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参考人(
山谷清志君) 広島修道大学の
山谷でございます。きょうはこのような発言の場を与えていただき、大変感謝しております。
さて、私に発言を、説明をしろというふうにいただいたテーマ、
行政監察に
類似した
制度としての政策
評価というのがどのようなものであるのか、こういうことでございます。政策
評価というのを最近マスコミ等でよく耳にするわけでございますが、必ずしも
日本ではこれは一般的でございませんで、かなり誤解がある
評価手法でございます。
そこで、その内容について若干御説明いたしたいと思います。
ただ、
日本では余りなじみがないとは言いますけれども、ODA、政府開発援助の分野ではかなりこの手法が
日本でも取り入れられておりまして、外務省の経済協力
評価報告書あるいは国際協力
事業団等でこの手法によって
評価が行われております。
この政策
評価、なぜ
日本で余りなじみがないのかと申しますと、私が考えるには二つ問題がございまして、
一つは政策という概念がいまだに
日本では共通の合意をもって定着していない、もう
一つはこの
評価という問題が非常に難しい問題であった。結論から先に申し上げますと、
行政監察と政策
評価というのは実はかなり違った手法である。私のレジュメの五ページ目でその違いを図表にして説明しておりますが、若干それぞれ
目的も違いますし、方法論も違いますし、背景となっておる学問も違います。そういった
意味で、この政策
評価というのが
日本に定着てきるのかどうかというのはいささか疑問がございます。
さて、話をもとに戻しまして、政策
評価を考える前提でございますが、我々
行政学者というのは、実は政府活動を見る場合に二つの視点から見ることがございます。
一つは、
組織、
制度、手続、こういった方向から見る。この
制度の運用、手続の運営、
組織活動の運営、こういったものから見ていくという見方でございます。昨今話題になっております規制緩和とか
行政手続法、地方分権、民営化、これはまさにこういう
制度、手続、
組織の問題でございます。これまでは
行政監察あるいは
会計検査が主にこういう方向で
行政活動、広くいえば政府活動にアプローチしてまいりました。
それに対して政府の活動、
行政活動それ自体を見る、あるいは活動の結果を見るという見方もございます。これが実は先ほど
片岡先生からも御説明がありましたプログラムあるいは個別のプロジェクト、これを見ていくというアプローチでございます。ここでは政府活動、基本はプログラムでございますが、この政府活動が
国民にどのような効果あるいはインパクトを与えるのか、こういう視点から見ていくというわけです。
ここでとりわけプログラムという言葉が重要視されるのは、幾つかの
意味がございますが、字引を見ますと、プログラムというのは政党の綱領とかあるいは
アメリカの連邦政府の予算の単位というふうに出てきますが、表1にございますように政策がございまして、この政策の目標を達成する手段としてプログラムが設定される、こういう
関係になっております。
表1は建設省の住宅政策の政策体系をちょっとお借りしてここに引用させていただきましたものでございます。理念とか政策の段階でありますとまだ抽象的過ぎまして、具体的に政府あるいは
行政の活動が見えてこないわけなんです。逆に個別の
事業単位、プロジェクト単位で見ていきますとこれが非常に細か過ぎて、またこれが一体何の役に立つのかというふうな疑問が出てくる場合がございまして、したがって、見直しをするとかあるいは
評価をするといった場合に、このプログラムという単位で見ていくというのが非常にわかりやすいんではないかというふうに考えております。
さて、この二つの見方から
行政のコントロールということを考えた場合ですが、ここに若干簡単な表に示してありますけれども、手続的な
統制、これはメーンが
行政監察とか
会計検査でございます。そして政策
評価で
統制していこうと。これは政策の目標をどの程度達成しているかということで
行政を
統制していこうという
考え方でございます。ただし、この政策
評価で
行政を
統制するという場合、これはいささか
行政側にとってはかなり酷な点がございます。
理由は、政府活動あるいは政策の目標、これがあいまいであったりあるいは複数存在していたり、表の目標と別の目標があったりという場合が間々あるわけでございます。こういった場合、この目標の達成度で
行政機関をコントロールするというのはいささか酷である。もう
一つは、目標を達成するあるいは効果がどの程度上がっているかということでコントロールするわけでございますが、この目標の達成度とか効果というものが数字ではっきりとわかればよろしいんでございますけれども、なかなかそういうふうにいかないものでございまして、それをいかにコントロールするのか、これはまたかなり
行政機関にとっては酷な問題になると思います。
さて、この政策
評価の歴史でございますが、これは
アメリカ合衆国でございまして、大体一九六〇年代の中ごろから登場してきた手法でございます。この前身に予算編成の方式で、
皆様御存じでしょうけれども、PPBSというのがございましたが、このPPBSの
考え方を受け継いで発展してきた手法でございます。このPPBSの遺産というのが、
一つはプログラムを
