○東
委員 いろいろな理由を言われました。
私は、
外務大臣は、
外交の最高ポストにつかれている方であると同時に、やはり
日本国の
外交を代表する象徴である、したがって、
日本国内から、また国外からも
外務大臣の一挙手一投足がちゃんと注目されているということを十分お気づきだと推察いたします。そして今
外務大臣が申されたとおり、
事件発生以来、この問題について自分
自身どのような去就をとったらいいのかということを深く考えていたのだろうと思います。そして最終報告が出ることによって、そしてそれを踏まえた上で、
外務大臣みずからが自分
自身の
責任を果たす
一つの手段として辞意を表明されたのではないのか。また、この
事件が起こってしまった、そして結果として、結果として
責任を
外務省の高官に背負わせているわけではありませんか。
そういうことを踏まえるならば、私は、この
報告書を見る限り、公務員法上何の過失もないというわけですから、外務高官、
外務省の高官に対して何ら処罰をする必要がない。私は、国際的な視点から見たとしてもそのように判断できるのではないのか。にもかかわらず、結果
責任という名なのかよくわかりませんが、
外務大臣みずからが
外務省の最高ポストとして、四人の
方々にそれぞれの訓戒を垂れたではありませんか。そうであるとするならば、
外務省の最高ポストである
外務大臣がそれなりの
一つのけじめをつけるべきなのではないのか。こういう視点から
質問させていただいているわけでございます。
司馬遼太郎さんの有名な小説「峠」というものがございます。その主人公である長岡藩の家老河井継之助、有名な方でございますが、出処進退の大原則にかかわる名言を、
外務大臣、御存じだと思いますが、彼は次のように言っています。進むときは人任せ、退くときはみずから決せよ、と言っております。なぜやめるときに人に相談したらいけないのか。やめない方がいいと言うにみんな決まっているわけです。
したがって、例えば、宏池会の
大臣の先輩であります伊東正義元
外務大臣。昭和五十六年の日米共同声明の後、日米共同声明の発表の仕方、さらにまた
国内における、その発表における紛糾があった。外相としてみずから
責任をとる。ごうごうたる非難が来ました。しかし、それによって新たに、日米
関係をさらに充実させていかなければならないと、自分で決心されたわけです。先輩みずからが、そのように
日本の指導者として範を垂れているわけです。
また現
総理であります
橋本龍太郎氏は、
平成三年の蔵相時代、当時、富士銀行不正融資に自分の秘書が絡んでいたことに関して、その
責任を感じて辞意表明をいたしました。当時、
サミットが近づいていた。
サミットが終わるまで何とかしてくれないか、このようにやはり慰留されるわけでございます。
サミットが終わった後、明確に辞表を提出され、それが受け取られているではありませんか。
外務大臣、
外務大臣は少なくとも最高ホストにいらっしゃる方です。我が子供たちあるいは
日本の人々にどのように説明すればいいのですか。自分
自身が
日本の
外交の
信頼回復のために
全力を尽くしていくとするならば、辞意なんか表明する必要ないじゃありませんか。他の人に相談する必要なんかないじゃありませんか。それを
外務大臣みずからが辞意を表明したということは、
最高責任者としてやってはならないことをやってしまったのです。それをどのように内外の人々に説明できるのですか。
だから、私はこのように何とも言えない寂しい
気持ちです。ただ単に
外務省の高官の
方々を訓戒
処分にする。自分
自身は、やめたいんですけれ
ども、
総理どうしたらいいんでしょうか、君、
外務大臣の
立場というのは十分わかっているはずだろう、そんなものでやめられると思うのか。
デンバー・
サミットが追っているなんということは前々からわかっていることではありませんか。テロに屈しない、それは
日本国全体の問題として、五十二年当時のダッカ・ハイジャック
事件以来、
日本というのはテロに弱いんだということが言われ続けたではありませんか。
今回、この
事件が起こって、先ほど
鈴木宗男代議士がみずから言っていたとおり、抜本的な形で、
外務大臣が命をかけて、
日本はテロに屈しない国にさせるんだ、そのような方針をみずから打ち立てて、それをやらせてくださいということを胸に秘めて、そして
総理大臣のところに行って、これをやらせてくれるのですかという、そのようなせっぱ詰まった
交渉をしているならば、私は納得しますよ。そうではなくて、どうでしょうか、
総理大臣、やめたらいいんでしょうか。だれもが、君、やめるのよしなさいと言うに決まっているではありませんか。それに対して、どのように落とし前、けじめをつけるんですか。それを私は申し上げているんです。いかがですか。