○板垣正君 やはり今大きな転換期にあるということは、これはもうだれも言うわけでございますね。現実に、戦後五十年
体制から五十一年目を迎えたこの現状、内外
情勢というものが、いや応なしに
日本の国としての姿勢、特に安保
体制に対する対応というものの転換を求めているんではないのか。
つまり、安保
体制は
戦争に巻き込まれるんだと言われた反対の人たちは、あの時代にも、これは
アメリカの
戦争に巻き込まれるんだと、
ソ連の
脅威はないんだと、こうあの時代は主張してきた人が、今度は冷戦後は
ソ連の
脅威はなくなったんだからもう安保は要らないんだと。そうすると、やっぱり
ソ連の
脅威というのは昔は認めていたのか認めていなかったのか、その辺非常なジレンマだと思う、矛盾していると思いますけれども。
要するに、この
一つの契機としてはあの湾岸
戦争の体験というものがある。あれで百数十億ドルのお金を国民の税金から出したけれども、ほとんどの国から尊敬されなかった、評価されなかった。さっき、
アジアにおいても
日本人は尊敬されておらない、嫌われておると。これは
本当に我々は真剣に受けとめなければならないと思うんですね。それはまた当然だと思うんです。みずからの富を誇り、そしてしかも危険に身をさらすことはお断りする、自分さえ、自分の国さえ平和であり繁栄すれば、こういうふうに受けとめられる姿勢というのはやはりそのまま尊敬されるはずもないし、また冷戦後の特に
アジア太平洋の
情勢というものはそういう形では済まない。つまり、今までは、率直に言って
アメリカに依存し、難しい問題は全部
アメリカさんにお任せするような形で今日までひたすらに
経済的繁栄を図ってきた、やはり私はそういう
見方ができると思う。
今や
アメリカは、超
大国とは言いながら、いろんな
意味における限度も出てきたし、また一国だけが
世界を牛耳れるはずのものでもない。そういう中で、やはり
日米安保
体制がある
意味で見直される、再確認される、そこに
日本が応分の今まで空白になっていた
部分を埋めなければならない。
有事とか集団自衛権とかが今急に論議されるようになった受けとめ方もありますけれども、これはもうずっと以前に、正常な
国家なら、少なくとも独立を回復した後、あるいは少なくとも冷戦直後ぐらいから
本当は論議を尽くして、冷戦後の
日本の国策の基本
方向というものはやはり大きく転換せざるを得なかったんじゃないのか。言うなれば、そういう難しい問題はなるべく避ける、
政治の場でもすぐ不毛な論議になってしまうから避けてしまう。避けている間に、いつの間にか
日本の常識は
世界の非常識、
世界の常識が通らない。何か、まさにそれこそ
歴史の教訓に学ぶべき
日本だけが特別の国なんだ、うちの国は平和憲法をいただいている特別な国であると、こういう国際常識の通らない、そういう姿になってしまっているという点、これが、
日本が顔の見えない国であるとか、何を考えているかわからないとか、こういうふうな評価を受けるゆえんではないでしょうか。
私は、そうしたものを含めて、やはり
日本が
日本なりの応分の立場において、しかも、
アジア太平洋の新しい二十一
世紀の展望の中で中長期的にもまた当面の問題としても、積極的に平和環境をつくり出していく、その基盤になるのは、やはり現時点においては
日米安保
体制を確認し、かつ
日本なりの、通常どこの国でも備えるべき有事に対する対応なりあるいは後方支援の
体制というようなものも整えるべきだと思います。
私は、この間の連休に、自民党の安保
調査会のメンバーでワシントンに数日間参りまして、向こうの防衛専門家やいろいろな方にお会いをしました。やはり、印象に残っておりますことは、朝鮮の話も出まして、
北朝鮮の崩壊はもう時間の問題だという
見方が多かったですね。これはいつとは言えないけれども、しかしもう三年以内には崩壊するだろうと断言した人もおりました。つまり、
アメリカが今
北朝鮮に向けてとっている対策は、いかにして静かに崩壊してもらうか、暴発されないように、そういう
意味合いを持ちました。
これと対照的に感じたのは、やはり
中国の
存在を非常に大きく意識をしているといいますか、そういう中で、これは時間も長くなりますからあれですけれども、やはり予防外交ということを非常に強調しましたね。
