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1996-03-14 第136回国会 参議院 文教委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年三月十四日(木曜日)    午後一時十分開会     —————————————    委員異動  三月十二日     辞任        補欠選任      釜本 邦茂君     斎藤 文夫君      上山 和人君     久保  亘君  三月十三日     辞任        補欠選任      斎藤 文夫君     釜本 邦茂君      田沢 智治君     依田 智治君      久保  亘君     上山 和人君  三月十四日     辞任        補欠選任      釜本 邦茂君     平田 耕一君      鈴木 和美君     瀬谷 英行君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         小野 清子君     理 事                 木宮 和彦君                 森山 眞弓君     委 員                 井上  裕君                 世耕 政隆君                 馳   浩君                 平田 耕一君                 依田 智治君                 上山 和人君                 瀬谷 英行君                 阿部 幸代君                 堂本 暁子君                 江本 孟紀君    国務大臣        文 部 大 臣  奥田 幹生君    政府委員        文部大臣官房長  佐藤 禎一君        文部省生涯学習        局長       草原 克豪君        文部省初等中等        教育局長     遠山 耕平君        文部省教育助成        局長       小林 敬治君        文部省高等教育        局長       雨宮  忠君        文部省体育局長  佐々木正峰君    事務局側        常任委員会専門        員        青柳  徹君    説明員        国土庁大都市圏        整備局総務課長  有賀 長郎君        厚生省児童家庭        局育成環境課長  河  幹夫君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○教育文化及び学術に関する調査  (高校総合学科に関する件)  (学童保育に関する件)  (学校週五日制に関する件)  (学校図書館に関する件)  (国立大学授業料に関する件)  (不登校問題に関する件)  (大学大都市集中抑制見直しに関する件)  (学校開放に関する件)     —————————————
  2. 小野清子

    委員長小野清子君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  平成会所属委員出席を要請いたしましたが、出席を得ることができませんでしたので、やむを得ず議事を進めます。  まず、委員異動について御報告いたします。  昨日、田沢智治君が委員辞任され、その補欠として依田智治君が選任されました。  また、本日、釜本邦茂君及び鈴木和美君が委員辞任され、その補欠として平田耕一君及び瀬谷英行君が選任されました。     —————————————
  3. 小野清子

    委員長小野清子君) 教育文化及び学術に関する調査を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  4. 馳浩

    馳浩君 自由民主党の馳浩と申します。よろしくお願いいたします。  質疑に先立ちまして奥田文部大臣見解をいただきたいんですけれども、要請にもかかわらず平成会皆さんが出てきておられない、これはひとえに衆議院予算委員会における問題がかかる事態に発展したと判断せざるを得ないと思います。  私もこちらに参りますときに、ある平成会文教委員の方にお会いしましたら、私はきょうは禁足なんですよ、馳さん頑張ってくださいという一言をいただきまして、とんでもないことだと思ったんです。国会というところは、私が言うまでもありませんけれども二院制でありまして、衆議院参議院、特に参議院独自性がうたわれているこの時期に、こういうような委員の欠席という事態があっていいものかどうかという疑問を私は感じます。大臣、個人的な見解でもよろしいですから、それに関しての意見と。  もう一つは、先週でしょうか、テレビ朝日の記者に対するあのピケを張っておる議員たちの言動、パフォーマンス発言に対するその反応ですけれども、ああいう事態がマスコミを通じて広く一般国民に報道されるということは、尊敬されるべき存在である国会議員でもああいうことをしているじゃないか、ならば、子供たちがあれをまねて、ちょっとした発言があったときに脅迫、恫喝に近いような立場で臨む、まさしくこれはいじめを発生させる根源であると私は疑ってやみませんが、文教行政をつかさどるリーダーである文部大臣として、ああいう事態に対してどういう御見解を持っておられるか、率直にお伺いしたいと思います。
  5. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 衆議院で第一委員室が新進党の先生方によってピケを張られて出入りが不能になりましてもう相当の日時がたちます。しかし、いまだに膠着状態で打開できないことを非常に残念に思います。加えて、お話しのとおり文部行政を担当する者といたしましては、やはり児童生徒に与える影響というのも非常に私はマイナス面が大きいと、その面からも残念至極に思っております。  選ばれて国会に出てきました以上は、これは議会制民主主義のもとで政策を前面に出して、国民のためになる、それを前提とした討論を徹底的に行って、そうして多数決で決をとるというのが、これがもう基本原則でございます。体を張って委員会を開かせないということは、これはもうまさに議会制民主主義を否定するものではないかと非常に私どもは危惧しております。  衆議院議長が早く解決の端緒を見出して、それによって粛々と審議が行われますことを私どもは強く望んでおるところでございます。
  6. 馳浩

    馳浩君 先ほど参議院の本会議場におきまして、ブラジルのフェルナンド大統領からこういうお言葉を我々はいただきまして、私も胸がふさがる思いがいたしました。「国会討論を行い、質疑応答し、国益を確認し、真実と総意を求める権威ある場であります。」ということでございますので、私たちは一人一人がこれを肝に銘じて議員活動にいそしまなければならないのではないかということを、今はいない平成会皆さんに申し上げたいと思います。  さて、私のきょうの質問は、高等学校教育における総合学科の問題を取り上げさせていただきます。  高校におきまして、総合学科というものは平成六年度から実施されました。学校数としましては、平成六年度が七校、七年度が十六校、そして平成八年度においては二十二校予定されております。  そもそもこの総合学科とは何なのでしょうか。八〇年代に設置をされた総合選択制高校との異同もあわせて御説明をお願いいたします。
  7. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) お答えいたします。  総合学科でございますが、高等学校設置基準では、「普通教育及び専門教育選択履修を旨として総合的に施す学科」と、こういうぐあいに定義されておりますが、普通科、それから専門学科に並ぶ学科に位置づけられているわけでございます。  総合学科総合選択制高校との違いでございますが、総合学科は、今申し上げましたように高校設置基準上の学科一つに位置づけられております。それから二番目には、生徒が基本的には自分履修する科目を選択すると、こういう制度になっております。それから三番目には、「産業社会人間」などの総合学科独特の原則履修科目開設しております。それから四番目には、専門科目を三十単位以上開設するというのが特色でございます。  これに対しまして総合選択制高校でございますが、これは普通科あるいは専門学科として設置をされております。それから、生徒科目を選択するのではなくて、科目のまとまりであります系とか学系とかあるいは小学科を選択すると、このような形になっているところが違うわけでございます。それからまた総合選択制独自の科目、そういうものを特徴的に必修とするというものはございませんので、そこがまた総合学科総合選択制高校との違いでございます。
  8. 馳浩

    馳浩君 今の説明なんですけれども普通科専門学科総合学科を横並びにおっしゃいましたので、ならば、この所管というのは高等学校課というところですればよいのではないかと私は思いますが、職業教育課所管ということになっておりますね、文部省では。この理由を教えてください。
  9. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 高等学校課所管してもいいわけでございますが、総合学科特色としまして専門科目を三十単位以上開設すると、こういうことが総合学科特色になっておりますので、専門学科についてよく熟知しているのが職業教育課でございますので、したがって職業教育課所管をしていると、こういうことでございます。
  10. 馳浩

    馳浩君 この点についてはまた後ほど質問させていただきます。  さて、その総合学科の設立の背景とねらいというのは、そして、今ほどもちょっと説明がありましたけれども総合学科特色というのは何でございましょうか。
  11. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 総合学科背景、それから特色でございますが、現在、高等学校への進学率が九六・七%ということで大多数の生徒高等学校進学していると、こういう実態にあるわけでございます。その際、九七%もの生徒進学をするということになりますと、小中学校と違いまして高校段階になりますと、生徒能力適性興味関心、こういうものが小中学校の時代と比べて非常に差が大きくなるといいますか幅が広くなるといいますか、非常に多様化をしてきているわけでございます。  それに対して、今までは普通科とそれから専門学科とこの二つタイプ高等学校しかなかったわけでございますが、そういう生徒能力なり適性なり興味関心多様化をしている実態高等学校も合わせていく必要があるということで高等学校多様化を推進してきたわけでございますが、現在の普通科とそれから専門学科という二つタイプでは対応し切れないのではないかということで中教審から答申もございましたし、そういうことで普通科専門学科の両者をあわせた教育内容を持つ総合学科平成六年度に設置することにしたものでございます。  そして、総合学科特色としましては、まず第一に普通科目専門科目にわたる数多くの選択科目を設けまして、その中から生徒能力適性興味関心、それから進路に基づいて生徒自分履修する科目を選択していくと、こういうことでございます。  すなわち、今までどちらかというと普通高校なりあるいは専門高校におきましても必修科目とそれから学校で設定したカリキュラムに従って生徒履修をしていくと、こういうような形が多かったわけでございますが、総合学科では生徒自分能力なりあるいは興味なり関心なりを考えながら、また、自分が将来どういう方向へ進むかということを考えながら自分履修する科目を選択すると、こういうところに一番大きな特色があるものでございます。  したがって、生徒自分の将来を考えるときに、「産業社会人間」という独特の、これは複合科目というようなものでございますが、それを開設しまして、先生ガイダンスを受けながら自分の将来を考えていくと、こういうところに大きな特色があろうかと思います。
  12. 馳浩

    馳浩君 平成六年度から導入をされたということで、初年度からの高校生は今二年生ですよね。断定的で確定的な評価というのはまだかもしれませんけれども、現段階におけるこの総合学科に学ぶ高校生に対する評価というものを文部省の側ではどうとらえておられるか、教えてください。
  13. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) この総合学科平成六年度から設置されたものでございまして、現在全国で二十三校設置されております。入学生が六年度に入ったものですから、現在はまだ二年生までしかおりませんので卒業生を出しておりません。  そういう点で、評価というのもなかなか難しい一面があろうかと思いますけれども、先ほど申し上げました多くの開設科目の中から生徒自分で勉強したい科目を主体的に選択して履修すると、こういう形になっております。それからまた、「産業社会人間」といった科目におきまして進路に関するガイダンスども行われておることから、生徒自分興味関心に基づいて、また、自分の将来の進路に向かって生き生きとした学習活動を行っていると、こういうような報告がなされているところでございます。
  14. 馳浩

    馳浩君 ある新聞記事で調べたんですけれども、例えば県立和歌山高校におきまして、この三年生はまだ普通科アンド情報科学科なんですけれども、一、二年生が総合学科と。中退者の数が三年生におきましては二百六十人中五十名なんですよ。これが総合学科になってから、二年生においては二百人中一けたの中退者だけである。  ということは、以前の普通科情報科学科のときには非常に中退者が多かった。それは個々のいろいろ理由があるでしょうけれども、二百六十人中五十名もいた。五人に一人ですよね。ところが、総合学科にしたときには一けたに減っているということは、先ほどから遠山さんが言われるように、子供たちが自主的に学校活動に取り組んでいる、授業に取り組んでいるということのあらわれだと思いますので、そういう意味での評価は、文部省の側からもそうでしょうけれども保護者皆さんからも、先生方からの評価も高いのではないかなと、まずこの一つ数字を見てもわかるのではないかと私は思います。  あるいは、同じくこの和歌山高校におきましては、以前は定員割れをしておったわけですよね。わかりやすく言うと、あの高校には余り行きたくないと。ところが、総合学科にいたしましたら、それは先生方の努力もあったでしょうけれども定員から約二倍近い受験希望者があったという数字が上がっております。これを見ただけでも、総合学科設置をした意義がまず効果として出てきておるのではないかということを申し上げます。  では、文部省としてはこの総合学科というのを将来的にどう考えているのでしょうか。高校の新しいタイプというのを一つふやしただけなのか、それとも二十一世紀の高校が目指すべきモデルとしてとらえておられるのか、その点をお伺い申し上げます。
  15. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 総合学科平成六年度から設置されたわけでございますが、現在二十三校が設置されておりまして、平成八年度にはさらに二十二校が設置される予定でございまして、来年度には合計四十五校になる予定でございます。そして、平成九年度以降もかなり多くの県で設置を検討しておりまして、開設校がさらに多くなるのではないかというぐあいに見込んでいるわけでございます。  それで、将来のことでございますが、先ほど申し上げましたように、高等学校への進学率が九七%という状況になりますと、生徒能力なり適性なり興味関心が非常に多様化してくるわけでございまして、それに対応するように高等学校自体多様化し、いろんなタイプ高等学校をつくっていく必要があるということで、これまで文部省では都道府県教育委員会の方に指導してきたわけでございまして、その大きな塊として総合学科平成六年度に新たに誕生したと、こういうことでございます。  したがいまして、総合学科がこれからの高校教育において大きな存在と申しますか、大きな役割を果たすということを文部省としては期待しているものでございまして、さらに各都道府県に対して積極的に設置を促すように指導していきたいと思います。
  16. 馳浩

    馳浩君 「文部時報」という雑誌がありまして、平成七年六月号、この十三ページに前の職業教育課長の木曽氏の発言として、全国高校五千五百校中、千から二千校にふやしていきたいという非常に力強いお言葉を述べておられます。数字を述べられるのはいいんですけれども、その背景というか根拠というのが必要でしょうし、この発言に対しましてどのようにお考えですか、そのとおりですか。
  17. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 雑誌座談会でそういう発言があったというのは承知をしております。  ただ、そういう総合学科都道府県設置をするわけでございまして、文部省としては総合学科設置された場合にいろんな財政的な支援等を行うと、こういうものでございまして、実際に総合学科高校がどれくらい伸びていくかというのは現段階では予測がなかなか難しいところでございます。現在ある普通高校あるいは専門高校というのは、それぞれ目的がありまして、設置意義があるわけでございますので、そういう普通高校なり専門高校生徒の多様な実態にどういうぐあいに対応していけるのかということも関係をしてくるのではないかというぐあいに思っております。
  18. 馳浩

