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証人(
原秀三君) 御配慮ありがとうございました。できるだけ頑張れるまでは立って答弁させていただきます。もし疲れましたら
着席させていただきますので、よろしくお願いいたします。
ただいまの御
尋問に対しまして
お答えを申し上げます。
昭和五十六年から
平成三年までの当社が抱えることになりました
不良債権の
実態、その
理由についてでございますが、
時系列をもって御説明申し上げますと、私は
昭和五十六年の十二月から
平成三年の三月まで
株式会社住宅総合センター、現
在住総と社名が変更されておりますが、その
社長を相務めてまいりました。その後、
三菱信託銀行から来られました
新谷氏に
社長を交代いたしまして、
会長を四年務めまして、
平成三年に
会長を
辞任しております。
私が
社長在任中について、このときは
最高責任者でございましたので、振り返って申しますと、
昭和五十六年から六十年ぐらい、最初の四年間は私
どもの
仕事は克明に
住宅金融をこなしてまいりました。
住宅金融というものの
比率が恐らく九五%ぐらいこなしていたと思います。この
比率は同業の中でも大変高い
比率でございまして、それだけに
昭和五十七、八年からの、それだけが
理由ではございませんけれ
ども、一部の
銀行等によります借りかえ
攻勢等のインパクトも大変強いものがあったのでございます。
住宅金融というものはそもそも
延滞率の低いものであるという常識を破りまして、私
どもが契約いたしました、
契約期間十年といたしますと、当初の二、三年が非常に大事なんでございます。きちんと
ローンを払っていただく
お客様か、あるいは少し
延滞のある
お客様かという見きわめが大切な、その二、三年たったいい
お客様をターゲットとして、借りかえ
攻勢が一部の
銀行等によって行われました。その結果、残った
お客様の
延滞も大変高くなりまして、
昭和五十九年には
延滞率一〇%という大変高い
比率に相なったのでございます。
したがいまして、当初の
融資残高、私が
年頭の
あいさつで
職員にいたしました
メモを記憶しておりますが、
昭和五十九年の
年頭の
あいさつで、
融資残高六千四百億、そのうち六千二百億が
住宅関連、純粋な
個人のほかに
住宅関連を含めてでございます。二百はその他だという訓示をいたしました。その結果、
昭和五十九年の三月期の
決算は大変苦しかったのを覚えております。
内部留保を薄くいたしましてどうにか
収益決算にいたしましたけれ
ども、そのままでいけば当然
赤字決算にならざるを得ない。
職員を預かる身といたしまして、やはりその他
ローンというものに走らざるを得なかったのでございます。これは
昭和六十年以降でございます。
そのときたまたま、これはいろいろ今から思うと
反省点はございますけれ
ども、
子会社でございます
住総エステートサービスを通じての
不動産担保ローンがかなり活況になりました。当時の、今申し上げました
融資残高六千四百億でございますが、私が
新谷社長に
社長を譲りますまでに千八百億円
融資残高が増加いたしまして、八千二百億円で
社長を譲っております。この千八百億円の中は、かなり、この過半数はやはり
住宅以外の
ローンだったと思います。
したがいまして、今から振り返りますと、そのときの
不良債権、
住宅が六千四百億のうちの一割、六百億でございますから、それに千八百億のうちの恐らく千億あるいはそれをちょっと超えていたかもしれません、それだけが私の
社長在任中に発生させた
不良債権として残っておりますことは大変残念で、申しわけなく思っております。
昭和六十二年六月から、これは私
自身の所信でございましたが、もし住専が今後
経営多角化の道を選ぶのならば、
住宅金融専門会社の
社長として
信託銀行から御負託を受けた私の
仕事は少しそれてきてしまうと。しかも、私はそのような趣旨で
社長をお受けしたわけでございませんし、正直申し上げまして、そのようなことに、
審査についても自信がございません。こういったことを
母体行にお願いいたしまして、
母体行の
専門家でございます、
三菱信託銀行の専務をお務めになりました
新谷さんに
社長をバトンタッチしたのでございます。
これは決して
責任逃れで申し上げるわけでございませんが、
新谷さんに
社長をお譲りした後は、できるだけエキスパートの方に
存分腕を振るっていただきたい、そういう考え方から、私は
会社経営の実務のラインから外していただくことをお願いいたしました。
社内規程を整備いたしまして、
社長は
会社のCEOと申しますか、
会社の
業務執行の
最高責任者、
会長は
会社の
業務について
意見を申し述べることができる、そういういわば
アドバイザー役の
会長としてとどまることを許していただいたのでございます。
したがいまして、その後の
債権発生について私は個々に申し上げるのは
立場ではございませんが、マクロとして申し上げますと、その後、八千二百億の
