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参考人(
大谷昭宏君) 御
紹介いただきました
大谷でございます。
こういう
国民生活・
経済に関する
調査会というのを参議院が持っていらっしゃること、そして日々先生方が御検討されていることにまず改めて敬意を表したい。そして、私をこういう形でお招きいただきましたことに感謝を申し上げたいと思っております。
今、
高山先生の方から大変貴重な御
意見をいただいたんですが、私は、御承知の先生方もいらっしゃると思うんですが、どちらかといえば現場を走り回っているといいますか取材で日々明け暮れておりますので、そういう現場の中からどちらかといえば肌で感じていることを先生方にお話し申し上げて、そしてまたよりよい
社会ということで考えさせていただいたと、そんな気持ちでお邪魔をいたしております。
今、
高山先生のお話を伺っておりますと、まきに
日本というのは深刻な状態といいますか、これから先が見えてこない、まさにそんなことを我々も実感するのであります。ただ、私は、楽天的といいますか、
高齢化社会あるいは
高齢社会といいますと、何かこれから先大変なことが起きるというふうにとらえがちだと思うんですけれども、そうじゃなくて、簡単に言えばみんながいっぱい長生きできる、
余り生き急がなくたっていいじゃないか、人生の中に相当の余裕が出てくるというふうにとらえるべきではないのか。だとすれば、ゆとりの出てきた時間をどういうふうに使っていくのかということが
高齢社会の最大の問題なんじゃないか。
私は、昨年はまさに一月十七日の阪神大震災に始まりまして、その
あと三月二十日の地下鉄サリン事件以降オウム真理教と、昨年からことしにかけましては、大多数の時間を専ら神戸とそれからオウム真理教の取材で過ごしたわけですけれども、そこで見えてまいりましたのは、阪神大震災の現場から見ると、まさに弱者あるいは
高齢者の方々に大変なことが降りかかってしまったということが一つでございます。それから、オウム真理教の事件を取材しておりますと、一体
日本の若若はどうなってしまったんだろうか。しかも、非常に優秀な若者たちがああいう道に走ってしまった。そうなると、我々真ん中辺にいるのは別といたしまして、
高齢者も若者も絶望している
社会になってしまっているんじゃないか。
これはちょっととんでもないことになっているんじゃないか。それがたまたま戦後五十年の年に起こった。阪神大震災もオウムも、それから沖縄の問題もちょうど戦後五十年の年に、地震は、戦後五十年だからそこをねらって起こすというわけはないわけです。あくまで偶然なんですが、私たち取材している側からいきますと、戦後五十年間我々が歩いてきた道がこれでよかったのか、ちょっと立ちどまって考えてみたらいいんじゃ左いかということを非常に震災もオウムの事件もあるいは沖縄の事件も問いかけてくれる。少なくともそれを受けた側としては、たまたまの偶然ではなかった、そういう問題を突きつけられたんだというふうにとらえるべきではないか。少なくとも私
自身はそういうとらえ方をしながら震災もオウムも取材を続けてきたつもりなんです。
きょうは兵庫選出の先生方もいらっしゃいますので、先生方は当然阪神大震災のあの現場をごらんいただいていると思うんですが、ちょうどきょうで阪神大震災は五百七日を迎えておるわけです。いつも私は東京とか関西以外のところで講演するときは、何十回でもいいからぜひ神戸を見にきてほしいと。これは、単に神戸がどうなっているかということを見るのではなくて、神戸を見ると瓦れきの下からちょうど今の
日本が一番よく見えてくる。ああ、
日本てこんな国だったのか、あるいはこういうところもある国なんだというふうに瓦れきの下から見えてくるので、できる限り神戸に来てほしいというふうに全国各地で訴えているところなんです。
神戸の取材をしておりますと、あのとんでもない震災というのは、ああそうか、なるほど十年後の
日本はこういうふうになってしまうんだなと。つまり、十年、二十年先のとんでもないことになってしまうかもしれない
日本の
状況を、たまたま震災というものがあったがためにそこで先取りして見せつけてくれているんじゃないかなという気がしてならないわけです。それは、国の政策が本当に一体何を目的にしているんだろうかということを逆に問いかけてくれているんじゃないか。