    馳浩君 そういう答弁ではちょっと無責任だと思うんですね。職業教育課長が千校から二千校と  いうはっきりした数字を言っておるわけですから、文部省側としてもそれだけのつくる体制がありますよというふうに雑誌を読んだ人は考えて当然だと思うんですよ。それを今のような答弁では私はちょっと、勝手な雑誌の対談の発言ですからというふうに突き放しているように思います。   それで、ちょっと理解できないんですけれども、先ほどの一番最初にした質問でもそうですが、なぜ文部省において高等学校課じゃなくて職業教育課なのか。私は裏読みするわけじゃないですけれども、特に過疎化の進んでいる地域学校におきまして、生徒中退率であるとかあるいは入学希望者定員割れとか、そういう問題があるので、それを打開する道として総合学科設置していこうという、そういうような考え文部省の側にあるのではないか。このままほうっておいては職業教育課が衰退していってしまうから、ここを文部省としても拡充するためにも、組織を維持するためにも総合学科を十分充実させなきゃいけない、そのためにここを総合学科所管にしてしまえというふうな考えがあるのではないか。これは私のねじ曲がった根性で読んでいるのかもしれませんが、そういう意図があるのではないかという疑念がありますけれども、どうでしょうか、お答えをお願いします。
  19. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 私どもとしては、底辺校でございますとか過疎地域高等学校定員割れをしている学校とか、そういうような決めつけはできるだけしたくないわけでございまして、なるべく高等学校については、単眼的な評価ではなくて多元的な評価、一直線に縦に並ぶ序列的な評価ではなくて横断的な、横並び的ないわゆる特色を持つ、そういう評価をしたいと思っております。  また、なぜ職業教育課所管をしているかということでございますが、これは先ほど申し上げましたように、総合学科高校におきましては専門科目に関する単位を三十単位以上開設すると、こういうことでございますので、それについて一番熟知をしているのが職業教育課でございますのでそちらで所管をすると、こういうことでございます。
  20. 馳浩

    馳浩君 それでは、私は基本的な質問をさせていただきます。  選択科目がふえると、生徒にとっては大変選択肢がふえるわけですから、そしてその先の職業選択選択肢もふえるわけですからすばらしいと思うんですけれども教員としては、今までの国語や数学、社会、英語といった科目、さらにその専門性を求められるわけでございますよね。あるいは学校においては学校外にその教員を求めなければいけない事態も出てくると思います。そういう意味で、非常に負担が多くなってくるのではないかなと心配いたします。それに対してはどう対処されるでしょうか。
  21. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 総合学科におきましては、普通科目だけではなくて、専門科目を含めて多様な教科科目開設されるわけでございます。  それと同時に、先ほど申し上げました複合科目的な「産業社会人間」という科目設置する、それから「課題研究」などの新しい科目開設されているわけでございまして、こういう科目ですと非常に中身が多様でございますので、一人の先生が全部教えるということも難しい面がございますし、また、その専門先生というものもございませんので、複数の先生が協力して教えていただくということになろうかと思います。  例えば「産業社会人間」ですと、中身としまして職業と生活ですとか、産業の発展と社会の変化でございますとか、あるいは進路自己実現と、このような中身が含まれておりますので、それぞれの内容について専門といいますか教えることができる先生に教えていただくと、こういうことになろうかと思います。それ以外の普通科目あるいは専門科目については、それぞれ専門先生が配置されておりますので、専門先生に教えていただく。ただ、特別な、非常に専門的な科目というものが設置されている場合には、外部の方に非常勤講師として教えていただくということもあろうかと思います。
  22. 馳浩

    馳浩君 ということで、普通科もそうでしょうし専門学科がある学校でもそうでしょうけれども教員の充実というのは当然のことでございますので、総合学科におきましても多様な科目対応できるような教員の加配というものをぜひお願いしたいと思います。これはある意味では優先的にお願いしたいと思うんですが、何か答弁があればお願いします。
  23. 小林敬治

    政府委員小林敬治君) お話にございましたように、総合学科の場合には多数の教科科目開設されることが予定されております上に、農業、工業等専門教科科目も一定数以上開設する必要があるわけでございますので、一般普通科高校よりも多数の教職員が必要となることが明らかでございます。そのために、平成六年度の制度ができましたときから暫定的な定数配置を行ってまいりました。  平成八年度におきましては、六年度に発足した総合学科完成年度を迎えることとか、各都道府県で半数以上において総合学科開設する状況が見られますので、高校標準法施行令を改正して総合学科教職員定数措置制度化を図ることといたしまして、現在、関係省庁と協議をしている段階でございます。  その教職員配置考え方の基本的なところを申し上げますと、今申し上げましたように多数の教科科目開設する必要があること等から、一般普通科高校に比べまして多数の科目開設が可能となるような所要の定数措置考えております。それからまた、実習助手定数につきましても、実験実習等が円滑に行えるように専門教科科目開設単位数に応じた定数措置を行いますほか、農場や機械実習施設等の保有の状況等に応じた定数措置を行ってまいりたいと、こんなふうに考えている次第でございます。
  24. 馳浩

    馳浩君 ぜひよろしくお願いいたします。  それと同時に、生徒に対しても、総合学科に行ったはいいけれども就職進学のときに十分な学校側対応ができなかったと。つまり、わかりやすく言うと、国立、公立、私立大学でも総合学科を出た生徒に対して推薦の枠を設けるなり、特定枠というんですか、その生徒のための入試のあり方というものを設定するなり、そういうことが必要だと思うんですよ。  学校は行ったけれども、その後の就職進学に対して面倒を見てくれなかったというのでは、これは総合学科の趣旨と全く反しますので、そういう意味では文部省から国公私立大学に対して、あるいは地域企業に対して、こういう学校をやっております、この学校を出た生徒はこういうような進路指導をしておりますので、皆さん企業にとって、大学にとって必要な人材ですよというようなアピールがもっとあってしかるべきだと思うんですけれども、その対応はいかがなっておるんでしょうか、お願いします。
  25. 雨宮忠

    政府委員雨宮忠君) 大学入試におきます総合学科卒業生への対応についてでございます。  御案内のように、平成九年度入試というのが最初のチャンスになるわけでございますが、私どもといたしまして、一般の選抜とは別の募集区分を設けて、主として職業に関する教科科目の学力検査などにより選抜を行う総合学科卒業生選抜という制度を創設したところでございまして、文部省といたしまして、各大学に対してこの選抜の導入についての検討を含めまして大学入学者選抜におきまして総合学科卒業生能力適性というものが適切に評価されるよう配慮を求めてきたところでございまして、今後とも引き続き関係者の理解を求めるよう努力してまいりたいと考えております。
  26. 馳浩

    馳浩君 ぜひお願いいたしたいと思います。  私の地元の石川県におきましても北陵高校という学校地域皆さんの非常にすばらしい評価を得ておりますので、それにさらに永続的にこたえていくためにも、進学就職の面におきましてのより一層の指導等の協力をお願いしたいと思います。  次に、学童保育について質問申し上げます。  学童保育実態とそれからその対応を、文部省と厚生省に説明をお願いいたします。それと同時に、申しわけありません、時間がありませんので、学童保育について法制化の動きがあるということを伺っておるのですけれども、どの程度まで進んでおるでしょうか。  以上、三点をお願いいたします。
  27. 草原克豪

    政府委員(草原克豪君) 先生御承知のとおり、学童保育は厚生省の事業として行われているものでございます。ただ、学童保育を行う場として地域によっては学校の施設を利用しているところもあるというのが実態でございます。  文部省といたしましては、すべての子供たちを対象にいたしまして学校外におけるいろいろな活動の充実を図るための方策を講じているわけでありまして、具体的には、学校の施設の開放であるとか、あるいは青少年団体活動の振興、あるいはそういう場となります社会教育の施設の充実に努めております。  今後ともそういう方面での施策の充実に努めてまいりたいと考えております。
  28. 河幹夫

    説明員(河幹夫君) いわゆる学童保育、私どもは放課後児童クラブと申しておりますけれども学童保育は、昼間保護者のいない御家庭の小学校低学年のお子さんを対象に、児童館や保育所、あるいは今お話がございましたけれども学校の空き室、団地の集会室などを活用させていただきまして、児童の健全育成指導等をさせていただいているものでございます。  近年、共働き家庭が増大する中で児童や家庭を取り巻く環境が非常に変化しておりまして、この事業は仕事と子育ての両立というものを支援する上で大変重要な事業であると認識しております。  そのようなことから、平成七年度からスタートいたしました緊急保育対策等五カ年事業という中でこれを積極的に推進していくということを位置づけさせていただきまして、平成八年度予算においても補助対象クラブ数を五千二百二十クラブから六千クラブということにふやさせていただくこととしております。  それから、先ほどいわゆる法制化ということについての御質問がございました。学童保育の法制化についていろいろなところから御要望があることは承知しておりますけれども、現在、私ども、中央児童福祉審議会の基本問題部会というところで現行の児童家庭福祉体系というものの全体を見直してみようということの御審議をお願いしておりまして、その中におきましても放課後児童対策のことを含めて御検討いただくということになつております。この御検討状況を踏まえて適切に対処させていただきたいというふうに考えております。
  29. 馳浩

    馳浩君 最後に、また文部大臣質問申し上げますが、学童保育というのは小学校低学年の児童の大体一年生から四年生ぐらいの放課後の教育のことなのでございます。これは厚生省にもお答えいただきましたけれども、まさに学校地域社会保護者の連携ということを考えましたときに、文部省としてもこれは十分に配慮をしなければいけない問題だと思います。文部大臣としてどのような決意で取り組んでいかれるか、その決意を伺って、私の最後の質問にさせていただきます。
  30. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 幼児期、少年期の教育を充実させるということは、これは学校の中にありましても外にありましても、先生がおっしゃるとおり非常に大事なことでございます。学童保育制度そのものは厚生省が御苦労いただいて所管をしていただいておるわけでございますけれども文部省といたしましてもそういう点から十分応援して積極的な対応をとってまいりたいと思っております。
  31. 馳浩

