議拘束がかかった議会決定という制度方向性をこの制度改革ではねらったのだろうというふうに思います。  ただし、その過渡期において、現実の選挙は非常に中選挙区的でした。それで、やはり中選挙区の制度的な仕組みがかなり残ったと思います。個人後援会もそのとおりですし、それから選挙の仕方も、依然として個人の主張と党の主張の間のギャップがあるままで行われた。これを解決するということは、政党がしっかりすればいい。例えば政党が各候補者をコントロールするというのも一つ方法です。  制度的に申し上げれば、イギリスの今回の選挙では、パーティーマニフェストというか、選挙のためにマニフェストを非常に時間をかけて準備しております。そのページ数は、これはインターネットでとったものですが、四、五十ページあるものが幾つかにわたってあります。そういうものを持って個別議員が訴える。  これは党で議論したものであります。非常に長時間かかって議論したものでありますから、イギリス労働党の例を申し上げれば、つまり売るべき商品というのがはっきりしているわけです。それを持って選挙に臨むわけですから、自分の個人商品の販売ではないわけですね。ですから、これは一つ方法方向性であるだろう。  ただし、日本政党選挙向けにマニフェストをつくれるのかどうか、これは将来の課題です。それがもしできるならば、マニフェスト以外のもの、個別選挙区の利害のことに触れることはあるでしょうけれども、大筋のところはそこから外れることが難しくなる。そういう点で、政党というブランドと個々の議員という個別商品、それとの関係をもう少し一貫性を持ったものにするべきである。それは政党あるいは代表における責任の問題と密接に関係するということで、これが一つ目の点の一つの回答だろうと思います。  それから二番目の、政策論争をすべきだということはそのとおりで、我々の幾つかの改革案の中で、例えば立会演説会を復活すべきであるとか、あるいは戸別訪問を解禁して選挙運動期間を十二日から十四日に少し延ばすべきであるとか、あるいはインターネットを通じてもう少し広報ができるようにするとか、いろいろな提言をしております。その中で、例えば党首の討論であるとか個別選挙区における政策論争であるとか、御指摘のとおりのことが非常に重要な点であります。  先ほど申し上げましたように、日本政党における幾つかの欠陥を申し上げれば、一つ政党の組織論が欠けていることだというふうに私は思っております。二つ目は政策のRアンドD、つまり研究開発、これが弱い。個別企業でいえば、商品開発に非常に研究のお金をかけているわけですね。ですから、政党レベルでいえば、政策にもっと開発のお金をかけるべきであるというのが二つ目です。三番目、マーケティングが決定的に弱い。直感でやっている、個人商店みたいなところがある。これが日本政党における一つの欠陥だろうというふうに常日ごろ思っているわけです。  政策があれば論争も成り立つのです。政策がないところで論争すると、個人的ないわゆる感想で終わるか、あるいは個別利害をもう少し強化する話に終わってしまう。そうすると、有権者の方から見ると政党選択というのが非常にできにくい。それから、先ほど申し上げましたように、小選挙区にしても比例代表にしても、政党強化されない限り成り立たないシステムです。であるにもかかわらず、有権者の方は政党が見えない形で選挙に臨まざるを得ないということが言えます。  そこで、政策をどういうようなことで具体的につくれるようにするのか、我々もいろいろ考えました。  これは私個人の見解もかなり入っておりますが、現在ある政党交付金、それから立法事務費、それから政策秘書、これはいずれも政策に対する国費、公費の支出であるというふうに整理して考える。であるならば、政党政策をつくることができるシンクタンクを成立させ得るというふうに思います。ですから、政策秘書を個別議員先生方につけるよりも、会派が一括して政策立案に機能を特化する、立法事務費と政党交付金、これも整理する必要があると我々は提言しております。  そして、公開で論争するということが一つ非常に重要な点、それからもう一つは、有権者にいかにそれを伝えるかという問題があります。  現状を申し上げれば、はがき一枚を有権者の方十万人に出せば、それだけで五百万ぐらいかかるわけです。そうすると、広報活動、つまり頻繁に有権者と接触せよという一般論は成り立つのですが、先立つものが難しい。この辺のところは、アメリカの上院、下院、特に下院などを例にすることができれば、ある制限がありますけれども、郵便を自分の選挙区にかなり出せる。つまり、議会活動に関して何をやっているかということを出すことができる。このあたりは、日本の郵便料が高いということもありますが、少し考慮していい問題かもしれません。  ただ、そうすると落選している方に関しては非常に不利になる。これが小選挙区の一つのハードルということでいつも問題になることです。広報をいかに行うのか。これは、実際党首の討論会も視聴率が非常に低かった。ですから、そういうことを考えると、メディアの方にももう少し工夫をしていただきたい。  それと同時に、小選挙区という非常に小さな単位あるいは県別の報道というのは、ケーブルテレビジョンであるとかインターネットであるとか、別のメディアを使わない限り、つまりNHKのような広い範囲に放送するものしか使えないというのは、実は小選挙区向きではないのですね。ですから、今後のメディアの利用によって、立会演説会もさることながら、そこに出席できなくても、政党が何を言っているか、候補者が何を言っているか、それが具体的に見えるような形の工夫が技術的にぜひとも必要だというふうに思っております。
  18. 西川知雄

    ○西川(知)委員 ありがとうございました。田中先生と右崎先生には、ちょっと質疑時間が終了いたしましたので、自由討論のところでまた御見解があれば述べていただきたいと思います。
  19. 中馬弘毅

    中馬委員長 今の二点につきましては、また別の機会にちょっと触れていただいたらと思います。  では、続きまして、山花貞夫君。
  20. 山花貞夫

    ○山花委員 委員長、進行について書目お願いしておきたいと思うのです。大体これまで、予定の倍ぐらいの時間がかかっておりますので、私も、この時間でやるのかな、それとも今のペースでやるのかなということを迷いつつですけれども、一応理事会で決まった時間に従ってまずはさせていただきたいと思いますが、進行はちょっと御検討をお願いしたいと思います。
  21. 中馬弘毅

    中馬委員長 わかりました。では、委員長といたしまして申し添えます。  参考人には、ひとつ、それぞれの先生方の時間を決めておりますので、御意見の御開陳を少し短くしていただきまして、なるべく十五分以内に終わるようにお願いすると同時に、委員方々にも、できましたら一問一答のような形でしていただいたらいいのではないかと思います。
  22. 山花貞夫

    ○山花委員 恐れ入ります。  先生方、ありがとうございました。  まず、総論として伺いたいと思います。  今回、新しい制度をつくりましたけれども、直ちにこの制度そのものについて抜本的な改革議論を行うことが必要であるかどうかということについてです。本当に長い間、十年がかりで政治改革議論が続いてまいりました。振り返ると、一票の格差是正の問題から始まり、次いで政治倫理の問題、それが選挙制度の問題となって、今回新しい制度に至ったわけです。その議論の中にあった者として、選挙制度ということになりますと、政党議員の既得権ということが何よりも目の前にあって、私自身、議論の中にあってそうしたものから抜け切っていなかったのではないか、こういう反省もあります。  ただ、きょうも先生方議論の中で出てまいりました、あるべき選挙制度ということで考えると、民意を反映する比例代表か、民意を集約する小選挙区か、この全く対立した議論の中で、結論的には、お話ありました妥協産物として今回新しい制度ができたのだと思っています。同時に、連座制問題を含めて、若干、腐敗の根絶に向けての努力もあったと思っています。  実は、民主党の中では、当面緊急に取り組むべき在外邦人の選挙権の問題あるいは定住外国人の選挙権の問題、十八歳選挙権の問題、お話ありましたコピーの問題あるいはインターネットその他の問題等含めて、当然積極的に取り組まなければならないと思っていますけれども、新しい制度として直ちに抜本的な改革を本格的に議論すべきかどうかということについては、やはり今回の選挙の結果をきちんと総括をする中から少し腰を据えて議論していくべきではないか、こう思ってまいりました。昨年度、全国会議員にアンケートを一回行い、現在第二回目のアンケートを行ったりしているのが現状であります。  そこで、冒頭の質問、総論的に、今直ちに抜本的なところへいくべきなんだろうかということについての御意見を、曽根先生はさっきちょっとお触れになっておりましたので、右崎先生、田中先生、曽根先生の順で御意見を伺いたいと思います。
  23. 右崎正博

    右崎参考人 私は、簡単にできるとは思っていませんが、そういう議論はすべきではないかというふうに思っています。制度そのものが抱えている原理的な問題点をきちっと考慮していただきたいというところから、そういうふうに考えています。
  24. 田中善一郎

    田中参考人 まだ一回目だということで、選挙制度の結果に対して確定的な判断は避けなければいけないということももっともでありますけれども、もう一方では、先ほど山花先生からお話ありましたように、既得権というのがありますので、私の立場からいいますと、やはりこれが何回も繰り返されますと制度改正が非常に困難なものになっていくだろうということで、抜本的な改正をするならば次回までにやるべきであると考えております。
  25. 曽根泰教

    曽根参考人 総じて申し上げれば、我々の見解は、現行制度はもちろん問題がありますが、抜本的な改正をすぐにすべきだという立場はとっておりません。  そして、国民から一番批判があった点、重複立候補惜敗率の問題ですけれども、これは惜敗率を解決すればかなり解消できるのではないか。現行制度部分的手直しということが我々の一応の主眼です。  ただし、比例論者が非常にたくさんいたのですが、批判が比例に行っているときに、比例論者はもう少ししっかりしてくれよという気持ちがございます。そうでないと比例制度そのものを否定されてしまうようなことになりますので。立場はそれぞれあると思いますが、それぞれの立場でやはりしかるべき主張があった方がいいというふうに思います。
  26. 山花貞夫

    ○山花委員 次にへ各論的に、個々の問題について伺いたいと思います。  先生方の御発言の中でも触れていただいておりますけれども、五百の定数の問題についてです。  今、どう手直しをするかということが議論になる中で、行革もあり、定数を減らす、幾つ減らすという議論がかなりの政党から出て、政府・与党の中でも議論されていると承知しています。  右崎先生は外国の例も引かれたり、また各先生方からこの点にも触れて御発言いただきましたが、整理して、五百を減らすべきかどうか、こういう現在国会にある議論について先生方の御意見を、曽根先生田中先生、右崎先生、それぞれお伺いをしたいと思います。
  27. 曽根泰教

    曽根参考人 私は現行の五百でよろしいと思います。  そして、六〇%、四〇%、つまり三百、二百の比率というのも、絶対的な基準があって決まったというふうには理解しておりませんが、やや小選挙区にウエートがあり、それを補完する意味での比例という位置づけで決まったのだろうと思います。そして削減方向のときに、小選挙区を削減しろという議論は余りなくて、比例の方だけ削減しろという議論がどちらかというと先行している。  当初の制度議論からいって、これは小選挙区、比例代表並立制制度として採用したわけでありまして、小選挙区を採用したのではないという理解でありますので、定数に関しては、将来的には五百の範囲内でその比率を動かすことはあり得るかもしれないけれども、現行制度でよろしいと思います。
  28. 田中善一郎

    田中参考人 先ほど申し上げましたけれども、五百は大体いい数字ではないかというふうに思っております。  減らすべきであるという御議論がよくあるようですけれども、国会が使っているお金などは、行政府が使っている大きなむだなお金から見ればほんのわずかなものなんですから、余り意識しなくてよろしいのではないかというふうに私は思っております。それくらいの大きな度量を持っていいのではないかと思います。  それから、中身の割合です。私は既に抜本改革としてはもとの制度がいいというふうに思っているわけですけれども、先ほど曽根先生もおっしゃっていましたが、結果的に見ますと、今回の議席数が中選挙区制のときと大体似たような傾向、つまり得票率議席率の割合が大体中選挙区に似ておりますので、もしこれを動かさないというならば、比率的に六、四という形は、結果的にはまあまあ妥当な数字なのではないかなという印象を持っております。
  29. 右崎正博

    右崎参考人 私も五百は妥当な数字であると思っております。削減論には賛成しません。  削減論の論拠が問題になってくると思うのですが、むしろ少数会派、少数意見を締め出すような形での定数削減には賛成できません。  三百、二百という数につきましては、もう少し比例代表に厚い配分をするという方向でお考えいただければというふうに思っています。
  30. 山花貞夫

    ○山花委員 今回も法律の原案は二百五十、二百五十というところからスタートしたわけでして、その後、実は修正で二百、三百となりました。  今、三先生のお話は五百でいいのではないか、こういう結論だったと思うのですが、もし減らすという議論を考えた場合には、仮定の問題として、両方から減らすのか、どっちかから減らすのか。この辺については、仮定で答えにくいかもしれませんが、どんな御意見をお持ちでしょうか。  曽根先生田中先生、右崎先生、簡単にちょっとお触れいただければと思います。
  31. 曽根泰教

    曽根参考人 比例の方は議席を動かすことは比較的可能なんですが、小選挙区は区割りの問題がございますので、この区割りに関して、先ほど申し上げましたように、各県一議席をまず割り振ってというやり方をやる限り、非常に難しい。それから行政単位という範囲を変えないと、これも難しい。  ただし、これは将来的な課題ですけれども、我々の同僚でコンピューターの専門家が、幾つか、区割りをコンピューターでやれるようにもう既にソフトをつくっておりますので、これはデータさえ入れれば区割りがかなり自由にできる。  ただ、今までのやり方ですと、小選挙区の区割りを改めて、三百を例えば二百五十にするとか二百七十にするとかというのは非常に難しい制約条件がありますので、そういうことから、結局のところ比例の方だけ手をつけようという話に技術的にはなるのだろうと思いますが、やってやれない話ではない。ただし、ではトータルの議席を五百から四百にするというような議論で、なぜ百なのかというと、それは、国会が率先して少し痛みを国民の前に見せるというシンボル的な意味ですね、それ以上のものではない。  つまり、行政改革でやるべきことというのはもうはっきりしているわけで、行政改革の行き着く先というのは政治の決断ができるということで、政治の決断ができるようなシステムをつくれば、もう制度改革の第一歩が進むわけですね。政治の決断ができるような国会になってほしいということがむしろ行政改革の課題だと思うので、行政改革論と結びつける削減論に関しては、先ほども申し上げましたように、ちょっと疑問です。
  32. 田中善一郎

    田中参考人 吉田元首相が中曽根さんの質問に対して、仮定の問題には答えられないということを言われたのが話題になったことがありますけれども。私自身は、先ほどお話ししましたように、五百というのはむしろ少ないのではないか、ふやしてもいいのではないかというふうに思っております。これ以上削減をやりますと、例えば、かなりの民意のゆがみとかいろいろな問題が出てきて、少数意見は出てこなくなるというような問題が出てくるので、やはり考えたくないというふうに思います。少なくすることは考えたくない、反対であるというふうにお考えいただきたいと思います。
  33. 右崎正博

    右崎参考人 私も非常に難しい問題だと思いますが、行革との関係でということであれば、国会自身が区割りの再配分を断行するという姿勢を示す必要があると思います。  そういう意味からいいますと、むしろ、どちらかといえば小選挙区の区割りを、選挙区を減らすということをやってみるべきではないかと思います。
  34. 山花貞夫

    ○山花委員 ありがとうございました。  田中先生にお伺いしたいと思うのですが、重複立候補制度について、現行制度の弱点を補完するという役割はあるのではないだろうか、こういうお話を伺ったわけです。同時に、同一順位惜敗率の問題については、むしろ絶対得票率の方がよいのではないか、こうお話を伺いました。  一つは、この絶対得票率ということですと……(田中参考人「絶対得票率ではなくて、ただ得票数でございます」と呼ぶ)得票数ということですと、候補が一対一で戦ったところと、有力候補が四、五人出たというところでは、やはり、選挙区の事情によってかなり違うのではないかと思うので、この点についてはどうかということが一つ。  もう一つ、時間の関係がありますので、田中先生に伺いたいと思うのは、同じ選挙区から複数の当選者が出たという問題についての批判もありますけれども、この点については先生はどうお考えか。以上二点、お伺いしたいと思います。
  35. 田中善一郎

    田中参考人 いろいろ考えたわけですが、考えてみますと、有力候補が多数出るというところは、当選した方の地盤は必ずしも強くないということになりますので、国会において自信を持って御活躍できるにしても、次回の選挙のことがいつも心配になるということもありますので、むしろ、そうしたところからは複数の有力候補者が出た方が、選挙区にとっては望ましい状態になるのではないかというふうに私は理解しております。  むしろ逆な考え方でございまして、一人よりも複数出た方が、その選挙区に関しては、二人で一人前というのは変な言い方ですけれども、そういうような状況になるのではないか。例えば岩手県の某選挙区などは有力な政治家がいらっしゃいますし、そうなると絶対強い政治力を持ち得る感じなのですが、そうではない有力者が出るところでは、選挙が不安定な場合もありますので、そのときには、二人が出ていって代表する、二人で一人というような形になって、かえって選挙区の代表性が均衡化するのではないかと私は考えております。
  36. 山花貞夫

    ○山花委員 時間が参りましたので、以上で終わりたいと思います。
  37. 中馬弘毅

    中馬委員長 では、続いて木島日出夫君。
  38. 木島日出夫

    ○木島委員 日本共産党の木島日出夫です。  私、あるべき選挙制度を論ずるときに、二つ側面があるのではないかと考えています。一つは、選挙の原理論といいますか、理念論といいますか、そういうものと、その選挙制度をある国の風土のもとで適用したときにどういう現実効果をもたらすかという現実効果論のような問題、これは、二つ分けて考えられるのではないかと思います。  原理論の面からいいますと、私、これまでも再三関心を持って参考人の皆さんに質問をしてきたのですが、民意の正確な反映か集約かという議論がされてまいりました。小選挙区制が民意の集約を重視した制度であり、比例代表選挙民意の反映を何よりも重視した選挙制度だと言われているわけです。  先ほど来、右崎先生の方からは、明確に、国民代表機関である国会、特に衆議院は、民意の正確な反映が何よりも大事だという立場からの御意見の開陳だったと思いますし、曽根先生の方は、選挙というものは、得票議席に換算するという側面と、政府を選ぶという二つ側面があるという立場からの立論であったと思います。曽根先生がどちらを重視しているのかよくわかりませんでしたが、恐らく参考人の皆さん方、そういう純粋な制度の原理論だけではなくて、その制度日本に適用したらどういう現実効果を生み出すかということまで考えた上での御意見だと思うのです。  確かに、同じ小選挙区制でも、イギリスで適用した場合、アメリカで適用した場合、日本で適用した場合は、政党の成熟度とか、有権者政治意識の成熟度とか、選挙運動の法制度と現実とか、選挙と金に関する法制度と現実とか、大きくいえば、政治、社会、経済、文化、全体の風土のもとでこの選挙制度を適用したらどういう現実効果があるかというので違うとは思うのですが、そこを論じると大変な議論になってしまうと思うので、私、制度の原理論の問題でちょっとお聞きしたいのです。  まず、曽根先生にお聞きしたいのですが、政府を選ぶ機能ということをおっしゃられました。日本は議院内閣制です。ですから、選挙というのは、やはり主権者である国民民意がそのままストレートに議席に換算されるのが基本ではないか。そうすると、換算されて議席が配分されてきます。そこでつくられた議院、議会が、いろいろな議論やら離合集散を経て、あるいは一党が多数をとればストレートに政府をつくる、それが議院内閣制の本質ではないか。  そうすると、議院内閣制のもとで選挙制度に余りにも政府を選ぶ機能というのを強調すると、それは議院内閣制ではなくて大統領制のようなことを求めることになりはしないか。そうすると、原理論として、それは、議院内閣制のもとでのあるべき選挙制度を論じるときに、過大な、あるいは、これは言葉がまずいかもしらぬけれども、曲がった要求をすることになりはしないかと考えるのですが、原理論の立場から先生のお考えを聞かせていただきたいと思います。
  39. 曽根泰教

    曽根参考人 確かに、大統領制と議院内閣制には、直接間接の大きな違いがありますが、結局のところ、選挙結果に基づいて、特別国会が開かれて院の構成がなされて、すぐ首相指名がされる場合が多いわけですね。そうしたときには、実態的には下院の過半数をとった党が、まあ過半数をとらないまでも少数でも内閣は構成できるわけですが、首相指名できるわけですけれども、基本的には、下院の決定がほぼ国会の意思として首相指名ができるということでいいますと、選挙結果と会派の構成と政権というのはかなり結びつく。  先ほど、選挙とは何かというときに、政府をつくるということを申し上げましたけれども、選挙期間中は政権選択である、こういう要素があると思うのです。つまり、単に世論調査をやって意見分布を知りたいねというのが選挙じゃないのだと思うのですね。  小選挙区を入れたという一つの大きな要素は、政権選択を選挙で行います。それは何なのかというと、政権党にとっては、過去の実績に対して厳しい評価が下るということでありますし、次の政権をとりたいという野党にとっては、何か訴えるべきこと、夢なり政策なりをよほどやらないことには、現実の利益配分は政権党にほぼ握られているわけですから、ゲーム自体は非対称なんですね。  そういうことでいいますと、選挙で政権選択を行うということは、過去の例を申し上げればよくわかると思います。五五年体制時代、一九五八年は、第一党である社会党が候補者において過半数以上いたのです。六〇年以降、もう過半数の候補者はいないのです。そうすると、第一党の社会党が全員当選したとしても政権はとれないのです。  ですから、さっき均衡点の話をしましたけれども、つまり第一党の社会党が政権をとれず、かつ連立構想が選挙で示されていないというのは、選挙において政権選択がなされていない、つまり五五年体制の選挙というのは選挙で政権を問わないということだったのです。これは外国人に説明すると信じられないと言うのですね。そこが今回の小選挙比例代表に変わって、つまり野党第一党の新進党の候補者は既に過半数以上いたわけです。これは何年かぶりで復活したわけです、つまり政権の選択ということにおいて。  ですから、選挙というのは、単純に意見分布がどれだけですかと意見を知って、世論調査をやった結果と同じだったとするならば、これは世論調査で済んでしまうわけです。そうではなくて、政権を選ぶというところ、あるいは政権に対する厳しい批判を下すというところ、それがあるかないか。これは、風土との関係で申し上げれば、国によってはペナルティーあるいはパニッシュメントボートがきく国もあります。政権党に対しては厳しく出る国もあります。あるいは将来の方、つまり未来にかけるという、過去よりも未来を選択するという選挙の国もあります。これはさまざまです。  そういう意味で言うと、比例代表というのは一つの考え方であって、つまり意見分布を正しくとらえるという制度としては、原理的には、比例代表はドント式以外にも各種の方法はありますけれども、これが一番正しい民意の把握のされ方ができるのです。ただ、政権選択ということになると、これは事情が違ってまいります。  以上です。
  40. 木島日出夫

    ○木島委員 現実のその国の政党の力関係、その他社会風土、政治風土も踏まえまして、小さい政党、大きい政党あります。しかし、それぞれの政党はやはり政権を目指して選挙のときには政策を訴えていくわけですね。立候補の数が過半数にいかない政党であろうとも、それは自分たちが多数派になったときにはこういう政治をやりますよという政権選択を投げかけていると思うのです。そういう中で選挙が行われ、それで国民からの一票一票が集中され、そして具体的には議席の配分になってあらわれてくるわけですね。  そういう状況の中でつくられた議会が少数政党の、言葉は悪いけれども乱立になって、そして幾つかの組み合わせで仮に政府ができても、それは国民が選択した結果であって、それはそれで是とする、それが議院内閣制のもとでの選挙ではなかろうかと私は考えるのです。  次に、右崎先生にお尋ねしたいのは今のところなんです。曽根先生から指摘をされた政府の選択という機能、それについては右崎先生はどういう御意見をお持ちなんでしょうか。
  41. 右崎正博

    右崎参考人 選挙について、その政治的な意味がどういうものであるかという議論は別に可能かもしれませんが、憲法学の立場からすると、選挙は国権の最高機関である国会に送る代表者を選任するという意味を持っている、それ以上でもそれ以下でもない、それがまず基本になければならない。その結果どういう政権が選ばれるかというのは、それは結果の問題だと思うのですね。  それで、結果を先取りするような形で選挙制度をつくるということになりますと、これは原理を転倒させてしまうことになるのではないか。今の小選挙区制のあり方というのは、まさにそういうことになっていないかという疑問を持っているわけです。
  42. 木島日出夫

    ○木島委員 田中先生にお聞きしたいのですが、中選挙区制が一番いいのではないかという御意見だったと思うのですが、選挙制度あり方論といいますか、原理論といいますか、国民代表を重視するか、直接に政府を選ぶ方の機能を重視するか、そういう論点からいきますと、先生のお考えはどうなんでしょうか。
  43. 田中善一郎

