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参考人(
光石忠敬君)
光石忠敬と申します。
発言の機会を与えていただいて、感謝いたします。
もっとも、
証人喚問じゃないということでちょっとほっとしておりますが、お手やわらかにお願いします。
次から次にこの
日本で
薬害が発生してきました。サリドマイド、
スモン、クロロキン、
薬害エイズ、ソリブジン等々。そのたびに
再発防止が議論された。パッチワークのように継ぎはぎ
継ぎはぎしながらしのいできたわけですけれども、どうやらこの
日本の
システムは既に
耐用年数が尽きて、そして無残な姿をさらしているのではないか。何か根本的な
欠陥がこの
システムにあるのではないか。私はその問いを法律に関係する
仕事をしている者の一人として
皆さんの前でみずからに問い、そして
考え方の筋道を示すことができればありがたいというふうに思っております。
薬害エイズ問題で、私はその被害の悲惨さ、不条理さに打ちのめされます。のみならず、かかわっていた医・薬・官・業の
専門家たちの心が少しも
患者の方に向かわなかった。
患者の
生命、健康、
自己決定、そういうものに無
関心であったように見えるその心のありようにも暗い衝撃を受けます。
多くの
患者の
方々が味わってこられた、そして現在も味わっておられる苦しみや痛み、それは私の想像を絶するものがあろうかと思いますけれ
ども、それでも何か込み上げてくるものを抑えることができません。もし、私や私の家族が
血友病患者で非
加熱血液製剤のためにHIVに感染していたらと、そう
考えるととても
人ごととして、同情するような
気持ち、そういう
気持ちにはなれないんです。恐らくこれはここにおられる
皆様方を初め、多くの
方々が共有している感情ではないか、そういうふうに思います。
今回の
薬害エイズ問題は、肝心なポイントについてその
真相や
責任の
所在がいまだ明らかになっておりません。徹底的な
真相の究明や
責任の
所在の
明確化なしに
再発防止はあり得ない、それは言うまでもないことです。
特に、
関係者が意図的に
資料を隠した疑いのある今回の事案では、
行政の
意思形成過程の
情報を含めてすべての
情報を提出させて、そしてやぶの中に持ち込んでうやむやにしようとする動きに対しては、食い違う
陳述ごとに偽証罪の
制裁を伴う
対質というのがありますが、
対質などを活用して真実に肉薄する方法、そういうものが検討されるべきではないか。そのためには、
行政から独立して独自の
権限を行使できる
機関が、今回の
薬害エイズ問題のみならず、将来の問題についても
調査、検討し得るよう、恒常的に設置されなければならないのではないか。
専門学会が
倫理判断を停止して
自浄努力を果たしているとは言えない
日本の
医学界、
科学界の現状にかんがみますと、
科学的非行、サイエンティフィック・スコンタクトがもしあれば、それにふさわしい
制裁を科する
権限もこの
機関に与えなければならないのではないかと、そんなことを
考えています。
審議会や
研究班などの
権限と
責任のあいまいさ、これが今回の問題で大きくクローズアップされました。それらをめぐって
行政と学界とが互いに
役割や
権限や
責任を押しつけ合って争っているように見えます。
私は、新しい
医薬品を初めとして、新しい
医療技術の
有効性・
安全性の
評価は、本来国が
責任を持って行うべき
仕事で、そのための省庁横断的な本格的な国の
評価機関が必要だと
考えております。しかし、必ずしもそう
考えない
人たちでも、今の
日本の
医薬品審査承認システムは余りにも不十分だというふうに
考えておるのではないでしょうか。
審議会や
調査会などに依存していて、いざというときに
責任の
所在がわからなくなる。どうしたらいいんでしょうか。
私は、
審議会、
研究班などが持っている
情報は
国民の
情報である、そう
考えて、
国民の知る権利に基づいて
審議や
資料を徹底的に公開するということだと思います。
今、新しい
民事訴訟法案が衆議院で
審議されておりますが、私は
文書提出義務規定に重大な
関心を寄せている者の一人ですが、
官公庁文書の取り扱いについて今回の
薬害エイズ問題から何も学ばないような、そういう逆行と思われるような
考え方が見られるのは不可解と言うほかありません。
今回の
薬害エイズ問題は、来るべき
情報公開法の
審議に対して貴重な
判断材料を与えてくれていると思います。殊に
適用除外情報、こういうことは適用しなくてよろしいという
適用除外情報に関して少なくとも次の二つを学ぶことができるのではないか。
第一は、
企業情報のうち
適用除外とするものから、人の
生命または
身体の安全、健康の保持に影響を及ぼすおそれがある
情報は除くべきということです。人の
生命、
身体、健康の
保護に優越する