中心として見る、つまり、かなり具体的な政府活動を
中心にして政府活動を見ていこうという
考え方でございます。そしてもう
一つの遺産は、事前の
分析では非常に難しい、つまり将来どういう効果が発生するのかということを予測するのが難しいので、今現存実際に発生している効果を見ていく、こういう
考え方を受け継いで発展してきた手法でございますが、これに最初注目したのが
アメリカの連邦
議会でございます。一九六七年に経済機会法という社会福祉の法律でございますが、その法律のもとで
実施されている政策、ここではプログラムでございますが、これがどの程度
目的を達成しているのかと、
議会側がこれを
行政機関に、その
目的の津成度あるいは効果を
評価してそれを報告しろというふうに法律を改正しまして条文を
一つつけ加えました。
同時に、このときに
アメリカの
会計検査院、これは先ほどからも説明がございましたけれども、
アメリカの連邦
議会の補佐
機関でございますが、この
アメリカの
会計検査院に、
プログラム評価をやって
行政機関が果たして本当にきちんと仕事をしているのかどうかチェックしろというふうに法律を改正しまして命じたわけでございます。そういう
意味でいいますと、いわゆる
行政責任の追及の方法としてかなり新しいといいますか、異質の、これまでとは違った、次元が違うといいますか、そういう手法がここで登場してきたわけでございます。
つまり、それまでは会計規則あるいは法律に適合しているかどうかという、こういう方向でやっておったわけですが、それではなくて、実際に
議会が命じた目標を達成しているのかどうか、かなりきつい
統制の手法を取り入れたわけでございます。六〇年代から七〇年代にかけまして
アメリカ全土にこの
考え方が広がっていきます。
そして、御存じのように一九七六年にサンセット法という法律が登場いたします。コロラド州で登場した法律でございますけれども、政策あるいはプログラムには一定の寿命、ライフサイクルがあるということでございまして、ほうっておいたら五年なら五年の期間で自動的に終了する。もしこれを存続させたいのであれば、新しく法律でその
事業の存続を決める、法律をつくるということでございます。その存続を
決定するメカニズムの
一つとしてこの
プログラム評価を入れたということでございます。一時期、七〇年代
我が国でもこれはかなり注目された強力な
行政の
統制手法でございました。
ところが、これが七〇年代後半から八〇年代にかけまして
行政の
責任追及という方向が若干変わってまいります。一番大きな
理由は、
アメリカ、イギリスそして先進資本主義
国家全体で問題になりました財政赤字でございました。先進資本主義
国家はどこの国でも財政赤字の解消というのが政府の第一の目標になりまして、この
プログラム評価というものを財政赤字を解消する、政府活動を見直す手段として使えないのか、その場合、
議会ではなくて
行政の現場でそれができないかというふうないわゆるマネジメントの手法としてこれが脚光を浴びてまいります。
アメリカ合衆国では、カットバックマネジメントという言葉が見直しの中で注目されましたし、イギリスは、サッチャーが登場しましてからバリュー・フォー・マネー、使った金に見合った価値があるのかどうかという
監査、まあ
評価でございますが、この
一つの手法としてプログラムェバリュエーションが注目されてまいりました。
八〇年代の後半以降現在に至っては、このプログラムエバリュエーショソ、それ以前のマネジメントの手法あるいは
行政責任の追及の手法とは若干趣を変えまして、
議会の政策立案活動を支援する、こういう手法のために使うという動きがかなり強くなっております。
なぜ、こういう方向に行ったのかといいますと、
一つは、このプログラムエバリュエーションという手法がかなり難しくて、しかも
行政にとってはかなり厳し過ぎる追及の手段であると。それよりは、
議会が新しく政策を立案するときにいろいろな過去の経験を学び、その経験からより効果的な政策プログラムをつくっていこう、こういう方向にむしろ使った方がいいんではないかというふうな動きが出てきたためでございます。
政策
評価の方法でございますけれども、これはあくまでも前提としては情報公開が不可欠でございます。情報が隠されておれば、結局その
評価をする材料がございません。したがって、
国政調査権のような強力な手法がございますればかなり有効な手法になるのではないかと思っております。
先ほども言いましたが、これはあくまでも事後
評価でございまして、事前に予測するものではございません。したがって、今現在
実施している
事業、あるいは終了した
事業、さらには終了して五年ないし十年たった
事業、こういったものに適用される、それによって政策情報をフィードバックしようということでございます。
評価の物差しといたしましては、目標の達成度でございます。別な言葉で言いますと、有効性と言われる物差してございますが、節約とか能率、場合によっては効率という言葉でよく呼ばれますけれども、これとはまたいささか次元が異なっております。つまり、節約して能率的に
事業が行われても、政府の目標あるいは政策目標が達成されていない、こういう場合もございますので、節約あるいは効率、能率よりはちょっと次元の高い有効性という、あるいは目標達成度というものを設定して、それで判断するということになっております。
