○
長崎参考人 毎日
新聞の
長崎と申します。
本日は、こういう機会を与えていただきまして大変光栄に存じますけれども、と同時に、若干の戸惑いも
感じております。
と申しますのは、皆さん方御自身が小
選挙区
比例代表並立制という新しい
選挙制度でまさに戦ってこられたわけでありまして、この
制度がよかったのか悪かったのかは、皆さん御自身がまさに肌身で
感じておられることではないかと思います。そういう
意味で、傍観者だった我々が皆さん方にどれほどのことを言えるのか、自信がございません。むしろ、皆さん方が御自身で御
議論を深められた方がより建設的かと思われますけれども、せっかくの機会ですので、
意見を述べさせていただきます。
これは
加藤さんも
中島さんもおっしゃいましたけれども、以下述べることは、これも私限りの私見でございます。というのは、私は毎日
新聞の
論説に
責任を持つ
立場の一人なんですけれども、
論説室として、
意見表明を求められた問題のすべてについて検討を加えたわけではありませんし、実は私自身は、
論説に来る前の政治部時代から、今回の政治改革については、本当にこれでよいのか、若干のというよりも相当大きな疑問を持っていたことがありまして、弊社の
論説の基調から相当離れる
部分もあるかと思いますけれども、お許しいただきたいと思います。
まず、今回の小
選挙区
比例代表並立制の
評価についてでございますけれども、
結論から申し上げますと、
制度が目的としたことは余り実現されなかったのではないかと若干否定的に考えざるを得ないと思います。
その原因の
一つには、この
制度導入に当たって、本来、車の両輪として導入しておかなければならなかったはずの地方分権というのが後回しになつていたということだと思うのです。それが
利益誘導政治を許してしまって、地元に利益をどうして還元するか、そういう競争になってしまったという
感じがいたします。このため、国政よりも地元、痛みを伴う改革よりも既得権益擁護という五五年体制時代の政治を打破できなかったのではないかという
感じがしております。
第二に、この
制度は、
政党が名実ともにちゃんとした体裁を整えて、組織化されて、自律的に機能しているということを前提にした
制度だったと思いますが、しかし、
政党そのものが流動化しているさなかに
選挙戦が行われた。このため、
政党選挙が貫徹できずに、
選挙後に大きな
政党が分裂を起こしてみたり、
比例区で
当選した
議員が離党して別の党に移ってしまうという妙なことも起きてしまったのではないかという
感じがします。
第三に、これはちょっと次元の違う問題かもしれませんけれども、死に票の余りの多さ、例えば小
選挙区では五五%ですから、小
選挙区で
当選された方の平均の
得票率は四五%であります。となると、その
過半数だと、有効
投票のわずか二三%の意思で国政が決まっていくという、多数決民主主義の根幹に若干触れる問題があったのではないか。
もう
一つは、低
投票率の問題だと思うのですね。一人区で
当選者が決まってしまう、それが相当前からわかってしまうということで、
選挙に対する興味を失って
投票に行かない。逆に
投票に行けば、自分の
投票が死に票になってしまうということで政治への関心を失ってしまう。悪いスパイラルといいますか、悪い循環に陥ってしまう萌芽というのが少し出てきているのではないかという
感じがします。
いずれにせよ、過渡的な状況下での
選挙制度だけに、
選挙制度だけは新しくなって、ほかのことが旧態依然であるということから、ちぐはぐな現象が目立ったのではないかという
感じがします。
ところが、
選挙結果そのものは、私は、ちょっと主観的に申し上げますと、絶妙な
民意の発露ではなかったかと思います。
有権者は、小
選挙区と
比例区の二票を実に巧妙に使い分けた、小
選挙区と
比例区のバランスをとった。これは
制度をつくった
方々の考えからすれば予想外のことかもしれません。
もっとも、
選挙結果というのはあくまで個々の
有権者の
投票行動の集計でありまして、絶妙の
民意だとかあるいは微妙なバランス感覚という言い方は、いずれも言葉のあやにすぎませんけれども、ある
新聞社のコンピューターを使った試算によりますと、中
選挙区制の
選挙でやったとしても、今回の
選挙結果とそう乖離したものにならなかったという記事がありましたが、これは過度の
民意の集中が起こらなかったせいではないでしょうか。
いずれにせよ、この
制度が本当によかったのか、悪くて直ちに見直す必要があるのかどうかという問題については、やはり一回限りで行うのは無理だと思います。
有権者の側も、
選挙制度が変わったからといって、すぐには
投票行動を変えるわけではありませんし、やはり
制度的な条件と主体的な
政党側の条件というのにミスマッチがあったわけですから、もう少し、数回様子を見て
結論を出すべきだと思います。
しかし、見通しとして言えば、どうも総体として見た場合に、この当初の
制度の目的というのが実現するのはなかなか難しかろうという
感じはいたしております。
そこで、少し立ち入って、
最初に申し上げた
制度の目的が達せられたのかどうかということについてちょっと検討してみたいと思います。
まず、この今回の
選挙制度の
もとになっている第八次
選挙制度審議会というのは、この新
制度導入の目的に五つくらい挙げておりますけれども、私が勝手に要約させてもらえば、まず
