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1996-05-16 第136回国会 参議院 厚生委員会薬害エイズ問題に関する小委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年五月十六日(木曜日)    午後一時開会     ―――――――――――――    小委員異動  四月十八日     辞任          上山 和人君  四月二十五日     辞任          田浦  直君  五月八日     辞任          阿部 正俊君  五月十日     補欠選任        阿部 正俊君     補欠選任        田浦  直君     補欠選任        竹村 泰子君  五月十六日     辞任         補欠選任      田浦  直君     常田 享詳君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     小委員長        釘宮  磐君     小委員                 阿部 正俊君                 石井 道子君                 大島 慶久君                 清水嘉与子君                 長峯  基君                 常田 享詳君                 水島  裕君                 朝日 俊弘君                 竹村 泰子君                 西山登紀子君    事務局側        常任委員会専門        員        水野 国利君    参考人        東京大学医学部        教授       郡司 篤晃君        平和学院看護専        門学院学務部長  芦澤 正見君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○薬害エイズ問題に関する件     ―――――――――――――
  2. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) ただいまから厚生委員会薬害エイズ問題に関する小委員会を開会いたします。  まず、小委員異動について御報告いたします。  本日、田浦直君が小委員辞任され、その補欠として常田享詳君が選任されました。     ―――――――――――――
  3. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  薬害エイズ問題に関する調査のため、本日、参考人として、東京大学医学部教授郡司篤晃君及び平和学院看護専門学院学務部長芦澤正見君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ―――――――――――――
  5. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 薬害エイズ問題に関する件について調査を行います。  本日は、本件について参考人方々から御意見を求めることといたしております。  まず、東京大学医学部教授郡司篤晃君から御意見を承ることといたします。  この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、当小委員会に御出席をいただき、ありがとうございました。  当小委員会におきましては、薬害エイズ問題に関する調査を進めておりますが、本日は特に参考人から御意見を拝聴いたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  この際、小委員各位に申し上げます。  本日は、申し合わせの時間内で参考人に対し質疑を行うのでありますから、よろしく御協力をお願いいたします。  また、参考人におかれましては、質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔、明瞭にお願  いいたします。  それでは、参考人に対する質疑に入ります。  まず、小委員長から参考人に対し質問いたします。  あなたは衆議院でいわゆる疑惑の一週間と言われた七月四日から十一日の間に大きな政策転換はなかったと答弁を行っておりますが、それでは当時の厚生省政策はどういうものであったのか、お伺いをいたしたいと思います。
  6. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) まず、お答えをいたします前に、血友病の皆様でエイズ感染をしてしまわれた多くの方々、また既に亡くなられた方々におかれましては、本当に無念で悲しく、心から怒りを覚えてこられたことと思います。  私は、当時の行政担当者として最大限の努力はしたつもりでありますが、結果的にはこのように大規模な感染という事態を避けることができなかったことを心から悲しく、残念に思っております。  今回は、立法府におきまして、真実を追求し、今後の対策を立てるということでございますので、私の知る限りのことを包み隠さずお話をしたいという決心で参りました。  さて、お尋ねの件でありますが、その当時ということを限定されますとなかなか難しい答えになりますが、まず基本的には自給自足血液製剤自給自足を急ぐということが基本的にございました。それにエイズという問題が出てまいりましたので、なおその政策を加速しなければいけないというふうに思ったわけであります。  四日から十一日の間に大きな転換があるというふうに報道をされておりますことは存じておりますけれども、繰り返し申し上げますが、私はその短い間に大きな政策転換を行ったという記憶はないのであります。政策の一々をここでお話ししていると時間がかかりますので、その点だけ申し上げさせていただきます。
  7. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) それでは、続いてお尋ねしますが、七月十一日付文書について、幾つかの点で自分の考え方と違う点があり、あの文書はあくまで課内の正式文書ではないと答弁をされました。  それでは、あなたの考え方と違う点ほどこですか。
  8. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 十一日の文書の中に例えば丸山ワクチンとの関係について記載があるようであります。また、十一月までに何かの対策が可能であるかのごとく示唆されている文章があると思いますが、私はそれらについてよく理解できないのであります。そういうわけで、私はこの文書が私が所管しておりました課の方針と一部もたがわないものであるというふうには考えておらないわけであります。
  9. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 実態把握研究班役割についてお伺いします。  安部氏は、国内エイズ患者がいるかいないかを学問的に研究してほしいと郡司課長から言われたと答弁をしていますが、参考人は、非加熱製剤危険性判断、評価し、治療法を変えるべきなのか早期検討する目的で設置した、製剤危険性認識から設置したと答弁をしております。  二人の答弁が異なるわけでありますが、実際の役割はどういうものであったのか、お伺いします。  どうぞ座って結構ですから。
  10. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) それでは、座って話をさせていただきます。  あの研究班を設置した目的は、繰り返して申し上げることになるかもしれませんが、当時、日本は九〇%以上の製剤アメリカからの輸入に頼っておりました、これは血友病患者さんの凝固因子製剤のことでありますが。そして、そのアメリカエイズという奇病が発生した。したがって、我が国といたしましてもこの危険を評価して、当然のことながら製剤の取り扱いについて判断をするという必要に迫られたというふうに私は考えたわけであります。したがって、研究班を設置したわけであります。
  11. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 先日の衆議院参考人質疑日赤徳永氏は、日赤はオーダーさえあればいかようにでもしたと述べています。  厚生省として、当時、クリオ増産要求もしくは供給可能性問い合わせ等をしましたか。
  12. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) クリオ増産要求を具体的にするというところまでは私はいっていなかったというふうに理解をしております。と申しますのは、クリオに戻るかどうか、つまりガイドライン的に、あるいは半ば指示的に一部でもクリオに戻すかどうかということ、これは委員会の重要な審議事項であったと、私はそれを聞きたかったわけであります。  しかし、研究班会議かなり早期におきまして一部分でも、つまり幼児、軽症例新鮮例、これらにつきましてクリオ製剤に戻るということは必ずしもしないということが決まりましたので、雰囲気として決まりましたので、私は具体的な要求までは言っておりません。ただ、そういうことになった場合、果たして供給が可能なのかどうかというようなことにつきましては関心を持ち、調べたつもりであります。
  13. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) それでは、さらにお伺いしますが、当時、クリオに戻る最大障害は何だったとお考えですか。
  14. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) クリオに戻る最大障害というよりも、むしろ濃縮製剤の方が圧倒的に効果及び使い勝手がよかったということではないかと思います。そして、そのことを血友病治療をしている方々、これは日本だけではなくて世界じゅうの治療医が、また患者さんが、そして日本患者さんだけではなくて世界の患者さんがそれを望んだということではないかというふうに私は思います。
  15. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) それでは、実態把握研究班では帝京大症例については検討をしてエイズであることを認定しなかったわけですが、その後各地の医療機関にさらにエイズ患者症例調査依頼をしましたか。
  16. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 私は必ずしもその辺は記憶がはっきりしていなかったわけでありますが、今度出されてきました厚生省の資料を見ますと、そういうこともしていたようであります。つまり、第一回の研究班と第二回の研究班、これ一カ月でありますが、その間に非常に簡便な、つまり大きな医療施設エイズ症状を呈する人が来る可能性の高いところを非常に急いで調査いたしましたが、これは当然不完全なものであります。したがって、その後続いて調査が企画され、実行されたようであります。
  17. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) それでは、加熱製剤決定後の厚生省政策について伺いたいと思います。  八三年十一月に加熱治験説明会をして、加熱政策が明確になりました。  そこでお伺いいたしますが、まず厚生省として、治験治験に入れるメーカーから順次と考えていたのか、それとも安部氏が表明した全社共同治験考えていたのか、その点についてお伺いします。
  18. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 私は基本的にこう考えております。つまり、治験を実際に実行するのはいわゆる製薬企業である、したがって原則としてこれは個々別々に企業が行うものであるというふうに考えております。  ただ、共同治験を実は私の方からも血液製剤協会を通じて働きかけたことがございます。それは、日本にいる血友病患者さんの数はその当時四千というふうに言われておりましたが、つまり数が少ないわけでありまして、それを多くの企業治験のために奪い合うというような状況になってしまったのでは治験がおくれるのではないかというふうに懸念したわけであります。したがって、私は、加熱をするという非常に単純な技術でありますので、そしてアルブミンの前例もありますので、血液製剤協会にその可能性を追求してくれるように依頼をいたしました。しかし、答えノーということでございました。  以上です。
  19. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) それでは、最後に、安部氏の金集めについて複数の企業から疑問が寄せられたということが言われておりますが、その当時、その資金集めは過去の話であったのか、それともそれがちょうど進行形であったのか、その点についてお伺いをしたいと思います。  また、安部氏は注意したら怒って治験をやめてしまったと言われておりますが、治験を早くさせるために何か手を打ちましたか。
  20. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 私は、進行形であったと思います。つまり、こういう要求をされているがこれはいかがなものかという、そういう訴えがあったというふうに記憶しておりますので、進行形であったというふうに思います。  それから、早めるということにつきましては、先ほどお答えしました共同治験可能性を探るというのが一つでございます。もちろん、その前に治験が実際に行われる条件を明確にしなければならないという仕事がありましたので、それも行いました。つまり、第一相、こういう毒性試験というものは果たして要るのか要らないのか、要らないという結論を出しました。さらに、治験の場合に症例数を何例やればいいのか、これも決まっておりませんでしたので決めました。そういう条件整備をいたしましたが、さらに共同治験、こういう可能性も追求したということであります。
  21. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 小委員長からの質問は以上でございます。  それでは、参考人に対し質疑のある方は順次御発言願います。
  22. 石井道子

    石井道子君 自由民主党の石井道子でございます。きょうは郡司参考人におかれましては、大変御多忙の中を、またお疲れの中を本委員会に御出席をいただきまして、本当にありがとうございました。  エイズ問題につきましては、参議院、衆議院におきまして参考人に対します質疑を行ってきているところでありまして、その参考人方々発言に対して、必ずしも一致しない、むしろ一致しない部分が大変多いわけでございまして、その発言の食い違いというものを大変感じておりまして、どちらが本当のことなのかと非常に迷わざるを得ないのでございます。そういう点で、今までの多くの方々発言参考にしながら質問をさせていただきたいと思います。  郡司参考人は、ちょうど一九八二年七月にアメリカ血友病患者が初めて発生したということの報告を受けて、日本においてもその危険性が大変高いのではないかということを感じられて、八三年六月に研究班を設置されたと聞いているわけでございます。  この研究班議論が今までもいろいろ話題になってきているわけでございますけれども、まず第一回のエイズ研究班議論の場で、塩川氏が帝京大エイズ患者、この患者認定大変最初は積極的であったけれども、第二回の研究班の場では態度ががらりと変わったというふうにこの間松田氏が発言をされておりました。そして、多分厚生省幹部製薬企業からの圧力があったのではないかという推測をされた発言をされております。そして、これに対しまして塩川氏が、第二回研究班になって帝京大症例の詳しいデータが示されたからであって、大部分委員からの意見が出されたというふうに発言をしております。  この第二回のエイズ研究班におきましてどのような議論がされたのでしょうか。そのことも伺いたいわけでして、認定に積極的であったのは安部氏と松田氏だけであったか、あるいはエイズ認定反対をしたのは塩川氏と西岡氏だけであるかというふうなことで、どのような理由でそれは反対をされたのか、またほかの委員方々はどんなふうであったか、そのことをお伺いしたいと思っております。  そして、エイズ研究班全体としての結論はどのようにして出されたのかということを伺いたいと思います。多数決で決定されたのであるか、あるいは一部委員反対によってエイズ患者認定されなかったのかどうか、その点をまずお伺いしたいと思います。
  23. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) まず、理由が何であったかということからお話をさせていただきたいと思いますが、実はこの症例は大変複雑な症例だったと思います。もちろんカンジダ症が表面には出ておりましたが、それ以外に肝機能が非常に悪かった、それから後で記録を見ますとHTLVポジティブだというような記載もございます。そういうわけで、ステロイドも使っておったということだと思います。  私は必ずしも専門ではありませんので、この理由結論的なことを申し上げることはできないのでありますが、大変複雑な症例であったということが理由だと思います。  しかも、このエイズの本態はわかっていなかったわけでありますから、確定診断ができない。そうすると、症状判断をしていこうということになりますが、症状というのはいろんな原因で起こってきますので、解釈が出てくるということになりますね。したがって、必ずしもエイズと断定できなかったというのは典型的なエイズではなかったからだというふうに、私はそういう言葉理解をしておるわけであります。  それから、だれがということは正確には私はよく記憶しておりませんが、むしろ多くの方が慎重だったというふうに私は印象を持っております。  つまり、安部先生は比較的この症例エイズ認定すべきだというお立場だったということは非常に印象深く残っておりますが、松田先生がそういう発言をされた記憶はありませんし、ほかの先生方も積極的に認定をすべしという発言はなかったのではないかというふうに私は記憶しております。  それから、結論の出し方でありますが、これは必ずしも多数決というような形式はとらなかったというふうに私は思います。
  24. 石井道子

    石井道子君 松田氏によりますと、第三回のエイズ研究班での議論の中で、帝京大病理学教授がつくった病理標本を示して、ステロイド剤投与でこれほど免疫低下は起こらないという考え方を発表しております。そして、スピラ氏が帝京大症例エイズであると認定し、第四回のエイズ研究班スピラ氏の診断結果について安部教授報告したということでございますし、第四回のエイズ研究班でまた塩川氏が順天堂大学の病理教授診断によればこれはエイズではないと報告したというふうに、いろいろと発言が出ているわけでございます。  このスピラ氏の認定ステロイド剤投与によってこれほど免疫低下は起こらないとする帝京大病理学教授考え方が発表されたにもかかわらず、帝京大症例認定が見直されなかったというのはなぜでしょうか。この段階で活発な議論があったのかどうか、そして積極的に賛成をされたり、また反対をされたりした方はどなたでございましょうか、ほかの委員方々はどのようなお考えを示されたでしょうか、そのことをお伺いしたいと思います。
  25. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) その辺につきましては私は全く専門ではありませんで、行政官としてそこに陪席をしたのでありまして、ステロイド剤使用量症状関係などにつきましては、私はちょっとここでお話しすることはできないと思います。むしろ、その辺につきましては松田先生の方が御専門でありますので、あるいは塩川先生の方が御専門でありますので、御両者の御討論にまちたいというふうに思います。  それから、スピラ博士がこれは残念ながらアメリカではエイズと呼ぶだろうという発言をした、このことは私自身もその会に出ておってよく記憶をしております。そして、その報告安部先生によって研究会でなされたようであります。したがって、そこで十分検討の材料になったということでございます。しかし、結論が大きくそのことによって変わったということはなかったのであります。  だれが、何を、どういうふうに発言したかという詳細につきましては、もう余りにも過去のことで、専門にわたることですので、私はよく記憶しておらないのであります。
  26. 石井道子

    石井道子君 松田氏がおっしゃるのに、安部氏がエイズ研究班班長をやめてもらうように塩川氏がある有力な教授に働きかけたと聞いていると発言をしております。厚生省が困っているからそうした方がいいのではないかということがあったということでございます。それで、その教授がそれを断ったために、塩川本人安部氏に働きかけることになったというふうに発言をしております。  参考人はこのような事実を知っていらっしゃるでしょうか。また、厚生省安部氏がエイズ研究班班長であるために困ったことがあったでしょうか、そのこともお伺いしたいと思います。  松田氏は、本人の了解が得られれば、塩川氏からの働きかけを受けた教授の名前も明かすというふうにしているわけでございまして、全くの憶測で発言しているわけではないようにも見受けられますが、松田氏のこうした発言についてどのようにお考えになっていらっしゃいますでしょうか。
  27. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 私は、松田先生の証言する全部を傍聴したわけじゃありませんので、そしてまたその発言の仕方についてコメントする立場には恐らくいないだろうと思いますが、この問題はもう既に十三年以上も前のことであります。十三年も前のことになりますと、大変記憶が怪しいということは私自身非常に実感していることであります。つまり、十年以上でありますから昔のこと、昔のことを研究する場合に、真実を明らかにする場合に、それはもはや歴史を研究する慎重さが必要ではないかと思うのであります。したがって、無理な仮説を立て、それを伝言で、あるいは伝間で埋めていくという手法については、私はとらない立場の人間であります。  また、お尋ね安部先生で困ったことがあったか、はっきり申し上げまして、私はありませんでした。
  28. 石井道子

    石井道子君 次に、血液製剤のことでお伺いをしたいと思います。  参考人は、日赤の副社長交渉をされまして、当時の血液高度利用啓蒙活動協力をするように要請したとこの前発言をされております。日赤の副社長といつごろから何回ぐらい交渉を持たれましたでしょうか。このほかにも日赤生物製剤課との間でどのような交渉が持たれましたでしょうか。そして、交渉の結果どうなったか、そして日赤高度利用啓蒙活動協力できない旨回答してきたのでしょうか、その辺を聞かせてください。
  29. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 副社長さんにお会いしたのは一回であります。これは日常的に日赤方々とはよく接触をしております。しかし、この点につきましては、私は厚生省課長として正式に日赤に申し入れたいというふうに思ったものですから、かみしもを着てといいましょうか、正式に場を設定していただきまして、私が課長として会いに行ったということでありますので、よく記憶しております。しかし、ほかの日赤との接触は極めて日常的に行われておりまして、大きなテーブルを囲んで向こうとこちらで交渉をするというような会は持ったことはないと思います。日常的に、あるいは補佐のレベルで、係のレベルで交流があるというふうに言った方がいいと思います。  副社長に申し上げたのは、当時、新鮮凍結血漿、これが大変むだに使われているということがよく言われていた認識であります。これを高度に利用するということは、単にクリオを確保するとか分画製剤の原料を確保するためだけではなくて、大変重要な課題でありました。日赤は、血液を実際に供給しているわけでありますから、どの施設がどのように使っているかということは大体把握をしているわけであります。したがって、日赤から、そして日赤の所長さんは大体輸血学の大家がなっていることが多いので、その方から病院の方に相談をしていただくといいますか、啓蒙活動をしていただくというのが一番手っ取り早いのではないかというふうに私は考えたのであります。  厚生省がただ漠然と新鮮凍結血漿むだ遣いをやめましょうと言っても、これは言葉は悪いですが、やみ夜に鉄砲を撃つようなものでなかなか当たらないわけでありますので、そういうことで日赤啓蒙活動をお願いしに行ったわけであります。結果は、先ほど石井議員がおっしゃいましたように、答えノーだったと。それは日赤仕事ではないという答えが返ってきて、大変残念だったのでよく記憶をしております。
  30. 石井道子

