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1996-04-30 第136回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年四月三十日(火曜日)    午前十時開会     ―――――――――――――    委員の異動  四月二十六日     辞任         補欠選任      和田 洋子君     小山 峰男君      筆坂 秀世君     笠井  亮君      島袋 宗康君     山田 俊昭君  四月三十日     辞任         補欠選任      阿部 正俊君     吉川 芳男君      石井 道子君     海老原義彦君      北岡 秀二君     金田 勝年君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         井上  裕君     理 事                大河原太一郎君                 斎藤 文夫君                 清水 達雄君                 塩崎 恭久君                 泉  信也君                 白浜 一良君                 都築  譲君                 山本 正和君                 有働 正治君     委 員                 石井 道子君                 海老原義彦君                 金田 勝年君                 久世 公堯君                 河本 三郎君                 鴻池 祥肇君                 坂野 重信君                 関根 則之君                 武見 敬三君                 谷川 秀善君                 野沢 太三君                 野村 五男君                 服部三男雄君                 真鍋 賢二君                 依田 智治君                 吉川 芳男君                 荒木 清寛君                 岩瀬 良三君                 海野 義孝君                 大森 礼子君                 加藤 修一君                 小山 峰男君                 鈴木 正孝君                 直嶋 正行君                 益田 洋介君                 横尾 和伸君                 朝日 俊弘君                 一井 淳治君                 大渕 絹子君                 梶原 敬義君                 川橋 幸子君                 前川 忠夫君                 緒方 靖夫君                 笠井  亮君                 小島 慶三君                 山田 俊昭君    政府委員        大蔵政務次官   山崎 正昭君        大蔵省主計局次        長        林  正和君    事務局側        常任委員会専門        員        宮本 武夫君    公述人        学習院大学経済        学部教授     奥村 洋彦君        弁護士法学博        士        宗田 親彦君        一橋大学経済学        部教授      石  弘光君        日本労働組合総        連合会事務局長  鷲尾 悦也君        弁護士      新垣  勉君        法政大学社会学        部教授      福井 秀夫君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○平成八年度一般会計予算内閣提出、衆議院送  付) ○平成八年度特別会計予算内閣提出、衆議院送  付) ○平成八年度政府関係機関予算内閣提出、衆議  院送付)     ―――――――――――――
  2. 井上裕

    委員長井上裕君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  本日は、平成八年度一般会計予算平成八年度特別会計予算及び平成八年度政府関係機関予算につきまして、お手元の名簿の六名の公述人方々から項目別に御意見を伺います。  まず、午前は二名の公述人にお願いをいたします。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  本日は、平成八年度総予算三案につきまして皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後で委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、まず金融・不良債権問題につきまして奥村公述人からお願いいたします。奥村公述人
  3. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) 奥村でございます。よろしくお願いいたします。  本日は、参議院の予算委員会にお招きいただきまして、現下の大変重要な金融・不良債権問題につき見解を申し上げることができ、心から御礼申し上げます。  お配りしていただきました私の資料を活用して御説明させていただきます。  この問題を検討して、私たち国民にとってどのような政策が最も望ましいかを考えるために、二つの欠かせないことがございます。一つは、問題を産業組織論的にとらえることであります。もう一つは、金融自由化とのかかわりを分析することでございます。このことは、政策を考えます場合に、現在の私たち制度を踏まえた現実的な政策と今後あるべき理想的な政策とはとりあえず分けて考えること、また理想的な政策を将来実現するためには私たちはまず制度を変えていかなければいけない、そういったことを意味するわけでございます。  こうした考え方の上で、現在行われておりますさまざまな金融機関不良資産論議を整理いたしますと、私の資料の二ページの下に絵がございますが、このような四つパターンに分けて考えることができるのではないかと思います。  この二ページ下の絵をごらんいただきまして、まず議論をいたします場合に、産業組織論的な議論をしているかどうか。つまり、私たちが目にいたしますことはパフォーマンスでございまして、そのよしあしを論ずることは簡単なんですけれども、なぜそうしたパフォーマンスになっているかを、人々の行動とか市場の構造とか、あるいはその背後にあります政策と結びつけて考えて議論することが大事でございます。  第二の分類は、金融取引金融自由化前のセッティング議論するのか、あるいは自由化後のセッティング議論するかでございます。いずれをとるかによりまして、金融当局政治の担うべき役割は大きく異なってまいります。また、金融機関やそのお客様の責任も違ってくるからであります。  第三の分類は、金融自由化念頭に置きます場合に、完全に自由化した状況前提にするのか、あるいは現在私たち経験している部分的な自由化前提にして議論するかでございます。  こういうふうに問題を分けておきますと、私たちが検討しなければいけない住専論議あるいは金融機関不良資産論議というのは、パターン3かあるいはパターン4に限られるわけでありまして、産業組織論的な分析をしていないとかあるいは金融自由化念頭に置いていないとかいった議論は、現実的な政策論議の俎上にのってこないと判断いたしております。  そして、もし教科書論的に理想の姿を言うならば、それは完全自由化前提にした議論になってまいりますので、現在私たちが直面している部分的な自由化前提にした議論とは異なってまいりますが、将来こうしようというのであれば、パターン3で議論していくことも一つ議論の立て方でございます。しかし、それにはまず制度変更をしなければいけないということを重視したいと思います。  こうした枠組みを考えた上で現在の問題をとらえますと、私たちが直面している問題は、資本主義経済市場経済ならばどの国でも経験している市場の失敗がもたらしているものなのか、あるいは日本特有の悪い面があって問題が起きているのか、この二つを分けておくことが大事でございます。  先生方も多く御存じのことかと思いますが、市場経済が持っている欠陥がさまざまな金融問題を引き起こすことがございまして、この点は格段日本だけで起きていることではないということをまず取り上げたいと思います。  私の資料の一ページで1、2、3と立てております項目は、市場経済が本質的に持っている欠陥金融面にあらわれてくることでございます。例えば、金融自由化をすれば弱い金融機関倒産するわけであります。また、金融危機というものはどの市場経済でもしばしば経験することでございまして、例えば自由化を先行させてまいりましたアメリカでは、一九八〇年代後半から九〇年代前半にかけて大きな金融危機が起きました。また、イギリスにおきましても、一九七〇年代前半に非常に大きな危機経験しているわけでございます。したがって、今金融危機が起きているから日本だけ何か悪いことをしているという問題のとらえ方をすべきではないと思います。  さらに、金融危機が生じましたときに何らかの形で公的資金を投入することも、市場経済ではいずれの国も行っていることでございます。アメリカイギリスも同じ経験をしておりますが、例えばアメリカで見ますと、八〇年代後半から九〇年代初めにかけてのSアンドL、貯蓄貸付組合問題に際しまして、アメリカ政府は約千七百億ドル、一ドル百円といたしますと約十七兆円の公的資金を投入いたしました。こういうことが市場経済の持っている共通の欠陥でございます。  しかし、一方、日本特有の問題もありますので、私たち市場経済だから金融危機が起きてもしょうがないんだというだけでは済まない問題がございます。ここでは、今回の日本金融危機に際してどのような日本特有の固有の問題があったか、そしてこの点をどういうふうに正していくべきかをこの後申し上げたいと思います。  まず、今回の問題は、歴史的な経緯を見ますと、バブル経済が発生し、そのバブル経済が崩壊する中で問題を大きくしていったという経緯がございます。  このバブル経済に絡む問題を考えますと、政策面でどういう問題があったか、金融機関行動面でどういう問題があったか、そして金融機関から資金を調達している、あるいは金融機関を利用している企業にどういう問題があったか、この三つをきっちりと整理しておくことが日本国有の問題をとらえる上で大事な点でございます。  私は、この問題の焦点を、この間、金融取引を部分的に自由化していった、例えば預金金利自由化では、約十年前に一口十億円以上の預金をまず自由化する、その後徐々に小口の預金単位まで金利自由化を進めていったわけでございますが、そういう金融取引を部分的に自由化していくときに、それと整合的な金融行政を実施してきたかどうか、この点が一つ問題でございます。  私たちは、金融自由化していくときには、言葉は悪いんですけれども、当然強い金融機関は勝ち弱い金融機関は負けるわけでございます。しかし、国民から見ますと、自分預金がたまたま弱い金融機関に預けられていたので全部返ってこないというのでは自由化コストが余りにも大きいものですから、そういった国民のリスクを小さくするためにさまざまな制度をつくっていく必要がございます。  まず第一に、預金保険機関でございます。金融自由化するならば、預金保険機関を充実させ、預金者にかわって金融機関経営監督問題処理に当たらせることが大前提でございます。第二に、金融機関経営内容を全面公開させると同時に、金融行政透明度の高いものにする必要がありました。そして第三に、消費者国民にとってさまざまな金融商品比較情報などを簡単に手にすることができる、そういう情報全面自由化が必要でございました。  この十年間、金融を部分的に、過渡的に、あるいは一部自由化していく中で、今申し上げました預金保険機関の充実とか金融機関経営情報あるいは金融行政情報公開、さらには消費者金融商品比較情報を自由に伝える、そういった当然とるべき政策をとっていなかったということがバブル経済を引き起こした一因として考えられるべきだと思います。  また、金融機関行動面では、八七年から九〇年にかけての地価や株価が高騰していましたときに、民間金融機関は二百二十三兆円貸し出しをふやしております。四年間で貸し出しを純増させた金額は二百二十三兆円に上っております。こうした金融機関行動経営内容公開する必要が少なかったからこそできたことではないかと思われますが、今日この問題を考える場合には、金融機関不良資産はどのくらいになるだろうか、不良資産問題を過去形ではなくて進行形で考えていく。そのときに、バブルのときに民間金融機関は四年間で二百二十三兆円貸し出しをふやしたという事実が私どもにとっては大事なことでございます。  また、企業も、一部企業でございますが、資金をさまざまな形で調達する一方、調達コストを上回る預金金利でもって金融機関預金をするというメリーゴーランド取引を活発に行ってまいりました。こうしたことがマネーサプライの増大とかあるいは先ほど申し上げました金融機関貸し出し増加につながっていくわけでございます。  バブル経済はこのように政策面金融機関行動面、そして金融機関を利用する企業行動面、幾つかの面から発生し、バブルの崩壊に伴って今日の金融機関経営問題が生じているわけでございます。  こうしたバブル経済の問題を除きましても、私たち日本特有の問題として四つばかりの点を考え、この問題を解決しなければ金融機関問題は解決しないと判断する必要があります。  第一は、自由化を進めるに際して、国民が、自由化にはいい面があると同時に自分たちコストを負担しなければいけない悪い面もある、そうしたコストベネフィットをきっちり理解するような枠組みになっていたかどうかでございます。  何か規制緩和とか自由化をすればすべてうまくいくといった風潮がございますが、市場経済規制緩和自由化をすればうまくいく面があると同時に、国民にとってコストが大きくなる面がございます。特に金融問題におきましては、自由化をすれば銀行預金が安全ではなくなるという問題がございます。  私たちは、自由化を進めていくに際して国民に対し、そうした自由化コストの負担は国民がするんだと、私たち家庭自由化コストを負担して自由化を進めなければならない、そういう認識をしていただく必要があったわけでございますが、先ほど申しましたように、預金保険制度自体いわば張り子トラでございまして、ほとんど実体がない預金保険制度を看板だけ掲げるということをやってまいりましたので、国民にとってはコストを負担しなくても何か自由化でいいことばかりあると判断しがちになったと思います。  こうした点が、ちょっと言葉は強いんですけれども、私たち国民にとっては緊張感をなくさせるわけでございまして、いざ自由化の結果、銀行がつぶれて預金が危なくなると、今度は官庁とか政治だけが悪いんだという批判をしがちになってくるわけでありますが、これは同時に、官庁政治家にとりましても、自由化を進めるときにやるべきことをやっておかなかったという反省すべき点があるのではないかと思います。  第二の点は、経済政策の運営について触れさせていただきたいと思います。  今回の金融機関不良資産問題は、既に一九九二年ごろから姿をあらわしておりました。明らかになっていたわけでございます。当時とられた政策は、いわば時間稼ぎ、問題先送り型の政策でございました。これは別段悪い政策とは言えません。その後、景気がよくなってきて経済活動が健全になってくれば、金融機関不良資産問題も峠を越えてくると見通せるわけですから、九二年当時とられた時間稼ぎ、問題先送り政策が悪いとは言えないんですけれども、私たちがチェックしなければいけない点は、そうした金融機関政策をとるならば、一方のマクロ経済政策は私たち日本能力に合わせて経済活動を拡大させる政策をとる必要がございます。  九二年以降とられた政策は、私の見方では、私たち労働力金融力を十分活用しない能力以下の成長を追求するという、いわば低成長容認政策でございます。一方の金融行政では、今後景気がよくなってくれば金融機関問題は小さくなるという政策をとる、一方ではマクロ政策でそういう政策をとらないわけでございますから、このような非整合的な矛盾した政策をとったことが今回の問題を一段と大きくさせ、今日に至っても問題がなかなか解決しない結果になったのではないかと思います。  もう一点、情報公開の面で問題点を指摘しておきたいと思います。  先ほど自由化の途上でとるべき政策において情報面についても触れたわけでございますが、この一九九六年に至りましても消費者に十分な金融情報が届かない面がございます。もちろん、金融機関経営面金融行政面ではかなりの改善努力が払われておりますので改善していることは間違いないんですけれども。  さて、自由化だからどの金融機関を選ぶのか、あるいはどの金融商品を選ぶのかは国民自己責任においてやってくださいよと言えるほどの情報国民に届けているだろうか。この点で、私は象徴的なものとして金融商品比較情報規制を取り上げたいと思います。  国民が合理的な選択自由裁量度を高くやるためには、いろんな金融商品情報を手にして選択する必要があります。その上で失敗する場合は国民責任でございます。ところが、いまだに金融商品比較情報というものを実質的に規制しているわけでございます。先生方も、例えば電力株配当利回り預金金利を比較した広告とかパンフレットを活字でごらんになったことはないはずでございます。  こういう状況下自由化だけを進めてまいりますと、どこかで矛盾が露呈するわけでありますので、まずこういった情報面においてもディスクローズをさらに強めることが大事だったのではないかと思います。  こういった問題のとらえ方、そして市場経済ではどこでも経験した問題と日本国有の問題とを分けて考えてまいりますと、きょうこの時点で私たちが取り組むべき対応策として四つの点が浮かび上がってくるのではないかと思います。  お手元資料の二ページで6と書いておりますところがその箇所でございますが、第一点は、現下の問題がなぜ金融システム全体の問題なのかということを国民にわかりやすく明確にしていくことでございます。  第二点は、先ほど申し上げました預金保険機構の問題でありますが、もはや張り子トラでは済まないわけであります。アメリカFDICには二万人の人がいて、預金者にかわって金融機関経営を監督している。そういった組織に匹敵する預金保険機構日本にも早急につくるべきでありますので、預金保険に人員をふやす案で数百人といったスケールの案が出ているのではないかと思いますが、これはけたが違うわけでありまして、数千人ふやす、そして数千人のコストは私たち国民が負担する、こういった性格づけをきっちりして預金保険機構を確立すべきだと思います。  この問題に関して、現在、検査考査を行っております大蔵省日本銀行の機能をどうするかという問題がございます。私は、現在の大蔵省日本銀行検査考査はわずか何百人という単位でやっているだけでございますし、またそれぞれの官庁はそれぞれ金融機関と接触していないと行政政策がとれない面がございますので、この大蔵、日銀の検査考査を移すか移さないかは全く別の問題として、預金保険を数千人体制で確立するということが大事だと思います。  第三に、情報の面がございます。これは先ほど申し上げましたように、さまざまな金融情報金融機関経営金融行政情報開示の一層の徹底を図ることであります。  そして四番目に、経済が私たち能力に合わせて拡大しなければ金融機関不良資産問題は解決できないという物事の原点をしっかり踏まえて私たちは臨まなければいけないんで、幾ら金融行政でテクニカルなことをやりましても経済が拡大しない限りはうまくいかない。そのことをイギリスアメリカ経験も私たちに示しているわけでございます。  こういった点も踏まえて、四つ対応策を提示させていただきたいと思います。  どうもありがとうございました。(拍手)
  4. 井上裕

    委員長井上裕君) ありがとうございました。  次に、宗田公述人にお願いいたします。宗田公述人
  5. 宗田親彦

    公述人宗田親彦君) 公述人宗田でございます。  お手元に配付いたしました「住専処理法案の検討」と題するリーフレットがございますが、それらを細かく見ていきますと時間の関係もございますので、重要なところに触れながらポイントを述べさせていただこうと考えております。  まず、冒頭にあります現行の倒産法と言われておるものには、我が国ではいわゆる倒産五法といいまして、倒産法という単行法はないのでございますが、破産和議会社更生会社整理特別清算とございます。  破産和議は、これはすべての法主体適用がありますから、信用金庫、農協、信用組合その他にも適用があるのでございますが、会社更生会社整理特別清算は株式会社にのみ適用がございます。それゆえ、これらについて適用の対象を拡大する必要があるという認識をしているわけであります。  (2)の世界主要各国倒産法制でございますが、主要各国はおおむね単行倒産法というものを持っておりまして、我が国は五つにそれぞれ分かれているわけでございますが、この単行倒産法の中で、再建に進むとか清算に進むとかという選択がなされるという制度を有しているわけで、我が国でも法律制度としては大いに参考にしなければならないというふうに考えられるわけでございます。  さて、与党住専処理法案を拝見いたしますと、アメリカ制度参考にしているというふうに見られるわけであります。どのようなことかと申しますと、アメリカ倒産法制は、第十一号法律というUSC十一というナンバーのつけられましたバンクラプトシーアクト、破産法というものがございますが、その百九条のb項の二とd項には、金融機関とか保険会社には破産法適用しないという条文があるわけでございます。それでありますから、金融機関の破綻に関して与党が新たな法案を考えようということは、そのあたりから出発点があるというふうに見ることができるわけであります。  それでは、どのようになっているかというと、それに引き続く法律USC第十二号という法律がありまして、これがバンクスアンドバンキングというタイトルの冠された法律でございますが、金融機関に関する倒産処理はこの法律をもって行うということになっておるわけでございます。  お手元のピースの二枚目でございますが、2の(2)というところがそれでございますけれども、これは一九二九年の大恐慌の後につくられた、FDIAと呼んでおりますが、フェデラル・デポジット・インシュアランス・アクト、一九三三年に連邦預金保険法というものができました。そのもとにFDIC、フェデラル・デポジット・インシュアランス・コーポレーション、連邦預金保険公社というものが認められて、その公社の手によって処理をしよう、そしてこのバンクスアンドバンキングという法律の中ではこれらを使うということが随所に出てまいるわけでございます。  そして、(2)のロというところの法制がソフトな行政を中心とした一つの解決方法であり、三ページ目のハというところが、奥村先生の今お話にもちょっとございましたが、SアンドLという貯蓄貸付組合、これは小口の預金者資金を不動産購入資金として貸し付けるという貯蓄組合の倒産処理でございます。それがこのFDIAとFDICのもとでTHRIFTのセービング・アンド・ローン・アソシエーション、Sアンドしというものの処理として一九八九年にFDIAの追加としてのFIRREAというアメリカ金融機関改革実施法というものに基づいてつくられた制度でありまして、これがRTC、整理信託公社と言われる制度であるわけです。  ですから、倒産処理についてRTCという制度がひとり歩きしておりますけれども、FDIA、FDICのもとで認められる貯蓄貸付組合の倒産処理としてアメリカにおいて認められた一つの整理信託公社という制度であるわけでございます。選択肢の一つというふうに認識する必要があるかというふうに考えるわけです。  これが法的な倒産処理、そして先ほどのをソフトな制度といえばこちらが法的な司法機関と同じような制度を有したハードな制度だということができるわけでございます。  そこで、考えてみなければならないパターンに四通りのパターンがあるかというふうに存じております。  一つ金融機関銀行、信金、農協、信用組合その他でございますが、それの倒産処理についてソフトな私的の処理をする。例えば、債権買い取り銀行とか債権買取機構を設けるという方法。もう一つは、同じく金融機関についてハードな倒産処理を法的に進めるという方法。さらに、三番目としては、非金融機関、住専とかノンバンク、生保その他が考えられますが、そういうもののソフトな倒産処理をするという方法。そして、ハードな倒産処理に基づく方法というふうに、四通りの方法が考えられると思うわけでございます。  参考にしたところのアメリカでの処理方法は、金融機関についてソフトな債権買い取り機関というものなどに基づく解決か、もう一つ金融機関についてのハードな倒産処理をする、これが先ほど申し上げたRTCの制度であるわけです。  それでは、両者ともアメリカでは金融機関についての処理でございましたが、非金融機関、住等等はどうなるかと申しますと、これは第十一USCというバンクラプトシーアクトの適用があるということになっているわけでございます。多額の公的資金の投入ということもアメリカとしてはございましたが、その場合も金融機関の破綻の場合にのみ使われたわけで、非金融機関倒産の場合に公的資金が使われたということではないというふうに存じておるわけでございます。  そこで、住専処理法案というものが先行して審議せられておるわけでございますが、政府・与党がその後、追加して提出せられたところのいわゆる金融四法、そういうものを住専処理法とあわせて検討してみますと、金融機関についてソフトな倒産処理をしようというものに、預金保険法一部改正に関するその附則関連の部分で、信用組合について事業とかを引き継いで、そして協力銀行によって債権の回収をするという制度。  それから、同じ金融機関についてソフトな処理をしようとするものに二番目として、金融機関等の経営の健全性確保のための法律銀行とか信金、信組、労金の相互の事業の譲渡を可能にしたという制度でございます。  第三番目の農水産協同組合保険法の改正、これも機構による資金の援助とか預金債権の買い取り。FDIAのもとでFDICが行ったソフトな処理というものがベースになって新しく追加せられてきたうちの四つ法律のうちの三つがこれに属するというふうに考えられるわけでございます。  それとは別の金融機関についてハードな処理をしようというものが、いわゆる金融四法の中の金融機関の更生手続の特例等に関する法律。先ほど申し上げましたように、信用金庫、信用組合、労働金庫などは株式会社でございませんでしたから会社更生法の適用はございませんのですが、しかしこれを可能にしよう、そして開始原因を破産原因の生ずるおそれというように、将来の事項を対象としてそれを開始原因というふうに拡大をしようというように定めているわけでございます。  政府が考えている金融四法は、いずれも金融機関についての新しい今申し上げた四つ制度でございますが、さてこの住専処理法というものは、先ほど申し上げましたように非金融機関のソフトな倒産処理、一種の私的整理法といいましょうか、預金保険機構が株式会社を設立して住専の財産を譲り受けて債権を回収しょうというものでございます。  そこで、問題の焦点は、住専の処理はこのソフトな倒産処理とハードな倒産処理のどちらによるべきであろうかという点になるわけでございます。  住専処理法の目的は、御案内のとおり預金者の保護と信用秩序の維持、住専処理法案の第一条に掲記せられているところのものでございます。そういうことをもととして判断してまいりますと、与党大蔵省住専処理法案は、非金融機関である住専、これの債権者が母体行、一般行、農林系金融機関であるという住専に対して、その処理の対象、法主体が直接に金融機関ではないけれども母体行、一般行その他がおります、そして母体行という出資者がありますから間接に金融機関であるというところから、その金融機関預金者の保護、そして信用秩序の維持というところに結びつくものかと。  法主体金融機関というものからそれの前段階の、非金融機関だけれどもそれの出資者それから債権者が金融機関であるという特殊な企業、事業会社であるために、そこが倒産すると間接的に金融機関が影響を受けるという、アメリカではそこについては対処をしなかった間接的なものを我が国では住専処理法として今回処理をしようという案であるわけでございます。それは、内容はソフトな私的処理法を大蔵省の手によってつくろうというふうに考えられるわけでございます。  そうでございますからして、このソフトな倒産処理が住専の倒産処理に適当か適当でないかということが検討されなければならないわけでございます。参考にしたアメリカ制度では、重複いたしますが、金融機関にはソフトな倒産処理もあるしハードな倒産処理もある、しかし非金融機関には十一USCというハードな倒産処理制度しかないということをまず一つ考えておかなければなりません。第二番目には、今申し上げてきました住専は直接の金融機関でなくて間接に金融機関に影響を及ぼす事業会社だということを考えておかなければならないわけでございます。  そこで、与党案はそういう私的整理法であって、大口の債権者の六兆七千億という債権の放棄を得るという案であり、かつ、御案内のとおり債権者から大型の融資、六兆六千億の融資を受けておいて、それで一たん返済をしてしまって、それを十五年間かけて回収しようという制度。そして、損失の負担には一次ロス、二次ロスともに税金の投入を予定している、予定せざるを得ないというのがかいつまんだ与党案だというふうに考えますが、今申し上げた住専は直接の金融機関でない、そして住専処理法の目的が預金者の保護、信用秩序の維持というところからはどうしても間接的なものということと切り離せませんので、やや遠のくのではないか。  それから、損失に税金を投入するという点、それから具体的な処理策の比較といたしまして、お手元に配付いたしましたピースの最終ページをごらんいただきながら御説明をさせていただこうかと存じております。  それの(4)のところ、裁判所の関与があるのがよろしいかどうかというその当否の問題を検討しなければなりませんが、大蔵省の手を離れて関係人の討論のもとで裁判所のスクリーンを通して解決する方がよろしいのではないか。国民がこれだけ数多く住専処理法案に反対の声を上げているというのは、どうやらその納得のプロセス、法の支配、正しさへの期待というものが十分ではない、納得のプロセスを経ていないのではないかというところにありますので、裁判所の関与は公正さの担保からも必要であろうと。  その次の手続開始の要件でございますが、先ほどちょっと申し上げましたけれども、破産原因を生ずるおそれというように金融四法の中の金融機関の更生手続の特例等に関する法律で拡大しようという部分は拡大しつつあるので、早い段階で開始を得ておくのが金融機関には信用破綻につながることを防止するというその性格からして妥当だと考えられます。  さらに、アメリカで行われている開始原因としては、自己資本率の極端な低下、これのあったときには自動的に手続が始まる。こういうことも、我が国企業の自己資本率の低さはっとに指摘されておりますけれども、金融機関にあってはこのあたりも開始の要件に入れてよろしいのではないか。アメリカ法律によりますと、自己資本率が二%を切ったときには自動的に倒産処理が始まるというような制度がありますので、このあたりも参考にする必要がある。  それから、管財人の選任の有無でございますが、アメリカ制度では公社を管財人というふうにしておりますので、我が国制度では、私は住専各社に管財人を選任して、公社というところからは管財人の事務スタッフを派遣するというように処理するのがよろしいのではないかというふうに考えております。  それから、資産の移転についてでございますが、これはアメリカでもパーチェス・アンド・アサンプション、その次の債務の引き受けと並んでございますが、住専処理法には資産の移転という項目はございます、債権の買い取りという項目はございますが、債務の引き受けという項目がございません。この両方がなければ倒産処理は行えませんので、それは法案としては明記して入れるべきだと。  さらに、否認権、詐害行為取り消し権を発展させたものでございますが、こういうものを管財人に与えることによって、紹介融資など大半が既に回収済みだというものは、手続開始前の弁済その他を否認権によって要件にかなえばこれをカムバックさせることができる権利というものも、また資産隠しその他についても強力な伝家の宝刀と言われているものでございますから、これを制度化する必要があろう。  損害賠償請求権につきましては、役員の経営責任というものについて果たさせるために、それを管財人の手によってフリーハンドで行使できるような第三者としての管財人が行使できるという制度にするべきではないか。  それから、貸し手責任、紹介責任もそれぞれの要件がかなえば、それぞれディープロックとか債権の劣後化、サブオーディネーションとかその他の方法もございます。また、不法行為が成り立つ要件にかなっておれば、それらについての責任も求めることもできる。  それから、法人格を否認するというピアシングルール、そういうことも要件にかなっておればできるのではないか。  そこで、結論的にでございますが、新しい倒産法制が現行の倒産法制のレベルとそんなにかけ離れずに開始の原因を緩和するとか、債権の劣後化というようなあたりを限度として倒産法制をつくり、会社更生プラス公社案と述べている新進党の案というものがよろしいのではないか。これによって直接は税金の投入を不要とするというふうになるわけでございます。  そこで、損失の負担をどうするかというと、それは出資者であるところの母体行の責任であり、第二次的には債権者の責任であるということになるわけです。その結果、農協系の破綻が生じたらどうなるかといいますと、ハードな金融機関向けの倒産処理法を、または現在の住専処理法案の内容を改めて農協などをもその適用の対象とするというような法案にして、直接に農協その他の救済を図るというふうにするべきではないか。  なお、民事執行法の五十五条、七十七条、八十三条という競売の保全処分とか、それから倒産処理法制においても保全処分を早急に行う。今日のこのように長々と決まらない状況を見ておりますと、一刻も早く倒産法の申し立てがあり、そうして倒産の保全処分がなされて財産を確保しなければ財産が散逸してしまう一方だというふうに思いますので、そのあたりを御審議の上、早急によろしい法律をおつくりいただきたい、このように考えております。  これが私の見解でございます。失礼いたしました。(拍手)
  6. 井上裕

    委員長井上裕君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  7. 吉川芳男

    吉川芳男君 自由民主党の吉川芳男であります。  早速、奥村公述人にお尋ねいたします。  私は先生のお書きになったものを何点か読ませていただきましたし、またきょうも所論を承らせてもらいましたが、私が拝察するところは、先生は成長論者でいらっしゃるというふうに見ておるわけでございます。現在のような低成長率では年金や財政あるいは金融システムが壊れてしまうのにこの矛盾を隠したまま虚構を築いていると、かなりきついお言葉で指摘をされておられるようでございます。また、きょういただいたレジュメにも、預金保険機構張り子トラ、虚構であると指摘されております。  金融三法では今度、料率を一挙に七倍にも上げようとしているわけでございまして、確かにおっしゃられるように後追いであることは間違いございませんが、しからば学者先生方の中で、あるいは民間の中で今日の事態を予想されまして、この辺は十分手当てしなきゃならぬというふうに御指摘されたことはあるのでございましょうか。それらもひとつお聞かせ願いたいと思うんです。
  8. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) 今、吉川先生がいろんな点を的確に御指摘なさったわけでございますが、金融機関不良資産問題がもう九二年ごろから先行きどういう展開になるかはかなり読めていたと思います。  こういう場合に私たちがとれる手は二つあるわけでございます。もし先行きの経済成長率が低くなってくるということを考え、そういった政策をとるならば、年金とか財政とかあるいは今回御検討なさっております住専の救済スキームだとかいったものも低い成長率のもとで運用利回りは低くなる。そのことを前提にして九二年からシステムの設計を変えてまいりませんと、国民にとっては、本当は負担があるんだけれども、その負担が隠されたまま時間だけ経過する、そして例えばどこかの企業がつぶれてみれば年金がもらえないことがわかってくると、こういう最悪の事態になってくるわけであります。  預金保険についても全く同じでございます。先生から今、九二年ごろからそういうことを指摘していたのかという御質問がございました。私はそういったことをもう何年も前から申し上げて、またいろんな書き物に書かせていただいております。もちろん、私以外の諸先生方もこういったシステムの問題についてはお気づきだったのではないかと思います。
  9. 吉川芳男

