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清水達雄君 いろいろ個別に今まで言ってきたんですけれ
ども、やっぱり政治、行政の問題として最大の
課題は、バブルの発生からその崩壊に至るプロセスを見てみますと、
経済の実態の流れというか動きと政策というものが非常なミスマッチなんですよ、これは。
例えば、不動産融資の総量規制が
平成二年三月に通達が出されましたけれ
ども、東京圏で一番地価が上がったのは昭和六十二年の一年間でございまして、六八・六%という地価上昇がありました。昭和六十二年でございます。六十三年は〇・四%、それから
平成元年は六・六%というふうな
状況なんです。
これは、私も今まで何回かこの質問したんですけれ
ども、総量融資規制をなぜやったのかと聞いたら、大阪やなんかが地価が上がっているからやったんだと、こういう
説明をやっていましたよ、銀行局は。
確かに、大阪はかなりおくれて地価が上がってまいりまして、
平成元年中に五六%上がりました、
平成元年に。ここで終わりでございまして、あとは六・五とかというような程度の上昇にとどまり、その次はもうマイナスに、要するに下落になっております。つまり、
平成元年中に地価高騰は終わっているんです、東京も大阪も。
平成元年中に地価高騰は終わっているんです。
平成二年ぐらいに若干上がって、
平成三年からはもう下落に入っているんです。こういうことを考えますと、
平成二年三月に総量融資規制をやったということは非常なミスマッチなんですよ、これは。
それからさらに、監視区域制度というのがありますけれ
ども、監視区域について、これはもうかなり早い段階からかけました。監視区域の指定はしましたけれ
ども、これの緩和が行われたのが
平成五年の十二月に山梨県、
平成六年の一月に東京都、つまりもう地価が下がり出してから、二、三年たってから監視区域の解除をやっている、緩和とか。解除は
平成六年になってからでございます。
現在もまだ十五都府県で監視区域制度がしかれております。今しかれているのは開発が行われて地価上昇のおそれがあるみたいなところだと思いますけれ
ども、いずれにしてもこういう
状況でございまして、こういう上昇のカーブにややブレーキを踏もうという施策ですから、監視区域というのは。私は立法に関与しましたけれ
ども、大体、地価上昇がとまればすぐ解除すべきものなんです。そういうつもりでつくったんです。ところが、何ぼ下がったって解除をしないんですから、これ。そういう歴史を経ております。
それから、土地税制の改善問題、これは私は当選以来三年間叫び続けてきて、やっと去年の暮れの税制改正で、これは橋本自民党総裁のお力添えもあって、かなり強い力になってやっとこういうふうなことになったような気がするんです。
とにかく、もう現実と政策がミスマッチなんですよ。どうしてこういうことになるのか。一つには
情報の把握が遅いんです。これはもう必ずそういうことが言えます。統計を見てやるようじゃだめなんです。特に、これは
経済企画庁なんかにとって非常に大事なことだと思いますけれ
ども、日銀の政策
委員会なんかもだめなんです、ああいうことは。
現地にいる人がスタッフになって
情報を提供して初めてきちんとした政策、間に合うような政策の
情報が得られるんです。そういう仕組みをどうしてもつくらなきやだめだ。これはもう
日本経済の最大の
課題だと思います。
総理、そういう迅速な
情報把握とスピーディーな政策決定の仕組みというものを何か考えて、そこが青信号から黄色信号から赤信号でも出しながら政策を動かしていくということをどうしても私はやらなきゃならないと思うんですけれ
ども、ぜひこれは御検討いただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。