    石井道子君 先般公表されました当時の担当者のファイルの中に、日赤ブランドによる民間業者への製造委託について検討されたというペーパーがありました。また、徳永氏も濃縮製剤国内供給について非公式に日赤本社厚生省が話し合いを持ったと発言をしております。  国内血によりますクリオ製剤とか濃縮製剤供給につきましては、日赤生物製剤課との間でどのような交渉が行われましたでしょうか。いつ、だれが出席をされて何回ぐらい交渉が行われたのかどうか、日赤側生物製剤課側のそれぞれの主張はどのようなものであったか、そして最終的にはどのような結論になったのか、そのことをお伺いしたいと思います。もしそれが行われていないというふうなことでありますと、国内献血による凝固因子製剤供給については、参考人はどのように考えていらっしゃいましたでしょうか、そのことをお伺いしたいと思います。
  31. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) まず、我が国血液事業の大きな構造的な問題というのは、赤十字社が原料を独占的に集めていながら、それから高度に利用するための技術がないということでありました。一方、メーカーは技術はありますが原料がないということでありました。したがって、この問題を解決するのは、当然のことながら、その日赤が集めている血液という原料を日本国内にある技術で製品にするということであったことは明らかであります。  実は、私はその交渉の経過について全く忘れておりましたが、このたび厚生省が公開しました資料の中にそういうものがありまして、私はよく思い出したのであります。確かに、まず一般の企業、株式会社に出すというようなことも検討しましたが、これはなかなか難しいのではないか、それでは財団法人である熊本の化血研等、こういうところに出したらいかがなものかと、こういう議論をしたのも思い出しました。  しかし、これは原料を出す赤十字側の問題だけではなくて、受け入れる側の問題もまたあるのであります。彼らは、必ずしも日本の献血の材料がなくても、自由に原料が確保でき、自分の自由に技術を使って製剤をつくって販売することができたわけであります。そこに大変難しい、何といいましょうか、原料が入ってくるということに関しては、今度はその製造する側の方で大変慎重な態度になるということは大変想像できるわけであります。このほかにも実は企業にそういう委託製造の話をしたことも思い出しました。これは完全に断られました。  このように、一見簡単なようでありますが、一見簡単なように見えますが、一方は自由に買える原料を使い、片方は、ただとは言いませんが、無料の原料を使ってそれを製造して、どういうブランドにして、どういう値段で売るか、そしてそれをどう説明するのかという問題は極めて複雑な問題であります。したがって、その辺を解決しない限り、この一見簡単そうに見える原料の移行、そして製剤をつくるということは実現しないのであります。そこで、九四年度の血液事業研究費の中で島田委員長にお出ましいただきましてその問題に取り組むわけであります。  したがいまして、何回、だれが、いつ、どこでということについては私はよく記憶しておりません。
  32. 石井道子

    石井道子君 十何年か前のことでございますから、本当に記憶が定かでないということは理解できます。  それから、参考人が設置をされました研究班のことでございますけれども、この目的について安部氏との考え方の食い違いがあるように見受けられます。安部氏は、学術的な観点から検討を加えただけであると、そして行政的権限はないと発言をされております。参考人は、結果的にはこのエイズ研究班にハンドを任せてしまったと発言をされておりまして、両方の責任のなすり合いのような印象も受けるわけでございますけれども、この安部氏の発言について参考人はどのように考えていらっしゃいますでしょうか。
  33. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 目的についてあるいは第一回の班の私があいさつをしたようでありますが、その内容につきまして必ずしも記録が残っておりません。したがって、どういうあいさつを私がしたかということは正確に申し上げられないのでありますが、そこに配りました年表にもありますように、私は一九八二年の暮れのNHFのクリオへの部分転換を勧めた文献、あるいは一九八三年の一月十三日の「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」、これの二つの論文と一つの意見、これを読んだらしいのであります。  記憶は確かじゃないんですけど、読み返してみたらこれだったという自信はございます。  ここには部分的にでもクリオに戻るべきだということを明確にした意見とそのデータが載っているわけですね。私は、こういうことは専門的な判断をすることによってしかそのリスクを評価できないというふうに思ったものですから、研究会を組織してまずこの点について聞きたかったということを鮮明に覚えているわけであります。したがいまして、ただ日本患者さんがいるかどうかということを調べるためだけにあの研究班を組織したというつもりは全くないのであります。
  34. 石井道子

    石井道子君 徳永氏がクリオ製剤への転換は可能であったというふうに発言をしております。この点は参考人認識とも一致するのかとも思いますが、仮にクリオ製剤への転換が可能であったとすれば、どのくらいの期間が必要であったと考えていたのでしょうか。
  35. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) これは前提が必要だというふうに思います。つまり、どの程度、どういう対象についてクリオに戻るのかということがまず必要だと思います。あの研究会を通じて全面的にクリオに戻るという議論はなかったし、そういった意見も世界じゅうになかったと思うのです。ですから、この検討すべき案というのは、部分的に戻る、先ほど申し上げました幼児、新鮮例、軽症例、これについて戻るかどうかということだったと思います。  そうしますと、徳永先生がおっしゃるように、そんな大量の血液、つまり具体的にはFFPでありますが、新鮮凍結血漿でありますが、それを回すことにはならないわけでありますし、大きな装置がこの製造のために必要なそういう技術ではございません。したがって、私は希望者がいればかなり早期にこれは可能であったというふうに想像します。
  36. 石井道子

    石井道子君 参考人は、血液製剤による国内血友病患者エイズにかかる危険性を大変疑っていたと発言をされております。そして、参考人は当時、エイズの原因がウイルスであったとして、どの程度の患者エイズを発症すると考えていたのでしょうか。感染するということ、そして発症するということの問題についてどのようなお考えであったか、伺いたいと思います。
  37. 郡司篤晃

    ○政府委員郡司篤晃君) 本当はこのような点を専門家の立場先生方にお伺いしたいということのためにあの研究会ができたというふうに思います。  しかし、私の記憶に残っている限りのことで申し上げますと、ウイルスであるらしいということは当初から疑われておりました。つまり、それ以外の仮説で研究をしている人は余りいなかったというふうに思います。つまり、仮説として有力な仮説だったということです。  しかし、それがどの程度の感染力があるか、これについてはもうちょっと怪しくなるわけであります。つまり、世界じゅうにいろんな出血熱というようなものがありますが、これも同じようなビールスでありますけれども、これは非常に急性な感染力を示す。あるいはインフルエンザもはしかも大変強力な感染力を示すわけでありますが、そんなものではないらしいと。血の交わるような接触でもしない限りうつらない感染力のものではないかと。つまり、B型肝炎なんかよりもさらに弱いものではないかというふうに疑われていたと記憶しております。  しかも、大変信頼すべきアメリカのNIHのギャロ博士、これは最終的にはエイズのビールスを固定する人でありますが、その人が、この年表にもありますように、一九八三年の五月二十日の「サイエンス」に、エイズの本態はHTLVではないか、それのI型ではないかという論文を発表するのであります。これは日本で言うATLV、成人型丁細胞白血病のビールスであります。とすると、これは感染力は極めて弱いものであります。例えば、これは大河内先生の業績でありますが、血液の血清を凍らせるだけで感染力を失うという、そういうものであります。  したがって、この濃縮製剤というのは凍っているFFPを溶解して、さらにアルコールで分画をしていくわけでありますから、これは、もしHTLVのI型だとすれば、製剤を介しての危険性は極めて少なくなるだろうというふうに類推した可能性はありますね。  それから、その他の性質につきましてはほとんどわかっていなかったというのが現実だったというふうに思います。
  38. 石井道子

    石井道子君 一九八四年の三月に国際ウイルス学会において初めてエイズの原因がHIVであると断定されたわけでございまして、その間にいろんな文献とかが発表されたというふうに思いますが、ここの資料の方にも一部ありますけれども、どのような文献があったか、そのことをちょっとお伺いしたいと思います。
  39. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 実は、その文献、今ここで全部申し上げることはできないのであります。  衆議院の方でも申し上げましたように、あるいは厚生省にも書面で回答しましたように、私は村上先生から膨大な文献の提供を受けておりました。  大変つまらないものまで含まれておりましたので、ほとんど悉皆的にすべての文献を送っていただいたんじゃないかというふうに思います。そして、それを全部厚生省に置いて私は次の課に移ったわけでありますが、移ってまた大学に戻りましたので、そしてその文献をその後調べ直すということをしておりませんので、どのぐらいの文献があったかはちょっと私は今お答えすることができないのであります。
  40. 石井道子

    石井道子君 このように血友病患者がこれだけ多くエイズにかかってしまったというその原因については今いろいろと究明をされている最中でもあります。参考人が、血友病患者方々エイズ感染という大変大きな悲しむべき現実、大きな被害、こういうものに対しまして研究班を主催されて、当時の行政官としてその経験とか教訓を生かして今後の薬害の再発防止のためにどのようなことをすべきであるか。今までの行政組織、行政の指導監督のあり方、そしてまた医学界、薬学界、医療界、薬業界、そのような関係者の方々のさまざまな絡み合いの中で今度の問題も考えざるを得ませんが、このようないざ薬害などという危機に直面をしたときの行政決定のあり方、そしてそのための情報収集体制の問題、そして薬を、また血液などを使用する患者に対します情報提供というふうなことについて今まではちょっとおろそかだったのではないかというふうに私は感じておりますが、その反省すべき点、また今後改めなければならない、そういう点について今までの経験を踏まえて率直に御意見を伺わせていただきたいと思います。
  41. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) いろいろ申し上げるべきあるいは申し上げたいことはあるわけでありますが、極めて単純化して申し上げますと、まず御理解いただかなければならない、そして石井議員は医療の専門家でありますので釈迦に説法かもしれませんけれども、私はこう思います。医学はいつでも不完全な技術を用いて治療している、ちょっとでも改善があればそちらを使う、しかしそれも不完全だということであります。  この場合、つまり血友病患者さんの治療の場合、濃縮製剤というのがその当時ベストでありました。つまり、そのほかに対案がなかった、それより別なものがなかったわけであります。しかし、いろんな問題が起こってきた、エイズの問題が起こってきた。そして、だんだんそれがはっきりしてくる。そのいつの時点でこのベストと思っていた治療をあきらめるべきかということであります。これはすぐれて医学的な判断の問題であろうと思いますので、私は、もちろんその製薬企業圧力云々の話もそれはわかるわけでありますけれども、まず医学的にしっかりとしたレビューを、見直しをしていただきたいというふうに思うわけであります。私もしたいところでありますが、私はそういう専門ではありませんので、専門家によってそういうことが行われてほしいというふうに思うわけであります。  そういう危険が今度は次にはっきりしてきた場合に実際の行動に移らなければならないわけであります。今、石井議員がおっしゃいましたように、情報と意思決定の問題であります。つまり、言葉をかえれば危機管理と言ってもいいと思うのでありますが、このエイズに関しましては結果的に私個人の人間的関係において情報が入ってきて、しかも研究班というほとんど行政の中では意思決定機構でないそういう組織が実質的には意思決定をしてしまった、これは大いに反省すべきところではないかと思うのであります。これは、薬事審議会があるのではないか、あるいはそういう組織をつくって委員長を決めれば責任がはっきりするじゃないか、私はそういう単純な問題ではないというふうに思います。  問題によってその超専門家が集まって最高の知恵でそのとき判断をしなければこういう問題は解決しないと思いますので、こういう問題をどうするか、これは私のような一研究者がする仕事を超えております。つまり、立法府において日本の国の仕組みをつくるという仕事をひとつお願いをむしろしたいというふうに私は思います。  そのほか、明らかに今回は裁判という形で社会がいろいろ摩擦があったわけでありますが、これもある程度避けることができるのではないか、つまり、こういうことが起こるたびに裁判が行われ、それで決着がつかない限り補償も行われない、対策も行われない、これは余りにも貧しさ、国の社会の貧しさと言わざるを得ないんじゃないかと私は思っております。日本は豊かな社会になったわけでありますから、こういう面でも豊かさを獲得してもいいのではないかというふうに思いますので、その点に関しましてもどうぞお知恵をお出しいただければというふうに思うのであります。  以上です。
  42. 石井道子

    石井道子君 以上で終わります。  ありがとうございました。
  43. 常田享詳

    常田享詳君 平成会の常田でございます。私は、委員会質問させていただくのが二回目でございます。  実は、第一回目の質問をいたしましてからきように至る間に、ある方からファクスをいただきました。そこには、現在いろいろ起こっている問題を考えるときに心が大変痛むということで、新約聖書の中の次のような言葉を送ってこられました。「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」ということで御激励のファクスをいただいたわけでありますけれども、本当に真摯にこういったお気持ちにこたえていかなければならないと思っております。  なぜこの言葉を冒頭に引用させていただいたかといいますと、第一回のときに私は菅厚生大臣並びに業務局長に、このたびの事件の根幹、それは業務行政のバイブルであるべき薬事法の第一条の精神が生かされていなかったのではないか、もし仮に薬事法第一条の精神が業務行政の中で一貫して生かされていたなれば、このような悲しい事件は少なくとも最小限に食いとめることができたのではないかと。そして、私は第一回の質問では、第二の防波堤は一九八五年の非加熱製剤の回収をしなかった、回収命令を出さなかった、そこに問題があると。しかし、第一の防波堤は一九八三年のやはりなその一週間に大転換された業務行政のところにあるのではないかというふうに思うわけであります。  そういうことで、薬事法の第一条には、一九七九年にその一部を改正してわざわざ医薬品の有効性だけではなくて安全性をやっぱりもっと大切にすべきだということがスモンの問題等を踏まえて修正されているにもかかわらず、このエイズ薬害問題で生かされなかったということをまず大変残念に思うということを冒頭に申し上げて、質問に入らせていただきたいと思っております。  このたび質問させていただくに当たって、厚生省に出されました「質問調査回答のまとめ」の中の郡司課長さん、参考人、そして平林課長補佐、藤崎課長補佐のそれぞれの回答を比較一覧表につくってみました。そこでいろいろな疑問点、食い違いが出てまいるのでありますが、時間の関係もございますので、今申し上げた第一の防波堤、ここで防いでおけばという中で食い違いがあります。それはこの委員会でも何度も出ておりますスピラ博士による診断の問題であります。  一九八三年八月のスピラ博士との会合に参考人は同席をされたということは認めておられるわけであります。それでは、その場で同博士がいわゆる帝京大症例エイズ認定されているのを聞いていたということでありますが、改めてこのことを、同席したということは言っておられますけれども、帝京大症例エイズであるとスピラ博士認定したというのをそばで聞いておられた、これは間違いない事実でございましょうか。
  44. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) はい、聞いておりました。言葉も大体覚えております。
  45. 常田享詳

    常田享詳君 その言葉をもしよろしければ簡単に。
  46. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) まず、アイ・アム・ソーリーから始まった文章であります。
  47. 常田享詳

    常田享詳君 要約。
  48. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 訳すと、申しわけありませんけれども、この症例アメリカではエイズですとおっしゃったと思います。
  49. 常田享詳

    常田享詳君 ということであります。  そこで、次の質問でありますが、その八三年当時、日本においてエイズ診断するための明確な基準は存在していたのでありましょうか、そこのところをお伺いいたします。
  50. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 日本には明確な基準はありませんでした。また、患者もおりませんでしたのでそういった研究もまだなかったわけであります。したがいまして、CDCの基準を準用していたと思います。
  51. 常田享詳

    常田享詳君 今御質問しようと思ったんですけれども、参考人の方からアメリカのCDCの基準によっていたということを御答弁いただきました。  それなら、当時の基準であったCDCからいらしたスピラ博士エイズだとはっきりおっしゃったわけでありますから、それをその後エイズでないとされた根拠はどこにあるのでありましょうか。
  52. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 先ほども申し上げましたように、まずこの基準でありますが、これは確定診断の基準ではございませんで、症状記載であります。したがって、その症状が起こる原因はたくさんあるわけであります。  具体的に問題になったのは安部先生のところの症例だったと思いますが、あれは大変複雑な症例であったというふうに先ほどもお答えしたとおりであります。したがって、非常に複雑な症状を呈していた、だからなかなか結論が出せなかったということであります。私の理解するところではそういうことであります。  ただ、片方の国でエイズで片方の国でエイズでないというこの矛盾、これをどういうふうに解釈するかということが問題だろうかと思いますけれども、境界、その境目がファジー、ぼんやりしているわけでありますので、ある意味ではどちらでもあり得るということでありますけれども、この差をもたらしたのは私は目的だったかなというふうに解釈をしておりました。  つまり、アメリカは、原因がわからないのでそれらしい人をできるだけたくさん集めなければいけないということで、症候群という名前をつけて集めたわけであります。日本は、これが果たして第一例目であるかどうかということに関心が集まりましたので、かなりその基準を厳密に考えたのではないかというふうに私は解釈をしております。  しかし、あの症例が完全にシロだという結論ではなかったことも事実でありますので、その点も申し添えなければならないと思います。
  53. 常田享詳