融資残高が、私が
会長を退きます
平成三年までの間に一兆一千億ほどふえまして一兆九千億に相なっております。恐らくその
内容は、その増加した
内容は、大
部分というかほとんどがいわゆる
事業者向けの
不動産担保ローンであったと思います。そして、その中の大
部分が残念ながら
不良債権として残るということに相なったのではないか、こう私は推定しております。
ただ、これは、
新谷さんという方は
大変実行力のある、
指導力のある立派な方でございまして、私が見ております限り、
審査をずさんにされたとか、そういったことは私はなかったと思っております。
ただ、全体にその
理由について考えますと、私の
在任中を含めまして、よく
土地の乱高下ということを言われますけれ
ども、それとほかに私は二つの
理由をやはり
反省事項として掲げたいと思います。
一つは、私が
住宅ローンで大変苦労したという
経緯から見まして、
住宅ローンを借りてくださる
お客様の
ローンに対する
倫理観と、それからその他の
お客様の、これは
倫理観と申すと失礼かもしれませんが、返済しようとする意欲、広い
意味の
倫理観、その差がありますことを
住宅ローンの
お客様と同じような手法、姿勢でもって
融資を実行した、そのことは私を含めて反省しております。
住宅ローンの
お客様というのは非常に律儀でございまして、ある
意味では頭が下がるほどまじめでいらっしゃいました。例えば、
固定ローンで貸しまして、金利を八%ぐらいで借りていただいて、六%ぐらいに下がっても黙って納めてくださる
お客様、気がつけばこれはもとに戻しましたけれ
ども、そういう
お客様が随分多い。そういった
お客様の律儀さというものに少し甘えてしまったのではないか、そういう感じを私の
社長在任中を振り返って持っております。
もう
一つの
反省点は、私の
在任中も、これは
新谷さんのときも同様だと思いますけれ
ども、
審査体制はそれなりに整えておりました。そして、
融資審議会自体が大変激しい議論をして
融資を決定していたのは事実でございます。ただ、その背景にございます
経済の見通し、
土地というものの、
右肩上がりに上がってまいります地価というものに対する過信、そういったようなものはやはり私も持っておりました。それから、恐らく私に続いた
経営陣もいたのではないかと思います。
その点につきまして、やはり私企業でございますので、
土地はあるときは上がるし、あるときは下がるかもしれぬと、そういうような
一つのインディケーションを頭の中に置くことを忘れていたと、その点が私の
反省事項の第二でございます。
以上が第一の御
尋問に対する私の
お答えでございます。
第二の、
母体行は
人事等にどう介入していたかという御
尋問だと存じますが、
信託銀行は七社ございます。ちょっと
住総は
特殊性がございますのは、七社にそれぞれ業容の相違はございますけれ
ども、七社が同じ
イコールフッティングで
一つの小
会社を、
子会社というのはあれかもしれません、
一つの
子会社をつくろうということで、すべてが同じ
条件で
センターが設立されていたのでございます。
私が着任をして驚きましたのは、まだ
住総採用の
プロパーの
諸君というのは
課長代理まで育っておりませんでした。したがいまして、
課長、部長、これは全部が
母体行から出向しまして、二、三年して
母体行に帰行していくと。せっかくなれて、君、よくなれたねと言いますと、いや、来月帰りますということで、
大変まとまりが悪いというか、優秀な
諸君が来てくれていたのは事実でございますけれ
ども、
企業体としてなかなかまとまりがっかなかったわけでございます。
言いわけを申すわけではございませんが、私は天下りという評を受けておりますが、どうしてもそのような場合には、だれか、私でなくてもだれか
第三者の、
銀行に属さない者が、
第三者でない、
第三者に属さない者が
会社の
まとめ役をやっていくことは必要であったかと存じております。
そういう
意味で、実際の
仕事に
母体行があれをしろという関与をされたことはございません。ないと思っております。しかし、そのような
人事その他の点では深い
関係があったということは、これは事実でございます。
それから
紹介融資でございますが、これは私、
社長在任中はほとんどございませんでした、
住宅でございますし。その他
ローンを始めてから恐らく一〇%か少し超えたところであったと思います。もう少しいい
案件を紹介してくださいということを私は各
母体社長にお願いした
経緯がございます。その後、
新谷社長が来られましてから、随分
紹介融資がふえたようでございます。私も、さすがにもちはもち屋で、
母体行からお見えになると
紹介融資もらえてよかったねということをしょっちゅう私、他に申し上げておりました。したがって、その
紹介融資の
中身がどういう
経緯であって、またどういうように評価したかという
中身については私
自身よく存じませんので、この場で
お答えすることはできません。
以上でございます。