    田中参考人 まさにそこなんでありまして、私がなぜ中選挙区制がいいのかというのは。一方では比例代表というのがあって、これは右崎先生から言わせれば正確な民意の反映がありますね。一方では、小選挙区というのはモデルとしては政権政党を選択する、こういう方向がある。だけれども、私は、そのどちらも偏り過ぎていて、少なくとも下院の選挙は、ここは曽根先生と同じですが、両方の機能をあわせ持つべきであるというふうに考えているわけです。中選挙区制というのはどちらにも偏らない、ちょうど適切なところなんではないかという意味で、私は中選挙区制がいいのだということを申し上げているわけであります。
  44. 木島日出夫

    ○木島委員 偏らないというのは、どんな点で、どういう意味なんでしょうか。
  45. 田中善一郎

    田中参考人 つまり、比例代表制度でいいますと、極端なことを言いますと、小党分立、小さな意見まですくい上げる場合もあり得るわけでございますね。それが果たして正確な民意なのかどうかは、かぎ括弧をつけておきたいと思いますけれども、他方で小選挙区になりますと、先ほど右崎参考人から言われました三八%で五〇数%の議席率をとるというようなことが起きて、これはやはりちょっと普通の常識からいうとやり過ぎなんではないか、とり過ぎなんではないかというような印象があると思うのです。どこがとり過ぎなのか正確に言えと言われましても、それはなかなか確定することはできませんけれども。  そういう意味で、中選挙区制の場合にはそういうことも起こらない、つまり、小選挙区制のような極端な議席得票率の乖離が起こらない。一方では、比例代表制のように小党分立といいますか、そういうような事態も起こらない。これは、先ほど来何度も言いますけれども、制度と現実とは必ずしも一致しませんが、起こらないことが大体予想される。多くの場合は予想される。  そういうことで、私は、中選挙区制というのは、一方では政権を目指す、一方では民意を反映する、そういうような両方をある程度あわせ立たせるという機能を持っているのではないかということで申し上げたわけであります。
  46. 木島日出夫

    ○木島委員 最後に一点だけ曽根先生に、右崎先生からの御批判といいますか、憲法原論からいうと、どういう政府をつくるかというのは基本的な選択肢に入れるべきではないではないか、そういう趣旨の御意見だったと思うのですが、それにはどういう反論をお持ちですか。
  47. 曽根泰教

    曽根参考人 個々の議員の選出という意味選挙をとらえるのは非常に狭い範囲の解釈だと思います。そういう意味でいうと、憲法の読み方あるいは国会の読み方ですが、個別議員がいるだけで、会派がなくてもいいにはいい、政党がなくてもいいにはいいのですけれども、ただ現実的には、選挙とそれから国会がある限り、政党というのは必ず出てくる。あるいは政党を否定する人でも政党に近いものをつくらざるを得ない。これは歴史だろうと思うのです。  ですから、選挙において、基本的には政権を目指すというような政党活動がないということはあり得ない。議員の選択だけで済んでしまう、つまり分布を決めればそれでいいのだということは、それはある部分を整合を持って解釈したものにとどまることで、我々は、選挙制度というのはいかなる政党政治システムをつくるのかとか、あるいは選挙制度によっていかなる政治運営が行われるのかを、かなり予測できるわけです。  そこまでを考えた上で制度設計をしないと、例えば、小選挙区を入れておきながら大連立を行いたいなんという議論が時々あるのですけれども、小選挙区を選択するということは大連立とは矛盾するのです。つまり、比例代表を採用して、ヨーロッパのオランダ、ベルギーなどが行ったような大連立という政治というのは、これはあり得るのです。ですけれども、小選挙区採用というのは、ある意味で未来の政権構想あるいは政党の姿というのをかなり決める要素がありますので、そこの整合的な判断はやはり必要だろうというふうに思います。
  48. 木島日出夫

    ○木島委員 時間が来ましたから、一応、終わります。
  49. 中馬弘毅

    中馬委員長 それでは、秋葉忠利君。
  50. 秋葉忠利

    ○秋葉委員 私も大体時間の範囲内で何点か質問をしたいと思います。  まず、きょうの参考人の皆さんの御意見、それから質疑を伺っていて感慨を持ったのですが、こういった議論が現在の制度が導入される以前にもっときちんと広範に行われていれば、制度の導入された後で、あれは私は熱に浮かされていて、うっかり走ってしまったけれども、後悔しているなんというような議員が続出することにはならなかったのではないか、そんな気がいたしております。  ただし、もう一つ、今話題になっている問題と絡めて考えますと、諌早の干潟ですけれども、あれは誤った決定を一度してしまって、干潟が消滅してしまう、死んでしまう、生き物が死んでしまうと、後でしまったと思ってももとには戻らない問題です。失われた命や生態系というのは、これは取り戻せないわけです。  幸いなことにと言っていいのかどうかわかりませんが、選挙制度の問題はそういった非可逆的な性質を持つ問題ではありませんので、改めて議論をすることにも、大変な重荷を何とかはねのけなくてはいけないというような気持ちはありますけれども、こういった議論が今行われていることは大変うれしいことだと思いますし、参考人の皆さんの非常にわかりやすい、そして真摯な御意見の開陳にも心からお礼を申し上げたいと思います。  私は、この特別委員会の中で特に関心を持っているのは、やはり今回導入された、もう現行になっているわけですが、この制度評価ということだと思っております。評価をする、単純に言ってしまえば、いい制度だ、悪い制度だ、悪い制度だったら変えようというような結論になるわけですけれども、そうすると、そこで問題になってくるのは、やはりどういう基準評価を行うのかということだと思います。  今の御意見を伺っていて大体のところはわかったような気がいたしますけれども、それぞれ皆さん御専門の分野をお持ちなわけですし、その分野ごとに、物事の評価を行う際、選挙制度評価を行う際に、どういう物差しを使えばいいのかという方法論があるのではないかと思います。  そこで一番大事なことは、選挙制度の達成すべき目的といいますか果たすべき機能というようなあたりだと思いますけれども、先ほどからいろいろ御指摘がありましたように、技術的な制約や社会そのものの持つ性質ということも当然制度そのものに影響を与えるわけですし、逆に選挙制度がそういったものに影響を与えているというようなところもありますし、政治的な問題についても考慮をしなくてはいけない。あるいはマスコミを通してのかなり情緒的な意見の増幅とか、そういったことも考慮をしなくてはいけない。  さまざまな角度から考えることが可能ですし、それをすべて網羅して本来だったら評価をしなくてはいけないところなのかもしれませんけれども、特に専門家の皆さんに私が伺いたいのは、ある意味で、マスコミを通しての世論の動向はこうですよということはマスコミの方に言っていただければいいわけで、各学問分野としての人類の知恵の蓄積といいますか、そういった中から生まれてきた我々のこれまでの知的な資産、それに基づいてどのような基準が現在の私たちの時代に最もふさわしいものだというふうに考えられているのか。  時間がそれほどありませんから、そんなに難しいことでなくてもいいのですけれども、最低限、これこれこれといったような点を満たしているかどうかということ、そのあたりが選挙制度判断する上でどうしても必要なのだというあたりを御説明いただきたいと思います。これまでのいろいろな御意見と何か重複するところがありますが、そういう形で整理をしていただくことにも意味があるのではないかと思います。  その上で、昨年行われました選挙を通して、私たちがこの選挙制度に対してどう判断をしたらいいのか、参考人の皆さんの御意見を、まずその点を伺いたいと思います。
  51. 曽根泰教

    曽根参考人 制度の設計というものに普遍的な価値、普遍的な基準というのはあるのか、大変難しいです。  というのは、いい車をつくってくれというときに、ファミリーカーとしていい車をつくってくれというのか、金に糸目をつけないからとにかく速い車をつくれという意味なのかで、大きく違います。  政治改革のときにいつも問題になった点は、政治家の先生方あるいは国民はどんな政治を目指すのですか、どんな政治を目指すかという目標がはっきりすれば、職人として制度設計はいかようにもできますよ、これが一つです。二個目は、我々の党が勝ちたい、勝つような制度をつくってくれと言われれば、それも設計できますよ。  ですから、非常に党派的あるいは利害対立的な要素がある。税制度と同じだろうと思います。税制度でも、中立的にだれにでもいいような税制度をつくれというのは、これは難しいです。ある制度改革は必ずだれかの損になって、だれかが得をするという形になるわけです。選挙制度も非常にそれに近いと思います。  ただ、一般原則で、税制度のときには公平、平等、簡素というような基準が出てくる。選挙制度も似ていると思います。非常にいい制度なのだけれども、複雑過ぎるとわからないというのはこれまた問題です。公平でなくてはいけない。平等でなくてはいけない。  そこで、非常に単純化して申し上げれば、今まで選挙制度を考えるときに大体四つか五つくらいの基準選挙制度というのは設計されてきました。  一番目は、選挙フォーミュラということです。選挙フォーミュラということは、どういうことで、どういう集計方法でだれを当選とするかという規則です。二番目は、投票の形態です。つまり、党に入れるのか候補者に入れるのか、あるいは順位をつけるのか。三番目は、選挙区の大きさ、強さ、つまり何議席なのか。四番目には、総議席数というのはどのぐらいなのか。五番目には、候補者とか政党の数。大体この四点ないし五点ぐらいの組み合わせで選挙制度というのはでき上がっております。  ですから、そういうことを総じて申し上げると、小選挙区と比例代表がくっつくというのは、制度としてはちょっと複雑になった。国民としては、二種類の選挙を一回の選挙でやるわけですから、少し複雑です。ただし、両者の欠陥をよく言えば補い合う、悪く言えば欠陥が相乗してしまう、こういう制度でもあるわけです。  では、すっきりとした非常にシンプルで、そして万人が納得いく完全な選挙制度というのをつくれますか、これは政治改革議論のときに政治学者ほかいろいろ議論した結果、結局のところつくれなかったんだと思うんですね。万人に納得いく理想の選挙制度というのを示すことができたならばそれは採用されたかもしれないけれども、それはなかなかできない。  それはなぜかといいますと、過去四、五年の世界の選挙制度改革というのは大体妥協だとさつき申し上げましたけれども、比例代表と小選挙区制をどんな形でかくっつける制度なんです。混合形です。ニュージーランドも併用制が基本となる混合形です。あるいはロシアもそうです。結局のところ、現実の政治プロセスを理解した上でしか、やはり制度改革はなされないんだ。  それを乗り越えるだけの理想の案というのがあったならば、それは説得力があるんです。つまり、さっきも言いましたように、いい車をつくれというのを職人として引き受けたときに、いい車というのは目的によって違いますよ、つまり、ファミリーカーなんですか、F1なんですか、これはもう全然違うわけなんです。ですから、政治の目的、何をしたいかというそこがはっきりすれば、そうしたら設計はできますということをもう一度繰り返します。  以上です。
  52. 田中善一郎

    田中参考人 もう既に曽根先生から御講義いただいてしまったのであれなんですけれども、私は選挙制度を考える場合に、やはり基本的には、先ほど来問題になっている、民意をどれぐらい反映するのか、それからどれだけ権力をつくるのか、つまり内閣総理大臣を選ぶ政党をどうやって出すのか、その点がやはり一番ポイントなんではないかと思います。  ただ、どれがいいのかというのは、これは今までの私の知っている限り、政治学の中でもいろいろ意見がありますけれども、それぞれ、ある前提を置けばこれがいい、この前提だったらこれがいい、こういうような議論であったと思いますので、普遍的にこれがいいということにはならないだろうというふうに思います。  ただ、私は一言申し上げておきたいのは、最初のときにもお話ししましたが、現在政党自体が大変組織が弱まってきて、政党国民を吸収する力、引きつける力が弱まっているということ。それから、特に日本の場合には政党の中で意見の対立が非常に激しい。極端に言えば、例えば新進党の右の部分と左の部分と、自民党の右の部分と左の部分が大体重なり合ってしまうようなところがあるわけでありまして、そういうところで政党投票というものを前提にした投票をやるのがどれだけ意味があるのか。その辺の意味がだんだん下がってきているという現実は考えておかなければいけないのではないかというふうに私は考えております。
  53. 右崎正博

    右崎参考人 私も出発点においては、絶対的に正しい選挙制度、絶対的に間違った選挙制度というのはないのではないかというふうに思っています。ただ、我々の国家のもとでは国民主権原理というのが前提にあるわけですから、それを具体化するのが選挙である。選挙の過程を通しては、国民の自由な政治的な判断が反映されなければならない、それが最も基本になるであろう。それを踏まえた上で、選挙区の歴史的な沿革とかあるいは我々の物の考え方も含めて、風土とか、どういう選挙制度の仕組みが最も適合的であるか、非常に高度の憲法政策的な判断が必要になってくると思います。  例えば、政党を淘汰させるために特定選挙制度を採用するというようなことはこれは明らかに間違いだと思います。同時に我々には、主権者国民にはそれぞれの歴史的な背景といいますかコミュニティーへの帰属意識などがあるわけですから、例えば行政区画を無視するような形で選挙区割りをつくるということが、日本に住む我々の気持ちといいますかコミュニティーへの帰属意識に合うかどうかというと、その点はかなり実は疑問に思っています。既に小選挙区制の中で、例えば東京では、ある区について一部が別の選挙区に入るというようなことになっていますね。  小選挙区制のもとで、既に有権者の数で数えて格差が二倍以上の選挙区が四十を超えていると思いますが、社会は流動化しているわけでして、人口の偏在というのは、これは強制的に移住を禁止するでもしない限りなくせないわけですね。ですから、格差はますます広がってくると思います。その場合には、小選挙区制のもとでは必ず区割りを再配分しなければならないわけですね。アメリカでもイギリスでもそういう形をして小選挙区制を運用してきているんです。こういうやり方が多くの日本人に違和感なく受け入れられる制度であるかというと、その点についてはかなりの疑問を持っています。  以上です。
  54. 秋葉忠利

    ○秋葉委員 ちょっと私の質問の仕方が余りよくなかったのかもしれないんですが、私はどちらかといいますと、理想の選挙制度、完璧な選挙制度という意味でのよい悪いということを伺ったのではなくて、現実の選挙制度にはかなり欠陥が、どれを見たって大体欠陥があるんです。その上で伺いたかったのは、こういう条件がなかったらそれはもう選挙制度としては失格なんだというような必要条件的なもので、皆さんのお答えは十分条件的な、本当に完璧な制度をつくるにはどうしたらいいかということだったんで、それでも、そのお答えをいただいたおかげで随分理解できる点が何点かあるんです。  国際選挙制度学会というような、らしきものがあるらしいんですが、その学会での、何度も何度も確認されていることなんですが、選挙制度で一番重要な原則は何か。そんなことは当たり前だということで恐らく省略されたのだと思いますが、それは、一人一票等価値ということだというふうに理解をしております。等価値というところにいろいろな問題が含まれているわけですけれども、もう時間がありませんので後でそのあたりについてはまた伺うことにいたします。  日本にも何か、最近の新聞を見ましたら選挙学会とかいうものができているんだそうですが、参考人の皆さん、それには参加されているんでしょうか、これは参考のためにちょっと伺いたいんですけれども。
  55. 曽根泰教

    曽根参考人 創立のときからメンバーです。
  56. 田中善一郎

    田中参考人 私は入っております。
  57. 右崎正博

    右崎参考人 私は参加していません。
  58. 秋葉忠利

    ○秋葉委員 ありがとうございました。
  59. 中馬弘毅

    中馬委員長 次に、堀込征雄君。
  60. 堀込征雄

    ○堀込委員 きょうはどうもありがとうございます。  最初に、右崎参考人にお尋ねをいたします。  比例制度こそが正確に民意を反映する理想的な制度だ、単純に言えばそういうお話なんです。小選挙区は得票率議席率の差が出る、あるいは死票が多く出る。それぞれ制度はいろいろ欠点も長所もあるわけでありますが、そういう御指摘がございました。  そこで二つお尋ねをしたいんですが、仮に我が国衆議院比例制度中心とした制度を導入した場合、小党分立とかいろいろな欠点が出るわけですね。例えばドイツの併用制でも、ワイマール体制が崩壊した反省から五%条項などを入れておるわけであります。こういう欠点を是正しながら比例制度を運用しているということについて、一つはどう思うか。  それから第二点目。衆議院比例を主体とした制度を入れた場合、これは比例制度ですから政党選挙にまさになるわけであります。参議院制度はその場合どういうことを想定しておるか。特に、参議院比例制度はそのとき廃止すべきだというふうにお考えなのかどうか。  以上二点、お聞かせをいただきたいと思います。
  61. 右崎正博

    右崎参考人 比例代表制の評価ということですが、比例代表制と呼ばれるものの中にもさまざまなバリエーションがあって、名簿拘束式であるとか名簿非拘束式、さまざまな形があると思います。それぞれの風土によってどの制度が最も適合的かという議論をする必要があると思いますが、日本では参議院で今は比例代表をやっていますね、全国を一つ選挙区として選挙を行う。あの選挙の仕方には確かに相当な無理があると思います。たくさんの政党が、参議院比例代表選挙の場合をとってみますと、五十に近いような政党が乱立しますし、有権者の側から見ると候補者の顔が全く見えないものになってしまう。ですから、そのような制度が望ましいというふうに考えているわけではありません。  恐らく、日本で、もしも衆議院で採用できるとしたら、人口に比例して三百の定数を都道府県ごとに配分をして、都道府県を単位として比例代表を行うというようなのが一つの現実的な案ではないかなというふうに思っています。候補者の顔が見えるということ、しかも、比例配分によって比較的多様な民意を公平に反映できるというふうに思っています。  それから、主張の分立の心配が比例代表の場合にはどうしても伴う、これはしばしば指摘される点です。比例代表はこういう問題を恐らく免れ得ないであろうと思います。しかしながら、日本でも、アメリカでもイギリスでもそうだと思いますが、価値観は非常に多様化してきているのですね。例えば最近の世論調査を見ましても、政党支持などを尋ねますと、どの政党も支持しないという層がパーセンテージとしては一番多くなるわけです。そういう状況を考えますと、その人たちの意見は切り捨てていいという議論にはならないと思うのです。  そういう人たちの立場も何らかの形で吸収できるような選挙制度、四十、五十の政党が乱立するというのはちょっと問題かと思いますが、少なくとも、今のようにわずか数党でもって議席を独占してしまうというような制度は、価値観が多様化している今日の状況のもとでは適合的ではない、いろいろな意見代表されて、その上で、連立を組んで、妥協し譲り合いながら運営していく政治ということがこれからむしろ必要になってくるのではないかと思います。
  62. 堀込征雄

    ○堀込委員 今、各県単位の比例制度などもお考えになっているというお話でございます。その場合、参議院制度はどういうふうに変えようと先生はお考えでございましょうか。
  63. 右崎正博

    右崎参考人 衆議院選挙が仮にそういうものになればということですね。  幾つかのプランはあり得ると思いますが、例えば、職能代表的なものにしていく、あるいは完全に都道府県代表のような地域代表の性格のものにしていく、そんなことは考える余地があるのではないかなと思っています。
  64. 堀込征雄

    ○堀込委員 それでは、曽根先生にお尋ねをしたいのでありますが、確かに御指摘をいただきましたように妥協産物制度でございまして、私どももかかわってまいりましたが、当時、自由民主党から単純小選挙区制が提案され、我々野党側が併用制を提案をして、その結果、数は別にしても、重複制度だ、そして同一順位だ、やや並立制にしては妥協的な制度ができ上がったなという感じはしております。  そのことはともかくとしまして、先生先ほど小選挙区で大連立はあり得ないと、非常に興味を持って聞いておったのですが、確かに単純小選挙区の国では、アメリカでもイギリスでも多分なくて、政権交代が起こる仕組みになっておって、しょっちゅう戦っておるということなのです。御存じのように、併用制のドイツでは大連立の歴史があった。日本並立制の場合に、今の大連立というのは、これはどうなのでしょうか、政治的な質問になってしまうといけないのですが、この制度と絡めて、ちょっとさっき御発言ございましたので、御所見を例えればというふうに思います。
  65. 曽根泰教

    曽根参考人 制度を超える政治の圧力というのは非常に強いものがありまして、我々の予想を超えるところの現象が起きます。ただ、単純に言いまして、小選挙区が理念として持っているものは政権党野党なのです。政権党対非政権党の対立なわけで、これを小選挙区まで持ち込もうという発想なわけですから、政権党側から、例えば与党側から三人候補が出るような小選挙区というのは本当は変なのです、そういう意味で原則を申し上げれば。  では、小選挙区で大連立はあり得ないのかというと、国政レベルでは選挙区で競争があるから難しいと思います。ところが、地方議会あるいは地方の政治を見ますと、与党相乗りというような形が出てしまいます。小選挙区で与党相乗りになってしまう。これは、選挙制度が想定しているものとはちょっと違うのですね。選挙制度は競争的なシステムを前提としているのですが、利益配分というところで与党相乗りが起きてしまう。ですから、言ってみれば、小選挙区でも大連立的な現象が起きる。  それを防ぐ手だてというのは、やはりこれは政治のメカニズムとしてつくっておかなければいけないというふうに思います。これはやや蛇足のところでございます。
  66. 堀込征雄

    ○堀込委員 田中先生に一点だけ伺います。  先ほど来お聞きしていて、中選挙区でも政権交代が起こり得るのではないか、あるいはあったではないか、こういうお話なのですが、私どもも議論をしてきて、日本の中選挙制度で三十八年間自民党が続いた、最後に政権交代がありましたけれども、あれは自民党さんが分裂をしたという結果であり、あるいは腐敗事件がずっと起こったりして、政治に対する、特に政治改革に対する批判がずっとあった選挙の結果、たまたま起こったということだろうと思います。  私も野党におりましたが、先ほど曽根先生からもちょっと御指摘ございましたが、野党が過半数の候補者を立てる力量がずっとなかったというようなことがあったわけであります。しかも、日本の社会の中で、中選挙区というのはどちらかというと利益誘導、利益団体代表みたいな側面も相当強く、そういうところを主体に選挙運動をあるいはやることが当選するために非常に重要だった、そういう社会構造の問題も抱えていたのではないか、こういうふうに思うわけであります。  私は、衆議院選挙は基本的には民意も反映しなければいけないけれども、政権を競う選挙だというふうに考えた場合に、戦後、日本選挙の歴史を見た場合、中選挙区というのはそうなっていなかったのではないか、それを復活させてもそうはならないのではないかという考え方の持ち主でございますが、先ほど先生主張されましたが、どうしてもそこのところはちょっと胸に落ちない点がありますので、もう一度御所見をお聞かせください。
  67. 田中善一郎

    田中参考人 政治改革でわけのわからない議論がいっぱい出まして、中選挙区というのが悪いんだ、諸悪の根源だという議論で葬り去られてしまったという非常に不幸な中選挙区の歴史があったと思うのですけれども、学問的な議論をちゃんと展開すれば、中選挙区制というのが決して諸悪の根源ではないということが立証できると私は確信しておるわけであります。まあそれはいいのですが。  まずお話の中で、中選挙区制が一党優位であるというお話でしたけれども、そういうことはないわけでありまして、戦前では政権交代が起こったのはまさに中選挙区制なんですね、きれいな政権交代が起こったのは。  それから戦後、今度新しい選挙制度になりまして何が起こっているかというと、先ほど来もう起こっているお話で、まさに大政翼賛的な状況が生まれつつあるわけですね。自民党が少数政権でありますけれども、いろいろな政党がそれにくっついて、結局は、自民党の幹事長自体もまさに翼賛的であるというようなことが言われているわけでありますので、小選挙区だから、正確な意味では小選挙区でよありませんけれども、新しい制度でもそうした傾向が見られる。  というふうに考えますと、これはむしろ、一党優位というのは必ずしも中選挙区という制度産物ではなくて、もっと政治的な、日本政治の運営の仕方の構造にかかわってくる問題としてとらえるべきなんではないか。先ほど来曽根先生は地方政治レベルではそういうことを言われていましたけれども、国政でもそれがあらわれているのである、そういうふうに考えるのが正しい、正解であるというふうに思っているわけであります。  それから、中選挙区になりますと利益誘導があるというお話でございましたけれども、これも何も中選挙区だから特に利益誘導が激しくなるという学問的根拠は全くございません。例えばアメリカという国は小選挙区の国であります。行った方はわかると思いますが、あそこでは、多分日本よりもひどいのではないかという利益誘導が行われているわけでございますね。  ですから、これも選挙制度とは関係ないことでありまして、もし強いて言えば、例えば日本の場合には中央集権が非常に進んでいるから、やはり国会議員としては地方にお金を持ってくるということが期待されているというようなことがあるから利益誘導が強化される、そういうふうに考えるべきであろうと思うわけであります。  それで、小選挙区制になりますとそのタイプの議員が多くなっていくのではないかということが私には危惧されるわけです。先ほどお話ししましたように、中選挙区制ですと、中には、そうではなくて環境問題で頑張っている人でも、ある程度の数がもらえれば、例えば五人区でしたら一六%以上がもらえれば当選できるということでございますので、うまく利用すればむしろ利益誘導型ではない人を出すのに都合のいい制度ではないか、私はそう思っておるわけであります。  以上です。
  68. 堀込征雄