中台関係の
台湾における、あの
紛争を未然に抑止したということは、彼らは我々はよくやったんだという非常に強い思いは持っておりますし、私どももそう思っておりますけれども、やはり
中国を決して封じ込めようとしているんじゃないんだと、いかにしてこの国際社会に引き入れていくか、
周辺の
紛争をなるべく起こさないような姿でいかにつき合っていくか、これは私もやはりそうしたことを大事だと思いました。
集団自衛権とかそういうふうな話も一部出ましたけれども、彼らの言っているのは、それは
日本の国内問題ですよと、一国の国策はあなた方が決める、我々が
介入すべき問題ではないと。いかにすれば国益が守れるのか、それを決める
政治的意志が一番大事でしようと。まさにそのとおりですね。まさに問われているのは
政治的意志であって、我々の
責任であろうと。
こういう思いで、やはりこの安保の問題についても、
アメリカは
アメリカの立場で国益を
中心にしていることは当然ですよ。そういう中における
日本は
日本の国益をいかにして守るか。その中で共通にかたい同盟関係として確認し合えるものがあるはずであります。まあ、
共産党の上田さんの、
アメリカは頭がおかしくなったんじゃないかというのは、これはちょっと言い過ぎじゃないでしょうか。いやしくも同盟国として関係し、
相互に認め合っていこうという立場もあるはずですから、頭がおかしいというふうな言い方をする人こそ余りにも独善的で、余りにも傲慢ではありませんか。そういう点はやっぱり我々は評価しませんね。
さらにもう
一つ申し上げますと、やはり若い人たちが
アジアの人たちと心を開いて交流をして、
本当に分け隔てのない形で開かれていく、開かれつつある面が随分あると思いますよ。
同時にこういうことも聞くんですね。向こうの青年たちはやはり自国の
歴史に非常な関心を持ち、誇りを持っていますね。
日本の青年というのは
歴史の話が全然できないと。つまり、戦後非常に偏った自虐的な、自分の国は侵略ばかりやってきたんだ、
アジアで二千万人殺したと根拠のないような数字が教科書にまで出たりするような国で、何もかも悪いことをやってきたと真っ黒に
歴史を塗りつぶしてしまっている。そんな姿ですから、受験もなるべく近現代史は出ないから、一体、
本当にもう
戦争にしたって遠い遠い昔の我々と関係のないことだというような印象になってしまっておりますね。
幸いこれについては最近、東京大学の教育学部の藤岡教授を
中心とする新しい動きが出てきておりますね。東京大学の教育学部といったら、かつてはこれは日教組の本山ですよ。そこの教育学部の教授がみずからの教育学部の体験を通じて、どうもこういう真っ黒の
歴史を教える、これでもかこれでもかと、自国の
歴史は真っ黒なんですよと、こういう中では子供たちが
歴史に対して興味を失う、関心を失う、当然であると、誇りも持てない。それはやはり
歴史教育としては誤りではないか。やはり
歴史も事実は事実として、真実をやはり真実として率直に取り上げて教えていく、こういう形で新しい――この藤岡教授は何も大東亜
戦争肯定論じゃありませんよ、必ずしも。しかし、事実は事実として、やはり
歴史的に評価できるところはそのままに教えていくべきだという、もう今非常に勇敢に闘っておられますね。それも
一つの動きだと思うんですよ。
そういう流れの中で、やっぱり私どもは、反省がない反省がないと言われる。そんなことはありませんよ。
日本人で再び
戦争をやろうと心から思っている者はいないんじゃないですか。それは国を守るためには戦うし、国際的な正義のためには戦う。しかし、それ以外に侵略の野心を持って他国を侵して
戦争をしようなどと思っている者は一人もいないはずですよ。
その平和維持というものに、我々は与えられた憲法にではなく、我々自身に信念を持ち、
相互信頼を持って、やはりこの二十一
世紀の転換期における
課題、今直面している
日米安保
体制のあの共同宣言に織り込まれたことを確実に実行する。困難ではあるけれども、沖縄の基地返還、移設、これもやり遂げて、この関係というものも将来の基地縮小にもつなげながら、やがて安保
体制も過去のものになる時代が来ますよ、しかし、そのためにやはり今この
体制を固めていく。こういう点について私は深く感じておりますことだけ申し上げます。
以上です。