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石井(紘)
委員 それから、種類別の割合を見ると、水力というのは二〇%というわけですから、五分の一の割合しか持ってないわけですよね。だから、恐らくかなりこれは効率が悪いんじゃないかと思うんですね、この発電所というのは。ということです。
そこで、この今の
治水事業というのは、大体十年に一度ぐらいに起こる
洪水を防ぐということでやってきている。これを三十年間大体やってきているわけですね。最終的な目標は、百かどうか知らぬけれ
ども、百年に一度の
洪水を防ごうというのが目標だというわけですね。
そうしますと、せんだっての
治山治水の緊急措置法のときの
審議の中でもありましたが、結局は、こういう調子で、いつまでかかれば完全に
洪水を防げるのかということが全然わからない。この前も私聞いたんだけれ
ども、これはわからない。つまり、今のやり方では、
洪水というものを、つまり水を
河道に押し込んでしまうということがすべてだということでやっているわけですから、これは不可能なんですよね。不可能だということを、今申し上げたことでも、これはあらわしているわけですよ。
そこで、むしろ、先ほ
ども申し上げましたように、堆砂がずっと起こってきたり、例えば木頭村で、さっき申し上げました細
川内ダムなんかも、大臣、先ほど写真をお渡ししましたけれ
ども、三十年前ぐらいにできた橋があるんですよ。物すごく、川に建った橋ですから、
橋脚の長さが長いんですね。その長い、どのくらいありますかね、あれは、その三分の二近くがもう堆砂で、砂で埋まっちゃっているんですね。このほんの二、三十年の間にそれほど砂がたまってくるわけですよ。
こういうふうになってくると、しかも森の方は水を吸収しにくくなっている、これも後で申し上げますが。そうすると、どっと来た水が、これまたがけも山も崩れやすくなっている、その水がだっと下まで
流れていきませんから、結局、今度は
下流だけじゃなくて、
上流部や中流部でもはんらんを起こしやすいというふうになってくるわけですね。
この点で、
河川審議会も実は述べているんですよ。「
流域の保水・遊水機能が失われたため、
洪水時の
河川流量の増大を招き、水害の危険性を増大させた。また、丘陵・山地の
開発に伴い、土石流、地すべり、がけ崩れなどの土砂災害のポテンシャルが急速に増大した。」こういうふうになっているわけですね。
つまり、
建設省の今までのようなやり方でやればやるほど、
洪水の大規模な災害が起こる可能性が高まるんだということを言っているわけですよ。これは
建設省の
諮問機関だから、そう露骨には言えないもんだから、若干遠回しに言っているようなところもあるわけですがね。
そもそも太古の昔から、川の
下流は、そのはんらんによって沖積平野ができる、何年かに一度やってくる
洪水というものが養分をもたらし、土地に潤いを与えてよみがえらせる。だから、
人々は川をふさぐという方法ではなくて、
洪水があふれてくるということを前提にした
治水の手だてをとってきた。その
ごともこの答申に書いてあります。
江戸
時代から明治の初めぐらいにかけて、地先の田畑及び集落を水害から守るため、左右岸や上
下流であえて
堤防の高さを変えるとか、
堤防をこっち側は低いままにしておいてこっち側だけ上げておくとか、そうすると、こっちの集落のある方には水が行かないで田畑のある方に行くとか、あるいは地先の重要度や地形等の
自然特性に対応した
治水方式がとられていた。
はんらん水が集落に流入しないように
堤防を川沿いではなくて集落の方の近くに設けていたり、あらかじめ
洪水を越水させる場所に水防林をつくったり、要するに、水防林を集落に近い方につくったり、はんらん水の流勢をそぐ、そういう工夫をいろいろとしていたということはいろいろなところでも言われておりますが、この
審議会の答申の中にも書いてある。
つまり、むしろ
洪水というものを迎える、そもそも本来は迎え入れるという、そういう構えをとってきたというように思えるわけであります。
しかし、今、産業の発展と人口の増加あるいは交通の発達などに直面して、私
たちはそういう平野地帯にもずっと家が密集したりなんかしてきたわけですね。だから、そこでやったことは、川というものを
自然というものから切り離して、川は川だ、川は鉱物だ、これは手を加える対象だということにして、むしろ魚なんかも
自然の魚を泳がすのではなくて放流した魚で魚釣りをやらせたり、そういうふうに文明社会の道具にしてきた。