    ○堀込委員 ありがとうございました。
  69. 中馬弘毅

    中馬委員長 以上で各党代表しての質疑は終わります。  これより、参考人に対し、各委員が自由に質疑を行います。  質疑の際は、議事整理のため、委員長の指名により発言されますよう、また、所属会派及び氏名を述べた上、お答えいただく参考人のお名前をお告げいただきたいと存じます。  なお、一人一回の御発言は三分以内にまとめていただくようお願いいたします。  それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
  70. 木島日出夫

    ○木島委員 それでは、さっきの質問に引き継ぐような形で右崎先生にお伺いします。  憲法の観点からのお立場、よくわかります。私も選挙制度の基本は民意の正確な反映だと考えているのですが、日本の現実の政治風土、政党状況やら有権者の意識の状況やらいろいろな利害関係やらマスコミの状況等々もひっくるめて、今回導入された小選挙比例代表並立制比例が二百で小選挙区三百、これが選挙制度の原理論という立場から見てどういう現実的な効果をもたらしているかという点で、先生どんなふうに見られているでしょうか。純粋原理論ではなくて、現時制度から、今度の選挙制度が果たしている役割を。
  71. 右崎正博

    右崎参考人 先ほども言いましたが、選挙制度というのは国民主権を具体化する制度である、それが基本だと思いますから、民意はできる限り正確に反映されるべきである、その点で小選挙区制の部分は非常に大きな問題を残したと思います。それを埋め合わせしたのが比例代表議席部分であったのではないか。  ただ、比例代表部分につきましては、先ほども述べましたが、同一順位名簿を提出して惜敗率で決めるという制度が導入されたために、比例選挙部分に小選挙区制的な要素が持ち込まれてしまった問題がやはり残ると思います。小選挙選挙の弊害を是正する、穴埋めするための比例代表ということであれば、もう少し比例代表あり方を工夫してみる余地があると思っています。
  72. 木島日出夫

    ○木島委員 引き続いて、先生は、ではどんな方向で工夫できるかという御意見をお聞かせください。
  73. 右崎正博

    右崎参考人 抜本的にということであれば、都道府県単位の比例代表制のようなものはいかがかということになります。ただ、今すぐそれをやれというのは相当無理があるということもわかりますので、並立制の枠内であるならば、小選挙部分比例代表部分を少なくとも同じにするか、あるいは小選挙議席よりも比例代表議席を多くする、その方が民意をより忠実に反映し得るというふうに思っています。
  74. 西川知雄

    ○西川(知)委員 新進党の西川知雄でございます。先ほど田中先生と右崎先生には失礼をいたしましたが、ひとつ先ほどの問題点に関連して御質問をいたしたいと思います。  先ほど私は、選挙公約と当選後の国会における議員の活動に党議拘束がついている、その場合のそごについてどういうような調整が必要かというようなことを曽根先生に質問したわけです。田中先生、右崎先生、このことは非常に国民的な不信を政治政治家に対してもたらしているものですが、これを今の選挙制度のもとでよりよい方向改革していくとすれば、どんなような方向性を持ったらいいのかということについて、田中先生、右崎先生の順でお答え願えれば幸いです。
  75. 田中善一郎

    田中参考人 大変難しい問題だと思います。憲法学的には、多分議院の自律性の問題とも密接にかかわってくる問題だと思いますので。最終的には、例えば公約に違反した国会議員は次の総選挙国民の審判を受けるべきである、だからそこで落選するかもしれないし再選されるかもしれない、そのことを念頭に置いて国会議員の諸兄が責任を持って行動される、これしかないのではないかというふうに私は思っております。  現行制度の場合に、ますますその意味でも政党重視にはならなくて、やはり今世論調査をやりましても、投票するときに政党を重視するのか、人を重視するのかと聞きますと、人を重視して投票するという人の方が多いのですね。こういう御時世ですから、私自身は、やはりできるだけ個人の要素があらわれてくる、そういうような選挙制度に改めていくべきであるというふうに考えております。  以上です。
  76. 右崎正博

    右崎参考人 お尋ねになっている点は、憲法学の分野でも実は大変論争があるところです。論点は、国民代表である議員有権者との関係をどのようなものとしてつかまえるかという点だと思います。  近代の議会制の考え方のもとで、議員有権者との関係は、自由委任的な関係のものとしてとらえられてきました。議員は、選挙区の有権者から選ばれるけれども、一たん選挙されて議員になった後は全国民代表する形で行動しなければいけないということですね。しかし、こういう考え方は、議員とそれを選出した有権者との間の関係を断ち切ってしまうという問題が残るのですね。そうしたところから、その両者の関係を、命令的委任関係としてとらえることができるのではないかという議論が提起され始めています。  日本国憲法は、公務員を選定することを国民固有の権利であるとしていると同時に、罷免することも国民固有の権利であるとしていますから、この罷免権を生かしていくような形で、例えば公約違反をした議員に対する何らかの制裁といいますか、それを設けることは、異論はありますが、私自身は憲法上可能ではないかというふうに考えています。つまり、国民主権をもっと実効的なものにしていくためには、有権者国民代表である議員を有効に統制できるような仕組みが必要であるということなんです。
  77. 西川知雄

    ○西川(知)委員 非常に理解はできるのですが、田中先生が、次の選挙で洗礼があるのではないかというふうにおっしゃいましたけれども、平均して二・五年に一回でございますので、二、三カ月前のことはもうみんな忘れて、日常活動に忙しくしておりますので、それでは別に制裁にもならないし、今言った問題は解決できなしのではないかと思いますが、もしそのことについて何かございましたら、田中先生、よろしくお願いします。
  78. 田中善一郎

    田中参考人 一番いいのは、まさにそのとおりで、任期を短くすることですね、国会議員の任期を二年にするとか。例えばアメリカの下院は二年ですから、そうすると、大変有権者に対してセンシティブな行動をとるということが研究上明らかにされておるわけでありますので、四年という任期、実質的には二・五年なんですが、それをもっと短くするということを考えるのは一つ方向だと私は思っております。  それからもう一つ、現在私がちょっとコミットしていることでもありますが、国会議員諸兄の国会での活動の採点簿をNGOなりその他の機関がつくって、定期的に有権者なり地元にそれを公にする、こういうような制度が確立していきますと、例えば、失礼ですけれども、西川さんがこういうような投票行動を行ったということがちゃんと有権者にわかるようにやられれば、選挙のときに必ずそれを配ってみると、ああなるほど、西川さんは私のためにやってくれたから次は応援しようとか、ああ、ここは公約違反だ、こっちの方はちゃんと守っている、こちらの候補者投票しよう、そういうようなことが判断できるようになると思います。  そのような制度は、アメリカの議会では各種の利益団体がそういうようなことをやっているわけでありますけれども、日本もいろいろな機関がそういうのを出せば、そうした公約違反に対しても国民の有効な対応が生まれるのではないかというふうに思うわけであります。  以上です。
  79. 荒井広幸

    ○荒井委員 自由民主党の荒井でございます。きょうはありがとうございます。  私は、民主主義の理想、自由と民主、その理想に近づけるために、議会制というのは非常にいいことでございますし、また、政党役割が重要であるというふうな基本的な考え方を持っております。そういう意味で、政党政治を育てていくということで、政党がしっかりしていく、また、その構成員でもある議員が自覚を持ちしっかりしていくということは、当然のことでございます。  そこで、まず前提にお尋ねをしたいのですが、自由と民主、いろいろな価値の持ち方はありますけれども、民主主義の理想に近づけるためには政党政治が重要であると思われるかどうか、有効かどうか。私は、これは長短もあると思っていますが、ざくっとした基本的な話で恐縮でございますけれども、まずこの点、お三方にお聞かせをいただきたいと思います。
  80. 曽根泰教

    曽根参考人 民主主義ということを前提にしてお話しいたしますと、基本的には、民主主義という大枠の中では、例えばどの選挙制度がいいかとか、大統領制か、議院内閣制か、どれかは特定化していないのです。そういう意味でいいますと選択の幅は非常に広い、だから議論が拡散するという要素もあると思うのです。  そこで、では政党というのは民主主義でそもそも前提としているのか。民主主義は、政党が複数あることを前提としております。ただし、さっきも言いましたように、民主主義を仮に否定する人がいたとしても、政党にかわるものというのは必ず出る。それは、選挙と議会がある限り、同じような考えを持った人がグループをつくらない限り、この制度、つまり選挙と議会は乗り越えられない。そういう意味で言うと、政党は必須のものである。  ところが、今世界の傾向として、日本だけではありませんで、政党あるいは政治家に対する評価は極めて低い、あるいは不信感がある。これはなぜなのかというところが重要な背景としてあります。多分その中で、日本が突出して政治不信あるいは政党不信が強い国だと思います。  なぜそんなに不信が強いのかということは、子供のころから、少なくとも大学へ入ったときには、もう既に、頭の中には政治家は悪いものだというこびりついた固定観念があります。教育だとかマスコミだとかという、非常に長期の政治的社会化の過程ででき上がってしまっている。これはかなり不幸なことです。つまり、重要であるにもかかわらず、国民は否定すべきものだという考え方が強いですね。ですから、NGOはいい、ボランティアはいいと言っていながら、政党だとか選挙に関するボランティアはだめだという一般的な反応があるのです。  ですから、この辺を乗り越える方法というのは、もう会派を超えまして考えていかないと、政党政治の存続というのは物すごく難しいと思います。
  81. 田中善一郎

    田中参考人 大変重要な問題提起だと思います。それで、先ほど来私は、政党の力が弱まっているということをお話ししてきましたけれども、その裏には、政党は非常に重要なんだという認識があるわけでございます。権力をつくっていく、そういうものとして、政党がやはりしっかり存在していくということが、少なくとも現在の段階ではまだまだ重要だと思っておるわけでございます。  今、曽根参考人からお話がありましたように、日本の場合、本当に今政党不信が強いわけでありまして、国民も、政党投票するよりも候補者投票した方がいいというような状況ですね、その方が裏切られないということがあると思うのですけれども。  やはりその中で、一つは、いわゆる政治改革のときに、政党が公約を破っていろいろな形で離合集散を果たしてしまった、とても今まで対立し合っていたのが、くっついているはずがないのがくっついてしまった、あるいは、同じ政党の中でも、違った理念の人が、あるいは考え方の人がまざっている。私、先ほどお話ししましたけれども、自民党の中には右左があるし、新進党の中にも右左があるし、多分民主党の方にも結構幅があるわけでございます。そうしたところを国民は見ているわけでありますから、やはりそうなると、政党といったっていろいろあるではないかということになると思うのですね。  そうなると、まず、当面何を政党としてやっていただければいいのかといいますと、やはり、そうした政党間のねじれといいますか、大きな理念というか政策的なねじれ、今の時代にそれはなかなか無理かもしれませんが、何となくムードとしてでもいいですから、そうした大きな政策、基本政策のねじれは何よりもまず解消していただきたい。  やはり右的な保守的な政党、あるいは現状革新的な新保守主義的な政党、あるいはもっと逆に共産党的な体制だとかいろいろあると思いますけれども、ともかく政党の中でまずは純化してほしい、純化というのは変な言い方ですけれども、すっきりしていただきたい。そうすれば今の国民における政党不信の最悪な状況も少しはよくなるのではないかというふうに私は期待しているわけでありますけれども、それ以後は、大変難しい問題ですので、まさに選良の方に考えていただきたいというふうに思っております。
  82. 右崎正博

    右崎参考人 私は、基本的に政党が非常に重要な存在であるということについては全く異論はありません。現代の議会制民主主義のもとでそれを適切に運営していくために政党役割は欠かせないものというふうに思っております。  以上です。
  83. 荒井広幸

    ○荒井委員 それに関連して、ちょっとプライバシーに入るかもしれませんが、そうなりますと、例えば参考人のお三方の皆様方がそれぞれ支持政党をお持ちになっているか、そして次は、御入党されているか、そしてそれはなぜであるかということを実はお伺いしたいわけですが、それはお聞かせいただく時間がないので、私としては、結局、政党の重要性を認めながらもやはり個人方々がなかなか政党を積極的に支持をされていない。それは、受け手として積極的に支持されないのか、やはり自分たちの考えをきちんと入れていくために積極的に、好き嫌いではなくて入っていこうとするのか、この差は私は非常に大きいというふうに思っています。  ですから、民主主義がきちんとするためには、やはりそれは政党政治家の問題であると同時に、これが一番悪いわけですが、二番目にはやはり国民の皆様方の問題もある。そういうところをきちんと両方映していかないと、この制度についての評価というのは非常に散漫になるといいますか、いろいろな形でやはり長短の議論になってくるのではないかなというふうに思っております。  それで、最後に曽根参考人田中参考人にお聞かせいただきたいのですが、投票率が低ければなぜ悪いか。投票率を高くするために政治はおもしろければいいというのが、前のマスコミの皆様方からも先生方からも若干そういうお話も出ているのですが、では、おもしろくて、まあおもしろいというのは私は余り中身がない意味でのおもしろいというふうにとりますが、そうなって投票率が高ければそれでいいのか。これはもうある程度明確な答えが出てくると思うのですが、投票率が高ければその制度がいいとか政治がいいと一概に言えるのか。なぜ投票率が高くなければならないのか、低ければ悪いのか、ここについて、ちょっとどこかの切り口で一点ぐらいでお話をいただければと思います。
  84. 曽根泰教

    曽根参考人 例えば投票率九五%の国があったら何かいかがわしいと私は思います。それは、旧ソ連時代であるとかあるいは罰金制度がある国は、九〇%を超える国はあります。普通の国ですと、普通の国というのが問題ですけれども、普通の国ですとやはり九〇%、九五%はあり得ない。そうすると、高いといっても八〇%台、低いといっても四〇%台、まあ三〇%になるとちょっと怪しいねという、それはあると思います。  ですから、絶対数として例えば六〇%という投票率は高いのですか、低いのですかと問われたときに、答えようがない、答えるのは二つしかない。過去の歴史と比べて高いか、もう一つは外国と比べて高いか低いか。だから、ほかの数字と比較した上でその投票率判断するしかない。  ですから、じゃ六割は許せるけれども五割は許せないのか、四割になるとなぜまずいのか。これはもう目分量でしがなくて、少なくとも国民の半分が投票するようなものでないと、やはり選挙という制度は信頼されていないな、そこに不信感が募っている、そういうことくらいしか申し上げられません。
  85. 田中善一郎

    田中参考人 確かに、我々もよく議論するのですね、高い方がいいのか、低い方がいいのか。低いのはなぜ悪いのだと居直ったりすることがあるのですが、まあいろいろ考えますと、やはり低くなりますと、いつも組織的なかたい票が投票にあらわれるという傾向が強いのではないかと思われるわけですね。国民はもちろんそれ以外にも、ある程度の無関心といいますか、少しの無関心とかいろいろなレベルがあると思いますけれども、そういう人たちの意見もある程度は選挙に反映された方がいいのであろう、そうした方が、先ほど世論調査ということがありましたが、よりバランスのとれた意見が反映されるのではないかということで、やはり低いのは偏った意見が結果にあらわれやすいというふうに思います。  ただそこで、どのレベルが低い、どのレベルならいいのかということになりますと、それは何とも、ここで何%なんて言うべきものではないと思いますけれども、そんな感じでおります。
  86. 秋葉忠利

    ○秋葉委員 投票率に関連して、日本投票の方式を改善すると投票率も、ほんのちょっぴりかもしれないけれども上がるのじゃないかという議論がございます。それは自書式ですね、自分で候補者名前を書く投票制度をとっている国というのは日本だけと言ってもいいのだと思います。  ですから、例えば記号、マル・バツをつけるとか、バツはつけなくてもいいのでしょうけれどもマルをつけるとか、あるいは機械的にレバーを引っ張る、あるいは、より進んで電子式、要するにコンピューターとつなげてボタンを押すだけ、そういった投票方法が世界じゅうで行われているのです。日本でも、もうそういった時期に来ているのではないか、そんな意見があるのですが、その点について簡単に、どうお考えになるか、御意見をお願いいたします。
  87. 曽根泰教

    曽根参考人 先ほど申し上げました民間政治臨調の立場といたしましては、記号式、電子化された記録が残る形の電子投票、電子集計、そして将来の課題としましては、インターネット、これは暗号化とか難しい問題があるのですが、インターネットを使ったり電話を使ったりして投票が可能なようなシステムを考えてもいいのではないか、これは技術的に不可能ではありませんので、そちらに向けての努力というのは必要と思います。
  88. 田中善一郎

    田中参考人 先ほどの秋葉さんのお話ですが、自書式と投票率とは多分直接には関係しないと思います。自書式は無効票に関係するのじゃないかと思うのですが、どうでしょう。  その意味では、無効票をなくすという上で、やはり今回一時衆議院で採用されかかった方式がありますね、マルをつける方式ですね、この方がすぐれておると私は思っております。  それからもう一つは、この問題を考える場合にいろいろなところから攻めていかなければいけないと思いますが、一つ投票率を低くしているのは、そもそも投票率基準になる選挙名簿自体のつくり方をもう少し工夫した方がいいのではないかということが一つあります。  それからもう一つは、私も経験がありますけれども、よく引っ越しをするような人というのは投票権がないわけですね、その三カ月間は。そういうようなことに関してももう少し適用を緩めるとかそういう制度を考えていただけば、投票率はもっと高くなっていくのではないか。もっとといっても多分数%のレベルだと思いますけれども、高くなるのではないか。また、その価値はあるのではないかと私は思っております。
  89. 右崎正博

    右崎参考人 私は、自書式が投票率を下げている原因だとは思いません。機械式による投票、ボーティングマシンによる投票というのをアメリカで見たことがありますが、アメリカでもやはり低投票率に悩んでいますから、機械で投票するようにすれば投票率が上がるというふうには思えません。やはり選挙政治そのものが国民によくわかるようなものにしていく、これが一番基本ではないかと思いますけれども。  今日ですと、例えば、各党の政策政党の中でどのように煮詰められてつくられてくるのか、あるいは候補者が選ばれるのに、どういうプロセスを経てこの人が候補者に決まったのかというのが非常にわかりにくいところがあるわけですね。ですから、一つの例としては、アメリカでは各政党の中で候補者を決めるための予備選挙、プライマリーというのをやっていますが、あんなことが行われるようになれば、もう少しおもしろいものになるのではないかなというふうに思っています。
  90. 中馬弘毅

    中馬委員長 ありがとうございました。  予定した時間が参りました。午前中の参考人に対する質疑は、この程度で終了することといたします。  参考人方々におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。  午後一時三十分から再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時三十一分休憩      ────◇─────     午後一時三十二分開議
  91. 中馬弘毅

    中馬委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  午前中に引き続き、参考人方々の御出席をいただき、御意見をお聞きすることといたします。  ただいま御出席いただいております参考人は、立教大学法学部教授北岡伸一君、新潟国際情報大学教授石川真澄君、日本労働組合連合会総合政治局長野澤雄三君、以上三名の方々であります。  この際、参考人方々一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。  衆議院議員選挙制度あり方につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  次に、議事の順序でありますが、北岡参考人石川参考人野澤参考人順序で、お一人十分程度に取りまとめて御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず、北岡参考人にお願いいたします。
  92. 北岡伸一

    北岡参考人 御紹介いただきました北岡でございます。  意見を申し述べる機会を与えていただきましたことに御礼を申し上げます。  私、専門は日本の近代の政治史でございまして、つまり、現代及び諸外国の例について必ずしも細部まで通じているというわけではございませんが、私の専門の立場を踏まえて、また国民の選ぶ側の観点から、意見を申し述べたいと思います。  早速始めさせていただきますが、最初に、今回の選挙をどう評価するかということでございます。  私は、第一に、原則として今回の選挙を比較的好意的に評価しているものでございます。その理由は、簡潔に申し上げますと、政党中心政策中心、そして政権を選択するという選挙方向が見えてきた、そちらの方向に進んだというふうに考えるからでございます。もちろんそうでないという意見もございまして、例えば石川先生は多分そういう御意見なんでしょうけれども、これは、理想とそれから前どうであったかと比べてみると、私はそれは進んだというふうに考えております。  例えば前はどうであったか。中央レベル政策では、日米安保堅持対非武装中立というような対立がございまして、これは私は、余り政策対立という言葉になじまないというふうに考えるわけであります。つまり、これは距離が大き過ぎて、代替案としての意味を持たないわけで、今回、政策は各党似てきたと言われましたが、その似てきた中で日米安保堅持のために具体的に何をするか、それを争うのが政策でありまして、そういう意味で、政策の違いがない、無意味だというのは間違いであると思います。  また、そうした中央のレベルに対比しますと、以前の選挙の時代多かったのは、他方で地元での利益誘導であります。道路をつくる、橋をかけるということが主たる政策と考えられたわけであります。それは、特に自民党議員の間にそうでありました。しかし、これはやはりおかしなものでありまして、憲法十五条を厳密に解釈いたしますと、公務員を選挙で選ぶ、しかもその公務員は全体の代表であるといいますと、地元の利益だけを訴えて当選してくるというのは、厳密に申しますと憲法に抵触するおそれがある。  やはり政党というのは、国家をどういう方向に持っていくか、そういう政策のパッケージで争うべきものでありまして、比べてみますと、今回は、橋本総裁、小沢党首、二つの大きな政党に限って言いますと、その二人が前面に出て、それぞれうちの政党はどういう政策を出すかということを訴えた、その比重が前に比べて相対的に大きくなってきている。また、現実に政権の選択が、その二人から総理大臣を選ぶというような感じになりました。自民党単独政権時代の間は、衆議院議員選挙の結果において総理大臣が決まったというのは事実上ほとんどないわけでありまして、いつもターニングポイント自民党総裁選挙でありました。  したがって、国民の意向で直接総理大臣が決まるということがなかった、それがそういう方向になってきた、これが私が評価するもう一方の点であります。  さて、他方でいろいろ批判もございます。  一つは、有権者民意がゆがむ、大政党が強くなり過ぎて小政党が小さくなってしまう、そういう批判がございます。私はこれに対して、それはむしろメリットであるというふうに考えております。  つまり、現代は確かに価値観の多様化の時代であり、多様な意見が出てきます。しかし、そうした多様な意見や要求は、どこかで取りまとめて、取捨選択してけりをつけないといけないわけですね。政治が何でもかんでもしょい込んで全部できるわけじゃない。一体何をやって何をやらないかということで、まとめをつける。それをどこでやるかという問題であります。  私は、これをやるべきなのは政党だというふうに思っています。政党は、これを政策パッケージで出してくる、そして、どのパッケージを国民が選ぶかというのが政治のあるべき姿、私が申し上げる政党政策中心というのはそういうことでございます。  そうしないとどうなるかといいますと、政策の取りまとめをつけるのは、私は政党レベルでつけていただいて、パッケージで出して、選ぶ、これがいいと思うのですが、そうでなければ、今度は国会レベルでけりをつけるということになります。これは国民が直接判断するのでないということなんですね。  言いかえますと、例えば、一方に減税党というのがあったとします。他方に福祉党というのがあったとします。減税中心でやっていくか、つまり小さい政府ですね。あるいは福祉中心でやっていくか、大きな政府ですね。この政党二つ競争したとする。どっちも過半数がとれなくて、例えば一方が四〇%、他方が三〇%得票があったとします。そのとおり、得票率に従って議席数があったとします。どちらも過半数とれません。  そうすると、二党が提携して連立政権でもやろうかとなったときに、どういう可能性が高いかといいますと、減税も福祉も両方やる、足りない分は公債を増発する、こういういうことに一番なりやすいわけであります。  つまり、そうした無責任な結果に陥ることなく、政党が首尾一貫した体系性を持った政策パッケージで勝負する、そして、相対的に第一党をとった、第一党となった政党がより重い責任を担って政治を行う、こういう方向をもたらす、その意味で、私は、第一党がより大きな議席をとるという方向には賛成でございます。  以上、そうした意味で、この今回の選挙を割合評価するものでございます。  ただ、もちろん欠点はたくさんございまして、例えば中央で決めている政策と全然違うことを地元で言っている人がいるとか、それから、まだまだ政策の具体性が足りない、例えばある政策にどれぐらいお金を出して何年プログラムでやるか、そこまで出さなければ政策とは言えないのですけれども、それが十分でないというようなことはもちろんございます。  以上のように、私は、基本的にこの制度は好ましいと思うと同時に、また、選挙制度というのはデモクラシーの根幹にかかわる制度でありまして、前の制度は基本的に大正十四年以来続いてきた制度であります。こういう制度を、小さな手直しはともかく大きく変えることは好ましくない、早急に変えるのは好ましくない。したがって、微調整、手直しを進めてこの制度を維持すべきだ、これが第一点に対する私の意見でございます。  第二に、重複立候補、重複制度の問題であります。  この制度は、御承知のとおり、二つの異なった原則を一緒にしたものであります。その意味は、もちろん御承知のとおり、少数党が不利になるそのダメージを緩和する、これが一点でございます。それからもう一つは、重要なことですが、特定の地域に厚い支持は必ずしもないけれども、広く薄く全国に支持がある方とか、あるいは、党の政策その他で党の中枢で非常に重要な役割を担われる方を政党が自信を持って上位の方につけてやっていこうとしりことでありまして、どうもこれは、この比例の方の制度と小選挙区の制度は理念が違うわけであります。  理念が違う場合にどうするか、重複なしというのが一案であります。地方で厚い支持がある方と、さっき言いました比例の原則の方というのはその意味が違うわけでありますから、重複なしが一案。それからもう一つは、御承知のとおり、重複は続けるけれども幾つかの限定をつける、得票数が余りにも少ない人とかをカットするとか、あるいは重複の人数を候補者の何割というふうに限定するとか、そういうことも可能でありましょう。  もう一つポイントは、同一順位惜敗率の問題であります。私は結論的に申しますと、惜敗率というのはぜひ廃止していただきたい。これは政党が責任を放棄したものであります。政党にとってこの人たちをどうしても通したいというのでこの比例を置いてあるわけでありますから、これにきちんと順位をつけて、そして出してほしい。  最初の二つに述べました、重複をやめてしまうかあるいは条件つきでやるかということは、これは考慮の余地があると思います。その際重要なことは、国民にとって簡単でわかりやすいこと。この場合はこう、この場合はこうと余りぐちゃぐちゃした案にすると、ますます国民の無関心を招くということであります。  この重複制については、以上で簡単に切り上げさせていただきます。  第三の論点、選挙運動あり方についてどう考えるかということであります。  この場合、私は次の二点に御注意をいただきたいと思います。一つは、政党が責任を持った政治をやるという仕組みをさらに進めなくてはいけないということであり、もう一点は、より重要でありますが、この国民政治に対する関心の低さを一体どうするのかということであります。  いろいろ選挙運動のやり方、改革の仕方、案があるんですけれども、そういうことをしても若い人が投票するかなというようなことをよく言うんですね。それでも、そういういろいろなことの効果がどれぐらいあるかというのはちょっとこの際おいて、いやしくも効果がありそうな、また、より公正になるようなものはどんどんためらわずやっていくという姿勢がないと、国民はますます関心を失う。これはぜひ、どんなことをしたってなんて言わないで、前向きに考えていただきたいと思っております。  具体的に申し上げますと、まず何よりも選挙期間が短過ぎると思います。御承知の事情で名簿順位を決めるとか、あるいは党内のいろいろな利害で政策パッケージがなかなか決まらない。出てくるのはもう公示のころなんですね。もうそれからあっという間に選挙になるわけです。  この前の選挙でいいますと、選挙が始まったときに初めてリストが出て、それから、新進党でいうと非常に大胆な案が出てきて、新進党がばんと案を出して自民党がこれをばんと批判して、新進党が次に反論するか、というころにはもう投票になってしまうんですね。  そこで私は、極端な話、三カ月ぐらい選挙をやったらどうかと思っているわけです。それは極端としましても、一月ぐらいはやってもいいと思うんですね。アメリカの大統領選挙は事実上一年以上やっているわけであります。どういう政策でやるということを訴え続けるわけですから、これが十日とか十二日とかいうのは、甚だ国民を愚弄する話ではないかというふうに思います。  さらに、若い人の、特に有権者の関心を高めるためにいろいろなことをやっていただきたいんですが、例えば大学で演説会をやるとか、さらに投票方法の工夫もぜひお願いしたい。電子投票制の導入、今の自書式という古色蒼然としたものはやめる。そして、今は秘密保持というようなことを言いますが、他方で結構身元証明はあいまいでありますし、また、場合によっては、だれが投票に来たか来ないか、どういう投票をしたか、完全に秘密が保持されているとは言えない側面もあります。  ぜひこれは電子式にして、全国いろいろなところで、IDを持っていけば、ああ、あなたの選挙区はここですねというその画面が出てきて、そしてそこでIDと確認さえできれば投票できる、それで投票期間も長くするというような方向を、そのうちなんて言わないで、もう今からでも検討を始めていただくべきではないかというふうに思っております。  大学なんかぜひ投票所に使っていただきたいと思うんですが、あわせて、その場合は十八歳以上にした方がいいんじゃないかなと思っております。  時間がございませんので、あと、締めくくりにその他のところを一、二分で片づけさせていただきます。  必ずしもこの選挙のやり方だけではないかもしれませんが、政党を重視する制度になりまして、政党に大きな責任を負わせた、あるいは特権を与えているわけです。公的助成もやり、国民としては政党に大きな特権を与えたわけですが、これに対応する責任の重さというのが不十分じゃないかと思っています。  例えば、党の公認の決定とか順位の決定において仮にいやしくも金品が動くようなことがあれば、これは贈収賄に問われるべきだろうと思うし、また、特に与党なんかだと、党の要職の人が仮に政策決定に当たって何か金品が動いたりすれば、それはやはり贈収賄に問われるだろうと思いますし、そういう政党の義務、責任というところを明らかにする方法をぜひやっていただきたい。  また第二に、政治資金の入りの方だけ問題になっておりますが、出の方ですね。一体何に使ったかということの透明性を高める工夫を、お金をもらっているんですから、何に使ったかということをもっと透明にする工夫をぜひお願いしたい。  最後に、選挙方法そのものではないんですが、一番重要なのは、我々国民政党にやってくれと言うわけです。政治家に国政をリードしてくれと言って委任するわけですから、委任された方々は、ひとつ国会で政府委員を廃止して、ぜひ国会議員の方だけで議論していただきたいと思います。  我々は官僚に政治をゆだねているわけではありません。政治家の先生方政治をゆだねるわけでありますから、政府委員はやめにして議員だけで議論する。よその国でやっていることを日本でできないということはないでしょうし、この国際化の時代に、外国に行って、ちょっと政府委員を呼んでということができない状況はたくさんあるわけでありまして、ぜひそういう方向を進めていただきたいというふうに考えております。  どうもありがとうございました。(拍手)
  93. 中馬弘毅