    常田享詳君 あの症例がシロではないという可能性も十分あったということであります。  ということは、改めてお聞きいたしますが、同席されていたわけですね、参考人は。それでは、今のことを復唱しますけれども、スピラ博士認定が正しいかもしれない、正しい可能性が十分あるということはお感じになったわけでありますね、重ねてでありますけれども。
  54. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 正しいということのむしろ中身の問題ではないかと思いますが、スピラ博士がそういうふうに言われたことは間違いない事実でありまして、そしてその症例アメリカに行けばこれはエイズのグループに分類されるということも事実だと思います。
  55. 常田享詳

    常田享詳君 かなりその可能性が高いということを恐らく認識しておられたのではないかと私は思うわけであります。それは、その当時この問題について研究班の会合が開かれるまでの参考人の努力を見ますと、相当な意志を持って大変努力しておられるということから考えてもそのように思うわけであります。  もし当時の時点で帝京大のあれがエイズであるとの認識のもとに行政対応をしていたならば、先ほど冒頭に申し上げましたように、このような被害が拡大しなくて済んだ、私はそのように思っているわけでありますけれども、参考人はいかがでございましょうか。
  56. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 仮定の問題でありますので、なかなかお答えしにくい質問であります。  つまり、確定的にこの症例エイズだということであれば変わっていたかもしれませんけれども、しかし打つ手というのはそうたくさんあったわけではありませんので、それに具体的にどういうふうに影響があったかということにつきましては、私は今ここで判断をしてお答えするということが難しいのであります。
  57. 常田享詳

    常田享詳君 まことに残念でありまして、私は、きょうは参考人は少なくともこの点についてはお気持ちを率直にお話しいただけるのではないかと。  私がこのことをしつこく申し上げるのは、患者方々はみずからいろんなところから情報を入れて、それで疑問を抱きながらも国の大丈夫だ、大丈夫だというその言葉を信じてその後も非加熱製剤治療を受けられたわけでありまして、そういうことの結果、二千人の方々感染し四百人の方が既に亡くなり、現在も五日に一人というような割合で亡くなっていく、こういう現実を考えたときに、私はきょうははっきりお答えいただけるというふうに思っておりましたが、残念であります。  そこで小委員長に、私は、残念でありますけれども、郡司参考人を当委員会に証人としておいでいただくことを御検討いただきたいというふうに思います。そのことをお願い申し上げます。
  58. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) この問題につきましては、後刻幹事会で協議をさせていただきます。
  59. 常田享詳

    常田享詳君 それでは、先に進ませていただきます。  郡司参考人は非加熱製剤危険性認識されて、その程度のことはいろいろありますけれども、認識された上でエイズ研究班を私はおつくりになったというふうに思うわけであります。それは、そういう危険性を感じない状況で研究班等をつくり、そこにいろいろ検討を委託するということは、厚生行政の現在に至るまでのありようを見ても、私は理解できない。当然危険性認識されたから研究班をつくって、そこでの結論を引き出そうということであったと思うわけであります。  そこで、エイズ研究班班長安部先生を選任された後に、行政としては具体的にどのような結論を出すことをこの研究班に求めておられたのか。何も求めないで研究班を設置され、班長にもその求めるところをおっしゃらない、白紙で預けたということは常識的に考えられないわけであり  まして、そこをお尋ねいたします。
  60. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) まず最初に、どうしても研究班にお諮りしたかったのは、クリオ部分的にでも戻るかどうかということをお諮りしたかったのであります。そのために研究班を組織し、また具体的にそういうお伺いを私からもしたと思います。
  61. 常田享詳

    常田享詳君 なぜこのような質問をするかといいますと、私は、白紙で研究班に方向性をお願いするということであれば、当時から大変個性的でいろいろ問題があると言われております安部先生をわざわざ班長にお願いされるということはないのではないかというふうに思うわけであります。  そういうことで、憶測でありますけれども、私は意図が違ったんじゃないかと。安部先生班長にお願いしよう、そのときに行政側としてこういう方向にこの班でまとめていただきたいと思ったことと、安部先生班長になってみて、安部先生のもとで、先ほど来お話があるように、独走した、進んでいった、まさに独走されたのかもしれませんけれども、これは憶測でありますけれども、そういう方向とが大きく食い違ってしまったんじゃないか、そういうような事実はございませんでしょうか。
  62. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 私が結論を何かあらかじめ予見して研究班を組織し、そちらの方に結論を誘導しようと思ったが安部先生反対をされたという、そういうことはございません。  私は本当にクリオの問題、これは学術書の上でも議論になっていたことでありましたので、この点に関して日本ではどう判断をすべきかということを御判断いただきたかったのであります。
  63. 常田享詳

    常田享詳君 それでは、非加熱製剤危険性参考人御自身がお気づきになったころ、ほかにもそれに気づいた方がおられましたでしょうか。また、その危険性を前提として、国内血液製剤メーカー、患者さん、専門医の方々などにはどのような影響が出るかということを予測されましたでしょうか、予想されましたでしょうか。同じような考え方を持った方がおられたかどうかということと、どのような影響が出るかということを予測されたか。
  64. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 先ほど申し上げましたように、私は村上先生から文献を送っていただきましたので、村上先生もそのお一人だったと思いますし、私の印象では安部先生は非常にこの問題について心配をされていたというふうに記憶しております。  それから、影響といいましても、かなりこれは広範にわたると思いますので、今ちょっとまとめてお答えをするのはなかなか難しいのでありますが、少なくとも血液事業に関しましては大変大きなインパクトになっただろうというふうに私は思います。
  65. 常田享詳

    常田享詳君 一九八三年七月十八日の研究班第二回会議の前、朝日新聞は七月十二日付に「AIDS 国内に上陸の疑い」と報じておりまして、帝京大症例認定されれば本格的な国の対応も必要だということを指摘しておりますし、朝日に限らず他紙も一斉に会議の前にその危険性を書いております。また、藤崎課長補佐も厚生省への回答書の中で、マスコミ報道が活発で非常に緊迫感があったということを回答しておられます。  そこでお尋ねいたしますけれども、参考人は、先般の五月八日の衆議院の厚生委員会塩川参考人、四月十七日の参議院厚生委員会での松田参考人の話は大体掌握しておられますね。ここに実際ありますけれども、細かいところまでお聞きする時間はありませんが、このお二人の食い違いがあることは御存じだと思います、いろいろな食い違いが。  こういった食い違いについて、客観的な事実についてさえかなりの食い違いがあるわけでありますけれども、参考人はいわゆるこの帝京大症例をめぐる食い違いについてどのようにお考えでしょうか。
  66. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 証言の細かいところまで私はよく存じておりません。新聞紙上で承知しているだけでありますので……
  67. 常田享詳

    常田享詳君 それで結構です。
  68. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) はい。  その差について私がコメントはちょっとできないのでありますが、申しわけございません。
  69. 常田享詳

    常田享詳君 第一回と第二回との間でございますけれども、衆議院での参考人のときに郡司参考人は、「第一回目から第二回目の間にどういったような議論が省内もしくは課内であったか」という質問に対して、「その間に省の中でどういう議論があったかはちょっと記憶があいまいであります」というような答え方をしております。  しかし、先ほど来申し上げましたように、もうこの研究班ができましてから、それ以前から大変危機感はマスコミでも伝えられておりましたし、特にこの第一回から第二回、二回でがらっと変わるわけでありますけれども、方向が変わっていくわけです。この間に省内もしくは課内で全く論議がなかったとは思えませんし、こういう非常に劇的な部分を御記憶になっていないというのは、参考人ほどの方としては私は信じがたいのでありまして、その後思い出されたようなことがありましたらお話をいただきたいと思います。
  70. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 正直言って記憶はありません。  しかし、調べてみますと、その間に世界血友病連盟のストックホルム大会がありますですね、そこに多くの日本の研究者が出席をしております。  その会議はどういうことを言ったかといいますと、現在の治療方法を変えることはしなくていいと、もし現在の治療を変えるのであれば、科学的にリスクとそれから便益とを評価して変えるべきだということを言うわけであります。もし研究者の雰囲気が変わったとすれば、そういった世界のコンセンサスというものが影響を与えた可能性、これはあると思います。  しかし、これは私がその会議に出たわけではありませんし、どなたが出席したかまではチェックしておりませんので、そのためであったかどうかという断定的なことは申し上げられませんが、その可能性は十分にあるというふうに私は考えております。
  71. 常田享詳

    常田享詳君 いろいろお聞きしたいものですから、次々申しわけございません。  私、脇に落ちない点がまだありますのは、これも衆議院参考人のときにお答えになっているわけでありますけれども、例の加熱製剤の緊急輸入に際しての治験部分であります。「何かをまぜて加熱するので活性が落ちないのだという説明を受けましたが、それは何をまぜるのですかと聞きますと、それは企業秘密だから言えませんということでありましたので、私はその時点で、これは治験が必要だというふうに確信をした」というふうにお答えになっておられます。  私も薬剤師でありますけれども、これはトラベノール社とのやりとりだと思うわけですね。トラベノール社とのやりとりで、この何をまぜているのかというのは、これは安定剤であろうと思うわけでありますけれども、安定剤ということであれば、また緊急輸入するということであれば、当然トラベノール社からその内容等について厚生省の方に出てくるわけでありますから、何もこのことをとらえて企業秘密だと言う必要もないわけでありますし、言えないのなら、それだったら治験だというような、もしこのことでそういう方向に変わったとすれば、感情で治験に変わっていったために緊急輸入ができなかった、そのためにその間にさらに拡大したということから考えれば、これは軽率ではなかったかと。  私はおっしゃっているような企業秘密云々というような問題ではないと思うのでありますけれども、これはこれで間違いないのでありましょうか。
  72. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) そこのところだけを取り出しますと、おっしゃるようなことになるかもしれません。  しかし、この製剤は私は大変興味を持ちました。と申し上げますのは、当時、日本は世界の血液資源の三分の一を消費するという状況で世界じゅうの非難を浴びていた、これはもう既にいろいろなところで常識になっているわけでありますが、その国が加熱をすれば当然三倍の血液資源を外国に期待しなければいけない、九〇%輸入でありましたから、こういう状況になるわけであります。しかし、このトラベノール社の製品は二十数%しか失活しないんですと、こういう売り込みでありました。そうしますと、その問題を私はクリアできると思ったので大変興味を持ったわけであります。ですから、直接そのデータを管理しているアメリカ本国の技術者に来ていただいてお話を伺ったわけであります。  ところが、この製剤は、私は完全に記憶していなかったということを資料を見てわかったのでありますが、しかし肝心なところを覚えていたようであります。つまり、B型肝炎のウイルスを一定量製剤にまぜる、そのまぜ方も、たくさんまぜる、少しまぜると。そのたくさんまぜる方は私は忘れていたのであります。たくさんまぜると、加熱しようがしまいがうつるんですね。少し入れると、加熱しない場合にはうつるんですね、しかし加熱をするとおくれて発症するというそういうデータでありました。ですから、私はこの技術は完全ではないというふうにまず思ったわけであります。  そのほか、何をまぜるんですかという話もありましたし、それから血中濃度の下がりぐあいのデータもちょっと私には恣意的な処理がされているというふうに思われましたし、それからさらにインヒビター、これが起こると大変なことでありますが、そのデータもないというふうに伺ったものですから、そういうふうに総合的に判断をして、私はこの製剤は期待したほど完全なものではないという印象を固めたのであります。  したがって、その治験、そして主たる目的は同等性をよく確かめてから入れるべきだというふうに思ったわけであります。
  73. 常田享詳

    常田享詳君 今お話しになったことは肝炎のお話だろうと思うのでありますけれども、そうですね。肝炎の話ですね。
  74. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) はい。
  75. 常田享詳

    常田享詳君 それから、今お話しになったことはプロジェクトには報告されたのでありましょうか。
  76. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 今申し上げましたのはB型肝炎のことでありますが、そのことを研究会報告したかどうかは、私は記憶は定かではありません。  しかし、これは既に学会等で報告されている事実であります。風間先生なども学会の場でそれは聞いているということをおっしゃっておりますので、必ずしもそこで伝達されない限り専門家の方々がこの製剤について全く知り得ないという状況ではなかったというふうに私は解釈しております。
  77. 常田享詳

    常田享詳君 一方で、非加熱製剤は危ない、だから加熱製剤を一日も早く入手してほしい、そうしなければ非加熱製剤エイズ感染される方がさらに拡大していくということがある程度予測された段階で、今のようなことの判断に基づいて結果的に加熱製剤の緊急輸入を先送りされたということについては私は納得できません。  先ほど来石井議員質問等に対しても、私は素人で、私は素人でとおっしゃっておりますけれども、参考人は私から見ればかなりの専門家、確かに血友病専門家ではないかもしれませんけれども、ドクターでありまして、やはり相当深い知識をお持ちであったし危機感をお持ちであったというふうに認識しているだけに、私はちょっと今のお話が納得できないところであります。  ところで、参考人はさきの答弁で、当時の自分の認識厚生省全体の認識であったと述べておられます。その根拠は、当時の林厚生大臣に説明していたことであるということであります。おっしゃっていますね。  それならば、時の厚生大臣に何を説明されたのか。非加熱製剤危険性、それから加熱製剤クリオ製剤の存在等も説明しておられたのか。また、一足飛びに厚生大臣ということではないと思います。直属の上司である業務局長に私は当然説明をしておられたと思うわけでありますが、そのときの大臣、局長はどのような反応、そして言葉、また参考人に対して質問があればどういう質問をされたのか、どういう表情をされたのか、そのあたりで御記憶のことがありましたらお話しいただきたいと思います。
  78. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) おっしゃいますように、林厚生大臣が国会で質問答弁をされております。このことはよく記憶しております。私も後ろに座りましたのでよく記憶しております。しかし、その答弁の内容まで今直ちにここで思い出すことはできないのでありますが、大臣の答弁の内容は課でつくりまして、それが審議官、局長を通じて大臣に説明される、そういうものでありますので、おっしゃいますように、答弁された内容につきましては当時の厚生省認識をあらわしているということは全くそのとおりだというふうに思います。  ただ、内容について今ここで直ちに申し上げるということはできないのでありますが、記録に残っておりますので、その記録を御参考いただければというふうに思います。
  79. 常田享詳

    常田享詳君 一回目のときにも厚生大臣並びに業務局長にお伺いしたわけですが、特に業務局長に、こういった重大な判断を、そのときは例の一九八五年の非加熱製剤の回収命令をなぜ出さなかったかということであったわけですが、そういう大変重要な判断を迫られたときに、生物製剤課長は当然業務局長に御相談になっている。某業務局長のOBの方も、そのような報告があったかもしれないけれども、自分は専門家ではないからよくわからなかった、やっぱり専門家がそういうポストにいなければだめだよなというようなことをマスコミに答えておられる例もありますように、やっぱり報告をしておられると考えるべきでありますけれども、私はそういうふうに理解しております。  現在の業務局長は、当然あの一九八五年の時点ではそうであったと思うし、そういうことなしに生物製剤課長が勝手に回収命令を出さないという結論を出すなんということはあり得ない、それは業務局長にちゃんと話していたはずだということでありますが、参考人の当時も当然業務局長等に対してはきちんと主要なことは報告をしておられたと理解してよろしいわけですね。
  80. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 私もそんなに変わった行政官ではなかったと思いますので、通常の方法で通常のことはしていたというふうに思います。  ただ、一つ一つの内容を今直ちに思い起こすことができないわけでありますが……
  81. 常田享詳

    常田享詳君 いや、仕組みとして。
  82. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 仕組みとしてはおっしゃるとおりだというふうに思います。
  83. 常田享詳

    常田享詳君 最後にもう一点お伺いいたしますが、七月四日付の文書についてでありますけれども、その一週間の発端であります藤崎補佐のつくった四日付文書には答弁スタンスなどの「答弁」という文字が二回も出てくるわけであります。そして、藤崎ファイルには四日付文書と十一日付文書の間に当時の戸塚進也参議院議員の国会質問に対する答弁案、五日付がはさまっていたわけであります。  つまり、七月初め、生物製剤課は戸塚氏から加熱製剤を早く導入すべきではないかとの問い合わせを受け、担当者の藤崎氏が対応について文書をつくった、それが四日付の文書ではないかと思うわけです。だからあの中に「答弁」という文字が二回も出てきたりするわけであります。しかし、なぜか戸塚氏は国会質問をされなかった。そして、その後十一日付の文書、十八日のエイズ研究班の第二回の会議で方針はどんどん変わっていったということであります。  この文書の中での「答弁」の持つ意味ですね、それから戸塚氏からの問い合わせ等があったかどうか御記憶になっているか、それをお聞きいたしまして私の質問を終わります。
  84. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 戸塚議員の質問については全く記憶にございません。  それから、四日付の文書につきましては、あれは藤崎先生の字で、そして私としては全く初歩的とも思えるような誤解や知識の足りない点がたくさん散見されますので、これは恐らく彼自身が自分で書いてディスカッションのために用いた文書であろうというふうに思います。  したがいまして、それと十一日の間の大きな方針転換というのは私は全く記憶していないというのが事実でございます。
  85. 常田享詳