    馳浩君 どうもありがとうございました。
  32. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 自民党の木宮和彦でございます。  きょうは私の持ち時間はわずか十五分でございますので、いろいろお聞きしたいことがたくさんございますが、特に緊急の課題といたしまして学校五日制についてのみひとつこれからお伺いをしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  実は、もう三、四年前だと思いますが、週休二日制の話が出まして、これをどうやって施行するかということでいろいろ説明文部省からありました。私が週休二日制と言ったら、そのときの係の人が、先生、そう言わぬでくれと。なぜだと言ったら、いや文部省でやっているのは学校五日制なんで、週休二日制じゃ決してありませんと、こうおっしゃいました。私はそのときは、何を言っているんだ、どっちだって同じじゃないかと思ったんですが、今になってよくよく考えてみると、なるほどなと思います。  学校五日制というのは、学校教育のためにやろうとしているのか、あるいは労働者の週休二日制に追随して学校社会的要請から週休二日制にしたいと、こうおっしゃるのか、一体そのどちらなのか、私もまだ判然といたしませんが、文部大臣はどういうふうにお考えでございますか。
  33. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 学校週五日制というのは、子供たちを望ましい形で育てるためにはどうしたらいいかということを考えた場合に、現在の子供たちに足りない面というのが、生活体験とかあるいは自然体験とか、そういう実生活に即したいろんな体験が不足をしているんじゃないかと。学校教育活動でそういうものを一部やっておりますが、やはり学校教育活動というのはどちらかというと知・徳・体というものの育成と申しますか、そういうことを教えていくと、こういうことでございまして、時間的にも非常に制約をされた時間内に教育活動を行うところでございます。  それで、子供たち教育全体のことを考えた場合に、現在かなり学校教育活動に偏っているんではないか、そういうことが子供たちに自然体験あるいは社会体験というのが不足をしている原因なのではないか。もちろん、学校教育活動だけではなくて、塾とかあるいはおけいこごととか、そういうものも影響しているわけでございますが、そういう子供の生活時間全体を見た場合に、もう少し学校のウエートを少なくして、家庭なり地域社会子供たちが生活時間をふやす必要があるんではないか。家庭なり地域社会における生活時間をふやしてやれば、子供たち自分で生活設計と申しますか、自由に使える時間がふえるわけですから、いろんな遊びの時間もふえるだろうし、自然体験なりあるいは社会体験の時間と申しますか、そういうものもふえるんではないか。  そういう点で、子供たち全体の健全育成ということを考えた場合に、学校の現在の週六日制と申しますか、そういうものを週五日制にして子供たちにゆとりを持たせて、家庭なり地域社会で生活する時間のウエートを上げてやると、こういうことが子供たちの健全育成につながるんではないかということで考えられたものだというぐあいに私どもは承知しているところでございます。
  34. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 局長のお話はわかりますが、ひとつお答えはなるべく短く、十五分しかございませんので、よろしくお願いいたします。  ですから、文部省で今お考えになっている五日制というのは、言ってみれば教育の政策を変えるということなんですね。あるいは学校の運営をひとつ変えていこうと、このことじゃないかなと私は思うんです。  ところで、これを本気でいつからやろうとしていらっしゃるのか、一体やる気があるのかないのか。同時にまた、もし五日制にするとすれば現状ではできないと私は思いますので、いわゆる教育のカリキュラム、指導要領を変えていかにやならぬ。その手始めといいますか作業も始めたやに聞きますが、この間、中教審の有馬会長さんが、週五日制どころじゃない、皆さんのお話を伺うと、週七日制にしなくちゃならないんじゃないかというぐらいな要求がたくさんあって、どうしようかと非常に迷っておるという御発言がございました。  私どもが子供のときには月月火水木金金といって、もう日曜日も土曜日もないんだということで一生懸命働かされたりあるいは勉強させられました。今の子供もまさにそのとおりで非常に忙しいと思いますが、もし局長のおっしゃるように五日制にして、今肥大化した学校教育内容をスリム化したいとおっしゃるならば、どういうポリシーがあるか、まずそれを決めてかからなければ、幾ら専門会議をやったところで、これは多くなることはあり得ても少なくなることはあり得ないと私は思うんですが、その辺は文部大臣どうでしょうか。
  35. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 学校五日制というのは、これはもう時代の趨勢なのかなと、一面では私はそう思っているんです。お話しのとおり、それをやりますためには、今ある学習指導要領はもうあれで手いっぱいでございますから、そこからゆとりのある学習指導要領に変えていかにゃいかぬということが一つございます。  それからもう一つは、地域の受け皿ですね。今のまま実施しますと、それは親が、うるさいから塾へ行ってこいというように言いかねません。したがって、せめて月に一回ぐらいはボランティアかあるいは少年補導とかあるいは育友会とか、そういう方が集めてハイキングでも連れていくというようなことも必要でございましょう。  それからもう一つは、やっぱり国公立だけやっておったんではこれは大変ちぐはぐでございますから、私学の協力もいただかなければならないと思うんです。  そういうあれやこれやの非常に欠かすことのできない要件がございます。今、中教審でこの問題の御審議をいただいておりますが、近々一定の方向づけをしていただくように聞いておりますから、そういう答申あるいは中間報告と相まって今申し上げたようなことについても取り組んでまいりたいと思っております。
  36. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 この問題は、大臣がおっしゃるように世の中の趨勢である、もう時間の問題だと。ならば、やはりそれに対応する策を、一刻も早く方針を決めていただかないことには非常に困ると思うし、逆に言いますと、これはある意味においては日本の今の学制改革にまで影響を及ぼすような問題だと思います。  例えば、今六年で小学校の課程をやっているとすれば、週休二日制になればこれは六年じゃ足りないから七年だと。さらば、これは六歳からじゃなくて五歳からやれということになれば幼児教育にまで影響してきますし、あるいは上の方は中学に持っていくということになればこれまた大きな問題になると思います。今回の問題は、カリキュラムの問題だけではなくて、今まで戦後五十年間続けてきた六三三四の制度そのものを変革していかなくちゃならないような時代にならなければこのカリキュラムの問題はできてこないと思います。  現在、日本の学校教育というのは、先ほど局長さんのおっしゃるように何でもかんでも学校に全部おぶさっていることは事実でございます。ここで学校は一体何をこれからやっていかなくちゃならないかということの哲学をきちっと得て、例えば江戸時代ですと読み書きそろばんでございますが、やはり基礎はこれですから、小学生は読み書きそろばん、これを真剣にやり、同時に、日本人に今一番足りないのは、日本の過去の歴史を勉強することを学校教育でおろそかにしていることも私は事実だと思います。この四つをやらなくちゃいけないと思います。    〔委員長退席、理事森山眞弓君着席〕  あとの問題は波及的な問題がありますが、これは各学校で選択してやればいいことで、ただ、総合学科の話もありましたが、科目にも今のように理科を、生物あるいは物理、化学ばかりじゃなくて、例えば環境という科目でもっておのずから生物をやったり化学をやったり、あるいは福祉という科目でもって社会の問題をやったり、あるいは自然という問題、あるいは生活という科目をつくってそれを総合的にやりながら理科なり社会授業をやっていくようにしていかないとうまくおさまっていかないのではないかなと、私はこう思います。  それからまた、学校五日制にするにしても、私学にもぜひやってくれと、これはよくわかりますが、私はそれはむしろ弾力的に、学校によっては四日でもいい、五日でもいい、六日でもいいという学校があっても差し支えないし、それは父兄が選択してあの学校へ行こうとか、うちの子供はこうしたいとか、こういう選択科目があるからここへ行きだいとかいうようなことを父兄にも選ばせる権利があるというか、幾ら義務教育といっても国が、あるいは県が父兄に対して余りそれを強要するようなシステムというものはこの時代には私はマッチしていないような気もするんですが、その辺はいかが思いますか。
  37. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 学校週五日制になった場合には新しい学習指導要領を決めることになるわけでございますが、その新しい学習指導要領は公立にも国立にも私立にも同じように適用があるわけでございます。  したがって、国公立は学校週五日制でやっているけれども私立学校週六日制でやっているということになりますと、枠組み自体が違ってくることになりますので、そういう点は、まあ強制力はないのかもしれませんけれども、その指導要領は五日制ということでできている指導要領でございますれば、やはり私学にもそれを尊重してやっていただきたいと思うわけでございます。
  38. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 カリキュラムの問題で、これは確かに必要最小限度のものは、先ほど私が言いましたように読み書きそろばん、歴史みたいなものは基本的な問題で、これはやらにゃいかぬと思うんですが、あとのことは工夫によって、あるいは科目によって、あるいは独学でもできないものではないと思います。それからもう一つは、体育あるいは芸術の問題、これもやはり学校教育が一〇〇%これを請け負わなくちゃならないということはないと思います。  例えば、それぞれ地域教育あるいは社会教育、その方面にもっと学校教育の金を相当分分けて、そしてミニのスポーツセンターでもいいし、あるいは音楽堂でも博物館でも、そういうところに附属の教室をつくって、そこに専門の指導者あるいはそれにふさわしい指導者を置いて、そこでもって子供たちが絵をかくことを練習したり、あるいは彫刻をしたり、あるいは運動のトレーニングをしたり、そういうことでそれぞれ社会教育としての分野を発揮してもらうという方がよりすっきりしている。  私は、学校教育はもう形式的に、体育は一時間やらにゃいけませんよ、これも何時間やらなくちゃいけませんよというのが果たしてどうか、まだやらなくちゃならないことが、小学校と中学校高等学校と違いますけれども、それぞれきめ細かにある程度その年齢に応じて必要なものは何か、そして学校とは何をすべきかということをこの辺で文部省さんも国民も十分もう一回考え直していただいて再構築する必要が私はあると思うんです。局長で結構です、どうぞ。
  39. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 今、先生のおっしゃられたことそのものがまさに現在中教審で今後における教育のあり方ということで議論されていると承知しております。  今後の教育考えた場合に、学校教育として本当に基礎・基本として何をやらなければならないのか、家庭の教育の役割は何なのか、それから地域社会における教育の役割は何なのか、そこのところを、三者の関係と申しますか、そういうことも考えながら学校教育の役割というのが議論されていると承知しているところでございます。
  40. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 もう時間がありませんので多くは申し上げられませんが、しかし学校五日制というのは緊急の問題なんですね。そしてもう一つは、学校はいかにあるべきかということが五十年来の尾を引っ張って、これからの五十年間か百年間か知りませんが、それを決める大事なことなのでございますので、ひとつそれをどう調整してやるかということが大事だと思う。  これは、私は首都移転の問題もそうだと思う。私はこれは余り賛成じゃないですが、しかし今の省庁をスリム化する、今のままじゃ幾らやったってだめですから、思い切ってどこかへ省を移すことによって、今の二十省を十にするとか十二にするとかということが逆にできるかもしれません。  私は、この五日制は日本の学制を改革するためにはいいチャンスだと思いますので、どうぞひとつ最大限の努力をしていただくように心からお願いして、終わります。
  41. 上山和人

    上山和人君 社会民主党・護憲連合の上山和人でございます。  委員長の再三の御要請にもかかわらず平成会委員皆さん出席を拒否されておりますことについて、大変遺憾なことだと思っております。衆議院予算委員会の不法な占拠が始まってきょうはもう十一日目でございます。    〔理事森山眞弓君退席、委員長着席〕 大変国民皆さんの政治不信が高まっている状況の中で、毅然として委員長初め理事の皆さんが本委員会を開会されたことにつきまして、心から敬意を表するものでございます。それだけに、この貴重な本委員会の審議を有意義なものにしなければと思いを新たにいたしております。  私は、三週間前のきょう、六十分間時間をいただきまして、子供たちのいじめ対策に関連して、養護教諭の役割とそのあり方、もう一つ学校図書館のあり方とその役割について御質問させていただきました。それなりに担当局長文部大臣からお答えをいただきましたけれども、何せ問題の広さ、深さから六十分間では到底整理できない問題でございましたので、本旦二十八分間の時間配分をいただきました。この時間でも決して十分ではございませんけれども、この前御質問申し上げてなお残っております課題についてきょうは整理をさせていただきたいと思いますので、どうぞ文部大臣もそして局長も真剣に将来を展望しながら具体的な御答弁がいただければと御期待申し上げております。  きょうは学校図書館の役割とそのあり方に絞って御質問させていただきます。  今、木宮先生学校五日制はいつから始めるんだとおっしゃいましたが、明確なお答えがなかったように思うんです。今、学校図書館に何が求められているか。とりわけ学校完全五日制もそう遠くない時期に私たちは具体的に実施されなければならないと思っております。折しもマルチメディア時代を私たちは好むと好まざるとにかかわらず迎えようといたしているわけでございまして、そういう状況の中で学校図書館の果たすべき役割、そのあり方について文部省として端的に集約的に整理をしてお答えいただきたいんですが、どのようにお考えか、改めてお聞かせいただきたいと思います。
  42. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 学校図書館の役割でございますが、昨年の八月に児童生徒の読書に関する調査研究協力者会議というところから報告が出されておりまして、そこで簡潔にまとめられておりますので、それが一番よろしいんではないかと思いまして、それをちょっと引用させていただきますと、一つは、学校図書館子供たちの読書センターとしての機能を果たすということが大きな役割としてあろうかと思います。心の居場所みたいな役割を果たすということがございます。  それからもう一つは、学校図書館学習情報センターの役割を果たすということがあろうかと思います。これからの学校教育は、今までどちらかというと知識を習得することに偏っていた面があったわけでございますが、現在の学習指導要領では子供たちがみずから学ぶ意欲を持って主体的に判断し行動できる能力を身につけさせるということを目的としておりまして、子供たちの判断力等をかなり重視しているところでございます。  そういう点で教育の仕方も、先生の方で一方的に子供たちに知識を教えていくということよりも、子供たちがみずからの課題としていろんな課題を見つけ、それを自分で調べて、それで知識を習得していくということがかなり重視される時代になってきているわけでございます。そういうときに、子供たちのそういう主体的な学習活動を支え、情報を収集・選択するという場として学校図書館学習情報センターの機能を果たすということがまた大きな役割でもあろうかと思います。  それからもう一つは、学校だけではなくて地域社会のセンター的な役割を果たす。学校開放して学校図書館地域の人が、特に土曜日、日曜日などは地域の人がそこを利用して読書をし、あるいはいろんな資料を調べ勉強していただくという、そういう地域のセンターというような役割を果たしていただく。  この三つの大きな役割が学校図書館にはあるんではないかと思います。
  43. 上山和人

    上山和人君 今の局長からお話がございました児童生徒の読書に関する調査研究協力者会議文部省の諮問機関と言っていいこの協力者会議が去年の八月に最終報告を出して提言を行っておられます。これは平成六年の一月から去年の八月まで実に一年半余り大変熱心にいろいろと調査研究をなさった末の御報告、御提言でございまして、局長からもその一部を引用されながらの御答弁がございました。  私どもはこの最終報告を読ませていただきまして、なるほどと、これはベストとは言えない、問題だって残っていないとは言えませんけれども、本当に今の時点でよくこの一年半余りの短い期間にまとめ上げられたものだと敬意を抱いているわけでございますが、その報告書を見ましても、今の局長の御答弁をお聞きしましても、まさに局長の御答弁のとおりだと、学校図書館に求められている役割、そのあり方については同感でございます。  協力者会議は、この最終報告、提言をなさったときに、「国、地方公共団体、学校などの関係者が、本報告を踏まえて、必要な施策の実施に速やかに取り組まれるように強く期待する。」と、速やかに取り組まれるように強く期待するという要請をなさっておりますよね。文部省はそれにお答えになる形で、「読書指導及び学校図書館の一層の充実、司書教諭の養成・発令の促進に努めてまいりたい」、そういうふうにこの報告を受けられた段階で決意の表明をなさっております。  そこで、局長にお尋ねしたいのは、この協力者会議の最終報告、御提言を具体的に施策としてお進めになる構想といいますか計画、ただ司書教諭の養成・発令の促進に努めてまいりたい、もちろん図書館の一層の充実とおっしゃっていますけれども、その内容は具体的には何であるのかということ、今どこにこの最終報告と実態の間に乖離があって、何が根本の問題であり、どこに急いで改めなければならない問題があるのか、その辺をどうかひとつ正確に端的に、文部省はどのように考えているか、お聞かせいただけませんか。
  44. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 私どもとしましては、まず最初に学校図書館が読書センターの機能を果たすために図書などの整備充実を図らなければならないと思っております。  それで、これはもう既に計画として実施しつつあるわけでございますが、平成五年度から学校図書館図書整備新五カ年計画というものをスタートさせておりまして、蔵書の充実を地方交付税措置で大体五年間で五百億円くらいを投入する予定で進めております。  それから、やはり学校図書館が読書センターとともに学習情報センターとしての機能を果たすためには人の問題が大事でございますので、これも現在進行中でございますが、教職員の配置改善計画におきまして学校図書館事務を担当することができるように事務職員の配置基準を改善しております。  それからさらに、学校図書館を整備するに際してはその広さも大事でございますので、国庫補助基準面積に学校図書館分をさらに改善するというような措置もスタートさせているところでございます。  それからさらに、人の問題でございますが、学校図書館の司書教諭でございまして、まだ司書教諭の資格を持っている先生がおられる学校の割合が二割から三割という状況でございますし、司書教諭の発令をされている学校は数%と、こういう状況にございますので、それについては通知を出しまして、司書教諭の資格を持っている人はできるだけ司書教諭の発令をするようにというようなことで指導しているところでございます。  それから、司書教諭の資格を持っている人をふやすために、来年度の予算におきまして司書教諭の講習会の会場を、現在、平成七年度は十八大学でありますが、それを三十六大学に倍増するというようなことで施策を進めているところでございます。  それから、地域に開かれた学校図書館ということも要請の一つとしてあるわけでございますが、それにつきましては生涯学習学校週五日制に対応する観点から、地域に開かれた学校図書館の研究委嘱等の経費を来年度予算に計上しているところでございます。
  45. 上山和人