    中馬委員長 ありがとうございました。  次に、石川参考人にお願いいたします。
  94. 石川真澄

    石川参考人 石川真澄と申します。  今、北岡参考人の話を聞いていて、第一点のみが非常に大きくかけ離れているというふうに感じました。第二点と第三点については、ほぼ私も同意見であります。したがって、第二点と第三点、その他についてはごく簡単に申し上げるのにとどめて、第一点の部分について少し詳しく意見を申し上げようと思います。  結局こういうことになるだろうという見込み、あるいは選挙をする前からわかっていたこと、その認識においては、この制度に肯定的な評価を与えた方と、私のように否定的な評価を与えようとしている者との間にはそんなにずれがありません。  簡単に言えば、もしお手元に私の文章が行っていたとしたら、それの表紙の部分というか一番上に書いてある表のところをごらんいただくとおわかりのように、小選挙区では、例えば政権をとった自民党が、小選挙区では得票率が三八・六%で議席率が五六・三%という形で、四割以下の得票率でもって議席は六割近いものを得た。比例代表区の方では、三二・八%の得票率で三五・〇%の議席率である。それを合計すると、三五・七%の得票率で四七 八%の議席としりふりになっています。  このことは、選挙をやってみる前から、こうなるであろうということは、小選挙区制を採用する限り当然であって、そのことはいわゆる改革を推進した方々も全然否定はなさっていなかった。  となると、問題は、このような大きな得票率議席率との間のゆがみというものをどういうふうに判断するかということであります。北岡参考人は、まさにこういうことがあるからいいのだ、簡単に言えば、単独過半数政権というものが成立すること、そして国会の与党というものが過半数を持っているということの方が政治にとっていいのだというお立場を表明された。私は、それは違う、あくまで国会というのは民意をできるだけ正確に反映すべきものだ、少なくとも現代の民主主義においてはそのことが要請されているという立場であります。  問題は、小選挙区制を支持なさっている方々というのはみんな、国会というものよりも政権ということに大変御関心が強い。第八次選挙制度審議会の答申を拝見いたしますと、   今日求められている選挙制度改革の具体的な内容としては、政策本位、政党本位の選挙とすること、政権交代の可能性を高め、かつ、それが円滑に行われるようにすること、責任ある政治が行われるために政権が安定するようにすること、政権が選挙の結果に端的に示される国民意思によって直接に選択されるようにすること、多様な民意選挙において国政に適正に反映させることなどが必要である。 これは新しい選挙制度を選ぶための、いわば基準であります。  この基準は、今読み上げたのは五項目あります。その五項目のうちの三項目が、政権についてであります。政権交代の可能性が高い、政権が安定する。その次は、非常にわかりにくいのですが、「政権が選挙の結果に端的に示される国民意思によって直接に選択されるようにすること」というのがあります。これがいわば、得票の模様をゆがめてでも強引に単独過半数政権をつくる必要があるという主張を、こういう表現で言ったものだと私は理解しています。  今のこの表現は大変わかりにくくて、耳から一遍聞いただけではわからない。実は、この中に「端的に」というのと「直接に」という二つの副詞が入っています。これを外して読んでみます。「政権が選挙の結果に示される国民意思によって選択されるようにする」これは当たり前です。議院内閣制の定義のようなものであります。とするならば、この基準こそは、まさに「端的に示される国民意思」「直接に選択される」というところの、この二つの副詞に力点があると思わざるを得ません。実は単独過半数政権と言うべきところをこういう表現であらわしてしまっているというところに、私は、言葉遣いが乱暴で申しわけないのですけれども、大変うさん臭さを感じるのです。  今の北岡さんのおっしゃるような理由で、ほかの部分では、国民意思を集約するのか代表するのかという言い方で、しばしば議員さんたちの会話がなされていることも承知していますが、集約という日本語もまことに怪しい。集約というのは、実はぼわあっと広がったものをぎゅうっと縮めてよく見えるようにするのであります。ところが、小選挙区制というのは、第一党になったところが、本当は小さいのに虫眼鏡で見たようにぼわあっと大きくして、膨らませて、そして結果を出す。こういうのは集約とは実は逆なのです。  ところが、こういう議論をしていますと、一般的には、いや小選挙区制のもとで得票率などというものを考えること自体がもう無意味だなどとおっしゃる方がいらっしゃいますが、それでは、代表制というのは一体どこにいくのだろうかというのが私の考えであります。  そして、もちろん政権は日本が議院内閣制をとっている以上、極めて大事な事柄でありますが、選挙というものは本来的には国会をつくる、衆議院選挙法によって衆議院の総選挙が行われるということは、第一義的には院を構成するために行われているのが選挙だと思います。それが結果的に政権を、間接的に総理大臣を選ぶという効果を持つことは全く否定しませんが、院を構成するための理念と政権をつくるための理念とが仮に衝突したとする。  今のように小選挙区制の方が単独過半数政権ができるからいいよという考え方と、それから比例代表制の方が民意をほぼ正確に反映するからいいよという考え方とがそれぞれ衝突する。衝突した場合に、この間でどちらを優先するかといえば、私はやはり院を構成する、選挙というのは国会議員国民が選ぶという行為であって、そしてそれが、憲法前文で「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と言っていることの中身であろうというふうに私は思っています。  とするならば、政権をつくることに対して、私は連立政権というものが不安定であるとか、あるいは力がないとかいうふうな考え方には必ずしもくみしません。それは、考える考えないではなくて、実証研究が既に行われております。世界じゅうの連立政権とそれから単独政権とを比較して、どちらの方が政権が安定しているかというふうな議論は、学会ではとつくの昔に行われています。そういう点からいって、連立政権をおとしめるものでは私はありませんが、仮に、連立政権では困る、どうしても単独過半数政権が必要だというふうなことであるならば、それはしかし、国会をどうこさえるかということの理念に背いてまでそのものを貫徹する必要はないというのが私の考えでございます。  時間がもう過ぎてしまいましたので、残りは、今言ったことに関して言うならば、まことに見事に昨年の十月二十日の総選挙はそのような議論を裏づける、日本も例外ではなかったということがあらわれたと思います。  念のためつけ加えると、今回地すべり的勝利を示したイギリスの労働党の政権も、得票率は四三%であります。このことは、英国においては、過半数の人々が支持しないと言っている政党が政権を握り、五年間にわたってほしいままな政治運営をするということが、まことに非難の対象に、今は常識的にそうなっています。そのことを申し添えます。  それから第二点については、北岡参考人とほとんど変わりありません。私は、重複制はぜひ残していただきたい。むしろ積極的に残していただきたい。比例区を減らすとか、あるいは比例区をなくしてしまえという議論があるのは承知していますが、自民党には大変申しわけありませんが、小選挙区だけならば四〇%足らずの得票率でもって安定過半数をとれたものを、比例区があるおかげで辛うじて過半数に届かなかったという効果は、全く比例区があるおかげであります。それがなければ、民意のゆがみはもっと極端にひどいものになっていたに違いがないと思いますので、ぜひ比例区はそういう意味で残しておいていただきたい。  今の制度全体について言えば、私はもちろん小選挙区制を全部なくした方がいいと思っていますけれども、そういう乱暴なことは言いませんで、現在の状況に即して言えば、比例区を残していただきたい。そして、重複立候補もそれは構わない。ただ、北岡さんも言われたように、惜敗率というふうなもので決めるということは、まことに不合理であります。  要するに、選挙制度の中で恐らく二つ制度を無理やりくっつけたために、その間の調整を図るために、惜敗率という、小選挙区での成果を比例区の当落に結びつけようとした苦肉の策だろうとは思いますけれども、その結果としてまことに不合理な基準になっている。つまり、敵対しているのは、自分が所属している党のよその選挙区における得票の割合というのが当人にとっての重大問題になってくるというのは、まことに不合理であります。したがって、惜敗率というふうなもので決めるというのはやめた方がいいということであります。  もう時間がありませんが、第三点もほぼ同じであります。  私は、北岡さんの申されたのに加えて、戸別訪問を認めることを提唱したいし、電子投票システムに関しては、既に技術的にも完成しているし、既に三年ぐらい前の試算でもって、全国にコンビニエンスストア程度の密度でもってこれを展開する費用は約三千億円というふうな試算まで出ております。  そういうことを考えると、技術的にもあるいは予算的にも実現は可能でありますし、もちろん、直接民主制というふうなものをある程度導入するときにも、それは力になるというふうに考えております。したがって、北岡さん同様、すぐにでも御検討いただきたい。  以上でございます。(拍手)
  95. 中馬弘毅

    中馬委員長 ありがとうございました。  次に、野澤参考人にお願いいたします。
  96. 野澤雄三

    野澤参考人 日本労働組合総連合会の野澤です。  きょうは、衆議院議員選挙制度についての意見を述べるということでありますが、その前に、連合が九五年の十一月に、前回の参議院選挙の後に、連合の組合員を対象に政治意識調査をやりました。その中での設問二・三についてまず御紹介をさせていただきたいというように思います。  第十七回の参議院選挙が終わりました後、九五年の十一月二十日を前後しまして、連合の組合員の中の組織人員に対して〇・五%で意識調査を行いました。回収は九五年の十二月末でございます。回収数は二万九千九百、配付したものに対して七三・七%ということでの回収を行いました。  設問と回答について二、三御紹介いたします。  九五年の七月の参議院選挙投票はどうしたかという投票行為であります。全国の投票率は四四・五%ということに対しまして、連合の調査では六七・八%という数字が出ております。  ただ、学者の方からの御指摘では、選挙が終わった後五カ月も経過をすると、投票していない方でも投票したということで答えるケースが極めて高いということでありますから、全国投票率の四四・五に対して六七・八とは申しませんが、一〇%強はやはり修正しないといけないのではないかという指摘をいただいております。  二つ目に、投票率の低下についてどう考えておるかということなのですが、政治がよくなると思えないということが七一・二%、無関心な有権者がふえておるという意識が六四・六%。それぞれ一人二つの回答をしてということに対する内容でございます。  政治への関心を高めるために何をすべきかという中で、選挙制度改正関連につきましては、不在者投票をもっとやりやすくしてもらいたい、これが六六%。投票日をふやしてもらいたい、これは投票時間の延長を含めてですね、これが五三・七%というのが上位二つでございます。  国会運営について、国会テレビの実現、これが七二・五%。公聴会を日常的にもっとふやすべきだ、これが六七・三%というのが、参議院選挙の中での政治に対する関心なり今後の取り組みということの提起でございます。  政治の現状や社会の仕組みについてどう考えるかということの設問でございますが、日本政治に対しては、少し不満が二九・七%、不満が四三・二%のトータル約七三%という数字でございます。  不満の理由でございます。国の将来を真剣に考えている政治家が少ない、四四・四%。政治国民の声が反映していない、三九・二%。政治の金権腐敗体質が是正されない、これが三六・九%という数字でございます。  日本政治は何によって動かされているかという設問がございます。官僚と答えた方が四五%、大企業や財界が四〇・五%、政党が三一二・二%、政治家が二七・六%、労働組合は一%でございます。  小選挙区下での投票行動ということで、来るべき衆議院選挙で小選挙区で何を重視したいかという設問に対しては、候補者を重視したいという関係で七六%でございます。第二位が政党、四八・九%という数字でございました。労働組合の支持や推薦が四二・七%ということでありますが、小選挙区での投票行動はやはり候補者ということが一つの大きな特徴になっております。政党だとか政策だとかいうこともあります、当然候補者がそのものを持つわけでありますが、候補者を重視したいということでございます。  この調査での広義の意味での支持政党を参考までに申し上げます。新進党は二〇・九、社会党が一八・五、自民党が一二・四、さきがけが四・一、共産が二・五、支持政党なしが三七・一ということで、広義的に見てどうかという中での数字はこういうことでございます。  その上で、今回の第四十一回の衆議院選挙が行われました。  まず、きょうの私の発言でございますが、小選挙比例代表並立制について、今お二方の先生方からのお話がございました。私どもとしましては、今回の選挙結果についてさまざまな形で検証が行われたり、新制度に対する批判や疑問というものが提起をされておりますが、これらの多くは、制度改革の意図と現実の政治との乖離に対する指摘ではないかというように考えております。  したがって、改善しなければいけない点については改善をするということを要望したいわけでありますが、小選挙選挙が本来期待された機能を発揮するために、選挙制度以外のものについても、後ほど申し上げさせていただきたいと思いますが、その条件整備といいますか、改革に向かってぜひ取り組むべきだというように考えております。  したがって、小選挙比例代表並立制評価についてでございますが、結論としては、一回の選挙でもとの中選挙区に戻すとかいうような議論ではなくて、本制度でもって二ないし三回の選挙はすべきではないかというように考えます。  二つ目の重複立候補関係でございます。  制度はそのまま残すにしましても、今回連合の中で一番議論の対象になったのは、この重複立候補の問題でございます。  特に、重複立候補で当選された方でございますが、一つは、選挙制度上から申しますと、比例順位の高くなった候補者のところは小選挙選挙そのものが形骸化されてしまったというような点が、一点選挙制度上の問題としては残っているのではないか。  二つ目には、小選挙区制で落選した候補者が、比例選挙で八十四名今回復活当選をされたということでございます。現制度上では復活当選は当然のことでありますから、このことが悪いということではなくて、その中身でございまして、法定得票数に達しないで当選した人があるとか、さらには、結果として七つの選挙区で一選挙区から三名の方が当選をしたというような選挙区があるとか、さらには、当該選挙区で得票の下位の候補者が上位の候補者を飛び越して当選人になった、こういうところが二十二カ所あるというような問題の指摘がございました。やはりこれらの点については改善をすべきではないかということでございます。  結論としましては、重複立候補は残すにしましても、同一順位惜敗率については廃止をするということがまず一点でございます。  二つ目には、法定得票数に達しない場合は当選できないということを明確にすべきではないかということでございます。  後ほど関連して申し上げたいと思いますが、特に、現在の法定得票数については有効投票数がベースになっておりますが、むしろこれは、選挙に対する関心、参加を高めるということからいきますと、有権者総数にその基準を改めるべきではないかというようなことを、関連して、考え方として持っております。  選挙運動あり方についてでございます。  これは、政策論争の場を自由にする。今の制度上では、第三者が選挙期間中に候補者政党の合同演説会を開くということについては禁止されておりますので、こういうものをフリーにできるようにするべきではないか。また、新聞、テレビ等の報道機関は、政策討論の機会を積極的に設けるように取り組んでもらいたい。また、そのための援助を国としてもやるべきではないか。  戸別訪問については解禁をする。  また、インターネットの自由利用等についても検討の対象として、その実現に向かった取り組みをやるべきではないか。  選挙の運動期間でありますが、現行十二日を十四日ぐらいに、わずかではありますが、一カ月は別にしまして、十二日では政策の徹底その他からは少し足りないのではないかというような認識を持っております。  その他の関係でございます。  特に制度上の問題で、早急に私たちの立場で改善いただきたいのは、選挙制度の中では、公民権行使の完全保障の問題でございます。一つは、今、船員の方々の洋上投票については、これは必ずしも完全な実施がされていないということでございまして、次期の国政選挙までに法的整備を行って実施ができるようにぜひお願いを申し上げたいということでございます。また、不在者投票の手続なり、選挙期間の問題については、選挙投票時間の延長の問題、また現行の一日を二日にするのかどうかといったようなことを含めて、要は投票行動が高まるような取り組みができるようにぜひ御検討いただきたいということでございます。  二つ目には、緊急の問題として、政党助成金の情報公開制度の確立をすべきではないかというように考えております。また、政党に対する交付金等も、今別の角度で出ておりますが、本来ならばこれは政策関係に費用を使うということでございまして、ある面では、現行の助成金とダブルの形のものになっておりますので、ぜひ情報公開制度を含めて、クリーンな形で国民に対してそれを明らかにするということが必要ではないか。  国会改革関係でございますが、国会テレビについて、これはもう三年ほど前から一つの課題として連合の中でも取り組んできておりまして、衆議院で御了解がいただければ参議院では難しいというお話等で、何か衆参の調整がついていないということでお聞きをしておりますが、ぜひ国会の情報公開ということでは、この国会テレビについてなり、さらにはインターネットのホームページ等について、国会としてその開設をする。また、採決については、電子投票制度の検討をやるというようなことについても、ぜひ緊急課題として御検討をいただきたいというように考えております。  中期展望の中での改革課題ということでは、やはり選挙制度と両院の改革ということです。ぜひ衆参両院で二院制の役割なり機能の抜本改革が行われるように取り組んでいただきたい。  また、腐敗防止の関係につきましては、政党への企業・団体献金等の禁止の問題であるとか、また会計の透明度を高めるというようなことについても、ぜひ今後、国会の場で御検討いただきたい。  以上、私の意見にかえさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
  97. 中馬弘毅

    中馬委員長 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     ─────────────
  98. 中馬弘毅

    中馬委員長 参考人に対する質疑は、理事会の協議に基づき、まず、各党を代表する委員が順次質疑を行い、その後、各委員が自由に質疑を行うことといたします。  これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。  なお、着席のままで結構です。  戸井田徹君。
  99. 戸井田徹

    ○戸井田委員 自由民主党の戸井田徹でございます。北岡石川野澤参考人には、それぞれ本当に御苦労さまです。  今、ずっとお話を聞かせていただきまして、聞くたびに、なるほどな、なるほどなとうなずきながらずっと聞いておったわけでありますけれども、もともと、現行制度に変わるときの議論というのは、やはり政党中心政策中心ということが中心になっていたんだろう。そして、選挙制度そのものが、だれもが言うように、完璧な選挙制度なんていうのはあり得ない。しかし、実際にこういうふうにして議員が選出されて、国会が始まってみて、その動きという流れを見ておりますと、当初言っていたように、本当に二大政党になっているんだろうか、そういうことを考えてみましたら、どうもそうでない。  午前中の曽根参考人は、二・五党制だというような言い方をされた。我々もずっと見ていて、どうも一党が完全に過半数を握らない以上は、どこかがキャスチングボートを握って、そしてそれが政策決定に対して影響力を与えている。俗っぽく言えば、自民党の中では非常にそれが不満にもなるし、本当にこれで二大政党の道を行くんだろうかという部分で、どこか心配げなところもあるわけであります。  また、自民党にしましたら、小選挙区で完全な過半数を握っていながら得票率は五〇%行かないという議論があるわけですけれども、一応その制度の中で過半数を握っていながら現実に握れない、そういうジレンマの中にあるんだろうと思います。  最近の世論調査でも、連立の状態がいいんだ、それを肯定する世論調査の結果がかなり出ているのではないかな、そういうふうに記憶しておるんですけれども、一つは、先ほど北岡参考人の方から、何をやって何をやらないか政党がパッケージを提出してそれを選択するんだという話があって、そういうふうにすっきり理解できればいいんですけれども、現実はそれぞれ三党以上の政党が寄って連立を組まなければならない状況だ。  その中にもう一つ、これをどう解釈したらいいのかなと思うのですけれども、実は自民党の場合にはほとんど党議拘束がかかっているわけですし、ほかの政党もほとんどそうだろうと思うのです。だけれども、民主党の場合には党議拘束がかかっていないということになったときに、政党中心選挙を戦ってきて党議拘束がかからないということ、またそれで投票行動が幾つかに分かれてきた場合に、そういうものをどうやってとらえたらいいんだろうかという意味で、非常に問題を含んだ部分もあるのではないかなという感じがするんです。  臓器移植法案みたいに、みんながそれぞれ納得できるような法案で党議拘束を外すというのであればまだわかるんですけれども、すべて党議拘束を外してということは、これはどういうふうにとらえたらいいんでしょうか。  北岡参考人からそれぞれ順番にお答えいただけたらありがたいと思います。
  100. 北岡伸一