例えば、神戸というのは、御承知のように港湾とケミカルシューズとアパレル、観光というのが主な産業源であるわけですけれども、これがまず壊滅的にやられて立ち直る様子がない。
例えば、神戸港というのは、昔は世界一だとか、あるいは最低でも世界三番目だと言われたわけですが、ずるずる順位が落ちまして、今は世界七位ぐらいです。
あと五年かそこらたてば、恐らくロンドンとかオランダのハーグあたりにも抜かれて、世界で十何番目の港になってしまうだろう。
片やへ韓国の釜山は猛烈な勢いで追い上げておるわけです。例えば、四国から一つのコンテナを神戸に持っていくのに十万円かかるというときに、韓国の釜山に持っていけば六万円で行くわけです。それでいきなり北米ルートに乗せるわけですから、みんなもう神戸を通り過ぎてどんどん釜山に運んでいっている。釜山は恐らくアジア一の港になることは確かですし、いずれはひょっとすると世界一になるかもしれない。
そういうときに、例えば、
日本の国では、国際貿易港というのが先日は四国の徳島にできましたし、それから今度は秋田にできる。国際貿易港というのがいっぱいできてくることは、なるほどいいことかもしれない。しかし、その一方で、神戸という港あるいは横浜という港の競争力が分散化されるがためにどんどん低下していっている。
これが低下しても構わない、港湾というものに関してはもうこの辺でアジアに譲ってやろう、何も
日本が一番でなくてもいいんだから、これを譲ってアジアの
繁栄につなぐんだという国の施策のもとにそういうことが行われて、だから神戸は我慢しなさい、こういうところでの
お金もうけはもうアジアに譲った方がいいと
日本は考えているからこういうふうにしているんだという施策のもとで出てきているのであれば、ある
意味では納得できるかもしれない。しかし、そこに全く将来的な見通しがなしにずるずる順位が落ちていくというと、将来
日本の国というのは、簡単に言うと何で御飯を食べていくつもりなんだろうか。
兵庫選出の皆様方は御承知のように、ケミカルシューズという神戸にとっての地場産業があります。これは、大体二万人から三万人の
労働者を擁しているわけです。ところが、たかだか二万、三万の従業員しかいないのに事業所が六千近くあるという、まさに零細どころか本当に極小の企業体で成り立っているわけですけれども、ただそれだけ大勢の方がそこで御飯を食べている。
ところが、見ておりますと、現在、中国から年間二億足のケミカルシューズがやってくるわけです。二億足といいますと、
日本人一人が二足買わなければならない。それが神戸にどっと押し寄せてくるわけですから、とてもじゃないけれども神戸のケミカルシューズなんというのは成り立たない。
御承知のように、神戸の長田区というのは二十三カ国の人がいると言われているところでして、大勢のアジアの方たちが
日本に働きにきている。
日本に働きに来てみたら、何のことはない、
日本のケミカルシューズの工場というのはもう
日本ではにっちもさっちもやっていかれないといって、どんどん韓国とか上海、あるいは最近ですと中国の藩陽の方まで進出している。そうすると、アジアから
日本に職業を求めて神戸にやってきてみたら、何のことはない、そこで働こうと思っていた企業は、どっこい
自分が出てきた国へ進出してしまっているというような現象が起きてきているわけです。
そうなりますと、一体
日本の国というのは今後どうやって国の
経済を成り立たせていくつもりなのか、どういうところで発展させていくつもりなのかというのは、神戸の町を見ているとまさに暗たんとして先が見えてこないというのが私の実感であるわけです。
その一方で、現在も六万数千の方が仮設住宅に住んでいる。その仮設住宅の中で、六十五歳以上のお年寄りの方々が半数以上を占める仮設住宅というのは相当数あるわけです。新聞等で報じられておりますように、そこで孤独な死というのが次々に起きてきている。その仮設住宅に住んでいらっしゃる六十五歳以上のお年寄りの
うちの八割が、これは仮設ではない、私のついの住みかにしたい、ここを出ていったら八万や十万の
年金でどこの家が借りられるんだ、だとすればこの仮設で死んでいくしかないというような実情があるわけです。
それに対して、果たして国としては現在ある仮設を今後どうしていくのか、そういった見通しも全然生まれてこない。同時に、孤独死、孤独死というふうに報道されておりますけれども、これは単に孤独死というよりも、全くコミュニケーションのない