一つは、
政党本位、
政策本位の
選挙の実現ということがあります。第二に、小
選挙区制で同じ
政党の候補同士の同士打ちがなくなりますから、地元
利益誘導とか利益還元
選挙ということの必要性がなくなって、したがって金権
選挙も追放できるだろう、金のかからない
選挙が実現できるだろうということだと思います。第三に、その結果として
民意の集中が可能になって、
政権交代の展望が開ける。この三点ではないかと思います。
もしそれにつけ加えるとしたら、
比例区
選挙で
少数意見の反映ができるとか、あるいは
政党が
政党の主導権の
もとで候補者の選定をするわけですから、世代交代などもスムーズに図られるということもあるかもしれません。
まず、その第一の
政党本位あるいは
政策本位の
選挙だったかどうかということですけれども、確かに候補者選定から始まって、例えば国がえをさせるとか
比例区に特色のある候補を充てるとか、
政党が主導権を握った形での
政党本位という
選挙というのが少しは体裁が整ったかなという
感じがいたします。
しかし、
政党の
政策そのものが未消化のまま各候補に押しつけられた。ちょっと新進党の方には恐縮ですけれども、
選挙戦の途中で、十八兆円の減税だとか、ああいうふうな格好で押しつけられて混乱した面もありますし、それに、そもそも今申し上げている
政策本位の
選挙だったかどうかということについては、大いに疑問を
感じております。
全党と言ってはちょっと語弊があるかもしれませんが、大半の
政党だということで言っておけば、国と地方合わせた長期債務四百四十二兆円という
選挙戦当時の額を前にして、財政再建が急務である、そのために行革で小さな政府を実現しようという大合唱があったわけであります。ではどうするのかという各論がなければ本来
政策論争にならないのですけれども、それに、その各論を述べてこそ各党の
政策の違いが出てくるのでしょうが、それを言うと
選挙民の支持を失うということを考えて、あえて各論については踏み込まない。結局だれしも総論として同じことばかり言ってしまって、結果的には行革の大合唱が
選挙の争点を消してしまうという妙なことになったのではないかという
感じがします。
そのために、
政策でその違いを出すということよりも、例えば整備新幹線をどうするかとか、とにかくこんな箱物を持ってくるとか、補助金をどうするとか、地元
利益誘導、票と利益還元との引きかえ、そういう
選挙が横行してしまいまして、地元への面倒見合戦ということから、結局は金のかかる
選挙というのが払拭できなかった。
確かに、
連座制の強化などで、悪質な
選挙違反がなくなったというか減りましたし、供応
選挙なんかも非常に少なくなったようですけれども、
もともと地方分権というのが実現していないものですから、やはり各候補者は、国と地方のパイプ役として売り込むということ、そして金を集中的に
選挙区に濃密に使うということが、
選挙に勝つ近道になってしまったのではないかという
感じがします。
第三の、
政権交代の
可能性に道を開いたのかどうか、その展望ができたのかどうかということですけれども、これはそうだとも言えるしそうではないとも言えるのじゃないかと思います、ちょっとあいまいな言い方ですが。
選挙区個々に見てみますと、多くの
選挙区では、やはり
自民党と新進党の争いという一騎打ちの勝負というのが展開されたわけですが、それも票差でいえば、
議席差では相当ありましたが、五千票から一万票が動けば結果が全く異なってきたかもしれないという、一種、二大
政党制を予感させるような結果だったと思います。
しかし、これは現実には、
選挙結果だけではなくて、その後の
政党の離合集散といいますか、その結果でもありますけれども、新進党など野党陣営の混乱に乗じて
自民党ばかり肥大化して、
政権交代に逆にふたをするようなことになったという
感じがいたします。しかし、これは
選挙結果そのものが導いたのではなくて、その後の
政党の動きだと思いますので、少しずれているかもしれませんが、そんな
感じを持っております。
今のように地方分権も不十分なままで、
政党もその有意な対立軸を提示しない、総論だけで
政策論争を展開していくというようなことで推移していきますと、日本というのはやはり伝統的に農耕民族で、争いを好まない、多数決よりも全会一致をよしとされますから、田舎へ行けば行くほど、二大
政党だとか新進党と
自民党だとか、例えば民主党だとか、そういう対立ではなくて、地元
代表はこの人にという意識が非常に強い。
政党の違いは、永田町で見るよりも、地方に行けば非常に希薄になってきているという中で、この
選挙が今申し上げたように、地方分権も十分に進まない、地元への利益還元、これがどうしても
議員さんたちの大きな職務になってしまっているという状況が続くと、結果的には
自民党一党支配もびっくりというような巨大な保守中道勢力というのがそれに収れんしてしまって、振り子が振り切れてしまうという心配があるのではないか。これが杞憂に終わればいいのですけれども、どうもそんなことも若干は見てとれるような
感じがします。
それから、
重複立候補について申し上げますと、これはドイツみたいに
比例区
選挙と小
選挙区
選挙が連続しているものではなくて、全く別の
選挙を木に竹を接ぐような格好でくっつけた、そこから来ている問題だと思います。