    北岡参考人 先ほどの前提のお話を若干させていただきますと、仮に小党分立なりという形になりますと、政権がどういうふうに構成されるかは有権者の予測のつかない、手の及ばないところで決定が行われるわけです。ですから、私は、パッケージごとのチョイスが提示されて、そしてそれが有権者によって選ばれる、相対的に多数をとったところが、過半数に直結するわけではないでしょうから、より重い責任を負うというのが筋だと思います。  実は、日本の、例えば戦前で言いますと、やや極端な例ですが、陸軍はソ連が仮想敵国だ、海軍はアメリカが仮想敵国だ、両方折り合いがつかないから、では、両方とも仮想敵国にしよう、こういうむちゃくちゃなことがあるわけであります。そういう本来つじつまが合わないものを、政治家の方々離合集散で無理なつじつまをつけられた結果がひどいことになるという例はあるわけです、先ほど私は、減税党と福祉党という仮定の党派でこういうことを申し上げたのですけれども。  ですから、その党派の中で一体何をやって何をやらないかというけりをつけるのが大事だ、その方向に十分行っていないというのは戸井田委員おっしゃるとおりでございますが、しかし、その方向にやはり進めるべきだし、前よりは進んでいるのではないかということでございます。  最後の、具体的な党議拘束の問題でございますが、私は重要法案においてはやはり党議拘束はあるべきだと思います。そうでなければ政党意味はございません。そうしなければ結局何が起こるかというと、財政赤字が累積して、そして後世にツケを残すということなんだろうと思います。  私は、政治家も国民も、今の時代のことは今の時代で処理していく、次の時代に荷物を残すようなことはすべきでないということで、パッケージ化というのをむしろ推進する方向が大切だというふうに考えております。
  101. 石川真澄

    石川参考人 最初に戸井田委員の方から二・五党制だという午前中の曽根泰教さんの御発言が紹介されましたけれども、ついそれで連想したんですが、一九五五年、いわゆる五五年体制と言われているものができたときというのを私は記憶しております。  それは、五五年に自由党と民主党が合同して自由民主党ができて、左派社会党と右派社会党が一緒になって統一社会党ができた。この二つと、あとの政党日本共産党が四人いただけであります。当時、四百六十七議席のうちの四百六十三議席自民党か社会党という状態ができた。その状態のときに人々はどう言ったかというと、これで日本もいよいよ英国流の二大政党制に向かって進んでいる、できたというふうに言ったのが大半であります、マスメディアも含めて。  今回、小選挙区制を導入したことによって、二党制になりつつあるというふうな評価をする方が大変学者の中には多うございます。そして曽根さんは、それに対して、民主党を無視しちゃいかぬぞというふうな気分から二・五党制という表現をおとりになったんだろうと思いますが、私としては、今現在の状況判断しますと、やはり自民党の一党優位体制がさまざまな曲折を経て再構築、強化されつつあるというふうに理解するのが一番正しいのではないかというふうな政局観に立っています。  その間に、したがって、議員さんたちの移動がございます。例えば、新進党から既に七人の方が自民党に移っておられます。そうしますと、これは公約も何もない、政策の違いを際立たせるというふうなことではないということが、あと二年数ケ月の間により大規模に行われるとするならば、その間にあって、党議拘束というふうなものがどういうふうに進展していくかというのは、単に理論的に、あるいは政党とはかくあるべきものだというふうなゾルレンからだけ議論をするわけにはいかないだろうと思っています。  私、大変田舎の新潟県からですが、今の政治の運営をずっと見てみますと、党議拘束があるなしにかかわらず、各政党の中の個々の代議士たちは、みずからの信念なり、みずからの個人的な良心に従って行動するというやり方を強めつつある。これを評論家ないしは学者から、それは政党としてはおかしいなどというふうに言っても、多分全く効果はないでしょう。  恐らく、政党あり方なり個々の議員の行動なり、あるいは政党の合従連衡その他のさまざまな動き、派閥の復活、族議員のどうのというふうなことは、結局のところ非常に大きく流動しつつある現状というのを見せているのであって、それを党議拘束をすべきだと私は言えないし、党議拘束を外した方がいいとも私は言えません。  これは、やはり政党とはそういうものだというふうな観念自体が、私は若干、現代から見ると古めかしくなってきつつあるんじゃないかなどということをとつおいつ考えているところでございまして、結論、どうもあいまいですが、そんなふうに思っています。
  102. 野澤雄三

    野澤参考人 私は、重要法案については、公約との関係からいうと一定の拘束があってもいいんじゃないかと思います。ただ、物事が決まる、決定までの過程が今やはり見えなくなったんではないか、連立になってなおそのことがわからなくなってきたというような気が率直にしております。  日本の場合は、国会にかかるまでに調整がされて、調整されたものが国会でかかり、それが無修正で通ってしまうということでありまして、ドイツの場合は、これは労使協議制もそうですが、やはり双方から出たものをその中で議論をし調整をする、そして物を決めるという一つの思想なり思いがあるわけでありまして、そういう意味では、私たち連合の意識調査の中でも、連立政権の方向でいくべきだという意見が今大勢を占めておりますが、問題は、さまざまな法案を含めて、その過程と双方の主張がはっきりとわかるような政策提起なり議論あり方ということをぜひ国会の場でやっていただきたいということが、私どもの思いでございます。
  103. 戸井田徹

    ○戸井田委員 それから、政治資金のことなんですけれども、私、俗に言う二代目なんですけれども、先代のときからずっと個人献金というのをやってきたんですね。それは、郵便振替用紙を使って、自分の機関紙に入れて、それであくまでも向こうの有権者のサイドでもって、自己判断で郵便局まで持っていって、金額も自分の希望の金額を書いて献金する、そういうシステムになっているんですけれども、これを二十年ほど続けてきて、割と安定した状況で入ってくるんですね。だだけれども、それで事務所の経費が賄えるかといったら決してそうじゃないわけなんです。  今度、代がわりしまして、私になっても同じように来るんだろうかと思って、同じようにやったわけなんです。そうすると、当初自分が考えたよりもいい感じで反応が返ってくるんですね。ですから、割とこの個人献金というのは、運動さえしていけばそういう広がりというのはかなりあるんじゃないか、だけれども頭打ちがあるんじゃないか、そういう感じがするわけなんですけれども、ある一定の人はそういうものを理解してくれる。  ただ、これを伸ばそうと思ったら、やはり政治資金をいかに透明化していくかということにつながっていくんだろうと思うんです。政治献金の収支報告についても、世間一般で納得するのは、私は、企業のあれと同じように税理士なり第三者が入って、同じような整理をしながらそれを報告していくという制度をとったら、かなり理解が高まるんじゃないかなと思うんですけれども、その辺に対しての御感想なり、またお考えがありましたら、ちょっとお聞かせいただきたい。
  104. 北岡伸一

    北岡参考人 先ほど申しましたとおり、今の課題は出の部分をいかに透明にするかということだろうと思います。そこに努力を集中していただければありがたいと思っております。
  105. 石川真澄

    石川参考人 今、戸井田さんの個人献金がかなり大きな比重を占めているというのは、大変すばらしいお話だと思います。  お聞きになっているのは政治資金規正のあり方のようなことだというふうに理解して申し上げますと、民間人による選挙制度審議会という大それた名前をつけた団体がございまして、私そこの委員をやっているんで、大変口幅ったいんですが、そこから政治資金に関しては提言一つだけ出ております。それは非常に簡単なことです。すべての政治資金の出入りをすべて小切手で行うというだけであります。  結局、政治資金は、現在の政治資金規正法も恐らく精神はそうなっているはずでありますけれども、およそ政党の活動を支える資金に関しては何の制約もないということを原則にし、ただし、その出と入りに関して、特にどういう使い道で使ったかということ、それからどこから入ってきたかもそうですが、それを全部ガラス張りにして、完全にわかるようにして、そしてそれの是非については国民判断するという、この三つの条件で政治資金規正が行われているはずであります。現在の規正法でもそうです。  ところが、その規正法がそのまま、いわば大変申しわけないけれども、実行されていないというのが国民的常識である。とするならば、ネックは、やはりまず全体を本当にわかるようにするためには、例えば小切手という形でもって、記録の残るもの以外の資金は使わないということをやってみるのが一案かというふうに実は思っています。  ただ、問題は、今アメリカの状態などを、北岡さんの方がお詳しいんですが、見ると、アメリカもそのような原則によって非常に透明度は高いにもかかわらず、政治あるいは選挙に非常に莫大なお金がかかって、かかり過ぎる。そして、大企業からの献金というものに極めて大きく依存する部分が出てきて、それに対して有権者が必ずしも批判をしていないという問題が出てきているという問題があるので、私、万能薬とは思いませんが、とりあえずアメリカの段階にいく前にでも、本当に透明度を高めるためにはどうしたらいいかということを真剣に考えるべきだろうというふうに思っています。
  106. 野澤雄三

    野澤参考人 まず口座の登録をする、それから現金扱いは一切しないということが基本ではないか。それと、個人寄附を高めるということでは、今の証明書の発行は大変手間暇かかるということをお聞きしておりますから、こういう税の控除を受けることを含めて、簡単な形でできるように簡素化をすべきではないか、そのことによって企業なり団体のものも廃止をするという方向に行くことができるのではないかというふうに思います。
  107. 戸井田徹

    ○戸井田委員 どうもありがとうございました。
  108. 中馬弘毅

    中馬委員長 次に、西野陽君。
  109. 西野陽

    ○西野委員 新進党の西野陽でございます。きょうは、お三方の先生方にはさまざまな御示唆を与えていただきまして、大変どうもありがとうございます。  現行選挙制度というものを実施されまして、現実にさまざまな問題が惹起している。だけれども、以前の中選挙制度よりは、現行制度の方がベターなのかな、私もこう思っておるのです。ところで、現行制度のさまざまな問題点は、いろいろな角度であると思うのですけれども、まず、重複立候補の問題についてお三方の先生方からも御意見を聞かせていただきまして、さらに定数の問題でも若干時間がありましたらお尋ねをしたいなと思うのです。  まず、重複立候補につきましては、先生方も御指摘がありましたとおり、この制度自身は、小選挙区で増加します死に票ですか、こういうものの緩和をするために、民意をくみ上げなければならぬという点で採用されたように聞いておりますし、また、お話がどなたかからもありましたとおり、大政党には比較的優位と見られるわけですけれども、他の党とのいわゆる救済措置的な意味でこれが取り入れられたのではないか。  さらには、中選挙区でございましたら複数の方が当選できるわけですけれども、いわば落選の可能性が出る方も国選挙区であるわけですから、それに対する安全ネット的なものが用意をされて、既得権を得ようとする当時の現職議員方々の思いが出て、ああいう重複立候補というものが採用されたのかなというふうに私は思うのです。  ところが、この制度を実施しまして、これも一部御指摘がありましたとおり、比例区で敗者復活をされた方が八十四人と、これは全体の比例区の四二%にもなります。野澤先生も御指摘でありましたとおり、小選挙区の三位以下で当選をされた方が二十八人おられます。現行法定得票数に満たなかった方が八人おいでになります。いわゆる供託金を没収された方で比例で当選なさった方がお二人おいでになります。こんな実態でございますね。  そこで、さらに私は一つ疑問に思うことは、小選挙区でいわゆる三位以下の方が比例区で当選をするというのは、どうしても理解ができないのでございます。さらに二つ目には、法定得票とは法律で定めているわけでありまして、法律で定めてあって、落選をしておるけれども比例区では当選するというのも、これはどうも矛盾して、私の頭では理解ができないのでございます。三つ目は、先ほども申し上げましたいわゆる供託金の没収というのも、いわば法律で断罪していくわけでありまして、それが今度は並立している同じ選挙比例区でまた当選するというのも、どうも納得がいかない。さらには、重複というのは二種類の選挙で同時に立候補できる、おのおの立候補できるというのも、何か理解ができない。  こんなさまざまな問題点参考人先生方からも一部御指摘のあったとおりでありまして、むしろ先生方は、惜敗率はなくさなければならないという御意見がほとんどのようでございましたようですが、私としてはこの際、もう重複立候補制度というのはやめるべきではないかと、今申し上げたような私なりの理由を持っておるのでございますが、この機会に、重複立候補につきまして、北岡先生から順次、石川先生、野澤先生と、惜敗率にとどまらず、重複という問題についてはなくすべきではないかと思うのですが、改めてその点だけお尋ねをしたいと思います。
  110. 北岡伸一

    北岡参考人 私、全体に思っておりますのは、非常に大きな改革をやろうとする、大きいといいますか、手の届く範囲でですが、それで時間がかかる、それでいつまでもできないというよりは、できることを早く決めてしまうということが大事だろうと思っておるのです。そのために最低限、惜敗率はやめてほしいということを申し上げているわけです。  重複につきましては、これは幾つかの考え方がありまして、ベストが何かというのは難しい問題だと思います。私は、小選挙区と比例の両方の制度があるというのは、少なくともこれはしばらく残すべきだと思っております。それから、できれば変えた方がいいなと思うのは、比例の方を全国にした方がいいのじゃないかと思うのですね、ブロックではなくて。何よりも、その政党にとっていろいろな意味で重要な人を上の方に出してこようということですから、ブロック別というのは余り意味が通らない、それが二番目に重要じゃないかと思っているのです。  重複というのは、先ほど申しましたとおり二つの別の原則でございます。ですから、今ある重複には二通りありまして、つまり、本当は小選挙区で出したいのだけれども、その保険で比例区に公認する、こういうタイプと、本来比例の方なんだけれども小選挙区にも出ていただくということがあるわけですね。この後者の場合について、法定得票だ、供託金だという問題が生じているわけであります。こういう方は、本来比例に出られる、比例で通すべき方で、そういう人が当選するのはいかぬということは私はないだろうと思うのですね。  ですから、これはゲームのルールですからそれぞれ一長一短があるということで、私はどれにも利があると思うのですけれども、それを議論しているうちに何年もかかってしまうことはぜひ避けていただきたいというのがお願いでございます。  ただ、言えることは、二つの別の原則ですから、重複は例外措置なんですね。ですから、少なくとも非常に限定してしかるべきものだ、数を限定するとか、あるいは西野委員おっしゃったとおり、一定数に満たないものは排除するとか、それはあり得べき措置で、早急に合意が得られれば、この委員会でそういう方向をまとめていただければ、私は一長一短あって、どれが絶対いけなくてどれが絶対いいという意見は、これについては持っておりません。
  111. 石川真澄

    石川参考人 西野さんのお気持ちは、私は理解できます。とてもじゃないがこんなのはわからぬというふうな言い方をなさいました。それは私、大変生意気を申しますが、我々の国の選挙制度というものが従来一貫して、参議院比例代表区ができる以前、八三年以前までは、明治以来ずっと、人の名前を書いて投票して、その数の多い順に当選するという仕組みを守ってきた。あらゆる選挙がそういう仕組みですから、何といっても選挙というのは、人の名前を書いて、例えば議員さんの側からいえば、おれの名前を何万という人が書いてくれたという重みでもって議会に出てきて、そして活動する、これが基本だというふうにお思いであるに違いない。  その結果として、今度の新しい制度のもとで、小選挙区制で当選するということが第一義と思われている方がいらっしゃる。そういう考え方からすると、小選挙区において法定得票数に達しない、あるいは供託金没収の程度しかとれなかったのに何で当選するんだというのは、あくまで小選挙区の中の仕組みの方を優先させる考え方だと思うのです。  これは、一つには開票の順番もあります。開票の順番として、各都道府県選管はどういうわけか習慣的に、同時に開票しているのでしょうが、整理がおくれるのでしょう、大抵の場合に、参議院選挙もそうですね、選挙区の開票が先に済んで発表になって、その後で比例区が開票されます。その結果として、小選挙区で落ちた、供託金没収だというのだけが見えて、それからしばらく時間がたってから、あ、比例区でまた当選したんだわという感じになります。  ところが、選挙というのは御承知のとおり、言うまでもないことでありますけれども、夕方の六時に投票を締め切って、箱が二つあって、その箱の中で既にそれぞれの当選者は確定している。それをただ見ていくだけです。  そして、仮に比例区の方を先に開票するならば、例えばこの人は比例区で当選した人だということが先にわかります。後から小選挙区の方を開いて、重複立候補していたとして、後から、ああそうか、小選挙区では落ちたのかというだけのことでありまして、比例区で当選が決まるということはそういう意味である。つまり、小選挙区の当落に従属していないのが比例区での当落であるというふうに見るべきでありましょう。  そうすると、先ほどのお話のように、野澤参考人のお話では、比例区で当選確実な者は小選挙区で重複立候補しても余り熱心にやらないというふうなことが指摘されていたようでありますが、実はそうではなくて、比例区において当選しておいて、小選挙区で仮にその人が重複立候補して当選すれば、比例区の名簿の自分の同僚、同志の下の方の人が一つ必ず繰り上がるわけですね、小選挙区で当選してしまえば。そのために、彼は自分の同志、我が党のことを思えば、仮に比例区で当選確実であっても小選挙区の方で懸命に頑張るに違いないと私は思っています。  そういう点で、復活当選というようなマスコミの言い方にも確かに問題があります。ただ単に順番の違いを、あたかもそれが一たん落選した者がよみがえったような、ゾンビ議員などという大変失礼な言い方まで出てまいりますが、私はそういう考え方には実はくみしておりません。これはあくまで比例区での当選者であるということであります。  これは日本だけではなくて、例えば、内容はもちろん大きく違うのですが、ドイツにおける小選挙比例代表併用制のもとでは、先に比例区の方の結果がわかって、コールさんもゲンシャーさんもそこで当選する、しかし小選挙区では落選するというふうなことがしばしばあって、そのことに何の違和感も持たれていません。むしろ、本当に懸命にゲンシャーさんなりコールさんなりが小選挙区で当選しようと思うことは、名簿一つ下の人までがちゃんと当選するよということをやりたくて一生懸命にやっている、そういうふうなことを私は承知しております。  以上でございます。
  112. 野澤雄三

    野澤参考人 今回の選挙制度が変わったことについての国民への周知徹底なり政党側の準備そのものが、期間的にやはり足りなかったのではないかということが前提にあるのではないかと私は思います。  石川先生からお話ございましたが、妥協産物と言うとしかられますが、この重複立候補も、ある面でいいますと、現職の方を含めての一つ妥協産物ではなかったのか。本来ならばといいますか、これは衆議院参議院の両院の役割をどう考えるかという中で検討されるべき性格のものであるのではないか。  例えば、従来、衆議院が四百七十台であったものが数がふえて五百に今回なったわけであります。参議院の方は定数是正するかどうかとなると、衆議院がふやしたのに参議院がなぜ減らすのだというような話が横から聞こえてくることもあるわけでありまして、そういう意味では、先ほど例に挙げましたけれども、少し矛盾を解消しながら、比例については順位を明確にして、石川先生おっしゃったように、これは比例で当選させるんだ、また、小選挙区では無理だけれども、やはり国のためを考えればぜひこれは比例で出すべきだという政党側の判断ができるような、そういう一つの要素をやはり生かすべきではないか。  したがって、定数は変えないということであれば、そういうものを少し制度的に改善するということであれば、私は、小選挙区の方の、今三百と二百ですが、これが例えば三百五十の百五十になるのかどうか、そういう方向での検討がむしろ一つの検討すべき方向ではないか。  ただし、参議院の方も、今、比例なり、また定数の二百五十二があるわけですから、両院のそれぞれの役割、二院制の持つ意義を御検討いただく中で、これらについては合意を得るようにやっていただければというように思います。
  113. 西野陽

    ○西野委員 もう余り時間がありませんのでそれで議論するわけにはまいりませんが、大いに参考にさせていただきたいというふうに思っております。  一言、できましたら石川先生と野澤先生に簡単にお答えをいただきたいのですが、いわゆる世を挙げて行財政改革、とにかく改革をしよう、こういう要請でございます。  そういう中で、ひたすら物を言う国会議員だけが定数を減らさないでほかは改革をしろと言っているのは、みずから政治家が汗を流してないではないかというような批判が仮にあるとするならば、私は、やはり議員というものは、この時代、御指摘のあったように官主導から政治の主導に切りかえるべきときですから、国会議員の数を減らしてやっていけるのか。外国の例を見たって、先進国を見たって、我が国は決してそんなに多いとは思われない。これらのことからして、まず、先立つ地方分権なるものを確実に実施した上で、そして国会議員としての役目が少し地方に移された場合は国会議員を減らしていく、そういう段階を持つべきだという考えなのです。  両先生、これについて、定数減という問題についてはいかがですか。
  114. 石川真澄

    石川参考人 この問題は、私、あちこちで言ったり書いたりして、一番困る問題です。  というのは、私は世論に従った政治が本当の政治だと思っていますが、世論に聞けば、国会議員の数が多すぎる、減らせという議論の方が圧倒的に多い。減らす必要はないというふうな、私はそう申しております、基本的に西野さんと同じ立場ですが、それはまことに少数説であるということをいつも骨身にしみて感じております。  しかしながら、やはり私は、少数派ではありますけれども、西野さんと同じように、現在の国会議員がみずから定数を減らすということは、例えば五十人減らすにしても、五十人というのがむだだということをみずからお認めになったということにしか考えられません。そして、実は議員一人一人が国民の、あるいは有権者でもいいのですが、国民のどのぐらいの人々を代表しているのかというふうな感じでいいますと、日本は依然としてほかの国々と比べてまだ多過ぎるくらいです。  であってみると、これでもっと議員定数を減らせば、一人の議員代表する国民の数というのはますますふえます。ということは、国民代議士との間の距離が開いていくのだというふうに理解しても、そう大きな間違いにならないだろうと思っています。そういう点で、私は、五百人というのは決して多いとは思っていません。  ただ、参議院制度の場合には、参議院との関係ではさまざまな考え方があるだろうというふうに思っています。
  115. 野澤雄三

    野澤参考人 私野澤の方も、参議院については定数はやはり見直しをすべきではないか、これはこの院とは関係ないわけですが、思います。  西野先生からも御指摘がありましたが、むしろ地方分権を進めていく中で、例えば今、県会議員だとか区会議員だとかおられるとか、国会議員を選ばれる範囲よりも政令都市の方が範囲が広いとかいうことで、それぞれ役割の違いはあるにしても、そういう地方の改革をいかにするかということに早く手をつけないといけないのじゃないか。  そのための一定の納得性を高めるということで国会みずから定数を再検討しようということであれば、それは主体的にやっていただいたらいいことであって、四百七十から五百にされて、また減らすとかいうことじゃなくて、それはそれなりの中での役割をきちっとやっていただいて、そして地方を含めてどうしていくかというようなところとうまく結びつけられるようにぜひ御検討いただければというように思うのが私の意見です。
  116. 中馬弘毅

  117. 木島日出夫

    ○木島委員 日本共産党の木島日出夫でございます。  石川参考人から、選挙の目的は第一に国会をつくるためであるという御指摘、そして、日本政治組織は議院内閣制を採用しておって、第一院の多数派が内閣首長の座を占めるのであるから、その議員選挙内閣首長の間接選挙役割を負っている、したがって、選挙制度についての議論に政権のつくり方が絡まるのは当然だ、ただ、それは第一義ではないという御指摘、国会を組織する方法の選択と内閣をつくる方法の選択との間に理念的な対立、矛盾があったときは、国会をつくる理念の方を優先すべきだ、まことにすばらしい御示唆だと思うのです。  私も、選挙の第一の目的は国会をつくることにある。そうしますと、民意が、よく鏡のようにとか言われますが、議席数に正しく反映されるのが一番の目的だと考えている者の一人なんですが、北岡参考人に御意見を伺いたいのですが、逆に参考人の方は、民意がゆがむという小選挙区制への批判はメリットだという御意見でありました。石川参考人からのこの指摘を北岡参考人の方はどう受けとめるのでしょう。
  118. 北岡伸一