    上山和人君 図書館の整備について、まず物的な条件整備、これは平成五年度から九年度まで五カ年間にわたる局長の御答弁の図書整備計画がございますよね、五百億を投じての計画ですが。このことにつきましては今の五カ年計画で足りるとは到底思ってもいらっしゃらないと思いますが、この物的整備の問題につきましてはまた機会を改めて真剣に考える機会をつくらせていただきたいと思いますので、きょうは人的条件整備についてだけ、それに絞ってちょっと整理をさせていただきたいと思うんです。  今、局長がお答えになったのは、まず図書館の専門的な事務をつかさどる学校事務職員を配置することとして、その配置基準を義務制で言えば今の第六次改善計画、高校で言えば第五次改善計画になります、この改善計画の中で配置基準を改善しているんだという御答弁なんですけれども、その現行の図書館に配置する事務職員の配置基準に照らして、小学校、中学校高校、特殊学校もわかっておればなおのことですが、それぞれに現行の配置基準に基づいて配置するとすれば何名ずつ配置しなければならないことになりますか。  それと、それに対して現在何名ずつ配置されているか、その配置率といいますか充足率、わかっておれば明らかにしていただけますか。
  46. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 小学校でございますと、現在三十学級から複数配置というものでございますが、それを二十七学級以上に複数配置をする、それから中学校については、二十四学級以上であったものを二十一学級以上にするということで、合計千三百八十九人の改善を行うというのが現在の配置改善計画の全体の概要でございます。  これが年次的に現在どこまで進んでいるかという具体的な細かい数字については承知しておりません。
  47. 上山和人

    上山和人君 高等学校、お答えいただけますか。
  48. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 高等学校につきましては、学校図書館専任の事務職員の配置基準、現在十八学級以上ということになっておりますが、それを十二学級以上ということで改善することとし、七百六十人の改善を行うという予定で進んでおります。
  49. 上山和人

    上山和人君 私が手元に持っている資料は平成四年の図書館担当専任の事務職員の配置率なんですが、それ以後改善が続いておりますので、局長の御答弁のようになっているんですけれども、それでも小学校では私の手元の資料によりますと配置率は一〇%にまだ達していないんじゃないですか、それから中学校だって一〇%を少々超える程度にすぎないんじゃないですか、高等学校はやっと六割、そんなふうな配置率に現在とどまっているんじゃないですか。その実態の認識変わりませんか。
  50. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 私は、何%の学校に図書館担当の事務職員が配置されているかというのはちょっと今のところ数字を持ち合わせておりません。
  51. 上山和人

    上山和人君 数字のことは余り通告してございませんでしたので、資料としてお手元にあるのだと思っておりましたので失礼いたしました。  これは大臣、よくお聞きいただきたいんですが、今徐々に配置基準が改善されて事務職員の配置も少しずつ広がっておりますよ。それでも小学校では一〇%足らずだと思うんですよ、配置されておりますのは。中学校で一〇%をちょっと超えただけ、高等学校で六割程度、高等学校は小中に比べまして少し進んでおりますけれども、そんな状態なんです。図書館という建物はあるけれども、こういう状態だから図書館にかぎのかかっているところが非常に多いんですよ。そうでしょう。事務職員だって小学校で一割にまだ満たないんですよ。中学校で一割をちょっと超えただけ。高校で六割程度でしょう。こういう状態でいいんですかというんです。  図書をふやすことは、五カ年計画、五百億を投じて今整備が進んでおりますけれども、これとて物的条件整備の面から見ても十分ではないと思う。今後この面は幾らでも整備をすることはできると思うんですが、まず何よりも人をどう配置するか、図書館の運営、子供たちの読書指導なり、あるいは子供たちが読書に意欲を持つためのいろんな手だてはやっぱり図書館にいる人の問題だと思いますね。事務職員の配置状況は今申し上げたとおりなんです。  大臣、大変深刻な問題じゃないでしょうか。この協力者会議の最終報告に照らしてみましても、この報告に近づける努力をするにしましても、余りにも実態は報告が求めているレベルと乖離があり過ぎる。これをどうするかというのは喫緊の課題じゃないでしょうか。  もう一つ、司書教諭の問題。今、局長からまた御答弁いただいたんですけれども、司書教諭は学校図書館法で「置かなければならない。」と規定されております。残念ながら附則がありまして、「当分の間、」「置かないことができる。」とされておりまして、その附則が生きて、何と現行法が昭和二十九年四月一日に施行されましてから四十二年間そのままになっております。  この前申し上げましたけれども、現行法が施行された当初の精神は、当分の間というのは十年ぐらいを想定してスタートしたことは事実なんです。十年はおろか二十年、三十年、四十年余りこの附則がそのまま生き続けていること、これはたびたび問題として指摘してきましたけれども学校図書館に置かなければならない司書教諭が当分の間置かないことができるという附則によってほとんど配置されていない。  司書教諭の配置率は、時間がどんどん過ぎていきますから私の方で申し上げますけれども平成七年の文部省学校基本調査によりますと、小学校は〇・三%です。三%じゃないんですよ、大臣、〇・三%ですよ。千校のうち三校しか司書教諭が発令されておりません。だから、小学校二万四千五百四十八校ありますから、この〇・三%といったらわずか七十四校ですよ。二万四千五百四十八校の小学校のうちたったの七十四校にしか司書教諭は置かれていないんです。  中学校は一万一千二百七十四校あります。ここはわずか、わずかと言っても少し小学校よりはいいんですが一%です。やっと百分の一なんです。百校のうち一校に中学校は司書教諭が配置されております。百十三校です、この率でいきますとね。  高等学校はどうかといいますと、五千五百一校ありますから、少し配置率がよくて六・三%、百校のうち六校強に配置されておりまして、三百四十七校程度になりますかね、五千五百校の高校のうち。  特殊学校は九百六十七校のうち、これも〇・三ですからわずかに三校足らずです、この数字で計算をしますとね。こんな惨たんたる状況に実はなっておりますね。  私たちは、本当にこの問題をどう考えるのかということは、こうやって委員会で御質問申し上げて、局長大臣から御答弁をいただいて、それっきりで一向に具体的な改善が進まないという状態をこれ以上繰り返してはいけないと思うものですから、あえてきょうも三週間前の質問に続いて整理をさせていただいているんですけれども、これは局長、この状態をどう改めようとなさっているんですか。  そして、一つは司書教諭の問題、この惨たんたる配置状況から、どのように問題を克服して、一日も早く附則を撤廃できるような、つまりどの学校にも学校図書館法に基づいて司書教諭が配置されるような、そんなあるべき姿にしていくためにどのように改革、改善をされようと具体的にしているのか。  もう一つは、学校事務職員の配置率だって極めて低い。これをどんなふうに改めようと具体的に計画をお進めになっておられるのか。その点、時間も余りなくなりましたので、少し集約的にお答えいただけませんか。
  52. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) まず、司書教諭でございますが、司書教諭につきましては、現在、有資格者が一万二千六百人ぐらいおられますので、こういう資格を持っている方にできるだけ司書教諭の発令をするというのが第一だろうと思います。  それから二番目には、司書教諭の資格を多くの現職の先生に取っていただくというのが二番目に施策として考えられるわけでございまして、これは来年度の予算で十八会場から三十六会場にふやして、いわば倍増をしたいというぐあいに考えております。九年度以降においてもさらに拡充していきたいと思っております。  それから、新たに教員になる人にできるだけ司書教諭の資格を取っていただくということも大切だろうと思いますので、各都道府県教員を採用する際に司書教諭の資格を持っているということも考慮して採用していただきたいということで、これも都道府県にお願いしたいと思います。  それからあと、現在の制度では難しいわけですが、司書教諭の資格を得る講習会というのは大学だけができるようになっておりますが、できればこれを、大学だけでなくて都道府県教育研修センターあたりでもそういう講習を受ければ司書教諭の資格が取れるというような制度になれば、そのようなことからふやしていけるのではないかというぐあいに考えております。  それから、事務職員につきましては、これは現在、第六次の改善計画が進行中でございますので、その終了後、さらに学校図書館担当の事務職員をふやすということを検討していただくということになろうかと思いまして、それに現在直ちに一取りかかるということは難しいだろうと思います。
  53. 上山和人

    上山和人君 行政としてわからないでもないんですけれども、まず後段の事務職員の配置問題ですが、小中学校では一割程度しか配置されていないんですね、事務職員は。これを改善していくためには現行の改善計画終了後に新たに考えると局長は御答弁になった。  平成十年で終わるんです、この計画は。平成十年までは待つと言われる。この改善計画が終了してから検討すると言われる。それは、現行の計画が進んでいるさなかですから、局長答弁はわからないじゃありませんよ。でも、急がなくちゃならない緊急課題については、現行の改善計画進行中でも私は追加措置は十分できると、やる気があれば。だから、そういう問題としてどうしても考えていただかないと、平成十年まであと三年待つ、これが終わってから検討するでは本当にあるべき図書館の姿に近づけることすらできないんじゃないですか。  それからもう一つ。そういう観点でぜひ事務職員の問題は、進行中ですけれども、現行計画と並行してさらに追加改善措置はできないものかということを真剣に考えてみましょうよ、お互いに。私たちも与党の側として財政面を考えながら今これは考えてみなければならない大変重要な深刻な課題だと思っていますから、文部省としてもお考えいただきたい。  それから司書教諭の問題は、三点にわたって局長から御答弁がありました。現在、有資格者をまず発令していく。それはそのとおりでしょう、今の計画で言えば。さらに、資格を取得してもらうように督励して有資格者の数をふやす。これから先は大学在学中に所要の単位を取得して資格を持った上で教職員になってほしい。この三点だったと思うんですけれども、いずれにしても教諭でなければ司書教諭になれないという仕組みなんですよ。なぜそうでなければいけないんですか。  私はこの前も言いましたけれども、養護教諭の先生は養護の専門先生なんです。保健室に行ったら養護の先生がいる。子供たちはそこで心を開いて、心の居場所と言われるような場所になっていますよね。いじめ対策と密接な関係があります。図書館に行ったら図書館専門先生がそこにいる、そういう図書館専門先生を司書教諭としてはなぜいけないんですか、なぜできないんですか。ここがやっぱり私は根本の問題だと思う。  文部大臣、片や数学の先生、国語の先生、英語の先生、とにかく自分専門教科を担当する教諭でなければ司書教諭になれない仕組みになっています。小学校では学級担任をする教諭でなければ司書教諭の資格を取れない状況になっているんです。なぜ図書館に図書館専門先生がいてはいけないんですか。養護教諭がいるように、図書館には司書教諭が図書館専門の教諭としていてもいいんじゃないでしょうか。  だから、時間がなくなりましたけれども、この計画、局長答弁はわかりますけれども、幾ら努力をされても、現行法に頼って、もちろん法律がある以上はそれに基づいて措置をされなければなりませんけれども、現行法の第五条一項、二項があって、その第五条二項の「教諭をもつて充てる。」という規定をそのままにして司書教諭の発令をどれだけふやそうとされても、現実的には大変困難じゃないんですか。  だから、私はこの前御指摘申し上げましたように、行政は四十二年間精いっぱい努力をされたと思う。されたけれども、四十二年たっても司書教諭の配置状況は惨たんたる状況になっているんじゃないですか。それは極端に言えば現行法に欠陥があるんじゃないですか。現行法が非常に難しい難点を抱え込んでいるから、幾ら努力をしてもできないんじゃないですかと御指摘申し上げているんです。  明快なお答えは現行法があるんですからなかなか答えにくいと思いますけれども、私はそこのところをよく掘り下げて、現場の実情とも照らし合わせて真剣に御検討いただきたいと思う。現行法に欠陥が、特に五条二項に、これは将来的に実現可能な規定なのかどうかということ。この五条二項に基づいて進めていかれると、深刻な別の問題を引き起こすおそれさえ多分に含んでいると私たちは憂慮いたしておりますので、司書教諭のあり方について根本的に問い直すことをぜひ大胆に始めていただきたい。  そしてもう一つ、時間があと五分ございますからお願い申し上げておきたいのは、これから図書館整備に当たって人的条件を整備する場合、今、事務職員と言われる人たちがいろんな厳しい労働条件の中で、一生懸命に図書館の子供たちの読書指導やあるいは図書の整備等に意欲を持って本当に汗みどろになって働いていますよ。そういう現在図書館で働いている人たち、職員にも司書教諭への道を開くことはできないのかどうか。そのことも大きな課題として、やっぱりそういうのでなければ財政上の困難な状況の中であるべき姿として司書教諭を配置することは難しくなるだろう。だから、現在、一生懸命に意欲を持って図書館で働いている人たちにも司書教諭への道を開いてやらないと、将来図書館の人的条件を整備するに当たっては大きな問題を残すことになるんじゃないか。  だから、五条二項の問題と、現在、図書館で働いている人たちにも司書教諭への道を開くことと、この二つは非常に重要な、何とかして解決をしなくちゃならない、この協力者会議の最終報告に沿うような図書館として整備をしていく場合に避けて通ってはならない課題だと思いますので、どうぞひとつ、私たちもお互いに真剣に考えてみたいし、文部省としても本当に大胆に発想の転換をして御検討いただけないでしょうか。局長どうですか。
  54. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) まず、学校図書館に専任の司書教諭を置くというお話でございますが、これは現在四万校ございます小・中・高等学校に一人ずつ専任の司書教諭を置きますと四万人の増になるわけでございまして、これは大変な財政負担を伴うことになりますので、現在のような国の財政事情では非常に困難と申しますか難しい問題だろうと思います。  お話しの、事務職員の現在の改善計画を繰り上げて実施したらどうだということにつきましても、国の財政事情がこれだけ厳しい中で当初の計画どおり現在進行中でございます。それを崩すということになりますと、財政当局からは、じゃこれは急がないんではないかというようなことが必ず出てまいりますので、私どもとしては現在の第六次の改善計画は計画どおり着実に推進するのが一番いいと思っております。  それから、司書教諭については必ず教諭でなければならない理由はないんじゃないかというお話でございますが、現在の学校図書館は、先ほど申し上げましたように子供の読書のセンターという役割がある。それからもう一つ学習情報センターというこの二つの役割があるわけでございます。  そのことを考えますと、図書館に置かれる司書教諭というものは、各教科など授業の中で学校図書館をどういうように積極的に利用し活用していくかということを考える必要もございますし、それから各教科などでいろんな活動で読書指導が行われるわけでございますので、そういう点から考えても、学校における教諭、すなわち先生学校図書館の司書教諭を兼ねるという現在の充て職の制度が一番いいのではないかと思います。
  55. 上山和人