    常田享詳君 終わります。
  86. 竹村泰子

    竹村泰子君 きょうは御苦労さまでございます。社会民主党の竹村でございます。    〔小委員長退席、水島裕君着席〕  これまで参考人の国会での陳述、お書きになりましたものなどじっくり読み直してみました。参考人は大変な危機感を持って研究班をつくられたというふうに読み取りました。郡司ファイル、七月四日、「取り扱い注意」と書かれた「AIDSに関する血液製剤の取り扱いについて」などなどございます。  そこで、改めてお伺いいたします。  一九八三年六月から八月にかけてのトラベノール社の回収報告、当時アメリカ製剤回収は新聞の一面に出ているというトップ記事になるほどのことでありまして、あなたはこれを当然知っておられたと思いますけれども、このことをあとだれが読んで知っていたでしょうか。なぜこれが隠されたのでしょうか。
  87. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) お答え文書厚生省にも回答しておるとおりなのでございまして、これはかなり私は事後に回収をしたという事実を知らされました。そして、そのとき残っている印象は、要するに市販されていないということもつけ加わっておりましたので、私はよかったなというふうに思った記憶が残っております。    〔小委員長代理水島裕君退席、小委員長着席〕  それから、知らせなかった、あるいは隠したのではないかということでありますが、私はそういう意識は実は持っていないのであります。例えば、その当時、先ほど申し上げましたように、エイズはウイルス感染症の可能性はありましたが、感染力やそれから潜伐期間等については全くわからない状況でありましたので、そういうことを知るために一生懸命みんなが研究をし、論文を読み、発表し、それを読みというコミュニケーションをとっていたわけでありますが、この回収をしたという事実はそういった情報に何の意味も加えないと私は思います。  つまり、今、例えばヤコブ病というものが話題になっておりますが、あれは二十年、三十年という潜伐期間であります。そうしますと、二十年後に、三十年後にその発症した人を除外しても、これはほとんど意味をなさないわけでありますし、HTLVのI型、これは日本でATLでありますが、これは三千人に一人から数千人に一人発症するということでありますので、その発症した人を除外してもほとんど意味がないわけであります。  残りの数千人は一生発症しないということでありますので、そういう判断をして意味がないということを実は私は判断したわけであります。
  88. 竹村泰子

    竹村泰子君 参考人、私きょう十七分しか時間がございませんので簡潔にお答えいただきたいと思うんですけれども、あなたがこれをいつお知りになったのか、このアメリカの回収の記事を。それと、それを見て潜伐期間とかいろんなことがあるので別にこれは意味ないとお思いになったんですか、今のお答えでいいますと。もう一度お答えください。
  89. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) ちょっと正確を欠いたようであります。  私は、そのアメリカの回収の記事をちょっと記憶しておりません。日本でトラベノール社が回収をしたということに関連する今の答えであります。訂正をさせていただきます。
  90. 竹村泰子

    竹村泰子君 しかし、それはわかった時点でも別に大変なことだとお思いにならなかった、そんなに大きなことだとはお思いにならなかったというふうにとってよろしいかと思いますが、その辺が何とも不思議であります。今から見ると本当に不思議なことでありますけれども、あなたの御認識は当時そういうことであったと。  それで、何度も繰り返し問い直されておりますし、きょうも何度か出ておりますけれども、CDCのスピラ博士によってエイズ第一号の患者認定、これがなぜ、先ほどから出ておりますように、なぜ報告されなかったのか、エイズ一号と指定されなかったのか。これは、ずばり申し上げますと、非加熱製剤による被害者がエイズ第一号になったら五千人もいる血友病患者が大騒ぎして大変だと、そういう意識がおありになったのではないでしょうか。
  91. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) そういうことを考え記憶はちょっとないのであります。  私は、いるかいないか調べなきゃいけないと思いまして、第一回の研究班と第二回の研究班の一カ月の間に早急に努力をして調べたのでありまして、その結果について何か曲げるというようなことは当然私は考えたはずはないのであります。
  92. 竹村泰子

    竹村泰子君 八三年の三月にアメリカのFDAが、同性愛者や麻薬常用者などハイリスクグループの人々からの血液血友病治療のための製剤原料にしないように求めております。そのためのスクリーニングの方法も具体的に示しております。  全国血友病患者の組織である全国ヘモフィリア友の会も同年九月の下旬に厚生省に要望書を提出しております。その中で、国内の献血利用や加熱製剤早期認可と並んで、FDA勧告前の製剤の回収、勧告後の製剤への速やかな転換、これを業者に指導するように厚生省に対して求めております。  日本血友病患者の七割を占める血友病Aの治療に使う第Ⅷ因子製剤は、八三年九月末の時点で在庫量の八七%はFDA勧告以前のスクリーニングされていない血液が材料だった。血友病Bのための第Ⅸ因子製剤は、六二%が勧告以前のものだった。これはもう参考人よく御存じのとおりでありますけれども、八三年の夏には「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」でクリオの方がいいのではという記事があり、五月には「サイエンス」にギャロ、モンタニエ両氏の論文があり、あなたの陳述をずっと拝見しておりまして、当然あなたはそれらの知識を持っておられた。既に八四年九月にはエイズウイルスは固定されて、検査方法も確立していた。帝京大血友病患者エイズ感染もわかっていたと。  安部氏は、郡司氏に電話をしたが留守だったので厚生省のだれかに電話報告をしたというふうに答えておられますが、これをお聞きになりましたか。
  93. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) もしそれが八四年の九月以降の例の検査結果の陽性者が出たことに関する報告であれば、そのときは既に私はその職におりませんでしたので、それは安部先生の御記憶の間違いではないかというふうに思います。私は直接そういう電話を受け取っておりません。
  94. 竹村泰子

    竹村泰子君 多分これは帝京大血友病患者エイズ感染がわかった時点で安部さんは郡司さんにお電話をしたと言っていらっしゃると思いますけれども、そのことです。
  95. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 私の理解では、八三年当時はまだギャロたちは確定診断をできるほどHIVの3型の検査方法を確立していないと思います。八四年の五月のころになって初めて確定診断をする方法が確立し、そしてこのウイルスを固定するのであります。  したがって、その帝京の症例の検査の結果がいつ戻されることになるのか、ちょっと私は記憶しておりませんが、それがそれ以前であればちょっと間違いではないか。それ以後であれば、ちょうど私がその地位にいたかどうかの境目に落ちるかもしれませんですね。
  96. 竹村泰子

    竹村泰子君 ただ、あなたがその地位にいらっしゃらなければ、安部さんはあなたにお電話をしなかったと思うんですね。ですから、郡司さんにお電話したが留守だったというふうに国会で答えていらっしゃいますので、恐らくあなたがまだ現職の課長でいらしたときだと思いますけれども、安部氏からそういったお電話があったことをだれかからお聞きになったでしょうか。大分前の話ですから恐縮ですが、でも重大なことですからお答えいただければと思います。
  97. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 私は、全くそういう記憶はありません。
  98. 竹村泰子

    竹村泰子君 厚生省認識がその程度だったということですよね。その電話を受けた人がだれかわかりませんし、犯人捜しをしても仕方がありませんけれども、しかし安部さんは話したと。どの方が真実なのかわかりませんけれども、話したと言っている。電話を受けた人があなたに何も伝えなかったと。そして、それは全然厚生省の中では認識されなかったということなのかなと思います。  あなたは、業務局生物製剤課長から、先ほどお話がありましたように、健康増進課へ移られた。  そして、現在は東京大学医学部教授でいらっしゃる。先ほどもいろいろ出ておりましたけれども、危機感を持って研究班をつくられた。しかし、この間十年余り、私はあなたが一番よくすべての事情をわかっていた方ではなかったかと思いますけれども、沈黙をしておられた。エイズ調査検討委員会、現在のサーベイランス委員会もいろいろなことがわかっていたと思うけれども、今回のいろいろ一連の事件、そして厚生省が資料を隠していたと私たちは思いますけれども、そういったことについても出てくるまでは何も皆さんおっしゃらなかった。  この沈黙は一体何だったのでしょうか。しゃべる必要なしと考えられたんでしょうか、それともしゃべることができない何物かがあったのでしょうか。それを話していただかないと、こんなことを何回繰り返しても同じなんですね。参考人もきっと何回も何回も国会に呼びつけられるのは本当に御迷惑だと思いますけれども、しかし真相はいつまでもやみの中です。ここの一番よくわかっていたはずの人たち、そして研究班をつくられたあなたが何かもう少し、真実をすべてお話ししましょうと誠意を持って――私はあなたのお書きになった資料も全部読みました。誠実に答えておられると思いますけれども、肝心のところは答えていらっしゃらないんですよね。そういうことでは何にも出てこないのではないかというふうに思いますが、最後にそのことをお答えいただいて終わりたいと思います。
  99. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) 行政官のならわしとして、ポジションを移りますと前の仕事は干渉しないという、そういうことがあります。それはいい面と悪い面とあると思いますが、あるいは場合によっては積極的に忘れようとするぐらいであります。したがって、私は後のことについて何も発言をしておりません。  それから、今回いろいろな取材攻勢の中で沈黙を保ったということも、それは沈黙の一つに数えられるかもしれませんけれども、今回のことにつきましては大変なマスコミの取材攻勢がございまして、私は刑法で告発をされている身でありますので、いろいろぺらぺらとしゃべるというのもますます私自身に被害が及ぶのでそれを避けたわけであります。  真相ということで一言申し上げたいのでありますが、私も今大学で研究者をしております。仮説を間違った場合には、幾ら実験をしても真相は出てまいりません。その場合には仮説を変えなければなりません。無理にその真相に記憶や間接話法でデータを詰め込むということは私は間違いだと思いますし、また研究者として、あるいはジャーナリストとしても同じではないかと私は思うのでありますが、その真相に関する仮説を変えられない場合には研究者はもうやっていけなくなるわけでありますので、私は真相を解明する場合にはもっと柔軟にいろいろな仮説を立てていただきたいと思うのであります。  そして、私はいろいろなことをむしろ真相をこの参議院の場でもお話をしているつもりでございます。したがいまして、真相ということについて勝手ながらそういうことを言わせていただきたいと思います。そのことが今後の対策につながるわけでありますので、特にその点強調させていただきたいと思います。
  100. 竹村泰子

    竹村泰子君 終わります。
  101. 西山登紀子

    西山登紀子君 日本共産党の西山登紀子でございます。  ここにトラベノール社が出しました八三年六月二日の自主回収報告というのがあるわけです。もちろん参考人は御存じだと思います。参考人の名前あてになっていますよね。「郡司篤晃殿」ということで報告書。その報告書の中には、回収措置理由といたしまして、このように書かれているわけです。「本剤の製造に用いた原血漿供血者の一人が、供血時のスクリーニングでは検出されなかったが、供血後AIDSを示唆する病状を呈したため。」、このように回収理由が書かれているわけですね。ところが、この非常に重要なHIV汚染のサインにもかかわらず、これが公表もされていない。エイズ研究班にも報告がされていないし、参考人は上司にも報告をしなかったというふうに答弁をされています。極めて重大であると思うわけです。  私は、昨年の十月三十一日、この参議院厚生委員会質問をいたしましたけれども、NHKのテレビ、昨年の十月の「エイズ薬害訴訟・行政責任はどう問われているか」ということのインタビューであなたは、なぜ公表しなかったのかという問いに対して、個人的に判断することではないとお答えになっている。映像で映っていました。  私もそうだと思うんですね。これは上層部と相談したことをあなたが示唆しているというふうに思うわけですが、どうでしょうか。
  102. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) これは後で資料で出てきたわけでありますが、決裁が行われておりまして、そこに局長の印まで押してあったと思いますので、これは私一人がその決裁をした、つまり課どまりの決裁ではなかったということでありますので御指摘のとおりだろうと思います。  しかし、御存じのとおり、役所の決裁というのはいろいろな形がありまして、事前に説明するものから、あるいは行ってその場で説明するものからいろいろあるわけでありますが、私は、局長のところに行きましてこの件について報告をし判断を仰いだという、そういう記憶はないのであります。
  103. 西山登紀子

    西山登紀子君 それでは、個人的に判断しない、だれかに相談した、そのだれかというのはどなたですか。
  104. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) ですから、まず課の中では私は係からその話を聞いたことを覚えておりますので、私一人でその文書を受け取ったわけではない、課として、組織として受け取っている、それは確かであります。
  105. 西山登紀子

    西山登紀子君 非常に重要なサインについて、課の中では出したけれども、上には相談しない、そして公表もしないしエイズ研究班にも報告をしないということを繰り返し言っていらっしゃるわけですけれども、そのあなたが正当化しようとしている理由というのは、意味がない、意味がないと判断したというふうに言っていらっしゃるわけです。故意に隠したわけでもないし、上層部の、もっと上の上層部の関与はなかったということをわざわざ私は弁解するために意味がないというふうにあなたがおっしゃっているように思えるわけです。  私、トラベノール社に問い合わせをいたしました。同社は、どうして回収したのかということの理由に、企業の倫理として報告をした、当時通達という形であったわけですけれども、報告をしたというふうに言われました。  この報告というのは単なる報告ではないわけです。薬事法の生命でもあります医薬品の安全に関しまして、第五十六条では罰則までつけて担保をしている問題です。しかも、現在は薬事法の施行規則第六十二条の三でメーカーなどには厚生大臣または都道府県知事に回収報告の義務を課している、これほどに重要なものであるわけです。意味がないというふうな判断をすること自体が、私は当時の担当官としては重大な問題があると思います。  もし、そういう自覚がなかったということであれば、厚生省組織令第五十九条に生物製剤課というのはどんな仕事をするのかということがちゃんと書いてありますよ。そこの第五十九条には、「生物学的製剤及び抗菌性物質製剤の製造業及び輸入販売業の許可並びに製造及び輸入の承認を行うこと。」、これがあなたが担当していたときの生物製剤課仕事ですよね、任務ですよね。そのことを全くこういうことは意味がないんだということで無視をしてかかる、そのこと自体が私はあなたが当時生物製剤課長としての職責を果たさなかった、こういうことになるのではないかと思うんですが、どうですか。
  106. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) まず、その後になってエイズのような症状が発症した人が含まれていたのでそれを回収したということと、その製剤がすべてエイズの原因になるものによって汚染されて、それでエイズ感染するということは必ずしも同じ意味ではないと私は思うのです。つまり、その当時エイズの本態が何であるかわかりませんでした。どの程度感染するか、これもわかりませんでした。発症、これもわかりませんでした。つまり、何もわからなかったわけでありますので。そして、そのような情報の方が私は重要だというふうに考えていたのであります。  しかし、後になりまして私はアメリカでそういう動きがあるということを伝え聞きましたので、我々としてその段階で何もすることはできなかったのでありますが、何かできるとすればそういう証明書、これがついているものだけを輸入するようにしていただきましょうということを通知申し上げたわけであります。  したがって、全く無意味だとは思わないわけであります。つまり、若干のリスクは減少させる可能性はあるというふうに思ったからそういう通知は出しているわけでありますけれども、しかし、回収イコールこの製剤が汚染され、そのことが報告されると委員会が別の結論を出すというふうには私は考えなかったということでございます。
  107. 西山登紀子

    西山登紀子君 やはり私は弁解だというふうに思います。といいますのは、その回収報告についてトラベノール社の小栗氏が裁判ではこういうふうに言っているんですね。  当時、供血者が罹患した病気と血液製剤との因果関係について何の証拠がなくても予防措置として回収するというのが基本方針だと、それが顧客である患者にとって最善の利益になるというのがその理由であった、このようにメーカーですらと言ったらあれでしょうか、メーカーもこういうふうに考えたわけです。  ところが、日本のそれこそ薬事行政の最先端で責任を負っているあなたはそうは考えていない。  その点が非常に私は重要だと思いますが、時間がありませんのでその次に移らせていただきます。  参考人がわざわざ配付されたこの年表の中に私は重要な国際会議が抜けているというふうに思うわけです。  先ほど世界のコンセンサスということを参考人は言われたわけです。よく言われます。しかし、世界のコンセンサスということをおっしゃるのであれば、一九八三年五月十六日にリスボンで開かれた輸血と免疫血液学に関する専門委員会の第二十二回会議、これが私は非常に重要ではないかと思うわけです。  その会議は勧告を行っているわけです。危険な輸入血液製剤は避けるべきだという勧告を行っているわけです。参考人がそのことを御存じないはずはないと思うんですけれども、なぜこの日程の中にはないんでしょうか。
  108. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) はっきり申し上げまして、私はその会議は存じ上げませんでした。もしかしたらその筋の専門家がそこに出席しているかもしれませんけれども、私はそのことについて知りませんでしたし、またそれを読んだ記憶もないのであります。
  109. 西山登紀子

    西山登紀子君 実は、五十八年、厚生省血液事業研究報告というところに国立予防衛生研究所の安田純一さんが報告を載せているわけであります。ですから、私は参考人がそのことを御存じないというのは大変不自然な思いがいたしますけれども、リスボンというところでそういう第二十二回会議が開かれたということも御存じなかったんでしょうか。
  110. 郡司篤晃