    吉川芳男君 次に、奥村先生に引き続きお願いしますが、先生は平成四年八月十四日に日本経済新聞に寄稿されました。その要旨は、ポストバブル経済のありようは七〇年代の英国に学べ、こういうふうに論じられております。アメリカのことを引き合いに出される方は多いのでございますが、イギリスに学べと言われている方は少ないようでございます。所論の中に、中でも救命艇活動が功を奏し事態の収拾に成功したと述べられておりますが、この救命艇、救命ボートというのは一体どういう機構であったのか、また日本の住専機構とどう違ったのか、そして特に公的資金が入ったのか入らぬのかということについてお聞かせ願いたいと思います。
  10. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) よく私たちは欧米という言葉を使うわけでございますが、アメリカとヨーロッパ、イギリスやドイツの物の考え方とか政策運営というのはかなり違っております。例えば、ドイツでジェントルマンズアグリーメントという言葉がございますが、これは日本的に言いますと官民一体となって仲良くやっていこうというようなことでございます。  私は、いろんな制度が整ってからであればアメリカ的な政策運営も十分できるし、また選択肢の一つだと思いますけれども、市場経済自由化を進めていく場合の制度が十分整わないときに市場経済の失敗が発生したという経緯にかんがみますと、例えばイギリスが同様の経験をした一九七〇年代前半のノンバンクを救済するスキーム、そしてイギリスの中央銀行であります英蘭銀行が民間の金融機関方々と一緒になって救命艇を出すスキーム、そういうものは日本の今回の住専問題については大いに参考になるのではないかと思ったわけでございます。  先ほど宗田先生からも、アメリカの法的な取り扱いについて詳しい的確な御説明がございました。イギリスの場合は、救済した相手はノンバンクでございます。そして、このノンバンクの主たる資金の流れを見ますと、マネーマーケットなどから資金を調達して不動産融資などに向かうという、今回の日本の住専とかなり似た資金の流れでございます。こういったものをある限られた時間の中で解決していこうとしますと、とりあえずは官民一体となってやっていくというセカンドベストの政策選択になるのではないかと思います。  イギリスの場合は、この救命艇というものは、初めは中央銀行民間金融機関と一緒になりましていわば協調融資を行いました。そして、第二段階では中央銀行が独自にお金を出すという面もございました。  日本で時々誤解されますのは、国民の税金を直接使わなくて日本銀行が何か融資をすればいいじゃないかというような意見が出てまいりますが、日本銀行がそうした融資をした場合には日銀納付金という税金が減ってまいりますので、結局は国民が税金負担をしたと同じことになるんですね。したがいまして、公的資金を使うという意味で、私はイギリスの救命艇作戦というのは今回の日本の問題を考える上で大いに参考になると思い、取り上げさせていただきました。  なお、バブル経済が発生し、そのバブルが崩壊していく過程でさまざまな金融問題が起きるという面で、全く七〇年代前半イギリス日本は同じ面が多いんですね。そういったメカニズムも類似しているということからこの問題を研究していたところでございます。
  11. 吉川芳男

    吉川芳男君 次に、今の政府の住専処理機構についての評価を伺いたいのでございますが、特に六千八百五十億円の公的資金の投入には国民の理解がなかなか得られませんけれども、これは何が原因であると思われるか、ひとつお聞かせ願いたいと思います。  それから、一昨日の日経新聞の一面トップに、住専、財政支出を実質回避、母体肩がわりを促す、政府・与党方針は基金拠出を倍増するというふうに大見出しで書いてあるわけでございます。ちょっとイントロダクションだけ読ませてもらいますと、政府・連立与党は二十六日、住宅金融専門会社(住専)処理への六千八百億円の財政資金投入を実質的に回避、母体行を中心とする金融機関に全額肩代わりを促す方針を固めた。金融機関の貸倒引当金の法定繰入率の引き上げや預金保険機構に新設する「金融安定化拠出基金」への一兆円規模の拠出増などの案が浮上している。云々、こう書いてあるわけでございますが、これは奇妙なことに日本経済新聞しか報道していないんですね。だから、これはまだオーソライズされていないのかなと、全くこういうことであれば私らも賛成したいところなんでございます。  私は、こういう国論を二分するような問題については、本来二院制の持つ妙味からいわゆる補完と抑制、チェック・アンド・バランス、こう一言に言われますけれども、ここで修正がなされれば非常にいいことだなというふうに思っておりますが、今のこの前段の政府案とそれからこのような改正案に対して、先生のひとつ御所見を承ります。
  12. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) お尋ねの点が二つございました。一つは、公的資金の投入に関して国民の理解がなかなか得られないのはなぜかということでございます。もう一つは、母体行の負担能力をさらに期待できるかという点であったかと思います。  第一の点につきましては、私は、いろんな政策をうたわれます場合に、それぞれの政策ごとにそれぞれベネフィットとコストといいますか、こういう手を打つとこういうふうに国民にとっていいんだ、しかし国民の負担はこういうふうになるんだというベネフィットとコストがございます。  今回の金融機関不良資産問題について考えられる政策としてはA、B、C三つあると、このA、B、C三つについて、それぞれベネフィットはこういうことだ、コストはそれぞれこういうことだと。例えば、どんな形をとりましても国民の負担は出てまいります。しかし、この負担をだれがいっ負担するか、これが違ってくるわけであります。私たちが今負担するというのか、あるいは私たちの子や孫が将来負担するというのか。そして、負担の形態、例えば税金で負担するのか日本銀行の特融で負担するのか、あるいは何かはかの手で負担するのか、こういう負担の形態もさまざまでございます。  私は、今回議論が大変混沌としてまいりました背景の一つは、こういった政策のメニュー、A、B、CならA、B、Cというメニューをつくって、それを選ぶのは国民である、つまり国民自分たちの負担をどうするかということを選ばなければいけないわけですが、メニューが提示されませんと、何かいいことばかり国民は期待してしまうわけであります。  したがって、今回の国民の理解がなかなか得られなかった背景の一つは、これは住専問題だけに限っていることじゃございませんで日本政策決定すべてに共通する面がありますが、政策をうたうときにはメニューをつくって、ベネフィットとコストをそれぞれ整合的に出していただけたらこういった混乱は避けられるのではないかと思います。  私は、そういう幾つかのケースを考えた上で、ある限られた時間の中では現在の政府案の基本にのっとってやっていく以外当面手はない、しかし将来はこういうセカンドベストの案からもっとよりよい案に変えるべきだ、それには制度改正がまず必要ですということを申し上げたいと思います。  母体の負担能力をもっと期待できるかという点でございます。これはどなたもきょう時点で私はこうだと言うことはできないはずであります。つまり、母体が将来にわたってどのくらい負担できるかは、将来にわたって私たち経済能力に合わせて順調に拡大するのか、あるいはしないのかにかかっているわけであります。もし、何が何でも経済能力に合わせて順調に拡大させると、一方で何らかの担保がとれればもちろん母体の負担能力はより大きなものになってまいりますが、過去四年間を見る限りは、そういったことを民間の経済主体に期待できるかどうか私は大いに疑問があるわけです。  したがいまして、過去四年間の経済パフォーマンスを見てまいりますと、民間の金融機関の方はできるだけリスクを避けようとして自分たちの負担能力はここまでですと今日おっしゃられるのも私は理解できるんです。しかし、どのくらい将来負担させることができるかはあくまで経済全体の動きと絡めて、コンディショナルといいますか、条件つきで考えないといけないものですから、その条件次第によってはより多く負担を期待できる、しかし条件次第によってはそんなに負担させると金融機関はまさにつぶれてしまって金融システム危機に陥るという二つの方向で考えざるを得ないと思います。
  13. 吉川芳男

    吉川芳男君 ここで宗田公述人に二点お伺いしたいんですが、一点は、奥村先生にも今お聞きしたとおりに、政府の住専処理案について先生の御評価はどうかということが一つ。  いま一つは、先生は破産法によって処理すべきだという所論のようでございますが、せっかく本格的な景気回復をしようというさなかにこの住専の問題が今ネックになっているわけでございまして、これを一日も早く解決しないと本格的な景気にならぬと思うのでございます。今更生法などによっての法的処理を行った場合には、当事者が金融機関約三百と数が非常に多いわけでございます。また、関係も非常に複雑だということになりますと、過去の多くの例を見ましても何年かかるか先が読めないのでございまして、そういう処理で果たしていいのかどうかなというふうに疑問に思うのでございますが、いかがでございましょうか。
  14. 宗田親彦

    公述人宗田親彦君) 二点御質問のうちの前の方の御質問、住専処理法案についての評価はいかがなものでしょうかと。大型の、そして大口の債権の放棄を取りつけている、もしくは取りつけるというこの案、それから大型の六兆六千億という新規融資を得るというこの案、なかなかすぐれたものがあると思います。  しかしながら、その結果においてどうなるかといいますと、税金を使わなければならないというようなあたりが、そして先ほど申しましたような管財人その他をつけないという点での回収における権限が十分でない。損害賠償請求権その他についても十分でない。それから、住専処理法案では債権の買い取りと書いてありますが、債務の引き受けもしなければハードな処理としては十分でない。直すべきは直して早急に一層よろしい法案法律として実現せられることが望ましいと考えておるわけです。  後の方の問題につきましては、一日も早く法案が成立して本格的な景気回復の軌道にという点は、国民だれしも反対する者はいないでございましょう。  その点こそが問題なので、それではもし破産法とか倒産法によった場合には、先生御指摘の債権回収に何年かかるかわからない、終了までにどうなるかわからない、こういう御指摘でございます。現在の与党案によりましても、先ほど褒めさせていただいた六兆六千億の融資によって一度は母体行、一般行の債権の弁済をしてしまうけれども、しかしそれは借りたお金で弁済するのでありますから、新しく借りた六兆六千億を返さなければなりません。これを住専の資産を回収した上で十五年間で返すというのですから、その御案は結局のところ十五年によって解決するという御案というふうに考えなければならない。  倒産処理によれば、例えば会社更生によったときに全体の会社更生手続が終わるのには十年もかかることがございますけれども、前段と後半に分かれておりまして、前段の更生計画の認可までは数年、その後にまた数年というので七、八年から十年かかることがございますので、十五年という期間をいただくことができるのであれば、それよりも優に早く終わるのが倒産処理法制による解決だというふうに考えております。
  15. 吉川芳男

    吉川芳男君 奥村公述人にまたお尋ねいたしますけれども、バブル経済破綻によりまして金融も土地も相当変わってきていると思うのでございます。その前は、ややもすると金本位制ならぬ土地本位制と言われるように、何でも土地が担保にさえあれば掛け目なしに貸せるというような風潮が出たわけでございますが、今回のこの事件によりまして、日本も本来あるべき姿といいますか、企業の収益力とかあるいは経営者の経営姿勢というものに着目するというふうになってきているのかどうか。今のところはそういうこともさたやみというか、ちょっと鎮静化していますけれども、やがて二、三年たてばまた日本は土地本位制に戻るのかどうか、御所見を承ります。
  16. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) 土地の問題を考えますときに、今一応、日本の土地制度市場経済で土地の取引を行い価格をつけてまいりますので、地価がどう動くかということから見ますと、経済がどういうふうに展開していくか、特に地価というのは名目でございますので物価がどういうふうに動いていくかにかかってまいりますし、また土地の値段は安ければ安いほどいいんだということは市場経済では言えないわけであります。  土地の値段が安ければ安いほどいいといいますと、どこかの企業なり個人なりはつぶれてしまうわけですから、安けりゃ安いほどいいわけではない。そうしますと、値段的には、日本経済労働力金融力や技術力を十分生かした経済発展をして、そのもとで自由な取引をし、つく値段というのは、私たちはそれを素直に受け入れざるを得ないと思うわけであります。  もう一つ、先生が今御関心をお持ちの、これまでのように地価は右肩上がり、そして土地という担保をとりさえずれば何%掛けで幾らでも貸す、いわゆるそういう土地を本位にしたかのごとき経済運営はなくなるだろうかというお尋ねでございます。  私は、これは先ほど申し上げる機会がございました金融機関経営情報公開を徹底させれば、恐らく従来のようなことはできなくなると思います。ただ、この情報公開は、口では皆賛成、総論賛成とやっているわけですが、各論ではなかなか進んでいないわけです。  ですから、今回こういった問題を一つのてこにして、ぜひ先生方のお力添えを得て、この際、金融機関というのはある意味で信用そして決済にかかわる公共財的な面があるから、その経営内容については徹底的に消費者にわかるような形で公開をする、そういう方向で政策を進めていただければ、従来のようなリスクはあるけれども、消費者国民は知らないので簡単にそういったことが行われてしまうということは防げるんじゃないかと思うんです。  ですから、これは情報公開についてこれから政治の場でどれほど真剣に取り組んでいかれるかにかかってくるのではないかと思います。
  17. 吉川芳男

    吉川芳男君 終わらせていただきます。
  18. 海野義孝

    ○海野義孝君 平成会の海野でございます。  本日は、奥村宗田お二人の公述人には御多忙のところをおいでいただきまして、かつ貴重なる御陳述を賜りましたことを心から御礼申し上げる次第でございます。お聞きしたいことは多々ありますけれども、時間も限られておりますので、幾つかの点につきまして御回答をいただきたい、このように存ずる次第でございます。  最初に、奥村先生に御質問申し上げたいと思います。  大変有益なるお話をいただきまして、もっとお話をお聞きしたいところでございますけれども、時間に限りがありましたのでポイントだけを述べられたと、このように思うんです。そういった中で、経済学者として大変示唆に富んだお話を開陳された、このように思うわけでございます。  国がいろいろな政策を打ち出す場合は、現在当面している問題もそうであるし今後の場合もそうであるけれども、そういった政策をうたうときにはまずメニューを提示すべきである。幾つかのメニューを提示されて、そのコストとベネフィット、こういったものについて広く国民にも理解をいただくということが大事である、このように申されたわけであります。  今回の住専の処理につきまして、この国会における審議も大変時間がかかっておりますし、そういった中でやはり一番の問題になりましたのは、国民の税金といいますか、いわゆる財政資金を六千八百億円平成八年度の予算に組み入れる、こういうことでございまして、これがなかなか日を増すごとに国民の御理解を得られない、大変な反対の運動もちまたで起こった、こういったことでまさに消費税以来の大きな問題になったわけでございます。  これにつきましては、先ほど吉川先生からも御指摘がありましたけれども、ここへ来ましてこの六千八百億円をどう処置するかという問題について大きな前進というか考えが出てきたということでございますが、まず今回の政府の処理案にそういった国民の税金を使うということについては、大変わかりにくい中でこれが決まったというか予算案に組み入れられたという感じがします。その点につきまして、奥村先生は経済学者としてどういうような御所見をお持ちかひとつお聞きしたいと思います。
  19. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) 海野先生の今のお尋ねの点は、問題の本質にかかわるところでございますが、私は、国民がもし金融自由化に賛成、規制緩和に賛成である、そういう立場をとっているといたしますと、本来国民が積んでおくべき預金保険を積んで、こういった金融機関倒産問題が起き、かつ預金を返してもらおうとした場合には、まず自分たちが積んだ預金保険のお金を使うということが式の左辺と右辺になってくると思っているんです。  ところが、この十年来、金融自由化を進めてくる中で、先ほど申し上げましたように、預金保険という看板はあるんだけれども国民にはほとんど負担させていない。したがって、預金保険機構にいておられる方はわずか十四名です。アメリカの二万人と比べてください。たったの十四名の方に、預金者にかわって、金融機関が健全であるかどうか、倒産した場合にどう処理するのかをやれと言ってもこれはできないわけであります。しかし、これは言葉をかえますと、国民はみずから負担もしないのに自由化規制緩和に賛成し、しかも預金は返してほしいというわけですから、本来できないことを要求している。しかし、そういう国民の要求を招いたのもこれは当局や政治責任があるわけです。  ですから、今さらだれが悪いとかどちらが悪いとか言っていてもしようがないわけで、現実は積んでおくべきお金が積まれていなかった。そこで、自由化をし、預金の安全を確保しようとすれば、これは何らかの形で公的資金を使う以外ないわけです。ただ、その公的資金の顔、形、チャンネルはいろいろ多様でございますが、どんなことをしましても私たち国民が何らかの負担をせざるを得ないという点では全く変わらないんですね。  したがって、私は今まで私たちがやるべきことをやっていなかった、これは政治も当局も国民も含めてやるべきことをやっていなかったということを明白にしようとすれば、税金という形をとるのが一番だと思います。しかし、これは日本銀行特融でも結構ですし、あるいは企業の何か税務処理の仕方を変えて、法人税を少なくするかわりにこちらを負担しろみたいなことでもいいわけですけれども、どんな形態をとっても、とにかく私たち国民の負担であるということだけははっきりさせたいと思います。
  20. 海野義孝

    ○海野義孝君 どうもありがとうございました。  引き続き奥村先生にお聞きしたいのでありますが、実は今の金融自由化という問題でありますけれども、これはここ数年始まったことではございませんで、既に一九八五年にいわゆる円・ドル委員会発足以来、日本では自由化の中で急速な円高というふうな問題が起こってきたわけであります。それ以来もう既に十数年たっているわけでありますけれども、そうした中で、実は政府としましても、日本の土地につきましても、株式にしましても、それから金融機関にしましても、いわゆる右肩上がりとかあるいは不倒というようなことが半ば神話めいて、国民も全くそういったことについてはむとんじゃくというか危機感すら持たなかったと、こういうことであります。しかし、自由化が行われて以来今日までの過程におきまして、相当大きな変化が起こってきているわけであります。  そうした中で、ここへ来まして慌てて預金保険機構預金保険率を七倍にするとか、政府の今日までやってきた行政というものがまさに後追いといいますか、そういった政策であったということの一つのあらわれではないかと、このように思うわけであります。そうした面からすると、まさに先ほども先生御指摘がありましたけれども、政府の行政情報開示というかそういった面が大変我が国の場合は後進的であると、このように思いますけれども、この点先生の御意見を、あるいはどうすればいいか、その点をお聞きしたいと思います。
  21. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) 情報の開示につきましては、海野先生が今おっしゃったことに全く賛成でございます。  ただ、この問題はひとり金融行政だけ情報開示がおくれたということじゃございませんで、私の理解では、霞が関全官庁にわたって、またあえて言えば日本の都道府県、市町村を含めた全行政レベルにおいて、国民に対してコストとベネフィットを明確にした政策選択肢を出していないという中の一環として、金融行政においてもそうであったと理解しております。  したがいまして、私たちは過去のことをどんなに言ってもしょうがないわけですから、これからは必ず政策を論ずるときにはベネフィットとコストを整合的に組み合わせて、そしてメニューをつくって、そのメニューのどれを選ぶかは当局者が決めること、政治が決めることじゃありませんで国民が決めることなので、国民緊張感を持って、こういう政策を望めばこういう負担が自分にかかってくるんだなということがわかるそういう情報を出していただいて国民選択していく、そういう仕組みにぜひ変えていただきたいと思います。  ただ、過去なぜうまくいかなかったかとおっしゃれば、それは海野先生が今おっしゃったとおりで、円・ドル委員会以降、約十年かけて金融自由化をやってまいりましたけれども、その過程で、本来市場経済が持つ失敗に対する国民負担による制度の手当てが全くなされなかったということが一つの問題だと思います。
  22. 海野義孝

    ○海野義孝君 どうもありがとうございました。  次に、宗田先生にお聞きしたいと思いますけれども、限られた時間でございましたし、大変専門的なことの御陳述がありましたので、私どもも理解できない部分もあるんですが、幾つか先生にお教えいただきたい、このように思います。  まず、今回の政府のいわゆる処理策でありますけれども、住専の処理機構の問題といわゆるアメリカ連邦預金保険公社、この相違する点ということで幾つか挙げられております。政府のスキームですね、一つは管財人をつけない、損害賠償規定を設けていない、それから否認権の規定がない、こういったことが挙げられているように思うのでありますけれども、この点につきまして簡潔にひとつもうちょっとお触れいただきたいと思います。
  23. 宗田親彦

    公述人宗田親彦君) 管財人についてでございますが、倒産処理法制によりますと、破産であれ会社更生であれ、管財人というものが第三者として裁判所から選任せられまして、財産の管理処分権は管財人に専属的に帰属するとされておりますから、住専の社長さんその他は債権その他一切の財産及び債務についてもアンタッチャブル、手を出してはいけないということになるわけです。  そのような観点から、一つは、強権的な調査権が与えられております管財人の手によって、住専の役員その他がどのような経営を行ったのか、借り手がどのような借り方をしたのか、その他についても十分に調査ができるという点と、それから債権債務の弁済についても管財人が中心となって行いますので、債権者相互において、あるいはまた懸念せられているところの農協系金融機関から母体行その他へ紹介責任の追及による訴訟がたくさん頻発するなどということが巷間伝えられておりますけれども、管財人によってそれらについてもきちんと調査ができるわけでございます。また、法的制度に基づく管財人のもとでの手続においては、債権者が独自に他の債権者に頭越しにそういうような訴訟をするという方法はございませんので、訴訟合戦というようなことは考えなくてもよろしいのではないか。  それから、損害賠償請求権につきましても、管財人を認めないでおきますと、これは住専が有する元の役員、社長その他の役員に対する経営責任、損害賠償請求権でございますが、当の住専の社長さんがさきの社長とか役員であるところの、ざっくばらんに言えば大蔵省OBの先輩に対して、経営の方法において落ち度があった、五千万円のあるいは一億円の、それを超える損害賠償請求権を行使した上で、それを住専処理機構という株式会社に債権譲渡手続をとらなければならない。ほかにも、一般の債権でも住専の貸出先というのは何万件とございますから、それらについて営業譲渡の方法をとったとしても、個別の債権譲渡通知をしなければならないというふうになると、これは大変な費用と大変な労力がかかるわけでございます。それらを法的処置によればする必要がない。  もとに話を戻しまして、損害賠償請求権についても、現社長がさきの社長に対して損害賠償請求権が具体的に行使できるだろうか。このあたりについての公正さを危惧しないではいられないわけです。第三者としての管財人が、公平な調査の結果に基づいて、過去の判例、学説等に裏打ちされた検討に従いましてこれだけの損害賠償請求権を行使するというふうに管財人の判断で行えるという点において、はるかにこの方がクリーンであるということが言えるように考えられるわけです。  最後の否認権でございますが、これが倒産処理法制の中では最も強力な管財人の権限でございまして、これを伝家の宝刀と申しておるというのは先ほど申し上げましたが、倒産処理手続が始まるよりも前にした担保の供与だとか債務の弁済だとかそういうものにつきまして、始まった後で過去にさかのぼって管財人がこれを否定することができる。一片の意思表示、会社更生法では意思表示、破産法では必ず訴訟、会社更生法でももちろん訴訟も行えますが、否認という形成権の行使によりましてその弁済をネグレクトしてしまうということによって実質的な公平が図れる。  その他、資産を他へ売却するとか廉価に処分するとか名義をかえてしまうとか、今遅々として進まないこの住専処理法について早急な成立が望まれますけれども、私ども専門家にとりましては、この時期において住専の財産の散逸、債権の回収がどの程度減ってしまうのかというあたりにつきまして非常に危惧するものでございますから、ぜひこの否認権を備えた新しい法案をおつくりいただきたい、このように考えておるわけでございます。
  24. 海野義孝

    ○海野義孝君 どうもありがとうございました。  この住専の処理につきましては、政府・与党の方で案を出されておりまして、その中でもいろいろと申されているわけですけれども、その責任の追及ということについて、政府のそういったスキームでは徹底的にこれを行うんだということが言われているわけでありますが、先生の今のお話を承りますと、やはり法的な処理によるのと私的な整理によるのとでは大分違うんだなと。  はっきりしていることは、六兆六千億円の金をいわゆる母体、一般それから系統から借りて、一たん住専の債権債務等を移して、そしてその後の処理については十五年かけてやる、こういうようなことであります。その辺で責任の追及の問題であるとか債権債務の回収の問題であるとか、こういった点についてどうもいま一つ政府のスキームというのは先にいっていろいろと弱点があるんじゃないかなという気がするわけでありますけれども、その点について御指摘いただきたいと思います。
  25. 宗田親彦

    公述人宗田親彦君) 責任の追及についてでございますが、大蔵大臣の報道機関に対する発言などを伺っておりますと、検察とか警察を導入して強力に責任追及を行うのだ、このようにおっしゃっておられます。もちろん、強力になさることは大賛成でございますし、住専処理法を倒産法というふうにした上で管財人をつけたときでもそれがなくなるわけではございません。それにプラスして管財人という調査権を持った、そして倒産法には違反をすれば刑事罰がついておりますから、そういうものについても一層強力になることというふうに考えるわけです。  それから、ここで責任追及と申しますのは、倒産処理法でございますから、おおよそ損害賠償請求権、どれだけ配当率が上昇させられるかという点になるわけでございます。もちろん、刑事罰に係る責任追及も重要でございますけれども、損害賠償請求につきましては、例えば母体行その他が大いに貸し込んで、そして人員を派遣して経営を実質的に握っていたというような場合に、アメリカにおきますとディープ・ロック・セオリーといいまして、そういうものについてはまずもって届け出た債権のレベルを一般の債権レベルの債権配当が終わった後でなければ配当が受けられないというサブオーディネーションという劣後化の措置。それから、その関与の度合いがひどい場合にはこの債権をネグレクトしてしまう。つまり債権を認めない。  逆に、経営に関してかかわった損害賠償請求権があるのでそれに対して反対債権として相殺するなどという、我が国でも私ども管財人の経験者としてはそのような処置を行ったことがございますけれども、そのようなことによって処置をするというように考えられるわけです。  政府の案によりますと、住専の母体行、一般行、農林系の系統の債権が六兆六千億の大型の借入金に基づきまして一瞬は返済をされますから、住専問題はこれでおしまいというように見受けられるような姿をつくり出すことはできます。しかしながら、母体行その他によって新たに貸し出された融資金が実は従来の債権と同額でございますから、何のことはありません、債権者からお金を借りて旧債務を弁済する、そして弁済を受ける債権者は当の債権者だというのですから、バブルの下り坂のときにはやりました、弁済できないとなると銀行がお金を貸してやるから旧債務はこれで弁済しなさい、新たな債務にしましょうという借りかえにしかすぎないのではないか。実質的にそれを十五年かけてと法案に書いてありますから、十五年かけてそれを回収しょう、回収できない分があれば税金を使うのもやむを得ないというようなことでは、いささかカモフラージュと言われてもやむを得ないのではないか、このように考えております。
  26. 海野義孝

    ○海野義孝君 最後にもう一問、宗田先生にお聞きしたいと思いますが、そういう点で処理機構が発足した以後にも大変いろいろな問題がある、こういう御指摘がありました。これは今後、十分に私ども考えて審議をしていく必要があろう、また住専処理に関する関連の法案を今後審議していく上で重要な問題である、このように思います。  そういうことで、とにかく日にちがどんどんたっておりまして住専の財務体質が日に日に劣化する、あるいは証拠が散逸する、暴力団の不法占拠とか借り手側企業の乗っ取り行為とかこういったことがどんどん進んでいくというようなことが考えられますので、やはり現在の六千八百五十億円の国民の税金をとにかく削除して、そして一日も早くこの予算を執行していくということが大事であり、さらに衆議院で来週から行われますいわゆる金融特別委員会においてこの住専の処理機構に関する審議を慎重に行っていくということが大変重要な今後のポイントになるだろうと思います。  その点一言だけ、宗田先生、御意見をお聞きしたいと思います。
  27. 宗田親彦

    公述人宗田親彦君) 全く同感でございまして、一刻も早く強力な透明性の高い法案をおつくりいただきたい、このように切に願っております。
  28. 海野義孝

    ○海野義孝君 お二人の公述人、どうも大変ありがとうございました。  以上で終わります。
  29. 前川忠夫

    ○前川忠夫君 社会民主党の前川でございます。  両公述人には大変お忙しい中、御出席をいただきましてありがとうございます。限られた時間なものですから、できるだけ端的に御質問をさせていただきたいと思います。  まず最初に、奥村公述人にお伺いをしたいんですが、政府の処理策の中でこれからの問題として一番キーになるのは、住専処理機構にかかわって不良債権をどれだけきちっと回収できるか、今の政府の処理スキームの中で問題点やあるいは今後の見通し等について御感想がありましたらお伺いをしたいと思います。
  30. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) この点は、先ほど申し上げた預金保険機構をどのように確立するかというところにかかってくると思います。今回の金融機関不良資産問題、当面住専が話題になっているわけでございますが、これを上回る規模でノンバンクとかあるいはその他の金融機関不良資産問題が、もし景気が思うように上がってこなければ登場するわけでございます。  そういったことも私たち念頭に置いて物事を考えるべきで、これを考えようとしますと、やはり預金者にかわって金融機関経営を徹底的に検査考査し、また不良資産問題の処理に当たっていく大きな組織が必要でございます。これは大蔵省日本銀行とは離して確立すべきであります。  そういう意味で、私は、アメリカ経験などを参考にいたしますと、数千人の体制で臨まなければまた同じ問題を繰り返すおそれがあるので、そういったスケールで先生方預金保険機構を確立する設計をしていただければ、この不良資産の回収についても堅固な城の中でやっていくことができると思います。現在、言われているかのごとき非常に小さなスケールで預金保険機構をつくっていくんだという案では、私は前川先生が今危惧なさっているように本当に不良資産の回収をうまくやってくれるのか、さらにはこの住専問題を越えて問題が起きたときにどうするのかという点が心配でございます。  そういう意味で、回収できるかどうかは、全体の設計図上は預金保険を私たち預金者コストでもって負担するわけでございますが、私は大きな堅固な中立的なお城を築けるかどうかにかかってくると思います。
  31. 前川忠夫

    ○前川忠夫君 大変複雑なものですから、実はさまざまな処理策を含めて意見が出ておったわけですが、先ほど宗田公述人の方から法的な処理という御指摘がございました。それも一つの方法だろうというふうに私どもも実は考えておるわけです。  ただ、これまでの議論の中で、あるいは私どもが得ている情報の中では、会社更生法の適用については更生の見込みがあるかどうかということも含めまして、例えば裁判所へ訴えを起こしましても恐らく大方の意見としては否定をされるんじゃないかというのが大勢のように私ども実は理解をしているんですが、この問題について先生の御所見を伺えたらというふうに思います。
  32. 宗田親彦

    公述人宗田親彦君) 会社更生法の規定に、申し立ての段階で更生の見込みがない場合にはこれを棄却するという規定がございます。しかしながら、御案内のように、更生の見込みという将来にかかる事実でございますから、ここにつきましては非常に緩やかに解釈されておりまして、将来、当の会社の再建の見込みがなくはないという程度でも十分だと。その再建の方法としては、第二会社であるとか営業の譲渡であるとかその他の方法でもそれを再建というふうに考えるわけでございますから、そういう意味ではそこの点を余り危惧なさる必要はないのではないか。  かつ、冒頭の説明のところで申し上げさせていただきましたように、会社更生法というものにのみこだわるという必要もないのではないか。世界の倒産法制単行法律になっているという事実にかんがみますときには、この機に私どもといたしましては、再建型にも進める、清算型にも進めるというような、申し立て及び保全処分という段階でもこれを一つにした法律をおつくりいただく、そして金融もしくはこの住専というものに関する、もしくはこれを一般に広げるというような方法でもって考えていただければ、そういう法案が一番よろしいのではないかというように考えております。
  33. 前川忠夫

    ○前川忠夫君 確かに裁判所の判断というのも、それなりの弾力的な判断をする場合も私はあるんだろうと思います。  ただ、国民感情から見まして、政府の処理スキームでも税金を投入する、あるいはさまざまな法的な処理をやっていっても場合によっては最終的に公的な負担が投入される可能性もあるよと。そういう中で、今例えば法的な処理をやって、あるいは今お話しのように会社更生法じゃない、そのほかの方法も考えられるというお話であっても、国民感情からいきますと、これだけの問題を起こした住専を何か助けるような印象というのはやっぱりどうしても残るんですね。この問題についてはいかがでしょうか。
  34. 宗田親彦

