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仙谷委員 民主党は、議会が行
政府に対して復権できるかどうか、優位性をつくり出すことがどうかということを今考えております。その
一つが、先日提出いたしました行政監視院の構想でもございます。
そして、きょうの議論でも問題になっておりますように、財政再建と公共事業というのがこれから大変大きな問題になってきていると自覚をしているわけでございます。十六本の五カ年計画すべてが今までのように満額に近い要求を満たす計画で行われれば、さっき
総理大臣は、二〇二〇年か何かに財政破綻をする、こういうふうなことをおっしゃっていましたが、早晩、もっとより早い
段階で破綻をするのではないだろうかなという気がいたします。かてて加えて、国費の公共事業だけにとどまらず、地方負担というものについて、今自治体は本音では相当悲鳴を上げております。
そういう観点から、この公共事業問題の配分について、国会が議論をし監視をするということでなければ、それも具体的な工事の項目について議論をするということがなければ大変なことになるだろうと思います。つまり、私は、そろそろ日本は公共事業がトレードオフの
関係に入ってきたんだ、すべてが満たされる時代ではなくなってきた。こういう
認識を持っているからでございます。
どこそことは言いませんけれども、何とか庁の事業
予算はこれだけ使い残している、ここはこれだけ足りないというふうなことが、現在はそういうミスマッチも起こってきておるようでございます。どうしても、公共事業問題について、衆議院あるいは参議院で議院の同意を得て国会が公共事業を具体的に監視をし監督できる、そういう仕組みをつくらなければならないと思っているところでございます。
質問を変えます。
大蔵省改革の問題でございます。これは、思い起こせば九二年の証券・金融スキャンダルからある
意味では始まっている問題でございます。そして、当時、相当間接金融の世界の問題についても指摘をしたわけですが、ほとんどここはメスが入らずに過ぎ去ってきて、そうして昨年になって噴火をした。あるいは一昨年から噴火をし始めたということではないかと思います。
私は、二信組の問題あるいは兵庫銀行の問題、住専の問題、阪和銀行の問題、この中身を問うことなくして、金融行政改革というのは、具体的にさあどうすれば
検査、監督、企画、立案というふうなものが
市場との整合性においてつくられるかという中身は出
てこないと思うのですね。機構いじりからは何にも始まらないという感覚を持っているところでございます。
それで、そういう観点から私が申し上げた各種の金融機関の問題を考えてみますと、少なくとも銀行の
検査というものがルールに基づいて行われていなかった。行われていたかどうか甚だ疑わしいというのが
一つでございます。それは、商法二百八十五条ノ四に、金銭債権につき取り立て不能のおそれあるときには、取り立てることができない見込み額を控除しなければならないという規定がありますけれども、そのことは全くと言っていいほど守られていない。
兵庫銀行の倒産前期末決算で六百億と言われていた不良債権が、回収不能だけでも七千九百億、一兆五千億の不良債権が生まれたというのは、どんな
検査をしておったのか、
検査がどのように監督に反映したのかということが厳しく問い直されなければならないわけでございます。つまり大蔵省の裁量行政の大失敗でございます。これは、大蔵省は銀行
局長をあえて頭取にまで送り込んで再建を図った銀行がこのていたらくであったということでございます。
阪和銀行は、聞くところによりますと、実は大蔵省がルールに従って
業務停止をかけたというよりも、監査法人が決算を承認しなかった。なぜ承認しなかったか。株主代表訴訟に監査法人みずからが巻き込まれることを恐れて、そんな不良債権額の出し方、償却の仕方では我々は同意できないということでございました。期末決算五百七十三億に対して十一月二十一日には一千九百億の不良債権額が出てきた。これではもたないということで
業務停止をかけたということのようでございます。証券・金融スキャンダルのときから私どもは、日本の公認会計士の問題も指摘をしてまいりました。
検査と監督というものについて極めて真剣な反省とルールづくりが必要なんではないだろうかなと思います。
さらに加えて、この種の
検査結果あるいは監督の結果がディスクローズされないで、いわば大蔵省銀行局と銀行の間の内輪の話に終始をして、人事的なやりとりで決着をするというようなことが行われたというのも、もう
一つの問題ではないだろうかなと考えているところでございます。さらに、農林あるいは信用組合問題というふうなこと、あるいはノンバンクの問題を考えますと、これは
検査が一元的でなかった。金融行政が一元的になされていなかったということの弱点がもろに出たと考えるところでございます。
そういう観点に立ては、私どもは、今問題になっておる大蔵省の改革ということについては、財政と金融を、財政部門と金融部門を完全に近い形で分離をしなければ事は始まらない、とりわけ重要なのは、日本銀行、中央銀行の独立性を完全に近いものにまで高めるということだろうと思います。さらに加えて、
検査・監督と言われるものをルールに基づいて、冷徹にと申しましょうか、スマートに行うということが次の問題でございましょう。さらには、国際会計基準を導入する、早く時価主義を導入する以外に、私は金融マーケットとの整合性はとれないと思っているところでございます。
今私どもに問われている問題は、
総理大臣の二〇〇一年のビッグバン及び全体の省庁再編成の問題があるようでございますけれども、この
段階ですっきりとどこまで
検査、監督、企画、立案を財政当局から分離しながら金融行政を進めていく、監督の中身を問い返して進めていく機関をつくれるかどうかということにあるというふうに考えているわけでございます。
そういう観点からは、私どもは、金融、財政の分離をするための新しい機関をつくる必要がある、そして当然のことながら、当面といいましょうか、相当期間は財政当局と金融当局を人事の遮断もしなければならないというふうに考えているところでございますけれども、大蔵大臣、大蔵大臣のお考え方をお伺いしたいと思います。