    参考人郡司篤晃君) はい、私は存じ上げませんでした。
  111. 西山登紀子

    西山登紀子君 私は、参考人行政官といたしまして、この薬害エイズの初動の非常に大切な時期にみずからが薬事法を、意味がないという言葉で御説明なさっているわけですけれども、薬事法を犯したというふうに思います。五十九条、生物製剤課の職責も果たしていない。  真実を語る義務があると思いますし、改めてこの国会で証人として真実を語っていただく場をぜひ設けていただきたい、小委員長、お願いしたいと思います。
  112. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) この問題につきましては、後刻幹事会で協議をさせていただきます。  以上で、郡司参考人に対する質疑は終了いたしました。  郡司参考人には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。小委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  郡司参考人は御退席くださって結構でございます。  速記をとめてください。    〔速記中止〕
  113. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 速記を起こしてください。     ―――――――――――――
  114. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 次に、平和学院看護専門学院学務部長芦澤正見君から御意見を承ることとします。  この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用のところ、当小委員会に御出席をいただき、ありがとうございました。  当小委員会におきましては、薬害エイズ問題に関する調査を進めておりますが、本日は特に参考人から御意見を拝聴いたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。  なお、質疑時間が限られておりますので、参考人の御答弁は簡潔、明瞭にお願いいたします。  なお、御答弁は御着席のままで結構でございます。  それでは、参考人に対する質疑に入ります。  まず、小委員長の私から参考人に対し質問いたします。  実態把握研究班の設置前の厚生省の動きについてお伺いをいたします。  研究班設置前、当時の保健情報課課長補佐の森尾真介氏が参考人のところに訪ねてきて話されたと思いますが、どういう話題であったのか、まずお尋ねをしたいと思います。
  115. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 私の知っている限りのことを申し述べたいと思います。  正確な日時は覚えておりませんですが、研究班が設置される前、森尾課長補佐であったときに私の勤め先の国立公衆衛生院疫学部にお見えになりまして、アメリカエイズが御承知のようにCDCのMMWRに載っている、その後患者がだんだんふえているようである、日本にも必ずと言っていいくらい流行があるだろう、その対策をどうしても考えておく必要があるんだということで森尾氏と協議をいたしました。  その内容は、現行の法律でとりあえずは対処するとするならば、一つは伝染病予防法を改正して厚生大臣が指定する指定伝染病に加えると。それからもう一つは、当時はSTDとしての、性感染症としての経路がもうわかっておりましたから、性病予防法という法律がありますので、それに病名を追加するという二つの方法があろうかと。  しかし、性病予防法の方は感染経路が性感染だけになりますので、その後アメリカの方でも言われております麻薬の静脈注射の常習者の間のこととか、そういうことについては法律の範囲からいいましてなじまないのではないか。それから、血友病患者に対する非加熱製剤というものによっても患者が二名、少なくとも二名は出ておりましたので、そういうことを考えましても性病予防法よりかむしろ伝染病予防法の改正、指定伝染病としての追加、それを考えたわけでございます。  そして、伝染病予防法には、ペストとコレラの二つの伝染病につきましては疑似症も真性の伝染病と同一に取り扱うことができるというそういう項目がありますので、広く疑似的な症例もそれによって把握をするのにはいいのじゃないのかと。  ただ、伝染病予防法の難点は、御承知のように非常に古い、明治三十年という古い法律でありますので、当時の社会防衛というのが全面的に出てきた法律でありまして、隔離であるとか、いろんな物品の消毒にかなりあらゆる公権力が行使できるという項目がありますが、現在の世の中にはとてもそれは通用できない。「必要ト認ムルトキハ」といっただし書きはありますけれども、その文言そのものが現在の感覚からいって前時代的なものでありますので、かねがね識者はこの伝染病予防法というものをもう抜本的に改正すべきだということを前から言われていたわけでございますので、この機会に伝染病予防法の抜本的な改正に取り組んだらどうでしょうかと、こういう話をしたわけでございます。
  116. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 参考人に申し上げますが、時間が限られておりますので簡潔にお願いをいたします。
  117. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) じゃ、以上でございます。
  118. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 厚生省が危機感を抱いておるという状況がわかるわけでありますが、その後実態研究班が、いわゆるエイズ研究班が設置され、また参考人委員としてそれに参加されるわけですが、研究班の設置目的についてどのように理解をされていましたか。
  119. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 研究班の研究課題は我が国における後天性免疫不全症候群の実態把握に関する研究というものでございますので、文字どおりそのとおりに私は受け取っていました。
  120. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) それでは、次に移ります。  それでは、研究班内の議論の状況についてお伺いをしたいわけでありますが、まず加熱製剤の緊急輸入について、七月四日付のいわゆる藤崎メモでは加熱製剤の緊急輸入もあり得るというメモがあるわけであります。このことについて郡司課長発言をしたということを先日松田参考人がおっしゃったわけであります。しかし、郡司氏は衆議院での答弁の中で、そのような認識はなかったというふうに答えております。  この点について、芦澤参考人はその会合に出られたわけですけれども、どのように認識をしておりますか。
  121. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 郡司課長がそう言われていたということについては私は全く心外でございまして、郡司課長からそう遠くないところに私の席があったのでございますので、はっきりと緊急輸入という方法もあるんじゃないでしょうかと、こう申されました。
  122. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 日本人の献血によるクリオの増産について安部氏と大河内氏との間で激しい議論があったとのことですが、どういう話であったのか、お聞かせください。
  123. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 方法として今申し述べました緊急輸入という方法と、それからそのときに大河内班員が、クリオに戻してやるのが一番いいんじゃないでしょうかと、こう言われたんですね。そうしましたら安部班長が、その言葉じりをつかまえたような感じで、君、それはとてもできない相談だろうと、正確にそのとおりの言葉じゃないんですが、そういうことで激しく反論をされました。それに対して大河内班員が自分が免疫の方の御専門でありますので反論をなさいまして、そして安部班長と大河内班員との間にかなり激しいやりとりが、お二人とも言葉が、大きな声でやっておられましたものですから、ほかの班員はそのお二人のやりとりを一体これはどういうことになるのかなということで見守っていたというのが実情でございます。
  124. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) また、そのとき徳永氏の発言があったというふうに聞いておりますが、どういう発言をなさいましたか。
  125. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 私の聞いた限りでは、それほど長く発言はしておりませんでして、クリオでもやれますよと、ただ厚生省がやれという指示を出してもらえばクリオでもやれますよとはっきりと言われたのを私は記憶しております。
  126. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 帝京大症例について伺います。  先日、松田参考人帝京大症例病理標本を順天堂大学に送ったと答弁していますが、塩川参考人はそれを否定しています。そのことについて、これは一般論としてこのことについて芦澤参考人はどのような感想を、このお二人の発言についてどのような感想を持たれますか。
  127. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 帝京大病理の標本の所見ですが、それは松田班員から研究班の席上も述べられました。しかし、順天堂の方にその標本が行ってどうなったかということについては私は知らされておりません。後でそのことを知りまして、非常に不思議というか不可解なことだなという感じを持っております。
  128. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) そこで、塩川氏が厚生省に同情的なことの趣旨の発言があったということが言われておりますが、その点はどうだったんでしょうか。
  129. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) これはマスコミの方でそこだけを取り上げておられる節があるんですが、塩川班員はもう二十年ぐらい前から厚生省の難病の研究班で、関節リューマチの御専門でありますので、非常に厚生省とは緊密な関係がありましたものですから、私は日常の会話として雑談的に厚生省も大変だろうなと言うぐらいのことはあり得ることじゃないかと思っております。それで、それも会議の席上で申した言葉ではなくて、会が終わって散会をするようなときにだれに言うともなく言われたというのを記憶しております。
  130. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 参考人はいわゆる疫学の専門家でございますが、疫学的見地からお伺いをしたいのでありますが、いわゆる疫学的見地から見て疑いがあれば対策を講ずべきだと思うわけであります。その点で、当時の厚生省エイズ対策に対する対応について感想をお伺いしたいと思います。
  131. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 私は、研究班として班員になったことはこれまでもたびたびあるわけでございますが、研究班というのは、認定をするという仕事はこれは行政のやることでありまして、それに対する参考意見参考になるような所見を報告するという義務は研究班にありますが、認定そのものは行政機関がやるべきことであると、こう思っておりましたのですが、今度の研究班は入ってみますと特に様子が違うなと、もっと踏み込んで認定というものに対して直接的な影響が及ぶようなふうに運んでいるなという印象は持ったのでございます。  それで、今でも大変残念に思いますのは、研究班は、例のCDCの診断の基準がございますが、それは疫学的サーベイランスのための診断基準というふうに書いてあるんですが、でありますから疑わしいのも含んでいくんだと。日和見感染がたくさんあったような場合は、もうサーベイランスのための診断基準ということではかなりその病名を列記しておりますので拾い上げているわけでございます。そういう点では、サーベイランスのためのというのでございますが、ただ一カ所、免疫抑制の効果のありますステロイド剤を用いていたということで、それにどうも該当するんじゃないかということで、積極的にエイズとこう診断をすることはいかがなものだろうかということで、否定はしていないんです。しかし、積極的に肯定もできないと、こういうのでございますが、それが新聞報道によりますと、日本には上陸していないとか、シロだとかというシロ、クロのような言葉でもって表現をされたので、いやこれは困ったなという感じを持ちましたですね。ですから、なぜそのときにもっと踏み込んだ解説を厚生省の保健情報課ですか、新聞記者に解説をなすべきではなかったかと思っております。
  132. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 小委員長からの質問は以上でございます。  それでは、参考人に対し質疑のある方は順次御発言を願います。
  133. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 自民党の清水でございます。  私が学校を卒業しました後に先生が大学の助教授にお入りになったので直接御指導いただく機会はなかったのですが、現場におりましたときは何かとお世話になりました。また、厚生省におきましても看護婦の国家試験の委員等にいろいろと御協力いただきまして、本当にありがとうございました。  そこで、お久しぶりですと申し上げるところなんですが、きょうはこうした形で先生にいろいろとお話を伺うこと、何か面映ゆい気もいたしますけれども、しかしこの薬害エイズの問題で現にたくさんの方々が亡くなられ、そして本当に死に直面している方々もいらっしゃるということを考えますと、あのときにもう少し早く手が打てなかったのだろうかということを、振り返ってぜひその辺を究明させていただき、これからの参考にさせていただきたいと思いますので、ぜひよろしくお願いをしたいと思います。  今、小委員長の御質問に対する先生のお話を伺っていますと、大変よくいろんなことを本当にクリアに覚えていらっしゃるんですけれども、何かあのときの厚生省から出された記録でありますとか先生のメモでありますとか、そういったものに基づいてきょうはお話ししていただけるのでしょうか、まずその辺をお伺いしたいと思います。
  134. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) まことに申しわけないんですが、清水議員にずばりこれをひとつ聞きたいということをもう一度はっきりとおっしゃっていただければ申します。
  135. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 十数年前のことでございますので、いろんな先生方お話伺いましても、やっぱり記憶が違っているところが随分ございます。  しかし、先生は今お話を伺っていますと非常にクリアにお答えくださっていますので、何か記録に基づいたりあるいは何かメモなどを残されて、それに基づいてお答えくださっているのでしょうかどうでしょうかということを今お伺いしました。  その当時の会の記録だとか、そういったものを残されておられるのでしょうか。
  136. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 私も、厚生省の方から言われまして、いろいろ家の中を捜したのでございますけれども、大変申しわけないのでございますが、全くありません。ですから、私の記憶でございますのでかなりぼやけているところもありますし、確信を持って言えるということはそんなに多くないと思います。
  137. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 ありがとうございます。  それでは、まず、いつごろエイズの存在を御認識なさったか、先生は公衆衛生院の疫学の教室におられたわけですので、非常にそういう意味では情報が入りやすい場所におられたかなというふうに思いますし、また、たしか先生はSTDの研究をずっとしておられた……
  138. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 何の研究ですか。
  139. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 性感染症の、STDの研究をずっとしておられたかと思いますので、そういう意味では情報が非常に入りやすいところにおられたのかなというふうに思いますが、当時、エイズに対してどういう御認識があったのか、まずその辺からお伺いしたいと思います。
  140. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 国立公衆衛生院の図書館がございますが、そこでいろいろなアメリカ感染症に関するジャーナルがありますものですから、それについては目を通しておりました。
  141. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 そこで、八三年の六月にいわゆるエイズ研究班の発足になるわけでございますが、そこにお加わりになる。発足に加わったいきさつといいましょうか、恐らく先生はずっと厚生省のお仕事をいろんな形でやっておられたと思うんですが、どんな形で先生のところにお誘いが来てその班員になったのか、その辺のいきさつをちょっと教えてください。
  142. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 先ほど委員長の方からの御質問がありましたように、当時の保健情報課の森尾課長補佐が見えたわけでございますが、そのときには研究班をつくるんだという話は一切ございませんでした。それから、森尾補佐とはその話はしていません。交流はございませんで、その研究班ができる際に疫学関係の人が一人必要だというふうに聞きまして、それで私にどうかという話になったと思うんですが、私は、今おっしゃいましたように、性感染症の疫学が私の当時の主な研究テーマでございましたので、それをやっていたわけでございますので、性感染というルートでのエイズについて現状はどうか、アメリカの状況とかその他のあれも含めましてどうなのかということで、法改正を含めまして対策はどうかというようなことで呼ばれるのかなと思ったのでございます。  研究班に行ってみますと、一わたり生物製剤課の方からそのときまでの欧米の状況とか、日本でもし流行が入るとすれば起こるであろう日和見感染症、カリニ肺炎であるとかカポジ肉腫であるとかカンジダ症であるとか、そういうことについての一わたりのお話がありまして、それから血友病の話にさっと入っていかれましたので、委員長血友病の大家なものでございますからそれがやはり優先するということはわかったのでございますけれども、性感染について私としては自任していたのが、やにわに血友病の方に主に時間の大部分を割くような形になりましたので、ちょっと私は不本意な気持ちでおりましたんです。  それから、積極的な発言というのはした記憶はないんです。
  143. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 そういたしますと、初回にお集まりになったときに班長をお選びになるというようなことがあると思いますが、安部先生がどのような形で班長に選ばれたのでしょうか。互選なさったんですか。
  144. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) いや、互選をしたという手続があったということは全く記憶にありません。はっきりと記憶がないのでございますが、もう既に班長にふさわしい場所に座っておられまして、そして生物製剤課の方から、厚生省の方から安部先生をというようなことで始まったように覚えております。
  145. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 先生は、研究班が五回会議を持ったわけですが、そのうちで三回御出席というふうに伺っております。これでよろしゅうございましょうか。  三回御出席というふうにたしかお返事をくださっていると思いますけれども、もしそうであれば、その三回それぞれにどんなようなことが話し合われたのか、簡単で結構でございますのでお教えいただきたいと思います。
  146. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 第一回は、生物製剤課課長からこの研究班がつくられた趣旨、目的という話があって、それからそれぞれの班員の自己紹介、自分の専門分野ということを含めた紹介がありました。そして、課の方で用意をされていたんでしょうか、それぞれの日和見感染症についての説明がありました、カポジ肉腫とかそれからカリニ肺炎であるとか。カポジ肉腫については千葉大の皮膚科の岡本教授が班員になったわけでございます。それからカリニ肺炎については京都府立医大の吉田教授がなったんですが、御出席にはなれなかったのでございますが書いたものが送られてまいりました。こういうふうに、それぞれの日和見感染についてのこと、それから血友病については班長みずから話をされた。それが第一回でございます。  第二回は、話は専ら血友病患者さんにつきまして、九〇%以上がアメリカからの輸入の濃縮製剤である、しかも非加熱であるという話を聞いて私もびっくりしたのでございますけれども、それについての対策として、先ほど申し述べましたように、緊急輸入とそれからクリオ、それしかないのではなかろうかということになったのでございますが、班長は決断はそのときには申されませんで、血友病に関することは私ども専門家にお任せ願いたい、一任をしてもらいたいということがありまして、皆さん異議を唱える方は一人もいなくて、その第二回はそれで終わったわけでございます。  それから、二回目から例の帝京大学の患者であります方の症例松田班員から述べられまして、それを班員一同が傾聴したわけでございますが、それについての詳しい検討は第三回目だと思います。  三回目は、CDCの診断基準しか基準は当時世界になかったわけでございますから、当然それによるしかないということでは皆さんが合意していたと思います。一つ一つやってまいりますと、カンジダ症の多臓器感染のカンジダ・アルビカンスがもう相当ひどいものでございまして、私はそれを見まして、私は臨床医ではないのでございますけれども、こんなにひどいカンジダ症というのは見たことないということで、これはもう間違いなくそうだというふうに感じとしては持ったのでございますが、レントゲンの写真なんかも供覧をされましたんです。  ところが、逐条やっていきますと最後に、今申しましたように、免疫を抑制するという抑制剤を発症の前からずっと使っているという場合はそれは除外をするという項目がありましたので、それにひっかかりまして、ちょっとこれは全く一〇〇%そうだというふうには申せないのではなかろうか、しばらく保留をして様子を見ましょうということになったんです。  ですから、決して否定をしてはいないのでございますけれども、それがマスコミの方では否定をしたというふうに受け取られたようでございまして、それで対策がおくれてしまった、その間に犠牲者が出てしまったということを言われますと、大変私も申しわけないと思っておりますのですが、ですから、プレスの方に話をする際にきちんとして、シロかクロかというような単純な議論でなくて、事を分けた話を当然すべきであると反省しております。
  147. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 そういたしますと、今、一回目、二回目、三回目と続けて先生お出ましになったお話伺いましたけれども、あとはお出ましになれなかったのでしょうか、四回目、五回目は。
  148. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) いや、そこが記憶がはっきりしないんです。大体ほかに用事がなければ優先してこの研究班には出ているはずですけれども、どうも記憶がはっきりしませんものですから、はっきりと出席したというふうにプロジェクトチームのあれには返事は書かなかったわけでございます。
  149. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 そこで、今いろいろお答えもいただきましたけれども、少しお話伺いたいと思うんです。  先生は、この厚生省調査プロジェクトへの回答でありますとか、あるいは幾つかの週刊誌にいろいろ御発言をいただいているわけですけれども、先ほども小委員長の御質問にもおっしゃいましたけれども、加熱製剤の緊急輸入について郡司課長から提案があったというお話でございまして、班員の意見は、やっぱりこの非加熱製剤が危険だと、だから加熱製剤を緊急輸入すべきだという意見に大体まとまりかけたと。そのときに安部班長さんの非常に強い反対議論が停滞してしまったというようなことをいろいろお話をしてくださっているわけなんですけれども、プロジェクトチームのいろんな方々からお答えをいただいたのを見ますと、必ずしも緊急輸入の提案があったというふうにおっしゃっている方ばかりでない。  まず郡司課長がそういう方針を示さなかったということを言っていらっしゃるわけです。  そういうわけで、その辺のところをちょっと私どもも判断しかねるわけなんですが、済みません、そういうことがあったのかどうかということにつきまして、もう一度お答えいただけませんでしょうか。
  150. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 今から思いますと、研究班の議事の進め方が、どうして研究班を設置された生物製剤課が会の進行にイニシアチブをとってもらえなかったかということが大変残念でございます。緊急輸入の問題とかクリオの問題とかというのは極めて大事なことでございますのですが、それが自由討議のような形で、そういう雰囲気の中で議論のやりとりが行われてしまったということです。  それで、私自身が血友病の方は専門ではございませんので発言をするような勇気もなかったのでございますが、今から思いますと大変残念でございまして、そのときにやはり勇気を持って、緊急輸入の話が課長からあったけれどもその点はどうなんですかと、このぐらいは言うべきであったと思います。大変私も申しわけないと思っております。  それから、大河内班員は、クリオのことを一生懸命お話をされまして、緊急輸入については余りおっしゃっていなかったように記憶しております。ほかの班員の方々はその後、この大河内班員と班長との間のやりとりの方に気をとられたというか、気をのまれたような形でいたという状況でございました。  ですから、自由討議というのは、そういうふうな場が班会議で持たれるのは事と場合によっては必要なのでございましょうが、大事な議事までもそういう中に入ってしまったということは議事の進行に非常に悔いを残す、こう思います。
  151. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 安部班長異議を唱えられた、つまり非加熱製剤から加熱製剤にかえて緊急輸入すべきだということに対して異議を唱えられた理由として、加熱製剤を緊急輸入するということは当然承認を得ないでそのまま緊急輸入しようということでございますから、そういうことをすることによってもし仮にこれで重い副作用でも出たらどうするんだ、だれが責任を持つのかというようなことをおっしゃったというふうなことが伝わってきております。  この加熱製剤の安全性については、当時どのような情報を皆さんお持ちだったのでございましょうか。先生の方にもしそういう確たる情報があったのだったら、当然のことながらそれが出ていたと思うのですけれども、加熱製剤だったら絶対に大丈夫だというような、あるいはどのぐらい確保できるのかといったような情報をどのあたりでだれが持っていたのか、その辺はいかがでございましょうか。その辺のことについても班会議の中で出たかどうか、お話伺いたいと思います。
  152. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 加熱製剤については、B型肝炎ウイルスのためにウイルスの不活化ということで西岡班員が御専門でずっとやられておりました。私はそちらの方は専門ではございませんので、特に加熱というものは絶対大丈夫だということも言えませんし、西岡班員のおっしゃっているとおりだというふうに思って聞いておりました。
  153. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 ありがとうございます。  やっぱり臨床のドクターの方々の御心配というものがあったというふうに今のお話を伺って思いました。  次に、先ほども出ましたけれども、帝京大症例につきましてもう一度お伺いしたいわけでございますけれども、研究班の中では、安部先生松田先生もそうだと思いますが、帝京大症例についてはエイズではないかという疑いをかなり持ってそういうふうに主張されたというふうに伺っているわけでございますが、しかしそのことについて班の結論エイズとは言えないという結論になってしまったということでございまして、芦澤先生はせめてそのときにシロでなくて疑わしいということをはっきり公表しておけば相当その後の薬害エイズの問題は変わってきたんじゃないかということをいろいろなところでコメントしておられますけれども、そのときのお気持ちは今でもお変わりないでしょうか。そしてまた、その趣旨はどんなことだったのか、その辺お伺いしたいと思います。
  154. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) すべて感染症は病気の症状が段階的に重くなるわけでございますので、初めはすべての基準を満足させるものではおよそないのでございます。ですから、そのときに認定するしないというふうに断定すること自体が非科学的な態度だと私は思っております。行政というのは研究班というものの判断とは別個にそのほかの配慮を加えるということは当然でございます。  しかしながら、今回の場合のこの保健情報課がプレスに対しておっしゃったことが、私は又聞きでございますけれども、もうちょっとレクチャーというんですか、はっきりと納得してもらえるような、学問的にも納得してもらえるような説明をなさるべきであったと思います。
  155. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 なぜ帝京大症例日本の第一号とならなかったのかということにつきましては、今御説明いただいたわけですけれども、班の中でもかなりいろんな議論があったというふうに伺っております。しかし、多くの方々は今のこの症状ではエイズの基準に合わないんだということで最終的には、安部先生がそれだけ強く主張なさったにもかかわらず、結局疑わしい状況でも正式にはエイズとは判断されなかったというふうに伺っているわけでございます。  先生はそのときにはどういうふうに思っておられたのでございますか。
  156. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 疫学というのは、私も人に教えたり疫学の勉強をした者でございますので、まず診断基準というものをそろえて、そしてそれに合致した症例というのをなるべく多く集めるんだという手続があるわけでございますので、そのとおりにやるしかないと、こう思っておりました。そして、CDCの診断基準が当時は唯一のものである、当時イギリスでもアメリカ診断基準を使っておりましたので、もうそれしかあるいはなかろうと、こう思っておりまして、意図的に帝京大症例を一号としなかったというふうには、当時はそんな考えはありませんでした。
  157. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 これは前回私どものこの会に来て御意見を述べてくださいました松田参考人の御発言なんでございますが、それをちょっと確認させていただきたいと思っております。  松田参考人の印象というか、そのときのお記憶では、第一回のエイズ研究班会議、それは御紹介程度だったようでございますけれども、安部班長帝京大症例報告があって、そして塩川先生が、もしこのエイズ感染症であるならば、またウイルスが感染するのであれば、これは他人に感染するおそれがあるんだから早く討議をしてエイズ認定して国民に公表すべきだというふうにかなり積極的な発言があったと。一回目ですね。そして二回目になりますと、今度は塩川先生が非常に反対派に回ってしまわれたと。そして、中での激論が相当あった結果、エイズではないというふうな決定をされてしまったと。そして第三回の会議では、病理標本も示されたけれども、あるグループの先生方が非常に強固に否定された。第四回の会議では、塩川先生がそれじゃその病理標本を順天堂の病理教授に見せてというふうなことで、その結果エイズではないという報告をなさって、最終的にはこの帝京大の例はエイズであることが否定されたというふうなことを報告してくださったわけなんでございます。  そこで、先生はこの辺の経過、先ほどもちょっとお伺いいたしましたけれども、どのように記憶しておられますか。あるいはほかの先生からも御発言がどんなふうにあったのかということにつきまして、もしこれにつけ加えるようなことが、あるいは松田先生の御意見に思い違いがあったりするようなことがあったら、ちょっと教えていただきたいと思います。
  158. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 今おっしゃいましたように、感染のおそれですね、それについては塩川班員もその点は言われておりました。それが途中で変わったという、その変わったというのが、今申しましたように、この除外条項の免疫抑制剤を使っていたと、まあステロイドですが、それでそうなったというのでありまして、特に私としては前言を翻してやったというふうには当時は受け取っておりませんでした。やはり、疫学をやる者としては診断基準にそのまま忠実に従うしかないなというふうに思っておりまして、それでありますから私としては否定をされたというふうには思っていないんです。あくまでも疑似症である、先ほども申し上げましたように、コレラ、ペストも疑似症も全く同じように扱っているということが頭にありますものですから、疑似症ということでやはり感染に対しては大いにPRをすべきであると、こういうふうに思っておりましたので、それについては違和感はなかったんですね。
  159. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 ありがとうございます。  松田参考人は、どういう根拠か私どもにはちょっとわからないのでございますけれども、この帝京大症例が第一号とされなかった理由にいろいろな背景があるんじゃないかということをおっしゃってくださったんです。それは、例えば第一号と今決定されてしまうと困る企業があるんじゃないかとか、あるいは厚生省の上層部から圧力があったんじゃないかとか、あるいは血液行政の汚点になるんじゃないかとかといったような、つまり一号に認定しなかったことの意味といいましょうか、そういうことについての御指摘が、それはまさに推測だとおっしゃっておられるわけですが、そういうことを言われたわけでございまして、私ども大変混乱といいましょうか、一体本当のところどういうことがあったんだろうか、結局その後では、二年後にはエイズ認定されるわけでございますし、どうして認定されなかったのか、そしてまたその裏にそういういろいろおっしゃったようなことが本当にあるんだろうかということを大変疑っているわけでございます。  その辺について、恐縮でございますけれども、もちろん郡司先生も、本日もでございますし、また衆議院の厚生委員会でも明確にこういったようなことについてはなかったと否定されておりますし、また安部先生衆議院の厚生委員会においてこういったことはもちろんなかったと否定されておるわけでございます。  このエイズ研究班における第一号患者認定につきまして、外部からの圧力があったのかなかったのかということで、松田先生発言というのをどんなふうに印象をお受けになりますか。
  160. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 安部班長は、エイズと認められないという方向にずっと行った際に口をきわめて、どうしてこんなに所見がそろっているのに認めないんですかということを、今でも私の耳に残っておるんですけれども、振り絞るような声で申されました。松田班員もじっと唇をかみしめて控えておられました。ですから、その心情は私としても十分理解ができるのでございますが、いかんせん最後の項でそれに該当するというので、非常に認定するというのに近いけれども現段階では認定には至らないんだという決定になったのは、私としても異論を唱えるわけにはいかないわけでございまして、帝京の人には大変気の毒だけれども現状では仕方がないと。そうかといって、否定をしたというようには厚生省としては言わないのだろうと、こういうふうに僕は思っていたんです。ところが、それが否定をされたという形に伝わってしまったということは、私の疫学という立場からすれば非常にこれはまずかったケースだろう、こう思っております。
  161. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 そのことについて松田先生がどういうふうに思われたかということは、それはもう個人個人のお考えだと思いますけれども、私も、そういう疑惑を持たれるようなことがなかったというふうに、やっぱり学者の集まりでございますからあくまでも学問的に判断されたのかなと思わざるを得ないかというふうに思っております。  それから次に、先生はずっと公衆衛生院でお仕事をしておられたわけでございまして、こういった感染症、エイズのようなものが出てきたときの公衆衛生院の役割といいましょうか、大変難しゅうございましょうけれども、何といいましても今度のエイズの問題では保健所が随分大きな役割を期待されているわけでございまして、そういう公衆衛生分野の研究機関でもあり、また公衆衛生分野で働く職員の教育とか研修とかそういったことも引き受けていらっしゃる公衆衛生院といたしまして、こういった情報の収集でありますとか伝達でありますとか、こういったものについてどんな役割を果たしてこられたのか、お伺いをしたいと思います。公衆衛生院の役割
  162. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) それは当時の公衆衛生院の働きでございますか。遺憾ながら何もありません。私が班員として出たということをほかの公衆衛生院の職員が殊さらに重視をしたというふうにも思っていませんし、部長会議等にもそのような話題はなかったように思います。
  163. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 実は、このエイズ対策が保健所に参りますときに、やはり現場の保健婦たちも大変戸惑いがあったわけでございますね。そういった国の政策が変わってきたときに、国の研究機関であります、あるいは教育機関であります公衆衛生院のあたりで、職員の研修内容あるいは教育内容等につきましても当然そういった意味での対応があってしかるべきだというふうに思うわけですね。  この公衆衛生院が、これから国の試験研究機関の重点配備・再構築の構想に乗っかりまして、やがて改組されるわけでございますね。十年までには和光市に移転をする、そしてネーミングも国立保健医療福祉政策研究所というふうな形で改組されるというふうに伺っております。大変私たちなれ親しんでおりました公衆衛生院という名前ももうこれでなくなってしまうわけでございますが、しかし今後ともこの大きな問題、公衆衛生上の問題というのはあるわけでございまして、そのときにやはりきちんと対応できるようなシステムがなければ本当はいけないんじゃないかと思うんです。  その辺につきまして、これから改組される公衆衛生院に対しまして何か御示唆でもあったらお伺いしたいと思うんですが、いかがでしょうか。
  164. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) お言葉でございますけれども、私も公衆衛生院の職を離れましてからもう大分長うございますので、今の公衆衛生院についてあれこれ言うことはいかがなものかという気持ちもあるのでございます。特に、大幅に機構が改組されようというときにですね。  一言だけ申しますと、厚生省に全厚生職員労働組合というのがありまして、私もその執行部になったことがあるんです。ですから、先日呼ばれまして、話をしてくれというので私の思っていることをそこでも話したのでございますけれども当時のことは、今申しましたように、私自身を含めて全力投球をしたとは言えないと思って大変後悔しています。  今の若い人たちはこの改組についての危機感を持っております。そして、今おっしゃいましたような公衆衛生院というものが、システムとして保健所やあるいは地域の保健センターと保健婦、看護婦の人たちとの連携をしっかりととってやるように研修をちゃんとやらなきゃいかぬということと、厚生省の研究機関がお互いに情報交換を密にして、組合の中にも厚研連というのがあるんですね、厚生省の中の研究機関の労働組合の連絡協議会というのがあるんですが、最近は労働組合が元気がないのでございますけれども、やはりそれを賦活化してしっかりやろうではないかというようなことで終わったわけでございます。
  165. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 それでは、先生のいろいろお書きになりましたものを読ませていただいて、エイズに関することについて読ませていただいているんですけれども、これは「日本公衆衛生雑誌」ですね、「後天性免疫不全症候群予防法案の問題点」。これは、エイズ予防法ができますときにいろいろな問題があったというふうに思うんですが、そのときに先生が性病予防法との比較をなさって、いろいろな御示唆をちょうだいしているわけでございまして、このエイズ予防法というものに対するお考えを大分述べておられるわけでございます。  これは、従来の公衆衛生的なアプローチ、社会防衛的なアプローチから、やはり一人一人疾病を持った個人という形できちんとしなければいけないんじゃないかというような御示唆かなというふうに思って読ませていただいたんでございますけれども、薬害エイズエイズの問題に関しては非常に個人個人のプライバシーにかかわるような問題がたくさんありまして、今のような法律で本当にカバーできるのかどうかというと、やはりいろいろな問題があろうかと思います。  そこで、ひとつ先生にぜひこういう問題につきましても何か御示唆がちょうだいできればというふうに思いますが、いかがでしょうか。
  166. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 私は、その予防法案ができるときに、厚生省に縁がある者としてはおしかりを受けるということを覚悟で反対意見を、参議院のあの当時は社労委でもって申しました。  なぜ反対したかといいますと、感染者を抗体の有無によって見つけ出して、そしてその人に対して医者が管理下に置いて、そして感染を防ぐようなことをやるわけでございますが、医療についての特段の保障をするという条文もなくて、本当に狭い意味の、古典的な意味での予防というものだけだったんです。しかもプライバシーというものが、保健所等が介在しますので、それについて患者あるいは感染者であるということがわかってしまうんじゃないかという危惧を持っているわけでございますので、それは甚だ一方的なものであると。  それから、医療の保障と生活の保障があるわけでございますから、学校に行っている人は学校に行っている、企業に働いている人は企業に働いている、それぞれの福祉までも含んだ法案でしたら私も賛成したんです。それがないというので、その点で私は反対をしたのでございます。
  167. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 それでは、最後になりましたけれども、先生は疫学の専門家としてずっと私どもお教えをいただいてきたわけでございまして、そういった専門のお立場から見まして今回のエイズの問題、たくさんの問題があったかと思うんですけれども、このエイズの問題を教訓にいたしまして、再発防止策、どのような取り組みが今後求められるか、この辺につきましてぜひ御示唆をちょうだいしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
  168. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) これは非常に根っこが深い問題でありますので、一言や一言では申せるものではないと私は思います。  医療という面は薬剤を使う側でございますので、医療側の予防ということをやりましても薬剤そのものが今度の薬害のように不測の事態が起こることもあり得るわけでございますので、やはり医療側だけでなくて薬業関係の、副作用がないようにするとか、あるいはもし出た場合にはそこでストップをかけるとか、そういう迅速な機能が今の行政機能で果たしてできるであろうか。  ミドリ十字を初めとするそういうものを見ましても、厚生省の業務では、今はどうか知りませんよ、大分態度を変えているようでございますが、その当時ははっきり言ってできなかったわけでございますね。どうも日本経済というのが非常に民間主導ということに、ますます自由市場ということがこれは聖域であるように思ってまいりますが、事人命に関する限りはほかの市場とは違いますので、何らかの民主的なコントロールが必要であると思っております。  一つには、総務庁の行政監察局がございますね、そこでそれぞれの行政の監察を専門の公務員が書類を見たり実際を視察してレポートを書いておりますが、それが改善に役に立っているかどうか。恐らく総務庁の行政監察というものを監察するという、それをするのは国会しか私はないと思うんですよ。  国会というのは、先生方が国政調査権というのを持っていらっしゃるんですから、それをやはりお使いになるのには、政党に属していて仕事をなさるということは当然でございましょうけれども、政党色を離れて、御自分の御専門専門でもって常時行政監察庁のような役割をするとか、あるいは行政監察庁自身をコントロールするとか、そういう役目を私は国会議員としてはなさっていただければありがたいと思うんですね。そして、それを国民に向けてPRなされば、これはもう当選疑いなしですね、これは冗談でございますけれども。そういうような発想の転換が私は要ると思います。余りにも行政が肥大をしております。すべて資本主義国というのは行政肥大の方向に行くのでございますね。やはり立法府としての見識、特に私は参議院にそれを求めたいと思います。
  169. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 ありがとうございました。
  170. 水島裕