    北岡参考人 ゆがむのがメリットだというのは曲解でございまして、相対的に多数をとった政党がプロポーショネートにより多い議席をとるのがメリットだということでございます。ゆがむというのはちょっと、元来価値判断を含んだ言葉でございますので、そういう意味ではございません。  石川先生は最近の趨勢だというふうにおっしゃいましたが、しかし、もっと最近の趨勢は、政治があらゆる仕事をしょい込み過ぎる。あれもこれも政治の責任というふうにしょい込んでくる、そして身動きがとれなくなってきたというのが最近までの先進産業諸国の趨勢なんですね。ですから、いろいろな国で、ほとんどあらゆる国で財政赤字というのが大問題になってきて、そしてそれを何とかしなくてはいけないということに、今先進諸国はみんななってきているわけです。  ですから、先ほど申しましたとおり、例えば歳出と歳入のバランスをとるとか、そういうことをきちっとパッケージとして出すというのが必要であって、政党がたくさんあってどこから総理大臣が出るかわからないとか、それから、前の自民党時代でございますと、どの派閥のリーダーが総理大臣になるかわからないというのは甚だ困ったことではないか。  国会が代表するというふうに言われましたが、議院内閣制というのは、議員を選ぶということと政権をつくるということが不可分であるというのがこの議院内閣制のゆえんでございまして、これはどちらが第一義というようなことではなかろうというふうに考えております。  もう一つ、この際重要なのは、民意というものに対するややフィロソフィカルなポイントなんですけれども、国民それぞれが政治に対して非常にはっきりしたアイデアを持っていって、それをプロポーショネートに代表してきてある決定に至るというのは、実はそれは事実に反しているということが、一方のデモクラティックセオリーというのにはあるわけでございます。  それはジョセフ・シュンペーターという人が最初にはっきり定式化したものなんですけれども、我々個人を振り返っても、あらゆることに意見を持っているわけではないわけですね。我々が意見と思っていることは、結局だれかが言っていることを幾つかのうちから選択するわけでございます。  つまり、言いかえますと、政党は、今日本が抱えている問題はこうで、そしてこのためにはこうしなくてはいけないと思いますということを相互競争的に有権者に示す。それを有権者が見る。つまり、いわば政党と、あるいは政治家、候補者有権者の間の対話ですね。そうしたキャッチボールの中から民意というのは生まれるものでありまして、民意があって、そしてアプリオリにあるという考え方は、どうもそれは私はとらないわけでございます。
  119. 木島日出夫

    ○木島委員 政党は政権を目指すべきものであって、そうした場合、ある個別的な政策だけを殊さらに取り上げて国民の歓心を買おうとするのではなくて、全体としてのパッケージを提示する、安全保障政策、財政政策、産業政策、それはそのとおりだと思うのです。それは政党の資質の問題であり、政党レベルの問題であろうかと思うわけです。  しかし、そのことと、そこまで水準がいっていないということと、国民が選択した結果、たまたまその選挙ではある一つのテーマしか提示しなかった、福祉のことしか言わなかった政党国民が一定程度票を集めて議席を与えたということを認めるか認めないかというのは、また別のレベルの問題ではないのだろうかと思うのです。その辺、どういうお考えですか。
  120. 北岡伸一

    北岡参考人 私が先ほど申しました、例えば福祉党とか減税党と言いましたのは、シングルイシューという意味ではございません。  例えば、二つの大きな政党がございまして、あるいは三つ、四つあるとして、一方に、小さな政府で、減税で歳入も減らし財政支出も減らす、歳入も歳出も減らして小さな政府でやっていこうという政党が仮にあり、そして他方に、いや、高福祉・高負担、福祉を充実させるためには少々税金が重くても仕方がない、こういう政党があったときに、これははっきりとレベルの違う問題なわけですね。妥協が極めて困難なわけであります。  しかし、その結果が仮に四〇対三〇%であったとすれば、一番起こりやすいのは、その二つ政党妥協して、両方の最も強く訴えていた点、つまり減税というのと、これは、多分ある政党にとっては減税が第一ポイントで、第二ポイントで財政カットというのがあるのですね。第二の政党には高福祉というのがあって、増税というのは余り言いたくないから、税金は多少上がってもしようがない、これが第二になるわけです。そうすると、両方の第一の主張同士をくっつければ、減税して高福祉をやる、財政問題はまた後で考えようということになりやすい。  私は日本政治文化ということを余り強調するのは必ずしも好まないのでありますが、そうしただれか人のせいにして責任を回避する、そして、自分が最終的に取りまとめるのではなくて、いや、あそこがこう言っているからこうなったのだというようなことは、実は近代日本史を通じて極めて多いわけであります。そういうことをむしろ排除するためには、四〇%の得票しかない政党が過半数の議席をとるということは、私はその程度のことは十分評価していいのではないかというふうに考えております。
  121. 木島日出夫

    ○木島委員 北岡参考人の方から、民意とは何かが問われているというお話がありました。石川参考人の方は民意が第一だというお立場だと思うのですが、そういう北岡参考人の問いかけに対して、石川参考人民意とは何かという点について、もっとちょっと掘り下げた御意見をお聞きしたいと思います。
  122. 石川真澄

    石川参考人 民意とは何かというのは、議論を始めるとなかなか大変なことで、今北岡さんはフィロソフィカルという前置きを置かれて、そして御意見を述べられました。私はフィロソフィカルな方はちょっと立ち入るのをやめて、政治の場面で民意とは何かというと、端的に、それこそ端的に言えば、どの政党を支持するか、どの候補者を支持するかという意思であります。  個々の政策に対する選択などはみんながみんなできないという北岡さんのお考えはまことにそのとおりでありますが、ただ、選挙をやるときにどの党を支持するか。もちろん、このごろ無党派層などというのができてきて、盛んに言われているのも知っていますが、しかしながら、選挙の約束事として言えば、政党に直接投票するとか、あるいは候補者投票した結果その候補者の所属する政党を支持したことになるという、フィクションも全部承知の上で選挙というのが運営されている。  とするならば、民意というのは、まさに政党によってその民意が集約されているという前提がないと、政党政治選挙も成り立たないというふうに思っています。そういう意味での民意がゆがめて伝えられる、議席の上ではゆがめて反映されるということがこの小選挙区制が持っている最大の欠陥である。  そして、なおつけ加えれば、小選挙区制の場合には、得票において多数派でない二番目の党が政権をとるということも、議席の上では第一番の得票数を獲得したところよりも議席を多くとって政権につくという例が、少なくともこの制度の手本と言われている英国においては戦後二度も起きております。したがって、得票における多数派が議席における多数派でなければならないという要件は、これはまことに、少なくとも日本国憲法はそれを予定していると思うのですが、そういうことの危険性のある制度であるということが小選挙区制の特徴であります。  したがって、少し外れていきますが、なるべく民意を正確に反映、鏡のようにとはいきませんが、私はよくおふろ屋さんの絵のようにと言っているのです。銭湯の富士山の絵がある。あれは、もちろんペンキ屋さんがかくのだから、大変ペンキ屋さんには申しわけないけれども、そう芸術的ではないことは確かである。しかし、だれが見てもあれは富士山だということはわかる。そのように反映する。全く富士山そのものでないことは確かだし、現代の写真のように見事にぴたり一緒の絵にはなっていないけれども、おふろ屋さんの絵のようにくらいには反映した方がいいのじゃないでしょうか、そういうふうに申し上げています。
  123. 木島日出夫

    ○木島委員 最後に野澤参考人にお伺いしたいのですが、今石川参考人から、民意とは何かについてのちょっと掘り下げた御意見も踏まえた上で、今回の小選挙区制は正しく議席に反映されていないと厳しい指摘が最初にあったわけでありますが、こういう根本問題について、野澤参考人はどういう御意見なのでしょうか。
  124. 野澤雄三

    野澤参考人 得票率が必ずしも議席に反映されていないということについては私の方も承知をしております。  ただ、民意ということとの関連で申しますと、私は学者ではありませんので、私の所感で申し上げれば、結局、選挙では公約があって、その政策の実現のためなりにその党を選んだ、その人を選んだ、しかし、選んだけれども、結果、国政の場でまた政策遂行の中で議論されていることは、その期待に全く一致しないような形で議論をされてしまったとかいうことがあるわけですね。そのことに対する修正がきかないということであります。  ある面でいいますと、制度でそれぞれ欠陥があるかもわかりませんが、それは話をする中で一定のルールを決めた、そのルールに欠陥があるかもわからぬが、合意したもので補えないものがあるとすれば、個別の重要政策によっては国民投票をやるとか住民投票をやるとかいうようなことも、一つの手法として取り入れられるような方法を入れながら、ひずみがあればそのひずみを直すというような工夫ができれば、それも一つ方法ではないかなというように私自身は思います。  それから、どちらかといえば、今回のイギリスの選挙はそうですが、この四年間に例えば何をやるのかというようなことをもっと鮮明にそれぞれの政党がやはり明らかにしていただいて、そして、先ほど申しましたように、その論議の過程で情報公開がきちっとされるというようなことが実行され、決まる過程がわかれば、それなりにそのことに対する理解なり、また、それに対する反対意見があれば、次の際に一つの自分たちのものを政治に反映させ、参加をするというまた別の条件が出てくるのではないかと思います。完璧なものはやはりまだまだ難しいのではないか、ひずみがあるものからどうひずみを取っていくかということで、少しずつ改善をすればというふうに私は思っております。  以上です。
  125. 木島日出夫

    ○木島委員 終わります。
  126. 中馬弘毅

    中馬委員長 次に、前原誠司君。
  127. 前原誠司

    ○前原委員 民主党の前原でございます。  きょうは、三人の方、本当にどうもありがとうございます。  木島議員と同じことを聞こうと思っていまして、引き続き民意の話をさせていただきたいと思いますが、石川参考人に対して御質問をさせていただきたいと思います。  専門家に議論を吹っかけるようで非常に恐縮な部分はあるのですけれども、この民意というのを、先ほどのお話ですと、どの政党、どの候補者を支持するかということだとおっしゃいましたけれども、これについてはいろいろな考え方があるのではないかと思います。  一つは、やはり選挙制度が何かということによって、出てくる政党の数と出てくる候補者の数、これは違ってくるわけですよね。中選挙区だったら五人から十人の候補者が争っていたのが、小選挙区だったら、特殊な例を除いて極めて少ないところで争わなければいけないということであります。比例代表になると、足切り条項なんかをなくすと、さっき話が出ましたシングル・イシュー・パーティーなんかも出てきて、それも支持される方がおられるというふうなことで、民意というものを政党候補者を選ぶものということにすれば、選挙制度によって全くそれが変わってくるということだと思うのですね。  それを突き詰めていけば、民意というのは、一番初めの話に戻りますが、やはり一人一人考え方が違う、すべての政策において一致するということはあり得ない。同じ政党にいても、この政策では一致する、大体の方向性では一致するけれども、個別については意見が対立することも各党ともあると思うのですね。  そうしたときに民意ということをやっていけば、多くの政党があることが、あるいは比例代表なんかで多くの政党が出て、それでもいいんだ、そしてそれで有権者の選択によって比例配分されて、連立政権もいいんだというふうなことになれば、どこまでそれが広がっていくかというところで収拾がっかなくなるおそれがあると思うのですね。おのずとどこかで集約はしなければいけない。その集約の程度というのはどういうものなのかというのを石川参考人にお伺いしたいと思います。
  128. 石川真澄

    石川参考人 今おっしゃった中の前半は、確かに、選挙制度によって政党の数ないしは一つ選挙区の中の候補者数というのは変わってくる、それはもうそのとおりであります。  ただ、どんな制度を使っても、基本的にはそうであるが、そうでないという部分のひだがあります。例えば、ジョバンニ・サルトーリという人の「現代政党学」というのが、七〇年代の中ごろに世界じゅうの政党システムを脇分けして、分類して提出しておりまして、これによると、例えば二大政党制、日本語で言っている二大政党制のことは二党制といりふうに言っています。  二党制は、これほど有名な、よく知られた政党システムであるにもかかわらず、その定義をどのように緩めていっても、実際には世界じゅうで幾つかしかない、六つか七つぐらいしか成立していない、しかもその中で政権交代が上手に機能しているというところはただ一カ国しかない、言うまでもなくイギリスである、そう書いてあります。多分、言葉がうろ覚えですけれども、そういう意味が書いてあります。そうしますと、実は、二党制さえ、小選挙区制をとっていれば必ず二党制になるというふうなことは断定的に言えないという部分があります。そのことを留保しないといけません。  私は、今の比例代表制は政党が破片化するというふうな御指摘は、その可能性はないとは申しません。しかしながら、中選挙区制も、もしこれを準比例代表制という認識で見るならば、これは、政党の数がちょうど穏健な多党制になり得る、数だけはそういうふうなものを用意していたというふうに思います。比例代表制の場合にも、したがって、さまざまな工夫ないしは政治家の対応によって破片化は防げると思っています。そう極端な破片化は多分ないだろう。北欧諸国の実例などを見ますと、必ずしも一人一党などというふうなものががやがやとたくさん出てくるという条件にはなっていないというふうに私は理解しています。
  129. 前原誠司

    ○前原委員 先ほどから北岡参考人野澤参考人がおっしゃっているとおり、私の考えは、集約の部分と破片の部分がある程度組み合わさったこの制度、もちろん百点満点ではないけれども、これだけ六年間に三人ぐらいの総理の首がすげかわった問題について、一回きりでこれを変えるべきではないと私は思うのですね。日本の国の経営と考えた場合には非常にロスが多過ぎる。そういう意味で、あと二、三回はこれをやるべきだというふうに思っているのですけれども、二、三回やれば、多分政党の集約がある程度また起こってくると思うのですね。  そのときに大切になってくるのは、党議拘束をどうしていくのかということ。つまり、さっきもどなたかおっしゃったように、党ではなくて個人投票するという思いの方がまだ強いという中で、その個人がどういう投票行動をしたのかという意味で、党議拘束というものをこれから緩やかにしていくべきではないかということ。  あるいは、アメリカにしても、共和党それから民主党ともにクロスボーティングが多いというふうなことも考えたときに、党の枠で考えるよりも、議員一つ一つ投票行動をこれから見ていくということが、新たに日本として考えていく部分ではないかと私は思うのですけれども、その点について、お三方の御意見をお伺いしたいと思います。
  130. 北岡伸一

    北岡参考人 若干前段にも関連させていただきたいのですが、破片化するかどうかということでありますが、従来の中選挙区だと、一、二の例外を除きまして、一番多いところが五人区でございました。五人区で一番厳しい競争が起こりますと、六人の人がデッドヒートを繰り広げるということになります。この場合は、絶対確実に当選するためには一六・七%の票をとればよいということですね。一分の六でございます。あるいは一〇%ぐらいでも大体手は届くかということになるのですけれども、そういう選挙と、一人区でデッドヒートだと五〇%プラス一とらないと通りませんので、こういう選挙だと、どういう政策をターゲットにしていくか、どういう有権者をターゲットにしていくか、しょせんこれは変わってくるわけでございます。  ですから、今石川先生が、前の中選挙区でもそんなに多くはならなかったとおっしゃいましたが、それはちょっと中選挙区と比例区をごっちゃにする議論ではなかろうかというふうに思います。  それから党議拘束は、私は何でもかんでも党議拘束とは思いませんが、例えば自分の党から総理大臣が出ていて、その不信任案の採決とか予算の採決とか、あるいはその党が多分命運をかけてやらなくちゃいけないような増税法案とか、こんなもので党議拘束を外すというのは、これはもうあり得ない話だろうと思うのですね。その線をどこに引くかというのは、それはその党の中で議論してお決めになり、それがまた有権者の批判を浴びるということであろうというふうに思います。  ついでに、アメリカとの対比を出されたのでちょっと触れたいのですが、アメリカとの大きな違いは、アメリカは議院内閣制ではないということでございまして、有権者は小選挙区の利害だけを代表してかなり通るわけでございます。日本の場合はそれが政権に直結する。政権に直結すれば、いざ政権を担ったらこんなプログラムでやれるかどうかという反省が働いた結果、さほど非常識でないある種の政策パッケージを出さなくてはいけないという強制が働いているのではないかというのが私の理解でございます。  お尋ねにはなかったんですが、さっきの政治資金の問題でちょっと一言だけ触れたいんですが、それは、アメリカの政治資金もいろいろ問題があると石川先生言われたとおりであります。アメリカの主たる問題は、膨大なお金が出るんですが、大体これはテレビですね、メディアにすごくお金を使うということを補足させていただきます。
  131. 石川真澄

    石川参考人 今、北岡さんが言われたことに反論していると切りがないので、党議拘束のことだけに絞りますが、私は、これは生意気なようですけれども、その優先順位をつくっていくのが日本の新しい政治文化をつくる実は先生方のお務めなんじゃないだろうかというふうに、ボールを投げ返したい思いがしております。  というのは、例えばフランスなどではきちんと憲法にまで書いてあるんだそうです、私、そんなに詳しく知りませんが。議員個人の良心に従って行動するというふうな規定があるそうでありまして、そうしますと、党の方針と自分の良心の内容とが違った場合には、どっちかというと個人の良心に従ってさまざまな投票行動をするというふうに聞いております。もし間違っているとお思いだったら、このフランスの例は後から訂正しても構いませんが。  そういうふうに考えるのか、それとも個人の良心などというよりも、有権者に約束した公約という方をもっと優先すべきなのであって、自分の私的な感情なり考え方なりというものをそうむやみやたらと出してはいかぬのだという考え方と、それはやはりどっちかにすっぱりと切るわけにはなかなかいかない問題ではないか。  私は、私の好みからいうと、実は個人の良心に従うということを第一義的に考える方が好きですけれども、それは私ごときの好き嫌いでありまして、日本政治家たちが今まさにそういう問題に逢着した、以前は党議拘束がけしかる、けしからぬというふうな議論さえなかったのに、せっかくそういうふうな議論が、そのことについてぜひ真剣に考えてみたいというお気持ちになられたことを前進と思って、そういう新しい日本政治文化をおつくりいただきたい。これ以上は言えません。
  132. 野澤雄三

    野澤参考人 先ほど、日本政治は何によって動かされているかという連合のアンケートがありましたけれども、官僚が四五で大企業や財界が四〇で政治家が二七・六ということですから、むしろ僕は、政治家が日本政治を仕切っているんだと、そうなっていただきたいし、そういう意味では、議員立法、こういうものをもっと優先できるような仕組みというものが必要ではないかと思います。  あえて言いますと、そういう意味では、党議拘束にこだわらず、各政治家の方々の主張が明らかにされるような、そういう方向をむしろ志向いただくべきじゃないかなというふうに私は思っています。
  133. 前原誠司

    ○前原委員 せっかくのメンバーの方々ですので、ちょっと広げた議論を最後にお伺いしたいのです。  これも政治立場が本来なら考えるべきところでありますけれども、参考にさせていただきたいという思いで質問をさせていただきます。  地元に帰ると、どの党がどういう考え方なのかよくわからない、こういうことを言われます。確かに、冷戦時代の自民党と社会党の違いのような、何か本来よくわかっていないんだけれども、主要なテーマについては明確な違いがあったので、そこら辺の好みでびっしり分かれていたという部分があったと思うんですね。ただ、共産党以外はある意味ですべて政権を経験して、そしてその難しさもわかるようになってから、何かそれこそ総与党化といいますか、違いが非常に明確でなくなってきた。  私、大学のときに、高坂正堯という人に習ったんですけれども、あの先生がよくおっしゃったのは、野党は違いをとにかく明確にしろ、与党とこの部分は一緒ですと言ったらだめなんだ、この部分が違いますということだけを言わなきゃいけない、こういうことをおっしゃっていまして、そういう意味で、野党にある立場が常に与党との違いを明確にしていくということが、これから必要だと思うんですね。  そこで、二つか三つかの政党に分かれていくとは思うんですけれども、その分水嶺というか対立軸の話をお伺いしたいのですけれども、これからどうなるのか、あるいはどのようにすべきなのか、それでも結構ですので、ちょっと教えていただきたい。  政治家が考えることなので、私が漠然と考えているのは、やはり政府の大きさとか効率性の問題が一つ判断基準になるのかなと思いますね。今、行革とか財政再建、規制緩和というのはありますけれども、その改革に対する真剣さというか痛みをも乗り越えてやるかやらないか、そこら辺も一つの違いになってくるだろうと思います。  この辺もなかなか有権者には直に伝わらないテーマですので、お三方にぜひ、参考にさせていただくために、今後の政党の対立軸、違いというものについてアドバイスをいただければと思います。
  134. 北岡伸一

    北岡参考人 ある二つあるいは三つの政党がありましてみんな政策が似てくるというときに、必ず違いがあるんですね。それは、与党と野党ということでございます。ですから、野党というのがありますと、与党はやはり今やっていることからそれほどかけ離れたことは言えないわけでありまして、野党というのはもう少し先のビジョンを語ることができます。したがって、必ず違いが出てくる。こうした与野党間の競争というのは、私は政治システムの維持に非常に重要なものだと思っております。  つまり、人間がやっていることですから、必ず政府、政権は失敗する、そしてそういうときに、かわってこれを担当する勢力があるかないか、これは極めて重要なことで、野党が大変重要だ。日本政治文化では、みんな与党にすり寄っていこうとする傾向が長い伝統としてあるんですけれども、これは非常に困ったことで、野党がしっかり頑張るというのは非常に重要だろうと思います。したがって、仮に考え方が似ていても、ある程度色合いが出てくることは不可避で、間違いないと思います。  しかし、さらに申し上げれば、私、幾つかの外国に行ったとき、例えばオーストラリアでありますが、今度の選挙のおたくの政策はと言うと、ぽんと本が出てくるわけですね。どういう政策に何年かけてどれぐらいお金をつぎ込んでやるかという、そこまで具体的にしてくれば、漸進型、急進型という違いは必ず出てまいります。大きな政府、小さな政府ということでも、必ずやはりレベルの差が出てきますし、もう一つは、外交で日米機軸というのをどの程度どういう形でやっていくのか、あるいはもっとアジアにスタンスを移すのか、国連中心主義というのをどれぐらい熱心にやるのかということでおのずと出てくる。  それを、言葉のレベルのスローガンの違いに終わらせないで、そうしたパンフレットなりブックレットなりあるいは本のようなものにして、有権者に日々アピールするということが大事なのではないかというふうに思っております。
  135. 石川真澄

    石川参考人 私、言葉に割とこだわるたちなので、おかしいかもしれませんが、対立軸という言葉がしきりに持ち出されるのが一つの誤解を生んでいるんじゃないか。軸と言うほどにどんとすごいもの、軸というのはどういう意味でしょう、車輪のシャフトのようにそれがなくてはどうにもならない、そういう軸でありましょう。  その軸という言葉によると、それに適合しているのは、ついこの間まであった資本主義か社会主義か、そういうのを対立軸と言うのは余り違和感がありませんが、そういうものは今やないという理解に立っていけば、もともと大衆社会になって以来、まことに仮想の話ですが、先生方先刻御承知の正規分布曲線のように、もし仮に国民の物の考え方が、どう表現するか難しいのですが、例えばこっちが右でこっちが左でも構いませんが、そういうふうに分布しているとしたら、真ん中のところに一番大きく人が集まっている。  そうすると、一番大きく集まっている人のところから票をいただかなければ政権に近づくことは到底できないということになると、右からも左からも、右、左は余りいい例えじゃありませんが、違う政党があっても、なるべく真ん中の一番多いところをターゲットにして政策なり選挙運動なり政党の宣伝なりということを集中していきます と、必然的にその政策というものは、私は接近してくるに違いないと思っています。  この数年あるいは十数年の間に日本の中で進んできた状況も、恐らくはそのことを見事にあらわしている。したがって、政党の間でそう大きな考え方の隔たりはない。ないということを前提にした上で、それでは選挙のときにどういうところで違いを出すかという努力を政党がすべきであるというふうに思っています。  例えばそれは、政党としては真ん中辺をねらうので同じことを言っている、どの政党も、結局、増税はしません、福祉は進めますというふうなことを言うようになったときに、ここで私はマスメディアの出身者なのでちょっと申し上げにくいのですが、マスメディアというもののさまざまな選挙ないし政治に対するかかわり方を見ていて一番問題なのは、諸外国と比べて日本のマスメディアがよくないのは、議題設定、アジェンダセッティングということに関してまことに憶病で、不偏不党というふうなことを言って、その辺をないがしろにして逃げている。  本来、もし各政党の間に本当の意味での違いが見つからない場合には、この問題についてはどう考えるのだということを問いかけることによって、マスメディアが各政党の違いを明らかにしていく、そういう手続もあっていいだろう。むしろそのことの方が、マスメディアにもし公共的な役割があるとするならば、それこそが公共的な役割であろうというふうに実は思っています。  そういうことも加えていきながら、必然性の方向と、その中でわずかな違いにせよ違いを見せていくという努力を、国民の方もマスメディアもそれから政治家もしていくことになるだろう、恐らくこれはなっていくだろうという気がしています。
  136. 野澤雄三