    公述人宗田親彦君) これは与党の御案にこそ、当初よりちょっと途中で軌道修正しなければならなかったために税金投入を余儀なくされておられるように伺いますが、国民感情からすればそここそが問題でございます。私どもの認識では、むしろ法的な処理をした上で、そして当の金融機関、例えば具体的に農協に破綻が生ずるおそれもしくは生じたときにはこれを救済するところの法律を、あるいは新しく今ある住専処理法の中の対象企業に農協も入れた上で救済するということを考えられ、そのような場合に、奥村先生御指摘のいろいろな方法での財政の投入があるというようなことについては国民は納得し得るものと。  要するに、大蔵省がお考えになられ、そして農林系の議員の先生方とのお話の結果、六千八百億というものの税金投入が決まったというあたりについて国民の反発があるものというふうに認識しております。現代社会においては国民の意識が上がってまいりましたので、国民が納得するという方法でクリーンなオープンなディスカッションというものがされれば、その結果税金を使うということがあってもそれはそれでやむを得ない。住専を救済するための税金ではなくて、その結果、金融機関が破綻するということに基づくところの預金者の保護とか信用秩序の維持というようなことにこのようにつながるのだということがオープンにディスカッションされたら、その結果は、私は税金の投入ということもいろいろな形で考えてもよろしいのではないかというように考えております。
  35. 前川忠夫

    ○前川忠夫君 奥村先生に今の公的資金関係でお伺いをしたいんですが、先ほどもちょっとお触れになりましたけれども、例えば一般的に住専は預金者がいない、金融機関から金を借りて、貸して商売をやっている機関だと、そんなところを何も助けることはないじゃないかという意見もあります。税金を投入する必要はないんじゃないかと。例えば、アメリカSアンドLの場合にはローカルな、年金生活者や何かの預金をこつこつ集めてやった、ある意味じゃ国民の理解が得られたという違いが一つあります。  先ほどイギリスのケースのお話がございましたけれども、いわゆるノンバンク、住専もノンバンクの一つだと思いますが、そういうことに対する税金の投入、あるいは公的資金を投入してもどうしても助けなければならない、このことによって全体の金融システムを安定化させていくということについてのポイントになる部分をお教えいただければと思います。
  36. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) 今金融技術革新というのがコンピューター、通信の発達を受けて各国で急でございまして、私たちは伝統的な預金貸出業務を行っている商業銀行とその他の金融機関とを余り峻別することはできなくなってきていると思うんです。したがって、和製英語ですけれどもノンバンクという言葉がはやっていますが、バンクとノンバンクの境目はどこかと経済学的に説明することは相当難しくなっております。  イギリスのライフボート作戦におきましても、イギリスで言っていたノンバンクは、結局資金の源はマネーマーケットを通じて民間の預金者がかかわる銀行であったわけです。今回の住専も資金の源はまさに預金者がかかわっている銀行でございます。農林系も含めて預金貸出業務を行っている銀行なわけです。恐らく御当局あるいは与党の案の背景には、もしこの住専問題を全く何もしなくて何年も経過させてしまうと結局は預金者に、例えば取りつけ騒ぎを起こすようなことになるのではないかというおそれをお持ちになったんじゃないかと思います。  したがって、私は現在出ている案が住専を救う案だとは理解しておりませんし、また御提案なされる方も住専を救うものではないことを今後はより明確にされていくのがよろしいんじゃないかと思います。
  37. 前川忠夫

    ○前川忠夫君 どうもありがとうございました。終わります。
  38. 緒方靖夫

    ○緒方靖夫君 日本共産党の緒方靖夫です。  奥村公述人にお尋ねいたしますけれども、先ほど低成長では母体行が将来どこまで負担できるかわからないと言われましたけれども、現時点で六千八百五十億円、それだけの体力もあるし払えると思うんですが、いかがでしょうか。
  39. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) 今、緒方先生のお尋ねは、現時点で六千八百億円については体力負担に見合っているかどうかという点でございますか。  これにつきましては、恐らく母体行といってもいろんな金融機関がございますので、現在のような金融救済スキームを念頭に置けば、これは住専に対する救済スキームだけじゃございません、いろんな金融機関が苦しくなったときの救済スキームでございますが、それを念頭に置けば私はこういった金額が出てくるのはそれほど違和感はございません。  ただ、私たち国民の目から見ますと、この六千八百億円というのは、ちょっと言葉はきついんですが、実は大した問題じゃないんですよ。今一年定期預金金利というのは〇・四%ですね。もし私たち能力を十分生かした経済運営をしていただければ、仮に今よりも一年定期預金金利が二%高いと考えていただきますと、もうこれだけで年間十兆円の得べき所得を私たち国民は失っているんですね。  ですから、経済は全部絡んだ問題でございますので、この金融市場だけのことじゃなくて、労働市場とか他の市場のことも絡めて私たち国民にとってどの案が一番コストが低いかというチェックをする必要があると思います。
  40. 緒方靖夫

    ○緒方靖夫君 六千八百五十億円というのは、国会で大問題になっていることを見てもわかるように、国民にとってやっぱり非常に大きな問題だと思うんですね。  次の点ですけれども、いろいろな案があると言われましたけれども、やはり政府案しかないという趣旨のことを言われましたし、しかし同時にセカンドベストであるということも言われました。その点なんですけれども、国会審議の中で母体行はやっぱり追加負担すべきだということはもう党派を超えて出ていると思いますし、また同時に久保大蔵大臣はその具体化を図らなきゃいけないと言っているわけですね。・  その点で、税金を投入する場合、今の政府案の場合ですけれども、母体行の責任、その点についてはどうお考えでしょうか。
  41. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) 幾つかのケースに分かれてくると思いますが、私が聞き及んでいるところでは、幾つかのケースにおいて母体行の責任は非常に大きいものがあると思います。しかし、この住専問題全部、一〇〇%母体行の責任であるということまでは言えないと思います。ここへ参りますと、どのような貸付案件なり紹介案件なりがあったか情報を出していただきませんと、私にとってはどちらがどうということをお答えすることはできません。
  42. 緒方靖夫

    ○緒方靖夫君 そういう資料がまさに求められていると思うんですね。  宗田公述人にお伺いいたします。  法的処理の場合ということを言われましたけれども、この処理でいった場合、政府の今の案よりももっと母体行の負担が大幅に軽減されるという問題が起こると思うんですけれども、それについてどう考えられるのか。  それからもう一つ、先ほど系統がつぶれれば税金投入はあり得るという趣旨のことを言われたと思うんです。そうすると、法的処理でやってもそういう税金の投入というのは結局起こってしまう場合があるということになると思うんですけれども、その点について伺いたいと思います。
  43. 宗田親彦

    公述人宗田親彦君) 前の方の母体行の責任でございますが、法的処理によれば債権額に応じた案分の弁済がなされるわけでございますから、母体行の債権額が多ければ多いだけ配当されない分も多くなるという、そのような責任は重くなるということになるわけです。そして、他の債権者との比較では、この負担は配当率に従いますから平等で負担をする、特に母体行に厳しく対応するというのではなくて、他の者と同じだけの痛みを分かち合うということになるかと存じます。  もとより、先ほど申し上げましたような母体行の紹介責任その他がございますれば、これは法の要件にかなっておれば、先ほど申し上げましたような逆に母体行に対する損害賠償請求だとか債権を認めないとかというような形での責任の追及というか負担を重くする、そういう結果になることも得られる可能性があるわけでございます。  第二番目の点につきましては、系統といいますれば、これが直接の金融機関でございますから、金融機関の破綻に際して、アメリカの例におきましても、奥村先生御案内のように、十九兆円というような財政を投入した経緯にかんがみますれば、クリーンなオープンなディスカッションの結果、こういうためにこれだけ税金が必要なんであると言えば国民は税金を一円も使ってはいかぬという観点ではなくて、それの決め方が納得できるプロセスでないから、そして今回は法の支配から見ていかがなものかという疑念があるという点にこそ問題があると申し上げなければならないのではないでしょうか。
  44. 緒方靖夫

    ○緒方靖夫君 例えば、第二次再建計画のときに、系統に預金残高を残してほしい、そして母体行はうんとお金を引き上げましたけれども、そういう経過から見て、やはり今の時点で債務を比例配分するという法的処理のやり方というのは問題があるんじゃないかと思いますが、その点お尋ねいたします。
  45. 宗田親彦

    公述人宗田親彦君) 紹介責任その他のところでちょっと触れましたけれども、母体行の紹介融資における貸国債権の回収はかなり進んでおりまして、そしてその部分については、残の部分が他の債権者の債権において紹介されたものよりも割合的に非常に少ない。それは何を意味しているかというと、母体行は紹介したぐらいでございますから回収もいち早くなさっておられる。  これをこそ、倒産法制における管財人の選任、そして否認権の規定に基づいて手続が開始されるよりも前にした弁済行為その他をカムバックさせる制度、否認権行使の発動が期待されているのは倒産法によるよりほかに方法がないというのが現在のところでございますので、住専処理法にもそのような規定をぜひ入れるべきだと、このように申し上げたわけでございます。
  46. 緒方靖夫

    ○緒方靖夫君 終わります。ありがとうございました。
  47. 小島慶三

    ○小島慶三君 きょうはお二人の先生方、どうもありがとうございました。時間がありませんので簡単に御質問申し上げます。  奥村先生の御主張の一つ預金保険機構をがっちりしたものをつくろうと、これは私は大賛成であり、そもそもこの問題の発足が預金者の保護とそれから金融不安の除去ということにあったわけでありますから、まずこれから始めるのが当然ではなかったかと、私はそう思っております。そこでボタンのかけ違えがあったというふうな気がいたします。ですから、これはもう大賛成でございます。  それから、その次の具体的なスキームに入りまして、六千八百五十億という公的資金、これについて先生はもちろん御賛成のようでございます。私は、そこにこそ国民の不安というか怒りがあるのであって、これは私は日銀特融で十分できたというふうに思っておるわけです。  私が政策委員をしておりましたときにそういうことを、山一のケース、それから山陽特殊鋼ですか、二回ほどやったことがございます。それとはもう比較にならないほどのスケールであるということは確かでありますが、先生も結局日銀特融でやれば国庫資金ですか、これは減るということで同じことになるとおっしゃいましたが、同じことになるならば日銀特融をなぜ選ばなかったかということが私のお伺いしたい点であります。
  48. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) 小島先生のおっしゃるとおりでございまして、どの方法をとってもよろしいわけでございますが、私にとっては、日本銀行特融というのは一般の国民の方にはなかなかわからなくて、自分たちの負担なしに何か物事が進んでいくんじゃないかと錯覚されるおそれがございますので、それよりは私たちがやるべきことをやっていなかったことを明確にする形でより透明度の高い税金の方がいいと思います。ただ、負担はどれでも同じでございますので、どれを選ぶかは価値観に基づいて国民選択すべきことだと思います。
  49. 小島慶三

    ○小島慶三君 あと、時間がありませんので、これは御質問というか私の感想を申し上げておきたいと思うんです。  先生の御主張は、やっぱり能力成長の範囲でこの問題を解決しなきゃいかぬという御主張でありますが、例えば今の実質成長率一・七五%、それから仮に能力成長が三%としましても、それを満たすためには赤字公債によらなければなりません。  しかし、赤字公債によって民間に滞留する資金、政府債というのは今でも相当大きなものがございますけれども、それにますます大きな金を滞留させれば、結局はこの金が余剰資金になると。それから一方では、産業界の方は過剰設備がありますからその余剰資金をなかなか吸収し切れないということになりますと、どうしても投機ということに金が動く、こういう心配があると思いますが、その点を申し上げて終わりにしたいと思います。
  50. 山田俊昭

    山田俊昭君 二院クラブの山田でございます。  金融システムの安定という必要性は言うまでもないわけでありますが、これは大企業のみならず一般預金者にとって、いわゆる危ない金融機関か健全な金融機関かの識別基準が、その経営情報公開されない、情報開示がされないということは極めて問題だと思うんです。  先ほど奥村公述人は、バブル経済問題点金融機関の透明性にあると、こうまで御指摘をされました。御指摘のとおり、金融機関による情報公開というのは絶対的に必要であるわけですが、この問題が出ると総論賛成各論反対となってしまう、こういうことなんですが、この金融機関情報公開を徹底的あらしめるためにはどうしたらいいかということを質問したいんです。  この情報公開の開示義務に違反した場合には金融機関に重罰を科するというような立法措置が必要ではなかろうかと考えるものですが、いかがでしょうか。
  51. 奥村洋彦

    公述人奥村洋彦君) 今、山田先生がおっしゃったのも一案かと思いますが、やっぱり私たち市場経済というのはどうしても欠陥があるんだということを前提にしていろんなことを運営していく必要がございますので、問題が起きてからいろんなことを検討するんじゃなくて、もう起きる前からいろんなことを政治の場でも御当局の場でも検討するという体制が必要だと思います。  そういう面で、私は先ほど政策メニューという言葉を使わせていただきましたが、例えばワシントンに住んでおりましてアメリカの議会を拝見していますと、委員会のスタッフとか個々の議員の先生方のスタッフに非常に多くのお金を使って政策メニューをつくっていらっしゃるわけですね。そういうことがこの日本の国会の中でも行われていかないと、結局何か事件が起きたら呼びつけて何々するというだけに終わってしまいますので、やっぱり事前に私たちは十分な政策メニューをつくって、国民がそれを選ぶという体制をつくっていくことが基本ではないかと思います。そういう中で、当然、政策メニューをつくる上で金融機関経営情報とか政策情報を出していただくということを制度化していただきたいと思います。
  52. 山田俊昭

    山田俊昭君 時間がないんですが、宗田先生に一問お尋ねをいたします。  先生は住専処理に対して会社更生法の適用を考えるべきだということでありますが、このたびの政府の提出している住専処理法の、いわゆる商法における株式会社の形をとるわけなんですけれども、その中でも、この政府案に従っても、少なくもアメリカのRTCのような税に準じた自力の執行力を持った立法措置をして、それを取り入れればさらに実効性は増すと考えるんですが、この点いかがでしょうか。
  53. 宗田親彦

    公述人宗田親彦君) 一つ選択肢というか、あり得る姿というふうに思います。  住専処理法案を、先ほど来申し上げているような管財人とか損害賠償だとか否認権だとか調査権だとかその他というようなものを規定の中に入れて、かつ債権を買い取るというだけでなくて債務の引き受けということもするんだということを、そして先生御指摘の強力な執行力を持たせたという法案にこれを変容していただきましたときには、現在の住専処理法案というものも一つ有効な法律として使えるものというふうに期待しておるわけでございます。
  54. 山田俊昭

    山田俊昭君 どうもありがとうございました。終わります。
  55. 井上裕

    委員長井上裕君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼申し上げます。  本日は、長時間にわたりまして有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  午後一時まで公聴会を休憩いたします。    午後零時四分休憩      ―――――・―――――    午後一時一分開会
  56. 井上裕

    委員長井上裕君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  平成八年度一般会計予算平成八年度特別会計予算及び平成八年度政府関係機関予算につきまして、休憩前に引き続き、四名の公述人方々から項目別に御意見を伺います。  まず初めに、二名の公述人にお願いいたします。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げる次第であります。  本日は、平成八年度総予算三案につきまして皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いをいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後で委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、まず財政・税制・経済・雇用につきまして石公述人からお願いいたします。石公述人
  57. 石弘光

    公述人(石弘光君) ただいま御紹介いただきました石でございます。  私に与えられましたテーマは財政・税制・経済・雇用と非常に大きなテーマでございますので、逆に言えば何を言ってもこれに該当するかと思いますし、あるいは言い過ぎますと論点が拡散いたしまして私が何を言いたいか御理解いただけないと思いますので、論点を二つ三つに絞りまして、以下議論をさせていただくことにいたします。  とりわけ、本年度予算との関係におきまして重要なのは、前からいろいろ言われております景気刺激のためか、あるいは財政健全化のためかという二つの対立した論点、見方がございますので、これを軸にいたしまして、予算、税制あるいは雇用等につきまして日ごろ考えておりますことを述べさせていただきます。  まず、平成八年度予算の性格でございますが、これは私の理解するところでは、あるいは私の解釈では、バブル崩壊後四年間にわたりまして景気低迷が続いておりまして、財政はこれまで随分その積極的出番が期待されました。しかし、今もって日本経済がまだ完全に回復していないから景気回復の役割を担えという声がある一方で、以下述べますように財政赤字の累増というのがゆゆしき問題になった、少し軸足をかえて財政健全化の方に行くべきであるという議論もこれまたございまして、私は主として後者の立場をとっております。  そういう意味で、一応経済回復はそこそこ見込まれる時点になり、財政は後始末に回るべきである。そういう意味では、本年度の予算は財政面から行った最後のてこ入れとすべきではないか、これが私の基本的なスタンスでございます。  ちなみに数字を申し上げますと、歳出総額で前年度予算に比べまして五・八%ふえておりまして、言うなれば過去五カ年の中で最大の伸びになっていると思いますし、一般歳出の方も一丁四%伸びておりますので、そこそこ財政面からの景気刺激効果はこのままでもあるのではないかと思っております。  ただ問題は、この予算案を伸びさせたその背景にございます財源面の問題であろうかと考えております。  そこで、平成八年度の予算の最大の特色は財政赤字の幅が格段にふえたということではないかと思います。これは累次にわたります総合経済対策、これが予算面にあらわれたこともございますが、例えば公債発行額は約二十一兆円でございまして、公債依存度も二八%まではね上がっております。過去一九七〇年代後半から始まりました財政再建のスタート時点とほぼ同じようなことになっておりますし、それから財源のない特例債も七年ぶりで発行いたしました。そういう意味では、この十二兆円というのはこれから大きなおもしになってくるのではないかと考えております。  先ほど申しましたように、景気回復のために補正予算を組んで下半期の景気を一段と確実なものにしろという声もないことはございません。これまでの施策によって私は財政はある程度責任を果たしてきたと思いますので、あとは民間に頑張ってもらう、そういう意味の論点というか軸足を移していくという観点が重要になるのではないかと思います。  そういう視点から申しますと、平成八年度の予算の大きな欠陥は、言うなれば財源のめどなくして財政赤字を拡大させたということでありましょう。そういう意味から申しますと、平成六年度の増減税一体、つなぎ国債を出しましてその辺に目配りをしたということに比べますと、今回は財政赤字対策がないという点がやはり気にかかるところであります。  と同時に、住専処理予算の審議はほとんど時間をとられております。確かに住専処理も重要かとは思いますが、しかし今後の負担という視点、特に財政赤字というのは当然のこと将来元利償還、これは国民の負担になるわけでありますから、負担額といいますと住専の比ではないぐらい大きな額が後世代に及ぶわけでございます。そういう意味から見ますと、財政赤字の検討が余り行われていないということに関して私は一国民といたしまして非常に不満を持っているわけでございます。  昨年十一月、たしか当時の武村蔵相が財政危機宣言をいたしまして、それ以来財政危機という言葉がマスコミをにぎわしてきておりますが、意外にこの点が国民の中によく理解されておりません。きょうは委員会のお許しをいただきまして二つほどグラフを用意してまいりましたので、これをちょっと最初に説明させていただきます。  英語で書いてございまして恐縮でございますが、第一図の方が年々発行いたします財政の赤字、黒字、これをGDPの比率に置きかえたものでございまして、G7間で比較をいたしました。ただ、政府の範囲は一番広い範囲、つまり中央政府、地方政府、社会保障基金というものまで含めた概念でございますので、そういう意味では、日本の政府全体が日本という国に対して背負っている借金の度合いであるというふうに御理解いただければいいかと思います。  それで明らかなごとく、一九九〇年ごろまではこの比率はだんだん落ちてまいりました。上半分の方が赤字幅でございますから、このグラフの位置が高い国ほど赤字に悩んでいるということ、そういう点から申しますと、日本は一九七九年あたりから毎年この比率を落としております。とりわけ、一九八〇年代後半のバブル発生のころは、恵まれました税収増によりまして赤字を返せ、一たんは財政再建という赤字国債ゼロにまで行ったのでございますが、その後、再び拡張いたしております。ここ数年この伸びはほかの国が減らしているのに比べて日本は圧倒的に大きくなってきておりまして、あの財政赤字で有名なイタリアにまさに接近しようかというようなところまで対GDPで見た財政赤字の幅が来ているということ。  それから二枚目の方は、これは債務残高、つまりストックで見たものでございまして、言うなれば年々発行いたしました財政赤字がそのまま累増していきまして、現に国債で見ますと二百四十兆円等々ございますが、地方債その他の長期債務まで入れますと、実にGDP比で九割を超えるところまで来ております。  この比率から明らかなごとく、日本は欧米先進国、フランス、ドイツ、イギリスアメリカあたりをはるかにぬきんでて、これまたイタリアに時々刻々と近づくような状態になっている。イタリアは一〇〇%を長い間超えておりますが、GDPより大きい財政赤字を持っているという国はまさにさまざまな弊害、さまざまな悪影響を経済に及ぼすという事実でございまして、日本もこういう形になってきたということは、まさに昨年十一月の武村大蔵大臣がおっしゃられました財政危機というものが如実に感じられるということでございます。  そこで問題は、今こういう大きな借金を抱えてこの先行き明るいかというと、日本経済日本社会も必ずしも明るくないわけであります。  たしか一九七〇年代初頭オイルショックがありまして、そのとき財政が大幅に膨らんだ。十数年かかってやっと赤字を消したときには、まだ日本経済にはある程度成長できる余力もありましたし、高齢化といったような今一番真剣に考えなきゃならないものはなかったわけであります。逆を言えば、これから財政再建なり財政健全化をやるときに、二十一世紀目がけて来る急速な高齢化のもとでこれをしなければいけない。それから、当時で言いますと、たしか一九七五年の国債残高というのは十五兆円ぐらいでございましたけれども、今二百四十一兆円になっておるという、そういう大きな固まりを背景にしてそこから再スタートしなければいけない。これは非常に大きな問題ではないかと、このように考えております。  そこで、先ほど申しました財政健全化の方に少し政策判断を寄せろというのは、こういうゆゆしき事態ということが頭にあっての提案でございますが、片や一九九二年あたりから四年間ぐらいにかけまして財政を中心にいたしまして総合経済対策が打ち出されました。六回やったと思いますが、六十兆円ぐらいにその規模は及んでいるわけでありまして、その半分ぐらいが俗に真水と言われるそういう範囲だと思います。恐らく二十兆円近い国債が過去四年間に出されたわけでありまして、私はそういう意味で、冒頭申し上げましたように、ある程度財政の責任はこういう数字をもって示すだけでも果たし、かつその後始末の方法を考えなければならない時期であろうと考えております。  幸いなことに、累次の経済対策によりまして経済もそこそこ上向いてきていると思います。IMFの見通しによると、ことしは実質の成長率で二・七%、来年は三・一%行くだろうと。そういう意味では、G7の中で一番高い成長率が見込まれているわけでございます。そういう意味から見て、後始末というのは、財政赤字に対してもうこれ以上出るなということ、あるいは少し削減の方に向かえということですが、恐らく日本経済はそれに耐え得るだろうと思いますし、仮にまた何かの事情により経済の停滞が続くようなことがあっても、私はもうそろそろ財政の方の健全性を考えなきゃいけないという視点から、財政健全化の方に政策をとるべきだろうと思います。  と申しますことは、景気が低迷し、失業が出てという意味での景気低迷のコストというのはかなり大きいと思われます。しかし、その景気低迷のコストというのをあえて失業のコストと言いかえますと、その短期的な失業のコストと財政赤字が累増していったときの中長期的なコスト、この比較をする時期に来たと思われます。  では、この中長期的な財政赤字のコストは何かと申しますと、現に欧米諸国はその域に達しておりますが、例えばフランスで見ますように、やはり資金市場から国債が民間資金を奪い取って高金利になると。この高金利体質というのは一国経済の伸びを著しく阻害いたします。例えば、民間投資は出ないし、ローンなどを抱えておる家計には利子の支払いの重荷が来るといったようなこと。アメリカでも欧米でもこの話が出てきておりますし、それから自国通貨、つまりマルク安であるとかフラン安であるとかポンド安にもつながりますし、それから潜在的には絶えずインフレの危機というのがあるわけであります。幸いなことに、まだ日本経済はそこまでは追い詰められていないと思います。したがって、まだ貯蓄も高い。まだ高齢化が本格的になるのには時間があるから、この際思い切って財政赤字でやってという議論がないわけではありませんが、今申しましたインフレなりクラウディングアウトなり、あるいは通貨の減価等々は恐らく私はかなり早い時期に日本にも来ようと思います。  例えば、二〇〇五年ぐらいからは団塊の世代がリタイアいたしますから、そのころから貯蓄率は落ちるだろうということは大方の見方でございますし、今円高が回避されて円安で喜んでおりますが、実は円高を望んでもならないような日本経済になるかもしれない。そのとき、恐らく財政赤字というのは日本のクレディビリティー、信用度を非常に落とすものでありますから、そういう意味で国際面への波及も大きいのではないかと考えております。  そういう意味で、私が申し上げたいのは、中長期的な財政赤字のマイナスの影響を十分カウントして施策の中に入れるべきである。これは平成八年度予算の中にまだ登場しておりませんが、今後補正予算等々来年にかけていろんな議論があるときにはこの視点が極めて重要であろうと考えております。  そうなりますと、景気は落ち込んでいいか、失業は心配ないかという御議論が当然あろうかと思いますが、現在三%台の失業率というのは、いろいろ定義もございますが、欧米の二けたに比べますとまだまだ圧倒的に低いわけであります。と同時に、今の失業というのは産業構造の変革から出てくる面が非常に強いので、これを単に堅実政策的に有効需要をつけても、これで失業率が落ちるという保証もありませんし、恐らくそれに対するマイナスの効果が非常に大きい。マイナス効果というのは、財政赤字をふやして将来的にさまざまな悪影響をもたらす、あるいは元利払いがあるということでございますが、そういう面が非常に心配されておりますので、私は、失業というものについて、だからこそ財政赤字を出すべきだというところまで話は至っていないと考えております。  最近よく言われておりますが、財政赤字拡大によって、俗に言われます堅実政策でありますが、景気を刺激するということに関しましてさまざまな効果の有効性の減退が言われております。これはまさに事実だろうと思います。つまり、公共事業をふやしても昔ほどその乗数効果が大きくないというのもいろいろ計算から出ますし、身近なことからもわかります。それから、やはりこれだけ国境を越えて経済がグローバル化いたしますと、内需拡大しても輸入に結びつくという形で、ちっとも国内の需要に結びつかないという点もありましょう。そういう意味で、従来どおり財政出動によってやれやれどんどんという時代ではないのではないか。  そういう意味で、マクロの経済対策自体の中に財政赤字を減らす方向だということは恐らく議論として両立し得る。欧米では既に景気対策のために財政赤字を減らせと、これは日本とは全く別でありますが、そういう論調が出てきているように、この辺は従来とは違った発想をとるべき時期に来ているのではないかと思います。  第一点で時間のあらかたを使いましたが、残りのことでちょっと税制に触れさせていただきたいと思います。  税制は、恐らく平成六年度の増減税一体処理ということで、その後、七年、八年まで三カ年は一応シナリオが描かれているわけであります。そういう意味では、平成八年度もそれほど大きな税制上の問題はない。地価税がどうだとか固定資産税がどうだとか、あるいは利子配当課税をどうするか等々ございますが、大きな所得税とか法人税とか消費税というのはまだ議論の中に出てきておりません。  そういう意味では、私は、平成六年度に五・五兆円の先行減税をして、つなぎ公債でつないで、そして平成九年四月一日から消費税率を三%から五%に上げ、かつ二兆円分の特別減税はその場で廃止するという既存のシナリオを着実に実行するのがいい選択であると考えております。  これに対しまして、増税になるからデフレ要因が心配だと。確かにそのときの状態を見なければわかりませんが、ただ消費税率アップは経済構造の中に織り込み済みでございまして、その辺の問題というのは既に解決されているような面があるかとも思います。  いずれにいたしましても、減税が先行されて、そして財源というものが必要になった時点におきまして、かつ幸いなことにそれを許容するだけの回復力はもう既にあろうと思いますので、特別減税二兆円の廃止も含めて既存のシナリオをやるべきであるというふうに考えております。  問題は、今後の将来展望でございますが、やはり平成八年度の予算以降は直間比率の見直しという既存の税制改革の望ましいシナリオを、タックスミックスと申しますか、税制の組み合わせを目指してこれから現行税制を見直し、かつその辺を議論していくべきだと思います。  恐らく今後予定されております一つの大きな問題は法人税であろうと思いますが、法人税率は確かに国際的な水準より高い。これを企業活性化のために減らすべきであるという議論、これは今税制調査会でも議論をいたしております。  いずれにいたしましても、この辺の議論というのは当然これから大きな焦点になろうと思いますので、しかるべき結論が出た段階で具体的な税制改革の中に織り込んでいくのが筋であろうと考えております。  再度申し上げますが、そういう意味で余り細かい点に触れず、大きな見方と申しますか、平成八年度予算をどういう形で見るかという視点から、特に従来どおりの発想よりはそろそろ議論の視点もあるいは議論の内容も変えるべき時期に来て、そういう意味では財政赤字のもたらすさまざまな弊害を冷静にかつ将来を展望して考えるべきである、これが私の結論でございます。  足りない分は後で御質問に答える形で補足したいと思います。  どうもありがとうございました。(拍手)
  58. 井上裕