    ○水島裕君 我々が参考人に御質問するときは参考人と呼んだ方がいいというマスコミの指摘もございますけれども、やはり先輩のドクターでございますので大部分あるいは先生と呼ばせていただくかもしれません。  私は、本日、三つのことについてお尋ねしたり意見を申し述べたいと思います。  一つは、衆参の厚生委員会でいろいろ証言していただいておりますが、結構食い違いがあるということで、それに関してでございます。それから第二番目は、疫学者としての先生に御質問をしたいと思います。それから最後には、薬害を少し広くとらえまして、例えばスモン薬害なども含めまして検討してみる。なぜかといいますと、今回の責任がどのぐらいかということ、それから今後の薬害対策ということを考えますと、エイズだけ検討していたのではぐあい悪いというふうに思うからでございます。  それでは、まず最初ですけれども、今、先生のおっしゃったように、参議院で党派を考えないで国政に当たるということで御質問をさせていただきたいと思いますし、先生もこのエイズの三つの委員会エイズ会議とサーベイランスとそれから診断基準、いずれも班員でございますので、いろんなことをよく御存じでいらっしゃいます。しかも先生は、班長ではないし、余り弟子とか厚生省とかいろんな関係もないので、非常に公平な立場で正確なことを言っていただけると思います。  ましてや、これから告発されるという可能性もほとんどないわけでございますので、どうぞ真相をお聞かせいただきたいと思います。  では、まずその不一致の点で何といっても重要なのが帝京大症例でございます。これは私どもが見ましても、あるいは先生方が御判定になりましても、限りなくクロに近い灰色という雰囲気だったんだけれども、二人を除いては少なくともクロではないと判定し、しかも外部にはクロではない、シロというふうに発表ないし報道されたということで間違いございませんか。
  171. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) おっしゃるとおりでございます。
  172. 水島裕