社会に置かれてしまっている。
例えば、長田区のお年寄りたちというのは、ハイカラなのかどうかわかりませんけれども、毎朝
自分たちで御飯をつくらずに喫茶店のモーニングコーヒーを飲みにいって、そこでおしゃべりをして、それから三々五々
自分の家へ帰ってくるというのが一つの
生活パターンになっているわけです。ところが、厚生省としては、当然のことながら仮設住宅でそんな喫茶店をやられちゃたまったものじゃない、ましてや居酒屋なんかやられちゃたまらないわけです。だから、そんなものを営業するのはとんでもないと。
そうすると、お年寄りたちというのは、朝から晩まで全く行き場がないわけです。しかも、雲仙・普賢岳とか奥尻のように非常に小さな、小さなと言ったら失礼ですけれども、小さい範囲の中で紀きたところでは、町内会ごとの移動がある程度できたわけです。ところが、あれほどの大災害に在りますと、全く見ず知らずの方たちがあしたから隣り合わせで暮らさなければならない。そこへもってきて、コミュニケーションの場を完全に奪われている。
ですから、普通ですと、あのお年寄りは最近姿が見えない、いや、けさモーニングコーヒーを飲みに来ていなかった、だからおかしい、すぐだれか行ってみろということで大いに救われていた部分が、何日もだれも行かないという
状況が出てきてしまった。こういうことに関して、今神戸の方では
個人補償、
個人的に立ち直りの資金を出してほしいという声が非常に高まっているわけです。
私は、財源のことを考えますとそう簡単に
個人補償というのは、じゃ一体どこからその
お金を出すんだということになれば非常に難しかろうと思います。ただ、少なくとも六十五歳とか六十歳とか、今後
自分が何か働いて
お金を稼いでいくという見通しのない方たちには何らかの、やっぱり助走をする、後ろからぽんと肩を押してあげるぐらいの公的なことができないんだろうか。これなぐしては、どうぞ仮設をついの住みかにして亡ぐなっていってくださいと言うしかないんじゃないか。少なくとも今私が見聞きしている範囲では、国の施策というのはそういうところにあるんじゃないか。しかし、私
自身も国の財源とかその他のことをいろいろ勘案しますと、そう簡単に
お金で解決できるとは思わない。
例えば、もし現在、東京の夕方にあの神戸の大震災と同じだけの規模の震災が来たら、これはあくまで試算ですけれども、会社とか企業の工場だとか社屋だとかそういうものを除いて、
個人に閲して補償したとしても恐らく四十兆円の
お金が葬るだろうと思う。そうなれば国の財源の半分が吹っ飛んでしまう。神戸で起きた震災が今後関東とかその他の地域で起きないということは絶対あり得ないわけですから、いずれそういう震災に見舞われるかもしれない。そのときに国家としては半分の
お金を持っていかれて国がやっていけるのかということになれば、
個人補償というのは非常に難しい面が出てくるであろう。
あるいは、もし阪神大震災で
個人補償をすれば雲仙・普賢岳の方々は黙っていないだろう、あるいは奥尻の方は黙っていないだろう。しかし、片一方は
国民の義援金の中から一
世帯当たり九百万円ぐらいが入っている、あるいは雲仙でも四百数十万円ぐらいが入っている。一方、阪神大震災はどう頑張ってみても三十万円か四十万円にしかならないだろう。じゃどうやってこの
お金を分けようかとなれば、家を建てる方の再建資金としてあの義援金を配ろうじゃないかということになるわけですけれども、そうなってくると、二千万円で家を建てる方に三十万円や四十万円渡したって、受け取った方は、何だ、これっぼっちかとしか思わないだろうし、もともと家を建てられない方にとっては三十万円、四十万円という
お金は大変貴重だけれども、建てる能力のない方のところには来ない。つまり、
お金だけで解決しようとすると大きな矛盾が起きてしまうんじゃないか。
私は、今回その震災の取材あるいは日々のジャーナリズムの活動を通じて一番痛切に感じていることは、これはもう
お金ではなくて、人の力をなぜもっと有効に利用できないんだろうかと。これは先ほどの
高山先生のお話ともダブってくると思うんですが、国の財源だとか
お金ということになっていけば、今後の
日本経済の見通しからいっても当然限界が出てくるだろう。
しかし、神戸であの震災のときにいろんな
人たちがいろんな