    野澤参考人 きょう、朝、曽根先生おっしゃったかもわかりませんが、私たち民間といいますか、企業におりますと、私は松下なのですが、松下の製品を買うのか日立の製品を買うのか、いろいろ製品を並べますと余り違いはないのですね。違いはないのだけれども、やはりお買いになる方はそのうちの一台を買うわけであります。  そういう意味でいうと、やはり僕は、先生の方から今指摘がございましたけれども、私たち労働組合の場合でもそうなのですが、常日ごろからそういう主要なテーマについての議論をするという場を、そういう公開の場を余り設けていないのですね、決めたものをおろす、そういう習慣しかついてないものですから。むしろRアンドDといいますか、一番じゃないけれども二番だから買ってくださいといりわけこまいかないので、やはりいっかは一番になるのだというシェア争いを感じていただいて、その間にそういう材料を広く出して、それを議論するような場をやはり国民の前でつくるということが一番重要なことじゃないか。  だから、二番、三番に甘んじていただくのじゃなくて、やはり一番を目指して、政権を目指してどうするかというところは捨てないで、私どもから言いますと、政党間のさまざまな協力、協調関係を持っていただいて、ぜひ日本政治に役立つような取り組みをしていただきたいなというように思います。
  137. 前原誠司

    ○前原委員 終わります。
  138. 中馬弘毅

    中馬委員長 秋葉忠利君。
  139. 秋葉忠利

    ○秋葉委員 社民党の秋葉でございます。  午前中の参考人の皆さんにも同じようなことを申し上げましたので、最初同じようなことをちょっと繰り返させていただきます。  午前中もそうでしたけれども、参考人の皆さんの御意見を伺っていて、やはりこうした冷静な議論がきちんと行われているということ、これがこの制度が導入される前に行われていれば、制度導入後に、あれは熱病にかかっていたので申しわけないなんということをたくさんの議員が言わなくても済むことになったのではないかということで、ちょっと残念なのですが、その反面、今の時点ででもこうした反省が行われているということは、高く評価したいと思います。  もう一つ午前中申し上げたのは、とはいえ、例えば諌早湾のあの干拓のように、一度干潟を殺してしまう、ムツゴロウを殺してしまうと、それは後であれは間違いだったと思っても未来永劫もとに戻らないわけですけれども、選挙制度というのは幸いなことに非可逆的な制度ではありませんから、間違ったと思えばいつでも前に戻せる、あるいは新しいものにつくりかえることができるという意味で、これは非常に生産的な議論でもあるということで、何点か伺いたいと思います。  一つは、野澤参考人が今おっしゃっていましたし、石川参考人もちょっと触れられたと思うのですが、国民投票ですね。  私はアメリカにかなり長く住んでいたのですが、アメリカの選挙は押しなべて投票率が低いのですけれども、それが活発になるときは、大体、国民投票ではありませんけれども、住民投票選挙と一緒に行われるような場合なのです。日本でも住民投票が脚光を浴びてくるようになりましたし、選挙の活性化という面もあると思いますし、それから直接民意政治を動かすというようなことから考えても、国民投票をもっと大胆に導入していくような方向を私たち積極的に考えるべきだというふうに思っております。  それを今の選挙制度、あるいは近い将来変更されるべき選挙制度にどういうふうに織り込んでいくかということが大事だと思うのですが、その国民投票の国政における位置づけについて、簡単に三人の参考人の方から伺いたいのです。
  140. 北岡伸一

    北岡参考人 私も、日本あり方はもう少しそれを生かしていく方向に動くべきだろうと思います。ただ、先ほど来私が危惧しておりますように、民意の分散化といいますか、そういうことが起こることも一方の危惧であります。ただ、そこを強調してまだ何も動かさないというわけでは、私はそういう立場ではございませんが、将来的には国民投票万能になることには不安を持っております。  ただ、もう少し取り入れるべきだ、そしてまた、憲法には選ばれた代表を通じて行動するというふうにございますので、これを本当に本格的に政治の核心に持っていくためには、憲法改正ということになるのではなかろうかという理解を持っております。
  141. 石川真澄

    石川参考人 今の秋葉さんの、こういう議論を導入前にすべきだったということにはまことに同感でありまして、実はこれは、せんだって、約十日ぐらい前に日本選挙学会という学会のことしの総会、研究会がございまして、やはりこの制度の検証というふうなことをテーマにした分科会がございました。  そこで司会者の先生が全く同じことを言ったということは、当選挙学会という学会においても、今検証するよりも、つくろうとしている、つくりつつある議論があるときに、その学会の主要なテーマとしてこれを議論すればよかったと思うというふうに改めて反省したりしておりましたから、これはあに国会ないしはその他世論等々の問題だけではなくて、本来こういうことを事前に論議すべき学会もまた怠慢であったというふうに、今思っているところであります。  国民投票のことでありますが、私は、最近これを歴史の狡知というのでしょうか、ずるい知恵、歴史というのは、歴史学者を横に置いて生意気ですけれども、歴史というのはおもしろいもので、例えば、先生方には大変失礼ですが、代議制の衰弱というのはまことに覆いがたいと思っています。いろいろな面で、国会のみならず代議制そのものが衰弱しているというのは、端的には投票率のとどまるところを知らない低下というふうなもので、人類がせっかくここまで開発し、育てて広げてきた代議制というものが今非常に大きな壁に突き当たっている。  これは日本だけではなくて、そしてまた、この間の細川内閣以後の日本の政局の混乱だけが理由ではなくて、もっと深いところで静かに進行している代議制の衰弱現象というのがあるというふうに思っています。  そうしますと、そこへもってきて住民投票が行われました。住民投票というのは、まだ三千三百ある自治体のうちの二つ、岐阜県の御嵩町を入れても三つですから、千分の一に達しないので、これは芽と言うのにもまだまだ小さいのですが、恐らくさまざまな、衆愚政治はだめだとか、いろいろな議論がある中で、多分、これも後戻りができないで進んでいくだろうというのが歴史の指し示す方向だというふうに一応理解してみたい。  そしてそのときに、そのような方向を技術的に補うために、先ほど申し上げたような電子情報システムというものがほぼ完成をしているという状態になると、実は、全国民投票あるいは全町民、全市民、全県民の投票というのが今よりはるかに楽に、安価になってまいります。そういう代議制の衰弱、それから住民投票実験、そして電子情報システムの完成という三つのものが同時並行的にこれから進んでいくことによって、国民投票、つまり直接民主制の発動というのは、やはり動かしがたい方向を見せていくだろうというふうに日本では思うべきだと思うのです。  ただ問題は、秋葉さんも御指摘のように、国民投票をするときに、どんな問題について国民投票なり住民投票をするのかということを、一体どんな機関が、あるいはだれが発議し、決めるのか。そして、その問題を国民なり住民なりに問いかける文章、設問は一体だれが書くのか、つくるのか、どの機関が決定するのか。  そして、その主題に関して十分で公正な情報がどのようにして与えられるかということの中に、一体マスメディアというのは信用できるのか、そういう問題をそういう投票に仰がなければならないようなときに信用できるのかといったような、いわばソフトウエア的な問題の方が全く何にも今考えられていないということの方が問題であろう、この辺がきちんとしないと。それから、北岡さん御指摘のような危険性というふうなものにも十分配慮するような、そういう形での準備の方がむしろ余りにもおくれている。  例えば日本国憲法では、憲法改正のときの国民投票をきちんと義務づけておりますから、必ずしもすべてのことを代議制のみによって片づけようとしているわけではない。しかも最終的な、重要な決定を国民投票に委任しているというふうに読み取るならば、私は、国民投票法さえできていないということの方がはるかに問題だろうというふうに思っています。そんなことです。
  142. 野澤雄三

    野澤参考人 私は、選ばれた議会が民意をその都度重要なものについては問うということで、一つ役割があるのじゃないか。例えば議会が物を選択するときこ、多数決で一つを決めるのじゃなくて、拮抗した場合はAとBがあります、このことについてどうなのかということを問うという性格でもいいんじゃないか。そのことによって、その政策の持つ意味なりその進む方向について、議会と民意といいますか、その間の距離がより近くなるということであります。  憲法上その他の整備はさまざまあると思いますが、現に議会が優先順位一位に今なっているわけですから、その辺の整備が今後できれば別ですが、私は、今の議会の中でも、民意を問うということでは、そういう方法を用いることも試行錯誤の中の一つではないかなというふうに思います。
  143. 秋葉忠利

    ○秋葉委員 私も、大体そのあたりから始めたらいいのかなというような気がしているのですけれども。  そこで、国民投票役割を国の政治の中にこれからも徐々にではあっても入れていくべきだということを考えますと、北岡参考人もおっしゃいましたように、実は、北岡参考人がずっと主張してこられている選挙の考え方、その枠組みと抵触してくるわけですね。  つまり、政党がきちんと整理されたパッケージを示して、それによって選ばれて、単独政権をつくってそれを遂行するということになると、そこに国民投票の入ってくる余地は全くないわけです。まあ突然途中で起こった問題については別ですけれども。ですから、非常にきれいなモデルではあるのですけれども、どうも国民投票という点から考えると、しかも私は、それが現在の社会のある意味での趨勢ではないかと思っているのですが、少し問題があるのではないか。  もう一つ別の点から、現状、私は国会が最近随分元気になりつつあるのではないかというふうに認識しているので、その点からも申し上げたいのですが、それは議員立法です。  議員立法が最近は随分やりやすくなりました。これは、今までの議員立法の提出要件が、各党ごとちょっとずつ違いますけれども、少しずつ緩和されてきているという一般的な傾向があるからです。これは国会法にもどこにも書いてないのですけれども、実質問題として、我々が議員立法を提出する際には、各党の国対責任者あるいはそれ以上の幹部の判こがないと議会の事務局で受け取ってくれないというようなあしき慣行があります。  そういうことがあると、政党の論理としては、個々の議員立法、議員二十人なり五十人なりの意思を尊重するよりは、例えば選挙の際の応援をしてくれる大きな圧力団体業界団体もあるでしょうし、あるいは労働組合の場合もあるでしょうし、大きな団体の思惑に従ってそういった政策決定を行う。ということで、なかなか個別の議員立法ができなかったけれども、趨勢としてはそれが緩み始めている、それが国会の中の活動を活発にしている。それが一つです。それと関連して党議拘束の問題もあるのですが、これも緩みつつある。  ということは、国会の中を活性化している要因の一つは、政党の力がある意味で弱まってきている、その際にあえて、政党の力、団結力みたいなものが大前提になった選挙制度を強固に推し進めるというのは大きな時代の流れに対する逆行ではないか、そんな気がするのです。  実はもっと細かい論点がたくさんあるのですが、それは譲りまして、時間がありませんので、一応そういった感じの認識を持っているのですが、北岡参考人はそのあたりはどういうふうにお考えになっているのか。石川参考人野澤参考人にも簡単に伺いたいと思います。
  144. 北岡伸一

    北岡参考人 国民にさまざまな意見があり、要求があり、希望がある、それを限られた予算なりなんなりの中で、予算や対外関係の中でやっていくというときに、必ずどこかで折り合いをつけなくてはいけないわけです。そのつける方法は、一つは官僚がやるということです。もう一つは、政党政党の中でパッケージをつくるということです。第三は、国会の中で、そのやりとりで、取引、妥協と言うとちょっと言葉は悪いかもしれませんが、それで決めるということなんですね。  私は、その中でどれが中心であるべきかというと、やはり政党の中で決めるべきではないかと思うのですね。主義主張を同じくした、近い主張を持った人たちの間で決めてパッケージをしていく。それで、政党に対する批判、不信というのは実は日本には甚だ長い歴史があるのですけれども、それは結局のところ、官僚の微調整にゆだねるということになりがちなんですね。それを一点申し上げます。  それからもう一つは、初級の、初級といいますか、中学校レベルでしょうか、その政治学の教科書には、本来、直接民主制でみんなが集まって物を決めるのがいいのだけれども、それがサイズの点でできないから、代表を選んで決めるんだという、いわば間接民主制なり、あるいは代議制というのがやむを得ない代替物であるというようなことを言われる方があるのですが、私はそうは思わないのですね。先ほどシュンペーターのことを申しましたが、ああいう意見もあって、リーダーとそれから有権者の間のボールの投げ合いの中から意見というのは生まれてくるんだという意見があって、私はそっちの方をとっております。  ですから、私は、今まで政党は本当に強くて、それが緩んできたのだろうか、しかし、それを代替してきたのは政党が本来やるべきことを官僚におんぶしてやってきたんじゃなかろうかという印象をむしろ持っているものですから、その点、政党が自律、自前でやっていくということが大事で、もちろん、秋葉委員おっしゃる議員立法の活発化とか国会の活性化、これは大変結構なことで、党議拘束も若干緩める、それも私も賛成なんですけれども、それが政党の責任を解除する方向に行っては非常にまずいというふうに思っております。
  145. 石川真澄

    石川参考人 秋葉さんの御質問の意味は、多分、単独過半数政権が必ず生まれるというふうな選挙制度では、住民ないしは国民投票にあえて聞くというふうなことは起きないで、政権政党とその与党でもって何でも決めていってしまうだろう、そういうような制度は欠陥があるのではないかという意味に伺いました。  その場合、確かにそういう心配がございます。ございますが、政治は運用ですから、仮に単独過半数政権のもとでも、与党の中でまことに混乱が起きるということは、自民党の三十八年の歴史においてもしばしばあったわけでありますから、そういうときには国民投票に訴えるということは、便法としてはとることができるだろうと思っています。  問題は、恐らく小選挙区制と比例代表制とどっちが、先ほど来の民意の問題からいって、政策政党本位の選挙になっているかという問題が提出されているんだと思うんです。これは、実は私も随分いろいろ考えたのですが、比例代表制の方がむしろ政策政党本位の選挙になり得る。つまり、政党投票してもらうわけですから、名簿その他はいろいろなつくり方があるにせよ、あるいは投票の仕方で嫌なやつは消してもいいとか、非拘束名簿式の考え方を取り入れればいろいろなやり方がありますが、しかしながら、その中でやはり政策政党本位の選挙にどっちがなりやすいかといえば、比例代表制だと思います。  小選挙区制は、やはりどうしても個人への投票という色彩が強くなる。そうしますと、政策政党本位の投票が行われることが仮に党議拘束を強めることとパラレルになっていると、やはり問題は簡単ではないというふうにいささか考え込んでいるところです。ですから、同じような論点で、比例代表制にしても、一回の選挙でもう政党の分布が決まっているのだから、そこの中でのネゴシエーションで決めるのがいいではないかという議論は必ず出てくると思うのです。  ですから、選挙制度によって、物事の決め方、あるいは住民投票国民投票を阻害するのではないかというふうには、私は今のところ考えておりません。
  146. 野澤雄三

    野澤参考人 私、先ほど少しお金関係で一部触れましたけれども、議員立法を含めてですが、やはり先生方がそういう力を発揮できるような一つのバックグラウンドをつくる必要があるのではないか。  今、政党助成金が一方であり、立法調査費があるわけですね。立法調査費は一律ですから、したがって、大政党には一律それが党の中に入っていくわけでありまして、ある面でいうと、例えば小政党に傾斜配分をするとかいうことで、そういう物づくりができるところに対する支援、そのことが、それぞれの議員の方の主張なり、また選挙民に対する一つの約束事が実行できることにつながっていくのではないか。  そういう背景をつくるということでは、僕は、きょうの議題とは直接あれですが、立法調査費などは少しダブル取りになっていますから、党議拘束等はあれですが、むしろ政治家の方のそれぞれの取り組みが強化される、そういうお役に立てるような使い方なり配分があってもいいのではないかというように思っています。  以上です。
  147. 中馬弘毅

    中馬委員長 堀込征雄君。
  148. 堀込征雄

    ○堀込委員 今お金の話が出ましたので、野澤参考人にちょっとお尋ねしたいと思います。  私ども政治改革論議をしたとき、やはり制度の問題と政治資金の問題が二大柱であったわけでありまして、特に、あのころいろいろな事件もあったりして、企業・団体献金をどうするかということで、廃止をすべきではないか、すぐ廃止できないから五年間漸減措置を講じようというような案が出たりしましたが、結局、五年後に禁止を含めた措置をしようということに実はなっておるわけです。  今この立法もやや危なくなっているわけでありますが、そこで、資金管理団体、つまり政治個人に関連する方の話でありますが、労働組合もいろいろ組織内の議員だとか抱えまして、この辺はいろいろ御苦労もあったと思うのですが、決断をしていただいたという経過があるのではないかというふうに思います。あと二年ちょっとですか、禁止措置を講ずるということに附則でなっているわけですが、この辺はどういう見解でいらっしゃるかというのをひとつお聞かせをいただきたい。  あわせてもう一つ、イギリスの総選挙があったわけでありまして、これはちょっと制度から離れて恐縮なんですが、長年労働党の支持基盤であった労働組合が結構今回多様な対応をされたということが報道されておりまして、民意が多様化していますし、恐らく労働組合に限らず、各団体もそういう傾向はこれから強まるんだろうというふうに思います。制度と離れて恐縮でございますが、組合として今後の選挙対応はこんなような動きが予測されるというか、何かそういう点がありましたら、ちょっと所見をお聞かせいただければありがたいというふうに思います。
  149. 野澤雄三

    野澤参考人 私は、資金の関係については、五年を経過した時点でやはり禁止法をきちっとやるということが、まずこれは公約としてもやるべきではないかというように思います。そのために、先ほど申しましたが、個人の献金等については、その手続等を含めて、政治を支えるということでいけるようなことをむしろ積極的に考えるべきではないかというように思います。  それから、労働組合としてですが、政治に対する影響力は一%というようなことが、連合の調査で組合員がそう見ているわけでありますから、そのことの評価は別にしまして、やはり決まったものをもとにおろすというような取り組みではなくて、今私ども連合の中でも、議員の先生の皆さん方だとか学者の方だとか、労働組合みずからも、物を決定する過程を大切にする運動に切りかえようではないかということで、今フォーラムというものをつくりまして、各県レベルでそういう政策決定なり、政策についての意見交換ができる場をつくりたいというように考えております。  むしろ、そういうパワーを政治の中に生かしていけるような一つの枠組みをぜひ政党側にも求めていきたいなというように思っていまして、政党に対して、また政治家の皆さん方に対して、労働組合がコントロールするような影響力は全くないわけですから、むしろ、物を決める段階を大切にした運動をぜひやっていきたいというように今思っています。
  150. 堀込征雄

    ○堀込委員 ありがとうございました。  石川参考人にお伺いしたいわけです。いつも大変歯切れのいい議論をいただいて、本当にありがとうございます。ただ、熱病という話もありましたが、大分熱は上がってはおりましたが、相当冷静にまた議論もしたつもりでもあります。  そこで、単独過半数を前提としたといいますか、あるいは単独過半数を想定した制度だ、こうおっしゃられておるわけであります。私は今度の選挙結果を見て、意外と日本国民のバランス感覚というか、小選挙区は自民党さんに投票して、比例区はこっちでというバランス感覚が大分働いた選挙結果であったんではないかというような感じもしておるのですが、そのことをどう見ていらっしゃるかということが一つ。  それから、先生が前提としていらっしゃる比例制度、併用を含めた制度だというふうに思うわけでありますが、そういうものを仮に衆議院に導入をした場合に、参議院をどのようにお考えになっていらっしゃるか、お聞かせをいただきたいと思います。
  151. 石川真澄

    石川参考人 単独過半数政権を想定した制度であるというのは小選挙区制のことであって、並立制ではありません。並立制の場合には、相異なる全く逆の比例制というものを四〇%入れて、互いに殺し合っている、互いの長所を引き出しているという言い方が普通行われましたけれども、互いに殺し合っているというのが私の理解でございます。  ただ、その中で、バランス感覚ということをおっしゃいましたけれども、実は国民のバランス感覚というよりは、やはり制度のバランスだと思いますね。小選挙区六割、比例代表区四割というバランスがよかったとは私は思っていませんが、小選挙区のもたらすであろう弊害をある程度薄める効果があった。そのことが、バランスをとったというふうに実感されるのかもしれません。  ただ、有権者投票行動を見てみますと、例えば自民党の場合には、小選挙区での得票数が圧倒的に多くて、比例区の得票は少ない。新進党の場合には両方とも同じくらいのパーセンテージである。民主党や社民党に至っては圧倒的に比例区の方が多いというふうなことがありますが、それは、それぞれの党の性格あるいはその党のイメージというふうなものがあるのではないかと思っています。  それで、衆議院制度を仮に、私が年来主張しております比例代表制を中心とする制度、具体的には、世界で一番よく知られているのはどういうわけかドイツの併用制なので、併用制でももちろん構いませんが、そういうふうなことになったと仮定した場合に、ということは、実は第一院の衆議院において民意──民意にも議論があることは承知していますが、民意が正確に反映される制度ができたということを前提にした上で、参議院は、思い切って全体で百人ぐらい、三年ごとの改選は五十人ぐらいの小さな院になる。  ただし、百人ぐらいになれば、あるいは五十人の当選者ということになれば、恐らく国民の目が行き届きますから、いわゆる、よく政府がいろいろなところで賢人会議などという、余り賢くもない、失礼、賢い人々をお集めになりますが、そんなことをなさらなくても、参議院がまさに賢人会議というふうなことになります。  今大変不適当なことを申しましたので、削ってください。  それで、五十人の選挙をするときに、日本国憲法には、両院議員選挙に関して一票の価値の不平等というふうなものが参議院に起きても構わないと受け取れる条項は一つもありません。選挙に関しては、やはり法のもとの平等が一票の価値の平等ときちんと結びついているべきだと私は思っています。  その場合に、五十人しか当選しないのをどうやって選ぶのかというと、比例代表制にすれば一番問題はないのですが、比例代表制を衆議院に採用してしまっているわけですから、比例代表制ではない制度でもって違いをつくらなければいけない、そうすると選挙選挙しかやりようがない。しかし、隣り合った県や何かで人口の少ない県は、隣同士で一つのブロックをつくるというふうなことまで導入するならば、一票の価値を大体一・七倍以下くらいにすることは、私の試算ではできております。ですから、法のもとの平等という憲法に違背せずに、五十人を各選挙区に割り振って投票するということはできると思っております。  ただしこれは、繰り返すようですが、何といっても第一院に、民意を正確に、ほぼ正確に代表するものができているということが前提であって、第二院だからこそ、そういうふうな賢人会議になり得る、そんなふうな考えでございます。
  152. 堀込征雄

    ○堀込委員 北岡先生にお尋ねをさせていただきます。  先ほど、前原委員初め各議員から御質問がございまして、まさに野党の重要性ということを強調されて、五五年体制下で、やはり包括政党というかキャッチ・オール・パーティーとか、日本では自由民主党だけであった、そういう意味では、これから政権選択のできる制度にしていくためにも、政党の責任、とりわけ野党の責任というのは重要なのだろうなというふうに思っている一人でございます。  そこで、政治改革のずっと論議をし続けてきた発端は、やはり当時いろいろな事件がございましたが、とりわけ当時、自由民主党の政治改革大綱に源流を発するのかなという気がしていまして、私どもも野党におりましたが、大分触発されたことを覚えておるわけであります。あれは衆議院制度だけではなくして、政治資金もそれから参議院改革も国会改革も、あるいは地方の分権も、それぞれやりなさいよという、取りかかる明確な意思表示があの中にはあるというふうに思うわけであります。  そういう意味で、今新制度を入れて一回目の選挙が終わった、しかし、日本政党政治は心もとない点もあるわけであります。今申し上げましたような大綱にあったような改革に向けて、私どももある種の責任を感じておるわけでありますが、さらにこういう改革をなさいという御教示をいただきたい、こう思います。
  153. 北岡伸一

    北岡参考人 先ほど堀込委員、結構その前には議論を尽くしたような気がするというふうに言われて、私はその御理解に賛成でございます。  実は先ほど石川先生も言われましたとおり、結果をよいと見るか悪いと見るかで意見は違いますが、大体予想された結果が出てきたわけでありまして、全く意外なことが起こったわけではありませんで、我々専門家は、むしろ予想どおりの結果が起こっているというふうに思っております。したがって、議論がなかったわけではありませんで、議論は尽くされております。ただ、それはどちらをとるかという点で意見が合わなかったということであります。  ただ、議論がされなかったのは、最後の土壇場で決まった、さっきから出てきている惜敗率とか、ああいうことは全く本当に議論もしていなくて、日本の物事の決定というのはそうなることが多いのですね。最後の土壇場で何かわけのわからぬことが入ってくるというふうな、それを何とかしていただきたい。ですから、小さなことからきちんとやろうということでございます。  もう一点、そろそろ終わりに近づいていますので、ちょっと御質問の趣旨からはみ出るのですが、さっきから出てきた問題ですので一言だけ触れたいのです。  もし仮に今回、石川先生のおっしゃるような民意が非常に反映された選挙でありましたら、仮にですよ、そうしますと、恐らく自民党が二百議席以下、百数十議席、新進党は百議席台、百五十とか百三十六、そんなものです、というようなことになったのではないかと思うのですね。そうすると一体どんな政権ができたのだろう。橋本政権かもしれないし、小沢政権かもしれないし、菅さんかもしれないし、鳩山さんかもしれないし、あるいは、よく巷間言われましたのは、細川さんが飛んで出て、細川政権だったかもしれない。そういう、どんなこともあり得るような制度がいいのだろうかと、私は非常に大きな疑問を感じるわけであります。  これはやはり、第一党が比較的大きな負託を受けるというシステムは、私はその意味で正しい、この間の選挙の結果でしたら、やはり橋本内閣ができるのが筋ではないかというふうに、橋本さんの政策がどうこうということではなくて、仕組みからして私はそう考える次第でございます。  さて、御質問の趣旨に関しましては、私、先ほど冒頭でも申しましたとおり、国会改革はすぐできそうでできない、なかなか進まぬものだなと思っております。できそうなことはぜひ進めてほしい、先ほど申し上げましたので省略いたします。  資金の方は、透明性のところに重点を置いて、早く進めていただきたい。  それから地方分権は、衆議院制度改革とまさにセットになった問題でありまして、選挙区が市長さんより小さいとか、そういうことが出てくるのは、要するに地元の利益誘導型の政治を変えようという趣旨から来たわけですから、ぜひ地方分権は進めていただきたい。  そういうのに比べますと、参議院はちょっとそれより後のテーマかなという気はいたします。ただし参議院でも、世界の国々の中で、イギリスのような名目的な二院制は別にしまして、実質的に二院が作動している国というのは大体連邦制をとっている国なのですね、ですから地域が対等に代表されている、アメリカのように。他方は国民の数で代表されている。つまり、選挙母体とか、それから選挙の仕組みが大体同じような二院制というのは世界にも余り例がないのですね。  ですから、これはやや緊急度がというか、ちょっと中期的な話になるので、こういう問題に熱中するのは他の議題の緊急性にかんがみていかがかと私は思っているのですが、あえて申し上げれば、衆議院は比較的小選挙中心の、一票の格差がほとんどないようなものにしていただきたいし、そうすれば参議院の方は比例制にするか、あるいは地方の各都道府県が同じ比重を持つようなものにしていくとか、そういう方向で、とにかく違ったものにしていただかないといけないのじゃないか。  なお、さらに申し上げれば、遠い話ですが、参議院にも解散があるという仕組みでも悪くはないというふうに思っております。
  154. 中馬弘毅