    委員長井上裕君) ありがとうございました。  次に、社会保障につきまして鷲尾公述人にお願いいたします。鷲尾公述人
  59. 鷲尾悦也

    公述人(鷲尾悦也君) 連合の鷲尾でございます。このような発言の機会を与えていただきましてありがとうございます。  私は、与えられましたテーマは社会保障についてでございますが、九六年度予算全体について一言まず申し上げたいと思います。  今年度の予算については大幅に成立がおくれたわけでありますが、ぜひとも私どもは、今年度の予算は大変重要でございますので、早期に議論を詰めていただき、予算案を成立させ、整々と政策を実現していっていただきたいという気持ちでいっぱいでございます。  ただ、従来から連合が申し上げておりますが、政策の優先順位をつけて、先ほど石先生がおっしゃられましたとおり、財政も大変危機的な状況になっている認識はしているわけでございますから、そのためには大胆な優先順位をつけた政策優先の予算編成をすべきであると考えております。今回におきましても、例えば業種別の配分の変更が〇・五七ポイントの変更にとどまっているというようなことでございまして、めり張りのきいた予算であるとは必ずしも言えないというふうに思います。したがいまして、今年度に限らず、将来を目指して大胆な政策転換をお願いしたい、このように考えているところでございます。  ただ、社会保障関係予算は対前年度増二・四%の十四兆二千六百三十億円であります。したがいまして、こうした財政的な状況の中では総じて従来施策の延長ではございますけれども、それなりの予算編成になっていると認識しておりますが、我々の立場からいうと、さらに社会保障関係については充実をしなければいけないという基本的な考え方から申しますと、可も不可もないというような評価をしている印象でございます。  ただ、障害者プランの初年度として一四%増の二千億円等が計上されたことによりまして、新たに障害者向けのヘルパーが八千人増員されたなどが盛り込まれております。  また、新ゴールドプランについても、私どもはさらにこの新ゴールドプランを充実させたスーパーゴールドプランという計画を持っているわけでありますが、そこまではまいりませんけれども、新ゴールドプランが二年目に入りまして、ホームヘルパーや特別養護老人ホーム、特養などの増員について盛り込まれていることがございます。  またエンゼルプラン、子育て支援の緊急保育対策につきましても、保母を増員する、保育所を倍増するというような計画がこの予算に織り込まれておりまして、そういう点に関しましては私ども積極的に評価ができる予算案ではないか、このように考えているところでございます。  ところで、社会保障関係についての幾つかの重点的な課題について申し上げたいと思います。  まず第一番目は、私どもは、当面の最大課題が新しい介護システムの設計ということではないか、このように考えております。  御案内のように、高齢化・少子化の進行の中で要介護高齢者が著しくふえておりますし、介護期間も長期化する一方でございます。また、介護サービスについても、これも先生方十分御承知のとおり、住宅、施設の面で立ちおくれておりまして、現在の介護者は家族による介護に大きく依存しているわけでございます。介護する家族の側の精神的、肉体的あるいは経済的負担というのは大変重いということでございます。  ちょっと古いデータでございますけれども、九四年秋に連合が介護に関しての調査を行いました。お手元にカラー刷りのややきれいな、ややではございません、大変きれいに工夫したつもりですが、パンフレットをお配りしております。そこの四ページから五ページに介護の現実というのを分析しております。これは御説明する時間がありませんので、後ほどお読み取りをいただきたいと思うわけでありますが、ここの中では大変深刻な状況が報告をされているわけでございます。  これは大体二千人の回答なんでございますが、要介護者は在宅が六割、介護期間が平均五・八年、十年以上が一五%もいるということでございます。また、介護している人たちでございますが、在宅でも男性三割が主たる介護者でございまして、介護者の十人中三人以上がときどき介護されている方に対して憎しみを感じているというような気持ちを告白しておりまして、十人中五人は何らかの虐待を経験していると、こういうことがアンケート調査に出ているところでございます。こういうことは家族ということを考えますと大変深刻な事態ではないかというふうに考えます。  介護費用の問題、高齢者福祉サービスについての国や自治体への要望というのは幾つかそこに記載されておりますが、この調査の原始データもございますので、もし必要であれば提供をさせていただきたいと思いますけれども、これはぜひ御参考にしていただきたいと思います。  現行制度は福祉と医療が別々に行われているわけでございまして、窓口や手続が一本化されていないとか、あるいは総合的なサービスを受けにくいといった問題があることは御承知のとおりでございます。しかも、福祉イコール税というような措置制度についても、あるいは医療保険におきます介護の内容についても大変問題があるものであるというふうに言わざるを得ないわけであります。したがいまして、介護問題の解決というのは現行制度の延長線上では不可能でございまして、新しいシステムがぜひ必要だというふうに思います。  四月二十二日に、これも御承知のとおり、老人保健福祉審議会の報告がなされました。この報告というのはどういう性格のものかよくわかりませんが、大概、普通は答申が出るわけでありますけれども、両論、三論併記でございまして、報告にしか至らなかったということについて、この制度の内容のいろいろな問題点というのがうかがい知れるところでございます。  私ども連合の考え方については、お手元に、ちょっと字がたくさん書いてあって大変恐縮なんですが、この四月二十二日の老人保健福祉審議会報告についての私の談話と、その次のページ以降に「新しい介護システムにおける費用負担と制度のあり方について(見解)」ということで幾つか記載をしているところでございます。  私どもは、介護については介護保険でという基本的な考え方は理解できるわけでありますが、現在、老人保健福祉審議会で報告をされました制度の中身、私どもの意見がその対立の一つであるということなのかもわかりませんが、重要な点で意見が分かれているということでございます。時間がございましたら後ほど若干説明をさせていただきたいと思うんですが、こうした報告をもとにして厚生省は試案をつくるということでございます。  聞き及んだところでは、今国会の会期中にその法案化をして国会に上程されるというプランもあるように聞いております。私どもは、試案ということであるならば、この問題の重要性にかんがみまして、この試案を率直に国民の中に提供して、国民全体が議論してお互いが納得した案をつくり上げる、すぐ法案に結びつけるのではなくて、国民議論のたたき台として時間をかけて十分な国民的論議を行うべきであろうと思います。  しかしながら、時間をかけてといいましても、先ほど言いましたアンケート調査の状況から考えますと、これはまた逆に喫緊の課題であります。要介護者を抱えております方々にとりましては、対象者の御家庭にとっては早くできないかなというような考え方もあるわけでございますから、慎重に十分合意を図ってなおかつ急いでというのは大変矛盾した物の言い方でございますけれども、しかしながら国民的な関心をできるだけ早く高めて、みんなの参加によって案をつくるべきではないか、このように考えているところでございます。  また、介護だけではなく、高齢者問題というのはいわば成熟化社会における経済問題でもあるわけでございます。したがいまして、社会保障関係ではなく経済関係、雇用関係の審議会でも、いろいろな審議会で議論をすべきではないか、こういうふうに思っております。したがいまして、国会におきましても、先生方にお願いしたいわけでありますが、それぞれ関係ある委員会等で十分な議論を尽くした上で解決を図っていただきたいというふうに思うわけでございます。  お手元の一枚めくった資料の「新しい介護システムにおける費用負担と制度のあり方について(見解)」ということでございます。詳しく申し上げる時間はないかもわかりませんが、連合の考え方が記載してございます。  私どもは、保険料負担と給付が結びついていること、保険料を集めたところが使うというような保険の基本を守るべきであると考えておりまして、制度疲労を現在起こしているというふうに考えられます老人医療拠出金のような仕組みを持ち込むべきではないと、このように考えているところでございます。  今老人保健福祉審議会で対立をしている部分については、お手元資料にございますように、保険料負担の問題がまずございます。保険料負担の問題については、一つは負担のあり方の問題、事業主負担の問題、利用者負担の問題についてそれぞれ意見が幾つか対立をしているところでございます。  保険者の問題についても、私どもは地方分権という大きな流れから、介護保険の保険者は市町村を基本とすべきだというふうに考えますが、このこと自体は具体的な対応策、例えば財政基盤が非常に乏しい市町村に対しては大きな負担になるというようなことから、市町村の中には反対の御意見が多々あるということも認識しているわけでございます。しかしながら、公費による財政調整等々の工夫を行うことによってこれらの問題を解決しながら、基本は市町村で行うべきではないか、このように考えているところでございます。  さらには、例えば労使の間で解決しなくちゃいけない議論もございます。事業主負担と本人負担との関係、それからいわば利用者の負担を何割にするか等々についても意見の対立はございますけれども、これらこそは国民的な合意のもとで議論をしていく、私どもの主張は主張として耳を傾けていただきまして議論をしていくことが必要なんじゃないかと考えているところでございます。きちんとした介護システムをつくることによって社会保障全体のトータルの費用をできるだけ減ずることができるようなシステムづくりというのが大切なのではないかと、このように考えております。  その点からいって、もう一つの医療の問題についても大きな問題が存在しているというふうに思います。経済成長が停滞し国民所得がほとんど伸びていかない中で、国民の医療費は従来どおり伸び続けております。各医療保険制度は御案内のとおり赤字に陥っているところでございまして、労使の負担が非常に強まっているところでございます。この点については抜本的なメスを入れることが必要でございます。  まず第一は、先ほど申し上げました介護の問題でございまして、医療からの介護の切り離しを考えるということが大事でございます。  第二番目には、これは大変悩ましい問題ではありますが、医療支払い方式、現在の診療報酬支払い方式について思い切った見直し、メスを入れるということも大切なんではないかと。  現在の国民の意識がこの医療費の問題について、特に老人医療の問題等々について自分たちがどれだけの負担が、負担といいますか受給がなされているかということについて認識をしていないというところに大きな問題もあるというふうに思います。私ども自身も、みずからの立場でそれらの認識を強めるという運動が必要だということも十分認識しているところでございまして、そうした認識を強める中で思い切った見直しを提言していくべきじゃないかというふうに思います。  また、老人医療の公費負担と個人負担についてでございますが、これもいろいろございますので、確かに弱いところにしわ寄せが行くようなやり方というのは避けなければいけません。老人医療の公費負担の問題と個人負担のそれぞれの引き上げについても考えていきませんと、現在の労使のつくっております健康保険自体も大きな破綻になってしまうということは言われているとおりでございまして、大変重要な課題であるというふうに思います。  また、最後に申し上げますが、これは薬代の問題でございますが、薬剤費の適正化ということについても何らかの手だてが必要でありまして、思い切ってやるべきではないかというふうに思っております。  ただ、現在、サラリーマン健保の給付率が現行九割ということを見直すべきであるという意見がございます。これらについてもトータルに議論をした上で対応すべき問題でありまして、直ちにこの問題を先に手をつけるということではなくて、全体の制度の問題として議論しながら慎重な対応をお願いしたいというふうに思っているところでございます。  三点目の問題は年金の問題でございます。  年金の問題については、次回の改正が九九年に予定をされております。一昨年から昨年にかけまして年金問題については議論をお願いいたしました。私どもは、この決定については、基礎年金の国庫負担率の引き上げというものを国会の付議でしていただいたわけでございまして、前回の改正についても大変いろいろな議論の中で御決定をいただいたことであります。この年金問題についても、九九年の改正までには時間があるようでございますけれども、これらの問題については国民的なこれまた合意が大変重要でございますから、早目に検討を開始するということが大切ではないかと、このようにまず申し上げておきたいと思います。  次に、女性の年金権の問題でございます。  私どもは、女性の年金権のあり方も大事なテーマでございまして、収入があれば保険料を負担する、そして個人単位の年金制度を確立するということがポイントになると思います。こうした視点から幅広く議論すべきではないかと思います。  先ほど介護のところで申しおくれましたが、介護の問題でも、単位は私どもは家族ということではなくて個人ということをベースにして考えるべきではないか、このように考えているところでございまして、年金問題については個人単位の年金制度を確立するということをテーマにして議論をお願いしたいというふうに思っております。  企業年金についても、これまた大変大きな問題になっております。運用環境が御承知のとおりに悪化の中であり方が問われているわけでございますが、厚生年金基金の支払い保証制度の充実や情報開示や受託機関の責任の明確化など、すぐやるべきではないか、このように考えているところでございます。  予定利率五・五%の見直しの問題でございますが、これは長い期間にわたった議論をベースにして進めるべきでありまして、単年度の議論はすべきではない、このように考えているところでございますが、慎重に行うにしろ、この点については議論の対象になるんではないかなという感じがするわけでございます。  あとわずかな時間でございますので、総合的にこれからの社会保障の方向全体について少し申し上げたいと思います。  私は、本日は介護それから医療、年金の三点について触れましたが、トータルで言いますと、これまで国がスローガンとして進めてまいりました公助、共助、自助の適正な組み合わせというスローガンは大変すばらしいテーマ、スローガンであろうと思います。ただ問題は、各論になりますといろいろ意見の分かれるところでありますけれども、私ども基本は公助、共助、自助をお互いに理解し合いながら最適な組み合わせをつくり上げるというのが社会保障制度の最も重要な点ではな  いか、このように考えております。  そのためには、経済社会、経済構造まで含めた再構築、システムの構造改革がぜひ必要であります。国民福祉のニーズは増加する一方でございます。一人一人にとりますと大変重要な問題であります。しかしながら、先ほど石先生の公述にもございましたように、財政トータルとしてはさまざまな問題があるわけでございまして、これは優先度の高い施策を重点化することができるかどうかということが大変重要なポイントになっているわけであります。これは私どもが先生方にもお願いしたいことでございますけれども、政治のリーダーシップというのも大切である、このように考えているところでございます。  また、国と地方の役割分担と地方分権の関係についても考えていかなくちゃいけないということでございまして、中央政府はナショナルミニマムを設定すること、そして自治体が現物サービスの給付を行うというようなやり方を進めるということが大変重要ではないかと思います。  そこで、社会保障基盤を確保するためには、やはり何といっても経済が順調に安定的に進まなきゃいけないというふうに思います。  石先生とここで議論するつもりはございませんけれども、私は雇用の問題についても三・三%程度なら大丈夫だという御意見については立場もございますけれども、心配が非常に多いわけでございます。できれば従来のように二%台というのが健全なあり方でございまして、何か財政赤字が日本より少ないということで失業率が二〇%近いヨーロッパの状況の方が好ましい、石先生がそうおっしゃっているわけではありませんが、というように受けとめられるようなことではいけない。やはり、雇用については新しい産業を興し、そこに対して能力開発を行って、雇用創出と経済の活性化ということをベースにいたしまして、社会保障の推進というのは経済、雇用が安定的になることによって社会保障の負担が受けとめられるということであります。  最後に、行政のあり方でございますが、これはいろいろ言われていることでありますけれども、透明で公正な効率的な行政システムをぜひ実現をしていただきたい。  以上でございます。(拍手)
  60. 井上裕

    委員長井上裕君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  61. 金田勝年

    金田勝年君 自由民主党の金田でございます。  きょうはお二人の公述人先生方、大変お忙しい中をおいでいただきまして、先ほどから御示唆に富む貴重な御意見をいただきましたことを心からお礼を申し上げたいと存じます。  それではまず、いただきました時間が余り長くはありませんので簡潔に申し上げたいのでございますが、石公述人に質問させていただきたいと存じます。  ただいま話を承りまして、我が国の財政の現状がいかに悪化しているか、そして主要先進国の中でもほぼイタリアに近い、最悪と言えるほどの水準となっているというお話がございました。日本の財政危機は想像以上に深刻だと。そしてまた、先ほどのグラフにございましたが、これはどうもマーストリヒト条約というのがあって、EUでございますか、通貨統合のときに参加できるかどうかの基準がストックベースで見た場合に六〇%を超えているかどうか、中に入るか、こういうことのようでございます。先ほどのお話では、日本の地方自治体の借金あるいは特別会計の借入金を加えた政府の債務残高の対GDP比というのはもう九割に達しておると、こういうお話でございました。  そしてまた、八年度予算につきまして見てみますと、改めて申し上げるまでもございませんが、もう既に公述人の方からお話がございましたが、七年ぶりで十一兆九千九百八十億円という多額の特例公債を発行せざるを得ない状況となった。これは特例公債だけでございますから、これに建設公債も入れますと二十一兆円に達する、こういう借り入れでございます。したがって、公債依存度は二八%となって、公債発行残高も二百四十一兆円の巨額に達する、こういう話でございました。  財政赤字がふえますと公債の利払いに追われるわけであります。そうしますと、当然のことでございますが、財政硬直化という現象が起こってまいります。その際に一般歳出の比率というのが非常に重要な指標になるのでございますが、昭和五十年度には予算の七四・四%を一般歳出が占めておった。これが平成八年度予算では五七・四%にまで落ち込んできたという状況であるということでございます。非常に厳しい状況になってきた。数字の示すとおりであります。  そしてまた、大蔵省が去る一月二十六日に衆議院、参議院両院の予算委員会に提出をいたしました財政の中期展望というのがございます。これを拝見いたしましても、中期的な財政状況について歳出歳入のギャップが年々拡大の一途をたどっていくという極めて厳しいものとなっているということで、以上のことを考えますと財政健全化への取り組みというのは非常に重要な課題だ、これは本当に私ども今お話を伺いながら、そしてまた数字を見ながら思いを新たにした次第であります。  ところで、ことしの二月に財政制度審議会におきまして財政健全化のための財政構造改革特別部会というものが設置されております。その部会長に本日お見えの石公述人がおつきになっておられる。そういう重要なお立場にありますことからここでお伺いしたいのでございますが、日本経済の将来を見据えて、二十一世紀に通用する財政に期待される役割と申しますか、そして財政改革といいますか、そういうものについてまず御意見を承りたいと思います。
  62. 石弘光

    公述人(石弘光君) それでは、簡単にお答えいたします。とりわけ、財政審でやっております特別部会について御質問がございましたので、何をやっているかということを含めまして、あるいは我々の問題意識を含めまして御説明したいと思います。  二十一世紀を見たときに、財政面からいいことはほとんどないんではないかと思います。財政赤字の利払い費だけでも雪だるま式に膨らむでしょうし、高齢化で年々の社会保障関係の費用は、鷲尾さんがさつきおっしゃられましたけれども、恐らく削れるところは極めて少ない。そういう意味で、何をすべきかということは、やはり長い目で見てシナリオを描かざるを得ない、デザインをするほかないと思いますが、今我々の関心は二つございます。  一つは、マクロ的に見て日本の財政赤字がどの程度まで支えられるか、言うなれば先ほど申しました対GDP比率でもいいんですが、そういう財政赤字の許容幅なるものがあるのかどうか、あるいはどういう尺度で議論したらいいか。従来、国債依存度か公債依存度を使っておりましたが、公債依存度というのはある意味で政府部内だけの、言うなれば身内の物差しでありますが、対GDP比率になりますと一国全体の規模でそれを議論します。外国はこっちを使います。そういう意味でこの測定基準というものをどうしたらいいかということを今議論いたしております。これが一つ。  それからもう一つは、政府はやるべきことはやるけれども不必要にやっているところから引っ込むべきだと。一言で申しますと官と民の守備範囲の見直し、これはどうしても私は必要になってくる視点であろうと思います。  俗に財政赤字は歳出カットでやれという議論があります。そのとおりだろうと思いますが、その歳出カットの視点も従来どおり民間でやるべきことを官におんぶしてやってもらう、それではいたずらにふえるのみでございます。そういう意味では、私は、小さな政府を目指し効率的な政府を目指す、その辺の議論をしなければ、二十一世紀にたえ得る政府の理想像なり存在感のあるものにはならぬと思っております。
  63. 金田勝年

    金田勝年君 そこで、昨年来の最大の政策課題の一つということで思い起こしてみますと、私ども自由民主党を初めとします与党三党そろってのキャッチフレーズで「元気を出せ!日本」というのがございましたけれども、景気の回復にやはり最優先の経済政策課題として取り組んでいかなければいけない、こういうふうな取り組みをしてきたのは事実であります。景気をよくするということを本当に一生懸命になってやってきたわけであります。去年の秋に事業費十四兆二千億に上る経済対策を講じたのもその考え方に沿ったわけでございますが、実際、平成四年の夏から平成七年の経済対策に至るまで合計六回にわたりまして総事業費六十四兆円に及ぶ公共事業を中心とする経済対策を打ち出してきたのは事実でございます。  したがいまして、経済の方はそれでどうなったかと、こういう期待を持って見るわけでございますが、肝心の経済の方は平成四年、五年、六年と三年連続で〇%台の成長平成七年についても一・二%程度の政府実績見込みにすぎないわけであります。一方で民間設備投資は落ち込んでいる。ですから、こういう努力をしたからこそ経済がここまでもったんだということをむしろ説明すべきだろうと、こういうふうに思うわけでございます。  いずれにしましても、その結果残りましたのは二百四十一兆円に上る膨大な公債残高に貢献しておるということでございまして、昨年末の財政審も財政に頼った景気刺激策のあり方の見直しというものを訴えておるわけであります。こういうふうな三年連続の〇%台、確認の意味もございますが、どこに原因があったんだろうか、これだけの努力をしてきたにもかかわらずどこに原因があるんだろうか。  そして、先ほど石公述人は軸足を変えるというお話をされました。景気の刺激、それから財政赤字の削減、この二つのテーマの中で軸足を変えるというお話をされたんですが、この二つ政策課題というのは二律背反的側面があるわけでございます。軸足を変えるときの判断基準と申しますか、そういうものはどういうふうに考えたらいいのか、そしてそれをこういう時期にぶつかっているんだということを国民に堂々とどういう形で知らしめていったらいいのか、そこら辺についてお伺いしたいと思います。
  64. 石弘光

    公述人(石弘光君) 資産デフレというものはボディーブローのごとく日本経済に非常に効いてきたんだと思います。戦後、インフレばかり経験してきた経済に、今みたいな地価なり株価なりそういう資産を媒介にした形のデフレはなかったわけでありますから、言うなればストック面から効いてきております不況感というのはそう簡単に取れなかったというのが長期化した景気後退の最大の原因であり、それに対する処方せんがやはり十分なかったということだろうと思います。  それにいたしましても、先ほど来景気刺激の方は撃ち方やめというような言い方、元気を出せと言いつつもう元気なんか出ないだろうというような言い方にとられると困るんですが、私はこれまでやった政府の施策はそれなりに無理の中で十分なことをやったと理解しているわけであります。つまり、民間がこれだけ落ち込んだのを恐らく下支えしたと、こう思います。そういう意味では景気の底を、要するに二番底になるとかそういうことを言っている人もいますけれども、とりあえず支えたという意味では十分なことをやった。過去は過去、問題はこれから先だということを言っているわけでありまして、これから先はいつまでも過去のことは尾を引かないで、やはりやるべきところは政策転換をすべきであるというのが私の趣旨であります。  軸足を変えるときの判断基準は二%台、できれば後半の方がいいかと思いますが、あるいは二%前後でもいいかと思いますが、とりあえず今お話しのございました四年間続きの〇%台なり一%にかなり近いあたりでの低成長、これが直った時点においてやるべきだろうと思います。  ただ、私は、やや冒険になるかもしれませんが、先ほど来申しております長期的な財政赤字の重荷ということを考えれば、その点を強調して、本格化するまで待てという人に対しては、かなり早い時期で政策転換を行うべきであるという主張を持っております。そういう点が恐らく何人かの人と意見は違うかもしれませんが、欧米で議論になっておりますように景気政策と財政赤字というのは二律背反ではなくて、長い目で見ると景気あるいは経済成長をある程度持ちこたえるためにも財政赤字の問題というのが避けて通れなくなったということを主張しているわけでありまして、日本もそうならざるを得ないというふうに考えております。
  65. 金田勝年

    金田勝年君 そこで、景気に関して見ました場合に、最近五年間を見ますと、九五年度が一・二%、九六年度が二・五%という政府の見通しがございます。仮にこのとおりに経済成長したといたしまして、九二年から九六年の成長率はならして一%にすぎないわけでございます。ところが、過去七六年から九一年までの十六年間をとらえますと四%の成長を続けておったと、こういうことになりまして、四分の一の水準にこの五年間はなっておる。  こういう状況の中で産業構造の転換とか企業の構造調整が無事進むだろうかという心配も出てきておりますし、ようやく動き出した設備投資の自律的回復の芽をもっともっと育てたいのにどうだろうか、こういうふうな考え方も出てくる。したがいまして、ことしの秋からの景気刺激策として、本年度の下期には公共投資をふやさないまでも現状維持できるぐらいの補正予算を組んでもらいたいという方もいるわけであります。  先ほどございました二兆円の特例減税、来年度はやらなくていいよというお話がございました。この二兆円の特例減税を来年度も継続したらどうだということを言い、かつ早々とそういう発表をした方がいいということを主張されている学者、エコノミストの方もたくさんいらっしゃるわけであります。こういう方たちの考え方があるわけですが、この回復基調が息切れしないということを考えますと、公共投資も含めた景気刺激策というのが必要であって、景気が回復すればその後で自然増収によって財政の健全化が達成されるんだという考え方をその方たちはとっておられるわけであります。  そういうことで、石公述人の考え方とはかなり違うわけでございますが、この考え方を持っている学者、エコノミストの方がたくさんいらっしゃいますので、どういうふうにお考えでございましょうか。
  66. 石弘光

    公述人(石弘光君) たくさんいるかどうかは知りませんが、有力なる意見であることは承知いたしております。私みたいな意見を言うのも最近大分ふえてきましたので、勢いは拮抗しているんじゃないかと自分ながら考えております。  まだ景気が悪いから短期には刺激が出て、その人たちも財政赤字を決していいとは思っていませんから中長期的には財政再建だというふうにうまく使い分けるんですが、私はその使い分けは難しいと思います。というのは、財政赤字というのは国債を出すわけです。五年なり十年なりそのぐらいの間、償還期間までは利払いをするわけで、元利償還もするという趣旨からいいますと、今景気刺激をした途端にもう中長期の財政赤字の負担になるわけです。そういう意味で、スイッチ論を言うなら、今中立てその後財政再建というのはわかりますけれども、その辺の組み合わせがどうもよく理解できない。  と同時に、昔と違って、景気が回復したら自然増収でおのずから一たん出した財政赤字が減少する、僕の言葉では自然治癒説と呼んでいますが、そういうことはあり得ないと考えております。恐らく今度の新計画でもせいぜい三・五%ぐらいしか望めない、それも危ないと思っている段階において、従来みたいにぽんと出てきた自然増収によって過去の赤字が消えてしまうというのはまさに私は幻想であろうと思います。  そういう意味で、今から中長期をにらむなら、私は公共事業、そのやり方も今非常に特定の業種のみに集中する、あるいは配分が偏っているという意見もございますし、それと公共事業だけに頼るようなやり方の補正予算の組み方については資源配分上問題であると思います。  それから特別減税も、先ほど申しましたように、何が起こるかわからないという意味で留保条件をつける必要はあるかもしれませんけれども、これまで既に十分役割を果たしてきた、これからは後始末の時期であるというときに、これはシンボリックになると思います。そういう意味で、私は特別減税あたりは中止して財政赤字に対策をとる、そういう趣旨から見て、これは重要な決断になろうかと思いますが、今申し上げた景気刺激派に対してはそろそろ考え直したらいいじゃないかというのが私の見解であります。
  67. 金田勝年

    金田勝年君 この前の四月二十一日というのはジョン・メーナード・ケインズが亡くなった日でございまして、ちょうど五十年たっということで、日本におけるケインズの評価というのはどういうものかということで私も気にしてみたんですが、ケインズ政策については余り期待しないといいますか、今では余りきかないのではないかというふうな考え方が多いわけであります。恐らく石公述人も同じような考え方をお持ちではないかというように思うのでございますが、そういうことでケインズ的積極財政政策が使えないということであれば、今後景気刺激策というものがもしあるとすれば、どういうふうなやり方であるというふうにお考えでございましょうか、ちょっとお教えいただきたいと思います。
  68. 石弘光

    公述人(石弘光君) 簡単に申し上げます。  資本主義経済である以上、私はいつまでも政府の財政金融政策に頼って高目の成長を実行するというのは無理があると。私は、最終的にはやっぱり民間の力がどこまで発揮できるかによって恐らく経済成長なり景気のよしあしというのは判断されるような社会ではないかと思う。そういう意味で、政府が出てくるとろくなことはないよと欧米の国々は考えておりますが、私は日本もだんだんそうなってくるだろうし、そうならざるを得ないと考えております。民間が頑張れる範囲において一国の経済成長を考え、万やむを得ないときに政府が呼び水的に出ることはあっても、絶えず高目で政府の責任に押しつけて、言うなれば民間が腰が引けているというのでは困るというのが私の基本的な哲学であります。
  69. 金田勝年

    金田勝年君 お考えを聞けて非常にありがたいのでございますが、実は先ほどから公共事業の配分がどうかというふうな話が出ていましたので、ひとつここで、こういうふうなこともあるんだということをお話ししておきたいなと思ってこれから申し上げるんですが、公共事業、公共投資というものを考えました場合には、景気刺激策としての機能というものはもちろん申し上げるまでもなくあるわけでございます。同時に、財政の重要なもう一つの機能としての公共投資というのは資源配分の機能を持っているんではないか。要するに、生活環境基盤整備にしろ産業基盤整備にしろ、社会資本の整備としての機能、社会資本の整備としての公共投資、これは非常に重要な側面を持っている、まだまだ公共投資は必要だ、こういうふうに私は思っているのでございます。  例えば、私はまだ議員になりたての身でございますから、地元に行きましていろんなお話を聞くと、さまざまなニーズというものが本当に肌にしみるといいますか、しみじみと伝わってくるわけであります。そういう一つ一つを聞いておりますときに、例えば私の地元である秋田などでは、道路とか港湾とか空港とか、日本全国の水準と比べてもまだまだ整備の水準というものが低い。ですから、もっともっと地元経済を活性化するためにはどうしてもその整備を強力にやってもらわなければいけない、そういう地域が私の地元であり私の選挙区なわけであります。  そういうことを聞いてしみじみと肌で感じますと、公共事業の中でも一緒くたに公共事業の何々予算とかどういう事業費だとかいうふうなとらえ方だけではなくて、その地域ごとの違いとか事業別の違いとか、非常にきめ細かくこの資源配分機能というものに着目して目を向けてあげなければいけないんじゃないか。そして、私も政治家になりました以上はそういう説明を十分にしていかなければいけないんだな、こういう思いを新たにしておるのでございます。よくおっしゃられますのは、例えば道路であれば秋田の道路も関東一円の道路も皆同じぐらい整備されているという誤解を持たれると非常に困ると、これは私どもが声を大にして言っていかなければいけないことではないかな、こういうふうに思っておるわけであります。  公共事業の話が出ましたので、ちょっと思いを申し上げたのでございますが、いずれにしましても、先般の四月二十三日の予算委員会だったと思いますが、橋本総理が阿部委員の質問に答えておっしゃっておった内容があったと思います。今の財政状況を初め非常に構造的な問題もあるんではないかというふうな阿部委員の質問に答えまして、総理は、審議会の連合体といいますか、各審議会があるわけでございますが、会長さんや事務局長さんがたくさんいらっしゃる、そういうふうな方たちに集まってもらって、それぞれの審議会の壁を越えて議論してもらってみてはいかがだろうか、こういうふうな御答弁をされておられるわけであります。  私は、聞いておりましてこれは非常にいいことだな、こういうふうに思って受けとめたんですが、何分にもそういうふうな御発想を総理御自身がされるということは、こういうふうな問題をとらえて構造的な側面もあるときに、これからのいろんな対策を講ずるときの有効性を考えた場合に非常に大事なことではないのかなと私は思いましたんですが、どういうふうな御感想でございましょうか。
  70. 石弘光

    公述人(石弘光君) 一言で申しますと、全く賛成でございます。  例えば、これから問題になります国民負担率というのは税でやるか保険でやるかというときに、税調と社会保障制度審議会あたりの厚生省関係の審議会と全く別になっているわけであります。国民から見るとどっちで負担してもいいじゃないかというときに、縦割りがもろに審議の中に反映してにつちもさっちもいかない、あるいは財政制度審議会とそれから税調は支払う方と徴収する方で分かれてこれまた余りリンクしていないと、こういう点は方々であると思います。  ただ、問題はどこで束ねるかというところで、連合の事務局みたいなのがないんですね、多分。ここが恐らく問題であろうと思いますので、その仕組みさえ橋本首相のリーダーシップで何かうまくできれば、全部が全部それでできるとは思いませんけれども、少なくとも重要な論点だけはその辺で議論して意見を交換するという場はつくるべきではないか、このように考えております。
  71. 金田勝年

    金田勝年君 石公述人は財政制度審議会の特別部会長をおやりになる傍ら、政府税調の法人課税の小委員長もされておられる。そういう意味では、今の御発言は非常に実感のこもった御発言だなということでお聞きいたした次第でございます。  ところで、そういう政府税調の委員をされておられます石公述人に引き続いて税のことをお聞きしたいのでございますが、先ほど税制改革関連法の、平成九年四月一日から五%とすることという去る六年十一月の法定事項につきまして、このまま既存のシナリオどおりの実施でどうであるか、こういうようなお話でございました。そのときに、所得税法及び消費税法の一部を改正する法律の附則二十五条に四項目が検討条項として盛り込まれておりまして、この四項目を総合的に勘案して、必要がある場合にはことしの九月三十日までに所要の措置を講ずるということになっておるわけでございます。真剣に担当部局の方は取り組んでおられると思うのでございますが、これにつきましてもう一度お考えを教えていただきたい。  かつ、もう一点、先ほどタックスミックスという言葉を教わりました。恐らく、これから目指すべき課税バランスというものをおっしゃっているんだということで受けとめましたが、高齢化社会を控えて将来的に直間比率はどうあるべきか、そしてまた望ましいタックスミックスのあり方というものをどういうふうにお受けとめなのか、その辺を二つ目にお答えいただきたいと思います。続けてよろしくお願いいたします。
  72. 石弘光