意味で頑張ってくれました。例えば、長田区であのお年寄りばかり住んでいる団地がつぶれたときに真っ先に飛び出していったのは、最近やたらと評判の悪い、髪の毛を茶色に染めた、言うならばくそ餓鬼というんですか、どうしようもない連中なんですけれども、でもこの連中が一番
最初に長田の団地に飛び込んで、ドアが開かなくなったところからお年寄りを引きずり出して、つぶれた西市民病院まで運んでくれたわけです。彼らはまさに実に立ち上がりが早かったわけです。立ち上がりが早いというのは
当たり前で、別に待っていたわけじゃなくて、朝まで自動販売機の前でごろごろしていただけの話で、だから立ち上がりが早かったわけです。
そういう
意味で、私は、神戸という町が絶望的な面を抱えている一方で、あるいは一つのマンションがつぶれて一カ月もニカ月も、何か一人の青年がえっさえつさと毎朝水を運んでくるからみんなが不思議がって、おまえ何でそうやって
うちのマンションに年じゅう水を運んでくるんだと言ったら、おっちゃん、おばちゃんは忘れたかもしれないけれども、下宿がつぶれたとき、このマンションの
人たちに私は引っ張り出してもらった、
皆さん興奮していたから僕の顔なんかは覚えていないだろうけれども、このマンションの人に助けられたから、ここはお年寄りが多いので少なくとも水だけは毎日運んできないというような若者たちもいたわけです。
そうしますと、私は取材を通じて、我々の
社会というのはある
意味ではそういう名もない、決して有名でもないし
お金持ちでもないし、だけれども日々まじめに働いて一生懸命生きていらっしゃる方、そういう大多数の方々に支えられている、ある
意味ですばらしい
社会なんじゃないか。あの時点で神戸の方々が見せた優しさというのは決してつかの間のものではなかった。検事から今
社会福祉活動をなさっている堀田力さんという方が神戸の現場を見られて率直な感想として言われた
言葉が、人間には助け合うという遺伝子が組み込まれているんだということをおっしゃったのが、私は一番神戸の現場を見た中で共感した
言葉であったわけであります。
だとすれば、これからの
高齢化社会の中で、
お金もない、それから今
高山先生がおっしゃったように
人口もどんどん減っていくんだということになるとすれば、そこにある、人々が持っている優しさに裏づけをされた
労働力というのをなぜ我々の
社会がもっと活用していこうとしないんだろうか。むしろこれからの高齢化あるいは少子
社会を支えていくとすれば、そこの部分をどうやって活用するかということにかかってきているんじゃないか。なるほど神戸には二百三十七万人の若者がボランティアとしてやってまいりました。これは我々の年代から見ても大変な驚異のことだったんです。しかし、やっぱり
日本の若者の中に何かの形で
自分は
社会にかかわっていきたいんだという気持ちがあるはずだと思うんです。
先ほど
高山先生は
アメリカの
社会を例に出されましたけれども、じゃ例えば
アメリカのボランティア活動というのと
日本と比較してみますと、
アメリカですと百二十五人に一つのボランティア団体がある。それでもってその非営利団体に所属していらっしゃる方、これが八千九百万人。これを
アメリカの
労働者の平均的な賃金で換算してみますとざっと一千八百億ドルになる。これはもし今の円で換算してみますと、単純な計算ですけれども、
お金にかえれば十八兆円の
お金になるわけです。そういたしますと、
日本の国家予算の四分の一に匹敵する
お金を
アメリカの
社会というのはボランティアの方々が稼ぎ出している。もしこれから
日本が現在ある七十数兆円という予算を大幅に上げて十八兆足した予算を組もうとしたら、これは先ほどのお話ではないですけれども、とてつもない増税につながってくるわけです。そんなことは到底たえられない方たちも多いでしょうし、無理に違いない。
だとすれば、せっかく神戸であのとき
皆さんが見せたであろう、私たちの
社会自体が持っている、そういうボランティアに限らず何か人のために役に立ちたいという力をどうやってこれから私たちの
社会が引き出していくかということに限りなく近づいてくるんではないか。だとすると、すぐ政治だとか行政の
社会だと、そうだそうだ、だからボランティア団体を支援するように国もやろうじゃないかとか、まず真っ先に、今度の神戸の震災ではおよそろくな役にも立たなかった役