    ○水島裕君 それが非常に大きかったと思うんです。  私は、厚生省の人でも、現在でも問題がございますけれども、業務局には当時多分メディカルドクターは郡司さん一人だったと思います。その郡司さんが先ほどからのように怪しげなところがございますと、先生方の班でクロではない、シロだと判断しますと、厚生省もこれは大丈夫じゃないかというふうに思ったという可能性もあるわけでございまして、ましてや外部の人はほとんどシロで安心じゃないかと。  先生は多分その次の日の新聞報道なんかもあるいは記憶なさっていらっしゃると思いますけれども、その辺記憶がございましたらお願いいたします。
  173. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 全くクロかシロかという、そういう論調の新聞が大部分だと思いますですね。
  174. 水島裕

    ○水島裕君 これが非常に対策のおくれをもたらした一つだと思います。しかも、少なくともそこに出ておいでの方あるいは厚生省の人も、かなり灰色だとあれば対策を講じなかったらいけなかったわけでございますね。それが先ほどの郡司参考人などは、対策は講じなかったと、それから仮にそうであっても、クロであっても対策を講じたかどうかわからないというふうにおっしゃっていますし、また加熱製剤の緊急輸入を提言した覚えはない、言ってはいないとおっしゃいますし、そのころのことは忘れたと言っているし、それから、なおかついろんなこと、もう少し覚えていてもいいことをおっしゃらないわけでございますけれども、その辺は何とかなりませんでしょうか。多分先生は大学で郡司さんがただ後輩というだけではなくて同じ専門の後輩じゃないかと思いますけれども、その辺で何かいい知恵はございませんでしょうか。
  175. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 水島先生の御質問は、いい知恵はございませんかということは、当時ですか、当時いい知恵はなかったかということですか。
  176. 水島裕

    ○水島裕君 現在です。やはり、郡司さんは当時の当事者のうちでは最大級の人なわけでございますよね。ですから、彼が本当のことを言ってくれるのが非常に今度の真相解明にはプラスになるわけでございますので、そこを先生のお力で何とかなりませんでしょうかという意味でございます。
  177. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) それは現在、現在形ですね。
  178. 水島裕

    ○水島裕君 現在でございます。
  179. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 現在形ですか。
  180. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 小委員長の許可を得て発言をしてください。
  181. 水島裕

    ○水島裕君 はい、済みません。
  182. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 郡司課長の言われていることと否定をしているということについては、研究委員を含めまして私としては理解に苦しむんです。ですから、今さらというか、そう言っては悪いんですが、元課長に話をされても、彼はもう信念として譲らないと思いますですね。  それと、先輩後輩と申しましても、もうかなり、十年ぐらいの開きがありますから、それほど親しく話ができる、理解してもらえるという状態ではもうなくなっていると思いますので、せっかくのあれでございますけれども、まあ無理じゃないかと思います。
  183. 水島裕

    ○水島裕君 それでは、先ほどクリオの話が出ましたけれども、私は、対策を立てるので一つのだれでも考える重要な道は、日本人の血液を使って当時の非加熱製剤を、濃縮製剤をつくればよかったと思っているわけですけれども、そういう話は班会議では出ませんでしたでしょうか。
  184. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 当然、クリオでございますから、その話が出まして、絶対に献血者というものが、その当時はウイルスはわかっておりませんけれども、ウイルスであろうと推定されておりましたんですが、それを全く持っていないということは言えないけれども、アメリカクリオよりかは日本人の献血者のものについてはまず大丈夫であろうということは話がありましたですね。
  185. 水島裕

    ○水島裕君 ただいまのお答えは結構でございますけれども、クリオではなくて、日本血液を使った、血漿を使った非加熱製剤をつくるのが、これは日本の会社はそういう技術を持っていたわけでございますので、それが一番当時も可能だったんじゃないかと思ったからでございます。お答えは結構でございます。  それから、その次は、先生出席していらっしゃるかどうか記憶がはっきりしないと申していらっしゃいます第四回ですけれども、これはスピラ博士診断がそのときに報告されたという会でございます。それと同時に、これは聞いたもので確かじゃないかもしれませんけれども、その議論の中で、帝京大の標本を順天堂で見たらエイズではないと言ったのが第四回、十月だと思いますけれども、そのときの記憶はございますでしょうか。
  186. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) いや、その第四回というのが私、記憶がどうもはっきりとしませんですね。スピラという方と私は会ったような記憶はぼんやりとはあるんですけれども、はっきりとちょっと自信を持って私もいたとは申せませんですね。
  187. 水島裕

    ○水島裕君 後でももう一度申し上げますけれども、きょうは客観的、第三者的なことでぜひ発言していただきたいと申し上げましたので、仮に先生がそのとき出席していらっしゃいまして、スピラ博士認定があったら、やはりそこでもう一度考え直そうという気に当然おなりになったかどうか、いかがでございましょうか。
  188. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) もし今おっしゃるとおりでありますれば、もう一度この班会議でもっておやりになったらどうですかと私は言ったと思いますけれども、そういうふうには事が運ばなかったわけでございます。厚生省の方のプロジェクトチームのあれによりますと、CDCの公的な見解ではなくて、ドクター・スピラ個人の意見であるということなので、あえてこの班会議の方にまでは持ち上がらなかったと、こう言っておられますですね。
  189. 水島裕

    ○水島裕君 もう一つ証言が食い違っておりますのが、標本を順天堂に持っていったかどうかということで、持っていったかどうかということに関しては参考人は御存じないわけでございますか。
  190. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) はい、知りません。
  191. 水島裕

    ○水島裕君 ただ、一般論としまして、順天堂の病理学者がこれはエイズじゃないと診断してそれを紹介され、そのコメントが第四回であったわけでございますけれども、そういうときは一般論としましては、順天堂の病理のドクターは標本を見て判定しているということになりますでしょうか。
  192. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 病理学者としては、自分の目でもって標本をごらんになりたいと、こう思うのは当然だと思います。
  193. 水島裕

    ○水島裕君 そうしますと、あの標本が順天堂に行っていた可能性の方が強いというふうに解釈してよろしいわけでございますね。
  194. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) そこまで踏み込んで私が言うのはいかがかと思いますけれども、常識的にはやはり御自分の目でごらんになったに相違ないと、こう思っております。
  195. 水島裕

    ○水島裕君 ありがとうございました。  それでは、少し疫学者としての先生にお尋ねしたいと思いますけれども、八三年の前半ですか、米国でエイズ調査をしたときに、エイズ患者の中に含まれている血友病患者のパーセントが約一%ということでございましたですね。全体の人口の中の血友病患者の比から計算しますと百二十倍以上という結果が出ているわけで、これはもちろん当然先生御存じでいろいろお考えになったと思いますけれども、その辺に関していかがでございましょうか。
  196. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) これは郡司課長のプロジェクトチームのアンケートに対するお答えの中に書いてありますですね。私自身は当時はそこまでの計算はしておりませんでした。  そして、郡司課長の書いてあることは、疫学で言う相対危険度を出す手法でございまして、暴露された群と暴露されていない群がらの発症率の比較でございますので、疫学的には私は道理にかなっているものと思います。
  197. 水島裕

    ○水島裕君 疫学者を前にして言うのも大変あれですけれども、十倍ぐらいでもどうかというのに、これは百二十倍でございますので、これはすごくこの危険性を感じてよろしかったわけでございますし、先生は恐らく疫学者として班にお入りになったのでございますので、その辺もう少し強くこれを認識して主張を、あるいはなさったのかもしれませんけれども、なさったかなさらなかったかはいかがでございましょうか。
  198. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) まことに私自身の、そこまで考え発言を疫学者としてすべきであったという御指摘でございますが、そう言われますと全くそのとおりでございまして、まことに言葉がありません。
  199. 水島裕

    ○水島裕君 それでは、また時間がありましたら少し振り返ることにいたしまして、今度の関係者の責任が果たしてあるのかないのか、あるとすればどのくらい大きいかということを検証する意味、それから薬害防止ということも含めまして、別な薬害のことについて述べて今度のエイズ薬害と比較してみたいと思いますけれども、先生は疫学者でございますので当然、これが一九八三年が問題の年で、今から十三年前ですけれども、そのさらに十三年前、一九七〇年にスモンの学問的解決を見たわけでございますけれども、疫学者としてこのスモンの原因を当時どう思われていたか。  また、キノホルム説が出たときに、どう考え、お感じになったかをおっしゃっていただきたいと思います。
  200. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 私は、スモンの発症が広範囲にあったという当時はスモン研究班には属しておりませんでした。当時の疫学部長でありました重松先生が非常に熱心にスモンの研究班を組織されましてやっておられましたので、私はそのときにおまえも入るかと言われたんですけれども、いや私はほかに仕事がありますからと言ってそれには加わらなかったのでございまして、同じ疫学部にいる人間としてこのキノホルムということが確定をしたということは非常によかったというふうに思っておりまして、そして行政としての取り組みもあの当時としては割合と早く対策がとれていたのではなかろうかと思います。
  201. 水島裕

    ○水島裕君 なぜスモンのことを持ち出したかと申しますと、結論は、スモンはもちろんよくわからなかったし、それから行政面としても、キノホルムの大量投与を許したとか、問題点はございましたけれども、一度犯人像が怪しいと思われてからの解決が極めて早かったわけでございますね。  それと今度のエイズを比較したかったからであります。  それで、エイズの方にまたちょっと戻りますと、エイズに関して問題と思う点は多々あったわけでございますけれども、その一つのよい例が帝京大の例を認めていれば本当に早く血液対策がとれたわけでございますけれども、それがとれなかったというのとの比較でございます。  エイズに戻りまして、実は今問題になっております第二回の班会議で判定がどうだったかというのが、実は日にちが一九八三年の七月十八日でございます。その六日前の七月十二日の朝日新聞をここに持ってまいりましたけれども、かなり大きく「AIDS 国内に上陸の疑い」、「血友病患者 今月死亡、似た症状」と出ております。なおかつ、七月十四日の内外タイムス、そのころあった新聞でございますが、今あるかどうかわかりませんが、その一面トップで「「AIDS」帝京大病院で死者」、「日本上陸確認」、「輸入血液感染?」と書いてございますけれども、これについては、先生、御存じだったでございましょうか。
  202. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) はい、知っております。
  203. 水島裕

    ○水島裕君 私も妙にこの記憶だけは残っておりまして、この内外タイムスを見ながら医局でこういうことを報道したら数日後の、四日後の班会議でおへそを曲げられて否定でもされるんじゃないかなんということを話した覚えが私にもございますので、先ほどからいろいろとここにおいでの、ここに今までもいらした参考人の方が忘れた忘れたと言うのは私もなかなか腑に落ちないところがあるのでございます。  実はこの新聞に書いてあるのが、「日本上陸確認」、それから「輸入血液感染?」と書いてあるわけです。もちろん、余り確信がない新聞の報道と言ってしまえばいいわけでございますけれども、結局これが確かだったわけでございます。ですから、この内外タイムスの記者のここで書きましたことを確認するのに、何とエイズ研究班及びその後の研究班厚生省は二年かかっているわけでございます。新聞社の方が二年先で、書いてあることはほとんど今から見ますと合っているわけでございます。  それで、その二年がどうしておくれたかというのが今の例でございますけれども、これ一回だけだったらしょうがないと思いますけれども、この後スピラ判定がございました。そのときにも認定するチャンスはあったわけでございます。それから、なおかつ次の年の一九八四年に安部さんのところがギャロに血清を送りまして、この例に抗体が出たとわかったのが九月でございます。そのときもしなかったというわけでございまして、何度も何度もチャンスを逃して二年かかってしまったということで、これから申し上げるスモンは一カ月でそれができたということなのでございますけれども、まずその辺の印象についてお伺いいたします。
  204. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) スモンの例は、同じ研究班という組織がありまして、大変うまくいったケースだと思います。同じ厚生省研究班をまた組織したのは、スモンの研究班というものが頭にあってそうしたのかどうかでございますけれども、それにしては余りにも御指摘のような手おくれが目立ちますですね。  これがどうしてそうなったのかについては、私としても、何も証拠がありませんし、人の心の中はつかむことができませんけれども、スモンの場合と照合をしてみますと、幾つかの面で研究班行政の方との、非常にスモンの場合には息が合った情報のやりとりが頻繁に行われていたのではないかと思うのでございますけれども、それが今回は業務局の生物製剤課という課とそれから公衆衛生局の保健情報課というところで、厚生省に私も籍があったということからいいますと、局が違いますとなかなか連絡というのも表向きにはそう簡単にはできない。友人関係ということで辛うじてできるという程度になっておるわけでございますので、研究班というものに多くの期待を持ち過ぎたということがあるんじゃないかと思うんですが、それにしては余りにも研究班の運営が班長に任せたままになってしまって、厚生省考えていたようには運ばなかったのではないかというわけですね。
  205. 水島裕

    ○水島裕君 スモンのことをほかにお聞きの皆様もいらっしゃるので簡単に申し上げますと、一九六四年にそれまではやっていた何かおかしな病気をスモンと命名いたしまして、厚生省で一九六九年、五年後にスモンの調査研究協議会をつくりました。  それで、いろいろ、最初はウイルスだとかなんかやっていましたのですけれども、一九七〇年に、それまでも舌とか便とかというところにもあったんですけれども、尿から緑色のものがとれまして、これを前の鹿児島大学の学長の井形教授が一生懸命東大の薬学の田村善蔵教授に分析を依頼しまして、最初はうつるから嫌だとかなんか言っていたのを、煮沸して持っていって、何とか調べてくれといって、非常に熱意を持っていたので調べたら、これがキノホルムだったということがわかりました。  そうしましたら、本当にスモンの患者さんがそういう薬を飲んでいたかどうか、新潟の椿教授を中心に薬歴、薬を飲んでいたかどうかというのを調べて、それでその約一月後、八月六日に椿教授が自分の首をかけてキノホルムは怪しいからやめたらどうかと厚生省に提言したわけでございますね。後から聞いても、もう新潟大学をやめるぐらいのつもりで言ったと。  それでまた、厚生省の対応も今回とは違って非常によくて、何と一月間ぐらい集中審議したり、小委員会もつくりまして九月七日、つまりもう一月後はキノホルムの発売を中止したわけです。そのときの理由が、こういうものを出すから疑わしきは罰するということで、恐らく先生も次の日の新聞にそういうような記事が出たというあるいは記憶があるかもしれませんけれども、それだけのことをして中止をしたと。ですから、そのときも中央薬事審議会の常任部会でやったわけでございますけれども、部会長が石館先生、それもみんなの反対もあったけれども、とにかくそうしてみなくちゃ国民のためにならないということでやったわけでございますし、それと今度の件を本当によく比較してみるといいわけであります。  どこが違うかといいますと、今回はすぐかえられるものがなかったということは確かでございますけれども、十分議論されているように、クリオでありますとか加熱製剤の緊急輸入、それから日本血液を使った濃縮製剤というのは、私の感じでは二、三カ月、長くとも半年すれば完全に全部供給できたわけでございます。  この対策のおくれというのは、こういう事例からいきましても全く確実だと思いますので、そのことを私としては申し述べたいわけでございますけれども、せっかく参考人をお呼びしておりますので、先生の御印象をお聞かせいただきたいと思います。
  206. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 水島先生のおっしゃるとおりでございまして、私も、スモンの場合は今度の場合と比較いたしますと、単なる研究班として研究費をやるから報告書を出せばいいんだというのではなくて、薬学の方では石館教授ですね、それから疫学の方では重松部長という人が出て真剣に取り組んだという点では厚生省の方がむしろ、私もそのとき公衆衛生院におりまして非常にしばしば部長室にその課の技官が参っておりまして、緊密な情報の連絡があったということを覚えております。  どうもなかなか研究班というものは、常にそんなことをやっちゃだめなんだというふうにはいかないので、やはり研究班をつくっても、それを、何といいますか、リーダーシップを与えながら、しかも行政行政としての立場というもので両者がうまくやれば研究班でもできないことはないとは思っております。今回は全くもう失敗の、まずい例でございましたです。
  207. 水島裕