川を切り刻んでしまって、あちこち護岸をつくったりいろいろやって、そして場合によったら蛇行しているこういうきれいな川を直線にしてしまったり、釧路川なんというのはえらいことになってしまっていますね。そういうふうにして建造物として扱ってきた。しかし我々は、そのようなことを続けていくということはできないことです、それは自殺行為になるからですね。
アメリカとかヨーロッパの諸国では、既に
ダム建設についての、
ダムそのものをつくるということについて見直そうじゃないかという動きが起こっているということを
建設省の皆さんはどれほど御存じか。
例えば、アメリカの内務省で、開墾局というのですね、アメリカは、これの前総裁のダニエル・ビアードさん、例えばエルワール
ダムだとかグラインズキャニオン
ダム、こういった
ダムを取り壊そうじゃないかというようなことを言い出しておる。なぜか。財政効率上非常に採算がとれない、それから社会的な支援、コンセンサスが得られない、
治山治水の代替の措置、手だてというものが可能になってきた、こういうような理由を挙げて、
ダムをむしろ壊そうじゃないかというふうになってきている。
イギリスなんかの場合にも、水法というものの制定を八九年にした。そして、
環境の
管理ということは全国
河川公社という権威のあるそういう
機関に厳重にしてもらって、それを除いた水関係の
事業についてはむしろ民間の水
事業会社に移管をした。
あるいはドイツの場合には、これは西ドイツと東ドイツが合併した後の話ですが、西ドイツの
人々としても東ドイツのいいものはいいものとして取り入れていこうということで、
環境保護の
システムを取り入れた。このことによってわざわざ憲法の
改正まで行った。
この憲法、ドイツ連邦共和国
基本法第二十条aというのは、これは五十嵐敬喜さんという法政大学の教授が
紹介しておりますけれ
ども、「国は将来
世代に対する
責任を果たすという観点から」「
自然的
生存基盤を保護する」このように明記をしまして、
環境を守るための憲法
改正を行った。それを受けて各州が、ヘッセン州などその他の州が水法を定めて、
河川の再
自然化、こういうことに取り組み始めています。
それで、ドイツの場合、この水法に従って
流域委員会というもの、私
たちの民主党の法案も本来は
流域全体をカバーする発想に立っているわけです。そして
河川管理者というのも、市町村長とか大臣とかというよりも、もっと
住民参加で、
情報公開でやろうということなんですが、現行法との整合性というようなこともありまして、
水系委員会という名称をとっているわけでありますが、ドイツの場合、この水法の
改正でもって、
流域委員会というものが
水資源の
管理に関する
基本計画というものを策定するということが義務づけられた。それで、国のレベルでは、
環境省というものが
環境の立場からこれを監視しているという形をとっているわけです。
日本の場合には何から何まで水系一貫主義で
建設省がやるということになっているわけであります。
そして、私
たちは、こうして諸外国の実情等もあわせ見てまいりますと、
自然というものを壊してきた、しかもよく考えてみれば、悪いことはあるけれ
ども、いいことは余りない、こういう
ダムの政策というものをやはりそろそろ
見直して、本来の
水循環とか
生態系というものを取り戻そうじゃないか、こういうふうに思うわけです。
そのためには、ただ単に川だけ見ていたのでは川を見たことにならない、それだけでは川をよみがえらせることはできない。川に注ぐ水というのは、先ほど来申し上げているように、山や森から集まってくる。
洪水も山や森から発するわけでありますから、やはり山も海も、そして世の中もよく見ながら取り組んでいかなければならない。
建設省の皆さん、じっと聞いてくださっておりますけれ
ども、この答申を解説しているような話なんですよ、私の話は。
そこで、林野庁に聞きたいのですが、大体、山とか森とかというものは水を含ませることが重要な役割になるわけです、水を含んでいるということが。そうすると、腐葉層があると保水能力が高いのじゃないかと思うのですね。だから、むしろ杉だとかヒノキだとかそういったものも、いろいろな山へ行ってみると、本当は、私なんかの小さいころは、田舎へ行きますと、杉とかヒノキを植えるのは、子供のころのことだからよく間隔わかりませんけれ
ども、やはり二メーターか三メーターそれぞれ離して植えているのです。整然と縦横に並んでいる。
ところが、今行って見てみると、雑然としていて、もう密集しているわけですね。だから、針葉樹だから葉は落ちませんし、しかも下草も生えないわけですね、下に小さい木も生えてこない。したがって、葉っぱも積もっていかないから腐葉層というものができない。そういうところにやはり大きな問題がある、あるいは根の張り方とか。そういうふうにいろいろな人にも私も聞いたりして思っておるわけですが、林野庁、違いますか。