    公述人(石弘光君) 消費税率を三%から五%に上げるときに附帯四条項がついておりますのは十分承知しておりますし、税制調査会でももう議論を始めております。  ただ、不幸なことに、社会保障の面あるいは行革の面等々は税調の所轄外でございまして、必ずしも一体化して議論はできない。したがって、ほかでやっている資料あるいは状況を十分に勘案いたしまして判断を下さざるを得ないと考えております。私の理解では、三%から五%になるに当たっては当然のことこの附帯条項というのを考えますが、これは決定的に重要になるというのではなくて、恐らく五%以上になったようなときに決定的にいろんな足かせになるような事態もあり得るかと思っております。  まだ介護保険の全貌がわかっておりませんし、現時点においてこれをどこまでやったらどうか議論は非常にしにくい。そういう意味で私は、この三から五に引き上げるときと附帯条件とは現時点においては絡めて議論はできない。先ほど申し上げましたように、三から五というのは既定路線でありますので、五からもっと上になるときはいろいろ議論があろうかと思いますが、ここは整々粛々とやるべきであるというのが私の意見であります。  それから、タックスミックスというのは、その国、国民性によっていろいろ議論があるわけでございますが、高齢化社会ということになれば、当然のこと消費税率で必要な財源を賄いつつ、勤労世帯に有利というか負担が少なくなるような形の所得税、住民税減税あるいは法人税減税等々の俗に言われる直間比率見直しというのが核になるべきであろうと思います。一律にこれがフィフティー・フィフティーであるのか、今あります七対三の割合が六対四になるのがいいか、その辺がわかりませんが、少なくとも国税、地方税あわせて消費税率は今OECD二十四カ国で最低、所得税の方が最高といっだようなアンバランスを極力なくすような方向で努力すべきだと考えています。
  73. 金田勝年

    金田勝年君 同じ問いで恐縮でございますが、高齢化社会を控えて将来的に直間比率はどうあるべきかという点と、それから税制改革関連法で来年の四月一日、五%という点について鷲尾公述人の御意見をお聞かせください。
  74. 鷲尾悦也

    公述人(鷲尾悦也君) 私も税調の委員の一人でございますから、私どもが五%を決めたときにも責任を持っております。したがいまして、そうした税調のメンバーの一人として、三%から五%という法改正が行われたという事実は重く受けとめなければいけないというふうに思っています。  しかしながら、これは先ほど石公述人がおっしゃいましたように、二兆円の減税の部分を継続するかしないか、今年度後半の景気がどうかということを考えて、石公述人は五から上のことを考えて附則があるというふうにおっしゃいましたが、私どもは三から五というのもその議論の対象になるという認識はしております。しかしながら、冒頭申し上げましたように、税調のメンバーとして議論をしているということもございますので、かなりの確率で五%ということが必要であればやむを得ないことであるかなと。しかしながら、これから議論に参加したいと、こういうように思っています。  それから、国民負担という意味合いからいいますと、直間比率の問題についてもかねてから連合は税の、先ほど石先生おっしゃったタックスミックスからいいますと、所得と消費と資産のバランスを国民合意のもとで上手につける、調整すべきであるという意見を持っております。その意味からいいますと、間接税のアップについては議論に参画をするという立場でございまして、頭からこちらはだめだ、こちらがいいという立場ではございません。
  75. 金田勝年

    金田勝年君 時間の関係で、続きまして鷲尾公述人にお聞きしたいと思います。新しい介護システムについて、連合としての考え方の御説明がありましたので、ちょっとお尋ねしたい。  例えば、連合のお考えでは介護保険の保険者を市町村とする一方で、被保険者は二十歳以上の個人とされております。したがいまして、市町村が二十歳以上の全住民から介護保険料を徴収するとともに、介護が必要になったかどうかの要介護認定もしながら給付も行うことになると思うわけでございます。  私が何人かの市町村長にお伺いしたところでは、現在県で行っているような若い人の障害認定のようなことを市町村でやれと言われてもすぐにはとてもできないということを言っておりまして、保険料徴収についても、住民の一部であります国保の被保険者からその保険料を取るだけでも現在大変だと。それに加えて、新たに二十歳以上の全住民から介護保険料を徴収するなんて、とても責任が負えないというのが全員の反応でございました。  そうした声を聞くにつけましても、連合の案におきましては市町村を保険者とすることにはいろいろと難しい問題があると思うんですけれども、この点について鷲尾公述人の御意見をお伺いしたいと思います。
  76. 鷲尾悦也

    公述人(鷲尾悦也君) 私どものところにも、市町村会等いろんなところから事情説明にお見えになっています。私ども十分認識をしています。また、私どもの組織の中にも自治体に勤めている労働者もおるわけでございます。  しかしながら、こうした難点を現状のままで進めるということが本当に将来の流れとして正しいのかどうかということから考えますと、困難はたくさんございますけれども、こうした問題点を国、地方自治体両方で工夫をしながら、方向性は地方分権という立場、あるいはそうした体制を整えるということで市町村が担うべきである。福祉の現場は現場に近いところということの方を原則にした方が将来方向としてはよろしいんではないか、このように考えております。
  77. 金田勝年

    金田勝年君 続きまして、負担の面から二つの点をお伺いしたいんですが、事業主負担についてでございます。  連合のお考えでは、被保険者の保険料の七割を事業主に負担してもらうということでございますけれども、そもそも市町村の住民を被保険者とする地域保険に事業主負担を当然のように求めることができるのであろうかという点でございます。そしてまた、仮に事業主負担を求めるにしましても、バブル崩壊後の景気低迷からようやく立ち上がりつつあるような我が国経済の現状を考えますと、介護保険の保険料で事業主負担七割というのは非現実的ではないかと思うんですけれども、いかがでしょうか。  それからもう一つは、利用者負担についてでございます。八%に抑えるということになっていますが、これから高齢化がますます進展して社会保障に要するコストがふえる状況を考えました場合に、本当に八%で十分とお考えなんでございましょうか。  以上の二点、簡単にお願いしたいと思います。
  78. 鷲尾悦也

    公述人(鷲尾悦也君) 私どもでは、社会保障に関する事業主負担の問題については、基本的に医療保険まで含めて七割負担というのが従来の主張でございます。しかしながら、金田先生今御指摘のように、これからさまざまな負担が多くございます。したがいまして、こうしたものについては、私どもの要求は要求としてお聞きとめいただき、議論の対象にはしなければいけない、こういうふうに思います。  また、個人負担の八%の問題でございますが、この問題についても同様でございまして、こうした問題があるからこそ、私どもの主張はございますけれども、国民的な合意が必要なんではないか、十分議論を尽くした上で決定していかなければいけない、このように考えています。
  79. 金田勝年

    金田勝年君 いずれにしましても、介護保険という新たな制度の創設に当たりましては……
  80. 井上裕

    委員長井上裕君) 簡単に、時間ですから。
  81. 金田勝年

    金田勝年君 はい。一言でございますが、既存の医療、年金、福祉の社会保障制度全体のあり方も含めて検討していくことが必要だと思います。  以上で終わらせていただきます。
  82. 岩瀬良三

    ○岩瀬良三君 平成会の岩瀬でございます。  両公述人には、いろいろきょうはありがとうございます。お礼を申し上げて、質問をさせていただきたいと存じます。  今お話もありましたけれども、我が国経済バブルがはじけた以後、非常に難関のところに来ておるわけでございます。景気対策のための積極的な財政出動をしたわけでございますし、一方ではそれに伴いまして債務が非常に発生してきているというような状況でございまして、先ほど石公述人からお話しありましたように、各国の中でも非常に悪いような段階に我が国がなっておる、こういうことでございます。    〔委員長退席、理事大河原太一郎君着席〕  初めに石公述人にお尋ねいたしますけれども、公述人は財政制度審議会の基本問題小委員会委員長さんでもいらっしゃいまして、各国の財政について、過般、検討のために各国へ行かれたというふうに聞いております。各国とも財政については非常に危機的な状況を一生懸命になって対策をとっておると思うわけでございますので、その各国がどういう対策を真剣になってとっておられるか、お聞かせいただければと思います。
  83. 石弘光

    公述人(石弘光君) 各国と日本の一番の違いは、欧米諸国は財政赤字に対して国民的支持があります。財政赤字削減あるいは財政赤字対策について、国民が大体において自分たちの問題だというふうなとらえ方をしています。  ただ、フランスのこの間のストライキでわかりますように、社会保障とか年金が削減になりますと、やはりこれは身近に及びますから反対もしますが、一般的に言って財政赤字というのがある限りは我が国経済はよくない、あるいは減税もしてもらえない、これを直したいという点では一致しております。  その点、日本はどちらかというと、財政赤字があってもこれは政府が悪いんだ、大蔵省が悪いんだ、おれは知らないというふうになっておりまして、ここが私は決定的に違うと思います。逆に言えば、国民生活に財政赤字の害が及んでくるまでは日本は多分動かない、恐らく選挙もやりにくいのではないか、そう思います。  というのはどういうことかというと、先ほど申しましたように、要するに高金利を生むような体質、もうイタリアなんて十数%の高金利が延々とつながっていますけれども、ああいう事態、あるいは海外旅行に行くときに自分の持っておる自国通貨がえらい安くなつちゃうというようなそういう痛み、あるいは絶えずインフレの心配があるというようなことになって自分の生活が財政赤字によって脅かされるということにならないとだめなんです。なった時点において、増税なりあるいは歳出カットなりに応分の、姿勢だけかもしれませんが、支持を集め、それなりに選挙のスローガンも財政赤字カットというふうに言って議論できるんですよ。日本はそこまで行かないので、国民の側の受けとめ方も悪いし、あるいは政治家の諸先生のプレゼンテーションも悪いのかもしれません。  いずれにしても、あと数年かけて、あるいはもっとかかるかもしれませんが、やはり官も民も、政府も国民もその辺から根本的に考えを直さなければ、私は財政赤字になってにっちもさっちも、どんどん先送りになってどんどんツケ回しになって、何かはたと気がついたらばったり倒れちゃうというような事態になるんじゃないかとちょっと心配しております。  そういう意味で、私は欧米並みの水準に早くこの財政赤字の議論が格上げされることを希望しております。
  84. 岩瀬良三

    ○岩瀬良三君 今のお話にもあったわけでございますが、新聞を見ていましたら、これはちょっと私もびっくりしたわけなんですが、オーストラリアでは財政赤字を削減するということで十五万人に及ぶ連邦公務員の一割強を削減する意向だとか、ニュージーランドでは公務員数を、これはとり方もあるのかもしれませんけれども、七万六千人から三万六千へほぼ半減させたと、こういうふうな記事が出て私もびっくりしたんです。公務員の削減だけじゃなくて、財政赤字削減についてこういうような例があるんでしょうか。
  85. 石弘光

    公述人(石弘光君) オーストラリアとニュージーランドは、民営化して公務員を民間セクターの方に移しかえた面がかなりあると思います。俗に言われる生首を切っている面もあるのかもしれませんが、恐らくその辺は社会的不安になりますから、そう出すということはできない。  日本でいうと、国鉄がJRになったり電電がNTTになったりという形の面が大きいと思いますが、さはさりながら、やはり官から民に労働力が移るということは、逆の面で言えば要するに民の自立ということで官に依存しないということですから、この基本的なスタンスは僕は非常に重要ではないか、このように思います。  日本は、特殊法人を見直せなんといっても、大体廃止はしないで統合ですから、理事長が一つ減るぐらいの話でお茶を濁しているといえばそれまでの話ですが、いろんなその辺のやり方はその国の事情はあるかと思います。徹底的に切り込むならそのような公務員の削減、ある意味じゃ長い形でじわじわ来ておりますけれども、社会不安のない程度に何かしなきゃいけないのかなという気はしておりますが、難しいなという気も片やしておりまして、この辺ちょっと具体的な自分の考えがまだまとまらない段階であります。  ただ、国民が痛みを感じるぐらいな歳出カットなり何かにならないと、恐らく財政赤字というのは解決しないというふうに私はやや将来の方を悲観的に見ております。  以上です。
  86. 岩瀬良三

    ○岩瀬良三君 今のお話にもあったんですが、よほど思い切ったことをやらなきゃいけないということでございます。  それで、たまたまこの間の新聞にも出ておったので皆さん御存じだろうと思いますが、財政投融資が約十兆円くらい余ったと、こういうような数字もあるわけでございます。また、今いろいろ問題になっております金融機関などにつきましても、公営企業金融公庫、これが国民生活のために非常に有利に働いてきたことはもう否めない事実でございますが、最近の低金利ということになりますと民間の金利と逆ざやになってきているんじゃないか。また、競合している面も出てきて、弱小金融機関と申しますか、金庫とか信組などはこれと競争関係に出てきておるというようなことも実態にあるわけでございます。    〔理事大河原太一郎君退席、委員長着席〕  また、いろいろ問題になりました農林中金、これも今までは協同組合内部の資金融通ということであったわけですけれども、規模が大きくなりまして、それだけではもう済まないというような事態であったわけで、その貸付先をどうするかというのは、方向を変えるかまたは今度金融機関自体を普銀化するかどっちかの方向に変えなきゃいけないわけなんです。そういう変えるのもないまま来てしまったというようなことで、政府のいろいろなこういう諸制度、これもすべて考えていかないと、先生のおっしゃるような思い切ったものになかなかならないんじゃないかと思うわけでございます。  構造改革の面も担当されておられる先生の御意見をちょっとお伺いしたいと思います。
  87. 石弘光

    公述人(石弘光君) 民間がリストラしているのに政府のリストラが足らぬというのはよく聞かれる話でありまして、私も全くそのように思います。  中央政府の一般会計の中のみならず、今御指摘のように財政投融資等々、やや民間と競合する部分の構造改革が一番私はおくれているのじゃないか。市場原理がある民間経済というのは、おのずから自助努力といいますか自助作用がありまして、それなりにリストラをやらざるを得ないことに追い込まれますが、どうしてもパブリックセクターの方は、そういう外圧がきかない面があるわけであります。  そういう意味で、郵貯なり簡保なりその他の資金で財投資金を集めて、それで政府機関、財投機関を使って政策金融をするというあたり、これは私は、もう前から言われているんですが、いよいよその辺に手をつけて行革の対象にしなきゃいけない時期に来ているんだと思います。そこは逆に言えば一番難しいんですが、恐らくそれは大きな政治力が必要でありましょうし、国民的な支持も不可欠と思っておりますが、そこまで話がいかないと政治的リストラの成功はおぼつかないというふうに考えております。
  88. 岩瀬良三

    ○岩瀬良三君 それから、先生のいろいろお書きになったものを幾つか読ませていただいたわけでございます。先生はそうはおっしゃっておらないんですが、いろいろ社会保障の方の議論にもなろうかと思いますけれども、結局、高福祉を得るためには高負担も必要なわけです。このことについては福祉だけではないように思うわけでございますが、先生は、この政府のあり方といいましょうか、そういう問題をどうお考えになりますか。高福祉高負担というふうには先生はおっしゃっておらないんですけれども、お願いいたします。
  89. 石弘光

    公述人(石弘光君) この辺、後で鷲尾さんに御意見をいただいたときには微妙に食い違ってくるかと思いますが、鷲尾さんは恐らく福祉レベルの方から議論をされると思いますが、どっちかというと私は負担の方から議論をします。やはり、ただで医療なりただで年金というのはないのは当然でありまして、おのずからどれだけ負担してどれだけ公共サービスをもらうかというつなぎ目のところ、これが一番日本は欠落しているように思うんです。  高福祉高負担とか低福祉低負担、こう言いますけれども、これから現に介護保険など問題になったときに、一体自分の老後を政府に頼んで見てもらうのか、あるいは自分でやるのかというその辺の判断基準、これが実は、私は国民的合意といったって難しいと思いますが、各人各様、必ずしも決まっていないんです。腹が据わっていないんですよ。そういう意味で、政府に頼むのならやはり私は、当然のこと、消費税率アップなりあるいは社会保険料負担なり、これは進んでとは言わないまでもある程度負担するという覚悟の表明があって初めて政府に依存すべきだろうと思います。  まず福祉水準があって、その後財源を探してくるというのでは、これから先経済成長もおぼつかなくなってきた今、議論が成立しない、そのように思います。絶えず負担という面から、今ある医療なり年金なり介護なりを再度見直すべきであると考えております。
  90. 岩瀬良三

    ○岩瀬良三君 鷲尾公述人、そのところをお願いします。
  91. 鷲尾悦也

    公述人(鷲尾悦也君) ただいま石公述人からも御紹介がございましたけれども、確かに私どもは福祉という側面から議論は提起しています。しかしながら、同様に、これがどこかにお金のなる木があるわけではございませんから、財源を考えてこなくちゃいけないということは常に考えながら福祉水準を考えていくべきであるということについては、変わらないというふうに思っています。  問題は、当然、政府には所得配分という役割があるわけでありますが、福祉の問題を考えますと、これは単に同世代における所得配分ではなくて、世代間の所得配分も考えていくという長期のタームで考えていかなくちゃいけないということであります。そしてこれは、福祉のことを考えますと、三十年、五十年にわたる世代間の負担割合をどうするかということを議論しなければいけない、こういうことになろうかと思います。  そうなりますと、考えてみますと、三十年後に負担が起こる人たちはまだそれに関心がないというような状況でありますから、議論がなかなかしにくいわけでありますけれども、その点について私ども常々申し上げておりますのは、こうした国民合意を図るためのオープンな議論が今の日本にあるだろうかということが問題であって、このような議論を進めるということが実は重要だというふうに考えております。そのためには、率直に、耳ざわりの悪い議論についても私ども提言は十分受けとめた上で発言をしていくつもりでおります。
  92. 岩瀬良三

    ○岩瀬良三君 今お話がちょっと出ましたけれども、世代間の負担、これは非常に大事なことだろうと思うわけでございます。国債の償還は何十年にもわたって、言うならば今生まれていない人までも知らずのうちに負担せざるを得ない。こういうことで、今我々の世代が次の社会を築いていくためにはよほど注意していかなければならない事柄だろうと思うわけでございます。  そういう点で、石公述人は世代会計というような理論を御紹介されておるようでございますけれども、この世代会計で今我々はどのくらい利益を得ているのか、またその負担が若い層は非常な負担になるのか、そういう点についてちょっと教えていただければと思うんです。
  93. 石弘光

    公述人(石弘光君) 世代会計という概念が、最近、アメリカの学者が言って以来非常に脚光を浴びておりますが、たしか昨年出した経済白書に日本の実態を計算した結果が載っております。  容易に予想がつくことでありますが、私とか鷲尾さんの世代はプラスなんです。五十歳以上、ここにいらっしゃる諸先生方も大体該当するかと思います。大体団塊の世代以下の方は一生涯に払ったものを一生涯のうちに政府から便益としてもらえない。それだけマイナスの便益あるいは超過負担的になっているという計算が明らかであります。  これも当然のことでありまして、今五十歳代、六十歳代以上の方は、若いころから支払っていた負担、あるいは社会保険料でもいいんですが、負担以上に、これから恐らく長生きもするでしょうし、保険もだんだん整備されてきました、年金も医療も整備されてきました、どうしてももらう割合が多くなる。それを、今年金でいえば賦課方式になってきましたから、若い世代が払わなきゃいけない。  同時に、今あります財政赤字をまだ生まれてこない将来の世代に対してまで負担させるということになりますと、たしかゼロ歳児ぐらいで一生涯に現在価値で一千数百万、二千万近い金がかかるという推計があったんではないかと思います。言うなれば、こういう数字は計算が非常に難しいんです。ただ、財政赤字が将来どういう負担になるかというのを非常に明確に示す重要な指標でありますので、いろんな学者がいろんな計算をして国民にそれを示すべきだと思います。  今言った数字は、大体数人の人がやった数字で、つまり五十歳以上がプラスで五十歳以下が負担になるというのはほぼ意見が一致しておりますので、そう大きな違いはないと思います。
  94. 岩瀬良三

    ○岩瀬良三君 そうしますと、表現は悪いんですが、今の高齢者の皆さんを約五人で担いでいる、こういうような時代であるわけです。もう二十五年、三十年たちますと二・一人とか二・二人でもって担ぐというようなことになるわけでございます。こういうことになると理論上支え切れるのかどうか、支え切れない部分はどうしたらいいのか、そこら辺の問題についてお考えございましたら。  結局、言っておりますのは、もう六十歳、六十五歳という年齢じゃなくて、そういうところまで負担、担ぐ側に回るべきじゃないか、こういう考えもあるわけでございます。
  95. 石弘光

    公述人(石弘光君) 今の御指摘のとおり、高齢者の方々にも頑張ってもらわなきゃいけない社会になってくると思います。事実いろんな統計を見ますと、元気でリッチな富裕層が昔に比べればふえてきているのは事実であります。周りを見てもそうだと思います。  そういう意味で、一方的に六十五を超えるとか七十を超えると社会的弱者という形にして全部支えてもらう側に回るという発想自体をだんだん改めていきませんと、恐らく若者はそれこそ支え切れなくなってダウンしちやっと思います。そういう意味で、税負担のあり方、社会保険のあり方、介護保険のあり方等々も高齢者世代までカバーするような形の負担、給付のあり方をこれから早急に再構築すべきだというふうに考えております。
  96. 岩瀬良三

    ○岩瀬良三君 それじゃ、鷲尾公述人にお願いいたします。  鷲尾公述人が何かのところでお話しになっておりました。また先ほどのお話でも、委員として出席しておるのでそこで決まったことには責任を持つよというようなことのお話もあったわけですけれども、高齢者化で福祉社会の実現に向けては国民の負担もふえることはやむを得ない、ただその際、財源をサラリーマンだけではなくて広く国民に負担を求めるとすればというようなことも言っておったわけでございまして、消費税の方はお認めになるようなムードのお話であったわけでございます。ただ、それだけではないと思うわけでございまして、そういうようなものを前提とした場合には、鷲尾公述人の方はどういう前提でもってそういうのを認められ展開されていくのか、そういう点についてお話いただければと思います。
  97. 鷲尾悦也

    公述人(鷲尾悦也君) これは原則論なんでありますけれども、先ほど申し上げましたように、所得と消費と資産課税のあり方が本当にバランスのとれたものであるかということをもう一度根っこから検証するということが第一であります。  それから、消費税にいたしましても所得税にいたしましても、資産課税もそうなんですが、それぞれ国民に負担をしていただくためには、出しただけの税をタックスペイヤーとして監視できるような仕組みというのが本当に今の行政政治にあるのかどうかということについては、残念ながら大変批判的な意見を持っているわけであります。そうした意味合いからいいますと、国民が納得して税金を納められるような透明度なり、あるいは行政改革を初めとするさまざまな切り口というのが重要なんではないかと思います。  そして、よく言われることでありますけれども、私どもは福祉の立場から問題提起をいたしますと、まだ大きな政府などという御指摘がございます。しかしながら、私どもは大きな政府がいいというふうに言っているわけではございません。小さな能率のいい政府でもって実効が上がるような政府のあり方が必要だ、こういうふうに思っているわけであります。  それと同時に共助という問題について、先ほど申し上げましたように共助というのはただ単に保険制度のような形でともに助けるんではなくて、地域のコミュニティーであるとかNPOであるとか、さまざまな集団でその決定に参加をし、みずからが汗を流すことによってかばい合うような社会制度をつくるということが重要なんじゃないかと、こういうふうに考えております。  大変抽象論で甘ったるい意見かもわかりませんけれども、こうした問題こそがこれからの日本の社会を支えていくためには大事なんじゃないか、このように考えております。
  98. 岩瀬良三

    ○岩瀬良三君 それじゃもう一点、雇用問題についてお伺いさせていただきたいと思います。  景気の浮揚、これも雇用を確保するためのものでもあるわけでございます。先ほど来三%の議論がなされておるわけでございますけれども、三%もさることながら、新規学卒者、学校を出た者の未就職というのは非常に深刻、殊に女性は深刻なわけでございます。雇用確保、これから社会に出ようとするのになかなか思ったように得られない、社会に入れられないということは、社会不安とまでは言いませんけれども、非常に社会にとって大事な要素じゃないかと思うわけです。  そういう意味で、私も迷うわけですけれども、今後いろんな負債をしょってまで景気浮揚をしていいのか、それともこういう若い人の雇用を確保するためもう一段努力しなきゃならない、その場合にはまた負債もしょうよと、こういうことなんですが、両方の公述人からお答えいただきたいと存じます。
  99. 石弘光

    公述人(石弘光君) 私は、先ほど申し上げましたが、雇用確保のために景気浮揚策等々の有効需要活用政策というのはもう限界じゃないかと思っています。それより、規制緩和なんかで雇用の機会を多くつくるといったような構造転換の方がより重要であると思っていますので、それをやらない限りいたずらに総需要を拡大してもそう効果はなく、雇用面に波及効果は余り出てこないんじゃないかなと思っております。
  100. 鷲尾悦也

    公述人(鷲尾悦也君) 私も基本的には規制緩和だけで雇用ができるとは思いません。しかしながら、単なる総需要創出計画といいますか、景気対策だけで雇用がふえるという状況ではないという認識は一致しております。  しかしながら、問題は、いかにして新しい産業を興し、そこには当然新しい技術が生まれるわけでありますから、技術革新に対応できるような能力開発というものを国全体、企業、国、個人のレベルでトータルで進めるということが最も大事である。そして、それが新規学卒者、未熟練労働であります新卒者の就職機会の拡大につながる、このように考えております。
  101. 岩瀬良三

    ○岩瀬良三君 終わります。
  102. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 まず冒頭に、先ほど来両公述人から貴重な御意見を賜っております。お礼を申し上げたいと思います。  私の方からは、限られた時間ですので、まずお二人に、これまでの議論とも関係し恐らくこれから大きく一つの論点となってくるであろう社会保障と経済関係について、ぜひ基本的なお考えをお聞かせいただきたいと思います。  なぜこんなことをお尋ねするかと申しますと、どちらかというと、先ほど来もありましたように、高齢社会がどんどん進展する、一方経済の方は必ずしも順調ではない、国民負担率はどんどん上がるのではないか、そのことは経済社会の活力低下につながるではないか、だから社会保障給付の見直し、抑制が必要だという、私に言わせれば極めて短絡的な論議がちょっと多過ぎると思うんです。  私は、社会保障と経済関係は、個々の理由はきょうは時間がありませんので挙げませんが、基本的には相反する関係ではなくて相補う、支え合う関係だというふうに理解をしております。そういう観点で、例えば一つだけ例を挙げますと、今経済の問題で規制緩和問題があちこちで叫ばれておりますし政府としても推進しているわけですが、この規制緩和の問題もセーフティーネットとしての社会保障制度が整備されていて初めて有効に機能する、有効な政策となり得るというふうに私は思っております。  こんな点も含めまして、ぜひ両公述人からの御意見をお聞かせいただければと思います。
  103. 石弘光

    公述人(石弘光君) 御指摘のように、ある程度経済成長がない限り十分とまで言えなくてもほどほどの社会保障サービスはできない、私もそう思います。そういう意味で、経済成長を支えつつ、かつ社会保障というものをいかに充実するかというのは、これから二十一世紀にかけて日本の最大の政策論議になってくると思います。  幾つか切り口があると思いますが、やはり私は、むだに政府に依存したようなところがあるかないか、要するに自助努力という視点でもう一度、従来自動的に与えられていたような社会福祉サービスが本当にいいのかどうかというような議論を恐らくすべきでしょうね。そういう問題が一つ。  それから、何でもかんでも政府が福祉サービスの供給に手をつけるというような話をする必要はないかもしれません。例えば、今話題の介護保険にしても、保険を払って実際にサービスを受ける、その受けるサービスの供給先は民間でも十分やっていけるだろうと思います。そういう意味で、新しい介護サービス産業みたいなものが民間をベースにして生まれてくるというところが、成長と社会福祉なりその辺の充実なりを絡めて議論する接点になるんじゃないかなと思っています。  いずれにしても、二つ相反してどっちかとったらだめだよというような形で議論を進めるのは非常に無責任ですし、といってすぐさま飛びつくようないいアイデアはないかと思いますが、これから知恵を集めていろいろこの点のデザインをつくり、努力すべきだと思っています。
  104. 鷲尾悦也

    公述人(鷲尾悦也君) 私も、朝日先生がおっしゃった基本的な考え方は同じでございます。  その意味で一言コメントを申し上げたいと思いますけれども、恐らくこれからの日本が従来のような高度経済成長、物量的な成長がないことは、これは覚悟しなければいけないと、このように思います。そうなればなるほど配分の公平さというのは必要なんじゃないか。もちろん公平さには、よく言われますように、チャンスの平等と結果の平等がございますけれども、このチャンスの平等だけで規制緩和等を中心とした進め方が社会的に本当によろしいかどうか。結果の平等もある程度保障されるということの社会構造がなければいけない。  そうなりますと、今大変重要なのは、配分の変更を勇気を持ってやれるかどうかということでございますので、私は必ずしも社会保障の費用がこれから全くないというようなものではないと、このように考えておりまして、構造転換を果たすことによって配分変更すれば、恐らく私どもが主張しているような社会保障の水準は十分準備できると、このように考えております。  それから、先ほど規制緩和とセーフティーネットのお話がございました。これも全く同感であります。  本日は介護と年金、医療等について現在関心の持たれている問題だけで申し上げましたが、この規制緩和とセーフティーネットの関係からいいますと、雇用保険が果たした役割などはこれまでの日本の社会において大変大きかったんじゃないかと、このように思います。特に、雇用保険が単なる後ろ向きな費用支出だけではなくて、日本の労働者全体の技能開発や能力開発にも大きく役に立ったということについては、規制を緩和しても、雇用を創出し新しい技術革新に向かっためにはそのような社会保障制度というのは非常に有効であるということは強調しても、し足りないことではないと思っています。
  105. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 次に、石公述人にお尋ねいたします。  先ほどの議論にちょっと気になるところがありましたので確認をしておきたいと思いますが、九月末に消費税を三%から五%、あるいはその上も含めて検討をされるというときに、介護保険の骨格が決まっていないからということで、何か介護保険の問題と消費税の税率アップの問題とが直接に関係するかのようなお話があったんです。私は、基本的に介護保険をどう制度として仕組むかということは、一定の制度全体の仕組みとしてその後の税制のあり方に影響を与えることは理解できますけれども、必ずしも介護保険制度の創設の問題と消費税率のアップの問題は直結した議論ではないというふうに理解をしていたんですが、その点ちょっと念のため。
  106. 石弘光

    公述人(石弘光君) これは幾つか解釈があるし、個人の判断も幾つかばらつきがあると思いますが、私自身は、今回もそうですし将来もそうだと思いますが、消費税アップと介護保険みたいな保険料でやる、つまり税方式と保険方式というのは実に密に関係していると思います。  例えば、今回五%でなくて七%で、もしか国民福祉税みたいな話が実現して、そこで税方式で福祉をやるといったら介護保険というアイデアは多分出てこなかったんじゃないかと私自身そう解釈しているものですから、そういう意味で先ほど申し上げたんです。これは今回に限らず、二十一世紀のかなり進んだ段階において五%台で消費税がおさまっているとは到底思えませんので、この種の議論が出てきたときに、恐らく介護保険の負担のあり方とも絡んできますので、今からそういう議論は前向きというか、それを頭に入れて考えておくべきだと、このように思っています。  ただ、今回五%という話になった時点において、介護保険の問題というのは切り離しても私はいいんだと思いますけれども、これは今後必ずや再浮上する問題だというふうに理解しています。
  107. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 それでは鷲尾公述人に、今問題となりました新しい高齢者のための介護システムの構築について、四月二十二日に老人保健福祉審議会で意見具申という形ではなくて報告という形でまとまった。今後すぐに法案という形に結びつけないで、慎重になおかつ急いでやってほしいという微妙な表現がございました。  実は、御承知のように、老人保健福祉審議会であのような報告が一つボールとして投げられたわけでして、そういう意味では、政府の側そして政治の側がこれをどう受けとめてどうボールを投げ返すかということが今問われているわけであります。私自身は、今国会においてぜひ国民的審議の場に上げるということが必要なのではないか。審議会での議論というのは、関係者は結構材料が入りますけれども国民議論にはなかなかなりにくいわけで、そういう意味では一定の考え方をまとめて国会に提出し、国民的審議の場に上げるべきだというふうに基本的には考えているんですが、全体として非常に言いにくい面があるかもしれませんが、改めてその点、連合のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  108. 鷲尾悦也

