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参考人(大槻章雄君) 私が総合住金の前身の相銀
住宅ローンに入社いたしましたのは六十年でございまして、最初は副
社長でございました。一期二年務めまして、六十二年の六月に前
社長の中嶋さんからバトンタッチを受けて、今日まで四期八年
社長を務めてきたわけでございます。
この八年間を大別いたしますと、半分が
バブルの時期に当たり、それからあとの半分が
バブルが
崩壊した後の一意専心、管理、回収に邁進する、この時期でございまして、アバウトな言い方をすれば半々の分け目になろうかというふうに思うわけでございます。
その前半の時期は、先ほどからの御質問にもあったところでございますが、
住宅ローンが非常に低迷していきましたといいますか、
銀行などの進出によりまして
住宅ローンというものがなかなかとれなくなり、そして残高も落ちていくというような中でどうやって
住宅ローンの維持を、しかも
銀行との金利競争その他を通じて厳しい
金融環境下での競争があったわけでございますが、その中でどういうふうにして
会社を維持していくかという苦闘をいたした。
世の中の時流としては確かに不動産神話が唱えられ始めた
時代であり、不動産の取引も盛んに行われた
時代でございますが、そういうものに乗りますと、要するに非常に短期間に金を貸して回収するという営業基盤といいますか、
経営基盤というものが不安定な状態になりますので、私といたしましては、いわゆる
住宅ローンのように長期安定的で毎月毎月割賦的に利息が入ってくる、こういうものの維持強化ということに努めていきたいという気持ちでいろいろ督励をしてきたわけでございます。
しかし、残念ながら世の中の全体の動きの中でそれを全うするということは非常に難しかったということで、片や
住宅ローンの基盤に足を踏まえながら、片や時の動きの中で
住宅関連ローン等不動産事業に関連するような
分野にも、やはり
経営を維持していくという立場からいいまして、三百五十人の職員を養っていくと、そういう意味からいきましても、せざるを得なかったわけです。
最大限のそれなりにブレーキをかけてやってきたつもりでございますが、
金融引き締めのもと、
バブルが
崩壊しまして、不良資産の山が築かれ、不動産不況というものが長期化し、そして思いも寄らないと申しますか、予想外の
土地の価格の低下、物件の
下落、こういうようなことから再建という問題に誠心誠意
努力せざるを得ないということになったわけでございまして、第一次再建計画、第二次再建計画ということに取り組んで今日に至ってきたわけでございます。
私も
責任を
感じて、第一次再建計画をつくったときで職を引かせてもらいたいということを
母体行の方にも申し上げたわけでございますけれ
ども、ここで去るのは敵前逃亡であると、
責任としてはやはり計画をつくった以上それを全うしていくというのが男の道であると、こういうことで強く慰留されましたわけでございます。
その後も
辞任したいと申し上げましたけれ
ども、後任者の
関係等なかなかできなくて、全く一意専心、管理、回収を図ってきたわけでございまして、
会社のリストラ等を今日まで一生懸命やって回収を図ってきた、再建に努めてきたが、残念ながら所期の目的を達成するようにはいかなかった、こういうことでございます。