そこで重要なのは、政策目標を明確化しておく、あるいは具体化しておく。英語で言えば、オペレーショナライゼーツヨンという言葉でよく言われますけれども、できる限り数値で客観的にわかるような目標を設定しなければならないとされておるわけです。
具体的な方法といたしましては、定量的な方法と定性的な方法、二つございます。定量的な方法といいますのは、これは金額とかあるいは数値ではかれるものでございますが、政府の活動、
行政活動は必ずしもこういうものだけではございませんで、例えば、教育効果とか個人の
満足度とかいうふうな目標を持つ政策もございますので、これについてはここで挙げておりますような主に社会学で発展してきた手法を使っております。
この政策
評価の可能性、
我が国でどの程度これが定着てきるのかどうかということでございますが、まず第一に重要なことは、政策
評価というのは政策目標にかかわることが避けられませんので、立法部主導型が望ましいのではないかというふうに私は考えております。
逆に、例えば
行政監察とか
会計検査、これは
行政府あるいは
会計検査院等であり、そこに立ち入るというのはこれはなかなか難しいので、この政策
評価がこれらの
行政監察、
会計検査でやれるかどうかというのは若干の疑問がございます。あくまでも政治的な正統性、つまり
国民から選挙で選ばれました国会、
議会がやるのが本筋ではないかというふうに考えております。
具体的に、今の
日本の国会でこの政策
評価をどういうふうに結びつけていくか、ここに七つぐらい挙げております。
国民からの請願とか陳情を受けて政策
評価をやる、これは私はかなり危険ではないかというふうに考えております。というのは、
一つは非常に細かい議論に終始してしまう可能性がございまして、言葉は悪いのでございますが、どぶ板的な
事業、こういったものまでも国会の場で
評価をしてよろしいのかどうかという疑問を持っております。あるいはまた逆に、下手をすると政争の具になってしまう可能性があるのではないか、こういうふうにも考えております。
それから、予算編成と組み合わせる、これはかなり有望ではないかと思っております。過去いろいろ政策をやってきて、あるいは
事業を展開してきて、その中から得られた
評価情報、政策情報を新しくつくる政策の中に生かしていくことができるのではないか、こういう見方もございます。さらには、決算審議の中で生かす、こういうことも考えられてよいのではないかと思っています。
また、各
委員会で行われます
行政監視の手法、いろいろございますんでしょうけれども、
アメリカの連邦
議会がプログラムェバリュエーション、
プログラム評価を使うというのは、主に
委員会の
行政監視の手段として使われておりましたので、ひょっとして
我が国でもこれは検討材料として取り上げられたらおもしろいのではないかと考えております。
それから、
国政調査権でございますが、これは政策
評価にとっては情報を獲得する非常に有力な手段になるのではないかと思っております。
さて、この
委員会の
一つのテーマであります
オンブズマンでございますが、この
オンブズマンの
システムを国会に入れまして、これを政策
評価と結びつけるというのは、先ほどの請願、陳情の部分と若干重なりましてかなり難しいような気がしております。ここで可能性があるとすれば、政策
評価というものの合理的で客観的な手法が確立して、しかもそれが
国民的に合意がなされておればある程度は可能性があるというふうに考えております。
さて、最後にサンセット法でございます。
私、実はこれはかなり有望ではないかと思っております。つまり、政策を終結させるメカニズムとして政策
評価がかなり有効な手法ではないかと思っておりますが、ただしこれは
議会といいますか、立法府にその気がなければ全く不可能でございます。
さて、結論といたしまして、この政策
評価という手法でございますが、私自身ずっと研究してまいりましたが、
我が国で取り入れるのはかなり難しいのではないかというのが結論でございます。
一つは、スタッフ不足でございます。
アメリカは、メーンは
会計検査院がこの政策
評価、プログラムエバリュエーションを行っておりますが、御存じのように
アメリカの
会計検査院は五千人以上の職員、スタッフを抱えております。その中のかなり多くの部分、半分以上が
行政学、政治学あるいは経済学、経営学の修士号もしくは博士号を持った専門家でございます。それが果たして
我が国で可能であるのかどうか、こういうことが
一つ考えられると思います。
もう
一つ、先ほどこの
お話の初めでも申し上げましたが、
評価というものについて合意がございません。
アメリカは
評価に関しては学会がございます。実務家、専門家のプロフェッショナライゼーションといいますか、専門職としてかなり社会的に認知されております。
日本がそこまで進むのかどうか、これは難しいのではないかと思っております。下手をすれば
行政監察の上に似たようなものを重ねてしまう、いわゆる屋上屋を架してしまうおそれがあるのではないかというふうに考えております。
ただし、逆説的に言いますと、この二つのポイントをクリアすれば
我が国でもかなりこの政策
評価は有望であると思いますし、また実際に政府開発援助を
中心として取り入れる傾向がございます。そういう
意味では、物によっては政策
評価は可能ではないかというふうに考えております。
以上、細かな議論になってしまいましたが、私の発言を終わらせていただきます。