    公述人(鷲尾悦也君) 私の発言が国会不信というふうにとられたらいけないんですが、従来の法案提出で国会の議論のあり方というのは、どうも私どもとしては、広く弾力的に、議論があったら修正することがなかなかしにくいというのが私どもの認識でございます。その意味からいいますと、できるだけ急がなくちゃいけない別途のニーズがあるというのは私ども承知しておりますし、私どももいい制度であれば早くやるべきであると、ちょっと極端に言えば連合の案そのままであれば早く国会にかけていただきたいと、こういう感じになるんですが、これは勝手な言い分でございます。  しかしながら、ここにはいろいろな意見がある。先ほどの御質問にもございましたように、保険者を市町村にするということについてもいろいろな議論を詰めてクリアしなきゃいけない条件がたくさんございますから、こうした問題をやるためにはすべての人たちがそうした問題についてクリアできるような合意が必要だと、こういうふうに思っています。  したがいまして、もし理想どおり議論が進み、国会に上程された後国民議論が出てきて、あるいは国会の中で幾つかの意見があれば大胆に修正をする、あるいはいいというふうに思われたものについてはその方向でいくというような議論が行われるのであれば、これは私は構わないと思います。また、本来、国会というのはそういうところであるべきではないかと思っております。  以上です。
  109. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 先ほどお示しいただいたパンフレットなどもありますように、この間、連合としてもある意味では清水の舞台から飛びおりた気持ちで新しい制度を提起されてきたわけですので、ぜひ今後とも積極的な立場で御支援をいただければというふうに思います。  以上で質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  110. 笠井亮

    笠井亮君 日本共産党の笠井亮です。  早速ですけれども、私は石公述人に財政赤字の対策の問題について伺いたいと思います。  お話にありましたように、九六年度末には財政赤字、国債残高が二百四十一兆円という大変な額になるということで、財政審の報告の中でも時限爆弾を抱えたような危機的状態だという指摘もあると思います。今本当に真剣にその問題に手をつけないと取り返しのつかないことになるというのを私もお話を伺いながら感じたところです。  そこで、どうするかということなんですけれども、多くの国民が望んでいるのは消費税などの増税ではないというふうに私は思うんですが、公述人は先ほど健全化ということでおっしゃいまして、歳出カット、いわばむだを削るという問題について指摘をされてきていると思うんです。そして、先ほど来議論があると思うんですが、そこでその問題に関連して伺いたいと思います。  一つは、大型公共事業の問題であります。  既に投資効率が低迷して、そして景気刺激効果が鈍いという指摘が広範にされているという状況があると思うんですが、その上にさらに今首都移転という問題が推進されようとしているということがあると思います。この問題で、四月二十五日の日本経済新聞で大阪大学の八田教授が、財政危機を解決するためにも不必要である、約二十兆円と見られる移転を取りやめれば来春に予定されている消費税率の二%引き上げを五年延期できると。根拠が貧弱だし、即刻中止すべきだということで主張もされているんですけれども、大型公共事業の問題、先ほど公共事業のことも触れられましたけれども、今の首都移転のことについてどのように考えていらっしゃるか、御意見をいただければと思います。
  111. 石弘光

    公述人(石弘光君) 首都移転に関しましては、財政制度審議会でも何人かの委員からこれは即刻やめるという決意をした後で歳出見直し等々を進めるべきだという議論もございました。  実は不思議なことに、首都移転という議論が燃え盛っている割には新しい建物が霞が関に随分建っているんですね。主要な担当をすべき省庁の建物まで直っているというのは、どこまで本気で考えているのかな、どこまで議論をするのかなと私自身非常にわからないんですよ。そういう意味で、これは全体的に僕は無責任議論だと思いますね。  そういう意味で、八田さんみたいに経済学的な議論が出てくれば、私もそのとおり説得性が増してくると思います。あやふやで、だれが主体でどうするかといったようなことが何もわからないうちに議論だけ先行して、それで片や建物は無責任に建つというような状態は即刻やめるべきだと思います。というのは、私はそんなあやふやな基盤の議論で、今やめるとかやめないなんという議論以前の問題というふうに考えています。  私は基本的には幾つかやり方はあるかと思いますが、移ったとしても省庁の出先機関みたいなものは東京に残るんでしょう、多分。一体どういうふうな網のかけ方、どういうふうな規制をするかということが明確に出ないと一言で賛成とも反対とも言えない。そういうことを申しますと、今みたいな無責任な限りにおいては私は議論としては反対ですね。
  112. 笠井亮

    笠井亮君 まさにおっしゃったような無責任議論が今相当推進されるということであるので、私も非常に問題だと思っているんです。  石公述人にもう一つだけ伺いたいんですが、それは五兆円にもなろうとしていると言わせていただくんですが、軍事費の問題なんです。さらにそれに加えて、今問題になっていますが、米軍の基地移転にかかわって一兆円とも言われる、まだこれは額がいろいろ言われていますけれども、そういう形での財政支出もあるんだということになっております。  先ほどグラフをいただきまして、G7の指標が出ました。欧米諸国でいいますと、軍事費の問題でも、特にソ連がなくなって以降、軍事費の伸びを抑えたり、あるいは多少とも削減するという傾向が全体としてあると思うんです。そういう中で日本が突出して連続的に伸びている、ふやしているということで、国内でも他の予算経費と比べてもこの軍事費の問題は優遇されているということがやっぱり言えるんじゃないかと思うんです。  この問題でも、先ほどの財政の健全化ということとの絡みで見ましたときに、削減する方向を含めて本格的に見直す必要があるんじゃないかというふうに私は思うんですけれども、それに関しての御所見をいただければと思うんですが、いかがでしょうか。
  113. 石弘光

    公述人(石弘光君) 防衛費、軍事費に関しましては、その人の持っている価値観なりいろいろありますので一言で難しいと思いますが、私は、私の見る限り、軍事費が他の経費項目より特別伸びがすごくてというふうには理解しておりません。つまり、社会保障費の伸びあたりに比べますと軍事費はGDP一%の枠もはめられておりますし、問題は絶対額としてこれがどうあるべきかという議論だろうと思うんです。  私は、軍事費とか防衛費とか安全のために国民の税金を使うというのは、政府の最も政府らしい仕事だと思っているんです。要するに、福祉とか文教とか公共事業等々と民間でもできるのがいっぱいあるんですね。ただ、それこそ警備保障会社はありますけれども、国家の安全なり治安を守るというような仕事というのは国家本来の仕事なんです。そういう意味では、古い財政学の体系からいいますと、これぞまさに政府の仕事であるという議論が片やあるわけであります。.  そこで言いたいことは、今それが絶対的にいいのか悪いのかという、五兆円の規模をめぐってということでありますが、まだ極東の不安の問題あるいは米ソ対立が解けた後も民族間の紛糾があったり、私は人間が生きていく以上はそういう戦乱とか戦争はなくならないと思っていますので、五兆円なら五兆円、その規模は恐らく国民全体が担うべき最低の保険みたいな、保障みたいなものだと思っていますので、消費税を上げないで防衛費を削ればいいというような議論というのにはどうもくみせないなと思っております。ちょっと党のお考えとは違うかもしれませんが、そういう意見を持っています。
  114. 笠井亮

    笠井亮君 ありがとうございました。
  115. 小島慶三

    ○小島慶三君 きょうは両先生にお目にかかれて大変うれしく思っております。昔から存じ上げている両先生なものですから、本来は肝胆相照らしてどこかで一杯という、その方がいいんですけれども、そういうわけにもまいりませんので、時間の範囲内で一問ずつお伺いさせていただきます。  初めに、石先生にお伺いしたいんですけれども、私はきょう伺っていて、石先生とは余り考え方に違いがないなとすこぶる心強く思ったわけであります。ただ、もうちょっと私の方がみみっちいのかもしれません。というのは、中長期的に見た日本経済というのはそれほど楽観を許すようなものではない。恐らく三%を中長期に達成するなんということはほとんど不可能でありましょう。しかし、小さいからだめなんだということではなくて、小さくてもスモールガバメントのよさを生かして、そしてその中で充実した経済が運営できればそれこそ非常に立派なのではないかというふうに思っております。  今のところでは、景気対策というものが一方にあることはお話のあったとおりでありますが、景気対策に視点を置くとこれはどうしても公債とか赤字公債とかそういった形、あるいは政府債とかそういった支出をふやすというだけの話になるのではないか、財源的に見てそういうことではないかというふうに思うんです。そうなったら非常に大きな支出が政府から民間に移ってそれがまた滞留するということになれば、これはどう考えてもまたもう一遍前のような金の使い方になるのではないか、そういうふうに思っているわけであります。  民間の設備投資についてはまだ過剰設備が多いわけです。それと直接金融への移動ということもあって企業が金を借りない。銀行は金を貸したいけれども企業が金を借りないということになれば、どうしても不健全な方に金が流れるということになりがちだと思うんですけれども、そういった点についてひとつ石先生の考えを伺いたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
  116. 石弘光

    公述人(石弘光君) 成長も落ちる、あるいは政府のやりたい仕事もそんなにできないというときにどうするかというときには、今の御指摘のごとく、量より質という面が重視されるべきだろうと思います。  特に、融資にしてもあるいは公共事業にしても、何でも景気が悪いから金をばらまけばいいよという話では恐らくないんだと思います。公共事業費の中の配分にしましても、そう言ってはなんですが、後ろ向きのようなところがどうも多そうだということになれば、これから国民生活を充実させれば思い切って前向きの公共事業にするといったような話、あるいは政策金融もそうですね。そういった意味で、量がなければ質で補完する。ただし、鷲尾さんもさっき別な点でおっしゃいましたけれども、これは共通する問題意識だと思います。
  117. 小島慶三

    ○小島慶三君 時間がなくなりましたので鷲尾さんはいずれまたどこかで。  それではありがとうございました。
  118. 山田俊昭

    山田俊昭君 どうも御苦労さまでございます。  鷲尾公述人にお尋ねというか、御意見をちょうだいしたいと思います。  本年の三月二十八日、東京地裁で、過労による自殺ということで電通に対して一億二千万円の損害賠償を命じました。私は、この判決を画期的なものとして評価しているわけでありますが、労働者保護の観点から、従来のいわゆる労災の認定基準を大幅に緩和しまして過労死とか過労による自殺に労災保険を適用していくべきだというふうに考えるわけですけれども、この点の御意見をお伺いしたいと思います。
  119. 鷲尾悦也

    公述人(鷲尾悦也君) 具体的な事件に関するコメントは避けさせていただきますが、先生おっしゃるとおり、現在の日本の労働者が非常に働き過ぎであるという事実は世界にあまねく知れ渡っております。そして、過労によるカローシという言葉が、日本語が世界じゅうに広まっているような事態は何としても避けなきゃいけないと思っています。  その意味では私たち労働組合の役割も非常に大きいわけでございまして、労働組合がそうした個々人の過労死に至るような労働の実態ということをきちんと分析し、取り組み、企業側にもあるいは世間にもきちんと対応するような活動もしなきゃいけないということで反省しております。先生がおっしゃるように、過労死がなくなるような社会的な条件をつくるということが大事だと思っています。
  120. 山田俊昭

    山田俊昭君 もう一点、別なあれですが、超高齢化社会を迎えまして介護保険制度というものの早急な実施が必要だと思われるわけです。先ほどいただきましたパンフレットの中にもあります。  いわゆる介護保険制度に対してはいろいろと問題点はあるかと思うんです。私は、この介護をするスタッフというんですか、人材の確保育成という点について特に尋ねたいんですけれども、現実的にこの介護をする人材をどのように育てていくか、非常に難しい問題だと思うし、その確保という点に関しては幾つかの問題があると思うんですが、鷲尾公述人は具体的にこの人材の確保養成に関してどのようにお考えか、お尋ねをいたします。
  121. 鷲尾悦也

    公述人(鷲尾悦也君) まず、需要という意味からいいますと、これからの新ゴールドプランなぞを達成するためには二〇一〇年ぐらいには介護労働者が五十六万人ぐらい必要だと、こういう需要があるというふうに分析をしております。そして、今そのギャップが非常に大きいわけでありますが、条件は二つございます。  一つは、私どもの立場からいいますと、医療関係労働者の労働条件、処遇条件が非常に悪いということでございます。これは改善の方向で社会的にカバーをしていかないと、企業原則、自由競争というだけではこの労働条件を確保することはなかなか難しい。  それから、二番目にはトレーニングの問題でありますけれども、これも従来の企業にありますような、個々の労働者がオン・ザ・ジョブ・トレーニングでトレーニングをして立派な技術労働者として、医療関係の労働者として育成されるというのは非常に無理でございますから、この問題こそは公的な機関でもって確保することを考えなきゃいかぬ。いわば教育や技能開発の機関をもっと多くつくるということが重要だというふうに思っています。
  122. 山田俊昭

    山田俊昭君 どうもありがとうございました。終わります。
  123. 井上裕

    委員長井上裕君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼申し上げます。  本日は、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)
  124. 井上裕

    委員長井上裕君) 速記をとめてください。    〔速記中止〕
  125. 井上裕

    委員長井上裕君) 速記を起こしてください。     ―――――――――――――
  126. 井上裕

    委員長井上裕君) それでは、引き続き二名の公述人方々から項目別に御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  本日は、平成八年度総予算三案につきまして皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いをいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後で委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、まず外交・国際問題につきまして新垣公述人からお願いいたします。新垣公述人
  127. 新垣勉

    公述人(新垣勉君) 本日は、沖縄の米軍基地問題について意見を述べる機会を与えていただきまして、心から感謝を申し上げます。  私は五点について意見を申し上げたいと思います。第一点目は、沖縄の米軍基地問題がすぐれて法的問題であるということ。第二点目は、基地返還は基地機能の削減を伴う全面返還であってほしいという問題についてであります。第三点目は、基地返還前に跡地利用の事業をスタートさせていただきたいという問題であります。第四点目は、被害補償制度を確立していただきたいという問題であります。最後、第五点目に日米合同委員会の議事録の公開の問題について意見を述べたいと思います。  まず第一点目についてでありますけれども、沖縄の米軍基地問題は政治的な問題であると同時に、すぐれて法的正義の問題であるということをぜひ訴えさせていただきたいと思います。  この点については二つの面を強調しておきたいと思います。一つは、復帰前の違法な状態が解消されないまま復帰後も継続されているという問題であります。もう一点は、現在の在沖米軍基地の現状が沖縄県民の人権と生活を侵害し、経済の振興を阻害しているという問題であります。  復帰前、米軍施政権下において、沖縄県民について日本国憲法の適用がないまま米軍施政権下でさまざまな権利侵害、生活侵害があったことは御承知のとおりです。今問題になっております米軍用地強制使用の問題もその一つであります。沖縄の米軍基地は占領とともに土地が囲い込まれ、その後、銃剣とブルドーザーで象徴されますように、実力で築かれたものであります。沖縄の米軍基地は常に中国革命、朝鮮戦争あるいは冷戦等という国際情勢で正当化をされ、正当な法的根拠を持ち得ないまま復帰に至ったものであります。これはある意味では異民族支配のもとでやむを得ない事態とも言えるかと思います。  しかし、沖縄が日本国憲法のもとに復帰をしたとき、この違法な状態は解消されるべきだったと考えます。沖縄県民が日本復帰に期待したものは、祖国に返るという面と同時に、日本国憲法のもとに復帰をするという強い期待がありました。沖縄県民は、その意味では復帰によって復帰前の違法な状態が解消され、法的な正義が回復をされ実現されるという強い期待を抱いていたものであります。  ところが、御承知のように、日本政府は復帰後も復帰に伴う暫定的経過措置、あるいは位置境界不明地の明確化のためという理由で次々と地主の土地の強制収用をいたしました。復帰前の違法状態は解消されることがないまま継続されることになったのであります。これは明らかに法的正義に反すると考えます。日本政府は、その責任において復帰前の違法状態を解消する責任を負っていたのではないでしょうか。法律の名のもとに復帰前の違法状態を追認し正当化することは、正義に反し、決して許されないものだと考えております。  また、在日米軍基地の専用施設の七五%が集中する沖縄の実態は、さまざまな形で県民の人権と生活を侵害し、経済の振興を阻害しております。このことも既に広く知られているところであります。日本の平和と安全のためという大義名分で、百二十万余の地域住民の人権と生活が侵害されているのが今の沖縄の現状であります。これは矛盾以外の何物でもないと考えます。  日本の平和と安全は、一人一人の人権が保障をされ、生活が守られて初めて成立するはずのものであります。人権と生活を侵害するところに本当の意味での日本の平和と安全は築き得ないと考えております。今こそ、米軍基地が国民の人権と生活を侵害し、さまざまな負担をかけている現実を直視していただいて、侵害されている県民の人権と生活を回復し、法的正義を実現すべきだと思います。  御承知のように、沖縄本島中部にある読谷村楚辺の米軍通信施設、いわゆる象のおりの敷地の一部について、去る三月末日に国の使用期限が切れ、国による不法占拠という事態が今日まで続いております。国は、安保条約上の義務を履行するために使用する必要があると説明をいたしております。しかし、国がアメリカに対し条約上の義務を負っているといたしましても、それが国民の権利を侵害する形で履行されてはならないことは法以前の国民の常識ではないかというふうに思うのであります。  国による象のおり不法占拠事件は、国際情勢あるいは政治的思惑を理由に、法的正義を無視して米軍基地を維持してきた政府の現状を最もよく示しているというふうに思われます。沖縄問題の中心に、法的正義の回復実現という現代において最も本質的な重要な問題があることをぜひ御理解いただきたいと思います。  沖縄における法的正義の回復実現を追求していきますと、必ず米軍基地を存続させる安保条約の存在そのものに行き着くことになります。沖縄の米軍基地の実態は、改めて安保条約の是非を国民的規模で問い直すことを求めておるかと思います。  日本の平和と安全という名のもとに、一部の地域、一部の住民にのみ米軍基地被害の負担をしわ寄せすることは許されることではないと思います。日本国民全部でその被害負担を背負うのか、それとも米軍基地を拒否するのか、真正面から議論をすべき時期ではないでしょうか。そのためには、国にもっと米軍基地を取り巻く現状と実態を国民に知らせていただきたいと思います。  第二点目は、基地の返還のあり方の問題についてであります。  日米共同宣言に先立って、五年ないし七年後に普天間飛行場を返還する旨の日米合意が発表をされたとき、沖縄県民は驚きとともにこれを歓迎いたしました。しかし、一夜明け、日がたつとともに、返還合意には重大な条件が付されていることが明らかになってきました。日米共同宣言が軍事同盟の強化を宣言したとき、県民は政府の態度に強い疑いの目を向けるようになってきております。  最近の報道によりますと、四百八十ヘクタールある普天間飛行場を返還する条件として、機能の一部を嘉手納飛行場に移転し、さらに嘉手納弾薬庫施設内に三百六十ヘクタール程度の面積を持った千五百メートル級滑走路つき海兵隊基地を新設して、部隊をそこに移設するという報道がなされております。これでは、沖縄県民が要求をしてきました基地返還とはほど遠い現状だということになります。県民が政府の態度に強い疑いの目を向け、怒りの声を出すのもある意味では当然のことです。  政府は一九七四年、既にアメリカとの間で那覇軍港の条件つき移設に合意しておりますけれども、二十二年間たった今日までこの合意を実行することができなかったという過去の状況があります。原因はどの地域どの住民も基地の移設を受け入れないからであります。政府は、基地機能の分散、移設条件つきの返還では真の米軍基地問題の解決につながらないことを過去の経験から学び取っていただきたい、そのように思うわけであります。  政府は今、基地機能の分散、移設を伴わない全面返還の努力を行い、その交渉の経緯国民に明らかにしつつ、国民とともにアメリカと交渉する姿勢を明確にすべきときだと思います。今は秘密の交渉を行うときではなく、基地返還を要求する国民の声を力にして真っ正面からアメリカと基地返還交渉を行うときだと考えます。  米軍基地問題は、主に軍人等の引き起こす事件、事故、軍の行動、機能が引き起こす被害、負担、基地がもたらす土地問題の三つの要因から成り立っております。今回の日米特別行動委員会中間報告は、軍人及び軍の規模と機能を現状のまま維持し基地用地を返還するというものであり、基地問題を基地用地問題に矮小化するもので、決して基地問題の根本的解決を図るものではありません。軍人が引き起こす事件、事故の問題及び軍隊の演習による被害は依然として残されたままということになります。米軍基地問題は沖縄だけの問題ではなく全国民の問題であり、軍人及び軍隊の機能を削減し、基地用地を返還することにより初めて解決するものだと考えます。この点を強く訴えておきたいと思います。  第三点目は、返還後の跡地利用の問題についてであります。  返還後の跡地利用を促進するためには多くの解決すべき問題があります。一つの例を御紹介いたします。配付済みの「那覇新都心地区開発整備事業」がその例であります。現在、地域振興整備公団が事業を進めておりますが、この地域にはかつて米軍の牧港住宅施設がありました。牧港住宅施設は、一九七三年に日米安全保障協議委員会で移設条件つき返還合意がなされ、七七年四月と八五年五月に一部返還がなされて後、八七年五月に残りが返還され、やっと全面返還となりました。  跡地利用についての動きは七八年から始まりましたが、公団が事業実施基本計画の認可を得て事業を開始したのが八九年で、事業の施行規程及び事業計画の認可が九二年であります。事業の終了は九八年の予定ですので、七七年に土地を返還された地主について言いますと、実に二十一年間も土地を利用できない状況が続くことになります用地主にとって大変な負担であると同時に、地域住民にとっても都市計画上重大な問題であることがおわかりいただけるだろうと思います。  配付済みの「軍用地跡地利用事業」と題する資料は、四つの返還軍用地についての跡地利用状況を示すものであります。この資料によりますと、返還から跡地利用事業が終了するまで短いもので十六年、長いもので二十三年かかっております。跡地利用問題がいかに重大な問題であるかがおわかりいただけるだろうと思います。  この問題を解決する最もよい方法は、返還合意がなされた直後から直ちに跡地利用のための区画整理事業を開始できるように法的整備、実施環境の整備を進めることが必要だと思います。  ところが、米軍用地については、一九六七年六月二十二日付の防衛庁と建設省との都市計画法についての覚書によりまして、軍用地については市街化区域に含めないこととされております。そのため沖縄県においては、都市計画区域内にある米軍用地については、那覇軍港を除きまして市街化調整区域と指定をされております。  配付済みの「那覇市広域都市計画図」をごらんいただきますとその状況がよくおわかりいただけます。黄色い線で囲んでありますのが普天間飛行場と牧港補給基地です。その周りはすべて市街化区域でありますけれども、黄色い線で囲んだところだけが市街化調整区域となっております。市街化調整区域といいますのは、御承知のように都市計画法において市街化を抑制すべき区域とされていることから、基地返還前に基地について土地区画整理事業を行う場合に大きな障害となっているものであります。  そこで、跡地利用を促進するためには、返還合意をされた米軍基地については、軍転特措法に言う総合整備計画を定めるとともに、市街化区域の指定ができるように前述の防衛庁と建設省との覚書を改正することが不可欠となります。そして、米軍基地について、返還前に土地区画整理事業を始められるようにさまざまな法的条件を整備することが重要になります。  土地区画整理事業では、事業計画、換地計画等のために基地内立ち入りと基地内測量が必要となりますが、沖縄では米軍基地に支障を与えない方法で基地内立ち入りと基地内測量を行った経験があります。軍用地内における位置境界不明地の明確化作業がその例であります。  したがって、米軍基地の返還前に土地区画整理事業を開始することは十分に可能だと思います。返還前に可能な作業を終え、返還後は直ちに区画造成、整地作業に取りかかれるようにすべきだと考えます。計画的基地の返還は、返還前の土地区画整理事業の開始が行われて初めて本来の目的を遂げることになるかと思います。  この問題については、国と県との早急な検討と取り組みが求められていると考えます。跡地利用の問題については、国有地の利用の仕方、財政負担の問題など、地方自治体だけでは十分対処できないものがありますので、軍転特措法の見直しと国による特別の対策が強く望まれます。  第四点目に、米兵による事件、事故の被害補償制度の確立の必要性について申し上げたいと思います。  昨年九月に起きました米兵による少女暴行事件は全国民に大きな衝撃を与えました。クリントン大統領も村山首相も謝罪をいたしました。しかし、あれから七カ月余経過しましたが、いまだ被害補償が行われたとの報道に接していません。日米両政府の最高責任者が謝罪を表するほどの事件であったにもかかわらず、このような状況なのであります。言葉だけの謝罪でよいのでしょうか。これは人間としての尊厳にかかわる重大な問題なのです。  防衛施設局の資料によりますと、米兵による公務中、公務外の事件、事故による全国の被害補償請求件数は過去二十年間で四万六千四百十七件となっております。実に毎年平均二千三百二十件の被害補償請求がなされていることになります。被害者が被害補償請求を行うのは被害の一部にすぎませんので、被害の実数はもっと大きいかと思われます。  公務中の事件、事故については民事特別法が制定をされており、日本国がアメリカに肩がわりして損害賠償を行うことになっております。しかし、被害補償請求件数の七八%を占める公務外の事件、事故については被害補償制度が確立をされておりません。被害補償は加害者である米兵の個人責任とされ、放置をされております。少女暴行事件の被害者がその例であります。  ことし一月には、歩道を通行中の母子三名が歩道に乗り上げた米兵運転の車にはね飛ばされて死亡する事件が起きましたし、二月には沖縄の大学に進学予定の学生が米兵の車に衝突をされて死亡する事件が発生をしております。米兵は体一つ日本に駐留しておりますので、被害補償を行う資産を日本では全く有しておりません。そのため被害者は被害補償を受けられず、泣き寝入りをしているのが現状であります。これは社会的正義、法的正義に反すると思います。  かつて通り魔被害について、被害者が救済されないまま放置されることは正義に反するとし、犯罪被害者等給付金支給法が制定された経緯がありますが、同様のことが米兵の公務外被害についても言えるかと思います。  言うまでもなく、米兵は個人的事情で日本にいるのではなく、安保条約に基づき職務として日本に駐留しているものであります。したがって、米兵による事件、事故は広い意味で駐留という職務に密接に関連して発生する制度的なものと考え、日米両政府の責任において被害補償を行うべきです。そのための公的制度を確立すべきです。全国で毎年千八百十六件の公務外被害事件、事故が発生していることを考えると、公務外被害の補償制度の確立は急務だと思います。  終わります。
  128. 井上裕