人たちがこのあたりでちょっと点数を稼がなきゃいけないといって、早速、さあ厚生省だ、さあ労働省だというところがボランティア活動支援というふうに動き始めるわけですし、現在ですと、与党三党において市民活動促進の助成法案が、まだ三党合意にならなくて今回出るか出ないかわかりませんけれども、もちろん私は、そういう
意味で、国会の先生方がそういった
社会のために役に立ちたいと思っている方々を支援する、そういう形にしていただけたら大変結構なことだと思うんです。
現在ですと、例えばボランティア団体というのはなかなか法人の資格が取れない、法人の資格が取れないとコピー機一台、ファクス一台
個人で借りなきゃならない。相手は全く信用してくれませんから、そんなわけのわからない、法人にもなっていないところへは貸してくれない。ですから、そういう
意味で法人化していって少しでもそういう方たちの助成に役立てようというのは大いに結構なことだと思うんです。
ただその一方で、そうなると、先生方とか、あるいはお国とか役所にとって言うことを聞くおとなしい団体だけにはそういう助成をしてやろうじゃないかと。いつの間にかまた官僚の天下りあたりがそこら辺の総裁とかになって、ボランティア団体ができ上がっちゃって、そんなことになったら恐らく今の若者たちというのはまたぞろそこから離れていってしまうに違いない。
だから、私が望むことは、見え隠れしながら何となく応援してあげられるような、あの子たちが頑張れるような、そういう
社会をつくってもらえないだろうか。それは今後の教育の中で、国家のためとか国の安全のためとかいうんじゃなくて、いろんな
意味で
自分たちは
社会にかかわり合っていくんだよ、
社会というのは君たちを求めているんだ、いろんな形で求めていると。だから、あのときに茶髪の子たちが実に生き生きとしていたというのは、ひょっとするとあの子たちは初めて
社会からおれも求められているんだなと気がついたのかもしれない。
私が会った十七歳の女子高生というのは、ずっとボランティアをやっていたんですけれども、とにかくじじいたちがいろんな文句ばかり言って、肩もめの足さすれのと言って、もうこんなじじい頭にきたと思って、やってられないとか思って、電車に乗って大阪行って、友だちとおふろ入ったりトランプやっていたら、なるほど、そうしたら避難所でボランティアやっているよりははるかに楽だし、ところが、ローソンに買い物に行ってみたら、バレンタインデーの横断幕がある。その横断幕をひょっと見ているときに、待てよと、神戸では、まだ私が出てくるときにローソンのところには、あるいはセブン・イレブンのところにはまだ松飾りがついていた、あのまま神戸はまだ松飾りがついているんだろうかと思った途端に、
自分はやっぱり神戸に帰らなきゃいけないと思って、一週間ぐらいでとことこ電車に乗ってまた避難所へ帰ってきた。
そうしたら、足もめとか肩もめとかといって能書き垂れていたじいさんたちが、初めてその女の子に、おまえ風邪でも引いたのか、どこ行ってたんだ、おれたち物すごく心配したぞと。足もめとかさんざんわがまま言われているときは一回も泣いたことなかった。だけれども、一週間たって帰ってきて、おじいちゃん、おばあちゃんたちに、おまえどこ行ってたんだ、みんな心配してたじゃないかと言われたときに初めて大粒の涙がぽろぽろと落ちてきたというようなことを十七歳の女の子が一生懸命私に話をしてくれたことがある。
それからいくと、いじめの問題にしてもオウムの問題にしてもそうだと思うんですけれども、今の若い子たちというのは、家庭の中でも昔のように、稲刈りのときが来たらおまえがいなければ大変だとか、年末になったらおまえがいなければ大変だとかといって、どこかで必要とされたことが一回もないんじゃないか。
逆に学校教育の中でも、いつの間にか先生が、おまえがいなければこのクラスはもたないんだというようなことを言ってくれなくなっている。そうすると、今の若い方たちというのは、
社会とかかわり合っていきたくても、逆に
社会の中から、別におまえなんかいでもいなくても大丈夫だよ、この
社会やっていかれるんだよということがいつの間にかこの
社会の中の、特に若い方たちの中の大きな意識の流れになってしまっているんじゃないか。
そうではなくて、少子だ、
人口減少だ、高齢化だという
社会の中で、私たちが学校教育の中で、そうじゃない、
社会が必要としていない人間なんて一人もいないんだ、