比例区で
議席数が決まって、小
選挙区の
当選者でそれを埋めていくというなら
重複立候補にも無理がないのですけれども、やはり今の
並立制というのはどこかでひずみが出てくると思います。
しかしその一方で、
重複立候補というのは、
政党にとってみれば、有為な人材については保険を掛けてでも
当選を確保しておきたいという要請もあるでしょうし、
政党によっては小
選挙区では人材難だとかいろいろな事情があると思います。
これは朝日
新聞の先輩でもある石川真澄さんがある雑誌で書いておられたことなのですけれども、これは小
選挙区が先に開票されて、後から何かつけ足しみたいに
比例区が開票されるものですからどうもおかしな
感じを受けるのですけれども、逆に
比例区が先に開票されて結果が決まって、まず
比例区の
議員の
当選が決まった後で小
選挙区に移れば、
もともと重複立候補された方もまず
比例区で
議席を確保されるということですから、大いに胸を張っておれるだろうと思いますし、ある
意味では、実は
重複立候補の問題は、今度の
制度について見ればそれほど本質的な問題ではないのではないかという
感じがいたします。
この問題については、やはり
有権者の側に立って考えることが必要ではないか。
政党の都合からすれば人材を確保したいとかいろいろなことがあるのでしょうけれども、
選挙民の側、
有権者の側からすれば、小
選挙区
選挙というのは、だれかを
当選させるということの反面、この人だけは落としたい、それを選ばせる
選挙でもあるわけですね。そういう、要するに逆の
投票というか拒否するということも含まれているわけでありますから、そうすると、一位だけではなくて、ひょっとすると
法定得票もいかず
供託金も没収されたという人が
当選してくることについては、やはり
有権者の側からすれば非常に奇異な
感じを持たざるを得ないという
感じがします。
したがって、この点は、ファインチューニングというか、微調整という中で、例えば
重複立候補を認めても、それが
当選する場合には次点者だけに限るとか、あるいはもう少し敷居を低くすれば
法定得票未満はだめだとか、それからもちろん
供託金没収の場合はだめだとか、いろいろな歯どめをかければ済むのではないかという
感じがいたします。
重複立候補という問題とあわせて、
惜敗率の問題でちょっと
意見を申し述べたいのですけれども、
惜敗率というのはやはりどう見ても非常に奇異に
感じるのであります。というのは、違う
選挙区で全く違う政治状況、違う候補者と戦っているというのに一その候補者同士をただ単に
数字の
惜敗率だけで並べて当落を決めるというのは、どこかやはり比較できないものを無理やり比較しているという要素があるのではないかという
感じがいたします。
しかしその一方で、これもちょっと悩ましいのですが、僕は逆のいい面もあるという
感じがします。というのは、さっきちょっと申し上げました小
選挙区制になると、一人を選ぶことで、もし仮にその
選挙区で
当選者がもうあらかじめわかっているとなったら、
有権者は
投票に行かなくて
投票率が下がってしまうという心配があるのですけれども、
重複立候補によって次点者も場合によっては
比例区で救済されるということになれば、そういう
意味でいわば
有権者の
選挙に対する関心も少しは違ってくるのではないか。
投票率をある
意味では押し上げる
もとになってくるのではないかという
感じもいたします。
いずれにしても、この
重複立候補の問題はそれほど
選挙制度そのものの本質的な問題ではなくて、ファインチューニングといいますか微調整というか、そういう修正を加えていければ、
有権者が奇異に
感じなくて済む方法というのは必ず見つけ出せるのではないかと
感じます。
最後に、
選挙運動なんですけれども、これはもう
先ほどから述べておりますように、どうも
利益誘導選挙というのが横行してしまった。国
会議員が、例えば世田谷区の区議
会議員よりも狭い
選挙区で小政治にきゅうきゅうとせざるを得ない。補助金をいかに分捕ってくるか、それから中央とのパイプということをやっている以上、やはり国政を考えるよりも身近な小政治を考えてしまって、区議
会議員よりももう少しちまちました
感じになっていくということがあるわけですけれども、やはりこの点は、地方分権というのを一方で強力に推し進めて、仮にその
選挙区が小さくなっても、昂然と国政のことを考えられる政治家を輩出できるような
選挙運動にするべきだと思うのですね。
いずれにせよ、
選挙運動がおかしくなってきているのは、やはり地方分権が不十分であったというか、ほとんどできていないということが一番大きな原因ではないかと
感じます。
ただ、もう
一つ述べたいのは、
選挙運動期間というのが何とも短過ぎるという
感じがします。その十二日間というのはあっという間に過ぎるわけでありまして、報道する側からいえば、いいような悪いようなところがあるのですけれども、
有権者からすれば、これはもうまさに
有権者と
政党との接点あるいは
有権者と政治家との接点、候補者との接点をもう少し広げないとおかしいのではないか。
政党本位の
選挙とか
政策本位の
選挙運動もまだ試行錯誤の段階でありますし、それならばなおさらのこと、
選挙運動期間を延ばす必要があるのではないかという
感じがいたします。非常に雑駁になりましたが、以上です。