○瀬谷英行君
社会民主党の瀬谷であります。私は、実は
東京生まれで
東京育ちなんです。それで、戦前の
東京でずっと育ってまいりました。年齢的には
宇野会長さんと大体似たり寄ったりなんです。
そこで、今振り返ってみますと、昔の
東京というのは住みやすいと思いました。地方からどんどん
東京へ来る、
東京へ来れば仕事もある、給料ももらえるというようなことで、魅力があったんです。それから
環境もよかったんですね。何で
環境がよかったかなということをいろいろ考えてみましたけれ
ども、割合と余裕があったんですね。土地問題とか住宅問題とかという、そういう悩みがなかったんです。
それから、
東京に働く人はそんなに通勤に時間をかけなくてもいいようになっていたんです。当時の都電ですけれ
ども、ああいうものに乗って通うような、要するに、仕事も住まいも
東京都内でもって済ましていた、そういう状況にあったんですね。
ところが、今ではどうかというと、私の選挙区は埼玉県ですが、埼玉県から一日に百万の人が
東京都内へ通っているんです。神奈川県も同じぐらいだろうと思います。それから、千葉県も同じぐらいだろうと思います。それからさらに、山梨県、茨城県あたりからも通っていると思います。一日に何百万の人が
東京へ通っているんですね。
この通勤の往復の時間帯というものは何にもならないんですよ。遊ぶわけにいかないし、車内で一杯飲むわけにもいかないしね、勉強するわけにもいかない、何をやるにも中途半端。この通勤時間というのは得るところはないんですね。要するに、
一言で言うとむだなんですよ。だから、こういうむだな時間を費やさなくてもいいようにするためには、
東京自体が居住
環境がよくなきゃいけない。
関東大震災も私は体験しております、四つのときだったんですが。関東大震災を体験しておりますが、私の父親が書いておいた書き物を見ますと、大
地震が発生すると同時に大火災が起きた、消火栓がみんな壊れてしまったと、それで消火ができない、あっという間に大火災が起きた。被服廠跡では一遍に三万人の人が亡くなったと。それから関東一円で合わせて亡くなった方が十四万人だというんですよ。
阪神大震災では五千人あるいは六千人と、こういうふうに言われておりますけれ
ども、
阪神大震災の場合の死者の数と関東大震災の場合の死者の数じゃけたが違うんですよ。
しかも、あの場合は
東京都内のど真ん中に軍隊がたくさんありました。近衛歩兵第一連隊、第二連隊、麻布三連隊とか、工兵から軸重兵から全部合わせれば大変な軍隊がおったんです。ところが、あの関東大震災で
東京の大火災に対して役に立たなかった。
阪神大震災では自衛隊の出方が遅かったんじゃないかとかなんとかいろんなことを言われますが、仮にどんなに早くたって、火災の発生、
地震の発生する前に到着するわけにいかないんですから。そうすると、大
地震が起きた場合の
災害対策ということを考えると、軍隊は必ずしも役に立たないわけです。それよりも、密集家屋やら密集の人口でもって火災による犠牲者が出ないようなゆとりのある
環境をつくっておく必要があるだろうと思う。
だから、今度の
首都移転というのは、私は、単に
東京の
国会議事堂を
移転するということだけじゃなくて、
日本国じゅうの
環境というものをこの機会にもっとゆとりのあるものにする、つり合いのとれたものにする、どこか一カ所に固まらないでもいいようにするということをやる必要があるんじゃないかと思うんです。
去年の十一月に
首都移転問題のシンポジウムがありました。そのときにいろんな方から
意見が出ましたけれ
ども、私が記憶に残っておるのは、兼高かおるさんが土地問題をちゃんとやらないとまたその
候補地の周辺の地価が暴騰してしまうんじゃないかということを言われました。
だから、やはり土地、住宅でもって大もうけをすると、後に住専やら何やらで問題になるということのないように、まずそういう根本から決めていく必要があるんじゃないかと思うんでありますが、その点はどうでしょうか。