○田英夫君 私が申し上げたいのは、そのくらいの根本的な発想の転換をしないとこの問題は解決しないんじゃないだろうか、せっかく民訴法を新しくしていただいても実際には改まらないんじゃないかということを心配するわけです。
それで、
裁判官のもう
一つ、資質の問題といいましょうか、供給源にもつながると思いますが、逆さまになるおそれもあるんですが、これは
裁判官の皆さんの批判をするわけではなくて、あるいは国会議員の中にも
裁判官出身の方がおられますからその方を批判するわけじゃないんですけれ
ども、要するに、あの
裁判所という独特の雰囲気と、独特の非常に重要な
役割を果たされるというその中に入られて、一般
社会からはある意味では隔絶をしているのではないか。隔絶をしていなければいけないのではないかと思っている人もいるかもしれません。
そういうことの中で、遠山の金さんのようにとは私は申しませんけれ
ども、やっぱり庶民の中に、市民の中に
裁判官も身を置くぐらいの気持ちで、庶民の生活なり気持ちなり、それからその変化ということを十分知りつつやっていかなくちゃいけないんじゃないか。もちろん法によって裁くわけでありますけれ
ども、必ずしも法がこうだからこうだというだけでは、これはやはりどんなに近代化された現在であってもまずいんじゃないか。やはり人間の問題というのが出てくるんじゃないか。
そこで、イギリスですか、弁護士をやってそうした
社会的な現象なりそれにまつわる
事件を、あるいは問題を体験をした上で
裁判官になっていくという、こういう
制度をとっている国もあるようでありますが、私は、このこともまた
国民、市民の側に立った
司法ということを考えたときに非常に重要な要素ではないだろうか。弁護士出身の国会議員の方はたくさんおられますが、やはり弁護士という仕事を通じて
社会現象を知ると。
私の体験で恐縮ですけれ
ども、新聞記者でさえというか、新聞記者というのは
社会の中にみずから身を置いているはずでありますけれ
ども、新しく新聞記者になってきた人をいきなり政治部とか
経済部とか外信部とかいうところに置きますと、非常に偏ったといいますか、
社会の底辺で何が起こっているかというようなことが余りよくわからないで問題に接してしまうと。そのことのために、将来本当のいい記者ということにならないんで、大体今は大きなマスコミは皆地方の支局というようなところを
経験させますね。それから
社会部を
経験させます。
これは、やはりそうした
社会の一番の第一線のところで体験をする、こういうことを大事にしているわけで、そのことが
裁判官の場合は特に私は非常に大事じゃないだろうかと推察をするんです、なったことがありませんからわかりませんけれ
ども。この点はひとつ、私の意見として
法務省の皆さん、最高裁の皆さん、ぜひ頭のどこかに置いていただければと思います。
あと、この
民事訴訟法というのは、さっきから繰り返して申し上げていますが、
国民、市民の側に立ってということを基本にしていただきたいということを申し上げているわけですが、弱者という言い方は使いたくありませんけれ
ども、わかりやすいので弱者と申し上げますが、やっぱり
社会的な弱者を救う、そういう場ということを非常に重視すべきじゃないかな、こう思っております。
したがって、公害
裁判とか薬害の
裁判とか、さまざまなそうした
社会的な問題が最近は
裁判で注目されるようになっていることは
一つの大きな進歩だと思いますけれ
ども、例えば今度のあれで
簡易裁判所で
少額手続というようなことが出てきている。この問題も運用の仕方いかんでは結果的に、いわゆるサラ金とかあるいはそういう意味の消費者金融と言うといいですけれ
ども、そういうところの取り立てを助ける。お金を借りるというのは庶民の零細な、お金を借りてようやく何とかその場をしのぐという、そういう人がなかなか景気が悪くて払えない、返せない、そうすると片方は取り立てようとする、それを
裁判所に持ち込む、結果は弱者の方の借りた人の方が非常に不利になって、取り立て救援機関みたいな、支援機関みたいな結果になるんじゃないかという意見が庶民の間であります、今度の民訴法で。この点はどういうふうにお感じになりますか。