企業利益というものは
考え得ないから、このような
情報は
企業の不
利益になっても公開すべきだからです。
第二は、
行政情報のうち
適用除外とするものに
意思形成過程情報を一律に含めるべきではない、少なくとも事実
資料、コメントに関する
資料ではないんですが、少なくとも事実
資料に関する部分は公開されるべきだというふうに思います。
情報を持つ者は常に持たぬ者を支配する、それゆえ、みずからの
支配者であらんとする人民は知識の力によってみずからを武装しなければならないというのは
アメリカ憲法起草者の一人のジェームズ・マディソンの言葉ですけれ
ども、
医療の現場で弱い
立場に置かれる
患者にとって、これらの
情報が公開されることは、インフォームド・コンセントないしインフォームド・チョイスがその本来の
役割を全うするために必要にして不可欠な土台だというふうに
考えます。
そういう
意味で、私は、
薬害エイズの被害者は、
患者の選択権、そしてその前提となる知る権利を奪われてきたのではないかと思います。従来どおりの治療を続けることによって血友病の止血効果は保たれるにしても、HIV感染の危険性、可能性があるかどうかを知ることができたのではないか。
行政情報が
意思形成過程を含めて透明であれば、そして政策決定において肝心の当事者である
患者の代表が加わっていれば、
エイズの危険性を
専門家とともに知ることができたのではないか。HIV感染の危険性を知っていれば、従来どおりの治療を続けるかそれ以外の治療法に切りかえるかの
患者としての選択権を行使できたはずではないかというふうに
考えるんです。
こういう
国民の知る権利に基づく
情報公開法や
患者の権利を守る法律が本来あるべきなのに、
日本には存在しないということが
患者の苦しみを増大させてきたことではなかったかというふうに思うのであります。
また、ちなみに
薬事法というのは、
医薬品という物をつくったり売ったりする行為や事業をコントロールして
保護する、要するに薬事
行政の基本となる法律です。
日本の
行政は、財貨やサービスを製造したり提供したりする者をコントロールする、そして
保護するということには熱心です。しかし、財貨やサービスの消費者を
保護することに目が行き届かない。これは何も
厚生省に限ったことではありません。厚生
行政に
医療サービスの受給者たる
患者を
保護する法律上の根拠がないといえばないのであります。個々の
国民がこうむる具体的な損害の
防止、救済を制度の直接的な目的とするものではないというのが
薬事法の性格についての国側の主張ですけれ
ども、もしそうなら、なおのこと
情報公開法や
患者の権利
保護法をつくることは焦眉の急だと言わなければなりません。
また、私は、
薬害エイズの被害者は、HIV感染の危険のある治療法に不必要に長くさらされ続けたのではないか、そういうふうに思います。海外で製造された
加熱血液製剤の
治験が、
日本の
製薬企業から多額の寄附を受けたとされる学界の権威者の裁量で調整され、おくらせられて、その結果、
加熱血液製剤の
日本への輸入
承認がおくれ、HIVに感染する
患者を増大させたのではないかという疑いがあるからです。
医師には、伝統的な
医師としての使命、すなわち一人一人の
患者の健康を守るということと、研究者としての使命、すなわち人々の健康を守るということとがあります。そして、研究者の
立場と伝統的な
医師の
立場の両方を兼ねて、
医師は
治験を初めとする
臨床医学研究を行っています。
しかし、
製薬企業の委託に基づく
治験を
患者を被験者として行う以上、
製薬企業から研究者としての
医師や
医療機関に支払われる金銭その他の経済的
利益の妥当性についても、ほかの事項とともに独立かつ公正な
審査機関が
審査する制度を確立しないと、被験者の権利は守られません。
研究者として振る舞う
医師とて人間ですから、まして多額の経済的
利益が関係してくると、真理を決して曲げないという保証はなく、ここは科学を社会が制御するという観点からの
評価が必要だと思います。適正な
臨床医学研究は必要不可欠ですから、基本的には被験者
保護法、被験者の権利を
保護する法律によってコントロールするのが合理的だと思います。もちろん、この問題は一
業務局とか一健康政策局とか一
厚生省とかという枠を越えておりまして、文部省、科学技術庁などにもまたがる全国家的な
仕事が既に必要になっているというふうに
考えます。
そういうわけで、私の
結論は、独立した独自の
権限を有する
機関による徹底的な
真相の究明と
責任の
所在の
明確化を実践していくこと、そして
国民の知る権利にしっかりと裏打ちされた
情報公開法、そして
患者、被験者の権利
保護法、これらを創造することが
日本の
システムをよみがえらせるための呼び水の役目を果たすのではないかというふうに思います。
御清聴ありがとうございました。