    上山和人君 時間が一分になりましたが、一つは、財政上の問題を理由とされる点については局長の立場からは私はわからないではない。しかし、教育は未来への先行投資というのは三年前から政権の一貫したスタンスなんです。これは文部大臣もおっしゃっていますように、未来への先行投資として、今、子供たちがどれだけ悪戦苦闘を強いられているかというこの状況を克服していく場合に解決できない財政規模じゃないですよ、この問題を実現していくためには。これは私たちの問題だと思っています。  それから大臣、一言。もう時間がないんですけれども、今の司書教諭は充て職が望ましいと言われるのは、これは現行の法規に忠実でなければならない役所の皆さんとしてはやむを得ないかもしれないけれども、へ理屈ですよ、それは。実態を遠く離れている。大臣、そういう問題はたくさんありますから、この図書館法改正問題についてお気持ちがあれば一言でいいです。  私の質問は終わります。
  56. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 学校図書館の充実につきまして、前回の参議院文教委員会、そしてきょうの委員会先生が非常に熱心に取り組んでこられまして、その御提言、貴重な御意見、私も非常に感銘深く聞いておったところであります。  ただ、五兆七千億円余りの文部省の予算。一方では文化庁予算が少ない、文化国家できないよというようなお話もございます。また一方では昭和三十年前後に建てた公立の文教施設が、あの当時は非常に資材が悪くて、もう早晩建てかえを余儀なくされるところが非常にたくさんある。そちらの方もひとつ予算の方を確保しろよというような御意見もありまして、本当に多額の国費を必要とするたくさんの項目がございますので、先生のおっしゃることは非常に貴重な御提言として頭の奥にしまっておきますけれども、それを最優先にしてすぐに取り組めないという私の立場だけは御理解を賜りたいと思います。
  57. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 質問に入る前に一言申し述べたいと思います。  今日、国会の焦点は全会派の合意で衆議院予算委員会の審議を再開する道筋をつくることであり、採決を前提とした日程設定を白紙に戻すこと、母体行の追加負担問題や真相解明と対策についての徹底審議を行うこと、与党は今後採決の日程を強引に決めることはしないと約束すること、こうした三項目で日本共産党と与党側との合意が既につくられました。残るは与党側と新進党との会談あるいは五党会談を行って全体の合意をつくることであり、そのために総力を挙げることです。  そうした折に、新進党、平成会予算委員会室前座り込みという方法にはもちろん賛同しかねますが、その平成会不在の委員会を開くことは、不正常の拡大であり、私は反対です。しかし、今日こうして委員長職権で開かれた以上は審議拒否はしないという我が党の立場に立って質問をさせていただきたいと思います。  まず、国民生活と高学費問題について伺います。  私はこの問題に執念を持って取り組みたいと思っています、大臣国立大学授業料は、一九七〇年を基準にすると、今日までに三十七倍、入学金を含めた初年度納付金は四十四倍の値上げとなっています。この四年間だけでも十万円を超える負担増となっています。異常とも言いたくなるような値上がりだと思うんですけれども大臣、生活感覚を発揮してどうお感じになるでしょうか。
  58. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 国立大学授業料につきましては、私立大学授業料の推移、それから刻々変わってまいりまする社会経済情勢の動向、こういうものを総合的に判断して決めさせていただいておるわけでございまして、その点御理解賜りたいと思います。
  59. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 そういう説明は耳にたこができるぐらいいろんなところで聞いてきたんですけれども、一九七〇年を基準にして三十七倍だとか四十四倍という値上げ、こういう公共料金はほかにないんです。ほかの公共料金と比べてみるとその異常ぶりがよくわかります。  経済企画庁の調べによりますと、一九七〇年を基準とした場合、お米が二・八五倍、郵便料金が六・六四倍、JR鉄道運賃が三・六九倍、バス代が六・八七倍、電気代一・六八倍、都市ガス代二・六八倍。公共料金全体として見た場合、これはほぼ消費者物価全体の上昇率と同じになるわけですが、三・〇五倍の値上げなんです、同じ期間に。  国立大学授業料の三十七倍といい、初年度納付金の四十四倍といい、まさに異常な値上げなんです。たび重なる値上げをどのような算出根拠で進めてきたのか、伺いたいと思います。
  60. 雨宮忠

    政府委員雨宮忠君) まず、数字の点につきまして明らかにしておきたいと思うわけでございますが、平成七年度、それから八年度入学者につきまして国立大学の学部レベルの授業料の額でございますけれども、年額にいたしまして四十四万七千六百円という数字でございます。それから、八年度予算案におきまして平成九年度の入学者につきましてお願いしようという授業料でございますけれども、年額にいたしまして四十六万九千二百円、こういう数字でございます。  今、先生の御指摘がございました一九七〇年、昭和四十五年度の入学者との比較でございますけれども、昭和四十五年度の入学者についてどうかということを申し上げますと、授業料で年額一万二千円。したがいまして、月額一千円という水準で当時あったわけでございます。それから比較いたしまして、先ほど申しました平成八年度の入学者が四十四万七千六百円ということで三十七・三倍という数字をおっしゃったわけでございます。  もう一方で、先ほど大臣から申し上げましたように、国立大学授業料につきましては、具体に申しますと、社会経済情勢の変化あるいは私立大学との間で余り差が開かないようにというような、そういう配慮で策定してきているわけでございます。ちなみに私立大学で最近の数字平成六年度の数字で、これは平均的なものでございますけれども、年額で七十万八千八百四十七円というのが私立大学授業料年額の平均値だということでございます。  先生御指摘のように、隔年ごとの改定でございまして、これらの諸情勢を勘案しながら改定を加えてきたということでございます。  先ほど、九年度の数字を申しましたけれども、前回の改定幅に比べましてその六割程度にとどめたということもあわせて申し述べておきたいと思うわけでございます。  以上でございます。
  61. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 住専処理の血税投入六千八百五十億ではありませんけれども国立大学授業料や初年度納付金が具体的な金額としてぐんぐんと上げられてきたわけで、いつでも何らかの計算をだれかがなさったんだと思うんですね。その時々の担当者が思いつきでこれくらいがいいみたいな感じで上げられたんでは国民はたまったものではないんですね。そういう意味でもっと詳しく知りたいんです、係数的なものがあるとかないとか。
  62. 雨宮忠

    政府委員雨宮忠君) 先ほど申しましたことに関連するわけでございますけれども私立大学の納付金との関連、それから先生も先ほどお触れになったかと思いますけれども、いろいろな消費者物価指数等を含めました社会経済状況の変化等を勘案いたしまして隔年ごとに改定してきているということでございます。
  63. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 消費者物価指数等、それから私学の学費というのが具体的に出てきましたが、それを見比べて、極めて自主的ではない決め方をずっとされてきたということになると思うんですね。もう払う国民としてはたまらない問題なんです。  それで、この国立大学の学費引き上げが結局私学の学費引き上げ、ひいては国民教育費負担の増大を助長してきているんですね。その結果、国民生活がどんなに圧迫されているか実態を直視する必要があると思います。  九二年度の国民生活白書ではこう言っているんです。私立大学に入学した場合、初年度納付金等が親の平均収入の三四・四%に達し、複数の子供を大学に行かせた場合の家計への負担は極めて重い、こういうふうに国民生活白書で指摘しているんです。  さらに、深刻なのは、この教育費の増大が実は出生率低下の要因でもあるということ、出生率低下というのは裏返すと高齢化社会ということですから、高齢化社会の要因でもあるんですが、になっているということです。大臣はこのことにお気づきですよね。念のために伺います。
  64. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 間接的にはやはりそういうことかなというように思いますね。
  65. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 九二年の国民生活白書では、出生率低下の要因として、婚姻率の低下、それから晩婚化の進行、女性の就業率の高まりと並んで教育費の増大を挙げています。  この年の国民意識調査では、出生率低下の原因は何だと思いますかという、こういう問いに対して、五四・六%の人が子育ての費用の増大が大きいからと答えていて、外で働く女性がふえたが、育児を容易にする施設、制度が十分でないからと答えた五一・二%を上回っているんです。よく住宅事情が悪いということを問題にする方もいるんですけれども、家が狭いからと答えているのはたった一七・七%なんです。教育費の増大で安心して子供を産むことができない、日本の女性たちが。本当に深刻な事態ではありませんか。  もう一度大臣に伺います。
  66. 雨宮忠

    政府委員雨宮忠君) 少子化との関連で教育費負担の問題を取り上げられたわけでございます。  少子化の問題、これは政府全体の問題であるわけでございますけれども文部省としての切り口といたしましては、一つの大きな要素として、教育費負担の軽減ということがそれに関連して取り上げられておりまして、それにつきましての関連施策を進めておるわけでございます。  もちろん今、先生御案内のように、授業料負担それ自体が余り大きなものにならないようにということもあるわけでございますけれども、もう一つの方向から、例えば経済的に困窮している家庭の子供に対する育英奨学の問題でありますとか、あるいは先ほど先生私立大学の納付金のことをお触れになりましたけれども、私学経営自体ということに対する私学助成という方策を通じまして、またその充実を通じまして、結果的に学生の負担というものが余り過大なものにならないようにというような施策も講じておるわけでございます。また、税制の上でも、教育費控除というような形を通じまして、極力、親の教育関係の負担が大きくならないようにというような施策をあわせて講じているわけでございます。  それらを通じましく全体として教育費負担が余り過大なものにならないように、また少子化との関連で、少子化ということとの関連性がむしろ薄まるようにというような方向で努力しているところでございます。
  67. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 今おっしゃったいろいろなことをやっていただいても、それでも大変だというのが国民の率直な気持ちなんですね。それで子供が安心して産めない。  この国立大学授業料を中心とした学費問題について幾つかの角度から考えてみたいと思うんです。つまり、物価上昇率とか私学の学費とか、その二項目ぐらいを見比べながらほいほいと上げられていくんではたまらないわけで、何らかの節度というものがあるんだろうと思うんですね。そういう意味で幾つかの角度から考えてみたいと思うんですが、まず公共料金改定に際しての節度に照らしてどうなのかということです。  平成六年、物価問題に関する関係閣僚会議が「公共料金の取扱いに関する基本方針について」の中で六項目の要件を挙げています。私は、これは全部賛同するわけではないんですけれども、百歩譲って、その中で2として、「公共料金については、物価及び国民生活に及ぼす影響を十分考慮して厳正に取り扱うこととし、その引上げに際しては、安易な引上げは厳に慎み、今後の経営の徹底した合理化を前提とした上で、真にやむを得ないものに限るとともに、その実施時期及び改定幅等についても極力調整する。」、こういうことを言っているんです。値上げの節度としてこういうことを言っているんです。つまり、物価や国民生活に及ぼす影響が大きいから安易な引き上げはしないようにということなんです。当たり前なことなんですが、こう言っているこの節度を逸脱しているのが国立大学授業料ではないでしょうか。
  68. 雨宮忠

    政府委員雨宮忠君) 逸脱している、逸脱していないという、これまた御議論のあるところであろうかと思うわけでございますが、私どもといたしましては、例えば平成九年度の学生に対する授業料の改定幅につきましては、前回の改定幅に比べまして六割にとどめたというようなことも、これまた現在進行している社会経済情勢の状況というものを見据えてのことでございまして、私どもとしては安易な値上げを図っているということではございません。
  69. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 もう国民の生活感覚からははるかにかけ離れているお答えだと思うんですね。何しろ、普通の物価上昇率が三・〇五倍のところを国立大学授業料は、繰り返しますけれども、三十七倍、初年度納付金四十四倍の値上げですから、安心して子供が産めないほど国民生活に甚大な影響を及ぼすほどの安易な引き上げが繰り返されてきたんです。  この同じ「公共料金の取扱いに関する基本方針について」の5では、「公共料金の引上げに当たっては、改定の理由、根拠、具体的な経営の合理化策等を十分明らかにすることにより利用者の理解を得られるよう努める。」とあります。これに照らしてみてもやはり異常な値上げたと思うんですけれども、どうですか。
  70. 雨宮忠

    政府委員雨宮忠君) 隔年の改定でそれぞれの伸びをお願いしてきているところでございます。授業料の値上げというのは私どもとしても好んでしているわけではもちろんないわけでございますが、国立大学の運営、それから私立大学状況、それらを総合的に勘案して、この程度ならお願いいたしたいということで改定してきているところでございまして、御理解をいただきたいと思うわけでございます。
  71. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 好んでしているのではない、お願いしたいという言葉が出てきましたけれども、たび重なる値上げになれ過ぎてきていると私は率直に言って思います。  次の角度なんですが、一九六四年に国立学校特別会計制度をつくったときの趣旨に照らしてどうなのかということです。  当時、特別会計となると、独立採算を押しつけられるのではないか、こういう不安が起こって、わざわざ文部事務次官と大蔵主計局長との間で覚書が交わされました。四項目の覚書の中の2で、「この特別会計は、国立学校会計の独立採算を目的とするものではない。したがって、特別会計にしたことを理由として授業料等の値上げを意図することはない。」、こういうことを明記しています。  ところが、実際はどうだったのか。私は自分で計算してみてびっくりしました。一九六四年当時、この特別会計歳入の内訳は、一般会計繰り入れが八二・一%に対して、附属病院収入、それから授業料、検定料などのいわゆる自己収入が一七・二%でした。それが九五年度になると、それぞれ六二・〇%と三三・六%、こういうふうに大きく変貌しました。八二・一対一七・二が六二・〇対三三・六と自己収入比率が約二倍にもなっているんです。  ですから、この間、この特別会計総額、今度は額ですが、総額は十八・一九倍にふえているんですが、一般会計の繰り入れば十三・六〇倍です。そのときの自己収入の方はどうか、三十五・六三倍もふえ、中でも授業料、入学検定料は実に九十・七三倍もふえているんです。これは明らかに「授業料等の値上げを意図することはない。」とした六四年当時の覚書に反するものではありませんか。まるで独立採算でやれと言わんばかりの値上げの誘導がされてきたと言えるのではありませんか。
  72. 雨宮忠