    委員長井上裕君) ありがとうございました。  次に、行政改革・地方分権・規制緩和につきまして福井公述人にお願いいたします。福井公述人
  129. 福井秀夫

    公述人(福井秀夫君) 福井でございます。  この場で意見を述べる機会を与えていただきましたことを光栄に存じます。  大きく五点ほど指摘申し上げます。  規制緩和等についてですが、まず第一は規制緩和の意義であります。  基本的には規制緩和は、市民の一人一人が自己責任原則を貫徹でき、豊かさをふやすための条件整備と位置づけられると思われます。社会を豊かにしていくことに資するさまざまな選択肢が、パターナリズムや愚民観ともいうべきものの背景で規制が存在し、その規制のもとでつぶされてしまっている。選択肢の多さはリスクも伴うわけですが、リスクを避けるためには公権力による規制はうってつけの大義名分となり得ます。しかし、一部の既得権者を除いて豊かさの増大には必ずしもつながらないと考えられます。  例えば、都市住宅問題も地方分権も、自己責任原則のない政策はむだ遣いと不公平、さらに不正の温床となり得ます。市民や企業に生活や営業に関するあらゆる自己決定の自由を認め、その結果に対する責任を本人が負うようにすることが自己責任原則ではないかと思われます。これは、競争のもとで、成功の自由とともに失敗の自由をも付与することにつながると思われます。  しかし、競争は活力と改善をもたらしますが、敗者、特に弱者をもはっきりと生み出すことになります。弱者の発生を理由に規制緩和に反対との意見もあり得ますが、規制による弱者保護は必ず社会全体の富ないし豊かさを縮小させることになります。社会的富の縮小は、弱者全員への分配を困難にするとともに、分配に当たっての例えばくじ運、行列ないし先着順、コネの横行を誘発するということにもなります。その極端な例が旧社会主義国でかつて見られたわけであります。  したがって、比喩的に言えば、みんなで食べるパイはできるだけ大きく焼いた方がよい。取り分け方は、大きく焼いてから弱者にも手厚くかつ公平にという厚生経済学の基本セオリーが妥当することになるわけです。  しかも、パイを大きく焼く、すなわち資源配分のパレート改善問題と取り分け方、すなわち所得分配の問題は政策的には独立の問題であって、一切れ一切れが完全に同じ重さ、形になるようにあらかじめ厳格な型枠つくりから始めるということであれば公平かもしれませんが、パイそのものの収穫総量は低下するわけであります。まずは大きなパイをつくるのが先決と言うべきであり、規制緩和はそのための極めて有力な手法と位置づけられると思われます。  基本的には、弱者への配慮のために規制緩和をためらう必要は一切なく、徹底的に規制緩和すべきところではすべきということになるはずであります。そして、これによる増大した富は公平に、しかし弱者や敗者にも十分手厚く一定の優先順位に沿って分配していく、こういう方向こそ本当の優しさ、感受性ではないかというふうに思うわけであります。  次に、市場の失敗と政府の失敗ということですが、規制緩和による自由の行使が他者に迷惑を及ぼす場合があります。これを外部不経済といいますが、このような場合に規制をなくしてすべてを自由な市場にゆだねることはかえって社会的な豊かさを低下させることになります。市場の失敗が起きるわけであります。このような場合に一定の公的介入が必要となることは、規制緩和の文脈からも当然の帰結となります。  むしろ、今の無秩序な町並みやミニ開発の進展などについては、発動されるべき公的介入が適切になされてこなかったという意味で、場面により一種の規制強化も必要でありましょう。結局、是々非々で個別問題ごとに対処すべきことになります。  しかし、より重要なことは、市場も失敗するが政府も失敗するということであります。規制は必ず政府の判断の介在を伴います。政府の判断が全知全能でないことは行政改革の視点からも明らかとなることでありますが、市場が失敗するからといって、その程度よりも政府の失敗の程度の方が必ず小さいということはあり得ないわけであります。市場が失敗する場合でも、現行で多く見られるような一律規制は最後の手段たるべきであって、政府の失敗の可能性がより小さい賦課金制度等の経済的インセンティブ手法を中心に立法を講ずべきことになると思われます。  大きな第二、定期借家権の創設の問題であります。  一九四一年に導入された借地借家法の正当事由制度は、正当事由がない限り貸し手は借地借家の返還を求めることができないとし、それが備わるのは、裁判上、膨大な立ち退き料を提供し、かつ借り手側の困窮度がその時点で小さいときに限られるわけであります。また、賃料の更新も、借地借家期間の更新の都度、市場賃料よりも安く据え置く判決が主流のため、賃貸期間が長期化すればするほど収益率が悪くなることが前提となっております。  裁判所や一部の法律家は、これは当事者の利害の公平を図る適切な措置であるといたしますが、これらは回転率の悪いと見込まれる借地やファミリー向け借家の供給意欲を減退させ、結局のところ家賃の高額化、広い借家の不存在、すなわちワンルーム借家の肥大化、無理して持ち家を購入するため持ち家率が不必要に上昇する等のゆがみを発生させております。例えば、二年あるいは五年間だけ住むための安い家賃の借家に住みたいという消費者選択肢を強制的に奪っていることにほかなりません。  借地借家法は、既得権を持つ借り手は保護するが、潜在的借り手に対しては過酷な仕打ちを強いるのみならず、保護したはずの借地借家権は、その意図にかかわらず、保護のゆえにかえって壊滅的危機に瀕していると言わなければなりません。また、借地借家法は土地の流動化や住宅投資の活性化、居住の豊かさの向上といった諸課題の達成を阻む最大の要因の一つとも言えます。  住宅問題に関する限り、日本では中堅勤労者も含めて相対的に多数の弱者が存在いたします。彼らが保護されてこなかったのは既に述べたとおりでありますが、判例では例えばこういう事件があります。  東京地裁一九九〇年二月十九日判決では、木賃アパートの一室に居住する単身者がほかに居住可能なマンションを所有していること、移転に伴う損失がほとんどないと見込まれること、借家権価格が三百四十万円であること、移転費が十八万二千円であること、これらの事実のすべてを鑑定評価等を踏まえて裁判所自身が認定した上で、明け渡し訴訟において借家権価格の二倍のちょうど七百万円の立ち退き料を条件に正当事由を認めた例でございます。  裁判所がこのような弱者感覚ないし公平感覚を発揮することは立法の許す限り自由でありますが、立法府が真摯に検討した上で、本当に現在の判例の認める一連の公平判断が妥当だと考えるのかをお伺いしたいと思います。判例の前提となる法を改変し、司法を法で拘束することは立法府の専権事項ではないかと思われます。  定期借家権の意義でありますが、定期借家権は民事法が本来前提としていた自由で主体的な個人による契約の締結を可能にし、自己責任原則を強化する方向で機能します。立法と司法による有害無益な規制の一部を打破するものともなります。もちろん、すべての契約にこれを一律に適用する必要はありません。第一に、既存契約については従来の運用を踏襲することはやむを得ない側面がございます。第二に、新規契約についてもすべてを定期借家権に統一する必要はありません。従来型契約を選択する自由が維持されるべきは当然であります。  このような前提での定期借家権導入は、次のような意義を持つと思われます。第一は、家賃価格の低下と借家戸数の増加であります。試算によれば、東京一時間圏内において十年間で定期借家権の導入により家賃が八・七%低下、借家戸数は四一・六%増となります。第二は景気刺激効果であります。試算によれば、定期借家権に伴う住宅建設戸数増は年間約二十五万戸に上り、投資による最終需要増は一年目だけで約五兆六千二百億円、一九九六年の国内総生産見通し四百九十六兆円の一・一%を占めるに至ります。  なお、既に述べたとおり、定期借家権は社会全体のパイの拡大に資するわけですが、パイの拡大は住宅弱者に対する福祉措置の拡充をも可能にいたします。したがって、定期借家権が弱者切り捨てになるとの反論は当たらないと考えます。  現行借地借家法自身が、本来、国家や自治体の手でなされるべき福祉を私人たる家主に転嫁し、救済の必要性の順位とかかわりなく、偶然に依拠して既得権を獲得した者を守っているにすぎないわけであります。公共の役割を隠ぺいし、本来保護されるべき多数の住宅弱者の放置を固定化するシステムであると言っても過言ではありません。政府なかんずく司法の失敗の典型例とも言えましょう。真の弱者を特定し、公平な基準を立てて救済していくことは立法の責務でありますし、司法への包括委任は問題を悪化させるだけと考えます。弱者保護施策、具体的には公営住宅や家賃補助とセットで定期借家権を導入することが緊急の立法課題と言えます。  司法の限界でありますが、司法の法の番人としての機能は重大であり、行政や立法のチェック機構としての期待も大きいわけです。しかし、借地借家判例を見る限り、相対立する利害当事者の調整にのみ目を奪われた結果、その判決の集積が供給意欲の抑制という効果を生み、結果として土地の有効利用の阻害や借家の規模の狭小化、潜在的借り手の保護の後退を生んでいることは理解されていません。このようなパラドックスとも言うべきメカニズムは、経済学の基礎的知見なくして解明することは困難であります。しかし、裁判官は必ずしもそのような分析の専門トレーニングを受けておりません。経済社会の動向と直接かかわる領域について、現行の借地借家法のように司法権に判断を基準ごと丸投げしてゆだねてしまうというシステムがいかに危険なものであるかを立法府は認識されるべきと考えます。  また、所管がたまたま法務省にあるからといって、借地借家法の改正の適否やその内容の検討を全面的に法務官僚や法律家で構成される法制審議会にゆだねてしまうようなことがあってはならないと考えます。経済政策、財政政策、都市住宅政策等に直接のかかわりを持つ以上、関係部門が対等に討議に加わる責任を持つはずであります。しかも、立法の内容の最終的責任者は立法府以外にはあり得ません。今の立法府は果たしてその任務を果たしているだろうかという問いかけもあります。  政策内容とその実現手法は、本来、立法の役割であります。現にある借地借家法の運用の結末に対して立法府には重大な責任があると考えます。司法や行政の狭い視野を超えて、総合的かつ市民の豊かさの実現を視野に入れた政策形成としての定期借家権導入に向けて立法府が本来のイニシアチブを賢明に発揮されることを期待いたします。  大きな三点目、都市計画、建築規制の合理化であります。  都市計画、建築規制を初めとして規制緩和前提たる規制に基づく市民の義務は無数に上りますが、守られないことが常態化した義務も多数存在します。守られないことは、義務の合理性そのものと関係しているのではないかとの視点からの検討が必要であります。必要な義務を精選することは、規制緩和の大きな文脈に沿います。  容積率制限の見直しと混雑料金の導入でありますが、特に容積率規制の目的は、従来、第一にインフラストラクチャーへの負荷を抑制するとともに、第二に都市環境を維持することにあるとされてきました。しかし、床面積とインフラ負荷が比例するとの前提自体、証明されているわけではありません。商業と住宅では発生交通量は大幅に異なりますし、道路、鉄道等の混雑も季節や時間により異なります。同じ床面積なら住宅は公園をより多く必要としますけれども、商業は駐車場をより多く必要とするわけであります。また、都市環境を床面積でコントロールするという発想自体、その相関関係の余りの遠さに愕然とするわけであります。インフラ負荷の抑制は、道路、鉄道などの原因施設ごとに応じた混雑料金を導入するのが最も直接的で適切であります。  都市環境対策については、形態を厳格にコントロールすることこそ本筋であろうと思われます。容積率規制は混雑料金導入までの暫定措置にすぎないわけでありまして、両者セットでの導入は東京一極集中の弊害でもあります大都市の混雑や環境悪化を食いとめ、地方の振興にも寄与するはずであります。  精選した義務の厳格な履行でありますが、ほとんど発動されず伝家の宝刀化した行政代執行制度は、行政上の義務履行確保手段の一般則としては合理性がないと思われます。賦課金等の経済的インセンティブをむしろ原則とし、特に外部不経済性の大きいものについてのみ代執行制度を想定するとともに、行政に監督処分等を発動しない裁量を与えないように制度見直しが必要であろうと思われます。これも立法府の判断事項であります。  第四に、地方分権の問題であります。  地方分権は、地方自治体の活力を伸長させ、社会の豊かさの増大を牽引する機能を持つはずでありまして、そのような方向に合致する限り望ましいと考えます。しかし、昨今の分権論議の一部には、次のような基本的な問題があると考えます。  その第一は、地方自治体の集約化の問題であります。現行の三千数百もの市町村単位の自治体への分権は、交通、通信、経済社会ネットワークの高度に発達した現代日本の生活圏、経済圏を前提とした場合、果たして合理性を持つだろうかという視点であります。  現実に大都市圏のベッドタウンでは、都心通勤のサラリーマンの住宅整備は財政負担増になるため、条例や要綱等により新市街地の開発を抑制し、潜在的住民を排除しようとする動きが広範に見られます。法人住民税とその雇用者の個人住民税を収受する自治体が異なることと無関係とは言えないと思われます。社会実態にそぐわない細分化された自治体の単位を温存する以上、このような矛盾は制度内在的に発生するわけであります。当該自治体の姿勢そのものの問題ではないと考えられます。自治体の大規模化、集約化のない方向での分権は自己責任原則に反し、広域的調整のコストを禁止的に高めることとなります。そのツケは結局、市民、国民全員が負担することになるはずであります。  第二は情報開示であります。  分権すればするほど自治体における運営、特に政策コストとベネフィットを正確に測定するための情報開示が完全になされることが必要不可欠となります。固定資産税評価額や行政上の義務違反の実態など、直ちに全面開示を立法により義務づける必要があると思われます。情報開示は分権の実をとるための最低限の前提一つとなるはずであります。  第三が自己責任原則を伴う権限、財源の移譲であります。  昨今の分権論議の一部に見られるような自己責任原則を伴わない権限、財源の移譲は問題が多いと思われます。本来の地方分権は、地方交付税や起債の許可に関して、国が裁量をもってパターナリスティックに関与するというシステムを温存したままでは核心部分を欠くことになります。自治体への課税権の移譲を前提として、町づくり等でも自治体間で競争し、住民の支持のない自治体政策に関与した首長や議員が政治責任を問われるとともに、そのような管理者を選定した住民は不利益を甘受せざるを得ないという責任体制が明確にされる必要があります。  どんな放漫経営をやっても最後は地方交付税で救われるというに等しい現行地方自治システムに手をつけないまま分権を行うことは、モラルハザード、すなわち道徳的危険を助長するだけであります。そもそも社会的弱者への再分配は個人ごとに対象が決せられるべきであって、現行のような自治体単位での財源調整は、それ自体弱者対策として見た場合にはきめ細かさに欠けるという評価を免れません。  大きな第五、行政の役割の明確化であります。  日本国憲法が想定する行政の役割を明確化すべきであるとの視点を五つ指摘いたします。  一つ目は、政省令など行政の立法機能は法の委任がある場合に限られ、法の創造は立法府の専権事項であります。その意味で、法に関して、行政は法の執行機関であることが予定されています。当然のことでありますが、実態上、政府提出法案が多いとはいえ、行政は立法の究極的責任者たり得ないことをまず認識しなければなりません。  次に二つ目ですが、政策は法や予算の形式で明示され実行されることが多いわけですが、法や予算責任を負うのはやはり立法府であります。実際上、行政には政策にかかわる大量かつ重要な情報が集約されていますが、しかし中央官庁、地方行政庁ともに、独自の政策判断が介在した上で情報が取捨選択されて公開されることが多いわけであります。  行政自身も、むしろ政策の利害関係者であるという側面もあるため、行政政策前提となる情報公開や、あり得べき政策選択肢の判断をゆだねること自体ゆがみを生じさせています。行政が本来の客観的情報公開や、政策選択肢とその利害得失の中立的な提示に徹することとなるように立法の介入が必要と考えます。行政府が立法を離れて独自の意思を持ち、密室で学会、マスコミ等の根回しを図ったり、特定の政策を実現する動きがもしあるとすれば、民主主義の危機と言わねばなりません。  特に、定期借家権をめぐる検討において、法務省当局には独自の見解を前提として異なる分析や意見を封殺したりすることのないよう、くれぐれも留意をお願いしたいと考えます。  三つ目ですが、行政裁量のコントロールであります。法の文言上、要件認定、実行段階ともに行政裁量が広範に存在しています。一たん裁量行為となった以上、司法審査には制約が生じます。行政の利害、例えば違法取り締まりを厳格に実施して政治的な敵をつくりたくないといった利害による法の執行の形骸化が現実に生じております。現行法下ではこのような問題解決の担保措置がありません。  四つ目が立法による行政裁量領域の縮小でありますが、結局のところ、行政改革のポイントは無数にある行政裁量を情報公開とセットで縮小化していくことではないかと考えます。これは立法の役割であって、現在ある行政裁量や司法審査への丸投げによる立法府の機能不全を打破していくことが緊急の課題となると考えます。  五つ目が政策に関する立法の優位であります。政策的判断事項において立法機能が優位を回復すべきであります。これは司法との関係でも行政との関係でも共通の目標たるべきであって、そのために必要な立法の政策企画能力の向上に立法府構成員各位が英知を結集されることを期待いたします。  以上です。
  130. 井上裕

    委員長井上裕君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  131. 武見敬三

    ○武見敬三君 新垣公述人、福井公述人の御両人におかれましては、連休の谷間の本来ならばゆったりとお休みになりたいときに、このような場に御出席いただき、貴重な御意見をいただけたことを心から感謝申し上げたいと思います。  そこで、最初に福井公述人の方に御質問をさせていただきたいわけでありますけれども、基本的には、規制緩和という施策を積極的に行う点については私は全く同意見であります。ただ、規制緩和という言葉が通常どうも一つ言葉としてひとり歩きをしている傾向があり、その内容についてより精緻にきちんと議論をしなければならないという点で、きょうのお話は大変有益であったと私は思いました。  その中でさらにお聞きしたいことがあります。すなわち、規制の緩和ということを行うことは、例えばこれを消費者及び生産者である企業ということに置きかえてみると、規制の緩和によってそれぞれの分野の企業にとっては企業活動の選択肢が拡大するという企業にとっての自由の拡大になります。さらに、その選択肢が拡大することによって市場における選択肢も増大し、それがひいては消費者にとっての選択肢の拡大、すなわち消費者にとっての自由の拡大になるんだろうと思うわけであります。  この場合に、このような規制の緩和というものがそれぞれの立場に立った自由の拡大というものと結びつくときに、私は必ず裏づけとなる責任という問題が出てくることは当然のことだろうと思います。本日も福井公述人はこの点、自己責任という原則を明らかにされてきているわけでありますが、この自己責任ということを言う場合に、例えばこれに対処する方法というものは私はやはり二通りあるんだろうと思います。  一つは、企業にとっての自由の拡大に伴う企業倫理の向上という問題が当然出てくるだろうと思います。この点、どのように考えるか、そしてさらに、企業倫理だけに依存するということはやはり社会的なリスクがそこから生じるだろうと思います。そうした規制の緩和に伴って生ずる問題点に対処し得る社会的な規制という問題が新たに生ぜざるを得ないだろうというような気がするわけであります。  本日の公述人の御指摘の中では、こうした借地借家法の問題あるいは容積率の制限に関する問題を取り上げられてきたわけであります。基本的には、ともかく競争の原理というものを生かしてそのパイをできるだけ大きく焼いて、そしてそれを後は公平に分配していくというお考えであったかと思います。  この場合に、規制緩和を徹底的にすべき分野とそうでない分野というのを二つお分けになりました。そこで、いかなる考え方と基準に基づいてこのような規制緩和を徹底的に行うべき分野とそうでない分野をお分けになったのか。そしてまた、そうでない分野という点に関していかなる分野があり、これについてはいかに、いわば私が申し上げたようなそれぞれ企業消費者責任部分との関連で議論ができるのであろうか。こうした議論をお尋ねしたいと思います。よろしくお願いいたします。
  132. 福井秀夫

    公述人(福井秀夫君) お答え申し上げます。  まず第一点の御質問、先生の御趣旨に全く賛成でございます。企業倫理の向上、確かにおっしゃるとおりでございまして、個々の経済主体が一定の秩序、倫理のもとに行動するということが現在の日本国憲法や市場経済の秩序で前提としているまず基本的な価値観だと思われます。  そういった意味で、企業倫理、さらに市民の倫理というものは非常に重要なものだと考えます。ただその場合に、例えばでございますが、バブル期に地価上昇がございましたが、ああいったときに不動産向け融資の拡大に関して金融機関が悪い、あるいは地上げ屋さんが悪いということでかなり倫理的、道義的な批判に土地投機の問題がすりかえられたのではないかという懸念も一方では持っております。  こういった企業倫理や市民倫理を実際に堅固なものにするためには、個人ごとの合理的な選択が社会経済的にも合理的な結果になるように制度、システムを設計する、こういったもう一ひねりの制度的な担保措置がより重要になってくるのではないかと思われます。  それから、次の強化の場面と緩和の場面についての基準でございますけれども、先ほど申し上げましたように、弱者の問題、これはむしろ規制というとちょっと語弊があるかもしれませんが、公的な介入がよりなされるべき分野だと思われます。  それから、例えばこういう議論もございます。借地借家法を自由化して定期借家権等を導入すると土地利用転換が盛んになってミニ開発やスプロールが横行するから問題ではないか。こういう議論をされる向きもありますけれども、これは複数の目的には複数の手段が本来必要でありますので、副作用ごとにむしろその除去のための新たな制度政策を考えるということが合理的であります。  具体的には、ミニ開発やスプロールの問題は、借家法で土地の流動化がなされたからというよりも、都市計画や建築規制がある意味で自由過ぎるという側面を反映しているわけでありますから、そういった側面ではむしろ借家法の自由化とあわせて現在のどちらかというと甘過ぎる形態規制をより強化する、こういう側面もあろうかと思われます。  以上でございます。
  133. 武見敬三

    ○武見敬三君 ありがとうございました。  実際にこうした規制緩和について議論をいたしますと、御指摘のとおり、各分野によって相当きめ細かく、その結果としての競争原理、弱者というふうに表現されましたけれども、そこから付随して生ずる問題に対する新たな対処措置と実はパッケージであわせて考えなければ、こうした規制緩和という政策は実は非常に社会的な混乱を引き起こす可能性があるという点を私は認識しております。この基本認識については、今の福井公述人のお話で全く同意見だったわけであります。  難しいのは、実際にこうしたパッケージとしての政策の立案の仕方、それから御指摘の、徹底的に規制緩和を行う分野とそうでない分野との識別の仕方、これらは相当に国内でも議論の分かれるところでありましょうし、既得権益との調整という点においては極めて強い政治的なリーダーシップが求められる点であろう、そういうふうに私は認識をしております。大変参考になる御意見まことにありがとうございました。  それでは、引き続きまして、新垣公述人にお話を承りたいと思います。  戦後、我が国の繁栄を考えるときに、実際に日米安保体制というものが実は大きな役割を担ったんだという認識を私は基本的に持っております。それはやはりイデオロギーで分離、分割をされ、そしてその中であえて資本主義のより自由な社会の立場にみずからを置き、なおかつ日米安保条約に基づき我が国の軍事力というものを軽武装の最低限に抑えようとしてきた。その中でより早く経済的に復興をし、経済成長へと結びつけてきた戦後の我が国の国策の基本というのは、私は誤りではなかったんだというふうに思うわけであります。  別の側面において、沖縄の県民の皆様方には極めて多大ないわば犠牲を強い、そしてそのために大変申しわけないいろいろな実情というものが個々の皆さん方の中にあるという点については私も深く認識をし、やはり本土に住む人間としてこの点については常に考えておかなければならない問題であるというふうに私は考えているわけであります。  いわゆる冷戦が終結をした今日の現状というものを踏まえたときに、この点について、公述人御指摘のとおり、沖縄の基地の問題というものを突き詰めていくと日米安全保障条約というものに必ず突き当たる、この事実というものは全くそのとおりでありましょう。そこで、沖縄の基地の整理、統合、縮小という問題と日米安全保障条約という問題をどのように結びつけて議論をし、そしてその中でいかなる政策が最適なものであろうかということを私は考えなければならないという立場をとっております。  この点、少し多く発言をさせていただき、質問の内容がふえてしまうわけでありますけれども、まず最初にお尋ねしたいのは、基地機能のいわば縮小を含めて、いわゆる米軍基地というものをできるだけ早く撤廃させるということが公述人御自身の意見であり、かつまた日米安全保障条約は廃棄されるべきものであるというのが公述人の御意見なのでありましょうか。まずその点を御確認させていただければと思います。
  134. 新垣勉

    公述人(新垣勉君) ただいまの御質問にお答えをさせていただきたいと思います。  安保体制あるいは安保条約のもとで今沖縄の基地が置かれている実情がありまして、そこに私どもは住んでいるわけであります。したがいまして、平和憲法と安保条約のはざまで生活していると言いかえても差し支えないだろうと思います。その意味で、沖縄で起きている問題は、安保の持っている問題点、それから平和憲法と安保とが衝突するといいますか、両方の法体系が交錯するところにいろいろな問題が起きている、こういうふうに考えております。  沖縄で生活をした生活体験を踏まえて申し上げさせていただきますと、米軍基地というのは、沖縄にあろうがあるいは本土にあろうが、絶えず地域住民との問題を引き起こさざるを得ない本質といいますか構造を持っているだろうというふうに私自身は考えております。その意味では、基地を抱える地域の住民の立場で言いますと、やはり米軍基地というのは国内に存置してはいけないのではないのかという生活体験に基づく認識をしていることを申し上げさせていただきたいと思います。
  135. 武見敬三

    ○武見敬三君 御自身の生活体験の中から、そうした基地機能というものを沖縄であろうが本土であろうが廃止すべきだという御意見であったかと思います。  ただ、日米安全保障条約及びそれに基づく日米安保体制というのは、そうした基地周辺に住む皆様方だけの立場とお考えだけで議論できない分野があることはやはり御理解いただけるのではないかと思うわけであります。  すなわち、冷戦が終結して、一時これで平和が来るというふうに思っていた時代状況というものは、むしろ全く逆の状況になり、無秩序の状況に今日多くの社会が遭遇し、地域紛争が勃発するようになってまいりました。この基本は、冷戦というものが実は二つの側面を持っていたということに由来するわけであります。  第一の側面というものは、冷戦というのが世界秩序でもあったということであります。すなわち、米ソ両超大国がそれぞれの陣営の中で警察官としての役割を果たし、それぞれの地域における対立が激化することをむしろ米ソ対立と直結することを恐れ、これを抑止するという形の中で一定の秩序が形成されてきた、そういう秩序としての側面を持ってまいりました。すなわち、いわばその秩序に基づいて、我が国の周辺地域であれば朝鮮半島に分断国家が生じ、そして台湾海峡に分断国家が生じたわけでございます。  しかし、実際にこうした秩序という側面が冷戦の終結によってその能力が低下をしてしまいますと、実質、御存じのように台湾海峡では中国による軍事演習が行われ、緊張が増加をし、かつまたそこで行われたミサイルの演習というものが実際に与那国島の近海に着弾をするという、我が国にとっても重大な関心を持たざるを得ないような状況をつくり出しているわけでございます。  朝鮮半島においては、御存じのとおり、北朝鮮の体制の不安定化というものが実際にその生存をかけた極めて危険の高い政策をとらせようとしております。この朝鮮半島における休戦協定の廃棄というような手段を北の方がとるということは、いわばそうした状況を反映しております。結果として、朝鮮半島の情勢というものもまた極めて緊迫化したものにしているわけであります。これらはいずれも米ソ両超大国による一つの警察機能というものが低下をし、それぞれの地域の対立というものが枠からはみ出、そして流動化するという状況の結果出てきた極めて悲しむべき実情ではないかと思います。  問題は、我が国の周辺地域にそうした分断国家が何と二カ所もあるという事実でございまして、冷戦が終結をし、無秩序化するこの極東の時代状況、情勢の中でいかに我が国が自国の国民の安全を守るのかということを考えたときに、私はやはり日米安保条約というものの必要性を再度確認させていただかなければならないだろうと、こう考えるわけであります。  さらに加えて、冷戦の二つ目の側面と申しますものは、冷戦というのは戦争という側面を持っていたということであります。すなわち、米ソ両超大国が核戦力を拡充し、そしてそれにより実際に戦争をすれば互いにこれに勝利するということを考えながら軍備を増強してまいりました。  こうした状況の中で、結果としては冷戦が終結をしたわけでありますが、冷戦の終結の仕方というのは、御存じのとおり、またその名前のとおり、非常にあいまいな終わり方をいたしました。通常こういう大きな戦争が行われば、その勝った国が負けた国の武装を一定程度は解除するといったような権利を持ち、それによって戦争終結後の管理を行うというのが通常でございますが、実際にこの冷戦というのはアメリカの勝利によって終わったことだけは確かであっても、アメリカがソビエトのそうした膨大な軍事力を管理し、そしてこれを安全に廃棄するという機能は持ち得なかったわけであります。結果としては、御存じのとおり、ロシアとなった今日、その武器輸出等あるいは核の安全管理等の問題が急激に増大をしてまいっているわけでございます。  こうした状況が冷戦後の今日の世界情勢の中で、核の拡散や安全管理、そしてさらには通常兵力の管理等についての軍縮の問題の緊要性というものを取り上げたことは御存じのとおりであります。  したがって、こういう状況下において申し上げたいことは、最低限こうした日米安全保障条約というものが冷戦が終わった今日において引き続き我が国においてやはり当然自国の安全を図る意味において極めて重要であり、またそれは極東における安全と安定を考えたときに極めて重要であるという認識を私は持つわけでありますけれども、その点についての公述人の御意見を伺いたいと思います。
  136. 新垣勉

    公述人(新垣勉君) お答えさせていただきます。  沖縄の問題というのは、広く全国民の一人一人の問題として安保の問題を考える大きな問題提起をしたのではないのかというふうに考えております。沖縄県だけじゃなく、米軍基地を抱える市町村は全国にもたくさんあります。米軍基地を抱える地域においては、軍隊というのがどんなに規律を強化してもさまざまな被害を引き起こし、地域に大きな負担をかけているという実情があるかと思います。  したがいまして、日本の平和と安全のために安保条約が必要か否かという問題を考えるときに、さまざまな被害を発生させる米軍基地を自分手元に置いてでも安保条約を必要とするのか、自分のところには置かないけれども他の地域に米軍基地を所在させて自己の安全を図るのかという突き詰めた問題提起をしているのではなかろうかというふうに思うわけであります。  先ほど申し上げましたけれども、一つの例を申し上げますと、那覇軍港が一九七四年に日米両政府において条件つき移設の合意をされました。しかし、二十二年間経過した今日に至っても、日米両政府の合意であるにもかかわらず現在まで実現をしておりません。それはなぜかと私なりに申し上げますと、それでは自分の地域で引き受けようというところがどこもなかったからであります。  そういう意味では、米軍基地の問題、安保の問題というのはみずからの問題として国民のお一人お一人が、そのような被害をかけ、負担を生じさせる米軍であってもみずからのもとに置いてもいいという判断といいますか、そういうお考えがあれば日本の平和と安全のために米軍基地を置こうという意見になるかと思いますけれども、現に米軍基地を抱えて生活している私どもの立場からいたしますと、米軍基地が発生をさせる問題についてどうしても容認することができないというのが今の沖縄の現状でありますし、私どもの認識だというふうにお答えをさせていただきたいと思います。
  137. 武見敬三

    ○武見敬三君 どうしても意見がかみ合わない部分があるのはもうやむを得ないところかと思います。  ただ、私は基本的に、こうした基地周辺の皆さん方がこうむる負担については、その負担をこうむらない者が何らかの別の形で間接的に負担することによってその負担を分かち合う基本姿勢は日本国民として当然持つべきであろうと考えております。その点については恐らく基本的には公述人と同じ意見を持てるのではないかと思います。  そして、その基本的姿勢に基づいて、日本国民の大多数はこの日米安全保障条約に基づく在日米軍の存在についてはこれを肯定する立場をとっているだろうというふうに私は理解をしております。そして、それが冷戦が終結した今日においても基本的には変わらず、二十一世紀に向かっての新たなまだ混乱する時代状況の中において、その必要性は継続して認識されていくであろうという極めて強い確信を私は持っているわけであります。  ここでもう一つお話し申し上げたいことは、こうした安全保障を考えるときに実は基本的に五つの側面からこれを考える必要があるだろうと思っております。  その第一は、近隣諸国との友好であります。そして第二は、自国の適切な防衛力の整備であります。そして第三が、日本の場合には日米安保条約でありますが、二国間の同盟条約であります。そして四番目が、その地域における多国間の安全保障の機構、ネットワークの創設であります。そして五番目が、国連による秩序維持機能の強化であろう。こういうふうに大体五つ並べて考えることができるだろうと思います。  今日の国際情勢を見てごらんのとおり、一時的に国連の秩序維持機能に大きく期待が持たれたけれども実際にはそれはなかなか現実からかけ離れたものであること、そして多国間の安全保障機構に関しましては、アジアはヨーロッパと比べてみてもはるかに出おくれた現状の中で、むしろその危険度というものはアジアでは増大をしているという現状、ASEAN地域フォーラムのような多国間の信頼醸成装置がようやくできかかっているそのまだ途上にあるという段階から、まだまだこうした多国間の安全保障にもその国の前途を大きくゆだねることはできないということもおわかりいただけるだろうと思います。  そうすると、現状で私どもが考えなければならないのは、近隣諸国との友好関係我が国がその適切な防衛力をいかに整備するかということ、そして信頼に裏づけられた二国間の同盟条約をいかに堅持するかということに私はなっていくんだろうと思います。  こういう考え方の中で近隣諸国との友好を考えたときに、もし我が国が日米安保条約というものを廃棄して、そして自国を自国の軍事力で守るというような意思を表明したとき、近隣諸国から大きな警戒心を導き出し、かつまたその結果として近隣諸国との友好関係というものを維持する上において当面極めて難しい状況が想定されるわけであります。そういう意味で、中国を初めとして多くのアジアの国々が日米安全保障条約というものを肯定的に評価をし、そして日本の軍事大国化をむしろ阻止する機能というものをその中に見出し評価しているという状況があることは御存じのとおりであります。  したがいまして、このような日米安全保障条約というものは、単に二国間の同盟条約としての機能を持つだけでなく、近隣諸国との友好関係を維持していく上においても実は極めて重要な役割を担っているんだということを申し上げておかなければならないだろうと思うわけであります。  しかし、こうしたアメリカとの同盟条約を媒介として初めてアジアの近隣諸国との信頼関係が維持できるというのは実はアジアに位置する我が国としては情けないことでございまして、やはり長期的には、日本がアジア諸国とより直接的にその信頼関係を醸成するため、より積極的な努力を今後展開しなければならないことは当然のことだろうと考えております。  しかし、当面、二十一世紀の前段階におきましても、日米安全保障条約というものの必要性が我が国の安全保障政策の中でその中核をなすことは明らかであり、その結果としてまた沖縄に在日米軍が存続し続けることは事実であろうと思います。しかし、その点に関しましては、公述人御指摘のとおり、沖縄県民の皆さん方の御負担というものをでき得る限り軽減し、かつまたそれを本土の者も分かち合う、そういう基本姿勢が必ず求められ、そしてそのためのいわば理解を求める政治的な活動というものも当然私は必要ではないかというふうに考えるわけであります。そういう立場に立って御質問をさせていただきました。  以上で終わります。
  138. 小山峰男

    小山峰男君 平成会の小山峰男でございます。  きょうは両公述人、大変お忙しいところをおいでいただいたわけでございまして、よろしくお願いをしたいと思います。  最初に新垣公述人にお願いをしたいわけでございますが、先ほど日米安保条約の中で基地提供というような負担を負うとすれば日本国民全員がいろいろ論議をすべきだ、沖縄だけの問題ではないというお話があったわけでございますが、私もまさにそのとおりだというふうに思うわけでございます。このためには、やっぱり情報開示といいますか論議するデータが国民の皆さんにも提供されることが必要だと私も考えるわけでございますが、その辺の御意見をお願いしたいと思います。
  139. 新垣勉