    ○水島裕君 ですから、運が悪かったと言ってはうつられた患者さん方に本当に申しわけないような気がいたしますけれども、やはり当時の働かれた方々と今度の方々との比較をするとはっきりしてくるんじゃないかと思いまして、これは国民の方などが判定していただくことではないかと思います。  そういう例はほかにもございまして、エイズウイルスに一番近いのが先ほどから問題になっておりますHTLVI、ATL、成人型T細胞白血病を起こすウイルスでございますね。これも日本で出てきたときに、陽性のウイルスがいる可能性のある血液は輸血をしない法律を、あるいは通達かもしれませんけれども、つくってくれと。これはもう熱心に鹿児島大学の納教授、あるいは先ほどの井形学長が言いまして、これももう即座に厚生省が対応しているのでございますよね。こういう例もございますし、あるいは生ワクチンの例もございます。  私は、厚生省対策は、今、国民の皆さん方はいつも悪い、あるいは学者もいつも何やっているんだというふうに思っていらっしゃると思いますけれども、そんなことはないので、かなりしっかりやった例があるわけでございます。それでもやはり今回のような、しっかりできなかった人と申し上げてもいいと思いますけれども、そういう方が出てくる。  そういう方に当たる可能性もあるわけでございますから、やはりそれは組織でカバーするようにこれからいろいろ考えをめぐらしていかなくちゃならないと思いますので、最後にそれについて先生の御意見をお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。
  208. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 水島先生の御意見は私としても肝に銘じて、しかるべき機会には、今後の対策ということについて物を言う機会が与えられましたら、スモンの例を含めまして考えさせていただきたいと思います。
  209. 水島裕

    ○水島裕君 終わります。
  210. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 社会民主党の朝日と申します。よろしくお願いいたします。大分お疲れになったと思いますけれども、あともう少しですので頑張っていただきたいと思います。  冒頭に、ちょっと予定した質問に先立ちまして、先ほど来の議論を聞いていまして改めて不思議だなと感じたことを幾つかお尋ねしたいと思います。  その第一点は、この研究班が何の目的で設置されたのかということについて、参考人は、文字どおりエイズの実態把握に関する研究のためのものだったというふうに先ほどお答えいただきました。たしか安部参考人は、エイズ患者がいるかいないかを研究する研究班だというふうにおっしゃった。郡司参考人は、非加熱製剤危険性判断、評価していただく、それで治療法を変えるべきかどうかを検討していただく研究班だというふうにおっしゃっていた。一つの研究班にそれぞれかかわっていた皆さんが、かくもその研究班目的についてアバウトな認識のまま研究班が設置され結論を出してしまったのか、その点がいかにも不思議に感じられるんですが、この点いかがでしょうか。
  211. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) おっしゃるとおりに、先ほど申しましたように、私はエイズの実態把握というふうに文字どおり受けとめたわけでございますが、その点では安部班長が、エイズ患者がいるかいないか、非常にわかりやすく言いますと、結局現状に発症した人がいるかいないかということになるわけでございますね。  それから、郡司課長が言われたのは、テーマを与えた御本人がそういうふうに言われたのかなと思いますのは、まあどうかなと思うんですが、その研究班の議事の成り行きから申しますと、加熱、非加熱ということに大きなウエートが置かれましたので、その部分を元課長は言われたんじゃないかと推測します。ですから、全く無関係なものではないんですが、それぞれの力点が違っていたということだと思います。  ただ、こういうふうなやり方は決して褒められないことであって、しっかりとその目的を明記してやるような議事運営をすべきであったでしょうね。
  212. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 ぜひこの点は一つの教訓としてきちっと押さえておかなければいけない点だと思うんです。  あともう一つお伺いしたいんですが、この研究班のメンバーの構成といいますか、先ほどの御説明では、例えば血友病であり、血液学であり、免疫学であり、あるいは疫学であり、それぞれの専門の先生がそれぞれメンバーとして入られているようにお聞きしましたが、どうなんですかね、こういう研究班の中で例えば血友病専門家が私はこうであるというふうに言いますと、それ以外の専門家の先生たちはそれに反論しにくいという状況があるんじゃないでしょうか。つまり、広い意味で医療なりあるいは公衆衛生にかかわる専門家の先生方が集まっておられるわけですけれども、その中の分野を見ると随分とより専門化された分野があって、それぞれの専門家がメンバーとして入られている。そうすると、よほどのことがない限り、例えば血友病専門家が私はこうであると思うというふうに血友病に関することをおっしゃった、その結論に対してほかのメンバーの先生方意見を、少なくとも反対意見を申し上げにくい状況になるのではないかと思うんですが、この点はどうでしょうか。
  213. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 心情的にはそのようなことがあり得ると思います。  ただし、戦前の教授とかいう方々は大変な権威を持っておられましたのですが、専門を超えても若い方々専門の先生以上に勉強される場合には学会なんかでも思い切って反論を展開するような場面もございますので、だんだんと変わってはきていると思いますけれども、今度の研究班の班員はまだ変わっていないというか、そういう状況でございました。しかも、戦前の大学を卒業した人たちというのは、それぞれの医局を主宰しておりますので、かなり教授としての権威や権限というものについてしっかりとしたものをお持ちになっておられまして、よほどこちらが勉強していかないと、おまえらごとき素人がというようなところがあったんじゃないかと思いまして、私自身も不勉強でございましたので、こういうことでいいのかなと危惧はしておりましたのですけれども、反論を言うところまで至らなかったわけでございます。
  214. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 この二つ目の点もやはり一つの今後の反省点として確認をしておく必要があるかなと思うんです。  そこでお尋ねしますが、芦澤参考人は、先ほど清水委員とのやりとりの中で、この研究班に加わったいきさつについて述べられたときに、疫学関係の人が一人入ってほしいというようなお話であったと。御自身は性感染症を専門的に研究してきたという立場を申し述べられましたけれども、これはどちらの立場だったんでしょうか。つまり、求められていたのは疫学の専門家、御自身の気持ちは性感染症の専門家、こういうことでしたのですか。
  215. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 厚生省としての委嘱は疫学者としての芦澤だと思います。ところが、私自身は、疫学というのは大変範囲が広いわけでございまして、そのすべてを勉強できないわけでございますので、性感染症ということについては一通りの議論はできるんだというふうに思いまして、そしてエイズについても感染の経路からいって性感染症としてのエイズという点では寄与できるかなと、こういう気持ちで参加したわけでございます。
  216. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 これは今から考えてみると結構大きな問題だったのではないかと思うんですが、私は、このエイズという当時まだ必ずしも明確にはなっていない病気の実態を解明するためには、どういう方法論でこの実態解明に向けてスタディー、研究をしていくかという大きな方法論を示す、明確に打ち立てることがまず最初に一番大事な任務だったのではないかと思うんですね。ところが、そのことを必ずしも十分にやらないうちに、先ほどお話があったように、さっと血友病の話に行ってしまった。ここにやはり私は三つ目の誤りがあったのではないかというふうに感じられてなりません。  そういう意味では、芦澤参考人はむしろ疫学を専門とする立場からこの研究班に求められたというふうに理解すれば、それぞれの個別の専門領域の話に入る前に、よりきっちりとした実態把握のためにどういう方法論で何を研究したらいいか、こういうところでより積極的な御発言をいただきたかったと思うんですが、そのような活動なり御発言なりはなさいましたですか。
  217. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 研究班員の一人一人はそれぞれの領域において国際的にも名前を知られておられる研究者ばかりでございますので、班長から指名があれば疫学の立場から弁ずる用意もないわけじゃなかったのでございますけれども、全くそのようなことがなくて、個々の専門領域については私自身が力がなかったわけでございますので憮然とした気持ちでいたわけでございます。  私が公衆衛生院におりましたときの上司の重松という人は、外国では臨床疫学者という人がいろんな研究班班長をやったり、非常な重きをなしたリーダーの一人としてやっているんだけれども、日本はまだまだだねと。疫学ということと統計ということとを一緒に考えちゃって、じゃ統計的にはどうかということをちょっと話をしてほしいぐらいの軽い気持ちで疫学というものを理解しているのだから、まだ日本では臨床疫学がちゃんとした研究班の中でも重きをなすような時代というのはちょっと先だなというようなことを漏らしたことがありますですね。
  218. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 時間がなくなってきましたので質問を飛ばして、あと一つに絞ります。  今のお話の中で統計というお話が出てきたんですが、芦澤参考人は「AIDSの実態把握に関する研究」ということで、分担研究者として「人口動態死亡統計よりみた免疫不全症候群」、こういうレポートを出されております。これはこの研究班の活動の一環としてなされたというふうに理解してよろしいですか。
  219. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) もちろんそうです。
  220. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 そのレポートを読ませていただきましたが、昭和五十四年から五十七年の四年間に亡くなられた方々の人口動態死亡統計から免疫機構の障害に関連するような件数を拾い集めて一定の統計的な集計をされているわけですが、率直に言って、このレポートでどのようなことを明らかにされたのか、このレポートの結論が意味するところは何なのか、ちょっとわかりやすく簡単に御説明いただけませんか。
  221. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 統計にしても疫学にしても、ある出来事の流行が始まったかどうかというものの判定をするためには、その流行が起きていないときの平常時の頻度、それがベースラインになるわけでございますので、その第一報をもって結論というのは出るはずがないわけでございまして、日本で後天性の免疫不全というのはどういうような病名が、国際新分類でありますから、それに基づいて人口動態死亡統計が出ているわけでございますから、それを集めましてまず第一報として報告したわけです。  この研究班というのは、普通は三年は続くんですけれども、一年で終わりになってしまったのでございますが、本当にエイズというのがふえたかどうかということは、エイズが入ってこないときの、それでも後天性の免疫不全というのは私が報告したように全くないわけじゃなかったのでございます。ですから、それと比べて有意の差をもって増加したということを言うために第一報としてこれを書いただけのことでございます。
  222. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 じゃ、最後にお尋ねしますが、ある意味ではこの統計はそういう意味でスタンダードをきちっと確認しておくという意味があったと思うんですが、問題はこれがあと引き続き継続研究して積み重ねていく、絶えずスタンダードに合わせてみないと意味がないわけですよね。  参考人はその後サーベイランスの方の委員会にも属しておられたんですか。こうした疫学的な継続的な研究がきちっとなされてきたのかどうか。  サーベイランスは一定のできるだけ直近の数字をつかまえながら、それに基づいて一日も早く対策に結びつけるというのがその存在理由だと思うんですが、その辺、その後の取り組みにどんなふうにつなげられたのか。どうも私の感ずるところでは、その後必ずしもきちんと継続あるいは発展させられていないのではないか、そしてこれらのサーベイランスの統計がエイズ対策にきちんと生かされてきていないのではないかという感じを持つんですが、この点をお聞かせいただいて私の質問を終わりたいと思います。
  223. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 研究班報告は、今申しましたように、第一報だけで終わりになりましたので、その後エイズ検討委員会の方にも私は所属しておりまして、そのころから全国の免疫関係を扱っている病院にアンケート調査を継続してやっておりまして、現在でも続いておるわけでございますが、日本でもだんだんと症例が集まってまいりましたので、今さらエイズが入っていないときと比べる必要もないほどエイズの、つまりHIV感染というものが広がってきたわけでございますので、私のこの報告もだれもそれについて顧みる人もいなかったものですから、僕自身もそれに対して当てはめて何倍になったというようなことはやっておりませんでした。  サーベイランスというものの役目は今おっしゃるとおりでございまして、対策に結びつけなければ意味がないわけでございます。そうでないと、ただ知識的に何であった何であったという毎月の数字だけでは対策に結びつくかどうかは大変心もとない話でございますので、外国ではアクティブサーベイランスという言葉がありますように、実際に感染が出た場合には、個々のケースそのものを医師のもとにおいて情報を把握して、きめの細かなネットワークを利用いたしまして、本当にその感染が広がるのか広がらないのかを突きとめるというシステムをやるのがアクティブのサーベイランスだということになっておるわけでございますけれども、そのあたり、私もサーベイランスの委員からも離れておりますので現在はどうなっているかわかりませんけれども、できればそういう方向に行くべきだと思っております。
  224. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 どうもありがとうございます。
  225. 西山登紀子

    西山登紀子君 日本共産党の西山登紀子でございます。よろしくお願いいたします。  参考人は、郡司氏がエイズ研究班加熱製剤の緊急輸入発言、これを否定しているということについて先ほど非常に心外だというふうにお答えになったわけですけれども、なぜ心外だというふうに思われるのか、お話しいただきたいと思います。
  226. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 率直に申しまして、私の耳ではっきりと聞いたわけでございますし、また私のほかにも松田班員と塩川班員がはっきりと聞いたと。塩川班員は、NHKの「埋もれたエイズ報告」にも申されておりますように、ポリオの生ワクの緊急輸入ということがあったことを思い出しまして、なるほど生物製剤課としてはここまで考えておられるのかということまで言っているわけでございますので、そういうことを言われる以上、郡司課長がそういうことは言っていないということを言うこと自体が心外としか言いようがないんですね、率直に申しまして。
  227. 西山登紀子

    西山登紀子君 それでは次に、先生は疫学の御専門家でいらっしゃいますので、トラベノールの自主回収、先ほども私は郡司参考人質問をしたわけですけれども、八三年の六月二日にトラベノール社が自主回収をしています。汚染されている血液製剤は危険だということで回収をしているわけです。  これは非常に重要なサインだと思うんですけれども、先生の御専門立場からどのように評価をされるでしょうか。
  228. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) その薬剤の自主回収をしたとかというようなことは後になって知りまして、当時は議題には全くのっていないし、郡司課長もそれは重要なことではないという趣旨のことを言っているわけでございますが、それこそサーベイランスというのが、単に患者が出たとか、抗体が陽性の人がどうだこうだというようなことだけではないのでございまして、薬剤がどのくらい、どのような対象に対して使われたかということもサーベイランスの一つなのでございます。  例えば、アメリカでカリニ肺炎の場合に特効薬的な薬剤があるわけでございますが、それの使用量が意外にふえているということに気づきまして、そしてこれは尋常の病気ではないなということに気がついたのはアメリカの疫学者なんです。  そういう点で、自主回収したのを班会議報告しなかったということ自体が私としては大変、何というんですか、郡司課長がどうしてそういう大事な情報を提供しなかったかということについては、これこそ本当に残念だと言うしかないですね。
  229. 西山登紀子

    西山登紀子君 郡司課長は、なぜエイズ研究班報告しなかったのかという理由について、意味がないと判断をしたので研究班報告していなかったし公表もしませんでしたというふうに調査報告答えています。「リスクの判断はこのような事実によって行われるものではなく科学的な事実によるべきだと思います。研究会のメンバーも厚生省も、エイズの原因は何なのか、もしビールスだとしたらどんなビールスで、その感染力はどの程度なのか、潜伐期は、発症率は、といった情報を必死に読み取ろうとしていた」ので、このトラベノールの自主回収の報告というのはそれに当たらないので、意味がないと判断をして研究班報告しなかったというふうに説明をしているんですけれども、先生、どのようにお考えでしょうか。
  230. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) どうも郡司課長の言われていることは脈絡が論理的に一貫していないような印象を受けますですね。一生懸命ウイルスが何だとかいうようなことを探ろうとしているというふうにして、何か論理が一貫していなくて、ほかのことに転換をしているような印象を受けます。  自主回収というものについての、それについては私もよくわからないんですけれども、これまでも自主回収というものをやるんだということで本当に自主回収したかどうかのチェックを行政としてはやらなくて済んできたのかどうか、そういう点を私としては郡司課長に問いただしたい、問いただすべき点だと思っております。  そして、自主回収を意味がないと言うのは本当に私自身がわからないんです。大変大事な意味のあることをなぜ意味がないというふうに言われたか。そしてやはり、疫学的な立場からいえば、自主回収をしたならしたというそういう数量的な根拠をはっきりとさせまして、そしてその結果、発症する人の数がそれに見合うだけ減っているのかどうかという推測を立てて、そしてそのとおりに減少していれば確かに意味があったと、そういうふうにすべきで、私は大事な情報だと思います。
  231. 西山登紀子

    西山登紀子君 その郡司氏の説明、理由づけというのは大変不自然だというふうにお考えでしょうか。
  232. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 全く不自然と思います。
  233. 西山登紀子

    西山登紀子君 もしこの事実が研究班報告されていたら、エイズ研究班での結論というのは変わっていたとお考えでしょうか。
  234. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 当然変わっておりましたですね。やはり、非加熱感染の主要な原因だということがはっきりとしておりますので、変わったと思います。
  235. 西山登紀子

    西山登紀子君 郡司氏は、意思決定機関ではなかった研究班結論をゆだねてしまった、それが問題であったというふうに衆議院参考人招致でも言っているわけですけれども、研究班結論を出すまでもなく、こういう自主回収の情報を得た厚生省としてはやはり緊急に一時輸入停止をするというふうな措置をとるべきだったのではなかったでしょうか。先生のお考えは。
  236. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 全くそのとおりでありまして、一研究班にそれをゆだねるということ自体が大変、研究班というものの存在をどう思っておられるのか、これもまた心外なことでございまして、やはり行政の権限を持って迅速にそれはもう当然なすべきことだと思いまして、研究班の意向なんか聞くまでもないと思います。そして、その後の報告はきちんとやってもらうと思いますね。
  237. 西山登紀子

    西山登紀子君 最後にですけれども、先生は、八四年の三月、血液製剤委員会結論を非常におくれて出してくるわけですけれども、その出してきた結論に非常に驚かれたと、思いがけない結論だったということをあるマスコミのインタビューで答えていらっしゃるわけですけれども、なぜ驚かれたのか、どの点を驚かれたのか、お答えいただきたいと思います。
  238. 芦澤正見

    参考人芦澤正見君) 非加熱がその間に使われているということで患者さんが非常にふえる、そして致命的な疾患でありますから非常に不幸な出来事になるのじゃないのかということを感じて、驚いたわけでございます。専門家がそろっていながらそういう結論を出そうとは考えられなかったわけですね。
  239. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 以上で芦澤参考人に対する質疑は終了いたしました。  芦澤参考人には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。小委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時二分散会