    政府委員雨宮忠君) 御指摘のように、昭和三十九年に現在の国立学校特別会計制度がスタートしたわけでございまして、この特別会計制度は、基本的には一般会計と区分して国立学校の経理を国立学校教育研究の実態に応じてある程度弾力的に図ろうというような趣旨のもとに設けられたわけでございます。そのときに財政当局との間で、国立学校特別会計制度を設けるということを理由にして授業料を上げることはしない、そういうものを企図したものではないんだということをお互いに合意し合ったと申しますか、そういうことがあったことは事実でございますし、私どもはそのように認識しております。  それで、その後の授業料の値上げということでございますけれども、それは国立学校特別会計制度があるからということで値上げを図ってきたということではございませんで、先ほど来申し上げておりますような考え方に従って改定を加えてきたと、こういうことでございます。
  73. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 数字というのは冷厳に物を言うもので、すさまじいばかりの変貌があったというのは事実だと思います。  次に、国際比較の角度から考えてみたいんですが、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、いわゆる国際人権規約というのがあります。一九六六年に国連で採択されたこの規約は、その第十三条二項(c)で高等教育の無償化を進めることを各国政府に求めています。外務省で調べていただいたところ、九五年六月現在で、この規約を百三十二カ国が批准していて、もちろん日本も批准していますが、高等教育無償化を進める第十三条二項(c)を留保している国は日本とマダガスカルだけです。この事実について、文部大臣、どういうふうにお感じになりますか。大臣に。
  74. 雨宮忠

    政府委員雨宮忠君) 事実問題から申し上げたいと思います。  今、先生御指摘の国際人権規約のA規約の十三条のところでございます。「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。」というくだりでございます。  ここで私どもが気にしておりましたのが「無償教育の漸進的な導入」というところでございまして、例えばヨーロッパのフランスにつきましては、伝統的に国立大学という設置形態でもございますし、そんなこともございまして授業料は取っておらないわけでございます。また、ドイツにつきましても、連邦立というよりは州立が主でございますけれども、ここも伝統的に無償ということであるわけでございます。  そういうような国に対しまして我が国の場合につきましては、御案内のように国立大学、それから約八割近くが私立大学ということでございまして、これらにつきまして無償とする、国立大学も無償あるいは私立大学も無償ということは、これはなかなかできかねるところでございます。したがいまして、先生御指摘の部分につきましては留保させていただいたと、こういうことでございます。
  75. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) まあ、何でもかんでも無償無償でただでいけばいいんですが、国の予算にも限度がございますし、今、高等教育局長答弁を申し上げましたが、やむを得ないんじゃないでしょうか。
  76. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 問われているのは、私学であろうと国立てあろうといいんですよ、高等教育観なんです。権利としての高等教育、そして教育の最大の受益者は国と社会であるという、こういう基本哲学の上に高等教育の無償化の流れをつくっている国際社会の中で、日本はいわゆる受益者負担論、後期中等教育及び高等教育の受益者は学生であるという、こういう非常識をいつまでさらし続けるのかということです。この非常識が何をもたらすか、大学院生たちの本当に貧困な研究生活ぶりに見ることができます。  私は大臣に一緒に考えてほしいので、ちょっと読んでみたいと思うんですが、産経新聞社会部編「理工教育を問う テクノ立国が危うい」、これが問題を投げかけているんです。  京都大学から東大大学院理学系研究科修士課程に進んだ学生の例です。たくさんの例が載っているんですが、その一つですが、   平成四年春、上京。東京・東池袋の家賃四万九千円の木造アパートで独り暮らしを始める。間取りは六畳一間と台所とトイレ。「少しでも研究に時間を割くため、大学に近くて家賃の安いところを選びました」   収入は日本育英会からの貸与制の奨学金(月額七万五千円)と月五万円前後の家庭教師のアルバイト料。親からの仕送りはなく、授業料(半期十八万六千円)も収入の中から毎月一二万円ずつ貯金し、自分で払った。   「大学院に入ってまで親に負担をかけるわけにはいかなかった。それほど裕福な家庭ではないし、同年齢の人たちは皆、自立してやっているわけですから」   お金を浮かすため電車通学をやめ、大学まで約四キロの道を自転車で通う。食事は朝トースト一枚、昼食と夕食は安い学生食堂で済ませる。「ここ何年間、栄養のあるものを食べた記憶はないですね」   修士二年になり、研究が一層忙しくなったため、家庭教師の時間を減らした。収入は減少し、「授業料免除」を大学に申請したが、不採用。理由は「申請の半年前に急性心不全で他界した父親の生命保険が下りているから」だったという。   「生命保険といっても、母親がやっと生活できる金額なんですよ。ショックでした」。  日本は本当に教育貧国だと思いませんか、文部大臣
  77. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 生い立ちによって、あるいは家庭環境によって非常に苦労して大学あるいは大学院を卒業なさる方も、今こういう経済がかなり発展しました中においてもそういう方がいらっしゃるということは、先生の今の具体的な御発言で私どももよく理解をしたわけであります。さりとて、それじゃもうそういう方にも全部国費で十分な勉強を、あるいは学生生活を送ってもらうというのは、これはなかなかまいらない。  先ほど申し上げました五兆七千億円の文部省関係の予算は、義務的経費がもう八割近くあるんですね。政策経費は非常に少ない。そういう中で、なお未来のある科学技術創造立国のためにはどうあるべきかと知恵を絞って新予算を編成してもらったばかりでございますし、なるほど今のお話は無視するわけにはいきませんけれども、それを最重点あるいはその次というわけにはなかなかまいらない。文部省の予算の編成の過程においても非常に苦労したということだけは御理解賜りたいと思います。
  78. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 国政全体の中での苦労は私も想像できますけれども、大事なことは文部省の哲学が問われるということなんです。高等教育観、その哲学がなければ今後もどんどん歯どめなく学費は上げられ続けてしまう、押し切られてしまう、財政当局に。受益者負担論という国際社会に通用しない非常識を続けるのか、それともそこから脱却して、権利としての高等教育教育の最大の受益者は国と社会であるという、こういう基本哲学を確立するのか、文部省の一大決断が二十一世紀を前に求められていると思います。高学費路線を転換する決断が求められているのだと思います。このことを強調して、質問を終わります。
  79. 雨宮忠