    公述人(新垣勉君) お答えをいたします。  昨年来、不幸な事件を契機にして、沖縄の米軍基地の実態というのがマスコミで報道されまして広く知られるようになったことは、ある意味では幸いだったというふうに思います。  私は、先ほど意見の中で申し上げましたけれども、日本に駐留する米軍が現実に地域社会の中でどのように機能し、どのような被害と負担を発生させ、あるいはどのような位置を占めているのか、もっと細かく国民の皆さんに知っていただく必要があると思います。実態を知った上で、お一人お一人がやはり米軍基地は引き受けるというのであれば、それは一つ国民の意思だと思いますけれども、米軍基地が持っている被害あるいは負担等を知っていただければ、御自分の地域でそれを容認するということは恐らくないのではないのかというのが実は私どもの長い体験の結果導かれた一つの結論だというふうに考えております。  知事がある発言の中で、どうして沖縄だけに米軍基地を押しつけるのか、なぜ本土においてみずから基地を引き受けようと言わないのか、一体日本人というのは何なんだという問題提起をした背後には、実は今私が申し上げたような一人一人の問題としての米軍基地の問題があるだろうと思うんです。そのためには、委員から今御質問がありましたように、米軍基地が戦後ずっと日本に存在してきて地域社会でどのような影響を与えているのかを、やはり政府においてももっと積極的に国民に知っていただいた上で一つ国民選択をしていただかなければいけない、そういう問題提起を昨年来の沖縄の動きはしているのだろうというふうに思います。  そういう意味では、ぜひ全国の皆さんに、沖縄だけとは言わずに本土各地にある米軍基地の実態を広く知っていただいて、そしてみずからの問題として考えていただきたい、このように考えております。
  140. 小山峰男

    小山峰男君 もう一点お願いをしたいと思いますが、騒音防止対策だとかあるいは跡地を含めた地域振興だとかいろいろの課題があろうというふうに思うわけでございます。これらにつきましても私は積極的な推進が当然必要だというふうに考えておりますが、やはりこういう問題は総合的な行政というとらえ方をしないとなかなか進まないのではないかなというふうに思うわけでございます。また、特に財源を保障してその地元の自治体が実施するというような、権限も地元に移譲し財源も付与するというような形の中で実施することが最も大事だというふうに思っておりますが、その辺のお考え方、どうでしょうか。
  141. 新垣勉

    公述人(新垣勉君) お答えをいたします。  私は先ほど跡地利用の問題を申し上げたわけですけれども、跡地利用の問題はおのずから財政的な問題、さらに委員が今御指摘の総合的な基地返還に向けての政策と基地返還後の総合的な政策立案というのが非常に重要だろうと思います。  沖縄には部分的に軍用地を返還されたところが幾つかあります。先ほど申し上げました十六年かかった跡地利用とかあるいは二十二年間かかった跡地利用とか、非常に深刻な問題を沖縄は抱えて今日まで参ったわけですけれども、財政的な問題というのは、財政担当者の意見を聞いてみましたところ、非常に大きなものがあると。特に、市町村段階で跡地利用の問題を抱えたときに抱える財政的な負担が非常に大きいということは聞いております。  ただ、財政問題について私は専門ではありませんので、この程度で御勘弁をお願いしたいと思います。
  142. 小山峰男

    小山峰男君 どうもありがとうございました。  それでは、福井公述人にお願いしたいと思いますが、先生は住宅行政専門だということでございますが、先生のお書きになった本を読ませていただきますと、住宅行政のゆがみと申しますか、そういうことで三つほど先生はお挙げになっておられるわけでございます。  住宅税制の問題、それから住宅金融公庫の融資制度等の問題、さらに借地借家法の影響というようなことで、正当事由制度と継続賃料抑制主義と申しますか、そんなことをおっしゃられておるわけでございますが、これはどういうふうに改正したらいいのか、その辺のお考えをお願いしたいと思います。
  143. 福井秀夫

    公述人(福井秀夫君) お答え申し上げます。  借地借家法は、先ほども少し触れましたけれども、まず存続期間につきまして、一九四一年の正当事由制度という条項によりまして、正当の事由がなければ明け渡しを求めることができないという規定を設けております。したがいまして、借地でも借家でもそうでございますが、何年と決めたからといってその期限で明け渡しが求められることは判例実務上基本的にはないというのが実態でございます。したがって、高額の立ち退き料を支払うとかあるいは債務不履行、家賃を払わないとか物を壊す、こういう借家人は別といたしまして、基本的には一たん貸して、本人が出ていくと言わない限り未来永劫存続するということが今の借地借家法の前提になっているわけであります。  したがいまして、こういった借地借家期限について、相当高額の立ち退き料ないし借家権価格を補償しないと立ち退きを求めることができないという条項が、それが公平か不公平かという問題はさておくにいたしましても、現実の土地利用の面で有効に利用されるべき土地や家屋が未利用、低利用のまま存続するといういわば資源配分のゆがみを生んでいるのではないか、これが大きな問題の一点であります。  第二点目は、これも借地借家法に賃料の増減額請求権という条項がありますけれども、賃料について貸し手と借り手が合意に至らない場合、賃料の改定期間が借家の場合ですと大体二年ごとぐらいに到来するわけですが、この賃料の増額ないし減額請求の訴訟で裁判所がどのような判決を下すかといいますと、先ほども申し上げましたように、基本的には市場賃料よりも必ず抑制するというルールがとられておりまして、大体判例の傾向もそのように統一されております。  これは、長く貸せば貸すほど、といいましても、もともと正当事由制度で解約制限がいわば強制的に義務づけられているわけですから、そのもとで継続すればするほど家賃が安くなるということでありますので、貸し手としては、対抗上あらかじめ高額の権利金等の授受を要求する形で防御するようになる、こういうゆがみが生じているわけであります。したがって、一時的な権利金等がなく、できるだけ安い家賃で短期間でもいいから住みたいという借り手の選択肢も、そういう条件であれば貸してもいいという貸し手の選択肢も、いわば強制的に禁止していると言うに等しい運用が定着しておりますので、本来は定期借家権と言っておりますけれども、正当事由制度というのは一切不要と考えております。  また、賃料の増減額請求訴訟においての判断基準も、基本的には当事者の合意どおり、例えば地価公示にスライドするとか固定資産税評価額にスライドすると、こういった特約についても今の裁判所は地価が上がったら上がったでそういう特約は無効であると判決するのが底流になっておりますが、当事者の合意を基本的には尊重する、こういった形で改正することが必要だろうと思われます。  定期借家権については、いわば正当事由廃止に至るまでの暫定措置として意味があるということですが、差し当たりそこから始める必要があると、こういうふうに考えております。
  144. 小山峰男

    小山峰男君 それから、借地借家法の改正等につきましては、司法というか法務省だけじゃなくて、かなりいろいろの観点から総合的にというようなお話があったわけでございますが、まさに私もそういうふうに思っているわけでございます。  ただ、現在の行政を見ますと、縦割り行政というような形で、各省ごとが個々の省益を守るというような形で行われているわけでございますし、そういう意味では総合調整機能というのが私は大変欠如しているんじゃないかなというふうに思っているわけでございます。  各種のいわゆる総合計画というものがたくさんあるわけでございますが、これもそれぞれの省がそれぞれの観点でつくっているというような形、あるいは予算上で公共投資の投資割合というのは、もうこれは何年、何十年来と言っていいかもわかりませんが、ほとんどその割合が変わっていないというような状況だとか、今回の危機管理等につきましても、昨年の阪神・淡路大震災以後こういう問題についての危機管理というのは大変重要だというようなことが叫ばれてきたわけでございます。北海道のトンネル事故にしましても、報道等によりますと、余り現場を知らないと言うと語弊がありますが、北海道開発局、道庁、さらに地元の市町村、警察、消防というようなそれぞれの縦割り行政が角を突き合わせて大変な弊害もあったというようにも言われておるわけでございます。  そういう意味で、私なんかも国会に来てみまして、そういう総合調整的な面のいろいろなことを聞こうと思っても、どの大臣に聞いたらいいかということがわからないような、本当にまごついているような状況もあるわけでございますが、そういう点で、行政改革のまず基本的な部分として総合調整機能をやっぱりぴしっと持つべきだというふうに思っておりますが、どんなお考えでしょうか。
  145. 福井秀夫

    公述人(福井秀夫君) おっしゃる御趣旨に全く賛成でございます。  まず、行政の縦割りの弊害ということでございますが、私自身も行政庁にこの三月まで十五年間在籍しておりましたので、行政の内部の調整がいかに管理のコストを生んでいるのかということについては、自分の反省も交えて十分自覚しているつもりでございます。  ただ、非常に難しい点は、行政庁自身が例えば業界の利害であるとかさまざまな既得権益のいわば重みを背負っているという側面がございまして、行政庁の官僚自身にそういった調整や変革自体のイニシアチブを求めるということは、幾ら当該官僚の良心や人格といったものが卓越していたとしても、恐らく限界があると思われるわけであります。行政庁には行政庁自身が存続することに伴う直接の利害がやはり発生してしまっているということであります。もちろん妥当なことだとは思いませんが、現実そうなっているというのも実態でございます。  したがいまして、そこにこそ恐らく立法や政治が調整や決断といった側面でイニシアチブを発揮することがますます重要だと考える根拠があると思います。例えば、特に情報開示の問題、さっきも申し上げましたけれども、各省でいろいろな施策やあるいは予算といった場合に調整が行われるわけでありますけれども、はっきり申し上げてとても表に見せられないといったような意見のやりとりがかなりの程度起こっております。こういったものの全面開示を義務づけるということもむしろこれからの方向ではないかと思われます。いろいろな情報公開される中で、おのずと節度ある判断は形成されていくのではないかという長期的な展望は持っております。  以上でございます。
  146. 小山峰男

    小山峰男君 先ほど先生も、立法府の機能の強化と申しますか、そういうお話をいろいろいただいたわけでございます。規制緩和にしても、報道なんかによりますと、結局目玉は全部バツがついてしまうというような形で、省庁の取り組み、行革委が採点だとかいうような記事もあるわけですね、非常に約束が違うとか言って委員が不満を漏らしたとか。あるいは地方分権につきましても、各省がそれぞれの権限を主張しておりまして、実際には分権推進委員会等からの報告が出てもなかなか実現しないだろうという危惧がされるわけでございます。  そういう意味では、今おっしゃられたように、自分のことを自分でやるというのはこれからはなかなか難しいという考え方からいけば、立法府として指導性を持った規制緩和なりあるいは地方分権なりをかなりの部分推し進めていかないと本当の意味のものが出てこないというふうに思うわけでございます。  そういう意味で、先生今おっしゃっていたわけでございますが、現在の国会、そういってはなんですが、大変立法府としての事務的な機能もまだ弱いというふうに思っておりますが、その辺どんなふうにお考えでしょうか。
  147. 福井秀夫

    公述人(福井秀夫君) 先ほども申し上げましたけれども、立法府の政策企画、立案能力の向上というのは大変大事な課題ではないかと思っております。  政府提出法案の場合、行政機構、特に霞が関の各省庁が実際上は政府内シンクタンクとしての役割を果たしますので、内閣としてあるいは政治としての決定ということからすると大変楽なわけですが、そういったいわば政府提出法案が主流を占めているという実態自体が、ある意味では各省庁の個別の利害、個別の内容に立ち入った立法や予算がなされにくいという弊害をも生んでいるというのも一面の事実だと思われます。  そういった意味で、仮に政府提出法案であっても議員立法であっても、その内容に関してやはり最終的に責任を持つのが立法府だと思いますので、立法における最終的責任を現実の政策に反映するような方向での機能の充実を強く期待しております。
  148. 小山峰男

    小山峰男君 先生も国家公務員だったということでございましたが、議員立法というのはとかく何か軽視されるというようなお話も間々聞くわけでございまして、こういう問題についてもこれから行政府としての対応の仕方というのが本当に重要なかぎを握るんではないかというふうに思っておる次第でございます。  それから次に、地方公共団体の財源問題で若干御意見をお聞きしたいと思います。  御存じのとおり、入り口では国が二で地方公共団体が一、出口では逆に国が一で地方公共団体が二だというような形で決算なんか打たれているというのが現実の姿だというふうに思うわけでございますが、出口でこういう二対一みたいな形だとすれば、入り口もできるだけこれに近づけるような財源を地方公共団体に付与すべきだというふうに思うわけでございます。そのことが、先ほど先と言われたように、自治体間のいわゆる競争原理を非常に活発化させると。  竹下総理のときに、例のふるさと創生というような形で一公共団体一億というような財源がそれぞれの団体に与えられた。これはある意味では、地方公共団体の職員もこれで何をやろうと非常にみんなで考えたと、そういう意味では考えるという習慣づけの一つになったというふうに私は思っております。やっぱりいろいろひもつきでない財源、それが市町村に付与されない限り本当の意味の地方自治はないというふうに思っております。  そういう意味では、この財源の問題が大変大事だというふうに思いますし、また自治体間で行政にアンバラが出て当然だというふうに思っておりますが、その辺のお考えがおありでしたらお願いしたいと思います。
  149. 福井秀夫

    公述人(福井秀夫君) 基本的におっしゃるとおりだと思います。  自治体への分権でありますが、これも先ほど申し上げましたように、分権にはやはり権限、財源に責任も伴うべきであろうと思われます。そういった意味で、リスクも果実もともに収受するという姿勢から本当の分権が生まれてくるのではないかというふうに考えております。  ただ、昨今の分権論議、これも私は先ほど強調した点でありますけれども、失敗したときのリスクは最終的には全部交付税で補てんしていただくという前提で、権限と財源だけとにかく末端にばらまけという議論にはくみすることができないというふうに考えております。
  150. 小山峰男

    小山峰男君 時間も余りありませんが、先ほど情報公開のお話がありました。まさにそのとおりだと思います。特に権限が拡大してくれば情報公開というのは本当に必要になってくるというふうに思っておりまして、例えば住民投票というようなものを大いに活用するというようなこととか、あるいは政策決定段階における情報公開というのをこれから考えるべきだというふうに思っております。  その辺につきまして、もう一度よろしくお願いします。
  151. 福井秀夫

    公述人(福井秀夫君) 住民投票の活用、それから政策決定段階での情報公開、まさにおっしゃるとおりだと思います。  議会が民意を反映しているというのは、そうあるべきという意味では規範でありますけれども、現実問題としては一定程度フィクションを含んでいるわけでありますので、重要な事項に関しての住民投票の活用というのはもっと検討されてしかるべきと思われます。  また、情報公開につきましては、私先ほども各省の調整過程ですとか、あるいは政策選択肢がある場合に、そのコストベネフィットも含めてすべて公開前提にということを申し上げましたけれども、その一環として、できるだけ広くみんなに議論の材料を提供するという情報公開の規範が早く確立することを願っております。
  152. 小山峰男

    小山峰男君 どうもありがとうございました。
  153. 川橋幸子

    川橋幸子君 社会民主党の川橋幸子と申します。  お二人の公述人方々におかれましては、きょうは貴重な御意見を伺いまして大変ありがとうございました。  私の時間は十二分ばかりでございますので、質問の数は少ないかと思いますが、まず新垣公述人の方からお尋ねさせていただきたいと思います。  沖縄基地問題は日米安保条約にも関係いたしますけれども、私はどちらかといえば国内問題であることの割合が大きいのではないかと思っております。戦前も日本軍の最前線基地として大変な犠牲を強いられたわけですし、戦後は今度は米軍の駐留基地としてまた重い負担を持っていらっしゃるわけでございます。  沖縄の方々は心優しい方が多いがために、安保条約があるから安保をなくしてというふうなことをおっしゃいますが、もっと日本国内に向かって強く御主張になってよろしいのではないか。意外に本土の人間は知らない。私も今回の米兵の少女暴行事件をきっかけにいたしましてたくさんのことを知ることができまして、もっと前からそれを強く言っていただいていてよかったのではないかと、そんな感じがいたします。  この連休の中にみどりの日というのがございますけれども、私は沖縄の日という休日があってもいいぐらい、むしろ沖縄の方々がもっと強く言っていただいて構わないことではないかと思われますが、いかがでございましょうか。
  154. 新垣勉

    公述人(新垣勉君) 私ども沖縄に住んでいる者として、沖縄の抱えている問題を率直に全国民の皆さんに知っていただくということは非常に幸いなことだと思います。  私たちは確かに狭い地域に住んでおりますけれども、百二十万余という県民がそこで生活をしているわけであります。確かに、先ほどからお話がありましたけれども、日本の国防あるいは日本の平和と安全という、より高い次元の問題もありますけれども、私どもはやはり日々生活する立場から、日本の平和と安全、日本の将来の問題を考えていかなければいけないのではないのかというふうに率直に思うわけであります。  沖縄は唯一の地上戦を味わった地域でもありますし、そしてかつて武器なき国と言われた歴史も持っております。そういう意味では、平和憲法が最も中核にしております平和主義というものの考え方というのは、私たち沖縄県民に最もぴったりと符合するものだというふうに思います。  復帰のときに、実は私たち県民が本土復帰に託したものもこの平和憲法が持っている平和思想というものに導かれたところが非常に大きかったということをぜひ御理解していただけたらと思います。
  155. 川橋幸子

    川橋幸子君 私は外務委員会というところに所属しておりますので、外務大臣はどう答えられますか、あるいは予算委員会で総理に伺ってもいいのですが、個人としては沖縄の日を提唱してみたいと思っております。応援してください。  さて今回、普天間基地の返還等々、複雑な思いを持っていらっしゃると思いますが、私が一番自分自身痛切に感じましたのは、沖縄の例の事件の後で何万人という、そういうオーダーの集会がございました。そこで高校生の女子生徒が、静かな沖縄を返してくださいと淡々と述べた言葉が非常に本土の人たちの心を打ったわけでございます。  それはどういうことかというと、県道、公道ですね、公道を差し挟んで実弾演習する。この実弾演習を本土に持ってこようとすると、例えばの話、富士山ろくに撃ち込むのだって嫌だという、そういう状況のことが生活している道路越えに行われるとか、飛行機についての騒音協定がなかった。それから、移動と称する行軍ですね。朝早くあの体格のいい若者たちががっさがっさと行軍する。それが非常にやっぱり心理的に不安感を与えるということはだれだってわかることでございますけれども、沖縄の人から言われて初めて気がついたことだったわけでございます。  生活圏の中に基地があること、これはもうアメリカ人自身も非常によくわかるという話でございまして、せんだってはクリントン大統領の国会演説の中でも、もっと早くやらなければならないことだったかもしれないという、こういう訳文が載っておりまして、それはきっと大統領が指したのは、こういう生活を脅かしているということだったんだろうなと思います。  さまざまな被害の救済、補償措置につきましても、これから外務省ないしは防衛庁の方にちゃんとしてもらうように国会としてもウォッチしていきたいと思います。  ところで、伺いたいと思いますのは、日本全国の自衛隊基地の中では余りこうした生活上のトラブルというのは聞かないわけでございます。これは、ある種の自由が許されているようなアメリカ社会という文化が日本の中に持ち込まれている、そこの文化ギャップなのかなと思いながら、あるいは自衛隊というのは専守防衛に徹する組織でございますから、米軍のような大変高機能の攻撃能力を持つ軍隊との違い、戦力の違いなのかななんて思っているのでございますけれども、この辺はどんなふうに考えればよろしいのでございましょうか。
  156. 新垣勉

    公述人(新垣勉君) よく知られておりますように、沖縄に駐留する米軍というのは四軍あります。海兵隊、空軍、陸軍それから海軍とありますけれども、私どもが日々感じているところを率直に申し上げさせていただきますと、米軍というのは、兵隊になってまだ一年あるいはせいぜい二年程度訓練を受けた兵隊が海外駐留ということで日本に駐留をする。年齢でいいますと大体十九歳から二十前後の若者が、長期間といいますか日本に駐留をする。ある意味では日本で米兵が訓練をされているという、いわゆる訓練としての日本の基地という側面を非常に強く感じます。そういう側面から、米軍については事件が非常に多発をしているということは一つの側面をついているだろうと思います。  しかし問題は、そういう米軍の特殊性という側面と同時に、軍隊そのものが持っている基本的な性質といいますか本質というものが根底にあることをぜひ御理解をしていただきたいと思います。アメリカ本国に帰りましてどんなに立派なアメリカ人であっても、軍隊という中で訓練を受ける過程で人間的な大切な部分を失っていくという側面がやはりあるだろうと。昨年の事件は、実はこの軍隊が持っている非人間性、暴力性というものを私たちに象徴する形で見せつけた事件だっただろうと思います。それがゆえにたくさんの方が怒った。真っ先に怒ったのが実は子を持つ母親でして、そういう女性の皆さんが率先して抗議の声を上げてあの大きな運動が始まったというふうに思います。  そういう意味では、確かに自衛隊も同じ問題を持っているだろうと思います。軍隊に共通する問題とそれから米軍に固有の特殊な問題と、両側面あることをぜひ御理解をいただきたいというふうに思います。
  157. 川橋幸子

    川橋幸子君 時間が少ないのでございますけれども、福井公述人に一問だけ伺いたいと思います。  建設省、国土庁においでになられて、そして今大学で教えていらっしゃるというふうに経歴を拝見いたしました。ということで、ぜひ伺いたいと思うのは、この東京問題をどう解決すればよいか、都市政策の観点から御示唆いただければありがたいと思います。
  158. 福井秀夫

    公述人(福井秀夫君) 先ほど混雑料金の導入ということを少し触れましたが、実は東京問題の解決に当たっても、混雑料金制度の導入が決定的な意味を持つというふうに考えております。すなわち、今東京問題とは何かということを考えますと、過密に伴うさまざまな施設、生活環境も含めてさまざまなインフラストラクチャー等における混雑、それが人々の生活の快適性を損ない業務の効率を阻害する、こういう問題を生んでいると思われます。  東京が過密で混雑の外部不経済をこうむっている一方で、地方では過疎の問題が進展する、こういう国土構造の不均衡があるわけでございます。例えばこれを首都移転等によって解決するというよりは、むしろ現在の東京の集積を生かしながら、しかし集積に伴う外部不経済、具体的には混雑や環境悪化というものをできるだけ市場機構の中で内部化して解決する、こういう方向を私は支持したいと考えております。  具体的には、つい先般の日本経済新聞の「経済教室」で大阪大学の八田達夫先生が書かれていたような価格機構による対策を全面的に支持するものでございます。
  159. 川橋幸子

    川橋幸子君 借地借家法というのはどうやら法務省所管の法律のようでございますが、でもそれが機能するところは都市政策、土地政策に非常に有効なものであって、これはもしかしたら建設省ないしは議員立法でやるのが適当なのかなと考えましたが、この辺、時間が来てしまいましたので簡単にお答えいただければと思います。
  160. 福井秀夫

    公述人(福井秀夫君) おっしゃるとおりだと思います。
  161. 川橋幸子

    川橋幸子君 ありがとうございました。
  162. 有働正治

    ○有働正治君 日本共産党の有働でございます。  限られた時間での御質問ですので、新垣公述人に絞ってお聞かせいただかざるを得ないということをお許しいただきたいと思います。  公述人は冒頭の公述の中で、米軍の被害者への補償問題を述べられました。現行制度で、日米地位協定十八条六項に見舞金の支払いの手続がありますけれども、これ自体どのように評価されるのか、あるいはどのように改善を求められておられるのか。  あわせて、冒頭、日米合同委員会の議事録の公開に言及されましたが、時間の関係でお触れになることができなかったようでありますけれども、基本的にこの点どうお考えか。できればあと一、二問御質問したいと思っておりますので、簡潔にお述べいただければと。よろしくお願いします。
  163. 新垣勉

    公述人(新垣勉君) 被害補償制度については、公務外の被害補償については現行法上きちっとした補償制度はありません。確かに地位協定十八条六項にはいわゆる見舞金制度というのがありますけれども、これは法的な賠償義務に基づいて支払われるものではなくて、義務はないけれども、基地を維持する政治的な配慮から、アメリカ合衆国政府が査定をした額を見舞金として支払うというもので、制度としては極めて不十分なものだというふうに考えます。  それから、日米合同委員会の議事録の問題ですけれども、今日まで合意議事録が国民に公表されていないというふうに伺っております。特に基地を抱える沖縄について言いますと、日米合同委員会でどのような合意がなされ、どのような基地の使用条件が付されているのかは非常に重大な関心を寄せる問題であります。とりわけ、基地というのが地域住民の社会の中で機能している現実がありますので、合意議事録の中身次第では県民の生活に大きな影響を及ぼすというふうに考えております。  そういう意味では、情報公開の流れの一環として、日米合同委員会における合意議事録もぜひ公表していただきたい、このように考えております。
  164. 有働正治

    ○有働正治君 続きまして、日米安保共同宣言そのものについてお尋ねしますけれども、マスコミも極めて重大であることを指摘しながら、内容上、安保変質、質的転換、安保広域化、実質的な改定、軍事協力拡大の危険など、その内容が実質的に危険な方向での改悪であるということまで論評されています。この日米安保共同宣言についての評価をどう見ておられるのか。  あわせまして、クリントン大統領は国会の演説で、この日米軍事同盟、日米安保条約を軸とする日米関係を今後五十年間続けるという意向を表明されたわけであります。となりますと、安保の固定化、基地の固定化、それも五十年もと、こういうことの代弁的な意思表示でもあるということが指摘されているわけであります。この五十年もの一方的な存続発言、これをどう受けとめられるのか、あわせお答えいただければと思います。
  165. 新垣勉

    公述人(新垣勉君) お答えをいたします。  日米共同宣言の評価についてはいろいろな評価があろうかと思いますけれども、沖縄の米軍基地の実態からいたしますと、皆さんも御承知のように、ベトナム戦争それから湾岸戦争のときに直接沖縄の米軍基地から兵隊が派遣をされた経緯があります。  私どもは、これは安保条約の定める極東条項の目的を逸脱した基地の使用だというふうに現地では考えておりますけれども、今回の日米共同宣言というのは、従来、安保条約の目的の範囲を逸脱して活動していた米軍の活動実態を公式に日米両政府が確認をして、さらにその範囲を広げようとしているのではないのか、そういう強い懸念を持って受けとめております。さらにまた、今後五十年間、長期間にわたって基地が固定化されることについても強い懸念を抱いております。  私どもは、過去五十年間、米軍基地を沖縄の狭い地域の中で負担をし続けてきました。これをさらにあと五十年間、沖縄で我慢をせよというのは到底県民感情として受け入れられない問題だということをぜひ御理解いただきたいと思います。
  166. 有働正治

    ○有働正治君 どうもありがとうございました。  終わります。
  167. 小島慶三

    ○小島慶三君 私は、沖縄というものに一つの夢を持っておりました。それを含めてひとつお伺いしたいと思うんです。  沖縄は、今基地の問題ということで塗りつぶされておりますけれども、基地というものを超えるポテンシャルが沖縄にはあるということなんですね。まず一つは、やっぱり沖縄というのは西太平洋の中心である。いずれ、香港が中国に返還された後は、沖縄が第二の香港になってちっともおかしくないというふうに思います。太平洋のクロスロードでもありますし、沖縄にそういうことを求めてもおかしくはないというふうに私は思っています。それで、かつて立地センターにおりますときに、フリー・トレード・ゾーンという発案をしたことがございます。その設計図もかきました。ですから、これが一つ。  それからもう一つは、沖縄は日本では珍しい亜熱帯圏というか、そういうところにある存在でございます。私は沖縄には小島塾というものを持っておりますけれども、ここの連中は何とイスラエルと農業交流の協定を結んで一生懸命仕事をやっております。だから、例えばここに日本には余りない博物館みたいなものをつくられてもいいと私は思っております。世界の博物館というのは、みんなベルリンでもニューヨークでもべらぼうに大きいんですね。日本のは本当に小さい、お飾りみたいな博物館ですけれども、本当はこれは生きたバイオなんですね。生きたバイオのプールなんです。だから、そういうことも沖縄のデザインの中には入れていく必要もあると、私はそういうふうに思っております。  いろいろ考えてみれば、沖縄にはそういうポテンシャルがたくさんある。地下資源としてのガスも大いに豊富です。ですから、そういう点で、きょういただきました資料は沖縄の基地返還後の新しい都市設計みたいなものでございましたけれども、こういうふうな都市設計というものを超えて、もっと大きな沖縄設計というものはできるし必要であるというふうに私は思っています。ここら辺について、先生の御見解を伺いたいと思います。
  168. 新垣勉

    公述人(新垣勉君) 大変ありがとうございます。沖縄の今後あるべき姿については、大田県知事も発表しておりますように、国際的な中で沖縄を位置づけるということで、具体的な行政の取り組みも始まっているように思います。  ただ、何といっても沖縄の特殊性といいますか、地理的、地域的な環境を生かすためには、狭い地域の中にひしめく米軍基地の問題をどうしても避けては通れないという現実があります。そういう上で、米軍基地返還後の沖縄のあり方として、委員の御意見をぜひ参考にさせていただきたいと、このように思います。
  169. 小島慶三

    ○小島慶三君 ありがとうございました。  終わります。
  170. 山田俊昭

    山田俊昭君 福井先生に教えていただきたいんです。  不勉強でちょっとわからないところもあるんですが、きょう、この「規制緩和等について」というレジュメをいただきまして、その二番目に定期借家権の創設というところでいろいろと御説明をいただいたわけです。この定期借家権の創設によって家賃は下がるし、借家戸数もふえるし、景気の刺激にもなるしと。この規制緩和によって非常にいいことがたくさんあるというふうなお話だと伺ったわけです。  要するに、この借地借家法のガンと申しましょうか、最も問題となるのが賃料の改定と正当事由の存在だと、だからそれを外せばほとんど借地借家法の問題はある程度は解決できるんじゃないかというふうに考えていいものかどうか、お尋ねをいたします。
  171. 福井秀夫

    公述人(福井秀夫君) 借地借家法の体系固有の問題としては今御指摘のとおりだと思いますが、ただここで重要なことは、先ほど来私も強調しておりますが、やはり弱者の問題であります。  契約を自由化するということは基本的に弱者と強者を生みますし、また契約当事者の一方が、例えば貸し手が非常にその地域で貸し家を独占していて不利な条件を押しつけるというような可能性がないわけではありません。  そういった意味で、契約当事者の対等性を確保するための独占禁止的施策でありますとか、そういった対等性が確保されてもなお生じ得る社会的な弱者、脱落者に対しての公的な手厚い支援、こういったものが、借地借家法固有の体系ではありませんが、別途、社会福祉施策あるいは住宅施策等として用意されていることがやはり必要不可欠ではないかというふうに考えております。
  172. 山田俊昭

    山田俊昭君 戦後、借地借家における弱者というのは借り手を指していたように思うんです。現在、貸し主の方もむしろ弱者じゃないかと言われている世相なんですが、先生自身、借り手と貸し手とどちらを弱者と見受けられているか、お尋ねをいたします。
  173. 福井秀夫

    公述人(福井秀夫君) おっしゃるとおりでございまして、正当事由制度ができたころには借り手はずべからく弱者であるという前提が立法府の判断の前提であったと理解しております。  しかしながら、御指摘のように、現在は貸し手が非常に零細な生業であるにもかかわらず、借り手との関係で相対的に弱い立場に置かれているというようなことも今の借地借家法は一律に強制する結果となっております。  そういった意味で、弱者か強者かということを個別の事情に応じて判断するというような枠組みが必要であり、今の一律の借り手保護を図っている借地借家法は、従来はともかくとして、現在は事情にそぐわない、こういうふうに考えております。
  174. 山田俊昭

    山田俊昭君 どうもありがとうございました。  終わります。
  175. 井上裕

    委員長井上裕君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼申し上げます。  本日は、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)  明日、五月一日午前十時に委員会を開会することとし、これをもって公聴会を散会いたします。    午後五時九分散会