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吉村剛太郎君 おはようございます。
総理を初め各
大臣、連日お疲れさまでございます。
当面しております課題は山積しておりますが、そういう中にありまして、沖縄の基地問題を初め
一つ一つ橋本総理のもとに閣僚の
皆様方一体となって前向きに解決に向かって
努力をされておりますことに心から敬意を表したい、このように思う次第でございます。
本日、私は、
TBSを含みます
報道の問題、それと
住専、特に
母体行、ノンバンクなどについて限られた時間の範囲内で御
質問をさせていただきたい、このように思う次第でございます。
実は、四月二日の
参議院逓信委員会におきまして、私は
逓信委員でございますが、
TBSの
磯崎社長ほか二名の取締役の
方々を
参考人としてお呼びしていろいろと
質疑をした次第でございます。
その中で、私は、
オウム事件といいますもの、まさに
前代未聞の
事件であったわけでございますが、その
一連の
事件の原点と言っても差し支えない
坂本弁護士一家殺害事件、この
事件を誘発したのではないかと思われます
TBSの
坂本弁護士の
インタビューテープを
オウム側に見せたというようなことに絡みます
報道機関としてこれまた
前代未聞のこの
対応の仕方について
質問をした次第でございます。
そういう中で、何といいましても、健全な
民主主義の
発達のためには健全な
報道、
放送といいますものの存在は欠かせない
一つの要因である。
TBSとしては、このような事態を招いたことについては大いに
反省をしてもらわなければならない。しかしながら、それはやはり
放送という
立場から、他からの圧力その他によって強いられるのではなく、みずから
自律作用、
自浄作用をもって
反省してもらわなければならないというような
趣旨のことを申し上げ、その
一つのあらわれとして、一時期
放送を停止するぐらいの厳しい
反省の態度を持ってこれに当たることも
一つの方法ではないかと。それによって
放送といいますものがいかに厳しいものか、末端までその
緊張感が波及して正しい
放送がここで導かれる、それによって健全な
民主主義が育つというようなことを申し上げた次第でございます。
ある
意味では、
放送事業者にとっては大変厳しい
意見を申し上げたわけでございますが、これは
NHKで生
中継をされました。それに対する
反応といいますか、
反響といいますのは大変大きゅうございまして、私のところにも随分と電話がございました。はっきり申しますと、九割方が、そうだ、そのぐらい厳しい
対応が必要だ、レストランでも食中毒を発生させれば何日間か営業を停止するではないか、そういう
意見でございました。しかし、一割ぐらいはちょっと言い過ぎではないかというようなことの
意見もあったわけでございます。
それはそれとして、
意見でございますから私も謙虚に耳を傾けたし、そういう
賛成論反対論が出てくるのがまた
民主主義のいいところだと、このように思ったわけでございます。幸い
磯崎社長も、重く受けとめますということでございました。
ただ、私はその
質問をするに当たりまして、ささやかな
実験も実は試みておったわけでございます。当然
NHKで生
中継ございましたが、
民放ではございませんでした。したがいまして、
民放ではこれを夕方もしくは夜の
ダイジェスト版、
特報版で恐らく取り上げるだろう、どのような取り上げ方をするかなと、このようなささやかな
実験の心もあったわけでございます。
実は、私もほぼ全部検証してみましたところが、
放送停止ということについては、その後の夕方及び夜の
特番では全く取り入れておりませんでした。
放送停止ということは大変厳しい
意見でございますから一番嫌なことを言ったのかなと。しかし、そろいもそろって各
報道機関、
放送事業者が全くこの
意見を顧みなかったということは、ある
意味では一抹の恐ろしさを実は
感じたわけでございます。
また、次の日といいますか、四月三日の
新聞でございますが、これも私は検証してみました。これもほとんどといいますか、九九%この問題は取り上げていない。同業者かなと、このように思った次第でございます。
当日、私
ども逓信委員会で八人の
発言者がございました。八人のそれぞれの
名前と
発言の要旨が
新聞に書かれたわけでございますが、中には私の
名前だけが載っていない
新聞がございました。だから、その
新聞しか見ない人は、
逓信委員会で私が
発言したことすら全く知らないわけですね。
NHKを見た方は私のこの
質問を聞いて、それに対する
反応が非常にあった。しかし、
NHKを見ないで夜の
民放の
特番だけ見た人は、そのような
発言があったことすら知らないわけなんです。これは私は非常に怖いことだなという
感じが実はした次第でございます。
すなわち、
ニュースがある、また
意見がある。しかし、その
ニュースが、その
意見が
放送を含む
報道に気に食わないことであれば抹殺してしまう。
国民に伝えないということですね。これは大変恐ろしいことだなと、私はこのように
感じたわけでございます。
放送法では
不偏不党とかそういうことが述べてございます。しかしながら、偏向した
報道、偏向したコメントであれば我々はそれに反論することができますし、また
意見を挟むことができますが、全く
報道されない、知らされないということについて、これは大変なことだなと。
かつて、
戦前我が国は
大変言論の規制がございました。また戦時中、
戦況については
大本営発表だけでございました。不利な
戦況といいますのは全く伝えられなかった。そして、伝えられない中で原爆を落とされ、
日本は敗戦した。そういう知らされないということ、知らせないということの恐ろしさ、罪深さといいますものを実は私は
自分のささやかなこの
実験の中で発見をしたわけでございます。
また、その
新聞、これは私が毎日読んでいる
新聞でございますが、八人
質問して私の
名前だけが載っていないんですね。ということは、私が
質問したことはだれもわからないんだから。きょうは
報道の方もたくさんいらっしゃると思います。これは
報道の方も大変重要なことでございますから、ぜひ
自分のところの
新聞なりビデオを見て検証していただきたいと思いますが、そういう事実が実はございました。
不偏不党とか偏向しないというのは当然でございます。こういう、
報道しない、
ニュースを
国民に伝えない、そして
生放送ではございませんから
編集いたします、
編集は
放送事業者なり
報道者の恣意によって
ニュースの
重要性が判断されるわけでございまして、まさに我々はそういう
報道の懇意によってしか
ニュースを得られないという
立場、これは大変恐ろしいことだなと、このように
感じた次第でございます。
そういう面で、ちょっと長々としゃべりましたけれども、
総理に
放送を含めて
報道のあるべき姿といいますものをお
考えがあればお聞きしたい、このように思います。