    政府委員雨宮忠君) 受益者負担論ということについてお触れになりましたので、簡単に申し上げておきたいと思いますけれども、確かに高等教育について投資を行った場合に、その受けた高等教育の成果というものが国家なりあるいは社会に還元されるという、そういう側面ももちろんあるわけでございますが、また一方で、その教育を受けた本人自体がその知識を増し、また能力を伸ばしたという、そういう個人に受益があるという、そういう見方もまた一面あるわけでございます。  私どもとして受益者負担のみということはとらないわけでございますけれども、一方において個人も何がしかの益を得ているという、これまた捨てがたいところでございまして、公と個人の負担をどう考えるかという場合に、それらの状況もあわせて勘案しながら授業料の問題も考えていかなければならないというように考えておるわけでございます。
  80. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 きょうの委員会一つの会派が出席しない形で開かれる、しかもピケという議論を拒否した形が今衆議院で続いているということに対して非常に遺憾に思います。改めて議会制民主主義は何なのかということが問われていると思うんですけれども、それはやはり、本当に議論を尽くしてその上で多数決で物を決めていくというのが民主主義なのだろうというふうに私は思います。  その意味で申しますと本当に民主主義の危機なのではないかという危惧を抱くのですけれども、同時に、こうした委員会においても、質問してそれに役所が答えるという形の審議だけでいいのかという気もいたします。きょうはそういう意味で、大所高所から、それから次の世紀に向かって日本の教育について考えてみたい、そんな気持ちでおります。  大臣にまず伺いたいんですけれども文部省がお出しになりました「我が国の文教施策」、平成七年度版の白書でございますけれども、そこに、広範で急速な社会の変化を、これは日本だけじゃございませんで、もう地球規模で今経験している時代だというふうに思いますが、文教行政に求められている基本的な面の一つは、変化に柔軟にそして創造的に対応していくことだというふうに書いてあります。  私は、このことがもしかしたら今の文教行政の中で求められている最も重要なことではないか。今、価値が多様化している。その価値の多様化に対して、そして本当に百年に一度と言っていいような大きな地球規模の変化に対してどう柔軟に対応し、創造性を子供たちに持ってもらって次の世紀へ引き継いでいくかということだと思うんですけれども大臣はいかがお考えでいらっしゃいましょうか。
  81. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 私も全くそのとおりに感じております。  それで、戦後五十年、新しい世紀も目前に来ておるわけでありますけれども、これまでを振り返りまして、やっぱりこれは学校教育だけでなくて、日本のこれまでの風潮が何か物とかお金とかそういうものに頼り過ぎた嫌いがある。これからはゆとりを持って心を大事にしていくようなそういう時代、それにはまず国づくりのやり直しは人づくりからという感じを強く抱いておるところであります。  今、中教審でもいろいろな議論をしていただいておりまして、近く私どもに答申がちょうだいできるような運びになるそうでありますけれども、それを待ってどうしようというのでなくて、文部省の中でもいろいろ議論をしまして、そして新しい方向性を見出していきたいなと思っておるところでございます。
  82. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 大変心強く思いますけれども、アメリカの人が言ったことだそうですが、アメリカは、教育のバリエーション、多様性が大きいことに誇りを持っていると。日本はそれに比べますと、全体として、まあ文部省の御努力もあったんでしょうが、学力は確かにレベルは高いかもしれません。しかし、アメリカに比べて、またヨーロッパの国に比べても、教育のバリエーション、多様性ということにかけては日本は劣っているのではないかというふうに思います。  例えばドイツを見ましても、それぞれの州によって教科書を教育委員会がつくれる、アメリカもそれぞれの州によって教育委員会が独立した権限を持っている。そういうことに比べますと、日本は文部省が中央で決めてしまう。そういった意味で、地域としての多様性、あるいは教科書にしても一つ教科書ではなくて非常に多様な教科書。  そういった意味で、もっと教育が、ワンパターンではなくて、今の学校教育のあり方自体も多様である必要があるかもしれませんけれども子供たちがいろいろな教育のあり方を選択できる、そういった選択肢の多さというのが時代の要請なのではないかというふうに考えますが、大臣はいかがお考えでしょうか。
  83. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) まさにそうでございまして、先ほど馳先生からいろいろと御質問のありました高等学校における総合学科の問題につきましても、それの典型と言うと語弊がありますけれども、やはりそういうことを重視して取り組んでいくことも一つのあらわれであると思います。  それはやはり、教科書は国が責任を持って、四百三十八億円ですか、小学校、中学校教科書無償。それ以外の、例えば高等学校総合学科というようなものは、都道府県教育委員会が当該学校の責任者と相談して、設置をするか新しいのを取り入れるか。私のところの京都府でもある高等学校にコスモス科というのがことしできたわけでありますけれども、そういう非常に多様性、幅広く選択できる教育に移りつつある。非常に結構なことだというように思っております。
  84. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 そこで、私が最近一番危惧しておりますのは、学校の中の多様性も大変大事なんですけれども文部省の統計を見せていただきますと、学校へ行かれない子供たちあるいは行かない子供たち、いろんな形があると思いますけれども、どんどんふえています。私は二十年ぐらい前から学校へ行かない子供たちと実は仲よくしてきたんですけれども、今はもう八万人近い子供たち、小学生と中学生と合わせますと、一カ月以上学校をお休みして、だんだん学校へ行かなくなる子供が大変ふえています。  私は、その子供たちがやはり学校の外でも多様な教育を受けることが大事じゃないかと思うんですね。子供たち一人一人が大事であるにもかかわらず、その子供たち教育学校の外でなかなか十分に受けられない。最近、広島では、「あそびのページ」というところでこれは見たんですけれども教育長さんが、学校に行くか行かないかは最後は本人が決めること、学校に通わない権利も保障されているんだということをおっしゃった。これは大変大きな、何と言うんでしょうか、みんな目を見張ったわけでございます。  というのは、先日来、前回の委員会でも大変いじめの問題が問題になりました。私は二十年ぐらい前から、いじめで自殺した子供があると秋田に行き千葉に行きというふうに行ってきたんですけれども、きょう突然質問があるということでもう一度この日弁連の「いじめ問題ハンドブック」というのを見て、とても驚いたことに、二十年前といじめがほとんど同じなんですね。その当時もございました。  例えば「卵つぶし」、これは前からありましたけれども、かばんの中に生卵を入れておいて、文房具や本がみんなぐちゃぐちゃになっちゃう。  それから、女の子でとても私はつらいなと思いますのは、「玉ネギ」とか「茶ッキンしぼり」と言って、これは十五年ぐらい前にも、もっと前から言われたことなんですけれども、女の子のスカートを頭の上で縛っちゃう。そうすると手が自由にならない。ですから、格好としてはこういうふうになるわけです。  そういったいじめとか、それからトイレへ行って便器をなめさせたり、そういうことが例外ならいいんですけれども、実はそういったことがもう非常に多い。  それから、「シャモリンチ」と言って、これも私がまだ記者のころにあって、ああまだやっているのかと思いながらきのう見たんです。わざとけんかをさせる。鳥のシャモ同士がけんかをする「シャモリンチ」。それをみんなで見物するというようなことがある。そうしたら、私はやはり子供は学校に行かれないんだと思うんですね。  それで、子どもの権利条約をもう一回振り返ってみますと、どういうことかといえば、これも学校へ行かれない名古屋の子供ですけれども、今でも私はその子供の絵が忘れられないんです。どうして大人は、自分も子供だったのに、子供というのはまだまだ未熟なんだと考えるんだろう。子供は未熟なのではなくて、小さな大人なんだと、その子は書いていたんですね。子どもの権利条約が非常に新しい視点と申しましょうか、を持っているとすれば、それは、子供があくまでも一つの主体として存在するというところに位置づけている条約だからだろうというふうに私は思っています。  子供の持っている独自性とか個性を大人と同じようにとらえる。だから、大人の基準で未完成な大人として考えるんではなくて、子供の独自性、個性を大事にして、子供を子供として完成して人間として扱っていく、そういった思想が子どもの権利条約だろうというふうに思います。  きょうはぜひとも大臣にその視点から伺いたいんですけれども、こういういじめに遭った場合、私は自分だったら学校に行かれないだろうと思います。  きのう、たまたま伺った話なんですけれども、理科の教室の実験着やなんかを入れるちょっと大きい引き出しがあるそうですけれども、その引き出しの中に子供をエビみたいに、体はやわらかいですから突っ込んで引き出しを閉めちゃった。それで、先生が来て、一生懸命子供は中でがたがたしたそうですけれども先生もあけてくれなかった。気がつかなかったんだと思いますが、それで、やっと自分の力でその引き出しを、指が一本だけ出たのでこじあけて出ることができた。しかし、以来、怖くてもう学校にその子供は行かれなくなったという話を聞きました。私だって、そんなことをされたら怖くて二度と学校へ行かれなくなってしまいます。  学校というところは大多数の子供にとっては大変幸せなところなのかもしれません。それはそういう子供も恐らくたくさんいるでしょう。しかし、いじめの対象になった子供にとってはこんな恐ろしいところはないと思うし、それから子どもの権利条約の精神で言えば、トイレをなめさせられたりセクハラ的なことをやらされたりしたらば、子供といえども大変プライドが高いので、本当に子供は傷つきます。  そういった学校外で過ごさなければならない、五年、十年と長い間学校へ行かない子供たち教育について大臣はどうお考えでしょうか。  大臣に、きょうはまさにディベートと思っていますので、感想で結構です。文部省見解はもうわかっています。そうではなくて、そういう今、学校に行かれないでいる八万人の子供たち教育について奥田文部大臣はどうお考えでしょうか。
  85. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 先生は八万人とおっしゃいましたが、私が聞いておりますのは七万七千人。つまり、一カ月以上登校していない児童生徒平成六年、トータルで七万七千人。  ただ、これは一つタイプに限定して、割り切ってというような御発言ですが、個々のケースが違うわけですね。ですから、私が従来から申し上げておるのは、まずいじめが起きないように、地域学校社会とが連携をよくとって、いじめの予防を徹底してやってもらうということが先決ですよと、もしも起きた場合にも、やはり縦横の連絡をとって対応策を至急にとってくださいということを言っておるわけです。  こうしたらそういうロッカーに押し込められた生徒の悲惨な状態は直りますというような、それは一概には言えぬわけですね。ただ、後から先生が気づいて発見をされて、そして家庭に連絡をされてもなかなかうまく機能しない。そして、いじめられた方の生徒はしょげたままというような場合には、それでもいじめられる側は毎日学校へ行きなさいよ、それからいじめる側を余り先生らが避けて通るというようなこと、これは私はあってはならぬわけで、最悪の場合には、いじめる側がどうしても言うことを聞かなければ、しばらく登校停止と。あるいはいじめられた側が親と相談し、学校と相談して、そして転校するという場合も考えられるわけですね。一つ一つそれは家庭と学校とがよく連絡をとって、そうしていじめを早く断ち切るということ、私は対応策をとっていく必要があると思います。
  86. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 これは文部省の「生徒指導上の諸問題の現状と文部省の施策について」ですけれども、今まで随分、いじめ対策というのはもう本当にここのところずっととられてきました。しかし、ずっとふえているんですね、学校へ来られない子供たちが。もし本当にここまで真剣に文部省対応しておられるんなら当然減るはずなんです。でも、減らない。それはやはり学校の中に本質的なひずみ、ゆがみがあるんではないかと思うんですね。  私はきょう質問があるということを知らないままで、十日ほど前に十人ほど子供たちがあらわれて、私は学校へ行かない子供たちの餓鬼大将をやっていますから、みんな遊びに来てくれて、きょうもそこに来ているけれども、ブルーのセーターを着ている須永君という人が、私が初めて会ったのは四年前で小学校の六年生でした。そのときは、定期が高いから何とか学割にしてほしい。それで、文教委員会でお願いをして、それは実現いたしました。  それから四年の歳月がたってまた会って、すっかりたくましくなったんでけれども、僕は本をつくったと言って、きょう本をいただいたんです。「僕らしく 君らしく 自分色」と書いてあります。それで、彼が書いたことですけれども、  この本は、今いじめなどで苦しんでいる人たちに、学校へ行かない生き方もあることを知ってもらえればいいなあと思って作りました。学校に行かない生き方として本当の自分を生きることができることを、もっともっと伝えたかったのです。僕が僕らしくあるように、君も君らしくあってほしい、という気持ちで…… というこの本。  私も今いただいたんですが、これはあけてみたら、「奥田文部大臣に」と書いてございまして、彼から文部大臣への贈呈の本ですけれども、「この本は、いじめや登校拒否を経験した僕たちが、本音を知ってもらいたいと思ってまとめました。ぜひ読んでください。 三月十四日」と彼は書いていますから、大臣に後でお渡しいたします。  今つらつら読んでみて、大臣がおっしゃるように、家庭とそれから学校先生が協力してできるんならとてもいいと思うんですね。でも、これだけ減らない以上は、五年、十年と学校に行かれないでいる子供たち、義務教育はもう終わってしまったわけです、須永君にしても。そういった子供たちがやっぱり学校の外で教育を受ける権利もあるのではないかというふうに思います。  これは、いじめ自殺の子供が相次ぐ中で本をつくろうという声が出て、十八人の子供たちが一緒になってこういう本を書いた。  それで、今おっしゃったように、先生に言えばいいとかいろいろありますけれども、この中で、汚い、気持ち悪い、ごみとして扱われてどうすることもできなかった、そうやって学校へ行かれなくなった子供。それから、これは女の子の書いたところを読ませていただくと、「教育という便利な言葉に隠されたいろいろなものを私は見てきました。それはセクハラであり、暴力であり、脅しでした。つまり、いじめだったのです。あれほど公然と教師によるいじめが行なわれている中で、生徒同士のいじめが起こらない方が奇跡ではないでしょうか?」と言って、この人は先生にいじめられたというケースもあります。それから、「学校に行っていたことは私にとって害でした。自分を殺さねばいられない人間にならざるをえなかったから。」と。  そして、これをまとめた須永君自身も、彼の場合は背中からカッターでつつかれたりしたということですけれども、そのことを先生に言ったらば、君が悪いんだ、自分が悪いんだというふうに言われた。先生に相談したけれども、あなたが悪い、それで結局自分のいる場所がなくなってしまった。だから、大河内君が亡くなったときとかそういったときに、ああやっぱりみんないる場所がなくなっちゃったんだということを思ったし、そしてこれからもきっと自殺は続くだろうと思うということなんですね。  ですから、確かに全国で平等な教育は日本の教育のレベルを上げているかもしれません。しかし、ここに新しい不平等が起きているんではないでしょうか。それは、学校へ行っている子供と行けない子供、行かない子供たちの間の不平等でございます。とすれば、学校以外のところで学ぶ、正確に言えば七万七千人ですね、小学生が一万五千七百八十六人、中学生が六万一千六百六十三人、これは平成六年の統計ですけれども、八万近いそういった子供たちが、学校の外で育ち、そして学ぶ、そういった権利があるんではないでしょうか。  イギリスの場合にはもう一九四四年にエデュケーションアクトの三十六条に、学校その他の方法で教育を受ける権利があると。日本も憲法の中には当然教育の権利は認められているわけですから、学校という建物以外のところで学ぶことの権利というのを認めていただくということが、こういった子供がどんどんふえればふえるほど私は大事になると思っておりますが、いかがでしょうか。
  87. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 確かに登校拒否の生徒がふえてきておるということは否定いたしません。しかし、ふえたからといって、そうしたら学校以外の別のところでそれにかわる教育をということはどうでしょうかね。それは容認することになりますから、やはり学校に戻って、そして教育を早く受けるということに手を尽くす方が私はベストだと思うんですが。
  88. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 私も戻ることが可能であれば、それはそれでいいと思うんです。ですけれども、ぜひこれを読んでいただきたい、子供たち自分で書いていますから。  行ってみるとまたいじめられる、行くとまたいじめられる。私がとても忘れられないのは、一人の子がそうやって余りいじめられるので転校したんです。そうしましたら、その子に一番似ていた子が今度は対象になってしまった。だれかクラスでそういういじめの対象をつくるわけで、転校していった子供にただ似ていたという理由でいじめの対象になって、その子はとても苦しんでいました。それで、その子が転校すると、次にまたその子に似た子がいじめられるかもしれない。  それで、大変大きな不平等があると思いますのは、文部省数字をいただきましたけれども、小学校の場合、公立の学校でしたらば年間七十五万九千円、およそ七十六万円かかっています。中学校で八十二万円かかっているわけです。ですけれども、こういった学校外にいる子供たちはそういった恩恵を受けないわけです。そして、例えば定期券一つにしても、高校になると、義務教育ではないので定期券の割引がなくて、今度は三倍かかるようになってしまった。辛うじてみんな親がお金を出してフリースクールとか塾とかいろいろな場で教育を受けるわけですけれども、その場合にも図書館がない、グラウンドがない、伸び伸びと体を動かすチャンスもない。  私は、せめて学校外でしか育ち得ない、自分らしく君らしく自分の色をと言っていますけれども、こういった子供たち自分の色を持ちながら伸び伸びと育つためには学校外教育を認めていただいて、そして運動ができたり、例えば土日に近所の学校を開放してあげるとか図書館を使わせてあげるとか、そういったこと。それから、親も経済的に大変悩んでおります。そういったお父さんお母さんに補助をしてあげるというようなことがまた本当の意味の公平につながっていくんではないかというふうに思いますので、もう一度その点を伺いとうございます。
  89. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 文部省社会教育の一環として学校外での児童生徒の健全な育成を目的としての活動を重視していることは、これは当然でありますけれども、それはあくまで学校教育、今の制度を前提とした上での話でございますから、先生の今のお話を聞いておりますと、学校へ行けない子供、七万七千人の生徒のために学校とは別の機関を考えたらどうかという御提言については、私はそれじゃ検討しましょう、前向きにと言うわけにはなかなかまいりません。
  90. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 じゃ、その子たちはどうしたらいいんでしょうか。
  91. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 繰り返しますけれども、やっぱり家庭と学校地域がもう少ししっかりしてもらうと、その三つのどこかに欠陥があるから。一番しっかりしてもらわなければならぬのは私は家庭だと思うんですね、特に、一足す一でなくて、しつけの面におきましては。そうして、朝八時ごろに登校しまして三時半か四時ごろに下校するというのであるとするならば、学校生徒がいる時間帯はこれは何が起ころうと学校に責任があるわけでありますから、生徒先生に連絡をする、連絡を受けた先生はきちっと横の連係プレーで対応をしっかりやるということ。そうしてもう二度とそういうことが起きないように、それからもしそれが起きたという連絡を受けたら、その生徒が卒業するまではずっと注意深く観察しておるということも私は大変大事なことだと思います。
  92. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 七万人の子供たち、これは大変な数でございます。その子供たちがもし大臣がおっしゃったようなことで減っているのであればもっと御努力いただきたいとお願いをしますけれども、実際に自殺とか、そしてここに書いてある子供たちも五年六年七年と学校に行かないでいる。でも、文章もすごくちゃんとしています。  悩んで、苦しんで、その上でちゃんと自分の名前を書き、そしてみんな堂々と、さっき私が出ていって、須永さん、あなた、自分の名前を私が言ってもいいかと言ったら、いいと、そう言いました。みんなこうやってちゃんと写真を出し名前を出して堂々と発言している。文章だってしっかりしています。そうやって世の中に訴えている子供たちがいるということです。七万人もいるということです。その子供たちはやはり教育を受ける権利がある。学校に戻れ戻れとおっしゃってももう二十年。ですから、二十年たってもそのことは直っていないわけですね。  子どもの権利条約には、あらゆる形態の身体的もしくは精神的な暴力、傷害、虐待、こういったものから児童を保護するため、立法上、行政上、そして教育上の措置をとることが十九条に決められています。今やもう子供たちはだれも好んで自殺なんてしていないし、大半の子供たちは、これを読む限りでは自分も死にたいと思った、そのぐらいつらい思いを子供たちはするのですけれども、それでもほとんどの子供は死なないで、そして学校というところに行かないでいる。  それで、広島の教育長さんが言ったみたいに、学校へ行かなくてもいいんだよ、命をかけてまでその空間に自分を置くことはないんだというふうに広島の教育長さんが言った。私は、それはもう現場の切実な声なんじゃないかと思うんですね。教育長さんがそう言わざるを得なかった。子供が死ぬぐらいなら、一つの命がなくなるぐらいならそれはやはり命を大事にした方がいい。  しかし、子供たちは日本の宝でございます。次の世紀を担う子供たちはそれなりの教育を受けたい、学びたい、お友達も欲しい。とすれば、その子供たち学校の外で、おうちでなりフリースクールでなり塾でなり学ぶことに対して国としての責任が私はあると思いますので、もう一度大臣に伺って、おしまいにしたいと思います。
  93. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) 何回言っても一緒だから、局長に答えさせます。
  94. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 いや、もういいですよ。文部省のおっしゃることはわかっている。それはもう重々ずっとわかっている。
  95. 小野清子