    中馬委員長 以上で各党を代表しての質疑は終わりました。  これより、参考人に対し、各委員が自由に質疑を行います。  質疑の際は、議事整理のため、委員長の指名により発言されますよう、また、所属会派及び氏名を述べた上、お答えいただく参考人のお名前をお告げいただきたいと存じます。  なお、一人一回の発言は三分以内にまとめていただくようお願いいたします。  それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
  155. 遠藤和良

    ○遠藤(和)委員 新進党の遠藤でございます。  石川先生に二つお聞きしたいのですが、先ほど重複立候補のお話のときにドイツの併用制の例をお引きになったわけですが、併用制というのは、先生十分御承知のとおり総定数比例の数で決まるわけですから、基本的に、小選挙区に出る方は比例重複立候補するというのは当たり前のことだと思うのですね。  我が国がとっているのは並立制の話でございますから、並立制というのはもともと全く違った選挙制度を同時にやっているにすぎない。ですから、比例制と小選挙区の間には何のつながりもない選挙制度だと思うのですね。したがって、重複立候補の話で併用制を例に挙げるというのはちょっと意味がないのではないかと思います。ですから、我が国において併用制を採用するという話であればまた全然話が変わってくるわけでございますが、現在の並立制という制度のもとで重複立候補を考える場合には、やはりおのずと違った議論をしなければいけないと私は思います。  したがって、もともとこれは違った選挙制度を同時にやっているにすぎない、国民一人に二票制ということはありますけれども。ですから、筋論からいいまして、基本的には重複立候補を認めないのが本筋ではないか。それが、いわゆる経過措置といいますか、激変緩和をするといいますか、あるいは当時の現職の皆さんの意向を反映したものとして重複立候補を認めたのではないか。ですから、制度本来の趣旨からいって、きちっとこの重複立候補について、もう一回これを認めるか認めないかという議論を本格的にする必要があるのではないか、こう思います。これが第一点。  もう一点の方は、最近のマスメディアの関心は、政策になくて政局にあるような感じがいたします。本来、政策というものに関心を持っていただきまして、政党がいろいろ政策を考えているわけでございますが、それをまたマスコミの媒介を通して国民の皆さんに理解していただくというのが政策本位の政党政治というものを幅広く国民に理解していただく場になると思うのですけれども、どうも最近のマスコミは政局の方に取材の力点があるように思います。  それを象徴する言葉が保保連合という言葉だと思うのですけれども、現在の日本政党において、第一党と第二党が合体するということは全く考えられない話だと私は思うのですね。小選挙区でお互いに政権を競い合っている政党が一緒のものになるということは、政党政治、今の選挙制度そのものをおかしくする話でございますから、そんなことはないと思います。  ただ、政策を忘れて、多数をどういうふうに構成するかというふうなことばかりに議論がありますと、政治はますます混沌とする話ばかりでございまして、どんなことを考えて多数派ができるのかというのが全くわからないことになるのではないかと思うのですね。  ですから、余り政局、数合わせということに関心を持っていただくと、日本政治はますますわからなくなってしまうのではないかな、こういう危惧を持っているのですが、この二点について明快なお話をいただければありがたいと思います。
  156. 石川真澄

    石川参考人 初めに、この問題と関連しますので、比例代表制だとどの党も過半数をとれない、一体どうやって政権をつくるんだという趣旨の北岡参考人のお話がございましたけれども、直接反論というのじゃなくて、例えば九三年の総選挙において自民党が過半数を割ったときのことを思い起こすと、あのときに細川さんが総理大臣になるということは確かにだれにもわからなかった。  しかしながら、事前に、選挙の最中に非自民政権をつくろうと言って党首が判こまで押して選挙戦を戦ったわけでありますから、自民党の過半数割れの暁には、自民党を除く各党、あそこで判こを押した、押さなかったのは細川さんと武村さんだけで、残りはみんな押していた、そうすると、その中から細川さんが出てきたというのはびっくり仰天ではありますが、私は、政治はそういうことはあるだろう、むしろ国民への公約としては、非自民政権か自民政権かという訴え方をして政権を争ったと言うことはできる、あり得ると思っています。  仮に、どの党も過半数をとらないというときに、あの場合は変則としても、例えば憲政の常道という古めかしい言葉を使うと、一応比較第一党が首班を出すように、最初からまず優先権を持って内閣を組織するための準備を進めることができるというぐらいの理解を持っていさえすれば──もし本当に困るのだったら、世界じゅうで比例代表制をとっている国は政権運営に関してまことに困難に際会しているということになりますので、そうはなっていないということを一応申し上げておきたいと思います。  重複立候補制ですが、私はおべんちゃらを言うわけではありませんが、確かに新進党の場合には、まことに重複立候補が少なくて大変わかりがよかった。そういう点では、重複立候補を許さないというのも一つの選択だというふうには実は思っています。しかし、本質的な違いではないと私は思います。  併用制の例を並立制の我が国に当てはめるのは間違いだとおっしゃいましたが、やはり小選挙区があり、そして比例区で当選、比例区のやり方は、全国で比例配分をして、それを州ごとの人数にもう一遍落として、そしてそこの名簿で当選させるというやり方ですので、手順は違いますけれども、やはり比例代表区の当選者というものが現実に各州ごとにできて、そして一方で、その中に半分だけ設けられた小選挙区の当選者が別にいるという意味では、非常に上手にできているけれども、それぞれが比例区と小選挙区と別々の当選者が一応あり得る、その間が、小選挙区で当選した人は比例区から削られるという原則で行われているということも含めて、我が国の制度のその部分は、私は類推、類型が可能だろうというふうに思っています。  ただ、実績から見て、重複立候補がないということによって名簿の同一順位というのが新進党の場合には大変少なかったということのすがすがしさみたいなものは、確かにあると思っています。ですから、同一順位、したがって惜敗率、この二つがセットになっている部分を外せばかなりすっきりする。これはもう先ほど来、どういうわけか、この三参考人はその点では多分一致しているというふうに思っています。  それから、マスコミの関心、私はもはやマスコミの従業員ではございませんので余りマスコミの弁護はいたしませんが、ただ、おっしゃるように関心が政策になくて政局の方にあるというのは、今に始まったことじゃない。どうも昔からそうです。私、中にいながら、実はいつもそう思っていました。だから、そのことはなかなか改まらないものなんだなという感想しか持っておりません。  しかし、その後で先生、保保連合、第一党と第二党が一緒になるなんてそんなばかなことはないとおっしゃいましたが、私は、十分にあり得る、日本政治では何が起きても不思議がない。ただし、それは丸ごとかどうか、そんなのは知りませんが、そういう傾向にある。  というのは、先生おっしゃるのは、選挙区の事情、選挙区では自民党と新進党、時には民主党が主として大いにデッドヒートを演じた、そういうふうな関係からいって、敵同士やり合ったところが一緒になるなどという話はめっそうもないというおっしゃり方だと思いますけれども、実はしかし、今、制度なりなんなりを動かし、あるいは政局を動かしていくのは、いい意味でも悪い意味でも勝者連合です。勝って当選してきた人たちだけの間でそれが行われる。  とするならば、勝った人がどのような行動をとっても、選挙区へ立ち戻って、負けた方の人にとってまことに不利益な方法というのは幾らでもとることができると私は思います。その結果として政党の党籍を移動しても、現にその人はハッジをつけている。バッジをつけていない者のことなどは余り配慮しない。それが小選挙区制のすばらしい残酷な、しかし、冷酷というのはまことにクリアな部分だろうというふうに私は思っています。  それで、同時に、勝者連合ですから、最前来選挙制度改革についての案がいろいろ出ていますが、基本的に勝者連合であるところのこの国会において、一たんできたこの選挙制度を再び大きく変えるということは、やるべきじゃないんじゃなくて、恐らく不可能であろうというふうに思っています。  余計なことまで申しました。
  157. 住博司

    ○住委員 自民党の住でございます。  大変示唆に富んだお話を聞かせていただいてありがたいと思っております。  石川参考人にお尋ねをしたいんですけれども、私どもも、こうやって衆議院制度を変えて、そして先ほどからも議論が出ていますけれども、本来なら一連のものすべて変えていかなければならないと思うのですね。そのときに、政党中心選挙ということを考えた場合に、当然政党というものがもっと公的なものでなければならない。  私ども、政党法というのを相当議論をしたことがあります。結果的にそうならないで、政党交付金があるがゆえに法人格を与える等の議論になつた。そのことが、例えば政党の中身というものが有権者の皆さん方によくわからない、つまり何を考えているんだかわからないし、これから何をしようとしているのかわからないし、先ほどの話にもかかわりますけれども、まあ言ってみれば勝った連合ですから、勝った人間だけで集まってしまって、政党がもともと約束していた話とは全く違うんじゃないかみたいな話がやはり出てきてしまって、それが一方で政治不信を生み出す原因の一つにもなっているのかなというふうに感ずるわけです。  私は、政党法というものについて、やはり相当真剣に考えるべきだと思いますけれども、石川参考人はどうお考えになっておられるのか。その点をひとつお聞かせをいただきたいということ。  それから、制度のことに関して、これはもうちょっと大枠で聞くべきことなのかもしれませんけれども、選挙のやり方が変わってくるということになれば、例えば前回の制度改正のときにいろいろと議論のありました戸別訪問は、最初認めていて、途中で変わって、なくしたというような話がありますね。戸別訪問というのはそもそもあるべきものなのかどうなのか。それから、それに絡んで、立会演説会というものの意義について石川参考人はどう考えておられるか。その点をお聞かせいただきたいと思います。
  158. 石川真澄

    石川参考人 政党法の問題ですが、私は、どんな内容かということがまず真っ先にあると思うのですね。政党法について、かつては社会党と共産党が反対していました。それの根拠は、政党法に定義する政党でないものは政党と認められないということによって、例えば破防法の指定団体になっているような政党政党と認めないというふうなことを盛り込むことになると、それはやはりかなり行政権力からする政治に対する介入だ、そういう余地があるような政党法ができる可能性があれば反対するという、そんな意味合いがひょっとしたらあったというふうに記憶しています。  ですから、非常に弱小政党なりあるいは大変支持の少ない党が、どの程度以下が切り捨てられて、どの程度以上を政党とするかというのは、現に今の公職選挙法、政治資金規正法などの定義する政党ということでいいのか、それともそうでないのかとか、さまざまな将来の危険性、特に結社の自由というものに関して、それを制約するような内容であってはならないということがあります。  しかしながら、政党法については、政党政治がこれだけ世界中で広まっているのに、意外に、政党法というのを持っている国は半分ぐらいでしょうか、かなり持っていないところもかなり多いということも一応考えに入れておいたらいいんじゃないかという気がいたします。  それから、戸別訪問の是非は、これはせっかくいいところまで来たのになと思うのですが、結局戸別訪問というのは買収の温床となるというのがこれを禁止している一番大きな理由だと思うのです。  ところが、実際にこういう制度のでき上がり方の順番を見ますと、普通選挙をやろうというときに、いわゆる当時の無産派の議員たちが出てくることを抑えるには、つまり無産派の議員というのは財産も何もない、知名度もないとするならば、一つは演説をすることによって、そしてもう一つは戸別訪問、足を使って支持者に訴えていく、この二つ方法が無産政党にはできる、能力としてはそれしかない。  一方、当時の名望家政党であったところの保守政党は、名望家だから、だんな様だから、一々貧民どものところへ行って頭を下げるなどということはしない、演説もうまくないという人たちにとってみれば、無産派が出てくるということに一種の恐怖心を抱く、選挙運動の形としてですね。その結果として、戸別訪問を禁止し、演説会には必ず警官が臨席して弁士注意をやるというふうな、相当ひどい弾圧的選挙をそこでやってきた。しかし、そうあからさまに言えないから、買収の温床になるというふうなことを当時の内務省の人々が言ったと、私は理解しています。  そうなると、そのようなことは、今やどっちの方もだんな様政党でもないしいわゆる無産政党というふうな部分もないし、であるならば、戸別訪問や演説会を取り入れてどっちが有利不利という問題はありませんから、私はここですべて解禁をすべきだと思っています。  ただ、立会演説会というのは、よほど上手にやらないと、既に過去の失敗は見事なものでありまして、自分たちの支持している人がしゃべり終わるとだあっと帰っちゃって、そして次に控えた候補の支持者がどおっと入ってきて、まるで映画館の入れかえみたいなことを拍手と何とかでやっていく、あれでは困る。  そうすると、そうならないためにはどうしたらいいかということは、やはり大変なことですが、基本的には、私は、選挙運動というのは、考え得る限りにおいて自由であって、ただしお金持ちが当選してお金を持っていない人が落選するということがないような、例えば使う資金の上限などについての定め、いわゆる法定選挙費用などというようなものをきちっと守る、あるいはそれは運動期間だけじゃなくてその前から守るというふうな、そういう歯どめさえずれば、そのお金をどう使おうと、平等に使えるならば、選挙運動は何であってもいいというのを原則にしたいという感じがしています。
  159. 前原誠司

    ○前原委員 民主党の前原でございます。  政治改革というと選挙制度がとらえられがちでございますけれども、もう二つが非常に意味があったと私は思っていまして、一つ連座制強化、もう一つ政治資金規正法強化なんですね。それで、ちょっとお金のことについてお話をさせていただいて、御意見を伺いたいと思うわけでございます。  以前は政治団体幾つも持っていた。あれはリクルートのときでしたか、有名な話で、竹下さんがリクルート社から一千万円ぐらいもらっていたという話で、しかし、一つ政治団体は百五十万円までしか企業から受けられないのにリクルート社のりの字も出ていないということで、そして竹下さんが答えられたのは、分割してもらっているので報告する必要はありませんと、あれは百万円以下は名前を出す必要はなかったので、総理みずからがそういう脱法行為といいますかそういうことをして、言ってみれば青天井だったわけですね。  それが、今回は資金団体というものが一つになって、そして企業からの献金の上限が五十万円になって、五万円を超えるものについては公表しなければいけないということで、この点は、私、随分改善されたと思っています。  抜け道的なものとしては、パーティー、あとは政党に対する寄附、こういうのがございますけれども、それにしても随分きつくなったのは事実だろうと思いますし、その点では、このお金の問題に対して改善が図られたのではないかと思います。そういった面も含めまして、私は、政党助成と今の政治資金のドッキングというものも、過渡期的なものとしては認められ得るのではないかという気がしています。  では、年間五十万円出して何かやれというふうな話になるかどうか。問題なのはその裏に入る話でありまして、それはもう言語道断、だめだということでありますけれども、五十万円までという前提のもとで献金が受けられるということが、果たして利益誘導につながるような話になるのかどうかということになれば、自分の経験に照らし合わせてみれば、それで物を頼んでくるということはまずないといりことで、その額を下げるかどうかというのはありますけれども、ある一定の成果は得られているのではないかと思うのですね。  ただ、問題は、お金を集めるということは、本来我々がやらなければいけない政治活動以外に相当な労力をかけなければいけないわけです。そういうことを考えると、企業との癒着という意味ではなくて、金を集めるコストということから考えると、ある程度政党助成というものを充実をさせた上で企業献金なんというものは将来的に廃止をしていくのもいいのかな、こういうふうには思っています。  ちょっと前段が長くなりましたけれども、今の政党助成のあり方、それから企業献金とか金の集め方のバランス、あるいはどういうふうにお考えになっているのか、お三人の方にお聞かせいただきたいと思います。
  160. 北岡伸一

    北岡参考人 おっしゃるとおり、私も、この連座制強化、資金面での新しいシステムというのは一定の効果を上げておると思います。ですから、欲を言えば切りがないのですけれども、冒頭でも申し上げましたとおり、次は、この部分をもっとよくするというよりは、出の方の透明性を上げるという方に次の努力を傾けていただければありがたい、こういうふうに思っております。
  161. 石川真澄

    石川参考人 連座制規定その他で、それから個人団体一つというふうなのはまことにいい前進で、何よりも考え方として、一般には、いわゆる政治改革の話が起きたときには、中選挙区制だとどうしても同じ党の中で争うからお金がかかるので、これをやめれば、小選挙区制を取り入れればそういうお金のかかり方はなくなるというふうに初期のころは言われていたのが、ついにそうではないということを決めたところに意味があると思うのです。  選挙制度が何であっても、つまり、お金を使うことが当選することに有効で、そのお金を規制する方法が無効であるならば、これは私が主張している比例代表制であろうが何であろうが、選挙制度のいかんにかかわらず、お金を使うのはこれは理の当然であります。したがって、いわゆる選挙区制と政治資金の問題とを切り離して処理する形になったのは、その精神が私はよくできていてよかったと評価しています。  ただ一方で、後からずっとおっしゃってきたところの政党助成との関連で言いますと、例えば一九九五年、一昨年の政治資金規正法の収支報告、私細かい数字はきょう用意していませんが、中央及び地方分の合計は、その前年度、九四年度分よりも四百億円、合計で多くなっております。ということは、既に九五年からはこの新しい選挙法ないし政治資金規正法が施行されています。その状態になって四百億円ふえている。  四百億円というのは何かというと、三百二億円の政党助成金と、それが地方に回って二重に計算された百億円分とが合わさって四百億円の増加ということ。四百七十億です、細かく言えば。あとの七十億円程度は前年度よりの純増である。  つまり、政党助成金は政治家たちのお金の中で純増としかならなかった。つまり、政党助成することによって企業献金、団体献金が減ったということは、九五年の収支報告を見る限りはわからない、入ってこないと思います。  したがって、政党助成があるから政治資金の方はだんだん企業・団体献金は減っているということであってほしかった、そうはならなかった、ただ単に懐が肥えただけだったというふうなことでは、なかなか私は政治資金規正法その他が効果を上げたというふうには思いたくありません。
  162. 野澤雄三

    野澤参考人 私は、やはり実感として、一番効果があったのは連座制じゃないかというように思っております。助成金の関係でいいますと、選挙で一番潤ったと言うとしかられるかもわかりませんが、これは新聞広告、テレビのスポットですね。これが一番潤ったというのは、本当にこの政党助成金の使われ方がこれでいいのかどうかということの重大な問いかけじゃないかなというように思っております。  したがって、先ほど申し上げましたように、立法調査費もあれば政党助成金もあるというのは、これはダブルでありまして、したがって、そういう政策立案に対して政党の大きさがあるのであれば、弱小のところに対してやはり厚く手当てをするなりしながら、常に緊張感なり切磋琢磨の構図ができるようにやるべきではないかというように思っています。  以上です。
  163. 秋葉忠利

    ○秋葉委員 先ほどの質問にちょっと関連するのですが、住委員がおっしゃったことを私はもうちょっと極端に考えているので、どちらかというとこれもまた穏やかならぬ表現になるのですけれども、政党というのは、やはりかなりあいまいな存在といいますか、うさん臭い存在というか、政党法ができても恐らくうさん臭い存在であるのではないか。それは、端的に言いますと、政策をつくる過程で、やはり政党の大きな目標の一つ選挙に勝つことですから、選挙に勝つためには支持者を抱えた大きな圧力団体、だからまとまった大きな力を持っているところにどうしても弱くなるという力が働きます。  そうすると、先ほどの北岡参考人のお話で、政党の中で政策議論をきちんとしてまとめていくのが一番いいのじゃないかという発想で、それで先ほどからの御意見があると思うのですけれども、仮にそれが可能だったとしても、そして二大政党というような状況ができたとしても、二つ政策の間で、すべての多様化するいろいろな人たちの考え方や思いやそれから必要というのがカバーできるわけではないので、どこかでそれを表現し、政治の場に持っていかなくてはいかぬ。  それができるのが、私は、ある意味議員立法というような形で、現在国会の中で動いているような、党議拘束が緩やかになって、政党を超えたレベルでのある意味での議員の連合という形ではないかなというような気がしているのですね。  そこのところの、仮に政党がきちっとしたパッケージを出したとしても、少数派の意見、少数の人たちの意見というのがどうしても落ちこぼれてしまう、そのあたりの担保というのはどういうふうにやればいいのか。ある意味比例代表のいいところは、そういった少数を代表する人たちも選挙で選ばれるという保障のメカニズムがありますから、政党本位の選挙になっても比例の場合にはそこに埋め込まれているのですけれども、小選挙区の場合には、そういった少数派の国政の場へのアクセスがなくなってしまうみたいな危険性がある。  それに対する担保があればいいと思うのですが、それは北岡参考人、それから野澤参考人にも伺いたいと思います。連合という立場だと、ある意味では大きな団体一つですので、その辺についてはどういう担保を考えていらっしゃるのか、お願いします。
  164. 北岡伸一

    北岡参考人 私は、小選挙区でできれば五〇%の票を集めたいというときには、さまざまな運動体なり団体に接触し、その協力を取りつけるというメカニズムが働くと思うのですね。ですから、それが一つの担保でございます。  政党が本当にパッケージをつくれるかどうか、これが本当に難しいのは、特に自民党議員の方はよく御承知のとおりで、それぞれの地元に約束してきたことを圧縮して一つの予算にするのはいかに大変なことか。それは自分の党でさえ大変だから、そういう他のいろいろな党派を抱えてそれができるか、いかに大変かというのは、ちょっと想像していただくだけでわかると思うのですね。  それから、先ほどの首班指名のことをちょっと石川先生言われたので、私もちょっともう一遍触れたいんですが、あの九三年の選挙のときは、それは確かに一つのやり方なんですね、選挙後にどういうプログラムで、どういう政権でやるかという協定を出して、連立構想を出して臨む、これは一つのやり方です。それなら問題ないのですけれども、この間のようなときは全然ないわけでして、その場合、だれが総理大臣になるかわからぬというのは、甚だ有権者のコントロールの手の届かないところこ行ってしまう。ですから、これは私は基本的に好ましくないというふうに思っているわけです。  それから、もう一つ秋葉委員にお答えしますと、今まで参議院幾つか少数のシングルイシュー的な小さな政党がありました。それがどれぐらい大きな成果を上げたでしょうか。これを考えていただくとわかると思うんですね。それはやはり、むしろ地方や何かで小さな運動があって、それが地元議員と結びつき、選挙に結びついた方が私は大きな影響力を発揮し得るんじゃないかというふうに考えております。
  165. 野澤雄三

    野澤参考人 私も、繰り返しになりますけれども、議員立法なりそういう政治家の方々個人としての活動もできるような援助策は、基本的に考えなければいけないということでありまして、だから、拘束をしたから発言ができないとか行動ができないというくくり方はやはりよくないんじゃないかということを基本に思っています。  それから、少数者の代表意見政治にどう反映させるかということでは、ある意味では比例制なんかは、意見を反映するための代表を選出する機能としては一つ役割を果たしているんじゃないか。問題は、数で物をすべて律すじゃなくて、先ほど国民投票の件で申し上げましたけれども、やはりどういう参加形態をとるか、また、どういう問いかけをし、一つ方向に対する力を集めるかということを政治の中にもっと活用することをお互いが考える、そういうシステムを考えるところでいいんじゃないかというように思います。
  166. 中馬弘毅

    中馬委員長 本日の参考人に対する質疑は、この程度で終了することといたします。  参考人方々におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  次回は、来る六月三日火曜日午後一時五十分理事会、午後二時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時三十二分散会