社会はすべての
人たちを必要としているんだと、そういう根本的な教育の理念に立ち返った
社会をつくっていかなきゃいけないんじゃないか。
例えば、いじめの問題だとか、校内暴力だとか、不登校だとかいろいろ言われていますが、これは全く解決策がない。解決策がないわけですけれども、根っこのところに立ち返ってそういう教育を施していけば、例えば六歳の小学生からそういう教育を施したら、その子たちは十五年たったら二十一歳になっているわけです。たった十五年で私は世の中は変えられるんじゃないか。
少なくとも私は、そういう教育をこれからつくり上げていく中で、
社会の意識全体を変えていかないことには、増税だとか、あるいは財源の確保だとかという、そういう施策はもちろんここにお集まりの先生方の御専門ですから、一方でそういう施策が行われていく、その片方では
社会全体の流れの見直しという教育をこれから続けていかない限り、私はこの
日本の国というのはにっちもさっちもいかなくなってしまうんじゃないか。
ただ、希望があるとすれば、高齢化といって多くの方々がたくさんの時間を持てる。お年寄りたちは、特に田舎へ行きますとお年寄りっていろんな役が回ってきて忙しいんですけれども、都会のお年寄りほど暇な人はない。だから逆に言えば、都会のお年寄りの方が気の毒なんです。先ほどの若者たちと一緒で、
社会のだれからもあなたがいなければという声がかからない。逆に、
自分はこれから
社会に
負担をかけていく一方じゃないかという絶望感しか生まれてこない。
そういう
意味では、お年寄りも若者も、
自分は
社会に
負担をかけているばかりなんだというふうにしか思えないという、そういう国というのは
余り健康な国ではないんじゃないか。そうではなくて、若者もお年寄りも、あなたが持っている今の時間というのを
社会に役立ててくれないか、そうやって
お金でない
労働力が、先ほど申し上げたように、積み重なっていけば十七兆円という
お金になるかもしれない。
そういう
意味では、
アメリカのFEMAの緊急
対策大統領直轄機関というのは、まず行政を当てにしないで、大災害が起きたら四十八時間は家族のためにその後の七十二時間はコミュニティーのために使ってほしいということを明記しているわけです。むしろあれは災害をどうやって防ぐかということよりも、その災害に対する市民の心構えというところでは私は大いに
参考になるようか気がするんです。
そういう点からいきますと、小さなコミュニティーに始まって、
社会全体に大勢の
人たちがかかわり合っている、そしてその力を先生方あるいは行政がどうやってすくい上げて、そのことによってそれを出す
人たちも強い生きがいを感じろという
社会が、私は二十一
世紀の
日本の中でけひょっとすると唯一残る道なんじゃないかというような感じがいたしております。
先ほど申しましたように、阪神大震災、きょうで五百七日、だんだんだんだん、特にオウムの事件に巻き込まれまして、震災に対する思いは国全体から薄くなっているようですけれども、そういう
意味ではまだまだ
社会がうんとうんと後押しをしてあげないことには神戸が再びよみがえるようなことはない、そんな感じがいたします。
瓦れきの下から五十二時間ぶりに救出された晋輔ちゃんという坊やがいたんですけれども、晋輔ちゃんは救出されたんですけれども、その三時間前に掘り出されたお母さんは、晋輔ちゃんを最後までかばったのかして、先に掘り出されたんですけれども亡くなっております。見守ったお父さんはもうだめだと思ったんですが、その三時間後、五十二時間ぶりに救出された晋輔ちゃんは、真冬の青空の中でぱっちりと目をあけたわけですけれども、そのときにお父さんが晋輔ちゃんを青空に高々抱え上げて
最初に言った
言葉は、おまえは世界一強い子だと言って抱え上げたわけでございます。
そうやって震災の中から生き延びてきた
子供の中で五百数十人がどちらかの親を失っております。百数十人が両親を亡くしておるわけです。ただ、そういう若者たちにとっても、生き抜いてきてよかったという
社会にしていきたい。そのためには、あのときの瓦れきの下から見せてくれた、人が基本的に持っている優しさとか強さを政治の中に引き出していっていただけないか。ひょっとすると、遠回りのようでそのことが我々が
高齢化社会を乗り越えていく案外近道なんじゃないか、そんなことを感じております。
どうも失礼いたしました。