    委員長小野清子君) それでは、一応手を挙げておりますので、遠山局長
  96. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 先生がおっしゃるように、いじめを受けて心身の安全が脅かされるようなそういう深刻な悩みを抱えている子供たちにとっては、それは学校へどうしても登校しなければならないということではなくて、あくまでも児童生徒の立場に立って、いじめの実態に応じて弾力的な措置というのは認められてよいものだと思います。  ただ、やはり学校教育という制度がございますので、できればそこに復帰をするということで、親なり先生なりいろんな身近な人が協力して学校に復帰できるように支援をしていくということが一番大事ではないかと思います。
  97. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 じゃ、局長に伺いますけれども、そうやってその子供が翌日もし死んだらば、局長はそれで責任がとれるんですか。  子供は、さっきの子どもの権利条約でも言っているように、小さな大人なんです。自分の身が危険で、殺されたりそんな引き出しの中に入れられるようなことがあったらば子供だって学校には行かないんですよ。その場合に幾ら戻りなさいと言われても、教師が体罰の教師だったりする、そういったときに子供は戻れません。その戻れない間の教育をやはり私は保障すべきだということを申し上げているわけです。
  98. 遠山耕平

    政府委員遠山耕平君) 私が申し上げたかったのは、そういう深刻ないじめに遭っているときにすぐ学校に戻ってほしいということではございませんで、それはいじめがなくなるように学校の方では適切な措置を当然とるべきだと思います。  子供の方でそれが心の傷となって登校できないという場合には、登校拒否児のために適応指導教室というのが各地にございますから、そこに通って集団生活になじむことから始めて、できればまた学校に戻るというのが望ましいあり方だと思います。
  99. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 時間なのでやめさせていただきますけれども、それはここにあるように僕や君が自分色で生きられる生き方ではございません。全く違っていると思います。学校自体がそういう画一的な部分や今ひずみがあるということを文部省としては考えていただきたいということをお願いして、やめさせていただきます。  ありがとうございました。
  100. 江本孟紀

    ○江本孟紀君 よろしくお願いします。  文部大臣が就任されて、もう何度かこの委員会をやっておりますけれども質問事項を通告しない質問というのが割方ちょこちょこ出ておりまして、そのたびに大臣はすぱっと気持ちよくお答えになられておりますので、私もちょっと一つだけ。  急な話で申しわけないですけれども、どなたも多分出しておられなかったので、一つ聞きたいのは、先日、沖縄の小学生のレイプ事件の判決が出まして、それにかかわることなんですけれども、沖縄の教育界もそのことで非常に盛り上がり、盛り上がりという言い方はおかしいんですけれども、いろいろな動きをされております。そういった影響も考えて、この判決を機に文部大臣の沖縄教育界へのコメントをひとつしていただけたらと思います。
  101. 奥田幹生

    国務大臣奥田幹生君) この間、裁判がありました。その後、沖縄の知事さんが記者会見で、その判決についてのコメントでなしに、今の米軍の基地があることに対して沖縄県民を代表されてのいろいろとお言葉がございました。  それで、私どもも同じ日本国民でありながら、沖縄の皆さん方は、ああいう基地があることによって、あるいは少女が非常に痛ましい暴行を受けたということで、私ども本土に住む国民よりも非常に大きな痛手を受けながら長い間今日まできておられたごとを、決してよそごとであるというような感じでなしに、同じような気持ちを持ちながら対応していく必要があるのではなかろうかなという、新たな思いをしなけりゃならぬと自分に言い聞かせたような、そんな感じであの新聞の報道を見ておりました。
  102. 江本孟紀

    ○江本孟紀君 次に、通告どおりの質問をこれからさせていただきますけれども、まず、大学の郊外分散見直しというところから御質問したいと思います。  これは昨年の十月二十五日の新聞に「大学の郊外分散、見直し 大都市での新増設緩和 社会教育充実へ 文部省」という記事が一面に載りました。この内容は、工場等制限法を根拠に一九七〇年代半ばから本格的に大学の新・増設に対する抑制策というのをとったということですけれども、これは一極集中排除を目的とした規制であり、これを時代に合わなくなったのでそろそろ見直したらどうかというような記事でございました。それで、この「規制の法律を担当している国土庁との間で弾力的運用の促進や改定などについて協議に入った。」というふうに書かれております。  実は、この記事が出ましたときに、私は割方学校関係者も知り合いが多いのですけれども、その中でたまたま専門学校の副校長さんから電話がありまして、やっとこういったことを見直してくれるのかということで、非常に改定をしてくれることに対する待望論というのを聞かされました。  特に、大学は随分いろんなところへ行きましたけれども専門学校というのは比較的都心にあって、そして小さな校舎だとかそういったところが多いわけです。それが生徒がふえたり、それから少し教室をふやしたいと言ってもこの規制にかかってどうにもふやせない。それから、もう少しふやして教室をつくっていかないと経営上も大変苦しいというような問題がいっぱいあるんだけれども、常に工場等制限法という法律で遮られているというようなことを盛んに言っておりました。  その中で、この新聞の記事に出ておりましたように、国土庁の方と文部省がこうやって弾力的に協議をしていくというようなことについて、それは本当なのかどうなのかという言い方はおかしいんですけれども、その辺のお考え文部省と国土庁にお聞きしたいと思います。
  103. 雨宮忠

    政府委員雨宮忠君) 大都市におきます大学の立地の抑制策ということに関しまして、大まかに言いまして二通りの規制と申しますか、が働いておるわけでございます。  一つ文部省サイドの話でございまして、これは高等教育の計画的整備を図る、あるいは地方における、大都市以外と言うべきかと思いますけれども、地方におきます高等教育の機会を確保する、失わせないようにする、そういう観点から大都市への大学の新・増設を抑制するという、そういう方策を一つとっているわけでございまして、具体には文部大臣設置認可権を持っております大学、短大が新たに大都市に設置したいというようなことになった場合にはそれを抑制すると、そういう方策につながるわけでございます。  もう一つは、今、江本先生が御指摘の工場等制限法の問題でございまして、これはその法律に書かれてありますように、基本的には産業あるいは人口の大都市への過度の集中を防ぐという観点から関係施設の立地の抑制をすると、そういうことででき上がっておるわけでございまして、その両用の規制の効果と申しますか影響を受けまして、いわゆる大都市地域におきます集中度というのが大変緩和されておるというのは事実でございます。  ただ、今、江本先生が御指摘の新聞記事で国土庁と交渉しておるという事柄は、今二つ申しましたうちの後の方、工場等制限法の関連の運用にかかわることでございまして、これは後に国土庁の方からも御説明があろうかと思いますけれども、原則的に禁止、しかし場合によっては例外的に認められることがあるというのが法令の建前になっているわけでございますが、若干運用においてそこが厳しく運用される、これは具体には都道府県のことでございますけれども、厳しく運用されているのではないかという指摘があるわけでございます。  例えば、少人数教育の実施でありますとか、あるいは教育機器を新たに導入して教育方法を改善するというようなことのために教室を増設したいというような場合があったときにも割合に一律に禁止、制限すると、こういうような扱いが行われているのではないかという指摘もございまして、場合によってはそれは緩和されてしかるべきではなかろうか、その辺について運用はいかがであろうかということで国土庁と御相談申し上げておると、こういうことでございます。
  104. 有賀長郎

    説明員(有賀長郎君) 工場等制限法を担当いたしております国土庁でございます。  この工場等制限法でございますけれども、大都市の中心部への人口や産業の過度の集中を防止する、そして都市の環境の整備・改善を図るということを目的といたしまして、大学等の教室の新・増設を一定の場合に制限するものでございます。今日におきましても、なお大都市の中心部におきます人口、産業の集積、これは依然として大きいものがございます。国土の均衡ある発展を図るという国土政策の観点からこの法律の基本的な枠組みは引き続き維持していく必要があると考えておるところでございます。  しかしながら、文部省からもお話がございましたように、今日、大学において、例えばカリキュラムが多様化し、一方、科目ごとの受講者数は少人数化するといったようなことから教室の増加が必要になるというようなことのように、大学を取り巻く種々の状況が変化しておるということでございまして、こうしたことから、こうした状況対応できるように同法の運用を弾力化すべきではないかといったようなことを文部省初め大学関係者から要請をいただいておるところでございます。  そして、新聞記事にありますように、国土庁といたしましてもこうした要請を踏まえまして、特に文部省と密接に連携をとりながら、今日の大学における教室の面積の実態、あるいは教室の利用の形態、さらに教室の増加の必要性といったようなものをよく点検いたしまして、この法律の適切な運用のあり方というものを検討している最中でございます。
  105. 江本孟紀

    ○江本孟紀君 それはぜひお願いしたいと思います。  というのは、これはもうちょっと説明させていただきたいと思いますけれども考えてみれば大体これができた根拠というのは、今お答えになったように、都市に一極集中してはいけないということは十分わかります。これができた三十年ほど前はそうであったかもしれませんけれども、その中で特に学校だとか工場なんかで多くの従業員が、昼休みなどにどっと一斉に例えばトイレの水を使うだとか、それから近くの飲食店等にばあっと行くとか、いろんな環境を崩すというような弊害があるんじゃないかということでこれはっくられたんです。  それで、それはそれでよかったと思いますけれども、もうすっかり今や時代が変わって、大学なんかは随分、中央大学のようにそっくり八王子の方に行きましたし、我が母校も半分ぐらいは郊外に移って、大学なんかはかなり移っておるんですけれども、実際に動けない専門学校だとか、各種学校も含めてそうですけれども、そういったところで非常に経営的にも苦しいというようなところがあって、それがこの法律によって全くがんじがらめになっておるというようなことで非常にこれに関しては不満が多いわけですね。  じゃ、現実にその跡地はどうしているか、大学が出ていった後はどうしているかといえば、これはもうオフィスビルをばんばかばんばか建てて、そして結果的に今のバブルの崩壊、住専問題も含めたら、これは大学なんかはぼんぼんぼんぼんよそへやっておいて、あいたところへ無制限に、無制限とは言いませんけれども、オフィスビルには制限はほとんどないわけですよ。それをどんどんどんどん建てて、結果的にこういった状況になっているということを考えれば、まあそのことばっかりではありませんけれども、これは早急にこういった問題を解決できるようにぜひお願いしたい。  第一、東京都庁を見てください。あんなところへ、あれ何千人かおるわけですけれども、あれはいいのかなということになるわけですよ。あれももっと遠いところへつくってくれりゃよかったなと。それで、あそこでホームレスの問題が出たりなんかしたのも結局は、ああいう都庁だとかオフィスビルだったらいい、学校じゃだめなんだというのはもう既におかしい話ですので、ぜひ検討していただいて、この規制等の問題を何とか考え直してほしいなと思っております。  次の質問をさせていただきたいと思います。  学校の施設開放について、これもたびたびこういう中で出てきておりますけれども、もう一度お願いしたいのは、小学校なんかは、例えばこの周辺の小学校の校庭というのはもう本当に狭くて、これを校庭開放なんかして、施設開放してどんどん使ったらどうですかと言っても、狭過ぎて近所の人も貸してくれと来ないんですよ。それぐらい狭苦しいグラウンドになっておるわけですね。  これは、敷地が狭いからとかそこへ広いグラウンドをつくると金がかかるからとかいう問題じゃなくて、もう一つ考え方をすれば、学校によって校庭の広さが違うというのは本来おかしいですよね。ここの子供はこんなちっちゃなところで運動したらいい、田舎の方で広いグラウンドのところは広いところで遊べばいいと、これもちょっと考えてみると不公平だと思うんですね。  しかし、物理的に不可能であれば、例えば学校授業の中に広い校庭で遊んでもいいようなそういう時間を設けているのかどうか、そういったことをやっぱり考えるべきじゃないか。私は校庭の施設開放だとかいう、校庭だとかを含めて全部そうですけれども、そのことの問題と子供を本当に学校の中で遊ばせられることについて、学校によって狭いとか広いとかいって差別をしてはいけないんじゃないか。その辺についてどんなお考えなのか、少しお聞きしたいと思います。
  106. 小林敬治

    政府委員小林敬治君) ただいまの御指摘がございましたように、学校によって、主として大都市の中にある学校と、それから郊外といいましょうか、それ以外の学校でかなり大きな校庭の広さに差があるのではないかと私ども考えております。  ただ、技術的な理由から都市部、郊外という分け方が非常に難しいものですから、そういう形での校庭の広さを調べたことはないんですが、校地面積では、全国平均が一万五千百七十三平米であるのに対しまして、東京都二十三区を一例として挙げますと、八千八百十七平米でございますから、半分近くになっております。このことから見ますと、御指摘のように校庭にも広さに大きな差が出てくるということがうかがえるわけであります。  ただ、それにはいろいろな事情がありましてやむを得ずそういうふうなことになっておるわけでございます。例えば、体育館でありますとかプールなどを校舎と重層化するといったふうな工夫が最近盛んに行われておりまして、与えられた条件の中ではありますけれども、できる限り校庭の広さを確保しようというふうな工夫が行われているところでございます。  それから、御指摘がございました開放の方でございますと、グラウンドでありますとか屋体は、小中学校について申し上げるといずれも八〇%以上が開放の実を上げているということになっておるわけであります。ただ、プールにつきましては二〇%というふうにかなり低いところにとどまっております。
  107. 江本孟紀

    ○江本孟紀君 そういうことで、いずれにせよ子供が行っている学校によって体育施設やそういったものも差別を受けないような、もっと広いところで楽しく遊ばせられるような環境というのをぜひつくっていただきたい。そういうことを視野に入れて今後学校の創設その他のときには考えてほしいと思います。  それと、施設の開放の問題ですけれども、前から指摘しておりますけれども学校が終わって施設を使う場合に、管理が非常に難しいだとか学校に責任があるとかということで変に、開放と一応口では言いながらなかなか開放しているところというのは少ないと思うんですね。そういうところをまた別の方法を考えて、全くそれ以外の時間に校庭を開放する、学校の施設を開放する場合は違う組織をつくってそちらで責任を持ってもらう、自己責任を持って使用してもらうとかというふうにしないと、せっかくプールをつくっても一般の人が使わないとか、校庭も使いなさいとか体育館も使いなさいと言っても、いやちょっとというようなことで使わないこともありますので、ぜひそういう面もお考えいただいていい方策をしていただきたいと思っております。  以上で質問を終わります。ありがとうございました。
  108. 小野清子

    委員長小野清子君) 本日の調査はこの程度といたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時三分散会      —————・—————