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池田国務大臣 まず、これまでの
我が国の
ODAの
あり方というものをどう評価するかという点でございますが、私は、やはり
日本が
国際社会でいろいろ活動していく上において
ODAというのは非常に大きな
外交手段の
一つであったし、その役割をよく果たしてきたと思います。それは二つの
意味があります。
一つは、今
委員もおっしゃいました国際貢献。
国際社会で
我が国が一体何を果たしていくかといった場合、それぞれの得意わざでやるべきだというお話がございました。そういった
観点からいいまして、いろいろありますけれども、
我が国はやはりこういった
経済協力、それは資金
協力だけではなくて
技術協力も含めてでございますが、そういったものを拡充してまいりましたし、そのことが、例えば今アジアの
諸国が
一つまた
一つというふうにテークオフを果たしまして、そして今二十一世紀へ向かって
世界の
経済成長の先端とも言われているようになりましたけれども、これにはその
国々の
方々の御
努力が一番ではございますけれども、
我が国の
ODA、その量と同時に手法、
取り組み方というものも、よってもって力があったんだ、かように考えております。そういった
意味で私は評価しているところでございます。
それから、もう
一つの面といいますのは、
我が国自身の立場から申しましても、利害から申しましても、それは早い段階におきましては、例えばタイミングでございましたから、
我が国のいろいろ
輸出なりなんなりに結びついた、そういった非常に狭い
意味での利害と結びついた点もございますが、それでなくてもやはり
我が国はこういった
資源の乏しい国でもございますし、どうしても国際
経済全体が発展する中で自分たちも伸びていく、そういうやり方しかないわけでございます。現在でもそうでございますが、そういった
意味では、やはり開発途上国が発展していって、それがまた
世界全体にも大きなマーケットをつくっていく、そういった
意味で、国際
経済の網の目の中で生きている
日本にとっても大きな役割を果たしたんだ、こう考える次第でございまして、私は、そういった両方の
意味で
ODAは非常によかったな、こう思っております。
しかしながら、これからもそうですかと言われますと、いろいろな見方がある。今
国民の皆様方の中にも、これだけ財政が窮乏した時期でもある、そして、
国民の皆様方にもいろいろまた御負担もお願いしなくてはいけない、あるいはこれまであったサービスも我慢してもらわなくてはいけないと言われるときに、
ODAはどうなのかという御意見があるのもよく承知しております。
しかしながら、私どもは、それじゃそんなに大きく、言われるように
ODAを
我が国は出しておるのかということも考えなくてはいけないと思うのです。確かに、冷戦が終わりましてから先進各国に
ODAファティーグという、疲れという現象が見られる中で
我が国はまだ着実に伸ばしてまいりましたから、今絶対額でいえばトップになっております。
しかし、
国際社会のためにどの
程度貢献したかという
観点から申しますと、GNP比、つまり自分たちが稼ぎ出したものの中からどれだけを
国際社会のために拠出しているか、そういう
観点から見るべきだと思いますね。それでいいますと、たしか私の記憶では、九五年のDACの統計でございますが、
日本は〇・二八だと思いました。そういった中で、フランスはたしか〇・五四か五五、カナダは〇・四五ぐらいでございますね。そして、イギリス、ドイツ、そしてイタリーも
我が国よりもわずかではございますが、GNP比は上であったと思います。アメリカはたしか〇・一ぐらいでございますが、そういった
意味では、やはり持てる力との比較において、
ODAの
世界に限定しても、そんなに
国際社会に随分貢献していますよと胸を張れる状態にはなっていない、量の面でも。
それから、質の面で申しますと、各国は無償
援助が中心になっておるのに比しまして、
我が国の場合は円借款というものが大きなウエートを占めているということもございまして、いわゆる贈与比率であるとかグラントエレメントという
観点からいいますと、DACの今二十近くなった国の中でも、いわゆる
援助の質の面ではまだ
努力すべきところが一番多いじゃないかと言われているのは、御承知のとおりでございます。そういうふうに、必ずしも十分にやっていない。
それから、先ほどアメリカが非常に比率が低いと申しましたけれども、しかしアメリカの場合は、ほかの面で随分
国際社会に貢献しているんだと思いますね。それは、かつての冷戦時代とは違いますが、例えば今、
世界の平和あるいは安全保障の面で、やはりアメリカというのは随分役割を果たしているんだと思います。そういった
意味では、国際公共財の非常に重要な
一つである
世界の安全保障のための貢献は随分している。そういったものを勘案しなくてはいけない。それから、
経済の分野で考えましても、例えばアメリカのマーケットは非常に大きゅうございますし、最近いろいろ勝手な
法律をつくって規制をするとは言われますけれども、全体として見るならば、やはり
世界で最も開かれたマーケットであり、開発途上国に対しても大きなマーケットアクセスを認めているんだと思いますね。そういった
意味での貢献もある、そんなことも全部勘案しなくてはいかぬ。
そういうことを考えますと、私どもはまだ決して、今の
日本の
ODAがいかにも過大であるとか、少し
世界のためとは言いながらやり過ぎであるというにはまだまだ早いのではないのかな、こういうふうな認識を持っております。
しかし一方、
国民の皆様が、
日本の
経済社会もこういった大きな改革を必要とする、そしてその中で財政もという中で、
ODAの
あり方もよく考えるべきだとおっしゃるのもよくわかります。
橋本内閣といたしましても、財政再建のために全く聖域なく全部見直していこうという方針で今臨んでいるところでございまして、私どももそのような気持ちでおります。そのときに、やはり
ODAにつきましても抑制しなくてはいけない。もう既にかなり抑制されております。
八年度の
予算もそうでございましたが、今、
国会で御審議いただいております九年度の
予算では、二・一%という過去で最も低い伸び率になっております。円のレートが昨年からことしにかけてどうなっているかということをお考えいただければ、これが実質においてはもっともっと厳しい実態になっているというのは御理解いただけると思います。
そういった
意味では、既に聖域ではなくなっておると思いますし、これからもそうならざるを得ない。そのときに我々は、やはりいろいろ創意工夫を凝らしまして、むだを省き、効率的な
ODAの
予算の執行に努めていくと同時に、またそのほかのいろいろな工夫もしなくてはいけないと思います。
例えば、開発途上国の中でも、次第に
経済発展をしてきて、かなり近い時期にいわゆる
ODAの
世界から卒業できるという見込みの立っているところには、だんだんと
ODA以外の面でのお手伝いという方向へ切りかえていく。
これは直接投資なんということもございましょうし、それから、大幅な規制緩和を進めていくことによって、
日本の市場をもっと開発途上国の産品も含めて開かれたものにしていくとか、あるいは資金の流れについても、例えば東京の金融あるいは資本市場の一層の効率化を図りまして、そういったところから開発途上国のいろいろな資金ニーズに応じていくということも可能でございましょう。
いろいろな工夫をしながら、
我が国として、国際
経済のため、また開発途上国に対する役割も果たしながら、なお
ODA予算そのものについては他の
経費と同じように節減を図っていくということは考えなくてはいかぬ、こう考えている次第でございます。